魔法の森の木々にもほのかに赤い物が混じり始め、幻想郷にも秋が訪れる頃。その昼下がり。店内はいつもの様に、もしくは珍しく静寂に包まれ、その中で僕はいつものように本を読んでいた。その表紙には「ニューロコンピュータの未来」と書かれている。
外の世界の魔術書だ。「コンピュータ」と言う名の、外の世界の式神を使役する方法が書かれている。外の世界の魔術書はいつ読んでも驚きを禁じ得ない。外の世界では驚異的なスピードで、より強力な式神を使役する方法が考案されているらしい。
おかげで未だに僕はこの「コンピュータ」と言う名の式神を使えずにいる。だってそうだろう? 古い方法を捨ててでも、より強力な式神を行使したくなるのが人情なのだから。
――そう考えていると、外で妖怪の悲鳴のような鳴き声が聞こえた。もっとも僕には関係の無いことだから、いつものように本を読み続ける。
そうそう、この「ニューロコンピュータ」という物は人間の脳をモデルにした式神らしい。言うまでも無いことだけど、幻想郷の式神は生き物に式を憑依することによって式神となる。外の世界でもそれを真似たのかも知れない。
未だに式神を行使出来ない僕が言えた義理ではないけれど、以前研究していた「ノイマン型」という式神は、幻想郷の式神に比べて力を持っているとは感じられなかった。
だけど、この「ニューロコンピュータ」は、幻想郷の式神に負けない力を持っているのかも知れない。本の後付けを見る限り、以前読んでいた「非ノイマン型計算機の未来」という魔術書が発行された時からさほどの時間は経っていないはずだ。外の世界の進歩にはつくづく驚かされる。
その理由だけど、幻想郷の式神は一人の主人によって式を憑依させられるものなのに対して、本を読むところによると、外の世界では複数の人間で一つの魔法を研究して、一匹の式を憑依させるらしい。おまけに、憑依させた人間以外が主人になれるそうだ。
一方、幻想郷の魔法使い達は外の世界の魔法には興味を持ってくれない。だから僕は一人で研究を続けないといけない。なるほど。これは分の悪い戦いかも知れない。こっちはひとりぼっちだから。だけど僕は半妖。外の世界の人間達とは比べものにならない寿命を持っている。
だからいつものように僕はマイペースで本を読み、知識を深めようとしていた。そんな時のこと。
「霖之助さん?」
と言う声が聞こえた。いくら長寿とはいえ、僕も無限の寿命を持つ訳じゃないから、正直時間は惜しい。だけどお客様は神様だ。居留守を使いたいけど――そういうわけにはいかないし、この声の持ち主相手には無駄だ。
「居るんでしょ?」
とせき立てる様な声が聞こえ、僕はドアを開けようとする。だけど、それよりも早くお客様は店内へと入ってきたようで、居間で読書をしていた僕の後ろには既に赤い服の少女が立っていた。
数少ないこの香霖堂の常連だ。もっとも彼女がお客様かは微妙な所だけど。彼女はいつも払われることの無いツケで買い物をしているから。彼女の巫女服やお祓い棒を始め、彼女の物の大半は払われることの無いツケで、僕の店から手に入れた物だ。
「勝手に居間に入ってくるなといつも言っているだろう?」
と僕は言うけれど、彼女は特に意に介す様子も見せずに居間の奥へと向かう。
「お茶入れるわね、霖之助さん」
と言いながら。とてもお客の行動では無い。いつものことだけれど。勝手に人の家にあがるのが幻想郷の少女の伝統なのだから。
「棚の奥のお茶は入れないでくれよ、赤い缶に入ったお茶は」
僕もこんなことにはとっくに慣れているからそれだけを伝えた。
「わかってるわよ」
「それは特別な日に飲むお茶なんだ」
「何度も言われてるからね。特別な日じゃない日なんてあるの? って思うけど」
なんて言いながら、紅白のめでたい服を着た彼女はそう答えた。普通の人には紅白は特別な時に見る色だろうけど、僕たちにはいつもの色だ。
今日みたいないつもの日が特別か否かはさておいても、多分言い換えた方が伝わった気がする。「特別な日」では無くて、「特別な人」と。それか「特別な人が来店した特別な日」でも良かったのかも知れない。それを彼女に話すのは気恥ずかしいから話さないが。
彼女は棚から赤くないお茶の缶を取ると、お茶を入れ始めた。人の店に来てまず行うことがお茶を入れる人間は客ではないだろう。確かに。
「霖之助さん、お茶が入ったわよ」
お茶を入れ終えた彼女はそう言いながら、僕の隣へと座った。彼女はいつもの湯飲みを使っていた。いつのまにか彼女専用になってしまった湯飲みを。
「ありがとう」
と僕は返す。もっともこの葉は僕の物なのだけれど。急須も湯飲みも当然僕の物だ。そんな時、彼女の荷物から一冊の本が顔を出していることに気づいた。お世辞にも読書家ではない彼女がどうして本を持参しているんだろう? それを不思議に思ったので
「どうしたんだい? 珍しく本なんて持って?」
と僕は質問してみる。すると彼女は本を取り出しながら話し始めた。
「この本のこと? ああ、さっき道端で妖怪が本を読んでたのよ。だからね、退治しようと思って」
道端で本を読んでたくらいで退治することはないだろう? と思ったけれど、妖怪退治を生業とするのが博麗の巫女だし、それ以前にそんなことを彼女に言っても無意味なことはわかっていたから口には出さなかった。
「へえ」
とだけ相づちを打っておく。率直に言って妖怪退治よりも遙かにその本に興味があったからだ。その本は外の世界の魔術書によくある体裁をしていた。
「それで不意打ちをして退治してきたんだけど。その妖怪がね、落としていったのよ」
彼女はそう続けていたが、正直内容は全く頭に入っていなかった。先ほどからその本の書名を確認したかったのだけど、彼女の手で隠されていたおかげでどうしてもタイトルがわからず気になっていたからだ。
「それで、どんな名前の本なんだい?」
その書名が気になって、僕は、いかにも興味なさそうに、あくまで話を合わせるだけの様な振る舞いで問いかけた。
「ええと、『量子コンピュータの全て』と書いてあるわね」
彼女はそう答えた。予想通りだ、外の世界の魔術書らしい。「量子コンピュータ」という物は本で名前だけは聞いたことがある。僕が読んだ本によると、外の世界でもまだ理論だけが考えられている段階で、実用化には至っていないと聞いたけれど……いずれにしても恐ろしいほどの性能のコンピュータらしい。それに関する本が目の前にあるなんて。
この本をどうにかして手に入れなければ、と思いつつ、彼女にそれを知られたら足下を見られるという事は重々承知していたから
「ふうん」
とだけ短く、あたかも興味が無さそうな素振りを続ける。
「あら? 霖之助さんはこんな本が好きなんだと思ったけど、これって外の世界の魔術書じゃないの?」
「そうだね、でもその本にはあまり興味ないよ、『量子コンピュータ』ってのはとても性能が悪い式神なんだ、僕はもっと高度な物を知っているからね」
「ふうん、要は『量子コンピュータ』って橙で、霖之助さんが知っている物は藍みたいなものかしら」
「人の悪口を言うのは趣味じゃないからコメントは差し控えるよ」
そういって話を打ち切る。実際趣味ではないけれど、それ以上に下手に話すとボロが出ることが怖かった。今まで見た魔術書の中でもこれ以上に興味を持った物は無いかもしれない。それだけにこの本に出会った興奮を隠すのは中々難しいことだったから。
「それで、君は何の用でここに来たんだい?」
一旦話を切って、話題を転換することにした。いくら普段客らしいことはしていないとはいえ、家に来る用事は基本的に一つしか無い。
「そうそう、捜し物が有ったのよ」
案の定だった。一応家も店だから、基本的にその用件でくるはずだ。もっとも、用がない人間の来客が家には多すぎるのも事実だけれど。
「何を探しているんだい?」
こうなると、落とし所を捜す争いになるだろう。下手に本を譲ってくれ、などと言うと、今までのツケ全部と交換ね、なんて言われかねない。商品の一つと交換するのが落とし所だろうか? あたかも恩を売るような形にならばベストだろう。
「ええとね、プレゼントを捜してるの」
彼女に対する戦略を練っていると、意外な言葉が返ってきた。こう言うのは悪いかもしれないけれど、彼女が人にプレゼントをするなんて話は初めてだったし、本当に予想外だった。
「プレゼント? 誰にだい?」
戦略を練るのも忘れ、思わず彼女に問いかける。
「もう! 霖之助さん。乙女の秘密よ、そういうのは」
彼女は少し恥ずかしそうに話していた。誰に対しても勝ち気な彼女がプレゼントを贈る相手、そして人に送るのを恥ずかしがる相手とは誰なのだろう? とはいえ無理に詮索しても仕方がない。
「じゃあどんな物を探しているんだい?」
とだけ聞いてみる。少し考え込む様子を見せたあと彼女は答えた。
「そうね……湯飲みなんかいいかしら……花瓶なんかもいいかもね……」
随分渋いプレゼントらしい。ただ、古道具屋には相応しい物だろう。家にもいくつかその類の商品は置いてある。
「それならあの辺りにあるよ」
僕は店内の一角を指さした。一応、陶器類がまとめてある棚だ。昔はいくつかのお気に入りもあったけれど――そんなのに限って割られてしまうことに気づいたから――それなりの品だけが置いてある。
「相変わらず散らかってるわねえ」
と言いながらも彼女は棚を物色していた。彼女が僕から目を離したので、好機と思い彼女に問いかけてみる。
「この本だけど、暇つぶしがてらに読んでいいかい?」
「ええ、どうぞ、霖之助さん」
そして僕は「量子コンピュータの未来」と題された本を読み始めた。
「ううん……」
思わず感嘆の声をあげてしまった。彼女が気づいていないか慌てて確かめてみる。特に僕を意に介する様子も無く、紅白の影が静かに商品を物色していた。
一安心したところで本の世界へと戻る。正直内容は非常に高度で、今の僕には一割も理解できなかったけど、それでも思わず興奮せざるを得ない内容だった。
興奮を隠しながら読むのは難しい作業だったけれど、あくまで暇つぶしに興味のない本を読んでるような態度を取りつつ、その上で一字一句を噛みしめるように読む事に成功していた。
「霖之助さん」
「…」
「霖之助さん!」
「……」
「霖之助さんってば!
「………」
しかし革新的な内容だ。これは本格的に研究する価値はあるだろう。
「霖之助さん!!!」
彼女が呼びかけていた。しっかりと気づいて、繰り返される前に反応する。僕も彼女への対応に慣れたものだ。
「ああ、どうしたんだい?」
「随分とその本に夢中だったわね、何度も呼びかけてるのに気づいてくれないで」
僕は一回で気づいたはずだけど? カマをかけてるつもりだろうか。相手も食えないな。
「いや、得るものも少ない、退屈な本だったよ」
しっかりとその点を理解させないと。
「まあ、それはいいんだけど、これはいくらなの?」
彼女は黒い湯飲みと、赤い絵の書かれた花瓶を持ちながらそう問いかけてきた。
ええと、湯飲みが「天目茶碗」か、品はいい物のはずだけど、僕には少し地味な感じがして好みではない。花瓶は「万歴赤絵」のものか、白作りの花瓶に赤い花が書かれている。ああ、よく考えればこれは少し気に入っていたのかもしれない。花瓶は西洋風が好きだけど、この配色は好みだ。とはいえ紅白の服を着た彼女には相応しいか。
どちらも用途は見たまま、手に入れた時はおおまかな売値は考えていたはずだけど……もう忘れてしまった。
「そうだなあ……今いくらくらい持っているんだい?」
だからある程度は言い値でもよかったけれど、彼女から帰ってきた金額は正直話それでも話にならないレベルだった。子供のお小遣いとしても少ない。これなら本との交換でも恩を売ることが出来るかもしれない。
「それじゃ流石になあ」
「じゃあツケにしてよ」
「いくら貯まってると思ってるんだい?」
そんないつもの様な問答を繰り返す。
「う~ん」
ここで僕は少し譲歩する体を装うこととした。
「そうだなあ、プレゼントで欲しいんだろう?」
「ええ」
「送り主は喜ぶだろうし、多少はサービスしてもいいよ」
「本当に?」
「ああ」
ここでさも恩を着せるようにするのがコツだ。
「あの本は別に君には必要が無い本だろう?」
「そうね、読んだけど意味がわからなかったし」
「僕も興味は無いけどね。でも、一応買い手がいないわけじゃないんだ、外来人なんかは外の世界の本が好きだしね」
「ふうん」
ここで彼女が少し、してやったり、みたいな笑顔を浮かべたのは僕の気のせいだろうか?
「だから、交換でもいいよ、だけど、湯飲みか、花瓶か、そのどちらかとだね」
はっきり言ってその本のためなら二つどころか、店の陶器類を全て渡しても惜しくは無かったけれど、そうすると今後も足下を見られる。彼女の家、つまり博麗神社は外の世界との境目に位置している。だから外の世界の物が流れ着くことは非常に多い。
それだけに彼女が、僕が喉から手を出してでも欲しくなる物を手に入れる機会はこれまでも、これからも多い。今ツケがこれだけ溜まっているのも、これまで僕が譲歩しすぎたおかげだ。この辺りで反撃してもいいだろう。
「う~ん」
彼女は考え込んでいる様子だったが、いつものようにいける、と踏んだのか、いつものように交渉を始めた、
「ねえ、二つとにしてよ、別にツケを無しにしろとは言わないから」
「駄目だよ、どちらか一つとだ」
「プレゼントなのよ?」
「お金を持ってくればいくらでも売ってあげるよ」
別にお金に執着する性格ではないし、そのおかげで商売人には向いていないと自覚はしている。だけど、これでも慈善事業でやっているわけではないから、僕もこの香霖堂の店主として言うべき所は言わないと。
「わかったわ」
「どちらにするか決めたのかい?」
「いいえ、この本が欲しい人は他にいるんでしょう?」
「え? あ、ああ、そうだね」
「ならその人に直接売ってお金を作るわ」
……これは初めての揺さぶりだ。どうしたものか。
「いや、たいした値段にはならないよ、僕と君との仲だからこそのサービスなんだ」
「ならいいじゃない、二つで。サービスしてよ」
正直迷ってきた、別にこの湯飲みや花瓶が惜しい訳じゃないし、何より、今日は物々交換ながらも、一応商いが成立しようとしているのは確かだ。
それにプレゼントと言うのは、送り手も、受け手も喜ぶもので、それにこの本が手に入れば僕も嬉しい。三方三両得なのも確かだ。
「……プレゼントする日までにお金を作るのは厳しいのかい?」
「そうね」
「わかった」
「いいの? 二つと交換で」
「いや、今日その二つは渡すよ、だけどどちらかはツケだ、それでいいだろう? プレゼントはできるんだから」
そんな交渉をしていると、ドン! ドン! とドアを叩く音が聞こえた。
「本を返しなさい! この赤色! 居るんでしょ! わかってるわよ!」
ドアが壊れてしまいそうだ。紅白の巫女が来ればこんなのは珍しくないけれど。
「あ! さっきの本の持ち主ね、取り返しにきたのかしら?」
端的にいえば彼女がしたことは強盗なのだから、確かに正当な行為だろう、とはいえこの本は是非にでも手に入れたい。
「ああ! わかったよ、本と、湯飲みと花瓶との交換でいい! 大サービスだ!」
まったく! 自分が商売人に向いていないとつくづく実感するよ! それでもこれでこの本は僕の物だ。僕は正当な対価を支払って手に入れたんだからね。もう誰にも渡す必要は無いのさ。
「足りないわね」
「まだ要求するのかい?」
正当な対価を払っているはずなのに、一度弱みを見せたらとことんつけ込んでくる、まったく、巫女に譲歩なんてするもんじゃない。つくづく思うよ。
「ドアの修理代も入れてね!」
そう、気がつけばドアは見事に蹴破られていた。朱鷺色の羽根の妖怪がドアを蹴り壊し、店の入り口に立っていた。
「やっぱり居た! 本を返しなさい!」
朱鷺色の羽根の妖怪は怒りを露わにしていた。
「戦うのなら外で頼むよ、これでも商売をやっているんだから、散らかされちゃたまらないんだ」
「ええ、任せておいて、これ以上散らかりようが無い気がするけどね」
そう言うと彼女は妖怪を強引に外へと連れて行った。
ようやく落ち着いた時間が帰ってくる。湯飲みと花瓶を新聞紙でくるむと、僕は静かに本を読み出した。外では妖怪の悲鳴が聞こえたような気がしたけど、まあ、僕には関係の無いことだ。
それから少しすると彼女が帰ってきた。
「ふう、疲れたわ。でもしっかり妖怪は退治してきたわよ」
「お疲れ様、ああ、商品はそこにあるよ」
「ありがとう。そうそう、湯飲みと花瓶に必要なものってなんだと思う?」
戻ってきた彼女はおかしな質問をしてきた。それは当然お茶と花だろう。
「お茶と花だろう?」
「そうよ、でもね、私は持っていないのよ」
「買えばいいじゃないか」
「だからお金が無いのよ」
「家はお茶屋でも無ければ花屋でもないよ、それにツケは君の得意技だろう?」
「ここ以外じゃちゃんとお金を払ってるわよ」
それを香霖堂でも実行してもらいたいものだ。
「家でもそんなまともなお客になって欲しいね、君の前じゃ商売人になれないよ」
「そうそう、それでね、そういえばもう一つ売る物を持ってきてたの」
そう言うと彼女は一冊のアルバムを取り出した。中にはいくつかの写真が治められている。いずれの写真にも、僕と、僕の古い知り合いが映っていた。
「これは……古道具じゃないだろう?」
「あら? 古い写真じゃない? 貴重な記録品よ」
確かにこれは数十年前の写真ではあるけれど、流石にこんな他人の写真を欲しい人なんて存在しない。被写体である僕も、特に欲しいとも思わない。――焼き増しした物を持っているし。
「でも、この二人って随分仲睦まじいわよね。なんだかただならぬ仲って感じじゃない?」
「まさか!」
彼女はからかうようにそう言った。
確かに、この写真に写る少女を見れば、少なくとも十人中九人は可愛いとはいうだろうけど、別にそんな仲じゃなかったというのに。
「この写真とか霖之助さんの服着てるわよ? 親しいわね~」
「それは別に……服の直しをしている間に着せただけだよ」
僕から見ればなんでもないことだけど、他の人間から見ればそんなおかしな仲に見えるんだろうか? 別に写真に写る少女は嫌いではないし……可愛いとは思うけれど……もっと浅い、いや、浅いわけでもないけれど。
とにかく友達だ。そう、友達、それが一番楽しく彼女とつきあえたし、正直女性より古道具に興味を持ってしまうのが僕の性分だから。
「とにかく、そんな変な仲じゃないよ、そうだな、多分君と似たような仲だ」
「ふうん、でも天狗に話したりしたらどう思うんでしょうね? 天狗ってあることないこと書くのが好きじゃない?」
「そもそもこの写真は天狗が撮ったんだよ? それに天狗の噂も四十八年と言うけど、そんな大昔の話さ」
どうにも必死に喋ってしまった気がする。そんな僕を見て、ますます彼女はからかうような口調となった。
「でも質の悪い天狗もいるからね、そいつらに知られたら――」
「だから何もやましいことはないんだよ!」
と思わず大きな声を出してしまう。こうむきになってしまうのはよくないな。確かに。
「でもねえ、無いことでも勝手に想像されたりするしね」
別に本気で脅してるわけでは無いのはわかってるのに、ついむきになってしまう、ただの遊びなのに……そうだな、こんな遊びができる貴重な友達が写真の少女だったんだ。
そんな会話を続けていると、ボロボロの服をまとった朱鷺色の羽根の妖怪が這うように店内に入り、呪詛の声をあげていた。
「私……の……本……」
「しぶといわね!」
と彼女は言うけれど、流石に少し可哀想に見えた。この本を返す気はないけれど。
「そうだ」
僕の持っている本に、彼女が元々持っていた本が有ったのを思い出した。既に読み終えた本だからもう必要も無い。
「代わりの本をあげるよ」
「本当に!?」
朱鷺色の羽根の妖怪は全身で喜びを表すように喜んだ。よっぽど本が好きなんだろう。ついでに言うと、上手く写真から逃げられたようだ。
「流石に本を奪われたままは可哀想だからね。それと、お茶を出してあげてくれるかい?」
「ええ」
彼女にお茶を出すように頼むと僕は本を探しに倉庫へ向かう。あった。「非ノイマン型計算機の未来」と言う題名の本が、久々に見た。随分と懐かしい。本を担いでみたが、全十五巻なだけにかなりの重さだ。少し辛かったけど、どうにか僕は本を携えて居間へと戻る。
「ああ、有ったよ、よかったらどうぞ」
既に二人はのんびりとお茶を飲んでいる。お茶に注意しながら僕は本を卓の上に置いた。
「ありが――ってこれ私の持ってた本よね? 後半は。そうだ! これも赤いのに奪われてたんだ」
「いいじゃないか、読みかけだったんだろう?」
少なくとも僕は古物商として正当に取引したんだから問題は無い。
「それもそうかしらね、前半はまだ読んでないし」
「そうだったのかい? それでよく理解できたね」
「いや、あんまりわからなかったけど、でも本を読むって行為自体が楽しいからいいのよ」
朱鷺色の羽の妖怪はそう答えた。読んでも理解できない本の何が楽しいのかはわからないけれど――僕も人の事は言えないし、本人が楽しければいいのだろう。
そもそも式神が使いたければ、紫か誰かに教えてもらえばいい。楽ではないけれど、しっかり修行すれば不可能ではないだろう。現物が身の回りにある、確実で確立されたやりかたがあるのだから。
――そんな時、少し遠くから、今度は確実に悲鳴とわかる声が、妖怪の悲鳴が聞こえた。この辺りでは珍しいことじゃない。
そんな事よりも、僕は、それよりもコンピュータと言う外の世界の式神を使ってみたいと思っている。理屈抜きで、幻想郷の魔法よりよほど心を引かれるからだ。だから未だに実現できていないし、それが徒労に終わる可能性があろうとも研究を続けている。他人から見れば、僕も、この妖怪も似たような無駄、そして当人には満足な行為をしているのだろうから。
そう考えつつ、外の世界の魔法に思いを馳せながら、僕と、朱鷺色の羽の妖怪はお茶を飲みつつ、静かに本を読んでいた。
「霖之助さん」
「…」
「霖之助さん!」
「……」
「霖之助さん!!」
「ああ」
目の前では退屈そうな巫女が大声を出している。やれやれ、せっかくの静かな知的興奮の時間が。
「でも、この二人はどんな関係だったの? ゆすりやたかりのネタにしないから教えてよ」
と写真を目の前に突き出しながら問いかけてくる。ゆすりたかりの材料にされなくとも、話すのは気恥ずかしいから矛先を変えてみる。
「もう一方の当事者に聞けばいいじゃないか? 彼女は僕より君の方がよっぽど近い関係なんだから」
「なんかねえ、近い人って恥ずかしいじゃない」
朱鷺色の羽の妖怪は相変わらず静かに本を読んでいる、僕も早く本の世界に帰りたいのだが。
「それより、プレゼントって結局なんだったんだい?」
「だからねえ」
と彼女が答えたくない質問を返しておく。こうすれば静かになることだろう。
「君だって答えたくないことがあるだろう?」
「そりゃあるけどね、ところで霖之助さん、敬老の日って知ってる?」
「いや? なんだいそれは?」
「最近小耳に挟んだんだけどね、外の世界ではお年寄りに贈り物をする日があるらしいの」
「それはいいことじゃないか、僕も随分長生きしてきたからね、是非何か送ってくれよ」
敬老の日。年寄りを労う日。なかなか良い日だ。彼女は大方そのプレゼントを買いに来たのだろう。珍しく殊勝な心がけを見せるとは。成長したのかな。
「霖之助さんは妖怪だから駄目よ、見た目青年じゃない?」
「半分は人間だよ? 年齢も相当なものさ」
「半分は妖怪だから駄目!」
そんな愚にもつかない会話をしていると壊れたドアの先から声が聞こえてきた。
「霖之助さん!」
という声が。とても馴染みの有る声だ、僕にも、彼女にも、多分この朱鷺色の羽の妖怪にも。
そこには赤い服を着た老婦人が立っていた。見た目は僕よりも遙かに年長に見える、もっとも僕から見れば未だに子供のように思えてしまう。僕は彼女より遙かに長く生きているからね。
「やあ、いらっしゃい」
そう気さくに返す。昔と変らずに。彼女が勝手に居間に入ってこないのは昔と違う点だけど。
「お邪魔しますね、霖之助さん」
今の彼女は、ちゃんと挨拶をして入ってくる。
「あ……おばあちゃん……」
それをみた少女が驚いたような顔でそう返した。先ほどの写真で僕の傍らに映っていた存在に、彼女の祖母に。
「あら、あなたも来ていたの?」
「そ、そうね、その、妖怪が逃げ込んだのよ、ここに」
祖母を見て、彼女は少し恥ずかしそうな、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「あ! 私の本を奪った赤い奴!」
と朱鷺色の羽の妖怪が敵意を露わにしていた、彼女が今読んでいる本を奪った妖怪退治の、元? 専門家に。そう、博麗霊夢がそこには立っていた。
妖怪が霊夢に噛みついている間に、少女はこっそりと物影に自分が買った商品を隠した。すると少女は大声をあげる。
「こら! 待ちなさい! そこの妖怪! 外で決着を付けるわよ!」
そう言いながら、先ほどまで一緒にお茶を飲んでいた妖怪を、再び強引に外へと引きずり出した。後には僕と霊夢、後は彼女が忘れていった写真、それと一番大事なはずの商品だけが残された。
「いやいや、あの子も香霖堂によくお邪魔しているそうですが、霖之助さんにご迷惑をかけているんじゃないですか?」
「どうだろうね」
「全く、やんちゃで困りますよ、もう少しおしとやかになって欲しいんですけどね」
君が少女だったころはあんなものじゃなかったよ、と言うべきか迷ったが、口で言うよりもこれを見せた方がわかりやすいと思った。
「覚えてるかい?」
と言いながら僕は一つの写真を手渡した。先ほどの少女が忘れて言った物だ。僕と、僕の服を着た霊夢が映っている。彼女のスカートが妖怪から破られて、僕が直す間に着てたんだっけ。当然料金はツケだったけど。
「ええ、覚えてますよ、先ほどの妖怪から本をいただいた日ですね、もう何十年前になるのかしら?」
「きっと普通の人は奪い取ったって言うんだろうね」
あの時は少女だった霊夢。大人になり――母になり――祖母となっても、やっぱり変ってはいない。僕にはいつの間にか敬語を使うようになっていたけれど、そして、声もすっかり落ち着いて、あるいは枯れていた。でも、やっぱりあの感覚のままだ。だってそうだろう? 妖怪から本を奪い取っておいて、それをいただいたなんていうかい? 普通の人間が。
あの日は――霊夢が服の直しに来て――魔理沙も訪れて、そうそう、この写真には二人しか写っていないけど、本当は魔理沙も居たのさ。別に二人っきりで密会してたわけじゃない。暇つぶしに来た天狗がたまたま僕たち二人を撮っただけの話。
それで――魔理沙が、霊夢の荷物から本を見つけたんだ。さっきあの妖怪に渡した本を。それでさっきの妖怪が本を取り返しに来て。後はいつもどうりのドタバタ。要は今日と殆ど変らない一日。今日僕の側に居たのは霊夢じゃなくて、彼女の孫だったけどね。
「お茶を入れるわね、霖之助さん」
「頼むよ」
と霊夢はお茶を入れに向かう。もう腰は曲がってるし、昔に比べると随分ゆっくりした歩みだ。荒事じゃ僕より未だに強いんだろうけどね。さっきの妖怪の悲鳴も多分霊夢がやったんだろう。
霊夢はさも当然のように赤い缶を手に取る。特別な日に飲むお茶を。
そうだ、これだけは他には無い特別な出来事だったんだ。あの日、霊夢が入れたお茶はよりによって一番貴重なお茶だった。特別な日にしか飲まないお茶。そうは言っても、特別な日なんてそうそう無いから、全く入れることも無く放置してた。それを最初に入れたのがあの日の霊夢。
「一番良い匂いがしたから」
なんて言って。そりゃそうさ、高かったからね。確かに味も良かったよ。入れ方も上手かった。
「特別な日のためのお茶だったのに」
なんて言ったら
「特別じゃない日なんてあるの?」
って返してきた。
それからは何故か霊夢はそのお茶をよく入れるようになった。正確に言えば、霊夢以外がそのお茶を入れることは無かった。貴重なお茶なのに。それだけに自分で入れるのは勇気が必要で、入れることがなかったんだけど。
ただ単に美味しいお茶を飲みたかっただけかもしれないし、自分といる時は特別な時だったのかもしれない。いや、流石にそれはないか。あれはみんなただの日常で、いつもの日。少なくとも当時の僕たちはそう思っていた。
だけど、今考えてみればどれも特別な日だった。振り替えってみればどんな日も特別だ。どれも違った思い出と輝きに彩られている。
「お茶を入れてきましたよ」
霊夢が戻ってくる。いつもの湯飲みを片手に。霊夢が丁寧に入れた。あの時と同じ芳しい匂いがした。
「ありがとう」
と言って僕もお茶を手に取る。味もとても美味しい。霊夢もお茶を手に取った。年期の入ったしわだらけの手で、数十年の年期が入った霊夢専用の湯飲みを手に取った。すっかり落ち着いた、すっかりとお婆さんになった顔で、だけどあの日のように上機嫌でお茶を飲んでいた。
すると、お茶を飲みながら霊夢が物影の物に気づいた。少女が置いていった湯飲みと花瓶だ。
「あら? 包まれてるから売られた物なんでしょうけど、忘れ物でしょうか?」
「ああ、とある人間の女の子が忘れていったんだ」
敬老の日がいつだかは知らないけれど、近いのだろう。さっきの話を聞く限り――多分、祖父と祖母、つまり霊夢とその旦那さんに渡す物なのだろう。なるほど、それは二つ必要だな。
「こんな店でもちゃんとお客さんはいるんですね」
「"こんな"とは酷いじゃないか、君と違ってちゃんとツケで無くても買い物をするお客さんもいるんだよ。これはプレゼントするものらしいけれど、支払いをしっかりしてプレゼントを買うようなお客さんがね。」
そうやって話すと、本当に昔に戻ったような気分になった。
「ああ、すいませんね、でも、どなたに贈る物なんでしょうね?」
「敬老の日って知ってるかい?」
「いいえ」
「外の世界じゃ、お年寄りを労う日があるそうなんだ」
「そうですか、幻想郷にも欲しいものですね」
「その日の事は、僕もこれを買った女の子から聞いたんだ、きっとお祖母さんにプレゼントでもするんじゃないかな」
「それを貰える人は幸せですね、私の孫なんてやんちゃなばかりで」
そう言いながらも霊夢は、しわに包まれた目を細めて、とても幸せそうな表情をしていた。お茶のせいかもしれないけど。でも、悲しむべき事ながら、こんな店に買い物に来る人間の女の子なんてそうそういない。恐らくはそういうことだ。
そうやって少ししんみりとした気分に包まれていたら、店の方から大きな音が聞こえてきた。
「あいたたた……」
二人で居間を出て見に行くと、先ほどの朱鷺色の羽の妖怪がそこには倒れていた。弾幕に吹き飛ばされたようだ。おかげで商品が散乱している。
「決闘は外でやってくれって言ったじゃないか」
「いや、霖之助さん……それにお祖母ちゃん……違うのよ、これはね。不可抗力よ、ドアが壊れてたのが悪いわ」
そう言い訳をする少女を見て、ドアが壊れたのは自分のせいじゃないかと思いつつ、僕は苦笑いを浮かべた。霊夢も、昔を思い出すような表情を浮かべた後に、思わず苦笑いを浮かべた。
やれやれ、香霖堂を開いてから随分と時間が経ったし、昔からの常連もいれば、新しい客もいる。でもここは相変わらずだ。そこにいる人間が変ろうとも、結局はこんな日の連続。いつも通りの日が。
「とりあえず掃除はしっかりしてくれよ、二人とも」
そういいながら僕は少女と妖怪に箒を手渡した。
全く、今日は大変な日だな、と一瞬思ったけれど、考えてみれば霊夢が少女だったころの日々もこんなものだった。魔理沙のように影で壊さない分まだましかもしれない。
こんな日々も特別な日に思えるのだろうか? と思いながら僕は散らかった床を眺めていた。もっとも、そんなことを慌てて考える必要は無いか。まずは冷めてしまったお茶をまた飲み直そう。特別なお茶なんだから。
結論を出すのは……この少女が大人になってからでも構わないさ。
月日の流れを感じさせる話で面白かったです。
タグに騙された(汗
というのが、私のジャスティスです。
年月を経て、こーりんが、とても優しく丸くなっているのが印象的でした。
とても雰囲気のいい作品だと思います。
このシーンだと霊夢じゃなくて孫の方だと思うんですが
しかし相変わらず巫女に本を奪われる朱鷺子w
修正しました。ご指摘感謝です。
そう言えば、名前出てなかったし、本のタイトルからして伏線だったんですね。
香霖堂再開しないかなぁ……
あー、香霖堂再開希望。
いや、そこまで言わないから単行本発売してくれー。
もう2008年も21月が終わってしまうぞー。
色々とネタが仕込まれてて感慨深い。
しかし血の繋がり無茶苦茶濃いなw
ちなみに最初、写真の少女は先代の博麗だと考えてました・・・魔理沙のくだりで気付けましたが
まさか儂の孫の話だったとは
嫁の若かりし頃のお話かと思ったよ
霊夢はいくつになっても霊夢のままですね、私もそんな気がします。
こういった物語は、変わらない日常の中に身を置いている長寿の霖之助だからこそできるものなのでしょうね。それをしっかりと書いて下さった氏に、敬意を。
素敵なお話を、ありがとうございました。
おばあちゃん霊夢いいね。
いつまでも変わらない幻想郷を堪能できました。
霖之助もさびしくなさそうでなによりです
しかし朱鷺子……もうちょっと頑張ろうぜ。
ほんの短いやり取りなのに、
見えていない部分で積みあがった時間まで伝わってきそうな話でした。
やられた