さて、空より降り来るものといえば何であるかと問われたならば、たいていは雨でございましょうし、あるいは雪、あるいはお天道様の視線などと小洒落た回答も予想はできましょう。私、稗田阿求の知り得る限りの歴史においても、幻想郷でそれ以外のものが降ったことは非常に希であり、その全てが眉唾物であることは言うまでもありません。氷づけにされた大きな蛙が村中に降り注ぐなどという恐ろしい光景はあり得てはいけないのです。おまけに氷の溶けた蛙が生き返りぴょこぴょこと行列を成して帰っていくなんて、想像をしただけでも二の腕がふるふるとおたまじゃくしが如く震えてしまいます。
されば、執筆の気晴らしに縁側でほくほくと猫に遊び遊ばれていた私の目の前に降ってきたものは、おかしなおかしなものであると言えましょう。
ふわり、ふわりと。
ひらり、ひらりと。
太陽の送る熱光線をその柔らかく広がった身に受けながら、純白の羽をはためかせるように波をうって落下してくるそれ。思案外の光景に絶賛思考停止中であった私の膝の上へ、気品あふれるお姫様のようにきちりと舞い降りたのでした。
いわゆる、ドロワーズ、でございました。
ドロワーズと言われてもまるで想像が至らぬ方もいらっしゃるとは思いますが、要するには慎みて肌を隠す下着のことでございます。男性が着用していた時代もあるようではありますが、現在では専らに女性が下着として使い、素材にはよりますが肌触りは非常に良く、ふわりとした曲線は女性をより柔らかくあたたかにみせてくれるのです。
かくいう私も常日頃から愛用――と言いたいところは山々でございますが、実のところは私は知識でしかドロワーズを知ってはいません。実を知らぬが故に躍る心もあるのでございます。
いつまでも膝の上にそのような下着を載せたまま惚けているわけにもいかず、私はひとまずそれを丁寧に畳み、懐へと潜ませました。姿を隠してこそ下着、私のとった行動に一切の不審な点はありません。ないったらないのです。不審があるとすれば私の頭上に広がる澄んだ蒼穹。何故に天はドロワーズなどというものを私の元に降らしめたのか、私程度の考えではとてもとても及びません。青空には雲しかなく、飛ぶ鳥の姿すら見受けられませんでした。
懐で太陽のあたたかさをぬくりぬくりと伝えてくるドロワーズ。泥に沈むように夢心地となりかけた私は、そこで一つのひらめきを得たのでした。
――嗚呼、これは天恵に違いない。
誰にも伝えたことはないのです。稗田に住む全ての従者から通ってくる人たちを含めて、ただの一度も、この口を割ってこのような心を話したことはないのです。しかし私は、以前よりドロワーズを一度でいいからこの足に通してみたいと、柔らかな曲線を自らの腰に纏ってみたいと、ささやかな思いを心の片隅で淡い灰色の恋心のようにあたためてきたのです。
語らざる言の葉は人に届かざるも、天には届きしか。
願いを叶えたくば今しかないと私は思い立ちました。幸いなことに現在は執筆中ということになっているため、呼ばない限りは従者の現れる心配もありません。誰かが訪ねてくるという予定も聞いておりません。だからこそ暇を持て余して猫とじゃれ遊び、かくの如き出来事に出会っているわけなのです。
生唾が喉を下る音を聞きながら、私は懐に再び手を伸ばしました。猫の背を撫でるよりも圧倒的にしなやかな感触、温もりを逃さないきめ細かな純白の姿、恍惚というのは今時分の私のような姿を意味するのでしょう。鼓動はどくどくとその速度を増し、かき回し続けた納豆のように唾液は粘着して、気がつけば私は着ていた下着を脱ぎさっていました。素早い手つきで降ろした袴を再び腰元に押しとどめはしましたが、その下は生まれ来たときと同じすっぽんぽんになったのです。
貴様は一体何をしでかしているのか、それでも由緒正しき稗田家が阿礼乙女であるのか――と嘆かれる方もいらっしゃるやもわかりません。しかししかし、私、稗田阿求とて一人の人、一人の乙女にございます。願い、夢見、そして願いしは人であれば多かれ少なかれ心に抱いてしまうもの。抱かぬは聖人君子、あるいは日がな惚けて暮らすド阿呆かド間抜けと決まっているのです。
私にとってのその一つが、ドロワーズを一度でいいから身に纏うことだったのです。そしてそこにたまたまに降ってきたドロワーズ。これこそ人の及ばぬ奇蹟。
そんなことは些末な問題、いつでも誰であろうとできると思うかもしれませんが、衣食住全てを完全に管理された稗田の家においては、非常に難しい問題となってしまうのです。朝の着替えとてお側付きの女中が全てを選び、着付ける始末。どうか私の煎餅のように脆くか弱い心の辛酸を、ひとしずくでも汲み取っていただけたらと願わずにはおられません。
時折現れる博麗の巫女や白黒の魔法使いなどなど、幾多の人から盗み見たあの桃源郷。憧れた、彼女たちのような可憐な姿を私も手にすることができるのです。私も同じあの舞台に立ててしまうのです。短き人生の半ばなれど、心残りの種は今見事に花を咲かせ散ろうとしています。
さて、いかに袴を着用しているとはいえ、いつまでも下着なしのすーすーとした身空でいるわけにはまいりません。本当に、ゆっくりと。逸る気持ちを赤子を寝かしつけるように慎重に扱い、私はついに、ドロワーズを身に纏ったのでした。
これにてめでたしめでたし、となったならばそれも一興ではありますが、空より来たりしドロワーズ、そのように一筋縄には終わらないのでありました。
「阿求!」
声を荒げながら現れたのは見慣れた紅白装束、空からふわりと――辺りをきょろきょろと見回し、袴の裾を手で押さえたりしていつになく丁寧に霊夢さんは私の前に降り立ちました。
「霊夢さん」と私は言いました。「どうかしたのですか?」
霊夢さんがいつもよりもどこか落ち着きをなくしている一方で、私の心には凪いだ大海原のような穏やかさがありました。たかが下着一枚、されど下着一枚。全身を芯から支えられるような感覚に私は酷く安心していました。
「その、ね」
「その?」
「……そう! 紫を見はしなかった?」
「いえ、ここのところお会いしていませんが」
ちいっと激しい舌打ちを空気中に吐き出して、霊夢さんは地団駄を踏みました。翻る袴を慌てて抑え正気に戻って恥じらう様子から、私には霊夢さんの状況が察せられてしまったのでした。
「霊夢さん?」
「何かしら」
「……お手洗いならお貸ししますよ?」
「い、いやそういうのじゃないのよ、今回は」
それじゃあ私は紫を捜さないといけないから、と去ろうとする霊夢さんを呼び止めて、私は一言言いました。
「下着も、お貸ししますよ?」
霊夢さんが泣くのを初めて見た日でした。
泣き崩れてすっかりぐずってしまった霊夢さんに何とか私の下着を着用させ、膝枕をしながらあやすことで大体の事態を把握することができました。「女の敵」と霊夢さんは呻きました。要するに、いつも通りの八雲紫による悪戯であったのでした。霊夢さんと紫様がお茶を飲んでいていろいろあって軽い喧嘩になり、紫様が能力によって霊夢さんの所有するありとあらゆるドロワーズを没収し、姿を消した。それ以上もそれ以下も、裏も何もないそれだけのお話。
「お二人は、仲がよろしいのですね」
「仲がいい相手に殺意なんて普通は抱かないわ」
「いえ、それは思いの強さです」
「……阿求?」
「私には、やはり、羨ましいですよ。――例え、下半身を晒すはめになったとしても」
「忘れなさい」
霊夢さんの弱々しい声に、私は先ほど自分の下着を脱ぎさったときのすーすーとした感覚を思い出していました。立っているだけで心もとなさがはじけそうになるあの状況、そんな格好のままに空を浮遊せざるを得なかった霊夢さんが可哀相でなりませんでした。ここに来る前にも、心当たりのある場所を巡り巡ってきたのでしょう。
「ところで、阿求」
「何でしょうか」
「あなた、袴少し大きくない?」
「気のせいですよ」
「そうかしら」
ぽんぽんと太腿付近を叩いてくる霊夢さんを、私は頭を撫でて宥めました。
「全く、何をしているのやら」
声に急所を突かれたかのように、私の膝の上から霊夢さんが飛び起きました。
「紫!」
「ごきげん、いや、ごかげんいかがかしら」
そのまるで反省の色の見えない軽い口調に霊夢さんは堪忍袋の緒がぷっちんと切れてしまったようで、寒さすら感じさせる細く鋭い目を紫様に向けたのでした。
「あら、怖い」
「霊符――」と霊夢さんは言い放とうとして。
「でも、今は邪魔だからお退きなさい」
うにゃああああという恨みがましい悲鳴と共にスキマの中へ墜落していったのでした。何だか随分と落ちる勢いが速かったのは内側から引っ張られたのだろうと想像できました。
「それで」と紫様はこちらを向きました。「阿求、何か言うことは?」
「いえ、何も」
「では、何か返すものは?」
「いえ、何も」
「では、何か履いているものは?」
「いえ、何も」
「あなた、いつからそんな子になったの?」
酷い誘導尋問でございました。
「仕方がないわね」
紫様の姿が消えたかと思うと、私の袴の中を覗くような位置にスキマから顔を出していらっしゃいました。いやんと自然に声を上げて後ずさろうとする私の足は紫様に捉えられ、一歩も動くことはかないませんでした。
「阿求、あなたいつからドロワーズを?」
「乙女となりしその時からです」
「ふむ」と紫様は頷いて「このドロワーズはね、ただの霊夢のドロワーズではないのよ。霊夢がついさっきまで着用していたドロワーズなのよ。阿求。わかるかしら、このドロワーズの価値が、意味が、意義が。わかったのなら私の元へ、わからないのなら――」
私は一言として紫様の言葉に応えず、怪訝そうに紫様は私を見ました。私はこのドロワーズを初めて持ったときに感じた温もりを思い出していました。嗚呼、あれはけっして太陽のあたたかさばかりではなく、霊夢さんの温もりもまた染みこんでいたのだな、と。
「紫様。私も子どもではありません。力の強きものに弱きものが従う道理は十分に心得ております。今ここでどちらが強くどちらが弱いかも。しかしながら弱きものが抗わぬという道理は、どこにもございません」
「あら、言うわね」
「ですから」
私は胸を張って言ったのでした。
「私は何も致しません。そしてそれもまた抵抗。欲しいのであれば――脱がしていってください」
躊躇のない紫様の手が私の袴を降ろし、ドロワーズがくすぐるように肌を撫でていく感覚に脳の裏を打ち抜かれるような心地がし、徐々に開放感を伴っていく下半身。反射的にふるふると震えてしまった私に向けて「可愛いわ」と紫様は呟きました。脱がされる時もまたドロワーズの生きるときであるのだなと、私は一つ見聞を広げたのでした。
この純白には全てがあるということかァッ!!
ドロワーズ・・・・・!?
ドロわァぁああああああああああああずッ!!!!!!!
ドロワーズを穿いてみれば答えが出る気がするのだ
仕方がない私も穿かざるをえないじゃないか
なんだこれなんだこれwww