万物なんであれ熱すれば動となり、冷やせば静となる。当たり前のことだ。そう、当たり前。当たり前、なんだけど。
「だからって夏に動きたいわけじゃ、ないのよね」
万物熱すれば動となるはずなのに、どんだけ熱しられようと生物と言うのは逆に動きたくなくなるのは何故なのだろう?何故も何も答えは分かっている。何事も程々が肝心と言うことだ。
魔法の森の夏は暑い。気温以上に湿気が多いせいで余計に暑さを感じさせてくれる。じっとりと空気が体に纏わり付き汗が浮き出てくるのがはっきりと感じらた。
人形に命じて扇子で扇がせてはいるが焼け石に水も良い所だろう。机に突っ伏した瞬間だけ頬に感じた涼しさも束の間の夢でしかなかったし。
ん?
弛緩させていた体に緊張が走る。ノック音?聞き間違いかもしれないが。
――――コンコン。
いや、聞き間違いじゃない。確かに聞こえる。
「すいませーん、人形遣いさーん。いらっしゃいませんかー?」
体の緊張を解く。少なくとも敵、ということはないだろう。敵ではないなら味方かと言われれば味方とは一体誰だろうかと小一時間程考えなくてはいけないが。
起こしていた体をまた机に預け、棚にある人形の中から一体を選び、出迎えをさせるとしよう。
「どうぞ。……………というか、誰?」
ドアが開きその人物が見える。人間の子ども程の体躯に頭から生える触角がその人影が人間とは違うものだということを私に教えている。
私も人間ではないのでそれに関して言えることは何もないのだけれど。私、アリス・マーガトロイドは人間ではない。見た目は人間と差はないように見えるかもしれないが魔法使いであり、人間とは別の存在である。
この際私のことはどうでも良いだろう。大切なのはドアを開けた人物だ。
「……………誰?」
正直なところあの白黒魔法使いが声でも変えて遊んでいると思っていたので玄関に立つその人影の存在は意外だった。
「あの、その、アリスさん、ですよね?ちょうど一年前に路傍の石のように蹴散らされたことがあるんですけど」
一年前…………………………?
一年前といえば、何だったかな?
目の前の妖怪と会ったことがある?
思い出せないというのも癪だったので必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
すると、数秒して思い当たった。
「あぁ、宇宙人の異変のときにいた……………かな」
「いましたよ!」
その少女のような妖怪は地団駄を踏んで私に抗議してくるが覚えていないものはしょうがないだろう。
「あっそう。それで?蹴散らされた妖怪が何の用?リベンジってんなら受けるけど、魔法使いの工房で戦おうなんて正気の沙汰じゃないわよ?」
異変解決の時の様に持っていける人形に制限はない。
ここでならあのスキマにだって遅れをとらないと自負している。
私が魔法の糸を家中の人形に伸ばしているのを感じたのか雰囲気だけを察したのか分からないがその妖怪は首を大きく横に振る。
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえ!!戦おうなんて毛ほども思ってないです!」
「じゃあほんとに何しに来たのよ、ていうか、誰?って質問に答えてないわね。名前は?」
糸を回収しながら問いかける。
「あ、私リグル・ナイトバグです!!」
「蠢く、夜の虫?」
「……………リグル・ナイトバグです」
気にしたらいけないんだろう。リグルの名前がなんであろうと困りはしないから良いのだが。
「とりあえず、玄関にいないで上がりなさい」
来客があったというのに主が机に突っ伏していてはいけないだろう。しょうがない。アイスティーの準備をしよう。氷が沢山入ってキンキンに冷えたやつ。
水滴が結露したグラスを二つ挟んでリグルと向かい合う。
「それで?結局何の用?覚えてないから断言はできないけど用も無く遊びにくるような仲ではなかったと思うけど?」
「えっとですね。今日は、その。お話がありまして、アリスさんは蛍の沢ってご存知ですか?いえ、私たちの仲間内だけでそう呼んでるんですけどね、えーと、つまり、人里に近い場所に綺麗な沢があるんですよ」
リグルがストローでアイスティーを飲む図は蝶が花の蜜を吸う光景を想像させる。それにヒョコヒョコと動く触角の動きを見ていたせいで肝心の話はほとんど聞いてはいなかった。
虫の妖怪、いや、蛍だろうか、蛍の沢とか言ってるし。
「へぇ?」
「でですね。今度人間共がそこを破壊しようとしているんです!!」
「へぇ?」
「私もそこで生まれましたし今もまだ沢の中で変態の時を待っている仲間が沢山います。こんな暴挙許せません!!」
「へぇ?」
「…………………………あの。聞いてます?」
「途中からはちゃんと聞いてたわよ」
空になったグラスにおかわりを注ぎながら答える。
「で?それが私とどう繋がるの?」
「その、仲間達と話しまして、私たちの力だけでは人間に太刀打ち出来ないという結論にいきつきまして、魔法の森に住み、妖怪でありながら人間の里とも交流があるという人形遣いの所に助力を頼んだらどうだろうとなったんです。そして一度会ったことがある私がその役になったわけです」
妖怪としては随分情けない話だとは思わないのだろうか。妖怪に太刀打ちできる人間なんて少数だろうに。
「それで?人間と戦争でもやろうって?」
戦争なんて言っても人間側に霊夢がいて霊夢を殺すことが出来ない以上、勝利条件が存在しないゲームになるわけだが。
戦争という言葉にリグルが唾を飲む音が聞こえる。
「…………………………私の仲間の中ではそういう意見もちらほら出てます。でも、私はそれだけは止めたいんです。でも、沢は守りたい」
「我侭なのね」
「人の里を壊滅させたって良いことなんて、ないです…………………………蛍ですから。見られることも私たちの存在理由の一つなんですよ」
「言いたいことは分かったわ」
「じゃあ!」
「なんで私がそれを手伝うの?私としてはその蛍の沢が開発されようが、人間の里が壊滅しようが困りはしないわ。なのにいきなり来て力を貸せ?随分、虫が良い話よね?」
この暑いのに更に暑くなりそうなことをしたいと思うほど私は博愛主義者じゃない。研究対象にもなりそうにもないしね。
「人間のことなら神社の巫女にでも相談しなさい、もしくは白黒魔法使い」
「神社の巫女ってあの紅白の人ですよね…………………………こんなこと相談しに行ったら問答無用で嬉々として退治されてしまいそうなんですけど」
何か嫌な思い出でもあるのか体を振るわせている。
「否定出来る材料はどこにもないけど……………白黒の方は?」
「仲間たちの噂というか、虫の報せから想像すると私の理想とは真逆な解決をしてくれそうで怖いです」
うーん。確かにあいつなら「最初からそんな沢が無ければ良いんだぜ」とでも言って破壊的な魔法を放ちそうな気もする。
困った。他にこういう厄介ごとを押し付けられるような人材はいないだろうか。吸血鬼?論外。幽霊?更に論外だ。宇宙人…………………………人里との交流も無いことはないと聞くが。だからと言って虫の環境を守るために動くわけもないだろう。兎の生活の場が脅かされれば別なんでしょうけど。
って何で私がこんなことに対して悩まなければいけないんだ。
「自分たちのことは自分たちでどうにかしなさい。自分たちの場所が守れなければ、奪われるだけよ」
冷たく言い放つ。ここでこれ以上問答したって私の意見が変わるわけも無い、ならばこの時間は無駄だ。早めに諦めさせたほうがリグルのためでもあるだろう。
…………………………?
リグルが……………笑った?
視線をこちらとはずらしてリグルがまるで独り言のように話し始めた。
「………………………………………朝、目が覚めたら百足が顔に百匹乗ってたら怖いですよね」
「……………?」
「…………………………私、虫を操ることが出来るんですよ。アリスさん、食事もするようですし、生ゴミなんかも出るんじゃないですか?そのゴミに群がる虫。私は平気ですけど、人や、人に近い人って虫が沢山いたら嫌なんじゃないかなぁって思うんですよ」
脅迫!?
「へぇぇえええ。そういうこと言ってくるのか、最近の虫は」
顔面が引きつりながらも冷静に、冷静そうに声を出す。
「いえいえいえ、餓鬼の使いならぬ虫の使いですから。嫌です、でハイそうですか。とは行かないんですよ」
ギリギリと睨み付けるもののリグルはどこ吹く風で顔を逸らしている。それが涙ぐましい虚勢であることは震えている足を見れば分かるのだけど。
………………………………………ハァ。
「…………………………それで?それを手伝うと私に何か良いことがあるの?と言っても戦争はお断りだけどね」
浮かせかけていた腰を落ち着ける。見ると手にしたグラスにヒビが入っており、随分強く握り締めてしまっていたらしい。
「手伝ってくれるんですか!?」
白々しいというか何と言うか。なんにせよ、先も言ったとおり。
虫が良い話だ。
人の里に向けて歩いているとそれまで黙っていたリグルが思いついたように口を開く。
「そういえば、前に蟲の知らせサービスというのをやったことがあったんですけど」
「…………………………?」
急になんだろう?
「日時をお知らせしてもらえれば時間違わず虫たちがその時間をお知らせに行くというサービスで、もしよければアリスさんに無料で提供しても!!」
「それが『私に何か良いことでもあるの?』の答えだとしたらここで回れ右して帰るわよ」
「うぅ。そう、ですよね」
家の中より風が吹く分だけ森の方が涼しいと言えば涼しいのだが。
「何でこの暑い中そんなに元気なの?」
問うとリグルはキョトンとしてしまい、私は何か変な質問をしてしまったのかと焦ったのだがその焦りはすぐに解消された。
「暑いですか?私達は夏の虫ですからね。こんなの暑くもなんともありませんよ」
そういえば蛍だっけか。蛍自体そう何度も何度も見たことがある虫でもないので微妙に印象が薄くなってしまう。
「仲間も皆大抵は夏のほうが元気ですよ、逆に冬なんかは凄い苦手なんですけど。にしても、今から人の里に行ってどうするつもりですか?」
「別に。少なくとも戦争する気がない以上交渉するしかないじゃない。私としてもアンタが言ってる人間たちの計画事態本当かどうか確かめないと動きようがないし、なにより私の家にいたって事態は改善しないわ」
家中虫まみれになるのだけは避けたい。それは言わずに心に留めておくとしても。当事者でもない私に出来ることなんてあるのだろうか?
まずは、町長の所だろう。気が進まないのは山々なのだが、仕方が無いか。
リグルはというと里の直前で待たせてある。計画の推進者と会わせてリグルが冷静でいられる保障もない以上仕方のない措置だろう。
しかし、今までこんなことは無かった。人間は人間が住む領域で、妖怪は妖怪の住む領域で。互いに少しずつ癒着した共存関係にあったはずなのに。
常より少し騒々しい里を思案しながら歩く。住人達が浮き足立っていると言うか、少し楽しそうな雰囲気がただ歩いているだけでも伝わってきそうだ。
そういえば人形制作に使う糸や布の予備は大丈夫だろうか?うちの蚕は夏はなんだか元気が無いので手製以外でも購入していかなければいけないかもしれない。
おぉ、閃いた。リグルが虫を操れると言うのならうちの蚕を夏場も元気に繭を作らせることが出来るのではないか?それは私としてはとても有難いのだけど。
一つ疑問なのだが……………蚕は虫なのだろうか?
「よう来なすったなアリスさん。こっちは夏祭りの準備でてんてこ舞いじゃよ」
目の前の赤ら顔の爺さんが町長。人間なら死んでいてもいい歳だというのに昼間っから飲んだくれているとは、数年のうちには死にそうに無いわね。
「忙しいところ時間を取らせてしまって申し訳ないわね」
「ガハハハハ。気にしなさんな。祭りの時には世話になっとるしな、また、人形芸やってくれるんじゃろ?孫が大のお気に入りでな、今年もよろしく頼むわ」
そういえばそういう用事で訪れたこともあったっけ。
というか、そんなことでもしてないといきなり町の権力者になんて会えないわね。
「それは、考えとくわ。でも、今日は違う用事で来たんですよ」
「ほほう。人形芸でなければなんじゃろな」
「森を、開発すると聞きました」
――――――――――――!!!
言うと同時に町長のにやけていた面が権力者のそれに変わる。だてや酔狂で町長をやっているわけではないということか。
「どこで、それを?」
「どこだって良いでしょう?はいか、いいえ。それだけで済む質問よ、特にそれをどうこう言いに来たわけじゃないし。その反応を見るに計画は存在するようだけど。何故?今まで互いに互いの領域には足を踏み入れてはこなかったはずでしょう?」
私や他の妖怪が里に来たり、宇宙人がなにやら催し物を開いたりと交流はあったが相手の土地を奪うようなことはなかったはずだ。
「…………………………人が、増えすぎたんじゃ」
町長が言うにはつまるところこういうことだ。元々人間は妖怪に食われる存在であった。少数の妖怪退治屋達が妖怪を倒すことは稀にあっても大半の人間にとって妖怪とは圧倒的捕食者であったのだ。その形で維持されてきたピラミッドが崩れた。
博麗大結界の成立、スペルカードルールの導入、妖怪と人間の個人的な交流。全ての要素がピラミッドの頂点を抜き去ってしまった。
結果、食われなくなった人間は増えた。
増えたがゆえに足りないモノが出てきた。
土地、そして水場。
「この町の広さでは今すぐとは言いませんが遠くない未来に人が溢れることになるんじゃよ。ワシはこの里を守る長として決断をするしかなかったのですよ」
苦々しく言う彼に向けてとても水場の妖怪が困るとは言えなかった。
どうしたものか。
町長に別れを告げリグルの所へと戻ってきた。未だにこの問題に対する自分の立ち位置は分からないままだ。町長に話を聞いて私が許せる範囲を超えた身勝手な理由で開発するというなら私もリグルに協力出来たかもしれないが。
人間たちの計画を推進する理由は無い。同時に妨害する理由も無い。無くなってしまった。正直なところ私の知らない所で勝手にやってほしいくらいだ。
森に住んでいて里と多少の交流があるというだけでこんなことに巻き込まれていたら体がというよりは精神がもたない。
「―――――というわけよ。人間側にも人間達なりの理由があるってことね」
町長との会話の一部始終を伝え最後にそう締めくくる。リグルは黙って聞いていた。そして、聞き終えると顔を俯けたまま言葉を紡いだ。
「結局人間たちの理屈じゃないですか。増えすぎたから?私達はどんどん減っていってます」
「そうかもしれないわね」
「最近では殺虫剤なんてものまで登場してきて、妖怪になれた仲間はともかく、普通の仲間では全く太刀打ち出来ません。弱いんですよ、私達は。昔のような毒もなければ数も減ってしまった。恐らく戦争を始めたところで巫女が出てくる前に殲滅されてしまいます」
「そうかもね」
「そうかもねって。何でそんな平静でいられるんですか!?」
涙を浮かべた目で必死にこちらを睨み付けるリグルに対して私はどこまでも無慈悲だった。
「私には関係ないからよ」
「………………………………………そんな。アリスさんは私たちに滅べって言うんですか?」
「そんなことは言ってないわ」
その言葉が何かの引き金になったのかリグルは私に掴みかかってくる。体格が違うので倒されるようなことは無いが。
「言ってるようなものですよ!!!」
激昂するリグルの言葉を今まで冷静に聞いてきたが限界だった。そう、こういうのを何と言うのだろう。堪忍袋の緒が切れる?
「考えろって言ってるのよ!!」
こちらの服を掴んでいるリグルの襟を掴み力の限り持ち上げる。まるで人の子どもの喧嘩だ。魔法使いだと言うのに何をやっているのやら。
「考えもせず!!助力を頼み!!それが駄目なら逆切れ!?ふざけるんじゃないわよ!!あなたも名前のある妖怪でしょう。自分たちのことは自分たちでやる。当然のことよ。人間側の理屈?人間が他に誰の理屈で考えるって言うの?それに人間たちだって喜び勇んで開発するわけじゃない!何も出来ないなら諦めなさい。諦めるのが嫌なら考えなさい」
言い終わると同時に体の力が抜けて持ち上げられていたリグルは地面へと落ちる。
「っ痛!………………………………………分かってますよ。分かっているんです。でも、私たちの思考能力は低いです。元々虫ですからね。多分何年たったって人間の大人には勝てないくらいでしょう。そんな私たちでも何か出来るんですか?ここで妙手が浮かぶんですか?」
さっき怒鳴り散らしたせいでもう怒る気力も無い。それに、自分達の居場所を守りたいという彼等の主張自体はなんらおかしい所はない。それでも私はこう言うしかない。
「それをまず考えなさいよ」
「そう、ですね。すいません。変なことを頼んでしまって」
「仲間と相談することね。数こそがあなた達の強みでしょう?」
「分かりました!それじゃあ、私は帰ります。最後に何かヒントを下さい」
何も分かってない!!!
…………………………はぁ。溜息しか出やしない。でも、ま。自分達の欠点を分かった上で補おうとしているのだ。それは決して悪くない。
「……………町長の反応を見るに里の人全員が知ってる計画ってわけでもなさそうだし。もし里の内側から反対の声が上がったら無くなるかもね」
「そのためには?」
「…………………………そろそろ本気で怒るわよ?」
本気で怒る前に本気で威圧したらすぐさま飛んで逃げてしまった。
全く。結局なんだったのかしらね?
それから数日。
リグルとのことがまだ頭を渦巻いている時に私は再び里に下りてきていた。
常なら陽が落ちれば夜の闇に全てを呑まれる里も今日ばかりは必死の抵抗をしている。
夏祭り。
秋に向けての実りの祈りでもあり、梅雨の時期の雨を竜神に感謝をする祭りでもある。その祈りを捧げるべき神が実際に存在してしまったあげく一緒に呑んだくれたりするのだから意味があるのやら無いのやら。
少なくとも夏の暑さを良い方に考えるのにはプラスに作用しているだろう。
赤々と灯る提灯や出店、屋台。跳ね回る子どもや、寄り添う恋人たち。常ならぬ祭りの雰囲気は嫌いではない。その中に混じれと言われたら躊躇はするだろうが。
さて、まぁ、私は別に出店や屋台に興味があって祭りに来たわけではない。毎年、と言ってもここ最近のことだが頼まれて人形芸を披露しているのだ。
私にしてみれば人形を動かすことは自分の体を動かすこととほぼ同意であるが、それをわざわざ見たいと言うならば断ることはしない。ここのお捻りも悪くない額になるし。出店の並ぶ道の途中、私のように芸を披露する者のために作られたスペースには多くの人が集まっている。
抱えきれない程の食べ物を買って食べながら休憩している者。
すぐに死んでしまうであろう金魚を大事そうに抱いている者。
祭りだと言うのにいつもと変わらない白黒服で笑っている者。
しかし、こう見ると確かに里に妖怪の姿が増えたと思う。
祭りに来ているものだけではなく、私がこうして人前に出るように出店にも妖怪が出店しているであろう店がちらほらある。
町長の言っていたことが現実として感じられる。確かに、人間が減らないわけだ。
どちらが正しいのか。そもそも結論が、正解が存在するのか。
人形たちの舞に、音楽に、正解が存在しないように、それもまた、正解なんてものは存在しないのかもしれない。だとすれば、やはり強い方が勝つ。外の世界で忘れ去られたモノが幻想郷に来るのならば、幻想郷でも忘れ去られてしまったらどうなるのだろう。
片や人形たちに楽器を演奏させ、片や人形たちに寸劇を演じさせる。両立というのはとかく難しいものだ。何事においても。
人形たちに全く違う動きを同時に命令出来るようになったのはいつのことだったか。今ではこうして動きに加え、こうして他のことを考える余裕すらできたが。
さぁ、この人形芸もそろそろお開きだ。フィニッシュに向けて場を盛り上げていくことにしよう。
と、その時だった。
夜が明けた。少なくともそう思った。
提灯の明かりだけが光の全てだった世界に、他の光が混じる。
何が起きた?
人形たちの演奏や演技も止まってしまったが問題はないだろう、観客も既に私を見ていない。
振り返ると、そこには光があった。
光?違う。
これは、蛍だ。
何百、何千という蛍だ。
夜の闇を切り裂くほどの。
一つ一つは弱々しい、儚く散ってしまいそうな危うさすらを持ちながら、集まることで力強さを同時に持ち合わせている。観客も、私も息を呑んだ。祭りの喧騒がやけに遠くに感じられた、実際はすぐ隣のはずなのに。
「……………リグ…ル?」
私の呟きに応じて一際強く蛍達が輝いた気がした。
なにを、する気なの?
パッと光が弾けた。
光が、乱舞を始める。
それは、幻想的な光景だった。美しさを競い合う弾幕とは一線を画す美しさ。
生命の持つ本質的な美しさとでも言えば良いだろうか。
光であり、蛍であり、命だ。
命を燃やしていることを言葉も無く、感じることが出来る。
恐らく見蕩れている人々も私と同じように感じている。
蛍は舞う。時に激しく、時に穏やかに。空は彼らのキャンパスだった。点と点が繋がり、線を紡いだ。線は意味を持ち絵を描いた。
気づくと手を強く、強く握り締めていた。手の平から血が滴る程に。
悔しかったのだと思う。私の人形にはこの美しさはまだ、無い。たかが虫と侮っていた自分を突きつけられた気分だった。そんな私の心中をよそに蛍の祭りは続いている。
集まり、弾け、集まり、弾け。花火のように。
弾けた後蛍たちは一箇所に集まり始めた。
それは、繭のように何かを取り囲むようにして集まり、また弾ける。
弾けた後の場所には、リグルがいた。予想をしていたと言えばしていたが。
何をするより前にリグルは私の方に振り返った。
「アリスさん、邪魔をしてしまってすいません!!」
…………………………場違いなことを……………。
止めて欲しい、蛍の舞を見て悔しがった自分が更に矮小に思えてしまうじゃないか。
「あれから、色々考えて、考えて。結局何も浮かびませんでした!!」
にこやかにリグルはそう言い切った。
「そのわりには自信満々に見えるけど?」
「はい!浮かばなかったんで、真似することにしました!アリスさんが言ってましたよね。戦争したくなければ交渉しかないって。だから、交渉しにきました。里の人と!」
……………なるほど。トップからではなく、ボトムから攻めるのか。にしてもまさか、祭りの日を狙ってくるとは。
中々どうして、素敵じゃないか。
「みなさん!!私たちの舞、楽しんでもらえたでしょうか?突然現れてしまい驚いた人もいると思います。でも、どうしても伝えておかないといけないことがあるんです―――」
リグルの訴えを聞いた後、人間たちの心に何が残ったのか、それは分からない。そんなもの人それぞれだろう。
「私が言いたかったことはそれが全部です。どうかよろしくお願いします!それでは、最後にまた私たちの舞をご覧下さい」
そう締めくくり、リグルは深々と頭を下げた。
「良かったの?これだけ人前に出てしまって」
「そりゃ見世物になるのは嫌ですけど、見てもらうこと自体は好きですから。派手だったり、光ったりするものってどこかでやっぱり見てもらいたいって思ってるものですよね。七色の魔法使いさん」
―――――!!!!!
「…………………………何事にも例外はあるものよ。それよりリグル。見ていて思ったの。綺麗だけどどこか物足りないって。だから、音を奏でてもいいかしら?」
「はい!もちろん」
祭りのせいで気分が高揚していただけだ。そう思いたい。
私は人形たちに楽器を持たせるとどのような四重奏を奏でようかと思案し始めた。
そうして、祭りの夜は更けていく。
夏の終わりが近づいて、夕方が少し肌寒くなってきた。新たな魔法の開発には良い時期になる。夏の、あの暑さとは打って変わって。
リグルたちの住む沢がどうなったのか、それは知ろうとも思わなかったしそれをわざわざ私に伝えにくる奴もいなかったから分からない。
人のエゴと虫のエゴのどちらが勝ったのかなんて知ったところで意味がないっと思ったし、どちらが勝ったところでそれが正解だとは結局は分からないのだから。
人が増える以上今回計画が頓挫した所でいつかまた浮上する問題だ。だからと言って、人間を捕食するには妖怪は少々人間に近づきすぎた。
何が正しくて何が間違っているのか。
誰が正しくて誰が間違っているのか。
少なくとも私のように無関心でいることは間違いだろうけど。
「だからって夏に動きたいわけじゃ、ないのよね」
万物熱すれば動となるはずなのに、どんだけ熱しられようと生物と言うのは逆に動きたくなくなるのは何故なのだろう?何故も何も答えは分かっている。何事も程々が肝心と言うことだ。
魔法の森の夏は暑い。気温以上に湿気が多いせいで余計に暑さを感じさせてくれる。じっとりと空気が体に纏わり付き汗が浮き出てくるのがはっきりと感じらた。
人形に命じて扇子で扇がせてはいるが焼け石に水も良い所だろう。机に突っ伏した瞬間だけ頬に感じた涼しさも束の間の夢でしかなかったし。
ん?
弛緩させていた体に緊張が走る。ノック音?聞き間違いかもしれないが。
――――コンコン。
いや、聞き間違いじゃない。確かに聞こえる。
「すいませーん、人形遣いさーん。いらっしゃいませんかー?」
体の緊張を解く。少なくとも敵、ということはないだろう。敵ではないなら味方かと言われれば味方とは一体誰だろうかと小一時間程考えなくてはいけないが。
起こしていた体をまた机に預け、棚にある人形の中から一体を選び、出迎えをさせるとしよう。
「どうぞ。……………というか、誰?」
ドアが開きその人物が見える。人間の子ども程の体躯に頭から生える触角がその人影が人間とは違うものだということを私に教えている。
私も人間ではないのでそれに関して言えることは何もないのだけれど。私、アリス・マーガトロイドは人間ではない。見た目は人間と差はないように見えるかもしれないが魔法使いであり、人間とは別の存在である。
この際私のことはどうでも良いだろう。大切なのはドアを開けた人物だ。
「……………誰?」
正直なところあの白黒魔法使いが声でも変えて遊んでいると思っていたので玄関に立つその人影の存在は意外だった。
「あの、その、アリスさん、ですよね?ちょうど一年前に路傍の石のように蹴散らされたことがあるんですけど」
一年前…………………………?
一年前といえば、何だったかな?
目の前の妖怪と会ったことがある?
思い出せないというのも癪だったので必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
すると、数秒して思い当たった。
「あぁ、宇宙人の異変のときにいた……………かな」
「いましたよ!」
その少女のような妖怪は地団駄を踏んで私に抗議してくるが覚えていないものはしょうがないだろう。
「あっそう。それで?蹴散らされた妖怪が何の用?リベンジってんなら受けるけど、魔法使いの工房で戦おうなんて正気の沙汰じゃないわよ?」
異変解決の時の様に持っていける人形に制限はない。
ここでならあのスキマにだって遅れをとらないと自負している。
私が魔法の糸を家中の人形に伸ばしているのを感じたのか雰囲気だけを察したのか分からないがその妖怪は首を大きく横に振る。
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえ!!戦おうなんて毛ほども思ってないです!」
「じゃあほんとに何しに来たのよ、ていうか、誰?って質問に答えてないわね。名前は?」
糸を回収しながら問いかける。
「あ、私リグル・ナイトバグです!!」
「蠢く、夜の虫?」
「……………リグル・ナイトバグです」
気にしたらいけないんだろう。リグルの名前がなんであろうと困りはしないから良いのだが。
「とりあえず、玄関にいないで上がりなさい」
来客があったというのに主が机に突っ伏していてはいけないだろう。しょうがない。アイスティーの準備をしよう。氷が沢山入ってキンキンに冷えたやつ。
水滴が結露したグラスを二つ挟んでリグルと向かい合う。
「それで?結局何の用?覚えてないから断言はできないけど用も無く遊びにくるような仲ではなかったと思うけど?」
「えっとですね。今日は、その。お話がありまして、アリスさんは蛍の沢ってご存知ですか?いえ、私たちの仲間内だけでそう呼んでるんですけどね、えーと、つまり、人里に近い場所に綺麗な沢があるんですよ」
リグルがストローでアイスティーを飲む図は蝶が花の蜜を吸う光景を想像させる。それにヒョコヒョコと動く触角の動きを見ていたせいで肝心の話はほとんど聞いてはいなかった。
虫の妖怪、いや、蛍だろうか、蛍の沢とか言ってるし。
「へぇ?」
「でですね。今度人間共がそこを破壊しようとしているんです!!」
「へぇ?」
「私もそこで生まれましたし今もまだ沢の中で変態の時を待っている仲間が沢山います。こんな暴挙許せません!!」
「へぇ?」
「…………………………あの。聞いてます?」
「途中からはちゃんと聞いてたわよ」
空になったグラスにおかわりを注ぎながら答える。
「で?それが私とどう繋がるの?」
「その、仲間達と話しまして、私たちの力だけでは人間に太刀打ち出来ないという結論にいきつきまして、魔法の森に住み、妖怪でありながら人間の里とも交流があるという人形遣いの所に助力を頼んだらどうだろうとなったんです。そして一度会ったことがある私がその役になったわけです」
妖怪としては随分情けない話だとは思わないのだろうか。妖怪に太刀打ちできる人間なんて少数だろうに。
「それで?人間と戦争でもやろうって?」
戦争なんて言っても人間側に霊夢がいて霊夢を殺すことが出来ない以上、勝利条件が存在しないゲームになるわけだが。
戦争という言葉にリグルが唾を飲む音が聞こえる。
「…………………………私の仲間の中ではそういう意見もちらほら出てます。でも、私はそれだけは止めたいんです。でも、沢は守りたい」
「我侭なのね」
「人の里を壊滅させたって良いことなんて、ないです…………………………蛍ですから。見られることも私たちの存在理由の一つなんですよ」
「言いたいことは分かったわ」
「じゃあ!」
「なんで私がそれを手伝うの?私としてはその蛍の沢が開発されようが、人間の里が壊滅しようが困りはしないわ。なのにいきなり来て力を貸せ?随分、虫が良い話よね?」
この暑いのに更に暑くなりそうなことをしたいと思うほど私は博愛主義者じゃない。研究対象にもなりそうにもないしね。
「人間のことなら神社の巫女にでも相談しなさい、もしくは白黒魔法使い」
「神社の巫女ってあの紅白の人ですよね…………………………こんなこと相談しに行ったら問答無用で嬉々として退治されてしまいそうなんですけど」
何か嫌な思い出でもあるのか体を振るわせている。
「否定出来る材料はどこにもないけど……………白黒の方は?」
「仲間たちの噂というか、虫の報せから想像すると私の理想とは真逆な解決をしてくれそうで怖いです」
うーん。確かにあいつなら「最初からそんな沢が無ければ良いんだぜ」とでも言って破壊的な魔法を放ちそうな気もする。
困った。他にこういう厄介ごとを押し付けられるような人材はいないだろうか。吸血鬼?論外。幽霊?更に論外だ。宇宙人…………………………人里との交流も無いことはないと聞くが。だからと言って虫の環境を守るために動くわけもないだろう。兎の生活の場が脅かされれば別なんでしょうけど。
って何で私がこんなことに対して悩まなければいけないんだ。
「自分たちのことは自分たちでどうにかしなさい。自分たちの場所が守れなければ、奪われるだけよ」
冷たく言い放つ。ここでこれ以上問答したって私の意見が変わるわけも無い、ならばこの時間は無駄だ。早めに諦めさせたほうがリグルのためでもあるだろう。
…………………………?
リグルが……………笑った?
視線をこちらとはずらしてリグルがまるで独り言のように話し始めた。
「………………………………………朝、目が覚めたら百足が顔に百匹乗ってたら怖いですよね」
「……………?」
「…………………………私、虫を操ることが出来るんですよ。アリスさん、食事もするようですし、生ゴミなんかも出るんじゃないですか?そのゴミに群がる虫。私は平気ですけど、人や、人に近い人って虫が沢山いたら嫌なんじゃないかなぁって思うんですよ」
脅迫!?
「へぇぇえええ。そういうこと言ってくるのか、最近の虫は」
顔面が引きつりながらも冷静に、冷静そうに声を出す。
「いえいえいえ、餓鬼の使いならぬ虫の使いですから。嫌です、でハイそうですか。とは行かないんですよ」
ギリギリと睨み付けるもののリグルはどこ吹く風で顔を逸らしている。それが涙ぐましい虚勢であることは震えている足を見れば分かるのだけど。
………………………………………ハァ。
「…………………………それで?それを手伝うと私に何か良いことがあるの?と言っても戦争はお断りだけどね」
浮かせかけていた腰を落ち着ける。見ると手にしたグラスにヒビが入っており、随分強く握り締めてしまっていたらしい。
「手伝ってくれるんですか!?」
白々しいというか何と言うか。なんにせよ、先も言ったとおり。
虫が良い話だ。
人の里に向けて歩いているとそれまで黙っていたリグルが思いついたように口を開く。
「そういえば、前に蟲の知らせサービスというのをやったことがあったんですけど」
「…………………………?」
急になんだろう?
「日時をお知らせしてもらえれば時間違わず虫たちがその時間をお知らせに行くというサービスで、もしよければアリスさんに無料で提供しても!!」
「それが『私に何か良いことでもあるの?』の答えだとしたらここで回れ右して帰るわよ」
「うぅ。そう、ですよね」
家の中より風が吹く分だけ森の方が涼しいと言えば涼しいのだが。
「何でこの暑い中そんなに元気なの?」
問うとリグルはキョトンとしてしまい、私は何か変な質問をしてしまったのかと焦ったのだがその焦りはすぐに解消された。
「暑いですか?私達は夏の虫ですからね。こんなの暑くもなんともありませんよ」
そういえば蛍だっけか。蛍自体そう何度も何度も見たことがある虫でもないので微妙に印象が薄くなってしまう。
「仲間も皆大抵は夏のほうが元気ですよ、逆に冬なんかは凄い苦手なんですけど。にしても、今から人の里に行ってどうするつもりですか?」
「別に。少なくとも戦争する気がない以上交渉するしかないじゃない。私としてもアンタが言ってる人間たちの計画事態本当かどうか確かめないと動きようがないし、なにより私の家にいたって事態は改善しないわ」
家中虫まみれになるのだけは避けたい。それは言わずに心に留めておくとしても。当事者でもない私に出来ることなんてあるのだろうか?
まずは、町長の所だろう。気が進まないのは山々なのだが、仕方が無いか。
リグルはというと里の直前で待たせてある。計画の推進者と会わせてリグルが冷静でいられる保障もない以上仕方のない措置だろう。
しかし、今までこんなことは無かった。人間は人間が住む領域で、妖怪は妖怪の住む領域で。互いに少しずつ癒着した共存関係にあったはずなのに。
常より少し騒々しい里を思案しながら歩く。住人達が浮き足立っていると言うか、少し楽しそうな雰囲気がただ歩いているだけでも伝わってきそうだ。
そういえば人形制作に使う糸や布の予備は大丈夫だろうか?うちの蚕は夏はなんだか元気が無いので手製以外でも購入していかなければいけないかもしれない。
おぉ、閃いた。リグルが虫を操れると言うのならうちの蚕を夏場も元気に繭を作らせることが出来るのではないか?それは私としてはとても有難いのだけど。
一つ疑問なのだが……………蚕は虫なのだろうか?
「よう来なすったなアリスさん。こっちは夏祭りの準備でてんてこ舞いじゃよ」
目の前の赤ら顔の爺さんが町長。人間なら死んでいてもいい歳だというのに昼間っから飲んだくれているとは、数年のうちには死にそうに無いわね。
「忙しいところ時間を取らせてしまって申し訳ないわね」
「ガハハハハ。気にしなさんな。祭りの時には世話になっとるしな、また、人形芸やってくれるんじゃろ?孫が大のお気に入りでな、今年もよろしく頼むわ」
そういえばそういう用事で訪れたこともあったっけ。
というか、そんなことでもしてないといきなり町の権力者になんて会えないわね。
「それは、考えとくわ。でも、今日は違う用事で来たんですよ」
「ほほう。人形芸でなければなんじゃろな」
「森を、開発すると聞きました」
――――――――――――!!!
言うと同時に町長のにやけていた面が権力者のそれに変わる。だてや酔狂で町長をやっているわけではないということか。
「どこで、それを?」
「どこだって良いでしょう?はいか、いいえ。それだけで済む質問よ、特にそれをどうこう言いに来たわけじゃないし。その反応を見るに計画は存在するようだけど。何故?今まで互いに互いの領域には足を踏み入れてはこなかったはずでしょう?」
私や他の妖怪が里に来たり、宇宙人がなにやら催し物を開いたりと交流はあったが相手の土地を奪うようなことはなかったはずだ。
「…………………………人が、増えすぎたんじゃ」
町長が言うにはつまるところこういうことだ。元々人間は妖怪に食われる存在であった。少数の妖怪退治屋達が妖怪を倒すことは稀にあっても大半の人間にとって妖怪とは圧倒的捕食者であったのだ。その形で維持されてきたピラミッドが崩れた。
博麗大結界の成立、スペルカードルールの導入、妖怪と人間の個人的な交流。全ての要素がピラミッドの頂点を抜き去ってしまった。
結果、食われなくなった人間は増えた。
増えたがゆえに足りないモノが出てきた。
土地、そして水場。
「この町の広さでは今すぐとは言いませんが遠くない未来に人が溢れることになるんじゃよ。ワシはこの里を守る長として決断をするしかなかったのですよ」
苦々しく言う彼に向けてとても水場の妖怪が困るとは言えなかった。
どうしたものか。
町長に別れを告げリグルの所へと戻ってきた。未だにこの問題に対する自分の立ち位置は分からないままだ。町長に話を聞いて私が許せる範囲を超えた身勝手な理由で開発するというなら私もリグルに協力出来たかもしれないが。
人間たちの計画を推進する理由は無い。同時に妨害する理由も無い。無くなってしまった。正直なところ私の知らない所で勝手にやってほしいくらいだ。
森に住んでいて里と多少の交流があるというだけでこんなことに巻き込まれていたら体がというよりは精神がもたない。
「―――――というわけよ。人間側にも人間達なりの理由があるってことね」
町長との会話の一部始終を伝え最後にそう締めくくる。リグルは黙って聞いていた。そして、聞き終えると顔を俯けたまま言葉を紡いだ。
「結局人間たちの理屈じゃないですか。増えすぎたから?私達はどんどん減っていってます」
「そうかもしれないわね」
「最近では殺虫剤なんてものまで登場してきて、妖怪になれた仲間はともかく、普通の仲間では全く太刀打ち出来ません。弱いんですよ、私達は。昔のような毒もなければ数も減ってしまった。恐らく戦争を始めたところで巫女が出てくる前に殲滅されてしまいます」
「そうかもね」
「そうかもねって。何でそんな平静でいられるんですか!?」
涙を浮かべた目で必死にこちらを睨み付けるリグルに対して私はどこまでも無慈悲だった。
「私には関係ないからよ」
「………………………………………そんな。アリスさんは私たちに滅べって言うんですか?」
「そんなことは言ってないわ」
その言葉が何かの引き金になったのかリグルは私に掴みかかってくる。体格が違うので倒されるようなことは無いが。
「言ってるようなものですよ!!!」
激昂するリグルの言葉を今まで冷静に聞いてきたが限界だった。そう、こういうのを何と言うのだろう。堪忍袋の緒が切れる?
「考えろって言ってるのよ!!」
こちらの服を掴んでいるリグルの襟を掴み力の限り持ち上げる。まるで人の子どもの喧嘩だ。魔法使いだと言うのに何をやっているのやら。
「考えもせず!!助力を頼み!!それが駄目なら逆切れ!?ふざけるんじゃないわよ!!あなたも名前のある妖怪でしょう。自分たちのことは自分たちでやる。当然のことよ。人間側の理屈?人間が他に誰の理屈で考えるって言うの?それに人間たちだって喜び勇んで開発するわけじゃない!何も出来ないなら諦めなさい。諦めるのが嫌なら考えなさい」
言い終わると同時に体の力が抜けて持ち上げられていたリグルは地面へと落ちる。
「っ痛!………………………………………分かってますよ。分かっているんです。でも、私たちの思考能力は低いです。元々虫ですからね。多分何年たったって人間の大人には勝てないくらいでしょう。そんな私たちでも何か出来るんですか?ここで妙手が浮かぶんですか?」
さっき怒鳴り散らしたせいでもう怒る気力も無い。それに、自分達の居場所を守りたいという彼等の主張自体はなんらおかしい所はない。それでも私はこう言うしかない。
「それをまず考えなさいよ」
「そう、ですね。すいません。変なことを頼んでしまって」
「仲間と相談することね。数こそがあなた達の強みでしょう?」
「分かりました!それじゃあ、私は帰ります。最後に何かヒントを下さい」
何も分かってない!!!
…………………………はぁ。溜息しか出やしない。でも、ま。自分達の欠点を分かった上で補おうとしているのだ。それは決して悪くない。
「……………町長の反応を見るに里の人全員が知ってる計画ってわけでもなさそうだし。もし里の内側から反対の声が上がったら無くなるかもね」
「そのためには?」
「…………………………そろそろ本気で怒るわよ?」
本気で怒る前に本気で威圧したらすぐさま飛んで逃げてしまった。
全く。結局なんだったのかしらね?
それから数日。
リグルとのことがまだ頭を渦巻いている時に私は再び里に下りてきていた。
常なら陽が落ちれば夜の闇に全てを呑まれる里も今日ばかりは必死の抵抗をしている。
夏祭り。
秋に向けての実りの祈りでもあり、梅雨の時期の雨を竜神に感謝をする祭りでもある。その祈りを捧げるべき神が実際に存在してしまったあげく一緒に呑んだくれたりするのだから意味があるのやら無いのやら。
少なくとも夏の暑さを良い方に考えるのにはプラスに作用しているだろう。
赤々と灯る提灯や出店、屋台。跳ね回る子どもや、寄り添う恋人たち。常ならぬ祭りの雰囲気は嫌いではない。その中に混じれと言われたら躊躇はするだろうが。
さて、まぁ、私は別に出店や屋台に興味があって祭りに来たわけではない。毎年、と言ってもここ最近のことだが頼まれて人形芸を披露しているのだ。
私にしてみれば人形を動かすことは自分の体を動かすこととほぼ同意であるが、それをわざわざ見たいと言うならば断ることはしない。ここのお捻りも悪くない額になるし。出店の並ぶ道の途中、私のように芸を披露する者のために作られたスペースには多くの人が集まっている。
抱えきれない程の食べ物を買って食べながら休憩している者。
すぐに死んでしまうであろう金魚を大事そうに抱いている者。
祭りだと言うのにいつもと変わらない白黒服で笑っている者。
しかし、こう見ると確かに里に妖怪の姿が増えたと思う。
祭りに来ているものだけではなく、私がこうして人前に出るように出店にも妖怪が出店しているであろう店がちらほらある。
町長の言っていたことが現実として感じられる。確かに、人間が減らないわけだ。
どちらが正しいのか。そもそも結論が、正解が存在するのか。
人形たちの舞に、音楽に、正解が存在しないように、それもまた、正解なんてものは存在しないのかもしれない。だとすれば、やはり強い方が勝つ。外の世界で忘れ去られたモノが幻想郷に来るのならば、幻想郷でも忘れ去られてしまったらどうなるのだろう。
片や人形たちに楽器を演奏させ、片や人形たちに寸劇を演じさせる。両立というのはとかく難しいものだ。何事においても。
人形たちに全く違う動きを同時に命令出来るようになったのはいつのことだったか。今ではこうして動きに加え、こうして他のことを考える余裕すらできたが。
さぁ、この人形芸もそろそろお開きだ。フィニッシュに向けて場を盛り上げていくことにしよう。
と、その時だった。
夜が明けた。少なくともそう思った。
提灯の明かりだけが光の全てだった世界に、他の光が混じる。
何が起きた?
人形たちの演奏や演技も止まってしまったが問題はないだろう、観客も既に私を見ていない。
振り返ると、そこには光があった。
光?違う。
これは、蛍だ。
何百、何千という蛍だ。
夜の闇を切り裂くほどの。
一つ一つは弱々しい、儚く散ってしまいそうな危うさすらを持ちながら、集まることで力強さを同時に持ち合わせている。観客も、私も息を呑んだ。祭りの喧騒がやけに遠くに感じられた、実際はすぐ隣のはずなのに。
「……………リグ…ル?」
私の呟きに応じて一際強く蛍達が輝いた気がした。
なにを、する気なの?
パッと光が弾けた。
光が、乱舞を始める。
それは、幻想的な光景だった。美しさを競い合う弾幕とは一線を画す美しさ。
生命の持つ本質的な美しさとでも言えば良いだろうか。
光であり、蛍であり、命だ。
命を燃やしていることを言葉も無く、感じることが出来る。
恐らく見蕩れている人々も私と同じように感じている。
蛍は舞う。時に激しく、時に穏やかに。空は彼らのキャンパスだった。点と点が繋がり、線を紡いだ。線は意味を持ち絵を描いた。
気づくと手を強く、強く握り締めていた。手の平から血が滴る程に。
悔しかったのだと思う。私の人形にはこの美しさはまだ、無い。たかが虫と侮っていた自分を突きつけられた気分だった。そんな私の心中をよそに蛍の祭りは続いている。
集まり、弾け、集まり、弾け。花火のように。
弾けた後蛍たちは一箇所に集まり始めた。
それは、繭のように何かを取り囲むようにして集まり、また弾ける。
弾けた後の場所には、リグルがいた。予想をしていたと言えばしていたが。
何をするより前にリグルは私の方に振り返った。
「アリスさん、邪魔をしてしまってすいません!!」
…………………………場違いなことを……………。
止めて欲しい、蛍の舞を見て悔しがった自分が更に矮小に思えてしまうじゃないか。
「あれから、色々考えて、考えて。結局何も浮かびませんでした!!」
にこやかにリグルはそう言い切った。
「そのわりには自信満々に見えるけど?」
「はい!浮かばなかったんで、真似することにしました!アリスさんが言ってましたよね。戦争したくなければ交渉しかないって。だから、交渉しにきました。里の人と!」
……………なるほど。トップからではなく、ボトムから攻めるのか。にしてもまさか、祭りの日を狙ってくるとは。
中々どうして、素敵じゃないか。
「みなさん!!私たちの舞、楽しんでもらえたでしょうか?突然現れてしまい驚いた人もいると思います。でも、どうしても伝えておかないといけないことがあるんです―――」
リグルの訴えを聞いた後、人間たちの心に何が残ったのか、それは分からない。そんなもの人それぞれだろう。
「私が言いたかったことはそれが全部です。どうかよろしくお願いします!それでは、最後にまた私たちの舞をご覧下さい」
そう締めくくり、リグルは深々と頭を下げた。
「良かったの?これだけ人前に出てしまって」
「そりゃ見世物になるのは嫌ですけど、見てもらうこと自体は好きですから。派手だったり、光ったりするものってどこかでやっぱり見てもらいたいって思ってるものですよね。七色の魔法使いさん」
―――――!!!!!
「…………………………何事にも例外はあるものよ。それよりリグル。見ていて思ったの。綺麗だけどどこか物足りないって。だから、音を奏でてもいいかしら?」
「はい!もちろん」
祭りのせいで気分が高揚していただけだ。そう思いたい。
私は人形たちに楽器を持たせるとどのような四重奏を奏でようかと思案し始めた。
そうして、祭りの夜は更けていく。
夏の終わりが近づいて、夕方が少し肌寒くなってきた。新たな魔法の開発には良い時期になる。夏の、あの暑さとは打って変わって。
リグルたちの住む沢がどうなったのか、それは知ろうとも思わなかったしそれをわざわざ私に伝えにくる奴もいなかったから分からない。
人のエゴと虫のエゴのどちらが勝ったのかなんて知ったところで意味がないっと思ったし、どちらが勝ったところでそれが正解だとは結局は分からないのだから。
人が増える以上今回計画が頓挫した所でいつかまた浮上する問題だ。だからと言って、人間を捕食するには妖怪は少々人間に近づきすぎた。
何が正しくて何が間違っているのか。
誰が正しくて誰が間違っているのか。
少なくとも私のように無関心でいることは間違いだろうけど。
リグルの問題にアリスが関わったというよりは、『なんだかんだいって面倒見のいいアリス』を立てるためにリグルの問題を作った、という感がありました。
リグルがその気になれば里は滅ぶ
文も言ってましたし。虫は恐れられなくなっているって。