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暗く鬱蒼とした魔法の森を歩く事、数分。森の入り口に程近いその場所に、白い外壁の邸宅が建っている。
以前は明確な呼び名の無かったその邸宅は、今では家主の名を取って『マーガトロイド邸』と呼ばれており……その玄関扉に掛けられた鍵をあっさり開錠すると、霧雨・魔理沙は屋敷の奥へと這入っていく。
暗い森の中にある為か、日の高い内から廊下には照明が灯されており、居間へと続くそこが綺麗に整理されている事が見て取れる。と、その一角に置かれた花瓶――その隣に腰掛けていた人形が不意にこちらを見上げ、少々慌てた様子で居間へと飛んでいった。
何も知らない人間ならば腰を抜かすかもしれないその様子も、魔理沙にしてみれば慣れた物だ。彼女は「可愛い侵入者対策だよな」と他人事のように呟きながら廊下を進み、居間へと顔を覗かせると、開かれていたその扉を軽くノックし、
「よぅアリス、遊びに来たぜ」
笑みと共に告げた先、椅子に座って読書を行っている様子のアリス・マーガトロイドは、一歩居間に入った魔理沙へと視線を向ける事も無く、
「人の家へ勝手に這入り込んで来る人間を、私は客人だと思いたくないのだけれど」
「ノックはしたぜ?」
「そういう問題じゃないわ」
小さく溜め息。その様子に肩をすくめつつ、しかし『帰れ』と言われない事を好意的に解釈し、魔理沙は勝手にアリスの対面に腰掛けた。対するアリスはそれに一瞬だけ視線を向け、まるで我が儘な妹に呆れる姉のような表情で、
「期待してても、お茶は出ないわよ」
「解ってるよ。後で自分で淹れさせて貰う」
勝手知ったる他人の家、という事なのかどうなのか、魔理沙はマーガトロイド邸のキッチン周りに精通している。とはいえ相手の言いたい事はそういう意味ではなかったようで、全く、と言わんばかりに一息吐いて、アリスは再び手元へと視線を戻してしまった。
それに苦笑しつつ彼女の様子を眺めると、アリス自身は小さくも厚い本に目を通しており、机の上には三体の人形が座っていた。髪形や服装から何もかも違う人形達は、自身の半分ほどあるカラフルな紙を一生懸命折っていて、
「折り紙か」
そう自然と出た言葉にアリスが頷き、
「ええ。小棚の奥に仕舞ってあったのを見付けたの」
その言葉と共に、読んでいた本の表紙が魔理沙に向けられた。表紙に『おりがみ大百科』と書かれたそれは恐らく外の世界の本で、彼女はそこにある折り方を元に人形へ指示を出しているらしい。
とはいえ、人形の折っているものは全てバラバラだ。鶴や風船といった一般的なものから、象やペンギン、果てには何十枚ものパーツを組み合わせた手鞠のようなものまである。そんな、広い机の大半が折り紙で埋まっている様はどこか奇妙で幻想的だった。
「でも、なんで人形に折らせてるんだ?」
目の前で鶴を折り終わった人形の頭を無意識に撫でながらそう問い掛けると、アリスは少しだけ顔を上げ、
「日々の鍛練よ。魔理沙の努力と一緒」
「……私はこんな地味な努力はしないぜ?」
嘘にしか聞こえない嘘を吐きながら、魔理沙は人形――その紅いドレスと金髪を見るに、蓬莱人形だろうか――の折った赤い鶴を手に取ってみた。見ればそれは降り方の手本のようにズレ無く綺麗に折られており、頭を作るところでどうしてもズレが生まれてしまう魔理沙には考えられない芸当だった。
これは凄いな。純粋にそう思いながら、魔理沙は鶴を眺め、次いで人形を眺める。すると今度は青色の折り紙を手に取った蓬莱人形が、こちらの視線に気付いたかのように顔を上げた。試しに折り紙を奪ってみると「かえしてー」。……可愛らしい。
両手を伸ばして折り紙を取り返そうとする蓬莱人形の頭上でヒラヒラと青い紙を振り、必死にそれを取り返そうとする様子に魔理沙は微笑みを強め……はた、とある事に気付いて、視線をアリスに戻し、
「……そういや、この人形は全部お前が操ってるんだよな」
「そうよ」
つまりこの、取り返す事の出来た青い紙にほっとした様子を見せ、魔理沙から隠れるように他の人形の後ろへ引っ込んで何かを折り始めた蓬莱人形に意思は無く、全てアリスの一人芝居という事になる。けれど今も本に意識を向けている彼女が、テーブルの上でバラバラの動きを、しかも一体一体微妙な個性を出しつつ動き回っている人形を操っているようには思えない。
一度はさもしいと思ったそれも、こうして見ていると器用の度を越えている気がしてきた。というか、神業としか言いようが無い。
だから、思わず声が出ていた。
「……いくら魔法だって言っても、ここまで正確に作業を行わせるのは」不可能だろう。と、そう言い掛けて、けれど魔理沙は先程アリスが言った言葉を思い出し、「……ああ、すまん。だから日々の鍛練か」
「そういう事」
そうあっさりと答えるアリスは、身の回りの全てを人形にやらせている。掃除、洗濯、家事、裁縫――ありとあらゆる事を人形に行わせる事で、それを操る自身の技量を高めてきたのだろう。
……アリスも十分努力家だよな。そう思いながら魔理沙も折り紙を手に取り、人形達に倣うように鶴を一羽折ってみる事にした。
だが、出来上がったそれはやはり頭となる部分が少しズレてしまっており、何だか悔しい。ともあれそれを机の上に置くと、青い紙で再び鶴を折っていたらしい蓬莱人形がこちらにやって来て、魔理沙の折った白い鶴の隣に自身の折った鶴を置き、双方を見比べ……勝った、と言わんばかりの顔をこちらに向けてきた。
「……うるせー」
その様子に何も言われていないのにカチンときて、魔理沙は蓬莱人形の額にデコピンを一つ。だがそれはどこからか取り出された盾に防がれ、硬質な音と共に地味な痛みが指先に走る。そのまさかの防御に、魔理沙は思わず蓬莱人形の頭を掴もうと手を伸ばし――はた、と再び気付き、
「……やっぱりこれ、自立してんじゃないのか?」
「してないわ。全部私が動かしてるの」
「……むぅ」
痛む中指を軽く振りながら唸ると、蓬莱人形が心配げな顔を向けてきた。流石に盾でデコピンを防いだのは不味かったと思ったらしい。それに「平気だぜ?」と思わず呟きながら指先を差し出してみると、蓬莱人形が小さな手で中指を撫で始めた。その様子に嬉しさを感じつつ視線を上げると、操り主であるアリスは顔色一つ変えずに本へと視線を落とし続けており……尚更に、人形が自立しているような錯覚を感じる。
だが、当のアリスが違うと言うのだから、魔理沙にそれを覆す手段は無い。「もう大丈夫だ」の一言と共に蓬莱人形の頭を撫でると、お茶を淹れる為にキッチンへ向かう事にした。
マーガトロイド邸のキッチンは、リビングから延びる廊下を進んだ先にある。とはいえ、そこに至るまでの短い通路には大量の人形が鎮座しており……今では見慣れたその風景も、改めて見ると不気味この上ない。だがそれは物言わぬ人形が大量に並んでいるから恐ろしいのであって、一体一体が愛嬌良く動き回っていれば恐怖は薄れ、むしろ可愛らしさを感じられるだろう。
「……まぁ、流石に市松人形は不気味かもしれないがな」
どうやら散髪を済ませたらしい市松人形の頭を軽く撫でて、キッチンの照明を灯し、魔理沙は手際良くお茶の準備を進めていく。すると、背後から足音が響き、
「そっちの茶葉は使わないで。少し湿気てしまったから」
「あいよー」
「……良い返事を返されても困るんだけどね」
「そう言うなよ。ミルクティーで良いか?」
「任せるわ」
「んー」
軽く返事を返しつつ、カップを二つ用意する。一つは昔からアリスが使っていた物で、もう一つは自分用にと魔理沙が自宅から持参した物だ。最初は冗談で持ってきたような気がするが、今ではれっきとしたこの家の家具となってしまっている。そのくらい、アリスとの付き合いも長くなったという事だ。
それはともあれ、
「魔理沙さん特製ミルクティー、完成だぜ」
「……」一口。「……七十五点。少し甘過ぎるわ」
「むぅ、手厳しい」
九十点は狙えると思ったんだがなぁ。そう小さく呟きながら、リビングにあるものよりも一回りほど小さい机に腰掛ける。そんな魔理沙の対面にアリスが腰掛け、無言のまま静かにミルクティーを飲んでいく。当然その手はカップに添えられていて……しかし、人形達は好き勝手に動き回っていた。
一体は仕舞い忘れていた紅茶の缶を棚に戻していて、もう一体は別の棚からお茶請けを取り出しており、最後の一体――蓬莱人形は、また改めて折り出したのだろう折り紙をこの机の上で再開し、出来上がったそれを魔理沙に見せてくれていた。
思わずそれを受け取り、その完成度に再度驚き……魔理沙は改めてアリスを見つめ、
「ある程度は自動で動いてるって話だが……やっぱり、凄いもんだな」
ただでさえ難しいと言われる人形操術を、同時に複数、個別のアクションを交えながら操作しているのだ。自分でも魔道書を書き始め、他者のスペルをまじまじと観察する機会が増えたからか、改めてその凄さを痛感する。
対するアリスは「褒めても何も出ないわよ?」とつっけんどんな、しかしどこか嬉しげな様子で呟き、
「でも、魔理沙が考えてるほど難しいものではないと思うけどね」
「そーなのかー?」
「そうなのよ。……ほら、試しに右手を出して。蓬莱人形と魔力の糸を繋いであげるから」
その言葉に頷くように右手を出すと、そこに蓬莱人形がちょこんと乗ってきた。それと同時に、五指にほんの僅かな違和感が走り、
「はい、これでその子は魔理沙にしか動かせなくなったわ。……大丈夫、その子には火薬を詰めてないから」
「や、それはそれで心配だったけどな? というか、こんな微かな繋がりで操作出来るものなのか?」
引っ張ればすぐに切れてしまいそうな、極細の糸で繋がっているような感覚だ。それに不安を覚える魔理沙に、アリスは「大丈夫よ」と頷き、
「相手が無機物である以上、過剰な魔力は不必要だから。それでも十分太い方よ」
「むぅ」
ともあれ、向こうが大丈夫だと言う以上、あとはやってみるだけだろう。そうと決めると、魔理沙は蓬莱人形を机の上に座らせ、その頭上に掌をかざす。それと同時に、アリスから声が来た。
「動かすコツは二つあるわ。一つは、『人形を操っている』とは思わない事。もう一つは、その子を自分の手の延長――第三、第四の手だと思う事。……羽を生み出せる魔理沙なら解る感覚だと思うけど」
「あー、あんな感じか」
魔力で生み出した羽は、実際に意識すれば羽ばたかせる事が出来る。けれどそれは、耳を自分の意思で動かすように、出来ない人間にはどうやって良いのか全く解らない感覚でもあるのだ。だからこそ、アリスも明確にどうこうしろ、という指示が出せないのだろう。
だが、嘗めて貰っては困る。霧雨・魔理沙は魔法使いであり、その実力は自他共に認められたものなのだから。
「んじゃ、行くぜ?」
糸に魔力を通し、蓬莱人形が自分自身と繋がるイメージを生み出す。
意識をして無意識に、まるで指を動かすような感覚で人形を操作する。
まずは机から立ち上がり、アリスに向かって一礼を――
一礼――
一――
――
「……」
「……」
「……動かんな」
先ほどまでは愛嬌良く動き回っていた蓬莱人形が、ピクリとも動かなくなってしまった。それに『やっぱり自立してないのか』と納得し、同時に人形を立ち上がらせる事すら出来ない自分に小さな苛立ちが顔を出す。
そんな魔理沙に対し、アリスは自在に人形を操りながら、
「最初は誰でもそうよ。それにその子は私が自作したものだから、魔理沙の魔力に反応し難いのかもしれないわ」
「むぅ」
「何なら、暫くその子を貸してあげましょうか? その顔を見るに、このままあっさり諦めたりはしないでしょうし」
「良いのか?」
「ええ。夜中に盗まれるよりはマシだもの」
「……借りてるだけだぜ?」
言い訳のように呟きつつ、しかし魔理沙は内心アリスに感謝していた。
こうしている今も、人形は全く動いてくれず……確かにこのまま帰るのでは、自分の気が済みそうになかったからだ。
■
「……ま、家に戻ったからって動く気配は無いんだがな」
ベッドにぼふりと倒れながら、誰にとも無く呟きを漏らす。アリス邸から帰宅し、空が薄っすらと明るみ始めた今までずっと格闘し続けたというのに、蓬莱人形は何の反応も示してくれない。
魔理沙はベッドに横たわりながら人形を手に取り、その額を軽く突きつつ、
「アリスが動かしてた時はあんなにも愛嬌があったのになぁ。……お前、私の事が嫌いか?」
物言わぬ人形は何も答えない。
「……仕方ない。また明日頑張るとするか」
溜め息と共にそう告げると、枕の隣に蓬莱人形を置き、布団を胸元に手繰り寄せる。部屋の照明は灯したままで、練習しようと思っていた折り紙なども出しっぱなしのままなのだが……襲い来る睡魔には逆らえず、そのまま魔理沙は眠りに就いた。
■
翌日。
夢の残滓を引きずるように目を覚ました魔理沙は、しかし抜け切らない眠気に従うように体を丸め、布団の中へと潜り込み……ふと、違和感に気付いて体を起こした。
そして、見慣れた薄暗い寝室を見渡し……
「……あれ?」
消した記憶の無い照明が消えている。寝惚けて自分で消したのだろうか? いや、だが今までそんな事は……と思うと同時に、『照明が勝手に消えている』という事実の重要さに気付き、慌てて屋敷に張り巡らせている侵入者対策用の魔法を確認する。だが、誰かが家に侵入した様子は無く、自分の体にも何かされた形跡は無い。
だとすれは何故だ? と思いながら、不安と共に照明を灯す。そして改めて部屋の様子を確認すると、枕の隣に置いた筈の蓬莱人形が机の上に移動しており……アリスから貰った折り紙の一枚が、綺麗な折鶴になっていた。その事実に思わず右手へ視線を落とすと、そこから伸びる魔力の糸は今も人形と繋がったままで、
「……もしかして、お前がやったのか?」
物言わぬ人形は何も答えない。
「でも、そうとしか考えられないよなぁ……。となると、寝惚け半分では動かせたって事になるのか」
少々寝癖のある頭を軽く掻きつつ、可能性を口にする。変に意識し過ぎなかった事で、人形を動かせたのかもしれない。
或いは、人形が自立して動き出した可能性もあるが、
「……アリスは否定してたしなぁ」
恐らく違うのだろう。そう思いながら、魔理沙は蓬莱人形へ軽く魔力を込め……ふと、独り言を呟いていた。
「照明が消せたなら、次は着替えが用意出来れば最高だよな」
「はーい」
「ん、良い返事だ。――って、嘘だろ?」
何も答えない筈の人形から返事が返って来て、その予想外の状況に思考が固まってしまう。そんな魔理沙に対し、蓬莱人形は迷わず衣装箪笥のところへ飛んでいくと、そこから黒いドレスにエプロン、部屋の入り口にある帽子立てから三角帽を用意し、更には櫛と鏡まで準備して戻って来た。
その様子に呆気に取られながら、それでも魔理沙は一仕事終えた蓬莱人形の頭を軽く撫で、
「有り難うな……って、そうじゃない!」
思わず声を荒げ、目の前の蓬莱人形を捕まえる。すると、一瞬前までの動きが嘘のように動かなくなってしまった。その様子に、魔理沙は首を傾げつつ、
「……どうなってるんだ?」
良く解らない。
一応『蓬莱人形がこちらの命令を聞いた』という、ただそれだけの状況ではあるのだが、しかし今の動きはアリスの命令に従っている時のそれだった。だが、魔理沙はそこまで考えておらず、ただ『着替えを用意出来たら便利だよな』と意識しただけだった。
まさか本当に自立してるのか? そんな風に思いつつ、それでも着替えようとベッドから下りる。詳しい事を考えるのは、着替えを終えて朝食を食べて、それからでも遅くは無いだろう。
そう思っていたのだが……
「流石に動き過ぎだぜ?」
魔力の糸で繋がれた右手の方が引っ張られていきそうなほど、蓬莱人形はくるくると動き回った。
それは、魔理沙が『こうしたい』と思った動きを実行するものだ。例えば着替え終わった頭に帽子を被せてくれたり、食事を作り始めた魔理沙に包丁や食材を手渡し、一緒に野菜を切り始めてくれたりする。
その姿が少々忙しなく見えるのは、恐らく他に手伝ってくれる人形が居ないからで――明確に、これは自分の、霧雨・魔理沙の命令によって動いているのでは無いな、と思えてきた。
だが、蓬莱人形から伸びる魔力の糸は魔理沙だけに繋がっており、同時に人形がこちらの意思を反芻してくれているのも確かで……尚更に混乱が続く。
ともあれ、魔理沙は蓬莱人形と共に食事を作り、普段よりも美味しい気がするそれを食べ……
「……なんか、このままでも良い気がしてきたな」
実害が無いどころか有益な事ばかりなので、深く思い悩むのが馬鹿らしくなってきたのだ。
とはいえ、一応は原因を究明しておかないと気分が悪い。
「取り敢えず、アリスに聞きに行くか」
何気なく呟きながら、櫛を持った蓬莱人形にヘアメイクを任せてみる。
それは予想以上にらくちんで心地良く、アリスが人形操術に力を注ぎ続ける理由の一つが良く解るようでもあった。
■
「よぅアリス、ちょっと質問に来たぜ」
「人の家へ勝手に――」そう言いながら、アリスがちらりとこちらを見やり「……って、今日は珍しく髪に櫛を通してあるのね」
「こいつがやってくれたんだ」
言いながら帽子を脱ぎ、頭の上に乗せていた蓬莱人形を指し示す。すると、お茶を飲もうとしていたアリスが驚きを浮かべ、
「も、もうそこまで自在に動かせるようになったの?」
「へへー、凄いだろ? 凄いだろ?」
「ああ、嘘か……」
「な、何故解った?!」
「もう何年来の付き合いだと思ってるの? そのくらい解るわよ」
「そ、そーなのかー……」
なんだろう、この頭の上がらない感じ。咲夜にもこんな風にあっさりとあしらわれる時があるんだよなぁ。そんな風に思いつつ、魔理沙はいつものようにアリスの対面へ。そして机の上に蓬莱人形を座らせると、
「実はさ、昨日は全く動かなかったこいつが、今朝になったら急に動き回るようになったんだ」
同時に、昨日一晩頑張って、しかし一切蓬莱人形を動かせなかった事も説明しておく。すると、対するアリスは蓬莱人形を見つめ、そして魔理沙へと視線を戻し、
「この子は、一体どんな風に動いたの?」
「お前が操作してる時みたいな感じだったぜ。櫛を渡せば髪を梳いてくれたり、家を出る時には戸締りをしてくれたり……私が『こうしたい』って思った事をやってくれるんだよ。でも、昨日の事を考えるに、私には人形遣いとしての才能は無い。となると、こいつが何かの切っ掛けで自立を始めたとしか……」
「残念だけど、それは無いわ」
そう言って、アリスがお茶を一口飲み、
「恐らくそれは、私の命令が――半自立を行わせる魔法が発動しているだけよ。……そもそも、この子の中には私が組み込んだ命令が完全に残っているの。料理を作ったり、髪を梳いたりといった日常的な命令がね。でもそれは、本来私の魔力でしか発動しない筈だった」
けれど、想定外の事が起こる。
「まさか、魔理沙がそこまで頑張るとは思っていなかったのよ。一朝一夕で扱える技術では無いから、すぐに飽きると思って」
「魔理沙さんを嘗めてもらっちゃ困るぜ?」
冗談めかしての言葉に、アリスは微笑み、
「そうね、その通りだったわ。……ともあれ、魔理沙の頑張りによってその子の体内に魔力が満ちて、十分操作可能な状態にまでなったんでしょうね。そして一晩明けて、魔理沙の魔力が完全に人形に馴染んで……その結果、私の組み込んだ命令を、魔理沙の命令として反芻し始めてしまったんだと思うわ。操作している相手が違っても、人形にそれを判別する力は無いから」
「つまり、私がこいつを動かそうとすると、そのままアリスの命令が実行されちまう訳だ」
「そういう事。でも、魔力の糸は魔理沙と繋がったままだから……このまま魔理沙の技術が向上すれば、次第に私の命令も効果を発揮しなくなっていく筈よ」
「私の命令が優先されるようになるからか」
「その通り。でも、私の命令が消えて無くなる訳じゃないから、時折誤作動があるかもしれないわ。まぁ、そこは諦めて」
「解ったぜ」
そう頷きつつ、けれど蓬莱人形が自立していないという事に、そしてアリスがどこまでも人形を『人形』としか見ていない事に、魔理沙は少しだけ悲しくなった。人間味溢れる動きで蓬莱人形が働いてくれたのを見たばかりだから、どうしても自立している以外の答えを受け入れ難くなっていたのだ。
対するアリスはこちらの思いを見抜いているのか、魔理沙が机の上に置いた帽子へと視線を向け、
「……まだ蓬莱が自立していると思うなら、その帽子を魔理沙に被せて、もう一度その中へ隠れるように命令してみると良いわ。私は普段帽子を被らないから、そういった命令を行わないし」
「帽子の中に、か」
言われた通りに意識してみる。すると、蓬莱人形は『頭に付けるもの』として帽子は被せてくれるものの、その中に収まる事が出来ないようで、空中で浮遊したまま動きを止めてしまった。それでも魔力を通して意識を籠めると、かなりぎこちない動きで帽子を上げて、中に――
「――あ、」
ぱさり、と帽子が床に落ちてしまった。同時に、今までの動きとは比べ物にならないほどに硬い、本物の操り人形のような動きで蓬莱人形が魔理沙の頭に座る。それを直接眺められた訳ではないものの、その動きの硬さを感じ取った魔理沙は、そっと人形を机の上に座らせ直し、帽子を拾い上げると、
「……やっぱり、お前の命令を繰り返してるだけなのか」
「ええ。残念だけど、私にはまだ自立人形を作るほどの技量はないから。……まぁ、魔理沙の気持ちも解るけどね」
その言葉と共に、アリスの人形が一体、俯いて腰掛ける蓬莱人形の頭を撫でた。確かそれは、上海人形と呼ばれている人形で、
「こうやって動いている人形を見ていると、人はそれを擬人化してしまうのよ。操り人形だと解っていても、そこにある動きや仕草に、どうしても意思を感じてしまう。今だってそうでしょう? 魔理沙には、俯く蓬莱を上海が優しく慰めているように見えるかもしれない。でも私にしてみれば、人形に人形の頭を撫でさせているだけ。それだけの『行為』に過ぎない。でも、多分魔理沙はそこに優しさなどの『好意』を感じている筈」
「……」
無言は何よりの肯定だ。それを理解しているのか、アリスは言葉を続けた。
「その感情移入が無機物に一方的な魂を与えるのよ。だから、魔理沙にとっては蓬莱も上海も自立していると言えるのかもしれないわ。でも、私にとってはそうじゃない。人形は人形でしかない」
「感覚の……見方の違いか。……淋しい事言うな、お前も」
「事実を事実として捉える。大切な事よ」
「でもさぁ」
と、そう言葉を続けようとする魔理沙に、アリスは眉尻を下げた笑みで、
「だから、気持ちは解るって言ったでしょ? でも、それを許容していたら、実際に自立人形なんて作れない。それはこちらの錯覚であって、本当の『自立』ではないんだから」
「……確かにそうだな」
魔法使いは偏屈で、皆妥協出来ない一線を持っている。魔理沙にとってはそれが努力で、アリスにとってはそれが自分の技術であるという事。本気を出さない都会派は、他人にも自分にも厳しいのだ。
ともあれ、これで蓬莱人形が動き回った理由は解った。そして、自分の人形操術の実力も。
そう思いながら、蓬莱人形の顔を上げさせてる。アリスならば何の違和感も無くやってのけるそれも、魔理沙の操作だととてもぎこちない。しかも蓬莱の頭には上海の手が乗っていたままだから、まるで上海が蓬莱の頭を掴み上げたかのようにも見えた。
「……むぅ」
かなり前途多難。
それでも、心の中で努力家としての自分が顔を出し、『まだまだ諦めないぜ!』と声を上げた。だから魔理沙は蓬莱人形を掴んで席を立つと、アリスに笑みを向け、
「見てろ。お前が驚くくらいになってやるぜ」
「楽しみにしてるわ」
そう小さく微笑むアリスに背を向けて、やってきたばかりのマーガトロイド邸を後にする。
そのまま自宅へと駆けて行く魔理沙の足取りは軽く、その顔には楽しそうな笑みがあり、
「頑張ろうな、蓬莱」
告げる先、物言わぬ人形は何も答えない。
だがそれでも、魔理沙は全然構わなかった。
■
気付けば、一ヶ月ほど経っていた。
日々を蓬莱人形と過ごし続けた結果、彼女は次第に魔理沙の命令も実行出来るようになり、アリスの組み込んだ命令以外の行動からもぎこちなさが抜け始めた。
そうしていく内に、魔理沙の中に蓬莱に対する愛着が湧き、今まで以上に彼女を『アリスの人形と同じぐらいに動かしてやりたい』という気持ちが強くなっていった(アリスの動かす蓬莱の姿を知っているから、余計にそう思ったのかもしれない)。
だからという訳では無いが、魔理沙は日々の殆どを蓬莱と一緒に過ごした。離れているのは風呂やトイレの時ぐらいで、食事や眠る時も一緒に過ごし、互いの繋がりを強めていく。それは、『そうする事でより自然に動かせるようになる』とアリスからアドバイスを貰ったからでもあったのだが――それ以上に、『人形遊び』とはまた違う蓬莱との生活に、魔理沙自身が楽しさを感じていたからでもあった。
朝は同じベッドで目覚め、互いの髪に櫛を通し、一緒に料理を作って、魔法の研究と蓬莱を動かす練習を行う。そんな日々の中で、蓬莱用の洋服や小物を用意し始めて……気付けば魔理沙の部屋に蓬莱用のスペースが出来上がるほどになっていた。
以前の魔理沙ならば、そんな今の状況を『さもしい一人芝居』だと笑っただろう。だが、実際に蓬莱と暮らし始めて、そこに『意思』を感じられる程度に動かせるようになってくると、その感覚も変わってくる。
それは、羽を――いや、解り易く言うならば、指先を動かす感覚と似ていた。例えば右手の人差し指を動かす時、『人差し指よ、動け!』と念じながら動かす訳ではない。指を曲げるという信号が脳から発せられ、意識した瞬間には指は曲がっている。それと同じように、『○○をしたい』と思う魔理沙の意思がそのまま蓬莱を動かす。つまり、『○○をしたい』と思った時、既に彼女は動いているのだ。
だから――魔理沙が笑えば、同じように蓬莱も笑う。魔法によって可能になったその反応の速さがあるから、アリスは大量の人形達を自分の手足のように扱い、激しい弾幕ごっこを行う事すら可能にしているのだ。
とはいえ、
「私は、お前をそうやって乱暴に扱えそうにないけどな」
「んー?」
可愛らしく小首を傾げる蓬莱を抱き締めて、無理だよなぁ、と改めて呟きを漏らす。
この一ヵ月、喜怒哀楽の全てを蓬莱と共有してきた。いや、共有する事が出来てしまった。蓬莱が自分の思い通りに動く『人形』だと解っていても、実際に反応が返って来る以上、そこに『意思』を感じてしまうからだ。
だからこそ、可愛い蓬莱を弾幕ごっこの『道具』として使う事は出来そうにない。『パートナー』として一緒に戦うなら未だしも、放り投げたり、自爆させたりするのは絶対に嫌だった。
「アリスに言ったら、子供だって笑われるかもな」
だが、そう思えるほどに蓬莱への愛着が湧いているのだ。
「そうだ。何かあった時の為に、蓬莱へ防御魔法を掛けといてやろう」
「ぼうぎょー?」
「アリスの盾より安全、安心だぜ?」
笑みと共に言いながら、魔理沙は魔法を発動させる。
大切なものの一人となった蓬莱を、失わない為に。
■
そうして日々を過ごしていたある日、魔理沙のところへ――いや、霧雨魔法店店主・霧雨魔理沙のところに一つの依頼が舞い込んだ。
それは、妖精退治。魔理沙の力で、とある場所に集まっている妖精を蹴散らして欲しい、というものだった。
丁度買い物に出掛けようと思っていた時期でもあった為、魔理沙はその依頼を了承し……スペルカードとミニ八卦炉をスカートのポケットに突っ込むと、箒に跨がり、鬱蒼とした魔法の森から飛び立った。
「……しっかし、世間様はすっかり春になってたんだな」
今年は雪が少なく、幻想郷全体が白く沈む事も無かったから、森に居ても季節変化が解り難かった。それでも一度上空に舞い上がれば、太陽の暖かな日差しと、柔らかな彩りに包まれた幻想郷の景色に『春』を実感出来た。
そんな中を人里の方へと進み――更にその奥、湖を囲む桜並木の先に、目的である桜の大木があった。
「……やっぱりデカいな、この桜は」
魔理沙が里で暮らしていた頃から、春と言えば、この桜の元で大宴会を行うのが里人達の恒例となっていた。妖怪達が博麗神社に集まって宴会を開くように、人間達もまた、咲き誇る桜を愛でる為に宴会を開くのだ。
とはいえ、人間が集まる場所には妖精が現れる事が多い。彼女達は悪戯好きで、騒がしい事に敏感であり……その数が少なければまだ良いが、多くなれば笑い事に出来ない脅威になる。だからこそ、魔理沙のところへ依頼が入ったのだ。
見たところ、桜は今にも咲き出しそうな状況で――と、暢気に桜の様子を確認していると、数匹の妖精が現れ、魔理沙の姿に気が付いた。彼女達は一様に驚きの表情を浮かべ、すぐに逃げ出すかと思いきや、声を上げて仲間を呼び始めた。
だが、相手は所詮妖精だ。十匹二十匹現れたところで物の数では無いし、簡単に依頼を成功させる事が出来るだろう。
そう思っていたのだが――
「……」
――大きく揺れた桜の枝、そしてその大木の背後から、一斉に妖精が飛び出してきた。
その数、数百。
あっという間に視界は妖精で埋め尽くされ、『妖精退治? 楽勝楽勝』と楽観していた自分を殴りたくなるような状況が完成していた。
「……こりゃ、流石の魔理沙さんでも不味いかもな」
引きつった笑みを浮かべつつ、夏の蝉時雨よりも騒がしくなってしまった目の前の状況に呟きを漏らす。
冬の間は数を減らしていた妖精達も、春と共に幻想郷という大きな自然が目覚めた事で再び大量に生まれたのだろう。そんな彼女達が、何を思ったかこの場所に集い……結果的に、この数になった。こうなってしまうと里人達では対処出来ず、妖怪退治の専門家に任せるしかない。
面倒な依頼を引き受けちまったもんだぜ。そう思いつつ、魔理沙は帽子を深く被り直し、
「……さて、どうしたもんかな」
改めて、妖精を見やる。どうやら大半の妖精はこちらに気付いていないようで、ぎゃーぎゃーと騒いでいるだけのように見える。つまり、妖精全体の敵意がこちらに向いている訳では無く……いや、楽観は不味い。一匹が攻撃を始めれば、他の妖精は面白半分にそれに続き、結果的にその全てが魔理沙に攻撃を行ってくる。そんな妖精を全て退治しなければならないのだ。つまるところ、今も増え続けているような気がする妖精達全員が敵という事になる。
「景気良くマスパ……いや、ダメだ。桜が傷付く」
魔理沙の魔法は高威力のものが多く、それは弾幕ごっこという括りの中でも器物を呆気なく破壊する程度の力を持つ。かといって、スターダストレヴァリエなどの広範囲魔法は、展開が速くても正確さが低く、ちょこまかと動き回る妖精を捉えられるとは言い難い。更に、流れ弾が桜を傷付けてしまう可能性があった。
或いは高高度からドラゴンメテオで一掃するという手もあるが、妖精を全滅させるよりも先に、大きく大地を抉って宴会会場を滅茶苦茶にしてしまう確率の方が高い。
「……アリスを連れてくりゃ良かったな」
物量戦となれば、アリスの人形は何よりも力強い味方になる。だが、今更そんな事を考えても後の祭りだ。
ツイてないな、と思いながらも、霧雨・魔理沙は幻視する。桜が咲き始めるという事は、即ち宴会シーズンがスタートするという事だ。そしてそれは、蓬莱を披露する機会が生まれるという事でもある。
まだアリスのように自在に動かす事は出来ないが、それでも一緒に笑って一緒に泣けるぐらいのコミュニケーションは取れるようになってきた。とは言っても、人形遣いを名乗るにはまだまだだが……本来の持ち主であるアリスは無理でも、霊夢達は驚かせたい。そう思いながら、魔理沙は目の前に居る妖精達を見やり、取り敢えず声を掛けてみようとして――警告無しに放たれた複数の妖弾を軽く回避し、
「交渉も何も無いか」
膨大な数の妖精に包囲された時点で解っていた事だが、どうやら問答無用で魔理沙を立ち退かせたいらしい。
向かってくる妖弾を更に回避しながら、魔理沙は二つの魔法陣を展開。白く輝くそれに、マジックミサイルをありったけ装填し、
「仕方ない。――行くぜ!」
叫びと共に、一気に撃ち出した。
■
急激な加速に帽子が吹き飛ばされぬようにしながら、魔理沙はアクロバティックな飛行を繰り返し繰り返し繰り返し、四方八方に放たれる妖弾の間を潜り抜け、小隊を組むかのように列を成した妖精を一気に撃ち落していく。
妖精達の放つ妖弾は小さく、速度も遅い為、普段ならば然程脅威にはならない。だが、今は相手の数が膨大だ。一斉に放たれたそれは一瞬で身動きが取れぬほどの密度となり、急停止した体の側を連続で掠めて行き――気を抜けば一瞬で大量の妖弾に被弾しかねない状況に冷や汗が流れる。それでも魔理沙は竹箒の柄を握り直すと、一瞬だけ生まれた弾幕の隙間へ穂先を向け、躊躇い無く加速。高密度の弾幕を突っ切り、驚愕に動きを止める妖精達へミサイルをぶっ放す。
そのまま出来るだけ弾幕の密度が薄いところを目指して飛び回りながら、撃ち漏らしの無いように妖精達を倒していき……だが、その数が減ったように感じられない。
いや、違う。
向こう見ずに突っ込んできていた妖精達は粗方撃ち落した。だが、次第に他の妖精よりも力のある、体の大きな妖精が前に出始めてきたのだ。それに気付いた刹那、魔理沙はその妖精へ急接近しながらマジックミサイルを連続で撃ち込み、
「これだけ撃ち込めば落ち、落ち――落ちねぇ!」
ほぼ零距離での撃ち込みに耐え切った妖精が全方位に赤い妖弾をばら撒き、どうしようもない距離のそれを思い切り体を倒して無理矢理に回避。だがその瞬間にも妖弾は放たれ続けていて、耳元を高速で弾が流れていく。その事実に総毛立ち、早くも緊張と興奮が最高潮に達した。
無駄な思考が嫌でも削ぎ落とされ、ただ目の前の弾幕を回避する為だけに全神経を使い――
――往く。
飛んで行きそうになった帽子を内側から押さえて貰いつつ、高速で流れる妖弾を追い駆けるように追従し、魔理沙一人分あるか無いかの隙間を斜めに突っ切り、我武者羅に妖弾を放ち続ける妖精を今度こそ撃ち落す。
刹那、後方から現れた妖精が魔理沙狙いの小弾を大量に放った。それに対し、魔理沙は自身の左右に展開させていた魔法陣を前面へ。移動速度をぐっと落としながら、こちら狙いの弾幕を回避(グレイズ)していく。そのまま移動を続け、視界に入った妖精を一気に蹴散らしていき――
――刹那、大量の高速撃ち返しが来た。
「ケーイブ?!」
何だか良く解らない言葉を叫びつつ、超高速で迫るそれを必死に回避し、続くように妖弾を放つ別の妖精へとマジックミサイルを撃ち続ける。だが、相手の数に対して攻撃力が足りず、少しずつ魔理沙の中に焦りが生まれ始めてきた。
それでも――再び密度を増し始めた弾幕と高速で迫る撃ち返しにてんやわんやになりながらも、霧雨・魔理沙は挫けない。不条理の代名詞とも言える博麗・霊夢相手に弾幕ごっこを繰り返し、更には様々な異変を解決して来た事で、魔理沙の中にはどんな状況にも対処出来るだけの力が備わっているのだから。
だが、それでも、不測の事態は存在する。
それは本当に突然だった。
一つの宣言と共に、世界が凍り付いたのだ。
「――パーフェクトフリーズッ!」
「ッ?!」
予想など、全くしていなかった。
だが、ここは湖の近くで、その存在が大量の妖精達の中に混じっているのは予想してしかるべきだった。何より彼女は、こうした騒ぎに人一倍敏感だというのに!
「チルノ!」
叫びと共に、青いドレスの氷精の姿を探す。探す、探す探す探す――
――居た。
妖精達の最奥、桜の大木の正面で仁王立ちするチルノを見付けた瞬間、彼女が堂々と宣言した。
「ここはあたい達がお花見をする場所なの! 人間なんかに邪魔はさせないよ!」
「だからこんなに集まってたのか……。だがな、花見をするにも限度があるだろ!」
肝心の桜はまだ咲いてないしな! そう叫びつつ、追撃を行ってくるチルノにマジックミサイルを撃ち込もうとしたところで、スペルの効力によって停止していた弾幕が一斉に、そして不規則に流れ始めた。それは完全に方向性を失い、安地が一瞬で失われる混乱を巻き起こす。
だが、霧雨・魔理沙は止まらない。
一瞬前までの攻撃的なムードから一転、混乱と共に惑い始めた妖精達へと容赦なく攻撃を行いつつ、一瞬の判断を連続で繰り返しながら迫り来る弾幕を全て回避し――しかし、ついに恐怖に駆られ始めたのだろう妖精達は、周囲の被害など考えず、めったやたらに妖弾を放ち出した。
その結果、今まで無傷だったのが奇跡だったように、桜の枝葉が妖弾によって吹き飛ばされ、明日にも咲き始めるかもしれなかった桜の蕾が無残にも散り始めてしまった。
途端、流石にそれは不味いと気付いたのか、一部の妖精が攻撃の手を止め始めた。だから魔理沙は、あくまでもこちらを狙い続けるチルノだけへと狙いを定め、それでも決して密度が減ったとは思えない弾幕の中を突っ切っていく。
それに焦りを覚えたのか、チルノがスペルを乱発し始めた。冷気を纏うそれに周囲の温度が下がり始め、活発に動き回っていた妖精達の動きも鈍り出す。だがそれは、高密度だった弾幕が消えていくという事でもあった。それを好機と見た魔理沙は一気にチルノへと接近し、桜の花びらが舞い散る中でマジックミサイルを連続で撃ち込み――
「って?」
一瞬、強烈な違和感が魔理沙を襲った。だが、目の前でチルノがスペルを発動し、その違和感の正体に気付く間もなく回避行動に移らざるを得なくなる。だがその瞬間、何かに気付いたのだろうチルノが大きく口を開き、叫んだ。
「――!!」
飛び交う弾幕と惑う妖精達の声の中、チルノが何を叫んだのか魔理沙には理解出来なかった。
だが、それでも解ったのは、まだ花を咲かせていなかった筈の桜が嘘のように花開いている事、そして満開である桜の中に、柔らかな暖かさを持った桜の花びらが混じっている事だった。
それが『春度』と呼ばれる、数年前に妖夢が必死に集めていた物だと気付いた刹那、過剰に分泌されたアドレナリンによる幻覚か幻聴か、緊張と興奮で極限状態にあった魔理沙の横っ面を殴り付けるかのような警告音が脳裏に鳴り響き、
――Caution!
目の前に、『春』そのものであるかのような、優しさと暖かさを持つ"興奮気味"な笑みが現れて、
――Lily Appeared!
「こんな、時に――ッ!」
春ですよ! そんな叫びが聞こえそうな笑みが通り抜けていった刹那、腹に強い衝撃。それにぐらりと体勢を崩しながら、それでも魔理沙は思考する。
くるりと回転しながら空へと舞い上がるリリーホワイトは、恐らく幻想郷に春を伝え終わった後なのだろう。その表情はかつて雲の上で遭遇した時よりも嬉しげで、だからこそ興奮と共にばら撒かれた妖弾はとんでもない密度をしていた。
当然のように妖精達がそれに巻き込まれ、腹に数発貰った魔理沙は一面に広がる桜と弾幕を眺めながら、それでもガッツを振り絞り、復活を果たそうと顔を上げ――その瞬間、背に重い衝撃が走った。
それがチルノの放ったスペルだったと気付く間も無く、魔理沙の意識が一瞬飛んだ。
ガッツが消える。
残機が無くなる。
それはこの弾幕ごっこに負けた事を意味していて――だがその刹那、被弾から一秒にも満たない瞬間に、内側から押さえて貰っていた魔理沙の帽子が跳ね上がり、
――目の前に、人形が一体飛び出していた。
それはまるで、永夜異変の時のようだと、魔理沙は思った。
だから彼女は無意識にアリスの名を呼び、けれど目の前のそれが上海人形ではないと気付き――同時に理解した。
目の前の人形。
被弾した自分。
発動するスペル。
この一ヵ月、いつも一緒に居て、行動を共にしていた蓬莱人形から――今日、始めて一緒に森の外へ出た蓬莱から魔力が溢れ出す。
帽子の下に入れていたのは、まだ皆に見せたくなかったからだ。
霊夢達を、驚かせようと思っていたからだ。
だから、蓬莱は、この弾幕ごっことは無関係の筈だ。
それなのに、
それなのに。
「――嘘、だろ」
それはアリスが組み込んでいた、魔理沙にとっては一番不要で、けれど決して消える事の無かった防衛魔法(ラストスペル)。
リターンイナニメトネス。
「止めろ――!!」
だが、制止は届かず、組み込まれた魔法はその命令通り発動した。
「――!」
爆ぜる。
鼓動するような閃光が、魔理沙の視界を埋め尽くす。
それは妖弾を、それを放つ妖精を巻き込む魔法の爆発。
敵と認識された全てが吹き飛ばされ、七色の閃光は魔理沙の絶叫すら掻き消していく。
そして――世界が白く染まる、その刹那。
魔理沙へと振り向いた蓬莱人形は、確かに、笑っていたような気がした。
■
妖精退治が終わった後、霧雨・魔理沙は桜の大木の前から動けずにいた。
閃光に吹き飛ばされたのか、或いは逃げ出したのか、あれだけ多かった妖精達は綺麗に姿を消している。そして、当の桜は満開となっており――けれど魔理沙の視線は、どうにか拾い集めた蓬莱の断片へと注がれたまま動かない。
「……」
こうして人形が爆発し、四散していく様は今までに何度も見てきており、以前地下へと降りた時にもその力で助けられた。とはいえそれは結局『アリスの人形』だったのであって、『可哀想だな』と思う事があっても、心が動かされる事は無かった。
だが、人間とは愚かなもので、一度愛着が生まれたものに対しては、そう簡単に割り切れなくなる。
様々な感情が心に渦巻き――同時に思うのは、アリス・マーガトロイドという人形遣いの心だ。彼女にとって、やはり人形はただの道具でしかないのだろうと、そう痛感させられる。
だが、だからと言って、自分も同じように割り切れる訳ではない。
短い間とはいえ、魔理沙と蓬莱の間には絆が生まれていた。だからこそ、大切な相棒を失った苦痛と喪失感が心を支配する。
「……蓬莱」
形を失った人形は何も答えない。
答える筈がなかった。
……そうして、どれほどの時間が経っただろうか。
「魔理沙?」
響いてきた声に視線を上げれば、こちらを心配げに見つめるアリスの姿があった。いつものように数体の人形を引き連れた彼女に、「どうしてここが?」と小さく問い掛けると、アリスは魔理沙の隣に並びながら、
「魔理沙に渡した蓬莱人形には、私の命令が――スペルが残っていたでしょう? それが発動した事に気付いてやってきたの」
「そう、だったのか」
小さく返事を返し、けれどそれ以上の言葉を続ける事が出来ない。すると、アリスの手がそっとこちらの手に触れた。そして彼女は、そこにある蓬莱の一部を手に取ると、
「大丈夫よ。すぐに元通りになるから」
一瞬、言われた言葉が理解出来なかった。優しげな表情で蓬莱の断片を持つアリスの常識を疑いたくなった。今すぐその断片を奪い返し、胸に渦巻く想いを全てアリスにぶちまけてしまいたくなった。
だが、アリス・マーガトロイドはこういった時に冗談を言うほど性根の腐った魔女ではない。
だから、問い掛ける。自分では普通に発した筈なのに、酷く震えて、か細くなってしまった声で。
「どういう、事だ……?」
「ほら、これ」
そう言って、アリスが蓬莱の断片――その割れた胸の中から、小さな紅い結晶を取り出した。アリスはそれをそっと握り締めると、腰の辺りに浮かんでいる上海へと視線を向け、その手が提げている鞄を受け取り、
「マリオネットを動かすには、その体に糸を取り付け、人形の頭上から操作する必要があるわ。それと同じように、私が操作する人形にも魔力による糸が必要で……その糸を括り付ける為に、私は人形の中に小さな魔力の結晶を埋め込んでいるの」
その言葉と共に開かれた鞄の中には、蓬莱人形とそっくりの人形が三体並んでいた。アリスはその中の一体を手に取ると、改めて魔理沙を見つめ、
「ほら、涙を吹いて。今から魔理沙に質問をするから」
「しつもん……?」
「そう、簡単な問い掛けよ。……さて、この子の名前は何でしょう」
「……ほうらい、にんぎょう」
「正解」
喪失感が大きくて上手く状況を理解出来ない魔理沙の前で、アリスが蓬莱人形の核を新たな人形の中へと埋め込み――それを魔理沙に手渡すと、その手に再び魔力の糸を繋ぎ合わせ、
「はい、リザレクション。これでその子は蘇ったわ。だからそんな呆然としない」
「……いや、だって、いくら『蓬莱』人形だからって、そんな……」
動揺し、戸惑う魔理沙に、対するアリスは珍しく優しげに、
「魔理沙も魔法使いの端くれなら、私が何をしたか理解出来るでしょう?」
「……つまり、例え自爆しても、核さえ残っていれば復活出来るって事なのか……?」
「そういう事。私は人形をただの道具だと思っているけれど、だからって道具に対して全く愛着が無いという訳じゃないの」
火薬を仕込んでいようが何だろうが、人形の魂と呼べる部分は傷付かないようにしてあるのだろう。だからアリスはああも簡単に人形を弾幕ごっこの道具にし……毎日のように新しい人形を作り、その補修を行っている。
それを理解した途端、張り詰めていた緊張が一気に解けて、魔理沙は泣き笑いの顔のままその場に尻餅をついてしまった。そのまま彼女は乱暴に涙を拭うと、アリスへと笑みを向け、
「……全く、お前はへそ曲がりだな」
そんなに人形を想っているとは思わなかったよ。そう言葉を続けようとして、やっぱり止めた。泣いているところを見られた気恥ずかしさが今更顔を出して、彼女の顔を直視出来なくなったからだ。
でも、それでも、魔理沙は笑みを浮かべる。
強い安堵と共に、蓬莱を胸に抱き締めながら。
■
一週間後。
例年通り毎日のように宴会が開かれるようになった春の幻想郷で、しかし幹事である魔理沙はあまり真剣に宴会の事を考えてはいなかった。今は神社の桜が見頃だし、何もしなくても勝手に人が集まるだろう、という考えがある為だ。
そんな彼女は、その日も蓬莱人形と向き合っていた。
蓬莱の体が新しくなった事で、その体内に満たされていた魔理沙の魔力が消失し、彼女の動きはぎこちなくなってしまっている。当然アリスの命令も籠められておらず、その体は以前のように『意思』を感じられるような動きをしなくなった。だからこそ、魔理沙は彼女が『自立していない、ただの人形である』という事実を嫌というほど突き付けられ、
「ま、それが何だって話だけどな」
彼女の『魂』は、魔理沙と一ヶ月以上の時を過ごした蓬莱人形のそれであり……自分を護る為に蓬莱が自爆してしまった事もあって、魔理沙はそのぎこちなさすらも愛しく受け入れていた。
そんな中、二人は向かい合ってある作業をしていた。
「よし、出来た」
「できたー」
出来上がったのは歪な折鶴。一つ折る毎に相手に手渡し、一緒に鶴を折ってみる事にしたのだ。だが、黄色の折り紙で出来たそれは酷く不恰好で、アリスの人形が作っていたそれとは比べ物にならない。それでも、これが二人で一緒に作った初めての折鶴でもあって、その完成度云々よりも喜びの方が大きかった。
自然と微笑みが浮かぶのを感じつつ、魔理沙は机の上に腰掛けた蓬莱の頭を軽く撫で、
「打倒アリスにゃ程遠いが、これでまた一歩前進だな」
「そうだねー」
そうして新しい折り紙を用意すると、魔理沙は新たな鶴を折り始め……目の前に腰掛ける蓬莱を見つつ、いつか彼女をちゃんと自立させてやりたいと、そう思う。
何せこの状況は、他人から見たらさもしい一人芝居以外の何物でもない。魔理沙自身はそう思っていなくても、世間様はそういった判断を下すだろう(過去の自分が、アリスに対してそう思ったように)。
だからこそ魔理沙は、こうして蓬莱と日々を過ごす。いつかアリスのように自在に彼女を動かし、皆にその『意思』を感じさせ、その自立の切っ掛けを作る為に。
「つっても、それで本当に自立して動き出すのかどうかは解らんけどな。……九十九神になるだけかもしれんし」
「わかんないよー?」
「今も好き勝手に動いてるって?」
「かもねー」
「だと良いんだけどなぁ」
笑みと共にそう呟いて、魔理沙は蓬莱へ折り紙を手渡し、彼女が一生懸命に続きを折る姿を眺めていく。
いつか、蓬莱が自分の意思で動き出す日が来る事を、夢見ながら。
end
魔理沙の心境の変化がより鮮明に感じられました。
文句なしの100点です。良いお話をありがとうございました。
とても面白かったです。
んー素晴らしい。
いい話でした。
ケツイの裏二週目は打ち返しパラダイス。
蓬莱人形と魔理沙のやり取りが見てて飽きないです。
自分も蓬莱人形が欲しくなりました。
ここでなんかいろんな緊張の糸みたいなものが切れたわw
人形の核が魔力の結晶だったり、人形操作の仕組みなど思わずなるほどと呟いてしまった。
素晴らしかったです。
素直に楽しめました。
楽しく読ませていただきました。
これ以上の言葉が出てきません。
人形爆発の設定などとても受け入れやすい設定でした。
面白かったです。
他人から見たらさもしい一人芝居の何物でもない。
沢山の感想、有り難う御座います。
自分も実は人形を題材にした作品を書いた事のある身なのですが、このお話が永遠のお手本となりそうです。
最後に誤字報告をひとつ。
>「相手が無機物である以上、過剰は魔力は不必要だから。それでも十分太い方よ」
「過剰”な”魔力」だと思われます。
素敵な作品をどうも有難う御座いました。
沢山の感想、有難う御座います。
何だかんだで、木々や無生物に語りかけてしまう私が言うのもなんだけどw