「紅魔館に和を取り入れようと思うの」
紅魔館の主である、レミリア・スカーレットは、みんなを集めてそう言った。
反応は、言葉の意味を真剣に考える者、また始まったと思う者、どうせ私には関係ないだろうと思う者、夕飯はたまには和食がいいなあなどと考える者、話は聞いていなかったが、みんなの顔を一度に見れて喜ぶ者、と多種多様である。
その中で、十六夜咲夜は唯一、主の言葉を真剣に考えた者で、突飛な主の言葉を理解することはできないながらも、完全で瀟洒なメイドと称されるに相応しい対応をしてみせた。
「素晴らしいお考えですわ、お嬢様」
レミリアは、咲夜からその言葉が出ることを疑っていなかったようで、当然でしょ、といわんばかりの顔をした。
「それで、お嬢様は如何様に和を取り入れようとお考えなのですか?」
完璧である。主の機嫌を損ねないためにも、それはどういう意味ですか? などという質問は、間違ってもしてはならないのだ。わからないのなら、わかるまで飽くまで自然に会話を続け、その中でピースを拾い集めるまで。これこそ、気まぐれお嬢様に仕える従者としての必須スキル、平たく言えば、空気を読む、ということであった。
「そうね。ゆくゆくは、紅魔館に和室なんかを作りたいのだけれど……、それを使う者に和の心が無ければ調和を乱すと思うのよ」
「なるほど」
「だから、まずは紅魔館の主である、私自身が率先して和を取り入れないといけないと思うのね。さしあたって、私の新しいスペルカードに、和のものを取り入れようと思っているわ」
咲夜はレミリアの、何かを始めるのならまずは自分が手本を示す、という考えに感銘を受け、うんうんと頷いている。周りを見れば、他の者も同様だった。
「さすがです、お嬢様。咲夜は感服致しましたわ」
「ふふん。他に何か質問はあるかしら?」
はーい、と手を挙げたのは紅美鈴。人目を引く長く紅い髪に、緑を基調とした服装がよく似合う、紅魔館の門番であった。
美鈴は興味津々、とばかりに聞いてきた。
「それって、どんなスペルカードになるんですか? もうイメージできてるんですか?」
「そうねえ。そうは言っても、私達ってめちゃめちゃ西洋人なのよね。かけらも和がないわ。だから自分で作り出すのは難しいと思う」
「はあ。じゃあ、どうするんですか?」
「道具使用タイプのスペルカードにしようと思ってるの。それなら私にも使えるでしょ?」
「え、でもうちにはそんな東洋の秘宝みたいなものはないですし――ハッ」
にやあ、と笑うレミリア。美鈴はそこで気づいたらしい。
「だ、だめですよう! 人の物は盗っちゃいけません!」
「盗るとは言ってないわ。借りるだけよ。借りるだけ。私が死ぬまでね」
「どこぞの魔法使いじゃあるまいし! しかもお嬢様が死ぬってありえないじゃないですか! パチュリー様も何か言ってくださいよ!」
「飽きたら返すでしょ」
「んな適当な……」
「というより、美鈴。そんなに頑張っても、レミィがそう簡単に考えを変えると思って?」
「むう……」
確かに、そうなのだ。レミリア・スカーレットは滅多なことでは自分の考えは変えない。媚びないし退かないし省みないのだ。
そこのところは、美鈴もよくわかっている。仕方なしにここは折れることにした。
「はあ……。わかりました。なるべく早く返してあげてくださいよ。……で、誰なんですか? その哀れな被害者予定は」
「この前、空をぷかぷかと船が浮いてたじゃない? あそこに結構なお宝があるらしいのよ。ええと……ドッコショ、とか言ったかしら? それが欲しいの。それで、スピア・ザ・ドッコショー! ってできるでしょ?」
レミリアは、我ながら良いネーミングだわ、とカリスマどや顔を作っている。レミリアを除く五人全員が図らずも、ないわぁ……、とシンクロしていた。
「と言う訳で、美鈴」
「はい?」
「よろしくね☆」
レミリアは、その幼い顔に満面の笑みを貼り付け、言った。うー、うー、という声が聞こえてきそうだった。
「……え? えええええええッ!? わ、私が行くんですかぁ!?」
「他に誰がいるのよ」
「お嬢様が自分で行けばいいじゃないですかぁ!」
「あら、ひどい従者ね。主人をパシリに使うなんて」
「うぐ……。で、でもぉ……」
「でもも、すももも、ももの内。早く行ってきなさい」
でもも、へちまもない、と言いたかったのだろうか?
「さ、咲夜さんが行けばいいじゃないですかぁ」
「私が紅魔館を出たら、色々と支障が出るでしょう」
「うぅ……咲夜さんが暗に私はいなくても、支障は出ないと言っている……」
「あなた、居眠りしてばっかりじゃない」
「そんなこと! ……あるような、ないような。パ、パチュリー様は?」
「私に死ねと言うの?」
「こ、小悪魔ちゃん?」
小悪魔は、こっくりこっくりと、頭を揺らしていた。ぽたっ、とよだれが太ももに落ちていた。
「うぅー……」
なかなか首を縦に振らない従者に、レミリアは、ふう、と溜め息を吐き、言った。
「しょうがないわね。咲夜」
「はい。――美鈴」
「な、なんですかぁ……?」
美鈴が、頭一つほど背の小さい咲夜に対してびくびくと怯える様は、端から見たら些か異様ではあるが、紅魔館ではそれが日常であったりする。
咲夜は眼を、カッ、と見開きカードを取り出し美鈴に突きつける。
免罪符『仕事中に居眠りしても許してあげる券(二十枚綴り)』
「行ってきます」
それはそれは、頼もしい顔だったという。
美鈴は、ゆるやかに流れる雲と共に、空をふよふよと飛びながら、先の自分を恥じていた。
「あんなものに釣られるなんて……我ながら情けない」
しかも即答だよ、即答。……でも、ぽかぽかした天気の下で眠るのは気持ちいいんだよねぇ。それが怒られないとなると、最高ですよ。誰だってあの誘惑には勝てない。……はず。
と、自分への言い訳が済んだ辺りで、空を飛ぶ船が見えてきた。
どうやら、ずっと地上に腰を下ろしているわけではなく、たまにこうして空を飛んでいるらしい。仲の良くなった人間や妖怪を乗せて遊覧しているのだとか。
「……こっそり忍び込んで、ひっそりと帰ろう」
何が、スピア・デ・ドッコイショーだ。やってられるか。早くおうちに帰って居眠りするんだ。
そう決めて、美鈴は聖輦船へ忍び込んだ。
聖輦船の中に侵入した美鈴は、まず辺りを見回した。
お天道様が真上に位置するような時間だというのに、太陽の光は入ってきていないようで、船の中はまるで夜かと思わせるほど静かで、薄暗かった。
何か出てきそうで、ちょっと怖い。
「うわぁ……中は結構広いんだなぁ」
美鈴は、声の大きさに気をつけながらも、驚きの言葉を口にした。というよりも、この広い船の中から探し出さなくてはならないのか、という嘆息混じりの言葉だったので、口に出さざるを得なかった。
幸い、遊覧を楽しんでいる乗客は甲板にいて、聖輦船の乗組員もそれに付き添っているらしい。独鈷杵とやらを探す時間はたっぷりあるというわけだ。
尤も、早く帰って、居眠りをしたい美鈴にとっては、喜ばしいことというわけでもないのだが。
「はあ……。じゃあ、まあ、ぼちぼち探しますか」
「何をですか?」
「はい、独鈷杵というお宝を盗ん……借りてこいと言われたものでそれを――うぉおうッ!?」
「あらあら、人のものを勝手に借りていくのは、余り感心しませんね」
美鈴の『すぐ』後ろには、セーラー服を着た少女が立っていた。白を基調としたセーラー服に、赤いスカーフが、襟と袖口の緑と上手い具合にマッチしていて、実に爽やかな色合いを醸し出している。
少女は美鈴に向かって、丁寧に挨拶をする。
「こんにちわ」
「こ、こんにちわ」
美鈴の背中に、ひやりとしたものが流れる。
(全く気付かなかった……)
美鈴は、普段ぼー、としているように見えて、実は常に周囲に気を張り巡らせている。それゆえ、例え仕事中に居眠りはしようが、侵入者が来たら――撃退できるかどうかは別として――すぐに対応できる。
それが、この少女の気配は、全く感じることができなかった。声をかけられた瞬間からそこにいたのだ。美鈴の表情に緊張が浮かぶ。
馬鹿な――
そう思わずにはいられなかった。
「……何者ですか? あなたは」
「そんな睨まれても困ります。私は侵入者さんに声をかけただけです。それに、それって普通、こっちの台詞ですよね?」
「むう」
確かに、泥棒に入って(開き直った)、見つかって、何者だ、はさすがにないだろう。
美鈴は自分から名乗ることにした。
「私は紅美鈴。紅魔館で門番をやっています」
「門番? ……門番がなぜ泥棒を?」
「これには山よりも深く、海よりも高い理由がありまして……」
「それって、大した理由ではないのでは?」
「ないのですよ。強いて言えば、お嬢様の気まぐれです」
「なるほど」
「わかってくれましたか。でしたら見逃してくれるとありがたいです」
「そういうわけにもいきません。船長として、泥棒のあなたには下船して頂きます」
「船長さんでしたか。それなら、盗人一匹に構っているよりより、船の操縦を優先した方が懸命だと思うのですが」
「自動操縦にしてあるので心配無用です。どうしても下船して頂けないと言うのなら……仕方ありません。力ずくで追い払うのみです」
「むぅ……」
困った。極力、戦闘は避けたかった。居直り強盗みたいで、気が引けるのだ。
とは言え、お嬢様の命に背くわけにもいかない。
美鈴は、しょうがない、と覚悟を決めた。
「あなたに恨みはありませんが、お嬢様のためです。道理を叩き潰して、無理を通させてもらいます」
ぴっ、と構えを取る。相手に向かって半身になり、左拳は前に突き出し、右拳は胸に添える。反撃も取りやすく、自分からも攻められる、隙の少ない型だ。
「いいでしょう。お相手になります」
セーラー服の少女の存在感が大きく膨れ上がった。それと同時に、右手に大きな錨が出現する。このようなものを武器にした敵と対峙したことは、今までの戦闘経験ではない。注意が必要だ。
「自己紹介がまだでしたね。私、聖輦船の船長、村紗水蜜と申します」
「それでは改めて。紅魔館が門番、紅美鈴です」
キィン――。
戦闘態勢に入った二人の間合いと間合いがぶつかる音がした。――否。感じ取った。
それを合図としたのか、二人の目つきが変わった。
「いざ――」
「尋常に――」
「――勝負!」
「――勝負!」
先に仕掛けたのは美鈴だった。地面が爆ぜる。美鈴は村紗に向かって、一直線に突進していた。
――先手必勝。
相手は馬鹿が付くほど大きい錨を武器としている。小回りは利かないはず。これを利用しない手はない。
――崩拳<ホウケン>。真っ直ぐに突き出した右の拳は、村紗の水月に向かって最速のスピードで向かっていく。
決まる! ――はずだった。美鈴が拳の軌道を逸らされた――否、逸らさざるを得なかったのは、目前に大きな錨が迫っていたから。村紗は、大の大人何人分の重量になるであろう大きな錨を、『片手で』横になぎ払う。すでに繰り出した攻撃を、強制的に中止せざるを得ないほどの速度で美鈴を打とうとする錨は、正に間一髪、美鈴の頭上すれすれを横に流れていった。
慣性に逆らわず、そのままの速度で村紗の横を通り過ぎ、一先ず距離を開ける。
「あ……っぶない。ちょ、ちょっとそれ、反則じゃないですか? 見かけとかけ離れてますよ、その腕力」
「あら、名前にキャプテンを冠するものはパワーキャラと相場が決まっているじゃないですか」
どこの国の相場だそれは。美鈴は思わず突っ込みたくなった。
しかし、拙い――否、迂闊。相手を見かけで判断するなんて言語道断である。美鈴は日和っていた自分を呪う。もう油断はすまい。
……よし!
美鈴は、体内の気を集中させ、人間大の光弾を作り出す。そして、それを正面から村紗へと放った。当たれば威力は相当のものだが、速度はさほど速くはない。村紗ならば楽々と錨で払うだろう。それが美鈴の狙いであった。
「――ふっ!」
予想通り、村紗はそれを錨で上から縦に押し潰す。――ここだ!
「ハッ!」
美鈴は、村紗が光弾を払うために、錨を振り下ろす瞬間を見計らって、飛び掛かる。
――箭疾歩<センシッポ>。右足を前方に交差させ、倒れこむ力を利用し、瞬時に相手の懐へ入り、拳を繰り出す技である。そして、美鈴のそれは疾風迅雷、一撃必殺。目にも止まらぬ速さに、岩をも砕く威力を有していた。
美鈴の拳が村紗へと迫る。
――今度こそ決まる! そう思った美鈴だったが、それは叶わず。村紗は、美鈴が初動に入る時点で、その場で跳躍をし、振り下ろした錨を持つ手を軸に、くるりと前方に一回転していた。そしてその勢いを利用し、美鈴の頭に向かって、思い切り踵を落とす。ごっ、という鈍い音がした。
「がっ!?」
意識を刈り取られそうになるほどの衝撃が、美鈴を襲う。頭上から降ってくる不意の一撃だったので、気を集中させ防御することも適わなかった。
しかし美鈴も、ただ食らってやるだけではない。前方に崩れかける振りからの貼山靠<テンザンコウ>――所謂ショルダータックルを繰り出す。美鈴の反撃に気付いた村紗は、バックステップで回避を試みるが、前宙踵落としなどという大技を出したあとだったので、わずかな硬直があった。その隙を美鈴が見逃すはずもない。完璧にとは言えないまでも、美鈴の放った貼山靠は、村紗の腹部から胸部にかけて当たり、確かなダメージを与える。
「ぐっ!?」
貼山靠を食らった村紗は数メートル吹き飛んだが、なんとか倒れることなく両の足で着地する。
再び二人に距離ができた。美鈴が光弾を放ってから、ほんの数秒間での攻防であった。しかし、その数秒間で、二人は互いの技量の高さを感じ取れたらしく、頬に、背中に汗が伝う。
(私の戦略を瞬時に見極め、すぐさま行動に移す判断力。そして、一瞬とは言え敵に背を向ける大胆さ。……なんという格闘センス!)
(頭部に渾身の一撃を受けて尚、反撃に出られる頑健さ。そして、ダメージそれ自身をも攻撃の布石にする戦略性の高さ。……相当戦い慣れていますね)
「というか、よく普通に立っていられますね。常人だったら内臓が破壊される程度の衝撃はあったと思うんですが」
「胸の脂肪で少しは吸収できたようです。というか、結構効いてますけどね。それに、私も結構本気で意識を刈りにいったんですけど……」
「えへへ。丈夫なのが取柄なんですよ」
軽い口調で平静を装っていても、実際は頭がずきずきするし、ふらふらする。相当の一撃をいただいてしまった。
美鈴は、頭部の痛みに耐えながら、考える。
さて、どう攻めるべきか。恐らく、大技を出しても、素直に食らってはくれないだろう。それどころか、先程みたいにカウンターを食らってしまうかもしれない。それに村紗は、まだ何かを隠しているように思える。ここは隙の少ない小さな技で、確実にダメージを与えていくべきだ。
(……よし!)
コンマ数秒で次の作戦を決めた美鈴の行動は素早かった。真っ直ぐ突進するところまでは先と同じ。しかし、左腕を縦にして、しっかりと顔をガードし、右手は脇に小さく構えている。
「ったぁー!!」
美鈴は幾百、幾千もの拳を、村紗へと投げつける。大振りはない。小さく小さく、最低限の力を込めて、とにかく速く突きまくる。
美鈴にも勝るとも劣らない格闘技術と、怪力を誇る村紗への次なる攻撃は、反撃を与える隙間のないほどの突きの連打だった。
村紗は錨を盾にしてそれを防ごうとするが、美鈴の目にも止まらぬ突きの連打は、少しずつ、しかし確実に、錨の合間を縫って村紗へダメージを重ねていく。
「くぅ……っ」
威力は無くとも、塵も積もればなんとやら。村紗の腕や足に、一つ、また一つと拳大の痣が増えていく。
美鈴は、確かな手ごたえを感じていた。
しかし、それと同時に、得体の知れない不安が胸の奥から離れてくれないのも事実だった。
これだけの拳の嵐の中、村紗は、顔や胴体には一発たりとも攻撃を食らっていないのだ。
村紗は何かを狙っている。
美鈴は、そう思わずにはいられなかった。
秒間数十発もの拳の連打なんてそう持つものではない。
美鈴は、一旦、呼吸を整えようと、村紗から距離を取ろうと、拳を収め、バックステップをしようとした。
――その時だった。
村紗の双眸が、まるで獲物に飛び掛る瞬間の肉食獣のように、ぎらりと光る。
「――ッ!?」
――まずい! そう思った時には、もう遅かった。
村紗は、後方への跳躍を開始した美鈴に対して、その手に持つ錨を、思い切り投げつける。下から振り上げるように投げられた錨は、風圧で地面を抉る。一隻の船を繋ぎ止めておけるほどの質量が、矢の如き速度で美鈴に迫る。
なるほど、振りかぶって上から投げるより、一度振り上げ、それを弧を描きながら降下させることで勢いをつけたのか。
左手で防御は――? 駄目だ。顔を固めていたから、今からでは間に合わない。
右手で迎撃は――? これも無理だ。連打の後の硬直に入ってしまっている。間に合わないだろうし、この質量を止められるとも思えない。
なんとか避けられるか――? 否。絶妙のタイミングに投げられた。軌道変えられるほど早くもなく、対処できる時間ができるほど遅くも無い。
美鈴は、自分でも驚くほど静かに、冷静に状況を把握していた。目の前の出来事がスローモーションに見える。それほど、この状況はやばいということだろう。
しかし、せめて悪あがきくらいはしてみせよう。
――硬気功。体内に流れる力を、腹部に集中させる。素人の振り回す刃くらいなら、容易く跳ね返す美鈴の硬気功だが、目の前のどうしようもない『破壊』にどこまで通じるか。
美鈴は覚悟を決めた。歯を食い縛る。
「ふぅ……ッ!」
美鈴の瞳には、渾身の硬気功が易々と破られ、錨が腹部に埋まっていく様が、まるでコマ送りのように映し出されていた。
「か、は……ッ」
やだこれ中身出ちゃう。
美鈴という標的を真芯で捉えた錨は、まるでその場には何も無かったかのように、そのままの速度で美鈴を押し飛ばした。
残像だけを残し、吹き飛ばされた美鈴は、錨の軌道から外れた後、二転三転、ごろごろと受身も取れないで転がり、ぱたりと動かなくなった。
誰が見ても勝負有り、だった。
美鈴は、薄れゆく意識の中で、ぼーっ、と考える。
拙い――。
無理矢理泥棒の真似事なんかさせられて、強制的に戦闘。挙句の果てに、これだなんて……。
美鈴は、己の不運を大いに嘆いた。
でも――。
ここで頑張ったら、お嬢様は、咲夜さんは、喜んでくれるんだろうな……。
よくやったわ、美鈴。
お疲れ様、美鈴。
そんな、二人の声が待っている。私の帰りを待ってくれている。
負けるわけには、いかない!
美鈴は、自分を奮い立たせ、足に力を入れる。
「う……ぉおおおおおお!」
膝が、がくがくと震える。攻撃を受けた腹が、燃えるように熱い。自分の腹を、怖くて見ることができない。
――でも、まだ、立てる。私は、まだ、戦える。
「……あれを受けて、立てるなんて」
ごぷ、と胃から上がってきた血を、びしゃり、と吐き出す。内臓も、骨も、ぐしゃぐしゃになってしまった。気が遠くなるほど痛い。倒れてしまいたい。泣いてしまいたい。
だけど――
「お嬢様が! フラン様が! 咲夜さんが! パチュリー様が! 小悪魔ちゃんが! 本当は私は強いと、みんなが、信じてくれているんだ! 私の帰りを待ってくれているんだ! だから、絶対に、負けない!!」
美鈴は、自分の持てる、全ての気を解放した。
辺りが、びりびりと揺れる。
村紗の頬に、汗が伝う。
「いいでしょう。では、手加減なしでいきます」
そう言うと、村紗の左手から柄杓が現れた。
村紗は、大して力を込めるでもなく、柄杓の中身を、美鈴に向かって掛ける動作をする。
「――っ!」
柄杓から放たれたのは、水弾。それも、恐ろしく速い。一つや二つならなんとかかわせないこともないが、放たれたのは、前方一帯を全て覆うような数だ。とてもじゃないけどい避けられるレベルではない。
美鈴は、腕を交差させ、顔面をガードし、後方に飛びながら、膝を丸め、少しでもダメージを減らそうとした。
「……ぐっ!」
文字通り、雨のような弾幕が、美鈴を襲う。
痛い。ものすごく痛い。
「まだまだいきます!」
でも、耐えられないほどじゃない。
村紗は、もはやまともに動けないであろう美鈴を、威力は低いが、避けられない弾幕でじわじわと、ダメージを与えていくつもりだろう。
「逃げてばかりでは、ジリ貧ですよ!」
そして、我慢しきれずに飛び出した美鈴を、また、あの錨で打ち飛ばす気だ。
美鈴に、勝機が見えた。これを利用しない手はない。
今は、耐えるのみ……。
その後も続く水弾を、手と足で受けながら、美鈴は、気を集中させ、腹の傷を一気に治療していた。
完治はできないだろう。ここまでの傷を完治させるほど気を使ったら、攻撃にまわす分がなくなってしまう。
腹の治療は最低限でいい。なんとか、まともに動けるくらいにまで治し、村紗に特大の一発をお見舞いしてやる。
(まだだ……)
美鈴は、耐えていた――
(もう少し……)
美鈴は、待っていた――
「そろそろ限界のようですね。これで、終わりです!」
――傷が治り、村紗が油断するのを!
(……ここだ!)
美鈴は、腕と足に気を集中し、水弾を腕で防ぎ、一瞬にして村紗との距離を縮める。
「――っ!?」
美鈴の、予想外の動きに驚いた村紗だったが、すぐに、作戦通り、と言いた気な顔を作り、錨を美鈴の頭上から、思い切り振り落とす。
(作戦通りなのは、こっちの方だ!)
「最、大――」
美鈴は、残る全ての気を、右腕に集中し、渾身の力で、それを振り上げる。
「大・鵬・拳っ!」
金属と金属が、思い切りぶつかり合うような、硬く、鋭い音が船内に響く。美鈴の拳と、村紗の錨がぶつかり合った音だ。
村紗の顔に、驚愕の表情が広がった。
「と、止め……。――!?」
ぴしぴしと、村紗の錨に、ひびが入る。
「うぉおおおおおおおおっ!」
美鈴は、足に力を込め、拳を振りぬいた。同時に、村紗の錨が、粉々になる。
村紗は、目の前の光景が信じられないといったように、空中で崩れゆく錨を見つめていた。
その隙を、美鈴は見逃さない。
「――っ!」
気付いた時には、もう遅い。
美鈴の拳は、確かに村紗の腹を捕らえていた。
「まだまだぁ!」
前のめりに崩れる村紗に、下から突き上げるような貼山靠。そして、浮いた村紗が落ちてくるタイミングでの揚炮<ヨウホウ>――所謂アッパーカットと似たようなものである。
美鈴の、怒涛の連撃に、村紗は、ずしゃり、と崩れ落ちる。
「お、終わった……」
強かった。勝てたのが奇跡に思えるほどに。
体中が痛い。無茶な使い方をしたから、体が悲鳴を上げている。
早く紅魔館へ帰ろう。そう思い、美鈴は、村紗に背を向けた――その目の前に、村紗が立っていた。
「――な!?」
警戒体勢を解き、気の防御もしていなかった、美鈴の顔面を、村紗の拳が捉える。頬骨が、みしりと軋む音がした。
「ぐぅ……!」
床に倒れこんだ美鈴の頭に浮かぶのは、頬のダメージの程ではない。なぜ? どうやって? という疑問だった。
確かに、村紗は目の前で倒れていた。それがなぜ、振り向いた先の、目の前にいるのか。超スピードならば、気配でわかる。催眠術ならば、村紗を打ち抜いた、この拳は何だというのか。現に、村紗は、あちこちから血を流し、肩で呼吸している。確実に、先ほどの攻撃は当たっていた。そして、効いていた。
美鈴は、もっと恐ろしいものの片鱗を味わっていた。
「シンカーゴースト」
村紗が、そう宣言すると、村紗の体がぶれて――
「き、消えたっ!」
「こっちですよ」
そう、耳元で聞こえた瞬間、今度は逆の頬に、衝撃を感じた。しかし、今回はなんとなく来ることがわかっていたので、気で防御できた。
「くぅ……。原理はよくわからないけど、どうやらあなたは、気配もなく、瞬間移動できるんですね」
「そういうことです」
一番最初に現れたときも、この技を使ったというわけか。
「なるほど。やりづらい」
「お褒めに預かり、光栄――」
村紗が消え、そして後ろから現れる。
「――ですよ!」
「ふっ!」
「――っ!」
後ろから襲い来る、村紗の拳を、美鈴は片手でがっちりと受け止めていた。
「な、なぜ……」
「そりゃあ、毎回毎回後ろから襲われてたら、いい加減タイミングくらい掴めますよ」
「く――っ!」
村紗は、美鈴の拳が体に届く直前で、姿を消し、一度距離を取る。
「シンカーゴースト!」
「何度やってもおな――」
村紗が消えた瞬間に、後ろを振り向いた美鈴だったが、しかしそこには村紗の姿はなく、後ろから風を切る音が聞こえる。
「あぶっ!」
美鈴は、すんでのところで、村紗の拳をかわした。
「くっ!」
「もう、無駄です。確かに、気配もなく現れるのは、恐ろしい技ですが、それなら、気配が現れてから対処すればいい。今のあなた相手なら、そのくらいはできます」
にやりと、村紗は、無理矢理笑った。
「だからと言って、退くことなんて、できないでしょう?」
「違いないですね」
美鈴も、笑った。
お互い、退くことなど、できない。ならば、ここが、決着の場。
侵入者を排除する。ただそれしか考えていなかったような無機質な眼に、光が宿る。
目の前の強敵に勝ちたい。
美鈴は、びりびりと肌に感じる、村紗の闘気に、しかし、どうしようもなく、わくわくしていた。
内臓が潰れている。
骨が砕けている。
筋肉が悲鳴を上げている。
だからどうした。
そんなものは、全部無視だ。痛みなんて、この戦いが終わってから、いくらでも感じればいい。
体中の、残る全ての気をかき集める。先程の連撃で、ほとんど使い切ってしまったから、絞りかすのようなものだが、ないよりはいい。
防御なんかには、まわせない。全て右の拳に集中させる。一度切りの、最後の、一撃だ。
「――行きます」
「――受けて、立ちます」
闘気と闘気がぶつかり合う。空気が震える。
仕掛けたのは、村紗だった。
「シンカーゴースト!」
村紗の姿が消える。
「その技は、もう効かないと言ったはずです!」
美鈴は、背後に現れた村紗に向かって、拳を放つ。
「単発でしたらね!」
美鈴の拳は、村紗の残像を打ち抜いていた。
「くっ!?」
見れば、あちこちに村紗がいる。
なんてことはない。シンカーゴーストの連続使用である。
「さあ、私がどこから、あなたを狙うか。わかりますか?」
残像が見えるほどのスピードで、連続使用されては、さすがの美鈴にも、気配を探ることはできない。気配を感じても、次の瞬間には、もうそこにはいないのだ。
美鈴は、目を閉じた。
「なんのつもりです?」
「どこから来るかわからないのだったら、目を開けていても同じでしょう?」
「……何を企んでいるかわかりませんが、これで終わりです!」
――来る。
もはや、気配で村紗を追うことは、かなわない。だけど、『どこから来るのかはわかる』
あとは、いつ来るのか。そのタイミングを、目を閉じ、集中し、計るだけだ。
(――――今だ)
美鈴は、全ての力を込めた、その右拳を、真っ直ぐに振り抜いた。
「――ぐっ!?」
頬に渾身の一撃を食らった村紗は、まるで重力を無視するかのような勢いで、壁へと叩きつけられた。
勝負あり、だった。
息も絶え絶えになりながら、村紗は美鈴に訊ねた。
「な、なぜ、私の来る方が……?」
美鈴は、意地悪そうに、にやりと、微笑みかけるように、ふわりと、そんな二つの笑顔の真ん中くらいの表情を村紗に向け、答えた。
「名にキャプテンを冠する者は、最後は正面から、正々堂々、と相場が決まっています」
「――」
村紗は、しばらくぽかん、とした表情だったが――
「ふ、ふふふ。あはははは!」
――やがて心底おかしい、といったように、笑い出した。
「そんなことを信じ込んで、最後の賭けにでたわけですか。――私が、後ろから攻撃を仕掛けていたら、どうするつもりだったんですか?」
「どうもしませんよ。正面から来たじゃないですか」
「いえ、そういうことではなく……ま、いっか」
「はい。いいんです」
二人の笑い合う声が、辺りに響く。
「とどめは、いいんですか?」
不意に、村紗は美鈴に言った。
美鈴は、笑ってそれを否定する。
「いつの時代の話ですか。今の、この幻想郷じゃ、そんな血生臭い話なんてありませんよ」
「あちこち血だらけで、とっても血生臭いのですが」
「それはそれ。――いい勝負だった。それだけでいいじゃないですか」
そう言って、美鈴は村紗に手を差し伸べた。
「バトルの後は、友情。――王道ですね」
「そういうことです」
二人は、固い、固い、握手を交わした。
「さて、そろそろ帰ります。……いい加減、体がぼろぼろなので」
「私もです。あーあ、こんな体じゃあ、船の操縦なんて、できませんよ」
「自動操縦でいいじゃないですか」
「それもそうですね」
「それでは、この辺で。――また戦りましょう」
「あなたみたいな戦りづらい人の相手は、もうこりごりです」
「ふん、それはこっちのセリフですよーだ!」
「あなたから戦ろうって言ったんじゃないですか!」
体中が悲鳴を上げる中、心だけは暖かいものを感じ、美鈴は帰路に着いた。
紅魔館の門を抜け、屋敷に足を踏み入れると、咲夜が音も無く現れた。
「おかえりなさい。――随分ぼろぼろね」
咲夜は、美鈴の姿を見ると、そのぼろぼろ具合に驚いた。
服は破れ、あちこちに乾いた血が付着している。
「あ、ただいま戻りました。咲夜さん。いやーもう、一筋縄ではいかない相手で、もうくたくたですよ」
「それは、お疲れ様ね。お嬢様が待ってるわよ。早く行って、結果を報告してきなさい」
「はい!」
美鈴は、まるで、ご褒美を期待する犬のように、たたたー、とレミリアの部屋へ向かって行った。
美鈴は、こんこん、と主の部屋の扉をノックする。
中から、入りなさい、という声が聞こえてきた。
「失礼します。――お嬢様。紅美鈴、ただいま戻りました」
「よく戻ったわ。――相当苦戦したみたいね」
「はい。恐ろしい相手でした。弾幕が戦闘の主流となっている、この幻想郷で、あそこまで純粋に、己の力のみで戦い切る人物は、そうはいないでしょう。……久々に血肉が踊りましたよ」
「その口ぶりだと、なんとか勝てたようね」
へへへ、と美鈴は照れたように笑い、そして、力強く頷いた。
「それでこそ、紅魔館が誇る門番、紅美鈴よ。胸を張りなさい」
「あ、ありがとうございます!」
――頑張ってよかった。
美鈴は心から、そう思った。
少し、泣きそうになる。
「――で」
レミリアは訊ねる。
「独鈷杵は?」
独鈷杵? はて?
そういえば、自分はなんで聖輦船に乗り込んだんだっけ?
何か重要な役割をお嬢様から受けたような……。
「……………………あ」
紅美鈴の、攻撃禁止、防御禁止、回避禁止、逃亡禁止、の本日第二戦目が始まった。
終わり
あなたのめーりんが好きです
これからも頑張ってください!
対策として無駄な描写は省く、いえ必要で分かる範囲で攻防を書いた方が良かったかも。
歩いて視る光景と車に乗って視る光景、文字で表すならどっちの方が描写が増えますか。
歩いていると路傍に転がる石は見事な三角形でおにぎりみたいだ、と。
窓から地面を覗いていると石が灰色の流線になってあっという間に視界から消え去って行った。
とまぁ、長々とした戦闘描写は読んでいると、ゆっくりしていてあまりお勧めしないです。
速度感を出して激しさを魅せたいなら、考慮してみてはいかがでしょうか。
>前方に崩れかける振りからの貼山靠<テンザンコウ>――所謂ショルダータックルを繰り出す。
ショルダータックルってなんですか?読者の想像力に頼り過ぎだと思います。
読者に寄りかかる行為はシリアスだと、読んでて何か足りない感じを覚えてしまいます。
ギャグだと気にならないんですけどね。
ですが、私バトル小説大好きなのでバトル方面でも頑張って欲しいですよ。
それと本気で”ショルダータックル”って知らない訳じゃないですよ?
美鈴と村紗のバトルという話自体は好きなので、楽しめました。
村紗とのバトルや会話なども面白かったです。
そしてまた当初の目的を忘れる、と。
>13
ありがとうございます。
そう言ってもらえると励みになります。
>冬さん
読者の想像力に頼り過ぎ。まさしく……。
どうしても長々と書くしかなかったところ、逆に足りなかったところが多々あると、自分でも感じています。
ひとえに実力不足ですね。精進したいと思います。
>17
描写力を上げて、今度は剣を使いたいなあと思っています。
>21
素晴らしいネーミングセンスですね。文句のつけようがない。
まあ、文句をつけようとしたら、どこからともなくナイフが飛んできますけど。
>煉獄さん
お粗末さまでした。楽しんでいただけたのなら何よりです。
美鈴大好きなので、これからも作っていきたいです。