それはまるで、押入れにしまわれたまま忘れられた鳥篭のようで、私はまるで、成仏できずにその中に取り残されたままの飼い鳥の魂のようでした。
―始―
何も見えない、暗黒の世界で、私の意識は覚醒を始めました。
わたしの目は開いているのか、閉じているのか、未だ朦朧とする意識では判断がつきませんでしたが、わたしはたった今目を覚ましたということは理解できました。
……あれ?私いつの間に寝ちゃったんだろう
未だはっきりとしない意識の中でそんなことを考えながら、私は伸びをするために手を頭上に突き上げました。
その時、ガンッ、という音を上げて、私の手は何かに思い切り接触しました。
痛ッ!
私は咄嗟に手を引っ込めました。手の甲がヒリヒリと痛みます。
これで完全に目が覚めたかと思いきや、視界は依然として真っ黒なままでした。
いたた……、何なの此処…。何も見えない…。
恐る恐る手を前に伸ばしてみました。すると、硬く、冷たい感触のする、金属のような細長い棒のようなものに触れました。握ってみると、それは綺麗な円柱形であることが解りました。
そのまま手を横に動かしてみました。円柱………鉄のようでしたから鉄柱でしょうか。その隣には、同じような鉄柱があり、その隣には、やはり同じような鉄柱がありました。動かしているうちに、いつしか私は手を体の真横に伸ばしていました。後方にも手を伸ばしてみます。やはり同じような鉄柱が連なっていました。どうやら私は、この沢山の鉄柱に囲まれているようでした。
ここまで解った時、私は言い様のない不安と恐怖に駆られました。先ほどの手の甲の痛みが、それらを更に掻き立てます。
いや、嫌っ、何なのよ一体……
私は再度、手を上へと伸ばしました。嫌だ、嫌だと頭では拒否していても、私の腕は止まることなく、ゆっくりと伸び続けました。
ひたり、と触れてしまいました。沢山の鉄柱が、ちょうど私の頭上、真上の一箇所に集まるように湾曲していることが解りました。
途端、私の背筋は凍りつきました。不安が、恐怖が、とうとうその姿を明確にしたのです。
―――ッ!!嫌!!そんな、これって………………
それは、まるで鳥篭のようでした。
―弐―
「ヤッホーみすちー!飯たかりにきたよー」
「ちょっとチルノちゃん、言葉遣い悪いよ」
「何言ってんのよ大ちゃん。あたい達の仲じゃないの。ぶれいこーよ、ぶれいこー」
「はぁ…。親しき仲にも礼儀ありって諺があるでしょうに…」
「あはは!でも礼儀のあるチルノってなんか違う気がするなぁ」
「ほんとよねー。これでチルノが『こんにちはミスティア。ちょっと御昼御飯頂いても宜しいかしら』なんて言ったら笑っちゃうわぁー」
「むぅ……なんか馬鹿にされてる気がする……」
むすっと頬を膨らませるチルノを見て、三人はどっと笑い出した。
チルノ、大妖精、リグル、ルーミア、そしてミスティア。この五人は大の仲良しだ。いつも遊ぶ時は、必ず五人でと決めるくらい。自他(他は主にレティ辺りが)共に認める最高の五人組だ。
いつもなら、こうして笑っていると、ミスティアが屋台の暖簾から顔を覗かせて、笑顔で迎え入れてくれる。いつもなら。
「……あれ?みすちー?」
真っ先にチルノが異変に気付いた。すぐさま他の三人も異変に気付く。ミスティアが姿を現さないことに。
「変だねぇいつもならこの時間は昼食を作ってるはずなのに…」
「まだ寝てるとか?」
「まさかぁ、チルノじゃあるまいし」
「あたいはそんな寝ぼすけじゃない!」
妖怪は夜活動するのが以前までの常識だった。しかし、最近では昼夜を問わず活動する妖怪が増えてきている。ミスティアもその一人だ。加えて八目鰻の屋台を経営するようになってからは、朝昼晩と三食を取るくらい人間的な生活を送るようになっていた。
「みすちー?居ないのー?」
チルノは暖簾をくぐって中を覗いた。ミスティアの姿はない。代わりに五人分の食事が用意されていた。
「ご飯、味噌汁、焼き八目鰻……。うん、ミスティアちゃんの料理だよね、これ……」
「先食べちゃう?」
「馬鹿。ミスティアに悪いでしょ?」
「じょーだんじょーだん」
ボケるルーミアにツッコむリグル。そんな背後のやり取りにはお構いなしに、チルノはカウンターに手を着き、調理場の奥を覗き込む。
……そして、見つけた。
調理場の床に倒れているミスティアを。
「……みすてぃあ…?……―――ッ!!!ミスティア!!ミスティアッ!!!」
予期せぬ光景に、状況を把握するのに若干間が空いたが、すぐさま悲鳴にも似た絶叫を上げた。驚いた三人はすぐに声の方へと駆けつける。三人の目にも倒れているミスティアの姿が映った。
「!?……ミス、ティア……ちゃん……?」
大妖精は恐怖で表情がゆがみ、口を両手で押さえた。両目尻には涙が溜まっていく。
チルノはミスティアを抱きかかえると、体を揺らしながら必死で問いかけた。
「ミスティア!!どうしたの!?ねぇ、しっかりして!返事してよ!ミスティア!!?」
チルノは声を荒げ呼びかけるが、ミスティアは全く反応を示さない。腕はだらりと力なく垂れ下がり、半開きの瞼の奥の瞳に光はなかった。
まるで、死んでいるかのようだった。
「そんな、ミスティアちゃ……、あっ、嫌、いやぁっ!!」
両手で顔全体を覆い、大妖精は叫んだ。目じりに溜まっていた涙が、指の間から溢れ出る。
「ちょっと待って」
ミスティアに呼びかけ続けるチルノを、ルーミアは静止させた。
「………ルーミア?」
声を枯らし、涙ぐむチルノを他所に、ルーミアはミスティアの首筋に右手の指先をそっと当てた。続けて左手のひらを口元ギリギリまで寄せる。
「…脈はある。呼吸もあるし、体も温かい。大丈夫、生きてるよ」
この一言に、この場に居た誰もが胸を撫で下ろした。しかし、これだけでは安心できないことを、全員が十分に理解していた。
「何でミスティアがこんなことになってるのかわからないけど、今すぐちゃんと診てくれる人が居るところに連れて行ったほうがいいみたい」
「なら永遠亭に行こう。あそこならお医者さんが居るから」
事の経緯を呆然と眺めていたリグルが口を開いた。
「道は?」
「大丈夫、解るよ」
そう言うと、リグルはミスティアを背負い、立ち上がろうとした。しかし、妖怪とはいえ、彼女たちは見かけどおりの少女である。同じくらいの背丈であるミスティアを、リグルが背負うには無理があった。案の定、立ち上がったものの、すぐにバランスを崩して背中から倒れそうになった。そこを、背後からチルノが支える。
「あんた一人でおんぶ出来るわけないでしょ!あたいが後ろから支えるから!」
「ありがとう、チルノ。…大ちゃん、大丈夫?」
「私はもう大丈夫。それよりもはやくミスティアちゃんを……」
四人は準備が整ったことを確認すると、ミスティアを背に竹林へと駆けていった。
―参―
私は一心不乱に両腕を動かし続けました。何も見えないまま手探りに、出口は、鍵は、と夢中で探し続けました。
しかし、結局それらしいものは見つかりませんでした。
この鳥篭は私にとって、あまりにも狭すぎるものでした。広さは、両腕を広げれば余裕で両端に届く程度しかなく、高さも、座り込んだ状態で手を伸ばせば簡単に天井に触れられる程度しかありませんでした。この篭の中では立つことすら叶わないのです。
篭の狭さからくる圧迫感と、闇がもたらす不信感が、恐怖心を増長させます。
私は肉体的にも精神的にも追い詰められていました。歯はガチガチと硬い音を鳴らし、体中に冷や汗をかき、背を悪寒がとめどなく襲い、孤独が、恐怖が、転じて吐き気に変わり、私の中で暴れまわります。
私はもう、狂ってしまいそうでした。
何なの…?何処なの、ここ。何で真っ暗なの……どうして、わたしは………………?
考えれば考えるほど、私の心は壊れていくような気がしました。それでも、何も考えられなくなれば、私はこのまま消えてしまいそうな気もして、余計に私を追い詰めていきました。
格子と格子の間から腕だけなら出せることが解り、私はそこから手を必死になって伸ばしました。視界を闇に閉ざされている私には、まず篭の周りに何かあるかを知る必要がありました。
私はひたすら手を伸ばし続けました。出来るだけ遠くへ、遠くへ、格子が肩に食い込んで痛むのにも構わず、ただただ必死に伸ばしました。
しかし、限界が訪れても、後にも先にも、私の手が何かに触れることはありませんでした。諦めきれず、上にはないか、下にはないかと手を振り回しもしました。私の腕は、ただただ空を切るばかりでした。
堪らず、叫びました。
誰かっ!!誰か居ないの!?助けて!ここから出して!!ねえっ、お願いだから!誰か応えて!!お願い!誰!ッウぅ……か…………たす……け………て…ぇ…………
最初に声を出した時から感じていた違和感。私の声は声帯を震わし、空間に放出されることなく、脳内で直接響いていたのです。つまり、私の声は誰かに届くものではなく、自分自身を苦しめるものなのです。叫び声は私の脳を酷く揺さぶり、元々感じていた嘔吐感を更に高めることになってしまいました。
私は堪らず手を引っ込め、口を押さえると蹲りました。威勢の良かった叫びも、もう出すことは出来ません。
私はその姿勢のまま、ぼろぼろと泣き崩れました。絶望感に満ちた涙が、頬を伝い、首を、胸を、腹を、腿を、濡らしていきました。
私はこのとき始めて、自分が今裸であること、そして自分の目は見開いているということを知りました。
―肆―
「脈拍、呼吸共に安定しているわ。原因はまだ解らないけど、取り敢えず安静にする方がいいわね」
そう言って、八意永琳は椅子から立ち上がった。
チルノ達が倒れていたミスティアを永遠亭に運んでから、たいした時間は経っていない。玄関先であった鈴仙がすぐさま五人を受け入れ、事情を聞いた永琳が快く診察を承ったのだ。ちょうど今、一通りの診察を終えたところだ。
「一応出来る限りのことはしたわ。と言っても大したことじゃないけど。しばらくすれば目覚めるだろうから、貴女達はここに居てあげなさい。そのほうがこの子も目覚めた時に安心するだろうし。目覚めたら呼びにきて頂戴ね」
そう言って、永琳は診察室を出た。四人は軽くお辞儀をして永琳の背中を見送る。
バタンという音と共に扉が閉まる。途端、永琳は崩れ落ちるように扉に寄りかかり、深くため息をついた。
――――あれは、一体………
永琳にとって、ミスティアのあの症状は、初めて診るものだった。脈があり、呼吸もある。間違いなく生きている……筈なのに、生きているという印象を、全くこちらに与えてこない。植物状態にも似ているが、人間と異なる構造をしているよう妖怪がそうなるとは考えにくい。意識、生気、魂。そういったものがごっそりと無くなり、身体のみが存在しているような……。
永琳は記憶を遡り始めた。過去に同じような事例はないか、脳内のカルテと今回のミスティアを照らし合わせ続けた。しかし、一致する記憶は一つも無かった。ミスティアを診る直前まで予期もしなかった事態に、額から汗が流れた。
「お疲れ様です」
鈴仙が声をかけてきた。手には二人分のお茶を乗せたお盆を持っている。
「有り難う…」
一言言って、永琳はお茶を受け取り一口だけ飲んだ。お茶の味が脳に伝わってこない。
「ねぇ、ウドンゲ」
「はい」
「貴女の目に、あの患者はどう映ったかしら?」
「え?あ、えと……」
突然の質問に、鈴仙は困惑した。永琳がこのような質問をしてくるのは初めてだった。
何かがおかしい。このことは鈴仙も薄々勘付いていた。解決の糸口を探るため、永琳にありのままを伝える。
「一瞬、死んでいるんじゃないかと思いました。でもちゃんと脈があって、呼吸があって、それが物凄く違和感で。正直、気味が悪かったです。神経麻痺も疑いましたが、妖怪がそうなるとは到底思えないし…。何というか、その……人形みたいだと思いました。糸が切れた操り人形、みたいな。アリスが操る人形より、よっぽど人形らしいと思いました。……………以上です」
鈴仙も似たようなことを考えていた。それは、ミスティアの件は自分達では解決できない問題であるということを意味している。と、永琳は解釈した。
「信じるしかないわね、あの子の意識が回復することを……」
永琳は呟くと、再び深い溜め息をついた。
「師匠……」
鈴仙が不安そうな表情を向ける。永琳は苦笑いを浮かべながら応えた。
「大丈夫よウドンゲ。それより此処はもういいから、貴女は、そうね……姫のお相手をしてあげて頂戴」
「……はい」
そして、永琳は資料の揃う自室へ、鈴仙は輝夜の待つ居間へと、それぞれ歩を進めた。その重い足どりは、枷を引きずるかの如く、二人の拭いきれない不安を象徴していた。
一方、診察室ではベッドに横たわるミスティアを、四人が晴れない表情で見つめていた。
不意に、大妖精が口を開ける。
「ミスティアちゃん……何があったんだろう。昨日は、元気だったよね?いつもどおりだったよね?」
「うん、特に変わったところは無かったと思う」
「今日の昼、ご飯作った後に何かあったのかもね」
リグル、ルーミアもそれに続く。
「意識を失って倒れるようなことって……」
「頭打ったとか?」
「それだったら怪我してたり腫れてたりしない?見たところ外傷ゼロって感じだけど…」
「なんかこう……フッとじゃない?」
「ふ?」
「何の前触れも無く、自然にというか。こういうのなんていうんだっけ?」
「確か…えと……のーそっちゅう?」
「妖怪ってなるの?」
「さあ…」
「あのさ」
「何?」
「初めて見た時から思ってたんだけどさ、何て言うか……無いんじゃないの?」
「無いって?」
「怪我じゃない、病気じゃない。考えられるのは、もう一つしかない」
「まさか、ちょっと待って」
「魂」
「嫌!やめて!!」
「ルーミア!」
「……ごめん」
三人の論議は解決への道を辿るどころか、絶望へと転げ落ちていった。大妖精に至っては膝から崩れ落ち泣き伏せてしまった。
「……やめようよ」
今まで黙ってミスティアを見つめ続けていたチルノが、口を開いた。
普段のチルノからは想像もつかないほど、冷静な声だった。
「……チルノちゃん?」
大妖精は真っ赤に泣き腫らした目でチルノを見た。一瞬、チルノではないのではないかと思った。それほどまでに、今のチルノは異質な雰囲気を醸し出していた。
「あれこれ考えたって、しょうがないじゃん。あたい達の無い頭で考えたってさ。永琳でさえ『よく解らない』なんだよ?あたい達に解る筈ないじゃん。それよりもさ、今は、ミスティアが目を覚ますことだけ、考えようよ。また一緒に遊べることだけ、信じようよ……」
そういうとチルノは、先程まで永琳が座っていた椅子をミスティアが横たわるベッドの傍らに寄せ、椅子に腰を下ろした。そして、力の無いミスティアの手を、両手でぎゅっと力を込めて握ると、祈るかのように目を閉じた。
三人は言葉を失いうつむいた。それ以降、誰も口を開くことなく、ただただ、静かな時間が流れていった。
―伍―
私はもう、限界でした。
無き疲れた私は、身を縮込めた、胎児のような体勢で横たわっていました。
私は何故ここに居るのか、何故何も見えないのか、ここから出られるのか、永遠にこのままなのか、訳も判らぬうちに消えてしまうのか、考えようとすればするほど、脳が思考を遮ってしまいます。考えを巡らす度に、途切れ、途切れ、また途切れ。
もう何かを考えることさえも、許されないのか。視界を奪われ、私はもう、動く屍も同然でした。
―――みすちー、あれ歌ってよー―――
突然、チルノの顔が頭に浮かび上がりました。
―――ミスティアちゃんの歌、私も好きだなぁ。聞かせて―――
―――あの歌すごいよねぇ、壮大で。迫力に飲み込まれちゃうよ―――
―――いいなぁミスティアー。わたしもミスティアみたいに歌うの上手かったからなぁ―――
大ちゃん、リグル、ルーミア。友達の顔が、次々に浮かび上がってきます。
……走馬灯、というのでしょうか。以前誰かから聞きました。死の直前、今までの記憶が、絶え間なくフラッシュバックするのだそうです。
わたしは、自分の意志に関係なく、あの歌を口ずさみ始めました。
――――――♪―――♪――――――♪―――――――――♪
流れるようなスローテンポで始まり、一番サビの終了と共に爆発する、様々な感情を綴った、激情の唄。
「なんか凄過ぎてミスティアには似合わないね」と言われたこともあるけど、お気に入りで、誰かの前で歌う時には必ずこの唄を歌っていました。
―――♪―――――――――♪―――♪―――――――――♪―――――――――♪
どうせ声を出したところで、脳を揺さぶり、自分自身を苦しめるだけなのに、それでもわたしは歌い続けました。先に出した叫び声で喉は痛み、枯れ、震え、高温では声が裏返り、低音では上手く発声出来ず、それは殆ど機能しない頭でも判るくらい、酷い有様でした。
――♪―――♪――――――♪――――――♪―――♪―――――――――♪
出し切ったはずなのに、もう出ないはずなのに、再び目頭が熱くなり、涙が零れ落ち、体を濡らしていきます。温かいそれは、鉄の檻の中で凍えた体に熱を思い出させます。
――――♪――――――♪―――♪
ここで、シャウト………
―――ミスティア……―――
……――――――――――――――――――!!!!!!――――――――――――――――――!!!!!!!――――――――――――!!!―――――――――
次の歌詞を紡ぐことが出来ず、わたしは歌にならない、……狂ったように叫び続けました。
―陸―
……………………どれほどの時間が経ったのでしょうか。
もう私に理性はありませんでした。どんなに妖怪としての丈夫さがあっても、どんなに心臓が鼓動し続けても、それに見合う行動を、私はもう、とることは出来ないのです。
心が壊れてしまいました。あんなに怖かった闇より深い黒も、今はもう、怖くありません。
苦しくもありません。
寒さも感じません。
温かさも感じません。
寂しくもありません。
悲しくもありません。
何も感じないのです。
もう、何も……
ミスティア
ミスティア
―――わたしの、なまえ…?
ミスティア
……だれの……声……?
わたしは無意識に、声のするほうへ手を伸ばしました。
壊れてしまった心が、少しずつ、元のカタチを取り戻していくような気がしました。
ミスティア
ミスティア
私の名前、私の名前―――
手を伸ばす程、声に近づいていくようでした。いつの間にか、私の腕は篭の外にまで伸びていました。
ミスティア
もっと、聞かせて。私の名前、呼んで。もっと近くで、私を……………その声を…………
…………聲を―――
ミスティア
―――私の手が、何かに触れました。それは、少し冷たくて、けれどもあたたかな温もりがある、不思議な、同時に懐かしいような……。
私はこれを知っていました。
次の瞬間、久しく忘れていた眩い白が、私の目を射しました。
―漆―
白は徐々に色彩を得ていき、私の良く知る顔が浮かび上がりました。
「―――ッ!!ミスティア、ミスティア!!!」
私の名前を呼ぶ、彼女の名前は―――
「…………ちるの……?」
チルノは真剣だった顔を緩ませると、勢いよく私に抱きついてきました。
「うっ!!ちょっちる、の……苦っし……い…」
「あ、ごめ……」
チルノは慌てて私の体を離しました。彼女の後ろには…………
「っ!!ミスティアちゃんっ!!うぅ……ぐす……よか、た…ひぐっ…」
「ミスティア!!すぐ永琳先生呼んでくるから!」
「あぁ~~よかったぁ~~~。もう、しんぱいさせないでよねぇ~~」
「大ちゃん、リグル、ルーミア……あれ?皆…なん、で……ここ、は…………?」
何故か居る友達四人。そして見知らぬ一室。まだ上手く働かない脳では、状況判断は至極困難でした。
そんな私の代わりに、チルノが説明してくれました。
「屋台の調理場で倒れてたんだよ。憶えてない?あ、あとここは永遠亭ね」
……まったく憶えていない、というのが本音でした。そもそもあの鳥篭の中の、それより以前の、つまり朝目覚めてからの記憶が全く無いのです。昨日の夜寝るまでの記憶はあるのですが……
「びっくりしちゃったよ~!奥覗いてみたらみすちー倒れてるんだもん」
「ミスティア、ちゃん…ひぅ…どこか、ぐずっ、痛く、なぃ……?」
「それではミスティアの回復を祝して、乾杯~~」
「私はもう大丈夫……大ちゃんそんなに泣かないで。ルーミア、どこからお酒を……」
私はとりあえずベッドから降りようとしました。しかし……
「っ!?きゃあ!!」
足をついて立ち上がろうとした瞬間、足に力が入らず、倒れて尻餅をついてしまいました。
「ちょ、大丈夫!?」
「あたたぁ……」
「しょーがないなぁ…。ほら」
そう言って、チルノは右手を私に差し伸べました。
私は少しばかり、その右手に見惚れて、ハッとしてすぐさまその手を握りました。
その手は少し冷たくて、けれどもあたたかな温もりを感じる、氷精であるチルノ特有のものでした。
ああ、そうか。私は………
「…………ッあ……あぁ……」
「?……みすちー?」
私は、救われたんだ―――――
「……あッ…ああああぁああぁああああああぁぁあああああぁぁああぁ」
私は大声を上げて泣きました。洪水のように大量の涙を流し、顔を真っ赤にして、握ったチルノの手を強引に胸元まで引き寄せ、両手でしっかりと握ると、そのまま蹲りました。
「……よしよし、怖かったね。よく頑張ったね」
チルノは自由の利くほうの腕で、私をきつく抱きしめました。しかし、それは余計に私の涙腺に拍車をかけ、結局私はリグルが永琳さんを呼んできても、しばらくするまで泣き止むことはありませんでした。
「ふむ……やっぱり今までに無かった症例ね、これは」
「念の為もう一度診察したい」という永琳さんの希望により、部屋には私、永琳さん、そして鈴仙さんが残りました。
私は永琳さんに目を覚ますまでのこと、すなわちあの鳥篭のことを伝えました。
「触覚や痛覚、聴覚は正常に機能しているのに、目は全く見えない。匂いも特になし。おまけに鳥篭っていうのが……あまりにも具体的過ぎる。夢の中の出来事なら、精神はおろか、肉体にも影響を及ぼす筈はないし、うーん…………」
あの天才と呼ばれる永琳さんでも頭を抱えるなんて…。私は改めて、あの未知の体験に恐怖を覚えました。
「ところで、目が覚める直前のことは、何か覚えてるかしら?」
「突然、私の名前を呼ぶ声が聴こえたんです。最初は誰の声か判らなかったけど、無意識のうちに声がする方向に手を伸ばしていました。伸ばせば伸ばす程声に近づいて、最後には、誰かの手に触れました。そのときに目が覚めたんです。その後解ったんですけど、その手も、声も、チルノのものでした」
私がそう告げると、永琳さんは少しだけ驚いたような顔をして、「そう…」と短く呟きました。
「あの時、チルノに、皆に救われたんだって思った時、怖かったのがすっと抜け落ちて、心が軽くなったんです。そしたらすごい泣いちゃって。あの鳥篭の中で心がボロボロになるくらい泣いたのに、現実でも、泣いちゃって……なんだか恥ずかしいです」
「…………」
「……永琳さん?」
「え?…ぁっごめんなさい」
深刻に考え込んでいたようでした。鈴仙さんも心配そうに永琳さんを見つめています。
「……今日一日、入院というかたちでウチに泊まってった方がいいと思うけど、どうする?」
「有り難いですけど、今日は帰ります。店の方も心配なので」
「そう、判ったわ……取り敢えずお薬は、そうね、胡蝶夢丸を処方しましょう。最初は二錠から、効果が出なかったら四錠までなら量を増やしても構わないわ。……御免なさい。これくらいしかしてあげられなくて……」
「とんでもないです!むしろ感謝してもしきれないくらいですから。……本当に有り難うございました」
そう言って、私は深々と一礼しました。
「何か心当たりを思い出したり、不安になったりしたら、すぐに相談してね。力になるから」
「はい、有り難うございます!それでは、失礼しました」
私は二人に向かって一礼し、診察室を出ました。バタンという扉の閉まる音と共に、私の頭はあのことについて考え始めました。
あの鳥篭は一体何だったのか。どうして私はあの中に閉じ込められたのか。どうして私なのか。そして、私は再び、あの恐怖に囚われてしまうのか…………
……いや、やめよう。考えたって仕方がない。もし不安になれば、永琳さんを頼ればいい。一人で抱え込む必要はないのだから―――
そう自分に言い聞かせ、フゥーーッという、深い溜め息をつきました。
「遅いよーみすちー!」
「はやく帰ろぉ!」
声がした方を向くと、四人が私を待ち構えていました。
そう、本当に、一人で抱え込む必要は無いんだ。私には、最高の仲間がいるのだから―――
「ごめんおまたせ!はやく帰ろ!」
笑顔で待ち構える四人に向かって、私も笑顔で駆け寄りました。
「………師匠……」
「まだまだ私の知らない未知の病がある、ということかしらね」
「……師匠?」
「さて、ウドンゲ。片っ端から資料を読み漁りましょう。この未知の病、一刻も速く、私たちの手で解明してみせましょう?」
「―――はいっ!」
―終―
「それにしてもすごかったなぁ、ルーミア。あんな冷静に脈計れるなんてさ。ルーミアがいなかったらさ、私達パニックで何も出来なかったよ」
「あれくらい大したことないわよー。それよりもさ、あの時のチルノ、カッコよかったなぁー。チルノが信じたから、私達もミスティアが目覚めることを信じれたわけだし」
「あたいは褒められるよりこの空腹をどうにかしてほしいよぁー」
「そういえば私達、お昼ご飯食べてないね…」
「それどころじゃなかったからねぇ。永遠亭の時計、深夜まわってたし。そういえばさ、あの時作ってあったご飯と味噌汁と焼き八目鰻ってどうなったのかな?」
「え?ご飯作ってあったの?」
「そうだけど……て、え?ミスティアちゃんが作ったんじゃないの?」
「今日一日の記憶が無いから、よく判らないんだよね……」
「そっか…」
「あのさ、このまま皆で屋台のほう行こうよ。私、ご馳走するから」
「「いやったぁーーーー!!メシーーーー!!!」」
「いいの、ミスティアちゃん?無理しなくてもいいよ?」
「いいのいいの。皆にお礼したいし」
「ミスティアのご馳走、楽しみだなぁ♪」
「「メーーシ!!メーーシ!!」」
「ありがとね、ミスティアちゃん」
この最高の仲間たちに最高の感謝を………………
―――ありがとう―――
<了>
間違ってたらすみませんが誤字でしょうか?
あの時、散るのに、皆に救われたんだって思った時、
チルノ
あの時、散るのに、皆に救われたんだって思った時
散るの×チルノ○でしょうか?
結局のところみすちーの病が原因不明、
そして屋台に置かれていた料理の謎が残っていたりと、
不気味な余韻を残すことに成功していると思います。
病気の再発防止のためにも、
私がみすちーを愛し守りぬかなくてはいけないのだなと改めて感じました。
ルーミアの冷静さがかっこよかったですね。
ミスティアの見ていたものははたして夢か幻か……?
面白かったです。