「何よ……アンタ。また退治されたいの?」
「えへへ」
聞きなれない声がしたので縁側を覗くと、そこには紙袋を抱えて照れ笑いを浮かべた聖白蓮が立っていた。
霊夢は白蓮の抱えている紙袋にチラリと視線をやる。SRの刻印。間違いない。あの紙袋は人里の人気洋菓子店『シャトー・リェミィ』の459(ぢごく)チョコバナナ。495年の波紋ショコラと廃獄エクアドルバナナが絶妙なハーモニーを生み出す一品。蕩けるような甘さが人妖問わず、乙女たちの心を掴んで離さない。
もしかして、ひょっとしたらひょっとして自分に? という期待感で霊夢の口が奇妙に歪む。
「お近づきの印にと洋菓子と共に馳せ参じました」
「あ、はい。それはどうも」
ぺこりんと深くお辞儀をする白蓮につられ、思わずお辞儀で返してしまう霊夢。心の中でガッツポーズを決めつつ、ヨダレが零れ落ちないようにごまかすので必死だった。
「折角ですし、一緒に食べませんか?」
霊夢には、白蓮に後光が射しているのが見えた。
「お、お茶をっ! いえ、スイーツによくあう紅茶を持ってくるわっ!」
「はい、じゃあ私はここで待っていますね」
浮かれ足でテケテケ台所へ駆ける霊夢。数分後に訪れる至福の時を瞼に描き、乙女らしい慎ましやかな笑顔を浮かべていた。
◇ ◇ ◇
白蓮は紙袋を開け、チョコバナナを小皿に並べる。459チョコバナナは一口サイズにカットされ、楊枝の代わりにプレッツェルが刺してある。指先が汚れないように、しかも美味しく最後まで食べられるというパティシエの細かな心遣いだ。バナナの熟れた香りがあたりに広がる。ふんわりと鼻腔をくすぐり、縁側を抜ける秋風にはんなりと溶けてゆく。
「……良い香り。村紗には後でお礼を言わないと」
引越ししたら近所に挨拶回りですよ、聖。そう助言してくれた村紗の嬉しそうな顔が浮かぶ。封印から解放され、千年前と変わらない笑顔で自分を迎え入れてくれた彼女たちのことを思うと、ついつい自分も笑みを零してしまうのだ。思わず頬を押さえ、一人幸せを噛み締める白蓮だった。
「ちょ、こ、ば、な、な、さ~んっ」
どこからとも無く手がにゅっと伸び、小皿の上のチョコバナナを狙う。
「めっ」
パシッ!
反射的に伸びた手を払う白蓮。
「あれ、今、確かに……」
目の前にはチョコバナナが鎮座している。小首を傾げる。自分は確かに伸びる手を払ったはずだ。
「ば、な、な、さぁ~、ん」
再びどこからか声が響き、細い手がチョコバナナを狙う。
「めっ!」
パシッ!
見ればチョコバナナを狙う刺客は空間の亀裂から伸びていた。
「痛いじゃないの霊夢ぅ。意地悪しないで分けてよう」
のんびりとした、間の抜けた声が隙間から聞こえている。
白蓮はクスリと笑い、隙間に声をかけた。
「私は、霊夢さんじゃないですよ」
「あら?」
手が隙間に引っ込み、代わりに妖怪が飛び出してきた。白蓮をパチクリと見つめると、妖しい微笑みを散りばめて言う。
「これはこれは、失礼しましたわ」
「悪戯好きなのは相変わらずね。八雲紫。ここに来れば貴女に会えると思っていました」
「貴女。……何処かで、お会いしたかしら?」
紫の顔が強張った。結界の管理者、八雲紫。自分が知らない相手が自分のことを知っている。その事実だけで充分に警戒すべき人物だった。
「私の名前は聖白蓮。一介の僧です」
「……ごめんなさい、知りませんわ」
「命蓮寺、と言えば分かるかしら?」
紫はううん、と考え込み、しばらくすると手をポンと打つ。思い当たったのは霊夢がつい最近解決した異変。変なのの封印を解いちゃって大変だったわと愚痴を零していた。人里の片隅に居を構える彼女たちの住処が、命蓮寺。そしてその名には、もう一つ心当たりがあった。もう千年以上も前、八雲紫が幻想郷を揺ぎ無いものにしようと暗躍していた時代。妖怪退治の専門家として名を馳せた一派の名前。
今、目の前に居るのは、遥か昔、理想を語った僧侶に間違いなかった。
「あら。あらあらまあまあ。ずいぶんと可愛らしいお婆ちゃんだこと」
「たわけ。……貴女はちっとも変わってないわね」
「そりゃあ、妖怪ですもの。今は、貴女もでしょう、命蓮寺?」
「そういえば……。ふふっ、そうでしたね」
今や幻想郷は全てを受け入れるのだ。
紫は裾を払い、縁側に腰掛けてニコリと笑う。千年とちょっと、久しぶりの友人との再会だった。
◇ ◇ ◇
乙女の心にクリティカルヒットするシャトー・リェミィのチョコバナナ。超人、聖白蓮とて例外ではなかった。ふんわりとしたチョコレートの甘さと濃厚なバナナの味わいが白蓮の頬を緩ませる。
紫もこの洋菓子は大好物のようで美味しい美味しいと言いながらパクついている。
「やっぱり甘いものにはお茶が欲しいわねぇ」
「そうですねぇ。霊夢さんがさっき淹れてくるって言ってましたけど」
「こんなに美味しいんじゃ、お湯が沸く前に霊夢の分無くなってしまうかも知れないわね」
「ふふ」
2人でチョコバナナを摘み、暢気な会話をする。やはり買ってきてよかった、並んだ甲斐があったというものだ。白蓮は村紗のアドバイスに感謝した。
「それで……どうかしら。この幻想郷は?」
「ええ、本当に素敵なところです。人と妖怪が共に手を取り合って暮らす……なんて素晴らしいことなんでしょう」
「でしょぉ?」
聖白蓮。弱者の味方である。虐げられてきた人間の味方、虐げられてきた妖怪の味方。全ての人間、妖怪が理由無き虐待を強いられずに暮らす世界。いつか語った夢のような世界。一定のルールこそあれ、それを遵守する限りは平和に暮らせる。幻想郷とは、まさに聖白蓮の瞼に描いた理想郷だった。
「けれど……。八雲紫、私は、貴女に問わなければいけないことがあります」
「あらぁ、何かしら、ひじりん」
「まずは、その……、ひじりんと呼ぶのは止めてください。もちろん、命蓮寺も、です。私の名前は聖白蓮なのですから」
白蓮の表情から笑みが消える。チョコバナナを咥えた紫にも、空気が変わったのが肌で感じ取れた。先ほどまでの聖白蓮の纏う柔和な雰囲気は微塵も無い。今の聖白蓮は、八雲紫が千年以上も前に対峙した命蓮寺の白蓮そのものだった。
「そして、ここからが本題である。八雲紫」
厳しい口調で紫を問い詰める。博麗神社に向かう際、白蓮は粒さに幻想郷の様子を見てきた。のんびりと釣りを楽しむ蓬莱人、発明好きな河童、魔法の森の魔法使いたち、人里で妖怪にすら教えを施す半妖。そのどれもが、生きる希望に満ち溢れた輝かしい生命達だった。だからこそ、痛烈な違和感が白蓮を襲う。白蓮の知る大妖怪、八雲紫とは、こんなことで喜ぶような妖怪ではなかったはずだ。
「包み隠さず話しなさい。お前の目的は何?」
「何の。ことかしら?」
「とぼけるな! 最強の幻想種である吸血鬼を呼び込み、八尾比丘尼を匿い、死蝶を侍らせ、禁忌の核を呼び起こし、乾坤の神すらを招いた。お前の目的と私の目的は違う。お前の目的は皆で慎ましやかに、平和に暮らすこと、ではないだろう?」
紫は千年以上前の友人に感謝した。封印に心まで蝕まれてしまっていたらという危惧は杞憂に終わった。だからこの世界は面白いのだ。紫は歪む口元を扇子で隠し、軽快に言葉を遊ぶ。
「それらを扇動し、外の世界に攻め入るつもりですわ」
「そんな、ことっ……!」
「許さない? できるわけない? どれも違うわよね、聖白蓮。貴女はそもそも、こちら側なのだから。妖怪たちが虐げられず、生を謳歌できる世界は、貴女の悲願でもある。それに……貴女は知っているはず。外の世界とのパワーバランスは、今や完全に逆転しているということを。博麗の巫女と戦ったのでしょう? 遊びだから殺されなかったのよ、貴女は。私たち妖怪は、光溢れる世界に再び安住の地を求めるわ」
「……」
野望を語った大妖怪を睨みつける白蓮。紫の身体を敵意が貫く。
やがて、紫はやれやれといった表情でチョコバナナをほおばり、呟いた。
「なんて、ね。しないわよ、めんどい」
「己が創りあげた楽園の温さに野心まで浸ったか、大妖怪」
「うーん。……ねぇ白蓮ちゃん。貴女、少し真面目に考えすぎよ」
扇子をパチリと閉じ、白蓮の眉間を小突く。
「わぷっ」
「私たちは妖怪よ? そんな人間臭いこと、するわけ無いじゃないの」
「そ、そう……。貴女のことだから月とか地底とか、攻め入るつもりなのかと思っていました。ほら、侵略好きな神さまも居ますし……」
「あ、あはははは。やだ、そんな冗談みたいなこと、よしてよ」
紫は冷や汗を流しながらわざとらしく取り繕った。秋の爽やかな風がかんらかんらと笑っている。
◇ ◇ ◇
「さて、霊夢さんが来ないんですけど、私そろそろお暇しますね。村紗たちが待っていますので。よろしくお伝えください」
「はいは~い。あ、そだ。ねぇ白蓮ちゃん」
「はい、なんでしょう」
今度は紫の番だった。さっきのお返しと言わんばかりに真顔で白蓮に問いかける。
「貴女は今、……幸せかしら?」
紫の心に僅かに引っ掛かる不安。それは、聖白蓮が、贖罪として彼女たちに尽くしているのではないかという疑心。沈黙が増せば増すほど、答えは明確なものとして浮かび上がってくる。
「八雲紫……その質問に、答えは必要ですか?」
紫は立ち上がり、黄金色に染まり始めた空を眺めて言う。
「いい? 白蓮ちゃん。歩めなかった分はこれから歩めば良い。刻めなかった歴史は、これから刻めば良い。ここは楽園、幻想郷。全てが叶う世界。全てを受け入れる世界。全てを許してしまう、それはそれは……残酷な処ですわ」
白蓮は、僅かな沈黙の後、笑顔を崩さずに言った。
「光に満ちた世界なら、それも是ですよ。八雲紫……さん」
「あはは、そうねぇ白蓮ちゃん」
ケラケラと笑う紫。
「白蓮ちゃんというのは……白蓮……、ちゃん」
白蓮はその言葉をゆっくりと噛み締めた。
「ふふ。はいっ!」
◇ ◇ ◇
紅葉に色づく庭先に紫は佇む。
「千年という時を経ても尚、あの娘は変わらずに居てくれた。千年という時を経ても尚、あの娘たちは変わらずに居てくれた。こんなに嬉しいことはありませんわ。こんなに素敵なことはありませんわ」
変わらぬ想いを抱き続けてきた彼女たち、叶わぬ思いを抱き続けていた彼女。
両者を隔てていた境界は消え去った。千の冬は終わりを告げ、視界に広がるは眩く輝く幻想の春。
異変のたびにいつもそうしてきたように、紫は霄に祈りを捧げる。
どうか、彼女たちに幸あらんことを――。
-終-
本文のしっとり感がすべて持ってかれました。南無三。
あとがきにやられましたw
次の胴上げも期待してます。
誠に楽しく、円満幸福であるッ!南無三!
紫様と白蓮のまったりとした会話や真面目な会話とか後書きのおまけ話も面白かったです。
紫様の優しさがなんとも心地よいお話でした。
なんか胴上げがじわじわとくるww
それはそうと後書きなんぞw
「千の冬は終わりを告げ、視界に広がるは眩く輝く幻想の春。」
このフレーズに度肝を抜かれました
素晴らしい
それにしてもほのぼのとした良い雰囲気ですね
なんだかまるで、縁側でお喋りをするふたりのお婆ちゃn
(このコメントはスキマ送りにされました)
ゆかりんの口にチョコがついている。
そしてひじりんのおでこにチョコが付く。
つまり…
よし胴上げだ!!
よし、胴上げだ!!!