0.火炎猫燐の普通な一日
旧地獄は灼熱地獄跡――今日も、怨霊たちや少数の妖怪たちが、仕事の終わりを迎えようとしていた。
「お燐ー! おりーん!」
「あや、どうしたんだい、おくう」
聞きなれた声に、仕事の後始末をしていた、黒いドレスをまとった赤毛の少女は振り向いた。その頭には、普通の耳とは別に、一対の大きな猫の耳が備わっている。
彼女、火焔猫燐――通称お燐は、灼熱地獄跡で怨霊の管理を任されている妖怪である。
彼女に声をかけたのは、霊烏路空――通称、おくう。同じ灼熱地獄跡で、火力の管理をしている地獄鴉であった。その正体に相応しい、烏の濡れ羽色の長い髪を持っていた。
「や、やっちゃった。昨日さとり様に、灼熱地獄跡の熱が不安定だから調べろって言いつけられてたのに、すっかり忘れちゃってたよぉ! 大至急だったのに!」
「うわあ。昨日寝る前、自分で散々言ってたのに! 本当におくうは忘れやすいねぇ」
「ど、どうしよう! 怒られる!」
彼女たちの主人である古明地さとりには、心を読む程度の能力があった。その第三の眼で見つめられるのは、如何に主人を慕う彼女たちでも怖くてたまらない。絶対に宜しからぬことだ。
「ま、まあ落ち着きなよ、おくう。あたいも一緒に謝ってあげるからさ?」
「え? 本当に!?」
「あんたがそういう性格……ていうか頭なのは知ってたのに、何も言わなかったあたいにも責任があるからさ」
「あ、ありがとう!」
涙目から一転して、にかーと笑うおくうに、お燐は微笑みを禁じえなかった。
その後、さとり様にはもちろん怒られたけれど、
1.プレ・ストーリー
「見て、お燐。この神の力を。
これだけの力があれば、この世界全てを、私の住みよい焦熱地獄へ変えることだって出来る!
そうなったら、お燐に1/3くらいはあげるね」
「あ、あはは~。そうだねぇ、でも本当にできるかはわからないけどねぇ。しても、あんまり意味ないかも……」
「お燐は私の力を信じないの!?」
「そ、そういうわけじゃないけどさ!」
尋常でない光を目に宿した親友・霊烏路空。
彼女の様子が、この所おかしい。
突然凄まじい力を手に入れて、完全にそれに酔ってしまっている。
今言っていたことも冗談ではないことが、お燐には解った。
それゆえに、内心は、危機感で埋め尽くされていた。
どうしようどうしようどうしよう。
このままじゃ、おくうが、おくうがお仕置きされて、捨てられてしまう。
でも、私の言葉じゃ届きそうに無い……。
当たり障りの無い返事をしながら考える。
どうしたら、平和裏に、彼女を元に戻せるだろう――
その時、ふと思い出したことがあった。
「あ、おくう、あたいそろそろ仕事の時間だから。じゃあね!」
「慌しいわね、お燐。まあいいわ。じゃ、また後で、地上を地獄にすることを考えようね」
お燐は、返事をせずに、逃げるようにその場を去った。
2.お燐奮起す
おくうが「こうなった」のは極最近のことである。
もとより少々力は強かったが、あくまで普通の地獄鴉であったおくうが、ある日突然、右腕に妙なモノをつけて現れ、「神の力を手に入れた!」と喚きだしたのだ。
実際、その力は凄まじく、以前までの彼女とは比べ物にならなかった。前はお燐のほうが強いくらいだったのだが、今となっては、お燐におくうを止めることは不可能だったのだ。しかも、強すぎる力を手に入れた反動か、おくうは増長すると同時に、情緒不安定になっていた。思い通りにならないとすぐ怒るのである。以前の暢気で人懐っこく、お燐お燐と懐いていた彼女からは考えられなかった。
主人――ここ、旧地獄の中心部である地霊殿の主である古明地さとりには知らせられない。
彼女は優しいけれど、怒るととても怖いのだ。おくうが、この世全部を焦熱地獄にしようとしてるなんてことがご主人にバレたら、どうなるか……。
しかし、自分ではどうにもできない。
八方手詰まりに思われたが、お燐は、以前、地上から出戻りしたという小鬼から、お土産としてあるものを貰っていたのだった。
「あった! 『幻想郷縁起』!!」
この本――『幻想郷縁起』は幻想郷の妖怪について記された本だが、「異変解決」とやらを生業にしている存在についても書いてあったことを思い出したのだ。
書棚をひっくり返して探し出すと、お燐は早速それを読み始めた。
3.インストール
数時間後。
「ヤマメ、ヤマメ!」
「おや、どうしたんだいお燐。そんなに慌てて。まあ、入りなよ」
旧地獄、土蜘蛛の黒谷ヤマメ邸にお燐の姿はあった。
「ありがと! ねえ、ヤマメ。鬼から貰ったっていう『ぱそこん』、まだある?」
「あるよ。ほとんど使ってないけど」
「良かった……。ヤマメ、ちょっとこの『ぱそこん』、貸してほしいんだ。今!」
「いいけど、どうしたのさ?」
「ちょっと、これを見てみたくって……」
お燐が取り出したのは、3枚の円盤であった。掌より大きいくらいで、真ん中に小さな穴がある。3枚とも、片面には人物画が描かれており、その裏は銀色に輝いていた。
「ああ、『しーでぃー』だね。どうしたの? 鬼から貰ったの?」
幻想郷に置いて、鬼は他の種族を引き離す大きな技術力を持っている。鬼の住む旧地獄に住む者たちも、理屈は解らないがその恩恵にあずかることがある。ヤマメの持つ『ぱそこん』も、そうした鬼の超技術の産物であった。『しーでぃー』は、『ぱそこん』に入れて使う、限定的な式神みたいなものである。
「……内緒にしてほしいんだけどね。上に行ってきた」
「何だって!? 地上に!? あんた、飼い主にバレたら大目玉……じゃ済まないよ」
「どうしても、行かなきゃいけなかったの!」
半分涙目のお燐の勢いに、ヤマメも一度口を閉じた。
「……まあ、お燐は良い子だから、考えなしにそんなことしたわけじゃないと思うけど。聞かせておくれよ」
再び口を開いた時のその言葉に、お燐は全てを話した。
* * * * * *
「……でね、『異変』は、『異変解決』という『儀式』によってのみ解決されるらしいんだ。
だから、あたいは、『異変解決』の『儀式』を成功させなきゃいけないんだよ。
そのための資料を探しに、上に行ったんだ。上だと、『儀式』が何回も行なわれたらしいからね」
「あっちゃぁ……そういうことだったのか。それで、そいつは?」
「これは、今まで起きた『異変』について記されたものらしい。って、古道具屋の店主が言ってた。『ぱそこん』の使い方が解ってなかったから、言いくるめて手に入れたんだ」
「前言撤回、悪い子だねぇ、お燐。で、それを見てみようというんだね?」
「うん」
「いいよ、ちょいと待ってな」
ヤマメは『ぱそこん』のセットアップを始めた。
4.ゲーム・スタート/ステージ1:幻想風穴
さらに数時間後。
「……そうか……こうすれば、異変を解決してもらえるんだ!」
「時間はそんな掛けなくても良いんだね」
どうやら『儀式』とは、「巫女と6人以上の『敵』が弾幕ごっこをする」もののようだ。
「ようし、これなら何とかなる……いや、何とかしてみせるよ! ありがと、ヤマメ!」
「どういたしまして。その意気だよ、お燐!」
「……其処で、さしあたってお願いがあるんだけどさ……」
「うん?」
きょとんとしたヤマメに、お燐はすまなさそうに言った。
「最初に、洞穴で巫女を待ち伏せしてくれないかな? 最初の『敵』として」
「なぁんだ、お安い御用だよ!」
ヤマメはにかっと笑って答える。
「本当に? 何から何まで、ありがとう!」
「私も、弾幕ごっこは好きだしね! ようし、腕を振るってやるぞ! そうだ、キスメの奴も呼んでやろっと。たまには、」
キスメとは、ヤマメと親交のある釣瓶落としで、地上につながる洞穴付近を住処にしている妖怪である。
腕をぐるんぐるんまわしながら張り切るヤマメの姿に勇気付けられ、お燐はすっくと立ち上がった。
「ごめん、ヤマメ。そっちは任せるね」
「任せとき! お燐はやることいっぱいあるだろ? 頑張るんだよ!」
「うん! 本当にありがと!」
風のように走り去るお燐の後姿を、ヤマメは見送った。
5.ステージ2:地獄の深道
「つまり、巫女が下りて来るから、邪魔しながら通してはくれと。貴女の友達のために」
「そうなんだ。お願いだよ、水橋さん!」
金髪の少女が微笑み混じりで言った言葉に、お燐は思い切り頭を下げる。
お燐が向かった先は、地獄の深道であった。キスメやヤマメがよく遊んでいる洞穴と、旧地獄との間に存在する長大な竪穴である。そして目の前の愛らしい少女こそ、この深道の守護神である橋姫、水橋パルスィであった。彼女を通さずに、人間を通らせるなんて勝手をやるわけには行かない。
「命名決闘自体は構わないけれど……」
「本当に!?」
「ええ。でも、此処は私の持ち場。頼まれたからほいほい通すなんて適当はできないわね」
「其処を何とか!」
「ふぅん……」
パルスィの微笑みに、悪戯めいた表情が混ざった。
「じゃあ、そうね。私も、それと知って人間を通したことが知れたら、妖怪の賢者や貴女の主人に罰されるでしょう。リスクに見合うだけのものが必要だわ」
「う、うん」
「私ね。あの旧地獄のきらきらした輝きとか、貴女やヤマメみたいな楽しそうな交友がとっても羨ましいの。……妬ましくて妬ましくてしょうがないのよ。私、『こう』でしょう? 持ち場も離れられないし、友達がいないの。でも、それは寂しい。
だから、この件が上手くいったら、貴女は、地霊殿を離れて、私と一緒に此処で暮らすの。どう?」
「――!」
お燐は答えを返せない。
そもそも、おくうが全部を焦熱地獄にすること自体は……実は、お燐はあまり大きな問題として捉えられていなかった。地獄の見知った妖怪たちは、それぐらいで死んでしまうほどやわなわけでもないのだし、地上の連中なんて(今日の古道具屋以外)顔も知らない、というより、焦熱地獄に耐えられないこと自体あんまり解っていなかった。
お燐が走り回っているのは一重に、親友に元に戻ってもらい、一緒におしゃべりを楽しんだり、遊んだりしたいからなのだ。
でも、自分が地霊殿を去るとしたら……おくうの素直な笑顔に会えなくなるとしたら、それは意味が無いんじゃないのか?
「……解りました」
でも、口を衝いて出たのはその言葉だった。
「もう、その地獄鴉に会えなくても?」
「おくうなら、きっと……私に会いに来てくれる。笑って会いに来てくれるよ」
地獄鴉が焦熱地獄を離れることはあまり無い。それでもお燐はそう言った。
忘れっぽいし調子に乗りやすいけれど、あんな力を手に入れる前のおくうは、優しい子だったんだから。
お燐は、真摯なまなざしでパルスィを見つめた。
「……」
「っ……」
「……?」
「っ……くすっ、くすくすくす……」
覚悟を決めて言った言葉に返ったのは、含み笑いだった。
「え、えっと?」
「ああ、もう本当に妬ましい! 貴女たちの仲のよさに嫉妬するわ!
そんな妬ましいものを毎日見せつけられたらたまらない。こっちから願い下げよ。
協力してあげるから、とっとと二人で地霊殿に収まって、見せつけになんて来ないでね」
笑いながら告げられた言葉にきょとんとした後――
「ありがとうっ!」
お燐は、満面の笑みで頭を下げた。
「上手く行ったら、絶対お礼しにきます! 二人で!」
「だから、来ないでって言っているのに」
まだくすくす笑いを止めないパルスィは、ひらりと手を振る。もう行け、と言うように。
お燐は頷いて、駆け出した。
6.ステージ3:旧地獄街道
「……こういうわけなんです。勇儀さん! お願いです!」
「あ、いいよ」
「へ?」
「むしろ、でかした! って所だな」
肉食獣を思わせる相手の表情に腰が引けながらも、絵に描いたような二つ返事に、お燐は拍子抜けしてしまった。
此処は、旧地獄の中でも、鬼の四天王の一人として有名な星熊勇儀その人の屋敷である。
話に拠れば、巫女は異常に強いらしい。普通の妖怪ではあっという間に退治されてしまうという。
巫女を相手に、広い旧地獄の中、中心部の地霊殿まで(決闘しながら)誘導できる者は限られてくるとお燐は考えた。ゆえに、この豪傑に話を持ちかけたのである。四天王の中でも豪放磊落で面倒見が良い、という風聞を恃んでのことでもあった。
「巫女の話は、他の四天王から聞いたことがあるよ。すこぶる付きに強いらしいね。
そんな奴と戦えるのなら、願っても無い!」
鬼が力を尊ぶのは知っていたが、これ程豪快なのは、鬼というより星熊勇儀の人となりだろう。
「あっ、ありがとうございます!」
「いいっていいって。それよりお前、さとりに言っておいてくれよ。
お高く止まってないで、街の飲みにも参加しろってさ」
「はいっ、伝えておきます!」
「頼んだよ!」
これで役者は揃った。後は本番を待つだけだ。
7.ステージ4:地霊殿
「ヤマメさんは撃破されたよ!」
「パルスィさんもだよ!」
「解った。ありがと」
今回、巫女の前に立ちはだかることに協力してくれた者たちの傍に付かせておいた、伝書鳩ならぬ伝聞ゾンビフェアリー(一緒に遊んでるノリがいい妖精)が、次々に状況を教えてくれるのを聞きながら、お燐は猫の姿で巫女を待っていた。
怨霊つきの間欠泉は異変と認められ、巫女は無事、地下へやってきていたのだ。
と、また一匹、ゾンビフェアリーが現れる。
「勇儀さんは、お仕事完了だって! もうすぐ来るよ!」
「解った!」
「それから、伝言だよ! 『がんばれ』だって!」
「あ、それヤマメさんも言ってた」
「パルスィさんも」
(……みんな、ありがとう。)
ありがたさに思わず涙が出そうになったけれど、それでやり損なったら元も子もない。ぐっと堪えて、お燐は巫女を待つ――
不意に、地霊殿に勝手に住み着いている妖精たちの動きが活発化した。
(来た!)
お燐はできるだけおどろおどろしい鳴き声を上げながら、巫女の前へと飛び出した。
……脇が空いた変な服を着た巫女だったが。
呼び出した怨霊が、巫女がばら撒いたお札によってあっという間に撃滅され、放たれた鬼火は容赦なくお燐にぶち当たる。流れ弾を喰らった妖精たちが弾け飛んでいった(半日もすれば復活するが)。
(いたたた!! つ、強い、この人! 誘導して誘導して……)
実は密かに弾幕には自信のあったお燐だったが、上には上がいるものらしい。
高速で飛んでくる御札はぶつかるだけで痛いし、鬼火の熱さは洒落にならない。
体のあちこちに御札を貼り付け、髭を焦がしながらも、なんとか巫女の攻撃に耐えながら、徐々に、主人のさとりの部屋近くへと誘導していく。
大切なのは、自分は近づきすぎないことだ。今、さとり様に思考を読まれたら全てがおしまいなのだから。
(そろそろだよね!)
さとりが気づくであろう辺りに行くと、浮かれ騒いだ中妖精がやってくるのが見えた。
(しめた、あいつに任せよう!)
お燐は巫女の相手を妖精に任せ、全力で空を駆けた。
今はゾンビフェアリーにやらせているが、自分は灼熱地獄跡で仕事をしていることになっている。
さとりが、怨霊の話を聞いて自分の所へ巫女を案内する――というのがお燐の描いたシナリオだった。
「ごめんなさい、さとり様――」
協力者たちと違い、本当に驚いているさとりの声を背後に聞きながら、お燐は駆けた。
8.ステージ5:灼熱地獄跡
(ま、間に合ったぁ!)
さとり様は、ことさら弾幕ごっこが得意なわけではないが、あの巫女たち相手に十分な時間を稼いでくれた。あれで「苦手」とか言ってるのだから空恐ろしい。
息を整える間もなく、巫女たちがやってくる。攻撃を加え、あるいは耐えながら、お燐は奥へ奥へと誘い込んだ。二度目の戦いとあって満身創痍も良い所だが、此処で自分が崩れたら、誰がおくうを助けるというんだろう。
そして、目的地が見えた。
「じゃじゃーん。
お姉さん、灼熱地獄を楽しんでるかい?
体も魂も焦がれる業火」
「ありゃ。
猫じゃなかったのか」
「猫は猫でも、そんじょそこらの猫と一緒にしてもらっちゃぁ困る」
自分が主犯だとバレないよう、「相手が来たから、立ちはだかる敵」を演出しながら、お燐は人間形態で迎え撃った。巫女のありえないレベルの強さも、良い隠れ蓑になってくれた。
数分後、戦いは終わる。
「こいつを倒したから、間欠泉は元に戻るのかな?」
「いやいや、間欠泉はあたいの管轄ではないね」
「じゃ、案内して。その管轄の奴がいるところまで」
「あいつの所ねぇ。地底の核にいると思うけど……」
一瞬、変わり果てたおくうの姿を思い出し、言葉が詰まりそうになるのを堪える。
「うーん……お勧めしないけど。まぁ、お姉さんの強さならあるいは!」
お世辞半分、本音半分の言葉で、一刻も早くおくうの所へと行ってもらいたかった。
「いいよもう。何が来ても負ける筈がないわ」
さっきまでぼっこぼこにされ密かに恨めしかったが、その悪戯っぽい笑顔は、何よりもお燐を安心させた。
9.ステージ6:地底都市最深部
巫女は、地底都市最深部へと潜った。おくうのいる、あの場所へ向かったのだ。
これで自分の仕事は終わり……あとは運を天に任せるだけだ。
疲れたし、体のあちこちが痛い……もう、ぶっ倒れて眠ってしまいたい……。
「……?」
しかし、何か引っかかった。何か、忘れている気がする。
「……あッ!」
そうだった。
この『異変解決』という『儀式』には、過去に行なわれたもので必ず共通しているものがあったのだ。
それは、『最後に戦う敵の直前に、もう一度、その一番近しい人物が出てくる』という手順……!
「しまった!! もうかなり行っちゃった!! 追いかけなきゃ!!」
何でそんな手順が必要なのかは解らなかったが、そういうものらしいのだ。そして、この『儀式』に失敗は許されない。
お燐は必死で追いかけた。一日中、中も外も駆けずり回って、もう体中くたくただった。息も苦しい。力もあまり残っていない。それでも、走った。宙を駆け、巫女の背中を追った。
(――いた!)
「そうそう、ひとつ忘れてたよ!」
お燐はできるだけ大声で叫びながら、その前に割り込んだ。
「?」
怪訝な顔でこちらを見る巫女。
しかし、忘れてたのは立ちはだかること自体であって、本来は忘れていたことなど無い。
何か、何かひねり出さないといけない。
ええっと、ええっと……あーもう!
「地獄の底で死ぬとみんな焼けて灰すら残らない。
死体が欲しけりゃ、やっぱりあたいがお姉さんを仕留めないとね!」
何か凄くとってつけたような感じになってしまったのが自分でも解った。というか、似たようなやり取りをさっきやったばっかりだ。
だが、巫女は深い疑問を持たずに戦闘態勢に入った。
良かった。
『儀式』は、これで成功だ。
* * * * * *
その後、叩きつけられた御札と鬼火の嵐に悶絶したのは言うまでもない。
最後に目に映ったのは、間違いなくおくうの方へと向かっていく、巫女の後姿だった。
(おくう……戻っておいでよ。また一緒に、遊ぼうよ。)
そして、お燐は意識を失った。
10.エンディングNo.2
地上。博麗神社。
結局、巫女によってボコボコにされた空は、今、其処にいた。
家主の巫女から茶を貰い、自分の家かと思うほどくつろいでいる。
地底と地上の行き来が簡単になり、空はこの新しい世界を楽しんでいた。
目の前には、自分をぶちのめした巫女がおり、今回の件に関して色々と話を聞かれていたが、空の回答は要領を得ないものだった。
言葉を濁しているわけではなく、素である。
「そういえば、怨霊ってなんだったの?」
「そうそう、間欠泉から怨霊が湧いて出てきてたって?
そんな事有り得ないんですけどねぇ」
「おや、判らなかったのかい?
怨霊を湧かせた犯人は――
あの猫に決まってるじゃないか」
寝転がって酒を楽しんでいた小鬼(あの鬼火を撃っていたのはこいつらしい)の一言に、空は瞳を瞬かせた。
「猫ってお燐のこと?」
「そんな名前だったかねぇ」
「何でお燐がそんな事を……」
「妖怪だからじゃん?」
「お燐は明るくて裏表が無くて何か企んだりする猫じゃない」
「そりゃあ……」
巫女の一言にムッとする空を見もせず、酒を注ぎながら小鬼は言葉を続けた。
「理由は地上に何かを知らせたかったんだねぇ。
例えば、友人である地獄の鴉に異変が起きているとかね。
地底の誰が悪い事企んでるのかも判らんから、取り敢えず地上に助けを求めた、って所じゃない?
くー、泣けないねぇ。馬鹿だねぇ」
くいっと猪口を傾ける小鬼の前で、
「…………」
空は硬直していた。
ややあって、何やら思案顔の巫女を放って、勢いよく立ち上がる。
「わ、私行かなきゃ! お燐のとこ行かなきゃ!」
「何よ、藪から棒に」
「はいはい、行っておいで~」
ひらりと手を振る小鬼とあっけに取られる巫女を背に、駆け出し、神社から跳び上がり、飛翔する。
もてる限りの力ではばたいた。
幻想風穴を矢のように突き抜け、地獄の深道を落下する。そのスピードに風が渦を巻き、妖精たちを驚かせた。
土蜘蛛と橋姫が微笑んで見ていたことにも気づかずに、只管に突き進む。
勝手に怨霊を地上に送るなんて、ペットが勝手にやっていいことじゃない。
お燐はさとり様に凄く怒られるに違いない。
自分のことを心配してくれてた友人を、今の今まで放っておいていた。
力に溺れて、新しい世界に魅入られて、忘れていたのだ。
生まれて初めて自分の鳥頭を呪った。
そのむしゃくしゃする気持ちを翼に込めて、我武者羅に突っ走った。
旧地獄街道で酒を飲んでいた星熊勇儀は、天井すれすれを突き進む空を発見し、矢張り笑った。
空の目に、地霊殿の極彩色の屋根が、見えてくる。
* * * * *
「あ、お燐。来るよ」
「へ? 何がですか、こいし様」
古明地こいし。この地霊殿の主であるさとりの妹である。
灼熱地獄跡で仕事中だったお燐を、何が面白いのかじーっと見ていた彼女だったが、不意にそう告げると、笑いながら去っていってしまった。
「わかんないなあ、こいし様は……」
呟きながらも、お燐は真面目に死体をくべる。
瞬間だった。
途轍もない轟音と破壊音が響き、天井がぶち破られた。
「うにゃあああああ!?」
その穴から漆黒の影が入り込む。大きな翼をはためかせて――
「……って、お、おくう? どうするのさ、この天井――」
「お燐。ごめんね!!」
何を聞く間もなく、おくうはお燐に突っ込むとその体を抱きしめた。
「いたっ、いたたたた、ちょっとおくう、ギブギブギブ!!」
「ごめんねお燐! お燐が私のために色々してくれたのに、私ぜんっぜんわかってなかった!」
不意におくうの手の力が緩み、声が潤む。
お燐は苦笑すると、あやすように空の背中をさすってやった。
「もう終わったことだから良いんだよ。おくうが戻ってきてくれて、嬉しいよ」
「だってだってさとり様にも!?」
「さとり様には何も言われなかったよ。おくうも、そうだったでしょ?」
「……うん」
にかっと笑いかけるお燐に、おくうは今度こそぼろぼろ涙を零して泣いてしまった。
「ほらほら、そんなに泣いてちゃ可愛い顔が台無しだよっと」
「ううう」
ハンカチで涙を拭いてあげると、ようやくおくうは泣き止んだ。
「お燐!」
「何?」
「今日の仕事が終わったら、温泉卵食べに行こう!」
「共食い……? じゃなくて、勿論だよ!
そうだ! キスメに、ヤマメに、水橋さんに星熊さんも誘おう! たくさん助けてもらったしね!」
「さとり様にお土産も持ってこないと!」
「こいし様にもね!」
久しぶりに交わす、こんな普通のやり取りが、お互いに無性に楽しい。
「あ、そうだ。一つ言い忘れてたよ、おくう」
「うにゅ?」
「……お帰り!」
おくうは、鳩ならぬ鴉が豆鉄砲を食らったような顔をしたが
――やがて、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「ただいま! お燐!」
(「火焔猫燐の最も長い日」了)
パルスィのあたりが個人的に好きです。
いい話でした~。
おりんりりんりーん!
さながら演劇の監督のようw