※百合だってさ。しかもマイナーだってさ。でも俺の中でメジャーだから問題はない。
※俺設定だってさ。というよりも個人的見解があります。ご注意ください。
永遠亭、入れば迷うとされる竹林の中に建てられた屋敷。竹の香りが風に運ばれ、屋敷の縁側に届く。そこに二人、茶をわきに寄せて何かを見守るように座っていた。
「寺子屋の保健医?」
「貴女なら、と思っていたが……駄目か?」
それを聞いた永琳は慧音の疑問に、悩むように少し眉間に皺を寄せる。しかし視線は慧音の困惑した顔にではなく、真上に陽がある庭に向けられていた。
『第564回チキチキ!てるもこバレー大会~愛、忘れました~』
絵にも見えるその文字が書かれた横断幕をてゐが庭から見えるように竹に吊るしていき、鈴仙は庭に先日作られたコートを慣らす。二人の額に宝石の様に汗がきらめく。
そしてコートのわきに設置されたベンチに、幾度となく『殺し合い』を行ってきた二人が座っていた。互いに眼で牽制し合い、手でぶーと鳴らし豚型の空気送りの確認を怠らない。彼女たちは体操着、彼女たちにとっては戦闘服だろう、すでに身に纏っていた。『全ては相手を泣かすため!』と先日行われた記者会見で既に白熱していたのが思い出される。
「ねぇ、けーねちゃん」
「駄目か」
「それはあの二人よ。完全に遊ぶ気じゃない、殺す気もへったくれもないわ」
「うん? あぁ、妹紅も貴女の姫もただ傷つけ合う事が無益だと気付いてくれて良かった」
「けーねちゃんはそこなのね」
「どこだと言うんだ?」
永琳はその時、慧音の顔を見た。いたって真面目な顔をしていたので思わず声を出して笑ってしまい、ますます慧音の表情を疑問に溢れてさせていった。永琳はその顔を崩そうと口を開く。
「いいわよ、保健医」
「いいのか」
「えぇ、もちろん」
「しかし、まだ理由を言っていないんだぞ? そう簡単に了解が取れるとこっちが困る」
慧音はそう言ったが、その顔は困ってはいなかった。永琳は思う、次はどんな表情を見ようかしら。しかし慧音は永琳の考えを見抜けず、ただ彼女が、いい、その一言を言ってくれたのがとても嬉しくて綻ばした顔を永琳に見せていた。
何かを思いついたように永琳は顔を和らげ、その手を慧音の手の甲に乗せ、少し身を寄せると頭を慧音の肩に乗せる。その行動で慧音は鼓動が速まる。
「えーりんさんがかわいい、じゃ駄目なのね」
「い、いやそんな理由なら頼まない。あ、じゃ、可愛いのは、その……」
しどろもどろになる慧音に永琳は微笑んだ。少し苛めすぎたわね、でも顔真っ赤にしちゃって。永琳は片手で自分の湯呑を持ち、体を慧音から放し庭に向け少しすする。もう片方は未だ慧音の手の上にあり、優しく撫でる。
「うん、もうからかわないから、ね?」
「あー……いや、寺子屋にも一応はいるんだ。しかし臨月が迫っていてな、もう産休も取らせている」
「あら、素敵じゃない。いいなー、赤ちゃん」
永琳は空を仰ぎ、少し遠くを見つめた。慧音も自分の茶を取り、少し飲む。彼女もこんな顔をするんだな、そう感じながら。それほどに永琳は優しくも少し悲しい顔をしていた。
「里の医者にも手伝ってもらってなんとかしているが、いかんせん、な」
「それで私の所にと。けーねちゃんにとって都合のいい女なのね、私」
「あ、いやそうじゃなくてな!」
わざと表情に影を落とし、手を放し慧音の温もりを手から失くす。そう振る舞う永琳に、慧音はその場で慌てふためく。しまった、怒らせた。顔でそう言う慧音を見て永琳はおかしくなり再び声を上げて笑った。その笑い声に慧音は顔を呆けさせた。
「ごめんなさい、からかわないって言ったのにね。うん、本当にちゃんと聞くわ」
「え、あ……いや、貴女の言う通りだ。すまない、貴女なら承諾してくれると勝手に思っていたから」
「けーねちゃんに頼られているんだもの、とても嬉しいわ」
永琳は慧音に笑顔を向ける。本心からそう思っていたのが伝わったのか慧音の鼓動が徐々に落ち着き、二人同時に茶をすすってしまう。二人でベンチを見て輝夜と妹紅が体操を始めていたのを確認すると、慧音が口を開く。
「でも、本当にいいのか? 勝手には思っていたが、貴女には貴女の事があるだろうし、断ってくれても構わないんだぞ」
「やっぱり駄目」
「やっぱり駄目か」
永琳と慧音は互いを見合って、笑う。
「もう全然大丈夫。子離れしなきゃって思ってたところだし」
「子離れ?」
慧音は永琳の口からは聞いた事のない単語に疑問を持ったが、しかし、永琳の顔を見てすぐに納得してしまった。母親の顔がそこにはあった。
「えぇ。姫もうどんげもてゐも、みんな守ってあげなきゃいけない、私の子どもよ。おかしいでしょ、旦那様もいないのに」
「いや、貴女にはそれを言う権利があると思う。貴女の内からは皆を思う優しい気持ちが出ている、少なくとも、私はそう感じているよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
永琳は再び慧音の手に自身のを乗せた。永琳にとっては無意識に行った事だったが、慧音はそれを意識してしまう。
「じゃあ永遠亭の警備とかはもこちゃんに任せてもいいわよね」
「あぁ、妹紅にもちゃんと保健医の事は伝えてあるからだいじょ……ここを離れるつもりか?」
「子離れする、って言わなかったかしら。大体あの子たちは自分の事をしなさすぎなのよ。自分の洗濯物を私に仕舞わせるし、私だって忙しいのにご飯を自分で用意しないし、でも勝手に部屋入ると怒るのよ? もう嫌になっちゃう」
慧音は永琳から初めて愚痴を聞いたので少し驚く、しかし慧音はそれに付き合う事にした。彼女にも日頃の不満ぐらいはあるだろう、それぐらいは聞いてあげないとな。
「それに、一週間とかそこらじゃないわよね。それぐらいならここから通ってもいいんだけれど」
「出来れば一か月いてくれれば助かる。その後は何とか都合がつくだろう」
「うん、じゃあやっぱり永遠亭を離れないとね。思い立ったが吉日、明日にでも伺うわ」
「それは助かる。でもその間、貴女はどこで寝泊まりするんだ?」
慧音の疑問も当たり前だった。彼女が里に赴いた事は確か一度もなかったはずだ。薬売りに来ているのはもっぱら弟子の鈴仙で―――ふと、とある疑問が浮かんだが、今は関係ないと頭の隅に置く―――彼女を里で一回も見たことがない。妹紅から聞いた話だと、永遠亭に案内した人間は彼女と一言二言しか言葉を交わさなかったらしい。里に何もつてが無いはずだ。どうするのだろう。
頭を悩める慧音を見て永琳は真顔になると、しかし軽い口取りで慧音に告げた。
「あなたの家」
「は?」
「ですから、けーねちゃんのお家よ」
「あー……私の家!?」
慧音の叫びに永琳は驚き、咄嗟に耳を塞ぐ。しかし慧音の方が驚きを隠せなかった。事実、開いた口が塞がらなかった。永琳はその中を少し覗き、何かを発見する。
「虫歯見っけ。今度治療してあげるわね」
「……歯医者は怖いんだ、じゃない!」
永琳はごく自然に言ったつもりだったのだが、慧音は違った。先の一言が慧音を立ち上がらせ、頭をいつも以上に回転させる、混乱で。
彼女が? 私の家に? 確かに一度は招きたかった。いつも私たちが邪魔をしているからな。しかし一か月? 彼女と二人で? しかも明日から? 馬鹿な。そんな準備をしていない。急いで帰って掃除をしなくては。あぁ忘れていた。客用の布団にはかびが生えていたんだ。もう捨てなくては。なら彼女をどこに寝かせるんだ慧音。やはり私の布団か。となると枕を二つ用意しなくては。待て待て。なんで一緒に寝なければいけない。いや彼女なら了承してくれるだろう。おい慧音。そんな都合のいい考え方をしてどうする。しかしもしそうなったら? 不味い。満月でもないのにワーハクタク化してしまう。二人だけの歴史を創ってしまいそうだ。ならばその歴史を隠せば何も問題はないじゃないか。駄目だ駄目だ。それだけはいけない。いけなくはない!
「あ、別に寺子屋に保健室あるんだったらそこでも」
「不肖の娘ですがよろしくお願いします!」
慧音は頭を下げ、永琳に右手を差し出して先よりも大きく叫ぶ。その行動に永琳の口は大きく開き、その声はひと段落がついて麦茶をあおる鈴仙とてゐ、その先でいよいよコートに上がろうとした輝夜と妹紅の耳にも届いた。
・
陽がやっと東から昇り始めた頃、霧の出ている永遠亭の門の前に慧音と妹紅は立っていた。慧音の両手には満杯に詰まっている鞄が握られている。が、妹紅の背にはそれの倍はあろう荷物の入った風呂敷があった。
「なぁ妹紅、こんなにおもちゃを持ってきて迷惑じゃないのか?」
「大丈夫、これぐらいないと輝夜をとっちめられないからね!」
「そうか……私の見えないところでも努力をしているんだな」
「ていうかね、なんで私が永遠亭の警備をしなきゃいけないのよ。案内人が案内先にずっといるとか世話がないし、輝夜を狙ってる本命は私なんだから。それに慧音も慧音だ、八意が来るからって変に張り切っちゃってさ」
「そうか?」
「そうだよ!」
妹紅は永遠亭までの道中での慧音を思い出した。いやに足取りが軽かったのだ、いつも以上に。
いっつもここに来るたび八意と話しているけど、そんなに来るのが嬉しいのかな。輝夜と喋ったり殺り合うのは……まぁ楽しいけど、そこは私にはわからないな。妹紅は背の荷物を抱え直す。そして慧音の方に顔に向けると、少しにやついていた。それが妹紅の、慧音に対する評価を少し落とした。
何かを思い出したように今度は慧音が妹紅に顔を向け、口を開いた。その瞬間に思う、妹紅はなんでこんなに嫌そうな顔をしているんだ?
「そうだ、昨日はどちらが勝ったんだ?」
「え? いや、私の圧勝だったって、晩ご飯の時に言ったでしょ? え、聞いてなかったの?」
「あー、そうだったな。うん、そうだった」
「そういえば聞ける余裕なかったもんね、慧音」
「うるさい」
慧音は顔を真っ赤にすると、妹紅は昨日の事を思い出し笑った。
慧音は差し出していた右手をすぐに閉まうと永琳に、すまない、その一言を小声で添えて一礼するとすぐにその場から走って去っていった。慧音の叫び声に庭は静まりかえっていた。数瞬して、黄色い悲鳴が庭にこだました。鈴仙のものだ。
「ね、ね、先生のあれ聞いたてゐ! あれ告白よ、告白!」
「あー、うん。しかも聞いた感じだとししょーからだね。せんせー、いい趣味してる」
「師匠やっるぅー! あー、私も告白されたーい!……まぁ、男の人からだけど」
「女同士はねぇ、やっぱ友達までだよね。あとれーせんじゃ一生むり」
てゐの一言に怒りをあらわにする鈴仙の後ろ側、慧音の叫び声で思わず落してしまった空気送りを拾う輝夜と妹紅。輝夜は叫び声であったが、妹紅は別の理由で衝撃を受けていた。
「どうしたのかしらね、慧音ちゃん」
「認めない……私は絶対認めない……あんな胡散臭い奴になんか慧音はやらない……」
「まぁ永琳からよね、あれ。それにうさんく……さいわよねぇ、私も時々そう思うわ。でも貴方は素敵よ、妹紅。殺したいほど」
「……それは私もそう思うよ、輝夜。さぁ、始めよう」
そして二人はベンチを離れ、兎達が御膳立てをしてくれた舞台へ向かっていく。そう、今まさに戦いの火蓋が切って落とされるのだった。
その時、妹紅は慧音がいた縁側を見た。やっぱりいない、慧音も八意も……八意はどこへ行った?
妹紅の疑問は背中が教えてくれた。
「お二人とも、お楽しみの最中に申し訳ありませんが」
「わっ! 永琳、急に後ろに立たないでよ」
「あれ、輝夜は気付いていなかったんだ。じゃあ今日の勝負はもう決まったようなものだね」
妹紅は輝夜に勝ち誇った笑みを向け、輝夜の怒りを膨らませていく。その光景を見守りつつも、永琳は言葉を紡いでいく。
「今から夕餉の支度をしてきます。今からでしたら姫にももこちゃんにも、馳走を用意できるかと」
「え、じゃあ見届けはどうするのよ」
「ていうかさ、八意。いつか言おうと思っていたんだ。もこちゃんって言い方、やめてくんない?」
輝夜と妹紅、二人の『殺し合い』は見届けがいないと成立しない。成立する事に無理があった。彼女たち蓬莱人、死ぬ事がない者の殺し合いという矛盾は第三者が入る事で解決した。その者に勝敗を決めさせればいい、と。永遠に生き、永遠に死ねずとも、永遠に勝負は決めなければいけなかった。その為の見届け人だった。
その役目は永琳と慧音がこなしていたが、慧音はどこかに走り去ってしまったし、永琳もこの場から離れるという。輝夜と妹紅は悩んだ。それを見かねて永琳は声を発した。
「今日のでしたら、私たちが居ずとも決まるかと。それに多分、今日は汗をお掻きになると思いますから、姫ともこるんの為に湯も沸かしておきませんと」
「うーん、じゃあ審判はイナバに任せて……今日はじゃあいいわ、その代わりに美味しいの作りなさいよ?」
「まぁ……あんたのご飯を久々に食べたいしいいけもこるん!?」
「それでは、私はここで失礼いたします」
永琳は二人に一礼をし、屋敷の方へ向って行った。それを見て輝夜は眉間に皺を寄せた。永琳の足取りがいやに軽かったのだ。それはもうスキップをするのを堪えているかのように。
「……あれ、永琳満更でもないのかしら」
「ねぇ輝夜! もこるんってなに! ねぇって!」
「うるさいわね、もこちゃんって言い方やめてくれたじゃないの。あ、イーナバー!」
「ねぇって! ちょっと聞いてって! ねぇったら!」
一方その頃。
慧音はいつの間にか永遠亭の台所で膝を抱えて立っていた。息を切らせ、肩を大きく唸らせる。その顔は汗で濡れていた。走ってきたためもあったが、半分以上は冷や汗だった。
「馬鹿か私は! なぜ彼女にあんな事を……あぁ謝らなくては」
「謝らなくてもいいからご飯作るのを手伝ってくれない?」
永琳がいつの間にか後ろに回っていたのを慧音は気付けずにいた。永琳の声は焦りも怒りもない、いつも聞く落ち着いた声だった。しかし恥ずかしさに耐えられず慧音は走り出そうとするが、永琳に肩を掴まれ阻まれた。
「やめてくれ! 顔見せられない!」
「……ありがとう」
「……え?」
「明日から、一ヶ月間お世話になります」
慧音は後ろを振り返る。そこにはいつも見る、優しい微笑みがあった。永琳の頬は少し赤らみ、その眼は潤んでいたが慧音はそれに気付けない。だが慧音はその永琳の顔で自らの恥がなくなっていくのを感じていた。
「あ……うん、お世話します。じゃなかった、こちらこそお世話になります」
「それじゃあご飯作るの、手伝ってちょうだい」
「見届けはいいのか?」
「えぇ、今から姫ともこなりにご飯作るって言ったら、どうぞどうぞと」
「あぁ、あの二人は見かけによらず大食だかもこなり?」
「じゃあ、お願いね」
永琳は指を慧音の頬に当て、ウインク一つ。それで慧音の頬は一気に赤くなった。
永琳は、慧音の憧れだった。
その後の彼女の食事はとても美味しかったな、慧音は昨夜の事を思い出す。結局あまり手伝えなかったが、それでも彼女は助かったと言ってくれた。その言葉だけで帰ってすぐに自分の部屋を掃除する事が出来た。そう思うと彼女も昨夜は徹夜で準備をしたのだろうか。それとも彼女の事だろうから、こうなる事を予想してすでに準備をしていたのだろうか。
慧音は妹紅の持ってきた荷物を掴んだまま腕を組み、悶々と頭を悩ませる。だからだろう、妹紅が顔の前で手を振っていたのに全く気付けなかった。
「慧音! ほら、鈴仙ちゃんが出迎えに来てくれてるよ! 慧音ったら!」
「うん?」
妹紅の声に俯かせた顔を起す。焦っていた妹紅と、門の向こう側でくすくすと笑う鈴仙が眼に映った。鈴仙が笑う理由に気付き、慧音は恥ずかしくなる。
「ごめんね鈴仙ちゃん、なんか昨日からこんなんで」
「いいんですよ妹紅さん。でも、ふふっ、告白されたんですものね。誰でもこうなっちゃいますよ」
「ばっ、いや違うぞ鈴仙! あれは」
「私は八意との交際なんて絶対認めないから」
「まぁまぁ妹紅さん。師匠ももう準備出来て玄関で待ってますよ」
鈴仙は手で付いてくるよう促すと、慧音と妹紅はそれに従って歩き出した。ぶつぶつと何やら不満を言う妹紅を前に、慧音は永琳との生活に頭に膨らませていった。
あぁ、彼女の食事はとても美味しかった。いや、楽しかったんだ。妹紅と彼女の姫がぎゃあぎゃあ言い合いしているとすぐに説教に向かう彼女。てゐと鈴仙がおかずの取り合いをしていると行儀が悪いと拳骨を作った彼女。美味しい? と聞いてくれた彼女。無論美味しいに決まっている。なのになんで私はあそこで美味しいと言えなかったのだろう。彼女を困らせてしまったな。次からはちゃんと言わなくてはな。そうか、一か月だが彼女と毎日顔を合わせて食卓につくんだったな。馬鹿か慧音。彼女だけでご飯三杯もいけ……る私が怖い。
慧音のえへへと笑う声は、先に歩いている妹紅と鈴仙の耳に入るなりひそひそと何か話し始めさせた。しかし慧音は『はいけーねちゃん、あーん』という笑顔しか見えなかった。ぱくっと慧音は永琳手製の煮っ転がしを口に入れる頃には、すでに永遠亭の玄関に着いていた。
戸を開くと同時にてゐが妹紅に飛びかかるや否や抱きついた。余程嬉しいのだろう、てゐの顔は笑顔に満ちていた。てゐの行動を予想していなかったからか、妹紅は少しよろめくが何とか踏ん張った。背の荷物の事もあるが、ここで倒れたらてゐに怪我をさせてしまう。それを見て鈴仙は驚き叫んだ。私は我慢していたのに、と言いたい様に。
「もこー! よく来たウサー! 今日からいっぱい遊ぶウサー!」
「あははっ、うん。いっぱい遊ぼうね」
「こらてゐ! 妹紅さん困ってるじゃない! あと私も妹紅さんと遊ぶの!」
「もちろんだよ、鈴仙ちゃん」
「あら、私とは遊んでくれないのね」
最後の声に、妹紅は軽く舌打ちをした。そして背負っていた荷物を声の主に放る。しかし軽く避けられ妹紅は更に苛立ったが、胸の中でじっとてゐが見つめてきて、怒ってないからとその頭を撫でた。
「あぁ、その荷物にお前との遊び道具が入ってるんだった。でも今ので壊れたな。残念、もう遊べないからお前は部屋に籠ってろ」
「あぁそうだったの、私と遊びたくてしょうがなかったのね。可愛らしい事」
「可愛いのはこの子たちさ、この子たちのために来たんだ。だからお前は籠るか私たちの飯でも作ってな」
「じゃあ寝床も作らないとね。え、庭の砂地でいいですって? 貴方がそう望むなら仕方がないわね」
互いに憎まれ口を叩くも、輝夜は歓迎の心で顔を笑顔にしていた。妹紅もそれに気づいていたのかにやりと口を曲げる。鈴仙もてゐもそのやり取りを見て顔を合わせるとくすっと笑い合った。いつも見る二人だった。
そんな光景をよそに、永琳は手を頬に当て眼を瞑り悩んでいた。慧音は手荷物を玄関に置き、しかし悩む永琳に視線を送れなかった。
「しかし、いつ見ても妹紅の人気はすごいな」
「え……あぁ、昨日あなたたちが帰った後にもこっぺが来るって言ったら、ずっとあの調子でね。寝てないんじゃないかしら。おはようけーねちゃん」
「おはよう。妹紅も貴女のような優しさを思い出してくれてよかもこっぺか、今度私も言ってみよう」
「でもね、私なのよ。問題なのは」
「そういえば浮かない顔をして……あー」
慧音は永琳の悩む理由、そして永遠亭の玄関がやけに暗かった理由がわかった。時間的にまだうす暗かったとはいえ、ここまで暗いのはおかしかった。
永琳の後ろには妹紅が持ってきた以上の荷物が置かれていたのだ。それが永遠亭内の光を慧音に通さなかった。
「いえね、保健室の設備だけでも大丈夫だと思うんだけど、念には念を入れ過ぎちゃって」
「一晩でここまで揃えた貴女はすごいな」
「ありがとう」
「どういたしまして。しかしそこまで大事に至るとは思えないし、もしそうなった場合は里の医者から道具を借りればいいんじゃないか?」
「よねぇ。うどんげ!」
永琳は妹紅の体から未だに離れようとしないてゐをひっぺ返そうとしていた鈴仙を呼ぶ。鈴仙はそれに顔だけ永琳に向けるも、その声だけで何をしろと言っているのかわかった。師匠の荷物をついさっきまで私が繕っていた。そして次は……
ふらっと倒れそうになる鈴仙を、寸でのところで妹紅が抱えた。
「大丈夫、鈴仙ちゃん? おのれ八意、慧音だけじゃ飽き足りず鈴仙ちゃんにまで……あと、昨日はご馳走様」
「あーあ、れーせん片づけだー。ししょーひれつー。仕方ない、手伝ってあげるウサ」
「なら私は何百年ぶりに朝食の準備しないとね。鈴仙、妹紅をしっかり使ってやりなさい。妹紅、納豆嫌いだったわよね?」
「妹紅さんいいですか? あ、姫。私、濃いめのお味噌汁がいいです。師匠の、いっつも薄いから……」
「お前絶対納豆入れる気だろ。うん鈴仙ちゃん、手伝ってあげる」
そうして深まる四人の絆。その光景に慧音は呆気を取られ、永琳はふるふると震えながら足元の鞄を取り、靴を履く。そして次は慧音の手を取り握り締めた。少し痛かったが、それでも慧音は憧れの人と手を繋いだのは初めてで、その嬉しさが勝ってしまう。しかし永琳は違った。悔しさが膨らんでいき、涙が込み上がってくる。
「薄くて悪かったわね! それじゃあ行ってきますからね!」
「あ、ししょーいってらー。せんせーも時々ししょー連れて遊びに来てねー」
「い、いえ違うんです師匠! 先生! 師匠の事、幸せにしてあげてください!」
「行ってらっしゃい永琳。慧音ちゃん、永琳を末永くよろしくね」
「そ、それじゃあ妹紅……」
「うん慧音。こっちは任せておいて。八意! 慧音に絶対に手を出すんじゃないぞ!」
永琳と、引きずられる様に連れて行かれる慧音に手を振る四人。しかしそれに決して応えず、永琳は地面に八つ当たりするように歩を進めた。慧音は手を振り返しつつその顔を見て思う。
彼女の涙も、また素敵だな。
・
陽はすでに上がりきって、光が永琳と慧音の目の隈を射す。狭いながらも一軒家、それが慧音の家だった。ここまで来るまで、竹林でも里の中でも、道中で永琳は据わった眼をさせて口を塞ぐ事はなかった。それに付き合っていた慧音も徹夜で眠たかったのも相まって、すでに疲れた顔をしていた。
「なによなによ! あの三人かんっぜんに私を追い出す気だったじゃない! ねぇけーねちゃん! 私はね! 皆の事を思って口うるさくしてたのよ! そんなにもこやんの方がいいの!? 薄い方が体にいいのよ! けーねちゃんも濃い方が好き!?」
「まぁまぁ、もこやんも皆を叱っているさ。貴女を大切にしろと。そして私は味噌汁よりすましが好みだ。それよりもさぁ、上がってくれ」
「……これが反抗期なのかしら」
遂に口を紡ぎがっくりと肩を落とす永琳に慧音はほっとし、そして戸を開ける。彼女に自分の部屋を見せるのは少し勇気が入ったが、このままよりはましだった。
永琳は部屋を見るや、先とは打って変わって眼を輝かせた。
「これがけーねちゃんのお家なのね」
「ま、まぁ汚い所だが」
「えぇ、とっても汚いわ」
「やっぱり」
「やっぱり」
昨夜掃除をしたと道中で愚痴をこぼす合間に聞かされていたが、永琳は到底そうは思えなかった。
玄関に入って見たそこは、万年床以外の木の床には薄く埃が敷かれ、何やらぱんぱんに詰まった押入れ、そして水場には洗いきれない程山積みになっている食器類があった。しかし、机には寺子屋の生徒たちの物であろう答案用紙と慧音の使い古された巻物が整理されて置かれていた。
「うどんげの部屋よりも凄いわね、ここ」
「申し訳ない。仕事が忙しくてなかなか出来なくてな」
「けーねちゃん、よく病気にならなかったわね」
「面目もない」
「じゃあきちんと今から掃除しないとね」
「なに?」
永琳は持ってきた鞄から箒と塵取り、雑巾を出す。そして慧音は永琳の輝いた眼の理由がわかった。これが主婦の眼か。
「えぇ、お掃除。はいこれ、けーねちゃんの分」
「あ、いや、私は眠いんだが」
「私だって眠いわよ。もう寝たいわ、とってもクタクタよ。こんな油虫が出そうな所で寝かせてもらえるなんてとっても嬉しいもの。これならぐっすり眠れるわね」
「私を苛めるのが楽しいんだな、貴女は」
「それはけーねちゃんの方よ。ほらちゃっちゃとする。けーねちゃんは雑巾絞ってね」
慧音は言われた通りにする、そして思った。なるほど、これは彼女の姫たちが煙たがる訳だ。多分だが、こっちが正しくとも言い分を聞いてはくれない。いやいや、彼女はそんな人ではない。これは彼女の優しさだ。うん、後悔はするものか。
そして永琳はまたも鞄から、今度は割烹着と三角巾を出し、身に纏った。そして眼の輝きが増す、まるで先に永遠亭に侵入してきたあの三人四妖一半霊を迎えた時のように。
一網打尽にしてくれましょう、何もかも。
陽はすでに落ち、代わりに三日月が昇る。蝋燭の明かりを背に、胡坐をかく慧音はちゃぶ台を見つめ改めて思う。やはり彼女の料理は絶品だ。何が凄いと言うならば、あの何もなかったところから鍋を作れる事だろう。やはり生涯を共にするならばこういう人がいい。
途端に、慧音は首を横に振った。
「いや、こういう考え方は頂けない。私も女だ、私がこのようにならなくては」
「あら、最近は男も女も関係ないわよ。外の世界もそうだって聞いたし、幻想郷も変わっていくものよ」
不意に湯を沸かす永琳の声が聞こえて、慧音は眼を大きく開いた。そして永琳の方に振り向くと、背中しか見えないがその肩が震えていた。この時の彼女は笑っている。慧音はその永琳の癖を何回も見ていた。
「もしかして、私は口にしていたか?」
「えぇ、プロポーズされちゃったのかと。いいわよ、けーねちゃんなら」
冗談交じりに、現に笑い声と一緒にそれを口にした永琳。茶筒から茶葉を適量に出し、急須にふるう頃には慧音の顔がゆでたこの様になっているのが容易に想像できた。薬缶がかたかたと言い出した時に慧音の声が聞こえてきた。やはり、と永琳は思う、恥ずかしくて声震えちゃってる。
「あ、その、わ、私が貴女に求婚なんてそんな……」
「私じゃ、だめ?」
「だ、あの、えーと……そうだ、ありがとうございました」
急に話を変えようとする慧音に、永琳は付き合う事にした。焜炉の火を止め、二人分の湯呑を取り出し急須に湯を注ぐ。盆に乗せ、慧音の前まで持ってきて座った。慧音はというと、足を正し、しかし永琳の一言がまだ残っているのか永琳の眼を見れずにいた。しかし永琳は何も言わず、盆をちゃぶ台に乗せ、慧音の湯呑に茶を注いだ。
「何が?」
「いや、貴女にこんな事をさせるために連れてきたわけではなかったものだから」
慧音は指で、足元の床を撫でる。自分の顔が映りそうなぐらい光っていた。
永琳が来てからすぐに、部屋の掃除、洗濯物の片づけ、風呂場まで磨いていた。ほぼ全て永琳の手によるものだった。慧音は自分ではそんなやり方は知らなかったと、永琳の埃の取り方や服の畳み方を感心し見つつ、永琳の指示にただ従っていた。おかげで食器がどこにあるかわからなくなり、茶を淹れる事さえ永琳に任せてしまった。その事もあり慧音は永琳に眼を合わせるのが辛かった。
しかし永琳は安らいだ声で答える。
「えぇ、本当にこんな事のために来たんじゃないんですからね。明日からは当番制よ?」
「あぁ、うん。すまなかった」
「はいもうこれで謝らない。私の旦那様、なんでしょ? お嫁さんかしら」
その一言と同時に永琳は湯呑を慧音に渡した。茶の温度に反応したのか慧音の温度も上がっていった。その様子を永琳は楽しむ。可愛いなぁ、けーねちゃん。
と、慧音は叫ぶように口を開いた。
「湯浴み! そう、湯浴みはどういたしましょうか! もう湧いていますから!」
「敬語になっているわよ。そうね、お掃除しちゃったし、入らせてもらおうかしら。けーねちゃんにも試してもらいたい石鹸も持ってきたし」
「そ、そうか……なら先に入ってきてくれ」
「え、普通家主からじゃなかったかしら」
「あれ?」
慧音と永琳は二人して腕を組み首をひねらせた。同時にうーんと唸るに気づき、顔を見合わせると笑い合った。慧音は永琳の淹れてくれた茶を飲む。
「ど忘れとは、怖いな」
「えぇ、私は年かしら」
「そんな、貴女はいつまでも素敵だというのに」
「あら、嬉しい事を言ってくれちゃって。じゃあ、それなら一緒にお風呂に入りましょっか?」
その瞬間、慧音は湯呑を叩く様にちゃぶ台に置き、すっと真っ直ぐに立ち上がる。そして誰が聞いても棒読みとわかる声を出した。
「私が先に入って湯を揉んでおこう。あぁ貴女が綺麗にしてくれた湯船はさぞや気持ちいいだろうなハハハハハ」
背筋をこれでもかと伸ばし右の手と足を同時に出して、そのまま慧音は風呂場へと向かった。永琳の視界から慧音が消えると、その行動がおかしくて仕方がなく、外にも聞こえそうなくらい永琳は笑った。だが慧音の耳には入らない事だろう。
「もぉ……本当に可愛いんだから」
まだ少し濡れていたウェーブのかかる髪を丹念に櫛で梳き、眠たそうにあくびをかく永琳に、体だけ机に向けていた慧音は見惚れた。同性から見てもその美しさに妬かない、比喩をつけるのが無粋なほど、素敵、その一言しか出てこない女性が本当にいたとは思わなかった。やはり憧れてしまう、と慧音はそれを口にしてないか確認した。
ぎゅっと口を結ぶ慧音を不思議に思うも、永琳は慧音に向けた言葉に少しばかりの残念さを持たせた。
「イメージ、変わったでしょ?」
「へ?」
「へ、ってそれだけ? ほら、大人のイメージあったからネグリジェとか」
「ねぐ……なんだそれは」
口を緩め、呆けた返答をした慧音は永琳を不思議に思った。湯上りでまだ火照っているのもあるが、少し恥じている様にも見えた。
永琳は、所謂パジャマを身に纏っていた。黒地に胸の部分に兎の刺繍が施されている、すでに何年も着てるだろうものだった。永琳はそれが慧音に何か思わせたのだろうと見ていたが、当の本人はあまり気にしていない様だった。
「別にいいわよ……そっか、自意識過剰よね」
「いや、やっぱり貴女は、その、か、可愛いとか、あ、そうじゃなくて……」
彼女を傷つけてしまった。慧音はそう思い咄嗟に浮かんだ言葉を並べようとしたが、ますます彼女を傷つける事にはならないかと顔を湯上りの時の様に上気させ頭の中で選んで行く。それを察したのか、永琳は微笑んだ。
「そうよね、人それぞれなんですから。けーねちゃんのイメージ変わったしね、お部屋の汚さとかその甚平とか」
「あー?……あぁ」
筆をいったん置いていた慧音の髪は、後ろで束ねていた。胡坐を掻き、苦しいのか胸元を少しはだけさせている。一人でいるからとはいってもそんなに肌を見せているだなんて、少し警戒心を持った方がいいんじゃないのかしら、永琳は思った。
自分の格好を改めて確認すると、慧音は少しだけ裾を握る。
「すまない、この恰好が一番過ごしやすいんだ。許してくれ」
「もう謝らないでって言ったでしょ、悪いのは私なんだから。私こそごめんなさい」
永琳はぺこり、頭を下げた。別に謝られる事は何も言っていないのに、と慧音は永琳のその行動に首を捻った。それを見て、永琳は微笑みを絶やさなかった。そして慧音の後ろに寄り、机の上に広がるものを覗き込む。が、慧音の手によってそれは叶わなかった。
「けち」
「けちとかではなくて、これは生徒たちのものだ。例え貴女であろうとも、見せる事は出来ない」
慧音はどうやら先日行われた試験の採点をしている様だった。赤墨をもう一度磨り、筆を浸す。永琳はそれが面白くなく、頬を膨らませる。そして慧音の頬を指した。白玉の様な肌だったが、感触もそれに近かった。それに永琳は苛立ちを覚え指を深く押す。しかし慧音がどんな慌て方をするのか楽しみだった。だがその期待は外れた、慧音は動じることなく答案用紙に円を描く。
「痛いんだが」
「完全にお仕事モードになってるのね。ごめんなさい、もう邪魔しないわ」
「もう謝らないでくれ、客人に謝られると困る」
「おさんどんしてくれるお客さんですものね」
「すまない」
「謝らない」
慧音の口から笑い声が漏れた。永琳は、もしかして慧音を怒らせたのかと内心不安になっていたが、それを聞いて安心した。しかしもう一つの事は安心していない。それは今解決しなくてはと、慧音に問いた。
「お布団」
「ん?」
「私のお布団、どこ?」
慧音は筆を置き、同時に永琳へと顔を振り返した。思いの外顔が近く思わず顔を引かしたが、ぐいと永琳は顔を寄せ、眠たさもあり眼を据わらせていた。永琳の吐息が当たるその慧音の顔には、しまった、としか書いていなかった。
すっかり忘れていた。あぁ私はやはり馬鹿だ。だから寝ていない頭で採点してしまうんだ。明日の朝に早めに起きれば良いじゃないか。しかしこのままだと本当に同衾してしまう羽目になる。いや私は雑魚寝でいいじゃないか。しかし彼女はそれを許すだろうか。だが枕は一つしかない。なら彼女を私の腕の中に入れるか。だからなんでそんな事しか考えられないんだ。眠いからか。それにしても彼女の寝顔はさぞや愛らしいものだろうな。それが見られるとは堪らない。だから私は馬鹿かと言っているんだ慧音。そんな事は二の次だ。二の次とかでもない。本当に、困った。
うんうんと唸る慧音に永琳は顔を引き、諦めの表情を見せる。
「ないのね、お布団」
「あー……汚くて捨ててしまったんだ。私は雑魚寝でいいから貴女は私の布団を」
「持ってきて正解だったわ」
そう言うなり永琳は立ち上がり、自身の鞄へ寄るが否やその中に腕を突っ込む。ふと慧音はその光景と、永琳のその言葉に疑問を感じた。
確か彼女の鞄は何も入っていないように見えた。それほど薄かったのに、それなのにあんなに掃除用具が入っていたのは驚いた。一度覗いてみたいものだ。しかし慧音は頭を横に勢いよく振る。彼女の個人的な物を見るのは頂けない。現にさっき私がそうしたではないか。生徒たちのものは見せられない。だから私も、見ない。
慧音が一人考える間、永琳はなかなか見つからないと言わんばかりに顔をしかめつつ鞄の中を探り続けた。その瞬間、見つけたと表情が明るくなり腕を一気に引き抜く。風呂敷に包まれた布団一式がその手に握られていた。
「これでやっと寝られるわね。じゃあ先に寝てもいいか……どうしたのけーねちゃん。そんなに口開けてると顎、外れちゃうわよ」
「いや、本当にその鞄の中を覗きたくなった」
「あぁ。すごいでしょ、このバッグ」
・
寺小屋の保健室に永琳が初めて足を運んだのは、慧音の家に来て三日目の昼の事だった。本来なら昨日行くはずだったのに、永琳は部屋を一通り確認したその足で机の上に書類を置き、ため息をつく。
「まさかけーねちゃんの家に生活必需品は無くなりかけてたのには驚いたわね。その買い出しを朝から行って終わってもうお昼。で、産休に入っている先生の所にご挨拶に行ったのはいいのよ。そこで半日使ったのがまずかったわ」
永琳は出産日が迫っていると聞き、なら私が取り上げます! そう声を張り上げた。茶を差し出し、身を固くしていた保健医はその声の衝撃で、竹林の名医と聞いていた彼女に笑ってしまった。こんな人なのね、と。緊張も取れ、永琳と保健医は保健室の引き継ぎ兼茶飲み話に花を咲かせた。もういい頃合いだと永琳が立ち上がった時、陽は西に沈みかけ鴉が子どもたちに家に帰る時間を告げていた。
そして家に帰った時には慧音はすでに夕飯を作っており―――なかなかどうして、けーねちゃんのご飯を初めて食べたけど、美味しかったわね―――遅かったなと言われ、永琳の苛立ちが慧音を土下座させてしまった。
「そりゃ、私だってそんな予定じゃなかったわよ。でも来なかったくせに帰りが遅かったとか、半分はけーねちゃんのせいなのに。あんな無神経な言われ方したら、誰だって怒らないわけないじゃないの」
永琳は机に向い頬杖をしながら、引き継ぎの時に借りた生徒たちの健康状態が書かれた診断書を眺めていた。幸い、病気に罹っている生徒は誰一人といなかった。ふと、永琳は声を洩らす。
「……こんなのだから、あの子たちに嫌われるのかなぁ」
「それはまた無粋な。誰が貴女の事など」
「えぇ、けーねちゃんの事を思ってぎゃーぎゃー言ったのよ」
「昨夜はあんな言い方をしてすまなかった」
「また謝る」
「すま……うん、もう言わない」
保健室の入り口で立つ慧音に永琳は気付いていた。が、昨日の事もあり少し顔を合わせ辛いのか永琳は未だ書類を睨んでいた。慧音も部屋には入らず、その場で会話を進めようとした。
「それで、どうだろうか。ここの使い勝手は」
「とても良いわね。これなら千切れた腕を持ってこられてもすぐに繋げられるわ」
「またそんな冗談を」
「いえ本当に。びっくりしたわ、こんなに設備が整ってるだなんて。里のお医者さんだってこんなに揃えてるかどうかってぐらいよ。私の所にも置いておきたいものもあるし」
「そんなにか」
「そんなによ」
永琳がやっと慧音の方に顔を向けた時、目眩を覚えた。とても凛々しい、教師の顔をしていた。いつも慧音の気の緩んだ、良く言えば解放的で悪く言えば緊張感のない顔を見ている永琳は、ふと慧音と初めて会った時の事を思い出した。
永夜異変より数年前の事。輝夜、永琳たちが幻想郷に来てようやくその生活に慣れた頃だった。突如、妹紅が彼女たちの前に現れ、輝夜との殺し合いを始めたのだ。しかしそれを永琳は止めない。彼女たち不死の者にとって殺す殺されるとは児戯に等しい事であり、実際に二人はその身を互いの血で塗れ交じ合わせるもその顔は満ち足りていた。外の世界でやっていたのを思い出し、しかし止めずに見守っていた永琳の耳に遠くからの叫び声が聞こえてきた。
声の主は慧音のものだった。この場に駆け寄るなり永琳の隣につき、月夜の下で互いの首に手を掛ける妹紅と輝夜に叫び続けていた。この時、永琳は慧音に殺意を込めた。
この者は何者だろう。普通の人間ではなさそうだけれども。そしてなぜあんなに楽しそうにしている二人を止めようとしているのだろう。あの嬉しそうな顔が見えないのかしら。それを邪魔しようなら、それは輝夜の敵。私の敵なのだ。排除しないと。
しかし永琳はその殺意を形にはしなかった。慧音の叫びは妹紅と輝夜、両者に一向に届いていなかったからだ。永琳は慧音の叫び声をただの遠吠えと認識した。私たちは蓬莱人、彼女とは違うのだから。
後日、永琳はその者が妹紅の友人だと知る。永琳は思った。なるほど、友人だからその死に様を見たくないのね。決して死なないというのに。それでも彼女は二人の殺し合いを止める事に全力を注いでいる。それに疑問を持った永琳は、幾度目の殺し合いの後に聞いてみた。
『確かに妹紅の死に様は見たくはない、だがその前にこんな事をやること自体おかしいだろう。私は妹紅と彼女の確執を深くは知らない、しかし二人とも永遠に生きるというのなら、それを受け止めてちゃんと生きていかなければ。そう私は思うよ。ただの遊び、だとしてもこんな事をやるのは不似合いだ』
慧音の隣に座っていた永琳は、やはり彼女の言っている事がわからなかった。ただの遊び、だからこそ不自然でもなんでもないのでは、と。永琳は慧音へ冷たい視線を送っていた。限りある生を持つものに、永遠の苦しみはわからないと言うように。
その慧音の顔は憂いで満ち、そして少し微笑んでいた。その笑みは誰に向けていたものだろうか。血反吐を吐いている友人に対してか、腕の傷を隠している自分の姫に対してか、それとも私に対してか。自嘲しているだけかもしれない、しかし永琳はその時思った。
永遠になる前の私は、どういう考え方をしていたのだろうか。
忘れていた。もう彼方の事であった。それほど永琳の過ごした時は永かった。でも彼女なら思い出させてくれるかもしれない。そう思い、永琳は立ち上がると慧音に手を差し伸べる。
『八意永琳よ』
『……上白沢慧音だ』
それからも慧音は殺し合いの説得を続け、遂に実を結ぶ事となる。それまでの間、永琳はひたすら慧音を観察していた。様々な表情を見せる慧音に永琳は楽しんでいた。最初はそれこそ実験対象の様に見ていたが、次第に慧音の思考や感情、心に惹かれていく。何度も言葉を交わす内に慧音も永琳の人となりを知り、二人は友人と呼べる存在となっていた。
しかし、永琳はそれだけではなかった。
熱く視線を送る永琳に、慧音は首を傾げるも保健室の中には入ってこなかった。
「私の顔に、何かついてるのか」
「え? あ、うん、お弁当がくっついてるわ」
慧音は咄嗟に自分の口を拭う。少し慌てているその仕草に永琳は笑った。
「けーねちゃんって、お仕事の時だとかっこいいなって」
「かっこいい!? あ、そうか……な?」
「えぇ、ちゃんとお弁当も取れてるし。これなら生徒の子たちも立派になるなって思ったわ」
「そうでもないんだ。ちゃんと授業を理解しているか不安になるし、現に授業中に寝ている生徒もいる」
「でも、ほら」
永琳と慧音は窓の外へ眼を移す。下校中の子どもたちが楽しそうに帰っていく姿が映るも、慧音は苦笑いをした。
「いつも半ドンだからな。授業が終わって嬉しいのだろう」
「そんな事ないわよ。けーねちゃんはもっと自信を持つことね。で、けーねちゃんはまだいるの?」
「あぁ、まだまだ仕事が残っている。あのスキマ妖怪への報告書も書かないといけないし、もう戻らないと」
「ふぅん、ここはあの小娘が出資しているのね。それならここにある物も納得できるわ」
「小娘とは、そう呼べるのは貴女ぐらいだろうな」
「でも残念、もうちょっとけーねちゃんとお話したかったのに」
「そう言って、ここの設備を詳しく知りたいとちゃんと貴女の顔に書いているぞ」
「ばれちゃった」
永琳は慧音へ軽く舌を出し、対して慧音は笑顔で返した。
そして慧音は一礼すると入口から離れ、見送るために永琳は手を振った。心の中に僅かな寂しさを感じた永琳を見透かしたか、慧音はひょこっと顔だけ入口に出した。
「これを言いに来たのに忘れるところだった。お弁当、ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
慧音は軽く微笑んだ。それが永琳の一番好きな表情だった。
・
そして永琳は呆れていた。
永琳が里にやってきて一週間が経とうとする朝。とはいえもうすぐ昼になるというのに、慧音は一向に布団から出ようとしなかった。当番制は皆無、朝食の準備は完全に永琳の役目となっていた。しかしこの子のために用意するのも馬鹿らしい、そう言いたげに永琳は布団に近づき慧音を起こそうとする。
「ほらけーねちゃん! もうお昼になるのよ! お休みだからって寝過ぎよ!」
「……ん……あとじゅっこく……」
「それだと明日になるでしょ! 早く起きなさい! ご飯冷めちゃうでしょ!」
永遠亭にいるのと何ら変わりはない、うどんげやてゐを起こしているのと一緒じゃないの。永琳はそう思っても慧音を起こす事を諦めなかった。しかし当の本人は幸せそうに布団に包まっていた。まるでここが安息の地と言いたそうに。事実、慧音の口から出ている涎がそう告げている。
永琳はその慧音の寝顔を見て、愛らしさを感じるも苛立ちが募るばかりだった。遂には布団から離れ、自分の分のみ朝食、もう昼食だろう、用意し始める。
「まぁ、毎日夜遅くに帰ってきて朝早くに起きるからゆっくり寝たいのはわかるけれども。ほんと、けーねちゃんの分を作るのやめましょうか」
「やだー……わたしのぶんもー……おふぁ、おはよー」
「おそよう。さっさと顔洗って布団を片付けなさい。もう三日も敷いてるのよ」
「ふぁーい……うるしゃいひとだ……」
寝ぼけ眼でそう言いながら慧音は洗面所へ向った。その一言が永琳の怒りを膨れ上がらせる、しかしそれ以上に永琳は驚いていた。
「一緒に住むって凄いわね、けーねちゃんからあんな言葉を聞くだなんて。いつも会って話をしてるだけだからあんな一面があるだなんてわからなかったわ。まぁ、でも私もそうよね。人にはいろんな部分があるんだし。でも、うるさいって言わなくても……寝起きのけーねちゃんも、ふふっ、可愛いな」
独り言を呟く永琳は慧音の分も用意し始める。慧音の新しい一面が見られたためか、永琳の怒りは消えていた。
まだ眠たそうにあくびをかきながら布団を畳み、ちゃぶ台に座る頃には永琳も笑顔を見せていた。慧音は知っている、それは永琳が怒っている時に見せる顔だと。永琳は先とは違う理由で怒っていた。
「なんで着替えてこないのかしら」
「いや、休みだし……」
「けーねちゃんのお家にまだまだ足りないものがあるから、朝から買い出しに出かけようと思ってたのに。一昨日から言ってたのに、ねぇ」
「ここで謝っても貴女は許してくれないだろうな」
「はい」
「すまなかった」
永琳は無言で手を合わせ、慧音を睨みつけた。慧音もそれに倣い合掌をする、その顔はちゃぶ台へと伏せられていた。
「頂きなさい」
「頂かせてもらいます」
慧音のいつも見慣れた服を見て、永琳は茶を淹れる。今更着替えても、今買い物に出ようとしてもこの時間では無理だと永琳は悟っていた。陽はちょうど斜めに差し込み、家の床を照らす。また少し埃が積もってきていた。今からなら掃除にしましょうか、永琳は慧音に茶を差し出した。
湯呑を受け取った慧音は永琳ににやついた顔を向けていた。
「そんな顔してもお茶しか出さないわよ」
「そうじゃない、貴女はすごい人気者だと思っていただけだ」
「私が? 誰に」
「聞いたぞ、求婚されたと」
永琳はそんな覚えはなかったと、頭を悩ませる。しかし慧音は含んだ笑いを出しながら永琳の顔を見つめていた。
記憶を辿り、瞬間、永琳は思い出したと顔に言わせる。
「あの丸刈りの子ね。怪我もしてないのに毎日来ているから何かなぁっと思ってたら、そうね、言われたわ」
「えーりんせんせーとけっこんするんだー、だろう」
「えぇ、そうそう」
昨日の事を思い出していた永琳は、慧音のその一言に気付けなかった。無論、慧音も気付いていない。
「でも気をつけた方がいいぞ、その子には」
「どうして」
「以前私にも言ってきた」
永琳はその言葉に眼を丸くし、数瞬して笑い出した。それに釣られるように、笑いを堪えていた慧音も一気に爆発する。互いに涙が出るほど笑い合っていた。
やがて治まると、永琳と慧音は同時に湯呑を取った。
「そうだったのね。怖いわ、二股かけられているだなんて」
「私は過去の女にされているさ。やれやれ、最近の男はとっかえひっかえするからな」
「あら、けーねちゃんを捨てるだなんて。もったいないわね」
「貴女が目の前に現れたんだ。仕方のない事さ」
同時にちゃぶ台に置かれていた煎餅を取り、互いの手が触れ合う。しかし慧音の頬が赤く染まらず、それに永琳は寂しさを覚えた。慣れって本当に怖いわね。
「しかしそこまで貴女が生徒たちに好かれるとはな」
「あら、今けーねちゃん、私の事を馬鹿にしたでしょ」
「いや、貴女が馴染めるか少し不安だった。授業の終わりに遊んでくれるは正直意外だったよ」
「今度は引きこもりって言ったわね」
「ああ言えば」
「こう言います」
慧音は面白くなさそうに煎餅をかじる。それを見て追い討ちをかける永琳。
「あ、それともけーねちゃんが家事出来ないのを見抜いたのかしら、あの子」
「やはり私を苛めるのが楽しいんだな」
「えぇとっても」
くすくすと笑う永琳に、慧音は自らを恥じた。こう言われない様、きっちりと彼女の技を盗まなくてはと。一人暮らしをしていたんだ、私だって家事ぐらい出来る。
湯呑の中が空になると永琳は立ち上がり、箒を持つ。しかし慧音の顔は、嫌だと告げていた。永琳はそれを許さない。
「盗むんでしょう?」
「また口にしていたか」
慧音は諦めた。
数日が経ち、その日の月は円を描く。永琳は慧音の満月の時の姿を一度も見たことがなかったので、楽しみにしていた。
先刻までは。
「本当にこんな子が歴史を創っていけるのかしら?」
永琳はわざと聞こえそうなくらいの声を出し、ご飯粒が口元に何個もつく慧音を見て落胆していた。しかし慧音は全く耳を傾けず、ひたすら夕食を食べている。永琳の作ってくれた夕食だった。この家の掃除洗濯は慧音、炊事は永琳の担当にすっかりなっていた。やがて慧音は箸を休めて永琳の顔を見ると、ちょうどため息を漏らしていた。
「幸せが逃げてしまうぞ」
「お弁当、すっごいついてる人に言われてもね」
「あー……な、なら取ってくれないか」
「お断り致します」
初めて口元の米粒を取ってあげた時のけーねちゃんの顔は見物だったのに、と永琳は箸を口に付けた。慧音は慧音で、それを言うのに勇気が入ったのかがっかりした表情を隠せない。しかし慧音の食べっぷりを見て嬉しくもあり、永琳は顔を綻ばせていた。
「いつも美味しそうに食べてくれるわね」
「本当に美味しいからな、貴女の用意してくれる食事は。すまし、おかわり」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
慧音が差し出した椀を取り、永琳は隣に置いていた鍋の蓋を開け、その中身を椀に注ぐ。ふと、永琳はその動作だけで幸せを感じていた。椀を慧音に返す時に、その感情を顔に出していたのを慧音は見つけていた。
「どうしたんだ、嬉しそうに」
「え、そんな顔をしていた?」
「あぁ、惚れてしまいそうだ」
「もう好きになっているのに」
永琳が慧音の冗談を聞くのは、この家に来てからだった。永遠亭で会う時、その前からでも慧音は一線を踏み込もうとはしなかった。彼女なりのルールでもあったのかしら、単に緊張が取れているだけかもしれない。永琳は手に持つ箸を震わせて顔を真っ赤にしていた慧音を見てそう思った。永琳の方が一枚上手だった。
「また私をからかって……」
「もうすぐ月が出る時間だけど、そういえば歴史を創るってどうするの?」
「ん?」
「いえ、私は永遠亭の歴史を止めていたから。けーねちゃんのいつもの、歴史を隠すっていうのは大体わかるんだけど」
慧音の満月の姿もそうだが、永琳は慧音の能力にも興味があった。慧音は荒立っていた息を整え、ちゃぶ台に箸と茶碗を置く。
「そうだなぁ。その姿になった時は何かもやみたいなものが見えるんだ。それが、歴史、なのかな。実際はよくわからないんだが」
「へぇ、その時にしか見えないのね」
「それを吸い込み、喰らって歴史を自分のものにする。そしてあそこ」
慧音は自分の机の上に置いてある巻物を箸で差した。
「お行儀悪いわよ」
「あそこに今まで起こった歴史を書き留めていくんだ。貴女の住まい、永遠亭の事も書き留めている。そうか、一時期やたらと永遠亭の事が多かったのは貴女のせいだったか」
「すごい量だったでしょ。でも、という事は今ご飯を食べたのはまずかったかしら」
「歴史を食べても腹は膨れない、頭が膨らむんだ」
話し終えると箸と茶碗を取り、ちゃぶ台に乗っかっていた鮎の塩焼きを食べ始めてる慧音。永琳の質問で食べる事を一旦止められたからか、永琳の言うとおり満月までの時間が迫っていたのか、先ほどよりも勢いよく口へ駆け込ませていた。
それを見ながらゆっくりと箸を進めていく永琳は本当に行儀が悪いと叱る前に、頭が膨らんでいく慧音を想像して少し笑った。
その碧の入った銀髪は徐々に変わってゆくと月光を纏い、金剛石の中で煌めく翠玉を思わせる。次に頭角が現れた。生える、というよりは無からその形で出現するのだろうか、尻尾も同じ様に発現している。服の色と共に姿が変わりきると、服のポケットからリボンを取り出し左角に結ぶ。
それがワーハクタクの慧音だった。
「……綺麗」
「へ?」
永琳の発言に慧音は間の抜けた返事をする。正座をしてその光景を見守っていた頬に紅を差した永琳の眼は、慧音に釘付けになっていた。
綺麗って言葉しか出ないなんて。語彙力が足りないのかしら。私の髪は殆ど灰色だからけーねちゃんの髪の色は羨ましいし。しっぽがとっても可愛いわ。それにあのリボンもチャーミングだし。でも少し怖いわ。今までで初めて見るけーねちゃんの顔。家にいる時や寺子屋にいる時とは違う。とても険しい表情。久しぶりだわ。こんなに快い恐怖を感じたのは。
その一言を言った後、永琳はずっと慧音を熱い視線を送っていた。それに照れたのか、慧音は少しはにかんだ。
「その、あの、あー……そんなに見つめられると」
「……え、あ、あぁごめんなさい。本当に綺麗だなって思ったから」
「貴女に言われると、その、照れてしまう。それに貴女の方が」
「今日の主役はけーねちゃん。私はあなたを引き立ててあげるの」
「あ、うん……私は綺麗」
自分で言ったのが恥ずかしかったのか、慧音は自分の頬を掻き永琳が見るいつもの微笑みを見せる。その仕草に永琳の胸が少しだけときめいた。
しかしその微笑みは一瞬だけで、慧音は再び表情を固くさせ眉間にしわを寄せる。その変化に永琳は背筋を伸ばした。慧音の口が開くと、何故か永琳は眼をぎゅっと瞑った。
「それで……どうかしたのか?」
「あ、いいえ。ちょっと怖かっただけ」
「すまなかった、そんなつもりは」
「ないのはわかってる。ごめんなさい」
永琳は眼をそっと開ける。やはり見惚れてしまう。慧音は軽く咳払いをすると、言いたかった事を再び声にした。
「それで、この姿になっている時は出来るだけ近寄ってほしくないんだ。もちろん部屋にいてくれるのは構わないんだが」
「え、けーねちゃん……私の事、嫌いになった?」
永琳は悲壮な顔をすると慧音は笑った。わざと悲しそうな表情を作っている事を慧音は知っていた。
「あぁ、嫌いになった」
「そう、おばさん泣いちゃう」
「この姿になっているといやに気が立ってな、誰彼構わず頭突きをしたくなるんだ」
「絶対近づかないわ。けーねちゃんだいっきらい」
真面目な顔をして永琳はそう言った。それも冗談だとわかっているが、慧音は少し寂しそうに笑った。それを見て永琳は撤回するように笑顔を見せる。
「お夜食作ってあげるから、頑張ってね」
「あぁ、ありがとう。お姉さん」
「おばさんよ」
「お姉さんだ」
そう言うなり慧音は深呼吸をし始めた、永琳にはそう見えた。だが違う、慧音の周りには霞がゆっくりと広がっている。それを吸い込んでいたのだ。慧音の頭の中にはここ一か月分の幻想郷が駆け巡っていた。空を仰いで慧音は息を漏らす。しかし歴史は漏らす事なく慧音の頭に入った。そのまま慧音は自身の机に向い、巻物を広げる。
それを一片も欠かす事なく永琳は見守り続けた。筆を取った慧音には殺気さえ込めている様で、その姿に身震いを起こしている自分に永琳はやっと気付いた。自らの無意識を嘲笑するかのように永琳は立ち上がり、呟く。
「馬鹿ね、死ねないのに」
その囁きは慧音には届かなかった。
・
永琳と慧音は酒を酌み交わしていた。すでに月は下弦を過ぎ、里の灯りは慧音の家にしか見えない。一気に杯の中身を失くした永琳に慧音は賛辞を贈る。
「そんな呑み方をしていては明日に響いてしまうぞ」
「こんな呑み方を真似したら明日に響いちゃうわよ」
永琳も慧音もすでに酔いが回っているようで、互いの姿がぼやけていた。先付けに置いていた沢庵が無くなるも、一斗はある酒樽はまだ底が見えない。
「私は今からでも授業が始められるから大丈夫だ!」
「なら私は生徒さんたちの怪我を一瞬にして治せる!」
「ならば私の怪我を治してもらおうか!」
「めんどーだからいやです!」
慧音は嫌と言われたせいか頬を膨らませ、それを見て永琳は慧音の頬に指を突き出した。ぶぅ、と慧音の口から息が漏れたのを聞くと嬉しそうに永琳は拍手を送り、対して慧音は照れるように頭を掻いた。
その日の昼、永琳は寺小屋の教室で慧音と相談していた。先に書類を見ていた結果、疫病の予防接種が必要な生徒がいたためであった。幸い、その特効薬は永琳がすでに開発していたため発症した場合でも問題はなかったのだが念には念を、そう永琳は慧音に訴えた。
「しかし、今から薬を取りに行くのか。永遠亭に」
「実は持ってきているのよ、ちょうど病が出回る頃合いだと思ったし。けーねちゃんにもした事あるでしょう?」
「あー、あれか。あれは痛かった」
「本当にお医者さん嫌いよね、私の事も本当は嫌いなんだ」
「執拗に歯を治療しろと言ってくる素敵な薬師は嫌いだ」
「歯抜けになっても知らないわよ、綺麗な先生さん」
椅子に座り、該当する生徒の書類を二人で机にさらしていく。永琳が慧音の家に来てゆうに三週間は経っていた事もあり、互いに今まで永遠亭で会っていた時よりもくだけていた。ふと、永琳はある生徒の書類を見た。
「あ、けーねちゃんを振った子もよ。ほら丸刈りの」
「どれ……本当だ」
「でも私も振られちゃうのよ、いつかきっと」
「そうなると、将来が怖いな」
「近い内にあの子の赤ちゃんで幻想卿がいっぱいになるわね」
「あの女泣かせめ」
少年の未来を二人で想像し、笑い合った。そして慧音は口を開く。
「それじゃあ、貴女が寺子屋を離れる時ぐらいでいいかな。予防接種」
「うーん、そうね、そうしましょうか……そっか、離れちゃうんだ、私」
「やっと慣れてきたところなのにな。そういえばまだ保健医の都合がつかないし、もう半月ぐらい貴女に頼もうかな」
「けーねちゃんのご飯作るのを? 嫌よもう自分で作りなさい」
「そうだな、妹紅も永遠亭でちゃんとやっているだろうか」
「そうね、姫たちももこみちと仲良くやってるといいんだけれど」
永琳が慧音の家に厄介になっている間、二人は永遠亭の事を何も知らずにいた。永遠亭の使いの者もやって来なければ、二人が寺小屋の休日に足を運ぶ事もなかった。慧音が書類を整えると、永琳が顔を暗くしているのに気付いた。
「ひょっとして……本当に私の事……」
「だからそんな事があるものか、貴女は永遠亭に必要な人だ。貴女以外で永遠亭を取り仕切れる人間、妖怪もか、そのような者がいるはずはない」
「わかんないわよ……もこのりがきちんとしてたら……私どうしたら……」
永琳の不安を慧音は初めて見た。いつも凛と、それでいて優しいこの人がこんな顔を見せるだなんて。慧音は今までの永琳からはこんな姿を見せるとは想像もし難かった。
「大丈夫、ああ見えて妹紅はだらしがない。私以上にだ。いいか、私以上にだぞ」
「でも……」
「あーもう! 貴女のそんな顔は見たくない! わかった! もしそうだったならずっと私の所にいるんだ! それなら文句はないだろう!」
ふと、慧音は自分が何を言っているのかわからなかった。少し涙目になっていた永琳は、いつの間にか立ち上がっていた慧音にきょとんとして、口を開けている。それを見て慧音は我に返る。
「……でもけーねちゃんの老後の面倒みるの嫌よ? さっき食べたでしょ、って言いたくはないわ」
「え、あ、うー」
慧音の顔は一気に赤くなった。その様子を見て永琳は溜めていた涙を手で拭い、先ほどの不安を振り払ったかのような笑顔を見せた。
「ありがとう」
「は、え……はい」
その笑顔は、慧音の鼓動を速めるのに充分だった。照れるように伏し目になってしまった慧音に永琳は、笑顔のままで声を出した。
「赤ちゃんで思い出したわ」
「……あー、確か明後日が予定日だったはずだ」
「そうだった……わね、ほんと、ちょっとの事でも忘れがちになっちゃう自分が嫌だわ」
「まぁ早くなるかもしれないし、もう準備も出来ているんだろう?」
「えぇ、けーねちゃん家かここに連絡してとは言ってるけど……わかるのね」
「貴女の言いたい事ぐらいは、な。これでも人を見る目はある方……なのかな、自分ではよくわからない」
「うん、けーねちゃんはある方よ。それに、違う理由よ」
その時だった。二人のいる教室に一人の男性が飛び込んできた。
酒樽は底が見え始め、だがしかし永琳と慧音はまだ呑み足りなさそうな表情を浮かべる。
「本当に美味しいわね、これ。いくらでも入っちゃうわ」
「里でも見かけないものだ。博霊の巫女が催す宴の時だな、これを初めて呑んだのは」
「あ、ずるーい。それなら私も行けばよかったわ」
「だからと言って、後ろから抱きつくのをいい加減やめてもらおうか」
慧音の言うとおり、永琳は慧音を背から覆うように抱きしめていた。顔を肩に、手を慧音の腹部に置き、時折くすぐるように動かしていた。
しかし、永遠亭で見ていた彼女とはもはや別人だな。酔いのせいとは思うが、ここまで子どもみたいに戯れてくるとは。そしてこれに何も感じない私も酔っているか。彼女の胸の柔らかさが伝わってくるというのに。あ、今耳に息が当たった……他人のとはいえ、余程産まれたのが嬉しかったんだろうな。
永琳の手をたしなめるように握り、慧音はふらつく頭でそう思った。
教室で永琳と慧音の前に現れたのは、その保健医の主人だった。破水していると聞き、すぐに二人は駆けつけた。苦しそうにするも慧音が励まし、永琳は助産婦も経験していたのか、手際良く赤ん坊を取り出す準備をした。
やがて、幻想郷中に産声が響き渡る。外で待つ主人の足を真っ先に家に運ばせた。妻の抱く我が子の姿にいてもたっても入れなく、ただ泣いていた。その光景に、永琳と慧音は満足した顔を見せる。新しい命の誕生を間近に見た、その喜びで胸がいっぱいになっていた。
その報酬が今、二人の飲む酒であった。慧音に握られた手をその中で抓り、つまらなさそうに永琳は声を出す。主導権は自分にあると言いたげに。
「痛い」
「痛くした」
「でも旦那さん本当にこんなの用意できたわね。是非ともって言われたからもらったけど、悪い事をしちゃった気分」
「もらわない事が失礼になる事もある。ここまで呑めば礼を失する事もないだろう」
「けーねちゃんかっこいー」
「あぁそうだ、貴女は可愛い」
慧音にそう言われたのが嬉しかったのか、永琳はさらに強く抱きしめる。それに慧音も握りしめていた永琳の手を少し緩め、優しく撫でた。
「ふふ、けーねちゃん、やっぱりいいお母さんになるわ」
「急に何を言い出すんだ貴女は」
「ううん、取り上げた赤ちゃんを嬉しそうに見てる姿を見てそう思ったの」
「そんな、貴方こそいい母親になるだろう」
「産めないのに?」
「相手がいなかったな、そういえば。あの子にでも」
「産めないのよ、私の体。姫……輝夜も、多分妹紅も」
永琳の声は先の陽気の代わりに、冷めた声が出た。全てを悟った、慧音にはそう感じた。途端に撫ぜる永琳の手、背から伝わってきていた永琳の温もりが消えたような気がした。
「今、何て」
「不死ってね、文字通り死ねないのよ。つまりそれって後を遺す必要がないの。後どころか先もないから。それでかしら、体もそうなっちゃってね。ほら、子どもって自分の遺伝子を伝えるためにいるわけでしょ。そんなのいらないのよ、体が。欲しいって思っても、叶わない。穢れが出る、って言われているけど、この事なのかもしれない」
慧音の口に広がっていた酒の香りが、濁りに満たされていた。それを不快そうに息で吐き出す。しかし永琳の口は止まらなかった。
「確かに私は罪を犯した。大切な人を守るために人を殺した事もある。永遠に生きるという事も罪。その罰なのかもしれない。一生、そう、永遠にこの罪も罰も消える事はない」
「私は、そうは思わない」
永琳はふっと、すぐそばにあった慧音の顔を見る。あの時の顔をしていた。憂いで微笑む慧音の顔。永琳の胸が少し痛んだ。
「大切な人を守るのが罪なわけはない。私も、そのためなら喜んで人を殺そう。それに貴女の罰はもう終わっているよ」
「知った口を利かないで」
「だって、私にこんなに温もりを与えてくれている人が咎人なわけはない。例え全ての人間が貴女を悪と言っても、私は味方だ。ずっと、死ぬまで。いや死んでからもだ」
慧音は再び永琳の手を撫でる、永琳がくれた温もりを感じさせるように。それに、永琳の頬にひとすじの水が流れる。
「……ごめんなさい。酔っていたわね、私」
「それに、わかったよ。貴女が弟子を取っている理由が」
「言ってみて」
「後を、遺したかったんだろう。先立たれるのがわかっていても」
「そこまで考えている女じゃないわ、助手が必要だっただけ」
「私の前では、素直でいてほしい。これは私のわがままだ」
慧音は手を放し、すぐそばで涙を流す永琳の頬に触れた。その涙がとても温かかった。
「……慧音の事が、好きよ。大好き。お願い、どこにも行かないで」
「どこにも行かないさ。ずっと……ずっと永琳のそばにいる」
翌朝、慧音は頭を抱えていた。
周りは昨日の皿やら杯やら空樽やら、片付けをしないままで汚くなっていた。そして呑み過ぎたか慧音の頭も痛む。しかし、それはまだ後回しに出来た。
「馬鹿か私は、本当に……そうだな、呑まれていたんだ。そういう事だ」
慧音は左手でこめかみを押さえ、頭痛を緩和させようと必死だった。そして右手。温もりが未だ伝わる。
「酔っていたとはいえ、私は何て事を口走ってしまったのだろうか。いや、彼女も彼女だ。しかし、寝顔も可愛いなこの人は」
慧音はそっと、右手の温もりを擦る。永琳の左手。寝ている時もずっと離さなかったのか、その安らいだ顔に慧音はいきなり顔を赤くさせた。
「うん、接吻しなかっただけ、まだ良かったんだ。そこまで酔っていなかったんだ。すごいぞ慧音、私はすごい」
「じゃあ私がすればよかったのかしら?」
ふと聞こえたその声は、慧音の頭の中に響く。気持ち悪そうに呻く慧音の様を、隣で寝ていた永琳が見守っていた。
「おはようけーねちゃん。玉水、作りましょうか?」
「ぎょく……? まぁいい、なんでもいいからつく」
「おはよう、けーねちゃん」
「……あぁ、おはよう、えい……」
と、慧音は口を紡ぎ、永琳の気を引きつける。
「呼んでちょうだい」
「……恥ずかしいんだ、貴女の名前を口にするのが」
「そんなに私の名前は恥ずかしい?」
「貴女の名前を呼ぼうとする私の気持ちに恥を感じるんだ、本当にまいる」
「まいってるのは呑み過ぎのせいよ、ほら起きましょう。今日もお仕事頑張らないと」
「そうだな、頑張ろう……えいり……やっぱり駄目だ」
再び頭を押さえる慧音に永琳は身を起こし、頬にそっと触れた。慧音はそれにゆっくりと頭から手を放し、眼を丸くさせ永琳の顔を見つめる。
「……なにをした」
「頭が痛くなくなるおまじない、酔い止めの薬より効くでしょ?」
「……顔を洗ってくる」
「うん、早くしてね。けーねちゃん」
立ち上がり、髪を掻きながら洗面台へと向かう慧音の足は速かった。それを見て、この家に初めて来た時の慧音を永琳は思い出した。そして感触を自身の手にも伝えるように、唇に優しく寄せた。
・
しかし、月日というものはいつの間にか早くなるものだ。と永琳は思う。永遠でもそれを感じた。やはり年なのだろうか、と寺子屋の保健室から見える木を見つめていた。風になびかれて、葉同士が輪になり歌を歌う。歌う、という表現が出てきた事に永琳の口が綻んだ、まだ私は若い。
「もう最後の日かぁ、早いわね」
「ん、そうだな」
永琳の前で診断書を確認する慧音の声は淡々としていた。それを聞き、慧音の顔へと振り向かせた永琳の眼はつまらなそうだった。それに気づき、慧音は頭を起こし、永琳と同じ様に睨みつける。
「寂しくないの?」
「貴女は」
「全然?」
「なら私もだ」
睨み合いが続き、やがてどちらかともなく笑い出した。
「そうよね、会おうと思えばいつでも会えるんだし」
「そういう事だ、でも貴女の料理が毎日食べられなくなるのは寂しくなる」
「次に来る時はけーねちゃんが作ってくれるんでしょう?」
「あー……仕方ない」
「仕方ない?」
「喜んで貴女のためにご用意しておきましょう」
慧音はかしこまり持っていた書類を永琳に渡す。それに満足したと言うように、しかし慎みを持ち永琳はそれを受け取る。
「よろしい。それで生徒さん達の取りこぼし、ないわよね」
「あぁ、対象の子たちは全員泣いていた」
「そんなに予防接種痛いのね。うちの子たちも泣いてたし、けーねちゃんは涙浮かべていたものね。最後の最後で皆に、トラウマ作っちゃったわね」
「一回貴女もしてみるといい。想像を絶した」
「えーりんせんせーだいっきらい! ってあの子に言われちゃうし。ちょっとショックだったわ」
「注射が絶縁状になってしまったか。やっぱりけーねせんせーだいすきと言われたから謹んでお断りしたよ、ちゃんと自分の好きな人を見つけなさいと」
「男泣かせなのね」
「貴女はそれ以上に泣かせているだろう?」
慧音は注射器を指差し、不敵に笑った。永琳はそれに、初めて慧音に悔しさを覚える。それはとても新鮮だった。そして永琳は自らを恥じる。
「……ごめんねけーねちゃん」
「ん? 急にどうしたんだ」
「ううん、なんだか……自分だけが優位に立ってたんだなって思っちゃって。でもそれが勘違いで良かったわ」
「なら良かった、私も貴女の同じ所に立てる」
「……今の言い方、ちょっと嫌」
永琳は俯かせていた頭をそのままに、慧音を睨みつけた。それに焦る事はなく、ただ微笑む慧音の口はこう開いた。
「すまない」
「やっぱり謝っちゃう」
「先に謝られたからな。それに貴女からまだまだ学ぶべき事も多い。だから貴女は貴女のままでいてほしい。私にはならないでくれ」
「……うん」
肩にそっと慧音の手が添われ、永琳はこくんとうなずいた。そして顔をあげると、慧音はただ微笑んでいた。優しく、しかし少し悲しそうに。それに対して、永琳は眼を瞑り、ただ待っていた。
「そういえば」
と、慧音の口が開いた。永琳は眼を開き、眉間にしわを寄せる。
「にぶちんけーね」
「なんの事だ?」
「別になんでもないわよ。で、何?」
「あぁ、いい機会だから家に帰ってから言おうと思ったんだが、貴女の身の回りを片付けないといけないしな」
永琳の胸がときめく。
あぁ、あの時言った私の好きって意味、わかってたのね。そうよ、けーねちゃんの事が好きなの。誰よりも。でもけーねちゃんは覚えてなさそうだったから心配してたんだけど、そうね、そういう事ね。覚えていない振りをして自分から言うつもりなのね。最初は自信なかったけど、そんな事はない、けーねちゃんも私の事が好きって言い聞かせて来て良かったわ。うん、私はOKよけーねちゃん。さぁ言って。幸いここにはベッドもある、しかも生徒も帰って私たち二人だけ。あぁしまった。私の下着、勝負するつもりなんてさらさらないわ。永琳のバカ、こんな事なら下着全部それにすれば良かったわ。あぁでも私の下着姿、けーねちゃんにも見られてたんだったわ。それで鼻血出しかけてたのも知ってるのよけーねちゃん。だから大丈夫よ。お姉さんがちゃんとリードしてあげるから。
頭の中でいくつもの自分を駆け巡らせ、永琳は慧音の言葉を心待ちにしていた。
「大丈夫か?」
「……へ、あぁ、大丈夫よ」
「実は」
永琳は唾を飲み込む。
「妹紅の事なんだ」
「え?」
少し浮かれていた永琳は愛の告白ではない事に肩を透かしたが、それでも慧音の声は真剣だった。
それ故に永琳は耳を塞ぎたくなってきた。慧音の言いたい事がわかってしまったから。聞きたくない。
「いや、私が死んだ後、あいつは一人になってしまう」
やめて
「だからその後、貴女に妹紅の面倒を見てほしいんだ。いや、見守るだけでいい。あいつは貴女の事が苦手だし」
やめてって
「でも助けになってほしいんだ。あいつは嫌がるだろうが、それでも」
「やめてって言ってるでしょ!」
数瞬後、慧音は頬に痛みを感じていた。よく見ると、永琳が立ち上がって右手を振りぬいていた。涙を溜めたまま。
「聞かないわよ、そんな遺言」
「いや、そういうわけじゃ」
「ずっとそばにいてくれるって慧音は言ってくれたでしょう! 何でそんな事言うのよ!」
「……それでも、言わずにいられなかったんだ。すまない」
「謝らないでよ! お願いだからあや……ま……」
足の力が抜け、永琳はそのまま座り込み溜めていた涙を落した。それを見て、慧音は少し呆然としていたが、椅子から立ち、永琳の元へと跪いてその頭を抱きしめた。
「わかった。もう言わない」
「そうよ……言わないでもう……」
「あぁ」
「……んでやる」
「え?」
「私も……いつか死ぬわ……もう永遠はいや……慧音と一緒にいたい……ずっと……」
「あぁ、私もずっと永琳と一緒にいるから。先立っても、頼んで彼岸で待っているよ。永琳が来るのを」
「……愛してる」
「私も愛しているよ、永琳」
慧音の胸に、永琳の涙が零れた。
翌日の朝、二人は竹林を歩いていた。永琳は永遠亭へ久々に帰るのが嬉しいのか、その足取りが軽かった。しかし慧音は永琳の鞄を持ちながら不機嫌そうにをしている。というよりも疲れたような顔をしていた。永琳はその機嫌のままで、自分に言い聞かせるように声を出した。
「いやもう、若いっていいわねぇ」
「うるさい」
「だってあんなに求められちゃうんだもの」
「うるさいぞ」
「え、なに、けーねちゃんずっとたまってたの? ずっと私の」
「うるさいと言っている!」
慧音は怒鳴った。しかし永琳は動じない、それほどに昨夜の慧音に喜びを感じていた。そして久しぶりと感じるほどに、慧音の赤くした顔も見れている。やっぱりけーねちゃんはこうでなくっちゃ。
「決めたわ、けーねちゃん」
「……何を」
「産むのよ、赤ちゃんを」
「は?」
「けーねちゃんの赤ちゃん」
「……女同士で何を言ってるんだ貴女は!?」
「ここで問題です。私の職業は何でしょうか?」
慧音はそれを考える気力もなかった。それほどに昨夜の自分に恥を感じていた。憧れの人と結ばれたはいいが、いかんせんこんなに恥を掻く事になろうとは。今後はしないぞ、絶対に。いやでも……
「……薬師、それも天才という枕詞がつくほどの。それなら出来るな、貴女と私の赤ちゃん」
「はずれ」
「じゃあ何だと言うんだ」
「慧音の奥さん」
「……言っていればいい」
慧音はため息をつく。しかし慧音の一言は、永琳に手を組ませるぐらいの効果はあった。永琳はかつてこれほどの幸せを感じた事があっただろうか、それを慧音に伝えるために肩に頭を乗せた。慧音もそれに抵抗せず、受け入れた。永琳と同じぐらい幸せに感じていた。
それが永遠に続けばいいのに、と互いに口にせず感じ合っていた時に永遠亭の門が見えた。永琳は名残惜しくも慧音から体を放し、向き合う。
「それじゃあ、しばらくお別れね」
「あぁ、また来るさ」
「私から行ってもいい? けーねちゃんのご飯、楽しみにして」
「……やはり作らな」
「ダメ」
「……はい」
慧音は永琳に鞄を渡し、しかし離そうとはしなかった。永琳も同じ気持ちで、首を少し傾げて、微笑んでこう言った。
「お茶、飲んでいく?」
「あぁ……うん、そうしよう」
永琳が門を開く。と、永遠亭は賑わっていた。どういう事だろうか、と二人は思った。
「なにかしらね、これ」
「あぁ、今日貴女が帰ってくるからその宴の準備でもしているのだろう」
「本当に? あの子たちがそんな事するとは思えないわ。見たでしょ、私が出掛ける時のあの態度」
「大丈夫だ、貴女は自分に自信を持った方がいい」
「ほんとかしら……」
「それよりも妹紅だ、あいつはきちんとしていただろうか」
「きちんとしてなかったけーねちゃんに言われたら、もこすけ怒るわよ」
二人は話しながら玄関へとたどり着いた。扉を開くと、確かに出迎えがあった。
違う、見送りであった。
「いってらっしゃいウサ、もこママ。ちゅー」
「うん、行ってくるねてゐちゃん」
「あ、てゐずるいわよ! 妹紅さんママ、私もー」
「もう、鈴仙ちゃんも甘えん坊だな」
「ちょっと妹紅―、忘れものよ。はい、行ってらっしゃい」
「ちょ、輝夜、二人が見てるって!」
「別に知ってるからいいですよ、ねぇてゐ」
「ここに姫さまママともこママの深夜の部屋を録音したテープがございます、はい一貫文から!」
上にあげたてゐの手から妹紅はテープをひったくり、その場で燃やした。あーあとつぶやく鈴仙の曲がったネクタイを輝夜が母親のように直す。てゐはちぇっと残念そうに口を尖らせると、自らの頭を庇った。妹紅が拳骨を作っていたからだ。
少し変わった形だが、そこには家族が存在していた。
それを見た永琳と慧音は顎が外れそうなぐらい口を開け、そして手の力がなくなっていく。ばさっと落とした鞄にも二人は気付けなかった。しかしそれに気付いたのは鈴仙だった。互いに合う視線。
「……師匠に、先生だ」
「え、慧音と八意……帰ってきたのか?」
「……え、うそ、永琳……慧音ちゃんの所へお嫁に……」
「……出戻りだー!」
てゐが叫ぶとその場で四人はあたふたと慌て始めた。三人はもちろん妹紅も永琳が帰ってくる事を忘れていた、というよりも帰ってこないとばかり、という感覚になっていたようだ。それが永琳に伝わってきて、わなわなと震え、しかしその顔は今にも泣きそうになっていた。
「どうせ……どうせ……どうせ私なんてぇー!!!」
永琳は竹林へと駆け出した。それでも慌てている四人に慧音は呆気に取られ、我に返ったのは数分経った頃だった。
「お前ら! あとで説教だ! 全員そこにいろ!」
ワーハクタクの時と同じ迫力、それに四人はその場で正座をしてしまう。が、それを見ずに慧音は永琳の後を追った。
永琳は泣いていた。ちょうど永遠亭と人里の間の竹林で、膝を抱えて泣いていた。それを見つけた慧音は息を切らしていた。
「はぁ……見つけたぞ」
「いいのよけーねちゃん……もう私、帰る所失くしちゃったもの……」
「だからそんな事はないと!」
「もういいの……ここで一人寂しく死んでやる……あ、まだ死ねないんだった……」
「はぁ、永琳」
慧音は永琳の前に立ち、跪き、永琳の肩を抱いた。それに永琳は慧音へ頭を起こした。その慧音の微笑みはとても眩しかった。
「これからは一か月とは言わない。その、ずっと……一緒に暮らさないか?」
永琳の胸はときめいた。
供給が少なくて死活問題でした。ごちそうさまでした。
ただ読みにくい部分が多かった気がします。どこがと言われると難しいんですが。
とまあそれはともかく、中々に甘くて素敵なお話でした
けーねちゃん、ってすごく可愛いw
何このえーりん、可愛すぎる。\素敵/\大好き/\萌え/
2828が止まらない!