Coolier - 新生・東方創想話

爪に至る病

2009/08/04 12:04:13
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 それは水虫。



「――正確には足白癬と言う。
 水虫と言う通称の由来は、田畑を耕していた人々に発症が多く、水の中にいる虫が原因と思われたからだそうだ。
 人と言うモノは知らないモノ解らないモノに恐怖するからね。一定の傾向から何々と名付けるのはよくある。
 しかし、是に関して言えば、そう的外れでもない気もするな。
 湿った所に繁殖しやすい菌らしいからね」

「名前の由来なんてどうでもいいので、役立つことを教えて頂きたいと思いますわ」

「……。
 大別すると二つに分かれる。角化型白癬と汗疱状白癬だ。
 ただ、一般的には趾間型水虫、小水疱型水虫、角質増殖型水虫の三つの呼び名が通っているようだな。
 加えて、爪水虫が含まれる場合もあるが……此方は少し毛色が違う。放っておけばそちらに悪化するようだがね」

「だから、呼び名なんて聞いてないので具体的な事をお聞かせ願っているのですこのとんちき」

「……。
 趾間型は、指と指の間にできる、所謂じゅくじゅくとした水虫だ。他の二つと比べ、強い痒み、痛みを有する可能性が高い。
 小水疱型は、名の通り、小さな水疱ができる物だね。中には、小さすぎて発症に気付かないものもあるそうだ。
 角質増殖型、足白癬においては是が最も厄介なようだ。治りにくい」

「こ――森近様。そろそろあたくし、我慢の限界なのですけれど」

「それは誰かの真似なのか。……違うな。誰とも思われないようにしている。配慮かね?」

「いいからさっさとどうすりゃ治るか教えろってんだ、霖之助様! 期限はきっかり後、半日!」

「うむ。知らん」



 私は、力を貯めて、微笑みかけた。



「炉を人に向けるな」
「あー、あー! お、お前!」
「……何だと言うんだ、魔理沙」



 しゅーりょー。私の涙ぐましい努力は、このこんこんちき、森近霖之助――香霖の呼びかけで水泡に帰した。

「無駄な事をする」
「うぅ……お前に配慮を求めた私が馬鹿だったぜ」
「いや、そもそも此処には僕と君しかいないじゃないか」

 そうだけどさ。







 と言う訳で。
 白黒魔法使いこと私、霧雨魔理沙は水虫にかかった。
 は、はは……ちょっと悪戯過ぎる運命の神様にパツイチかましてこようと思う。

 スペルカードじゃないブレイジングスター。効果は自身、未知数だ。

「虚ろな目で魔力を垂れ流さないでくれないか。家が壊れる」

 あ。まずはこのとんちきにお礼をしてやらないと。うふ。

 再び微笑みかけると、胸に手を当て顔を背けられた。色も変わっている。私の笑みにあてられたようだ。

「なんだ、香霖、ときめいたか」
「動悸は高鳴ったがね。気味が悪い」
「ふ。枯れ果てたお前に其処まで言わせるとは、私も罪な女だぜ」

 ぴしぴし。
 がつんがつん。
 前者は奴が私の額を弾く音。後者は私が奴の脛を蹴る音。

 暫く互いに無言で応酬を続けたが、私の方から切り上げた。何の進展もしていない。

「ちくしょう、なんで私ばっかりこんな目に合うんだ……!」
「生憎と、僕は病気にかかり難い性質でね」
「知ってらい」

 誰もお前がかかれなんて言ってないぜ――舌を出すと、肩を竦めやがった。どっかで見た仕草だな。

「ふむ。とりあえず、見せてみろ」

 どうでもいい曖昧な記憶を追い払い、私は乱暴に木製の椅子に腰かけた。
 右脚を水平にあげ、手を伸ばし、黒い靴、白い靴下と順に脱ぐ。
 多少日に焼けた足のお出ましだ。色気がないとか言うな。

 床に片膝をつき、そっと足首を掴む香霖。
 奴が足の裏を眺めている間、静寂が訪れる。
 ……えーと。

「お鳴き」
「わんわん」
「舐めても宜しくてよ」

 重い沈黙。先程とは比べようもないほど、それはもう、のっぺりと重い。

「ごめんなさい」

 先に音をあげた私が珍しくも素直に謝罪し、香霖が溜息を吐く。うん、今のは私が悪かった。

 頭を戻すと、丁度香霖も観察を終えたようで、足から手を離した。

「魔理沙、痒みや痛みはあるかい?」
「ないですわ」
「そうか」

 そのままの姿勢で聞いてくる香霖に、目を逸らして答える私。

「趾間型と小水疱型だな」

 ちくしょう、長年の付き合いが徒になった。あぁ痒いさ! 痛みはまだないけど。

「……って、小水疱型も!?」
「併発しているようだね」
「さらっと言うなぁ」

 悲嘆の声を上げつつ項垂れる私に、奴は何の躊躇もなく事実だ、とだけ告げた。

 自身、何度も確認していた筈だが、小さな水疱は見逃していたようだ。
 或いは視覚とは別の所――楽観的観測とか乙女心とか――が、認識を拒否していたのだろう。
 一つだけでも十分に厄介だと言うのに、併発となると、頭を抱えたくなる衝動が沸き起こっても仕方なかろう。

 香霖のあり得る筈もないその手の悪戯心に期待して再度自分でも足裏を見てみると、確かに其処には小さな水疱ができていた。

 ――ジーザス!

 実際に頭を抱え、無神論者の私にしてそう呟いてしまう。

 室内を満たす生暖かい空気が、無為に頬と、そして当該の足を撫でた気がした。

「山の神々が嘆きそうだな」
「あぁ。そういや神はいるんだ」
「魔法使いも悪霊もいるこの世界、何がいてもおかしくはない」

 したり顔で言う香霖に、私は又、舌を出す。

「あーあー、そうかもな! 私の周りには無駄知識満載の古狸と厄病神しかいないけど! 雛の事じゃないぜ!?」
「誰だい、雛って。痒みが酷いなら掻け……いや、水疱に気を付けて周囲を軽くはたくといい」
「あい」

 相変わらず君も解り易いな――古狸衛門は淡々と言う。
 胸中の苛立ちを覗かれたようで悔しかったが、口には出さなかった。
 手渡される白い布を右手に巻きつけ、右足を左脚に乗せ、言われたとおりに痒みを沈める。

 凡そ水虫の知識がない私でも、水疱を乱暴に扱う程の無謀は実行できない。
 どだい、この手の水疱は中に厄介な物が詰まっているのだと相場が決まっている。
 転んで膝を擦りむき、化膿した程度の経験は誰にでもあるだろう。無為に触れるとどうなるか。想像するだにおぞましい。

 幼い頃に吹き込まれた飛び火の症状に身を震わせていると、香霖が、先程脱ぎ散らかした靴を回収している事に気がついた。

 黒一色の靴。近所の、或いは紅魔館のだれそれと違い、何の変哲もない靴……の筈だ。

 それを拾い上げて考え込む物好き。推測できる理由は一つしかない。

「ほほほ。嗅いでも宜しくてよ」
「……くんかくんか」
「申し訳ありません」

 無機質な言葉と吐き凍てつく視線をよこしてくる香霖に、私は膝に両手を落とし、頭を下げた。

 空咳一つを零し、香霖がカウンターから椅子を引っ張りだし、対面に座る。
 魔砲で吹けば飛ぶような体躯の割にごつごつとした手は、未だに靴を転がしていた。
 奴の手は他の部位に比べ、無駄に白い。外に出て日を浴びる時は概ね手袋をしているからだろう。

「……靴だな」

 紫外線云々ではなく、香霖が外に出るのはがらくた集めの為がほとんどで、生身で行えば皮膚を傷つけ血を流し、結果的に……。

「魔理沙?」
「あ、うん、なんだ」
「君は概ね普段から、この靴かい?」

 首を捻る私。質問の意味は解ったが、意図が解らない。

「そうだけど……」
「ただの靴だね」
「見りゃわかる」

 返答に、奴の意図は掴めなかった。ぶすくれた表情を向け口を開こうとすると、手で制された。

「……そういや、お前、素手で触ってよかったのか?」
「動作だけじゃ僕の意思は伝わらなかったようだな」
「生物が悉く音を鳴らすのはその為だと思うがね」

 よし、少し口を閉じようか――視線で解る辺り、一概に言い切れない気もする。

「てっとり早い方から応えよう。さっきも言ったが、僕は人妖がかかりやすい病気の大抵に無縁だ。
 水虫なんてのは昔からある‘ヒトがかかりやすい‘病気だからね。親父さんもかかっていたよ。
 恐らく、根本的な所で僕には人妖の免疫が混じった――」

 じぃと香霖を見つめる。

「……わかった。『てっとり早い』だったね。切り上げよう」
「以心伝心ですわね、香霖」
「嬉しくもない」

 わぁ、意気投合。

「それでも、不用心な気はするが」
「なに、後で消毒するさ」
「さいですか」

 軽口の様に応えたが、私としても香霖のあっけらかんとした態度が、今はありがたい。

 アイツらはきっと……――。

「二つ、考えていたんだ」
「え、あ、何を?」
「一つは、理由」

 不意に浮かんだ影を頭を振ってかき消し、鸚鵡返しに尋ねる。
 香霖は弄っていた靴の踵を向け、そう、なんでもないように頷いた。
 恐らく――うつっちまった――、私が誰を思い浮かべたかも察知しつつ。

 無駄な抵抗と思いながら、靴を受け取り、まくし立てる。

「理由って、何のだよ? と言うか、意味があるのか?」
「水虫の発生源。意味は、再発と悪化の防止」
「そぉい!」

 勢いよく放り投げた黒弾が香霖の額に直撃する。弾こうとしたのだろう、あげた右手が所在なさげだ。

 額を摩りながらの半眼に短く口笛を返し、それで、と続きを促す。

「……まったく。安心しろ。靴は普通の靴だ。発生源になり得る線は薄い」
「なんだ。最初っからそう言えよ」
「あぁ言えばこう言う」

 無視して、私は椅子の下に放った靴下を回収した。

「其方の方がよほど、可能性は高い」

 振りかぶったが今度は腕を取られ止められた。ちっ。

 それでも思う所があったのか、香霖は白い弾丸を回収した。
 少し、と呟き、腰をあげ、奥へと引っ込んだ。
 数十秒経たずに戻ってくる。

 手には、同じ色の靴下を携えていた。

「お前、遂に、あぁ! 下着の販売までするようになったのか!?」
「あり得ない事もない、と言う顔つきが気になるな。違う」
「そ、そうか。いや、悪かった……――!」

 私は、口を押さえた。踝についたフリルに見覚えがある。そう、それは私の靴下だ……!

「香霖!」

 カウンターを叩きつけ、立ち上がる。頬に浮かんでいるであろう赤みは、羞恥ではなく憤怒だと、思った。

「そりゃ、お前の生活がいいとは言えないさ! だけど、何も人の使用済みのに゛ゃご!?」
「ふむ。チュウカをつくと脆いのは人妖問わないみたいだね」
「顎の方がよっぽど脆いですわ」

 肘の裏のくぼみ――肘窩と言うらしい――を払われ、私は硬い木に顎をしこたま打ちつけられた。痛い。

「下らない事を考える頭には丁度よい刺激だろう。それは以前君たちがはた迷惑にも此処で宴会をした時の名残だ」

 カウンターの上で頭を転がし、はてそんな事をしたかなと考える。……あぁ、うん、した。
 二月か三月ほど前、私を始めとして、幾人かが既に出来上がった状態で乗り込んだ。
 既に千鳥足だったのは私と早苗。霊夢とアイツらは、まだ酔ってなかったっけ。
 酔いが醒めたのは翌日、慣れ親しんだ家のベットの上だった。
 特に変わりはなかった筈だ。そう……。

「いや、待てよ、香霖。私はちゃんと、靴下を履いていた筈だぞ」

 寝ぼけ眼で衣服を脱ぎ笊へと突っ込んだ覚えが、確かにあった。

 脱線しているな――呟き、香霖は瞳を閉じた。一拍後、顎に手をあて、独り言ちる。

「そうでもないか……?」
「おいこら。勝手に納得するな。私に解る様に言え」

 大仰に溜息をつき、殊更無表情な顔をして、奴は口を開いた。

「『わはは、香霖、見ろ! 三魔合体! アリスとパチュリーの』」

 私も同じ表情を呈した事は言うまでもないだろう。顔も背けた。止めて。

「ごめんなさい。申し訳ありません。もういいです」
「感化されでもしたか、早苗も霊夢の」
「止めろってんだろ、とんちき!」

 当時の惨状を思い出したのだろう、香霖は乾いた声で、阿鼻叫喚だった……、と締めくくる。

 沈黙が支配する中、私はしずしずと靴下を受け取り、足を通す。
 何の抵抗もなく馴染むそれは、確かに私の物で、凶行を再認させるものだった。
 アイツら――アリスとパチュリーになんて言って返そう、と現実逃避に考えた。

 視線を元に戻すと、香霖のソレとかち合う。奴も話を再開する機を伺っていたんだろう。

「少し、飛ばすぞ。気になる所で止めてくれ」

 何処か遠慮がちな前置きに、私は目をぱちくりとさせた。
 前置きと言う事自体が珍しいし、言葉も妙だ。
 『気になる』……?

 意味を理解する前に、香霖は口を開いた。

「『水虫の発生源』。僕はさっき、靴を確かめた理由をそう言ったね?
 ひょっとしたら、特殊な素材を使っているかと考えたんだ。
 けれど、違った。靴はただの靴だった。
 この手の革製は水虫にかかりやすいと聞くが、通気性もまぁあるようだ。
 だから、靴は履いてもいい。胡坐をかき続けられるのも気分がいいもんじゃないしね」

 無造作に転がっていた靴を取り、履く。十数分前の状態に戻った私は、数秒前の態勢で話を促した。

 売り言葉に買い動作。まったく――呟きの間にも、視線は逸らされない。

「続けるぞ。
 『再発と悪化の防止』。こうも言った。嘘じゃない。少なくとも、さっきは。
 しかし、靴下の話を持ち出した時、ふと思った。君も叫んでいた事だ。覚えているかい?

 何故、自分がかかるんだ。

 流してしまったが、奇妙な点ではあった。
 森の暮らしは、確かにかかる原因を作り易いだろう。君は菌糸類を殊更愛するしね。
 けれど、それは今に始まった事じゃない。他の、決定的な要因がある筈だ。つまり――」

 そう言う事か。
 私は苦笑し、二度頭を振る。
 一つは自身の言葉に対してだ。

 なんだ、お前、配慮できるじゃないか。

「ストップだ」

 区切りだったのか言い淀んでいたのかは解らない。だが、香霖は開いたままだった口を閉じた。

「現時点で原因を探るのは、そう意味のある事じゃない」
「……気になったかい。なら、止めにしておこう」
「違うぜ」

 気になる。配慮なく言えば、気に障る、だろう。香霖は原因を、そう捉えている。

 だから、私は頭を二度振ったのだ。

「アイツらの足は、綺麗で、可愛い」

 自分でも驚くほどきっぱりとした声だった。取り繕うように言葉を重ねる。

「温室育ちに図書館暮らし。当り前と言えば当たり前だがな。日の光を浴びた事がないんじゃないかってほど、白いんだぜ」

 ……む。なんか微妙に羨望の音が混じったような。

「白けりゃいいってもんじゃない、形だってアイツらはいいし、腿の締まりも……あぁ!?
 違う、違うぜ、香霖! 私は別にいつもそんな目で見ている訳じゃない!
 風呂、紅魔館の大浴場でだな、じゃんけんに負けた私は!」

 顔を昇ってくる熱気は室温の高さだけが原因ではないだろう。手を振り泡を飛ばす度に深みへと落ちていく感覚。

 と、手が向けられた。続けて、低い笑い声が鼓膜を震わせる。

「くく、君は、彼女たちの足を手に取り、不本意ながらも丁寧に洗った。それでいいかい?」

 心底愉快そうな響きに、憮然としつつ頷く。

「そうか……」

 何事かを恵心したように、香霖は呟いた。
 ついで、斜め前方の窓、後ろにある古びた掛け時計に視線だけを向ける――「なるほど」。
 ばれた!――隠すような事でもないのだが、奴の鷹揚な言動に私は内心で舌を打っていた。

 焦っていると思われるのが、私は心底嫌なようだ。

「期限云々言っていたのは、今日も彼女たちと予定があるからなんだね」
「そうだよ! アリスはもう行ってる!」
「……そうか」

 二度目のその言葉は、妙にずしんと胸に響いた。

 態勢も態度も変えていない香霖から、威圧感を覚える。
 見慣れた奴の表情に、何故だか弾幕戦の相対者の面影を見出す。
 出鱈目で無軌道な奔流か、能力により力押しか、それとも――。

「魔理沙」

 呼び声に、ぶれていた輪郭が整えられた。

「長くなったがね。靴を見ていた、もう一つの理由は」

 睨んでいる筈の私をまるで意に介さず、香霖は、言う。

「流石に君も、素足じゃ外に出られないだろう? 行くんだ、魔理沙」

 何処へ。
 決まっている。
 紅魔館に、だ。

 つまり、アリスとパチュリーの所に、だ。

「……ぜ」

 声を返す。掠れていた。ちくしょう!

「始めにも言ったと思うがね」
「……だぜ。それだけは、絶対に、――」
「此処じゃ、どうにもならない。解らない君じゃないだろう」

 言葉は弾幕となり、頭を直撃する。
 経過を踏まえて繰り出された強烈な一撃。
 理解を逆手に絡め取られた私は、場違いにも一人と一妖を思い出した。

 あぁ、是は言葉の結界だ!

 頭の片隅で僅かに残る理性は、香霖の言葉を認めている。

 解ってる。
 解ってるよ!
 だけど、だけど――「絶対に、ヤだ!」

 感情のままに、私は吠えた。

 滲んだ視界の先に居る香霖は、気圧される事もなく見返してくる。
 暖簾に腕押し、糠に釘。そんな言葉が頭に浮かぶ。
 構わない、と強がりに思う。

「お前の言う通りだって、わかってるさ!」

 暖簾なら倒してやる。糠なら粉々にしてやる。弾幕はパワーだ。言葉も、パワーだ!

「アリスは再発も悪化も防げる通気性のいい靴を作ってくれるだろうよ!
 パチュリーだって、図書館で治療法を調べてくれるんだろうな!
 だけど、だから……!」

 曖昧にぼかした言葉は、けれど間違っていた。
 アイツらは、作ってもくれるし調べてもくれる。
 希望的な思い込みではなく、絶望的な未来視だ。

「アイツらの手は借りたくない! 絶対にだ!」

 言い切り、食いしばった奥歯からひゅーひゅーと音がする。

 無様な状態を晒す私に、香霖の変わらない視線が突き刺さった。
 握りしめた拳に突きたつ爪が衣一枚の気丈さを支える。
 奴は、口を開いた――来るっ!

「……何故だい?」

 言葉が頭を揺さぶった。
 だから、正確には間違っている。
 直撃する直前に放つのが、ルールなのだから。

 カウンターに両手を叩きつけ、私はラストワードを叫んだ。



「他の奴なら構わない! 
 でも、アイツらにはっ!
 アイツらだけには、知られたくないんだよぉ!」



 ぽたりぽたり、はぁはぁ。
 二つの音が、肩を上下させる私の耳朶に響く。
 何処から出ているかを理解してしまうと、もう止まらなかった。

「く……、う、お前から、したら、たかが水虫、ってところなん、だろうけど、なぁ。
 そう、さ、たかが、水虫さ。ほっといても、死にやしない、程度の病気だよ。
 でも、うっく、アイツらには、知られたくないし、うつしたくない……っ」

 ぼろぼろの啖呵を吐ききると、私はそのまま俯いた。
 顔の真下にあった両手に冷たい滴が落ちる。
 止まらなかったし、止めるつもりもない。

 どうとでもなれ――やけっぱちな思いを浮かべていると、生温い感触が頬に触れた。

 目を開くと、白い手、じゃない、手袋が頬を微かに上下している。
 見上げた私のぼやけた視界に、当然、香霖が映った。
 奴は何時もと変わらない表情を浮かべている。

「泣きやむんだ、魔理沙」

 つまり、至極面倒くさそうに口をへの字に曲げている。おいこら。

「それで泣きやむ奴がいるかぁ!?」
「ほぅら、指はこんな風にも曲がるんだぞ」
「普通に第一関節を曲げているだけって、それがどうしたぁ!」

 掴みかからんとする私に、香霖の目の色が変わる。

「魔理沙、君も随分と面倒になったんだな」

 その瞳は、或いは幼かった頃の私を浮かべているのだろうか。

 いや、だから、どうした。

 無言で襟を掴みあげ顔を寄せる。涼しい顔のままだった。
 ぞくり、と冷たいモノが背を這う。
 弾幕戦時の感覚。

 それも、墜とされる直前の寒気に似ている。

「彼女たちには知られたくない、と」
「あ、あぁ、そうだよ、それが!」
「なら、早く行くといい――」

 奴の顔に、一人と一妖が重なった。



「――永遠亭に、ね」



 言葉の結界は、二重に張られていたのだ。

 へなへなと脱力し、私は香霖の襟から手を離し、椅子へと倒れこむ。
 その段になって、漸く目元を自身で拭った。
 涙は、もうとうに乾いているみたいだ。

 絡め捕られた私は、では、素直に頷くのか。否。ぷぃと視線を逸らし、提案を拒否する。

「ヤだぜ」

 やれやれとばかりに肩を竦め、香霖は呆れ顔を晒した。

「何故だい? 真っ当な選択肢だと思うがね」
「そりゃ、あぁは言ったけどさ」
「他の者にも知られたくはない、と」
「だぜ。……永琳にゃ、前科もあるしな」
「アリスの件か。その後、君と霊夢で改心させたんだろう?」

 そう言うと聞こえはいいが、要はフルボッコだ。
 爆音に気付きやってきた輝夜から『以後、厳重に注意する』の言質も得た。
 永琳からは取らなかったのか、と。簡単な事だ。覚えておくといい。炭は喋れない。

「でもなぁ、ひょっとしたらって事もあるし……」
「本当に面倒になったな、君は。だったら」
「喧し。ん?」

 区切りに視線を戻すと、香霖が右腕をあげ、ぽん、と空いている左手で軽く叩いて見せた。

「その時は、僕が腕を振るおう」

 私はただ、目をぱちくり。
 曲げている腕には力瘤ができているかどうかも疑わしい。
 そもそも、夏だと言うのに何時もの長袖を着ているのだから確認のしようもない。

 一瞬後、ぷっと吹きだした。

「く、お前、冗談が言えたんだな!」
「客商売の身なんでね。口は回るさ」
「よく言うぜ」

 軽口を叩きながら立ち上がり、私は目元をごしごしと手で拭った。跡を見られる位なら赤みの方がまだましだ。

「……ついて行こうか?」
「ガキじゃないぜ」
「よく言うね」

 憮然とする香霖。
 笑っていない所が奴らしい。
 なんて思って、また一人でくすりと笑む。

「まぁ、いいさ。世話をしなきゃならんのは君だけじゃない」

 踵を返し視界に入った窓の外の空が、眩しい。そして、まだ青い。
 とは言え、アイツらとの約束時間――期限までに治すのは無理だろう。
 未練がましい自分にもう一度笑い、壁に掛けていた箒に手を伸ばし、掴む。

「診断受けて薬貰って……ま、治すのはしゃーないとしても、集合時間には間に合うか」
「そうか……次には、治っているといいね」
「うん」

 頷き振り向くと、香霖は虚をつかれたような表情をしていた。珍しいものでも見た様な顔だ。

「素直な魔理沙と言うのも、……気味が悪いな」

 煩いやい――飛び出そうになった言葉を飲み込み、にっこりと笑ってやる。



「お世話をかけてやってやりましたわ、香霖様」
「それでこそ君だな。行ってくるといい」
「サンキュな。行ってくるぜ!」



 扉を開いた勢いのまま走り出し、鋭角四十五度にした箒に飛び乗る。



 香霖堂は、すぐに豆粒のようになった――。







《幕間》

「さて。……できれば、腕は振るいたくないんだがね。君は懲りてなかったのかい」
「ほ。気がつかれていましたか。ですが、貴方に私の世話が焼けますかねぇ?」
「僕はずっと魔理沙の対面、要は窓が見える方に居たからね」
「先程の光に違和感を抱いた、と。やぁ、失敗してしまいましたねぇ」
「もう少し早く気付くべきだったんだがな――」

「――さぁ、フィルムを渡してもらおうか。射命丸文」

「どうしましょうかね。他にネタがあれば妥協しないでもないですが」
「……君は君で切羽詰まっているんだな」
「ええ、そうよ! 悪い!?」
「泣くな。鬱陶しい」
「にべもない!?」
「ネタもない」

「……」

「く、くく、其方がそのつもりならば、このスキャンダラス、存分に使ってやるわ!」
「誠心誠意応えたつもりなんだが。ゴシップ誌以下の話題じゃないかね」
「ふん。情報に下等も高尚もないわ。あるのは面白いか否か――」

「――止められるものなら止めてみなさい。幻想郷最速の、この私を!」

「……勘違いしているね。僕が腕を振るうのも世話を焼くのも、君にじゃない」
「はっ! この場に及んで交渉ですか!? もう遅い!」
「あぁ、もう遅い。君は、籠の中の鳥さ」
「冗談! 追えるものならぶべらっ」
「忠告はしたからね」

「夢符‘二重結界‘」

「れ、霊夢さんっ! 博麗の巫女!? 何時の間に! なんってご都合主義!!」
「霖之助さん、お膳立てはしたわよ。後は煮るなり焼くなり好きになさいな」
「すまない、礼を云う。けれど、知っての通り、力仕事は向かないんだがね」
「ちくしょう、スルーですね!? あぁ、私、好きにされちゃう!?」
「写真機は胸元か。……ふむ。面倒だな。霊夢、屋台も奢るが」
「オッケー。さ、文。改心させてあげるわ」
「あぁぁぁぁ、事態がより悪くなっ――」



「――うぎゃぁぁぁぁ!?」



《幕間》







 鴉を引き裂くような悲鳴が聞こえる。絹か。気の所為か。

 永遠亭についた私はどうと言う事もなく診察室に通され、今、永琳を待っている。
 既に靴下は脱いでいる、此方の準備は万端だ。早くこーい。
 思いながらも該当部位をはたく。痒いのだ。

 キィ……と扉が開く音。同時に、どちらかと言えば低めな、でも、艶のある声が鼓膜を震わせる――「待たせたわね」。

「うにゃ、押しかけたのは私……なんだ、その、頭のコーンは」

 シンボルの十字も星型に変わっている。

「姫様のお友達が来ているのよ」
「なるほど。邪魔してるぜ」
「気にしないで」

 軽口が流される。異様な見た目に反して、もう頭を切り替えているようだ。

「さ、魔理沙」

 安心して任せられる。
 そう踏んだ私は、向かいの椅子に座る永琳に足を向けた。
 心得ているのだろう、奴は手袋を素早く嵌め、幹部に触れないようにそっと掴んだ。

 夏の熱気が籠る室内に、暫しの間、静寂が横たわる。

 ……えーと。

「舐めても宜しくてよ」
「初期の水虫ね」
「あぃ」

 しくしくめそめそと俯く私を捨て置き、永琳は立ち上がった。

 なんだ、と思うのもつかの間、永琳はさっと奥――調剤室とプレートに書かれた部屋に引っ込んだ。
 手際の良さに感心するも、検査も何もしなくてよいのかと微かな不安が頭をよぎる。
 それとも、検査が必要ない程に熟知しているのか。……ありえそうだ。

 月の頭脳、八意永琳。戻ってきた奴の表情は、天才の名に恥じない英知を漂わせている。

 差し出されるコップを受け取り、中の液体を揺らす。

「是こそがアクア・ウィタエ……!」
「ただの水だけど。薬はこっち」
「あーん」

 口を広げる私に、永琳は微苦笑しながら丸薬を放り込んだ。手袋はもう外しているようだ。

 水と共に嚥下し向き直る――と、永琳が頭を抱えてうずくまっていた。

「どうした!?」
「わ、私とした事が……」
「な、なんだよ、まさか、薬を間違えたとか?」

 おそるおそる問う私に、苦悩の色を隠さない、いや、隠せないといった風の永琳が、言った。

「金髪美少女が無防備に口を開けていると言うのに!」

 あ、嫌な予感がする。

「何も突っ込まなかっただなんて! 超越者の、この私が!」
「そーれ、マジックステッキ投擲ぃ」
「永琳、壊れちゃうぅぅぅ!?」

 喧しい。

 額に押しあてられる箒を左手で払い、永琳は一瞬で落ち着いた態度を整える。ヤな奴だ。

「貴女がいけないのよ」
「……どの口が言うか」
「可愛過ぎるんだもの」

 なんのてらいもなく言う永琳に、けれど、私は手を振って応える。

「嬉しくもないですわ」

 無碍な対応をしたのだが、永琳はくすりと笑むだけだ。
 冷静な奴の観察眼は私の頬を捉えているんだろう。
 ほんとに、ヤな奴。

 思いながら、私も破顔した。

「しっかし、流石と言うかなんというか。水虫もよく診てるのか?」
「珍しい病気ではないわね。貴女たちにとっては、だけど」
「ふーん。あ、じゃあ、一発で治る方法もあるとか」
「ええ、あるわよ」

 あるのか。

「そうだよなぁ、幾らお前でも流石に……あー?」

 呆けたように永琳を見る。
 マジで? 視線で問うと、こくりと頷く。
 今の? 今度は首を捻った。質問の意味が通じなかったらしい。



 だけど、あぁ、だけど! 治ったのか! はは、そうか、治ったか!



 快哉をあげるよりも早く、私は傍に畳んでいた靴下を通し、靴を履く。
 心なしか気の持ちようか、足の痒みも既に治まっていた。
 流石は永琳だ!

 はやる気持ちを抑え、財布をスカートからまさぐりだし――はたと止まる。存外に高かったらどうしよう。

 探る様に永琳を見上げると、奴は立ち上がり、私の横を過ぎ去ろうとしていた。

「なぁ、永琳、今の、幾らするんだ?」
「そうねぇ。好きな額でいいわよ」
「それだと天井知らず何だが」

 そわそわとする私に、戸を背にして永琳は振り返る。
 顎に当てる手は、何事かを考えている証だろうか。
 頭の上で揺れるコーンが違和感たっぷりだ。

「魔理沙」

 パーティでもしていたんだろう――と。

「何だぜ?」
「良かったら、貴女も混ざる?」
「ほんとにパーティだったか。うにゃ、遠慮しておこう」

 と言うか、私にも予定がある。

「紅魔館でな、アリスとパチュリーと風呂に入るんだ。お前のお陰だぜ、永琳っ」

 笑いながら立ち上がる――筈だった。
 そうできなかったのは、向けられている永琳の瞳。
 香霖と話していた時にも感じた、背筋が粟立つ感覚を与えてくる。

 またかよ……! 悪態を心中でつきながら、私は身構えた。

 来る!



「なるほどね。だったら、気をつけなさい。恐らく、そのフタリが大元の原因よ」



 どうやら、誤作動だったようだ。

 籠っていた息を吐き、首を振る。
 永琳の推測は、あくまでも推測だ。
 その件はもう香霖と話し合っている。

 結局、原因はあやふやなままだったが……ともかく、アイツらがそうである筈がない。

「アリスは日頃からブーツ、パチュリーは地下の図書館暮らし。そう考えるのが妥当よ」
「はは、お前でも間違える事があるんだな、永琳」
「そりゃまぁ、ね。でも、この件ではないわ」

 引きさがらない。ムキになっているんだろうか。それでも涼しい顔の奴に、私は、にやりと笑いながら云ってやった。



「アイツらの足は、綺麗で、可愛いんだぜ」
「それがどうかしたの?」



 ……え?

「だ、だから!」
「原因なんかじゃない、と」
「そう、そうだぜ! 全然そんな素振りもなかった! 推測が間違っていたからって、てきとうな事を――!?」

 とん、と首を叩かれる。
 何時の間に動いていたんだろう。
 単に私が激昂した為に気付かなかっただけ、か。

 そう。激昂していたのだ。だと言うのに、今は冷静に自身を捉えられる。何故……?

「副交感神経が動き出すつぼを突いただけよ」

 さらりと言ってくれるが……副交感神経?

「体を和らげる、とでも」

 あぃ、と頷く。

 扉の横、壁に寄りかかる永琳。
 腕を組み、楽な姿勢を取る。
 長くなるな、と思った。

 此方の理解を捉えたのだろう、永琳は、ゆっくりと口を開いた。



「魔理沙。

 私はなにも、彼女たちが水虫にかかっているなんて思っていないのよ。
 いいえ、ほぼ確信しているわ。彼女たちはかからない、と。
 『何故』?
 ウチの子たちもね。兎の頃はかかるのよ。だけど、妖兎になったら勝手に治るの。
 調べてみたら、ソレを境に白血球が変わっていたのよね。
 正確にはマクロファージとNK細胞……。

 あぁ、要は、免疫ががらりと変わるのよ。

 水虫の病原菌――白癬菌は、確かに厄介な細菌だわ。
 尋常じゃない生命力、白血球さえ滅ぼしきれない繁殖力。
 けれど、それはあくまで貴女たち人間や兎たち動物にとって、なの。

 断言してあげる。妖怪は白癬症にならないわ。

 じゃあ、どうしてアリスやパチュリーが原因なのか。

 そうね、是に関しては、悪性腫瘍――癌を例にあげましょう。
 通常、癌になったと言うのは、症状が出てからよね?
 だったら、発症者はいきなり癌細胞に冒されたのか。

 答えはノー。癌細胞は、程度の差こそあれ、貴女たちの体に確かに存在するわ。

 ……少し言い過ぎかしら。でも、飲酒量が多いんだから、あり得るとは思うの。
 だけど、だったら、貴女は癌かしら? 違うわよね。
 どうして? 正常な免疫が駆逐しているのよ。

 今現在『癌』になっていない人でも、『癌細胞』は体に存在している可能性があるの。

 つまり、アリスやパチュリーは、白癬症を発症していなくても、白癬菌に感染はしているのよ。

 何が言いたいか。
 てっとり早く言うと、癌細胞であれ白癬菌であれ、幾ばくか体にある可能性は検査でもしない限り否定できないわ。
 だから、アリスやパチュリーが白癬菌を増殖させる土壌を作り感染していても、貴女さえ気を付けていればどうとでもなる。

 ――と言う所ね」



 以上よ――永琳は、そう締め、口を閉じた。

 えと。
 んーと。
 とりあえず。

「『だから』の前後が繋がらないぜ」
「結論。不摂生を控えて健康的な生活を送りなさい」
「テキトーだと思ってた医者の言葉にはそう言う含蓄が込められていたのか」

 切り返した私に、永琳は微苦笑を浮かべる。当たらずとも遠からじ?

「とは言え、どれだけ環境に気を付けていても遺伝や突然変異で発症してしまう事もままあるのだけれどね。
 癌細胞なんかは、どちらかと言えばそう言う側面の方が強いわ。
 私が持ち出したのなんて意図的なもので、と、何?」

 腕を引き、自身の腹を摩っているところを見せつける。

 『お腹一杯』。

「今の場合、頭じゃないかしら?」
「摩って摩って」
「なでなで」

 んー、と喉を鳴らす。

 暫くは微笑んでいた永琳は、しかし、崩れ落ちた。

「わ、私とした事が……っ!」

 もう放っておこう。……そっちの件は。

 こほんと空咳を打ち、もう一度視線を集める。

「要は、さ。ちょいと健康面に気をつけたら、アイツらとは変わらずに居てもいいって事だろ?」

 長ったらしい解説の後半は、つまり、そう言う事だ。

 原因を知った私が、アイツらとの距離を遠ざけるかもしれない。
 遠ざけないなら遠ざけないで、再発するかもしれない。
 永琳はそう思ったんだろう。



 頬を掻く私は、髪を撫でる柔らかい感覚と、向けられる優しい表情を甘んじて受け取った。



 身を離した永琳に、なんとなく気恥しくなり、私は話題を変える。

「なぁ、そういやさ、さっきの薬。あれって何て名前なんだ?」
「貴女も知っているわよ。作り方は知らないだろうけど」
「そりゃな。ノーベル賞もんだって話だし」
「何時の話よ。アレは、蓬莱の薬」
「いやいや、ノーベルってな……」

 ……あー?

「ほーらい?」
「蓬莱」

 えー……。

「ホラーイ?」
「蓬莱」

 おー……。うん。

「なんてもん飲ませやがるんだぁぁぁ!?」
「大丈夫よ。ベリーイージーだもの」
「だからどうしたぁぁぁぁぁ!?」

 立ち上がり襟をひっつかむ! 視界は滲んでいた! だって私女の子だもん!?

 是からは、『永遠の』。

「インフォームドコンセントォォォ!?」

 滝の様な涙を流し、私はあらん限りの力を叫びに変えた。
 室内のみならず、亭内至る所を揺るがせた自信がある。
 にもかかわらず永琳は変わらない冷静な表情で……。

 少し呆れた顔をしてやがる。

 よし、しばく。

「軽いジャブじゃない。そんなに驚かれるなんて」
「タッカラプトポッポルンガプピリットパロ!?」
「ベリーイージーって言ったでしょう? 超簡易蓬莱の薬。ビタミン剤よ」

 あー……えー……おー……。

「免疫力をあげる為の、か?」
「なでなで、なでなで」
「んー」

 喉を鳴らす私。

 ……いや、ちょっと待て。

「そんなんで治るのか?」
「結構いい物を使ってるだけど」
「うん、だろうな。永琳、質問に応えろ」

 襟を掴んでいる私の手をはがし、そのまま両手で包み込む。



「治るわけないじゃない」



 なんだその笑顔。

「私、アレで治ったなんて一言も言っていないと思うけど。
 ターンオーバーを促進する効果もあるわ。そっちが本命。
 ……やだ、魔理沙、勘違いしちゃったのね。
 この、は・や・と・ち・りさん!」

 永琳が手を封じたのは、或いは今の為か。
 どうでもよかった。そう、手なんてどうでもいい。
 魔力を高める。一部だけにじゃない。全身にいきわたらせる。

 どこか冷静な頭が、部屋の外から響く音を捉える。私の大声に驚いた亭内の者が来ているのだろう。

 巻きこまないためには、上下しかないだろうか。
 ならば、上を目指そう。空を、月を。
 薬の駄賃は、生地への片道切符だ。

 とはいえ、何処まで行くかは解らない。

 スペルカードじゃないブレイジングスター。効果は自身、未知数なのだから!



「えい、りぃぃぃん!」
「治すのは是からよ」
「ふへ?」



 ドゴォォォンっ――発動の瞬間脱力し、魔力は消失、ろくな推進力を持たない彗星は天井さえ貫けなかった。
 だが、上に打ちつけた筈の頭も下にぶつかった筈の尻も悲鳴をあげない。
 つまり、痛くない。……なんで?

 答えは簡単。永琳が抱きしめてガードしてくれたようだ。証拠に、奴は血まみれ。うわぁ。

「因みに、私が治すんじゃないからね」

 むくりと上半身を起こし、平然と言ってのける永琳。
 下半身には私が乗っている。
 所謂、馬乗り。

 え……?

 呟いた声は自身にさえ届かない。
 どたどたとした足音がかき消したからだ。
 再度尋ねる前に、足音はぴたりと止まった。

 代わりに、横開きの襖を叩きつける音が耳朶を打つ――ガラっ。

 亭内のものが、雁首そろえてやってきた。

「師匠、何事――っ!?」

 月の兎、うどんげ。

「れ、鈴仙! 見ちゃいけない!」

 地の兎、てゐ。

「魔理沙。離れなさい。永琳。其処にいなさい」

 永遠の姫、輝夜。

「……痴情の縺れ? 妬ましいわね」

 地下の橋姫、パルスィ……って、あ、奴が『姫様のお友達』か!

 すぅ――と永琳の手が動く。
 水平にされた指の先がパルスィの横を示す。
 私が目を向けるのと、永琳が口を開いたのは、恐らく同時だった。

「白癬菌は感染するのよ。そして、発症する。一種の感染症。だから」

 つまり、治すのは、造作なく治せるのは――。



「妬ましいなら縺れてみる? 恋の病は感染症。その気になって私とアバンチュがはぁ!?」



 ――土蜘蛛、ヤマメ!

 ……あ、造作なく吹き飛ばされてる。待て待て待って!







《幕間》

「凄い凄い! すぐに治しちゃった!」
「いやいや、うどんげ、そうでもない。キャパはあるしね」
「謙遜しなさんな。医者いらずだね、ありゃ」
「してないしてない。べらぼうな免疫持ってるあんたにゃ私の力も通じんし」
「……大人気ね。そう、貴女は地底でも、そして、是からは地上でも引っ張り凧」
「大丈夫。私の糸は常に貴女に繋がっているから。あ、糸ってのは比喩表現でほんとは汁げはぁ!?」

「まぁ……確かに医者いらずってのは言いすぎたね。治せないもんもあるし」
「そかな? あ、打撲とか裂傷とか、そういう外科方面ね」
「それもだけどさ。――あぁ言うのも」

「ひ、姫! 誤解、誤解です! 私は何もしていません!?」
「そ。永琳。私はわかっているの。わかってはいるのよ?」
「あ、じゃあ、妬いていらっしゃる! もう、姫様ったらぁ。いやんばかん」
「……。まぁ、パルスィ! なんてことをするの!」
「え、え、なに、輝夜? 私、何もしてな――」
「僅かな嫉妬だったのに膨れ上がってしまったわ!」
「あぁぁぁぁ、予備動作! 嫉妬の炎が私を焦がす!」
「ご明察――神宝‘サラマンダーシールド‘っ!」

「あんぎゃぁぁぁぁ!?」

「えっと。……熱傷?」
「そう言えなくもない」

「ついでに、あんたのそう言うのもね。地兎さん」
「ついでと言うか、それが本……喧しい、地底蜘蛛さん」

《幕間》







 右脚をあげ、左腿に乗せ、足を見る。
 表。裏。指。指と指の間。
 ……うん。

 私は、二度目の快哉を叫んだ。

「治ったぞー!」

 声は壁にぶち当たり、響き返って耳朶を打つ。

 かぽーん。

「いきなり……何よ」
「驚くじゃない」

 喜びに打ち震える私の両隣りに、怪訝な顔をしてアリスとパチュリーは腰を下ろした。裸で。

 と言う訳で、此処は紅魔館の大浴場。

 ヤマメに水虫を治してもらった私は、礼を言うのもそこそこに永遠亭を出、当初の予定通り紅魔館へとやってきた。
 勿論、あちらでも治療の確認はしていたが、最後の念押しと言うやつだ。
 叫んでしまったのは不可抗力。嬉しい。

 窺うような視線を向けてくるフタリに、私は笑って応える。

「へへ、何でもない」
「そうは見えない」
「ん」

 ぜ、と。

 語尾を聞かずにして返してくるアリスと、頷くパチュリー。早いなちくしょう。
 フタリは、私の左右前方に移動する。ちゃぽんと軽い音がした。
 二つの双眸が向けられる。その色は――。

 だけど……。

 私は、首を横に振った。

「何でもないぜ」
「だから、そうは」
「パチェ。――なんでもないのね?」

 少し強い語尾におやと思いつつ、頷く――「あぁ」。

 あ、笑顔が少し歪になった。
 思いはしたが、顔を見合わせたフタリは見ていなかったのか、もう何も返さない。
 代わりとばかりに、パチュリーは肩を竦め、アリスはパチュリーに――私も含めてだろうか――微苦笑を浮かべていた。



 永琳は言っていた。
 『妖怪は絶対に水虫にかからない』。
 ……私にすれば、フタリとの絶望的な差異に他ならない。
 埋めるにはどうすればいい? 近づくためには何が必要だ?
 それも、奴は示してくれた。実にシンプルだ。人外になればいい。

 簡単に言うなって? 言うは易しさ。行うは難し。尤も、その方法も漠然と掴めたのだが……。

 ――なに、焦る必要はない。私はまだまだ少女だ。じっくり考えるさ。

 方法だって一つじゃない。
 アリスの様に。パチュリーの様に……って後者は先天性か。前者もか。よーわからん。
 解らないから考える。そうだ、差異をどうにかする方法だって、一つだけじゃない筈だ。

 私は絶望しない。私には可能性がある。何時の日か、悪戯過ぎる運命の神様にパツイチかませるほどになってやる――!



「……あんた、何か、途方も脈絡もない事を考えているでしょう?」
「そうなの? ボロが出る前にやめておきなさいな」
「あぃ」

 もう出ている気もする。いやいや。

 面倒な事は後回し。今は今を楽しもう!

 おあつらえ向きにも、フタリは私の左右にいる。
 腿に乗せていた右足をパチュリーに向け、湯に浸していた左足をアリスに向けた。
 前回はアリスの、前々回はパチュリーの足を洗ったんだ。今回はじゃんけんを抜きにして私でもいいだろう。

 因みに、ちゃんと前はタオルを弛ませ隠している。親しき仲にも礼儀あり。

 フタリは同時に肩を竦め、その後、恭しく私の足を手に取る。
 ふと、香霖と永琳に言った台詞が頭に浮かび、ぶんぶか頭を振った。
 言えない。フタリには、言えない。根性無し? 大きなお世話だ、ほっとけ!

 何者かに心中で悪態をつく私の視界に、アリスの怪訝な表情が入ってきた。

 目を向ける。
 アリスも返してきた。
 視線がぶつかり、背筋が凍る……って、またかよ!? いい加減にしろよ!

「魔理沙、あんた、女の子なんだから、ちゃんと処理しなさいよ」
「あー? 処理してきたぜ。そもそも、左足は関係ないしな」
「そうよ、アリス。その、元々、魔理沙は……薄いんだし」

 パッチェさん、何処見てますか。あぁ、其処ですか。

「うん、パチュリー、隠してはいるが凝視は勘弁してくれ」

 にゃー!? 魔女の悲鳴に、私もアリスも一瞬微笑む。

「そうね、パチェ。貴女の言う通りよ」
「お前もかよ! ってか、お前の方が凝視してたけど!」
「年初め――ダイエットの時ね。でも、私が言っているのは別の話」

 小さな痛みが走る。

「別の部位の話」
「え、や、別って、足だろ? 水虫なら……あー!?」
「あんた、そんなもんに罹ってたの。言いなさいよね。ったく」

 ピンっ、と何かを引っ張られる痛み。皮膚じゃない。これは――あ、あ、あぁぁぁぁ!?



「薄いから油断していたか、右足に気を取られていたか。ともかく、指毛くらい、処理しなさい」



 後者です。嘘です。両方です。に゛ゃぁぁぁ!?



「ぐ、あ、ぅ、の――お、お前らにだってあるだろ!?」
「お生憎様。生えないわ。パチェは?」
「え、ぁ、私も、ない」



 断言しやがりましたですよ?



「な、なんで私ばっかりこんな目に合うんだぁぁぁぁ!?」
「や、水虫は別にして、指毛はあんたの不精じゃないの」
「魔理沙、指毛があろうが無かろうが、貴女は貴女よ」



 指毛指毛連呼しないで、くださ、ぐす、うぅ……!





「アリスのあほぉ、パチュリーの馬鹿ぁぁぁ! み、見るな、抜くなぁぁぁぁぁ!?」







                      <了>
魔理沙の災厄シリーズ第二弾。シリーズ化するな。三十八度目まして。

テーマは『女の子と水虫』。
現実でも厄介な問題ですが、幻想郷一の少女・魔理沙ならどう思うかどうするか……と考えました。

作中、永琳は免疫免疫言うてますが、今現在の我々が発症してから免疫力あげても治りません(悪化は防ぐ……かな)。
勿論のこと、自然治癒は望むべきじゃありません。素直に薬をもらいましょう。
使用後一月ほどで痒みは収まる可能性がありますが、最低でも二カ月は続けてください。
白癬菌は皮膚のかなり奥まで存在しているので、ターンオーバー(皮膚の脱皮みたいなの。約一カ月周期)後にも必要なのです。
その間、出来るだけ靴や靴下は通気性のいい物にしてください。‘蒸れている‘状態は白癬菌が増殖しやすいからです。
それでも悪化して爪にまで及んだら、もう病院に行きましょう。市販薬じゃ治りません。
営業トーク終わり。

あと。『グリモワールオブマリサ』買いました。意外にもむちっとした太腿が実にいい感じです。私も魔理沙の足を洗いたい。

以上

09/08/07
誤字訂正。ご指摘、ありがとうございます。
予想して頂いた言葉でも通るのですが、魔理沙の心情では訂正した通りになります。
道標
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コメント



0.1500簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
なんだこの乙女は。

人間である以上、大なり小なりガタは来るよね。
魔理沙は十代だからまだまだいいさ。
二十を過ぎれば……普通に暮らしてても、けっこう痔とか……
7.100名前が無い程度の能力削除
なんというヘタレ魔理沙。
12.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の少女が水虫なんかに罹るわけな…魔理沙かわいいよ魔理沙。
14.100名前が無い程度の能力削除
水虫はまだかかってないけど怖いですね
通気とか気をつけないと……

霊夢はおっさんのイメージがあるけど魔理沙は確かに乙女っぽい
なんだろうこのイメージ?

しかし水虫について詳しいですねw
幻想郷少女は環境とか服装とかで結構水虫になりそうな辺り、妖怪っていいなぁ……

誤字報告を
>「嬉しくないもないですわ」
嬉しくなくも、かな?
15.70名前が無い程度の能力削除
初めて水虫にかかったときはショックでした。
18.90名前が無い程度の能力削除
この幻想郷はいい幻想郷。
しかし、会話がフルスロットルすぎてなかなか追いつけない。
20.無評価名前が無い程度の能力削除
一行目からクライマックスw
なんだこの可愛い水虫患者はwww

……関係ないけど痛風も地味にショックだよなあorz
21.100名前が無い程度の能力削除
おおう、点数忘れてたZE☆
23.90名前が無い程度の能力削除
レロレロレロ
えぇ、好きなんですよ、足
27.10名前が無い程度の能力削除
まぁカオスでおもしろいんだけど、、、、、
なんだろうこの文章の読みづらさは、、、、
30.70名前が無い程度の能力削除
面白い。面白いのだけど…
なんか誰がどうなってるかわかりにくい…
32.100名前が無い程度の能力削除
ヤ・マーメ!!最強!!


先生、アリスさんとパチュリーさんがいつもどうりです。
40.70名前が無い程度の能力削除
毎年のように水虫にかかっていた俺のトラウマをよくも!!
今はもうかからなくなったが足を袋でガードして風呂に入ったのは今でも嫌な思い出です。
しかし末期症状になってくると痛みがだんだん気持ちy(ry ――くっ何をする!!

ピチュ-ン
46.100名前が無い程度の能力削除
絶賛感染中です。ターンオーバーか、初めて知った。