※ 独自の設定がありますが、多分整合性はとれてます。
一体どうしたらいいものか。
意味のわからないことが起きて、地底から出られるかと思った矢先見知らぬ妖怪に出会ってしまった。
長い眠りについていたためか体が鈍っていた。
地上に出る寸前に気体である自分は変な方向に流されていってしまい、いつもは一緒にいるあの少女ともはぐれてしまった。
早く合流しなくては。自分一人ではうまく立ち回ることもできない。言葉も通じないし。
「……」
どうしたものか、と雲山は唸った。唸るとぶしゅうと雲が立ち込めて、真っ暗闇にもうもうと白いものが浮かぶ。
そうすると自分の目の前の妖怪はびくりと体を震わせて逃げようとする。
言葉は発することはないがきっと怯えているのだろう。ふるふると体が震えているのに従って二つに結んだ緑の髪が揺れている。
おびえる必要はない。自分はお前を攻撃する存在ではないと雲山は言いたかったが、言葉を発することができないためどう伝えたらいいのだろうと唸った。
唸った瞬間、またぶしゅうと水蒸気がたくさん発生した。
「ひぃっ!」
「!」
桶の中に入った妖怪はそれが自分を攻撃するものだと思い一目散に逃げ出そうとする。
雲山はそれを制止しようとした。ここで大声を出されたら違う妖怪に見つかってしまうかもしれない。自分の奇妙な姿を見られたら絶対に捕まる。
そうなったら一輪たちの所に行くことができない。せっかく深い眠りが覚めて地上に行けるのに自分だけいなくなってどうする。
それに自分がいなければ一輪は力が発揮できない。
「……!」
雲山はどうにか自分が危険ではない妖怪だとアピールするためにその桶の妖怪を追いかけた。
しかしそれは逆効果で、涙目になった桶の妖怪はさらに走り出そうとする。刹那、慌てていたのか道端の石ころに桶をぶつけてしまい、がたんと桶が倒れる。
石が思ったよりも大きく、勢いよく走ったものを急に止めたので反動は大きいのだ。
「あっ……」
桶から飛び出してしまう小さな子供の妖怪。勢いよく体を地面に打ち付けて、べちんと音がした。
からんからんと桶が転がり地底に木霊する。すぐに立ち上がれない桶の妖怪。
その間に雲山はその妖怪の傍に飛んで行った。
「うう……」
よろよろと体を持ち上げる子供の妖怪。あちこちに擦り傷ができていて、膝小僧からは血が出ている。
おでこや肘も赤くなっていて、はやく手当てをしてあげないと可哀そうだった。桶の妖怪は泥や砂がついた手でごしごしと涙をぬぐい、桶のある方角を見つめていた。
「おけ……いたいよう……うぇ……」
「……」
雲山は自分のせいでこの子供を怪我させてしまったことがわかり、どうにかしたいと思った。
しかし入道である自分は触れることができない。一輪の力があってこそ自分は相手に打撃を与えたり、弾幕を張ったりできるのである。
体を大きくすることはできるが今この能力があったとしても何にもならない。
「ひくっ……ヤマメぇ……」
桶の妖怪は血が流れる膝を見ながら涙声で誰かのことを呼ぶ。
ヤマメとは誰のことだろう。この妖怪の友達だろうか。自分がその妖怪を呼んでくればどうにかなるだろうか。
しかし呼んだ瞬間つかまったりしたらどうしようか。それに自分はヤマメという妖怪を知らない。
どうしたものかと桶の妖怪を見つめていると、傷をさすりながら桶の妖怪が雲山を見つめ返した。
「……おじちゃん、わるいひとじゃないの?」
「……?」
倒れても攻撃してこない自分を怖いものだと認識するのをやめてくれたのだろうか。
不思議そうに自分を見つめている。出会ったことのない妖怪の種類なのだろう。子供特有の好奇心が自分をそう見させるのだろうか。
これはいい方向に話が進んでいるぞと思った雲山は頷く代わりにぶしゅ、と水蒸気を出した。
合意のつもりだった。しかしまた驚かせてしまったようで、「ひっ」と桶の妖怪は後ずさりをしてしまう。
墓穴を掘ったと思った。だが、このまま攻撃をしなければ誤解は解けるかもしれない。
子供は苦手だが、どうにかしてやろうと思った。うまくいけばこの子供の手当てもできるし自分も一輪と合流できる。
「どうしてここにいるの?」
「……!……!」
「まいごなの?」
「……!」
そう、その通りなのだ。迷子なのだ。
言葉のできない雲山は身振り手振りで自分は地上に行きたいと示した。体の形を変えて上を指差し、地上へ地上へ、とぐいぐいその手を突き上げて行った。
頼むから一輪のもとへ。一刻も早く。ムラサや星たちもいるはずだ。
雲山は必死だった。必死に天井に向かって指差し、どんどん体を膨らませていった。
「おじちゃん……おもしろい」
「……!?」
しかし自分の身振り手振りはどうも違う方向に解釈されてしまったようで、桶の妖怪は傷の痛みも忘れて自分のことを見ていた。まるで、珍しい動物を見るような感じで。
「おじちゃんは、からだがおっきくなったりちいさくなったりなるの?もっとみせて!」
きゃっきゃっと笑いながら桶の妖怪は雲山に言う。
どうやらこの子は自分のことを楽しませるために雲山がやったと思い込んでいるようだった。
「……」
落胆したが、他の妖怪たちにばれるよりかはましだ。雲山はこの子供を楽しませることを優先に自分の能力を使うことにした。
昔あの聖が健在だったときを思い出しながら。
「……!」
自分の体に力を込める。風船のように膨らませて、太い腕を作る。そして水蒸気の温度を急激に下げて一気に固体にする。
そしてその腕で桶の妖怪を手のひらに乗せて、高い高いをするように持ち上げた。
「わぁ」
水蒸気は液体にも固体にもなる。固体は氷、つまり触れられるものだ。
空を飛べる妖怪なのだろうが、こうやって誰かにやってもらうのはまた別格なのだろう。
お次は手を沢山生やしてみたり、目を光らせてみたり。拳で地面を殴ってみたり。
そのたびに桶の妖怪は手を叩いて喜んだ。おじちゃん、すごいすごいと。
雲山はそう言われるたびに心の奥底でどこかがじんじんと痛んだ。
「おじちゃん?」
はっと我に帰る。自分が高い高いをしたまま止まってしまったので不思議に思ったのだろう。
「……どうしたの?」
「……」
ぶんぶんと首を振る。首があるかはわからないが。
今自分のことを警戒していた桶の妖怪は、とびっきりの笑顔を自分に見せてくれる。
だったら心行くまで遊んでやろう。そう、あの頃みたいに。
日が暮れるまで遊んで、楽しく笑っていた頃みたいに。
気がつけばずいぶん長い間遊んであげた気がする。そろそろ行かないと本当に一輪と会えなくなる。
遊んでいるうちに、この地底から出る方法が桶の妖怪から聞き出せた。
橋守がいる縦穴をぐんぐん上に向かっていけば地上に出られると。
橋はこの近くにあるし、自分が橋守を引きつけておくからその間に行ってくれと桶の子供は言った。
遊んでくれたお礼だと。
「おじちゃん、ちじょうにいっちゃうの?」
「……」
「もうこっちにこないの?」
さみしそうな顔で自分を見る。桶の中にすっぽりと入れてやり、水蒸気の手で頭を撫でた。
しかしその手は触れることはなく、緑の髪の毛が湿り気を帯びただけ。
でもくすぐったそうに桶の妖怪は身をよじって笑う。
「たのしかったのになあ……」
「!」
雲山も気分が良かった。久しぶりに子供と遊べたし、何よりも自分を気味悪がったりしないで楽しんでくれるのがうれしかったのだ。
この子供は、何という名前なのだろう。
「おじちゃんは、なんていうようかい?」
「……!」
しゃべれない。だけどこの子供の名前を知りたい。そして自分も……
「わたしは、キスメ」
キスメ、というのか。覚えておこう。またいつかこの妖怪とどこかで会えるかもしれないから。
聖がもしも目覚めたら、お寺に招いて遊んであげてもいい。ヤマメという子供とも。そう思った。
「おじちゃんは?」
「……」
雲山は何も言わず、ただ上を見上げた。もう行かなくては、の合図。
キスメという少女はそれがわかったらしく。そのまま桶を浮かせて、橋守の方へ飛び込んで行った。
驚く橋守。金髪の橋守は怪我をしているキスメを心配そうに抱きしめて雲山には気が付いていない。
その隙に雲山は地上を目指した。キスメに手を振りながら。
キスメも、橋守の服の隙間からこっそりと手を振っていた。
「どうしたの?」と橋守が尋ねる。なんでもない、とキスメは橋守に向って甘えていた。
そうか。この子にもちゃんと見てくれる妖怪がいるのか。雲山は安堵して地上を目指す。
「くものおじちゃん、ばいばい!」
地底の風に乗って聞こえる幼子の叫び声。
「……蜘蛛?ヤマメ以外に蜘蛛がいるの?」
いぶかしがる橋守の声も、はっきりと聞こえた。
聖は立派な方だった。それは一輪からたくさん聞かされていたから覚えている。
だが一輪も信心深い娘だった。いや、それは人間であったときからそうだっただろう。
そもそもあの娘は妖怪だったのだろうか。何の妖怪かもわからない妖怪。
ただ入道を恐れず、行動することを好んだあの娘。それを人間から恐れられて、ともに白蓮の元に向かった。
『ねえ雲山。あそこには妖怪を恐れない聖がいるのよ。あなたも私もあそこならきっと……』
『あなたの力があればきっと人間とうまくやれると思うの』
一輪は自分を隠れたところにいさせて子供たちの前で手品のように水蒸気や雲を作らせた。
すごいや、もっとやってと里の子供たちは手を叩いて喜んだ。
あくまで自分は大道芸人であると一輪は言っていた。一輪は見た目も普通の人間と大差ないし、尼の格好を好んだ。
自分から言わなければ、妖怪であることはわからないはずだった。
しかし一輪は自分が妖怪であることを人間たちの前で明かし、封印されることを選んだ。
己の大事な人を追いやった人間どもとは一緒にいる気もないと。
雲山はそれに従った。この娘は、自分の娘同様だ。ならば自分も―
ずっと飛んでいくとふと視界が明るくなる。
「……!」
感じる、懐かしいあの風を。何もなかったあのころと同じ風。
あの船を探さなくては。懐かしい仲間のいるあの船を。
一輪の気配を探す。あの娘は自分と近い存在。
船はどこだ。どこにあるんだと。
きょろきょろとあたりを見回して探す。
「雲山、やっとみつけた!どこにいたのよ」
「……!」
そうやってあっちこっちを飛んでいると、ふと背後から声をかけられた。振り向くと一輪が法衣を靡かせながら飛んでいる。
雲山は急いで一輪のもとへ飛んでいく。
「……え?子供と遊んでた?地底で?」
「……」
「こんなときに……まあいいわ、これから姐さんを復活させに行くから一緒に偵察よ!」
一輪は尼僧の衣をぎゅっと強く結んで風で飛ばないようにした。
久しぶりの空、雲、地上。自分たちを縛るものは何もないから。
「……」
雲山は拳を掲げて返事をする。
幻想郷に、雲がなびく。
終わり
一体どうしたらいいものか。
意味のわからないことが起きて、地底から出られるかと思った矢先見知らぬ妖怪に出会ってしまった。
長い眠りについていたためか体が鈍っていた。
地上に出る寸前に気体である自分は変な方向に流されていってしまい、いつもは一緒にいるあの少女ともはぐれてしまった。
早く合流しなくては。自分一人ではうまく立ち回ることもできない。言葉も通じないし。
「……」
どうしたものか、と雲山は唸った。唸るとぶしゅうと雲が立ち込めて、真っ暗闇にもうもうと白いものが浮かぶ。
そうすると自分の目の前の妖怪はびくりと体を震わせて逃げようとする。
言葉は発することはないがきっと怯えているのだろう。ふるふると体が震えているのに従って二つに結んだ緑の髪が揺れている。
おびえる必要はない。自分はお前を攻撃する存在ではないと雲山は言いたかったが、言葉を発することができないためどう伝えたらいいのだろうと唸った。
唸った瞬間、またぶしゅうと水蒸気がたくさん発生した。
「ひぃっ!」
「!」
桶の中に入った妖怪はそれが自分を攻撃するものだと思い一目散に逃げ出そうとする。
雲山はそれを制止しようとした。ここで大声を出されたら違う妖怪に見つかってしまうかもしれない。自分の奇妙な姿を見られたら絶対に捕まる。
そうなったら一輪たちの所に行くことができない。せっかく深い眠りが覚めて地上に行けるのに自分だけいなくなってどうする。
それに自分がいなければ一輪は力が発揮できない。
「……!」
雲山はどうにか自分が危険ではない妖怪だとアピールするためにその桶の妖怪を追いかけた。
しかしそれは逆効果で、涙目になった桶の妖怪はさらに走り出そうとする。刹那、慌てていたのか道端の石ころに桶をぶつけてしまい、がたんと桶が倒れる。
石が思ったよりも大きく、勢いよく走ったものを急に止めたので反動は大きいのだ。
「あっ……」
桶から飛び出してしまう小さな子供の妖怪。勢いよく体を地面に打ち付けて、べちんと音がした。
からんからんと桶が転がり地底に木霊する。すぐに立ち上がれない桶の妖怪。
その間に雲山はその妖怪の傍に飛んで行った。
「うう……」
よろよろと体を持ち上げる子供の妖怪。あちこちに擦り傷ができていて、膝小僧からは血が出ている。
おでこや肘も赤くなっていて、はやく手当てをしてあげないと可哀そうだった。桶の妖怪は泥や砂がついた手でごしごしと涙をぬぐい、桶のある方角を見つめていた。
「おけ……いたいよう……うぇ……」
「……」
雲山は自分のせいでこの子供を怪我させてしまったことがわかり、どうにかしたいと思った。
しかし入道である自分は触れることができない。一輪の力があってこそ自分は相手に打撃を与えたり、弾幕を張ったりできるのである。
体を大きくすることはできるが今この能力があったとしても何にもならない。
「ひくっ……ヤマメぇ……」
桶の妖怪は血が流れる膝を見ながら涙声で誰かのことを呼ぶ。
ヤマメとは誰のことだろう。この妖怪の友達だろうか。自分がその妖怪を呼んでくればどうにかなるだろうか。
しかし呼んだ瞬間つかまったりしたらどうしようか。それに自分はヤマメという妖怪を知らない。
どうしたものかと桶の妖怪を見つめていると、傷をさすりながら桶の妖怪が雲山を見つめ返した。
「……おじちゃん、わるいひとじゃないの?」
「……?」
倒れても攻撃してこない自分を怖いものだと認識するのをやめてくれたのだろうか。
不思議そうに自分を見つめている。出会ったことのない妖怪の種類なのだろう。子供特有の好奇心が自分をそう見させるのだろうか。
これはいい方向に話が進んでいるぞと思った雲山は頷く代わりにぶしゅ、と水蒸気を出した。
合意のつもりだった。しかしまた驚かせてしまったようで、「ひっ」と桶の妖怪は後ずさりをしてしまう。
墓穴を掘ったと思った。だが、このまま攻撃をしなければ誤解は解けるかもしれない。
子供は苦手だが、どうにかしてやろうと思った。うまくいけばこの子供の手当てもできるし自分も一輪と合流できる。
「どうしてここにいるの?」
「……!……!」
「まいごなの?」
「……!」
そう、その通りなのだ。迷子なのだ。
言葉のできない雲山は身振り手振りで自分は地上に行きたいと示した。体の形を変えて上を指差し、地上へ地上へ、とぐいぐいその手を突き上げて行った。
頼むから一輪のもとへ。一刻も早く。ムラサや星たちもいるはずだ。
雲山は必死だった。必死に天井に向かって指差し、どんどん体を膨らませていった。
「おじちゃん……おもしろい」
「……!?」
しかし自分の身振り手振りはどうも違う方向に解釈されてしまったようで、桶の妖怪は傷の痛みも忘れて自分のことを見ていた。まるで、珍しい動物を見るような感じで。
「おじちゃんは、からだがおっきくなったりちいさくなったりなるの?もっとみせて!」
きゃっきゃっと笑いながら桶の妖怪は雲山に言う。
どうやらこの子は自分のことを楽しませるために雲山がやったと思い込んでいるようだった。
「……」
落胆したが、他の妖怪たちにばれるよりかはましだ。雲山はこの子供を楽しませることを優先に自分の能力を使うことにした。
昔あの聖が健在だったときを思い出しながら。
「……!」
自分の体に力を込める。風船のように膨らませて、太い腕を作る。そして水蒸気の温度を急激に下げて一気に固体にする。
そしてその腕で桶の妖怪を手のひらに乗せて、高い高いをするように持ち上げた。
「わぁ」
水蒸気は液体にも固体にもなる。固体は氷、つまり触れられるものだ。
空を飛べる妖怪なのだろうが、こうやって誰かにやってもらうのはまた別格なのだろう。
お次は手を沢山生やしてみたり、目を光らせてみたり。拳で地面を殴ってみたり。
そのたびに桶の妖怪は手を叩いて喜んだ。おじちゃん、すごいすごいと。
雲山はそう言われるたびに心の奥底でどこかがじんじんと痛んだ。
「おじちゃん?」
はっと我に帰る。自分が高い高いをしたまま止まってしまったので不思議に思ったのだろう。
「……どうしたの?」
「……」
ぶんぶんと首を振る。首があるかはわからないが。
今自分のことを警戒していた桶の妖怪は、とびっきりの笑顔を自分に見せてくれる。
だったら心行くまで遊んでやろう。そう、あの頃みたいに。
日が暮れるまで遊んで、楽しく笑っていた頃みたいに。
気がつけばずいぶん長い間遊んであげた気がする。そろそろ行かないと本当に一輪と会えなくなる。
遊んでいるうちに、この地底から出る方法が桶の妖怪から聞き出せた。
橋守がいる縦穴をぐんぐん上に向かっていけば地上に出られると。
橋はこの近くにあるし、自分が橋守を引きつけておくからその間に行ってくれと桶の子供は言った。
遊んでくれたお礼だと。
「おじちゃん、ちじょうにいっちゃうの?」
「……」
「もうこっちにこないの?」
さみしそうな顔で自分を見る。桶の中にすっぽりと入れてやり、水蒸気の手で頭を撫でた。
しかしその手は触れることはなく、緑の髪の毛が湿り気を帯びただけ。
でもくすぐったそうに桶の妖怪は身をよじって笑う。
「たのしかったのになあ……」
「!」
雲山も気分が良かった。久しぶりに子供と遊べたし、何よりも自分を気味悪がったりしないで楽しんでくれるのがうれしかったのだ。
この子供は、何という名前なのだろう。
「おじちゃんは、なんていうようかい?」
「……!」
しゃべれない。だけどこの子供の名前を知りたい。そして自分も……
「わたしは、キスメ」
キスメ、というのか。覚えておこう。またいつかこの妖怪とどこかで会えるかもしれないから。
聖がもしも目覚めたら、お寺に招いて遊んであげてもいい。ヤマメという子供とも。そう思った。
「おじちゃんは?」
「……」
雲山は何も言わず、ただ上を見上げた。もう行かなくては、の合図。
キスメという少女はそれがわかったらしく。そのまま桶を浮かせて、橋守の方へ飛び込んで行った。
驚く橋守。金髪の橋守は怪我をしているキスメを心配そうに抱きしめて雲山には気が付いていない。
その隙に雲山は地上を目指した。キスメに手を振りながら。
キスメも、橋守の服の隙間からこっそりと手を振っていた。
「どうしたの?」と橋守が尋ねる。なんでもない、とキスメは橋守に向って甘えていた。
そうか。この子にもちゃんと見てくれる妖怪がいるのか。雲山は安堵して地上を目指す。
「くものおじちゃん、ばいばい!」
地底の風に乗って聞こえる幼子の叫び声。
「……蜘蛛?ヤマメ以外に蜘蛛がいるの?」
いぶかしがる橋守の声も、はっきりと聞こえた。
聖は立派な方だった。それは一輪からたくさん聞かされていたから覚えている。
だが一輪も信心深い娘だった。いや、それは人間であったときからそうだっただろう。
そもそもあの娘は妖怪だったのだろうか。何の妖怪かもわからない妖怪。
ただ入道を恐れず、行動することを好んだあの娘。それを人間から恐れられて、ともに白蓮の元に向かった。
『ねえ雲山。あそこには妖怪を恐れない聖がいるのよ。あなたも私もあそこならきっと……』
『あなたの力があればきっと人間とうまくやれると思うの』
一輪は自分を隠れたところにいさせて子供たちの前で手品のように水蒸気や雲を作らせた。
すごいや、もっとやってと里の子供たちは手を叩いて喜んだ。
あくまで自分は大道芸人であると一輪は言っていた。一輪は見た目も普通の人間と大差ないし、尼の格好を好んだ。
自分から言わなければ、妖怪であることはわからないはずだった。
しかし一輪は自分が妖怪であることを人間たちの前で明かし、封印されることを選んだ。
己の大事な人を追いやった人間どもとは一緒にいる気もないと。
雲山はそれに従った。この娘は、自分の娘同様だ。ならば自分も―
ずっと飛んでいくとふと視界が明るくなる。
「……!」
感じる、懐かしいあの風を。何もなかったあのころと同じ風。
あの船を探さなくては。懐かしい仲間のいるあの船を。
一輪の気配を探す。あの娘は自分と近い存在。
船はどこだ。どこにあるんだと。
きょろきょろとあたりを見回して探す。
「雲山、やっとみつけた!どこにいたのよ」
「……!」
そうやってあっちこっちを飛んでいると、ふと背後から声をかけられた。振り向くと一輪が法衣を靡かせながら飛んでいる。
雲山は急いで一輪のもとへ飛んでいく。
「……え?子供と遊んでた?地底で?」
「……」
「こんなときに……まあいいわ、これから姐さんを復活させに行くから一緒に偵察よ!」
一輪は尼僧の衣をぎゅっと強く結んで風で飛ばないようにした。
久しぶりの空、雲、地上。自分たちを縛るものは何もないから。
「……」
雲山は拳を掲げて返事をする。
幻想郷に、雲がなびく。
終わり
良いお話をありがとう。
あなた様の書く話は大好きです。
ほのぼのいいお話でした。和みました。
キスメ可愛いし雲山いい人だし、パルスィもよかったです
ラストも静かに爽快な感じで素敵です