――……まし、ごめんくださいまし。
声にはっとして、東風谷早苗は顔をあげる。
辺りは明るく、蝉は鳴き、風は緩やかに流れていた。
目を閉じた寸分前と変わらないように感じるが、太陽は少し西にずれている気もする。
寝てしまっていたようね――立ち上がりながら目を軽くこすり、意識を覚醒させた。
在宅を問う呼び声がしたのは玄関の方だ。
と言う事は、此処に来るのに慣れていない方なんだろう。
大概の人妖は此方の都合お構いなしに此処――縁側に回ってくるのだから。
推測をつけ、早苗は足早に廊下を渡った。
途中、一二の部屋を横切る。玄関へと通じる近道だ。
紅魔館や白玉楼、永遠亭等程ではなかったが、神社と言う事もあり、部屋数は住人の割に多い。
玄関が視界に入り、ほんの少し乱れている髪を手櫛でさっと整えた。
訪問客――或いは参拝客であろうか――は、戸の向こうで静かに立っている。
呼び声の高さから考えて女性だろうと、早苗はあたりをつけていた。
思ったとおり、女性、もしくは少女のようだ。背丈からして幼女ではない。
なんとなく微苦笑し、反応が遅れた事を詫びつつ戸を開ける。
「お待たせしました。えと……」
其処に居たのは、見知らぬ女性だった。
‘女性‘だと、早苗は一目見て思った。
何故だろう。首を微かに捻る。
(私よりも幼く見える……筈なんだけど……)
女性が、柔らかく微笑み、頭を下げる。
早苗は合点がいったと心密かに頷いた。
あぁ、この方は似ているんだ――。
「初めまして。私、神をしています――」
「あぁ、やっぱり! どちらのでしょうか」
「あらあらまぁまぁ、流石はあの子のお友達。驚かなきゃいん!?」
凄まじい速度で飛んできた座布団が、一切の遠慮会釈なしで女性をぶちのめした。
殺気にも似た怒気を後方から感じ、早苗は気を引き締め振り向く。
「何をされ、あ、いひゃい、いひゃいです!?」
むにと頬を引っ張られる。抗議は悲鳴に変わった。
女性を容赦なく沈めたのは、早苗の頬を容赦して引っ張るのは――。
「あんたこそ、何の警戒もせず、話してるんじゃ、ない! しかも、人の神社で!!」
――此処、博麗神社の当代巫女である、ご存じ、博麗霊夢。
むにぃ、むにぃぃ、むにぃぃぃ。
言葉の区切りの度に力を増し、霊夢は早苗を睨む。
勝手に対応した事を怒っている訳ではない。その無警戒さを咎めている。
と――「あうぅぅぅ」。
呻き声をあげつつ、女性が身を起こした。
ふよんと、厚手のローブの下で胸が、特徴的な一房の髪が、揺れる。
霊夢は、早苗の頬を軽く両側からぺんと叩き、その手を水平にして向けた。
「あんたも! 平然と、結界の巫女の神社に来るな!」
「あら。アリスちゃんのお友達の家よ?」
「っの! 魔界に帰れ! ハウスっ!」
アリスの‘親‘であり、魔界の神でもあるその女性。
神綺は、既に早苗と挨拶を交わしていた。
霊夢の手は、ただ風を切るばかりなり。
「神奈子と諏訪子から、お噂はかねがね……」
「あ、おフタリのご友神の方でしたか」
「マブダチですわ」
しかも、微妙に生暖かい。
――場所を移して、居間。
ちゃぶ台を挟み、霊夢と神綺は向き合う。
日本式の家具が珍しいのか、きょろきょろと首を回してはしきりに感嘆の声をあげる神綺。
どうしたもんかと霊夢は頬づえをついていた。そもそも、彼女に来訪される理由も解らない。
推測するのが面倒になり霊夢は問おうとしたが、逆に質問を投げかけられる。
「この床の。初めて見たけど、『タタミ』って言うんだっけ?」
「……あっちにはないでしょ? 初めてって、よく知っていたわね」
「ええ。ウチは基本的に西欧調だから。魅魔が教えてくれたの。『タタミの網目を数えているうちに』って」
遠い目をする霊夢。深く聞かないでおこう。
「と言う事は、神綺さんが下だったんですね」
ゴスっ!
霊夢の額が台に叩きつけられた。
原因は無論、台所から戻ってきた早苗の発言。
「あん、やだ、うふふ」
「うふふじゃない! 早苗も聞くな!」
「霊夢さんだって興味はお有りなんじゃないでしょうか」
断言するかのような早苗の言葉に、霊夢は早口で反論する。
「私が? 冗談じゃないわ。そんな事に興味があると思う?」
一瞬後、少し悔やんだ。売り言葉に買い言葉。きつく言いすぎたかもしれない。
「や、あのね、早苗――って、近くない?」
霊夢が取り繕うよりも先に、早苗はずいと顔を接近させ、再び問う。
「まだ保てます。んぅ。本当に? これっぽっちも? 神に誓って?」
「健やかなる時も病める時も永遠の本音だと私に誓うー?」
「神綺煩い。いや、まぁ、全くって訳じゃ……」
顔を背け、霊夢はごにょごにょと呟く。のの字を畳に書く神綺が視界の隅に入ったが、それどころではない。
「そりゃ、なくはないけどさ。でも、魅魔と神綺って女同士だし……」
「神綺さん、粗茶ですが、どうぞ」
「うらぁ!?」
気合い一発、勢いよくちゃぶ台をひっくり返す。
早苗が置いた茶碗とお盆がこれでもかとばかりに宙を舞った。
数秒後、何事もなかったかのように畳みへと着地する。飛沫すら散っていない。
半眼で睨む霊夢だったが、当の早苗はけろりとしている。
「堪えがたい現実から目を背けただけじゃないですか」
「んな事言いつつ、ばっちり『力』使ってるじゃないの!?」
「ええ、力が溢れました。霊夢さん、ちゃぶ台返しが凄く似合うんですね」
微かに赤らんだ頬に手を当て、ぽつりと呟かれる。
心からの褒め言葉なんだろう。視線も気恥ずかしさからか少し逸らされていた。
けれど、霊夢には全然嬉しくない。これっぽっちも嬉しくない。ちゃぶ台返しが取り柄で何になると言うのだろう。
打ちつけた額に手を当て、平静を装い、嗜める――(私は大人、私は大人)。
「それ、他の奴に言っちゃ駄目よ。喧嘩売ってると思われるからね」
「勿論です。霊夢さんにしか言いません」
「私にも繰り返すなー!?」
一秒経つか経たないかの内に、メッキは剥がされた。
「大体! 人様の家のお茶出して、頼んだのは私だけど、粗茶ってどういう料簡よ!?」
「是、今日持ってきたお土産です」
「さなえのばかー!」
握り拳を固め、霊夢は早苗の胸に叩きつける。
早苗は避けようともせず、霊夢の両肩を小さく撫でた。
二人はじゃれつく。仔猫のように。或いは仲の良い姉妹のように。
それとも――。
ふにふに。ぷにぷに。
早苗の、霊夢の頬がつつかれる。
つついたのは、淡い青色の髪。詳細を述べるなら、その一房。
暫しの間、静寂が部屋を満たす。
そそくさと二人は身を離し、僅かに乱れた髪や服装を整えた。
霊夢は元いた位置に戻り、早苗はそのやや後方へと控える。
が、霊夢に無言で引っ張られ、結局、辺の方へと座した。
んぅ、と小さく咳払い。
「で、何の用よ? 面倒事は勘弁してよね」
「なんなりとお話しください」
騒いでいたのも今は昔、普段の様子で、二人は異口同音に問う。
その様に、神綺はくすりと微笑んだ。
何故なら彼女は大人であったから。
――ふぅ。
微笑から一転、神綺の表情は重くなる。
眉根は寄せられ、まつ毛が揺れ、目は切なげに潤みだした。
零れた吐息が自身でも予想外だったのか、取り繕うような笑みが浮かべられる。
霊夢と早苗は顔を見合わせた。
「ちょっと、神綺。なんでもいいから、早く言いなさいよ」
「出来る事ならばお助けします。無理ならば諦めます」
「早苗は嘘のつけない子ね!?」
突っ込みを入れつつ、霊夢はちらりと神綺に視線を向ける。幾分、表情は柔らかくなっていた。
霊夢は神綺について、然程知っている訳ではない。それこそ、初対面の早苗とほぼ変わらないように思う。
異世界――魔界――の創造神。人形遣いアリス・マーガトロイドの‘親‘。以上。魅魔? ほっとけ。
此方の妖怪とも多少の面識はあるのだろう。でなければ、‘あいつ‘が放っておく訳はない。
頭の片隅でいじける悪霊を無碍に押しやり、霊夢はじっと、神綺を見つめる。
面倒事は勘弁して欲しい。本心ではある。
解決するのに手間がかかるからだ。
神綺の表情は、確かに柔らかくはなっていた。けれど、霊夢には無理な微笑に思えた。故に、――覚悟完了。
向けられる黒い双眸に促されるように、神綺が口を開く。
「ありがとう、二人とも。正直に言うとね、藁にもすがる思いなの。
絶対に、どうにもならないんじゃないかって……。
頼む前からこんな事を云ってちゃ、駄目ね」
その表情は笑おうとする意識に反するように、深く、沈んでいく。
「ほんとによ。ほらってば!」
「奇跡は起こすものです。ですから」
今や二つとなった双眸は、手を伸ばすように、深く深く、神綺へと向けられる。
「ありがとう、霊夢、早苗」
こくりと二人は頷いた。
神綺がすぅと息を吸う。
そして、静かに、言った。
「――アリスちゃんに、『ママ様』って呼ばれたいの」
くるりと二人は向き合った。
「早苗、さっきの、難癖つけちゃって悪かったわね」
「いえ、私の方こそ。霊夢さんは少女。似合うなどと、申し訳ありませんでした」
‘何を‘が省かれたやり取り。二人にはそれで十分であった。互いにくすりと笑いあう。
びたんびたんびたん!
「霊夢はともかく早苗まで! わ、私は真剣なのよ!?」
ちゃぶ台を両手で叩きながら、神綺は声を上げる。ぐらぐらと茶碗が揺れた。お構いなしだった。
「家庭間の問題はご自分たちで解決して下さい」
「霊夢が丁寧体!? 他人事ね、他人事なのね!」
「神綺さん。起こらないから奇跡って言うんですよ」
「お母さん、病状の身で致すのはどうかと思うの!?」
うって変って冷たい視線を向けてくる二人に、神綺は既に涙目だ。
「自分で、ぐす、できなくて、えぐ、皆にも、ぅぐ、もらって、それでも、頑なに、うぅぅ……」
嘘偽りのない泣き声であった。どうしよう。
「ふっく、……ぅあ、――うえぇぇぇん!」
いや、ほんと、どうしよう。
両目に拳をあて、神綺は幼児もかくやと泣きじゃくる。
霊夢と早苗は割と本気で頭を抱えたくなっていた。
誰だ、‘大人‘だなんて言った奴。
霊夢に肩を、早苗に髪を撫でられ、神綺は少しばかりの平静を取り戻す。
流れていた涙は止められ、表情は平静なものが浮かべられていた。
けれど、まだ本調子ではないようだ。
代名詞とも称されるワンサイドテールが、路上に置き去りにされた子犬の尻尾のように弱々しいままだった。
「ぐす……ごめんなさい、二人とも。みっともない所、見せちゃったわね」
『ほんとにね』。
飛び出そうになった相槌が口を押さえられて引っ込んだ。
多少の非難を込めて霊夢は自身を覆った早苗を見る。小さく首を振られた――『また泣き出してしまいます』。
確かにそれは勘弁してほしい。早苗の手を外し、霊夢は神綺に向かい合った。
「いいけどさ。にしたって、何よそのけったいな呼び方。あ、ひょっとして、今はそう言うのが主流なの?」
「今も昔も聞き覚えがありません。此方――幻想郷と魔界では違うのかもしれませんが……」
「一緒よ? アリスちゃんも基本的には『ママ』だったもの」
「あー、温室育ちだもんねぇ。や、だったらなんで」
「れ、霊夢さん、ストップ!」
「話すと長くなるわ」
問いかけに頷き、神綺はローブの中に手を突っ込んだ。
霊夢の顔がありありと引きつる。
早苗も視線を遠くに向けた。
取り出されたのは、一冊のアルバム。厚さが半端ない。けれど、胸部のたわわさは変わっていない。
「そう、アリスちゃんの初めての言葉。それは、『ママ』だったの」
『え、其処からですか』。
二人の瞳に映る空は憎たらしい程に青かった――。
――二つの双眸に映る空が清々しい程に赤くなった頃、漸く、神綺の話は本題へと到達した。
因みに、ちゃぶ台には四冊ほどのアルバムが積み上げられている。
一冊一冊が幻想郷縁起、もしくはそれ以上の厚さ。
だが、ローブは膨らんだまま。女体の神秘。
「アリスちゃんは、それはもう、何にも例えられないような程、可愛らしく賢く健やかに育ったわ。
勿論、魔界の皆、可愛いのよ? なんなら夢子ちゃんやマ、あ、いい? 遠慮しなくていいのよ?
――そんなある日の事、事件が起こったわ。事件と言うよりは異変。魔界創造以来の大異変。って、聞いていて、霊夢?」
呼びかけに、虚空をさ迷っていた霊夢の瞳の焦点が戻ってくる。
「あー……もしかして」
「そう。貴女たち」
「やっぱり?」
こくりと頷く神綺に、霊夢が多少ばつの悪い表情を浮かべる。同時に、大体の見当がついた。
「あの悪霊の所為か……」
「や、どっちかって言うと」
「大元はあいつなんだから、いいの」
取りつく島もない。
そう神綺には思われたが、どうやら違ったようだと一瞬後に気付く。
気付かせたのは、霊夢の袖をちょいちょいと引っ張る早苗。顔には疑問符を張り付けていた。
「魅魔は知ってるわよね?」
「はい。魔理沙さんの先生で、此方の……主神?」
「悪霊だっての。魔理沙の先生ってのはあってるけどね」
「確か、魅魔様と呼んで……え、まさか」
「多分、そのまさか」
心底驚いたような声を出す早苗の推測を肯定し、霊夢は視線で神綺に続きを促した。
「アリスちゃん、影響されちゃったのよ。だから、『ママ様』って……」
自身の呟きで記憶が蘇ったのか、神綺は頬に手を当てはふと溜息をつき身を震わせる。
その様に呆れる霊夢だったが、未だ驚愕の表情を浮かべる早苗が視界に入り、くすりと笑んだ。
「信じられない?」
「失礼……になるんでしょうか。えっと、今のアリスさんを見る限りでは……」
「まぁねぇ。でも、当時のあいつはそういう奴だったのよ。子ども子どもしてるって言うか」
『今のアリス』は落ち着いた、ともすれば淡泊と捉えられかねない雰囲気を持っている。
反して、語る霊夢も心底楽しそうな『当時のアリス』は、可愛らしさが言外に伝わった。
その時からお会いしたかったですね――無茶な自身の考えに、早苗は微苦笑を零した。
視界の隅に早苗を入れつつ、霊夢は再び神綺に向き合う。もう一つ問いたい事があった。
「しん――おいこら。なんで、突然そんな事思い出したの?」
悶えていた神綺は、居住まいを正し、上気させたままの顔でにっこりと笑う。
「妖夢が、幽々子の事を『母様』って呼んだらしいのよぅ」
なるほど、と頷きかけて霊夢は固まる。
『なんであんたが冥界の住人を知ってんだ』。
『あの堅苦しい妖夢がねぇ。今度からかってやろ』。
けれど、霊夢は博麗の巫女。何者からも縛られない存在。故に、呟きの一言で軽く済ませた――「あっそ」。
理由は知れた。後は解決するだけだ。
霊夢は顎に手をあて、早苗は腕を組む。
相手は人形遣い、アリス・マーガトロイド。
『弾幕はブレイン』と言って憚らない幻想郷では珍しい知性派。
霊夢の知る幼いアリスならともかく、早苗も知る少女のアリスが一筋縄でいくとは到底考えられない。
手を組み祈るような魔界神の視線を痛く感じるようになった頃、そう言えば、と早苗が思い出す。
「神綺さん、あの、ご自身でも、その件でアリスさんに接触したんですよね?」
二人は聞き流していたが、確かに神綺はそう嘆いていた。
カサブタさえできていない真新しい傷を抉るのは躊躇われたが、解決法を模索する上で過去の失敗は糧になる。
過去を共に過ごし、現在を見守り、未来さえも妄想しているであろう神綺のアリスへの対応は是非とも知りたい所だ。
最悪、自身達が想像しうる全ての手段を実行に移したかもしれないが、その時はその時、また考えよう。
問いに、神綺は組んでいた手を開き、胸に重ねる。
アリスとの交渉時と同じ仕草なんだろう――なんとなく、早苗は思った。
「『アリスちゃん、あのね、ママ様って呼んで!』」
戦慄する――縄さえ用意していないとは……!
「直球じゃないですか!?」
「『呼んで、呼んで! 呼んでくれなきゃ、ママ、帰らない!』」
繰り返す。誰だ、‘大人‘だなんて言った奴。
瞳に溜める涙と前述の仕草もあいまって、神綺の叫びは殊更痛切に響く。
だけど、と早苗は頭を抱えた。
自身の‘親‘たる存在が駄々っ子となる様を直視してしまったアリスがどう感じるか。
常日頃から接しているだけあって割と容易に想像できてしまい、むしろ、アリスの方へと深い同情を寄せる。
と、涙を払い、神綺は溜息を零した。
「アリスちゃん、意固地になっちゃって。冷たい声で『神綺様、お帰り下さい』なんて……!」
「いえ、あの、どちらかと言えば神綺さんの方が……。アリスさんだって、もう子どもではありませんし」
「こ、子どもです! 親からすれば子は何時まで経っても子どもなのよ!? 体は大人でも心は子どもなのよー!」
その様な事実はない。
払った涙がまた溢れ、ばたばたと両手を振る神綺。
ぞくりとした背筋の感覚を抑えるのに苦心しつつ、早苗は続ける。
「では、『皆にも』と言うのは? そこはかとなく嫌な予感がしますが……」
ぴょんと神綺の一房が揺れる。
感情に合わせて自由自在に動くようだ。
が、早苗にはその動きが喜怒哀楽の何れを示しているのか解らなかった。涙は収まったようだが……。
「永琳の策をね、皆に手伝ってもらったの。名づけて『誰、その女は!? 本物のアリスは私よ、ママ様』大作戦!
永琳に夢子ちゃんを、神奈子と諏訪子にユキちゃんマイちゃん、そして、紫にアリスちゃんを演じてもらったの。
髪の色はそのままだけど、服装は全員再現っていう本格的な作戦よ! ……あら、どうしたの?」
片手を額に、片手を突きだす早苗に、一房をぐるんぐるん動かしていた神綺がはたと止まる。
「色々突っ込みたい所はあるんですが……えーと、その、服装とは?」
他に問い質すべき事があるんじゃないか。
心の何処かでそう責める自身を感じたが、表には出なかった。
祈るべき神々をスル―するのに、早苗の全神経は動員されていたのだ。
「永琳はメイド服で、神奈子は白いローブ、諏訪子は黒いベスト、紫は淡い桃色のシャツに肩紐付きのスカートよ」
躊躇ない詳細を元に早苗は想像しかけ、すんでのところで思考を断つ。
思い浮かべる事は容易いが、色々耐えられそうにない。
理性とか。
構わず、神綺は続ける。
「折よくアリスちゃんは出かけていたみたいで、私たちは練習もかねて演技を始めたわ。
皆似合っていたけど、中でも紫が可愛くて可愛くて、あ、いい? そう?
そうこうしているうちに、アリスちゃんが帰ってきた――」
断った思考をどうにか繋げ、早苗は果敢に、その状況を当のアリスの立場でシミュレートしてみた。
今日もフタリは可愛かったわ。あぁでも、可愛がりすぎて少し疲れちゃったわね。
まずはお風呂に入って余韻を味わって、それから紅茶でも飲みましょう。
人形たちの整備もしなくちゃ。特に上海と蓬莱はプレイの……。
あら、……ドアが開いている? 中から微かに話し声も。マ――母さんと……。
まぁ、いいわ。誰であろうが何であろうが、呼ぶもんですか。私はアリス・マーガトロイド。
どんな策だって、紐といてみせる。
「私たちは、言ったわ。おかえりなさい、マーガトロイド!」
「ただいま、神綺様、姉さん達。お帰りなさい」
「酷い、酷いわ、アリスちゃん!?」
無理やり思考をつなげた為か一部邪推が含まれていたが、早苗のシミュレートは概ね的を射ていたようだ。
言葉だけでなく、視線の色まで再現したと胸を張る。
つまり、絶対零度。
早苗の冷たい瞳に、神綺は頭を振りながら嘆いた。
「あぁ、アリスちゃん! 貴女が、貴女がそんなにも辛く当たるから、私は――!
『奥さん、聞き分けのない子猫ちゃんは放っておいて、私と愉しまないかい?』
『駄目よ、三河屋さん!? 私にはアリスちゃんだけじゃなく、あぁ!』
『タタミの網目を数えているうちに終わるから、な、な!?』
――背徳の快楽に、その身を委ねてしまったのよ……!」
何やってんですか、魅魔さん……!
状況把握を放棄して早苗は拳を握る。
ちょっともう、アリスが不憫でならない。
「あ、やだ、してないわよ?」
「蹴りだされたって文句も言えませんっ」
「アリスちゃん、笑顔でぐいぐい私たちを押し出したわ」
くぅ! と目頭を摘む早苗。涙が溢れてしょうがない。
「第三者に奪われる間際、アリスちゃんが私への愛を思い出し、呼んでくれる――という算段だったんだけど……」
何がいけなかったのかしらとばかりに神綺が小首を傾げた。
早苗は思う。
神綺は、いや、二柱を含め協力者はみな、本気だったのだろう。
策を授けた永琳でさえ、上手くいくと考えたのだろう。彼女たちはマブダチなのだから。
それ故に、俯きながら早苗はゆらりと膝立ちの姿勢をとった。
それ故に、‘準備‘なくして解き放とうとしていた。
それ故に、――友の笑顔を力へと変えた。
痛々しい程度では済まないアリスの笑顔を頭に浮かべ、早苗は吠え、放つ――。
「こんの、大馬鹿もわぁ!?」
「ちょっと。ストップ」
――直前、両肩を掴まれ、天井を見上げた態勢、仰向きになる。
ちゃぶ台にぶつかるかと思ったが、さにあらず。
早苗の頭は柔らかいものに覆われた。
「後頭部だけですが」
「うっさい、おっぱい風祝!」
「確定しました。大勝利。いえいえ――霊夢さん?」
珍しく見上げる形になったと思う早苗。眉間に皺を刻んでいる霊夢の考えは、此方も珍しくようとして掴めない。
「ねぇ、神綺」
「席を外しましょうか?」
「あのね。……一つ、確認させて。アリスは押し出しただけ?」
霊夢の意図が掴めず、それでも神綺はこくこくと頷く。
「私なら弾幕の一発でもお見舞いするところですが、あぁ、アリスさん!」
「そうなのよね……神コンの早苗ですら、そう思うのよね……」
「――ゴトコンの方が響きとしてはいいですね」
霊夢の呟きに早苗は軽口を返し、肩にかかる手に触れる。
重なったのは一瞬。柔らかい束縛を外した。
そして、立ち上がり、手を伸ばす。
しっかりとした返ってくる力に、早苗は推測する。
「何か、思いついたんですね?」
「解決法とは限らないけど……。蹴られるかもしれないわよ?」
「本気のアリスさんと対峙したいと思っていました。それに、一蓮托生でしょう?」
肩を竦める霊夢を、早苗は力強く引っ張った。
「ちょ、強過ぎわぷ!?」
「あん。思いがけず、覆ってしまいました」
「どう見てもわざとのように見えたんだけど……えと、霊夢、早苗?」
首の代わりに髪の一房を振りつつ、神綺が目をぱちくりとさせる。
解放された霊夢がぶっきら棒に手を伸ばし、早苗も静かに続いた。
沈む太陽を背に、二人は笑顔を浮かべている。
「何を……?」
眩しい――思いつつ、神綺は二人の手を掴んだ。
「さ、行くわよ、ママ様」
「同じ線で挑むんですか!?」
「一蓮托生一蓮托生。こら、逃げないでよ、早苗お姉様っ」
「月でも星でも、魔界でもついていきます、霊夢」
「や、アリスの家だから」
戯れる二人に、つられて神綺も噴出した――。
そう大きくない窓から微かな明かりが差し込んでくる。既に太陽は姿を隠し、月と星が現われていた。
人形の整備を一通り終え、アリスは肩を回し、背筋を伸ばした。
関節の鳴る小気味の良い音を聞きつつ、ぼんやりと今日一日を振りかえる。
が、率先して記憶の淵から這い上がってくる‘母‘の特徴的な一房に、額を押さえ俯いた。
慌てて閉じようとする淵に、一房がびったんびったん叩きつけられる。俯かずにはいられない。
と、肩を震わせるアリスの耳に、玄関の戸を叩く音が届く。
引きつる体をどうにか抑え、在宅の声を告げつつ立ち上がる。
表情さえも、平素の飄々としたものに戻していた。
ノブに手をかけた所で、扉一枚挟んだ外の存在に、問う。
「こんな明るい夜に、何方?」
問いながら、ノブを引く。
アリスは予想していた。予想と思いつつ、確信に近かった。
迷い人ではないだろう。この森にして、外は月と星のお陰か明るい。
妖魔の類でもない。此処には昼の名残か、大妖や神々の力が漂っている。
木端な魑魅魍魎は近づけやしない。それこそ、大妖や神々でもなければ。
戸と言う外界との結界は開くと、其処には結界の巫女がいた。
「……れいむ?」
頭の片隅にもなかった人物の登場に、アリスは一瞬、ぽかんとする。
「あー、お腹空いたわ! 靴を、を、脱がないで、と」
「こら、霊夢。まずは手洗いとうがいですよ」
「はぁい、早苗お姉様」
え、何?
頭の歯車はかみ合わない。
構わず、霊夢と早苗が上がり込む。
「ふふ、もう、貴女たちときたら」
二人の後に続く特徴的な一房に、漸く、アリスの歯車は回り出す。
「まずは、ヒトリでお留守番してくれていた末妹のアリスちゃんに、ただいまでしょう?」
「ん、そうね。アリス、御苦労さま。それと、ただいま」
「ただいまです、アリス……ん」
彼女たちの呼び声に、彼女は全てを理解した。
「ほら、ママ様も!」
「ええ。――ただいま、アリスちゃん」
そうきたか。
友人たちまでに手を伸ばしたか。
そうくるのならば、もうあまり、余裕はないのかもしれない――。
俯き思考するアリスの袖口を、右を霊夢が、左を早苗が引く。
どうしようもない表情の色を無理やりに消し、アリスは斜め前の‘姉たち‘に手を重ねた。
まず、‘次女‘に口を開く。
「……私が妹?」
「背丈は変わんない」
「背丈はね。背丈はね」
次に、胸に手を当て嘆く‘次女‘を抱きこんだ‘長女‘へと視線を向ける。
「楽しそうね」
「ええ、ほどほどに」
「少し、気が楽になったわ」
嘆きがぴたりと止まり、アリスは苦笑した。
今のやり取りだけで何かを感じ取ったのか。
だとしたら早過ぎる。ある程度推測していたのか。
‘母‘から見えないように二人の肩を抱いてから、アリスは苦笑を微笑に変えた。
「霊夢も早苗も。私たちが迷惑を掛けて、ごめんなさい」
早苗が微苦笑で応え、その下で霊夢が溜息をつく。
「アリスちゃん! お姉様たちを呼び捨てなんて、あ、怒ってる、何故か凄く怒ってる!?」
ゆらりと無表情に塗り替えた顔をあげ、アリスは‘母‘を見つめる。
霊夢が右に避け、早苗も一足遅れて左に避けた。
ずんずんと、‘母‘の元へと進む。
あぅあぅと口元に手を当て、今にも泣きだしそうな‘母‘。
助けを求める様に、髪も左右――‘姉たち‘の方に揺れる。
それでも一歩も引かないのは、‘母‘としてのプライドか。
違うわね――‘母‘を見るアリスは、即座に否定した。
「でも、ママ様は深い深い愛でアリスちゃんを包んでみせ、あ、でも痛いのはいやー!?」
両肩を掴むと、‘母‘は絶叫した。
アリスは‘母‘を見下ろす。
何時の間にか、彼女の背は‘母‘を追い越していた。
一人に勝ち一人に負けたあの日からだろうか。‘母‘の手から離れた日からだろうか。それとも、‘母‘をフタリで越えた日か。
ふと思い、微笑する――だからどうしたと言うのだろう。私は今でも、包まれている。
「アリスちゃん……?」
小首を傾げ見上げてくる‘母‘。
動作が余りにも可愛らしすぎて、アリスにして微苦笑を浮かべざるを得なかった。
表情の変化に気付いたのだろう‘母‘が笑顔を咲かせる。髪も子犬の尻尾の様に揺れていた。
「あぁ! 遂に、遂に私の愛に気付いてくれたのね!?」
子犬の、と思ってしまった自身に、アリスは堪え難い内なる衝動を感じとる。
『気付いてくれた』?
冗談じゃないわ。ほんとに、冗談にもならない。
そんなのずっと解ってる。そんなのずっと感じてる。
だから、ねぇ――。
「霊夢たち……お姉様たちにまで迷惑を掛けて、しょうがない方」
「そう! 二人はお姉様なのよ! だから、ねぇ、私は!?」
「ほんとに、もぅ……しょうがないんだから」
手を組み祈るような‘母‘の前方に腕を伸ばし、アリスは命じた。
「ママ」
「アリスちゃ、あれ?」
「魔界に帰ってください。ハウス」
‘母‘を百八十度回しつつ。
「アアアリスちゃぁぁぁぁぁん!?」
「聞きわけのない子犬さんは折檻よ?」
「きゃいん!? って、根に持ってるぅぅぅ!」
諸手をあげ、滝の様な涙を流す‘母‘。
彼女には見えなかったが、彼女の娘もまた、笑顔を咲かせていた。
――ねぇ、私は、貴女をそう呼ばないの。
母娘の悲喜劇を鑑賞しつつ、数時間限定の‘姉妹‘は、一方が苦笑し、一方が肩を竦めていた。
「あ、あはは……やっぱり、駄目でしたね」
「まぁねぇ。呼ぶわけないのよね」
「え……?」
断言的な口調に、早苗は怪訝な瞳で霊夢を見下ろす。
ぴっと指を立て、霊夢は見上げる。
「……や、ちょっと。なんで私はまた、拘束されてんの?」
「抱きしめられているんです。細かい事はいいんです」
「そ、そう? まぁ、いいけど」
細かいかなぁ――呟いた後、気を持ち直し、霊夢は自身の言葉の種を明かした。
「甘えてんのよ、アレ。
言ってたでしょ? 紫たちを追い出した時も笑顔だったって。
それ、たぶん、今の顔と同じだと思うのよね。満面の笑みって奴?
状況が状況だから穿って考えちゃうけど、アイツ、心底楽しんでいたんだと思うわ」
「でも、アリスさんが、そんな悪ふざけみたいな事を……」
「どうかなぁ。考えたの、永琳でしょ? しかも、真面目に。だったら、方法は間違ってなかった筈なのよ。
アリスはさ、そう、私たちが接している今のアリスは、落ち着いてて澄ました感がある。
だけど、アリス・マーガトロイドは、‘娘‘としてのアリスでもあるの。
子ども子どもして、影響を受けやすい……。
そういや、言ってたわね」
「『子どもです』……?」
「うん、それ。
そもそも、アリスが怒ってるわけがないのよ。
もしそうなら、それこそ弾幕の一つでも浴びせるでしょ?
うぅん、その前に、家に入れなきゃいいのよ。
だってのに、さっきはほら、何の警戒もなしで玄関開けたじゃない。
アイツったら、『え、なんでアンタなの?』って顔してたわよ。ったく」
「じゃあ、本当にアリスさんは……?」
「半信半疑だったけど、アリスの言葉で確信したわ。
わかってんのよ。自分たちが迷惑をかけているって。
‘親‘だけじゃなくて、自分もその一端を担ってるって。
考えてもみて。
本気でアリス自身が迷惑に感じているなら、呼べばいいのよ。
アイツは帰れ帰れ連呼してるけど、その条件は解っているじゃない」
「あ……!」
「気付いてんのかしらね、気付いてんなら弾幕一発じゃ済まないんだけど。そう――『呼んでくれなきゃ、帰らない!』」
だとすれば――未だ玄関でやり取りを続ける母娘に視線を向け、早苗は思わず呟く。
「可愛過ぎませんか?」
「ねぇ。神綺が手を離せない筈よ」
「背を向けられながら腰を掴まれるみたいなもんですもんね。ただ……」
不備があったかしら――見下ろしてくる早苗を霊夢は見上げる。
「ママ様を呼び捨てにするなんて、いけない子ね!」
「あん、ごめんなさい、早苗お姉様!」
「え。満更でもなかったり?」
問われてくるりと振り向いて、霊夢は小さく頷いた。
「うん、まぁ」
「霊夢ぅぅぅぅぅ!」
「もふぁ!? 死ぬ、おっぱいで圧死する!?」
なんだかんだで戯れている‘姉たち‘の声を聞きつつ。
二律背反な言葉を‘母‘に語りかけながら。
アリスは、思った。
「ねぇ、お母さん、母さん、母、母上様」
「あぁ近い!? もうひと押しよ、アリスちゃん!」
「魔界にお帰り下さい。帰れ。ゲット・アウト・オブ・ヒア!」
――ずっと感じていたいけど、それじゃ姉さん達に怒られる。
――でも、折角だからもう少しだけ甘えさせて頂戴ね。
――ね、いいでしょう、ママ様!
「ノォォォ!? プリーズコールミー、ママ様ーっ!」
<了>
早苗お姉様最高
欲を言うならルイズちゃんなゆゆ様とサラちゃんならんしゃまも欲しかった。
やはり永琳は天才だったwww
一例を出すと、
「いえ、私の方こそ。霊夢さんは少女。似合うなどと、申し訳ありませんでした」
これなんかは「ちゃぶ台返しが似合うなどと、申し訳ありませんでした」が正解だと思う。
よく考えたりバックスクロールして読み直せば解るような事でも、こういう勢いが命の作風で読中に「え? なんの事だろう?」って躓く箇所があるのは、結構大きなマイナスだと思うんだ。
なんというか、文章がちょっと頭に入ってき辛い感じがします。
同期ズレした字幕でみる海外映画と言うか・・・
あまり上手く言えないのですが・・・
って浮かんだのは自分だけでしょうかww?
しかし、地の文が少なすぎて描写がとびとびです。
よく理解できないまま先にすすんでしまい、作者だけが理解している感じになってます。
セリフについても勢いだけでなくもう少しわかりやすい表現にしてほしかった。
でも面白かった。面白かっただけに勿体ない。
というかなにナチュラルに家の家事してんだよ早苗さんw
もう結婚しちゃえ世おまえらwww
畳、ね。
ん~?そんなに解りにくかったかねぇ?
確かに一部読み返さないと誰の発言か分からなかったシーンとかあったけど、個人的には気にならないほど悶えれたのでモーマンタイ。点数はこのまま
そして筆者様のサナレイ姉妹はいつ見ても自分的に理想的な関係で、ざらざら砂糖が止まらないんだ。 いいぞもっとやれ
上手く言えないけど仲の良い姉と妹、でも本当の家族では持てないであろうあまあました関係が魂をくすぐるから叶いませn
創作頑張ってください。
話が楽しいだけに残念
魔理沙「なんだぜ?」
アリス「あのスーパー親バカゴッドを懲らしめてほしいの」
魔理沙「ほう、具体的にどうするんだ?」
アリス「このとんがってない帽子をかぶって、ユキ姉を演じて頂戴」
~~翌日~~
ユキ「なんで私が男の娘だって噂が幻想郷中に広まってるのよ!?」
ルイズ「この『ぶんぶんまる新聞』とかいうのが原因みたいね」