今年もまた、鬱陶しい時期がやって来た。
外の空気は冷たく乾燥し始め、季節の移り変わりを肌で感じる頃。
店の中に居る分には汗をかかなくて済むので、むしろ快適に過ごせる様になっていた。
ただ、それらはあくまで自然の事であるが。
毎年この時期は、妖怪の山で天狗の新聞大会が開催されている。
天狗内で新聞の評価を競い合うという単純なもので、同時に大量の号外が出回る時期でもあった。
そして、最も問題視しなくてはならないのが、その号外である。
妖怪の山や魔法の森、博麗神社といった人や妖怪の住む所なら、問答無用で山のように新聞が投げ込まれているのだ。
その勢いたるや、建物が壊れてもお構いなしという非常に自分勝手な配布である。
現に、この香霖堂も既に窓ガラスの大半が投げ込まれた号外によって割られ、代わりに新聞が貼り付けられている。
これで内容が面白ければ許す気にもなれるのだが、今年も相変わらずの出来だった。
「………珍しい事もあるものだ」
そんな時期だから余計に気になってしまうのだろうか。
この日も朝から店内で読書をしていたが、いつもより飛んで来る号外の量が大分少なかったのだ。
慣れというものは恐ろしいもので、どんなに悪い事でもそれが変わると逆に落ち着かなくなってしまうものになる。
ここの所毎日の様に号外が投げ込まれる日が続いてきたのだが、今日に限ってそれが少ない。
僕の所だけではないらしく、午前中にやって来た魔理沙も、この状況が気になっていたようだ。
恐らく、号外を配る必要が無くなったか、何らかの理由で配れなくなったのかもしれない。
前者であるなら非常に喜ばしい事ではあるのだが、日付を見るに期待は出来なさそうだったので、何か有る方に期待しておく事にする。
些細な出来事に気が付くというのは、良くも悪くもなる可能性が有るのだ。
「こんにちは。霖之助さん、いらっしゃいますか?」
その時、店にお客さんが訪れた。
「ああ、いらっしゃい」
その客とは他でもない、この騒動に人里を巻き込んでいる鴉天狗だった。
客ではなかったが、丁度良かった。
「すまないが、一つ聞きたい事が有るんだ」
「何でしょう?」
「ここの所毎日の様に君達の所の新聞の号外が飛んで来るのだが、今日は何故か殆ど来ないんだ。
君なら何か理由を知っていないかと思ったんだが」
気になってしまった事の答えを求めるのは、僕の悪い癖とも呼べるだろう。
これでは、まるで僕が号外が来るのを期待しているように取られてしまったかもしれない。
「ああ、その事ですね」
やっぱり、と言わんばかりにくすくすと笑う鴉天狗の少女。
「理由を話すのは別に問題無いのですが、その前に一つ依頼したい事が有ります」
どうやら僕は勘違いしていたようだ。
今日の鴉天狗の少女は新聞屋ではなく、お客様だったのだ。
「これは失礼。では、何をお求めでしょうか」
咄嗟に僕は道具屋の店主に戻すが、また少女にくすくすと笑われてしまった。
笑われるのは少し不愉快だが、原因は僕に有るので仕方が無い。
「では、『落ち込んだ妖怪を元気付ける贈り物』は、何か無いですか?」
ものは何かと聞いてみれば、随分と抽象的な依頼だった。
第一、妖怪が落ち込むなんていう事自体が信じ難い事である。
その上、その妖怪を元気付けるなんていう贈り物なんていうのは、とても想像出来ない。
「探せば有ると思うけど、少し抽象的過ぎて探すのに少し時間が掛かるかもしれないね。
急ぎの用でなければ、明日でも構わないかな」
「はい、大丈夫です」
まずは、その妖怪…恐らく仲間の鴉天狗の事だと思うが、何故落ち込んでしまったのかを知らなければ、探し様が無い。
一言に元気付けると言っても、理由も解決方法も様々である。
「そういえば、号外を欲しがっていたんでしたよね? 今日の分はこれです」
理由を聞く前に少女は一枚の新聞紙を取り出し、僕の方に差し出して来た。
別に欲しくは無かったんだが、と言おうとした所で、その号外の記事が目に留まる。
「今朝書いたばかりの、一枚限りの最速の号外です。
他の天狗は今頃、このニュースの事を号外に書いているのではないでしょうか」
笑顔で最速を自慢する鴉天狗。
受け取った号外の見出しを一目見て、今日の号外が配られなかった理由も、この少女の依頼も全て納得出来た。
「確かに預かったよ。 だけど、やはり今日中には難しいと思う」
「分かりました。 では、また明日来ますね」
それだけ言い、鴉天狗の少女は普段より非常に大人しく、店から出て行った。
いつもの調子でないのがはっきりと分かるが、理由を聞こうとも思えなかった。
里の人間が一人、寿命を迎えて亡くなった。
天狗の号外は、その言葉から始められた。
訃報というのは見ていて気持ちの良いものではないが、依頼の為に記事の内容に目を通す必要が有る。
恐らく、件の鴉天狗が落ち込んだ理由もここに書いてあるのではないか。
記事自体はいつも通りの調子だが、やはり随所に抑え目に書いたような文が有る。
この号外を書いた天狗も、少なからず思う所が有るのだろう。
その原因となった事柄を冷静に記事にしなければならない筆者の心境を考えると、こちらも姿勢を正して読まなければなるまい。
記事の中には、亡くなった人間と、件の鴉天狗の近況が書かれていた。
その鴉天狗もまた、人との係わり合いを重視していた天狗であり、ここ数年は特に仲良くしていた人間が居たという事らしい。
人間の名前に見覚えは無かったが、何かしら関係が有ると見て間違いないだろう。
「…そういう事か」
鴉天狗の不調の原因は、この人間が原因である事に間違い無い。
妖怪という前提を無視して考えると、その天狗と人間は非常に仲が良かったのだろう。
そして人間が死に、鴉天狗が悲しんだ、と。 普通ならこう考えるのが自然である。
もちろん、その全てが普通では考えられる事ではないのだが。
更に仮定を追加して考えてみるが、そうなってしまった妖怪を立ち直らせるなんて事は可能なのか。
天狗とはいえ、妖怪がそこまでになる程傾倒している相手の代わりが務まる物など、有りはしないだろう。
時間が解決してくれるのを待つのが、一番効果的かもしれない。
「――妖怪でも落ち込む事は有るのか、って?」
妖怪の事なら、妖怪の専門家に聞くのが一番である。
その日の夕方、店に来ていた霊夢に昼からの疑問の一端を打ち明けた。
霊夢は僕と違い、精神や概念といった方に関して明るく、僕の考えの及ばない所を知っている。
「妖怪だって人間と同じよ、辛い事や傷付く事が有ったら落ち込む時だって有るわ。
ただ、妖怪はその原因を作らないだけ」
そう考えて霊夢に相談を持ちかけたのは、正解だった様だ。
「人間が身体的なダメージに弱いのと同じ様に、妖怪が精神的なダメージに弱いのは知ってるわよね?
でも、精神的な傷もちょっとやそっとではお酒でも飲めばすぐに回復するわ。 妖怪が酒に強いのはこのせいなのかもしれないわね。
最も妖怪が傷付くのは……『死』を感じさせる事よ」
「………死、か」
――この話は、霊夢の勘に導かれているのだろうか。
思いもかけず僕の疑問の中心に近付いて行く霊夢の言葉を、一字一句逃さず聞き取ろうと集中する。
まるで、僕の方が霊夢に教えを乞うたかの様だ。 事実、そうなのかもしれないが。
「妖怪にとって『生きる』という事は当たり前の事なのよ。 だって、妖怪はそう簡単に死なないもの。
だから妖怪は身近な『死』に触れると、もの凄く影響を受けるの」
「人間は死を感じても、それに立ち向かう為に成長する事が出来るわ。
けれど、妖怪は成長する事が殆ど無いから、死の恐怖は生きている限り残り続けるの」
「それだと、本人以外の死には関係無いという事にならないか?」
「そこからは話が変わるのよ。 妖怪にとって身近なものがなくなった時も、人間と同じ感情を持つの。
それは動揺だったり、後悔だったり色々有るけど、結局は二つの事に繋がるわ」
「その一つが、死かい?」
「それともう一つが、生よ」
生が存在する事によって死が存在し、死が存在する事によって生が存在する。
この二つの境を最も明確に表しているのが人間であり、限り無く曖昧にしているのが妖怪である。
妖怪は、生と死の境近くでバランスを取る事で、妖怪として存在している、
それが一度どちらかに傾いてしまえば、その妖怪は人間に近付いていってしまうのだという。
そうして人間染みた妖怪は、精神的な影響をより大きく受けてしまい、不安定な存在となる。
それこそ、傾倒した人間の出来事一つで一喜一憂し、それが直接妖怪自身に影響する程度には。
幻想郷の中でも力の有る妖怪は、大抵が他者との関わりを絶った孤高の存在となっている。
そういった妖怪こそ、最も妖怪らしい妖怪なのだろう。
「一度生を経験すれば、死の恐怖も同時に感じさせられる。 それは妖怪にとって致命傷よ。
恐怖や後悔とかのマイナスの感情に縛られたまま数百年、数千年も生きていくなんて、出来るわけ無いわ」
―――霊夢との話が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。
消費した茶葉は帰ってこないが、その分新たな知識や、答えを見つけ出す事が出来た。
「しかし、相変わらずこういう事には詳しいんだな」
「経験よ。 うちの神社にはいつも妖怪が居るもの」
なるほど、これは十分納得出来る答えだ。
「そういえば、ちょっと気になってたんだけど……どうして妖怪に聞かないのよ。 それに、霖之助さんだって妖怪じゃない」
「僕は半妖だからね。 そして、妖怪に聞いたとしても感情論でしか話してくれないだろうしさ。
こういった事は第三者の方が良く見えるものなんだ」
話す気にはなれないが、相手が霊夢だからだというのも有る。
霊夢は最も妖怪と近しい人間であり、人間としての目で妖怪を正面から見られる数少ない人間だからだ。
「すいません」
翌日、朝から読書をしていると、店の扉が開き誰かが店内へと入って来た。
恐らく、昨日の少女だろう。 品物の受け渡しは今日の予定だ。
「ああ、いらっしゃい。 これが依頼された物だ」
僕は用意しておいた品物を取り出して、その少女に渡した。
「これは……?」
「見ての通りさ、これを君の友人に渡してあげて欲しい」
昨夜、店内から探し出してきた分厚い手帳と万年筆を、少女に手渡した。
天狗の手帖ほどではないが、これでも十分な量の情報を書き留めておく事が出来るはずだ。
それと同時に、これは少女の友人を立ち直らせる物でもある。
「君の友人は、掛け替えの無い人を失ってしまったんだと思う。
だが、その友人の為にこそ、その人の事を忘れてあげて欲しいんだ」
「……酷い事を言うんだね。 大切な人から切り離される事がどんなに辛い事か分かるの?」
「ああ、自分でもそう思う。 だが、それで救われる事だって有るんだよ。
…取り返しのつかない事は、忘れるしか出来ないんだ」
妖怪にとって人間とは、あまりに儚いものだろう。
あまり人間に近づき過ぎては、その妖怪自身を滅ぼすことにもなりかねない。
だからこそ、思い出を捨ててでも妖怪である事を思い出させる必要があるのだ。
「………取り返しが付くなら、覚えていても良いのね」
「…何かまずい事でも言ってしまったかな」
「失礼な事ならたくさん。
でも、おかげで私も少し気持ちが分かった気がするよ」
「それは申し訳無い事をした。 …君まで巻き込んでしまったかもしれない」
「いや、私は大丈夫よ。 まだいくらでも取り返しはつくからね」
この少女は妖怪の割に、妖怪とは少し離れた考えをしている。
この子にもまた、大切なものがあるのだろう。
「それで、お代の方だけど…」
「へ? あ、えっと…これで」
少女は少し戸惑い、小さな宝石箱を取り出して、僕に手渡した。
蓋を開けてみると、卵程の大きさも有る宝石が1つ、丁寧に収められていた。
「これは……」
これだけ綺麗な宝石ならば、その価値は相当なものになるだろう。
だが、一見ダイヤモンドの様なこの宝石には、それ以上に面白い能力を秘めているのだ。
「…確かにお代は受け取ったよ」
この宝石は、魔石だ。
魔力を多量に含み、魔法等の媒体としてよく使われているというが、僕も現物は見た事が無い。
魔界にしか存在しないはずの石が、どうして幻想郷に存在し、この少女が持っていたのだろうか。
しかし、別に気にする必要は無い、この石はもう僕の物だ。
「それでは、君の友人によろしく頼む。 辛い事だと思うけど、君が助けてあげて欲しい」
そして……君も、気をつけてくれ」
「――ありがとう。 それじゃ」
少女が出て行ってから、代価として貰った魔石を倉庫にしまい、読書を再開した。
この魔石は普段は店頭に並べないで、求める人にだけ見せる事にしよう。
そうでないと、魔理沙に持って行かれてしまう。
もしも魔理沙が居なくなったとしたら、僕は安心して商売が出来るのだろうか。
考えるまでもない、霊夢や魔理沙が居なくなったとすれば、僕も少なからず精神的に揺れるだろう。
いつも唐突にやって来ては、冷やかしたり店の物を勝手に持ち帰って行く、ある意味迷惑な人だが、
居なくなったら居なくなったで毎日の様に思い出し、次はいつ来るのかと待ちぼうけてしまうのだろう。
それは、僕が妖怪として、霊夢や魔理沙に影響を受けているからだ。
物語の中で、死に行く人を忘れないと登場人物が言う場面はよく見るが、それが正しい事、良い事かと言われれば、疑問を持たざるを得ない。
死に行く者が自分に縛られる事を望んでいるのか、それは本人にしか分からない事だ。
「…僕ももう少し妖怪らしく生きるべきだな」
半分とはいえ、僕も寿命の長い『妖怪』である。
いつかの為に、生と死の輝きを忘れておくべきなのかもしれない。
既に人間に近付き過ぎているかもしれないが、自分なりの妖怪らしい生活を思い浮かべてみる事にする。
なんだと言うか、やっぱりと言うべきか。
いつも通り、一人で本を読んで店を経営している妖怪の自分しか思い浮かばなかった。
それこそ、僕なりの妖怪としての過ごし方なんだろう。
読書を続け、正午を過ぎた所でふと霊夢の言葉を思い出し、疑問が浮かび上がる。
所謂不老不死の人間や妖怪にとって、恐怖という感情は存在するのだろうか。
恐怖を考えない妖精はともかく、死を恐れない人間が居たとしたら、それは生きているのか、死んでいるのか。
その存在が生を感じる事は、果たして可能なのだろうか。
その時、店の扉が開いた。
「すみません、昨日依頼した者ですけど―――」
だから途中で「少女」としか記述されなくなるんですね
お見事です、番外編がなければ狐か狸の仕業かと「少女」の思惑通りに乗せられるところだった……
星蓮船メンバーと香霖堂の店主は相性というか能力的なものの組み合わせが面白い
ありがとうございます!
素晴らしいな。
二度読み返してようやく理解
二度読んでこの作品の隠された魅力に気付くことが出来ました。
これはかなりの良作ですね