夏も終わりに近づき、夜の寝苦しさもなくなっている。竹の葉の囁きによって眼を覚ました私は、曙光が瞼を、少しの冷たさを孕んだ風が肌蹴た素足を撫ぜるのを感じながら浅いまどろみに身を任せていた。
ぱっちりすっきりはっきりした目覚めよりも、布団と溶けて混ざりそうな目覚めの方が私は好きだ。であるから、今日はまた格別の目覚めといえよう。
「んむぅ」
うつ伏せになり、枕に顔を押し付けたまま意味のない声を上げる。その振動も心地よく鼓膜を震わせ、いつまでも覚醒しない脳をさらに酔わせる。
溶けて混ざってふわふわと浮くような感覚を脱力しながら力いっぱい楽しみ浮いたまま眠りの世界に沈もうじゃないか、などと矛盾だらけの思考をなんとなく展開させ、早くも二度寝という名の本日第一回目のシエスタに突入しようという時に。
「輝夜、朝よ。起きなさい」
……ノイズが入った。急速に意識が引き上げられていくことを感じながらも、それを認めたくなくて言葉を無視し、枕にしがみつく。
「輝夜、朝よ。起きなさい」
二回目、三回目と続く永琳の声。ノイズも繰り返されれば段々と心地よくなるもので、段々と厳しくなる永琳の声が遠くなることに少しの不安と大きな満足を覚えながら遂に意識を手放そうとしたところで、ノイズの調子が変った。
「最後よ、輝夜。起きなさい」
しかし、枕に乗っているオブジェと化している私の頭はその言葉は認識できずに、結果的に無視する形になってしまった。横からため息が聞こえたと思ったら、足に違和感を感じる。なにかすべすべした、温かいものに包まれているような感じ。
けれどもその違和感は、一瞬の後に鋭い痛みに化した。思わず枕から顔を離し、声をあげてしまう。
「いたっ! 痛いってえーりん! 痛い痛い痛い!」
「あら、肝臓弱ってる? 輝夜、お酒の飲みすぎはよくないわよ」
「そうかもね気をつけるからまず放していーたーいー!」
「目、覚めた?」
「覚めた覚めてる覚めないわけないったい!」
「輝夜式三段活用? それはまた新しいわね」
ぼふぼふと布団をたたき、息も絶え絶えになってきた辺りでやっと解放してくれる永琳。
先ほどの指圧で頭からは眠気などの心地いい要素は消し飛び、代わりに痛みと現実を渡された。枕に顔を押し付けているが、それは先ほどまでとは違って心地よさなど全くなかった。乱れた呼吸は枕を伝わり、私に不快な熱だけを返してくる。
「さて改めて。おはよう、輝夜」
「……おはよう、永琳」
私の息が整った頃を見計らって声をかけてくる。それに応えるために寝返りを打って、永琳を見やった。というかできる限りのじと目を作って睨みつけてやる。返ってきたのはいい笑顔だったが。
暖簾に腕押し、柳に風、永琳にじと目。無駄だと悟って、スイッチを切り替えて気合いを一つ跳び起き、正座で永琳に向き合う。
「ふぅ。たまには寝坊させてくれたっていいじゃない」
「またそんなこと言って。ご飯は一緒に食べたほうが美味しいものよ」
まったくもって正論である。お母さんである。確かに、私としても冷めたご飯を1人でもそもそ食べるのは本意ではない。
「ま、確かにね」
それだけ言って永琳が持ってきた桶から手で水を掬い上げ、顔にあてる。頭の中に少しだけ残っている眠気もふやけていき、水と一緒に拭い去る。
そして鏡台の前まで移動すると、いつの間にか背後に移動していた永琳が私の髪に手櫛を入れ始めた。
「本当に、あなたの髪は綺麗よね」
「ありがと。でもそれ、何回目かしらね」
「褒め言葉は毒にならないから」
「ふふ、でも永琳だって負けないでしょうに」
「それでもやっぱり黒髪は美しいと思うのよ」
「となりの芝は何とやら、ね」
「そうかも、ね」
会話が止まったところで鏡に映る永琳を見ながら櫛を手渡す。手櫛からそれに換え、髪を梳き続ける永琳。しばらく髪を伝ってくる感触を楽しんでいたが、なんとなしに言葉を紡ぐ。
「……そういえば永琳。いつも同じ髪型だけど、変えたりしないの?」
「んー……そうね、別に変えたいと思わないし。変えたくないとも思ってないけど、機能的にこれが一番なのよ」
手を止めることなく言葉を返してくる。特に考えて返しているわけではないようだ、視線は手元を向いている。
「じゃあ、髪型変えよう」
「なにがじゃあなのかよくわからないけど……別にかまわないわよ。ただ、仕事するときは纏めるけど」
「それでいいわよ。そうね……今日は午前中で終わりよね? それなら、診療が終わったらやりましょう」
「はいはい」
「はいは一回」
言葉をやり取りしながらも永琳の手は淀みなく動き続けている。視線は手元からずらしていないが、鏡に映るその表情は先ほどよりさらに柔らかくなっている気がした。
――――――――――――――――――――――――
現在、永琳と連れだって自室へ向かっている。庭に面して続いている廊下は私たちに高い空を惜しげもなく披露し、肌と目で秋を堪能させてくれている。
そんな秋の風景を全身で感じ、永琳の左後方を歩きながらおなかをさする私。
「けふ。余は満足じゃー」
「そうね、あのなめこ汁は卑怯だわ」
「んー、なめこーなめこー」
髪を梳いた後はいつもの服に着替え、居間に向かった。
すでに配膳の済んだ朝食を前にイナバ二匹が待っていてくれたのだが、最近のへにょりイナバは油断ならない。主に料理の腕が。今日のなめこ汁は逸品で、結構な回数おかわりした。おかげでおなかがちゃぷちゃぷだ。へにょりイナバは自分の分がなくなったと嬉しいような悲しいような顔をしていたが。
そして今はイナバたちに片付けを任せてきたわけなのだが。
……相変わらず長い廊下。歩いていると、だんだん脇腹が痛くなってきた。歩くペースも落ちる。そしてついに、よろよろと柱に手をつき、蹲った。
「うう……私はもうダメみたい。永琳、あなただけでも生き延びて……!」
「そう? じゃあ、先に行くわよ。じゃあね」
「まてい」
「あぅっ」
先ほどまで歩くのに合わせて右へ左へと揺れていた永琳のエビのしっぽ的な髪の先を掴んだ。こきっという音と一緒に頭がかくっと後ろに倒れ、なんだかかわいい声が漏れた。
「ノリが悪いわよ、永琳」
「ええぇ……」
脇腹に左手を当てながら胸を張り、首を押えている永琳を指さす。当の永琳は戸惑ったような声を上げるばかりであったが。
「もっとこう……ドラマチックに! なんかこう……ドラスティックに!」
ドラスティックってなんだろう。とりあえず言ってみたけど。
対する永琳は困ったような笑みを作り、手を首に添え、コキコキ鳴らして感触を確かめながら口を開く。
「おなかが痛いなら飛べばいいんじゃない?」
「……ノリが悪いわよ、永琳」
実際は思いつかなかっただけだが。結局、戻ってきて二人並んで歩き始めた。私の腹痛により、かなりゆっくり。
「あなたは私に何を期待してるのよ」
「具体的には言えないけど、そこは天才的頭脳で何とかしてよ」
「それを人は無茶振りというのよ?」
「不可能を可能にするからこそ天才って呼ばれるんじゃないの?」
「それもすでに無茶振りなんだけど」
そうこうしているうちに私の部屋の前に着いた。えーりんラボ兼診療室はさらに奥……というか玄関寄りにあるから、自ずとここで別れることとなる。私は立ち止り、永琳の背に向かって言葉を投げかける。
「んじゃま、後で。終わったらてきとーに来て」
「はいはい。じゃあね」
「うに」
永琳は振り向かないで手だけひらひらと振る。こちらもその背中をじっと見つめ続け、角を曲がったところで私も部屋に入った。
「さて」
どうしようか。これで午前中はやることがない。一日中暇な時もざらにあるが、暇なものは暇なのだ。暇つぶしが必要なのだ。とりあえず昨晩読んでいた本を手にとって、敷きっぱなしだった布団の上に横になった。仰向けになって、昨晩の続きを読み始める。
「くぁ」
しかし、10ページも読まないうちに、すぐ眠くなってくる。心地よい満腹感に少しの寝不足感、この二つが組み合わさったらどうなるかというと。
「……」
当然、寝るわけだ。私は先ほど読み始めたばかりの本を栞も挟まずに閉じ、枕元に置いた。おやすみなさい。
――――――――――――――――
懐かしい子守唄で意識が引き上げられた。眼をさましちゃったら子守唄じゃない、か。などと思いながらも瞼をこじ開ける。
最初に写ったのは当然のように見慣れた天井。次いでその唄の元を探すと、帽子も取って髪を解いた永琳がこちらに背を向けて鏡台の前で髪を梳いていた。なんだかんだいって楽しみなのだろう、子守唄もだんだんテンポアップしてきている。あ、自分で合いの手入れた。
「……ノリノリね、永琳」
「あら輝夜、おはよう。起しちゃったかしら?」
「子守唄で安眠妨害したら本末転倒でしょうに」
「これしか思いつかなかったのよ」
「さいで」
私なら恥ずかしくて悶えるところだが、永琳は気にした様子も見せずに髪を梳き続けている。瞼をすりすり、永琳に背後からくっついて、顎を永琳の頭に載せた。前に流した永琳の髪をなでながら、深呼吸。永琳の匂い、ひたすらに落ち着く。まだぼんやりしてる体に染み渡り、なんだかまた眠くなってきた。
「また眠くなってきた」
「こらこら。顔洗ってきたら?」
「んー……めんどい」
体を離して、ぺちぺち自分の頬を叩く。頭をふりふり、なんとか眠気を飛ばす。一つ息を吐いて鏡の永琳と向き合う。
「さて、永琳の髪型変更大会、始めましょうか。どんなのにする?」
「どんなのって言われてもねぇ……お任せするわ」
「お任せ、ねぇ……」
視線を落とし、銀の髪をまじまじ見詰める。床に届いてはいないが、正座しているその腰の下あたりにまではある、長く、癖のない髪。
……非常にやりにくい。外から流れてきた本もよく読むが、これだけ長い髪を持つ人はほとんどいない。いたとしてもストレート、またはいつもの永琳のような大きな三つ編み。
ましてや銀髪である。それらの本で銀髪など見たことがない。
「どうしたものか……」
ぼんやりと髪を掬って眺めながら独りごちる。参考になるものがないというのは厳しいものだ。
とりあえず、思いついたものを片っ端からやってみる。
「まずはポニーテール、いってみましょうか」
髪留め用のひもを持ってきて、後ろ髪を纏めて縛る。位置は顎と耳を結んだラインの延長線上。これだけで完成。
少し後ろに引いてその様子を見る。しかし。
「何かが足りない」
そう、何かが足りないのだ。ポニーテール自体の出来は非常にいいものである。全く痛んでいない永琳の髪、そしてこの長さ。
「そうだ、うなじ成分が足りない」
「うなじ成分って何よ」
「しっぽ部分が揺れて、うなじが見えたり見えなかったりするのがポニーテールの魅力……らしいわ」
であるから、この長さでは魅力は半減。それは駄目だ。
とりあえず、ひもを解いてストレートに戻す。手櫛を入れながら考え、思いついたのは。
「次は縦ロールで」
「縦ロール? どうやってロールかけるの?」
「……妹紅に頼むか」
「髪も一緒に燃やされそうね」
それは却下。
しかし、妹紅で思いついた。あの白髪。白髪にたくさんくっついているリボン。
「そうね、じゃあリボンでもつけてみる?」
「リボン? 輝夜、持ってるの?」
「……ない」
「無理じゃない」
「そうね」
へにょりイナバが今度里に行ったときについでに買ってきてもらおう。ということでリボンは先送り。
「んー、じゃあ巻貝?」
「なに、それ?」
「後ろ頭で纏めて、くるくるっと」
手を後頭部へ持っていき、ジェスチャーで形を示す。我ながら下手な説明だとは思うが、永琳は理解できたようだ。苦笑いを浮かべている。
「それは……できるの? 物理的に」
「さぁ? やってみなけりゃわからないでしょ」
それだけ返してとりあえずくるくると髪を巻き、頭の上に載せてみる。落ちた。
「無理でした―」
「残念ね」
とはいえ、永琳程の髪の多さで巻貝なんかやったら全長50センチのドリルが頭上に出現することになるが。……想像したらちょっと笑える。
「くふふ……」
「いきなり何よ」
「いやぁ、思いつき笑いってやつ?」
鏡に映る永琳のはてな顔を前に、しばらく笑い続ける。その間も髪型について色々と思考を巡らせてみたが、なにも思いつかなかった。
……ちくしょう、こうなりゃヤケだ。
「ほあちゃあ!」
奇声を発して、ちゃぶ台返しみたいに髪を巻き上げる。普段は後ろに持って行っている髪も前に落ち、妖怪銀坊主が鏡の中に現れた。その様子はさながら銀髪貞○、○子である。
「なにすんのよ」
「いやまぁ、これはこれでアリ?」
「ナシでしょ」
「まぁまぁ、私もやるからさ」
後ろ髪を前に落とす。視界が黒に遮られ、その隙間から永琳が吐いた息で銀髪を揺らすのが見えた。
たがいにその様子を鏡越しに見て、くすくす笑みをこぼす妖怪銀坊主と黒坊主。銀と黒の貞○が笑いあう様子はちょっとしたホラーかもしれない。
「師匠? こっちにいらっしゃるんですかうわぁ!」
そしてこのタイミングで乱入するへにょりイナバ。……いつも思うのだが、この間の悪さは天性のものなのだろうか。
吃驚して、耳をぴーんと立ててのけぞったへにょりイナバだったが、まじまじと私たちを見つめて正体がわかると、ほっと息をもらす。それに伴って耳も元のようにへにょる。
「びっくりしましたよ。まったく、何をやってるんですかー」
にへら、と笑いながら問いかけてくる。私はその問いに答えず、鏡を通じて永琳と眼で会話する。
―――やっちゃう?
―――やっちゃいますか。
はい、結論。やっちゃいましょう。
「ヴぁー!」
「わー!」
二人して勢いよく立ちあがり、意味のない言葉を発しながら全速力で詰め寄る。その様子に再び耳を逆立てると、紫色の髪を翻して廊下を逃げるへにょりイナバ。逃がすものかと髪を振り乱してそれを追う黒坊主と銀坊主。
「私が何したって言うんですかー!」
「ヴぁー!」
「きゃー!」
走りながらも問いかけてくるへにょりイナバ。そんなの無視して再び奇声を上げる私。ただ黙々と私の後についてくる永琳。……もしかしたら、一言も発さないで走る永琳が一番怖いのかもしれない。さすが天才、そこまで考えてるんだなぁ。
「ぅ……ぅあー……」
いや違った。勢いでついて来たはいいが、ここまでやるとは思ってなかったらしい。照れからか、小さく意味不明の言葉を発しているのが耳に入った。私は声を落とし、後ろを走る従者に声をかける。
「ちょっと永琳、声小さいわよ」
「……ヴぁー!」
「ぎゃー!」
そうそう、その調子。前を向いて走りながら、やけ気味に奇声を張り上げる永琳に向けて親指を立てる。
「たーすーけーてー!」
「ヴぁー!」
「うぁー!」
「わー! うわー!」
妙な声を上げながら廊下を疾走する私たち。
やばい、楽しい。
―――――――――――――――――
「今日は疲れたなー」
あの後、案外体力のあったへにょりイナバも同じように紫坊主にして、貞○三人でちょうど通りかかったもふイナバを追いかけまわした。もふイナバの必死な顔というのはなかなかにレアだったため、興が乗ってあえて捕まえず逃がさずに追いかけまわしていたらいつの間にか夕飯の支度をする時間を大きく過ぎていたようだった。ちなみに、永琳の髪はいつもの大きな三つ編みに落ち着いた。
その影響で後の行動がすべてずれ込み、部屋に戻ってこの状態になったらいつもはすでに寝ている時間。瞼が重い。
「……」
今日あったことを思い出す。朝のなめこ汁。昼の永琳の髪。夕方の鬼ごっこ。夜のなめこ汁。
……今日の出来事を思い出していたのに半分がなめこ汁なのはどうなのだろうか。確かに非常に美味しかったが。
そんなまとまりのない思考を繰り返していたが、体が布団に沈みこんでいくような感覚を覚える。金縛りにあっているように動かない体を何とか動かし、毛布にくるまった。
明日、何をするとかは明日考えよう。永遠の暇つぶし、考え事も悪くはない。
「おやすみなさい」
薄暗い燭台の光が灯る部屋で、1人でつぶやく。
おやすみなさい。
End.
耳をピンと立てる反応とか面白かったですね。
輝夜が永琳の指圧を受けたことや会話も良いものでした。
萌えたwwww
あと、自分の能力が沢山出てきて驚いたw
そして鈴仙がやっても耳のせいでシュールに…
なごむわー
八意博士によって創り出された不死身の月人・輝夜は自らの歴史を自由にできるホーライ生命体だった。輝夜はより完成された生物になろうと、八意博士の助手・鈴仙を誘拐し博士に<<禁則事項>>を迫ることを目論む。同じく、八意博士により焼鳥屋の遺伝子を組み込む改造手術を施された妹紅は、謎のハクタクの声に導かれ、鈴仙の身を守るため行動を開始する…
こういうことですね、わかります(違。
そんなことより姫様かわいいよ姫様。あと「ヴぁー」がCV:田村ゆかりさんで再生された俺はもう駄目かもしれんね。