白い部屋だった―――
天井も壁もベッドもカーテンも―――
真っ白な部屋だった―――
一人の少女が夢を見ている。
真っ白な部屋でただ一人、静かに眠っている。
扉が開き、一人の女性が部屋に入ってきた。
ベッドで眠る少女の横に座り、やさしく話かける。
「お加減はいかがですか?」
少女は答えず、ただ夢を見続けていた。
そんな少女の姿を女性は愛しむような瞳で見つめ、窓へと向かった。
窓をを開け放つ。
白い部屋の中に風が吹いた―――
「えーりーん」
夏の昼下がり、迷いの竹林の奥深くにひっそりと建つ日本家屋。
永遠亭と呼ばれるその屋敷の中で、一人の少女がその従者を探していた。
「何ですか姫様?そんな退屈で退屈でたまらないといった顔をされて」
名を呼んでから数秒も経たないうちに銀髪の従者が姿を現す。暇で暇でしょうがないといった表情を見せる己が主人に対して、彼女は思ったことをそのまま口にした。
「わかってるなら話が早いわ、つまり暇なのよ。気づいたら貴女の弟子のイナバも悪戯兎もいないじゃない?」
「弟子は山へ芝刈りに。もう一匹は川に洗濯へ行きました」
「そう・・・悪戯兎は皮を剥れなければいいけど」
「とにかく、私もこれから里に出かける用事があります。お暇でしたら藤原の娘の所にでも行ったらよろしいのでは?」
「嫌よ!ただでさえ暑いのに!わざわざあんな暑苦しい奴の所に行くなんて」
心底嫌そうにはき捨てる輝夜。その様子を見ながら厭らしく口を吊り上げる永琳。
「そうですか?私はてっきりここ三回ほど負け続きだった姫様が怖気づいてしまったのかと。最近なかなか外にお出かけになりませんでしたし。」
「――――――っ!」
「まぁ暑いからってのはわかるんですがね・・・だからといって服をはだけるのはやめていただけますか?威厳がありませんし、そもそもはしたないですよ?」
「もーうるさいわね!!年を取ると口うるさくなるってのは本当みたいね」
刹那―――周囲の空気が凍りついた。
「あれっ!?寒い!!寒いわ!!ねぇえーりん?なんだか急に寒く・・・永琳?」
冷気の出所を探れば、その発端は間違いなく目の前の彼女であった。そして輝夜は理解した、今感じているものは冷気などではなく背筋を走る冷たすぎるほどの恐怖だと。
「・・・姫様?」
「なっ、何かしら?」
「私はそんなに年をとっているように見えますか?」
輝夜は己の失言を後悔した。そして瞬時にこの危機を乗り越える術を模索する。
「そっ、そんなことないわよ?永琳ってばいつまでも綺麗なままだし、スタイルだってずっと変わらないわ。それになんといっても何年経っても衰えないその頭脳!まさに完璧超人とは貴女のことね!!」
その後も永琳を褒め称え続ける輝夜。その間、永琳は常に微笑み続けていた。
「―――と言う訳で、永琳はいつまでも若々しくて羨ましいってことなのよ」
「そうですか?」
「そうよ!たとえ年が―――「姫様!!」―――どっ、どうかしたのかしら?」
「私はまだあなたにお使えしたいと思っております」
「そっ、そうなの?」
「はい。だから姫様?」
――――私の手でその役目を終わらせないで下さいますか?
高速で首をコクコクと頷かせる輝夜に「では」と告げ、永琳は里へ向かった。
「久しぶりに一人になったわね」
一人では広すぎる廊下を歩きながら輝夜はそんなことを思っていた。今日に限って兎たちも見当たらない。
「まぁ大方どっかで昼寝でもしているんでしょ、あの二人もいないみたいだし」
そう結論付け、じゃあ自分もシエスタでも洒落込むかなと考え始めた輝夜であるが。
――――――!!!
不意に、山に芝刈りに行った彼女の声が聞こえてきた。
「・・・こっちの方が面白そうね」
そして輝夜は踵を返し、声の元へと向かうのであった。
「もーっ!あの子ったらどこに行ったのよ!?」
先ほどからずっと屋敷内を探しているイナバ。しかし標的は霞のように姿を晦まし、おかげでこの広い屋敷内を探し回る羽目になっているのであった。
「返しなさいよ!!あれが無いと私が師匠に怒られちゃうじゃない!!」
何かしら物を盗られてしまったようだ。とはいえこのような光景は、ここでは日常茶飯事である。悪戯好きの兎にちょっかいを出されたイナバが腹を立て彼女を追いかける。まぁこのままいつも通り行けばいずれイナバが諦めるか、それより先に永琳に見つかってお仕置きをされることになるのだが。
―――――ギシッ
「っ!!そこね!!」
背後から聞こえた音に瞬時に反応するイナバ。急に飛び掛られた人影は一瞬ひるむが、諦めたのか力を抜いた。
「もう逃げられないわよ!」
「残念だけど・・・私は違うわよ?」
タックル気味に突っ込んだイナバには対象の顔は見えていない。しかし彼女は相手があの悪戯兎であると確信していた。
「だまされないわよ!今はほかの兎たちはお昼寝してるし、師匠だって里に行ってるはずだわ?」
「この屋敷にはもう一人いたはずだけど?」
「姫様がわざわざこんなとこまで来るわけないでしょ?この前だって『出前を玄関に取りに行くのが面倒くさい』っていって部屋まで持ってこさせたくらいなんだから」
「・・・私がここにいるのがそんなに珍しい?」
「だから騙されないって・・・へ?わたし?」
ここまで来てやっとイナバは顔を上げた。どうか自分の考えは当たっていませんようにと願いながら。
――――まぁ、その願いは虚しくも届かなかったわけだが。
「ひっひひひひひひひひひひひ」
「あら?そんなに面白い?」
「姫様!?」
「ご機嫌いかがかしら?確かあなたは山に芝刈りに行ったと聞いていたのだけれど?」
「へっ?あっ、いや。私は師匠に言われて筍を取りに行っていたんですが。それよりも姫様はなぜここに?」
「あら?私が屋敷内を歩いているのがそんなに珍しいかしら?」
「えっ?いや・・・別にそんなことは・・・」
輝夜のわざとらし過ぎる笑顔を前に、言いよどんでしまうイナバ。どこかから悪戯兎の笑い声が聞こえた気がする。
「いいのよ?素直に言っても?」
笑顔のままこう促してきた輝夜。大抵こう言われた時は、思っていることを素直に口に出すとろくなことにならない。しかし慌てていた為か天然か、彼女は素直に口に出してしまった。
「いや~姫様が自分から出かけるのって夜中だけじゃないですか?後はずっと部屋に引き篭もっていたり縁側で寝ていたり。師匠も言ってまいしたよ?「あのぐーたらな所さえ治してくださったらねぇ・・・」って」
「へぇ~」
「そもそも姫様は師匠以外と接点を持たな過ぎるんですよ。私のことだっていつまでも“イナバ”じゃないですか?」
「・・・」
「だいだいですね―――ひゃっ!?」
段々と調子に乗り始めた彼女を止めたのは、己が耳を掴んできた2本の腕であった。
「えっ?あの、姫様?」
不安げに輝夜の顔を見つめ、そして気づいた。
――――あぁ、自分はまたやってしまったのだな、と。
「あのね?イナバ?」
「はいっ!!」
出される言葉に即座に反応する。それで少しでも、己が受けるであろう被害が少なくならないかと考えながら。
「私ね、素直な子って好きなの。だから貴女の事は好きよ?」
「ありがとうございますっ!!」
“好き”だと言われた筈なのに、彼女の心は歓喜よりも恐怖に埋め尽くされていた。
「だからそんな素直なあなたにはご褒美をあげるわ」
「え?いや、大丈夫ですから!ですから耳を引っ張らないでください!!」
そのままズルズルと引きずられていく。
「大丈夫よ。すぐに終わるから」
「いやっあのっ、私師匠から今日は筍ご飯にするから筍を取ってくるように言われていまして!」
「大丈夫よ。すぐに終わるから」
「そんな機械的な表情で言わないで下さい!!ちょっ!あっ!?いやーーーーーーーーー!!!」
そのまま二人は屋敷の奥へと消えて行った。
夜――――夕餉も終わり、屋敷の殆どが眠りに付く時間。
「こんなところにいたんですか?」
縁側で座っていた輝夜の背後から、聞き覚えのある従者の声が聞こえた。
「んー・・・月をちょっとね・・・」
そう告げる輝夜の目には、光放つ満月が映っていた。
「どうかしましたか?」
いつもより感傷的な彼女の姿に、優しく問いかける永琳。
「いや・・・ね。あの時こっちに残らずに月に帰っていたら一体どうなったのかなって」
「姫様・・・」
「後悔なんて全然してないのよ?こっちはなかなか楽しいところだし」
「―――楽しいですか?」
「そうね。永琳もいるし、あの子達も・・・まぁ見ていて退屈しないしね」
「そうですか。でしたらそろそろ名前を覚えて挙げたらよろしいのでは?」
「失礼ね!!呼ぶのが面倒なだけでちゃんと覚えているわよ!!」
「なるほど。では私の弟子の名前も覚えているわけですね?」
「当たり前じゃない―――」
それは――――と続けようとした輝夜であったが。
――――うそ・・・
いくら考えても彼女の名前が出てこなかった。忘れたのではない。まるで始めからそこになかったかのように、頭の中からすっぽりと抜け落ちているかのように。
彼女の名前だけではなく、他の兎たちの名前も出てこない。思い出そうと深く思案しても、そこにあるのは完全な無だけである。
「――――様?」
思いつく名前といえば永琳と、今までずっと殺しあって来た藤原の“童子”の名前だけ・・・
そして彼女は記憶を辿り、ついにはあの夜にまで遡って行った―――
―――月の使者を殺し、ここに残ることを決めたあの夜まで――――
「姫様!!」
輝夜を思考の淵から現実へと戻したのは、永琳の声であった。
「あぁ・・・ごめんなさい。どうやらド忘れしちゃったみたい」
「―――まったく。更年期障害にはまだ早いですよ?」
「そりゃあなたに比べれば誰だって早いわよ」
「・・・姫様?」
「そっ、それじゃ永琳お休みなさい!」
そのまま逃げるように自室に戻る輝夜。後ろで永琳が何か言ってきているが、無視と決め込んでいるようだ。
床の中でまどろみながら、輝夜は明日やるべきことを決めていた。
――――明日、あの子に名前を聞こう
頭の中に無いなら入れればいい。いまさら名前を聞かれた彼女がどんな反応を見せるのか、楽しみでもある。
「明日一日くらいは名前で呼んであげてもいいかもね」
そう呟きながら彼女は微笑んだ。
「今日はなんか疲れたけど・・・こんな日も悪くないわね」
――――明日の楽しみも増えたしね
目をつぶり、意識を飛ばす前に彼女は毎日願っていることを今日も願う
――――いつまでも、ここでこうして暮らせますように・・・・
白い部屋に風が通る。開け放した窓からは乾いた風が入り込んで来た。
「・・・あなたを此方に連れ戻してから、もう何年・・・何百年も経ってしまいました」
彼女の言葉に合わせるようにして風が止まった。
「あのとき「残りたい」と言ったあなたを無理やり船に乗せたときから。あなたの時は止まってしまった」
その表情は懺悔するかのようで。
「まるで“魂”だけをあの場に置いてきたように。あなたが目覚めることは無かった」
その拳から流れるものが、白い部屋に赤い点を落とした。
「起きることもできない。かといって死ぬことも出来ずただ眠り続ける貴女は・・・」
廊下の奥から小走りで近づいてくる足音が聞こえる。
「どんな夢を見ているのでしょうか――――?」
「師匠!急いでください!急患ですよ!!」
ノックの音とともに、焦った少女の声が聞こえる。きっと慌てているであろう彼女の顔を想像した彼女は苦笑すると。
「先に行っていなさい!応急処置のやり方は教えたでしょう?―――レイセン!」
「はい!!」
レイセンと呼ばれた彼女は、そのまま来た道を小走りで戻って行った。
「さて―――と」
そのまま永琳は先ほど汚した床を拭くと、先ほどまで空けていた窓を閉めようと手をかけた。
そのとき―――
「あぁ――――」
永琳は目の前にある光景を彼女に伝える。
「今日も地球が青いですよ――――――姫様」
―――――寝ている少女が少し微笑んだような気がした。
天井も壁もベッドもカーテンも―――
真っ白な部屋だった―――
一人の少女が夢を見ている。
真っ白な部屋でただ一人、静かに眠っている。
扉が開き、一人の女性が部屋に入ってきた。
ベッドで眠る少女の横に座り、やさしく話かける。
「お加減はいかがですか?」
少女は答えず、ただ夢を見続けていた。
そんな少女の姿を女性は愛しむような瞳で見つめ、窓へと向かった。
窓をを開け放つ。
白い部屋の中に風が吹いた―――
「えーりーん」
夏の昼下がり、迷いの竹林の奥深くにひっそりと建つ日本家屋。
永遠亭と呼ばれるその屋敷の中で、一人の少女がその従者を探していた。
「何ですか姫様?そんな退屈で退屈でたまらないといった顔をされて」
名を呼んでから数秒も経たないうちに銀髪の従者が姿を現す。暇で暇でしょうがないといった表情を見せる己が主人に対して、彼女は思ったことをそのまま口にした。
「わかってるなら話が早いわ、つまり暇なのよ。気づいたら貴女の弟子のイナバも悪戯兎もいないじゃない?」
「弟子は山へ芝刈りに。もう一匹は川に洗濯へ行きました」
「そう・・・悪戯兎は皮を剥れなければいいけど」
「とにかく、私もこれから里に出かける用事があります。お暇でしたら藤原の娘の所にでも行ったらよろしいのでは?」
「嫌よ!ただでさえ暑いのに!わざわざあんな暑苦しい奴の所に行くなんて」
心底嫌そうにはき捨てる輝夜。その様子を見ながら厭らしく口を吊り上げる永琳。
「そうですか?私はてっきりここ三回ほど負け続きだった姫様が怖気づいてしまったのかと。最近なかなか外にお出かけになりませんでしたし。」
「――――――っ!」
「まぁ暑いからってのはわかるんですがね・・・だからといって服をはだけるのはやめていただけますか?威厳がありませんし、そもそもはしたないですよ?」
「もーうるさいわね!!年を取ると口うるさくなるってのは本当みたいね」
刹那―――周囲の空気が凍りついた。
「あれっ!?寒い!!寒いわ!!ねぇえーりん?なんだか急に寒く・・・永琳?」
冷気の出所を探れば、その発端は間違いなく目の前の彼女であった。そして輝夜は理解した、今感じているものは冷気などではなく背筋を走る冷たすぎるほどの恐怖だと。
「・・・姫様?」
「なっ、何かしら?」
「私はそんなに年をとっているように見えますか?」
輝夜は己の失言を後悔した。そして瞬時にこの危機を乗り越える術を模索する。
「そっ、そんなことないわよ?永琳ってばいつまでも綺麗なままだし、スタイルだってずっと変わらないわ。それになんといっても何年経っても衰えないその頭脳!まさに完璧超人とは貴女のことね!!」
その後も永琳を褒め称え続ける輝夜。その間、永琳は常に微笑み続けていた。
「―――と言う訳で、永琳はいつまでも若々しくて羨ましいってことなのよ」
「そうですか?」
「そうよ!たとえ年が―――「姫様!!」―――どっ、どうかしたのかしら?」
「私はまだあなたにお使えしたいと思っております」
「そっ、そうなの?」
「はい。だから姫様?」
――――私の手でその役目を終わらせないで下さいますか?
高速で首をコクコクと頷かせる輝夜に「では」と告げ、永琳は里へ向かった。
「久しぶりに一人になったわね」
一人では広すぎる廊下を歩きながら輝夜はそんなことを思っていた。今日に限って兎たちも見当たらない。
「まぁ大方どっかで昼寝でもしているんでしょ、あの二人もいないみたいだし」
そう結論付け、じゃあ自分もシエスタでも洒落込むかなと考え始めた輝夜であるが。
――――――!!!
不意に、山に芝刈りに行った彼女の声が聞こえてきた。
「・・・こっちの方が面白そうね」
そして輝夜は踵を返し、声の元へと向かうのであった。
「もーっ!あの子ったらどこに行ったのよ!?」
先ほどからずっと屋敷内を探しているイナバ。しかし標的は霞のように姿を晦まし、おかげでこの広い屋敷内を探し回る羽目になっているのであった。
「返しなさいよ!!あれが無いと私が師匠に怒られちゃうじゃない!!」
何かしら物を盗られてしまったようだ。とはいえこのような光景は、ここでは日常茶飯事である。悪戯好きの兎にちょっかいを出されたイナバが腹を立て彼女を追いかける。まぁこのままいつも通り行けばいずれイナバが諦めるか、それより先に永琳に見つかってお仕置きをされることになるのだが。
―――――ギシッ
「っ!!そこね!!」
背後から聞こえた音に瞬時に反応するイナバ。急に飛び掛られた人影は一瞬ひるむが、諦めたのか力を抜いた。
「もう逃げられないわよ!」
「残念だけど・・・私は違うわよ?」
タックル気味に突っ込んだイナバには対象の顔は見えていない。しかし彼女は相手があの悪戯兎であると確信していた。
「だまされないわよ!今はほかの兎たちはお昼寝してるし、師匠だって里に行ってるはずだわ?」
「この屋敷にはもう一人いたはずだけど?」
「姫様がわざわざこんなとこまで来るわけないでしょ?この前だって『出前を玄関に取りに行くのが面倒くさい』っていって部屋まで持ってこさせたくらいなんだから」
「・・・私がここにいるのがそんなに珍しい?」
「だから騙されないって・・・へ?わたし?」
ここまで来てやっとイナバは顔を上げた。どうか自分の考えは当たっていませんようにと願いながら。
――――まぁ、その願いは虚しくも届かなかったわけだが。
「ひっひひひひひひひひひひひ」
「あら?そんなに面白い?」
「姫様!?」
「ご機嫌いかがかしら?確かあなたは山に芝刈りに行ったと聞いていたのだけれど?」
「へっ?あっ、いや。私は師匠に言われて筍を取りに行っていたんですが。それよりも姫様はなぜここに?」
「あら?私が屋敷内を歩いているのがそんなに珍しいかしら?」
「えっ?いや・・・別にそんなことは・・・」
輝夜のわざとらし過ぎる笑顔を前に、言いよどんでしまうイナバ。どこかから悪戯兎の笑い声が聞こえた気がする。
「いいのよ?素直に言っても?」
笑顔のままこう促してきた輝夜。大抵こう言われた時は、思っていることを素直に口に出すとろくなことにならない。しかし慌てていた為か天然か、彼女は素直に口に出してしまった。
「いや~姫様が自分から出かけるのって夜中だけじゃないですか?後はずっと部屋に引き篭もっていたり縁側で寝ていたり。師匠も言ってまいしたよ?「あのぐーたらな所さえ治してくださったらねぇ・・・」って」
「へぇ~」
「そもそも姫様は師匠以外と接点を持たな過ぎるんですよ。私のことだっていつまでも“イナバ”じゃないですか?」
「・・・」
「だいだいですね―――ひゃっ!?」
段々と調子に乗り始めた彼女を止めたのは、己が耳を掴んできた2本の腕であった。
「えっ?あの、姫様?」
不安げに輝夜の顔を見つめ、そして気づいた。
――――あぁ、自分はまたやってしまったのだな、と。
「あのね?イナバ?」
「はいっ!!」
出される言葉に即座に反応する。それで少しでも、己が受けるであろう被害が少なくならないかと考えながら。
「私ね、素直な子って好きなの。だから貴女の事は好きよ?」
「ありがとうございますっ!!」
“好き”だと言われた筈なのに、彼女の心は歓喜よりも恐怖に埋め尽くされていた。
「だからそんな素直なあなたにはご褒美をあげるわ」
「え?いや、大丈夫ですから!ですから耳を引っ張らないでください!!」
そのままズルズルと引きずられていく。
「大丈夫よ。すぐに終わるから」
「いやっあのっ、私師匠から今日は筍ご飯にするから筍を取ってくるように言われていまして!」
「大丈夫よ。すぐに終わるから」
「そんな機械的な表情で言わないで下さい!!ちょっ!あっ!?いやーーーーーーーーー!!!」
そのまま二人は屋敷の奥へと消えて行った。
夜――――夕餉も終わり、屋敷の殆どが眠りに付く時間。
「こんなところにいたんですか?」
縁側で座っていた輝夜の背後から、聞き覚えのある従者の声が聞こえた。
「んー・・・月をちょっとね・・・」
そう告げる輝夜の目には、光放つ満月が映っていた。
「どうかしましたか?」
いつもより感傷的な彼女の姿に、優しく問いかける永琳。
「いや・・・ね。あの時こっちに残らずに月に帰っていたら一体どうなったのかなって」
「姫様・・・」
「後悔なんて全然してないのよ?こっちはなかなか楽しいところだし」
「―――楽しいですか?」
「そうね。永琳もいるし、あの子達も・・・まぁ見ていて退屈しないしね」
「そうですか。でしたらそろそろ名前を覚えて挙げたらよろしいのでは?」
「失礼ね!!呼ぶのが面倒なだけでちゃんと覚えているわよ!!」
「なるほど。では私の弟子の名前も覚えているわけですね?」
「当たり前じゃない―――」
それは――――と続けようとした輝夜であったが。
――――うそ・・・
いくら考えても彼女の名前が出てこなかった。忘れたのではない。まるで始めからそこになかったかのように、頭の中からすっぽりと抜け落ちているかのように。
彼女の名前だけではなく、他の兎たちの名前も出てこない。思い出そうと深く思案しても、そこにあるのは完全な無だけである。
「――――様?」
思いつく名前といえば永琳と、今までずっと殺しあって来た藤原の“童子”の名前だけ・・・
そして彼女は記憶を辿り、ついにはあの夜にまで遡って行った―――
―――月の使者を殺し、ここに残ることを決めたあの夜まで――――
「姫様!!」
輝夜を思考の淵から現実へと戻したのは、永琳の声であった。
「あぁ・・・ごめんなさい。どうやらド忘れしちゃったみたい」
「―――まったく。更年期障害にはまだ早いですよ?」
「そりゃあなたに比べれば誰だって早いわよ」
「・・・姫様?」
「そっ、それじゃ永琳お休みなさい!」
そのまま逃げるように自室に戻る輝夜。後ろで永琳が何か言ってきているが、無視と決め込んでいるようだ。
床の中でまどろみながら、輝夜は明日やるべきことを決めていた。
――――明日、あの子に名前を聞こう
頭の中に無いなら入れればいい。いまさら名前を聞かれた彼女がどんな反応を見せるのか、楽しみでもある。
「明日一日くらいは名前で呼んであげてもいいかもね」
そう呟きながら彼女は微笑んだ。
「今日はなんか疲れたけど・・・こんな日も悪くないわね」
――――明日の楽しみも増えたしね
目をつぶり、意識を飛ばす前に彼女は毎日願っていることを今日も願う
――――いつまでも、ここでこうして暮らせますように・・・・
白い部屋に風が通る。開け放した窓からは乾いた風が入り込んで来た。
「・・・あなたを此方に連れ戻してから、もう何年・・・何百年も経ってしまいました」
彼女の言葉に合わせるようにして風が止まった。
「あのとき「残りたい」と言ったあなたを無理やり船に乗せたときから。あなたの時は止まってしまった」
その表情は懺悔するかのようで。
「まるで“魂”だけをあの場に置いてきたように。あなたが目覚めることは無かった」
その拳から流れるものが、白い部屋に赤い点を落とした。
「起きることもできない。かといって死ぬことも出来ずただ眠り続ける貴女は・・・」
廊下の奥から小走りで近づいてくる足音が聞こえる。
「どんな夢を見ているのでしょうか――――?」
「師匠!急いでください!急患ですよ!!」
ノックの音とともに、焦った少女の声が聞こえる。きっと慌てているであろう彼女の顔を想像した彼女は苦笑すると。
「先に行っていなさい!応急処置のやり方は教えたでしょう?―――レイセン!」
「はい!!」
レイセンと呼ばれた彼女は、そのまま来た道を小走りで戻って行った。
「さて―――と」
そのまま永琳は先ほど汚した床を拭くと、先ほどまで空けていた窓を閉めようと手をかけた。
そのとき―――
「あぁ――――」
永琳は目の前にある光景を彼女に伝える。
「今日も地球が青いですよ――――――姫様」
―――――寝ている少女が少し微笑んだような気がした。
思わぬ意表を突かれました
最後の一言で良い意味で鳥肌が立った