※このお話は、作品集60 魔女の家で朝食を の設定を引き継いでおります。
※単品でも読めます。
大図書館の奥深く、ランタンの明かりだけが薄暗く照らすその中で、3人の魔女の声が聞こえる。
「いいこと。魔法というものは不可能を可能にすることなのよ。ありえない現象をくつがえす事こそが魔法の醍醐味というもの」
「そんなことはわかっている。最初からそのつもりだぜ。いいから早く、そいつを見せてくれ」
「せっかちね。そんなに焦らなくてもすぐに出来るわ。ちょっとどいてて」
サバト会議。
月一ぐらいで行われる魔法使いたちの定例会のことである。
サバトの中に会議という意味も含まれているではないか、なんて突っ込みは不要である。
魔法使いというものは本来、孤独に一人で研究を行うものと思われがちだ。実際それはそうなのだが、偶にはこうやって話し合ったり、実験したりすることもある。互いの話を聞き、意見を言い合い、帰ってから一人でそれを消化する。研究の糧とするのだ。
勿論自分の手の内を全てさらけ出すわけではない。切り札は常に手元に取っておくべきものである。
それを抜きにして、知識の共有をし合い、今後に生かしていこうと企画されたのがこの会議の目的だった。
幸いにして、3人が3人とも同じテーマで研究を進めている訳ではない。
全く別系統の魔法を極めようとしている為、相手の損になるようなことを言おうとする者は一人もいなかった。
もしそうだとするならば、誰かしらはとっくにやめているだろう。
最初は半信半疑で無理矢理参加させられたアリスも、気が付いたら二人の話に夢中になっていた。
全てが正しいとは限らない。しかし、人の経験や意見を聞くことは自分にとってあまり無いことであり、貴重な経験である。魔法使いとしての自分を成長させる糧にすることができる。そう感じた為、今でもこうして同席についている。
そう最初は信じていたし、今でも信じているつもりだった。
つもりだったのだが。
「どうしたんだ。なんか元気ないな」
正直言って今の実験には立ち合いたくないと、アリスは心の底から思っていた。
「しょうがないわね、アリスは。この歴史的瞬間に感動できないなんて。感性を疑うわ」
「まあアリスだしな」
「アリスだしね」
さりげなくひどいことを言われている気がするが、こいつらの言うことをまともに受けていたら神経が持たないことを、長くはない月日の経験から理解していた。元々クールなキャラである。華麗にスルーするべきだ。
「チッ……」
今隣の紫色のもやしが軽く舌打ちしたのが聞こえた。そんなに怒らせたかったのか。でもここで取り乱したら終わりな事を、アリスはよく理解していた。
「いいから早くそれ入れないの? 」
「未熟者は黙っていて。タイミングが肝心なのよ」
とても冷めた目で一瞥される。だからといって取り乱したりはしない。もう慣れたことだ。
釜の中には怪しげな色の液体が、ぐつぐつと煮えくり返っている。
頃合を見計らって、パチュリーは釜の中に液体を垂らす。すると、釜の中からはもくもくと煙が出る。
ちなみに現在いる所は図書館の中心部にあたる所だが、実験を行う際には魔法障壁を張ってから行うようにしているため、図書館の本に害は及ばないらしい。図書館の本は元々、魔法で守られているらしいが。
煙が立ち上ると同時に、なにやら甘ったるい匂いが鼻をかすめる。
(これは……)
決してアリスは期待をもってこの実験に望んだ訳ではなかった。だから終始冷めた目で見ていた。
煙が段々少なくなっていく。そして、釜の中にある物体の形が見えてくる。
「おお……! 」
「成功したようね」
釜の中に現れたのは巨大なプリンだった。
ぷるりとした外形に、カラメルソースが光っていた。
「さあ、食べてごらんなさい」
パチュリーにスプーンを渡される。ちなみにパチュリー自身は持っていない。私たちは毒見役のつもりなのだろうか。実に腹立たしい。
とか何とか思っているうちに、隣の白黒はプリンに手をつけていた。少しは疑えよ。
「!」
「どう? 」
「こ、これは……! 」
驚いて目を白黒させている。その反応だけで、実験が成功だということがわかる。
まあいいか。これで私自身は食べなくて済む。
「きのこの味がするぜ……」
そう。
今行った実験は、ありとあらゆる食べ物をプリンにする魔法の実験だった。釜の中にキノコを入れ、特殊な液体Aを入れて煮たあとに特殊な液体Bを入れる。すると、あらゆるものがプリンになってしまう。ちなみに入れるものは人間が食べられるもの限定らしい。パチュリーと魔理沙は約2週間かけて、理論を完成させたという。確かにすごいが、ぶっちゃけ使えない魔法だと思う。
「すごい! すごいぜ! 見た目も匂いも完璧プリンなのに味だけキノコ! これならあいつをギャフンと言わせることができるぜ!」
興奮気味の魔理沙。確かにこの方法なら、神社で茶をしばいている紅白巫女を、完璧に騙すことができるだろう。むしろ、事の発端はそれだったらしい。巫女を完璧に騙すためだけに作られた魔法である。
こいつら、アホか。
「不可能を可能にする。これぞ魔法よ」
確かに不可能を可能にしている。だけどその結果がこれというのがなんとも間抜けである。なんでプリンなんだよ。
「魔法使いに不可能の三文字はないわ」
そんなに偉そうに主張されても困る。確かに間違ってはいない。間違ってはいないが。
なんかとてつもなく魔法の使い方を間違っている気がするのは私だけなのだろうか。
「徹夜で考えたかいがあったぜ」
「そうね。何かを成し遂げた気がするわ」
「まだまだだぜ。こいつを霊夢に食べさせて、リアクションを鴉に撮ってもらうまでが本番なんだぜ」
「そうだったわね」
冗談でも魔法に全力をつくすべし、これが魔法使いの在るべき姿である。そんな事を先輩魔女は語っていたが、正直ついていけなかった。
「パチュリー様、お茶が入りましたよ」
背後から声がした。アリスのすぐ後ろに、咲夜が立っていた。
「うわ! 」
「ちょっと、そんな大声出して」
「はしたないぜ、アリス」
「はしたないわよ、アリス」
さっきからこいつら二人同調していないか? 主に私に対する態度が。
しかし、このメイドがいきなり近くにいるという現象は、何度かお邪魔したときに経験しているが、未だに慣れない。
「まあいいわ。お茶にしましょう」
そう言うと、4人は図書館から閲覧室まで足を運ぶ。閲覧室と呼ばれる場所は、普段パチュリーがお茶の時間に使用している場所であり、食事もそこでとることが多い。今回のように実験でなく話だけで済ます場合、会議の場所となっている所だ。
3人は席に着く。咲夜が紅茶を入れている。
なんかすごく疲れた……そう思った矢先、あるものがアリスの目に入る。
(げ……あ、あれは)
実を言えば、さっきの実験中も、あることが気になっていたせいで集中できなかったのだ。
まあ確かに、馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しかったのであるが。
それを抜きにしても、この実験で得られるものを必死に探そうとしていた筈なのだ、本来ならば。それをしなかったのは、己の精神状態に問題があったからに違いない。
(ああ、そうだった。ずっとあれが気になっていたんだ)
小さな本棚の一番上の棚に飾られた、一つのショーケース。その中にある、一つの人形。
見るたびに、忌々しい記憶が蘇ってくる。
そうそれは、つい先日のことだった。
ひょんなことから小悪魔と喧嘩したらしいパチュリーは、雨の中アリスの家にやってきた。
いつもと同じようにおちょくられ、追い返そうとしても追い返せず、仕方なく彼女の要求に乗ってやったものの、最後の最後にムカつく捨て台詞を吐かれ、絶対二度とこいつに家の敷居をまたがせないぞと決めたのだった。
その時、パチュリーの懐から出したアイテムの中に、アリスの人形があった。
それを見た瞬間、アリスは当然びっくりした。
何故、自分の家の人形を、彼女が持っているのだろうかと。
『これ家にあった人形じゃない! なんでアンタが持っているのよ! 』
『ギクッ』
『ギクッじゃない!! いつ盗んだのよ!! 』
『死ぬまで借りるだけだぜ』
本当に、何を思ってあの時人形を盗んだのか。そして何を思って目の前の見える位置にそれが飾られているのか。
アリスには考えてもわからなかった。
『なんか……不公平じゃない。アリスは私の所有物を持っていて、私は何も持っていない。そういうの、なんか不公平じゃない』
「だー!! 」
思い出してなんか吐き気がしてきた。そうだ。そんな歯の浮くような台詞をこいつに言われたのだ。
「あ、アリス? 」
「どうしたのよ? 」
咲夜と魔理沙がこちらに注目している。しまった。つい大声を上げてしまった。
「アリス……最近疲れているの?精神状態大丈夫? 」
元凶である人物に心配される。私の精神状態が不安定なのはお前のせいだっつーの。
……と、ここまで考えてやめた。これではまるでパチュリーが私の心を揺さぶっているようではないか。
ありえない、ありえないから。
そういえば、よくもまあ私の真正面にあるものだ、と思う。偶然なのか、はたまた必然なのか。
(いや、もしかして……)
新たな疑念が浮かび上がる。
確かにいつも部屋に入るとき、アリスの順番は最後であった。この位置に来るのはごく自然のことである。
(こいつ、わざと目の前に……!? )
そこまで魔女は計算していたのだろうか。計算してこの位置に置いたのだとしたらますます腹立たしい。というかそんなことばっかりに知識を使うパチュリーは本当にアホだと思う。そんなに私の怒った顔が見たいのか。
『ぷッ……』
私の憶測が正しければ、こいつは今絶対心の中で笑っている。いや、十中八九そんな気がした。
「カタカタカタ」
「ど、どうしたんだアリス! 震えているぜ! 」
「あ、ああ平気よ魔理沙。最近ちょっと疲れていて寝不足なだけだから」
いけない、いけない。これはただの憶測なのだから。このぐらいで心を乱すようでは、いつまで経っても未熟者だ。
「それはいけないわね。先に部屋に行って休んだら? 」
咲夜が私に向かって提案する。確かにそれは良い方法かもしれない。本人を目の前にすると、いまいち自分が抑えきれない気がする。
パチュリーは無表情でこちらを見ていた。ああ、腹立たしい。
一体全体、どうしてこうなってしまったのか。
小悪魔に客室まで案内されながら、アリスは再びため息をついた。
~大図書館で3時の夜食~
客室に帰り、アリスはベッドにぼすんと寝転がった。
プリンの件やら人形の件やらがあったせいで、ほとほと疲れていた。
まあ、いつもここに来るたびにこんなものだったかも知れないが。
それにしたって今日は異様に疲れた気がする。絶対あの紫モヤシのせいだと思う。思い出すだけで腹が立つ。ああ、腹が立つ。
仰向けに寝転がり、あの人形のことをぐるぐる考える。
客室の天井は、自分の家よりも幾分か高かった。流石は紅の屋敷。凡人には手の届かないぐらい高そうなシャンデリアが見える。客室は塵一つないほど綺麗に掃除されていた。おそらくは、咲夜の努力の賜物なのだろう。
枕を抱いて、ぐるぐると考える。
「まったく、パチュリーのやつ」
寝転がりながら考えていることといえば、おおまかに分けて二つだった。
まず、何故魔女が人形を盗み、それをショーケースに飾ってわざわざ見える位置に置いておいたのか。
そして、自分はこの状況に対してどう行動を取ったらいいか。
前者に関しては、気になるところではあるが、気にしたら負けな気がするし、知ったところで状況が変わるわけでもない。考えれば考えるほどあの台詞が頭に浮かんできて頭痛がしてくる。やめだやめだ。これ以上考えたって仕方がない。
問題は後者だ。
端的に言えば、人形の奪還をすべきか、ということだ。普通に考えて、盗まれたとわかった時点で、間違いなく取り返しに行く。しかし、普段盗まれるものといったら貴重なマジックアイテムとか、薬草とかであり、それに対して今飾られている人形は、魔力も何もこめられていない只の人形である。
そもそもあれは、空いている時間に趣味の一つとして作った観賞用の人形だ。盗むメリットも盗まれるデメリットもない。予想だにしないものを盗まれて、正直面食らっていた。
「なんなのよ一体……」
横向けに寝転がる。思わずため息が出てしまう。
あれはただの人形だ。
しかし、されど人形。人形遣いアリス・マーガトロイドにとっては、命の次に大切なものである。例えそれが、戦闘時に使うものでないとしても。
鑑賞用の人形だって、人形劇の為の人形だって、同じぐらい大切なものなのである。今までだって大切に扱ってきたし、これからもそうだ。
もしかしたら、それをわかってあの魔女は人形を盗んだのだろうか。
だとしたら、こんなに腹立たしいことはない。
アリスはシーツをぎゅっと握った。
「このまま引き下がる訳にはいかない、か」
そう。
このまま引き下がる訳にはいかない。盗まれた物が人形ならば、余計に引き下がる訳にはいかない。ここで引き下がれば、人形遣いの名が泣くだろう。
しかもわざわざ目の前に置いてあったのだ。これで何もしないようならば、ますます未熟者だと馬鹿にされるに違いない。あの魔女のことだ。これからもずっと笑われ続けるだろう。
それだけはなんとしても避けたい。いや、己の信念にかけて、人形は奪還してみせる。
それが自分のプライドだ。
「待ってなさい、パチュリー」
アリスはベッドから起き上がる。寝ている暇はない。今すぐにでも奪還しなくてはいけない。事はなるべく早いうちに片付けてしまいたい。
図書館には数々のトラップがある。閲覧室にしてもそうだ。本を棚から取ろうとしたら手から本が離れなくなったり、ドアのノブに電流が走ったりすることもあった。
おそらくはあのショーケースにも、何らかの罠が仕掛けられているに違いない。ならば、こちらも作戦を練らなくてはいけないだろう。
さて、どうするか。
図書館は相手にとってはホーム、こちらにとってはアウェーである。
おまけにパチュリーと戦った回数は数回ほど。それで大体どんなタイプかは把握できたが、全てのスペルカードを知っているわけではない。どんな技を隠し持っているのかわかりようがない。
(まあ、でもそれは向こうも同じか。力量的には劣るかもしれないけれど、向こうは多分体力がない。そこさえ突くことができればあるいは)
あるいは。
そう、可能性は0パーセントじゃない。以前何回か戦ったが、勝敗は今のところ4対6というところ。決して勝てない相手ではない。向こうが勝手に体調を崩したというのもあったが、実力だったこともある。決して手を出せない相手ではないのだ。
問題は、図書館という舞台で自分の実力がどれだけ発揮できるかということなのだが。
コンコンコン。
ドアからノックする音がした。
「アリス、起きてる?体調は平気?」
咲夜だった。
「もうすぐ夕飯の時間になるから、でも具合が悪いならここまで持ってくるわよ」
「ああ、平気よ。いつも悪いわね。今から行くわ」
丁度お腹も空いたころだ。別に食べなくても生きていけるが、人間の食料というものは魔力の糧にもなる。決して食事という行為は無駄ではない。
これから戦いが待っているのだ。多かれ少なかれ、戦いになるだろう。話し合いで通じる相手ではない。そのためにも、食事は重要だ。
作戦会議は一旦中断して、夕食を取ってから部屋でじっくり行おう。ここで焦っては元も子もないのだから。
アリスはブーツを履きなおし、咲夜の後についていった。
紅魔館の食事は豪華である。わかりやすく言えば、フランス料理のフルコース並みに豪華である。テーブルには沢山のスプーンやフォークが置いてあり、一見するとどれを使ったら良いかわからない。しかし、何度かこの館にお邪魔したことのあるアリスは、その様式もきちんと理解していた。
「がつがつがつ」
「……」
もっとも、隣の野良魔法使いは、何にも学んでいなかったが。
「メイド長、水―」
「はいはい」
食事の最中でも、メイド長はやたら忙しそうだった。
「メイド長―、お代わりー」
「はいはい」
スープのお代わりをする魔理沙。
さっきからアリスは咲夜がやけに魔理沙に対して優しい声で応対していることが気になっていた。魔理沙もいつもより甘ったれた声で咲夜を呼んでいるような気がする。
なんとなく、場違いな気分になるアリスであった。
「そういやパチュリーは? 」
魔理沙がスプーンを口にしながら喋る。行儀が悪いからやめろといつも言っているのに。
「行儀悪いわよ」
「う、ごめん」
咲夜に注意され、ちょっとシュンとなる魔理沙。いつもなら「うるさいぜ、飯が不味くなるだろ」とか言ってくるのに、態度が明らかに違っている。
別に関係ないからいいんだけどさ。
それよりも、パチュリーがこの場に居ないことの方が気になった。
「図書館で調べ物があるとのことで」
「そっか」
「普段から食事を取られないことの方が多いのよ。注意はしているんだけど」
調べ物か。
何か怪しいな。
十中八九、人形の入っているショーケースには何らかの策が講じられている筈だ。私が奪還に来ることは目に見えている。その対策でもしているのだろうか。
正直言って、図書館が舞台ではこちらの方が分が悪い。
しかし、いつまでもそれを言っていたら、奪還などできない。
最低限リスクは減らしたいところである。その為には、やはり決行は明け方過ぎにかぎるだろうと、アリスは考えていた。
夜のうちは、パチュリーの友人であるレミリアが起きている。そしてその妹のフランドールも。
仮に起きていた所で、レミリアに関しては性格からしてパチュリー側に加担することはない。しかし、フランドールに関しては少々厄介である。
戦いとなれば必ず何らかの形で参戦してくることだろう。認めたくはないが、彼女を抑えることができるかと問われれば、できない可能性の方が高い。
総合的に考えて、咲夜も眠っている明け方に事を行うのが一番無難である。
「アリス、どうしたんだ」
アリスは立ち上がる。
「ごめんなさい、まだ体調がすぐれないみたいで。残りは貰っていって構わないかしら」
「部屋に帰るの?」
「ええ、できれば」
明日の朝は早い。決戦の前には十分な睡眠が必要である。
早く帰って夜明けに備えようという訳である。
「部屋まで帰れる?」
「そんな心配しないでも」
「駄目よ。大事なお客様なのだから」
「大丈夫だって。一晩寝たら良くなるから。私よりも魔理沙の相手をしてあげてよ」
アリスがにこりと笑うと、咲夜もそこまで言うなら……とそれ以上言うのをやめた。
入り口に立って会話をしている間、なにやら視線を感じたアリスだった。
まあ、どうでもいいんだけど。
「それなら」
「ええ」
咲夜に挨拶をして、アリスは部屋から出ようとする。
これ以上長居は無用である。
ふと、忘れ物がないか、アリスはもう一度振り返った。
「はい、あーん」
「あーん」
「……」
そこに広がっていたのは、桃色の世界だった。
こいつらめ。
見なきゃ良かったと、後悔するアリスであった。
明け方
「日はちゃんと昇っているわね……よし」
魔法図書館の入り口に、アリスは来ていた。
さっき部屋で確認したとき、既に日は昇っていた。
図書館自体は地下にあるとはいえ、高い天井からは少しだけ光が入る。吸血鬼の姉妹はこの時間帯にここで活動はできない。そして咲夜もおそらく起きてはいない。起きていたとしても、自分は侵入者ではなく客だ。おとなしくしていれば、標的にされる心配はない。
(おとなしく済むかどうかが問題なのだけれど)
なるべく音を立てないように、大図書館のドアを開ける。
この大図書館には様々なトラップが仕掛けられている。しかしそのほとんどが、パチュリーないしは使い魔の小悪魔の手によって発動させられている。
二人に気付かれずに閲覧室に向かい、人形を奪い取る。これが課せられた使命である。
まるで自分が盗人になったような錯覚を受けるが、先に手を出したのはあっちだと言い聞かせ、先へ進む。
図書館には難なく侵入できた。ミッション1、コンプリートである。
昼も夜もあまり変わりはないが、暗いことには変わりがない。日の光もわずかしか届かない。
半ば手探りで閲覧室に向かう。だんだんと暗闇に目が慣れていく。
(ここまで何もなし、と。案外筒抜けだったりして)
もしもここに魔理沙が居たなら、いくら本を盗まれても文句は言えないだろう。それぐらい大図書館は静かで、音沙汰がなかった。
(二人とも寝ているのかしら)
とにかく前に進む。起きていないのならば都合がいい。おそらくそんなことはないのだろうけれど。
難なく閲覧室までたどり着く。
アリスはドアのノブに洋服の切れ端を放つ。切れ端はノブの上に置かれたが、何も起こらない。
ならば、と今度は自前の人形をドアに近づける。人形がノブに手を掛ける。
ギイ。
扉が開く音がした。
ドアノブに異常はないようである。扉を開くと閲覧室内部が見える。このまま中に入り、人形を持って帰ればこちらの勝ちである。
しかし、そうすんなりと事が運ぶとは到底思えなかった。このまま中に入れば袋の鼠という可能性は十分考えられた。
探査用の人形を飛ばす。人形は難なく部屋の中に入っていく。外部から侵入不可能ということはなさそうだ。
だからといって、内部から脱出可能かと言われればそうではない。念のため、探査用の人形を一度自分の元に戻してみる。
ふわりふわり。
人形はちゃんと手元に戻ってきた。
魔法で創られる障壁というものは、大概魔力のあるものにのみ反応する。人形には魔力が込められている。
(人形が移動可能ということは、私も移動可能であるということ。まあ、あくまで現段階ではだけど)
もう一度、人形を部屋の内部に飛ばす。ふわりふわりと人形は飛んでいく。アリスは指で丁寧に、それを操る。
そして、ショーケースに触れた瞬間。
バチン。
雷のようなものが一瞬見えた。人形の方は、片手を失い地面に落ちている。
やはりか。
一筋縄ではいかないことは、最初からわかっていた。むしろ、ここまで何もなかったことが奇跡というか、逆に不気味であった。
ここからどうするかが問題だ。人形ではショーケースに触れられそうにない。だからといって、単身でこの部屋に入るには危険が高い気がする。
相手が起きる前に決着をつけなくてはいけない。遠近操作では人形を奪還することはできない。
(虎穴に入りずんば虎子を得ず、ね)
仕方がない。脱出用に、人形を図書館の天井に飛ばしておく。もしも閉じ込められた場合、力ずくで外から魔法を放つ為である。
部屋に入る。今のところ攻撃などはされていない。
ショーケース近くに落ちている人形を拾い上げる。そしてしばし考える。
「この魔法は……」
人形の片腕は、跡形もなく消え去っていた。思っていたよりも強力な障壁らしい。
しかも、焼け跡を見ていると、どうも自分の知らない魔法のようである。
ショーケースに入れられた人形。魔力も何も持たない、ただの人形。
ショーケースに触れられないのならば、術者に魔法を解除させるしかない。おそらくこれ以外に方法はないだろう。そうでなければ、人形ごと壊れてしまう。
術者に魔法を解除させる方法は、術者を倒す以外ない。
「何しているの」
後ろから声がした。聞きなれた声だった。
振り返るとそこには、ランタンの火で照らされた、魔女の姿があった。
「パチュリー」
「何をしているの、アリス」
パチュリーはジト目でこちらを睨んでいる。しまった、とアリスは思った。見つかってしまえば戦いになることは絶対だ。今でも相手からは殺気が伝わってくる。
「見ればわかるでしょ」
「ふうん」
パチュリーは余裕そうに笑う。そして、いきなり手を振りかざしたと思えば、呪文も唱えずに手からレーザーを放つ。
「!」
アリスはとっさにそれを避ける。
レーザーの先は真っ黒にこげていた。
ぶちのめす気満々らしい。
「人形なら死ぬまで借りるって言ったでしょ」
「本気だったの? アレ」
「もちろん」
パチュリーのレーザーがアリスを襲う。何本も何本もレーザーが生まれて消える。
右へ、左へ。図書館はあっという間に戦場に変わる。
まずいな、とアリスは思った。
覚悟はしていたが、こんなに早く登場するとは思わなかった。
パチュリーの気配に気が付かなかったことが悔やまれる。人形に夢中になってしまい、考えが及ばなくなっていた。
「どうしたの? アリス。反撃しないなら叩きのめすわよ! アグニシャイン! 」
パチュリーのスペルカードから放たれた魔法は、火の魔法・アグニシャイン。
不規則に生まれる火の玉が、アリスに降りかかる。
「くっ……! 」
いつもよりも弾速が速い。弾幕ごっこの範疇を超えているように見える。
そんなにあの人形が取られたくなかったのだろうか。
まあいい、どちらにせよ、こいつを倒さなくては、人形奪還はできないのだから。
「てっとり早く終わらせるわ。日符、ロイヤルフレア! 」
パチュリーが新たなるスペルカードを取り出す。
しかし、そう易々と魔法を発動させる気はなかった。
「させないわ! 」
反対方向に魔法を放つ。火の弾の軌道を確認してから、一気にパチュリーまで間合いを詰める。空中で体をひねり、相手が詠唱している隙を狙って、大きく足を上げて振り下ろす。
「蹴リス! 」
どごっ
「むきゅう! 」
アリスの蹴りは、パチュリーのわき腹にクリーンヒットした。
やられっぱなしで何の策がなかったわけでもない。火の玉を避けながら、アリスは機会を待っていた。
「だ、弾幕はブレインよ! 」
最早弾幕などではないことは、本人も重々承知である。
しかし、体の弱いこいつには、直接攻撃が一番効く。いかに近づくかが問題であり、近付きさえすれば勝機はこちらにある。以前魔理沙とパチュリーが戦っているのを見て、思いついた作戦だった。
手ごたえは充分。いつも蹴ってばかりいるだけあって、そこそこ蹴り方もわかってきた。
自慢できることではないが。
さて、もう一回ぐらい食らわすか、とアリスはパチュリーに近付いた。
その時だった。
パチュリーはスペルカードを取り出した。
「フン、ぬかったわね。日符・ロイヤルフレア」
「え」
炎ではなく、太陽を作り出す魔法、ロイヤルフレア。
辺りが一気に明るくなったかと思えば、大量の熱が降りかかってくる。
何故コイツに蹴りが効かないのか。確かに手ごたえはあった筈だ。
「なんでっ」
まずい。
考えている暇はない。今はこの火の海を抜けるのみだ。
「くっ! 」
「いい眺めね。アリス」
体をひねって避けようとするが、避けきれない。運悪く火の玉は左足に直撃した。焼けるような痛みがアリスを襲う。
油断した。きっと魔法で体を強化したのだろう。その可能性をすっかり忘れていた。
手元にあるカードは三枚。しかしこいつ相手に魔法で攻めるのは、弾幕勝負でない限り得策とは言えない。
近接戦にもう一度持ち込もう。左足はひどく痛いが、空中戦であれば蹴りを食らわせることができる。たとえ体を魔法で強化したとしても、限界があるのだから。
「アグニレイディアンス! 」
「リトルレギオン! 」
今日は調子が良い日のようだ。こんなに大魔法を連発してくるなんて。
二つの光が中央でぶつかり合う。
相手の手持ちは何枚だろうか。喘息が発症しているときは感じられないが、魔力に関してパチュリーの右に出るものはいない。まだまだ余力はありそうだ。
図書館内部にかけられている魔法も発動し始めている。レーザーが何度も自分を焼き付ける。
「逃げてばかりじゃ話にならないわね、未熟者」
パチュリーが鼻で笑っているのを、下方から見上げる。正直カチンと来ていたが、ここで焦ると先がない。
人形をパチュリーの元へ放つ。そこから魔法が放たれる。
「小手先ね。もっと本気出しなさい」
パチュリーは難なく弾幕を避けていく。
彼女と対戦したことは以前にあるといえばある。緋の異変の時などがそうである。初めてここに泊まった時もこうして勝負をした気がする。
だから、こいつの戦い方は大体理解していた。一言で言えば、魔法の力押しである。
性質で言えば自分よりも魔理沙に似ている系統の戦い方をする。ブレインよりもパワーで押し切るタイプである。
単純な魔法のみで戦いに挑んだこともあったが、先にこちらの魔力が尽きてしまい、あっさりと敗北してしまった。
(こっちは頭使わないと駄目なのよね……! )
大きい弾、小さい弾、ランダムに降りかかるそれを、かすりながらかわしていく。
閲覧室からはレーザーが現れ、余計に逃げ場をなくしていた。
なるべくパチュリーから離れ、体制を整えようとする。
(ああもうまったく、いやらしいったらしょうがない! )
余裕そうに笑う魔女を睨む。こちらの弾幕は向こうに届きそうにない。
そんなことはわかっているのだ。逃げてばかりではいけないと。
しかし、敵の懐に入って生きて帰ってこれるかはまた別の話であって。
(いつまでもこうしているわけにはいかないわね……!)
せめて、力押しで叶わないのならば、頭を使うしかないのだ。
こいつの弱点。この魔女の弱点といえば、貧弱もやしボディである。
しかし、先ほどの一撃がどれほど効いているのだろうか。
表情からは、全くノーダメージというか、効いていませんという風に見える。
だが――。
(あ、あれ? )
弾幕を避けながら、アリスはある疑問にぶち当たる。
確かに、パチュリーの弾幕は激しい。派手に相手を追い詰める、嫌なスペルを使ってくる。
けれども、いつもと何かが違う。何かが違うのだ。
(威力が小さい……?スピードも)
確かに今回も派手だ。こちらが相手に近づけないほどに。
けれども、いつもよりもほんの少しだけ弾数が少ないことにアリスは気がついた。
はたから見ればわからないほど僅かであるが、殺しそうな勢いの最初のスペルカードに比べ、スピードも遅くなっている。
(もしかしたら、さっきの一撃が思ったよりも効いている? )
しかし、単身でもう一度相手に近付くのは危険である。特に魔法が発動している間であれば。
相手に近付くことなく、物理的なダメージを与える。
これが勝機の鍵であるとアリスは確信した。
(だったら、アレがあるわね)
もう一度、パチュリーに向かって急加速していく。レーザーの間をすり抜けて。
「また同じ手? 飽きないわね 」
「!」
「フォレストブレイズ!! 」
「くっ! 」
こいつは何枚スペルカードを持っているんだろう。つくづく嫌な相手である。
レーザーと精霊魔法を交互に使い分け、じわりじわりと相手を追い詰める。
油断すれば、部屋の端に追いやられ、逃げ道がなくなってしまう。
頭で組み立てているわけではない。それほど魔法自身が範囲が広くて強烈なのだ。
(けれどもやっぱり、威力がいつもよりも落ちている……! )
効いている。
先ほどの一撃は確実に効いている。
ならばあと一押し。もう一撃食らわせられれば、勝負はついたようなものだ。
レーザーの間をすりぬけ、近付こうとする。すると、パチュリーはそちらの方向へ、別の弾幕を放つ。
アリスの方も、全く何もしていないわけではない。手で人形を引き、あちらこちらにトラップを仕掛けていた。
だがそれも小手先の技であり、決定打にはならない。
(やはり、こいつに近付かなきゃ……! )
先ほどやられた左足が、じくじくと痛んでいる。感覚があるだけまだマシなのだろうか。そのせいで、上手く動くことが出来ない。
「あづっ! 」
弾が右腕に当たった。
油断していた。
足の痛みに囚われて、火の欠片に気が付くことができなかった。
「いい眺めね、アリス。これで終わりよ! 」
パチュリーがスペルカードを出す。自分がバランスを崩した隙に、一気に弾をぶちこもうという魂胆だろう。
しかし、そう易々とやられるわけにはいかない。
片手で人形を操り、パチュリーに攻撃を仕掛ける。決定打にはならないが、相手の行動を邪魔することぐらいならできる。
(そう、まだ、ここは我慢するのよアリス、あと少しなんだから……! )
アリスは機会をうかがっていた。パチュリーが部屋のドアの方へ行くことを。
ドアの先には、先ほど放った露西亜人形と上海人形がある。
動かない大図書館を動かすには、少しでも攻撃を仕掛けること。
そして、それを気付かれないようにすること。
頭で描いたようにはいかないが、それも何回かの実戦で経験済みだ。
しかし、自分の魔力も残り少ない。なんどかスペルブレイクをしたのと、怪我のせいで、思ったように魔法が放てない。
残り時間は少なかった。
(こうなったら、一か八か……! )
後方にレーザーを放ち、パチュリーとは全く別の方向へ向かう。
部屋の端っこへ。
パチュリーはそれに気が付いたのか、向きをこちらに変える。
「別方向から攻撃しようってのね! そうはさせないわ! 」
アリスはパチュリーに向かって一気に間合いを詰める。
それと同時に、パチュリーはスペルカードを唱えた。
そうだ、そこだ。
そこにくればいい!
「サイレントセレナ! 」
「かかったわね!パチュリー! 」
「え」
パチュリーの後方から人形が現れ、レーザーが放たれる。
さっき閲覧室の外に放っておいた上海人形だった。
パチュリーは体をひねり、ソレを避ける。しかしその先には、アリスはその場に残しておいたもう一体の人形があり――。
「なっ……! 」
ドカン。
「むきゅう!! 」
閲覧室に爆音が響き渡る。
それと同時に、周りにあった本が舞い散る。
奴の叫び声がする。
手ごたえは十分だった。
「うぐうっ!! 」
パチュリーの放った弾幕が煙の中からやってくる。
怪我をしていた左足にあたってしまった。
焼けるような痛みが全身を襲う。
けれども、泣き言を言っている暇はない。
(だ、だめよアリス……! まだあいつは生きているかもしれない)
スペルカードを取り出し、体制を整える。手には汗が滲んでいた。
煙が消えると同時に、図書館で発動していた魔法も徐々に消えていく。
埃が舞い、毛玉が舞う。
パチュリーの帽子がひらひらと舞うのが見える。その下には、むきゅうとへばった状態のパチュリーがいた。
本に埋もれたまま、びくともしていない。
しかしまだ、油断はできない。人形を戦闘モードにしたまま、アリスはパチュリーに近付く。
「はあはあはあ」
息が上がる。左足は痛みを通り越して既に感覚がない。
まあいいか。後でじっくり治せばよい。
ゆっくりと下に降りていく。パチュリーはこの辺りにいるはずだ。
「ゲホッ……ゲホッ……」
「……」
パチュリーは咳き込んでいた。服はかなりボロボロになっている。破れ目から白い素肌が見える。赤い血も見えている。
パチュリーはアリスに気が付くと、手をゆっくりと、アリスの方に向ける。
まるで魔法を放つような体勢をしていた。
「まだやる気? 」
「……」
閲覧室はひどい状況だった。本が山のようになって地面に落ちている。
そして少し離れたところには、一体の人形と、ガラスの破片が散らばっていた。
(気を使ったのに意味がなかったかな……)
おそらくは被弾したのだろう。詠唱できないようにパチュリーのみぞおちに魔法で強化したスクリューパンチを3発食らわし、アリスは人形の元へ飛ぶ。
「むきゅうっ!! 」
「外傷はそれほどでもないみたいね。あ、ちょっとガラスが刺さってる」
パチュリーは完全にノックアウトした。ちょっぴり血も吐いたみたいだった。
ざまあみろとアリスは思った。
アリスは魔法で足の怪我を治す。これでほぼ自分の魔力はすっからかんであるが、これ以上放っておくと完治に時間がかかってしまうため、仕方がなかった。
そして、人形に歩み寄り、ぼろぼろになったそれを持ち上げた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「……」
静かになった閲覧室に、彼女の咳き込む声だけが聞こえる。
視線を感じるが、アリスはそれには動じなかった。
人形を持ったまま、パチュリーの方に近付く。
「質問があるの。いい? 」
「……」
「どうしてこの人形を盗んだの?」
アリスはパチュリーに質問をする。
「ゲホッ、こ、答える義理はないわ」
「そうね。でも気になるのよ。答えて」
「……」
「敗者は勝者に従うものよ」
「……腹が立つ。あんなやり方で」
「仕方ないでしょ。単純な魔法勝負なら私に勝ち目がないもの。ついでに言えば貴方は徹底的に自分の弱点を突かれないような戦略をとるべきね。潜在能力なら明らかに勝っているのだから」
こんなことを言っているが、アリスは正直ギリギリだと思っていた。
久しぶりに本気らしい本気を出した気がする。相手の力量が同じぐらいだということもあるかも知れない。いや、相手は力量以上。明らかに強い相手だった。普段からあまり動くことがなくて、肉体的に弱いという弱点がなければ、おそらくやられていただろう。
「うるさいわよ。そんなこと、とっくに承知のことよ」
「あら、そうなの」
「そうよ。あなたに言われなくたってね……ゲホ、ゲホ」
「で、どうなのよ」
「ゲホ、だからなんで言わなきゃいけないのよ」
「好奇心? 」
「……」
「言わないともう一度その腹に蹴り入れるわよ」
「外道」
「外道で結構。今に始まったことじゃないでしょ」
「……」
「蹴るわよ」
アリスの脅しにいい加減観念したのか、パチュリーは口を開く。
「……そんな大それた理由じゃないわよ」
「……」
「ただ、気に入っただけよ」
「じゃあ私の家で言った言葉は嘘ってわけね」
「冗談よ。なんでそこで本気に取るのよ」
「誰も本気に取ったなんて言っていない。じゃあわざと私の目の前に置いておいたその意味は? 」
「偶然じゃないの」
「偶然には見えなかったわ」
「そう、ならただの考えすぎってことね……ゲホッ」
パチュリーは視線を下に落とす。こちらと目を合わせたくないようだった。
本当に偶然だったのだろうか。
こいつが本当のことを言っているかなんて、そんなことは私にはわかりようがない。
まあいいか、多少汚れや破れはあるものの、人形は手に入った。
私の勝ちだ。
「それ……」
アリスが部屋から出て行こうとすると、パチュリーはアリスの人形を見て何かを呟いた。
アリスは立ち止まる。
「なに」
「……なんでもない」
「なんでもないわけないでしょ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「……」
「蹴らないわよ、別に」
パチュリーの視線がアリスの人形に向かっていることを、アリスは理解していた。
本当に、この人形がほしかっただけなのだろうか。
パチュリーは何も言わない。部屋には埃だけが舞っている。
床は落ちてきた本で見えないぐらいだった。
「ほしいの? 」
「え」
アリスがポツリと言った言葉に、パチュリーは反応する。
「だから、ほしいのかって」
「別に」
「ほしかったら、あげるわよ」
アリスのその言葉に、パチュリーは目を丸くする。
「な、なんで」
「ほしいんじゃなかったの」
「アリスこそ、その人形、大切なものじゃないの? 」
「大切よ。でも、形はともかく、大切に扱ってくれたみたいだし。私が怒ったのは、盗まれたことに対してよ。全く、ほしいならほしいって最初から言えばいいじゃない」
ふう、とアリスはため息をつく。
対するパチュリーは、腹を押さえながら目をぱちくりさせている。
「あ、アリス……」
「なによ」
「妙なものでも食べたんじゃないの」
「失礼ね、私は正常よ」
「だって」
「あのね、人形だってね、大切にしてくれる主がいたほうが幸せなのよ。こんな魔法障壁まで作って。何考えているかわからないけど、ぞんざいに扱われさえしなければ、言ってくれればいくらでも作るわよ」
自分でも、珍しいことを言っているな、とアリスは思った。
別に相手がパチュリーだからではない。人形だからそう言えるのだとアリスは自分に言い聞かせる。
パチュリーは黙ったまま動かない。なんとなく気まずくなって、アリスは人形を持ったまま出口の方へ向かう。
「でも、この人形は修理しないと駄目だからね。いいわよね、修理してからで」
「え……」
「あげるって言っているのよ。直してからだけど」
パチュリーは、驚いた顔をして、ずっとこちらを見ている。
なんでこんなことを言うのだろうか、アリス自身も驚いていた。
今日は色々おかしい。本当に、妙なものでも食べてしまったのかもしれない。
「とにかく、今日はもう寝るから。じゃあまた明日」
気まずくなって、出口の方へ飛んでいく。後ろで自分を呼ぶ声がした。待って、待ちなさいよこの根暗人形士、友達いない人形士、という声が聞こえたが、無視して飛んでいく。
気に障ったからではない。いいや、気に障ったからだ。そういうことにしておこう。
破れた服を着た人形を見る。
汚れてしまっているが、自分が作ったのに言うのもアレだが出来は良い。
この人形のどこがそんなに気に入ったのだろうか。
気にするようなことではないと頭でわかっていても、むきゅーとへばったあの紫モヤシが何を考えているかが気になって仕方がない。
(ほうっておけばいいじゃない、あんなやつ)
わかっている、わかっているのだが、向こうから色々仕掛けてくるから性質が悪いのだ。
気にしないように努めてみても、どうしても気になってしまうのだ。
おまけに時々見せる、彼女の真面目な顔。
それを見る度にアリスは、どうしようもなく心が乱れるのであった。
(やめだやめだ、そんなことを考えるのは)
傷を治して、部屋に帰ろう。
そしてこの人形を直そう。
これをあいつに渡すのは少々癪に障るので、小悪魔にでも渡しておくことにしよう。
今日は色々ありすぎた。昨日の夜も実はあまり寝ていないのだ。
しばらく寝たら遅い朝食を頂いて、家に帰ることにしよう。サバト会議も今日はやらないだろう。魔理沙は神社に行くだろうし、パチュリーもあんな状態だ。
アリスは図書館のドアを開け、廊下へと出て行った。
「あら、アリスさん、すごい格好ですね」
「……」
そこに居たのは、ドーナツと紅茶を持った、エプロンをした小悪魔だった。
「一体どうしたんですか」
「別に」
「あ! もしかして弾幕ごっこしたんですか!? 私の仕事がまた増えちゃうじゃないですか~」
ボロボロなアリスの様子を見て、小悪魔はうなだれる。
そういえば、図書館の内部はあのままであった。すっかり後始末を忘れていた。
「ご、ごめん、つい熱くなっちゃって、怪我を治したらすぐに手伝いに行くわ」
「ということは、アリスさんはパチュリー様とやりあったということですね」
小悪魔が放ったその言葉に、アリスは体を堅くする。
そうだった。小悪魔はパチュリーの使い魔だった。主を攻撃されたとわかったら、使い魔である彼女が黙っているはずがない。その可能性を充分に考えていたはずだったのに、油断した。
まず、ここで攻撃されたら、対処できるかわからない。
もう魔力はすっからかんになっているのだから。
「ああ、別にアリスさんに攻撃するとか、そういうことはしないから安心してくださいよ。アリスさんは、お客様ですからね」
そんなアリスの様子とは裏腹に、小悪魔はにこりと笑う。
小悪魔チックなスマイルだった。
「アリスさんとのガチバトルに私が手を出したら、私が消されますよ。まあ、出したりなんかしないですけれど」
「……」
「疑うんですか? 仕方のない方ですねえ。本当に、今は3時のおやつを持ってきただけなんですから」
「おやつ? 」
「そう、おやつです。今日おやつを用意しろといわれたんです。まあ、もう明け方近いですけれどね」
あはははは。
そう小悪魔は笑う。
いりますか? とドーナツの入った皿を渡されたので、素直に受け取る。立ちながら食べるなんてことは行儀がわるいことだと思いつつ、そこまで考えている余裕が今のアリスにはなかった。
「どうですか~、咲夜さん自作の特製ドーナツは」
口に入れると、シナモンの匂いが鼻をかすめる。ドーナツは冷めていたが、充分おいしかった。
「おいしいでしょう」
「ねえ、小悪魔」
「はい? 」
「なんであいつ、人形盗んだの? 」
アリスの質問に、小悪魔は一瞬きょとんとした顔をする。
アリスはもう一口、ドーナツを口にする。
「ああ、多分気に入ったからじゃないですか? 」
「あいつもあんなこと言っていたわ。でも、なんで魔力を持たないこの人形が気に入ったのか、やっぱりわからないのよ」
アリスは考えていた。何故あの魔女がこの人形を盗んだのか。何か理由があるはずだ。魔女としての理由が。単に気に入っただけだなんて、そんな話聞いたことがない。
「ああ、きっとホラあれですよ。パチュリー様がアリスさんを気に入っているからですよ」
アリスはドーナツを喉に詰まらせた。
「ゲホッ、ゲホッ! 」
「ちょっとアリスさん、大丈夫ですか、パチュリー様みたいな堰をして」
「へ、平気よ、ゲホッ」
「あわわわわ、お茶でよければあげられますが」
「平気だってば! 」
アリスはすごい剣幕で小悪魔を睨む。が、小悪魔は全く動じていなかった。
ああもう、こいつまで妙なことを言う。一発蹴ってやりたくなったが、生憎足がこれ以上動かない。
「素直じゃないですねえ。あの方も」
小悪魔は困ったように呟く。
「どういう意味よ」
「ああ、こっちの話です」
「どういう意味なのよ、あの方ってパチュリーのことでしょう」
「まあそうですが。こんな人形まで持ち出して、まったく素直じゃないですから」
困ったように笑う小悪魔は、なんとなく嬉しそうだった。
子供を見守る親のような、そんな風にも見えた。
「とにかく、気になるからちょっかい出してしまったとか、そんな感じじゃないですかね。理由なんてそんなもんですよ、多分」
「……」
気になる。
気になるということは、嫌いだということなのだろうか。
それとも単に、じゃれあいの範疇ということなのだろうか。
「ああそれとパチュリー様言っていましたねえ。普段クールで表情を変えないアリスさんの本気の顔が見てみたいって。きっとそのせいですよ。あと人形はかなり気に入っていましたしね。それは確かです」
「……」
考えれば考えるほど、頭が痛くなってくる。
単純にあいつは私にちょっかいを出したかっただけなのだろうが、こっちとしてはいい迷惑だ。
一番迷惑なのは、あいつのことが頭から離れないということだったのだが。
「もういいわ、体中痛いし、頭も痛くなってきた。部屋に帰るわ」
「そうですか」
「ドーナツありがとう、おいしかったわよ」
「それは咲夜さんに言ってあげてください。きっと喜びます」
「そうね」
小悪魔に挨拶をし、アリスは廊下の先へと飛んでいく。小悪魔はガラガラとおやつのカートを持って図書館に向かっていった。
手にした人形を見る。
ボロボロになってしまった人形。修復には、家に帰ってからしかできないだろう。
(またこれで、ここに来る用事ができてしまった)
アリスはふうとため息をついた。借りている本もあるし、サバト会議のこともある。
ここに来る用事は沢山あるのだが、いかんせん、あの魔女本人に用があるとなると、なんとなく気まずい気持ちになるアリスであった。
「全部、全部パチュリーのやつが悪い」
やめだ。
これ以上、あの魔女のことを考えるのはやめにしよう。
ただでさえ今日は真剣勝負をしたのだ。疲れてしょうがない。
部屋に帰ってしばらく寝たら、図書館の後片付けの手伝いをして、とっとと家に帰ろう。
アリスはフラフラになりながら、客室へ通じる廊下を飛んでいった。
「む、むきゅー」
「ひどくやられましたねえ。パチュリー様」
「うるさいわよ、むきゅう」
小悪魔は閲覧室前まで来ていた。
閲覧室の周りは本の山で目も当てられない状況だった。
人形があった棚のほうには、ガラスの破片がいくつも飛び散っている。
中央には、本の山に埋もれて、パチュリーが座っていた。
「それにしても、負けるなんて……今日は調子悪かったんですか? 」
「油断していたわ。あの人形遣い、思いっきり蹴ってくれちゃって。おまけに脚を魔法で強化していたみたいね。そのことをすっかり考えてなかっ……ゲホゲホッ」
「パチュリーさまは貧弱ボディですもんね」
「うぅ、痛い……」
パチュリーは腹を抱えている。先ほどアリスに蹴られ、最後にパンチを3発食らったところだった。
何本か折れているんじゃないだろうかと、パチュリーは思った。
「平気ですか? 」
「ゲホッ、ゲホッ、へ、平気よこれぐらい」
「おやつ持ってきたんですが、食べられますか?」
「……もらう」
自分が上手く動けなかったのは、明らかに最初の蹴りのせいだった。
普通の蹴りではなくて、魔法がこめられていたのには驚いた。
何か策があって自分を誘導したのだろうが、痛くてハッタリかますのに精一杯だった。そのせいで、うっかり部屋の外にある人形のことを計算に入れるのを忘れてしまった。
それぐらい強烈で、痛かった。
パチュリーはのろのろと閲覧室の外まで歩き、小悪魔からドーナツをもらう。
小悪魔は紅茶を入れていた。
「あの人形遣い、ハムハム、こんなに滅茶苦茶にしてくれて、ハムハム」
「それパチュリー様にも言えることですよ……後片付けを誰がやるって思っているんですか」
「私はね、ハムハム、いいのよべつに、ハムハム」
食べながら頬を膨らますパチュリー
対する小悪魔はため息をつく。
これから落ちた本を全て整理しなおして、床の掃除までしなくてはいけない。
明日の夜までに全て終わらせないと、もしもレミリア様がやってきたときに何を言われるかわからない。
さっきゅんでも呼ぼうかな。
「そういえば、どうして人形がほしかったんですか」
先ほどアリスから聞かれた疑問をぶつけてみる。
パチュリーはハムハム食べるのを一旦やめた。
「死ぬまで借りてるだけよ」
「冗談はいいです」
「……」
「誰にも言いませんから教えてくださいよー。ね、パチュリー様」
小悪魔の小悪魔スマイルに、なんとなく乗せられてしまうパチュリーであった。
ドーナツを皿において、パチュリーは口を開いた。
「別に、なんとなくあの澄ました顔が気に食わないってだけよ」
毒づきながら、パチュリーは喋る。
「うわ、こっちも素直じゃないなあ」
「なんか言った?」
「い、いえ別に」
パチュリーはギロリと小悪魔を睨む。
これ以上言うとドーナツを投げつけられるような殺気に満ち溢れていた。
なにも言わなかったことにしようとする小悪魔であった。
「なんか……泥をぬりたくなるのよ。あとからかうと案外面白いし」
「そうですねえ、からかうと案外面白いですもんねえ」
「あと、後輩の癖に生意気」
「それは魔理沙さんもじゃないですか」
「なんかアリスのほうが澄ましていて生意気に見えるのよ。図書館のマナーもきっちり守るし」
「それっていいことなんじゃないですか……」
きっとバカな子ほど可愛いっていう理論なのだろう。
魔理沙はよく盗みはするし生意気だけれど、笑ったり怒ったり、すごくわかりやすいのだ。
まっすぐに強さばかりを追い続け、他人を省みない潔よさは、迷惑をかけられたことをすっかり忘れてしまうぐらいに清清しい。そんなこんなで、未だに本1287冊を貸してしまったままである。本当は取り返さなくてはならないのに、いつもその笑顔に騙されてしまうのだ。
反対に、アリスはといえば。
いつも涼しい顔ばかりして、本を読み、本を返し、去っていく。
礼儀正しいし、たまにお菓子もくれる。
けれど、だからこそなんとなくからかってみたくなるというのは、小悪魔にもわかる。
パチュリーは多分、そういう魔女だ。
綺麗なものには泥をぬってみたくなるような、そういう子供じみた部分が、この人にはあるのだ。魔女という種族ゆえ、なのかもしれないが。
「あの人形、もらうんですか」
「もらうわよ」
「ふうん」
「なによ、その顔は」
「別にー」
「小悪魔の癖に生意気ね、今度お仕置きしてあげるわ」
「そう簡単にはつかまりませんから、あしからず」
「なにニヤニヤしてんのよ」
「いやあだって」
「だって、なによ」
「だって、ねえ」
ニヤニヤ、ニヤニヤ。
小悪魔の笑みは止まらない。
おそらくはこれが、パチュリーなりの愛情表現の仕方なのだろう。アリスにとっては良い迷惑かもしれないが、本人はそんなに迷惑がっていないような気がする。その証拠に、向こうもこちらのことが気になりはじめている。妙な方向へ。
「パチュリー様が、他の人に興味を持つなんて珍しいなあ、と」
「別に、なんかムカつくから」
「そうですか。ニヤニヤ」
「ニヤニヤ言うな。ドーナツ投げるわよ」
パチュリーがドーナツを投げる姿勢をとると、小悪魔はさっと本棚の奥へ隠れる振りをする。これ以上言うと本当に投げつけるだろう。自分は良いが、ドーナツがもったいない。
「まあとりあえず、それ食べたら魔法で体治して寝ててください、後片付けをしますんで」
「悪いわね……ハムハム、おいしいわ」
「それは咲夜さんに言ってあげてください。きっと喜びますよ」
パチュリーはドーナツを再び口にする。
小悪魔はこれ以上何も言わなかった。内心ニヤニヤが止まらなかったが。
どうも、本人同士は憎みあっているみたいであるが、端からみればじゃれあっているようにしか見えないのだ。
そのことに、この人たちは気が付いているんだろうか。
「紅茶、いります? 」
「いただくわ。喉がかわいてカラカラなのよ」
「でしょうねぇ。あちこち焼け焦げていますもん。はい、どうぞ」
小悪魔はパチュリーに紅茶を渡す。
紅茶は湯気が立っていた。
「次にアリスさんがやってくるとしたら、人形が完成するときですね」
「……」
「楽しみですねえ、パチュリー様」
「紅茶ぶっかけるわよ」
「それは勘弁ですよー。もう何も言いませんから、ね」
「やっぱりぶっかけるわ。覚悟しなさい」
「え、ちょ、待って下さいパチュリー様、もう何も言わないって言ったじゃないですか」
「うるさい、問答無用」
「え、ちょ、うわ! 」
バシャン。
水音と共に図書館に広がったのは、小さな悪魔のあっちい、という叫び声であった。
照れ隠しもいいところである。いや、意地っ張りなだけか。
「あちち! あちちち! 」
「水魔法もかけてあげるわ」
「いいです! いいですってば! 」
「遠慮しないで頂戴」
「ちょ、パチュリー様、アー!! 」
なんにせよ、口は災いの元である。
お互い意地っ張りなのだ。言うとこっちに被害が及ぶ。
これからは、裏でニヤニヤ笑うことだけに徹しよう。
水鉄砲ならぬ水大砲を全身に浴びながら、そんなことを思う小悪魔であった。
「ちょ、複合スペルはやめてー! 」
「大丈夫よ、今日は疲れているから威力は半減よ」
「私にとってはどっちも変わりませんってー! 」
小悪魔の非情な叫びに魔女が応えるはずもなく。
明け方3時のお茶会は、こうして幕を閉じた。
完
※単品でも読めます。
大図書館の奥深く、ランタンの明かりだけが薄暗く照らすその中で、3人の魔女の声が聞こえる。
「いいこと。魔法というものは不可能を可能にすることなのよ。ありえない現象をくつがえす事こそが魔法の醍醐味というもの」
「そんなことはわかっている。最初からそのつもりだぜ。いいから早く、そいつを見せてくれ」
「せっかちね。そんなに焦らなくてもすぐに出来るわ。ちょっとどいてて」
サバト会議。
月一ぐらいで行われる魔法使いたちの定例会のことである。
サバトの中に会議という意味も含まれているではないか、なんて突っ込みは不要である。
魔法使いというものは本来、孤独に一人で研究を行うものと思われがちだ。実際それはそうなのだが、偶にはこうやって話し合ったり、実験したりすることもある。互いの話を聞き、意見を言い合い、帰ってから一人でそれを消化する。研究の糧とするのだ。
勿論自分の手の内を全てさらけ出すわけではない。切り札は常に手元に取っておくべきものである。
それを抜きにして、知識の共有をし合い、今後に生かしていこうと企画されたのがこの会議の目的だった。
幸いにして、3人が3人とも同じテーマで研究を進めている訳ではない。
全く別系統の魔法を極めようとしている為、相手の損になるようなことを言おうとする者は一人もいなかった。
もしそうだとするならば、誰かしらはとっくにやめているだろう。
最初は半信半疑で無理矢理参加させられたアリスも、気が付いたら二人の話に夢中になっていた。
全てが正しいとは限らない。しかし、人の経験や意見を聞くことは自分にとってあまり無いことであり、貴重な経験である。魔法使いとしての自分を成長させる糧にすることができる。そう感じた為、今でもこうして同席についている。
そう最初は信じていたし、今でも信じているつもりだった。
つもりだったのだが。
「どうしたんだ。なんか元気ないな」
正直言って今の実験には立ち合いたくないと、アリスは心の底から思っていた。
「しょうがないわね、アリスは。この歴史的瞬間に感動できないなんて。感性を疑うわ」
「まあアリスだしな」
「アリスだしね」
さりげなくひどいことを言われている気がするが、こいつらの言うことをまともに受けていたら神経が持たないことを、長くはない月日の経験から理解していた。元々クールなキャラである。華麗にスルーするべきだ。
「チッ……」
今隣の紫色のもやしが軽く舌打ちしたのが聞こえた。そんなに怒らせたかったのか。でもここで取り乱したら終わりな事を、アリスはよく理解していた。
「いいから早くそれ入れないの? 」
「未熟者は黙っていて。タイミングが肝心なのよ」
とても冷めた目で一瞥される。だからといって取り乱したりはしない。もう慣れたことだ。
釜の中には怪しげな色の液体が、ぐつぐつと煮えくり返っている。
頃合を見計らって、パチュリーは釜の中に液体を垂らす。すると、釜の中からはもくもくと煙が出る。
ちなみに現在いる所は図書館の中心部にあたる所だが、実験を行う際には魔法障壁を張ってから行うようにしているため、図書館の本に害は及ばないらしい。図書館の本は元々、魔法で守られているらしいが。
煙が立ち上ると同時に、なにやら甘ったるい匂いが鼻をかすめる。
(これは……)
決してアリスは期待をもってこの実験に望んだ訳ではなかった。だから終始冷めた目で見ていた。
煙が段々少なくなっていく。そして、釜の中にある物体の形が見えてくる。
「おお……! 」
「成功したようね」
釜の中に現れたのは巨大なプリンだった。
ぷるりとした外形に、カラメルソースが光っていた。
「さあ、食べてごらんなさい」
パチュリーにスプーンを渡される。ちなみにパチュリー自身は持っていない。私たちは毒見役のつもりなのだろうか。実に腹立たしい。
とか何とか思っているうちに、隣の白黒はプリンに手をつけていた。少しは疑えよ。
「!」
「どう? 」
「こ、これは……! 」
驚いて目を白黒させている。その反応だけで、実験が成功だということがわかる。
まあいいか。これで私自身は食べなくて済む。
「きのこの味がするぜ……」
そう。
今行った実験は、ありとあらゆる食べ物をプリンにする魔法の実験だった。釜の中にキノコを入れ、特殊な液体Aを入れて煮たあとに特殊な液体Bを入れる。すると、あらゆるものがプリンになってしまう。ちなみに入れるものは人間が食べられるもの限定らしい。パチュリーと魔理沙は約2週間かけて、理論を完成させたという。確かにすごいが、ぶっちゃけ使えない魔法だと思う。
「すごい! すごいぜ! 見た目も匂いも完璧プリンなのに味だけキノコ! これならあいつをギャフンと言わせることができるぜ!」
興奮気味の魔理沙。確かにこの方法なら、神社で茶をしばいている紅白巫女を、完璧に騙すことができるだろう。むしろ、事の発端はそれだったらしい。巫女を完璧に騙すためだけに作られた魔法である。
こいつら、アホか。
「不可能を可能にする。これぞ魔法よ」
確かに不可能を可能にしている。だけどその結果がこれというのがなんとも間抜けである。なんでプリンなんだよ。
「魔法使いに不可能の三文字はないわ」
そんなに偉そうに主張されても困る。確かに間違ってはいない。間違ってはいないが。
なんかとてつもなく魔法の使い方を間違っている気がするのは私だけなのだろうか。
「徹夜で考えたかいがあったぜ」
「そうね。何かを成し遂げた気がするわ」
「まだまだだぜ。こいつを霊夢に食べさせて、リアクションを鴉に撮ってもらうまでが本番なんだぜ」
「そうだったわね」
冗談でも魔法に全力をつくすべし、これが魔法使いの在るべき姿である。そんな事を先輩魔女は語っていたが、正直ついていけなかった。
「パチュリー様、お茶が入りましたよ」
背後から声がした。アリスのすぐ後ろに、咲夜が立っていた。
「うわ! 」
「ちょっと、そんな大声出して」
「はしたないぜ、アリス」
「はしたないわよ、アリス」
さっきからこいつら二人同調していないか? 主に私に対する態度が。
しかし、このメイドがいきなり近くにいるという現象は、何度かお邪魔したときに経験しているが、未だに慣れない。
「まあいいわ。お茶にしましょう」
そう言うと、4人は図書館から閲覧室まで足を運ぶ。閲覧室と呼ばれる場所は、普段パチュリーがお茶の時間に使用している場所であり、食事もそこでとることが多い。今回のように実験でなく話だけで済ます場合、会議の場所となっている所だ。
3人は席に着く。咲夜が紅茶を入れている。
なんかすごく疲れた……そう思った矢先、あるものがアリスの目に入る。
(げ……あ、あれは)
実を言えば、さっきの実験中も、あることが気になっていたせいで集中できなかったのだ。
まあ確かに、馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しかったのであるが。
それを抜きにしても、この実験で得られるものを必死に探そうとしていた筈なのだ、本来ならば。それをしなかったのは、己の精神状態に問題があったからに違いない。
(ああ、そうだった。ずっとあれが気になっていたんだ)
小さな本棚の一番上の棚に飾られた、一つのショーケース。その中にある、一つの人形。
見るたびに、忌々しい記憶が蘇ってくる。
そうそれは、つい先日のことだった。
ひょんなことから小悪魔と喧嘩したらしいパチュリーは、雨の中アリスの家にやってきた。
いつもと同じようにおちょくられ、追い返そうとしても追い返せず、仕方なく彼女の要求に乗ってやったものの、最後の最後にムカつく捨て台詞を吐かれ、絶対二度とこいつに家の敷居をまたがせないぞと決めたのだった。
その時、パチュリーの懐から出したアイテムの中に、アリスの人形があった。
それを見た瞬間、アリスは当然びっくりした。
何故、自分の家の人形を、彼女が持っているのだろうかと。
『これ家にあった人形じゃない! なんでアンタが持っているのよ! 』
『ギクッ』
『ギクッじゃない!! いつ盗んだのよ!! 』
『死ぬまで借りるだけだぜ』
本当に、何を思ってあの時人形を盗んだのか。そして何を思って目の前の見える位置にそれが飾られているのか。
アリスには考えてもわからなかった。
『なんか……不公平じゃない。アリスは私の所有物を持っていて、私は何も持っていない。そういうの、なんか不公平じゃない』
「だー!! 」
思い出してなんか吐き気がしてきた。そうだ。そんな歯の浮くような台詞をこいつに言われたのだ。
「あ、アリス? 」
「どうしたのよ? 」
咲夜と魔理沙がこちらに注目している。しまった。つい大声を上げてしまった。
「アリス……最近疲れているの?精神状態大丈夫? 」
元凶である人物に心配される。私の精神状態が不安定なのはお前のせいだっつーの。
……と、ここまで考えてやめた。これではまるでパチュリーが私の心を揺さぶっているようではないか。
ありえない、ありえないから。
そういえば、よくもまあ私の真正面にあるものだ、と思う。偶然なのか、はたまた必然なのか。
(いや、もしかして……)
新たな疑念が浮かび上がる。
確かにいつも部屋に入るとき、アリスの順番は最後であった。この位置に来るのはごく自然のことである。
(こいつ、わざと目の前に……!? )
そこまで魔女は計算していたのだろうか。計算してこの位置に置いたのだとしたらますます腹立たしい。というかそんなことばっかりに知識を使うパチュリーは本当にアホだと思う。そんなに私の怒った顔が見たいのか。
『ぷッ……』
私の憶測が正しければ、こいつは今絶対心の中で笑っている。いや、十中八九そんな気がした。
「カタカタカタ」
「ど、どうしたんだアリス! 震えているぜ! 」
「あ、ああ平気よ魔理沙。最近ちょっと疲れていて寝不足なだけだから」
いけない、いけない。これはただの憶測なのだから。このぐらいで心を乱すようでは、いつまで経っても未熟者だ。
「それはいけないわね。先に部屋に行って休んだら? 」
咲夜が私に向かって提案する。確かにそれは良い方法かもしれない。本人を目の前にすると、いまいち自分が抑えきれない気がする。
パチュリーは無表情でこちらを見ていた。ああ、腹立たしい。
一体全体、どうしてこうなってしまったのか。
小悪魔に客室まで案内されながら、アリスは再びため息をついた。
~大図書館で3時の夜食~
客室に帰り、アリスはベッドにぼすんと寝転がった。
プリンの件やら人形の件やらがあったせいで、ほとほと疲れていた。
まあ、いつもここに来るたびにこんなものだったかも知れないが。
それにしたって今日は異様に疲れた気がする。絶対あの紫モヤシのせいだと思う。思い出すだけで腹が立つ。ああ、腹が立つ。
仰向けに寝転がり、あの人形のことをぐるぐる考える。
客室の天井は、自分の家よりも幾分か高かった。流石は紅の屋敷。凡人には手の届かないぐらい高そうなシャンデリアが見える。客室は塵一つないほど綺麗に掃除されていた。おそらくは、咲夜の努力の賜物なのだろう。
枕を抱いて、ぐるぐると考える。
「まったく、パチュリーのやつ」
寝転がりながら考えていることといえば、おおまかに分けて二つだった。
まず、何故魔女が人形を盗み、それをショーケースに飾ってわざわざ見える位置に置いておいたのか。
そして、自分はこの状況に対してどう行動を取ったらいいか。
前者に関しては、気になるところではあるが、気にしたら負けな気がするし、知ったところで状況が変わるわけでもない。考えれば考えるほどあの台詞が頭に浮かんできて頭痛がしてくる。やめだやめだ。これ以上考えたって仕方がない。
問題は後者だ。
端的に言えば、人形の奪還をすべきか、ということだ。普通に考えて、盗まれたとわかった時点で、間違いなく取り返しに行く。しかし、普段盗まれるものといったら貴重なマジックアイテムとか、薬草とかであり、それに対して今飾られている人形は、魔力も何もこめられていない只の人形である。
そもそもあれは、空いている時間に趣味の一つとして作った観賞用の人形だ。盗むメリットも盗まれるデメリットもない。予想だにしないものを盗まれて、正直面食らっていた。
「なんなのよ一体……」
横向けに寝転がる。思わずため息が出てしまう。
あれはただの人形だ。
しかし、されど人形。人形遣いアリス・マーガトロイドにとっては、命の次に大切なものである。例えそれが、戦闘時に使うものでないとしても。
鑑賞用の人形だって、人形劇の為の人形だって、同じぐらい大切なものなのである。今までだって大切に扱ってきたし、これからもそうだ。
もしかしたら、それをわかってあの魔女は人形を盗んだのだろうか。
だとしたら、こんなに腹立たしいことはない。
アリスはシーツをぎゅっと握った。
「このまま引き下がる訳にはいかない、か」
そう。
このまま引き下がる訳にはいかない。盗まれた物が人形ならば、余計に引き下がる訳にはいかない。ここで引き下がれば、人形遣いの名が泣くだろう。
しかもわざわざ目の前に置いてあったのだ。これで何もしないようならば、ますます未熟者だと馬鹿にされるに違いない。あの魔女のことだ。これからもずっと笑われ続けるだろう。
それだけはなんとしても避けたい。いや、己の信念にかけて、人形は奪還してみせる。
それが自分のプライドだ。
「待ってなさい、パチュリー」
アリスはベッドから起き上がる。寝ている暇はない。今すぐにでも奪還しなくてはいけない。事はなるべく早いうちに片付けてしまいたい。
図書館には数々のトラップがある。閲覧室にしてもそうだ。本を棚から取ろうとしたら手から本が離れなくなったり、ドアのノブに電流が走ったりすることもあった。
おそらくはあのショーケースにも、何らかの罠が仕掛けられているに違いない。ならば、こちらも作戦を練らなくてはいけないだろう。
さて、どうするか。
図書館は相手にとってはホーム、こちらにとってはアウェーである。
おまけにパチュリーと戦った回数は数回ほど。それで大体どんなタイプかは把握できたが、全てのスペルカードを知っているわけではない。どんな技を隠し持っているのかわかりようがない。
(まあ、でもそれは向こうも同じか。力量的には劣るかもしれないけれど、向こうは多分体力がない。そこさえ突くことができればあるいは)
あるいは。
そう、可能性は0パーセントじゃない。以前何回か戦ったが、勝敗は今のところ4対6というところ。決して勝てない相手ではない。向こうが勝手に体調を崩したというのもあったが、実力だったこともある。決して手を出せない相手ではないのだ。
問題は、図書館という舞台で自分の実力がどれだけ発揮できるかということなのだが。
コンコンコン。
ドアからノックする音がした。
「アリス、起きてる?体調は平気?」
咲夜だった。
「もうすぐ夕飯の時間になるから、でも具合が悪いならここまで持ってくるわよ」
「ああ、平気よ。いつも悪いわね。今から行くわ」
丁度お腹も空いたころだ。別に食べなくても生きていけるが、人間の食料というものは魔力の糧にもなる。決して食事という行為は無駄ではない。
これから戦いが待っているのだ。多かれ少なかれ、戦いになるだろう。話し合いで通じる相手ではない。そのためにも、食事は重要だ。
作戦会議は一旦中断して、夕食を取ってから部屋でじっくり行おう。ここで焦っては元も子もないのだから。
アリスはブーツを履きなおし、咲夜の後についていった。
紅魔館の食事は豪華である。わかりやすく言えば、フランス料理のフルコース並みに豪華である。テーブルには沢山のスプーンやフォークが置いてあり、一見するとどれを使ったら良いかわからない。しかし、何度かこの館にお邪魔したことのあるアリスは、その様式もきちんと理解していた。
「がつがつがつ」
「……」
もっとも、隣の野良魔法使いは、何にも学んでいなかったが。
「メイド長、水―」
「はいはい」
食事の最中でも、メイド長はやたら忙しそうだった。
「メイド長―、お代わりー」
「はいはい」
スープのお代わりをする魔理沙。
さっきからアリスは咲夜がやけに魔理沙に対して優しい声で応対していることが気になっていた。魔理沙もいつもより甘ったれた声で咲夜を呼んでいるような気がする。
なんとなく、場違いな気分になるアリスであった。
「そういやパチュリーは? 」
魔理沙がスプーンを口にしながら喋る。行儀が悪いからやめろといつも言っているのに。
「行儀悪いわよ」
「う、ごめん」
咲夜に注意され、ちょっとシュンとなる魔理沙。いつもなら「うるさいぜ、飯が不味くなるだろ」とか言ってくるのに、態度が明らかに違っている。
別に関係ないからいいんだけどさ。
それよりも、パチュリーがこの場に居ないことの方が気になった。
「図書館で調べ物があるとのことで」
「そっか」
「普段から食事を取られないことの方が多いのよ。注意はしているんだけど」
調べ物か。
何か怪しいな。
十中八九、人形の入っているショーケースには何らかの策が講じられている筈だ。私が奪還に来ることは目に見えている。その対策でもしているのだろうか。
正直言って、図書館が舞台ではこちらの方が分が悪い。
しかし、いつまでもそれを言っていたら、奪還などできない。
最低限リスクは減らしたいところである。その為には、やはり決行は明け方過ぎにかぎるだろうと、アリスは考えていた。
夜のうちは、パチュリーの友人であるレミリアが起きている。そしてその妹のフランドールも。
仮に起きていた所で、レミリアに関しては性格からしてパチュリー側に加担することはない。しかし、フランドールに関しては少々厄介である。
戦いとなれば必ず何らかの形で参戦してくることだろう。認めたくはないが、彼女を抑えることができるかと問われれば、できない可能性の方が高い。
総合的に考えて、咲夜も眠っている明け方に事を行うのが一番無難である。
「アリス、どうしたんだ」
アリスは立ち上がる。
「ごめんなさい、まだ体調がすぐれないみたいで。残りは貰っていって構わないかしら」
「部屋に帰るの?」
「ええ、できれば」
明日の朝は早い。決戦の前には十分な睡眠が必要である。
早く帰って夜明けに備えようという訳である。
「部屋まで帰れる?」
「そんな心配しないでも」
「駄目よ。大事なお客様なのだから」
「大丈夫だって。一晩寝たら良くなるから。私よりも魔理沙の相手をしてあげてよ」
アリスがにこりと笑うと、咲夜もそこまで言うなら……とそれ以上言うのをやめた。
入り口に立って会話をしている間、なにやら視線を感じたアリスだった。
まあ、どうでもいいんだけど。
「それなら」
「ええ」
咲夜に挨拶をして、アリスは部屋から出ようとする。
これ以上長居は無用である。
ふと、忘れ物がないか、アリスはもう一度振り返った。
「はい、あーん」
「あーん」
「……」
そこに広がっていたのは、桃色の世界だった。
こいつらめ。
見なきゃ良かったと、後悔するアリスであった。
明け方
「日はちゃんと昇っているわね……よし」
魔法図書館の入り口に、アリスは来ていた。
さっき部屋で確認したとき、既に日は昇っていた。
図書館自体は地下にあるとはいえ、高い天井からは少しだけ光が入る。吸血鬼の姉妹はこの時間帯にここで活動はできない。そして咲夜もおそらく起きてはいない。起きていたとしても、自分は侵入者ではなく客だ。おとなしくしていれば、標的にされる心配はない。
(おとなしく済むかどうかが問題なのだけれど)
なるべく音を立てないように、大図書館のドアを開ける。
この大図書館には様々なトラップが仕掛けられている。しかしそのほとんどが、パチュリーないしは使い魔の小悪魔の手によって発動させられている。
二人に気付かれずに閲覧室に向かい、人形を奪い取る。これが課せられた使命である。
まるで自分が盗人になったような錯覚を受けるが、先に手を出したのはあっちだと言い聞かせ、先へ進む。
図書館には難なく侵入できた。ミッション1、コンプリートである。
昼も夜もあまり変わりはないが、暗いことには変わりがない。日の光もわずかしか届かない。
半ば手探りで閲覧室に向かう。だんだんと暗闇に目が慣れていく。
(ここまで何もなし、と。案外筒抜けだったりして)
もしもここに魔理沙が居たなら、いくら本を盗まれても文句は言えないだろう。それぐらい大図書館は静かで、音沙汰がなかった。
(二人とも寝ているのかしら)
とにかく前に進む。起きていないのならば都合がいい。おそらくそんなことはないのだろうけれど。
難なく閲覧室までたどり着く。
アリスはドアのノブに洋服の切れ端を放つ。切れ端はノブの上に置かれたが、何も起こらない。
ならば、と今度は自前の人形をドアに近づける。人形がノブに手を掛ける。
ギイ。
扉が開く音がした。
ドアノブに異常はないようである。扉を開くと閲覧室内部が見える。このまま中に入り、人形を持って帰ればこちらの勝ちである。
しかし、そうすんなりと事が運ぶとは到底思えなかった。このまま中に入れば袋の鼠という可能性は十分考えられた。
探査用の人形を飛ばす。人形は難なく部屋の中に入っていく。外部から侵入不可能ということはなさそうだ。
だからといって、内部から脱出可能かと言われればそうではない。念のため、探査用の人形を一度自分の元に戻してみる。
ふわりふわり。
人形はちゃんと手元に戻ってきた。
魔法で創られる障壁というものは、大概魔力のあるものにのみ反応する。人形には魔力が込められている。
(人形が移動可能ということは、私も移動可能であるということ。まあ、あくまで現段階ではだけど)
もう一度、人形を部屋の内部に飛ばす。ふわりふわりと人形は飛んでいく。アリスは指で丁寧に、それを操る。
そして、ショーケースに触れた瞬間。
バチン。
雷のようなものが一瞬見えた。人形の方は、片手を失い地面に落ちている。
やはりか。
一筋縄ではいかないことは、最初からわかっていた。むしろ、ここまで何もなかったことが奇跡というか、逆に不気味であった。
ここからどうするかが問題だ。人形ではショーケースに触れられそうにない。だからといって、単身でこの部屋に入るには危険が高い気がする。
相手が起きる前に決着をつけなくてはいけない。遠近操作では人形を奪還することはできない。
(虎穴に入りずんば虎子を得ず、ね)
仕方がない。脱出用に、人形を図書館の天井に飛ばしておく。もしも閉じ込められた場合、力ずくで外から魔法を放つ為である。
部屋に入る。今のところ攻撃などはされていない。
ショーケース近くに落ちている人形を拾い上げる。そしてしばし考える。
「この魔法は……」
人形の片腕は、跡形もなく消え去っていた。思っていたよりも強力な障壁らしい。
しかも、焼け跡を見ていると、どうも自分の知らない魔法のようである。
ショーケースに入れられた人形。魔力も何も持たない、ただの人形。
ショーケースに触れられないのならば、術者に魔法を解除させるしかない。おそらくこれ以外に方法はないだろう。そうでなければ、人形ごと壊れてしまう。
術者に魔法を解除させる方法は、術者を倒す以外ない。
「何しているの」
後ろから声がした。聞きなれた声だった。
振り返るとそこには、ランタンの火で照らされた、魔女の姿があった。
「パチュリー」
「何をしているの、アリス」
パチュリーはジト目でこちらを睨んでいる。しまった、とアリスは思った。見つかってしまえば戦いになることは絶対だ。今でも相手からは殺気が伝わってくる。
「見ればわかるでしょ」
「ふうん」
パチュリーは余裕そうに笑う。そして、いきなり手を振りかざしたと思えば、呪文も唱えずに手からレーザーを放つ。
「!」
アリスはとっさにそれを避ける。
レーザーの先は真っ黒にこげていた。
ぶちのめす気満々らしい。
「人形なら死ぬまで借りるって言ったでしょ」
「本気だったの? アレ」
「もちろん」
パチュリーのレーザーがアリスを襲う。何本も何本もレーザーが生まれて消える。
右へ、左へ。図書館はあっという間に戦場に変わる。
まずいな、とアリスは思った。
覚悟はしていたが、こんなに早く登場するとは思わなかった。
パチュリーの気配に気が付かなかったことが悔やまれる。人形に夢中になってしまい、考えが及ばなくなっていた。
「どうしたの? アリス。反撃しないなら叩きのめすわよ! アグニシャイン! 」
パチュリーのスペルカードから放たれた魔法は、火の魔法・アグニシャイン。
不規則に生まれる火の玉が、アリスに降りかかる。
「くっ……! 」
いつもよりも弾速が速い。弾幕ごっこの範疇を超えているように見える。
そんなにあの人形が取られたくなかったのだろうか。
まあいい、どちらにせよ、こいつを倒さなくては、人形奪還はできないのだから。
「てっとり早く終わらせるわ。日符、ロイヤルフレア! 」
パチュリーが新たなるスペルカードを取り出す。
しかし、そう易々と魔法を発動させる気はなかった。
「させないわ! 」
反対方向に魔法を放つ。火の弾の軌道を確認してから、一気にパチュリーまで間合いを詰める。空中で体をひねり、相手が詠唱している隙を狙って、大きく足を上げて振り下ろす。
「蹴リス! 」
どごっ
「むきゅう! 」
アリスの蹴りは、パチュリーのわき腹にクリーンヒットした。
やられっぱなしで何の策がなかったわけでもない。火の玉を避けながら、アリスは機会を待っていた。
「だ、弾幕はブレインよ! 」
最早弾幕などではないことは、本人も重々承知である。
しかし、体の弱いこいつには、直接攻撃が一番効く。いかに近づくかが問題であり、近付きさえすれば勝機はこちらにある。以前魔理沙とパチュリーが戦っているのを見て、思いついた作戦だった。
手ごたえは充分。いつも蹴ってばかりいるだけあって、そこそこ蹴り方もわかってきた。
自慢できることではないが。
さて、もう一回ぐらい食らわすか、とアリスはパチュリーに近付いた。
その時だった。
パチュリーはスペルカードを取り出した。
「フン、ぬかったわね。日符・ロイヤルフレア」
「え」
炎ではなく、太陽を作り出す魔法、ロイヤルフレア。
辺りが一気に明るくなったかと思えば、大量の熱が降りかかってくる。
何故コイツに蹴りが効かないのか。確かに手ごたえはあった筈だ。
「なんでっ」
まずい。
考えている暇はない。今はこの火の海を抜けるのみだ。
「くっ! 」
「いい眺めね。アリス」
体をひねって避けようとするが、避けきれない。運悪く火の玉は左足に直撃した。焼けるような痛みがアリスを襲う。
油断した。きっと魔法で体を強化したのだろう。その可能性をすっかり忘れていた。
手元にあるカードは三枚。しかしこいつ相手に魔法で攻めるのは、弾幕勝負でない限り得策とは言えない。
近接戦にもう一度持ち込もう。左足はひどく痛いが、空中戦であれば蹴りを食らわせることができる。たとえ体を魔法で強化したとしても、限界があるのだから。
「アグニレイディアンス! 」
「リトルレギオン! 」
今日は調子が良い日のようだ。こんなに大魔法を連発してくるなんて。
二つの光が中央でぶつかり合う。
相手の手持ちは何枚だろうか。喘息が発症しているときは感じられないが、魔力に関してパチュリーの右に出るものはいない。まだまだ余力はありそうだ。
図書館内部にかけられている魔法も発動し始めている。レーザーが何度も自分を焼き付ける。
「逃げてばかりじゃ話にならないわね、未熟者」
パチュリーが鼻で笑っているのを、下方から見上げる。正直カチンと来ていたが、ここで焦ると先がない。
人形をパチュリーの元へ放つ。そこから魔法が放たれる。
「小手先ね。もっと本気出しなさい」
パチュリーは難なく弾幕を避けていく。
彼女と対戦したことは以前にあるといえばある。緋の異変の時などがそうである。初めてここに泊まった時もこうして勝負をした気がする。
だから、こいつの戦い方は大体理解していた。一言で言えば、魔法の力押しである。
性質で言えば自分よりも魔理沙に似ている系統の戦い方をする。ブレインよりもパワーで押し切るタイプである。
単純な魔法のみで戦いに挑んだこともあったが、先にこちらの魔力が尽きてしまい、あっさりと敗北してしまった。
(こっちは頭使わないと駄目なのよね……! )
大きい弾、小さい弾、ランダムに降りかかるそれを、かすりながらかわしていく。
閲覧室からはレーザーが現れ、余計に逃げ場をなくしていた。
なるべくパチュリーから離れ、体制を整えようとする。
(ああもうまったく、いやらしいったらしょうがない! )
余裕そうに笑う魔女を睨む。こちらの弾幕は向こうに届きそうにない。
そんなことはわかっているのだ。逃げてばかりではいけないと。
しかし、敵の懐に入って生きて帰ってこれるかはまた別の話であって。
(いつまでもこうしているわけにはいかないわね……!)
せめて、力押しで叶わないのならば、頭を使うしかないのだ。
こいつの弱点。この魔女の弱点といえば、貧弱もやしボディである。
しかし、先ほどの一撃がどれほど効いているのだろうか。
表情からは、全くノーダメージというか、効いていませんという風に見える。
だが――。
(あ、あれ? )
弾幕を避けながら、アリスはある疑問にぶち当たる。
確かに、パチュリーの弾幕は激しい。派手に相手を追い詰める、嫌なスペルを使ってくる。
けれども、いつもと何かが違う。何かが違うのだ。
(威力が小さい……?スピードも)
確かに今回も派手だ。こちらが相手に近づけないほどに。
けれども、いつもよりもほんの少しだけ弾数が少ないことにアリスは気がついた。
はたから見ればわからないほど僅かであるが、殺しそうな勢いの最初のスペルカードに比べ、スピードも遅くなっている。
(もしかしたら、さっきの一撃が思ったよりも効いている? )
しかし、単身でもう一度相手に近付くのは危険である。特に魔法が発動している間であれば。
相手に近付くことなく、物理的なダメージを与える。
これが勝機の鍵であるとアリスは確信した。
(だったら、アレがあるわね)
もう一度、パチュリーに向かって急加速していく。レーザーの間をすり抜けて。
「また同じ手? 飽きないわね 」
「!」
「フォレストブレイズ!! 」
「くっ! 」
こいつは何枚スペルカードを持っているんだろう。つくづく嫌な相手である。
レーザーと精霊魔法を交互に使い分け、じわりじわりと相手を追い詰める。
油断すれば、部屋の端に追いやられ、逃げ道がなくなってしまう。
頭で組み立てているわけではない。それほど魔法自身が範囲が広くて強烈なのだ。
(けれどもやっぱり、威力がいつもよりも落ちている……! )
効いている。
先ほどの一撃は確実に効いている。
ならばあと一押し。もう一撃食らわせられれば、勝負はついたようなものだ。
レーザーの間をすりぬけ、近付こうとする。すると、パチュリーはそちらの方向へ、別の弾幕を放つ。
アリスの方も、全く何もしていないわけではない。手で人形を引き、あちらこちらにトラップを仕掛けていた。
だがそれも小手先の技であり、決定打にはならない。
(やはり、こいつに近付かなきゃ……! )
先ほどやられた左足が、じくじくと痛んでいる。感覚があるだけまだマシなのだろうか。そのせいで、上手く動くことが出来ない。
「あづっ! 」
弾が右腕に当たった。
油断していた。
足の痛みに囚われて、火の欠片に気が付くことができなかった。
「いい眺めね、アリス。これで終わりよ! 」
パチュリーがスペルカードを出す。自分がバランスを崩した隙に、一気に弾をぶちこもうという魂胆だろう。
しかし、そう易々とやられるわけにはいかない。
片手で人形を操り、パチュリーに攻撃を仕掛ける。決定打にはならないが、相手の行動を邪魔することぐらいならできる。
(そう、まだ、ここは我慢するのよアリス、あと少しなんだから……! )
アリスは機会をうかがっていた。パチュリーが部屋のドアの方へ行くことを。
ドアの先には、先ほど放った露西亜人形と上海人形がある。
動かない大図書館を動かすには、少しでも攻撃を仕掛けること。
そして、それを気付かれないようにすること。
頭で描いたようにはいかないが、それも何回かの実戦で経験済みだ。
しかし、自分の魔力も残り少ない。なんどかスペルブレイクをしたのと、怪我のせいで、思ったように魔法が放てない。
残り時間は少なかった。
(こうなったら、一か八か……! )
後方にレーザーを放ち、パチュリーとは全く別の方向へ向かう。
部屋の端っこへ。
パチュリーはそれに気が付いたのか、向きをこちらに変える。
「別方向から攻撃しようってのね! そうはさせないわ! 」
アリスはパチュリーに向かって一気に間合いを詰める。
それと同時に、パチュリーはスペルカードを唱えた。
そうだ、そこだ。
そこにくればいい!
「サイレントセレナ! 」
「かかったわね!パチュリー! 」
「え」
パチュリーの後方から人形が現れ、レーザーが放たれる。
さっき閲覧室の外に放っておいた上海人形だった。
パチュリーは体をひねり、ソレを避ける。しかしその先には、アリスはその場に残しておいたもう一体の人形があり――。
「なっ……! 」
ドカン。
「むきゅう!! 」
閲覧室に爆音が響き渡る。
それと同時に、周りにあった本が舞い散る。
奴の叫び声がする。
手ごたえは十分だった。
「うぐうっ!! 」
パチュリーの放った弾幕が煙の中からやってくる。
怪我をしていた左足にあたってしまった。
焼けるような痛みが全身を襲う。
けれども、泣き言を言っている暇はない。
(だ、だめよアリス……! まだあいつは生きているかもしれない)
スペルカードを取り出し、体制を整える。手には汗が滲んでいた。
煙が消えると同時に、図書館で発動していた魔法も徐々に消えていく。
埃が舞い、毛玉が舞う。
パチュリーの帽子がひらひらと舞うのが見える。その下には、むきゅうとへばった状態のパチュリーがいた。
本に埋もれたまま、びくともしていない。
しかしまだ、油断はできない。人形を戦闘モードにしたまま、アリスはパチュリーに近付く。
「はあはあはあ」
息が上がる。左足は痛みを通り越して既に感覚がない。
まあいいか。後でじっくり治せばよい。
ゆっくりと下に降りていく。パチュリーはこの辺りにいるはずだ。
「ゲホッ……ゲホッ……」
「……」
パチュリーは咳き込んでいた。服はかなりボロボロになっている。破れ目から白い素肌が見える。赤い血も見えている。
パチュリーはアリスに気が付くと、手をゆっくりと、アリスの方に向ける。
まるで魔法を放つような体勢をしていた。
「まだやる気? 」
「……」
閲覧室はひどい状況だった。本が山のようになって地面に落ちている。
そして少し離れたところには、一体の人形と、ガラスの破片が散らばっていた。
(気を使ったのに意味がなかったかな……)
おそらくは被弾したのだろう。詠唱できないようにパチュリーのみぞおちに魔法で強化したスクリューパンチを3発食らわし、アリスは人形の元へ飛ぶ。
「むきゅうっ!! 」
「外傷はそれほどでもないみたいね。あ、ちょっとガラスが刺さってる」
パチュリーは完全にノックアウトした。ちょっぴり血も吐いたみたいだった。
ざまあみろとアリスは思った。
アリスは魔法で足の怪我を治す。これでほぼ自分の魔力はすっからかんであるが、これ以上放っておくと完治に時間がかかってしまうため、仕方がなかった。
そして、人形に歩み寄り、ぼろぼろになったそれを持ち上げた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「……」
静かになった閲覧室に、彼女の咳き込む声だけが聞こえる。
視線を感じるが、アリスはそれには動じなかった。
人形を持ったまま、パチュリーの方に近付く。
「質問があるの。いい? 」
「……」
「どうしてこの人形を盗んだの?」
アリスはパチュリーに質問をする。
「ゲホッ、こ、答える義理はないわ」
「そうね。でも気になるのよ。答えて」
「……」
「敗者は勝者に従うものよ」
「……腹が立つ。あんなやり方で」
「仕方ないでしょ。単純な魔法勝負なら私に勝ち目がないもの。ついでに言えば貴方は徹底的に自分の弱点を突かれないような戦略をとるべきね。潜在能力なら明らかに勝っているのだから」
こんなことを言っているが、アリスは正直ギリギリだと思っていた。
久しぶりに本気らしい本気を出した気がする。相手の力量が同じぐらいだということもあるかも知れない。いや、相手は力量以上。明らかに強い相手だった。普段からあまり動くことがなくて、肉体的に弱いという弱点がなければ、おそらくやられていただろう。
「うるさいわよ。そんなこと、とっくに承知のことよ」
「あら、そうなの」
「そうよ。あなたに言われなくたってね……ゲホ、ゲホ」
「で、どうなのよ」
「ゲホ、だからなんで言わなきゃいけないのよ」
「好奇心? 」
「……」
「言わないともう一度その腹に蹴り入れるわよ」
「外道」
「外道で結構。今に始まったことじゃないでしょ」
「……」
「蹴るわよ」
アリスの脅しにいい加減観念したのか、パチュリーは口を開く。
「……そんな大それた理由じゃないわよ」
「……」
「ただ、気に入っただけよ」
「じゃあ私の家で言った言葉は嘘ってわけね」
「冗談よ。なんでそこで本気に取るのよ」
「誰も本気に取ったなんて言っていない。じゃあわざと私の目の前に置いておいたその意味は? 」
「偶然じゃないの」
「偶然には見えなかったわ」
「そう、ならただの考えすぎってことね……ゲホッ」
パチュリーは視線を下に落とす。こちらと目を合わせたくないようだった。
本当に偶然だったのだろうか。
こいつが本当のことを言っているかなんて、そんなことは私にはわかりようがない。
まあいいか、多少汚れや破れはあるものの、人形は手に入った。
私の勝ちだ。
「それ……」
アリスが部屋から出て行こうとすると、パチュリーはアリスの人形を見て何かを呟いた。
アリスは立ち止まる。
「なに」
「……なんでもない」
「なんでもないわけないでしょ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「……」
「蹴らないわよ、別に」
パチュリーの視線がアリスの人形に向かっていることを、アリスは理解していた。
本当に、この人形がほしかっただけなのだろうか。
パチュリーは何も言わない。部屋には埃だけが舞っている。
床は落ちてきた本で見えないぐらいだった。
「ほしいの? 」
「え」
アリスがポツリと言った言葉に、パチュリーは反応する。
「だから、ほしいのかって」
「別に」
「ほしかったら、あげるわよ」
アリスのその言葉に、パチュリーは目を丸くする。
「な、なんで」
「ほしいんじゃなかったの」
「アリスこそ、その人形、大切なものじゃないの? 」
「大切よ。でも、形はともかく、大切に扱ってくれたみたいだし。私が怒ったのは、盗まれたことに対してよ。全く、ほしいならほしいって最初から言えばいいじゃない」
ふう、とアリスはため息をつく。
対するパチュリーは、腹を押さえながら目をぱちくりさせている。
「あ、アリス……」
「なによ」
「妙なものでも食べたんじゃないの」
「失礼ね、私は正常よ」
「だって」
「あのね、人形だってね、大切にしてくれる主がいたほうが幸せなのよ。こんな魔法障壁まで作って。何考えているかわからないけど、ぞんざいに扱われさえしなければ、言ってくれればいくらでも作るわよ」
自分でも、珍しいことを言っているな、とアリスは思った。
別に相手がパチュリーだからではない。人形だからそう言えるのだとアリスは自分に言い聞かせる。
パチュリーは黙ったまま動かない。なんとなく気まずくなって、アリスは人形を持ったまま出口の方へ向かう。
「でも、この人形は修理しないと駄目だからね。いいわよね、修理してからで」
「え……」
「あげるって言っているのよ。直してからだけど」
パチュリーは、驚いた顔をして、ずっとこちらを見ている。
なんでこんなことを言うのだろうか、アリス自身も驚いていた。
今日は色々おかしい。本当に、妙なものでも食べてしまったのかもしれない。
「とにかく、今日はもう寝るから。じゃあまた明日」
気まずくなって、出口の方へ飛んでいく。後ろで自分を呼ぶ声がした。待って、待ちなさいよこの根暗人形士、友達いない人形士、という声が聞こえたが、無視して飛んでいく。
気に障ったからではない。いいや、気に障ったからだ。そういうことにしておこう。
破れた服を着た人形を見る。
汚れてしまっているが、自分が作ったのに言うのもアレだが出来は良い。
この人形のどこがそんなに気に入ったのだろうか。
気にするようなことではないと頭でわかっていても、むきゅーとへばったあの紫モヤシが何を考えているかが気になって仕方がない。
(ほうっておけばいいじゃない、あんなやつ)
わかっている、わかっているのだが、向こうから色々仕掛けてくるから性質が悪いのだ。
気にしないように努めてみても、どうしても気になってしまうのだ。
おまけに時々見せる、彼女の真面目な顔。
それを見る度にアリスは、どうしようもなく心が乱れるのであった。
(やめだやめだ、そんなことを考えるのは)
傷を治して、部屋に帰ろう。
そしてこの人形を直そう。
これをあいつに渡すのは少々癪に障るので、小悪魔にでも渡しておくことにしよう。
今日は色々ありすぎた。昨日の夜も実はあまり寝ていないのだ。
しばらく寝たら遅い朝食を頂いて、家に帰ることにしよう。サバト会議も今日はやらないだろう。魔理沙は神社に行くだろうし、パチュリーもあんな状態だ。
アリスは図書館のドアを開け、廊下へと出て行った。
「あら、アリスさん、すごい格好ですね」
「……」
そこに居たのは、ドーナツと紅茶を持った、エプロンをした小悪魔だった。
「一体どうしたんですか」
「別に」
「あ! もしかして弾幕ごっこしたんですか!? 私の仕事がまた増えちゃうじゃないですか~」
ボロボロなアリスの様子を見て、小悪魔はうなだれる。
そういえば、図書館の内部はあのままであった。すっかり後始末を忘れていた。
「ご、ごめん、つい熱くなっちゃって、怪我を治したらすぐに手伝いに行くわ」
「ということは、アリスさんはパチュリー様とやりあったということですね」
小悪魔が放ったその言葉に、アリスは体を堅くする。
そうだった。小悪魔はパチュリーの使い魔だった。主を攻撃されたとわかったら、使い魔である彼女が黙っているはずがない。その可能性を充分に考えていたはずだったのに、油断した。
まず、ここで攻撃されたら、対処できるかわからない。
もう魔力はすっからかんになっているのだから。
「ああ、別にアリスさんに攻撃するとか、そういうことはしないから安心してくださいよ。アリスさんは、お客様ですからね」
そんなアリスの様子とは裏腹に、小悪魔はにこりと笑う。
小悪魔チックなスマイルだった。
「アリスさんとのガチバトルに私が手を出したら、私が消されますよ。まあ、出したりなんかしないですけれど」
「……」
「疑うんですか? 仕方のない方ですねえ。本当に、今は3時のおやつを持ってきただけなんですから」
「おやつ? 」
「そう、おやつです。今日おやつを用意しろといわれたんです。まあ、もう明け方近いですけれどね」
あはははは。
そう小悪魔は笑う。
いりますか? とドーナツの入った皿を渡されたので、素直に受け取る。立ちながら食べるなんてことは行儀がわるいことだと思いつつ、そこまで考えている余裕が今のアリスにはなかった。
「どうですか~、咲夜さん自作の特製ドーナツは」
口に入れると、シナモンの匂いが鼻をかすめる。ドーナツは冷めていたが、充分おいしかった。
「おいしいでしょう」
「ねえ、小悪魔」
「はい? 」
「なんであいつ、人形盗んだの? 」
アリスの質問に、小悪魔は一瞬きょとんとした顔をする。
アリスはもう一口、ドーナツを口にする。
「ああ、多分気に入ったからじゃないですか? 」
「あいつもあんなこと言っていたわ。でも、なんで魔力を持たないこの人形が気に入ったのか、やっぱりわからないのよ」
アリスは考えていた。何故あの魔女がこの人形を盗んだのか。何か理由があるはずだ。魔女としての理由が。単に気に入っただけだなんて、そんな話聞いたことがない。
「ああ、きっとホラあれですよ。パチュリー様がアリスさんを気に入っているからですよ」
アリスはドーナツを喉に詰まらせた。
「ゲホッ、ゲホッ! 」
「ちょっとアリスさん、大丈夫ですか、パチュリー様みたいな堰をして」
「へ、平気よ、ゲホッ」
「あわわわわ、お茶でよければあげられますが」
「平気だってば! 」
アリスはすごい剣幕で小悪魔を睨む。が、小悪魔は全く動じていなかった。
ああもう、こいつまで妙なことを言う。一発蹴ってやりたくなったが、生憎足がこれ以上動かない。
「素直じゃないですねえ。あの方も」
小悪魔は困ったように呟く。
「どういう意味よ」
「ああ、こっちの話です」
「どういう意味なのよ、あの方ってパチュリーのことでしょう」
「まあそうですが。こんな人形まで持ち出して、まったく素直じゃないですから」
困ったように笑う小悪魔は、なんとなく嬉しそうだった。
子供を見守る親のような、そんな風にも見えた。
「とにかく、気になるからちょっかい出してしまったとか、そんな感じじゃないですかね。理由なんてそんなもんですよ、多分」
「……」
気になる。
気になるということは、嫌いだということなのだろうか。
それとも単に、じゃれあいの範疇ということなのだろうか。
「ああそれとパチュリー様言っていましたねえ。普段クールで表情を変えないアリスさんの本気の顔が見てみたいって。きっとそのせいですよ。あと人形はかなり気に入っていましたしね。それは確かです」
「……」
考えれば考えるほど、頭が痛くなってくる。
単純にあいつは私にちょっかいを出したかっただけなのだろうが、こっちとしてはいい迷惑だ。
一番迷惑なのは、あいつのことが頭から離れないということだったのだが。
「もういいわ、体中痛いし、頭も痛くなってきた。部屋に帰るわ」
「そうですか」
「ドーナツありがとう、おいしかったわよ」
「それは咲夜さんに言ってあげてください。きっと喜びます」
「そうね」
小悪魔に挨拶をし、アリスは廊下の先へと飛んでいく。小悪魔はガラガラとおやつのカートを持って図書館に向かっていった。
手にした人形を見る。
ボロボロになってしまった人形。修復には、家に帰ってからしかできないだろう。
(またこれで、ここに来る用事ができてしまった)
アリスはふうとため息をついた。借りている本もあるし、サバト会議のこともある。
ここに来る用事は沢山あるのだが、いかんせん、あの魔女本人に用があるとなると、なんとなく気まずい気持ちになるアリスであった。
「全部、全部パチュリーのやつが悪い」
やめだ。
これ以上、あの魔女のことを考えるのはやめにしよう。
ただでさえ今日は真剣勝負をしたのだ。疲れてしょうがない。
部屋に帰ってしばらく寝たら、図書館の後片付けの手伝いをして、とっとと家に帰ろう。
アリスはフラフラになりながら、客室へ通じる廊下を飛んでいった。
「む、むきゅー」
「ひどくやられましたねえ。パチュリー様」
「うるさいわよ、むきゅう」
小悪魔は閲覧室前まで来ていた。
閲覧室の周りは本の山で目も当てられない状況だった。
人形があった棚のほうには、ガラスの破片がいくつも飛び散っている。
中央には、本の山に埋もれて、パチュリーが座っていた。
「それにしても、負けるなんて……今日は調子悪かったんですか? 」
「油断していたわ。あの人形遣い、思いっきり蹴ってくれちゃって。おまけに脚を魔法で強化していたみたいね。そのことをすっかり考えてなかっ……ゲホゲホッ」
「パチュリーさまは貧弱ボディですもんね」
「うぅ、痛い……」
パチュリーは腹を抱えている。先ほどアリスに蹴られ、最後にパンチを3発食らったところだった。
何本か折れているんじゃないだろうかと、パチュリーは思った。
「平気ですか? 」
「ゲホッ、ゲホッ、へ、平気よこれぐらい」
「おやつ持ってきたんですが、食べられますか?」
「……もらう」
自分が上手く動けなかったのは、明らかに最初の蹴りのせいだった。
普通の蹴りではなくて、魔法がこめられていたのには驚いた。
何か策があって自分を誘導したのだろうが、痛くてハッタリかますのに精一杯だった。そのせいで、うっかり部屋の外にある人形のことを計算に入れるのを忘れてしまった。
それぐらい強烈で、痛かった。
パチュリーはのろのろと閲覧室の外まで歩き、小悪魔からドーナツをもらう。
小悪魔は紅茶を入れていた。
「あの人形遣い、ハムハム、こんなに滅茶苦茶にしてくれて、ハムハム」
「それパチュリー様にも言えることですよ……後片付けを誰がやるって思っているんですか」
「私はね、ハムハム、いいのよべつに、ハムハム」
食べながら頬を膨らますパチュリー
対する小悪魔はため息をつく。
これから落ちた本を全て整理しなおして、床の掃除までしなくてはいけない。
明日の夜までに全て終わらせないと、もしもレミリア様がやってきたときに何を言われるかわからない。
さっきゅんでも呼ぼうかな。
「そういえば、どうして人形がほしかったんですか」
先ほどアリスから聞かれた疑問をぶつけてみる。
パチュリーはハムハム食べるのを一旦やめた。
「死ぬまで借りてるだけよ」
「冗談はいいです」
「……」
「誰にも言いませんから教えてくださいよー。ね、パチュリー様」
小悪魔の小悪魔スマイルに、なんとなく乗せられてしまうパチュリーであった。
ドーナツを皿において、パチュリーは口を開いた。
「別に、なんとなくあの澄ました顔が気に食わないってだけよ」
毒づきながら、パチュリーは喋る。
「うわ、こっちも素直じゃないなあ」
「なんか言った?」
「い、いえ別に」
パチュリーはギロリと小悪魔を睨む。
これ以上言うとドーナツを投げつけられるような殺気に満ち溢れていた。
なにも言わなかったことにしようとする小悪魔であった。
「なんか……泥をぬりたくなるのよ。あとからかうと案外面白いし」
「そうですねえ、からかうと案外面白いですもんねえ」
「あと、後輩の癖に生意気」
「それは魔理沙さんもじゃないですか」
「なんかアリスのほうが澄ましていて生意気に見えるのよ。図書館のマナーもきっちり守るし」
「それっていいことなんじゃないですか……」
きっとバカな子ほど可愛いっていう理論なのだろう。
魔理沙はよく盗みはするし生意気だけれど、笑ったり怒ったり、すごくわかりやすいのだ。
まっすぐに強さばかりを追い続け、他人を省みない潔よさは、迷惑をかけられたことをすっかり忘れてしまうぐらいに清清しい。そんなこんなで、未だに本1287冊を貸してしまったままである。本当は取り返さなくてはならないのに、いつもその笑顔に騙されてしまうのだ。
反対に、アリスはといえば。
いつも涼しい顔ばかりして、本を読み、本を返し、去っていく。
礼儀正しいし、たまにお菓子もくれる。
けれど、だからこそなんとなくからかってみたくなるというのは、小悪魔にもわかる。
パチュリーは多分、そういう魔女だ。
綺麗なものには泥をぬってみたくなるような、そういう子供じみた部分が、この人にはあるのだ。魔女という種族ゆえ、なのかもしれないが。
「あの人形、もらうんですか」
「もらうわよ」
「ふうん」
「なによ、その顔は」
「別にー」
「小悪魔の癖に生意気ね、今度お仕置きしてあげるわ」
「そう簡単にはつかまりませんから、あしからず」
「なにニヤニヤしてんのよ」
「いやあだって」
「だって、なによ」
「だって、ねえ」
ニヤニヤ、ニヤニヤ。
小悪魔の笑みは止まらない。
おそらくはこれが、パチュリーなりの愛情表現の仕方なのだろう。アリスにとっては良い迷惑かもしれないが、本人はそんなに迷惑がっていないような気がする。その証拠に、向こうもこちらのことが気になりはじめている。妙な方向へ。
「パチュリー様が、他の人に興味を持つなんて珍しいなあ、と」
「別に、なんかムカつくから」
「そうですか。ニヤニヤ」
「ニヤニヤ言うな。ドーナツ投げるわよ」
パチュリーがドーナツを投げる姿勢をとると、小悪魔はさっと本棚の奥へ隠れる振りをする。これ以上言うと本当に投げつけるだろう。自分は良いが、ドーナツがもったいない。
「まあとりあえず、それ食べたら魔法で体治して寝ててください、後片付けをしますんで」
「悪いわね……ハムハム、おいしいわ」
「それは咲夜さんに言ってあげてください。きっと喜びますよ」
パチュリーはドーナツを再び口にする。
小悪魔はこれ以上何も言わなかった。内心ニヤニヤが止まらなかったが。
どうも、本人同士は憎みあっているみたいであるが、端からみればじゃれあっているようにしか見えないのだ。
そのことに、この人たちは気が付いているんだろうか。
「紅茶、いります? 」
「いただくわ。喉がかわいてカラカラなのよ」
「でしょうねぇ。あちこち焼け焦げていますもん。はい、どうぞ」
小悪魔はパチュリーに紅茶を渡す。
紅茶は湯気が立っていた。
「次にアリスさんがやってくるとしたら、人形が完成するときですね」
「……」
「楽しみですねえ、パチュリー様」
「紅茶ぶっかけるわよ」
「それは勘弁ですよー。もう何も言いませんから、ね」
「やっぱりぶっかけるわ。覚悟しなさい」
「え、ちょ、待って下さいパチュリー様、もう何も言わないって言ったじゃないですか」
「うるさい、問答無用」
「え、ちょ、うわ! 」
バシャン。
水音と共に図書館に広がったのは、小さな悪魔のあっちい、という叫び声であった。
照れ隠しもいいところである。いや、意地っ張りなだけか。
「あちち! あちちち! 」
「水魔法もかけてあげるわ」
「いいです! いいですってば! 」
「遠慮しないで頂戴」
「ちょ、パチュリー様、アー!! 」
なんにせよ、口は災いの元である。
お互い意地っ張りなのだ。言うとこっちに被害が及ぶ。
これからは、裏でニヤニヤ笑うことだけに徹しよう。
水鉄砲ならぬ水大砲を全身に浴びながら、そんなことを思う小悪魔であった。
「ちょ、複合スペルはやめてー! 」
「大丈夫よ、今日は疲れているから威力は半減よ」
「私にとってはどっちも変わりませんってー! 」
小悪魔の非情な叫びに魔女が応えるはずもなく。
明け方3時のお茶会は、こうして幕を閉じた。
完
口元が思わずゆるむ、いいお話でした。今日のおやつ代わりにしておきます。
あとパチュアリいいよパチュアリ
テンポも良いし、なにより可愛い。
良いお話ありがとうございましたー。
いやあ笑った笑った
このパチュアリの関係は良いね
そして途中の咲マリは俺に良し
なんでしょうこの胸の高鳴りは不整脈ですねきっとああもう
とてもいい。
前回コメ
これが【パチュマリ】…、何かが開きそうな気がするぜ
本数のところで吹いたのは内緒
修正コメ
これが【パチュアリ】…、何かが開きそうな気がするぜ
本数のところで吹いたのは内緒
パチュマリってなんだよ俺…