地霊殿の屋敷のドアをいくらノックしても誰も応答がなかったから、勝手に入った。
「さとりー。いるかい?」一応声をかけながら、だ。
旧都一の大きさを誇る地霊殿だ。中の数少ない住人が、誰一人として私の戸を叩く音に気がついて居ない事も考えられる。
第一、私が今日地霊殿に訪れる事は館の方には前もって伝えてあるから、まあ大丈夫だろう、多分。
「誰か居るー?」
いるぅー、いるぅー、いるぅー。
人っ子一人居ない。大広間に、鬼の私の声だけが虚しく響き渡った。本当に妖精の一匹すらいやしない。
地霊殿自慢の、吹き抜けの大ステンドグラスがビリビリと振動して、少し埃が舞う。
「……ですよ……」
ふと、どこからか、か細い、本当に蚊のなくような声が聞こえた気がする。
一体どこからだ。あたりを見回す。
私は何度か無断でお邪魔した事があるから、ここのだいたいの間取りは分かっている。
一階にある、今私がいる大広間から続く厨房や食堂、娯楽室やトイレには誰もいる気配がなかった。
おそらく、目の前の階段を上った先にある、客間か寝室だろう。あるいは誰かの個室か。
「だれかいるのかい?」
私は階段を上り、上った先にある廊下に面した各部屋への扉を、一つ一つ耳をあてて、聴診しながら回ってみた。
ここか?
「かえってくださいよぅ……」
いや、ここか?
「だれもいませんよぅ……」
ああ、ここだ。
「いませんよう……るすですよう……」
間違いない。
耳を押しつけた木目のドアの向こう側から、か細いというか、泣き声に近いつぶやきがかすかに聞き取れた。
そしてこの部屋こそは地霊殿の主の私室であり、その声の主は紛れもなく古明地さとりの物だった。
なんだ、いるじゃないか。
「さとりだろ? はいるよ」
私がドアを、私なりにはそっと、ドカンとあける。
と、中から、
「ひっ!」
と、さとりの絶句する声が聞こえた。
これは、私が悪いんじゃない。このドアの蝶番が脆すぎるんだ。とりあえず、私の手に握られた、ただの板と化したアレというかコレはその辺に立てかけておく。
さとりの私室はそこまで広くは無かったが、ちょっと見回しただけでは、部屋の中にさとりは見つけることはできなかった。
部屋の右手には、マホガニー調に統一された箪笥と机が品よく並んでいる。
左手の壁には、妹や、猫やら烏やらたくさんが一緒に描かれた小振りな楕円形の自画像が、薄緑色の壁紙にちょこんと掛けられていた。
そして奥には、薄い二重にレースのついた天蓋付きのベッドがひとつ。
だが、よく見ると、その、やたらに足が高いベッドの下に、さとりのちっちゃい左手が隠れきれていなかった。
「ペットとかくれんぼでもしてるのかい?」
私はさとりの身体を、腕が引っこ抜けない程度には力を抜いて、ベッドの下の空間から引っ張り出す。
「ひえぅ!」
さとりはギュッと目をつぶり、虫歯の治療を怖がる小さな子供がいやいやをするように、わたしから逃れようとか細い力でもがいた。
と、いうか。
「あれ、きょうのさとりは全体的に……」
すっきりとした印象だ。
いつもさとりにまとわりついている、あのごちゃごちゃとした紫の管の様な物がない。全く見あたらないのだ。
地底の妖怪も、ついに無線全盛の時代に突入したのだろうか、と、くだらないことを考える。混乱が極まったせいか。
「ひっく。ぐすっ」
さとりの泣き声で、ようやく我に返る私。
「さとり、あんたの身に何があったというんだい?」
ようは、全体的に無くなっていたのだ。彼女の第三の目が。
私に引っ張り出され、しゃくり上げていたさとりを何とか落ち着かせる。
さとりはというと、赤紫色をした絨毯の上に直にうずくまって、内股の体育座りをして涙目になりながら俯いていた。ちなみにぱんつは白だった。
「今日の朝、目が覚めたら、もう居なくて……」
「朝起きて、気がついたら、もう無くなってたんだな。あんたの第三の目」
「はい。家出、しちゃったんです……」
「誰が?」
「私の、ベアさん……」
ベアさん? ああ、さとりの第三の目か。
いやいやいや。体の一部が家出って。
「わたしは覚りという妖怪には詳しくないが、そんなことがあり得るのか?」
私の質問に、さとりは黙って、机のほうを指さした。
その、さとりの体にふさわしい小振りな机には、何枚もの書類が山と積まれていた。おそらく地霊殿の主としての職務なのだろう。
閻魔への書簡、旧都の報告書、食料の発注書、等々。どれもが、それなりに高価そうな紙で上手にしつらえてあった。
だがその中に、一つだけ、わら半紙にへたくそな文字で書かれていた手紙がある。
手に取ってみると、そこには、
「いえでします。さがさないでください。 べあ」とだけ書かれていた。
ひょっとして、第三の目が触手で書いたのか、この文字?
まあいいや。
「ところで、あんたは何でかくれんぼみたいなことをやってたんだい?」
「アレがないと、私、心が読めなくなっちゃうんです」
「ふ~ん。で?」
「私に対して、皆さんがどういうつもりで話しかけているのか、ちっとも分からないんです。それで私、どうしようもなく怖くて」
心が読めない。
まあ、覚り以外はみんなそれが普通なんだけどね。
「今朝方も、お空に、さとりさま髪型とか変えた? うにゅー、今日のさとりさま、なんか変。なんて言われてしまって。私、もうどういう反応すればいいか」
そりゃお前さん、普通に受け答えすればいいじゃないか、と返そうとして、ふと思いとどまる。
そういうことか。
さとりは普段から他人の心が見えているのが当たり前の世界に生きている。
いつもは意識してないが、私なんかも、さとりが相手では、喋る言葉と心の言葉の両方を使ってさとりと会話する癖が付いてしまっていたことに気がつく。
それでなくとも、たとえば、私が急にさとりに、
「大好きだよ」といいたくなって、実際に口に出したとしても。
相手がどれくらい自分のことが好きなのかが、瞬時に完璧に理解できてしまうのが普段のさとりなのだ。
それが今では、台詞が冗談なのかそれとも本気なのかすら分からない。
さとりは今まで直に心を読めてたから、仕草や雰囲気とかで相手の伝えたいことを理解する能力が極端に低いのだろう。
それで相手の真意が全く分からずに怯えていたと。
まあ、普段見えていた他人の心が急に読めなくなったために、今まで自分が精神的に優位に立っていた事実が無くなったせいもあるかもしれない。
「さとりも大変だな。じゃあ、会合の打ち合わせはまた今度にしよう」
そういって引き返そうとした私のスカートの裾を、さとりが引っ張る。
「待って、お願い――」
それから上目遣いに、
「見捨てないで……」ときたもんだ。
あのさとりが。
つい三日前の酒席で、皆が見てる中、得意の流し目をしつつ数々のセクハラで私をさんざんいぢめてくれた、あのさとりが。
こういうシチュエーションがお好きなんですね貴方は、とか言って、旧都で密かにサドりんの異名をほしいままにしているあのさとりが。
それが、
「探すの、手伝ってください」
そうやってぷるぷると、涙目で小刻みに震えながらお願いされると。
私の脳内で、さとりがくぅ~んという泣き声をだす音声が追加さる。オプションの垂れ耳と尻尾もセットだ。まるでチワワのよう。
「分かった。この勇儀姐さんに、なにもかもまかせるんだ」
ちょっと闇金で借金してくるから。
それで新しい第三の目でもお買いなさい。あと、ついでにこれからは一緒に住もうねさとりん。いいや、さとりちゃんと呼んだほうがより家族っぽくていいかな?
……って、あれ? おかしい。
そろそろ、いつものさとりの強烈な見下し口調が来ると思ってたのに。
「本当? ありがとう!」
純真な、疑う心を持たない少女の腕が、私の腰にまっすぐに絡みついてきた。
ああ、こういうさとりもあるのか。たまにはこういうさとりもアリだな。いや、こういうさとりこそ至高。
さとらば、さとる、さとれ、さとろう、さとりん。
ぐっじょぶ、第三の目。ナイス家出!
ようやく涙を流すのをやめたさとりは、
「それでは、早速探しに行きたいんですけど……」
ああ、信頼しきった目つきで見上げられるこの快感!
ところで、これ以上何を探しに行くというのだい、マイハニー? 私達の青い鳥はほら、ここに居るじゃないか。
「ううう、ぐすっ。ベアさんですよう」
「ああ、そうだったね」そういえばそんなのもいたね。
さとりをおんぶして、私達は地霊殿を出た。彼女は、私のちょっと斬新な入室にびっくりしたあまりに腰が抜けていたからだ。
聞けば、さとりのペットたちも総出で、ベアさんこと第三の目を捜索しているらしい。
それでも未だに見つからないというのなら、おそらく、もう地底の世界には居ないのだろう。
そう結論づけた私とさとりは、地上にでる洞穴に向かった。
途中の縦穴で、腕を組んで何かを考え込んでいるパルスィに出会う。
パルスィはこちらをみとめるやいなや、
「おんぶなんかしちゃって。そんな風に二人の仲の良さを地底の皆に見せつけて。全く妬ましいわね」
「ようパルスィ、久しぶり」
「鬼の世界じゃ二日前は久しぶりって事になるのかしら。まあ――」
相変わらずのジトッとした目つきでさとりを見て、
「あんたとは一ヶ月ぶりだから、久しぶりとは言えなくも無いか。こんな陰気な橋姫とは、高貴な身分である地霊殿の主としては関わり合いになりたくないってわけ?」
パルスィはいつもああだから、挨拶代わりにちょっとした皮肉を言ったつもりなのだろうが、今のさとりには通用しなかったようだ。
「ご、ごめんなさい。いえ、そんなつもりは!」
さとりが自分の今の状況を考えずに頭を下げる物だから、さとりの額が私の後頭部に直撃した。
「いたい……」呻くさとり。その声も実にいいねぇ。
パルスィは不審な表情を隠そうともしない。文字通りぎょっとした顔をしている。
「ちょっと、なんなのよ?」
パルスィも、いつもは私らと同じようにさとりにはいじられるタイプだから、こんな反応をされるとは思っても見なかったのだろう。
「あんたは、いつもは、ハイハイって聞き流すだけなのに」
いい加減話がこじれそうなので、ここらで私が助け船を出してやる。
「さとりは今、心が読めないんだ」
それだけ言うと、我が友パルスィは得心がいったのか、
「ふ~ん。じゃあ、私が途中で逃げた、この前の宴会での、誰が誰を好きかの暴露大会、みたいなことはできないのね。ハッ、ざまあないわね!」
相変わらず意地の悪い笑い方をすると思う。
「でも、あの時な。後でパルスィも意中の人をばらされてたって話だよ」
「さとり、あんたってヤツは!!!」
パルスィは、いきなり頭から湯気を出して猛烈に怒り始めた。
「まあ残念なことに、私は丁度席を外してたんで、パルスィの意中の相手が誰なのかは聞けなかったんだが」
「私の中にまだ僅かな慈悲の心が残っていたことを感謝するのね、さとりさん」
今度は急におとなしくなる。いつもの事ながら、よくコロコロ表情が変化するなあ。変わった性格してて愉快なヤツだ。
パルスィは微笑んでいるつもりなのだろうが、目が全く笑っていない。まあ、細かいことは気にしないようにしよう。
私は今度こそ本題に入る。
「ところで、パルスィ。ここらを仕切ってる橋姫のあんたに聞きたいんだけど」
「なによ、一体。馴れ馴れしい鬼のあんたが改まるなんて、気持ち悪い」
「それはまあいいじゃないか。さとりの第三の目、この辺でみなかったか? 家出したらしいんだ」
「ああ、あれのこと。たしか今朝、ここを土蜘蛛みたいに蠢いて地上の方へ行くのを見たわ。なんて言うか、キモかった」
「それで、地上のどこへ行ったのかわかるかい?」
「行き先は分からないけど。それが妙なのよ。ここってかなりの地下でしょ? なのに、地上の入道みたいなヤツがつるんでたのよ。なんだったのかしら、あれは」
「入道だって?」
おんぶされたさとりが私の耳元で囁く。
「そういえば、最近地上にできたお寺の一門の中に、そのような方がいらっしゃると聞きます」
その寺なら聞いたことがある。命蓮寺といったか。
ならばと、とりあえずの私達の行く先はきまった。
「パルスィ、どうだい。あんた、一緒に行かないか?」
パルスィはちょっと悩んだあと、
「う~ん。今回は止めとくわ」
「そうか。残念だ。じゃあ、私達はここらで失礼するよ」
さとりが、今度は私の後頭部に注意しながら、パルスィに向かってお辞儀をする。
「パルスィさん、貴重な情報、ありがとうございました」
「私の今の気持ちがどんなものかは、覚りのあんたには一目瞭然、って、今は読めないんだったっけ」
「すっ、すみません……心が読めなくて」
「いや。普段のあんたは、空気を読まない事を気にすべきよ。読めないのか、それともあえて読まないのかは知らないけど」
おどおどするさとりを、パルスィはそうあきれた口調で見ながら、やれやれと大きな大きなため息をついたのだった。
地上に出て、秋のさわやかな空気の香りを楽しむのもそこそこに、私達は件の寺の門前にたどり着いた。
果たして、さとりの第三の目はそこにいた。パルスィの話に聞いた、入道みたいなヤツに装備されて。
そこには既に、さとりのペットであるお燐と、尼さんのような格好をした、おそらく寺の関係者が一緒にいた。
「だから、いっしょにあたいと帰ろうよ。さとりさまも待ってるんだよ?」
お燐がそう入道に嘆願するも、
「だめですね。曰く、私の意志は要石よりも硬いの、たとえ貴方の頼みでもこればっかりは聞くことはできないわ。だそうです」
尼さんが残念そうに首を振っている。
私達の存在に気がついたのか、急にみな黙りこみ、こちらを注視していた。
私に背負われた格好のさとりが、第三の目に優しく語りかける。
「ベアさん。そこにいたんですね。さあ、私と一緒に帰りましょう」
だが、入道にくっついた形の、さとりの第三の目はこたえない。さとりのほうを一瞥するだけで、微動だにさえしなかった。
「一緒に、帰ってはくれませんか?」
さとりの声が、さっきより格段にか細くなる。
ところで、ふと疑問に思ったんだが。私達と第三の目とは、どうやって意思の疎通をとるんだ?
と、側にいた尼さんがこちらに一礼し、
「ベアさんの本来の持ち主のさとりさんと、地底の鬼の勇儀さんですね」と、初対面だというのに、見事に私達の名前を言い当てた。
「ああ、今、雲山を介したベアさんに聞きました。雲山とは、この入道のこと。ちなみに私は一輪、雲山の連れで、彼の通訳みたいなこともやってまして。どちらもこの命蓮寺の関係者です。以後お見知りおきを」
「はあ、よろしく」
つまり、第三の目とは、この一輪を通じて話すことができるのか。
お燐がさとりに訴える。
「ベアさんたら、もうこの寺で出家するって言うんだよ!」
一輪も、
「人間も妖怪も、どんな出自の者も、信心と帰依する本心さえあれば拒まないのが我々の主である姐さんの方針なのですが。今回のように、本体の意志を外れた体の一器官を受け入れるのは、さすがにどうかと思われまして……」
この件で大いに困惑しているようだ。
どうしたもんか。そう思ってると、さとりが、悪びれた声を上げた。
「そんなに思い詰めるまでに、あのことを気にしていたんですか……そうですよね、あなたも、女の子ですものね」
なにか、さとり自身に心当たりがあるらしかった。
「一月前にあった地上の宴会で、魔理沙さんに、アリスさんとパチュリーさんのどっちをお嫁に迎えたいか、なんて聞いたからですよね?」
一輪が吹いた。
「それとも、同じ時に紫さんへ、霊夢さんにどういう風にいちゃついてきてほしいかを聞いたからですか?」
お燐の顎が外れ、雲山の目からレーザーが飛び出た。
「ああ、あれですね! 三日前にみんなの前で、半泣き状態の勇儀さんの唇を口でふさぎながら、心で読んだ弱点を執拗に――」
私の目から急に汗が大量に出てきた。
「ちょ、おま、どーん!」
思わず放った私の三歩必殺で、皆の残機が一つずつ減り寺の門扉が塵と化した。
しかし、私の秘密が守られたのだから尊い犠牲だと言える。その当時に居合わせた奴らにとっては秘密でも何でもない、という事実は忘れよう。うん。
新しい空気にしよう。冷静になろう、私。
すー、はー。
そうやって私が三度目の深呼吸をしたとき。
ぽむ。
ふと、だれかが私の右肩をそっと叩いた。さとりだ。
もう、一人でも大丈夫なようだ。私はしゃがんで、さとりを地上におろす。
さとりは少しふらつきながらも立ち上がり、第三の目をじっと見つめて、
「ベアさん。私のこと、嫌いになっちゃいましたか?」
一輪は黙っている。
「もう、こんなしょうもない妖怪のこと、愛想が尽きてしまったんですか?」
一輪の困惑した無言は続く。
「分かりました。能力を失った私ですが、貴方の心は十分に読めた気がします」
私は、さとりの足が少しだけ震えている事が奇妙に気にかかった。
さとりは言った。
「私が覚りの妖怪として未熟なのは分かっています。それに、地霊殿の主としても至らない点があるということも」
「そんな事ありません――」そう口を挟むお燐の口をふさいだ。そうしなければいけない気が私はした。
「ですが、まさか自分の第三の目にも愛想を尽かされるとは思っても見ませんでした。そういう点では、私は慢心していたのでしょう。私はこれからひとりで地霊殿にかえり、自分の甘い心を見つめ直すとします。ですが、もし私が壁を乗り越え、一人前の覚りに成長することができたら、そのときこそ貴方を迎えに、ここに訪れても良いでしょうか?」
それにはお燐も、私ですら耳を疑った。
つまり、第三の目をここにおいていくと。さとりはそう言っているのか?
一輪がようやく発言を再開した。
「違う。と、言ってます」
気がつくと、雲山にとりついた第三の目の視線が、いつの間にかさとり本人にむけられている。
「彼女がさとりさんのもとから離れたのは、決してさとりさんが未熟だからとか、ましてや愛想が尽きたからではないそうです」
「え、では?」
「さとりさん。あなたは先日、妹のこいしさんとお会いしましたね?」
さとりは頷いた。
「そのときこいしさんは、心を読む能力を閉ざしたおかげで、地上の生き物との関わりの中で、いかに自分が驚き、気づき、楽しんだかを貴方に話して聞かせた」
「はい」
さとりの妹であるこいしは、地下世界が解放された後、最近特に好んで地上を彷徨いているようだった。
「そのとき、彼女は貴方の心を読んでいたそうです。さとりさん、あなたはそのときこいしさんをとっても羨んでいたんですって」
「そんな、まさか!」
「いえ、あなたは気づいてないだけかもしれないけど。あなたは、もし覚りの能力が無ければ、自分もこいしみたいに、仲間に入れてくれるかも知れないと、羨望の念を抱いた」
さとりは考え込んでいたが、しばらくした後に頷いた。
「……そうかもしれませんね。何より驚いたのは、こいしが地上の人に全く抵抗なく受け入れられていることでしたが」
「ですから、彼女はいつまでも踏ん切りのつかないあなたの背中を押そうとして、ここに独り立ちしにきたと。さとりさんには、覚りとして自省して欲しいのではなく、覚りであることの重荷から解放されて欲しいと。だから私はここに来た。そうですね?」
一輪のセリフに、第三の目を見つめてる雲山がゆっくりと頷く。
そこにいるだれもがとっさに発言できなかった。私も、何を言って良いやら、皆目見当が付かなかった。
「あなたは優しい子。自分の器官にそういうのも何ですが」
そのとき発せられた声は、間違いなくさとりのものだった。
「第三の目の貴方がそういうのですから、私がこいしのことを羨んだのは事実でしょう。あなたの能力があった為に、私の心が傷ついた事などないといえば、私は嘘つきになってしまいます。また、覚りであるというたった一つの理由だけで、誰かに嫌われることも十二分にあるでしょう。今までも、そしてこれからもずっと」
さとりはそういうと、しばらくして微笑んだ。
「ですが、そのときは心に現れていなかったかもしれませんが。私は、覚りの能力は、それほど嫌いではないのですよ?」
雲山に付属している、第三の目が大きく見開かれる。
さとりは言う。わざとらしいしかめっ面をしながら。
全く、あなたは。私がどのくらい長く覚りをやっていると思ってるのですか。その程度で私の心が折れるわけはありませんよ。と。
「お燐やお空をはじめとした、地霊殿の心優しい住人。特に、言葉を話せないペットたち。そういう生き物達の真意を正確に読めるのは覚りの能力があってこそです。それに、地底の住人にも、勇儀をはじめとして、私に能力があるにもかかわらず心から信頼してくれる人がたくさんいますし。私は、心を読む力を捨てることで、そういった勇儀達の信頼を失いたくないのです」
私はほんのすこしだけ、あきれる。
「わたしはさとりが覚りじゃなくなったって己の信義は翻さないよ」
「そうですね。でも、わたしはあなたたちの、今の純粋な気持ちを手放したくないのです」
そうして、さとりは第三の目に腕をまっすぐに伸ばした。
「ですから、そういうわけで、本当に自分勝手ですが、私は覚りの能力を手放したく無いし、私は覚りのままでいたいのです。お願いです。元に戻っては、くれませんか?」
「……戻っても、後悔しませんか?」そういう一輪に、さとりは、
「ええ、第三の目は、私の誇りですから」
永く思える一瞬の沈黙がこの場を支配した。
次の瞬間。
雲山にとりついていた第三の目が、その管の絡まりをほどき始めた。
さながら、汚れを知らない乙女が肌着を脱ぐように、音もなく雲山の体を伝い、地面に落ちる。
そうしてさとりの手の元に、実に静かに戻っていった。
さとりは第三の目を、しばらく愛しげに腕に抱きしめた後、ポニーテールの髪型をまとめるような仕草で自分に取り付けた。
「みなさん、ありがとう。ご迷惑をおかけしました」
さとりが心底ほっとした様子で言った。今日ここに来てはじめて、さとりの満点の笑顔を見たと思う。これは私の勘違いではない筈だ。
第三の目も心なしか涙ぐんでいるような気が、私にはした。
これにて一件落着、よかったよかった。
と、おもいきや。
お燐が思い出したように、さとりにくってかかっていた。
「さとりさまはあたいよりも、お空のほうがずっとずっと大好きなんですか?」
「そんなことは無いですよ。いきなり何を言い出すんですか、お燐」
「だって、だって! ベアさん曰く、先月はさとりさま、あたいをおもって自分を慰めたのが三回だけなのに、お空では四回もだって言うじゃないですか!」
「えっ」
一輪が恥ずかしそうに、
「ごめん、私が通訳した」
「……きゃあああああああ!!!」
さとりは自分の顔を両手で覆い、猛烈な勢いでしゃがみこむ。が、そんなことをしても、私たちの笑った顔をとめることはできなかったようだ。
後日、お燐曰く、銀のフォークをグーで握りしめて、聖母の様な微笑みで自分の第三の目を見つめるさとりの姿が地霊殿で確認されたとのこと。
「さとりー。いるかい?」一応声をかけながら、だ。
旧都一の大きさを誇る地霊殿だ。中の数少ない住人が、誰一人として私の戸を叩く音に気がついて居ない事も考えられる。
第一、私が今日地霊殿に訪れる事は館の方には前もって伝えてあるから、まあ大丈夫だろう、多分。
「誰か居るー?」
いるぅー、いるぅー、いるぅー。
人っ子一人居ない。大広間に、鬼の私の声だけが虚しく響き渡った。本当に妖精の一匹すらいやしない。
地霊殿自慢の、吹き抜けの大ステンドグラスがビリビリと振動して、少し埃が舞う。
「……ですよ……」
ふと、どこからか、か細い、本当に蚊のなくような声が聞こえた気がする。
一体どこからだ。あたりを見回す。
私は何度か無断でお邪魔した事があるから、ここのだいたいの間取りは分かっている。
一階にある、今私がいる大広間から続く厨房や食堂、娯楽室やトイレには誰もいる気配がなかった。
おそらく、目の前の階段を上った先にある、客間か寝室だろう。あるいは誰かの個室か。
「だれかいるのかい?」
私は階段を上り、上った先にある廊下に面した各部屋への扉を、一つ一つ耳をあてて、聴診しながら回ってみた。
ここか?
「かえってくださいよぅ……」
いや、ここか?
「だれもいませんよぅ……」
ああ、ここだ。
「いませんよう……るすですよう……」
間違いない。
耳を押しつけた木目のドアの向こう側から、か細いというか、泣き声に近いつぶやきがかすかに聞き取れた。
そしてこの部屋こそは地霊殿の主の私室であり、その声の主は紛れもなく古明地さとりの物だった。
なんだ、いるじゃないか。
「さとりだろ? はいるよ」
私がドアを、私なりにはそっと、ドカンとあける。
と、中から、
「ひっ!」
と、さとりの絶句する声が聞こえた。
これは、私が悪いんじゃない。このドアの蝶番が脆すぎるんだ。とりあえず、私の手に握られた、ただの板と化したアレというかコレはその辺に立てかけておく。
さとりの私室はそこまで広くは無かったが、ちょっと見回しただけでは、部屋の中にさとりは見つけることはできなかった。
部屋の右手には、マホガニー調に統一された箪笥と机が品よく並んでいる。
左手の壁には、妹や、猫やら烏やらたくさんが一緒に描かれた小振りな楕円形の自画像が、薄緑色の壁紙にちょこんと掛けられていた。
そして奥には、薄い二重にレースのついた天蓋付きのベッドがひとつ。
だが、よく見ると、その、やたらに足が高いベッドの下に、さとりのちっちゃい左手が隠れきれていなかった。
「ペットとかくれんぼでもしてるのかい?」
私はさとりの身体を、腕が引っこ抜けない程度には力を抜いて、ベッドの下の空間から引っ張り出す。
「ひえぅ!」
さとりはギュッと目をつぶり、虫歯の治療を怖がる小さな子供がいやいやをするように、わたしから逃れようとか細い力でもがいた。
と、いうか。
「あれ、きょうのさとりは全体的に……」
すっきりとした印象だ。
いつもさとりにまとわりついている、あのごちゃごちゃとした紫の管の様な物がない。全く見あたらないのだ。
地底の妖怪も、ついに無線全盛の時代に突入したのだろうか、と、くだらないことを考える。混乱が極まったせいか。
「ひっく。ぐすっ」
さとりの泣き声で、ようやく我に返る私。
「さとり、あんたの身に何があったというんだい?」
ようは、全体的に無くなっていたのだ。彼女の第三の目が。
私に引っ張り出され、しゃくり上げていたさとりを何とか落ち着かせる。
さとりはというと、赤紫色をした絨毯の上に直にうずくまって、内股の体育座りをして涙目になりながら俯いていた。ちなみにぱんつは白だった。
「今日の朝、目が覚めたら、もう居なくて……」
「朝起きて、気がついたら、もう無くなってたんだな。あんたの第三の目」
「はい。家出、しちゃったんです……」
「誰が?」
「私の、ベアさん……」
ベアさん? ああ、さとりの第三の目か。
いやいやいや。体の一部が家出って。
「わたしは覚りという妖怪には詳しくないが、そんなことがあり得るのか?」
私の質問に、さとりは黙って、机のほうを指さした。
その、さとりの体にふさわしい小振りな机には、何枚もの書類が山と積まれていた。おそらく地霊殿の主としての職務なのだろう。
閻魔への書簡、旧都の報告書、食料の発注書、等々。どれもが、それなりに高価そうな紙で上手にしつらえてあった。
だがその中に、一つだけ、わら半紙にへたくそな文字で書かれていた手紙がある。
手に取ってみると、そこには、
「いえでします。さがさないでください。 べあ」とだけ書かれていた。
ひょっとして、第三の目が触手で書いたのか、この文字?
まあいいや。
「ところで、あんたは何でかくれんぼみたいなことをやってたんだい?」
「アレがないと、私、心が読めなくなっちゃうんです」
「ふ~ん。で?」
「私に対して、皆さんがどういうつもりで話しかけているのか、ちっとも分からないんです。それで私、どうしようもなく怖くて」
心が読めない。
まあ、覚り以外はみんなそれが普通なんだけどね。
「今朝方も、お空に、さとりさま髪型とか変えた? うにゅー、今日のさとりさま、なんか変。なんて言われてしまって。私、もうどういう反応すればいいか」
そりゃお前さん、普通に受け答えすればいいじゃないか、と返そうとして、ふと思いとどまる。
そういうことか。
さとりは普段から他人の心が見えているのが当たり前の世界に生きている。
いつもは意識してないが、私なんかも、さとりが相手では、喋る言葉と心の言葉の両方を使ってさとりと会話する癖が付いてしまっていたことに気がつく。
それでなくとも、たとえば、私が急にさとりに、
「大好きだよ」といいたくなって、実際に口に出したとしても。
相手がどれくらい自分のことが好きなのかが、瞬時に完璧に理解できてしまうのが普段のさとりなのだ。
それが今では、台詞が冗談なのかそれとも本気なのかすら分からない。
さとりは今まで直に心を読めてたから、仕草や雰囲気とかで相手の伝えたいことを理解する能力が極端に低いのだろう。
それで相手の真意が全く分からずに怯えていたと。
まあ、普段見えていた他人の心が急に読めなくなったために、今まで自分が精神的に優位に立っていた事実が無くなったせいもあるかもしれない。
「さとりも大変だな。じゃあ、会合の打ち合わせはまた今度にしよう」
そういって引き返そうとした私のスカートの裾を、さとりが引っ張る。
「待って、お願い――」
それから上目遣いに、
「見捨てないで……」ときたもんだ。
あのさとりが。
つい三日前の酒席で、皆が見てる中、得意の流し目をしつつ数々のセクハラで私をさんざんいぢめてくれた、あのさとりが。
こういうシチュエーションがお好きなんですね貴方は、とか言って、旧都で密かにサドりんの異名をほしいままにしているあのさとりが。
それが、
「探すの、手伝ってください」
そうやってぷるぷると、涙目で小刻みに震えながらお願いされると。
私の脳内で、さとりがくぅ~んという泣き声をだす音声が追加さる。オプションの垂れ耳と尻尾もセットだ。まるでチワワのよう。
「分かった。この勇儀姐さんに、なにもかもまかせるんだ」
ちょっと闇金で借金してくるから。
それで新しい第三の目でもお買いなさい。あと、ついでにこれからは一緒に住もうねさとりん。いいや、さとりちゃんと呼んだほうがより家族っぽくていいかな?
……って、あれ? おかしい。
そろそろ、いつものさとりの強烈な見下し口調が来ると思ってたのに。
「本当? ありがとう!」
純真な、疑う心を持たない少女の腕が、私の腰にまっすぐに絡みついてきた。
ああ、こういうさとりもあるのか。たまにはこういうさとりもアリだな。いや、こういうさとりこそ至高。
さとらば、さとる、さとれ、さとろう、さとりん。
ぐっじょぶ、第三の目。ナイス家出!
ようやく涙を流すのをやめたさとりは、
「それでは、早速探しに行きたいんですけど……」
ああ、信頼しきった目つきで見上げられるこの快感!
ところで、これ以上何を探しに行くというのだい、マイハニー? 私達の青い鳥はほら、ここに居るじゃないか。
「ううう、ぐすっ。ベアさんですよう」
「ああ、そうだったね」そういえばそんなのもいたね。
さとりをおんぶして、私達は地霊殿を出た。彼女は、私のちょっと斬新な入室にびっくりしたあまりに腰が抜けていたからだ。
聞けば、さとりのペットたちも総出で、ベアさんこと第三の目を捜索しているらしい。
それでも未だに見つからないというのなら、おそらく、もう地底の世界には居ないのだろう。
そう結論づけた私とさとりは、地上にでる洞穴に向かった。
途中の縦穴で、腕を組んで何かを考え込んでいるパルスィに出会う。
パルスィはこちらをみとめるやいなや、
「おんぶなんかしちゃって。そんな風に二人の仲の良さを地底の皆に見せつけて。全く妬ましいわね」
「ようパルスィ、久しぶり」
「鬼の世界じゃ二日前は久しぶりって事になるのかしら。まあ――」
相変わらずのジトッとした目つきでさとりを見て、
「あんたとは一ヶ月ぶりだから、久しぶりとは言えなくも無いか。こんな陰気な橋姫とは、高貴な身分である地霊殿の主としては関わり合いになりたくないってわけ?」
パルスィはいつもああだから、挨拶代わりにちょっとした皮肉を言ったつもりなのだろうが、今のさとりには通用しなかったようだ。
「ご、ごめんなさい。いえ、そんなつもりは!」
さとりが自分の今の状況を考えずに頭を下げる物だから、さとりの額が私の後頭部に直撃した。
「いたい……」呻くさとり。その声も実にいいねぇ。
パルスィは不審な表情を隠そうともしない。文字通りぎょっとした顔をしている。
「ちょっと、なんなのよ?」
パルスィも、いつもは私らと同じようにさとりにはいじられるタイプだから、こんな反応をされるとは思っても見なかったのだろう。
「あんたは、いつもは、ハイハイって聞き流すだけなのに」
いい加減話がこじれそうなので、ここらで私が助け船を出してやる。
「さとりは今、心が読めないんだ」
それだけ言うと、我が友パルスィは得心がいったのか、
「ふ~ん。じゃあ、私が途中で逃げた、この前の宴会での、誰が誰を好きかの暴露大会、みたいなことはできないのね。ハッ、ざまあないわね!」
相変わらず意地の悪い笑い方をすると思う。
「でも、あの時な。後でパルスィも意中の人をばらされてたって話だよ」
「さとり、あんたってヤツは!!!」
パルスィは、いきなり頭から湯気を出して猛烈に怒り始めた。
「まあ残念なことに、私は丁度席を外してたんで、パルスィの意中の相手が誰なのかは聞けなかったんだが」
「私の中にまだ僅かな慈悲の心が残っていたことを感謝するのね、さとりさん」
今度は急におとなしくなる。いつもの事ながら、よくコロコロ表情が変化するなあ。変わった性格してて愉快なヤツだ。
パルスィは微笑んでいるつもりなのだろうが、目が全く笑っていない。まあ、細かいことは気にしないようにしよう。
私は今度こそ本題に入る。
「ところで、パルスィ。ここらを仕切ってる橋姫のあんたに聞きたいんだけど」
「なによ、一体。馴れ馴れしい鬼のあんたが改まるなんて、気持ち悪い」
「それはまあいいじゃないか。さとりの第三の目、この辺でみなかったか? 家出したらしいんだ」
「ああ、あれのこと。たしか今朝、ここを土蜘蛛みたいに蠢いて地上の方へ行くのを見たわ。なんて言うか、キモかった」
「それで、地上のどこへ行ったのかわかるかい?」
「行き先は分からないけど。それが妙なのよ。ここってかなりの地下でしょ? なのに、地上の入道みたいなヤツがつるんでたのよ。なんだったのかしら、あれは」
「入道だって?」
おんぶされたさとりが私の耳元で囁く。
「そういえば、最近地上にできたお寺の一門の中に、そのような方がいらっしゃると聞きます」
その寺なら聞いたことがある。命蓮寺といったか。
ならばと、とりあえずの私達の行く先はきまった。
「パルスィ、どうだい。あんた、一緒に行かないか?」
パルスィはちょっと悩んだあと、
「う~ん。今回は止めとくわ」
「そうか。残念だ。じゃあ、私達はここらで失礼するよ」
さとりが、今度は私の後頭部に注意しながら、パルスィに向かってお辞儀をする。
「パルスィさん、貴重な情報、ありがとうございました」
「私の今の気持ちがどんなものかは、覚りのあんたには一目瞭然、って、今は読めないんだったっけ」
「すっ、すみません……心が読めなくて」
「いや。普段のあんたは、空気を読まない事を気にすべきよ。読めないのか、それともあえて読まないのかは知らないけど」
おどおどするさとりを、パルスィはそうあきれた口調で見ながら、やれやれと大きな大きなため息をついたのだった。
地上に出て、秋のさわやかな空気の香りを楽しむのもそこそこに、私達は件の寺の門前にたどり着いた。
果たして、さとりの第三の目はそこにいた。パルスィの話に聞いた、入道みたいなヤツに装備されて。
そこには既に、さとりのペットであるお燐と、尼さんのような格好をした、おそらく寺の関係者が一緒にいた。
「だから、いっしょにあたいと帰ろうよ。さとりさまも待ってるんだよ?」
お燐がそう入道に嘆願するも、
「だめですね。曰く、私の意志は要石よりも硬いの、たとえ貴方の頼みでもこればっかりは聞くことはできないわ。だそうです」
尼さんが残念そうに首を振っている。
私達の存在に気がついたのか、急にみな黙りこみ、こちらを注視していた。
私に背負われた格好のさとりが、第三の目に優しく語りかける。
「ベアさん。そこにいたんですね。さあ、私と一緒に帰りましょう」
だが、入道にくっついた形の、さとりの第三の目はこたえない。さとりのほうを一瞥するだけで、微動だにさえしなかった。
「一緒に、帰ってはくれませんか?」
さとりの声が、さっきより格段にか細くなる。
ところで、ふと疑問に思ったんだが。私達と第三の目とは、どうやって意思の疎通をとるんだ?
と、側にいた尼さんがこちらに一礼し、
「ベアさんの本来の持ち主のさとりさんと、地底の鬼の勇儀さんですね」と、初対面だというのに、見事に私達の名前を言い当てた。
「ああ、今、雲山を介したベアさんに聞きました。雲山とは、この入道のこと。ちなみに私は一輪、雲山の連れで、彼の通訳みたいなこともやってまして。どちらもこの命蓮寺の関係者です。以後お見知りおきを」
「はあ、よろしく」
つまり、第三の目とは、この一輪を通じて話すことができるのか。
お燐がさとりに訴える。
「ベアさんたら、もうこの寺で出家するって言うんだよ!」
一輪も、
「人間も妖怪も、どんな出自の者も、信心と帰依する本心さえあれば拒まないのが我々の主である姐さんの方針なのですが。今回のように、本体の意志を外れた体の一器官を受け入れるのは、さすがにどうかと思われまして……」
この件で大いに困惑しているようだ。
どうしたもんか。そう思ってると、さとりが、悪びれた声を上げた。
「そんなに思い詰めるまでに、あのことを気にしていたんですか……そうですよね、あなたも、女の子ですものね」
なにか、さとり自身に心当たりがあるらしかった。
「一月前にあった地上の宴会で、魔理沙さんに、アリスさんとパチュリーさんのどっちをお嫁に迎えたいか、なんて聞いたからですよね?」
一輪が吹いた。
「それとも、同じ時に紫さんへ、霊夢さんにどういう風にいちゃついてきてほしいかを聞いたからですか?」
お燐の顎が外れ、雲山の目からレーザーが飛び出た。
「ああ、あれですね! 三日前にみんなの前で、半泣き状態の勇儀さんの唇を口でふさぎながら、心で読んだ弱点を執拗に――」
私の目から急に汗が大量に出てきた。
「ちょ、おま、どーん!」
思わず放った私の三歩必殺で、皆の残機が一つずつ減り寺の門扉が塵と化した。
しかし、私の秘密が守られたのだから尊い犠牲だと言える。その当時に居合わせた奴らにとっては秘密でも何でもない、という事実は忘れよう。うん。
新しい空気にしよう。冷静になろう、私。
すー、はー。
そうやって私が三度目の深呼吸をしたとき。
ぽむ。
ふと、だれかが私の右肩をそっと叩いた。さとりだ。
もう、一人でも大丈夫なようだ。私はしゃがんで、さとりを地上におろす。
さとりは少しふらつきながらも立ち上がり、第三の目をじっと見つめて、
「ベアさん。私のこと、嫌いになっちゃいましたか?」
一輪は黙っている。
「もう、こんなしょうもない妖怪のこと、愛想が尽きてしまったんですか?」
一輪の困惑した無言は続く。
「分かりました。能力を失った私ですが、貴方の心は十分に読めた気がします」
私は、さとりの足が少しだけ震えている事が奇妙に気にかかった。
さとりは言った。
「私が覚りの妖怪として未熟なのは分かっています。それに、地霊殿の主としても至らない点があるということも」
「そんな事ありません――」そう口を挟むお燐の口をふさいだ。そうしなければいけない気が私はした。
「ですが、まさか自分の第三の目にも愛想を尽かされるとは思っても見ませんでした。そういう点では、私は慢心していたのでしょう。私はこれからひとりで地霊殿にかえり、自分の甘い心を見つめ直すとします。ですが、もし私が壁を乗り越え、一人前の覚りに成長することができたら、そのときこそ貴方を迎えに、ここに訪れても良いでしょうか?」
それにはお燐も、私ですら耳を疑った。
つまり、第三の目をここにおいていくと。さとりはそう言っているのか?
一輪がようやく発言を再開した。
「違う。と、言ってます」
気がつくと、雲山にとりついた第三の目の視線が、いつの間にかさとり本人にむけられている。
「彼女がさとりさんのもとから離れたのは、決してさとりさんが未熟だからとか、ましてや愛想が尽きたからではないそうです」
「え、では?」
「さとりさん。あなたは先日、妹のこいしさんとお会いしましたね?」
さとりは頷いた。
「そのときこいしさんは、心を読む能力を閉ざしたおかげで、地上の生き物との関わりの中で、いかに自分が驚き、気づき、楽しんだかを貴方に話して聞かせた」
「はい」
さとりの妹であるこいしは、地下世界が解放された後、最近特に好んで地上を彷徨いているようだった。
「そのとき、彼女は貴方の心を読んでいたそうです。さとりさん、あなたはそのときこいしさんをとっても羨んでいたんですって」
「そんな、まさか!」
「いえ、あなたは気づいてないだけかもしれないけど。あなたは、もし覚りの能力が無ければ、自分もこいしみたいに、仲間に入れてくれるかも知れないと、羨望の念を抱いた」
さとりは考え込んでいたが、しばらくした後に頷いた。
「……そうかもしれませんね。何より驚いたのは、こいしが地上の人に全く抵抗なく受け入れられていることでしたが」
「ですから、彼女はいつまでも踏ん切りのつかないあなたの背中を押そうとして、ここに独り立ちしにきたと。さとりさんには、覚りとして自省して欲しいのではなく、覚りであることの重荷から解放されて欲しいと。だから私はここに来た。そうですね?」
一輪のセリフに、第三の目を見つめてる雲山がゆっくりと頷く。
そこにいるだれもがとっさに発言できなかった。私も、何を言って良いやら、皆目見当が付かなかった。
「あなたは優しい子。自分の器官にそういうのも何ですが」
そのとき発せられた声は、間違いなくさとりのものだった。
「第三の目の貴方がそういうのですから、私がこいしのことを羨んだのは事実でしょう。あなたの能力があった為に、私の心が傷ついた事などないといえば、私は嘘つきになってしまいます。また、覚りであるというたった一つの理由だけで、誰かに嫌われることも十二分にあるでしょう。今までも、そしてこれからもずっと」
さとりはそういうと、しばらくして微笑んだ。
「ですが、そのときは心に現れていなかったかもしれませんが。私は、覚りの能力は、それほど嫌いではないのですよ?」
雲山に付属している、第三の目が大きく見開かれる。
さとりは言う。わざとらしいしかめっ面をしながら。
全く、あなたは。私がどのくらい長く覚りをやっていると思ってるのですか。その程度で私の心が折れるわけはありませんよ。と。
「お燐やお空をはじめとした、地霊殿の心優しい住人。特に、言葉を話せないペットたち。そういう生き物達の真意を正確に読めるのは覚りの能力があってこそです。それに、地底の住人にも、勇儀をはじめとして、私に能力があるにもかかわらず心から信頼してくれる人がたくさんいますし。私は、心を読む力を捨てることで、そういった勇儀達の信頼を失いたくないのです」
私はほんのすこしだけ、あきれる。
「わたしはさとりが覚りじゃなくなったって己の信義は翻さないよ」
「そうですね。でも、わたしはあなたたちの、今の純粋な気持ちを手放したくないのです」
そうして、さとりは第三の目に腕をまっすぐに伸ばした。
「ですから、そういうわけで、本当に自分勝手ですが、私は覚りの能力を手放したく無いし、私は覚りのままでいたいのです。お願いです。元に戻っては、くれませんか?」
「……戻っても、後悔しませんか?」そういう一輪に、さとりは、
「ええ、第三の目は、私の誇りですから」
永く思える一瞬の沈黙がこの場を支配した。
次の瞬間。
雲山にとりついていた第三の目が、その管の絡まりをほどき始めた。
さながら、汚れを知らない乙女が肌着を脱ぐように、音もなく雲山の体を伝い、地面に落ちる。
そうしてさとりの手の元に、実に静かに戻っていった。
さとりは第三の目を、しばらく愛しげに腕に抱きしめた後、ポニーテールの髪型をまとめるような仕草で自分に取り付けた。
「みなさん、ありがとう。ご迷惑をおかけしました」
さとりが心底ほっとした様子で言った。今日ここに来てはじめて、さとりの満点の笑顔を見たと思う。これは私の勘違いではない筈だ。
第三の目も心なしか涙ぐんでいるような気が、私にはした。
これにて一件落着、よかったよかった。
と、おもいきや。
お燐が思い出したように、さとりにくってかかっていた。
「さとりさまはあたいよりも、お空のほうがずっとずっと大好きなんですか?」
「そんなことは無いですよ。いきなり何を言い出すんですか、お燐」
「だって、だって! ベアさん曰く、先月はさとりさま、あたいをおもって自分を慰めたのが三回だけなのに、お空では四回もだって言うじゃないですか!」
「えっ」
一輪が恥ずかしそうに、
「ごめん、私が通訳した」
「……きゃあああああああ!!!」
さとりは自分の顔を両手で覆い、猛烈な勢いでしゃがみこむ。が、そんなことをしても、私たちの笑った顔をとめることはできなかったようだ。
後日、お燐曰く、銀のフォークをグーで握りしめて、聖母の様な微笑みで自分の第三の目を見つめるさとりの姿が地霊殿で確認されたとのこと。
俺の腹筋も三歩必殺された
へちょいさとりさん可愛いなぁ
このロリコン共め!www
半泣き勇儀姐さん見たいので弱点教えてください。お願いします。
必殺技早いよwww腹筋がwww
さとり様は気が多いなぁ…だがそれがいい。
ところで結局魔理沙はどっちを嫁に迎えるのですか?
わかります
うむ、やはりそうだったか
何言ってんだ、この小五www
大変、おもしろかった!
あと、ベアもさとりも口さがないのは仕様ですね。
19KBに詰め込みすぎだろw