私は、幻想郷の魔法の森にあるこぢんまりとした洋館に多くの人形とともに暮らしている。
私は魔界の神である神綺様によって造られた魔界人だ。幼い頃は自分達、魔界人は人間であると思っていた。
だが魔界人は、人間でも妖怪でもなかった。自然界で存在しえない物。魔法によって生み出された偽物の命を持つ人形。人の形を模した物。
私は神綺様の娘として造られた。私は神綺様が、母が大好きだった。私は彼女の娘として丁重に扱われて来た。
私は人より好奇心が旺盛だった。知らない知識を得る事が純粋に楽しかった。本を読み色々な物語を楽しむ事、魔界の外の世界の事、魔法の事、人形の事。様々な事に興味があった。
人形が大好きだった。母からもらった人形――上海人形。彼女はいつも一緒に居てくれた。神綺様が仕事が忙しくなかなか構ってもらえなかった時、嫌な事があった時、寂しい時や悲しい時にずっと一緒に居てくれた。彼女と一緒に遊びたくて、話たくて人形操術は特に熱心に勉強していた。
ある日、私は部屋で上海人形と一緒に本を読んでいた。
「…ん?」
外がやけに騒がしい。慌ただしい足音がたくさん聞こえる。読書を中断し部屋の外に聴覚を集中してみる。
――ゲートから外の人……四人で……サラが…――
――今は町の方……見境なしに………さっきルイズが……――
断片的に会話が聞こえてきた。どうやら外の世界から人間がきているらしい。外の世界の人。いったい、どんな人たちなのだろうか。会ってみたい。話してみたい。
「…行って、みようかな…?」
上海に問いかける。上海は首を傾げる。
「…うん…そうだね、勝手に抜け出したら神綺様に怒られちゃうよね………でも…」
――外の世界の人に会ってみたい。一度気になりだしてしまったら、もうそれ以外の事に集中できなくなっていた。
「…ちょっとだけ、ちょっと見てみるだけなら…。」
部屋に鍵を掛け窓を開ける。
「…えっと、町の方って言ってたよね。…サラとルイズもいるのかな…?」
上海を抱いて窓からフワリと飛び立ち誰にも見つからないように慎重に屋敷を抜け出す。
ワクワクしながら町へ向かう。だが、その高揚感も町に近づくにつれやがてだんだんと薄れてゆく。様子がおかしい。町の方からいくつも煙があがっている。爆発のような音も聞こえてくる。…間違いなく戦闘が行われている。
「…なんで…!?」
更に町へ近づいて行く。様々な光が町の上で飛び交っている。その光がぶつかった箇所が爆発し、次々と瓦礫の山を生み出していた。
意味が分からなかった。なぜ、町が破壊されてゆくのか、目の前の光景は何なのか。ただ、理不尽な事に対して怒りが湧いた。
「あれは…ルイズ…!?」
光の交差の中に友人の姿を見つける。が、次の瞬間轟音と共に巨大な光が迸り彼女を飲み込んでしまった。…光が止み、硝煙の中からぼろぼろになった彼女が浮かび上がる。そして力尽きたのかひらひらと地上に落ちていった。
町を焼かれ、友人を目の前でぼろぼろにされ、私の頭にはもう怒りと悲しみしかなかった。
――なんで!?なんでこんな酷い事をするの!?許さない!あいつらなんか魔界から追い出してやる!怒りに身を任せ全力で飛んだ。
「そこまでよ!」
上海を抱き締めながらそいつらの前に立ち塞がった。
――くそっくそっ!なんで!なんで!
虚ろな意識の中で、必死に瞼を明け遠ざかってゆく人影を睨みつけ続ける。悔しくて、悲しくて、情けなくて、去って行く後ろ姿をいつまでも睨みつけ続けた。
まったく手も足も出なかった。あしらわれただけだった。敵は、子供の私を、優しく、丁寧に倒した。
私は上海を抱き締めながら、気を失った。
その日、外――彼らは幻想郷と云う所からきたらしい――からきた人間たちは、あろうことか神綺様をも倒し、魔界を掻き回すだけ掻き回して帰っていったそうだ。
あれからどれだけ月日がたっただろうか。私は必死に魔法の鍛錬をした。屋敷の書物庫には毎日のように足を運び、魔道書を読みあさった。様々な魔法を覚え、魔力を高めるためにそれこそ危険な修行だろうとどんなことでもやった。自分でも自分が強くなってゆくのが実感できた。
…でも、まだ。まだ足りない。あいつらを、魔界をめちゃくちゃにした、神綺様を傷つけたあいつらを完璧にやっつけるにはこんなんじゃ全然足りない!
ある日、ついに私は使用人達の目を盗み、禁書の書物庫にまで侵入した。
その書物庫はさすがに数々の呪われた魔道書やマジックアイテムが保管されているだけあり、奥に進むのを躊躇してしまうような禍々しい圧迫感があった。
「…こんなことで脅えてちゃ、あいつらには勝てないわよね…。」
上海をギュッと抱き締めながら深呼吸し、足を踏み出した。
そこにある物全てが今まで私が見た事も聞いた事もないものばかりだった。全てが強力な魔力を帯びており、触るのを躊躇させた。
「…?」
…数ある本の中に、一つだけ違和感を感じる。それは、まるで隠されているかのように書物庫の一番奥の棚の本の間にあった。その本だけなぜか魔力を感じられなかった。魔力がないと言うよりも、抑えられている、封じられているといった感じだ。
…………ダメ……………ダメ……………
――!!……何かの声が聞こえた気がする。あたりを見渡すが何もいない。…気のせい…?…気をとりなおし本を手に取る。
「…ぐりもわーる…おぶ………ありす…?」
――アリスの、魔術書。…何だろう…私と同じ名前…。本を開くべく表紙に手をかける。
……ダメ………ダメ…………ありす……………
――また、何かが…私を呼んでいる…?少し恐怖感が沸き上海を抱く腕に力が篭る。もう一度周りを見渡すがやはり何もいない。――きっとここの雰囲気のせいだろう。そう思うことにして恐怖をねじ伏せる。意を決し本を開いてみた。」
「…っ!あ…ああ…!!」
本を開いた途端それはまばゆいほどの輝きを放ち、薄暗い書物庫を七色に染めた。そしてそれと共に私の体に膨大な魔力が漲ってくるのを感じた。さらにページを捲る。
「…究極の…魔法…!」
なぜか頭の中にそんな言葉が浮かんだ。ページを捲る度に魔力が溢れるのを感じる。これなら…!これならあいつらを倒せる!あの時の侵入者たちを地に伏せさせる様を想像し自然と笑みがこぼれる。倒す!倒す!今すぐに!!昂る激情を抑えられない。私は溢れる魔力に身を震わせ書物庫を飛び出した。そして、魔界と外の世界を繋ぐゲートを目指した。
…………………………
初めて出た魔界の外。
「…幻想郷っていったっけ…。思ったよりも綺麗な所だね…。」
一緒に連れてきた上海に話かける。上海が頷いた。眼下には、魔界を破壊しつくしたやつらがいる所とは思えないほど、のどかな風景が広がっていた。豊かな森。遠くには人の集落と思しき物も見える。
ずるい。魔界をめちゃくちゃにしておいて自分たちだけこんな綺麗な世界にいるなんて。壊してやる。私の味わった気持ちを少しでも味あわせてやる。
抑えていた魔力を解放し、周囲の森をなぎ払う。木々が爆発し炎上する。
「…ふふふ…早く来ないと全部壊れちゃうよぉ…?」
次々と魔弾を放ち森を破壊してゆく。
「ここじゃないのかな…?じゃあ…」
遠くに見える集落に目を向ける。
「あっちを壊せば、来てくれるかな?」
笑みを浮かべそこへ向かおうとしたその時、
「…!…やっと来たわね…!」
強大な力を纏う者の気配を感じる。
「…あなたはここに隠れていてね。」
上海の頭を撫でて服の中にぐいと押し込んだ。気配がさらに近づいてくる。その数は二つ。
「…二人?…まあいいわ…。」
その二つの姿が視界に写る。瞼を閉じゆっくりと深呼吸をし、再び目を明けその姿をしっかりと捉える。紅白と白黒。
「……究極の魔法……嫌ってほど味あわせてあげる!!」
魔道書――Grimoire of Alice――を開く。七色の光が迸る。そして――溢れる魔力を全力で解放した。
様々な色や形の魔弾を放つ。空を埋め尽くす程の弾幕を展開していた。あちらは回避に必死なようで散漫的に針や魔弾を放ってくるばかり。圧倒的に有利だ。
――もっと逃げろ!恐怖しろ!恐れろ!脅えろ!!壊れろ!!壊れちゃえ!!
私の頭の中からいつしか復讐心、怒りや憎しみ、悔しさや悲しみはなくなっていた。あるのは純粋にそこに存在する物が壊れる事を見る楽しさ――狂気だけだった。限界を超えた魔力によって体が徐々に崩壊してゆく事にも気付かないまま魔法を唱え続けた。
「あはははははは!!すごいすごい!」
……………メ…………ダメ…………ダメッ…………!
頭の中に声が響く。またあの時の幻聴だ。
「っ!!うるさいっ!!邪魔しないで!!」
目の前の光景だけに集中していた意識を遮られる。…そこでやっと自分の体に起こっている異変に気付いた。痛みの感覚がだんだんと沸き上がってくる。体の奥が軋む。皮膚が焼けるように熱い。――恐怖が、悲しみが蘇ってくる。
「…ぐっ……あ……!!」
声にならないうめきをあげる。放っていた魔法の弾幕が弱まる。
…敵はその隙を放っておいてくれるほど優しくはなかった。札や針、星形の魔弾やレーザー状の物。様々な弾幕が私を襲う。――避けなきゃ…!朦朧とした意識をなんとか覚醒させる。今のガタガタの体では一発でも喰らえば意識を飛ばしてしまうだろう。
はっきりと思考を巡らす頭とは裏腹に、体がうまく動かせない。目前に弾幕が迫る。――避け、きれないっ!札が脇腹を切り裂きく。正面に迫る魔弾を右腕で防ぐ。歯を食いしばって耐える。痛みに、恐怖に耐える。だが…
「…あ…!…ああっ…!
切り裂かれた服の脇腹から上海が滑り落ちてゆく。時間の流れがひどく遅くなったような感覚。意識が上海だけに集中する。彼女はゆっくりと、…落ちていった。
――待って!行かないで!
右腕は…動かないっ…!自らも降下しながら魔道書を持ったままの左手を上海に伸ばす。このままじゃ魔法の糸も伸ばせない…!
――お願い!届いて!
これはきっと気のせいだろう。上海もこちらに手を伸ばしていた。今は操る事などできる状況じゃないのに。そう、こんな状況できっと頭が混乱しているのだからこの幻覚もしょうがない。
魔道書に引っ掛かるようにして上海が受け止められた。上海を受け止めた衝撃で表紙が閉じられ、その上に彼女が乗る形になった。魔道書が閉じられた瞬間に纏っていた七色の光が消えた。それと共に最初に感じていた体の奥からの痛みが和らいでゆく。
「よかった…!置いていっちゃ…やだよ…!」
再び上海を胸に抱き寄せた。
――爆音がした。ふと音のした方に顔を向ける。…視界全体に広がる光が迫ってくる。圧倒的な力の光が。私は上海を魔道書と自分の体の間に挟み、ぎゅっと抱き締る。そして、光に飲み込まれながら、意識を手放した。
目を開ける。木々の折れた枝の間から太陽の光が差し込んでいる。
――綺麗だなあ。手を伸ばそうとしても私の手は動かない。
じわじわと痛みの感覚を思い出してくる。痛い、が…もう恐怖はなくなっていた。
――あ!!上海は!?
視線を胸に移すとそこにはまだ魔道書と私の体に挟まれるようにして彼女がいた。
――よかった……。
深くため息を吐き再び空を眺める。
――また、負けちゃったね……痛かったね……怖かったね……
上海を顔の横において淡々と話しかけ続けた。そうしているうちに、悔しさや、恐怖から解放された安堵感や、上海が無事だった喜びなど様々な感情が胸の中で混ざり合い、胸の奥が締め付けられるような感覚になる。ただひたすらそれに耐えた。
太陽が傾き始めた頃、ようやく不可解な感情を収めることができた。
――全力で、禁書にまで手を出したのに、勝てなかった、か……でもまだ……
「…生きてる…!」
生きてさえいれば、いずれあいつらよりももっともっと力をつけて、
「面白い冗談ね。」
――!!
「まったく、先を越されちゃっとようね。こんなところまで飛ばされて、探すのに苦労しちゃったわ。」
声のする方に目をやると、そこには緑髪の日傘を携えた女がいた。禍々しい雰囲気にまったく釣り合わない綺麗な花をどうやったのか手の平から生やしながら私を見つめていた。
「…とどめを…さしにきたの……」
恐怖を抑えながら言葉を返す。
「そんなつまらない事しないわ。」
――もっと、おもしろい事をしにきたの。
「……。」
「そんな目で見ないでよ。大丈夫、私には人形を壊す趣味はないから。」
笑顔で彼女が言う。場違いな笑顔になぜか少し安心してしまう私がいた。だが、彼女の言葉の意味がわからない。
「…上海を…この子を壊す気なの…?」
――なんで…?
「何を言ってるの?…人形は、あなた。」
笑顔を浮かべたまま私に花を向けた。
――何を言っているのだろうか…?
「…あなたこそ何を…言ってるの?この子なら、確かに人形だけど…」
「ねぇ、あなた…。見たところかなり大怪我してるわね。でも……」
私の言葉を彼女は遮った。そして、先程までの笑顔とは違う笑顔を見せた。それは、笑顔というにはあまりに妖しい嗤いだった。
…………ダメ………………ヤメテ………………
「なんで、血が出てないのかしら?」
――え?
思考が凍り付く。…ゆっくりと自分の体を見渡す。…確かに大怪我だ。細かい切り傷、擦り傷、大小様々な火傷。肉が少し抉れてしまっている場所もある。右腕はおかしな方向に曲がっている。致命傷となった筈の切り裂かれた脇腹など内蔵に達すると思うほどに深く切られたはずだった。だが。
血が、一滴も流れていない。
本などで見た知識で、人間には赤いどろどろとした液体、血が流れていると知っていた。ではなぜ。自分の体はこんな奇妙なことになっているのか。
――思い出す。何をしなくてもいいように丁重に扱われていた自分。いつまで経っても背が伸びない自分。優しすぎるほど優しかった母。だけど、危ない事をすると凄まじい剣幕で私を叱った母。魔界の町の風景。いつでも変わらない風景。何年経っても赤子だったあの子。…何年?そもそも自分はいつからいたのだろうか。
…………ダメ……………ダメ……………
――『人形は、あなた。』
彼女の言葉が頭の中で響き続ける。
「そんな…そんなわけないじゃない!!」
そんなこと、認められるわけがない。必死で頭を過る疑念をねじ伏せ声を荒げる。なぜか痛みが引いていくのがわかった。いや、痛みの感覚が。
「……。」
彼女は黙ったまま笑顔を絶やさずただこちらを見つめ続ける。
「私は、私は…、だってだって…」
泣きたいのに涙がでない。そういえば、今まで悲しい事があった時も泣く事はなかった。なぜか。ずっと人形――上海がいてくれたから。母からもらった人形。
「私は人形じゃない!私は人間よ!話すこともできるし、考える事だってできるの!本だって読めるし、魔法だって――」
自分で言った単語にハッとする。
――魔法。あらゆる事を可能にする、理屈などない、無限の可能性の秘めた物。それがあればまるで生きている様に振る舞う人形も造れるのではないだろうか。私でも人形を操るぐらいのことをしている。そんな魔法があってもおかしくない。
熱が冷めていく。…理解した。私がいつまでも背が伸びないわけを。血がでないこと、涙が、流れないこと。
「……私は…なんなの………?」
誰か、教えて。ねぇ神綺様、教えてよ。上海、答えてよ。
……………………ありす……………………
「…あなたは人形よ。…あなたのお母さんは隠してたみたいだけどね。」
私の問いに答えたのは、緑髪の女性だった。彼女は笑顔だった。その笑顔がとても綺麗で、とても優しげで。
その温もりの中で意識が薄れていく感覚を覚えた。
「……あとは、あなた次第よ……。」
彼女が何か呟いているが、声が聞こえない。
「………ああ、おもしろい………。」
最後に私の視覚が捉えたのは、その緑髪の、寂しげな表情だった。
意識が覚醒する。見慣れた部屋。横には上海。
――夢、だったの…?
どれだけ眠っていたのだろう。体を調べる。傷一つない、綺麗な体だった。本当に夢だったのだろうか。
ふと、机に目をやると、小さなナイフと、均等に切られた果物がある。…その脇には、本が置いてある。ベルトのような物で何重にもまかれているが、それはあの魔道書――Grimoire of Alice――だった。
――夢じゃなかった……。
ナイフを手に取り、腕を切ってみる。
――痛い。ただ痛みの感覚だけで、やはり血はでなかった。
「アリスちゃん!!何してるの!!」
扉が開いた音がしたと思うと、叫び声が続いてきた。
「……あ…。」
母がいた。ひどく悲しそうな顔をして、ナイフを取り上げられた。私は何も言えず、ただその顔を見つめていた。永い沈黙。母も私を見つめ続けた。
「アリスちゃん……聞いて。」
母が悲しそうな顔で言った。そんな母の顔を見ているのが辛くて、
「いやっ!!」
私は大声を出して顔を背けた。
「アリスちゃん!!お願い!聞いて!!」
母も大声を出し私の顔を両手で包み強引に自分へと向けさせた。その表情は更に悲痛な物になっていた。
――私のせいだ。私のせいで神綺様が悲しんでる。これ以上見たくない。
「…いや…いや……」
「あのね、アリスちゃん、あなたは確かに…」
「いやーーっ!!!」
私は叫び声をあげながら、上海を操り母に体当たりをさせた。母の手が緩む。その隙にベットから抜け出し、走り出す。机の上の本が目に入る。
――私の、本。私のための、本。この本も、私。
なぜかそれが気になり、それを掴み、部屋を飛び出した。
「アリスちゃん!待って!!」
母の悲痛な叫びを無視し走り続ける。
――私がいなければ、私がいなくなれば、きっと神綺様は悲しまない。
私は頭の中で謝り続けた。
――ごめんなさい。悪い娘で、ごめんなさい。人形で、ごめんなさい。人形のくせに、神綺様が大好きで、ごめんなさい。
屋敷を飛び出し、ただひたすら飛んだ。もう、ここには居られない。もう、神綺様を悲しませられない。一刻でも早く、どこかへ、母に見つからない所へいかなきゃ。…そんな場所は、私の知る所では一つしかなかった…。
私は魔界の神である神綺様によって造られた魔界人だ。幼い頃は自分達、魔界人は人間であると思っていた。
だが魔界人は、人間でも妖怪でもなかった。自然界で存在しえない物。魔法によって生み出された偽物の命を持つ人形。人の形を模した物。
私は神綺様の娘として造られた。私は神綺様が、母が大好きだった。私は彼女の娘として丁重に扱われて来た。
私は人より好奇心が旺盛だった。知らない知識を得る事が純粋に楽しかった。本を読み色々な物語を楽しむ事、魔界の外の世界の事、魔法の事、人形の事。様々な事に興味があった。
人形が大好きだった。母からもらった人形――上海人形。彼女はいつも一緒に居てくれた。神綺様が仕事が忙しくなかなか構ってもらえなかった時、嫌な事があった時、寂しい時や悲しい時にずっと一緒に居てくれた。彼女と一緒に遊びたくて、話たくて人形操術は特に熱心に勉強していた。
ある日、私は部屋で上海人形と一緒に本を読んでいた。
「…ん?」
外がやけに騒がしい。慌ただしい足音がたくさん聞こえる。読書を中断し部屋の外に聴覚を集中してみる。
――ゲートから外の人……四人で……サラが…――
――今は町の方……見境なしに………さっきルイズが……――
断片的に会話が聞こえてきた。どうやら外の世界から人間がきているらしい。外の世界の人。いったい、どんな人たちなのだろうか。会ってみたい。話してみたい。
「…行って、みようかな…?」
上海に問いかける。上海は首を傾げる。
「…うん…そうだね、勝手に抜け出したら神綺様に怒られちゃうよね………でも…」
――外の世界の人に会ってみたい。一度気になりだしてしまったら、もうそれ以外の事に集中できなくなっていた。
「…ちょっとだけ、ちょっと見てみるだけなら…。」
部屋に鍵を掛け窓を開ける。
「…えっと、町の方って言ってたよね。…サラとルイズもいるのかな…?」
上海を抱いて窓からフワリと飛び立ち誰にも見つからないように慎重に屋敷を抜け出す。
ワクワクしながら町へ向かう。だが、その高揚感も町に近づくにつれやがてだんだんと薄れてゆく。様子がおかしい。町の方からいくつも煙があがっている。爆発のような音も聞こえてくる。…間違いなく戦闘が行われている。
「…なんで…!?」
更に町へ近づいて行く。様々な光が町の上で飛び交っている。その光がぶつかった箇所が爆発し、次々と瓦礫の山を生み出していた。
意味が分からなかった。なぜ、町が破壊されてゆくのか、目の前の光景は何なのか。ただ、理不尽な事に対して怒りが湧いた。
「あれは…ルイズ…!?」
光の交差の中に友人の姿を見つける。が、次の瞬間轟音と共に巨大な光が迸り彼女を飲み込んでしまった。…光が止み、硝煙の中からぼろぼろになった彼女が浮かび上がる。そして力尽きたのかひらひらと地上に落ちていった。
町を焼かれ、友人を目の前でぼろぼろにされ、私の頭にはもう怒りと悲しみしかなかった。
――なんで!?なんでこんな酷い事をするの!?許さない!あいつらなんか魔界から追い出してやる!怒りに身を任せ全力で飛んだ。
「そこまでよ!」
上海を抱き締めながらそいつらの前に立ち塞がった。
――くそっくそっ!なんで!なんで!
虚ろな意識の中で、必死に瞼を明け遠ざかってゆく人影を睨みつけ続ける。悔しくて、悲しくて、情けなくて、去って行く後ろ姿をいつまでも睨みつけ続けた。
まったく手も足も出なかった。あしらわれただけだった。敵は、子供の私を、優しく、丁寧に倒した。
私は上海を抱き締めながら、気を失った。
その日、外――彼らは幻想郷と云う所からきたらしい――からきた人間たちは、あろうことか神綺様をも倒し、魔界を掻き回すだけ掻き回して帰っていったそうだ。
あれからどれだけ月日がたっただろうか。私は必死に魔法の鍛錬をした。屋敷の書物庫には毎日のように足を運び、魔道書を読みあさった。様々な魔法を覚え、魔力を高めるためにそれこそ危険な修行だろうとどんなことでもやった。自分でも自分が強くなってゆくのが実感できた。
…でも、まだ。まだ足りない。あいつらを、魔界をめちゃくちゃにした、神綺様を傷つけたあいつらを完璧にやっつけるにはこんなんじゃ全然足りない!
ある日、ついに私は使用人達の目を盗み、禁書の書物庫にまで侵入した。
その書物庫はさすがに数々の呪われた魔道書やマジックアイテムが保管されているだけあり、奥に進むのを躊躇してしまうような禍々しい圧迫感があった。
「…こんなことで脅えてちゃ、あいつらには勝てないわよね…。」
上海をギュッと抱き締めながら深呼吸し、足を踏み出した。
そこにある物全てが今まで私が見た事も聞いた事もないものばかりだった。全てが強力な魔力を帯びており、触るのを躊躇させた。
「…?」
…数ある本の中に、一つだけ違和感を感じる。それは、まるで隠されているかのように書物庫の一番奥の棚の本の間にあった。その本だけなぜか魔力を感じられなかった。魔力がないと言うよりも、抑えられている、封じられているといった感じだ。
…………ダメ……………ダメ……………
――!!……何かの声が聞こえた気がする。あたりを見渡すが何もいない。…気のせい…?…気をとりなおし本を手に取る。
「…ぐりもわーる…おぶ………ありす…?」
――アリスの、魔術書。…何だろう…私と同じ名前…。本を開くべく表紙に手をかける。
……ダメ………ダメ…………ありす……………
――また、何かが…私を呼んでいる…?少し恐怖感が沸き上海を抱く腕に力が篭る。もう一度周りを見渡すがやはり何もいない。――きっとここの雰囲気のせいだろう。そう思うことにして恐怖をねじ伏せる。意を決し本を開いてみた。」
「…っ!あ…ああ…!!」
本を開いた途端それはまばゆいほどの輝きを放ち、薄暗い書物庫を七色に染めた。そしてそれと共に私の体に膨大な魔力が漲ってくるのを感じた。さらにページを捲る。
「…究極の…魔法…!」
なぜか頭の中にそんな言葉が浮かんだ。ページを捲る度に魔力が溢れるのを感じる。これなら…!これならあいつらを倒せる!あの時の侵入者たちを地に伏せさせる様を想像し自然と笑みがこぼれる。倒す!倒す!今すぐに!!昂る激情を抑えられない。私は溢れる魔力に身を震わせ書物庫を飛び出した。そして、魔界と外の世界を繋ぐゲートを目指した。
…………………………
初めて出た魔界の外。
「…幻想郷っていったっけ…。思ったよりも綺麗な所だね…。」
一緒に連れてきた上海に話かける。上海が頷いた。眼下には、魔界を破壊しつくしたやつらがいる所とは思えないほど、のどかな風景が広がっていた。豊かな森。遠くには人の集落と思しき物も見える。
ずるい。魔界をめちゃくちゃにしておいて自分たちだけこんな綺麗な世界にいるなんて。壊してやる。私の味わった気持ちを少しでも味あわせてやる。
抑えていた魔力を解放し、周囲の森をなぎ払う。木々が爆発し炎上する。
「…ふふふ…早く来ないと全部壊れちゃうよぉ…?」
次々と魔弾を放ち森を破壊してゆく。
「ここじゃないのかな…?じゃあ…」
遠くに見える集落に目を向ける。
「あっちを壊せば、来てくれるかな?」
笑みを浮かべそこへ向かおうとしたその時、
「…!…やっと来たわね…!」
強大な力を纏う者の気配を感じる。
「…あなたはここに隠れていてね。」
上海の頭を撫でて服の中にぐいと押し込んだ。気配がさらに近づいてくる。その数は二つ。
「…二人?…まあいいわ…。」
その二つの姿が視界に写る。瞼を閉じゆっくりと深呼吸をし、再び目を明けその姿をしっかりと捉える。紅白と白黒。
「……究極の魔法……嫌ってほど味あわせてあげる!!」
魔道書――Grimoire of Alice――を開く。七色の光が迸る。そして――溢れる魔力を全力で解放した。
様々な色や形の魔弾を放つ。空を埋め尽くす程の弾幕を展開していた。あちらは回避に必死なようで散漫的に針や魔弾を放ってくるばかり。圧倒的に有利だ。
――もっと逃げろ!恐怖しろ!恐れろ!脅えろ!!壊れろ!!壊れちゃえ!!
私の頭の中からいつしか復讐心、怒りや憎しみ、悔しさや悲しみはなくなっていた。あるのは純粋にそこに存在する物が壊れる事を見る楽しさ――狂気だけだった。限界を超えた魔力によって体が徐々に崩壊してゆく事にも気付かないまま魔法を唱え続けた。
「あはははははは!!すごいすごい!」
……………メ…………ダメ…………ダメッ…………!
頭の中に声が響く。またあの時の幻聴だ。
「っ!!うるさいっ!!邪魔しないで!!」
目の前の光景だけに集中していた意識を遮られる。…そこでやっと自分の体に起こっている異変に気付いた。痛みの感覚がだんだんと沸き上がってくる。体の奥が軋む。皮膚が焼けるように熱い。――恐怖が、悲しみが蘇ってくる。
「…ぐっ……あ……!!」
声にならないうめきをあげる。放っていた魔法の弾幕が弱まる。
…敵はその隙を放っておいてくれるほど優しくはなかった。札や針、星形の魔弾やレーザー状の物。様々な弾幕が私を襲う。――避けなきゃ…!朦朧とした意識をなんとか覚醒させる。今のガタガタの体では一発でも喰らえば意識を飛ばしてしまうだろう。
はっきりと思考を巡らす頭とは裏腹に、体がうまく動かせない。目前に弾幕が迫る。――避け、きれないっ!札が脇腹を切り裂きく。正面に迫る魔弾を右腕で防ぐ。歯を食いしばって耐える。痛みに、恐怖に耐える。だが…
「…あ…!…ああっ…!
切り裂かれた服の脇腹から上海が滑り落ちてゆく。時間の流れがひどく遅くなったような感覚。意識が上海だけに集中する。彼女はゆっくりと、…落ちていった。
――待って!行かないで!
右腕は…動かないっ…!自らも降下しながら魔道書を持ったままの左手を上海に伸ばす。このままじゃ魔法の糸も伸ばせない…!
――お願い!届いて!
これはきっと気のせいだろう。上海もこちらに手を伸ばしていた。今は操る事などできる状況じゃないのに。そう、こんな状況できっと頭が混乱しているのだからこの幻覚もしょうがない。
魔道書に引っ掛かるようにして上海が受け止められた。上海を受け止めた衝撃で表紙が閉じられ、その上に彼女が乗る形になった。魔道書が閉じられた瞬間に纏っていた七色の光が消えた。それと共に最初に感じていた体の奥からの痛みが和らいでゆく。
「よかった…!置いていっちゃ…やだよ…!」
再び上海を胸に抱き寄せた。
――爆音がした。ふと音のした方に顔を向ける。…視界全体に広がる光が迫ってくる。圧倒的な力の光が。私は上海を魔道書と自分の体の間に挟み、ぎゅっと抱き締る。そして、光に飲み込まれながら、意識を手放した。
目を開ける。木々の折れた枝の間から太陽の光が差し込んでいる。
――綺麗だなあ。手を伸ばそうとしても私の手は動かない。
じわじわと痛みの感覚を思い出してくる。痛い、が…もう恐怖はなくなっていた。
――あ!!上海は!?
視線を胸に移すとそこにはまだ魔道書と私の体に挟まれるようにして彼女がいた。
――よかった……。
深くため息を吐き再び空を眺める。
――また、負けちゃったね……痛かったね……怖かったね……
上海を顔の横において淡々と話しかけ続けた。そうしているうちに、悔しさや、恐怖から解放された安堵感や、上海が無事だった喜びなど様々な感情が胸の中で混ざり合い、胸の奥が締め付けられるような感覚になる。ただひたすらそれに耐えた。
太陽が傾き始めた頃、ようやく不可解な感情を収めることができた。
――全力で、禁書にまで手を出したのに、勝てなかった、か……でもまだ……
「…生きてる…!」
生きてさえいれば、いずれあいつらよりももっともっと力をつけて、
「面白い冗談ね。」
――!!
「まったく、先を越されちゃっとようね。こんなところまで飛ばされて、探すのに苦労しちゃったわ。」
声のする方に目をやると、そこには緑髪の日傘を携えた女がいた。禍々しい雰囲気にまったく釣り合わない綺麗な花をどうやったのか手の平から生やしながら私を見つめていた。
「…とどめを…さしにきたの……」
恐怖を抑えながら言葉を返す。
「そんなつまらない事しないわ。」
――もっと、おもしろい事をしにきたの。
「……。」
「そんな目で見ないでよ。大丈夫、私には人形を壊す趣味はないから。」
笑顔で彼女が言う。場違いな笑顔になぜか少し安心してしまう私がいた。だが、彼女の言葉の意味がわからない。
「…上海を…この子を壊す気なの…?」
――なんで…?
「何を言ってるの?…人形は、あなた。」
笑顔を浮かべたまま私に花を向けた。
――何を言っているのだろうか…?
「…あなたこそ何を…言ってるの?この子なら、確かに人形だけど…」
「ねぇ、あなた…。見たところかなり大怪我してるわね。でも……」
私の言葉を彼女は遮った。そして、先程までの笑顔とは違う笑顔を見せた。それは、笑顔というにはあまりに妖しい嗤いだった。
…………ダメ………………ヤメテ………………
「なんで、血が出てないのかしら?」
――え?
思考が凍り付く。…ゆっくりと自分の体を見渡す。…確かに大怪我だ。細かい切り傷、擦り傷、大小様々な火傷。肉が少し抉れてしまっている場所もある。右腕はおかしな方向に曲がっている。致命傷となった筈の切り裂かれた脇腹など内蔵に達すると思うほどに深く切られたはずだった。だが。
血が、一滴も流れていない。
本などで見た知識で、人間には赤いどろどろとした液体、血が流れていると知っていた。ではなぜ。自分の体はこんな奇妙なことになっているのか。
――思い出す。何をしなくてもいいように丁重に扱われていた自分。いつまで経っても背が伸びない自分。優しすぎるほど優しかった母。だけど、危ない事をすると凄まじい剣幕で私を叱った母。魔界の町の風景。いつでも変わらない風景。何年経っても赤子だったあの子。…何年?そもそも自分はいつからいたのだろうか。
…………ダメ……………ダメ……………
――『人形は、あなた。』
彼女の言葉が頭の中で響き続ける。
「そんな…そんなわけないじゃない!!」
そんなこと、認められるわけがない。必死で頭を過る疑念をねじ伏せ声を荒げる。なぜか痛みが引いていくのがわかった。いや、痛みの感覚が。
「……。」
彼女は黙ったまま笑顔を絶やさずただこちらを見つめ続ける。
「私は、私は…、だってだって…」
泣きたいのに涙がでない。そういえば、今まで悲しい事があった時も泣く事はなかった。なぜか。ずっと人形――上海がいてくれたから。母からもらった人形。
「私は人形じゃない!私は人間よ!話すこともできるし、考える事だってできるの!本だって読めるし、魔法だって――」
自分で言った単語にハッとする。
――魔法。あらゆる事を可能にする、理屈などない、無限の可能性の秘めた物。それがあればまるで生きている様に振る舞う人形も造れるのではないだろうか。私でも人形を操るぐらいのことをしている。そんな魔法があってもおかしくない。
熱が冷めていく。…理解した。私がいつまでも背が伸びないわけを。血がでないこと、涙が、流れないこと。
「……私は…なんなの………?」
誰か、教えて。ねぇ神綺様、教えてよ。上海、答えてよ。
……………………ありす……………………
「…あなたは人形よ。…あなたのお母さんは隠してたみたいだけどね。」
私の問いに答えたのは、緑髪の女性だった。彼女は笑顔だった。その笑顔がとても綺麗で、とても優しげで。
その温もりの中で意識が薄れていく感覚を覚えた。
「……あとは、あなた次第よ……。」
彼女が何か呟いているが、声が聞こえない。
「………ああ、おもしろい………。」
最後に私の視覚が捉えたのは、その緑髪の、寂しげな表情だった。
意識が覚醒する。見慣れた部屋。横には上海。
――夢、だったの…?
どれだけ眠っていたのだろう。体を調べる。傷一つない、綺麗な体だった。本当に夢だったのだろうか。
ふと、机に目をやると、小さなナイフと、均等に切られた果物がある。…その脇には、本が置いてある。ベルトのような物で何重にもまかれているが、それはあの魔道書――Grimoire of Alice――だった。
――夢じゃなかった……。
ナイフを手に取り、腕を切ってみる。
――痛い。ただ痛みの感覚だけで、やはり血はでなかった。
「アリスちゃん!!何してるの!!」
扉が開いた音がしたと思うと、叫び声が続いてきた。
「……あ…。」
母がいた。ひどく悲しそうな顔をして、ナイフを取り上げられた。私は何も言えず、ただその顔を見つめていた。永い沈黙。母も私を見つめ続けた。
「アリスちゃん……聞いて。」
母が悲しそうな顔で言った。そんな母の顔を見ているのが辛くて、
「いやっ!!」
私は大声を出して顔を背けた。
「アリスちゃん!!お願い!聞いて!!」
母も大声を出し私の顔を両手で包み強引に自分へと向けさせた。その表情は更に悲痛な物になっていた。
――私のせいだ。私のせいで神綺様が悲しんでる。これ以上見たくない。
「…いや…いや……」
「あのね、アリスちゃん、あなたは確かに…」
「いやーーっ!!!」
私は叫び声をあげながら、上海を操り母に体当たりをさせた。母の手が緩む。その隙にベットから抜け出し、走り出す。机の上の本が目に入る。
――私の、本。私のための、本。この本も、私。
なぜかそれが気になり、それを掴み、部屋を飛び出した。
「アリスちゃん!待って!!」
母の悲痛な叫びを無視し走り続ける。
――私がいなければ、私がいなくなれば、きっと神綺様は悲しまない。
私は頭の中で謝り続けた。
――ごめんなさい。悪い娘で、ごめんなさい。人形で、ごめんなさい。人形のくせに、神綺様が大好きで、ごめんなさい。
屋敷を飛び出し、ただひたすら飛んだ。もう、ここには居られない。もう、神綺様を悲しませられない。一刻でも早く、どこかへ、母に見つからない所へいかなきゃ。…そんな場所は、私の知る所では一つしかなかった…。
私は許容範囲だと思った。
是非続けてください、面白いです。
とりあえず、これはこれであり、かな?
完結してから点数つけます。