「魔理沙」
「霊夢」
魔理沙は泣いていた。
どこを見ているのか判らない。でも、隣にいる私の方は見ずに、真正面を見て、寂しそうに泣いていた。
いつだって決まって泣く。何度も何度も。よく飽きないものだと思う。そろそろ慣れても良いでしょうに。
「さ、里に行きましょうよ。いつまでもしょげていたって、暗くなるだけ損だわ」
背中を丸めて屈み込んでいた幼子のような魔理沙を見下ろしながら、少しでも優しく声を掛ける。
正直、こんなに魔理沙の弱さばっかり見ていると、どうしても優しくするのも飽きてくる。
だからといって冷たく当たる気もしないものだから、自然と声は半端な温度で口から漏れる。
か弱い少女な部分があるのは知っていた。だけど、ここまで腐るとは思ってなかった。
いや、ほどほどには強いのよね。しっかりしてる。普段はちゃんと笑顔も見せるし、人の死を理由に何かを止めたりしない。でも、なんでだろうね。引きずってる。
「あんたが泣いて、喜ぶわけでもないでしょうに」
とか言ったところで、泣き止むほど単純でもない。厄介なものだと思う。
でもやっぱり、魔理沙が墓前で人の死を嘆く光景など、見たくなかったな。
「そろそろ行こう。ここにいても、滅入るだけでしょ」
魔理沙は反応しない。
どうしたものか。ひっぱたくわけにもいかないし。
だからって、ここで腐らせておくのも私が嫌だ。
「ほら、里にでも行きましょう。気も紛れるでしょう」
人混み。
この泣き虫も、あそこに放り込まれれば無理に笑う。そういう奴。周りの人の心配を極度に嫌う、不器用な奴。
でも、その不器用さが今は役に立つ。
「はは、こんなんじゃ笑われちまうよな……」
そう言うと、ゆっくり魔理沙は立ち上がった。
よし。毎年命日になる度に泣くけど、今日は去年より短い。声を上げて泣くこともなかった。このままいけば、泣かなくなる日も遠くはないのではないだろうか。
そしていつか、死んだ相手のことを忘れてしまう日も、きっと訪れてくれる。私は、ただそれを望んでいた。
「また来るぜ。いつまでだって忘れないから。また、すぐに来るから」
ずきりと、古い傷が腐ったみたいに胸が痛んだ。
「……馬鹿」
掛けられる言葉が、それ以外に浮かばない。
私は酷いことを望んでいるのかもしれない。でも、魔理沙は私の望みに反している。
もう何年泣いた。もう何年寂しい思いをした。もう充分じゃない。もう忘れていいでしょ。もうあなたの横に、死んだ人間が立つことなんてない。憶えていても何にもなりはしないじゃない。
「……今日は里に行こう。買い忘れてたもんがあったんだ」
照れ隠しなのか、帽子を目深に被ってニッと笑う。
だけど、無理しているのか、涙が少し溢れた様で、ぐしぐしと袖で目元を擦った。
馬鹿。弱った時はちゃんと頼りなさいよ。あんたの周りには、あんたの努力も、あんたの気持ちも、ちゃんと判ってる奴がいるじゃない。弱音をちゃんと吐きなさいよ。そうじゃなきゃ、助けたくても、助けられないじゃない。
溜め息が止まらない。
罵りたくてたまらない。
でも、それをすると後悔ばかりが溜まるから、やってしまいたくない。
私も、難儀なものだわ。
と、魔理沙は箒に腰を乗せ、そうかと思うとそのままふわりと浮き上がり、さっさと里の方へと向かって飛び出した。慌てて私も空へ上がり、青空に浮いた物悲しい黒い背中を追う。
空から見る幻想郷は穏やかだった。
山には緑が満ち、見れば神社に向かう人の影が一つ。何を祈るのか、また何を願うのか、あるいは異変でも起きたのか。
ふと視線を動かせば、その背を追う妖怪の陰。食いはしないだろう。いたずらでもして脅かすのだろうか。
その周囲には、妖怪同士の弾幕ごっこ。未熟者同士の戦いみたいで、弾は見当違いな方向へ飛び、それに道行く妖精を掠める。
世の中は何も変わらない。ここで一人の魔女がどれだけ沈んでいても、それが異変になることはないし、何かの異変が解決することもない。
だから、泣かないでほしい。
死を悲しむのは魔理沙に限ったことでもないのだけど、特に魔理沙が泣くから、一番こいつを泣き止ませたくなる。
「魔理沙。忘れなよ。忘れていいのよ。忘れたって、誰もあんたを怒らないし、誰もあんたのことを嘲ったりしない。悪いことじゃないわ」
だけど、魔理沙は答えない。無理に笑おうとして、時折崩れて、また立て直す。
飛びながらごしごしと、何度も顔を擦っていた。
「里が見えてきたわよ……あんたのこと知ってる奴はみんな、目が赤い理由は知ってるわよ。それでもまだ、あんたは隠そうとするのね」
無理する魔理沙が憎らしくて、笑おうとする魔理沙が微笑ましくて、私の顔は唇の端を震えながら釣り上げることくらいしかできないでいた。
「へへへ。笑わないとな……」
「そうよ。それじゃないと魔理沙じゃないわ。人前で泣けない弱虫魔理沙」
半分貶しながら半分褒める。素直に褒める気はないし、素直に褒めるべきとも思えない。
人里は思いの外賑やかだった。
空から見れば、やかましい祭りじみた盛り上がり。
なんか今日はあったかしら。
鼻に届く酢に味噌の匂いに。漬け物とかそういうのを売る声が止まらない。煎餅の香りが心地好い。
匂いに釣られて店の方角を見れば、買う気はなさそうな女性が、売り子に捕まって苦笑いを浮かべている。人混みの中を子が駆けていく。それを迷惑そうに避けながら、荷物を運ぶ大人も走る。所々で肩が触れ、たまに生まれる喧嘩の物音。それを無視して歓談する主婦の声。ずっと向こうまでちらちら見える人の頭は、もはや何をしているのかさえ判らず揺れている。
少し目をそらせば、河原で遊ぶ子供たち。その横で酒を飲んで酔っぱらったのが真っ昼間だというのに横になって高いびき。駆ける人、散歩する人、歌う人、人の群。
みんながみんな、自分勝手に動いている。私も、魔理沙も、もっと遠くから見れば、きっとあれと何も変わらない。
魔理沙が泣いても、あそこの子供が一人泣いても、みんなはきっと普段通りに動いていく。
泣いても笑っても怒っても、きっとみんなが普段通りに生きていく。だったら、いつまでもうじうじ泣くのは馬鹿らしい。少なくとも、私は御免だ。
「笑ってなさいよ。その方が、見てて安心するわ」
しばらくの間、魔理沙は空で笑顔を作っていた。まだ表情が安定しないようで、地上に降りられないでいる。
それを真横でジッと見る。努力を知られるのを嫌うので、こういう弱い部分をむき出しにされると、ふと微笑みが浮かんでしまう。撫でてやりたいとか、抱きしめてやりたいとか、叶わないことを願ってしまう。
「よし、笑えた。これで大丈夫さ。どうだっ!」
「いいんじゃない?」
相変わらずの笑みが安定すると、よりいっそう強く笑い、魔理沙はゆっくりと里へ降りていく。
買い忘れていた物は茶葉だというので、私も通い慣れた茶屋へと向かう。あそこのお茶は私も好き。
私たちが常連となっている茶屋の店主は、私や魔理沙と面識があるし、それなりには話しもしていたので付き合いもある。だから、今日魔理沙が泣いたことも、その理由も知っていた。
「いらっしゃい」
「いつもの茶葉を買いにきたぜ」
飽きもせず同じ茶葉。そろそろ他の物も試せよ、と思う。その茶葉が気に入って勧めた私が言うのもなんだけどさ。
「毎度。他に何かあるかい」
「いや、今日はそれだけでいい」
茶葉を受け取ると、魔理沙は代金を払って満足そうにはにかむ。
「ありがとな。またくるぜ」
それだけを言うと、魔理沙はさっさと背を向けた。
「さようなら」
ついでに私も挨拶をする。何も買ってないけど。
すると店主は、人の好い、皺の深い笑顔を浮かべながら手を振って見送ってくれた。なんだか随分老けたと思う。
いつの間にか時間は過ぎていくのだと、なんだか物悲しく思った。
茶葉を買うと、本当にそれだけの用事だったみたいで、魔理沙は里を離れた。
私はどうしようかと思ったけれど、魔理沙が気になるので後を追うことにした。
魔理沙は、できる限り知り合いと会わないコースを選んで飛んでいく。判りやすい。
笑顔を浮かべているのに、いつ崩れるか、自分にも判っていないのでしょうね。
どこに行くのかと思えば、魔理沙は適当に飛んでいるらしく、飛んでいく方向が先ほどからくらくらと揺れている。紅魔館が見えたかと思えば方向を変え、妖怪の山を登り頂上の神社に行くのかと思えば通り過ぎ、また戻って私の神社へ行くのかと思うと急に曲がって逸れていく。
自分の神社に戻ってのんびりしようかという思いも湧いてきたけど、なんだか今の魔理沙を放っておくのも気が引けて、何もできないとは知りながら後を付いて飛んでいった。
それから魔理沙は、長い時間飛び続けた。
また里の上空に戻ったかと思えば、しばらくその上空に停空して、何もしないまま飛んでいく。正午から夕刻まで、少しの休憩もせずに。
さすがに長時間飛び続けていたので、私にもようやく、魔理沙がふらふらと飛んでいる意味が掴めた。
「そろそろ帰ろうかな」
「そうしなさい。いい加減疲れたでしょう」
言うが早いか、今度はしっかりと家に箒の先端を定め、まっすぐに飛んでいった。そしてそのまま、結局誰とも会うことなく家に着いた。すると、魔理沙は素早く家に駆け込んで鍵を掛け、そこでようやくホッと一息吐いて、早速買ったばかりの茶葉でお茶を淹れ始めた。
コーヒーの方が好きなくせに、わざわざ茶器を出して茶を淹れる。
それを飲んでも、落ち込むだけのくせに。
「……馬鹿なんだから」
魔理沙が茶を淹れている間、私は勝手に椅子に腰を下ろし、行儀悪く頬杖を突く格好でぼけっとしていた。
やがて、魔理沙は湯呑みを手に持って現れ、私の隣にある椅子に腰を下ろす。
お茶を啜る。静かに。熱いのを我慢して一気に。
それから湯呑みを置いて、天井を見上げながら笑った。
「へへ。なぁ、霊夢。なんか、今日はお前と一日デートしてた気がするぜ」
「湿っぽい上に楽しみのないデートだこと」
呆れながら、ふぅと溜め息を吐き出す。
それで、そっと横を見た。
魔理沙は今にも泣いてしまいそうな、薄ら氷の様な笑顔を浮かべている。目の奥に、笑みがない。
見るに耐えなかった。
「馬鹿……」
他にも言葉はあったのに、どうしてもそれが口からでてしまった。
もう終わる。別れの時になる。
私の体が、私にしか見えない私の体が、空の薄い雲ほどに霞んでいく。
タイムアップ。
「お前の命日になるとさ、どうしてもこの茶が飲みたくなるんだ。お前、いつも淹れてくれたもんな。迷惑そうな顔してさ」
頬の引き攣る、悲壮な声。
「でも、お前が淹れてくれたのと味が違うんだよな……なんでだろうな」
あははと、魔理沙は笑っていた。
そんな魔理沙に、私は声を掛ける。届かないと知りながら。
「ねぇ、魔理沙。いい加減忘れてしまいなさい。もう霊夢はいないのよ。この世界には」
残ってるのは私だけ。博麗霊夢だったものの残骸。残留思念の私だけ。
本物の博麗霊夢だった魂は、もう既に輪廻の門をくぐり新しい生を受けた。多分、咲夜や早苗たちもそうだろう。
だからもう、博麗霊夢はいないのよ。
「いない人のことなんて、もう」
「……楽しかった。あぁ、そうさ。すっごく楽しかったんだ。つらいからって忘れるのは惜しいくらい、それが私には勿体な過ぎて、くそ、なんでみんな、早すぎるんだよ……」
そう言うと、魔理沙の笑顔がひび割れ、その細かなひびから血が吹き出す様に、透き通った涙が溢れだした。
「あっと言う間だったな……もう、みんな、いなくなっちまったんだよな」
悲しげに俯いて、静かに、孤独に泣く。
泣き叫べる幼さを、魔理沙はずっと昔に失っていた。人間の友が、誰一人いなくなった頃に。
「もうどこにもお前等はいない。白玉楼にさえ……だからさ、私は忘れちゃいけないと思うんだ……どうなんだろう。でも、みんな忘れたら、霊夢や咲夜は、嘘になっちゃうんじゃないかなって、怖いんだ」
手が、足が、震えていた。
「魔理沙」
「なぁ、霊夢。咲夜。みんな。私はさ、お前等がいなきゃ駄目だったんだ。だけどさ、頑張ったんだぜ。見ろよ、今だって涙は流れてるけど、笑ってるんだぜ。すげぇ頑張ってるだろ」
両目から涙をこぼしながら、魔理沙はニッと歯を見せて笑った。
私のいない方向だったので、とことこと回り込んで真正面からじっと見る。
馬鹿みたいに、清々しい笑顔だった。
「無理して」
それを見て、思わず私の顔が歪む。
そんな魔理沙の笑顔が、不意に割れそうになる。
でも、それを堪える為に、魔理沙は無理矢理声を出して笑った。
痛々しい、でも魔理沙らしい、誰にも見えない努力。
死んで初めて見える様になった、秘密主義者の努力。
「あはは……馬ぁ鹿。じゃあいつまでも泣いてろ」
いつまでも、きっと変わらない。ずっと憶えている気なのだろう。私たちのことを。
だったら、いつか私たちのことを思い出して、それでも涙がこぼれなくなるまで、ずっと泣き続けなさい。
私はもう、魔理沙を慰める手も、声も持ってない。
見てるのだってつらいんだ、馬鹿。
怒鳴りつけたい気分のはずなのに、何故か頬の裏側がむずむずして、思わず笑ってしまった。
なんでだろう。おかしいことなんて何もないのに。
あぁ、そうか。もしかして、安心したのかも知らない。
「まったく、世話が焼けるんだから」
笑いが止まらない。
どくん。
胸が高鳴る。途端に、意識が白み始めるのが判った。
あぁ、そう。ロスタイムも終わる時間みたいね。さすがに、そんなに長い時間現世に留まることはできないか。
またいつかふと思い出した様に目覚めて、幻想郷を見ることはあるのだろうか。それとも、これっきり私は終わるのだろうか。
ゾッとしない。
でもま、それはそれで仕方のないことかな。
どうせできることなんて、馬鹿を見て泣くことくらいだしね。
あぁあ。涙止まらないじゃない、馬鹿。
「またね、魔理沙」
空元気で笑おうとする魔理沙を見て、なんだか満足したし、惜しくはない。
魔理沙なら、きっとうまく生きていけるでしょう。
目を閉じる様に、私は、往生際の悪い博麗霊夢の燃えカスは、そっと熱を失っていった。
まんまと作者の思い通りにはめられた!
ゴリアテに凄く期待w
素敵なお話有難うございました
遅くてもゆっくりじっくりと待ちます
ともあれいい作品でした
鍵を掛けるところで確信したところで思い至ったのが氏のう~だ~る~でした。
この作品を読めて本当に良かったです。
まぁ百点つけるんですけどねっ
なるほど納得の展開でした。いいお話をありがとう。
いい話でした