とくとくとく――。
星熊勇儀は杯に酒を満たした。
今夜の相棒は越乃寒梅。言わずと知れた名酒である。
勇儀は杯を唇に近づける。
「……おっと」
勇儀は何かを思い出したのか、杯を置いた。
「いけないいけない。つまみを忘れていた」
そう言うと、勇儀は台所へ向かっていった。
台所へとやってきた勇儀は、人差し指をあごに当て、むう、と悩んでいた。
「何もないねえ」
つまみがない。これは由々しき事態である。
勇儀は、別につまみなどなくとも酒は飲める。しかし、じっくりと時間をかけて酒を飲みたいとなれば話は別だ。
今夜はゆっくりと飲みたい。今夜は、秋を感じさせるこの風に吹かれながら、ちびちびと酒を飲みながら、夏に別れを告げたいのだ。
「んー……」
出来上がっているものや、乾物はなくても、日々生活していくだけの食料はある。これで何か作れないということもない。
ふむ……。
「しょうがない。何か作るか!」
少し面倒だが、秋の夜長を有意義に過ごすためだ。やってやろうじゃないかい。
そう思い、勇儀は、ぱしっ、と手のひらと拳を合わせ、気合を入れた。衝撃波で家が揺れたのは言うまでもない。
「とは言え……」
勇儀は、備えの食料を見渡し、溜め息を吐いた。
「大したものはないねえ」
あるのは、キャベツ、豆腐、椎茸、長ネギ、宴会で残った叉焼、あとは……調味料くらいか。
まあ、なんとかなるだろう。
「さて、始めるとしますか」
まず、鍋に水と醤油を入れ、火にかける。待っている間に、椎茸の石突きを鋏で切り取っておこう。
ぎゅむっ、ぎゅむっ、ぎゅむっ――。
鋏越しに感じる椎茸の独特の弾力が楽しい。
鍋が温まったところで、砂糖を入れ、溶かし、椎茸も入れる。みりんも入れた方がまろやかになるかね?
さて、椎茸を煮込んでいる間にキャベツでもう一品作ってしまうか。
フライパンに胡麻油を敷き、キャベツを丁度いい大きさにざくざくと切る。四分の一玉分程切って、フライパンに入れる。少し水分が出て、フライパンが振りやすくなったところで、塩、味の素、鷹の爪を入れる。
ザッ、ザッ、ザッ――。
調味料が行き届いたくらいで火を止める。キャベツなんて生でも食えるんだよ。
出来た料理を皿に移す。
適当に作ってみたけど、名前がないと寂しいよねえ。うーん……よし、キャベツのピリ辛ゴマ炒めだ!
おっと、いけないいけない。もうちょっとで椎茸ができるから、今の内に他のを片付けないと。
長ネギを中指程の長さに切り揃え、中央を縦に切り、開いて千切りにしていく。くそう、なんかぬるっとしたとこは切りづらいんだよ……。
余った叉焼も、白髪ネギと上手く絡むように、同じような細さに切る。切り終えたら、二つを混ぜて、醤油、ラー油、豆板醤、煎り胡麻を入れて、ぱちぱちと音が鳴るまで熱した油をかける。じゅわっという音と共に、焦げた醤油とネギのいい匂いが立ち昇ってくる。ああ、腹減った……。よし、これを豆腐に乗せて――、中華風冷奴の完成だ!
さぁて最後は椎茸ちゃんだ。
酒を入れ、塩、胡椒で味を整える。えらい手抜きだけど、まあいいだろう。えーと、椎茸の醤油煮込みが出来た!
「ふいー」
作った料理を並べてみる。うんうん、なかなかいい感じのつまみができたじゃないか。
さあ、酒を飲もう。
「――と」
そうだ。そういえば古明地のさとり嬢がデザートを作ってくれたんだっけ。あれも一緒に食べよう。
酒飲みが甘いものを食えない? そんなん誰が決めた。真の酒飲みは美味いものでならなんでも酒が飲めるんだよ。
そうだ。どうせなら縁側で飲もう。
勇儀はそう思い、料理と酒を縁側へ運んでいった。
縁側へ腰掛ける。うむ、やはり独り酒はここでだな。
「さて。じゃあ、いただきます」
勇儀はまず、キャベツに手をつけた。箸で掴めるだけ掴む。鬼は何をするにも豪快なのだ。
口に入れた瞬間に胡麻油の風味が鼻から突き抜けて、あとからじわっと塩の味が広がる。旨味成分との割り合いもばっちりだ。……いや、ちょっとしょっぱかったかな。まあいい、気分気分。
しゃきしゃきとしたキャベツの歯ごたえを楽しんでいると、キャベツの甘みと、鷹の爪の辛みが塩の味に追いついてきて、絶妙な融合をしてみせた。
「うん、美味い」
酒を飲む。
濃い目の味付けだったが、越乃寒梅のぴりっとした、口の中を洗い流してくれるような口当たりを考えると、割と合っていたのかもしれない。
次に、冷奴に箸を伸ばす。
ぷるんとした豆腐の上に、具をたっぷりと乗せて口に運ぶ。豆腐は口の中ですぐに崩れた。じゅくじゅくと、ネギと叉焼を噛み締める。噛み締める。噛み締める…………。
「――ッ!?」
勇儀の額に玉のような汗が浮き出た。
「か、辛いッ!!」
ラー油と豆板醤を入れすぎた。ぐうう、失敗失敗。ラー油だけでよかったかもしれない。しかし、焦がし醤油の風味は良い。味はいいんだけどね。
「豆腐はまだあるし、豆腐を多めにして食べきろう……」
酒を飲む。
相棒は、火照った口の中をひやりと冷やしてくれた。
椎茸を掴み、口に持っていく。途中、ぽたりと汁が垂れてしまった。
「あっちゃー。……体操服着といてよかった」
特に気にせず、椎茸を口に放り込む。
――瞬間、耳の付け根らへんに強烈な感覚が襲ってきた。
「しょっっっぱぁい!」
いかん。これはしょっぱすぎる。醤油を入れすぎたか、煮込みすぎたか。
――だめだ。これはとてもじゃないけどこのままじゃ食えん。今度ご飯と一緒に食べよう。
慌てて酒を飲む。
清涼感のある味わいが心を落ち着かせてくれる。
「ふう……」
流れる風が、スカートをひらひらと揺らす。風に乗って、遠くから宴会の喧騒が聞こえてくる。
地底の奴らは年がら年中お祭り騒ぎだ。
「全く、たまには静かに飲むってことができないのかねえ」
勇儀は苦笑混じりに呟いた。
――尤も、明日からはまた、自分もあそこに混じっているのだろうけれど。
「そうだ、デザート」
さとり嬢がせっかく作ってくれたのだ。美味しい内に食べないと失礼ってもんだよね。
ピンク色のキレイな小粒がシロップに漬かっている。なんだろう、サクランボかね。
ひょいっ、と指で摘み、口に放り込む。
「ん~、あまぁい」
口に入れた瞬間、シロップの甘みがじわりと口いっぱいに広がる。出来合いのシロップじゃないね。蜂蜜と、レモンと……よくわかんないや。とにかく美味い。歯を突きたてたら、ぷちゅっ、と勢いよく中から汁が飛び出してきた。サクランボじゃなかったのかい? むぐむぐと注意深く、味、歯ごたえを確かめていると、若干の酸味があることに気づいた。加えて、小さな種がいくつもある。これは……。
「トマトかぁ~」
なるほど、器用なことをするもんだ。これなら、甘いものが好きな人も十分満足させられるし、苦手な人でも食べられそうだ。
恐らく、さとり嬢は私のことを気遣ってくれたんだね。
「うん。美味い美味い」
ひょいひょいと口の中に放り込む。止まらないんだってこれ。
食べては、飲む。食べては、飲む。
相棒は甘くなった口を瞬時に洗い流してくれて、次に口に含む時には変わらない味わいを与えてくれる。
酒と甘味ってのも合うもんだねえ。……いや、知ってたけどね?
星熊勇儀は酒を飲む。料理を食べる。風を感じる。
そうしていく内に、随分と時間が経っていた。
喧騒はまだ聞こえる。
別に、寂しくはないさ。今日は独りで飲むと自分で決めたんだからね。
そう、心の中で思ったのは、強がりだったのかもしれない。そうではないのかもしれない。しかし、いずれにせよ、鬼だってお祭り騒ぎが大好きだということは間違いなかった。
――カサ。
足音が聞こえた。
勇儀は足音の方に向かって言う。
「誰か、いるのかい? ここには独りで飲んでるつまらない鬼しかいないよ」
相手も、別に隠れていたわけではないらしく、そのままの足取りで向かって来て、言った。
「だから来たのよ。大勢で飲むのは、私の趣味じゃないわ」
「おや、こいつは珍しい。お前さんの方から来てくれるなんて」
柱の影からやってきた人物は、波がかった金色の髪をさらりと揺らし、気だるそうな緑の瞳で勇儀を見やる。ぴこっと尖った耳が愛らしい。
水橋パルスィは、別に、と呟き、勇儀の隣に腰掛けた。
「疲れちゃったから。あいつら元気ありすぎんのよ。妬ましい」
「はは、確かに」
勇儀は、今もまだ続いているであろう遠くの宴会を想像し、苦笑混じりに頷いた。
「それと……」
「ん?」
「あんたが寂しがってるんじゃないかと思って、ね」
「――――」
い、いや。そんなことは……。そこまで言って、思い直した。
「……あるかもねえ」
「あら、余裕ね。妬ましいわ」
「鬼は嘘吐かないからね。でも、なんでそう思ったんだい?」
「だって、いつもはあんたが一番騒いでるもの」
「そうだったかね」
「そうよ」
「そうか」
「うん」
風が、流れる。
「飲むかい?」
「いただくわ」
パルスィは、杯を受け取り、くーっ、と中の酒を飲み干した。
「――ふう。いいお酒ね」
「だろう? とっておきさ」
「それ、あんたが作ったの? 食べていい?」
「あ、あー。あー……」
「何よ?」
「豆腐と椎茸は止めておいた方がいいかも。ちょっと、失敗しちゃって……。キャベツとトマトはいけるから食べなよ」
「へー。これ、トマトなんだ? でも、いいの? あんたの食べるものが無くなっちゃうけど」
「ああ、いいんだ」
勇儀は、パルスィに向かって、屈託のない笑顔で言った。
「何せ、最高のつまみがやってきてくれたからね」
「……甘」
「ああ、古明地のさとり嬢が作ってくれたんだ。いけるだろう?」
「そっちじゃないわよ。ばか」
「ほえ?」
「なんでもない」
秋の夜長の、小さな小さな宴会は、冷たくなってきた風に吹かれながら、心に暖かいものを残していった。
それは、勇儀の心にか、パルスィの心にか、はたまた――
了
勇儀の料理が生活観溢れていて共感してしまった
腹減った>でも手の込んだものは作りたくない
っていう時の気分が滲み出ているようなレシピだ…w
酒に甘味は合わないかと思ったんだがそうでもないのかな? 機会があったら試してみよう。
ごちそうさまです
姐さんの部屋は男の一人暮らしの様な感じに思えるwww
勇儀さん料理得意なのか!と思ったけどそんなことなかったぜ!
単純に砂糖かけるだけでもイケるんですよね~♪
お酒飲めないからよく分からないんですけどねw
しいたけは酒を垂らして網焼きに
仕上げの醤油をかけ過ぎると泣ける
今まで塩かけたりしかしてなかったから、ちょっとびっくりした
トマト苦手だけど試してみよう
姉さんLove
星熊勇儀(28歳男性 サラリーマン)
なんというか、こんな感じでも違和感ないですよね、この人。この鬼。
そんな勇儀姉さんが大好きです。
>カギさん
僕が甘いものでもいけるってだけだから、あまり当てにしない方が吉、かもしれません。
>20
散らかっているわけでもないけど、きちんと整理整頓されているわけでもなく……小ざっぱりとしたイメージがあります。なんというか、自然体?
>21
最近では越乃寒梅も随分と安くなっています。お近くの酒屋でどうぞ。
>22
そんなことないぜ! 最初はきちんと作らせようと思ってたんですけどねー。
こっちの方が勇儀っぽいかな? と思いまして。
>24
パウダーシュガーかけて食べるとほんとにスイーツ。
作中のは、プチトマトをさっと湯通しして、皮を剥いてあるという設定です。
>26
お酒は酔いつぶれない程度に。そんなイメージが伝わったのであれば、幸いです。
>30
大江山醤油嵐ー!的な失敗料理。
だって漢だもの。
>35
トマトのシロップ漬け、とかで検索するとそれっぽいのがいくつか出てくるので、それっぽくそれしたらいいと思います。おいしいですよ。
>36
ありがとうございます。
登場予定のなかったパルスィに感謝。
プロットなんてものは、余り役に立ちませんね。とか言ったら色んな人に怒られそう。ごめんなさい。
勇儀姐さん可愛いww
パル勇もいいもんですねぇ
パルスィは京都人だから、懐石料理なんか作らせたらいいかも?
懐石料理、勉強しなきゃ……。
>42
誰がなんと言おうと、あれは体操服なんです。
人とは違った組み合わせの作品を作っていきたいなーと思っています。
勇儀さんの料理風景がなんとなく浮かんできました。
トマトがとても美味しそう。
私がトマト好きなので、どうしてもちょくちょく使ってしまいますw
勇儀っぽい料理で、読んでるだけで食べたく… やはり遠慮させてくださいw