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雨が降る。ぱらり、ぱらりと頭上で音がして、私は空から水滴が降ってきている事に気づく。
見上げると、灰色の曇り空。見下ろすと、一人の人間。
きゅるる、とお腹が鳴った。私は酷く空腹だった。
こんな時、私はふと思う事がある。
一体私は、どうするべきなのだろうか、と。
私は捨てられた雨傘だ。誰も私を手にとってくれない。
――けれど、もしかしたら。
今度の人間は、そうではないかも知れない。私を手に取ってくれるかも知れない。
その一方で、驚かすべきだ、と私の妖怪としての本能が告げる。私は妖怪だから、妖怪として生きなければならない。
私には未だにどうすればいいのか分からない。
それは私が捨てられた唐傘故の葛藤だ。私はまだ誰かに使ってもらいたいのだ。けれど私は、恐らく使われる事はなく、ならば人間に擦り寄ると言う行動は、単にお腹を空かせると言う帰結を迎えるのである。
ああ、どうしよう。
分からない。分からない。けれど。
いつしか自然と、私はその人間の前に降り立っていた。
驚かそうにも、どうにもタイミングを外しているし、内心では未だにどうした物か決着がつかないので、私は何処か寂しいような、虚しいような、打ち捨てられた唐傘さながらの心情でおどおどとしている。そんな心情が一般的な喩えになるのかは分からないけれど。
「ね、ね?」
そう人間が声をかけてきた。数えで十に届くか届かないか、その位だろうか、何処か人懐っこい笑みを浮かべながら、その少女は私が持っている傘……つまりは私を指差して、
「貴女、傘の妖怪さん?」
と、私をまるで恐れる様子もなく言った。
「……え?そ、そうだけど」
ドクン、と期待で心臓が鳴った気がした。私に心臓は無いけれど。
「それじゃあ、ね?雨宿り、してもいい?」
「え?え?えええ!?」
どうしよう。どうすれば良いんだろう。分からない。
「う……」
「う?」
「うらめしやー!!」
「?」
しまった!混乱して脅かそうとしてしかも失敗してしまった!と言うかこれじゃあ妖怪の脅かし方じゃなくて動物の威嚇だった!
「や、いや、そうじゃなくて……」
だって私を使ってくれる人間に出会えるなんて。そりゃあ、いつかは、とは夢見ていたけれど、まさかこんな女の子に、ってそう言う事の前に性別は関係ないと言うか、でも年齢が幼すぎるし、って何か我ながら全然繋がりが見えてこないこの頭を取り替えないと……!
「えいっ」
とかそんな感じで混乱していると、少女は私の傍にぴったりと張り付いて、雨宿りを始めた。
「ね、ね?」
「は、はい!?」
声が上ずった。訳が分からない。分からないけれど。
ああ、私は、今ようやく、傘になったのだ。そう実感しようとして、やっぱりまだよく分からないままだった。
「貴女のお名前は?」
「わた、私の、名前ですか!?」
名前。わちき……いや、私は誰だっけ。打ち捨てられた唐傘の、いやいやその汚名は挽回じゃなくて返上しつつあって、ええと……
「たたた、たたた!」
「たたた、たたた……ちゃん?」
違う。なんか近いような気がするけどもう少し発音が起伏に富んでいたような気がする。
「多々良小傘っ」
そうだ、私は多々良小傘だった。人間を驚かして餓えを凌ぐ唐傘のお化け。
「そっか、それじゃあ、小傘ちゃん」
「は、はいっ!」
「……変なの。小傘ちゃんの方がお姉さんなのに、どうしてそんなに緊張してるの?」
だって初めてなんだから仕方ないじゃない。って言おうとして何か言い回しが子供に聞かせちゃいけない気がしたので咄嗟に引っ込めて、
「ええと……どうして、貴女は緊張しないの?私、妖怪なのよ?」
少しは驚いてくれてもいいと思う。特にまだ幼いのだし。
まだ幼いのに……私の初体験が。いやだからその言い方は止めるのよ小傘。
少女は、その問いに、胸を張って、こう答えた。
「私ね、妖怪のお友達がいっぱい、いっぱい居るの!」
「よ、妖怪の……友達?」
「にとりちゃんに、文ちゃんに、椛ちゃん。クロくんに、ムカデくん、メディスンちゃん」
だから、七人もお友達が居るの、と少女は笑った。曇り空を吹き飛ばすような笑顔だった。いや、でも、
「……河童が一人に、天狗が二人、あと三人で……ええと……六人よ?」
六人だった。間違いなく。
少女は笑って、傘から飛び出した。空は……晴れていた。通り雨、だったのだろう。少女の笑みが本当に雲を吹き飛ばしたなんて、そんな事はある訳がないのだし。
えへん、と何処か威厳を出そうとして、少女の容貌からくるギャップに面白さを醸し出しつつ、女の子は、
「だって、小傘ちゃんも友達だもん!だから七人で合ってるの!」
胸を張って、そう言った。
「それじゃあ、私はおうちに帰るね」
またね、と言って、少女は里の方へと駆け出して行った。
「友達……って」
私は人間を脅かさないと生きていけない妖怪なのだ。だから、人間の友達なんて、と私の中の妖怪の部分が言い聞かせようとするけれど、
「……友達、かぁ」
私を必要としてくれる、そんな人間が居る事が、たまらなく嬉しくて仕方が無い。
空へ飛び上がって、里へと駆けてゆく少女の後姿を見送りながら、私はいつしか、雨が降る前までの空腹感が消えている事に気づくのだった。
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