(※この話は東方project第12弾「東方星蓮船」のネタバレを含みます。
また、以前投稿した作品を加筆修正した物の再投稿になります。
それでもよろしければ ↓この先二百海里)
あれは、僕がまだ寺子屋で勉強をしていた時のことだったかな。
いつも通りの慧音先生の堅苦しいけれども分かり易い解説を耳に、僕は窓の外から見える曇り空を見ながら夕立に降られやしないかとまるで関係の無い事を考えていたんだ。
そして予想通り、授業を終えて帰宅する頃にはもの凄いざーざー振りの雨に襲われてしまった。
皆が傘を差して家に帰る中、僕は傘を持ってくるのを忘れてしまった事にようやく気が付いたんだよ。
なんということだろう。
今日は雨が降る事なんか分かってたっていうのに、どうやら朝の僕は寝坊して呆けた頭を叩き起こして、ここまでの道程を精一杯走る事に夢中になっていたんだ。
今更悔しがったって何にもならない事は勿論分かっている。でも、だからこそやりきれない部分ってあるだろう?
しょうがなく友達に相合傘をお願いしようと思っても、その時にはみーんな残らず帰っちまったんだ。
全く、薄情者め。と一人で愚痴ったって、彼等は帰ってきやしない。
だってそうだろう? だれがこの滅茶に振りそそぐ雨の中、濡れ鼠になってまでこんな所に戻ってくるっていうんだい? 用事があったってごめんだよそんなの。
とにかく、ぽつりと取り残された僕は暫くボーッとしていたんだけど、その時に一つの案が浮かんだんだ。
こんな事を慧音先生になんか話してしまったんなら、きっと彼女ご自慢の頭突きが僕の額にごてかんとぶつかってくるだろうよ。
だから僕は慧音先生にも気付かれないように、こっそりと傘立てを漁ったんだ。
そしたらやっぱりあったんだよ。 誰のかは分からないけど、茶色い唐草模様に変な漆を塗った、ちんちくりんな一本の傘が。
やった。これは僕も相当にツイてるぞ。 そう思ったんだけど違ったね。
その傘と来たら、近くで見るともう目に余るくらいに酷い装いで、こんなん差して帰ったなんて知られたとあっちゃあ僕はこの寺子屋卒業までの良い笑い者になっちまう。
別にこんな雨の中に傘を突っ込んだところで、結局は横から雨の野郎に殴られてずぶ濡れになっちまうんだ。
それだったら寺子屋で慧音先生の手伝いでもしながらお茶でも飲んでた方が、男としては冥利に尽きるってもんだよ。なんだかんだで先生は美人だしね。
そう思った僕は手に取った傘にしかめ面を向けながら傘立てに放り入れ、慧音先生が居るだろう部屋へとたったか走っていったんだ。
今だからこそ思うよ。あん時の僕はなんて馬鹿なことをしちまったんだろうってね。
「ふぅ……御苦労だったな。 もう遅いし家まで送ろう」
それからはもうやっぱりというか、先生は戻ってきた僕を見るなり事情を把握してくれたみたいで、家まで送るかわりに書物の整理をしてくれって頼まれたんだ。
だいたい三十分くらいかな。慧音先生が手に取っていた筆を置くと、僕に向かってそう笑いかけてきたんだ。それだけで今日一日の疲れが吹っ飛んだ気がしたよ。
憧れの慧音先生と一緒に夜道を帰るなんてと思うともうルンルン気分で、思わず鼻歌を浮かべながら、先生と一緒に夜の廊下を歩いていたんだ。 そしたら先生ったら、あれで結構ウッカリしてるんだよね。 忘れ物を思い出したとかでさっきの部屋に戻っちまったんだ。 多分あれは男でも出来たのかね。 満月でもないってのに、なんだかソワソワしてたんだもん。
「すぐ戻るから、ここで待っててくれ」
そう言って僕の頭を撫でた時に鼻に入るくすぐったい香り、あれにクラクラしちゃって、そうなったらもう「うん」以外の返事なんか出来っこないよ。
女って卑怯だよな。先生の前で言ったらませガキって言われて小突かれちゃうだろうから言わないけどね。
それで、しょうがなく先生が戻ってくるのを待ってたんだけど、なんだかどうも様子がおかしい。
待てども待てども来やしない。
しょうがないから、玄関口の辺りで先生のことを待ってることにしたんだよ。
……でも、それがいけなかったね。
一人で蝋燭の灯り一つしか無い廊下で待ってろって言うのは、こんなにも恐ろしい物だなんて知らなかったよ。
『一寸先は闇』とは良く言ったもんで、蝋燭からちょっと離れたらもう先なんか見えやしない。
それに、なんかあったら直ぐに消えちまいそうな小っちゃな火がゆらゆら揺れてるんだ。
その時の僕は、目の前で揺らめく火が実はお化けで、僕に襲い掛かってくるんじゃないかってビクビクしてたよ。
だけど、もしかしたらそっちの方が良かったのかも知れないね。
慧音先生はどんだけ待っても来ないし、この時間でこの雨なら妖怪ぽっちも居やしないだろうと思ってさっきの傘を取ろうとしたんだ。 そしたら……。
「け、けけけけけけけ!」
そしたらその傘はいきなり笑い出したんだ!
そうかと思うと今度は僕の手に絡み付いてきて離れやしない。 もう僕は怖くって怖くって、誰かが見たら狂った様にしか見えなかったろうね。 鼻水と涙でぐちゃぐちゃになりながら、ひたすらに廊下の奥を突っ走っていったんだ。
慧音先生なら、慧音先生ならなんとかしてくれる……! って、ただそれだけを思ってね。
こういう時に、習性を付けておくってのは大事だと思ったよ。 あんだけ慌てていても見事に慧音先生の居る筈の部屋を見つけて、その中に飛び込んだんだから。 だけどあの時の僕は、妖怪なんか怖くねえ、近づいてきたら丸めて鼻紙にしちまうよって息巻いていた生意気なガキだったからね。 完全に甘く見ていたんだよ。
「おお、どうした。 お化けにでも襲われたのか」
真っ暗な部屋から聞こえてきた声に、ああ良かったと溜め息を吐いて、この手に着いた妖怪野郎を早くとっちめてくれよってお願いしたんだ。
だけどどうも変だなあって思ったのは、先生に抱きついてからだったかな。
なんだか妙に触り心地の……失礼、感触の悪い胸に、僕は妙な違和感を感じたんだよ。
向こうもそれに気付いたのか、僕のことを突き放すと途端に笑い出して、彼女……うん、彼女はつかつかと近づいてきたんだ。
手元に持った蝋燭を今まで落とさなかったのは奇跡だったけど、多分落としてた方が幸せだったんだろうなあ。
目の前に笑顔を浮かべたまま近づいてくるその人……いや妖怪は、僕の持つ蝋燭の灯りに顔を突っ込んできたんだ。
彼女の顔を見て、ああ、僕はもうここで死ぬんだと思ったよ。
だけど彼女はにこにこと、どうも心地良くない笑顔を張り付けて、後ずさる僕にちょっとずつ迫ってくるだけだったんだ。
彼女の紅い左目と蒼い右目が僕の両目を捉えると、はりつけにされたみたいに動けなくなったもんで、そこで腹を括って言ってやったんだ。
さあ! 煮るなり焼くなり好きにしやがれ化けもんの畜生がーっ!
ってね。
我ながら下品だと思ったけど、それにあいつは驚いたのかすすーっと暗闇に紛れたかと思いきや、ぽっきり姿をくらましやがったんだ。
しばらくビクビクしながら辺りを窺ってたんだけど、どうやら完全にあの女は居なくなったんだって事が分かった僕は、ひとり英雄にでもなった気分でずっと声を上げてたんだよ。
やい化物め! 思い知ったかコンコンチキめが!
ってね。 もう今思い出すだけでも恥ずかしいよ。安全だって分かった途端にこれじゃあ格好なんか尽きやしない。
でもこの話はこれで終わりじゃあ無かったね。
意気揚々と鼻歌なんか歌っちゃって、さあ今度は慧音先生を見つけ出さなきゃ、って、こういうのも勇み足って言うのかな。
ちょっと違う気がするけど、とにかく張り切って襖を開けたんだ。
そしたらたまげたよ!
扉を開けた先には、さっきのとはへえ、比べ物にもなりゃあしないくらい沢山のオンボロ傘達が、揃ってこっちに向かって一つ目をギョロつかせてやがるんだから。
で、後から後からどんどん増えてくその様に、今度こそ僕は完膚なきまでに打ちのめされて、ガタガタ震えて小便ちびりながら抜けた役立たずの腰野郎を必死で支えながら後ずさったんだ。
そしたら今度は上からポタポタと滑った液体が垂れてきて、何だろうなと思って見上げてみたら、唐傘の野郎が蝙蝠みたいにくっ付いてやがって、よだれを垂らしながら
「持ってけ~……」
って呟くし、とうとう窓際まで追いつめられたと思ったらとつぜん窓が開いて、唐傘が俺の耳元に生温かい息と唾を吐きかけながら、またこう叫ぶんだ。
「持ってけー!」
って。四方八方をべっとりとあいつらに囲まれて、嗚呼、僕は今度こそ助からないなって思ったよ。
……え? じゃあ今話してるお前は誰だって?
そりゃあ君、僕は僕だよ。この話の主人公。
実はあのあと気を失っちゃってさ。 気が付いたら小便と涙と涎まみれで泡吹いて倒れてるところを慧音先生に助けてもらったって寸法さ。
最初はもう恥ずかしくて死のうかと思ったよ。折角助かった命なのにさ。
とりあえず、慧音先生が苦笑いしながら後片付けしてくれたのは、僕は一生忘れることは無いだろうね。
あ、そうそう、ちゃんと話に戻らなくちゃね。
とにかくそう言う訳で、僕はあの妖怪の正体を慧音先生に聞いたんだ。
そしたら意外や意外。その女の妖怪は、僕達も皆知っている、最も有名な部類に入る妖怪だったんだ。
「――ああ、そいつは”からかさお化け”だな」
最初は「へ? なにを馬鹿なことを! そいつがあんなおっかない妖怪なわけないじゃん!」って笑い飛ばしたんだけど、次に感じたのは慧音先生からの珍しい張り手だったよ。うん、そう。頭突きじゃなくてね。ここを、そう、この左のほっぺた。ここをこう、ばちーん、って引っ叩かれたんだ。
訳が分かんなくて涙目で先生を見上げる僕に先生が向けた目は、子供を叱る、と言うよりは、礼儀を叩き込む、て言った方が正しいかも知れないね。
その時に慧音先生が僕に目線を合わして、ゆっくり言ってくれた言葉がコレさ。
「いいか。 妖怪の存在意義は”人に恐怖される”ことだって言うのは前に教えたな?
その一番分かり易い例が”人間を喰らう”ことだ。”死”が一番畏れを引き起こすからな。
そこまでは出来ないまでも、人間を驚かせる等をして記憶に刻まれた妖怪達は、多かれ少なかれ恐怖心を引き起こす。例え人伝で聞いた話であってもな。
良くあるだろう? 言う事を聞かない悪い子は夜中に迎えにくるんだよって。それが妖怪の仕事だからだ。
勿論、奴等を対峙するのは我々人間の仕事だ。だが、妖怪を畏れなくなってはいけない。
心に妖怪の巣食う事の無くなった人間達は、やがて闇への恐怖も忘れ、果ては妖怪自体の存在をも忘れてしまう。
簡単に言ってしまえばその結果、この幻想郷が生まれたような物だ。もしも幻想郷でも同じ事が起きたなら……。
この辺は前の授業でも言ったな? 覚えてるか?」
最後に優しく問い掛けてくる先生の笑顔に、僕は涙目になりながらコクコクと頷く事しかできなかったよ。
そんな僕の仕草に、先生はよし、とまた満面の笑顔を僕に向けると、彼女は立ち上がって後ろを振り向いたんだ。
「じゃ、先生は戻るが……ああ、ついでにそこのボロ傘、もう随分置いてあるんだが、お前が引き取ってやってくれないか?
何しろいつからあるんだか分からないし、誰も咎める事はあるまい」
そう言い残して慧音先生はまた何処かへ行ってしまったんだ。
僕を送ってくって約束はどうなったんだろうって言う思いと、はあ、またこの傘から妖怪が出やしないだろうな、っておっかなびっくり傘立てへと近づいていったよ。
でも、不思議と次に取るべき行動を僕は分かってたんだろうね。
傘立ての前に立って、深呼吸。心を落ち着かせると、ゆっくりとその趣味の悪い茶色唐草を手に取ったんだ。
途端、僕の腕に嬉しそうに絡み付いてくる傘の野郎に、僕はぎゃーっと一際大きな声をあげてやったね。
(了)
ビニール傘がお化けになったら、きっと全身シースルーの(幻想入りしました
この愛称は流行る。間違いないね。
褪せて破れた和紙じゃないと雰囲気がでませんよねw
シースルーたらこ(ry