*いつもとちょっと違う感じかもしれませんが、長さは割といつも通りです。
また、一部のキャラクターが一般的なイメージとかけ離れている可能性がありますのでご注意下さい。
あと、割といつものことですが、頭の中カラッポで何気なく読むのがおすすめです。
【一】
「魔理沙さーん」
「……んー」
「魔理沙さーん」
「……んぅーぅー」
「まーりーさーさーんー」
「んー……だれだぁーわたしの安眠を邪魔するのはー、鬼かー悪魔かー山田か藍かー」
「東風谷です」
「……何だ早苗か、おやすみ」
「おやすみじゃありません! ほら、次は体育なんですから、起きて更衣室に行かないと!」
ゆっさゆっさ。
机に突っ伏した魔理沙の身体が左右に揺さぶられた。
まだ半開きの寝ぼけ眼に写る早苗の格好が、いつもの腋出し巫女服ではなく、どこぞの玉兎が着てるものに良く似た制服――要はブレザー姿――と気付いて安堵と落胆とを当分に味わう。
「めんどい……サボる」
「駄目ですって、伊吹先生や星熊先生なら見逃してくれるかもしれませんけど、かな……えっと、八坂先生は遅刻とサボりには容赦がないんですから」
「今日サッカーだろー、またボールと一緒にゴールネットを突き抜けるのは御免こうむるー」
体育教師、八坂神奈子。
真っ赤なジャージが妙に似合う美女でありながら、年に似合わぬフランクさで生徒諸氏からの人気は高い。
その一方で、両の胸に規格外のパイナップルを備えているとはとても思えぬ身体能力の高さを誇り、生徒に混じってスポーツに精を出すことも多かった。
通称オンバシラと称されるその鋼鉄の如き右脚が生み出す一撃は、時にボールをクロスバーに接吻させた挙句破裂させると言う。
「いや、それだったらゴールキーパーやらなきゃ良いじゃないですか」
「……しょうがない、今日のところはそれでいいや」
先日は対抗心からゴールキーパーを買って出たが、本来そのポジションは中国(仮名)か百合原の白い方とかの領分であって、魔理沙が強硬に主張しなければ自然そのような配置になる。フォワードあたりで対峙する方がまだしも戦術的撤退の余地があろう。
元々体育の授業自体は好きなのだから、あの殺人シュートの直撃さえ避けられるのならばサボる道理はない。
「ほら、霊夢さんも起きてくださいって」
「……すー」
観念して席を立った魔理沙の隣で、早苗がいま一人の居眠り娘を起こし始めた。
休み時間の喧騒も何処吹く風、窓際最後尾の一等席で夢の国の旅を楽しんでいるのは誰あろう、神社の一人娘、博麗の霊夢だ。
「霊夢さーん」
「……すー」
「霊夢さーん」
「……すー……ぴょー」
「れーいーむーさーんー」
「ん…………ぬぅ?」
早苗のゆさゆさ攻撃に、とろんと霊夢の眼が半分未満ほど開く。
「起きました?」
「…………すー」
「あああほら駄目ですってばー」
「……ぴょー」
「れーいーむーさーんー」
「んー……?」
閉じていた瞼が再び半分ほど上がった。
明らかに一割も覚醒していない目が早苗を見上げ、何を思ったのか、やおら手を伸ばして早苗の腕を掴む。
「はぇ?」
「抱き枕ー」
「わきゃぁっ!?」
ずるがたーん。
見た目からは想像し難い力強さを発揮した霊夢は油断した早苗を懐に引きずり込み、道連れにそのまま床へと倒れこんだ。
「んーふー」
「は、え、ちょ、れいむさひゃあっ!?」
「やあーらかー」
「あ、やっ、霊夢さん、そこ、んっ、やぁっ……」
「また博麗が東風谷を押し倒してるぞー!」
誰かが事態を把握してそう叫ぶや、教室中からきゃーだのわーだのうおーだのくけーだのと色合い豊かな悲鳴やら怒号が響き渡る。響き渡ったそのあたりでようやく意識レベルが覚醒の水準に達したらしい霊夢が動きを止めた。
「……お?」
「あ、あの、霊夢さん……?」
「ん……あー、おはよ早苗」
「お、おはようございます……」
「んー?」
晩秋の楓もかくやというほど真っ赤っかになった早苗に抱きついたまま、霊夢はしばし寝ぼけ眼でそこらへんとかそこらへんを、具体的には年相応に柔らかそうな早苗のそこらへんをむにむにわきわきして、ようやく状況の理解に至ったらしい。
のっそりと立ち上がり、まだ半開きの目で己の両手を意味ありげに閉じたり開いたりしながら、床に座り込んだまま服装をいそいそと整える最中の早苗を見、にへりと一笑しつつ合掌。
「ご利益ご利益」
「何のですかっ!?」
「……お前ら、遅刻するぞー」
すっかり目の覚めた魔理沙が言い終えるのと、予鈴が鳴るのは同時だった。
………………
…………
……
「東風谷、博麗、霧雨、遅刻の罰としてグラウンド5週」
『……はーい』
フランクだがしめる所はきっちりしめる。
体育教師、八坂神奈子(検閲済み)歳の宣言に、一同従う他になし。
【二】
誰かに名前を呼ばれた気がして、魔理沙は眼を開けた。
「……あ?」
柔らかい感覚が首から下を包んでいて、それが毛布だと気付くのにそう時間はかからなかった。
ごろりと寝返りを打って息を吸い、かすかな畳とお茶の匂いを感じると、ああそうか神社で昼寝してたんだっけと思い出して、のっそり身を起こす。
「あ、起きた」
「……おぅ」
声のした方に向くと、いつもの紅白腋巫女服の霊夢が居た。
そのことに安心する一方で、魔理沙は眼前の光景が、どこか奇妙に現実感を欠いているようにも思った。
「…………」
寝起き特有の、薄靄がかった意識で周りを見回し、ひとつひとつ確認していく。
地震から再建を果たして半年あまりの、まだどこか新品のにおいを残した柱やら梁。
先日、急な冷え込みから例年よりもやや早い出動となった、年季の入った炬燵。
炬燵の上には使い慣れ見慣れた湯呑みと、干し柿が盛られた茶菓子入れ、寝に落ちる前は干し柿だったへたがいくつか。
炬燵を挟んで向こう側に座る、さっきまで見ていたブレザーではなく巫女服の霊夢。
そして、いつもの黒白エプロンドレスの自分と、これまたいつもと変わらぬ、いささか発育度合いを疑わざるを得ない急斜面。
「……ふーむ」
「何やってんの」
「あー……」
なんとなく己の急斜面に手をやって考え込む魔理沙を見て、心底呆れた様な霊夢が言った。
「んー……おぉ?」
「寝ボケてるわね」
「いやぁ、何か変な夢見ちゃってさー……」
「あそ」
興味なさそうに呟き、ずずーくはぁなどと茶を啜る巫女。
いそいそとその隣まで這って行って自分も炬燵に入り込み、干し柿をひとつ齧る。
「……うま」
もきゅもきゅ柿を咥えながら、まだ半分も起きていない頭でさっきまで見ていた景色を検証しようとして、しかしどうにも理解と反芻が上手くいかず、しょうがないので湯呑みを手に心底幸せそうな霊夢を眺めた。
「てや」
むに。
おもむろに手を伸ばしてそのほっぺたを摘んだ。
「……なに」
不機嫌そうに半眼で睨まれるが、寝惚けた状態の魔理沙は危機を察せない。
どころか、思わぬ手触りにちょっと夢中。
「おぉ」
そこは霊夢のことであるからして、とりたてて手入れなどしているわけではないのだろうが、瑞々しい張りと程好い柔らかさが心地良い。
つい調子にのってむにむにと弄んでしまう。
ついでにびろーんと横に。
「……こら」
声のトーンが二オクターブほど急降下した。
さすがにそこで一度手を離し、咥えたまま半分ほどになっていた干し柿をまたもきゅもきゅと齧ると、再び手を伸ばす。
「てや」
むに。
「……おい」
「おー……意外とある」
「どういう意味よ」
撫でる以上揉む未満とでも言うのか、差し詰め餅を捏ねる的な感覚だった。
それでも自分のよりいくらか柔らかいような気がするそこ、つまり胸を、巫女服の上からむにんむにんとやった。
「……ふーむ」
一分ほどもそうしてから手を離し、感覚を反芻するようにわきわきと動かす。
霊夢はといえばさしたる反応を示さず、相変わらず湯呑みを手にまったりしていた。
食べ終わりヘタだけになった元干し柿を、何となく舌の上で遊ばせながら、魔理沙は言った。
「……なー」
「なに」
「なんかさー」
「あ?」
「薄そうだよな、ご利益」
がごん。
不意に側頭部を強烈、かつ痛烈な衝撃が襲った。
抜く手も見せず霊夢が放ったお盆の一撃にもんどりうって倒れながら、魔理沙は己の口から旅立った干し柿のヘタを眼で追いつつ、やけにゆっくりと流れる時間の中であーそういえば昨日は宴会だったっけ等とどうでもいいことを思い出し、思い出したあたりでどべしゃと顔面から畳に突っ込み意識を失った。
【三】
次に眼が覚めたとき、魔理沙は布団の中で、ついでに言えばベッドの上だった。
「……あ?」
身を起こし、辺りを見回した末の第一声がそれである。
「……えーと?」
状況の把握は出来るが、理解に至らない。
「なんだこりゃ」
つやつやとしたリノリウムの床、クリーム色の金属製パイプベッドに見慣れない模様の天井と蛍光灯。
そして袖口と首周りが黒に縁取りされた体操服という自分の格好。
「あら、起きました?」
「へ」
聞き覚えのある声が誰のものか判別するより早く、仕切りのカーテンを開けて声の主が現れた。
「……さ」
「さ?」
「……さとり?」
「はぁ……先生を呼び捨てとは感心しませんね。まあ、あんまり『らしく』見えない私にも原因の一端はあるのでしょうが」
薄紫色の髪をゆっくり左右に揺らしながら、いつもの、どことなく園児服を連想させるアレの上に白衣を羽織ったさとりが、呆れたように苦笑する。
「あ、あー……えっと、ごめん、さとり先生?」
「ふむ、まあいいでしょう。それで、まだ痛みますか?」
「え、あ、えーと……」
柔和に微笑むさとりにペースをちょっと乱されながら、慌てて自分の状態をチェック。
少し後頭部が痛む以外、これといって異常はないように思った。
「特には」
「ふむ、この辺りがまだちょっと、ってところですか」
「うぇ?」
ああそうか心を読まれたかとちょっと身構える。
「霧雨さんは、気になる所があると無意識にそこを触ろうとして、直前で手を止める癖がありますからね。分かりますよ」
「……あー、あはは」
自分のそれとあまり変わらない大きさのさとりの手が後頭部の、痛みを感じるそこを確実に捉えていた。
「ふむ……少し腫れてますけど、特になんともないですね。冷やしますか?」
「んー、いや、これぐらいなら大丈夫だろ」
「そうですか。起き上がれるならもう帰っても良いですよ」
「あ、えーと……」
「? どうしました?」
「ここって、地下なのか?」
「……保健室は一階ですよ。常連の霧雨さんが知らない筈はないと思うんですが……あ、もしかして」
ふわり、とまた頭を触られ、というか撫でられる。不思議と良い香りがした。
「打ち所が悪かったんでしょうか。何でも神奈子先生のタイガーシュートだか烈蹴紅球波だかハイパー銀色の脚スペシャルとかが直撃したって聞きましたけど」
「え、あー、そうなのか?」
「覚えてないんですか? ……これは、思ったより重傷かもしれませんね。なんなら八意先生に診てもらった方が――」
「い、いやいや! 大丈夫、今思い出した!」
八意、という単語が魔理沙の意識を悪い意味で刺激した。
と、いきなりドアが開いて誰かが保健室に飛び込んでくる。
「せ、先生! さとり先生ぇー!」
「あら、どうかしたんですか、火焔猫さん」
「おい」
お燐だった。それはいい。
だが、駆け込んできたお燐は何故かセーラー服姿で、眼鏡までかけていて、しかも頭には普通に猫耳が生えたままだった。この学校ブレザーじゃなかったんかい。
舞台設定が良く分からんなぁ等と、露骨に首を捻った魔理沙をスルーしてお燐がまくし立てる。
「グラウンドでお空と天子ちゃんが――」
「いやまて、ちょっと待て」
飛び出てきた固有名詞に突っ込まざるを得なかった。
「なんでその二人なんだ!」
「何でって、魔理沙もあの二人が野球部だってことくらい知ってるでしょ? まったくもー二人揃って三振王のくせに打順は4番がいいとか喧嘩してて……ってああ!」
懇切丁寧に状況説明をしようとして、いきなり大声を出すお燐。
それで事態を把握したらしく、さとりがゆっくりと口を開いた。
「顧問の伊吹先生はどうしたんですか」
「いや、それが星熊先生と二人でさっさと引けちゃったらしくて……あ、何でも隣町に新しい飲み屋が出来たって言ってました」
「……お二人にも困ったものですね、えーと、それでは空気が読めると評判の永江先生は?」
「『淑女危うきに近寄らずですよ』って言い残したっきり姿が……」
役に立たねぇ。
「……はぁ、分かりました、私が行きます。またグラウンドが地割れやクレーターで使い物にならなくなっても困りますからね」
「助かります! それじゃ、あたいは先に行ってますから!」
諦めの色もあらわにさとりが言うと、お燐はどたばたと騒がしく出て行った。
「……なんなんだ?」
「仕方ありませんね、いつものことですから」
「日常茶飯事で核融合対地震たぁ傍迷惑な……」
「それでは私は行きますね……あ、霧雨さん、今日はもう帰ってもいいですけど、何か変だと思ったらすぐに病院に行って下さいね。それじゃ」
言い残してさとりも小走りに保健室を出て行く。
あまり急いでいるようにも見えなかったが、もしかしたらあれで全力疾走なのかもしれない。割とちっこいし。
「……良く分からんなぁ」
再度、首を捻る。
駄菓子菓子、いやだがしかし、捻ってるだけで事態がどうにかなるものでもなさそうだった。
「……うっし」
ベッドを降りる。
ご丁寧にも『霧雨』と書かれた上履きが置いてあったので履いた。見た事すらない物のはずだが、妙にしっくりと馴染んだ。
「まずは探検からだ……と、その前に」
自分の格好を見直す。とりあえず着替えたほうが良さそうだった。
「この妙に寒々しいのはどうにかしよう」
下に履いているのは、ぴったりと下腹部を覆う服。すらりと伸びた脚線美に自画自賛。
一般に、ブルマーと呼ばれる絶滅種だった。しかも赤よりあかい紅。
【四】
「妙だ」
腕組みし、首をしきりと捻りながらぺたぺたと廊下を歩く。
ひとまず更衣室で制服(やはり自分のもブレザーだった)に着替えたのは良いものの、そもそも一人でちゃんと更衣室に辿り着けたこと自体が不思議でならない。
どうして場所を知っていたのか、或いは状況的に見て『覚えていたのか』とする方が適しているかもしれないのだが、魔理沙的に後者はいささか受け入れ難いところである。
「校舎の位置関係とかは、何でか解るんだよなぁ、何がどこにあるかとか、これは何だ、とかは」
ぶつぶつ。
「夢……なのか?」
基本として頬を摘んでみたが、感覚はしっかりしていた。
以前胡蝶夢丸とやらを試した時にもそうだったように記憶しているから、知らぬ間に盛られた可能性は否定できない。
昨夜は宴会だったから、泥酔した時にやられたのだろうか。
酔っ払っている時、大抵の人は些細な事を気にしない。せいぜい自分が呑んでいるのがアルコールか否かという程度のものだ。
となれば、ここまでの展開的に盛られたのは少なくともナイトメア系列のものではあるまい。新薬か、胡蝶夢丸スクールデイズとか。
「いや待て、ちょっと待て」
何故かスプラッタ的な光景が脳裏にちらつき、慌ててその妄想を振り払う。せめてスクールライフにしておこう。その方がいくらか安全だ。
幻想郷を股にかけるジゴロとして、その名称はあまりに危険性が高いように思われた。
「まあ、それは目が覚めたら確かめればいいか」
結局そこに至る。
実際のところ、この学校なる空間にかなり興味が湧いていた。
「おっと」
気付けば、考えながら歩いている内に校舎の端まで来てしまったらしい。
廊下のガラス窓越しに、裏庭の風景が見える。
「ん……あれは、茶室? 離れ?」
無機質なコンクリ建築の校舎に比して、異質な和風建築が居座っていた。
隣接して明らかにそれと意図した庭があるところからして、茶道部あたりの活動場所か。
もっとも、ワビサビ漂う和風庭園に更に隣接しているのが、季節感を無視した広大な花畑、というあたりで情緒がチリも残さず吹っ飛んでいたが。
ましてや、花畑の大部分を占めるのが向日葵となれば尚更だ。
「……まさか、な」
やや距離があるため『園芸部管理区画』というやけに物々しい看板の字体が辛うじて判別できるくらいでしかない。
嫌な予感を覚えて迅速に回れ右した魔理沙だったが、たまたま廊下の窓が少し開いており、そこから外の声が飛び込んできた。
「風見せんぱーいっ」
足が止まった。ついでに全身が止まった。
「風見せんぱーい、どこですかー?」
「ん……ああ、メディじゃない。今日は遅かったのね」
「ちょっと家政部にお呼ばれしてたので……あ、はい、これ風見せんぱいたちの分です」
「あら、この香り……スイートポテトね」
「穣子先輩の自信作だそうです。後で感想聞かせて下さいって」
和やかな、実に和やかな学生生活のワンシーンが展開されていた。
所々に混じる固有名詞に大量の違和感が随伴していることを別にすれば、理想的とさえ言って良かった。
魔理沙はどうにか硬直から脱し、ごりごりと石臼のように不安を粉末状に撒き散らしながら、120度ほど首を斜め後ろに向ける。
「……うげ」
居た。
居やがった。
遠目でも見間違えようのない日傘が確かに居た。
なら会話の相手は隣に立ってる、白地に赤のポイント入りセーラー服か。諸条件からアレがあの毒人形ことメディスンなのは確定している。
もっとも確定するまでもなく、花あるところで日傘を差すような輩が他にいるはずもない。
「それじゃ、ちょうどいいからお茶にしましょう。ああそうだ、メディ、向こうに百合原さんたちが居るから、呼んで来てくれる?」
「りょうかいしましたっ!」
「それから、エリーが草刈りしてるけど、ノってる時は半径3メートル以内に近付いたら駄目よ。鎌が危ないから」
「はいっ」
ぴしりと可愛らしく敬礼して花畑の中に走り去るメディスン・メランコリーwithセーラー服。
キャラ違ぇと魔理沙が思わず慄いたのも無理からぬことだろう。多少の付き合いがあるらしい事は知っていたが、にしたって懐き過ぎだった。
「さてと、私は水橋さんを呼びに行こうかしら。また温室でチューリップ相手に『あなた達はいつも綺麗ね、妬ましいわ妬ましいわ』なんて言ってるんでしょうから」
「えー」
やけに現実味を帯びた状況説明に思わず呻く。否、呻いてしまった、と言うべきか。
その声が聞こえたのかどうなのか、おもむろにそれまでこっちを向いていた日傘がくるりとむこうに向いた。
つまり、それは持ち主がこっちを向いた、ということだから――
「……で、あなたもどう? 魔理沙」
黒の長袖セーラー服と、足首までもあるロングスカートには何故か側面にスリットが入っていて、ふわりと布地が舞ったついでにしなやかそうな脚が見えた。
日傘よりもヨーヨーがむしろ相応しい風見幽香から、特上の微笑を向けられた魔理沙は、
「全力全開で遠慮するぜっ!」
逃げた。
【五】
「はぁっ、はぁっ……くっ、のっけから、ダメージが随分大きいじゃないか……ええ?」
どれだけ逃げただろうか、壁に手をついて息を整える魔理沙は、1面からいきなり6ボス級の弾幕に出会ったシューターの様に憔悴していた。
「……幽香が園芸部、か」
お似合いではある。
むしろ、他に当てはまらないと言うくらいの配役だったが、ひとりっきりではなく他にも部員がいて、なおかつあそこまでフレンドリーなのは戦慄を禁じえない。
具体的にどう、とは分からないのだが、言い知れぬ恐怖を覚える魔理沙だった。
というか、スケバンスタイルで土いじりをしてるのか、あのフラワーマスターは。
「へ、まあいい、いきなり幽香が来たのには驚いたが、さすがにアレより凶悪なのはそうそう出てこないだろ」
10分ほども壁にもたれていただろうか、どうにか精神的再建を果たし、散策を再開する。
どこをどう逃げたのか、嗅覚を刺激する油絵具やら墨やらの匂いからすると、美術や書道の教室がある辺りらしい。
「ほー……」
何故か廊下に置かれた机の上で放置されているブルータスの石膏像から、やけに精巧な、あっかんべーをしている以外は本物そっくりのモナリザから視線はそのまま美術教室の扉に移って、
『火元責任者 神綺』
「待たんかい」
またも見逃せないモノが来やがった。
中に誰かの居る気配があったので、魔理沙は重い扉を開けるのを避け、音をたてないようにしてブルータスの載った机に上がり、天井付近の小窓から様子を窺うことにしたが、
「えーと……ありゃ」
見える限り、美術室の中には、臙脂色のセーター姿でカンバスに向かっているひとりだけだった。
秋っぽい感じから、姉妹神の姉の方だろう。妹は家政部らしいし。
熱心に筆を走らせていたかと思うと、不意に何歩か離れて自作を見、再び近付いて筆を動かす。その都度、黒地に赤い格子模様のスカートがひらりふわりと絶妙な加減で舞い踊った。
(神綺はいないのか)
教室にはいないらしく、放課後の喧騒が窓から時折飛び込んでくる以外、音といえば秋静葉の持った筆がカンバスを彩っていくものしかない。
魔理沙からは死角になっていて見えなかったが、どうやら完成間近だったらしく、静葉はまもなく筆を置くと教室の前にある扉まで歩き、コンコンと叩いた。
反射的に視線を廊下へ戻すと『美術教室』の向こう側に『美術教員室』のプレートがあった。教室とは直通しているらしい。
「神綺先生」
「はーい」
程なく扉を明けて出てきたのは、予想通り、頭に逞しいアレを生やした魔界の神だった。
いつも通りのその様子に、思わず安堵してしまう。
「出来たの? 静葉ちゃん」
「はい」
名前の現すとおり物静かな性格なのか、小さく応える静葉。
にこやかに頷き、静葉作へと視線を転じた神綺は、
「あら」
と、思わず呟き、それが失言だったという風に軽く苦笑すると、妙に真剣な顔つきになるや、じっと静葉の絵を見つめた。
静葉はそんな神綺の傍で緊張した面持ちになっている。
「ん……んー」
「…………」
「……ね、静葉ちゃん」
「あ、はい」
「何か心変わりでもあった?」
「え……」
「ちょっとね、意外だったから。静葉ちゃんが『冬』の風景画なんて。……確か、冬は嫌いだって、前に言ってたと思うのだけど」
「あ、えっと……」
慌てたのか、静葉はどこか落ち着かない様子で、胸の前で手を組み、視線を左右に彷徨わせた。
「あの……」
「うん」
「神綺先生が言われた通り、冬は、嫌いでした……。今でも、あんまり好きじゃないです。けど……その」
言葉を探す静葉を、神綺はどこまでも穏やかな笑顔で待っている。
「秋が過ぎて、冬が来るのは、今でも憂鬱です。けど、冬が好きなひとにとっては、秋が去るのは嬉しいことで……秋が好きな人は、夏が去るのが嬉しいんです」
「ええ」
「けど、そうやって季節が過ぎて、またやってきて、好きとか嫌いとかに関係なく、それぞれの季節と、それぞれの命は巡るんだって、そう……思えるようになったから」
「この絵を、描いたのね」
「はい」
「まあ……うふふ、えいっ」
「きゃ!」
にっこり微笑んだ神綺が、いきなり静葉を抱きしめた。
「せ、先生?」
「先生嬉しいわ~、静葉ちゃん凄いっ」
「え、え?」
「そうよ静葉ちゃん、それでいいの。好きでも、嫌いでも『ある』ものは『ある』の」
「……はい」
「これは絵に限らないのだけどね、音楽でも、コトバでも、貴女の中にあるだけじゃ、それは在るのか無いのか、良く分からないのよ」
「はい、それは……分かる、つもりです」
自作に眼を転じる静葉。
「これを描いてる間、何だか不思議な気分だったんです。冬を描いてるのに、冬が来て隠れてしまった秋のことや、その秋が、冬の景色の下で、段々春になっていく……それが、とても良く分かる気がして」
「あらあら、もうっ、静葉ちゃんてば素敵っ!」
「わぁ! せ、先生……苦しいです……っ」
「あ、ごめんなさいね。でも、静葉ちゃんの言うことはとても良く分かるわ。先生も感じるもの、静葉ちゃんの描いた冬の裏側……葉を全部落としてしまった木の枝や、雪原のちょっとしたふくらみや、凍り付いた湖面の下、冬が来て閉じこもってしまったけど、待ち焦がれて、すぐにでも出たいのをじっと我慢してる春の命を」
「あ……ありがとう、ございます」
「うふふ……絵って、難しいでしょう、静葉ちゃん」
「はい、すごく」
「そう、すごく難しいの。でも、それは絵だけじゃないの、コトバも音楽も、何かを創ることはみんな難しいの。だってそれは、それを創る誰かの世界を、他の誰かに伝えられる形に創り上げていくことだから」
「世界……ですか?」
「そう、世界。静葉ちゃんがここに『居る』ことは、見れば分かるわ。けど、静葉ちゃんが見ている世界はどんなものなのか、感じている世界はどんな風になっているのか、それを他の誰かが知るには、静葉ちゃんが絵やコトバで伝えるしかないものなの」
「……はい」
「でも、創るのはすごく難しい。コトバも、絵も、音も、他の色んなものも、見たことや考えたことや感じたことを、ぜんぶ伝えられるものではないの。絵は音を出さないし、音は見えない、コトバは聞かないと分からないし、文字は読まなければ伝わらない。そして、それぞれ伝えられることと、伝えられないことがあるわ。けど、創らないと伝わらない。誰かに伝えるためには、自分の世界を、全てを伝えられなくても創らないといけないの」
「……わかります。あ、えっと、わかる、気がします」
「今すぐでなくてもいいの。きっと、いつかはちゃんと分かるわ。……うふふ、それにしても」
「? 先生?」
「この絵は良いわね~、今度の学園祭の目玉はこれで決まりよ!」
「え……えぇっ!?」
「一見寒々とした、ありふれた冬の景色、そのあらゆる所にひっそりと息づく溢れんばかりの命! これ、これよこれなのよっ!」
「あ……あはは……」
(……あ、やば、ちょっとじんと来ちゃったぜ)
覗き見している方の魔理沙も、ついつい聞き入ってしまっていたが、どうやら神綺の方は感動冷め遣らぬらしく、静葉にぴったりとくっついている。
「あ~、静葉ちゃんはほんと素敵ねぇ、私の娘にしちゃいたいくらいっ!」
「あ、あはは……先生には、アリスちゃんがいるじゃないですか」
ぴた。
一瞬前まで喜色満面だった神綺が、凍り付いた。
「…………」
「……せ、先生?」
「そう、そうなのよね……そうなのだけどね……」
わなわなと手を震わせる神綺。
既に危険を察した静葉はゆっくりと、しかし確実に距離をとり始めている。
「……どぉしてアリスちゃんは美術部に入ってくれないのぉっ!!!」
「ひゃっ!」
「うぉっ!?」
がしゃーん。
罪のないイーゼルがひとつ蹴飛ばされ、10メートルほどの水平飛行の後、壁に激突して壊れ、散らばった。
「私はっ、ママはっ、こんなにこんなにこんなにこぉんなにっ、愛してるのにっ!!!」
足音荒く教室の後ろの方へ進んだ神綺が、壁にかかったカーテンを一挙動で左右にばさりと開く。
「……はぁ」
「……あー」
どうやらこういった事態に慣れているらしい静葉の溜め息の理由を、魔理沙も理解した。
――アリスだった。
むしろアリスしか居なかった。
大小さまざまな額縁に収まった数十ほどの顔、全身、浴衣姿や体操着、水着に制服姿の、年齢も様々なアリス。
等身大の、これまた年代別に複数の彫像が並び、デフォルメされた人形や、おそらく昔使っていたのだろう靴やら服やら、詳細不明の原稿用紙までが並んでいる。
通常のそれの倍ほどもある美術教室の後ろ半分は、さながら『アリス記念館』の様相を呈していた。
「アリスちゃんがここに入るって聞いたとき、すっごく嬉しかったわ、きっと美術部に入ってくれるって思って、入学式には盛大に歓迎したもの……」
「校舎一面にアリスちゃんの壁画を描いたんですよね、おひとりで、それも一晩で。本人思いっきり引いてましたけど」
そら引くわ。
「アリスちゃんが一番可愛く見えるように、毎日毎日徹夜でデザインを考えてっ!」
「……3学期の後ろ半分ずっと授業が休みでしたよね」
「なのにっ……なのにアリスちゃんは美術部に入らないばかりか、選択授業でも取ってくれなくってぇ~!!」
「当たり前だろ」
きっと、アリスが美術を取っていたら授業にならなかったに違いない。
「いつの間にか手芸部なんて立ち上げて、ひとりで寂しいと思って行って見たらユキちゃんとマイちゃんとか他にもお友達が居て……っ!」
「あ、そうなんだ」
「距離を間違えなければ、ちゃんと付き合ってくれますよ、アリスちゃんは」
「それどころかっ、それどころかこっそり覗いてた私に『邪魔だから帰って』って……ママのっ、ママの愛は邪魔なのね――――ッ!!!」
「あ、先生それ駄目ですっ!」
こういう時はドライに応対することを身に付けているらしい静葉だったが、荒ぶる神と化して罪のないソクラテス(石膏製・第108季卒業生作)をぐわしと掴んだため、慌てて止めに入ったが遅かった。
「Oh My GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOD!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ひゃあっ!?」
「うあー……」
やけに流暢な発音と共に、ソクラテスは、ごぱーんと苦悶の叫びにも似た音を撒き散らしながら、バラバラになった。
「うあーん! アリスちゃぁぁぁぁぁんっ!!」
「せ、先生落ち着いてー!!」
「…………」
がしゃーんどしゃーんと派手な音が続いて鳴り響く美術室からそっと目を反らした魔理沙は、足場にしていた机の上のブルータスが、妙に物思いげにこちらを見る配置になっていることに気付いた。
良く見ると、背中に「第78季卒業生作・114季卒業生修復」と彫られている。
「そうか、お前もか……」
思わず魔理沙は目頭を押さえ、そっとブルータスの肩に手を置く。
木工用ボンドで継ぎ接ぎだらけになった肩は、たくましかったけどちょっとでこぼこしていた。
【六】
その後、美術室とは隣同士になっている音楽室を覗いたが、おなじみプリズムリバーの三姉妹と、見覚えのないボーカル役の少女しか居なかったので早々に魔理沙は興味を失い、別の場所へと向かっていた。
「……何だありゃ」
校庭の隅っこに妙なものがあって、その周りで何人かがしきりとあれこれやってるようだった。
遠すぎて誰が誰かの判別は出来なかったが、一名に限っては間違えようもない。主に帽子的な意味で。
「ちょっと行ってみるか」
途中『新聞部兼将棋部』と書かれた扉を目にしたが、開けなくても中身が分かるのでこれは放置。
………………
…………
……
「あ、魔理沙だ」
「あー……」
真っ先に気付いた相手に、何を言おうか迷う魔理沙。
「……えーとな」
「あーうん、多分言おうとしてることは分かるけど、一応聞こうか」
「お前、やっぱり男じゃなかったんだな?」
「はぁ……いい加減過剰反応するのも疲れるから流すよ、そのネタ」
「そうしてくれ」
「まったく」
呆れた、と口にはしないものの、重たい溜め息で言外に抗議するのは、白地に緑のラインと同色のリボンが映えるセーラー服のリグル・ナイトバグ。
頭には当然のように触覚があって、先のお燐といい、この夢の舞台設定も大概アバウトだった。
「で、何か用?」
「あ、そうそう、何やってんのかなって」
「暇人」
「失敬な、私ほど多忙な人間もなかなか居ないぜ」
「それ、十六夜先輩の目の前で言ってごらんよ」
「残念だ、私も若いからまだ命が惜しい。で、何やってるんだ?」
「見ての通りよ」
言われて見る。
校庭の一角に広がる、池と多数の区画に区切られ水の張られたコンクリートブロック。
「……で、何やってるんだ?」
「正直に『分からないから教えて』とは言えないの?」
「池の手入れとかか」
「まあ……近いと言えなくもないかな。観察池……ビオトープの管理と観察だよ、生物部だから」
「びおとーぷ?」
「小規模な生態系のモデル……って先生が言ってた」
「先生ってーと、さっきからあそこでケロケロいってるのがか」
指差す。
ふたりの立っている場所から池を挟んだ向こう側、ついさっき、魔理沙が校舎から見た時に唯一識別できた帽子のかぶり主が座っていた。
お馴染み鳥獣戯画ワンピースの上から白衣を羽織った洩矢諏訪子が、池の辺に居並んだ数十匹ばかりの蛙たちと活発な会話を交わしている。無論、蛙語だった。けろけろげこげこげろげろと常人や常妖にはちょっと理解しがたい。
「……まあ、一応」
「あれ、会話成立してるのか?」
「私は無理、両生類は専門外だから。あれができるのは諏訪子先生と大蝦蟇先生だけだよ」
「大蝦蟇先生!?」
思わず周辺を見回し、それらしきのがいないか確認する。
魔理沙自身とリグル、そして諏訪子ともう一人を除いて人型は近場に居ない。まさかあの蛙の群れの中かと眼を凝らそうとすると、その慌て様がよほど可笑しかったのか、リグルが小さく笑う。
「そんな警戒しなくても、一昨日から出張だよ」
「……なんだ」
ちょっと残念。
「くっくっくっ……チルノと魔理沙は、大蝦蟇先生が苦手だからねぇ。来週までは心置きなくってところかな」
「……そう言うお前は、そこで何やってるんだ蜘蛛娘」
「おやおや、酷い言われようだこと」
ふたりのすぐ傍、池のこちら側の岸辺に座っていたおだんご頭が振り向いた。
蜘蛛娘なる呼ばれ方を気にも止めず、黒谷ヤマメがけらけらと笑う。ちなみに、彼女の制服は真っ黒なブレザーだった。所どころに入っている山吹色のラインが、いつもの服装の名残を辛うじて主張している。
そのヤマメは水面ギリギリの所になにか細かいものを幾つも並べ、手元に持ったバインダーに紙を挟んであれこれと書きこんでいた。
「その並んでるのは何だ……パンくず?」
「そだよ」
「何やってるんだ、いったい」
「んー、ありていに言えば、鯉の進化促進実験」
……。
「ワンモアプリーズ」
「鯉の進化促進実験」
「訳が分からん、解説してくれ」
「そだねぇ……ま、見てなよ」
言って、ヤマメは置いてあったパンくずを幾つか手に取ると、池に向けて放り投げる。
投げられたそれらが水面に接触した瞬間――
ばしゃしゃしゃしゃしゃしゃ!!
「うおぅ!?」
先を争うようにして十匹以上の鯉が僅かなパンくずに群がり、池の水面が激しく波立つ。
魔理沙たちのいる所まで水滴が飛ぶほどの、凄まじくも短い争いの末、投げられたパンくずは欠片も残さず喰い尽くされ、鯉も何事も無かったかのように再び水中へと戻って行った。
「こんな風に、この池の鯉って気性が激しいんだよ」
「……それと進化促進実験とやらとどう関係があるんだ」
「いやほら、こいつら食い意地張ってるからさ、こうやって池のすぐ傍の地面に餌を置いてたら、これを食いに陸に上がってくるんじゃないかなーって」
「……鯉が、陸に?」
「そうそう。けどエラ呼吸の悲しさ、陸じゃあ息が続かない、けど餌は欲しいっ、てことになると、やがて陸の餌欲しさに肺呼吸をマスターする奴が出てきてもおかしくないじゃない」
やけに熱心に語るヤマメ。
餌欲しさに陸へ這い上がる鯉を想像してみる。
全身をびちびち言わせながら水を出て、地面に散らばるパンくずに立ち向かう鯉。ちょっとシュールだった。
「……んなアホな」
「なにおう、元々哺乳類だって魚が陸に上がって日光浴しようとした進化から生まれたって……えーと、ほら、ダーウィン先生も言ってるじゃないか」
「言ってたか?」
「……さあ」
話を振られ、肩をすくめるリグル。どうやらこいつも似た様な感想を持ってるらしい。
「ま、いいんじゃない、楽しそうだし」
「そりゃまあ……ってうあ!?」
「けろけろ」
横からかけられた声に振り向くと、思いっきり帽子と眼が合った。やべぇ夢に見そう。
「あーいや、今が夢か」
「あう?」
「……諏訪子先生、そのあまりに可愛らしいリアクションは、教師としてどうなんですか」
「ぬふふ、言いたい事があったらはっきり言ったらどうかな、リグルきゅん?」
「すみませんでした」
蛙に凄まれて引き下がる蛍の図。割と悪質なパワハラだった。
「全国両生類大会はもういいのか?」
「例会みたいなものだからね、みんな帰ってったよ、カエルだけに」
「…………」
「…………」
咄嗟に反応し損ねる二人。
それを見た諏訪子は露骨に落ち込んだ顔をして背を向けた。いじいじと地面に「の」の字を書きつつぼやく。
「……ふん、いいんだ、今度の中間試験えげつない問題で問題用紙埋めてやる。みんな赤点取っちゃえ」
「あーあーいやいや面白い面白いよ、な、リグル!」
「あ、うんうん! そう、面白かったよね今の!」
「わおー凄い凄い! 今日は30cmまで来た! 新記録ー!」
「ヒトゴトみたいに肺魚育成してるんじゃねぇー!」
「……ぬふふ、まー冗談はこの位にしておいてだね」
実にケロリと表情を一変させ、諏訪子は身軽にビオトープの一角を占めるコンクリートの水槽に跳び乗った。
少しだけ表情に神妙そうな気配を混ぜながら、屈みこんで視線の高さを合わせてくる。
「魔理沙」
「あ?」
「頭、大丈夫?」
「……聞きようによっちゃ、もの凄く失礼な質問だなそれ」
「あう? ……あー、おぉー」
「素かよ!」
「いや、あはは、まあそんな些細な事はケロリと流してだね」
「……こだわるなぁ」
「で、大丈夫? バ神奈子の殺人シュートをもろにもらったって聞いたけど」
何か一文字多かった。
「うーん、まあ、見ての通りだぜ?」
「うん、なるほど、ひとまず大丈夫そうだね」
「多分な」
「それならこんな所で油売ってないで、部活の方に顔でも出してきたら? 昼間はどうせやることないんだろうけど、顧問に顔くらい見せといた方がいいんじゃない?」
「……部活?」
鸚鵡返しに言いながら、魔理沙は咄嗟に、自分の部活が何だったかを思い出そうとした。
今現在の光景を夢と認識している魔理沙には本来、学校に通っていることは無論、そこで何の部活をやっていたか等という記憶がある筈もない。
「あー、そっか」
けれども、拍子抜けするほど自然に、屋上を振り仰いだ彼女の口から答えは出てきた。
「私は、天文部だったっけ」
【七】
生物部一同と別れた魔理沙は、ひとまず校舎に戻って階段を上っている。
時刻は放課後に入ってしばらく経っており、人けの薄くなった校舎にぺたんぺたんと上履きの足音がやたら反響した。
「天文部、天文部ね」
ぶつぶつ。ぺたぺた。ぶつぺたぶつぺた。
校庭から見上げた屋上、少し古ぼけた校舎に不釣合いなほど立派な観測ドームを思い出す。いわゆる天文台。
天文部と言うからには、活動場所もまたそれに関わる場所に違いあるまいという理性的な判断と、そこに確かに部室があるという、思い出したのか覚えていたのか、あるいはそれ以外なのか判然としない記憶が彼女を屋上へと進める。
「お? ありゃ」
しかし、階段は4階で終わっていた。
「なんでやねん」
思わず壁の張り紙に突っ込む。
どうせ『廊下はしずかに』とでも書いてあるんだろうと見直してみると、筆文字で『校舎内全面禁褌 妖忌』と書かれている。達筆すぎてかえって読み辛い。
「……あー、そうそう、そうだ。ここの階段だけ屋上に行けないんだっけ?」
校舎の中央と東西両端にある階段のうち、西の端の、今昇ってきた階段のみ屋上に通じていないことを思い出し、最早そうした記憶に関して、出所を詮索するのも面倒だといった風に独り言を呟いて足早に廊下を進む。
ついでに、そこらの部屋をあれこれ覗き込んでいくことにした。
『風紀委員』と物々しいプレートが掲げられた部屋は廊下側に窓がなく、僅かに開いたドアの隙間から四季映姫のちみっこい後ろ姿と何やら禍々しいオーラが見えたあたりで素早く立ち去った。
隣の部屋のドアには『巫女部』と書かれており、それは魔理沙の足を止めるに十分以上の効果があったが、あいにくと鍵がかかっており無人の様子。今度霊夢にでも聞いてみよう。
さらに隣は『光画部』とあり、活動内容が判然としなかったが、やはり鍵がかかっていて無人だった。扉にかかったホワイトボードには『階段野球中、御用の方は東階段まで』とあるが、これも良く分からなかった。
そして無人の書道教室の前を過ぎて、中央階段に至る。東階段方面は、先刻見た美術室と音楽室だ。
「それじゃ、行きますか」
屋上に続く踊り場には、使われなくなった机や角材、用途不明のベニヤ板や巨大なスピーカー等が放置されていて、ほとんど物置として扱われているらしい。
「おーくじょー、おっくじょー、っと」
比較的整った校舎の他の場所に比べて、少なからず異質な空気を漂わせる屋上への階段。
森の奥を探検する時のような、奇妙に愉快な気分を味わいながら、トントンと昇る。
以前に紅魔館の時計塔に興味本位で昇った事があるが、あの時にもちょっと似ていた。
埃を被った機材を避け、壁に顔を向けて放置されたダビデ像にタッチし、扉の前にたどり着く。
ノブを捻ると、鍵はかかっていないらしく、少し軋んだ音をたてて開いた扉を押した。
「おわ」
開いた扉の隙間、屋上からぶわぁと風が流れ込んで、踊り場に溜まった埃が掻き混ぜられて舞った。
意外と強い風が吹いているらしく、力を抜くと押し返されそうだ。
「よ……っと」
両手で思いっきり開いて、小さく跳んで手前の段差を飛び越え着地。
少し汚れた両手をはたき、風にぶわぶわ乱れる髪を抑えながら視線を上へ。
「おー」
空が広かった。
「絶景絶景ー」
あいにくの曇天、風は少し冷たいけれど、遠くを囲む山々は秋から冬へ衣替えの真っ最中。
壁やらで区切られ仕切られた校舎から出てきた目には、その同じ床面積にほとんど何もない屋上は実際よりもずっと広々と感じられた。
転落防止用の柵が外縁に張り巡らされてはいるけれど、せいぜい魔理沙と同じ位の身長でしかないそれは、その気になれば簡単に乗り越えられそうだ。
「んー、いいなー」
その柵に寄りかかって、しばし堪能。
はるか下、校庭で部活に精を出す少女たちの声が風に乗って漂ってくる。
「ふっふっふ、今日は曇りで調子が良いわ! さあさあ覚悟なさいフラン、私の真っ紅な剛速球に自慢のバットをへし折られる準備は良いかしら!!」
「ふふーんだ、いつまで経っても変化球を覚えられないお姉様の単純ストレートなんか、私の灼熱スイングで場外よ!! 悔しかったら消える魔球でも投げてみたら!!」
「ぎゃおー!!」
「きしゃー!!」
「……あいつらも野球部なのか」
お似合いではある、ビジュアル的には。
ただ、マウンドとバッターボックスで威嚇しあうのはどうかと思わないでもなかった。
「グングニール!!!」
「レーヴァテインー!!!」
かきーん。
「お、大ファール」
どぱーん。
真紅の軌跡も鮮やかに打ち返された剛速球は、微妙にカーブを描きつつ、グラウンドの端っこで活動中だった太極拳同好会の所に落着し、なぜか爆発する。
吹っ飛ばされた面々の中には、見覚えのありそうな門番らしいのとか門番っぽいのとかが混ざっていた。
「派手な野球だなぁ」
「ふ……腕を上げたわね、フラン」
「お姉さまこそ、また球威が上がったんじゃなくって?」
「あ、今のボークね」
「うー!?」
これからが良い勝負だ的な空気が流れる中、そんな雰囲気をまるで読まない三塁塁審の小町が水を差した。
「お嬢様、投球フォーム中に静止するグングニルはお控えくださいとあれほど……」
「だ、だって仕方ないじゃない! それに分裂魔球スカーレットシュートは反則だーって言ったのは咲夜よ!!」
「背中にボール籠背負って投げまくれば当たり前です。そもそも分裂してません。紅チーム、ピッチャー交代します」
「ま、待って! もう一度チャンスをぉぉぉぉぉぉ!!」
無情なる宣言によってマウンドから引き摺り下ろされていくレミリア。
「騒がしい奴らだぜ」
「まったくだねえ」
「……へ?」
不意に、横合いからかけられた声。
「もーちょっと普通にプレイすりゃいいものを……ま、あれがあいつらなりの楽しみ方ってことなんだろうさ」
「あ……」
「なんなら混ざってきてもいいんだよ? どうせウチの部活は、昼間はやることなんて無いんだから」
少しくたびれた感じのワイシャツに濃紺のベスト、それにベストと同色の膝丈タイトスカートというシンプルな服装の一方、濃緑色の長い髪が風に吹かれてぶわりと広がり、それが彼女に不思議な美しさを添える。
「……あー」
「ん、どした?」
「え、いや、なんでも……ないぜ」
目の前の相手を何と呼ぶべきか、躊躇いと迷いと気恥ずかしさの中間点で数秒ほど右往左往した挙句、魔理沙は、この状況で一番妥当であろう呼称を選んだ。
「なんでもないぜ……魅魔、先生」
言いながら、すぐには直視できなかった。
【八】
「そうかい? ま、体育で八坂にドえらいのをもらったらしいから、今日くらいは大人しくしてた方がいいかもね。……あ、そういや」
と、しゃがんで頭ひとつ分近く高い目線を合わせてくる。
「な、何だよ先生」
「頭、大丈夫かい?」
「いや、だからその言い方はちょっと」
「あっはっはっは、ま、大丈夫そうで安心したよ」
「うわあわあぅ」
わしゃわしゃ。
ニッカリ笑って髪をかき混ぜる魅魔。
その様子に、照れくささと一緒になった懐かしさと安心を感じる魔理沙。
「うぁー、髪がー」
「何言ってんだい。どうせ屋上に来たらぐちゃぐちゃになるくせに」
「気になるものは、気になるんだぜ」
「ふふふ。それじゃ、私ゃ戻るとするか、ほら」
「わ?」
何かを投げられ、反射的に受け取る。
「ちゃんと閉めとくんだよ。返すのは明日でいいから」
「あ、えっと? あー」
鈍い銀色に光る、無個性な鍵がリングで2本一緒になっていた。
プラスチックのタグがくっついていて、
『屋 上
天文台兼部室』
と、少し黄ばんだ紙に書かれている。
「最近日が落ちるのも早くなったし、冷えるからあんま長居すんじゃないよ?」
「わかってるって」
ようやく、普通に向かい合って笑う。
ぱん。たたた。ぱん。ぱん。ぽひゅー。
「?」
「ん? ……あぁー!」
だしぬけに、割と近くから聞こえてきた音に反応した魅魔が、グラウンドとは反対側の柵に走っていった。
乗り出すようにして向こう側、今居る校舎より一階分ほど背の低い建物、その屋上に向かって怒号を一発。
「こぉらぁあああー!! 物理部ー!! まった性懲りもなく屋上でサバゲーやりやがってんじゃねー!!!」
「げげ! 魅魔先生!?」
「え、ちょ、なんで先生あんなとこにいるのよ!!」
「そんなのわたしが知るわけないのですー!」
距離がそんなにないためか、向こう側の屋上で慌てている三人の声もそれなりに聞こえた。
「よーし! やっぱりいつもの三人だな!? 3-1蓬莱山輝夜、2-3河城にとりと久留間里香! そこぉ動くなよ!!」
「あ!」
「うらうらどりゅどりゅー!!」
柵を乗り越え、魅魔が飛び……降りた。
慌てて駆け寄った魔理沙の視線の先で、校舎同士を繋いでいる渡り廊下の屋根に見事着地した魅魔は、ガンガンと派手な足音を響かせサバゲー戦場へと走りこんで行く。
「やばい、ずらかるわよ! にとり、里香ちゃん、煙幕!」
「ラジャー!」
「なのです!」
即座に輝夜らが何かを取り出し足元に投げつけるや、向こう側の屋上から赤青黄緑と色とりどりの煙が溢れ、視界が利かなくなった。
「逃がすかこのワルガキどもー!!!」
そして、勢いもそのままに煙幕の中へ飛び込む魅魔。
「……なんなんだ?」
展開についていけない魔理沙の位置からでは、何がどうなってるのかさっぱりだった。
と、こちら側、つまり校舎の間側の壁に沿って、煙幕の中から紐らしきもの、おそらくロープが、下に向かって伸びた。
端っこで薄めになった煙幕を透かして、黒髪ロングに濃紺ジャージ姿の輝夜がえっちらおっちらロープを降り始める。
それは分かったが、あの背負った黒光りする金属質の物体は何だろう。
「って、あ、えーと……魅魔先生ー! 輝夜が逃げようとしてるぜー!!」
一瞬思考に陥りかけた魔理沙だったが、ともかくも魅魔の味方をすることに決める。
「何ィ!?」
「え、ちょっと、ぐや先輩酷いー!!」
「わたし達は囮なのですかー!!」
「ふっ、悪いわね! これって戦争なのよ!!」
いまだ煙幕の中にいる三名の抗議やら怒声やらを鼻で笑い、やたら威張って叫ぶ輝夜。
だが、壁面の継ぎ目をひとつひとつ確認しながら降りているので、動きはとてもゆっくりだった。
「ちぃ、仕方ない……河城、久留間! 蓬莱山を捕まえるの手伝ったら、今日のところはお前たちを見逃してやる!」
「え、ちょ!?」
「……仕方ないよねぇ、里香ちゃん?」
「……戦争は非情なのですよ、ぐや先輩」
「く、けど逃げ切れば私の勝ちよ!」
「逃げ切れればなー」
「へ?」
いきなり響く、6人目の声は地上から。
ロープにぶら下がったまま、輝夜が声の主に視線を転じた。
「……あ、あー、あれ、もこたん?」
「よ」
「きっ、奇遇ねぇ、サッカー部の練習はもう終わったの?」
「顧問の神奈子センセイがな」
と、そこで屋上の魔理沙をちらりと見る。
「用務員の妖忌じーさんとこで反省文書かされてっから、今日はお開きになったんだ」
「あ、あー、そうなんだー、あははははー」
「あっはっはっはー」
ふたりが笑う。
もっとも、互いが笑う意味は割と違うっぽかった。
「……ところでな、輝夜」
「なにかしらもこたん」
「前門の虎、後門の狼って知ってるよな」
「勿論よー、私、現代文も古典も成績優秀なんだから」
「そっか、そうだったよな……それじゃあ」
ニヤリと、妹紅が笑った。ように見えた。
「この状況は、何て言うんだ?」
「……あ、あははー」
気付けば、屋上の煙幕はきれいさっぱり消えていた。
腰に両手を当て仁王立ちの魅魔と、その左右でエアガンらしきものを構えるジャージ姿が二名。
一方、地上では妹紅がこれみよがしにポン、ポンとリフティングを始める。
「えーりんえーりん! 助けてえーりん!!」
「何言ってやがる、八意がそういつもいつも出てこれるわけ」
「呼んだかしら?」
「おぅい!」
おもむろに校舎の窓が一つ開き、白衣姿と垣間見えるいつもの赤青な色合いと二連装おっぱいミサイルが特徴的な八意永琳が姿を見せた。
ちょうど立ち往生している輝夜の真横の窓から現れるあたり、どこぞの魚類よりよほど空気を読んでいる。
「えーりん助けて! 私、ピンチ!」
「あらあら」
片手を頬に、そっち側の肘にもう一方の手を添える、もはやお馴染みとなった感のあるポーズをとって、困ってるのかいないのか良く分からないことを呟く永琳。
そこへ、屋上のにとりから声が飛んだ。
「えーりんせんせー」
「あら、何かしら河城さん」
「ぐや先輩、3時間目の化学、今日休んだんじゃありませんかー?」
「ぎく」
「ああ、そういえば気分が悪くて保健室で寝てるって、誰かが言ってたわね」
「それサボりですー」
「あ、ちょ、ち、違うのよえーりん!」
慌てて抗弁する輝夜を無視して、永琳は屋上のにとりを見上げた。
「本当? 河城さん」
聞き返す天才の声が、いきなり低くなった。
ありていに言うと、一番位置的に遠いはずの魔理沙の胃袋に伝わるほどにドスがきいていた。そのくせ静かな口調とたおやかな笑顔なのが凄まじく怖い。
「部室に置い「わーわー!!」機に入ったままの「きゃーいやー!!」セーブデータの時間がその「わーぎゃー!!」でしたからー」
「……あら、そうなの」
「…………」
「か・ぐ・や?」
「え、えーと、ほら、今日の化学って実験だったでしょ。ちょっと寝たら治ったから戻ろうと思ったんだけど、途中からじゃあんまり意味無いかなーと思ったのよ。それで――」
ぴしゃり。
無言で窓は閉ざされた。
そのままさっさと立ち去ってしまったらしく、魔理沙の位置からも室内の永琳は見えなくなる。
「…………」
輝夜の背筋を嫌な汗が滝となって流れ落ちる。それを魔理沙はなんとなく理解し、予定される惨劇からそっと顔を背けた。
でもちょっと見たかったので横目チラリ。
「攻撃よーい」
魅魔の号令一下、にとりと里香がモデルガンを構え、妹紅がボールを足元に置いて、ちょっと前の方に転がしてから助走距離を取る。
それに慌てて、ロープにぶら下がったままの輝夜が最後の抵抗を見せた。
「え、ちょ、待ってマジで? ねえ嘘でしょ、冗談よね!? み、魅魔先生っ、せめてお慈悲をー!」
「てー!」
「いっけぇぇっ、フェニックスシュートォォォッ!!!」
「ポロロッカ散弾銃だー!」
「おんみょうだんをくらえー、なのです!」
「あわぎゃぼえばらべたぶらびしゃぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
校則その二十三、校舎屋上でサバゲー禁止(特に物理部)。
【九】
「騒がしいなぁ、この学校」
「……あのさ、それ魔理沙が言っても説得力ないよ?」
「そうです。魔理沙だって十分、騒動製造機なのです」
「何を言うんだ。私ほどの淑女もそうはいないぜ?」
「…………」
「…………」
「こっちみんな」
笑われた。
輝夜退治から時間は30分ほど進んで、現在魔理沙はにとり、里香とともに校門に向かっている。つまりは下校途中だ。
魅魔と永琳は輝夜を連行し、妹紅は「今日は、父さんが久しぶりに帰って来るんだ」とやけに嬉しそうに言って立ち去っていた。
「しかし、輝夜のヤツは大丈夫なのか? ボロゾーキンみたいになってたけど」
「あー、大丈夫大丈夫」
「そろそろ保健室でリザレクションして、えーりん先生にみっちりオシオキされるかお説教されてるのです」
「……なるほど」
学校という舞台設定からくる部分はともかく、それ以外は幻想郷とそれなりに互換性があるらしかった。
「いや、だがこれは……」
と、並んで歩く自分とふたりを見ながら呟く。
にとりは先のサバゲーの時に来ていた水色ジャージのままだったが、里香はなぜか臙脂色の吊りスカートに着替えていた。
こいつこんなに小さかったっけ、と魔理沙が思ったのも無理はなく、彼女の背丈は顔見知りの内で低い部類に入る魔理沙よりもさらに頭半分ほど小さい。
ほとんど面識のない魔理沙には、彼女について正確に思い出す事は難しかった。もっとも思い出そうとすれば、同時にとんでもないものも思い出しそうだったのでそもそも積極的ではなかったが。
「ん? どしたの?」
「あー、この学校の制服ってどうなってんだろーなと思っただけ」
「ああ」
少し苦笑気味なにとり。
「しょうがないね、みんな好き好きに着てるから。吊りスカートだって里香ちゃんだけじゃないし」
「他にもいるのか」
「えーと、ほら、チルノとか、スカーレットのとこのとか」
「あー、フランか」
「姉もだけどね。お揃いの紅いの」
「レミリアもかよ」
相変わらずカリスマの暴落が著しい。それともどこぞの蛙神のように信仰を集める方向でいっているのだろうか。
「あ、めーちゃんなのです!」
いきなり里香が叫んで走り出す。
一歩ごとに背中のカバンがガタガタと音を立てるが、残念な事に背負っているのは薄手の、手提げにもなるタイプのものである。
赤くて大きいのを想像した方にとっては、ほんとうに残念なことだった(作者込み)。
「……めーちゃん?」
「ああ、ほら前」
ぽてぽてと里香が走っていく先、紫色の長髪を後ろで結わえた、かなり長身の制服姿。
細長い何かが入った袋を肩にかついで、ゆったりと歩いている。
里香は、そこに真後ろから突っ込んだ。
「めーちゃん!」
「ぐは!?」
ぐきょり。
右に左に揺れるポニーへ飛びつきぶら下がった里香の蛮行に、被害者の声と首の骨が答えた。いや、堪えた。
「…………」
「…………」
「……めー、ちゃん?」
「くー、るー、まぁぁぁぁぁぁ」
ぐぎぎぎぎぎ、と振り向いた顔は背丈に似合った秀麗さがあったが、今の所は不埒な加害者への怒りでちょっと怖くなっている。
担いでいた袋と鞄を放り出し、両手で里香のほっぺたを掴んだ。ぐんにょりと。
「ふにゃ!?」
「いつもいつも言ってるよな? 人の髪にぶらさがるんじゃないって」
「ら、らっへ、めーひゃんひょんらけろひふいてふれなはっらから~」
「ん? それじゃ何か? 久留間は呼びかけて気付いてもらえなかったら、後ろから闇討ちしてぶら下がるのか、うん?」
「ほ、ほふぇんひゃひゃいめーひゃん~」
「そ、れ、か、ら『めーちゃん』と呼ぶのを止めろとも言った筈だな。名字で呼べとは言わんから、せめて名前で呼べ。一応先輩だぞ、私は」
ぐにょーん。
掴まれたほっぺただけを支えに吊り上げられる里香。割に痛そうだ。
じたばたともがくが、かえって掴まれた頬に負担がかかっているのではなかろうか。
「ふぁ、ふぁい、めーらひぇんはいー」
「はあ……ま、良いだろう」
「ふにゅぅあー」
ようやく解放された。
おたふく風邪にでもかかったんじゃないかと思うくらい、里香の頬は真っ赤になっている。
「あはは、こんにちは、刀隠先輩」
「ん、河城か……と、霧雨」
「えーと、こんちわ?」
「何故疑問系なんだ」
「いや、なんとなく」
「まったく。相変わらず良く分からんな、お前たちは」
呆れているのか苦笑しているのか、放り出した鞄と袋を拾う。ちらりと見えた持ち手部分から、中身は竹刀らしい。
「でも、珍しいですね。明羅先輩がこんな早い時間に帰ってるなんて」
「ん? ああ、そう言われればそうだな」
「何かめーちゃ……めーら先輩疲れてるのです?」
何となく肩を落とす明羅。
「……妖夢がな」
「妖夢が、どうかしたのか?」
「いや、妖夢自身に問題はない、とは思う。問題なのは会長だ」
「会長?」
「あー……ゆっこ生徒会長」
幽々子が生徒会長?
鸚鵡返しに聞く前に、魔理沙は何となくその配役に納得しないでもなかった。
「幽々子がどうしたんだって?」
「立ち入り禁止中の家政部に入り込んだ」
「……あー」
「あー」
「なのです」
作る端から亡霊嬢の胃袋という名のクラインスペースに消えていく、少女たちの労作。
してみると、先に園芸部へ届けられた穣子作のスイートポテトは、台風ユユコ3号とかを危うく回避したものだったとは想像に難くない。
「食いながら逃げる会長を追って妖夢が居なくなったから、手合わせする相手にこと欠いてな」
「あれ? 妖忌じーさんは?」
「八坂先生の反省文の監督で手が離せない」
ちょっと恨めしそうな視線が魔理沙に向く。さっきも同じことがあったような気がした。
「……私のせいじゃないぞ?」
大体、その瞬間の記憶さえない。多分。
「わかってる」
「霊夢とかに相手をしてもらえばいいんじゃないですか?」
「今日はもう帰ったそうだ。それに、博麗が相手では試合にならない」
「……まさか、霊夢って弱いのか?」
「いや、逆だ」
剣道で強すぎる霊夢。弱い以上に想像し辛い課題だった。
「こっちの竹刀がまるで当たらないし、あいつからもろくに打ち込んでこない。その上型も何もかもぐちゃぐちゃのくせに、気付いたら面をとられて負けている」
「……あー」
何となく納得。
「一度など、いつの間にか真上に放り投げていた竹刀で面を取られた」
「……お察しするぜ」
「めー、ら先輩、気を落とさないでなのです」
「ふ……すまないな」
不意に、太平洋を泳いで横断してきたスイマーみたいに疲れた顔を見せる明羅。
黙ってキリっとしていれば格好良いだろうに、哀愁漂う姿が妙に似合ってしまっていた。
「あーあー、ほら、刀隠先輩、気を落とさないで」
「……ふっ」
「にとり、駄目なのです。めーちゃんは一度落ち込むと何処までも落ち込むので、何か刺激を与えた方が良いのです」
「……それじゃあ、やっぱあれかな」
「はい。月華園の激辛天狗キムチラーメンが最適なのです」
「……里香ちゃん、自分が食べたいだけじゃないの?」
「そんなことはないのです」
「いや、笑顔で目を逸らすなよ」
ちんまい見た目に似合わず辛党か。コーヒーは苦いと言って紅茶にはしるどこかのお嬢様とはえらい違いだ。
「魔理沙はどうする?」
「んー……いや、私は帰るぜ。あんまり腹も減ってないしな」
「そう? それじゃ、また明日ねー」
「なのですー」
「おー」
何やら「所詮私は二面ボス二面ボスうふふあはは」などと呪詛のように呟き始めた明羅を引きずって行くふたりに手を振り、見送った。
「私も、帰るか」
呟く。
誘いを遠慮したのは、何も空腹云々だけが理由ではなく、それ以上に、確かめたい事があった。
そう、ここから先、目的地への道順はちゃんと『覚えて』いる。
「ふーむ」
町並みを眺めながら歩く。
人里の、幻想郷のものとはやや異なったつくりの住宅が、田畑の風景の中であっちにひとつ、こっちにふたつといった具合で並んでいた。
その間を走る道を、ゆっくりと進んでいく。
「そう、ここを右で、っと」
角を曲がり、少し進んで、また曲がる。
夕暮れの中、太陽の勤務時間が終わりに近付くように、そこに近づいていく。
「ははっ、なんだ、一緒じゃないか」
笑った。
覚えていた道順は、同じものだった。
寺子屋からの道と、学校からの道は、同じだった。
魔理沙自身はほとんど通っていなかったその道と、同じだった。
「さーて、と」
足が、止まる。
周りの、見慣れない住宅とはまるで違う、古格をまとった屋敷。
幻想郷では見慣れたつくりの、しかし、幻想郷でもなかなかない大きさの屋敷と、門の脇にかかる『霧雨』の表札。
にくったらしい事に、ここだけはまったく変わりがなかった。
「…………」
半分開いた門、庭の向こうで寝そべるように広がる屋敷。
細部は異なるが、それはまぎれもなく、魔理沙の『家』だった。
勘当され、二度と帰ってやるものかと思い続けてきた、彼女の実家だった。
「あ、はは……何、してるんだろうな、私」
自嘲というには、その笑いは、少し重くて、暗い。
足が、小刻みに震えた。
「こら、しっかりしろ、私。どうせ夢なんだから、つい、ここに帰って来ちまったって良いじゃないか……な?」
ぺしり、と、自分の足を叩く。
震えは、収まらなかった。
「……分かってるよ」
誰にでもなく、言う。
「私の家は、ここじゃあない。あの森の中の、本とマジックアイテムとがらくたでごちゃごちゃの、しみったれた、温泉のあるのが私の家だ……そうだろ?」
足の震えが何なのか、魔理沙にだって分かっていた。
夢の所為にして、そのまま入って行こうとしている足を、意地が、止めているのだと。
「よし、行くぜ。私の家に」
強引に、でも少しよろけながら、門に背を向けた。
その時だった。
「―――あら、おかえり」
「……ぁ」
澄んだ、懐かしい声に思わず振り向いて、眼を細める。
高度を下げた西陽が、いつしか門の屋根の向こう、屋敷の屋根の上にあらわれ、逆光が声の主を少女から隠していた。
夏に比べれば決して強くない、けれど忌々しいくらいに綺麗な光が、その中で動く人影をアヤフヤにする。
「早かったのね。あら、どうしたの、学校に忘れ物?」
「…………っ」
また、背を向けた。
(駄目だ、振り向くな私、振り向くなって!)
そう、心の中で何度も念じた。
爪が食い込むほどに強く拳を握り、その痛みがあまりに鮮明だったから、魔理沙は今見ているのが本当に夢なのか、それとも現実なのか、分からなくなった。
何秒か、何十秒か何分か、或いは一秒にも満たなかったかもしれない。
歯を食いしばって立ち尽くし、それでも抑え切れない衝動に、魔理沙は振り向いて口を開いて、
「――――あ」
ずっと言うことのなかったことばを
「―――――――――――かぁさ」
ぶつん。
【十】
「ぅ……ん?」
顔にくすぐったさを感じてうっすら目を開けると、綺麗な色の、自分のそれとは少し違う金色の髪が、さらさらと触れていた。
「……魔理沙?」
息がかかるほど近くで、誰かが自分を呼んでいる。
それが、誰だか分からずに、魔理沙は夢の続きを、口にした。
「かぁ……さま」
「……は?」
「……んん?」
「――――うぉぁ!?」
「きゃ!?」
目の前で発せられた、あまりに素っ頓狂な反応に、急速に意識が覚醒する。
がばりと起き上がって、とりあえず後ろっぽい方向へと急速後退。
「へ、あ、あれ? うおー、うあああ!?」
「落ち着きなさいって」
べしゃん。
顔に何かを投げつけられ、視界が真っ暗になった。
「……あー?」
投げつけられたものはどうやら座布団らしく、程好い手触りが寝起きとしては心地良い。熱を持った顔を隠すのにも最適だった。
「ったく、何なのよ、起きるなり暴走しちゃって」
「……でも、何だか面白いこと言ってたわね。アリス、聞いた?」
「まぁ、ね。意外だわ、あの魔理沙が」
「ねぇ?」
「うぐ……」
座布団の向こう側から聞こえるしのび笑いが二人分。
何を口走ったか、こういう時に限ってちゃんと覚えてしまっているため、しばし座布団に顔を預けてごまかす。
「……悪いかよ」
「別に、いいんじゃない?」
「可愛かったわよ?」
「うぉー」
座布団に顔を突っ込んで身悶えた。
なんという羞恥プレイか、寝起きで夢見の結果とは言えとんでもないことを口走ってしまった。
「……なあ、霊夢」
「ん、なに?」
「この座布団、しばらく干してないだろ。何か不思議なにおぅおぁっ!?」
ぶす。
殺気を感じて咄嗟に座布団から顔を離すと、ど真ん中に退魔針が突き立っている。
加減して投げたのだろうが、命中していれば人間として色々と致命傷だ。
「こ……殺す気かっ!?」
「今日は色々と口が滑るのね、魔理沙」
「うぐぅっ」
まさか針が刺さった座布団に顔を預ける気にもなれず、腹いせに引っこ抜いて投げ返すときっちりキャッチされた。
まだ頬の熱さは消えていない。
「うー」
「ま、良いわ、珍しいものが見れたから。このへんにしといてあげる」
「ほんと珍しいわよね。魔理沙が『かあさま』だって」
「言うなよ……」
そっぽを向いてはみたものの、状況がどうにも悪かった。
「何? また変な夢でも見たの?」
「夢? 霊夢、それどういうこと?」
「昼間に起きた時、そんなこと口走ってたのよ、こいつ」
「ふーん……」
ちくちくと、二人分の視線が熱くなったほっぺたのあたりに飛んでくる。
ちらりと視線をやると、ニヨニヨとしか表現しようのない笑いを浮かべた顔が、これまた二人分。
「……何だよ」
『別にー』
つっけんどんな言い方にしかならないのが、我ながら情けない。
「……ホームシックって奴かしら」
「なにそれ?」
「霊夢知らないの? ホームシックって言うのはね……」
「へー、ふんふん、ほほー」
なかなか聞き捨てならない会話だった。
だがしかし、この期に及んで何か抗弁したところで薮蛇が増えてしまうだけだという確信があったから、目を閉じ両手をぺたりと当てて頬を冷ますことに専念する。
実の所、そんな仕草をつぶさに観察しつつアイコンタクトで「やっぱり可愛いわね」「あげないわよ、あんたには山の巫女とかスキマとかがいるでしょ」「はいはい観賞するだけにしとくわよ」みたいな意思疎通が他二名の間で行われていたのだが、魔理沙には気付きようもない。
「……さて」
頬をほぼ鎮火し、すっかり温くなったお茶を一口含むと、そう切り出す。
「分析してみようと思うんだが」
「何を?」
「夢」
「ああ」
「なんでまた」
「良く分からん夢だったからな」
その断言に首を捻ったのは霊夢だけで、アリスはというとどこか訳知り顔というか、諦め顔である。
「夢って、良く分からないものじゃないの?」
「一見したところそうでも、夢ってのは実際、ほとんど当人の記憶から出来上がってるんだぜ? だから内容を整理して要素毎に分解していけば、割と本人には思い当たるモノになることが多い」
「へえー。って、別にそんなことわざわざやらなくても」
「甘いな。探究心と好奇心と行動力! これが魔法使いの基本だぜ。良く判らん事があったら、たとえ夢でも分析する!」
ちら、とアリスに目だけ向ける霊夢。『本当?』的なニュアンスらしきそれに肩をすくめる人形遣い。
見ないふりか、或いは本当に見ていなかったのか、魔理沙はやにわに立ち上がると置いてあった帽子と箒を手に取る。
「というわけで、私は今から帰って夢の分析をするぜ、じゃあな!」
だだだ、ががー、ぴしゃ、ばひゅーん。
走って、襖を開け、閉じて、飛び去る魔法使い。
「……逃げた」
「逃げたわね」
残った二人が、心得たように言葉を交わした。
折り良く、ぼーんぼーんと暢気な音を響かせながら、壁の時計から黒メガネをかけた鳩が飛び出し時刻を告げると、人形遣いも立ち上がった。
「それじゃあ、私も帰るわね」
「あ、そ。んー……ひょっとして追いかける?」
「違うわよ」
にひひと意地悪く笑う巫女を、ひとまずかわす。
「ああなった魔理沙って、三日は篭もるもの。私が行ってもロクに話も聞かな……じゃなくて、来客の予定があるの」
「……」
「何、その意外そうな顔」
「アリスって、私らの他に付き合いあったっけ?」
「そんな幻想郷七大不思議を見るような態度はとてもとても心外ね。まあ、友達とは違うんだけど」
「ふーん」
不意に興味を失ったように湯飲みを手にする霊夢。
おそらく素に違いないその反応に、ちょっとムキになったアリスは聞かれてもいないことを言った。
「べ、別に、来て欲しいとか言った訳じゃないのよ。ただ……そう、ちょっとこの間たまたま手紙を書いたら、すぐ返事が来て、それで今日来るって言うから。まったく、一度始まったら愛情が過剰なのよ、お母さん……は」
「へー、そー」
「……う」
失言に気付いたが、既に時遅く、今度はニヨニヨとした笑いを向けられる側に立ったアリスの頬に朱が上る。
「そ、それじゃあね!」
「はいはーい」
………………
…………
……
「……私としたことが、迂闊だったわ」
縁側でブーツの紐を結びつつ、誰に言うでもなく愚痴る。
師走も半ばを過ぎた空気は冷たく、少し火照りの残る顔にはちょうど良かった。
「そういえば、霊夢の家族って見たことないわね……」
暑苦しいほどに愛情溢れる魔界神から、思考を背後の襖の向こう側、今も炬燵に寄生虫でなくて寄生中の巫女へと切り替える。
「え、なに、上海?」
人形の小さな手で肩を叩かれ、思考はすぐに中断。
見ると、鳥居の方から本殿へ歩いていく人影ひとつ。
「……珍しい、参拝客かしら」
何となく興味をそそられ、爪先をトントン整えながら様子を窺っていると、ややあって拍手を打つ音が響き、再び聞こえ始めた足音が、今度はさらに近くなる。
「え?」
ひょこりと、本殿の向こう側から現れた人物は、何かを確認するようにあたりを見回した。
どうも、アリスの存在には気付いていないらしい。
「……あの?」
「ひゃっ!」
近付いて声をかけると、確かに驚かれた。
「あ、ああ……ごめんなさい。人が居たのね、気付かなくて」
「あ、えっと、私こそすみません。驚かすような真似を」
「いえいえ、良いんですよ。いやねぇ、年のせいにはしたくないけど、神社が妙に真新しくなってたから、ちょっと落ち着かなくて」
「あぁ、それは、えーっと」
気まぐれワガママ天人の一件で、博麗神社が再建、再倒壊から再再建の憂き目に遭ってより、まだ半年程度だった。
説明しようとしたアリスを、相手、六十ほどの老婦人が手で制した。
「あ、大丈夫。建て直したっていうのは、新聞で読んだの。でも分かっていても、なんだか別の場所みたいに感じてしまって、本質が変わってないというのは分かるのだけれどね」
「え? あ、はい」
こちらの話を聞いているような、聞いていないような、割とマイペースな老婦人。
決して華美ではないが、着物の着こなしといい、仕草といい、どこか懐かしい感じを受けた。
「あ、そうそう。それで、博麗の巫女さんはいらっしゃる?」
「え、あ、はい。多分炬燵に入り込んでると思いますよ」
「あらそう? 良かった。留守だったら二度手間になる所だったわ。ありがとうね、アリスさん」
「はぁ……」
会釈すると、老婦人は片手に大きな風呂敷包みを持っているとは思えない軽快な動きで母屋へ入って行った。
霊夢にああいう客とは珍しい、と思いながらも、迫る時間からアリスも足早に飛び立ち、しばらく飛んでから「あれ?」と、気付く。
「私、名前言ったっけ?」
振り返ったが、既に神社は視界の中にぽつんと小さく見えるだけで、人影など確認しようもなかった。
「……まあ、そういうこともあるわよね」
幻想郷縁起も然り、文々。新聞でも、自分は記事として載っていたから、一般人が知ってても不思議はないだろう。
そういうことに、しておいた。
………………
…………
……
「はふぅ、極楽極楽」
「はぁ、まったく。客が来たというのにこれとは……私も半世紀くらい前はこうだったような気がするから、ひょっとして巫女の職業病かしらねぇ」
「ふぇ? ……ああっ!?」
「こんにちは、霊夢。年中忙しいし外は寒いと思うけど、境内の掃除くらいしたら? 焼き芋のつもりで火をつけたら神社が焼けるわよ、あの状態じゃ」
「……だって、便利なのが居ないんだもん」
「鬼さんのこと? 駄目よ、たまには自力でおやりなさいな」
「もー、わざわざお説教しに来たの? そういうのは閻魔だけでたくさんなんだからね、お祖母ちゃん」
「あらあら、一人前のようなことを言うのね。ん、まあ今日はこれを届けに来ただけだから、お説教はまたにしましょう」
「むぅ、って何これ。お重?」
「あ、駄目よ開けちゃ。新年になるまで中を保存する仕掛けになってるから」
「……おせち?」
「ご名答。どうせ面倒臭がって他人任せにするでしょう?」
「……そんなことないもん」
「どうかしらねぇ」
「うー」
「……霊夢さーん、居ますかー?」
「へ?」
「あら、お客様かしら」
「ちょ、ちょっと待った! お祖母ちゃんはいいからっ! 早苗ーちょっと待ったー!」
「早苗……ああ、確か山の神社の娘だったかしら」
「何で事情通!?」
「便利よね、新聞って」
「なんだか賑やかですねー、ってあれ? えーと、そちらの方は?」
「初めまして、霊夢の祖母ですわ」
「あ、ご丁寧にどうも。東風谷早苗と言います」
「ふわぁ……おはやう霊夢ー。お茶ちょーだーい」
「ええい、この面倒な時にあんたまで出てくるな! さっさと冬眠してろスキマ!」
「いやん」
ぎゃーぎゃー。
【十一】
「少しだけ違う雰囲気に気付いたのは、校門を過ぎてからだった。
いや、ひょっとしたらその雰囲気は最初からあったモノで、校門を過ぎたところから夢に戻ってそれではじめて気付いたのだったか、ともあれ彼女、霧雨魔理沙は、またここに居る。
「……おぉ?」
はたと立ち止まり、呻いてみた。
何がどう変わるというほどのものでもないのだが、そうしないと状況に付いていけそうになかった。
「ふっ、結構やるじゃないか」
神社から帰って後、意気込みよろしく夢を分析しようとしたところで空腹に気付き、キノコシチューをこさえて食べるや腹いっぱいになって「眠い眠いぜ眠くて死ぬぜー」などと言いながらベッドに倒れこんだのは他ならぬ自分だったから、割と見当違いの発言だった。用法も用量も外している。
まあ、それはそれとして。
「……えーと」
学校だった。
建物の配置から何から、どうもほとんど同じ、というか多分まったく同じ舞台設定になっているらしい。随分と根性のある夢だ。
繰り返し見る夢もないわけではないが、立て続けに、それも同じ夢というのはなかなか得がたい経験だろう。
「うーむ」
陽も気温も低いところを察するに、まだ早朝と言っていい時間帯だ。
人影もほとんどなく、遠くで運動部の朝練の声が「リグル、ツインシュートだ!」「分かったよ妹紅さん!」聞こえてくる。あと爆音も聞こえた。
とりあえずそうした物騒なあれやこれやからちょっと遠ざかるように、校舎に入る。
慣れない割に履き心地は悪くないローファーを脱ぎ、ゴムの上履きに履き替えた。カカト部分を踏んだのは、なんとなく。
「お」
廊下にでたところで、壁に向かってなにやら作業中の人影を見つけた。
正しくは、壁に架かった掲示板に向けて何かを貼っているようである。
「あや?」
「よ」
「や、これはどうも。おはようございます、魔理沙さん」
「何だ、朝っぱらから精が出ると思ったら、また毒にしかならないよーなゴシップ紙を貼ってたのか」
「ひっ、ひどい! 学園一清く正しいこの私の書く新聞が人々の目の保養だなんて!」
「えーと、なになに…」
よよよと泣き崩れながらやたら前向きな解釈を展開する射命丸はさて置いて、貼られたばかりの真新しい新聞に視線を戻す。
「『恐怖! 用務員妖忌のヅラ疑惑に迫る』『潜入ルポ、八坂神奈子教員のジャージの真実』『一足早い夏の怪談、図書館に住む悪魔』……」
「ドキドキワクワクの記事ばかりでしょう?」
「いや、どれもいつもの眉唾じゃないのか。妖忌のヅラ疑惑とか神奈子のジャージとか、これって取材拒否されたから適当書いてるだけに読めるぞ。それに、大体今は秋だろ。何だ『一足早い夏の怪談』って」
「其処がミソでして」
「ミソか?」
「はい」
自信満々である。
どうやら夜間の校舎に忍び込んで撮ったらしい写真も載っているが、暗闇で判別し辛いことを差し引いても小悪魔にしか見えなかった。そのまま過ぎる。
「あーそうそう。適等に記事書いたら場所が余ったんで、例のお知らせも載せておきましたよ?」
「あ? 何の話だ?」
「んもう、とぼけるなんてお人が悪いですね。コレですよ、コレ」
「んー?」
『恒例 天文部主催観測会。
期日、今週末。時刻、割と適当。
参加希望者は適度な時間に来て適度に参加すること。以上』
「……なんだこりゃ」
「何って、魅魔先生の原稿そのままですけど」
「あー、いや、そうじゃなくて」
「はい?」
【十二】
「観測会って、何だ?」
「…………あ?」
時間はやや下って始業前。
窓際一番後ろの特等席に突っ伏していた霊夢は、魔理沙の問いにやたら重たい声で反応する。
下駄箱付近で遭遇した文は、あの後結局まともに取り合ってくれなかったのだ。
「何だ、二日酔いか?」
「…きのう…」
「昨日?」
「すいか、が…ゆーぎと、みせ、おいだされ……うち、に、あさまで……」
「……すまん、休んでてくれ」
「へぷ」
べしょりと再び突っ伏す霊夢。心なしか頭のリボンもしおれていた。
「付き合う方もどうかと思うけどな」
ちらりと外へ目をやると、サッカー部に混じってボールを追っかける鬼の姿がふたり分…というか明らかに両チームのエースと化していた。
教え子の家に転がり込んで朝まで飲んだ挙句、出勤したかと思えば今度は教え子に混じってサッカー。それでいいのか教師。
「しかし、観測会か……」
「あら、今週なんですか?」
「お」
声に振り向くと、紺のセーラー服姿の早苗が居た。
昨日のブレザーからの変遷に突っ込みたい魔理沙だったが、とりあえずは目下の疑問を投げかける。
「知ってるのか?」
「というか、まあ、割とたびたびあるじゃないですか」
「……そんなにやってたっけ」
「少なくとも、んー……」
何度か指折り数えて、うん、と頷く。
「うちや霊夢さんちの神社で皆が集まるより、回数的には多い筈ですよ」
「え」
「え…って、魔理沙さんの部活ですよ? 元々は」
「あ、いや、まあ、うん。ってか、そんなに集まって何やってんだ」
「大体は…食べ物や、お酒を持ち寄って夜更けとか、酷いときには朝まで騒いでるだけじゃないかなぁ」
苦笑気味の早苗。『お酒』の部分にやけに力が入っていたのは、飲めない彼女なりのささやかな主張らしい。
「それって…」
「はい?」
「天文部の活動じゃないんじゃないか?」
「うーん……」
手に持っていた鞄を置き、中身を机に入れながら、少し考え、「でも」と付け加える。
「曇ってる時って、どうしても退屈で眠くなっちゃったりしますから、騒いで起きてるっていうのはあながち間違いじゃないと思いますよ」
「じゃあ晴れてる時は?」
「……えっと、やっぱり騒いでるだけかも」
「なんだそりゃ」
「いや、魔理沙さんが言えることじゃないかと」
「む」
返答に窮したように見せつつ――実際半分はそうだったが――自身の記憶の本棚から観測会絡みのものを探すと、ほどなく、というか都合が良すぎるほどあっさりと『思い出し』た。
概ね月に二、三度ほどの頻度で週末に行われる、天文部主催の観測会。
晴れていれば時折部活らしく写真を撮ったりはするが、大方は星を眺めつつ酒を片手に騒ぐ。
雲っていれば時折部活らしく機材を弄ったりはするが、大方は星を眺めつつ酒を片手に騒ぐ。
客観的にそれはどう見ても、観測会というより星見宴会とでも言うべきモノだった。
と、一応の理解を終えた魔理沙の後ろから、にゅー、と両腕が伸び、続いて後ろから重みがかかる。
「……なーに、また宴会?」
「うぉっと、何だ霊夢。もう休んでなくて良いのか」
「ま、なんとかね……あとは授業中に補給するわ」
「不良だなー」
「赤点取らなきゃいーのー」
「ええい人の背中でぐずるな」
まだそれなりに眠いらしく、半眼のままぐにょんぐにょんと背中で右左に蠢く霊夢。割と邪魔だった。
振りほどこうとする魔理沙の手をたくみに回避しつつ往復運動を続ける。
「あ、そういえば」
「ねーむーいーのー」
「だからやめろと言うに……って、何だ早苗?」
「いえ、ちょっと気になったんですけど、先輩たちって今度の観測会には来られるんでしょうか?」
「先輩? 誰?」
「ほら、私たちより3コ上の、この間の観測会に来てたお二人ですよ」
「あー?」
「んー?」
揃って首を捻る。
当然ながら魔理沙の方は本来知っている筈のない情報だが、なんとなく記憶にひっかかるものがあった。
だが、手繰り寄せようとするより早く、霊夢がさも適当そうに言う。
「確か、ウサミミと……あとバァンとかパーンとか、そんな感じの名前じゃなかった?」
「おー、そうそう、確かにそんな感じだったぜ」
「……宇佐見先輩とハーン先輩、じゃないですか?」
「ほら、合ってた」
「合ってたな」
「ニアピンでしたけどね」
名前が出てくると、魔理沙の脳裏でも情報が繋がり、おぼろげながら人相や関連情報がいくつか思い出せた。
無論、知るはずのないことを何故か知っている、あるいは、強制的に知らされているという違和感が消えたわけではなかったが。
「そりゃあ来るか来ないかなんて本人に聞かないと……ん、いや、魅魔先生なら知ってるかな」
「あ、それもそうですね、後で聞いてみます」
「けど何でまた?」
「ある程度人数が分かった方が、色々と用意する目安になると思いまして……それじゃ、念のため少し多めが良いですね」
手帖を取り出して書き込む早苗を見やりながら、霊夢が呟いた。
「……何だかんだ言って、早苗も結構好きよね。お泊り観測会の皮をかぶった宴会」
「皆さんが持って来る飲み物がお酒だらけでなければもっと好きですけど」
「無理な相談よね、顧問がアレだし」
「たいてい一升瓶持参だからなぁ、魅魔先生は」
「…………」
「…………」
「……何だよ」
巫女ふたりが、不意に何かに気付いたように魔理沙を凝視する。
「魔理沙って、何でか魅魔だけは『先生』付きで呼ぶのよね」
「そうなんですよね。他のひとは大体呼び捨てなのに」
「いや、別に……誰をどう呼ぼうが、私の勝手じゃないか」
「でも魅魔って私にはやたら絡んで来るのよ。魔理沙にはみょーに甘いくせに。……何でだろ?」
「霊夢さんの場合は、単に現文の授業中に寝まくってるからじゃないですか?」
「そうなのかなー、こう……前世とかの変な因縁があるような気がするのよね、なんとなくだけど」
「はぁ……そう、なんでしょうか」
「―――まあ、普通は、だ」
不意に、三人の頭上から降りてくる声。
「お」
「げ」
「あ」
「ちゃんと先生って呼んでくれる奴と、教師呼び捨てでしかも授業中寝てばっかりの奴とで扱いを同じって方が、変だろう?」
2-3担任の現国教師、魅魔がにっこり笑った。
「あ、おはようございます。魅魔先生」
「お、おはよう、魅魔先生」
「おはよう霧雨、東風谷。……で、博麗?」
「……何よ」
「一日お誕生日席の権利を進呈してやろう。嬉しいだろー」
「な、職権乱用反対ー!」
「あっはっはっは、何とでも言うがいい。さあて!」
手にした出席簿を叩く乾いた音が、教室の注目を集めた。
「おらてめーら、HRの時間だ! さっさと席に着けワルガキどもー!」
同時に鳴るチャイム。
学園の一日は、概ねこうして始まるらしい。
【十三】
本の林を抜けていくと、少し開けた空間に出た。
目的の相手が閲覧用の円卓にかじりついているのを見て、紫色の髪に後ろから声をかける。
「よ」
「何よ、また来たの? ここは一般生徒の立ち入りは禁止よ」
「そういうお前も一般生徒だろ」
「図書委員長の特権」
「書庫に篭りっきりで良く言うぜ。どうせ仕事なんかしてないくせに」
「……書庫の整理も仕事の内よ」
「ま、どっちにしたって、今は授業中だからお互いサボリなんだけどな」
「……はぁ」
追い返すことを諦めたように溜め息をひとつ吐き、そこではじめて本から魔理沙に視線を移すと、かけていた眼鏡を外して席を立った。
「仕方ないわね。お茶請けはないけど、お茶くらいなら出してあげないこともないわ」
「お、珍しいな。動かない図書委員長のパチュリーさん手ずからお茶を淹れてくれるとは、光栄だぜ」
「からかわないの。タバスコ入れるわよ」
「それじゃあ、二滴ほど」
「……あら残念、切らしてるわ」
古ぼけたものが大半の本を満載した本棚が並ぶ書庫。
その一角に何故か存在する簡易型のキッチンと、それに隣接する読書スペースに紅茶の芳香が漂う。
「はい。咲夜やこぁほどじゃないけど」
「うんにゃ、頂くぜ」
よく手入れされているカップを、少し危なっかしい手つきで卓に置き、自分のを持ったまま席に戻るパチュリー。
魔理沙が口をつけるのを見てから、自作を一口。
「ん、まあまあじゃないか?」
「64点。辛うじて合格といったところね……たまにしか淹れないからなけなしの技量を保つので精一杯だわ」
「咲夜や小悪魔の淹れるやつとそんなに違うようには思わないけどなー」
「それは貴女の味覚が大雑把だからよ」
「酷いぜ」
面と向かって否定は出来ない。
和食系なら歴戦の味覚がものを言うが、洋食系が相手だと十全の自信はさすがに備えていない魔理沙である。
「…………」
「……それで?」
「んぉ?」
「何か話があるんじゃないの」
「あー……」
所狭しと本が詰まれた円机にどうにかティーカップを置き、片手で豊かな金髪をわさわさとかきまわす。
言い出すべきか、どうするかを少し悩んでから、ギッと椅子を鳴らして居住まいを正して切り出した。
「……なあ」
「なに」
「ここって、夢の世界なのかな」
「…………」
「いや待て、熱はない」
「……そのようね」
心底心配そうな表情で魔理沙の額に当てていた手を戻し、パチュリーは眼鏡を掛けなおすと手元の本を開きなおした。
どうやら話半分程度で聞くつもりになったらしい。
「それで? そういう結論に至った経緯を一応聞いてみるけど」
「あー、うん、実はだな……と、言ってもどこから話したものやら」
「最初から始めて、最後まで話して終わりにすれば?」
「最初ねぇ……んー、それじゃ、何で私がこの世界を夢だって思ったあたりからなんだが―――」
本来、魔理沙自身が住んでいる世界には、こうした学園のようなものはなく、そこでは自分たち人間や魔法使いや巫女だけでなく、吸血鬼幼女や鬼幼女だのが生徒だったり教師だったりというのはありえないこと。
にも関わらず、基本的にそれぞれの面子についてはほぼ同一人物と言って良いこと。
そして自分にはまったく馴染みのない『学校』という舞台で、何故かそこで生活していなければ分からない情報を『思い出せる』こと。等。
「……とまあ、大体こんな感じなんけどさ」
自分でも情報を再整理しながら一通りのことを話し終え、すっかりぬるくなった紅茶の残りを一気に飲み干す。
「……ふむ」
対して、聞いている間に二度のおかわりを飲み終えたパチュリーは。いつの間にか本を閉じて思考にふけっていた。
いつもより八割ほど細くなった目がレンズ越しに全く歪んでいないのを見て、彼女のかけている眼鏡が伊達であることに魔理沙は気付く。
「……なあ」
「…………そうね」
ひとつ小さく頷いて、眼鏡を外す。
背もたれにゆっくりと体を預け「ひとことで言うなら」と、前置きを入れて息を吐き、そして宣言通りにひとことで済ませた。
「無意味ね」
「な……おい! そりゃ、ないだろ?」
「別にそうでもないと思うけど。真実、ほんとうにこの世界が貴女の夢だって言うのなら、こうして話してる私はあくまで貴女……霧雨魔理沙の記憶の中のパチュリー・ノーレッジをベースにした幻に過ぎない。その私が喋るのは、基本的に貴女の記憶にある私の言葉か、もしくは貴女が『パチュリーならこう言うだろう、こう言ってくれるだろう』という想定に基づいたものでしかないわ」
「む……」
「これは他の全員の言動についても同じことが言えるわね。それから……」
「それから、何だ?」
「こちらが夢ではない、つまり貴女が現実だと思っている幻想郷が実は夢で、こちらの世界が現実だった場合だけれど」
「……ああ」
無意識のうちに自分の喉が鳴る音に、奇妙な現実感を感じながら頷く。
「それでもやはり、こうして話してる意味は無いわね」
「……おいおい」
「当然でしょう。夢はいずれ醒めるもの。現実の時間は常に進んでいる。咲夜の能力でも世界の時間全てを止め続けることなんて出来ない。どっちかが夢だというのなら、醒めれば分かることだわ」
「まあ、そりゃそうなんだが、もうちょっとこう、言い方ってものが……」
「……はぁ」
「てっ!?」
溜め息と同時に、本の角で小突かれた。地味に痛い。
「……んだよ」
「深刻そうに下らないことで悩んでるからよ」
「や、私は真剣だぞ?」
「だったら尚更。安楽椅子探偵なんて貴女の性に合わないんじゃない? こんな所で腰を落ち着けてたって、結論が出るような課題でもないし」
「むぅ……」
「どっちが夢でどっちが現実なのか、決めるのは結局それを抱えてる貴女自身よ。だったら貴女なりのやり方があるでしょうに」
「……そー、だな。うん」
勢いをつけて立ち上がる。
随分長いこと座っていたのか、少し尻が痛かった。
「確かにそうだよな。こういう時は動きあるのみだ」
「分かったのならさっさと去りなさい。読書の邪魔」
「へーへー。……お、そうだパチュリー」
「……まだなにかあるの」
早速読書を再開しようとしていたらしく、開いた本の向こうから半眼で睨まれた。
「週末の観測会、来るだろ」
「……また宴会?」
「そうとも言うな」
「…………」
視線を本に戻し、また一度だけちらりと魔理沙を見やってから、何か言おうとして小さく咳き込み、あらためて。
「……読書の空き時間があったらね」
「そっか、じゃあな。あ、紅茶ごちそーさま!」
慌しく走り去っていく足音。
それが完全に聞こえなくなった頃、ひとりきりに戻った書庫の閲覧テーブルで「あ」と小さな呟き。
「……週末って」
視線を転じる。
食器棚に冷蔵庫、コンロに流しと一通り揃った、図書館には似つかわしくないキッチンスペースに架かったカレンダーに目をとめる。
今この場には居ない副図書委員長が気をきかせたらしく、赤字で書かれた『観』の字の日付は―――
「今夜じゃない」
【十四】
『かんぱーい!』
良く晴れた星空の下……ではなく、生憎の曇天模様でいちおうは満月の筈だがその光もほとんど降らない学園の屋上、これ幸いと酒宴に移行した声が響く。
単純に床面積だけで考えれば教室十個分以上の広い空間が、そこら中に茣蓙やらレジャーシートやら折り畳み椅子やらで陣取ったお馴染みの面々によって占拠され、意外なほど狭く感じる。
「まったくもう、放課後で明日は休みだとは言え、ここはまがりなりにも学び舎ですよ? その屋上で酒宴等と、分かってるんですか!?」
「えーき先生えーき先生、ま、そのくらいにしましょう。ほらほら、アフターファイブでアフタースクールなんですから、ささ、ぐいっと」
「む、ん……っく、ぷはぁ……。大体ですね小町! 貴女も何ですか、手伝って欲しい仕事があると言って置いたのに、ふらりと居なくなったかと思ったらのんびりソフト部と一緒に部活してるとか!」
「いやほら、あたい帰宅部の顧問なんで、適当に声かけて手伝ってくれって言われたら断れないもんですから」
「それはどういう意味ですか! わ、私のっ、貴女にとっての私の優先度はその程度と、そういうころれすかっ!!」
「……相変わらずお酒に弱いですねぇ」
「なにおー! 私はっ、酔ってなどいまへんよぅっ! そもそもっ、部活をするということで屋上使用の許可は出てるはずらんれすからっ、天文部はもっと考えらいと、らっ…ららめれすよっ!!」
日本酒コップ一杯ですでに真っ赤な四季映姫を、小町が苦笑しながらもどことなく愛でるような目つきで相手をしたり。
「で、あんなこと言われてるけど、良いのかい、天文部顧問さん?」
「あっはっは、心配しなくても四季は深酒したら記憶が飛ぶから問題ない問題ない」
「ま、小野塚もあれはあれで幸せそうだから良いのかね。諏訪子ー、こっち来て一緒に呑まないー?」
「もーちょっち待ってねぇ。この不届きな氷点下娘を懲らしめたら……7!」
「えっと、8……」
「9!」
「ダウト!」
「な、よく見なさいよ! どこからどう見たってこれ9じゃない!」
「……チルノちゃん、それ6」
「ぐはあ!?」
なぜかウマが合うらしく酒を酌み交わす神奈子と魅魔、そして下級生のグループに混じってトランプに興じる諏訪子が居たり。
「穣子穣子、お芋のグラタンってまだあった?」
「え? もう無くなったの?」
「いえ、すみません。うちのお嬢様と妹様がアレを気に入ったようでして、お代りがあればと思ったのですが……」
「あー、そっか、とりあえず人数分しか持って上がってなかったっけ。いいよ、ちょっと待ってて」
「どちらまで?」
「家庭科室にね。出がけに仕掛けたのがそろそろ焼き上がってる頃だと思うから」
「あ、これですね」
「早!」
忙しそうに、けれども楽しそうにメイドや秋姉妹がそこらへんを行ったり来たり。
「曇りなのがちょっと残念ねぇ。でも、雨月と同じで雲に隠れた月を想像しながら愉しむお酒も良いものよね」
「幽々子様、それは15個目の月餅の理由にはならないかと……」
「あら、これでも控えめなのよ。生徒会長って結構激務なのよね、おかげで食欲がいまひとつ」
「……そうですか?」
「幽々子~」
「あら紫……じゃなかった紫学長。何だか疲れてるわね~」
「ぅわ、本当ですね」
「私はこの世界に異議を唱えるわ……あなたが生徒会長で制服着てピチピチ学生気分なのに、どうして私がスーツ姿で学長室で偉そうにふんぞり返ってないといけないのよ……!」
「……わざわざ偉そうにふんぞり返る必要はな「何か言った藍」いえ何も」
「良いんじゃないの。似合ってるわよ? 大人の魅力ね」
「そういう意味じゃないのっ! 私だって制服着て、あなたと一緒に授業受けたり、霊夢とお弁当一緒したりおトイレ行ったりしたいのよッ!!」
「……私が教師なのですから、その上で紫様が生徒というのは色々な意味で無理があ「何か言った藍」いえ何も」
「それじゃあ、紫も制服着ればいいじゃないの。きっと似合うわよ~」
「駄目、駄目よ駄目なのよ! 学長という立場のまま着たって、それじゃあただのコスプレなの! 私はっ、心の底までっ、女子校生になりたいのよ!!」
「……結構、難題ですね」
「そうねぇ……」
「……ですがもし、仮に、紫様が生徒になったとしたら年齢的にあの月人くらいしか教師役になれ「何か言った藍」いえ何も」
平然と、しかし誰にも真似の出来ないペースで食料を摂取しつつ、泣きついてくる隙間妖怪の相手を適当にしている幽々子とか。
そんなふたりを適当に世話している妖夢とか、確実に聞こえるボリュームでささやかに突っ込みを入れ続ける妖孤とか。
場所とそれぞれの服装が違うことを除けば、それはいつもの幻想郷の、神社やらで行われる宴会と同じだった。
それこそ、ふとした拍子でどちらが真実なのか分からなくなるくらいに。
「……ふぅ」
アルコールの混じった、少し重い息を吐き、空を見上げる。
所々雲の薄くなった部分を透かして月光が漏れてくるが、それ以外に頭上から照らすものはない。
「ん、どしたの魔理沙。飲みすぎた?」
「お?」
隣によっこらせと腰をおろしたのは霊夢。
朝方あれだけグロッキーだった割に結構上機嫌なのは、日中たっぷりと睡眠(授業中)をとったからだろうか。
「いや、星……」
「星?」
「見えないなーって」
「あー」
二人、並んで天を仰ぎ、しばし無言。
「この雲じゃねぇ……月の光だってうっすらしか見えないんだから、星なんて無理よね」
「そうだなー」
「でも、本当の星はひとつひとつ、太陽と同じくらい明るいんですよ?」
「お?」
「あら、早苗。萃香と勇儀と文はどしたの?」
「逃げてきちゃいました……あれ、普通の人間が一緒に飲んでたら危ないですし」
お邪魔します。と言いつつ、霊夢を挟んで魔理沙と反対側に来る。動きがふらついていて少し危なっかしい。
「あんた弱いもんねー。あ、でも前よりはマシになった?」
「あはは、少しは……でも、今もちょっと視界がふらふらしてますけど、っとっとと?」
「あーほら大丈夫?」
「は、はい、なんとか……」
座ろうとした拍子によろめき、霊夢にもたれかかる形になった早苗。
「仲いいなぁ、お前ら」
「えっ? ……あ」
「あー……」
酒精以外の赤が、ふたりの頬に少しだけ混じる。
それを見て自然、にへりと笑いがこぼれた。
「なんか良いもんだなー、こういうのも」
「へ? あ、そう、そうね」
「そ、そうですね……うちや霊夢さんちの神社じゃあ、場所が半端に不便ですし。どのみち、みんな学校には出てきますから」
「そっか……学校か」
そう思うと、この夢もまんざら悪くない。
「でもま、魔理沙のおかげでもあるんじゃない?」
「は?」
「あ、そうですよね。魔理沙さんが入部しなかったら、天文部は私たちが入学してすぐに無くなっちゃう筈でしたから」
「あー……」
「言うなれば、この酒宴の元凶よね」
「残念だが、そこまでは私の管轄外だぜ」
おどけて答えながら、自分の心の深い所をくすぐられる感覚を、魔理沙は察知する。
「……よ、っと」
「? どしたの?」
「魔理沙さん?」
「悪いな、ちょっと花摘み」
簡単にそれだけ告げて、屋上を後にした。
………………
…………
……
「……ぷはぁっ」
屋上より一階下の水場。
冷たい水で何度も顔を洗い、酔いを流し落していく。
「…………」
鏡の中に映る自分の顔。
ばしゃばしゃという水音だけが辺りを圧し、屋上の騒ぎもここまでは聞こえない。
「……私が?」
他人事のように口にする。
「私がいるから、みんなが萃まる……?」
魔理沙の心をくすぐったのは、つまるところそれだった。
この世界では、神社ではなく、天文部の宴会に皆が集まる。
霊夢の居る神社にではなく、魔理沙の居る屋上に。
「ははっ……」
自分でも驚くほど、乾いた笑い声。
どうして笑うのか、いやそれ以前に、その程度のことが何だと言うのだ。
「はー……っ」
笑い飛ばしたつもりで、し切れていない。
たったそれだけのことが、やけに彼女の心に絡みついていた。
「呑もう」
いろいろなものを振り切るように、その場を去る。
行こう、屋上へ。
あの騒がしい場所へ。
【十五】
「…………」
扉を開ける前から、予感はあった。
あれほど騒がしかった筈の皆の声が、扉一枚隔てた階段に聞こえていなかったのだから。
にもかかわらず、目の前の光景に、しばらく魔理沙は立ち尽くしていた。
「……ありゃ?」
意識して、平然とした声を絞り出すが、少し掠れた声は彼女以外誰も居なくなった屋上へ虚しく吸い込まれて、消えた。
……誰も、居なかった。
誰も、居なくなっていた。
その代わり、それだけが誰かが居た証拠のようにして、空になった酒瓶や茣蓙やシートや食器類が、屋上の至る所に散乱している。
「やれやれ……騒ぐだけ騒いで、散らかすだけ散らかして帰っちまったのか」
ぼやく。
その言葉が事実と異なっていることを、彼女も薄々理解していたが、ひとまず手近な残存物に近づき、おざなりな片づけを始めた。
「ふむ……霊夢が毎度毎度文句を言うのも分かるなぁ。これだけ散らかされたら、そりゃあ面倒臭いや」
広がったままのレジャーシートにそこらへんのゴミを適当にぶちまけ、まとめていく。
軽口を叩きながらだが、作業にも言葉にも、どこか白々しさを感じる。
「まったく、ここが天文部の活動場所じゃなけりゃ、放っとくところなんだが……ん?」
下を向いて延々と作業していた魔理沙の手元が、不意に明るくなった。
光源を探して持ち上がった視線が、いつの間にか、すっかり晴れ渡った空に浮かぶ月をとらえる。
「おー……」
周辺には他に目立つ明りはなく、振り向けば足元にはっきりとした影が出来るほどに強い月光。
そして、それだけ強い月光に照らされてなお、満天の星が、金属音を立てそうな光を投げかけてくる。
「……そうか」
月と星を見上げながら、口をついて出る言葉。
そう、ここでなら―――
「―――ここでなら、この世界でなら魔理沙、君は霊夢に勝てる」
「……よぉ、遅かったな、宴会はとっくにお開きになっちまったぜ」
後ろからかけられた声。
不意だった筈だが、驚きはなかった。
むしろ、ここでなければどこで来るのか、とさえ思っていた。
「それは残念だ。これでも急いで来たんだが」
聞きながら、振り返る。
月を背にした魔理沙の影が、振り向いた正面へ伸び、その影が尽きる所に『彼』は居た。
「でも、君が居てくれたから十分だよ、魔理沙」
「ようやくのご登場だな、香霖」
この舞台に相応しい学生服ではなく、まして教師を思わせるスーツ姿などではなく、いつもの、森のはずれの店にいる時と同じ恰好の森近霖之助が、そこに居た。
………………
…………
……
「……意外だな」
少しの無言の時間をはさんで、霖之助が心底そうだという風に言った。
「何が?」
「てっきり、僕が現れてもっと驚くかと思ったんだが……」
「そうか? 順序から言えばそろそろだと思ってたぜ」
「ふむ……」
「まず、霊夢に早苗」
ぴっ、と指を一本立てる。
「それからさとりと燐、幽香にメディスン、神綺に静葉、諏訪子にヤマメにリグル、次にレミリアとフラン、にとりに輝夜に妹紅、そして魅魔様……」
名前を挙げ、一息区切る度に指を立て、五本立ったら今度は折り曲げる。
そうして、この夢を見始めてから、先刻の宴会に至るまで巡り会ってきた馴染みの名前を列挙した。
「今の幻想郷でおよそ私と関わりのある人間も妖怪も神も大抵が出演済み。消去法でいけば当然だし、付き合いの長い順で言えばむしろ遅すぎる位だろ」
「ふむ、なるほど、確かにそうかもしれないな……」
納得したように頷く。
「けど、僕の出演予定が最初からなかった、とは考えなかったのかい?」
「そりゃ無いな。お前の目的がどういうものであるにせよ、私をこの夢の世界に留めようとする以上は、どうしたって香霖を出さないと決定打にはならないんじゃないか?」
「……ほう」
今度は感心したように。
「案外冷静に状況を把握してるんだね」
「舞台設定が学校って以外は幻想郷とほぼ同じ。最初は違和感を覚えても、夢のことだからきっと誰かから……この場合早苗あたりか? から聞いたかもしれない外の学校のことをどこかで覚えてて、それでこうなったんだと思えば後は大したことじゃない。少しずつこの世界に私をなじませて、最後に大きな餌をちらつかせる」
両手を腰に当てて、霖之助を見る。というより、ほぼ睨みつけるような勢いで言葉を続ける。
「この世界でなら、霊夢に勝てるってのと、それから香霖のふりをしたお前自身ってエサをな」
「そこまで言い切るということは、大人しくこの世界に安住はしてくれない、ってことかな」
「当たり前だ」
ダン! と、ひとつ大きく屋上の床を蹴りつけた。
「そりゃあ、私も人間だし、何より乙女だ。勝ちたい相手に勝てるってのと、いつもつれない香霖がよっかかって来るかもと思えば、迷いはする。けど傾いて折れるほど私は弱くない」
「……ふむ」
「分かったか。分かったら、さっさとこの薄っぺらな世界を消して私を起こせ。結局劣化コピーでしかない幻想郷もどきなんかにゃ、私は惹かれないぜ!」
ほぼ正面から月光を浴びている霖之助が、俯く。
眼鏡が光を反射し、窺い知れなくなった表情の下で、唇がニヤリと動いた。
「……くくくくく。なるほど、さすがにただの人間ではない、ということか」
「残念だったな。あいにく、普通の魔法使いさんはこんな程度じゃ籠絡できないんだ」
「だが、今の君はただの少女だ」
「! く、ぁっ!?」
屋上に打ち付けられる背中。
いつの間にか接近され、組み敷かれたのだと理解するのには、その衝撃ひとつで十分だった。
「……そうだよ魔理沙。君はこの世界に来てから、まだ一度も飛んでいない。弾ひとつ撃っていない」
「……ちっ」
「それが出来ないから。この世界に安住しないと言いながら、君はまだこの世界の、僕が創り出した法則から逃れられずに居る」
「で、力づくか……案外芸が無いな」
「何とでも言いたまえ。実際君に逃れる手段はない」
「…………」
「少々乱暴だが仕方ない。君にはこの世界に留まってもらう。そして君の身体をもらい受ける」
「……へへ」
「……何が可笑しい」
「可笑しいさ、そりゃあな」
言い切る。
この状況に至ってなお、恐怖心を越えて笑う魔理沙に、霖之助の姿をした者の声が初めて苛立ちを見せた。
「あーあー確かにそうだ。私はお前の組み上げたこの世界の法則とやらのせいで、まだ弾一発撃てないただの小娘さ」
「では、なぜそうも笑っている……!」
「人の記憶を勝手に覗き見して、人の見る夢をベースに世界を創る……そんな力を持ってる割に、間抜けなんだな」
「……なに?」
「分からないか? 分からないならはっきり言ってやる」
月と星の光の下。
体格差はまさしく大人と少女。組み敷かれたその下で、なおも彼女は笑みを絶やさない。
「この世界は、私の味方だってことだ」
「は、っはっは……何を言い出すかと思えば、誰も居ないのに、誰が味方になると言うんだ」
「……さてね」
「無駄な足掻きはやめたまえ。君はここで僕とひとつになり、甘美な夢の中で……」
視線も顔も背けない魔理沙に、近づいてくる顔。
「永遠に眠るの―――」
瞬間。
「だ」
ブーツに包まれた足が、霖之助の身体を真横から思いっきり蹴飛ばした。
【十五】
「ふー……女の子を力づくでモノにしようなんて、最っ低ね。霖之助さんの恰好してたから、つい力入っちゃったじゃない」
月光の下でなお青いスカートの埃を払いながら、今しがたその『最低』を助走の効いた蹴りで屋上の反対側へと吹き飛ばした加害者が言う。
「よ、ナイスタイミング」
「魔理沙……あんたもあんただわ。格好つけるのはいいけど、もうちょっと抵抗とかしたらどうなの?」
「いや、でもお前はちゃんと来てくれたじゃないか。サンキュな、アリス」
「……今回だけよ」
ぶっきらぼうに答えながら、そっぽを向いて乱れてもいないカチューシャの位置を直す。その仕草に合わせて、白を基調にしたケープがふわりと動いた。
片手には鍵のかかった本。付き従う人形。
いつもの七色人形遣い、アリス・マーガトロイドがそこに居た。
「まったくねぇ、手芸部の部室に籠ったまま出番が無いかと思ってたわ」
「ははは」
「笑い事じゃないわよ。結構深刻なんだから」
「ふふふふ……そう、笑い事ではない」
「お」
「あ」
意外と早く立ち上がる『霖之助』。
眼鏡のレンズが片方割れているが、それ以外に目立ったダメージは無いようだった。
「……結構頑丈なのね。もっと強く蹴ればよかったかしら」
「やっぱり手加減したのか?」
「即死しない程度には」
「そりゃ手抜きだなぁ……」
「多少予定にない事態だが、問題はないな。出てきたところで大したことはできまい」
「?」
アリスを見ると、首を左右に振る。
「その霖之助さんモドキの言う通りみたい。種族差の分だけ魔理沙よりいくらか力は出るけど、多分、今の所はそれだけね……」
「ありゃ。まあ、それでも二人居ればなんとか……あ」
「? ……あ」
「ふふふ、どうした、余所見などしていて良いの」
瞬間。
「か」
空から降ってきた足が、彼の後頭部を、ごすん、と捉えた。
そのままの勢いで顔面から屋上に叩きつけられ、沈黙。
「うわ、痛そ」
「鈍い音したわよ……死んだんじゃない?」
「そうでもないわ、まだ息があるみたい」
「霊夢も外道ねー」
「うるさい。私だって何でここに居るのかとかよくわかんないんだから。たまたま気付いたら霖之助さんの頭が目の前にあったんで、つい蹴っちゃったけど」
「ついって」
言いつつ、艶やかな黒髪をかき回す、これまたいつもの紅白巫女服の霊夢。
「あー、そんなことより魔理沙」
「あ?」
「さっさと行きなさい。何となくだけど、ここでこいつとやり合っててもキリがないわよ」
「そうなのか?」
「多分だけどね、こいつが復活して誰か来て~が延々繰り返されるだけじゃないかしら」
ごすんごすんと、復活阻止のためか、顔面から屋上に沈んだ霖之助の首あたりを立て続けに踏みまくりながら、霊夢が言う。
「あのさあ」
「何」
「お前たちって、本当に私の夢の登場人物か?」
「どうして?」
「いや、何と言うか……」
こちらはブレザー姿のままの魔理沙。
「恰好がいつものってだけじゃないんだよな。何かこう、単に私の夢どうこうじゃないような感じがして……」
「……そう?」
「ひょっとして、実は二人とも今は寝てて、それでたまたま私の夢に同調して意識がこっちに来てるとか、そんな所か?」
言われて互いを見やる霊夢とアリス。
少しの間何かを考え、霊夢は変わらずごすごすと蹴りながら、ややあって。
「……起きてみないと何とも言えないわね。単に、私がこういう夢を見てるだけかもしれないし」とアリス。
「起きた後で見てた夢のこと覚えてるなんてほとんどないからなぁ」これは霊夢。
「そっか……でも、どこへ行ったら良いんだ?」
「さあ、適当にそこらへん行けばいいんじゃない」
「適当に、ねぇ……」
「大丈夫じゃない?」
やけに気楽に言ったのはアリスだった。霊夢は首蹴りに熱中している。ごすんごすん。
しかしアリスもそ知らぬ振りをしながら、その実後頭部をぐりぐりと踏んづけていた。
「あんたの味方なんでしょ、この世界」
「あ、いや、まあ……そうだろうとは思うが」
「だったら大丈夫よ、そこら辺走り回ってれば何かあるわ」
「……そうだな。よし、あとは任せるぜ」
「あ、そうだ魔理沙、これ」
「っと?」
アリスが投げた何かを受け取った。
掌に余る程度の厚紙の箱。軽くて硬いものがたくさん入っているらしく、ガラガラと音が鳴る。
「……チョーク? こんなもんどこで」
「学校の備品」
「ふむ……まあ、何かの役に立つかもな、貰っとくとするか」
「後で教室に返しときなさいよ」
「使い切れなかったらそうする。じゃあな!」
中央階段へと続く扉を通る瞬間、魔理沙は一度だけ後ろを振り向く。
「…………」
見たのは一瞬。
次の瞬間には勢いよく扉を閉めて、階段を駆け下りていったからよく分からない。
屋上には、もう霖之助の姿をした何者かしか居なかったかもしれないけれど。
………………
…………
……
「く、ぬ……」
そして、彼が体を起こした時、既に屋上は彼ひとりきりとなっていた。
「何なんだ、一体……」
先ほどまで猛烈な蹴りを打ち込んできていた巫女も人形遣いもいない。
「ふ、だが、居ないのであれば都合が良い。このまま魔理沙を追い詰めるだけだ」
精神を集中し、彼女の所在を探索。
校舎内をあちこち走り回っているようだが、そんなことで事態をどうにかできる筈はない。
魔理沙にはああ言ったが、実は彼自身も、自分が構築したこの世界の法則にある程度は束縛されてしまう。
勿論、その法則を越えたこともやろうと思えばできるが、そうすれば同時に『綻び』が生まれ、彼女に反撃の機会を与えることになるだろう。
「今のままで十分だ」
頷き、駆け出す。
法則に縛られた身では、走る彼女を走って追いかけなければならないのだ。
【十六】
「……さて、ああは言われたものの、どうすりゃ良いんだか」
校舎内を走りながら呟く。
適当にそこらを行ったり来たりしてるが、今のところ何らかの糸口になるようなものは見当たらない。
「ん」
かちゃ。と、懐でチョークの箱が鳴る。
「……そうか」
一つの手がひらめいた。
走りながら箱を開け、中身を確認。
「よし、いけるな、私」
自分のアイデアに自分で頷く。
箱からチョークを取り出し両手に構え、手近な壁に猛然と挑みかかった。
………………
…………
……
「ん? ……くくく、見え透いた手だ」
しばらく追跡をしている内に、魔理沙の行動が変化した。
少し立ち止まって移動するというパターンを繰り返すようになったのだ。
「ここもか」
案の定、立ち止まった地点で目を凝らすと、わずかに黄ばんだ壁に青や赤のチョークで魔方陣が描かれているのが、薄暗い中でもわかる。
それを片っ端から消していく。
「これは危険だからね」
外界の施設である学校を模したとはいえ、所詮彼の組み上げた世界も多分に幻想郷側に属している。
その根底条件が存在する以上、こうした仕掛けは正確に用いられれば確実に効果を及ぼす筈だった。
だから魔理沙は描き、彼は消す。
静かに、だが確実に互いの目的のための行動が、薄暗い夜の校舎内で進行していく。
………………
…………
……
「……気づいたな」
校舎内に描きまくっている魔法陣からの発信が途絶え始めた。
両手をチョークの色でまだらに汚しながら、なおも描き続ける。
「……よーしよし」
どうやら彼は、魔理沙の位置をほぼ正確に把握できているらしい。
彼女が立ち止まれば、それはすなわち魔法陣を描いているという他ならぬ証拠。
だから、そこへ移動されれば当然陣を発見され、消されることでもある。
消されることそれ自体はさほど問題ではない。が……
「は、っ……ふー」
立ち止まって、深呼吸。
気づけば、教室の並ぶ本棟の3階、芸術教室エリアに来ていた。
最後に消された魔法陣の位置は、遠く離れた、図書館や職員室のある特別棟だ。すぐには追いつかれないだろう。
「あと、何か足りないよなぁ……」
腕を組んで悩む。
今準備中の作戦だけでもなんとかなるとは思うのだが、どうも何かが欠けている気がする。
「……ん」
相変わらず廊下の机に置かれたブルータスのところまで到達。
辺りを見回しながら、石膏像に話しかける。
「なー、何かないかな」
「…………」
当然、ブルータスが何かをしてくれるわけではない。
「こいつが突然弾幕でも張れたらなー……いや、それはそれで怖いな」
78季卒業生作の偉人は、先日見た時より少し違う角度で置かれていたが、相も変わらず無言である。
「んー……ん?」
ブルータスの視線の先、廊下に置かれているロッカーで魔理沙の視線が固定した。
「……ん! そうかっ」
駆け寄って歪んだロッカーのドアを乱暴に開け、眼を皿にして中身をチェック。
「違う、ここじゃないな……!」
再びドアを乱暴に閉め、すぐ後ろの東階段を猛然と駆け下り始めた。
2段3段と間を抜かし、駆け降りるというより飛び降りると言った方がふさわしい速度で下っていく。
「見つけたぞ魔理沙!」
「やべ!」
しかし、1階分を降りたところで上がってきた霖之助と鉢合わせになった。
とっさに懐からライターと飴玉程の大きさの球体を数個取り出し、火を付けて投げた。
たちまち、廊下が煙で満たされる。
「むぅ!?」
「物理部から失敬した煙幕弾だぜ!」
煙に反応してか、火災報知機が作動し、けたたましいベルが鳴り響いた。
が、水の供給がされていないのか、スプリンクラーが無言のまま回転する下を駆け、中央階段からさらに下階へと降りる。
「はっ、はっ、はぁっ……!」
息が切れる。
体力にはそこそこ自身があるが、自分の体をここまで酷使するのも久しぶりのため、さすがに限界が近かった。
履き替える暇などないから上履きのままグラウンドに飛び出し、視線を巡らせ目的のものを探す。
「どこだ……!」
いつの間にか再び雲が出たらしく、明りに乏しい中でなかなか目的のものは見つからない。
「鬼ごっこは終わりかな、魔理沙」
「……よう、早いな」
「気づいてるんだろう? この夢の世界の中では、僕は君の位置をかなりの確度で察知できる。煙で目をつぶされても大したことはない」
「……ちっ!」
「はははは、どこへ逃げるというんだい?」
グラウンドはほぼ四方をフェンスで囲まれており、出入り口は校舎側にしかない。
だが、魔理沙が逃げたのは校舎から離れる方角だった。
ほどなく、グラウンド隅の倉庫までたどり着くと、逃げ場はほとんど無くなる。
「あ、鍵が……!?」
「どうした。倉庫の鍵が閉まってるのがそんなに不思議かい?」
「…………」
「いけない子だ魔理沙!」
「ぁぐっ!」
かなり強い力で張り飛ばされた。
背中から倉庫の壁にぶつかり、一瞬息が詰まる。
「は……っ!」
「さあ、もう逃げ場はない。さっきのような都合の良い助けももう来ない。覚悟したまえ」
「誰が……!」
暗闇の中で、立ち上がろうと地面を触った手に異なる感触。
直感でそれが何かを理解し、思わず笑いがこぼれた。
「は、はははっ……!」
「まだ笑うか!」
「そりゃ、笑いたくもなるさ」
手に触れた、明らかに地面と異なるそれをしっかりと握る。
ざあ、と風が吹き、上空では雲が流れて満月が再び姿を現した。
「む……!」
眩しさに思わず細くなった彼の眼に、月明かりが照らす魔理沙の姿も映る。
「昨日の掃除当番は誰かな……後で大感謝感激雨霰だ!」
「! それは……!」
「分かるだろ?」
片手で持っていたそれを両手で持ち直し、跨った。
「何を馬鹿な、ただの竹ボウキ……」
「違うな……こいつは私の、箒だぜ!」
一喝。
ひときわ強く舞いた風に導かれるように、青白い魔力の流れが箒から噴き出す。
「まさか……!」
「……言ったろ?」
にやりと、魔法使いは笑う。
「この世界は、私の味方だってな!」
ボウ!
筆部分に点火された箒が、ただの竹箒から魔理沙愛用の、いつもの箒へと一瞬で姿を取り戻し、吹き流れる魔力が一層流れを増した。
暴れ馬のように滅茶苦茶に奔る輝きが、不敵な笑顔の魔法使いを照らし、次なる命令を待つ。
「行くぜ相棒……Drive!!」
「!!!」
「Ignition!!」
【十七】
加速と飛翔は、同時に行われた。
「むぉぉぉぉっ!?」
「あっはっはっはっはっはっはー!! それそれそれそれそれー!!」
目の前に居た霖之助もどきの襟首を箒の先端で引っ掛けると、そのまま急上昇。
校舎の中で一番高い天文台をものの半秒足らずで通過し、さらに二秒ほど上昇をかけたところで急停止。
「なっ……!」
当然、それまでの慣性をまとめて付与された彼の身体は、そのまま放り出される。
「くっ……と、飛べ!」
反射的に、これまで自分のみならず、この夢の世界全体に対してかけていた制限を一部解除。
どうにか姿勢を安定させ、こちらは箒の上で臨戦態勢の魔法使いとようやく向き合った。
「……へへへ」
「よくも、やる……だが、飛べるだけではこの世界から出ることは出来んぞ」
「そうだな。けど、これで条件は五分だぜ?」
「そうはならんさ」
「? お……」
気付く。
いつの間にか、魔理沙の四方を数十に上る数の大弾が包囲していた。
包囲されている方はと言えば、そこらに手を向けて閉じたり開いたりを繰り返しながら、何も起きないのを見てぼやく。
「……ふーむ、やっぱ駄目か」
「僕以外への弾幕制限は解除していない。すぐには無理だね」
「あ、そ……」
「死なない程度に精神をズタズタにして、それからゆっくりこの世界に縫いとめてあげるとしよう。さあ、覚悟したまえ!」
「少しは他の台詞がないのか? 芸に乏しい奴だな」
「その減らず口も今のうちだけだ」
「ああそうかい。……そうだ、一つ忠告しとくぜ」
魔理沙の放った声の、不意の低さに反応が遅れた。
「……忠告だと?」
「いい加減、香霖の姿を解いた方が良いんじゃないかと思うんだが」
「くくく、本気で戦えないか?」
「ん、いや、ちょっと違うかな」
「……ふん、喰らえ!!」
霖之助もどきの手が上がり、四方から弾幕が殺到する。
その射撃の先で回避機動ひとつ見せず、かざした魔理沙の右手が指を鳴らし、小さく澄んだ声が響いた。
「Shooting!!」
はるか下方、地上からレーザーが数十条という数で撃ち上がり、魔理沙を狙った弾幕すべてを真下から射抜く。
ある弾は丸ごと消し飛ばされ、ある弾はその核を撃ち抜かれて四散した。
「な……!」
「そう、ちょっと違うな……逆だ。これっぽっちも手加減できそうにないぜ」
「!?」
「下から失礼! 光符―――」
翳した手に集束する光。忽然と現れるスペルカード。
呼集に応じて、ふたりの眼下、学園の校舎の至る所に浮かび上がる魔法陣。
「まさかっ……!」
「Earth-Light-Ray!!」
轟砲。
重力に逆らう光の瀑布が天へと駆け上がり、膨大な数の閃く槍が視界を染め上げた。
「ぬぉっ!? 馬鹿なっ、陣は全て消した筈……こんな、こんなことがっ!」
「全部? 本当に全部か?」
「? どういう……」
絶え間なく吹き上がる光の間欠泉の中。
辛うじてそれを避ける彼の耳に、魔理沙の、むしろ暢気な響きの声が届く。
「箱詰めチョークって、色付きの方が少ないんだな、赤やら青やらはほとんど使っちまったが、白はあんなに描いてもまだ結構残ってるぜ」
「白……白!?」
白。
夜間の薄暗い校舎の壁に描かれた白い陣は、青や赤で描かれたそれと比べて著しく目立たないが、描かれたことそれ自体が意味を成す魔導の法において、目立たないことはさしたる支障にならない。
校舎に浮かぶ陣は、それ自体が壁面を移動し、次々と照準、射出を繰り返し、いつの間にかグラウンドにも多数の陣が配置され始める。
「ぐぅっ!」
回避しそこねた一本が、彼の左腕を薙ぐ。
人型を擬した外皮が灼かれた後に残るのは、本性たるただの影。
それを再生する暇は、今はない。
「ほらほら、ちゃんと避けないと危ないぜ! 残機は十分か? グレイズしながら反撃する準備はオッケイ!?」
「ぬ、とぉぁっ!!」
「お?」
それまで水平方向への回避を中心にしていた彼が、急上昇をかけた。
位置はほぼ魔理沙の直上。
「とったっ! 反撃させてもらう!」
「へー、結構頭、まわるんだな? 確かに光符は下からの射撃って性質上、発動者である私を挟んだ射撃はどうしても密度が落ちちまう」
「その通り、そして想起―――!」
「お!?」
「意外ではないだろう? 僕は君の記憶を盗んでこの世界を作った! ならばこの程度の弾幕とて!!」
密度が薄いとはいえ、互いの間は常にレーザーが飛び交い、視認は困難。
だが声で位置がある程度特定できることを幸いに、記憶から再現した弾幕を叩き付ける。
「『スカーレットシュート』!!」
「おぉ!?」
解放される正面、高密度の集中砲火がレーザーの檻を抜け、一部は魔理沙の居る空域へと突撃に成功。
「そらそらそらそら!」
「わっと、お、と……っよ!」
さらに連射。
地上からの砲火に大半を相殺されながらも魔理沙に回避を強い、地表へ到達した一部は地球光の陣を少しずつ破壊し、撃ち上がるレーザーが減れば抜ける射撃は自然と増えていく。
「お」
「どうだ!」
「ふむ……結構、やるんだな」
短時間ながら激しい弾幕同士の相殺により、周辺を満たした煙が一時的に視界を塞ぎ、互いの姿はまだ見えず、声だけが通る。
「休ませはしない! たたみ掛ける、想起―――」
「む……!」
「『スターボウブレイク』!!」
宣言と共に、色数共に無数の弾幕が周囲を満たした。
「降れ!」
号令に応え、立ち込める煙を吹き払いながら、魔理沙が居ると想定される方角に面制圧をかける勢いで弾幕が殺到。
命中しなかったであろう弾が地上に着弾し、爆音と砂塵を撒き散らす。
「……ふふふ、どうだ!」
「そうだな……こんなもんかなー」
「!」
晴れていく煙の向こうで、しかし彼女は無傷。
至近弾がいくつかあったらしく、制服はところどころ焦げたりしているが、必中を期したはずの彼の弾は魔理沙を捉えていない。
「く……」
「なあ、お前、弾幕やったことあんまりないだろ」
「なに?」
ぱたぱたと、服の埃を払いながらの魔理沙の言葉は、確かに事実ではあった。
「だからどうだって言うんだい? 僕は君の記憶と経験を盗んだ。それで―――」
「それで勝てたら苦労はしないぜ」
箒の上で魔理沙の右手が、自分の額より少し前、少し上の所で止まり、まるでそこにある何かを掴むように動いた。
「記憶を見て勝てるんだったら、私はあのさとりに絶対勝てなかっただろうしな」
「ぐ……っえい!!」
「そら、よ!」
返答の代わりに、再度生成した弾幕を投げつける。
対した魔理沙の左手は正面にマジックミサイルを数発放った。
爆煙が再度視界を塞ぎ、続いて爆風が星の虹の軌道を僅かにそらす。
「どっせーぃ!」
「ぬぁ!?」
面制圧弾幕であるスターボウブレイク、そこに開いた穴と煙を突き破り、右手で帽子を押さえた魔理沙が猛スピードで飛び出してきた。
黒白エプロンドレスの裾をはためかせながら一瞬で彼の傍を駆け抜け、魔力の光の尾を引きながら彗星のようにカーブ。
「あっはっはっは! よーし、やっと調子が出てきたぜ!! そんな色褪せた虹じゃ、捕まってやるわけにゃいかないなぁ!!」
「このぉっ、落ちろ!!」
追いすがる弾幕をかわし、飛び回る爽快感でにやつきながら次のカードをセット。
「じゃ、久々にショートカット無しで行ってみるか!」
「ちょこまかと……!」
「天外の星よ、大気の鏡に映し身となり、風に乗れ!」
手にしたカードを放る。
孤を描きながら光の粒子を撒き散らすカードから、星型の弾が次から次へとあふれ出た。
その間にも連射される虹色の弾列を縫いつつ詠唱を続行。
「おのれ、いい加減に……!!」
「星の虹を払うは星の風! 吹き荒れ舞い踊る汝、星嵐!! 恋風―――」
やがてカードそのものが光になり、光から星になってさらなる数の星弾を撒き散らす。
「Star-Light-Typhoon!!」
【十八】
「派手にやってるわねぇ……」
「ほんとにね」
今しも魔理沙の宣言した星の嵐が吹き荒れる空域のはるか下。
一度は誰も居なくなった筈の校舎の屋上に、のんびりとした会話が流れていた。
しかし会話ほど状況はのんびりでもなく、時折流れ弾の星弾やら丸弾やらが飛来するため、割と適度にそれらに対処しなければならなかったが。
「やれやれ」と片方がお払い棒でぺしぺしと星弾を弾けば、
「まったく、もうちょっと狙いってものを考えて欲しいわね」もう一方は蹴りや人形に持たせた盾で弾く。
「おや、あんたらまだ居たのかい?」
「ん」「え?」
「他の連中はさっさといっちまったよ。名残惜しいのは分かるけど、ここはいつまでも居座る所じゃない」
「そうね」
「ん……まあ、もう心配はないだろうし」
誰からともなく、屋上から立ち去ろうと階段に続くドアに歩みだし、ひとりの足元でコツンと固い感触。
「……ねえ」
「ん?」
「お?」
「そういえば、何で星なのかしら」
つま先に当たったそれ、屋上の床面に突き刺さっていた星弾をひょいと引っこ抜き、目の前に持って来る。
ジジジ…と形成時に与えられた魔力だけで存在を維持していた弾は、程なくその力も失い、摘ままれた指の間でパリンと爆ぜた。
「あー……なんだっけ、確か何かあったのよね」
「そうなのかい? あたしが気付いたときにゃもう使ってたから、てっきり意味なんてない、もしかあの娘生来の属性だとおもってたけど」
「んー、と……あ、そうそう、確か霖之助さんの所で流星雨を見た事があったのよ。で、その後くらいからじゃなかったかなぁ」
「霖之助さんって、アレ?」
「そうそう、アレのアレじゃない方」
と、指差される上空のアレ。
「……意外ともってるわね」
「でもいっぱいいっぱいだねぇ……あ、また食らった」
「そろそろ残機もなさそうねー」
上の派手さと比べて、かなり暢気な会話である。
「……しかし星、ね。まー、似合いの魔法なんじゃないか?」
「そう? 見た目の形成に手間がかかるし、干渉がよく起こるから大量に撒くほど効果が薄くなり易いし、魔法としては無駄が多い気がするけど…」
「そりゃあ、結局は一面さね。星ってのは、人間の魔法使いにゃ一番お似合いなのさ」
「? どういうこと?」
「ほら、アレだ。あたし達妖怪とかは、月に影響を受けるよね」
カツ、と手にした戟が床を叩き、先端が月を指した。
「それは、あたし達の本質が月に近いからだよ。月は静謐、陰の力の象徴。そして妖怪はたいていは陰に属する。けれど星は……」
「星は?」
「…………」
つられて見上げる空。あるいは天、宇宙。
輝きながら飛び交う多数の星弾の向こうに、なお無数と言うべき瞬く星々。
「星は多様性と可能性の象徴。それぞれ勝手に動き、勝手に光る。言うなれば、極めつけの未知数」
「……良く分かんないけど、多分そうね」
「いや、もうちょっと理論的に納得しなさいよ」
「だって私、魔法使いじゃなくて巫女だし。それにまー、なんとなくアイツらしいってのは分かるから良いでしょ」
「アバウトね……」
「まあ、こいつも未知数の一人だからねぇ」
苦笑と微笑とがそれぞれの顔に浮かぶ。
「さて、それじゃいくとするかい」
「そうね」
「……はいはい」
ややあって、再び流れ星が屋上へと落ちた時、既に、そこには誰も居なかった。
【十九】
「く……ぬ、っ……」
「ふーん、結構ガッツあるんだな、お前」
「ふ、ふふ……これでも、あきらめは悪い方なんでね」
気取ってみるが、既に彼の体で霖之助の擬態を維持していられるのは顔半分と右肩から右手まででしかなく、他の部分はとうに本性たる不定形の影そのものを露出させている。
そしてそれはそのまま、彼の被弾回数をも示していた。
「……なあ」
「む?」
「何でそこまでやるんだ? 結構やばいだろ、今のお前」
「ふ……何を言うかと思えば、今の今までやり合っていた相手の心配かい?」
「茶化すな」
「……ふむ」
不意に訪れた小康状態の空域。
敵手を追い詰めている筈であるのに、どこか追い詰められた魔理沙の声。
「お前、精神だけの妖魔か何かだろ。心に寄生して、精気を吸って生きる。それが、精神の……夢の世界で死んだら、本当に死ぬんじゃないのか?」
「そうだね。魔理沙、君の言う通りだ。僕という存在は精神の比重が普通の妖怪と比べてもずっと重たい。だからここで死ねば、十中八九そうなるだろう」
「だったら! ……だったら、もう止めろよ。勝負はもう付いてる。お前は退治されたんだ。とっととどこかへ逃げて、この世界を畳めばいいだろ」
「……残念だが、そういうわけにはいかない」
「何で、だよ」
「君が余りに素敵だから」
「……茶化すなって、言ったぞ」
「いいや、これは本心さ」
心底、そうだった。
「そもそも、君だって気付いてるはずだ。僕は最初から君を、君の魂を吸い尽くすつもりで居た。これは前提からして弾幕決闘の条項に当てはまらない。だから君は、いつもの君に戻った瞬間に、有無を言わさず僕を魔砲で消し飛ばすなりすれば良かった」
「…………」
魔理沙の右手が帽子を強くおさえた。
おそらく、その姿に戻った時点からそこにあるのだろう、緋緋色金の八角形も。
「いつもの弾幕の様にやって、弱れば僕が退くと思ったかい。それは、強者の驕りだよ」
「別に……そんなつもりはないぜ」
「君も察しているだろう? これが僕の生き方であり、それを曲げるのは……そう、死ぬのと同じことなんだと」
「…………」
「僕らは精神の比重が重い分だけ、相手の外見ではなく魂の輝きにより惹かれる。つまり、その分だけ君は『生き』が良くて美味しそうに見えたってことだけど」
「あんまり嬉しくないなぁ」
「はは、そうだろうね。でもそれは君の生き方の所為でもある。君の魂の光は、僕等の様な存在にはまぶしすぎるんだ。余りにキラキラしすぎる。飛んで火に入る夏の虫になるのも仕方ないさ」
「……私は」
「ん?」
「私は、そんなに綺麗じゃないぜ」
ニカッ、と、そのくせ、どこか泣き笑いのように、言った。
「知ってるよ」
「ああそうか、お前、私の頭覗いたんだったな。だったら分かるだろ。私はそんな綺麗なキラキラじゃない。キラキラしてるのは好きだけど、私はもっと、ドロドロしてる。私は普通の魔法使いで……普通の人間だから」
「けど、君は追い求めるのを止めていない。届かないと分かったキラキラに、辿り着く方法を探して手を伸ばし続けてる」
「…………」
「だからだよ、魔理沙。だからこそ君の輝きに僕らは惹かれる。そして僕みたいにこらえ切れなくなって、届かない筈の火に手を伸ばして飛び込む虫になる。僕らにとっては、君が手の届かないキラキラなんだ」
「馬鹿だな」
「馬鹿だね。我ながらそう思う。でも、生きているのなら、その意志があるのなら、命ある者は手の届かないものを追い求めるべきだ。……そうは思わないかい?」
「ああ。そうだな。分かるぜ、でなきゃ……」
不敵な笑いに戻る魔理沙。
箒に跨ったまま両手を広げて、思いっきり上を見る。
「世界が、こんなに広いはずがないもんな!」
「そうとも! そして……!」
応じた彼の声に視線を戻した魔理沙の眼前で、人の形を残した右手が、見覚えのある六角柱に変化し光を湛える。
「そしてこれが―――!」
膨張する輝きは、核融合のそれ。
応じて、躊躇いなく帽子の中からミニ八卦炉を取り出し構えた。
「最後の一発勝負!!」
――想起「メガフレア」――
――恋符「マスタースパーク」――
【二十】
「よ……っと」
屋上に降り立つ。
「……うわ、酷いなこりゃ」
宴会の後始末もろくにされていなかった所に、流れ弾が多数落ちてかなり混沌とした有様になっていた。
割れた空き瓶やらなにやらを適等に足で押しやり、どうにか座る空間を確保し腰を下ろす。
「ふぃー……」
両手をついて空を見る。
あれだけ撒き散らしていた弾幕も、今は影も形もなかった。
「好き勝手言いやがって」
毒づくが、声にはそれほどの刺々しさはなく、相手も既に居ない。
閃光の中に消えていった彼は、果たして言葉通りになったのか、それとも逃げのびたのか、それも今は分からなかった。
空を見る。
夜明けまであと少しの夜空。
うっすらと白み始めた東の空と、沈みかけた月と、いまだ煌く星々。
片手を伸ばし、目に付いた星を握る。ように動かす。
当然、その光は手の中に入る事はない。
「……手に届かないもの、か」
伸ばし続けても届かないものがある。
伸ばす度に、近付いていると感じるものがある。
時に、手を伸ばすことさえ徒労に思えるほど、遠くのものもある。
「けどさ」
呟く。
「伸ばさなきゃ届かないし、伸ばし続けてれば、いつかきっと届くんだ」
届くと信じる。
届いてみせると、自分を信じる。
「……ふぁ」
欠伸が出た。
良く見れば、月が沈もうとしている西の空も明るい。否、色彩そのものが薄くなり始めている。
「ああ、そっか。目が覚めるんだ」
納得する。
夜が明けるとは、そういうことだ。
「けどこれじゃ、寝たような気がしないぜ、っと」
箒を手に立ち上がった。
既に夢を組み上げていた者は去った。
構成しているものが全て魔理沙の中にある記憶だとしても、寝ている間に見る夢は、意識的に創る事はまず出来ない。
「こことも、お別れだな」
同じ夢を見る事は、多分ないだろう。見たい、ともそれほど思わなかった。
「よし」
箒に跨る。
飛行用の魔力機関は順調。
ふわり、と音もなく浮かび上がり、ゆっくりと上昇していく。
帰り道は、なんとなく分かった。
明ける速度を上げた空に、霞み始める風景、少しずつ消えていく夢の世界に別れを告げるように旋回する。
「ん?」
所々に人影が見えたが、誰かを判別するには、世界の霞み方は大きすぎた。
地上に接近しようとして思いとどまり、上昇しながら家々の上を通り過ぎる。
「……あ」
遠ざかる景色の中に、見覚えのある家。
庭に誰か居たようにも見えたが、不明瞭に過ぎる視界ではよく分からなかった。
「……へへ」
笑いながら、前を見る。
既に景色はもうほとんど意味のある色彩をなしておらず、上がるにつれて眠気が強まった。
目覚めが近い。
起きるのに眠くなるのは妙だなぁなどと思いながら身体と意識の浮上を感じつつ、魔理沙は瞼を閉じた。
意識が白濁する。
ほんとうの目覚めへの、ごく短い眠り。
―――それじゃ、な
別れを告げる。
過去だけで創られた夢に。
さあ、と風が吹いた気がした。
【二十】
ごつん。
「…………おー?」
目覚めたのは床の上。
ベッドから一緒に落ちた枕や布団はそこらに散乱しており、寝相の悪さを窺わせる。
「……くぁ……あぁ」
起き上がり、伸びをひとつ。
随分長く寝ていたのだろうか、身体のあちこちでぱきぱきと音が鳴った。
「ん……」
カーテンを引いて窓を開けると、昇りはじめた日の光が、森の樹相を透かして寝ぼけ眼の魔理沙を照らす。
「ぅおぉー、さむっ」
既に初冬にかかり始めた季節。
入りこんできた冷気に、上下共下着だけの身体が震えた。
反射的に窓を閉め、身支度を整える。
「まだ起きてないだろーな」
確認するように呟いた。
時刻はまだ割りと早い。早起きな風祝か、夜更かしの魔女や吸血鬼くらいしか普通は起きていない時間だ。
いつもの服装になり、寝室を出ると冷えた廊下が出迎える。
「えーと、お、あったあった」
適当に台所をあさり、備蓄の茸を発見して袋に詰めた。
これだけあれば、あとは神社の備蓄で二人分の朝食程度はどうとでもなるだろう。
玄関脇に辛うじて確保されたスペースで安眠を貪っていた箒と帽子を手に取り、勢いよく扉を開ける。
「……っと、まぶし」
ちょうど木々を透かしてやって来た日光が眼に飛び込んだ。
後ろ手に戸を閉め、軒先で休んでいた鳥達が音に驚き飛んで行くのを見送る。
ちょっと寒いが天気は上々。
気分も中々に良い。
「よし!」
箒に跨り、気合をひとつ。
まずは神社で朝食と洒落込もう。後はそれから考える。
「しゅっぱーつ!」
空へ飛び出す。
「今日も良い日になりそうだなっ!」
声を張り上げ風を切る。
退屈してる暇なんてない。
手を伸ばし続けるものが、手を伸ばしたいと思うものが、いつかは掴み取りたいと思うものがあるから。
だから。
「さぁ―――」
―――さぁ、今日もいっぱいのキラキラを、探しにいこう
(Fin)
長いのに、最後まですらすら読めてしまいましたよ。流石某の中将さん!
あぁ、面白かったぁ。個人的には学校日常風景が大好きでした。
作者がノリノリで書いてるのが伝わってくる、何とも魅力的な東方学園でした。
この誘惑を撥ね除けた魔理沙はすごいぜ。
何度でも読み返してしまう!
しかしなんとも魅力的な学園。
この長さをここまで読み応えのある文章をかけるのが素晴らしいと思います。
堪能しました。
所々にあった小ネタにハマった
戦闘描写もこういうやり方もあるのか、と感心するばかり。いやぁ、ごちそうさまでした。
オリキャラとその設定も、この位の軽い描写だと気になりませんね。
>スプリンクラーが無言のまま回転する下を駆け
些細な事ですが、回転するタイプは水圧でクルクル回る仕組みなので水が止まっているなら動かない筈です。
オリ設定や小ネタも程よく、結構なボリュームですが一気に読めてしまいました。
前半に日常をふんだんに盛り込んであり、まったりとした空気に徐々に裏側が混ざりこんでくるので、
読み手に負担をかけずに独自の設定を違和感無く生かすための努力を垣間見ました。お疲れ様です。
各キャラクターもそれぞれの出番は少ないのにしっかりと個性を出していて華がありました。
作品全体で見ると口当たりがいいのに度数の高いお酒みたいな感じ、うーん明日が怖い。
……衣玖さん自ら出番キャンセルしてた。
魔理沙を喰うためだけに、これだけの大舞台を構築するとは、
あのこーりんモドキの彼も、なかなかイカれてるなあwww
邪な? 動機で構成された割に、これはずいぶんと思い遣りに満ちた世界ですね。
黒幕の彼含め、冷静にその魅力をわかっている周囲と、繊細で真っ直ぐな魔理沙の若いこころの対比が、とても気持ちよかったです。
しかし曖昧ではあったが秘封の二人をどこで知ったんだ魔理沙
映像だけに留まらず、シーンの環境音まで聴こえてきました。