私、八雲紫は夢を見ていた。
そこを夢だと知りながら、現実感を持つ空想世界をさも現実世界の様に散歩している。
「拘束制御術式(クロムウェル)三号・二号・一号、開放」
体に密着するように小さな隙間を生み出して、外の世界のアニメっぽい格好をしみた。結構それっぽくなるわね。
案外楽しい。
ついでにちょっと決めポーズ。
好い感じ。
「ふぅ」
なかなか満足。
たまにはこんな風に馬鹿もやってないと、暇に食い殺されそうになるわ。
境界を操る能力の副作用なのか、私は夢の中でそれを夢と認識しないで居ることが出来ない。
となると、これほどつまらない世界はないものよ。何を成しても現実は何も変わらない。そんな刹那的な世界。夢なんてものは、そうと気付かないからこそ価値があるというのに。
夢と結界は似ている。その束縛は強固で、抜け出すことはまず難しい。ため息が出る。
とはいえ、有意義で楽しいこともあるわ。
寝ているとね、私にも詳しくは判らないのだけど、チャンネルが繋がるみたいなのよ。夢枕に立つとか言うでしょ? あれよ。どうも霊魂とか他人の心とかとチャンネルが合いやすくなるみたいで、頭の中で接続できちゃうのよね。不思議でしょ。
これが案外楽しいのよね。霊魂と積極的に会話する機会なんていうのは滅多にないでしょう。新鮮なものよ。その霊の見てきた世界や記憶が共有されるというのは。
そんなわけで、久しぶりに話しをしてみようと思って周囲を見渡す。
他人と繋がる場所は見てすぐ判るもの。そこだけが私の整った世界を浸食する異端となっているから。その異端に落ちれば、あっと言う間に相手のテリトリー。私はゲスト。悪い気分ではないわね。
と、随分と居心地の悪い異端を発見。なんというか、近づきがたいような、懐かしいような。何かしら?
「ほっ、と」
飛び込んでみる。
「っと。あら?」
見渡せば、なんということはない。ここは博麗神社だった。
「もしかして、霊夢の夢に迷い込んじゃったのかしら」
しかし、霊夢の香りはしない。懐かしい匂いに包まれているというのに、霊夢の香りだけがしない。
「……変ね。ここ、誰の夢の中?」
神社の中に入り込み、キョロキョロと見渡してみる。けれど、人の気配がしない。
まさか神社の九十九神に呼ばれたのかしら。
そう思いながら神社を一周して、入ってきた縁側へと戻る。
「お帰り」
「きゃぁ!?」
なんて可愛い悲鳴。いや、上げたの私なんだけど。私だから可愛いのよ。くそっ、誰よ脅かしたの。
相手をキッと睨む。
次の瞬間、私の目から険が取れる。一瞬の睨み目だった。
「あなた……」
「お久しぶりね、紫さん」
それは、先代博麗の巫女であった。
「なんでここに。もう成仏したでしょ、あなたは」
「えへへ。まだ現世に未練はあるらしいわよ」
「迷ってたの?」
「冗談です。でも、不思議なこともあるものですね。また私があなたと話せるなんて」
その巫女はお淑やかに、けれど悪戯っぽく笑う。
「呆れた。あなた五十も中頃に病気で死んだじゃない。なんでそんなに若いのよ」
「乙女は若くありたいんですよ。判ってるでしょう、そんなことは」
「はいはい」
心底呆れてしまうわ。この死人、死に際に人の顔忘れて周囲を大泣きさせたというのに。
そうよ。私の顔さえ忘れていたっていうのに。
「そんなしけた顔しないでくださいよ。今はもう思い出してるじゃないですか」
「今更でしょう」
忘れもしない「あなたは誰でしたっけ?」の一言。
死にそうだったんだから。
「あは、今思い出すと可愛かったなぁ。紫さん」
「忘れなさい。あなたに向ける涙なんてないわ」
「酷いわね。死者はもっと丁重に扱うものですよ」
心外だわ、信じられないわ、という目でこちらを見てくる。
けれど、それが演技なのは知っている。
「死者の扱いなら幽々子に任せてあるわ。専門外よ」
「あら残念ね」
くすくすとその巫女は笑う。
ふと、巫女は空を見上げる。夢の空。未来を描かない空。
「もう、あなたに習うことはできないのね」
「死者になって何かを得ようなんて、傲慢が過ぎるわよ」
「ふふふ」
呆れているこっちを無視して、まったく、楽しそうに笑う。
「あなたは変な妖怪だったわね。気を遣ってくれるのだもの」
「あなたが何もしないからでしょう。博麗の巫女らしくないのよ」
「ふふ。お陰で楽しかったわ。ありがとうね、紫」
「どういたしまして。ところで」
「ん?」
「あなたの名前、なんだったかしら?」
強い風が吹いた。
もう、目の前に巫女は居なかった。
「……一方的に私の頭に侵入してきて、名も告げずに帰ったわね」
夢というのは厄介なもの。私の記憶全てがここにはない。頭の一部が眠っているからなのでしょうね。
まったく。別れの言葉言いそびれたじゃない。
「まぁ、そういう子だから仕方ないでしょ」
背後に気配を感じる。
振り返れば、にこにこ顔をした30後半の巫女が、のほほんと茶を啜っていた。
「……次から次へ。今度は誰よ」
「さぁて。私は誰かしら」
けらけら笑い出す。
またしても、私はその巫女の名前が思い出せなかった。
「あなたたち、私の記憶に鍵でも掛けてるつもり? 不快よ」
「そんなことしてないわよ。ただね、紫が忘れてるだけ」
「どうして私が」
キラリと巫女の目が輝く。
「あはは、会った人が多すぎて埋もれてるんじゃないの。死人に興味がないとか」
「馬鹿言わないで」
「あはは。冗談だよ。少しは悲しんでくれてたんだね、私たちのこと」
思わずびくりと身が震えた。
少し悲しんだ? 私が?
馬鹿を言う。
少しなわけがないじゃない。
「まったく。あなたたちすぐ死ぬから嫌いよ」
人の寿命は短い。でも、何故だろう。博麗の巫女は皆短命だ。そのくせ、結界の守りもあって、私は関わらなければならない。
生憎と私は人が好きなのだと思う。だからこそ、短命の巫女たちは私にとって心の毒なのよ。
「ごめんねぇ、体弱くて」
だというのに、私を悲しませた内の一人はこんなにも軽い。
「ま、忘れたままでいてよ。夢の話だしさ」
「そういうこと、夢は言わないものよ」
「だね」
そしてまた、ケラケラと笑う。
そのまま少し笑ってから、巫女ふぅと一息吐くと笑いを止め、済んだ顔で私の方を見てくる。目線が合って、少し懐かしい。
「会えて良かった」
同感。
「あなたたちは、もうとっくに輪廻してると思ったわ」
「そだね。もうしてるんじゃないかな?」
顎に指を添え、巫女は言う。
「……噛み合わないじゃない」
「多分、全部じゃないんだと思うよ。残ってた部分何じゃないかな。この神社にさ」
全部じゃない。それはつまり、霊魂ではなく、彼女たちの記憶の一部ということなのだろうか。
「あなたたちの記憶がここに住み着いていたってこと?」
「そうそう」
「呆れた」
思わず目を伏せてしまう。
これでは自縛霊と何が違うのか。あなたたちはそういうのを払う立場でしょうに。
「それで、どうして今になって」
改めて目を開ければ、そこには誰もいない。
「……勝手に出て、勝手に消えるのね」
はぁ。ため息も出る。こっちの言葉を待たずに次々と。
溜め息を吐いて顔を上げれば、今度はまた別の巫女。
頭痛がしてくる。
以後も彼女らはころころと変わった。身勝手に適当に言葉を紡いでは、こちらの都合など考えず我が儘に消えていく。
別段成仏したわけじゃないだろう。相変わらず、一部であり続けるのだろう。
話す力もないほど弱っているのか。それともただからかっているのか。難しいところね。
それでも、私はそこで言葉を返し続けた。彼女たちが現れ続けるだけ。
欠伸混じりに言葉を聞き、適当に言葉を投げかける。
彼女たちは満足してるのか、そんな私のつっけんどんな受け答えでも始終笑顔のままで消えていく。
少しは私を笑顔にして欲しいものね。
「お久しぶりね、紫」
「はいはい。久しぶりね。あなたはどちらさま?」
雑な返答をしつつ顔を見る。
そこで違和感。それは、若々しく快活そうな老婆だった。
私は、老衰で死んだ博麗の巫女を知らない。ならば、この巫女は誰なのだろう。
「あなたは、誰?」
つい、改めて訊いてしまう。
すると、巫女は楽しげに笑う。
「酷いわね。私はどの巫女よりもあなたと一緒にいるのに」
「どうせ人の寿命じゃ似たり寄ったりの時間じゃない」
「そうね」
随分と落ち着いた女性ね。
……やっぱり知らない気がする。
「名乗れるんでしょ。名乗りなさいよ」
「夢の中だとあなたも随分と弱気ね。いつもならもっと高圧的なのに」
「頭の中身と能力の大半を置き去りにしてここにいるからね」
確かに普段より弱気なのかも知れない。他人は夢だと強気になるというのに。まったく。
「いいんじゃないかしら。そんな紫も好きよ」
「それはどうも」
名を答えてはくれないと思うと、私の返答もつっけんどんになる。懐かしむ要素のない昔話なんて聞いても面白いことはないわ。だから、この巫女と話すことなんてないと思っても当然でしょ。
「私はずっとあなたを見てたわ」
「いつの話よ」
「あら、今だって見てるのよ? 感謝もしているわ」
「……はっ?」
今でも? 何を言っているの。今でも私を見ている巫女なんて、霊夢くらいしか居ないじゃない。でも、その霊夢はまだ子供。とてもこの老婆とは結びつかない。
「あなた、本当は何歳? いいえ。何者?」
「ふふふ。睨まないで。少しくらい意地悪させてよ。長い年月生きたけど、あなたよりはずっと幼いのよ。もう少しわがまましたいわ」
「あぁ、もうなんだっていいわ。好きになさい」
「ありがとう。でも、もう時間だわ。ありがとう紫。会って話がしたかったの。みんなもそう」
老婆がそう言うと、老婆の周囲に先程まで浮かんでは消えていた巫女たちが浮かんでいた。
「元気そうで安心したわ。さっさと去りなさい。私もそろそろ夢から覚めたいわ」
大袈裟な溜め息を吐いてみせながら、全員の顔を見る。見知った顔。朧に憶えている顔。そして、憶えのない顔。
「また夢で会いましょう。騒がしいくて世話の焼ける半人前巫女たち」
すると、皆一瞬だけ目をきょとんとさせてから、笑いだし、ゆっくりと消えていった。
最後まで往生際悪く残っていたのは老婆だったわ。
「またね、紫。それから、いつもありがとう。これが言いたかったのよ」
「いつも?」
私が問い掛けるよりも早く、老婆はさっさと消えてしまった。
何度目になるか判らない溜め息を吐く。
さて、私もそろそろ起きる頃でしょう。周囲が歪んでいくわ。
そう思った時、ふと、私は老婆の正体が判った。理由はない。でもただ、そうなんだという確信だけが胸に広がっていた。
「……博麗大結界」
そうだと思うと、長生きという言葉も、礼を言われた理由も察しが付いた。
唖然。
びっくりだったわ。
でも、突然胸が弾み始めて、私は笑い出した。
「ふふ、そう、そうだったのね」
死んでいった巫女たちの心の一部は、迷っていたわけではない。単に、全員が結界を支えていただけのことだ。
そう思うと面白い。この幻想郷の結界は、心底幻想郷が好きな奴らの魂によって補強され、より強くなってそこにあり続けていたのだ。
嬉しいわね。みんなが幻想郷を好きだということが。本当、嬉しい。
あぁ、もう夢から覚めてしまう。できれば忘れないでいたいわ。そして、全員の名を思い出したい。
もしも憶えていたら、そうね、墓に花でも添えに行ってあげるわ。
もう、お盆だしね。
この解釈は面白い。実に面白い。
この先いつまでも素敵な楽園とその母が幸せでありますように。
なんて美しい幻想郷なんだろう
この素晴らしき楽園がいつまでも続きますように・・・
読めてよかったと思える小説でした。
願わくばゆかりんがいつまでも巫女達のことを覚えていますように…