◇
ずっと、手を繋いでいて。
◇
それは冬のことだった。
僕はいつも通り、ストーブに火を灯し、
ゆっくりとカウンターで本を読んでいた。
聞こえるのは、乾いた紙のこすれる音と、
ストーブの火の音だけだ。
気がつけば陽はすでに落ちている。
家の外がどうなっているか、僕にはもう見えない。
「ねぇ」
突然、ノックの音が聞こえた。
「こんな時分にいかがなされました」
僕はそう答える。
扉の向こうの主は誰かも知らないが、
こんな時間だ、お引取り願うとしよう。
「ちょっとした用事があるの」
「では、明日またお越しください」
「今じゃないと、駄目」
僕はため息を吐く。
そうとも、ここはこんな輩しか居ない。
なら、もはや言葉は無駄だろう。
「じゃあ、勝手に入ってくれ」
カラン、というベルの音は乾いている。
ドアが開いた瞬間、おそろしいほどの寒気が部屋に入ってきた。
「ありがとう」
そう言って笑った少女に、僕は見覚えがない。
「名前は?」
「フランドール」
「そうかい、次からはもっと早く来てくれると助かるよ」
「それは努力するよ」
「それで、用事というのは?」
僕は早々に話を切り上げるつもりだった。
さすがに、こんな時間にまで商売をする気はない。
僕にとっても自由な時間は大切なのだ。
「あのね」
フランドールの口が三日月型に裂ける。
眼球は赤く染まり、浮きだった血管が見えた。
「私と――死なない?」
◇
「――何を」
「だから、一緒に死なないかなって」
「それだけなら帰ってもらえるかい?」
僕はもう一度、盛大にため息を吐いて、本を開いた。
なんてことはない、ただの冷やかしという奴だろう。
なら、こちらとしても礼儀を見せる必要はない。
「私は本気だよ?」
「僕にそんな気はないんでね」
「ふふ、怖いの?」
「――何がだい?」
「死ぬ事」
死ぬこと。
死ぬ事が怖くない生き物がいるのだろうか。
たとえ、どれほどの徳を積んでも、死ねばただの骸だ。
そうなることを揚々と受け入れることは不可能だろう。
「それは怖いよ」
だから、僕はその通りフランドールに伝える。
彼女は相変わらず、三日月のような口で哂っていた。
「怖がりなのね」
「そうかも知れない」
「私なら、そんなこと何てないよ?」
フランドールは、その手にペーパーナイフを取る。
僕が机の上に出していた代物だ。
それを僕につきたてるつもりだろうか。
そうすれば――銀色は赤く赤く染まり、真っ暗になるんだろう。
僕は一度唾を飲み込むと、出口を目で見る。
間違いなく、今は逃げるときだ。
「ふふ」
「――何が楽しいんだい?」
「死ねること?」
「このままじゃ、死ぬのは僕だけだろう?」
「何を言ってるの?」
ふふ、ふふ、と三日月から歪な声が漏れる。
僕の中耳を走り回るその音は、とても不快だった。
「ねぇ」
「――なんだい」
「生命って生きているだけで価値があると思う?」
僕はじりじり、と足を扉の方へ向かわせる。
もちろん、視線は歪な三日月から離さずに。
「さあ、僕には分からないな」
「おかしいじゃない、生きているだけで価値があるなんて」
――。
「生きているだけで価値があるなら、誰も苦しまないよね?
何かをするから、価値は生まれるんでしょ?
『あの人は偉業を成した』って賞賛されないで、価値なんてあると思う?」
「そう、でも、何かが出来るなら良いよね。
でも、『すること』さえ奪われたらどうしよう?
ふふ、価値はないよ。生きてるだけで価値なんて」
彼女は歪な羽根をふわふわと揺らす。
真っ赤に染まった眼で、僕を見て。
「ねぇ、何で生きてるだけが価値があるって言うんだと思う?」
「――さてね」
急げ。
「その人がさぁ、言われたかったんじゃないの?
『あなたはとても価値があるわ』なんて!
ふふふ、哀れじゃない?」
ドアの前まで、あと少しだ。
「それでね、もういいや、って思ったの。
だから、一緒に死のう?」
その言葉を機に、僕はドアノブに手をかけた。
これがもう限界だ。早く外に逃げなければ。
だが、ドアノブが滑ってうまく掴めない。
ぬるぬる、と僕の指を抜けて、真っ赤に染まっていく。
あぁ、それもそうだろう。
僕の右手には、綺麗なペーパーナイフが突き立てられていたのだから。
「――っ!」
僕は思わず、ドアノブから手を離す。
真っ赤に染まったペーパーナイフは、甲を貫通していた。
「どうしたの?痛い?」
ふふ、と笑う声がまた、響き渡る。
真っ赤な眼さえも、歪んだ三日月のようだ。
僕はそれを見て、もう一度ドアに向かう。
早く、出ないと。
「どこへ行くの?」
僕がドアに手をかけようとすると、
彼女がその前に立ちふさがる。
「お兄さん、次はお兄さんの順番だよ?」
「何を言ってるんだ――」
「私がお兄さんを刺したでしょう?
だから、次はお兄さんが刺す番じゃないの?」
ふふふ。
「そんなことに、付き合ってられない!」
僕は彼女を押しのけて走った。
その身体はあっけなく、倒れる。
それは、まるで虚像のような身体だった。
◇
外は一面、雪で覆われている。
第一に、アレから身を隠さなければならないだろう。
僕は風穴の開いた右手に手拭を巻いて止血をする。
傷は痛みを広げていたが、それだけだ。
――早く手当てをしなければよくないな。
いくら僕が病気に強いといっても、
罹らないわけではない。
衛生的によくもないペーパーナイフでの傷だ。
後に膿むことは避けられないだろう。
ふふふ。
ふふふ。
ふふふ。
だが、そうだ。
この状態だと、満足な手当ても望めない。
アレは僕をずっと探しているのだから。
――ならば、抜け出す手段を考えるんだ。
しかし、彼女は『狂い』なのだろうか。
脈絡のない言葉と、あの笑い声。
普通に考えると、彼女は『狂って』いる。
だが、なぜ殺すことだけじゃなく、自らの死をも望むのだ。
――だが、待て。
自傷とは、生きるための手段だと本に書いてあった。
リストカットと呼ばれる自傷行為は、命を絶つためではない。
痛みを感じて、または、血液を見ることで、
自らの『生』を実感するためだという。
ならば。
彼女は死を望んでいるのだろうか。
第一、わざわざ僕の手を刺した意味が分からない。
本当なら、僕はもう死んでいてもおかしくないのだ。
それを、あえて自分に刃を向けさせるようにするとは。
――本質は目では見えない。
彼女は僕を殺そうとはしていないのか?
そして、自らの死を望んではいない?
つまりは?
「見ぃつけた」
眼前には歪な三日月。
僕は真っ赤に染まったペーパーナイフを握り、
雪原を踏みしめていた。
◇
「一つだけ、質問して良いかい?」
「ふふ、良いよ?」
「僕の元に来たのは、偶然だね?」
「うん、そうだよ」
僕は頭の中で組み立てた仮定を証明していく。
「そうか、なら、君の望みどおり、君にこれを突き刺してやろう」
そう言って僕は真っ赤なナイフを見せる。
彼女は少しだけ口元を動かしたが、あまり動じない。
「最初に言っておくが、とても痛いよ」
「いいよ、そんなこと、分かってるから」
彼女はそういって、笑った。
僕はゆっくりと雪を踏みしめる。
その音が酷く耳障りだが、これで終わりだ。
「じゃあ、失礼する」
僕はそう言って、彼女の左手を手に取る。
そして――ためらいもなくナイフを突き立てた。
――。
小さな悲鳴と、赤い水溜り。
雪のくぼみには彼女の血が溜まっている。
「――痛いかい?」
「とても、痛い」
「そうか、なら、これでもうこの遊びは終わりにしよう」
僕はそう言って、ペーパーナイフをしまった。
そして、彼女の手の傷も止血する。
「――なんで?私が怖くないの?」
「怖かったよ。最初はね」
彼女は小さい手を僕に預けながら言う。
「でも、君は寂しかったんだろう?」
無言。
「だから、一緒の人を探したんだ。
寂しくて、寂しくて、誰かに居てほしかったんだ」
もう、あの笑い声は聞こえない。
「だが、僕は残念ながら聖人じゃない。
何かをされても、全てを許すことなんて出来ないよ。
だから、君に仕返しをした」
「――そうだね」
「つまりは、それで終わったんだ。
僕は君を許すことも出来る」
本当のところを言えば、もうこれで僕は抜け出せるだろう。
彼女のことが分かった時点で、僕は抜け出せていたのだ。
だが、これは既に乗りかかった船だった。
それこそ、僕は聖人ではない。死人のものを奪うこともある。
閻魔からすれば、地獄へ落とす対象にもなりうるだろう。
それでも。
子供が泣いたままで見過ごすことが出来るほど、
僕は『強く』はなかったのだ。
「――許してくれるの?」
「さてね、君が何かを買ってくれるなら考えておこう」
「でも、お金なんかないよ?」
「そんなので店に訪れるなんて良い度胸だね。
まぁ、いいよ、今日はツケにしておくから、
まずは傷の手当てをしよう。さぁ、手を出して」
彼女はおずおずと手を出す。
まったくもって、謎とはこんなものだ。
暴いてしまえばなんて事はない。
残るのは少しだけの、悲しさだ。
「じゃあ、店に向かうよ」
僕は彼女の左手を、右手で優しく握る。
痛みが走るのは仕方ないだろう。
「これ――同じ、だね」
「うん?」
「この、傷」
「そうだね」
「暖かい」
彼女はそう言って僕の傷を指でなぞる。
満月のように笑う彼女の手を、
もう一度、僕はゆっくりと握った。
「あぁ、そうだ」
「――なに?」
「君は存在する事で価値がある、なんて嘘だと言ったね」
「――うん」
「僕もそう思うよ。だけどね、僕の道具たちも同じさ。
価値なんて別になくても構わないんだ。
ただ、在れば面白い。それでも別に良いんじゃないか」
僕らは雪原を歩いていく。
赤々と白を染め上げて、
ぬらぬらとした手で、互いを繋ぎとめながら。
「ねぇ」
「なんだい」
「もう少し、こうしてていい?」
「いいよ。ナイフより、君の手の方が、優しい」
ずっと、手を繋いでいて。
◇
それは冬のことだった。
僕はいつも通り、ストーブに火を灯し、
ゆっくりとカウンターで本を読んでいた。
聞こえるのは、乾いた紙のこすれる音と、
ストーブの火の音だけだ。
気がつけば陽はすでに落ちている。
家の外がどうなっているか、僕にはもう見えない。
「ねぇ」
突然、ノックの音が聞こえた。
「こんな時分にいかがなされました」
僕はそう答える。
扉の向こうの主は誰かも知らないが、
こんな時間だ、お引取り願うとしよう。
「ちょっとした用事があるの」
「では、明日またお越しください」
「今じゃないと、駄目」
僕はため息を吐く。
そうとも、ここはこんな輩しか居ない。
なら、もはや言葉は無駄だろう。
「じゃあ、勝手に入ってくれ」
カラン、というベルの音は乾いている。
ドアが開いた瞬間、おそろしいほどの寒気が部屋に入ってきた。
「ありがとう」
そう言って笑った少女に、僕は見覚えがない。
「名前は?」
「フランドール」
「そうかい、次からはもっと早く来てくれると助かるよ」
「それは努力するよ」
「それで、用事というのは?」
僕は早々に話を切り上げるつもりだった。
さすがに、こんな時間にまで商売をする気はない。
僕にとっても自由な時間は大切なのだ。
「あのね」
フランドールの口が三日月型に裂ける。
眼球は赤く染まり、浮きだった血管が見えた。
「私と――死なない?」
◇
「――何を」
「だから、一緒に死なないかなって」
「それだけなら帰ってもらえるかい?」
僕はもう一度、盛大にため息を吐いて、本を開いた。
なんてことはない、ただの冷やかしという奴だろう。
なら、こちらとしても礼儀を見せる必要はない。
「私は本気だよ?」
「僕にそんな気はないんでね」
「ふふ、怖いの?」
「――何がだい?」
「死ぬ事」
死ぬこと。
死ぬ事が怖くない生き物がいるのだろうか。
たとえ、どれほどの徳を積んでも、死ねばただの骸だ。
そうなることを揚々と受け入れることは不可能だろう。
「それは怖いよ」
だから、僕はその通りフランドールに伝える。
彼女は相変わらず、三日月のような口で哂っていた。
「怖がりなのね」
「そうかも知れない」
「私なら、そんなこと何てないよ?」
フランドールは、その手にペーパーナイフを取る。
僕が机の上に出していた代物だ。
それを僕につきたてるつもりだろうか。
そうすれば――銀色は赤く赤く染まり、真っ暗になるんだろう。
僕は一度唾を飲み込むと、出口を目で見る。
間違いなく、今は逃げるときだ。
「ふふ」
「――何が楽しいんだい?」
「死ねること?」
「このままじゃ、死ぬのは僕だけだろう?」
「何を言ってるの?」
ふふ、ふふ、と三日月から歪な声が漏れる。
僕の中耳を走り回るその音は、とても不快だった。
「ねぇ」
「――なんだい」
「生命って生きているだけで価値があると思う?」
僕はじりじり、と足を扉の方へ向かわせる。
もちろん、視線は歪な三日月から離さずに。
「さあ、僕には分からないな」
「おかしいじゃない、生きているだけで価値があるなんて」
――。
「生きているだけで価値があるなら、誰も苦しまないよね?
何かをするから、価値は生まれるんでしょ?
『あの人は偉業を成した』って賞賛されないで、価値なんてあると思う?」
「そう、でも、何かが出来るなら良いよね。
でも、『すること』さえ奪われたらどうしよう?
ふふ、価値はないよ。生きてるだけで価値なんて」
彼女は歪な羽根をふわふわと揺らす。
真っ赤に染まった眼で、僕を見て。
「ねぇ、何で生きてるだけが価値があるって言うんだと思う?」
「――さてね」
急げ。
「その人がさぁ、言われたかったんじゃないの?
『あなたはとても価値があるわ』なんて!
ふふふ、哀れじゃない?」
ドアの前まで、あと少しだ。
「それでね、もういいや、って思ったの。
だから、一緒に死のう?」
その言葉を機に、僕はドアノブに手をかけた。
これがもう限界だ。早く外に逃げなければ。
だが、ドアノブが滑ってうまく掴めない。
ぬるぬる、と僕の指を抜けて、真っ赤に染まっていく。
あぁ、それもそうだろう。
僕の右手には、綺麗なペーパーナイフが突き立てられていたのだから。
「――っ!」
僕は思わず、ドアノブから手を離す。
真っ赤に染まったペーパーナイフは、甲を貫通していた。
「どうしたの?痛い?」
ふふ、と笑う声がまた、響き渡る。
真っ赤な眼さえも、歪んだ三日月のようだ。
僕はそれを見て、もう一度ドアに向かう。
早く、出ないと。
「どこへ行くの?」
僕がドアに手をかけようとすると、
彼女がその前に立ちふさがる。
「お兄さん、次はお兄さんの順番だよ?」
「何を言ってるんだ――」
「私がお兄さんを刺したでしょう?
だから、次はお兄さんが刺す番じゃないの?」
ふふふ。
「そんなことに、付き合ってられない!」
僕は彼女を押しのけて走った。
その身体はあっけなく、倒れる。
それは、まるで虚像のような身体だった。
◇
外は一面、雪で覆われている。
第一に、アレから身を隠さなければならないだろう。
僕は風穴の開いた右手に手拭を巻いて止血をする。
傷は痛みを広げていたが、それだけだ。
――早く手当てをしなければよくないな。
いくら僕が病気に強いといっても、
罹らないわけではない。
衛生的によくもないペーパーナイフでの傷だ。
後に膿むことは避けられないだろう。
ふふふ。
ふふふ。
ふふふ。
だが、そうだ。
この状態だと、満足な手当ても望めない。
アレは僕をずっと探しているのだから。
――ならば、抜け出す手段を考えるんだ。
しかし、彼女は『狂い』なのだろうか。
脈絡のない言葉と、あの笑い声。
普通に考えると、彼女は『狂って』いる。
だが、なぜ殺すことだけじゃなく、自らの死をも望むのだ。
――だが、待て。
自傷とは、生きるための手段だと本に書いてあった。
リストカットと呼ばれる自傷行為は、命を絶つためではない。
痛みを感じて、または、血液を見ることで、
自らの『生』を実感するためだという。
ならば。
彼女は死を望んでいるのだろうか。
第一、わざわざ僕の手を刺した意味が分からない。
本当なら、僕はもう死んでいてもおかしくないのだ。
それを、あえて自分に刃を向けさせるようにするとは。
――本質は目では見えない。
彼女は僕を殺そうとはしていないのか?
そして、自らの死を望んではいない?
つまりは?
「見ぃつけた」
眼前には歪な三日月。
僕は真っ赤に染まったペーパーナイフを握り、
雪原を踏みしめていた。
◇
「一つだけ、質問して良いかい?」
「ふふ、良いよ?」
「僕の元に来たのは、偶然だね?」
「うん、そうだよ」
僕は頭の中で組み立てた仮定を証明していく。
「そうか、なら、君の望みどおり、君にこれを突き刺してやろう」
そう言って僕は真っ赤なナイフを見せる。
彼女は少しだけ口元を動かしたが、あまり動じない。
「最初に言っておくが、とても痛いよ」
「いいよ、そんなこと、分かってるから」
彼女はそういって、笑った。
僕はゆっくりと雪を踏みしめる。
その音が酷く耳障りだが、これで終わりだ。
「じゃあ、失礼する」
僕はそう言って、彼女の左手を手に取る。
そして――ためらいもなくナイフを突き立てた。
――。
小さな悲鳴と、赤い水溜り。
雪のくぼみには彼女の血が溜まっている。
「――痛いかい?」
「とても、痛い」
「そうか、なら、これでもうこの遊びは終わりにしよう」
僕はそう言って、ペーパーナイフをしまった。
そして、彼女の手の傷も止血する。
「――なんで?私が怖くないの?」
「怖かったよ。最初はね」
彼女は小さい手を僕に預けながら言う。
「でも、君は寂しかったんだろう?」
無言。
「だから、一緒の人を探したんだ。
寂しくて、寂しくて、誰かに居てほしかったんだ」
もう、あの笑い声は聞こえない。
「だが、僕は残念ながら聖人じゃない。
何かをされても、全てを許すことなんて出来ないよ。
だから、君に仕返しをした」
「――そうだね」
「つまりは、それで終わったんだ。
僕は君を許すことも出来る」
本当のところを言えば、もうこれで僕は抜け出せるだろう。
彼女のことが分かった時点で、僕は抜け出せていたのだ。
だが、これは既に乗りかかった船だった。
それこそ、僕は聖人ではない。死人のものを奪うこともある。
閻魔からすれば、地獄へ落とす対象にもなりうるだろう。
それでも。
子供が泣いたままで見過ごすことが出来るほど、
僕は『強く』はなかったのだ。
「――許してくれるの?」
「さてね、君が何かを買ってくれるなら考えておこう」
「でも、お金なんかないよ?」
「そんなので店に訪れるなんて良い度胸だね。
まぁ、いいよ、今日はツケにしておくから、
まずは傷の手当てをしよう。さぁ、手を出して」
彼女はおずおずと手を出す。
まったくもって、謎とはこんなものだ。
暴いてしまえばなんて事はない。
残るのは少しだけの、悲しさだ。
「じゃあ、店に向かうよ」
僕は彼女の左手を、右手で優しく握る。
痛みが走るのは仕方ないだろう。
「これ――同じ、だね」
「うん?」
「この、傷」
「そうだね」
「暖かい」
彼女はそう言って僕の傷を指でなぞる。
満月のように笑う彼女の手を、
もう一度、僕はゆっくりと握った。
「あぁ、そうだ」
「――なに?」
「君は存在する事で価値がある、なんて嘘だと言ったね」
「――うん」
「僕もそう思うよ。だけどね、僕の道具たちも同じさ。
価値なんて別になくても構わないんだ。
ただ、在れば面白い。それでも別に良いんじゃないか」
僕らは雪原を歩いていく。
赤々と白を染め上げて、
ぬらぬらとした手で、互いを繋ぎとめながら。
「ねぇ」
「なんだい」
「もう少し、こうしてていい?」
「いいよ。ナイフより、君の手の方が、優しい」
いい作品でした。
人生は基本的に難しいことなんか考えずに楽しめればいいと思います
けど、可愛いのでおk。
ごちそうさまでした
傷のついた霖之助の右手と、同じく血まみれのフランの左手の二つを合わせて「両手」としてるんでしょうか?