幻想郷は全てを受け入れる。
それはとても残酷なことですわ。
これは幻想郷に住まう一人の妖怪の言葉。
その妖怪はその境界に仕掛けを組み上んだ張本人で、それを組み換えようと思えばいくらでも書き換えられたかもしれない。それでも彼女は、この世ならざる者のために力を使い、今でもそれを維持し続けている。
「限られたものたちだけを救う偽りの世界、そのなんと傲慢なことか……
あのお方なら、そうお怒りになるかしら?」
傾き、地平線へと消えていこうとする太陽。
澄んだ青が闇に染まり始めるそのわずかな一瞬。昼と夜の境界にのみ現れ、空を燃やすように塗り上げる芸術。そんな自分の一番好きな時間を堪能した妖怪の賢者は、静かに隙間を開き、可愛い式神が待つ我が家へと戻ったのだった。
幻想郷の中のとある屋敷。
夕日に染まり名前のとおり真っ赤に染まった紅魔館の中庭では、女性の姿をした妖怪が鼻歌を鳴らしながら歩き回っていた。緑色の大きくスリットの開いた服を着た赤茶色の長い髪を持つ女性。彼女は右手にじょうろを持ったまま、芽の生え始めた植物を中心に水をあげている。
ただし本来、彼女の仕事はこういった庭仕事ではなく……
「美鈴、何をやっているのかしら?」
「ひゃ、ひゃぅ!?」
底冷えのする、怒気の篭もった館の主の声が後ろから聞こえてきて、美鈴は思わず身を固めた。そしておそるおそる声のした方向へと振り返ると……
「あら、美鈴。ごきげんよう」
悪戯っ子のように無邪気に笑う少女が、夕日を受けながら立っていた。
スカートの裾をつまみ、優雅にお辞儀するこの金色の髪の少女は、この館のもう一人のお嬢様。
「……えーっと、今の声はまさか」
「ふふふ、どう? あいつの声にそっくりだったでしょう?」
唯一、この館の主をあいつ呼ばわりできる存在。
それがフランドール・スカーレット。その名前からもわかるように、レミリアの妹で、当然ながら彼女も吸血鬼の末裔である。それでもその生活のほぼすべてを屋敷の中で過ごして来た彼女には吸血鬼の常識というものがほとんど備わっておらず、従者の作り方も知らない。それでもこうやって明るい笑みを浮かべられるようになった経緯を考えると、少女が外の世界に興味を持つきっかけを与えたあの人間には感謝するべきなのだろう。
「酷いですよぅ…… びっくりして心臓が止まるかと思っちゃいました」
「ふふ、油断大敵ってやつよ。
門番なのだから、この程度の気配を探り当ててもらわないと困りますわ♪」
最近、地下にある図書館にも出入りしているのでフランドールは新しい言葉をどんどん覚えている。今使った油断大敵という言葉もおそらくはパチュリーから教えてもらったものなのだろう。姉とは違い結晶体のついた歪な羽を自慢気に揺らしながら飛び上がると、一気に美鈴に向かって急降下。
慌ててそれを美鈴が抱き止めると、満足そうに美鈴の胸に顔を埋める。
大人びた口調でしゃべると思ったら、次の瞬間には甘えてくる。
そんな極端な両面性を持つ少女を困ったように抱きしめてから……空を見上げた。
……まだ、若干明るい空を。
「い、い、妹様ぁ!! 太陽、太陽がまだ出てます!
早くお屋敷の中へ!!」
「……いーや!」
「……そんなぁ、我侭をおっしゃらないでくださいよ。お体に触りますよ、妹様」
しかしいくら説得してもむすっと頬を膨らませたまま、ぎゅっと美鈴に抱きつく手に力を込めるばかり。困った美鈴ができることはとりあえず夕日の方向に自分の背を向けてできるだけフランドールに光を当てないようにすることだけ。
「ほ、ほら妹様。私も一緒に屋敷に入りますから……」
「む~~! だから嫌だって言ってるのに……
なんでみんなそうやって……」
その言葉で、美鈴の中の何かが噛み合った。
名前の読み方が他の妖怪とは異なる美鈴だからこそ、フランドールが何にこだわっているか、それを感じ取ることができたのかもしれない。
美鈴は、意地になって抱きついているフランドールを驚かさないように……
やさしく背中に腕を回し安心させるためにゆっくりと撫でてから、視線を同じ高さになるようにしゃがみ込んだ。
「フランドールお嬢様、さあ、お屋敷の中へ」
そう呼んだ瞬間。
ぱぁっとその表情が明るくなり、うれしそうに頬を染める。
異変のせいで姉の名前が広まりすぎて、誰しもが彼女に……
『レミリアの妹』
というレッテルを無理やり貼り付けてしまっていた。
自分の名前を愛称で呼んでくれるのは、姉くらい。それ以外の人間や妖怪は、彼女を一人の吸血鬼と見る前に必ず、レミリアと比較して見てしまうのだ。
姉の能力と違い、能力の制御すらできない危険極まりない妹。
姉の威厳ある態度とは違う、狂気を纏った世間知らず妹。
姉とは違う……
姉とは……
だから、フランドールは昔から呼ばれていた『妹様』という言葉にすらストレスを感じるようになってしまったのだろう。
「そう、そこまで言うなら従って差し上げますわ。
では美鈴エスコートを」
「……このままですか?」
「当然よ♪」
抱きついたままエスコートするというのがいまいち理解できなかったが、可愛い子供のような顔をするフランドールに逆らうことはできず、美鈴は夕日と恥ずかしさによって頬を染めながらゆっくりと屋敷の方へと浮遊するのであった。
「……うう、酷い……酷いですお嬢様」
屋敷に戻り、夕食の時間を終えてから再び美鈴は門番の仕事に戻っていた。
しかし、その美鈴の腹部からは……
くきゅるるるる
という可愛らしい音が間隔を空けながら鳴りつづけ、夜の虫の声と合わさって奇妙なハーモニーを奏でている。何の音かと聞かれれば、当然あれだ。腹の虫の音。
なぜ夕食の時間を終えているのに彼女が空腹常態かと言えば、夕方のあの場面、あれを妖精メイドが目撃しており、レミリアに対して……
「美鈴が妹様を夕方に外に連れ出していた」
と、若干間違った報告をしたのが主な原因。
弱まっているとはいえ、日光を妹に浴びせるという行為についてお咎めがなしであるはずがなく。夕食時笑顔で飯抜き発言をされたというわけだ。しかも、皆が食べているのをずっと見ていなさいという嫌がらせつきで……
水だけでもと思い、小悪魔がコップを差し出そうとしても……
上座のほうから殺気にも似た気配が飛んできて、顔を青くして手を引っ込めるという二次的被害も発生したりと、ものすごく重い雰囲気の夕食になってしまったのは確かである。
「はあ、あの星が全部コンペイトウだったらなぁ」
そんなありえない状況を妄想してしまうほど追い詰められた状態の美鈴は、何度目かのため息をつきながら三日月を見上げて……
「め~~い~~り~~ん♪」
見上げた瞬間に勢い良く背中に抱きつかれ、首が軽くコキっと鳴ったりしたがいつもナイフを受けつづけている美鈴にとっては些細なこと。あとは地面に足を踏ん張り後ろから飛んできた質量を支えてやれば……そう思って足を前に出すが。
何故か膝がくにゃりっと力なく曲がる。
「え、あれ? あわわわわ……」
空腹でいつもより力が入らないのを念頭に入れていなかった。
おかげで後ろから飛んできた物体に綺麗につぶされる形になってしまい……盛大に地面とキスすることになってしまった。その衝撃のせいで帽子が頭から外れそうになるのを慌てて抑えながら、涙目で咳き込む美鈴。その背中に馬乗りになっているのが誰かといえば……
「うー、フランドールお嬢様……重いです」
「あら、ダメよ美鈴。女性に対してそういうことを言っては。
失礼にあたるというものよ」
「……どちらかというと、いきなり背中から襲い掛かるほうが失礼だと思うのですが」
「そんな小さなことを気にしているようでは、立派な門番なんて勤まらないわ」
些細な変化を敏感に感じ取らないと門番としてやっていけないのですが、と言い返そうとするが再びお腹の虫が鳴き始めてタイミングを逃してしまう。
その音を聞いたフランドールがまた……
「あらあら、女性の癖に、はしたない」
と、からかうのだろうと予想していた美鈴だったが……
何故かフランドールの重さが背中から消える。
予想外の行動に目を丸くした美鈴が、体を起こしながらフランドールの方へと顔を向けると、笑顔とは違う暗い表情をして美鈴から距離を取るように立っていた。
「お、お腹、空いてるんだよね、やっぱり……」
たぶん、フランドールが美鈴の様子を見にきたのはこのため。
自分のせいで夕食を抜かれた美鈴を心配して見にきたのだろう。今思い返せば、いつもならレミリアと一言二言会話を交わすはずなのに、無言だったような気がする。
相手のことを心配して、こんな行動を起こす。狂気の妹と呼ばれることもあるが、こんなにも愛らしい仕草を見せる少女。ぱんぱんっと服の汚れを払った後、美鈴はフランドールの前に移動してやさしく頭を撫でてやる。
「あ……」
最初は驚くように身を硬くするフランドールだったが、帽子越しに伝わるその暖かい感触に慣れた頃には自分からねだるように美鈴に体を預けた。
「誤解というものは誰にもあるものですから、フランドールお嬢様が気にすることではありません。むしろいつも悪い印象を与えている私の方が問題なのかもしれませんし」
「そうだね、いつもサボってるもの」
「む、何をおっしゃいますやら。
私はちゃんと門番してますよ? お嬢様や咲夜さんが眠っているときなんて、もう、言葉に言い表せないくらいに」
「誰も見てないけどね~」
「しょうがないです、皆さん眠ってらっしゃいますから」
実際のところ、美鈴が日中や夜に美鈴が来訪者に突破されたところで、何の問題もないのである。日中であれば時を止められる咲夜と固定砲台のパチュリーがいるし、目立たないけれど平均的に高い能力をもった小悪魔もいる。さらに昼を過ぎると吸血鬼姉妹が活動を始めるので、侵入者の方が可哀想になってしまうほど。
だから美鈴もそれに頼り、多少手を抜いてしまうというわけだ。
かくいう美鈴がいつ休んでいるかといえば、全員が活動している夜の間の2~3時間程度。人間であれば少ないと驚くかもしれないが、実際頑丈である美鈴はほとんど睡眠なしでも活動できる身体能力を有している。それでも寝るのは、気持ちの問題らしい。
「あ、そういえばフランドールお嬢様?
今の時間はパチュリー様と一緒にお勉強をしている時間では?」
「……おわったもん」
「いやいやいや、目を反らしながらそんなこと言われても信憑性皆無ですよ。
ほら、フランドールお嬢様。私も門番がんばりますから、そっちもお願いしますよ」
「……わかったわ。
でも、明日! 明日はちゃんと遊んでもらうから!」
「はい、喜んで」
美鈴が頭から手を離すと、フランドールは名残惜しそうにしばらく彼女の顔を見上げていて、それでも誘惑を振り切るように首を左右に振ってから屋敷のほうへと飛んでいく。
そんな背中を見送りながら……
「できれば、今度は夜食も一緒にお願いします……」
空腹だったのを思い出し、しくしくと涙を流したのだった。
美鈴が門番を任されている理由。
レミリアはそれを頑丈だから、と簡単な言葉で説明していたが、実は彼女の扱う能力にその真意がある。
気を使う程度の能力。
気というものは、すべての力の根源。
どの属性にでもなりうる『気』。それに敢えて属性をつけるのであれば『無』
弱点もなければ、得意な属性もない。つまり相手の属性が何であっても平均した戦いが行えるというわけだ。さらに美鈴が集中している状態であれば気の流れを読み、外敵の来訪を離れた距離でも感知することができる。しかもある程度接近してしまえば相手の気の流れを見て、その固体の実力を把握することができる。
だから美鈴は、昔、咲夜にこんなことを言ったことがある。
私が門前払いする相手は、館から見て格下の相手。
なので、気にしないでくださいと。
私が戦ってからお通しする相手は、同程度かわずかに及ばない程度の相手。
なので、私が戦っているうちに戦略を練ってくださいと。
そして最後に。
圧倒的な実力差があるにも関わらず、私がどんな状態になっても、一歩も引こうとしないときは。
迷わずお逃げください、と。
立ち向かっても絶対に命を無駄にするだけです。
そう笑いながら言ったという。
それは美鈴なりの優しさだったのかもしれない。
身近に生活して、紅魔館の戦力を知り尽くした彼女だからこそ言える言葉。
その言葉は、咲夜の耳には自己犠牲としか聞こえなかったのだが……
もう一つ。隠された意味があったことは誰も知らない。
虫の鳴き声や、鳥の鳴き声も聞こえなくなった深夜3時。
空腹のせいで一睡もできないでいた美鈴は静まり返った館を一度振り返ってから大きく息を吐き、大地と自分を気で繋ぐ。咲夜が行動をはじめる朝5時くらいまでもっとも戦力が乏しくなるこの時間だけ、彼女は自分の能力を活用して防衛を始めるのだ。
それは幻想郷でもほとんど知られていないし、雇っているレミリアすら感知しない。
その姿を見せれば彼女の評価もだいぶ変わると思うのだが、一度見せると 『常にそうやってなさい』 と言われかねない。彼女にしてみれば戦力が十分ある時間帯に労力を使う必要性も感じないので、自分が必要だと思うこの時間帯だけに止めていた。
足から地面に気を通し、その範囲に入った妖怪を感じ取る結界のようなもの。
それを完成させてから美鈴は油断なく周囲を気を配り……
不意に、先ほどまで流れていた風が止んだ。
いや、実際は止まったわけではない。
止まったように感じただけ。
五感の一つである、触覚を削り。
別な感覚器官へと意識を集中させたことでそう錯覚したのだ。
月を覆うように外套を広げ、飛来した影。
それを見るために視覚へと意識を集中させ、結界の感覚を確かめる。空を飛んで現れた時点で目の前にいるモノが人間ではない何かである可能性が高く、結界もソレが異質なものだと告げていた。しかもこの感覚は……美鈴が良く知るものの似ている。
「こんな夜に女性が一人とは、物騒だとは思わんかね?」
「……残念ですが、その物騒なのが私の仕事でして。
そちらこそどういった御用でしょう? 見たところ、吸血鬼とお見受けしますが?」
黒というより、闇。
そんな色のスーツに身を包んだ背の高い男性は人間で言えば見たところ40代前後。整った顔つきは異性をひきつけるだけの魅力に溢れ、美鈴も気を抜けばその魅力にやられていたかもしれない。
魅力というよりは魅了に近い。その魔眼によって。
「ふむ、そちらも見たところ普通の女性とは違うようだ。
私が睨んでも何の反応もないとはね、実に気が強い。さきほど人の集落のようなところで出会った女性は簡単に私にしなだれかかったというのに」
「残念ですが、気を使うのは得意なほうでして。
お客様に失礼なことはできませんし。ところで、私の質問にはお答えくださらないのですか?」
「ん? 無言の肯定というのはこちらの文化ではなかったかね?
これは失敬した。いかにも私は吸血鬼、これでも二千年ほどしか生きていない若造でね」
幻想郷おいて、スカーレット姉妹以外の吸血鬼がいる。
そんな情報は聞いたことがない。ということは、この男の吸血鬼は今宵、常識と非常識の結界を超えて招かれたもの。元の世界から忘れ去られ、幻想となった吸血鬼。
幻想郷が受け入れた妖怪ということ。
そこで男が何故か鼻を鳴らしながら美鈴の後ろの屋敷。紅魔館を見上げ……
ふむっと小さく唸り声を上げた。
「では、こちらからも少し質問をさせてもらおうか。
この館には私の同朋がいると思って間違いないかね?」
「ええ、そのとおりです。私はこの館の門番をしている、紅 美鈴と申します。
もし御用があるようでしたら明日一番にお取り計らいしますが?」
「いやいや、そんなことをしてくださらなくても結構。
静かな夜のほうが好都合というものさ」
言葉遣いだけは、紳士的で、冷静のようにも見える。
しかし、美鈴の能力は彼の実力と本質をすでに理解していた。彼は見た目ほど優しい吸血鬼ではない。むしろその対の面を持つ者。
穏やかな声の億にも、圧倒的な魔力が渦巻いており……
「私はこの地域が気に入ってね。
質の良い血と、何よりもこの空気が良い。力を持ちすぎた人間に怯えていた私が嘘のようだよ。
そうだ、こんなすばらしい餌場に……」
そう言いながら、男は少しずつ魔力を開放させる。
そうやって少しずつ開放させていくことで、目の前の女性との圧倒的な戦力差を見せつけるように。そして黒い闇を全身に漂わせながら、紅く輝く瞳を細く鋭く尖らせていく。
「このすばらしい縄張りに、二つの血筋が共存するには狭過ぎる。 そうは思わないかね?」
外套を翻し、魔力を開放したその吸血鬼。
開放しただけで周囲の木が歪み、大地に風が巻き起こる。
これがレミリアの4倍ほど生きている吸血鬼の力……
美鈴は無言のまま、半身になって拳を構える。
この相手は……引いてはいけない部類の相手なのだから。
「おや? まさか私と手合わせがしたいというのかね?
できれば君のような美しい女性は綺麗な体のまま手に入れたいものなのだが」
「手に入れる。ですか。
まるでモノのように言うのですね。そのような物言いでは異性に嫌われますよ」
「なるほど、嫌われた結果がこれか。しかたない……
君としては時間稼ぎをして館の主の出兵を待ちたいところかもしれないが。
私が思うに、その吸血鬼はまだ未熟なのではないかな? その館からもそのような子供の吸血鬼の匂いしかしないのだが?
館の全員で私とぶつかって、勝算があると?」
「ありませんよ、まったく」
美鈴は客観的にそう言い切るが、まったくその身を引くことはない。
この時間に奇襲を受けた時点で、不利なのは当然のこと。
睡眠状態から戦闘状態へと一瞬で切り替えるにも、ある程度の時間が必要だろう。庭に立つ木が微動だにしないように、美鈴はただまっすぐに相手を見つめる。
そして、独特の呼吸法で気を高めてから。
強大な相手に向けて、微笑を向ける。
「残念ですが、明日フランドールお嬢様と遊ぶ約束をしておりまして。
屋敷も、お嬢様も、失うわけにはいかないのですよ。約束はできるだけ守る種族ですし」
「そうか、君はもう少し利口だと思ったのだがね……」
男は、演劇の中の役者のように、大げさに肩をすくめてから。
静かに大地を蹴る。
軽く、ダンスのステップを踏むように。軽く踏み込んだだけ……
それだけなのに……
「え……」
美鈴の目の前に彼の顔があった。
動作と踏み込みのスピードが違いすぎるのだ。魔力による強化かそれとも吸血鬼の純粋な力か、それはわからない。ただ一つ理解できたのは……
「……実に残念だよ」
彼が繰り出す右腕の手刀が避けられないということ。
そう理解した直後。
美鈴がいつも身に付けていた帽子が……
空高く舞い上がる。
『龍』という一文字が入った、その帽子が……
魔力が込められた彼の手刀は、的確に彼女の頭部を捉え……
物理的にも、精神的にもその生命活動を停止させる。
……はずだった。
威力も十分で、門番を任される程度の相手なら一捻りだと。
踏み込みも狙いも、すべてが完璧。
計算どおりだったはずのものが……
額のちょうど中央で、停止していた。
しかも彼女の額には傷一つ付いてはいない。
腰だめの構えを取りながら微動だにしない彼女の瞳は手刀を繰り出したままの男の顔をまっすぐ見つめていて……
「な、ど、どういう……ことだ?
お、お前の言葉でも……館で私に敵うものなどいないと……」
「ええ、そうですね。はっきりといいましたよ。
でも……『館』の外にいる私が、あなたに敵わないと一言でもいいましたか?」
「いや、しかし、あのときは確かに……」
男は手刀を引き、黒い髪をぐしゃぐしゃと両手でかき回しながら後退する。
おそらく、彼は今何が起こっているのか理解できないだろう。
さきほどまで、館の中の住人よりも小さな気配しか持っていなかったはずの美鈴の力が、今では周囲の空間すべてを覆い尽くすほど爆発的に増加しているのだ。
体内から一気に湧き上がったとは考えにくい量の『気』
何が違うのか、男は少しだけ冷静さを取り戻しながら美鈴を見据え……
その赤茶色の髪の中に、妙な突起物があるのを見つけた。
左右の耳より少し上の位置に、岩のような木のような、鉱物にも似た突起物。それが二つ後ろに向かって生えている。あれはまるで……
「角…… 気……」
気をつかう程度の能力。
もしその気の概念がとてつもなく大きいものを指していたなら。
力の流れそのものを使う種族であるなら……
吸血鬼の男の中で組み上がってはいけない図式が綺麗に完成してしまう。
「私たちがこんなに大暴れしているのに、屋敷には灯りひとつつかない。
その時点で気づいていただければ、このような手段を取るつもりはなかったのですが」
そう、普通なら吸血鬼の男が近づいてきただけで、感覚の鋭い咲夜あたりは目を覚まして行動を始めるはず、それなのにまだ館は暗いまま。そして、もうひとつ。男が力を解放したあとも。美鈴の後ろにある植物が微動だにしていなかったこと。
男は新しい住処を求めるあまり、その異常さ見逃していたのだ。
力の流れを操って、何もないように演出する。
そんな馬鹿げたことを単純にやってのける種族は……
「大地に走る気の流れ、龍脈を使えばそうそう難しいことではありませんけどね」
そう言いながら、動くことのできない男の前で無防備な背中をさらしつつ、落ちた帽子を拾い上げ、二本の角を帽子の中に収めた。そして帽子に描かれた文字は龍の一文字。
それを冠する種族こそ、幻想の中の幻想。
膨大な力を持ちながら、決して表舞台には上がろうとしない。
『龍族』
「多少、友好的な吸血鬼であれば、よかったのですが。
ん~、こうも自分の欲望に正直すぎるあなたでは、この世界に波乱しか生み出さないでしょうし。
おせっかいかもしれませんが……
少しばかりお仕置きを受けていただいてから、お帰りいただいた方がいいでしょうか」
「は、ははは、くそ。
何故だ何故こんな小さな場所に、こんな馬鹿げた奴が!」
大地に流れるあるとあらゆる生命に関係した力の流れ、龍脈。
そんなものの力を帯びた『お仕置き』から逃れようと全力で空へ舞い上がる彼であったが。
「残念ですが……」
すでに、彼が飛び上がった場所には、金色の気を漂わせた美鈴が腕を組んで待っていた。
「あなたの体の気の流れで、行動は読めてしまうんですよ、申し訳ないですけど」
「う、うおおおおおおおおおお!
この化け物め!!」
気を扱った行動予測のできる相手。
そんな化け物から逃れようと、破れかぶれで右腕に全力を込める吸血鬼。
「失礼な人ですね、まったく。だからさっきから言っているでしょう。
私は―― 『紅 美鈴』 」
美鈴は組んでいた腕を解き、左手で簡単にそれを弾くと、
その勢いを殺さずその場で体を回転させる。
そして、高く右足を掲げて――
「ただの、門番です!!」
――打ちぬくっ
腹部に叩き込まれたその衝撃で、吸血鬼は体を『く』の字に折りながら白目を向き。
意識を奪われたまま音速に近い速度で地面に叩き付けられた。
それでも龍脈で地面をいじったせいか周囲にほとんど音は響かず……
静かになった大地には、泡を吹く吸血鬼の男だけが残された。
美鈴は警戒しながらそのすぐ近くに着地し……
そのタイミングを狙い済ましたかのように、彼女の右側に大きく隙間が開いた。
「ごめんなさいね、余計な業務をさせてしまったようで」
「……もぅ、紫さん。遅いですよ。
私はこういう手加減とか苦手なんですから……」
その奇怪な空間から姿を見せたのは隙間妖怪の八雲 紫。
優雅に長い髪を空中で揺らしながら軽く飛び上がり、美鈴と男を挟んで対面の位置に移動する。
「さて、この無礼者、どうしてくれようかしら。勝手に人里の人間を食べてしまったから重い罰を与えてもいいのだけれど」
「何で私を見ながら言うんですか、そういう仕事は紫さんの方の担当でしょう?」
「あら、でも今回は珍しく本性を出したじゃないの」
「だって、フランドールお嬢様と約束してしまいましたから。
龍というのは凶暴に見えてそういう細かいところを気にする性質でして。
それに、さっきもいいましたけど手加減というか微調整が苦手ですし……
もし間違えて紅魔館崩しちゃったら洒落にならないじゃないですか。怒られてしまいます」
美鈴が、咲夜に告げた、もし圧倒的な戦力差でも逃げない場合。というのはこういう裏事情もあるのだった。しかし本来龍神を含めた龍族は幻想郷が生まれる際に姿を消したものとされている。ただ、その中にも例外がいて、お節介やきの一匹の龍が霧の湖に戻り、人に近い姿の妖怪へと姿を変えて生活を始め、いつしか幻想郷に入ってきた紅魔館にお世話になり始めたのである。
「まったく、たまに偉そうなしゃべり方でみんなを脅すくせに。
地の性格はこれですものねぇ……」
「肩肘はってるだけじゃ。疲れますし。これくらいが一番です」
「確かに、その方が美鈴らしいわね。
じゃあ、いつもどおり、もう一度もとの世界へ返すということでいいかしら?」
「ええ、忘れ去られた世界に戻すのは残酷な結末を生むかもしれませんが、再度この世界に入る可能性も残しているのだから問題ないでしょう。私はすべてを救えると思っているほど傲慢な性格ではありませんから。では、後片付け、よろしくお願いしますね」
美鈴は力を使ったせいで表面に出てきた角を帽子の上から触ることで引っ込め、欠伸をしながら門の方へと歩いていく。その周囲は大きな力がぶつかりあったとは思えないほど静まり返っており、まるで世界自体が騙されているようにも見えた。
紫は、言われたとおり境界を開き、吸血鬼の男を元の世界に戻してからふぅっとため息を付く。
「どうしてこう、力のある人というのは気分屋が多いのかしら。
ねぇ、藍?」
「……すごく答えにくいことを聞かないでください」
「あら、失礼な子ね」
そんなやり取りだけを残し、古参の妖怪の夜は静かに明けていく。
他の誰も知らない、一つの事件を朝霧に包みながら。
「……美鈴? 私、昨日も同じことを注意した気がするのだけれど。
私の記憶違いだったかしら?」
「ふぁ、ふぁい!?
な、なんのことかイマイチわからないのですが……」
次の日の夕方。
またいつものような光景が門のところで繰り広げられていた。
居眠りをした美鈴を咲夜が叱りつけ、美鈴が正座しながらそれを聞き続ける。文々。新聞でもとっくに相手にされないような決まりきったことをどうしてこうも毎日続けられるのか……
「あら、咲夜どうしたの? また美鈴が居眠りでも?」
「ああ、妹様! まだ日が沈みきっていないというのに出てきては……」
「いいのよ、別に。この程度どうということはないわ。
それより咲夜。なんで怒っているの?」
そして無邪気なフランドールがその中に加わり、怒気だけしか含んでいなかった空気に明るい色を加えてくる。
「それがですね……
この美鈴が門番をさぼって、外出していたと妖精メイドから報告を受けまして」
「へぇ~、でも、それは間違いね咲夜。
妖精が間違っているわ」
「ああ、フランドールお嬢様……なんてお優しい……」
美鈴は、自分を庇ってくれるフランドールの優しさに触れ、瞳を潤ませながらうんうんと頷き続け……
「だって、美鈴。さっき屋敷の台所で夕食用のゆで卵を頬張っていたもの」
ビクッ
「お、お嬢……様? 見ていらしたの……ですか?」
「うん、暇だったから蝙蝠に化けで飛び回っていたの。
ほら美鈴、話が終わったのなら早く遊びましょう♪」
「え、えとー、は、はい~遊びましょぉかぁぁ……」
フランドールに引っ張られるまま、その場をから離されそうになる美鈴。
しかし、後ろから妙な圧迫感を感じて、壊れたブリキ人形のように首だけを後ろに回すと……
「美鈴…… 終わったら。
私とも一緒に遊びましょうね♪ ゆ・っ・く・り・と♪」
「……できれば、手短にお願いしますぅぅぅぅ」
引きずられながら、後の地獄を思い顔を青くする美鈴なのだった。
それでも……
こんな馬鹿げた生活でも……
何故、続けるのかを聞かれてたら、美鈴は間違いなくこう即答するだろう。
楽しいから、それ以外の何物でもない、と。
でもいつものように、のんびりとした日を過ごす彼女の姿も好きです。
誤字などの報告です。
>人に違い姿の妖怪へと姿を変えて生活を始め
『人に近い』だと思います。
>忘れ去られた世界に戻すのは残酷な結末を有無かもしれませんが
『結末を生む』ではないでしょうか?
>いつしか幻想郷に入ってきた紅魔館にお世話ないなり始めたのである。
ここは『お世話になり始めたのである。』でしょうか?
ほのぼのパートとシリアスのようなパートに分けて書いてみました。
楽しんでいただけたなら幸いですっノ
>3煉獄さん
もし龍という気質をもっていたら、というお話なので、どこかとぼけながら強い姿というのを表現してみたかったのですっ
誤字報告ありがとうございます、修正させていただきます。ご迷惑おかけしました。
前編から後編まで、時間を忘れて読みふけってしまいました。
とても面白かったです。
自分も「美鈴=龍」です。
>落ちた帽子を拾い上げ、日本の角を
『二本』ではないかと
>可愛い式紙が待つ
「式神」ではないかと。
良い話でした。
どうしても二次設定というか独自設定には好き嫌いが出てしまいますからね。
楽しんでいただけたなら幸いです。
>12さん
特徴の無い能力の彼女ですからね、いろいろと考察してしまいます。
それ以外でもいろいろ説ありそうですけれども
誤字報告ありがとうございます。
>15さん
誤字報告ありがとうございます。
やはり誤字は天敵です……
>17さん
能ある鷹は爪を隠す。
でも爪を出してもどこかしまらない。
そんなキャラであって欲しいですっ
自分も紅魔館最強は美鈴だと思います。