昼間だというのに、太陽光を木々に遮られ薄暗い魔法の森。その森の中を、妙齢の女性が歩いていた。全身を覆うゆったりとした赤い服、流れるような美しい銀の髪、特徴的なサイドテール。
ここが人里なら、声をかける男はいくらでもいるだろう。もっとも年甲斐もなくにこにこし、鼻歌を歌っていなければの話しだが。森の陰鬱な雰囲気とは正反対に、その女性は躁状態と言っていいほどのテンションだった。
「フーン♪ フフフフーン♪」
今日は久しぶりにアリスちゃんに会うのだ。気分が弾むのも当然だ。
アリスちゃんが魔界を離れて、幻想郷に住むようになってからもう随分経つ。しっかりものだから、一人でもちゃんと暮らしているのだろう。届いた手紙にも仲の良い友達の話が書かれていた。すっかり馴染んでいるようだった。
しかし、一人暮らしの娘を心配に思わない母はいない。
「アリスちゃん、意地っ張りなところがあるし、本当は困っているのに言い出せないのかも!」
いい加減子離れしてください。と嘆願する夢子ちゃんを振り切り、魔法の森のアリスの家にやってきたのだった。
「道は……こっちであっているわよね」
旅行好きのルイズが作った地図を広げる。間違いない、もう少しで見えてくるはずだ。
そして、おもむろにもう一枚の紙を広げる。アリスちゃんが幻想郷に住みはじめて一番最初に送ってきた手紙。
手紙には拙い地図が記されていた。どこに住んだのか知らせてくれたのはよいが、この地図には魔法の森とアリスの家しか記されていない。つまり幻想郷のどこに魔法の森があるかはわからないのだ。
思わず微笑んでしまう。自分の中ではいつまでも小さいアリスちゃん。今はどんなに立派に成長しただろうか。
「あれかな」
森が開け、小さいながらも洒落た作りの邸宅が見えてくる。森の中でも、ここだけは太陽の日差しが降り注ぎ明るい。先程まではキノコやコケなどの、魔法を志すものにも些か苦しい匂いしかしなかったが、ここには色とりどりの花が咲き誇り甘い香りが漂っていた。
何て挨拶をしよう。そんなことを考えている内に家の前に着いてしまった。
なかなか呼び鈴を鳴らす決心がつかない。
しばらく会ってなかった母の突然の訪問。アリスちゃんはいったいどういう反応をするだろうか。
昔のようにお母さんと言ってくれるだろうか。それとも、もっと格式ばった呼び方か。いや、もしかしたら反抗期で、「帰ればばあ!」などと言われるのだろうか。
「ま、まさかアリスちゃんに限って……でも世間一般の年頃の女の子だと……」
ドアの前で一人悶々としていると家の中から声が聞こえてきた。
(もっと優しく……)
どうやら一人ではないようだ。
「手紙に書いてあったお友達かな。邪魔したら悪いかな」
流石に友人と仲良くしているところに母が連絡もなしにやってくるのは、まずいだろう。KYな母親だと思われてしまう。誰にでも公平、エアリーディングは神の必須スキルだ。
(……なら。……か?)
「ん? 今のは男の声? 」
ア……アリスちゃん、女の子の友達とはがり思っていたけど、自宅に入れるほどの男友達がいたの!?
落ち着け、仮にも神である私が動揺してどうする。昨今ではこんなことは珍しくない。そうだ、もう少し近くで聞いてみよう。ドアに耳を当てれば詳しい様子がわかるはずだ。
「そこは違うわよっ」
「む、すまないこうか?」
「きゃっ」
えっ? なにこれ? やっぱりこれはあれなの?
男女二人で行う神聖な儀式……
まてまてまてまて! いや大丈夫。私、大丈夫。ぜんぜん動揺してないよ。これぽっちも動揺してないよ。
これは……そうあれよあれ。ドアを開けたら二人で仲良く人形作りをしていましたとかそういう落ちよっ。
わかってしまえばなんてことはないわねっ。
ここは『何してるのあなたたち!』とドアを開けるところまでがお約束ね。
「すーーーーはーーーー」
大きく深呼吸。準備はできた。
私は勢いよくドアを開ける。
「何してるの! あなた……たち……?」
目の前では信じられない光景が繰り広げられていた。
眼鏡をかけた男と、アリスちゃんが抱き合っている。しかも若干服がはだけている。それにこの体勢、どうみてもアリスちゃんが男を押し倒している。
な、なにこれはいったい!?
いや状況はわかる。アリスちゃんは私の想像以上に成長したのだ。そういろんな意味で。
ああ、そういえばアリスちゃんは自律人形の研究をしていると手紙に書いていた。なるほど、これもある意味では人形作り自我を持つ人形の作成、生物のもっとも創造的な行為。
そう私と同じでアリスちゃんは創造主になるのだ。
ここは母として娘の成長を暖かく受け入れて……受け入れ……。
「受け入れ……られるかぁあああああ!!」
私のアリスちゃんを誰かに取られる。そんなことは認めるわけにはいかない!
「そういうことは私の許しを得てからにしなさい!」
そうまくし立て、入ってきたばかりのドアから勢い良く飛び出した。
「ちょ! 神綺様!?」
アリスちゃんの叫び声が聞こえたかも気がしたが振り返ることはしなかった。
なぜこのような事態になったのか。そうあれは二日前のことだ。
私と魔理沙はある怪物に襲われた。二人で力を合わせ撃退することができたが、その代償は大きかった。
迷いの竹林の奥深くに、永遠亭と呼ばれる立派な屋敷がある。
月の姫と兎達が住む、幻想郷の中でも相当変わった場所だ。しかし月の医術は確かなもので、永夜異変で永遠亭の存在が明らかになった後は、治療を求める患者が後を絶たない。
その永遠亭のベットで白黒魔法使い、霧雨魔理沙が寝かされていた。
「入院一週間といったところかしら」
永遠亭の頭脳、八意永琳は淡々と告げた。
「一週間! そんなに寝ていたらキノコが生えるぜ!?」
「嫌なら強制はしないけど、うち以外では1ヶ月はかかるわよ?」
月の医術は幻想郷のそれを遥かに凌ぐ。さらに目の前にいる医者は、その月で賢者とまで言われた人物だ。
彼女の診察に狂いがあるはずはなかった。
「しかたないな、アリス。一緒にキノコを生やそう……」
「あら、アリスは入院しないわよ。右腕は骨折していたけど入院するほどではなかったわ」
「くっ、アリスの裏切りものぉ!」
「私だって、腕が固定されて満足に人形操作もできないのよ。我慢しなさい」
「私だけ入院なんて納得いかん!」
そう言って、ベッドの上で手足をばたつかせる。これだけ元気があれば入院の必要があるのか確かに疑問ではある。
「わがままはそれくらいにしないか。それに僕は善良な一市民なのにも関わらず被害を受けたんだぞ」
唐突に割り込んだ声は、道具屋を営んでいる青年だ。青年といっても妖怪と人間のハーフでありその年齢は百を越している。
すらっとした長身に灰色の髪、幻想郷では珍しい眼鏡。以前魔理沙の実家で道具屋修行をしていたらしく、魔理沙に対して兄のような態度を取ることがある。
そんな彼は魔理沙を心配して駆けつけた――わけではなかった。
「お前はどこも怪我をしていないじゃないか」
「無事じゃなかったのは僕の家だ!」
「住み処は住人に似るっていうのは本当みたいだな。香霖に似て軟弱な家だ」
魔理沙らしい傍若無人なもの言いだ。これで人生何とかなると思っている魔理沙が信じられない。しかも文句を言っても聞きはしないので性質が悪い。
「僕の体力と家の強度は関係ないだろう! それに家を壊しておいて、僕に何かいうことはないのか?」
「うっ……。すまん、悪気はなかった」
意外なことに魔理沙はすぐに謝った。渋々ながらではあったが。こんなに素直な魔理沙は初めてみた。店主のこんな一面を見たのも初めてだ。やはり昔からの付き合いと言ったところだろうか。
「悪気があったら大変だ。僕は魔理沙の非行に気がつけなかった保護者として後悔しているところだよ」
なるほど、保護者か。しかし店主の常識では、一生涯本を借りるという行為は非行に入らないのだろうか。まあ知らないだけかもしれない。今度こっそり教えてみよう。
「それにしてもよく生きてたわね。怪我ひとつしていないみたいだし」
魔法の糸にマスタースパークを収束させるという大技は、何の因果か香霖堂の手前で拡散、店を跡形もなく破壊した。あの攻撃が直撃すれば、幻想郷トップクラスの妖怪でもただではすまないという自信があった。
「それは僕が草薙の……」
妙なところで店主が口ごもり、魔理沙に向けていた視線を逸らす。
「ま、まあいまさら終わったことを言っても仕方ない。そこでだ、僕をここに泊めてくれないか。魔理沙を止められるのは僕くらいだ。悪くない取引だと思うが」
「それは魅力的な提案ね。でも私の病院は変態お断りなのよ。八意特製プロテインのモニターになってくれるなら考えるけど」
「そ、それは慎んで遠慮させていただくよ。僕はまだ命が惜しいのでね……」
さすがに永琳の実験に付き合うのに二つ返事、というわけにはいかないのだろう。表情もやや引きつっている。
というか変態ってところは否定しないの?
以前から香霖堂の店主には怪しげな噂があったが、本当なのかもしれない。
その変態……もとい店主は、どうしたものかと思案しているようだ。
しばらく唸っていたが、急に私の方を向いた。
「君の家に泊めてくれ」
……は? あまりの予想外の言葉に、よく聞き取れなかった。いや音自体は聞こえているが、意味が理解できなかった。
店主が少しずつ距離を詰めてくる。
「君の家に泊まりたい」
じりじりと距離を詰める店主の気迫に押されながらも、私は何とか言葉をつむいだ。
「ま、魔理沙の家に行けばいいじゃない。ちょうど入院中だし……」
「それはないぜ!」
「それはできない!」
二人の声がキレイにそろう。
魔理沙が嫌がるのはわかるが、なぜ店主も嫌がるのだろう。いくら魔理沙の家が片付いていないからといっても、崩壊した香霖堂で過ごすよりはいいだろう。
妹のように接してきた女の子の家に、一人で泊まることに抵抗があるのか
それとも何か魔理沙に負い目でも感じているのだろうか。
「そういえば、アリスは人形と一緒に寝ているから変態だよな。よかったな香霖」
「よろしく頼むよ。変態同士仲良くやろう」
「何が仲良くよ! それに人形と一緒に寝ているくらいで変態扱いは酷いでしょっ」
「僕も人形と一緒に寝ているが」
「あんたがやったら変態だーーー!」
それから紆余曲折があったが、結局店主は私の家に泊まることになった。
「いらっしゃい……お客さん用の部屋はあちらよ」
私はやる気のない口調とともに、奥にある部屋を指し示した。はぁ、今日は厄日だ。昨日も散々な目にあったが、今日は別の意味で酷いことになりそう。
「準備できているのか」
「べっ別に泊まってほしくて準備してあるわけじゃないんだからねっ。森で迷う人がいるからそのときのためよっ」
変な勘違いをされたら堪らない。私は必死に主張した、自身の行動の正当性を。
「わかっている。唐突だったろう。君にはすまないことをしたね」
一転してまともなことを言う彼に違和感を覚える。しかしよくよく考えてみたら、店にいるときの彼はこんな感じだったかもしれない。
先程までは魔理沙がいたから素が出ていたのかもしれない。
素が変態なのもどうかと思うけど。
「君は香霖堂の数少ない普通の客だ。迷惑をかけることを本当に申し訳なく思っている。手伝えることがあれば何でも言ってくれ」
優しげな微笑みを向ける。その瞬間、心臓が高鳴った。一瞬どきりとしてしまった。落ち着け私、今は優しく、そしてちょっとだけ格好良く見えるが、その本性は変態だ。
「じゃあ『君』はやめてもらえるかしら? これから何日かは一緒に住むんだし……」
『一緒に』……という言葉を妙に意識してしまう。
今まで迷い人を一泊させたことはあったが、異性と何日も一緒に過ごすことなど初めての経験だった。
「ふむ、確かに今は店主と客の関係ではないな。ではアリス」
「いきなり親しげねっ」
君はやめて、とは言ったがいきなり呼び捨て!? 切り替え早すぎでしょっ。
店主が再び迫ってくる。もうやだ、このパターン。
「僕も店主はやめてくれ。森近霖之助という名前がある」
「森近さん」
「名前でいい」
名前!? 一緒に住むからって何もそんなに親密さをアピールしなくても。
俯いていると更に近づいてくる気配がする。名前で呼ぶまで待っているつもりなのだろう。
私は意を決して顔を上げた。目の前に、私をこんなにも混乱させる男の顔――。
「り、霖之助……さん」
なにこれ――これではまるで新婚さんじゃない。
「晩御飯の準備をするからっ」
そう言って、台所に逃げ込んだ。
食卓の上には二人分のシチューが並んでいた。昨日作っておいたものだ。温めなおすだけで済んでよかった。そっと自分の腕を見下ろす。悔しいがこの腕では満足に料理はできそうになかった。
ちなみに私と霖之助は隣あって座っている。常識的に考えたら対面に座るだろう。皿はそちらに配置していたのだが、椅子と共にわざわざ私の隣に移動してきたのだった。
この男、どこまで私に干渉するつもりかしら。
「いただきます」
霖之助は感謝の言葉とともに、丁寧にシチューを口に運んだ。
「どう?」
「君の作ったものなら何でもおいしいよ」
「新婚設定はいいから!」
「いや本当に君の作ったものならなんでも……」
そう言った霖之助の視線が妙な方向に向けられる。 その先には上海人形が佇んでいた。腕が使えない今では満足に動かせないが、私が作った人形の中で……ん? 私が作った?
――僕も人形と一緒に寝ているが――
その意味に気付いた私の頬が、恥ずかしさと怒りによってみるみる赤くなる。
「なに考えてるのよ!」
私は横にいた霖之助を、思い切り突き飛ばす。彼は座っていた椅子ごと左方向に倒れた。
どさっ、と鈍い音が響く。まったくこの男にはもう付き合っていられない。ここまで変態だとは知らなかった。客が少ないときは、ふんどし一丁で店番をしていることもある。そう魔理沙が言っていた。そのときはありえないと思っていたが、認識を改めたほうがいいかもしれない。
倒れた霖之助を完全に無視し、私はスプーンを手に取った。
皿とスプーンがぶつかりあい、カチャカチャと金属音を奏でる。
「むっ」
シチューに入っているジャガイモを取ろうとしたのだが、あと少しというところで逃げられる。
皿の縁を使ったり、スプーンを突きさそうとしてみたり色々試すが……。
「そんな……。幻想郷一の器用さを誇るこの私が……」
信じられない。利き手が使えないだけでこの体たらくとは。やむを得ない。こうなれば最後の手段しかない。あまり使いたくない手段ではあったが。
私は皿に直接唇を近づけた――。
その瞬間カシャッ、と無機質な音が響いた。
私はゆっくりと、先程突き飛ばした男のほうを見る。
そこには、したり顔の霖之助が立っていた。その右手にはカメラを持っている。
「ほう、アリスは幻想郷一器用だと思っていたが……これは認識を改めなければいけないかな」
顔全体を皿に近づけながら食べている自分は、傍から見たら随分と不恰好だろう。その写真を撮られてしまった。私は目の前の男に致命的な弱みを握られたのだ。
いや、まだ諦めるには早い。ここで弱気な態度を見せたら私はこの男に一生頭が上がらなくなる。
「余計なことを喋ったらあんたが変態だって言い触らすわよ」
精一杯強気の態度を見せ、目の前の男を睨みつける。だが彼は全く動じなかった。
「ふむ、僕は別に構わないよ」
そう言って霖之助は、カメラを撫でた。
「アリスの一枚目の写真。可愛く撮れているはずだよ」
駄目だこいつ……。
しかし、これで私は完全に窮地に立たされた。
私に選べるのは敗北の方法だけ……。
もしあんな写真を天狗の新聞にでも載せられたら、私のアイデンティティーは崩壊し、ここでは暮らせなくなる。
霖之助の脅迫に屈した場合、私は一生この男には逆らえなくなる。
幻想郷中に醜態を晒すか、霖之助のおもちゃになるか――。
答えは決まっていた。
私は覚悟を決めた。自分のプライド守るため、目の前の男に屈する。屈辱だがこれしか道は残されていない。
「望みは何かしら?」
悲壮な覚悟を持って尋ねる。一生この男の金づるにされるかもしれない。怪しげな道具を高値で売りつけられるかもしれない。でも私は幻想郷が好きだ。ここで暮らせなくなるくらいなら……。
「では口を開けもらおうか」
「ふぇっ!?」
な、何言ってるのこの男はっ。いくらプライドを守るためとはいえ、そんなこと……。 さっきまではどんなことでもと思っていたが、いざ具体的な行為を示されると流石に抵抗がある。
「さぁ家族になろう」
「こっ、ここは全年齢よ! そういうことは別サイトでやりなさい!」
「何を訳のわからないことを言ってるんだ」
霖之助との距離がどんどん縮まる。吐息が届くほどの距離に接近され、肩に手を回される。私は恐怖で動けず、目を固く閉じることしかできなかった。そしてとうとう私の口に固いそれが当たる。
霖之助のそれは、私の中に進入しようと、強引に唇にぶつかってくる。
(く、苦しい。もうだめ……)
堪えきれず、私はとうとう霖之助に屈した。その瞬間、口の中で芳醇な香りが広がる。甘くてクリーミーそれはまるでシチューのようで……
私は口の中に入ってきたものを飲み込む。
「あれ?」
これシチュー? よかった。表現に非常に困る、恥ずかしいことをさせられるのかと思った。スプーンで食べさせてもらうくらいなら――。
「てぇえええええ! 何するのよ!」
「食べさせてあげているのだが。はい、あーん」
「くっ」
写真を撮られている以上、こちらに選択肢は存在しなかった。
「はぁ」
つ、疲れた。食事するのがこんなに大変とは……。全く何考えてるのよっ、あの男は。
当の霖之助は、後片付けをしてくれている。アリスは怪我をしているのだから無理するな。そう言ったのが半刻ほど前。
私は自室で本を読んでいた。いや正確には眺めていただろう。今日の出来事を整理するだけで頭がいっぱいだった。
どうやって霖之助の呪縛から逃れるか考えていると、コンコンコンッ、とノックの音が聞こえた。続いて霖之助の声。
「アリス?」
「いないわよ」
「そうか、風呂を沸かしたのだが入らないか」
確かに先程の騒動で変な汗をかいてしまった。さっぱりして今日の嫌なことも忘れたい。
私は立ち上がり部屋の外にでた。
「ぜったい覗かないでよ!」
そう宣言し浴室へ向かった。
「ふう」
少しずつ湯船に浸かる。温めのお湯が心地よかった。腕に巻いたままの包帯は気になるが。思えば他人を家に泊めること自体久し振りだった。今度魔理沙を家に誘ってもいいかもしれない。
「それにしても……明日もやっていけるのかな」
ガラッ。
空気が凍りつく、というのはこういうことを言うのだろう。浴室は十分暖かかったはずだが、今の私が纏う冷気は湖の妖精以上だろう。
「アリス背中を……」
「覗くなって言ったでしょーがぁああああああ!」
近くにあった風呂桶を全力投球。それは一直線に霖之助の向かい、顔面に直撃した。こういうときの命中率は100%なのはお約束。変態属性持ちが弾幕勝負をしないのは、こういった弱点があるからなのかもしれない。
「はぁ」
お風呂を上がり、今日何度目かわからない溜め息をつく。体はさっぱりしたが、残念なことに気分爽快とまではいかなかった。
「すまない。流石に配慮が足りなかった」
霖之助は少し反省したようだった。
「私は、しばらくここで本を読んでいるわ。あなたはどうする?」
「僕もそうしよう」
静かな時間が流れる。今まで迷い人を泊めたときは、ずっと人形の研究をしていた。泊まる方も、そんな私を気味悪がったのか客室から出てこなかった。
会話こそないが、同じ空間で本を読む。これがこんなに穏やかな時間だとは思わなかった。
今日はこの男に散々な目に合わされたが、この時間はいい。幻想郷において、こういう時間の良さがわかるものは少ない。私は霖之助の評価を改めたほうがいいかもしれない。まぁ、先程改めたばかりだからまだ保留だけど。
「ねえ」
意を決して呼びかけたみたが、返事はなかった。 本について、少し語って見たくなったのだけど、呼びかけに気がつかないほど真剣に読書をしているのかしら。
「霖之助……さん?」
霖之助はソファーにもたれかかり、本を手にしたまま眠っていた。
今日は彼にとっても大変な一日だった、ということに唐突に思い当たった。
あの戦闘の直後に霖之助は駆けつけた。最初は文句の一つも言いに来たのかもしれないが、魔理沙の怪我を見て目の色を変えた。
「かすり傷だぜ」と軽口を叩いた魔理沙を、彼は一喝した。
「こんなときに強がるな!」と。
「紫、助けてくれ! そこにいるんだろう!」その悲痛な叫びが今でも胸に残っている。 彼は紫にあまり借りは作りたくないようだった。
その彼にそうさせるほど、魔理沙は大事な存在なのだろう。
結局、私たちは紫の能力で永遠亭に運ばれ、応急処置を受けて一泊することになった。魔理沙が眠ってからも、彼は一睡もせずに見守っていた。
こんなお兄さんがいる魔理沙が、正直言うと羨ましい。
私には、ここまでしてくれる人はいるだろうか。
助けてくれる人はいるだろう。魔界の家族とも言える人達。でも私は、心配してもらえる魔理沙が羨ましいわけではなかった。叱ってもらえる魔理沙が羨ましかった。
あの人は私を叱ってはくれなかったから――。
「お兄さん……か。いたらどんな感じなのかな」
霖之助に風邪を引かせてしまっては、魔理沙に申し訳ない。私は霖之助の肩を静かにゆすった。
「寝るならベッドに行きなさい」
眠りは浅かったらしく、霖之助は若干寝ぼけながらも立ち上がった。
「あぁ。すまない……」
彼はゆっくりと立ち上がり客室に戻った。
怪我もしているし無理はよくない、私も休もう。霖之助が部屋に戻ったのを確認し、私も自室へ戻った。
本来、魔法使いには睡眠も食事も必要ない。しかし、生活リズムを保つために、私はどちらも行っている。いくら体が大丈夫だといっても、心には良くない。
このあたりは生まれつきの魔女ではないからだろう。お腹も空くし今だってこんなに眠たい……。
私はそのままベッドに倒れこんだ。
夢を見ている。そう気が付いたのは、自分が今よりも随分幼い姿だったからだ。そしてこの場にいるのは自分だけではなかった。自分と同じ年頃の魔法使い、ユキとマイ。そして魔界の神、神綺様。
神綺様はとても怒っていた。怒られる側は、皆項垂れており神綺様から目を逸らしている。
あのときだ。神綺様がこんなに怒った表情を見せたのは、私の知る限りでは一度しかない。
このときは魔法を覚えたばかりで、制御が完璧ではなかった。しかし、どうやら私には魔法の才能があったようで、次々に魔法を覚えていった。そんな私にユキとマイは様々な魔法を教えてくれた。そう、神綺様がまだ危険と言って教えてくれなかった魔法も。
制御不能の魔法が暴発した結果、練習をしていた森林が瞬く間に炎に包まれることになった。運の悪いことに暴発した魔法は強力で、マイの氷の魔法程度では消火が追いつかなかった。
「どうしてこんなことしたの!」
厳しい表情、大きな声、ユキとマイを見据える視線。神綺様は私ではなく、二人を叱っていた。
「それは……」
「危険だという事を知らなかったわけではないでしょう」
そう言われてユキは口を閉ざしてしまった。マイは先程から微動だにせず、項垂れたままだ。私は黙っていることに耐えられず告白した。
「おかあさん。私が悪いの。私が魔法を教えてって言ったの!」
「いいのよ。アリスちゃんは何も悪くない。ユキとマイは魔法の危険性について、十分知っていたはずなのだから」
何も悪くない――。そんな風には到底思えなかった。私を安心させるために言っただけの言葉。でも、それが私と二人の違いを確信させた。
この人は私を叱ってはくれない。
だって本当の家族じゃないから……。
グリモワールだって危険な魔術書のはずだ。なのに持ち出したときに何も言われなかった。
差し込んできた朝日で目を覚ました。魔法の森は全体的に薄暗いが、アリスの家の周りには大きな木もなく、太陽の光が直接降り注ぐ。
久しぶりに魔界の夢を見た。暖かく優しい私の家族。みんな私に優しく、気を遣ってくれた。でも、その優しさが本当の家族でないことを、否応無しに自覚させた。
頬を熱い液体が流れるのを感じる。
やだ、私泣いてるの? 夢で昔の事を思い出して泣くなんて、子供じゃあるまいしどうかしてるわね……。
そのときコンコンコン、と静かなノック音が聞こえた。
「起きてるか?」
霖之助の声。起こしに来てくれたのだろうか。そうだ、今は彼がいるのだ。こんな姿はとてもじゃないが見せられない。私は服の袖で、急いで涙を拭った。
その直後にドアが開き、霖之助が部屋の中に入ってくる。
「おはよう。アリス」
「おはよう」
「……」
「なっなによ?」
霖之助が怪訝そうに私の顔を覗き込んでくる。
「泣いていたのか」
「ちがうわよっ」
「涙の跡が」
思わず、袖で拭ってしまった。
「やはりな」
「っ!」
はったりにまんまと引っ掛かってしまったのか。
「悲しい夢でも見たのかな」
「そんなことないわよ! いまさら夢くらいで……泣かないわよ」
「夢じゃなくても、アリスは泣かないだろう」
「そうよ。今までだってそうだった。それに、今回の件で私はもっと強くなると決めたの」
「駄目だ。自分に嘘を吐いてはいけない」
「そんなこと――」
「他人を傷つけない為に、嘘を吐くこともあるだろう。それは良い嘘だ。だが自分に吐く嘘は、自分を傷つけることにしかならない」
「……」
「朝ご飯を作ったんだ。一緒に食べようか」
朝食は、おにぎりだった。シャケ、おかか、梅などなど、なかなか種類も豊富だ。家にはない食材だったので聞いてみると、朝早くに霖之助が家から持ってきたものらしい。
昨日、食器が上手く扱えなかった私を気遣ってくれたのだろうか。
私は少しずつ霖之助に対して、心を開いていった。
だから白々しいのは百も承知で、こんな事を聞いてしまった。
「ねえ。私の友達の女の子の話、聞いてくれる?」
「ああ」
「その子は、小さい頃の記憶がなくて、自分が誰でどこから来たのかもわからなかったの。でも優しい人がいて、その子を自分の娘として育てることにしたの。母には、他にもたくさんの子供がいたのだけど、誰にも分け隔てなく、ううん、特にその拾われた子には優しかったわ」
霖之助は無言で、しかし真剣にこちらの話を聞いている。
「優しすぎたのよ。何をしても絶対に怒らない。その子はそれで悩んでいたの。自分は本当に家族と思われているのかって。この子の事、どう思う?」
「可愛いな」
「真面目に聞いてるのだけど」
「失礼、率直な感想だったのだが。ふむそうだな。僕の見た限り、その子の方にも問題があるんじゃないか」
「どうして?」
「その女の子は自分で壁を作っていないか。自分は本当の娘ではないから、他の子よりも頑張らないといけない、とかね」
言葉に詰まる。まさに魔界で暮らしていたときの私だ。
「でも、家族として見てもらうためには頑張らなきゃいけないでしょ。……本当の家族ではないのだし。それも壁だっていうの?」
「きっと母親になればわかるだろう。娘に甘えてもらえない寂しさが。そしてそんな娘に甘えて欲しくて、厳しくできないことが」
「あなたも母親になったことはないでしょっ」
「確かに僕は母親にはなれないな。それどころか、父親になる気も全くない。だが保護者ではある」
「魔理沙に頼ってもらえないのは寂しい?」
「ああ、寂しいね。昔はあんなに頼りにされていたのに、今では便利屋扱いだ。それでいて本当に大変なことは一人で抱えこむ。全く困った子だよ」
「そういうものなのね」
「おっと、今の話はもちろん魔理沙に秘密にしておいてくれよ。これでも、まだまだ兄貴面はしていたいのでね」
「わかったわ。秘密にしておく」
「ありがとう。君が秘密というなら安心だ」
「最後に一つだけ。その子はもう母親に甘える年齢ではないのだけど、どうすれば、家族になれると思う?」
「そういう風に考えないことさ。家族は『なる』ものじゃない」
「どういうこと?」
「家族は……『在る』ものなんだ」
「在る……」
「難しく考えることはない。たまには甘えてみたり、思っていることをぶつけてみたりすればいい。妖怪に年齢なんて、あってないようなものだ」
「そう……」
「と、その女の子に伝えておいてくれ」
「ええ、ありがとう」
誰の事か当然気がついていたはずだが、私も忘れかけていた知り合いの子という設定に付き合ってくれた。
霖之助は優しい。普段の店主としての彼ではなく、昨日まで思っていた変態でもない。これが彼の真実の姿なのかもしれない。
「ごちそうさま。ちょっと君の人形に触ってもいいかな」
一瞬昨日の出来事が頭をよぎったが、すぐに思い直した。
霖之助は自分にここまでしてくれたのだ。
「好きにして構わないわ」
「君は大江戸というのか。能力は爆発。可愛いのに過激だな」
霖之助はよしよし、と言いながら大江戸の頭を撫でている。
「向こうにある人形は?」
「この前の戦闘でね……。早く治してあげたいのだけど、私もご覧の通りで」
そこには、無残な姿の人形があった。あの化け物に対して、私の人形躁術はほとんど通じなかった。もっと強くなる。その決心を鈍らせぬよう、治すまではあえて目に付くところに置いてあるのだった。
「もしよければ僕が修理しようか。僕も器用なほうだ。アリスに教えてもらえればできると思う」
「お客さんにご飯まで作らせてしまったし、これ以上は悪いわよ」
「気にすることはない。それに僕は借りは早く返すタイプなんだ」
「魔理沙にも見習ってほしいわね……。そこまで言うならお願いするわ」
言うだけあって霖之助はかなり器用だった。しかも恐ろしく飲み込みが早い。ちょっと教えるだけで理解し、手際よく人形達を治していく。 知識に対する貪欲さは魔法使いに通じるものがあった。
しかも人形に触れただけで、どこが悪いのかを言い当てる。彼の能力は道具の名前と用途がわかる程度なのに。おかげで私は横から口を出す程度で済んでいる。
「もっと優しく、女の子なんだから」
「それなら。これくらいか?」
「そうそう、いい感じよ」
霖之助が次の人形を手にする。一体の人形に続いて次々に小剣による攻撃を繰り出す、戦闘に特化した人形だ。連動機能がついているため、修理も複雑だし手順を間違えると人形が暴走する危険もある。
「先程と同じかな」
そういって霖之助は人形の肩に触れる。
「そこは違うわよっ」
あの人形の肩に触れると、現在触れている相手を攻撃目標に設定する。続いて腕に触れると、目標に対して攻撃を開始する。今修理中の人形は小剣を持っていないが、連動する人形の小剣は取り外していなかった。
「む、すまないこうか?」
そういって霖之助の指が、人形の肩から腕をなぞる。
「だめーーー!」
既にスイッチが入ってしまい止められない。三体の人形の鋭い刃が霖之助に迫ったが、彼は事態が飲み込めていないようだった。
私は咄嗟に、椅子に座っている霖之助を押し倒した。その瞬間背後で刃が掠めるのを感じる。私たちが派手に床に倒れこんだ直後、ガッ、と壁に剣が突き刺さる音が聞こえた。 危ないところだった。あんな攻撃をまともに食らったら、今度こそ入院は免れないだろう。
「ありがとう、助かった。やはり素人が手を出すべきではないな」
「いえ、謝るのはこちらのほうよ。注意が足りなかったわ」
「確かに、君はもう少し注意したほうがいいな……」
霖之助は顔を赤らめながら、私から視線をそらした。
なぜ彼が赤くなるのだろう。いや待て、彼の視線は私の目を見つめていなかった。正確には目よりももっと下――。私は恐る恐る、視線を胸元に向ける。
「包帯で固定された腕で隠されてはいるが、僅かに覗く白い肌が逆に扇情的だ。書籍で見るのとは大違い……。やはり生肌は格が違った」
「……」
「僕の――が有頂天」
「私の怒りが有・頂・天よ!」
怒りに任せて、馬乗りになったまま霖之助を殴り続ける。
「や、やめてくれ!」
「我慢しなさい! 私の痛みにに比べれば大したことないでしょっ!」
霖之助の空気を読まない発言により、私は我を忘れて、がむしゃらに襲い掛かった。しかしそんな空気を破壊する者が現れた。
「何してるの! あなた……たち……?」
あれ……? 神綺様? どうしてここに?
ってこの状況、だれが見ても勘違いされるじゃない!
神綺様は先程から俯いて何やら呟いている。早く説明しないと――。
「受け入れ……られるかぁあああああ!!」
突然の絶叫。
「そこの男! そういうことは私の許しを得てからにしなさい!」
「ちょ! 神綺様!?」
言うだけ言って魔界の神は立ち去ってしまった。
あとには微妙な空気の二人が取り残されていた。
「そろそろどいて欲しいのだが」
自分がまだ香霖堂の店主と抱き合っていたのを思い出す。
「っっっ!?」
とっさに飛び跳ねる。ついでに倒れこんでいる店主に強烈なローキックを放つ。
「ぐふあぁ。痛いじゃないか……」
「ちょっとあなたのせいで勘違いされたじゃない!」
「いや、君にも責任はあると思うぞ」
「私の責任は二割八分六厘にも満たない」
「僕は二色ではないのだがね」
「とにかく神綺さまのところにいくわよ」
「そうだな、許しを得ればよいと言っていたし」
「誤解を! 解きに! いくのよ!」
博麗神社の裏山、そこには小さな洞窟がある。そこに魔界に通じる道がある。まさか自分が、男連れで故郷に帰ることになるとは思わなかった。
「こんなところが入り口なのか」
「困ったことにね。おかげで以前えらい目にあったわよ」
魔界への入り口を開く短い呪文を唱える。
「今の魔法、僕でも使えるかな」
「ええ、簡単だし呪文を覚えれば……って」
「これから何度も行き来するだろうからな」
「悪夢だわ……。さっさと行くわよ!」
歪んだ景色が続く。しばらく歩いたところで、唐突に景色が鮮明になった。
あたり一面に緑の草原が広がっている。空も雲ひとつない快晴。空気も澄んでおり、どこかの高原のようだ。
「ここが魔界……なのか?」
「初めて来る人は驚くわよね。もっと禍々しいものを想像しているのかしら」
「魔理沙に聞いた話と全然違うが」
「あのときは対侵入者用の場所に誘導したのよ。こっちが普通」
昔の記憶を思い出しながら神綺様の屋敷に向かう。 途中誰にも会うことはなかった。サラさんとかルイズさんとかには会いそうなものだけど。とうとう神綺様のお屋敷についてしまった。
「順調に進んでいるようだが大丈夫なのか。僕が言うのも何だが無用心ではないか」
「用心する必要もないのよ」
私は屋敷の扉を押し開ける。
「それにここには――」
屋敷に入ると、一人の女性が恭しく礼をしていた。
「ようこそおいでくださいました」
そこには最も優秀な魔界人が立っていた。
メイド服に身を包んでいるが、一部の隙もない。鋭い目つきに完璧な所作。客に対して失礼はないが、一線を引き余計な干渉は一切しない。こちらが怪しげな態度を取れば、次の瞬間には命がなくなっているだろう。そんな彼女の獲物は無数の短剣だった。
咲夜に初めてあったときは、似ている部分が多く驚いたものだ。メイドは大体こんな感じなのかもしれない。
もっとも、彼女は金髪だし、胸も――まあ流石にこれは咲夜の前では言えない。
「夢子さん、ご無沙汰しております」
「アリスちゃん。大きくなったわね。私がどうしてここにいるのか……わかるわね?」
相変わらずの厳しい表情。私たちを侵入者として対処する、ということだろう。だが、こちらにも引き下がれない事情がある。
「退いてください。神綺様にお伝えしたいことがあるのです」
「退かない……と言ったら?」
「力ずくでも通してもらおう」
霖之助が一歩前に出て力強く答える。この自信はどこから来るのだろう。
「いい覚悟ね。ではこれを避けられるかしら!」
言うと同時に両腕をクロスさせるように大きく振った。その瞬間、どこからか無数の刃が出現し迫ってきた。それは、咲夜が投げるものより大型で、そして何より速い。
頬や肩を、次々と短剣が通り過ぎる。圧倒的な暴力の奔流。
しかし私も霖之助も、一歩も動かなかった。
これは私達を試すことが目的のはず。相手が実力者ならば相応の攻撃をするだろうが、こちらは道具屋の店主に、怪我人だ。状況を察した夢子さんならこの攻撃は――。
「いい目をしているわね。アリスちゃんも、そちらの貴方も」
ようやく嵐のような攻撃が止んだ。後方の扉には、数える気がおきない程度のナイフが突き立っている。
「いいわ。行きなさい」
「夢子さん……ありがとうございます!」
「神綺様はとても強い……。でも二人ならきっと大丈夫……。幸せになってね」
「夢子さん……」
「それは勘違いです……」
去り往くメイドの背中に、アリスの言葉が届くことはなかった。というか短剣は放っておいていいんですか夢子さん!
「いよいよか」
「ええ、神綺様はこの中の大広間にいるわ」
「感じるのか」
「わかるのよ、あの人の性格的に……」
扉を開こうとしたアリスを、霖之助が制した。
「僕に開けさせてくれ」
私は頷き、霖之助に場所をゆずる。広間に続く立派な扉が、少しずつ開かれた。中は薄暗く、様子がわからない。霖之助とともに、ゆっくりと中に入った。
「ようやく来たわね」
言葉と共に広間が急に明るくなる。真剣な表情をした神綺様――私がこんな神綺様を見るのはあのとき以来だ。やはり、その視線は霖之助に向けられている。
「アリスちゃん、私はあなたが選んだ人なら文句を言うつもりはなかったわ」
「選んでません!」
「でも、アリスちゃんが選んだ男がどれほどの人物か。確かめないといけないの」
「話を聞いてください! それは誤解――」
「アリスちゃんの言いたいことはわかるわ。でも私はこの男が本当にアリスちゃんのことを見ているか確かめないといけないの」
霖之助が私の前に立った。まるで私を守るかのように。
「あなたこそ本当にアリスのことを理解しているのか!」
「なんですって……? この世界、いえどんな世界を探しても私ほどアリスちゃんを愛している人はいないわ!」
「確かにそうだろう。だが理解しているとは限らない!」
「私はアリスちゃんを愛しているし、アリスちゃんは私を愛しているのっ!」
神綺様は叫ぶと同時に、霖之助に向かって光球が放った。だが彼は全く逃げようとしなかった。
「ぬおおおおおお!」
光球が直撃し、辺りが光に包まれる。防いだの!? あのひ弱そうな香霖堂の店主が。いや、神綺様が全力を出せば、私だってただでは済まなかったはずだ。これは――。
「次は本気でいくわよ。アリスちゃんに付きまとう悪い虫には容赦しないわ」
「……望むところだ」
「ちょっと何言ってるのよ! 神綺様の本気の攻撃を食らったら!」
「わかってる。だが僕は逃げるわけにはいかない」
「覚悟だけなら及第点ね。アリスちゃん、ちょっと下がっていてね」
「きゃっ!」
私の体が上空に浮き上がる。そのまま空中を浮遊し、神綺様のすぐ側に着地させられる。
「アリス!」
「私の手からアリスちゃんを取り戻して見せなさい。もっともこの弾幕を抜けられたらだけど」
「いくぞ!」
すかさず、先手必勝とばかりに霖之助が駆け出す。
「人間風情が。神の力を思い知るがいい!」
白い大きな翼が神綺様の背中に現れる。その姿はまるで天使のようだが、これは神としての力を発揮するときの予兆。本気で霖之助の相手をするつもりだ。
翼から、レーザーや大弾が雨のように降り注ぐ。いや、雨のようにという比喩表現は適切ではない。文字通り雨だ。回避する空間など存在しない。
「ぐっ」
霖之助の口から苦悶の声が漏れる。霖之助はなすすべもなく後方の壁に叩きつけられた。凄まじい衝撃で壁もあちこちが崩れている。
もう十分と思ったのか、神綺様が唐突に攻撃の手を止めた。
「もうやめてっ! あなたがそんなに本気だなんて知らなかった……。それなら私は――」
「言っただろう。嘘をついてはいけない。それに僕はアリスの本当の笑顔が見たくて戦っているんだ」
「諦めたら? あなたが私たち家族の間に入ることは不可能よ」
「ふっ。僕はアリスと一緒にお風呂に入ったぞ」
「な、なんですって!? でもでも、私も一緒にお風呂に入ったことくらいあるわ!」
「ちょっと! 誤解を招くようなこと言わないでよ! 神綺様もいつの話をしてるんですか!」
「ならば知っているか! アリスはあなたに家族と思われていないのではないか。そう悩んでいることを!」
「えっ。そっそんなはずないでしょう! 私はいつもアリスちゃんを家族と思っているし、学校の宿題もやったし、夏休みの工作も完璧にこなしたわ!」
「それがいけないんだ! あなたほどの人がなぜ気付かない!」
「口から出任せを! アリスちゃんはそんな風に思ってないわ! そうよね?」
「わ……私は……」
私は確かにその事で悩んでいた。でも本当の家族ではないことは紛れもない事実。
「アリスちゃん! こんな男のいう事に惑わされないで!」
「アリス! 自分の気持ちに嘘をつくな!」
そうだ私は悩んでいる。それは自分の気持ちに正直になれないから。もっと私の事をちゃんと見てほしいから。今の状況に納得していないから。そして状況を変えるために何もしていないから。
「神綺様……いえお母さん、拾って頂いたこと、とても感謝しています」
「アリスちゃん……」
「私のために良くしてくれたこと、本当に嬉しかった。だけど……私のこと一度も叱ってくれなかった! 私の前で愚痴を言うこともなかった!」
言ってしまった。自分の感情を全てさらけ出して。
「ごめんなさい。本当は私が悪いの。お母さんと距離を作って――」
言いかけたところで、そっと抱き止められた。お母さんの温もりが直に伝わってくる。
「そうね。アリスちゃんは悪い子ね」
「お母さん、私は本当にお母さんの娘なの?」
「それ以上言ったら、本気で怒らないといけないわね」
「お母さん……!」
「霖之助さん、だったかしら。娘のこと本当によくわかってくれているのね」
「ありがとうございます」
「あなたになら、アリスちゃんを任せていいかもしれないわね」
「認めてもらえるのですね」
「ええ、娘をよろしく頼むわ」
「これで許しももらえた。今日から僕は、君のお兄さんだ」
とうとう私も人妻か。なんだかんだ言っても、結婚は魔理沙あたりが一番早いと思っていたのだけど。……って、あれ?
「ちょっ、ちょっと待って」
「どうした?」
「お兄さんってどういうこと?」
「君をずっと見守っている。困ったときはいつでも頼ってくれていい。そういうことだ
「ふふ、アリスちゃん。いいお兄さんができてよかったわね」
母がこちらを見て優しく微笑んでいる。もしかして私だけ? 勘違いしてたの。
「アリスちゃん。もう一回お母さんって呼んで」
「お、お母さん……」
先程は勢いにまかせて言ってしまったが、改めて言うと恥ずかしい。
「いい。いいわぁ~アリスちゃん。昔みたいにママって呼んでもいいわよっ」
「そんな風に呼んだことはありません。妄想を事実みたいに言わないでください!」
「さっそくアリスちゃんが反抗期になっちゃった……。でもいいのこれはアリスちゃんが大人になろうとしている証拠よ」
急にわだかまりが解けていくのを感じる。今まで感じていた疎外感は何だったのだろうか。あまりに気が抜けて、普段魔理沙と話しているときのような感覚になっていた。
「はぁ、もっと落ち着きを持ってください。年相応の」
「ッッッ!?」
年、その言葉は予想以上に効いたようだった。完全に放心状態になっている。
「お、お母さん!? 今のは別にお母さんが年寄りだって言ってるわけじゃなくてっ。」
「君も言うようになったじゃないか。どうだい? 君が感じていた壁は」
「簡単なことなのね……。本当に。どうしてこんなことで悩んでいたのかしら」
「そんなものさ。悩みなんてね」
「あら、おじいさんみたいなことを言うのね」
「僕には年寄り攻撃は通じないよ。重ねた年齢は知識の証だからね」
そうだろう、霖之助を驚かせるにはこれではだめだ。しかし私には霖之助を放心状態にさせる自信があった。今日は散々、霖之助のペースに巻き込まれたのだ。最後くらい仕返ししてもいいだろう。
「そういえばあなたに言うことがあったわ」
そう言って私は霖之助に背を向ける。
「ん、なんだい?」
私は振り返って、今まで見せたことのない目一杯の笑顔を向けた。そして――。
「ありがとう。霖兄さんっ♪」
おしまい
そんな思いに囚われそうになるも、中身はわりとほのぼのしていてわりといい話な気もするから不思議だ。
おそらくだけど
動機不十分でなに考えているのかいまいちわからんからそうなるんだろう。あと夢子のシーンはいらない。
文章はいいし、キャラもいい。構成がダメだ。
でも、それはダメだ…「変態」だけはダメなんだ…
二人とも「変人」だけど「変態」じゃないんだ…
って、霖之助ですよね?名前間違いしてますよ
普通にイイ話ですよ。正直、どこが変態だったのか
イマイチ、ピンとこないくらいです。
ラブコメドラマな霖之助って感じでした
悪いけど、自分には合いませんでした。
『甘々同棲生活』なんて甘美な響き。
実際、読んでる間中ずっとニヤニヤしてましたよ私。
これは続きが読みたくなる作品です。
そうだな、その通りだ。
やはり、アリスは兄さん呼びがベストだな!
何がどういう経緯でアリスがそういう感情を抱くようになったのかが支離滅裂だし
結論ありきで作品を強制的に誘導させてるから起承転結に関連性が見られないし
キャラの性格も同様に別人でアリスに至っては名前を消したら絞り込みすらできない程の別人度合
正直自分には合わない
ただ自分には無理でした、話のためにキャラがいるような展開もそうですが、そのキャラも存在が原作から逸脱した感が強く受け入れられず。
真面目なコーリン。いや、ちょっとエロい霖之助か?
確かに読む人を選ぶ作品ですね。
まぁたまには頭に浮かんだまま書くのも良いですよね。
ただ、霖くんが一貫した性格じゃなかったのが残念なところだね。変態を貫き通して欲しかったかなぁ。
二転三転しすぎる登場人物の感情や行動にちょっとついていけませんでした。
いろんなゲームや漫画のキャラでも、そういうキャラとしてよくあることですしw
真面目なところは真面目、でもどっか抜けてる、いいキャラでした。
原作との違いは・・・二次創作ですし、私は許容範囲内でした。
まあ、タイトルがちょっとまずかったんじゃないですかねw
是非この路線を突っ走っていただきたいのだが(チラッ
ただ話は面白く、出来も良いと思います。
変態は、賛否判れる表現なのでは無いかなと感じました。
いやしかし面白かった、神綺様かわいい。