少女はただ一人、夜闇の中を歩いていた。
周りにはただ広大な草原が広がっていて他には何も無い。
目を凝らしてみても、どこまでもただ緑が続いているだけである。
ここがどこか? と問われても少女は答える事が出来ない。
本当に分からない。もしかしたら遠い昔に訪れた場所なのかもしれないが。
まあ、そんな事はどうでも良いと、一人歩く少女は思っていた。
なぜならこれは夢なのだから。
ここ数年で、何度も見るようになった夢。
同じ出来事だけが繰り返される、だがはっきりと夢と分かる。
こういうのを明晰夢と言うのだろうか? しかし内容は思い通りにならないので違うだろう。
やがて少女はたどり着いた。
目の前に人影がうずくまっている。
膝を抱え、全てを拒絶するように頭を伏せ、微かに体を震わせている。
蜂蜜色の髪に血の色のような真っ赤な洋服。背中には枯れ枝に色とりどりの宝石をぶら下げたような奇妙な羽が生えている。
人影から感じる事の出来る感情は怯え。
何をそんなに怖がっているのかは少女には分からない。
何をしてあげればよいのか、どう声を掛けてあげればよいのかも分からない。
だから少女は人影の前に同じように膝を抱えて座る。
自分と、まったく同じ姿をした人影をこうして目が覚める時まで眺め続けるのだ。
☆☆☆
目覚めはあまり良くない。
あの夢を見た後は、とても気分が優れない。
なんていうか、うまく表現できないが気分が重いのだ。
そんな事を思いながらフランドールはベッドから身を起こした。
無造作に頭を掻き、部屋の時計を見上げると時刻は午前の十一時。
たしか、昨日寝たのが午後三時だったので二十時間ほど寝ていた事になる。
「ん~~~」
伸びをして、ベッドから降り立つ。
手早くパジャマを脱いで、いつもの血の色の様な真っ赤な服に着替える。
そのまま部屋のドアを開けて地上へとつながる階段を上っていく。
「おはようございます、妹様」
「ん~おはよ」
すれ違う妖精メイド達とフランドールは挨拶を交わした。随分と慣れたものだとは思う。
数年前、地下室から初めて出てきた頃は挨拶どころか悲鳴を上げて逃げ出されたものだ。
気が触れているという噂の所為だとしても、さすがに少し傷ついた事を思い出す。
別に、地下室に篭っていたのは気が触れているからではないし、そもそも監禁などもされていなかったのだが。
無意味に殺戮を好むほどに趣味は悪くないし、理由無しに誰かを傷つける気も無い。
おかしな高笑いをあげた事も無い。まあ、情緒不安定気味なのは認めるけど、とフランドールは嘆息した。
「そういえば……」
不意に、フランドールの口から言葉がから漏れる。
自分は何故、引きこもっていたのだろうか? 自由に外に出れたのにどうして、引きこもっていた?
人と話すことは嫌いではないし、むしろ退屈が嫌い。そんな自分がなぜ、四百年以上も一人で居たのだろうか?
「まあいいか……」
思い出せない。ならたいしたことではないだろう。
当時の自分には大切な事だったのかもしれないが、今はどうでも良いのだろうと。
なにかおかしなことはないかとフランドールは紅魔館を散策する。
普段の紅魔館は平和だ。あの白黒の魔法使いでも侵入しない限り穏やかなのである。
「~~♪」
自然と口から付いて出る、題名の分からない鼻歌などを歌いながら軽やかに紅魔館を闊歩する。
しばらく散策。だが、泥棒はやってこないし図書館で爆発も起きない。
レミリアはどうやら博麗神社に出かけてしまったらしく、姿が見えなかった。
門番長である美鈴の所にでも行こうかとフランドールは玄関のほうへと足を向ける。
美鈴なら、職務中でも相手をしてくれるのだ。
引きこもっていた時もちょくちょく訪ねてきてはお話をしたりお菓子を持ってきてくれた。
ゆえにフランドールは純粋に美鈴に懐いているのだ。
「ん~~~?」
フランドールの口から訝しげな声が漏れる。
彼女の視線の先には一人の少女がドアにへばりついていた。
赤い髪に、黒いスカートにベスト。頭と背中に蝙蝠の羽が生えている。
図書館の主の使い魔である小悪魔だ。
小悪魔はドアに耳を押し付けてうっとりとした表情を浮かべていた。
頭の二対の蝙蝠の羽が激しく羽ばたいている。
この羽は、小悪魔の感情を素直に表すもので、なんだか犬の尻尾みたいとフランドールは思った事がある。
「何してるの?」
フランドールが尋ねると小悪魔は人差し指を口元に当てて静かに、のジェスチャーをした。
それに応じて言葉を止めて、フランドールも同じようにドアへと耳を押し当てた。
部屋の中から聞こえてきた声は今、会いに行こうとしていた美鈴とメイド長の咲夜のものであった。
「や……やっぱり……もうやめ……」
「いえまだ先っぽしか入ってませんよ」
「で、でも……」
随分と気弱な咲夜の声が聞こえる。
「ひっ!?あ……深いの……」
「ほら、奥まで入っちゃいましたよ……痛いですか?」
「ううん……でも……怖い……わ……」
何を入れているのだろうとフランドールの顔には疑問が浮かぶ。
小悪魔はわかっているらしく相変わらずうっとりとした表情を浮かべている。
「や……うごかさな……擦れ……」
「体の力を抜いてください、なるべく優しくしますから」
「……は……う……」
小悪魔の羽がばたばたと動いている。表情も相まってヘブン状態だ。
一方、フランドールは意味がわからないらしく眉をひそめている。
「どうですか?」
「……気持ちいい……かも……してもらうの……初めてなのに……」
不意に、フランドールがドアノブに手を伸ばした。
聞いているだけなのも飽きたらしい。小悪魔が止めるまもなくドアノブが回る。
部屋の中では美鈴は正座をしていて、その膝に咲夜が頭を乗せている。つまりは膝枕の体勢だ。
そしてマジカル咲夜ちゃんスターをディフォルメした飾りの付いた耳かきが美鈴の手に握られていた。
どざりと、勢いあまって小悪魔が部屋の中へと突っ伏した。
咲夜の視線が動く、戸惑ったようにフランドールを見て、小悪魔を見て、ややその頬に朱が差して……
一瞬の後、咲夜の姿が消えていた。時を止めて移動したのだ。
ついで小悪魔の姿も消えていた。咲夜が連れて行ったのだろう。
あららっと美鈴が小さな声を漏らした。
「こんにちわ、妹様。何か御用ですか?」
美鈴が座ったまま問う。
「ん、遊んでもらおうかなと思って探していたの」
フランドールはそのまま彼女に近付くと、先ほどの咲夜よろしく膝に頭を乗せた。
「美鈴~わたしも~」
「わかりました」
美鈴が胸元に耳かきをしまい新しい耳かきを取り出した。
フランドールの羽を模した飾りの耳かきだ。
「~~♪」
美鈴に耳かきされてフランドールは上機嫌だ。
「あのね、美鈴」
「何でしょうか?」
「夢を見たの、聞いてくれる?」
力を抜いて、リラックスした状態だから心もゆるくなったのだろうか?
「はい」
別に、誰かに言うつもりは無かった。
どうせ、返答に困ると思っていたし、適当に誤魔化されるだけかと思っていたからだ。
「もう一人の私がね、怯えているの。がたがた震えて、うずくまって……ん~」
猫のように目を細めてフランドールは心地よさそうに吐息をを漏らした。
「その、もう一人の妹様は何に怯えているのですか?」
「わからないの~、でもね、気になるのよ。もう、何年もその私は怯えているから」
「何年もですか?」
「うん、何回も同じ夢を見るの。その度に怯えていて、私はそれをただ、見ているだけで何もできないんだ」
フランドールが、美鈴に問う。
「どうすればいいのかな?」
正直ずっと気にはなっていた。
夢とはいえ、ずっと怯え続けて居る自分。
何か意味があるのではないかと考えて、結局わからずに終わる。
「まずは、その、もう一人の妹様が何に怯えているのかを調べる事からはじめなくてはいけませんね?」
「ん、そうだね」
美鈴の意見にフランドールが同意する。
「夢なのに協力してくれるの?」
「はい、この美鈴、粉骨砕身の覚悟で望む所存でございます」
「大袈裟だよ~」
きゃらきゃらとフランドールが笑った。
「何年も、同じ夢を見ていて、その夢の中の妹様が怯えているならばきっと何か意味があるはずです」
「そうかな?」
応じたフランドールの言葉は疑問符だが、その実、嬉しさが含まれてた。
美鈴が自分と同じ考えを持ってくれたことが素直に嬉しかったのだ。
「はい、では明日辺りお出かけしませんか?」
「出かけるの?」
「ええ、いままで紅魔館に居て解決しなかったのであればそれ以外で答えが見つかるかもしれません」
ふむ、っとフランドールは息を吐いた。
確かに美鈴の言う事には一理ある。まだ、外の世界で紅魔館にたどり着く前の事。
教会や狩人たちに追い回されていたときに何かあったのかもしれない。
「お嫌ですか?」
「ううん、出る。美鈴、一緒に来てくれるんだよね?」
「もちろんです」
あるいはただ、気分転換をさせようとしてくれているだけかもしれないがそれでもフランドールは異論は無かった。
「はい、おしまい」
耳かきをしまい、フランドールの耳に仕上げの息を一吹き。
「ひゃうっ!」
可愛ららしい声が漏れた。
耳かきは気持ち良いが仕上げの一吹きはどうも苦手なのであった。
☆☆☆
薄暗い一軒家だ。
部屋数は僅かに三つのみ。他キッチンや小さいバスタブなどがあるだけだ。
窓は全て閉められていて日の光が差し込むことは無い。
ここがどこか? と問われても少女は答える事が出来ない。
本当に分からない。もしかしたら遠い昔に訪れた場所なのかもしれないが。
まあ、そんな事はどうでも良いと、一人で少女は思っていた。
なぜならこれも夢なのだから。
……しかし、初めて見る夢だ。
場所から予想するに、外の世界で追っ手から逃げるときに使っていた仮住まいだと思う。
何も無い。だが人影はあった。家の最奥の部屋にやはりうずくまっていた。
何から何まで自分と同じ、まあ、顔は見えないのでわからないが恐らく同じだろうと思う。
「おい、ここの家の子供って。気が触れているらしいぞ」
家の外から声が聞こえた。
「ああ、関わらないほうが良いな」
人影に反応は無い。
ああ、そうだ。自分にとってこの噂は好都合であったのだ。
いくら人と関わらないようにといっても、その場に暮らす以上、誰かと関わらなければならない。
でも、怖かったから関わりたくなかった。それに自分が出ずとも代わりに出てくれる人がいた。
ずっと引きこもっていれば平気だと思っていたがそうではなかった。
どこからか、家から出ない存在の事を嗅ぎ付けて、興味本位からその目にしようと言う輩はどこにでも存在した。
連中は非常にしつこくて、時には強硬手段に出る者も居た。いつもそんな連中に怯えていた。
耳を塞いで、目を閉じて、全てを拒絶して怯えて、怯えて。
しばらくすると決まって自分は気が触れていると噂が流れて、そうなると不思議な事に皆、興味を失ったように離れて行くのだ。
気が触れていると、侮辱にしか取れない噂だとしても、自分にとっては好都合だった。
……あいかわらず人影から感じる事の出来る感情は怯え。
でも、肝心な何に怯えているのかはわからない。
何をそんなに怖がっているのかは少女には分からない。
何をしてあげればよいのか、どう声を掛けてあげればよいのかも分からない。
だから今日も膝を抱えて座るのだ。いつもと同じように、目覚めるまで眺め続けるために。
☆☆☆
視界がいつもより高い。
フランドールは美鈴の肩に足を乗せ、頭を抱えていた。
周りの景色が高速で流れていく。美鈴は飛ぶと遅いが走ると早い。
その速度は鳥天狗にも匹敵する。
赤と金の髪が風に煽られて暴れている。
帽子が飛ばないように押さえ、フランドールが歓声を上げた。
現在、レミリアにフランドールの外出許可を貰い人里へと移動中なのである。
曇りだと言う事幸いし、こうして日傘を差さずとも平気なのだ。
半刻ほど駆けただろうか、二人の目に人里が映る。
相変わらず人通りは多く、賑わっているのが見て取れた。
「すごいね~、人間がいっぱい居るよ!?」
美鈴の頭の上でフランドールが大はしゃぎだ。
辺りをきょろきょろと見渡して騒ぎ立てる様子はまるでおのぼりさんだ。
それも仕方の無い事だろう。
ずっと引きこもっていた故に、出会う機会が無かったのだ。
フランドールが知っている人間はメイド長の咲夜を除けば博麗の巫女と白黒の魔法使いのくらいなのだ。
そんな彼女を微笑ましく思いながら美鈴は人里を進んでいく。
「ねえ、美鈴。いったいどこに向かっているの?」
「そうですね、お友達がいっぱい居る所ですよ」
フランドールの問いににこやかに答える。目指す所はすでに決まっているのだ。
それにしても、と美鈴は嘆息する。
人里に来てみたは良いがどうも雰囲気がおかしい、と。
活気に溢れていて、一見いつもと変わらないように見える、が気を操る能力を持つ美鈴は感じ取っていた。
どこか攻撃的な感じが人里を覆っていた。感覚的に言うならぴりぴりしている、だ。
さりげなく見渡すと、武器を所持している者の数も多い。何かあったのか、はたまた起こるのか。
「あら、美鈴じゃない」
声の主は白髪の少女だ。名を藤原妹紅と言う。
こう見えても数百年を生きる蓬莱人で前に美鈴の主と戦った事もある。
「その子は?」
「ええ、お嬢様の妹様ですよ」
「へえ、可愛い子だね」
「ありがとう!」
そういって人懐こい笑みを浮かべる。つられてフランドールも笑みを浮かべた。
「そういえば何かあったんですか? やけに皆ぴりぴりしているようですが……」
「ああ、見た事も無い妖怪に家畜を襲われたらしくてね」
「へぇ……」
「よく分からないんだけどね、見たやつの話だと子供の大きさくらいの蛞蝓で家畜を包んで溶かしてしまったらしいんだ。まあ、あちこちやられてるからさすがに警戒していんだろう」
なるほど、と美鈴は呟く。今は家畜で済んでいるが、そのうち人を襲う可能性も否定できないのだ。
それにしても人里に手を出すとはなんと命知らずな事か。まともな妖怪ならば人里に手を出すようなことはしない。
上白沢慧音を筆頭とした人里の守護者は生半可な妖怪など太刀打ちできないほど強いし、おおっぴらに人に害をなすと博麗の巫女が飛んでくる。
もしかしたら単に、それを理解するだけの知性が無いだけかもしれないのだが。
まあ、警戒は怠らないようにしようと思いながら妹紅と別れて、美鈴は歩を進めた。
子供達が遊んでいる。
曇りだろうがなんだろうが庭を駆け回る姿は元気一杯。
それは黒髪の中に金の髪が混ざろうとも何の問題も無いのだ。
フランドールが面子を地面に叩きつけると周りの四枚の面子全てがひっくり返った。
「やったー!」
「そ、そんな馬鹿な……」
少女の歓声が響き、少年ががっくりとうなだれた。
圧勝であった。分けてもらった五枚の面子を元手に次々と数を増やし、ついには少年達の面子を根こそぎ掻っ攫った。
どうやらフランドールには面子において天才的な素質があったらしい。
「それじゃあ、次はね……」
だらしないわねと今度は気の強そうな少女が前に出る。
「カルタ取りをしましょう?」
「いいよ!」
フランドールは二つ返事で応じた。
やったことこそ無いが知識ではどういう遊びなのかは知っていた。
そして、絶対の自信も持っていた。吸血鬼の瞬発力は人のそれを遥かに凌ぐ。
輝かしい勝利を描いて再び少女は笑みを浮かべた。
「ああしていると、他の子供達とぜんぜん変わらないな」
寺子屋の窓から子供達を眺め上白沢慧音は笑みを浮かべた。
「まあ、実際子供ですからね」
美鈴も子供達と共に無邪気に遊ぶフランドールに頬を緩ませる。
「しかし、少々驚いたぞ、突然子供達と遊ばせてやってくれと来たときは」
「ええ、まあ。でも了承して頂いて感謝してますよ」
「いや、悪魔の妹と呼ばれていたわりに随分と無邪気じゃないか」
寺子屋の子供達と無邪気に遊ぶ様子からはとてもそんな風には見えない。
「初めは噂に惑わされて、失礼だが何の狙いがあるのかと勘ぐってしまったが……恥ずかしい事にね」
そういって慧音は少々困ったような笑みを見せる。
しかたないと、美鈴が応じる。彼女は人里の守護者でもある。
誰に対しても注意深くなくてはいけないのだ。
子供達の遊ぶ声だけが、暫し二人の耳に響く。
「……トラウマの克服、ですよ」
不意に、子供達を眺めながら美鈴がいった。
「トラウマ? ああ……ずっと引きこもっていたからか」
「ええ」
手探りですけどね、と付け加える。
「人付き合いが苦手ではなさそう……さりとて感情が制御できないわけでも……ふむ」
教師として、子供を見守り続けてきた慧音の見る目は確かだった。
「今は、安定してる……いえ、安定させたんです、私達で」
美鈴が瞳を閉じて何かを思い出すかのように息を吐いた。
「昔、色々あったんです。心に傷に負ってしまって……本当に酷い有様で……とても長い間苦しんで……」
重い、本当に重いため息。
「だから私たちは彼女の……記憶を……」
それが美鈴の本心でない事が慧音の目にもわかる。
「それによって妹様は随分と元気になってくれたんです。辛い思い出など忘れて、今を幸せに生きていければ良いと」
だが、恐らく他にどうしようもなかったという事もわかるのだ。
「でも、忘れていなかったんです。心のどこかで覚えていて、どうすればよいのかと問いかけられたときに、向き合わせてあげたいと思ったんですよ」
吐き出し終えて、美鈴が大きく息を吐いた。
「すいません、こんな事を聞かされても困ってしまいますよね」
美鈴の顔には眉を下げた、自嘲。
「美鈴……」
「はい」
「辛かったな」
言葉に、美鈴が僅かに驚いたような表情を浮かべた。
言葉が、途切れた。ややあって、美鈴の口から声が漏れる。
「辛かった……本当に……」
搾り出すような、小さな声。
慧音は穏やかな笑みを浮かべる。
「私は教育者として悩みを聞くのは慣れているよ、だから話してくれ嬉しい。だから……」
美鈴の目を見て一言。
「だから、必要とあればいつでも協力させてもらう」
「ありがとう、ございます」
美鈴が頭をたれた。
☆☆☆
「くやしいよぉ~」
美鈴の頭の上、フランドールが言葉を吐いた。
自分の能力に対する自信は粉々に砕かれてしまった。
少女はカルタ取りの遊びに熟知しており、フランドールはついには一枚も取れなかった。
様は完敗だ。
「どうしてあんなに早く札が取れるのか……」
美鈴の頭を抱えながら本当に悔しそうな様子を見せる。
「そうですねぇ……妹様に足らないのは知識です」
「知識?」
「はい、恐らく相手は読み上げられる言葉に対応する札の絵柄を覚えているのだと思うのです」
フランドールが探し始めたときにはもう少女の手は動いている。
必死になればなるほど先制されて泥沼にはまっていくのだ。
「ぶー、そんなの卑怯だよ」
頬を膨らますフランドール。
「それならば覚えてしまえばよいのですよ。条件が同じならば妹様のほうが大幅有利です」
「うん、そうだね。明日、図書館で調べてみるよ!」
「その意気です」
軽い足取りで美鈴が駆けて行く。
紅魔館へと続く森をただひたすらに。
一歩、二歩、三歩。四歩……目を踏み出そうとして美鈴の足が止まる。
「おっと」
なぜなら目の前に一本の木が倒れてきたからだ。
次の瞬間、美鈴は大きく後方に飛びのいていた。
木々の合間を縫って何かが目の前に現れた。
それは黒い粘着質のものだった。たとえるのならば蛞蝓が近いか。
恐らく二メートルほどの大きさで蠕動を繰り返し道へと這い出てくる。
「うわ、気持ち悪い」
フランドールがそういった。
答えずに美鈴は注意深く粘着質のものを観察する。
蠕動を繰り返して道へとはいでたそれは伺うように、恐らく頭に当たる部分を美鈴たちに突き出している。
観察を続ける美鈴は気が付いた。それが通った後が枯れていると。
木も、草も、大地さえも枯れていた。流れているはずの生命力が感じられない。
おそらく、喰ったのだ。目の前の、この化け物が。
恐らくこれが人里に現れた化け物だろう。
妹紅の話だと子供ほどの大きさだと言う話だったが……成長したか、その仲間なのか。
フランドールを肩から降ろし、美鈴がさりげなく気を練り始める。
一食触発の雰囲気だ。
だが、それはあっけなく破られた。
突如、化け物の体が地面に沈み始め、あっという間に視界から消えてしまったのだ。
「ふむ、逃げた……いや、去ったのか?」
周囲の気を探っても化け物は感じられない。
ともあれ、これは人里に報告しておいたほうがよさそうだと美鈴は思った。
☆☆☆
夢の中のいつもは俯いている人影が楽しそうに笑っていた。
やはり顔は自分と同じであった。彼女は姉の背中を追いかけて、広大なお城を走り回っている。
ここがどこか? と問われたら今回に限り少女は答える事が出来る。
遠い昔に離れた父の城だ。
幾人もの獣人の使用人達が居て、他には魔法使いや悪魔達が住んでいた。
皆優しかった、大好きだった。
料理長の人狼はこっそりつまみ食いさせてくれたし、図書館の魔法使いは様々な御伽噺を語ってくれた。
メイドたちは暇があれば構ってくれたし、悪魔達ですら気さくに話しかけてくれていた。
「お父様が帰ってきてるんですって」
姉に連れられて人影が走る。
やがて、彼女たちは父親の部屋へと辿り着いた。
姉がこっそり部屋の中をうかがって、手招きする。
中には父のほかにもう一人、誰かが居た。
腰まで届く赤い髪。
普段大人っぽい彼女がはにかんだ様な、随分と幼い笑みを浮かべていた。
「きっとお父様の事が好きなのよ」
姉がその様子を見て呟くように行った。
「はやく眷族にしてもらえばいいのにね」
そんな言葉を聞きながら、待ちきれなくなった少女は部屋へと突撃するのだ。
姉が苦笑し、赤髪が慌てて笑みを消して、父が穏やかに娘を迎える。
随分と昔の、もう戻らない遠い思い出。
☆☆☆
図書館の主は相変わらずだ。
いつもと同じ机に座り、何かしら本を読んでいる。
訪ねて来たフランドールに対しても特に反応は示さなかった。
「ねえねえ、パチュリー」
やや間が合ってから返事が返ってくる。
「なにかしら?」
「カルタの本を探しているの」
「カルタ? わかったわ」
パチュリーは読んでいた本に栞を挟み、机に置くと紙とペンを取り出して数行何かを書いた。
恐らく本の題名だろう。それを持ってこさせるための使い魔を呼ぶ為に、机の上にある呼び鈴を鳴らした。
鳴らしてからしばし、小悪魔がやってくる。
が、遠目でも様子がおかしい事にフランドールは気が付いた。
ふらふらとしている。歩き方に力が無いのだ。
フランドールの知る小悪魔はいつでも背筋を伸ばして歩いてはずだ。
近付いてみておかしいと確信する。
まず、その目に力が無い。ハイライトが消えていて虚ろな視線をさらしている。
四対の羽は垂れ下がっていて、まったく動く気配が無い。
「この本をフランに」
「わかりましたぁ」
どこか声すらも消え入りそうだ。
来たときと同じように、幽鬼の様な足取りでと本棚の山に消えていく。
その様子を見送ってからフランドールはパチュリーに問いかけた。
「小悪魔、どうしちゃったの?」
問いに、パチュリーが再び読み始めた本から顔を上げた。
「咲夜に初期化されたのよ……バックアップを取る暇も無くね」
「ふ~ん」
とりあえず返事をしたもののフランドールは良くわかっていないようだ。
「助けてあげないの?」
わからないなりに、小悪魔にとってとても大変な事をされたらしいとは感じていた。
「助けてあげたいけれど、人の記憶を弄る魔法を作るには時間がかかるのよ。魔法が完成する頃には最低でも十年や二十年はかかってしまうわ」
「そうなの、って記憶?」
「そう、小悪魔は一部の記憶を消されてしまったのよ」
言葉に、フランドールは眉をしかめた。
「どうしてそんな酷い事を?」
「まあ、自業自得なのだけれど……」
それきり会話が途絶えた。小悪魔はまだ戻ってこない。
気まずい沈黙が漂う。そう思っているのはフランドールだけかもしれないが。
「私と小悪魔は……」
珍しくパチュリーが言葉を発した。
「まだ、仮契約中なのよ」
「……仮契約なの?」
「本契約さえ結べば助けてあげられるのに」
仮契約と本契約。
仮契約はいつでも解消できる軽い契約だ。いうなればお試し期間。
この場合は、悪魔が本来持っている力を宿主に使うことが出来るだけだ。
本契約を結んだらもう、解消は出来ない。
だが本契約さえ結べばお互いの魂が結ばれるために、契約者と悪魔が少しとはいえお互いの力を使えるようになる。
また、それだけではない。心も繋がる為に念話もできるようになるし契約者同士、心の防御もできるようになる。
「どうして本契約を結んであげないの?」
フランドールが疑問の表情を浮かべた。
いかに素行に問題があるとはいえ小悪魔は傍から見ても随分とパチュリーに忠実だ。
内に秘めるその能力も司書としては申し分ないものなのである。
「そうね、私は結ぼうとしたのよ。随分昔にね……でも、心の準備ができていないからと泣いて謝られちゃって」
あの子は悪魔の癖に純情だからと付け足す。
それきり、そのまま仮契約のままでもう随分と時間が経ってしまった。
「泣いて謝った……ねえ、本契約ってどうすれば結べるの?」
パチュリーは苦笑する。
契約の種類は知っていても方法は知らないようだ。この偏った知識は誰が教えたのだろうか?
「フランはまだ知らなくて良い事なのよ」
つんっと人指し指でフランドールのおでこを突つく。
突かれたフランドールは額を押さえ不満そうな顔をした。
「でも、本契約を結ばないといつか小悪魔を取られちゃうかもしれないよ?」
「そうね、そういう危険性もあるわね」
仮契約中でも本契約を結ばれたらそちらが優先となってしまう。
現時点で、小悪魔が他の魔法使いに召喚されてしまう可能性もあるのだが……
「まあ、今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫よきっと……」
そういってパチュリーは本へと視線を戻した。
それからしばらくして、小悪魔が数冊の本を抱えてやってくる。
フランドールがそれを受け取ると再びよろけた足取りで奥へと消えていった。
その場で座り込みフランドールは本を広げる。
しばらくページをめくる音だけが響いた。
「ねえ、パチュリー」
再び、フランが呼びかける。
やや間が合ってから返事が返ってきた。
「なにかしら?」
「あのね……私の記憶も弄った?」
パチュリーの、ページをめくる手が止まる。
本から顔を上げてフランドールへと視線を向けた。
「……そうね、弄ったわ」
パチュリーは静かにそう言った。
「そう、なんだ」
フランドールはため息をついた。
だが、パチュリーが嘘を付かなかった事に安堵もしていた。
弄っていないといわれればそこでおしまいなのだから。
「聞かせて、どうして、気が付いたのか」
「……おかしいと思っていたから」
数年前から見るようになった夢の事。
なぜ、引きこもっていたのか忘れてしまった事。
記憶が弄られたと言う確証が合ったわけではない。
だが、先ほどの言葉……
(助けてあげたいけれど、人の記憶を弄る魔法を作るには時間がかかるのよ。魔法が完成する頃には最低でも十年や二十年はかかってしまうわ)
パズルのピースがはまる様に、思いついてしまった。
夢の中で怯えていた自分は、魔法により封じられてしまった記憶なのだろう。
本当は思い出すことも無かったに違いない。だが、夢として見るようになった。
フランドールの説明を受けて疑問が氷解し、満足したのかパチュリーは再び本へと視線を落とした。
「私は、何に怯えていたの?」
「わからないわ、私が行ったのは記憶の制御だけ。中身が見えるわけじゃないの」
「そうなんだ」
「……魔法は解かないわ。いいえ、解けないの。一度変えた記憶を、元に戻す事はできない。でも、そのまま思い出さないほうがよいわ」
読み終えたのか本を机に置くと再び視線をフランドールに戻した。
「その記憶の所為で、貴方は最近までまともに人と話すこともできずに引きこもっていた。
その記憶が消えた今、フランはこうして外に出て歩ける、私や、皆と話すことができる。それでいいじゃない?」
パチュリーなりにフランを心配しての事だった。
何もなければそのままで良いと、無理をして辛い思いをする事は無いと。
「でも、思い出さなければもう一人の私は怯えたままだよ」
そう、このままではこの先永遠に、夢の中の人影は怯えたままだ。
フランドールもずっとそれを眺め続ける事になる。
「それが、レミィや皆の意思に逆らう事になっても?」
パチュリーの視線を真っ向から受け止めて、フランドールは告げた。
「私は知りたい。夢の中で怯えているもう一人の私にどう接すれば助けられるのかを。ちゃんと向き合える方法を」
「そう、でも思い出す方法は……」
「恐らくだけど、記憶は、私に思い出されたがっていると思うの。夢と言う形で自己主張していた。だから、それを受け入れてあげれば……」
思い出すと思うの、とフランドールは答えた。
呆れたような、穏やかな笑みを浮かべてパチュリーがため息をついた。
「フランは立ち向かうのね。私のように現状維持を良しとせずに遠く忘れたその忌まわしい記憶に……」
「うん」
迷いの無い笑顔を浮かべてフランドールは頷いた。
しばらく見つめあい、お互い笑いあう。
「そろそろ、行くね」
しばしの後、フランドールが図書館を去っていく。
「ありがとう、記憶を封印してくれたおかげで私は立ち向かう準備を整えられた」
去り際に、言葉を残してフランドールは外へと向かう。
その姿を見送るとパチュリーは呟いた。
「見届けさせてもらうわよ、もし、貴方が変われたのなら私も……」
「私も、なにかしら?」
その、パチュリーの背後から声が聞こえた。
「レミィ、盗み聞きは趣味が良いとはいえないわよ」
言葉にレミリアは意地の悪い笑みを浮かべる。
だが、その笑みはすぐに消え、変わりに自虐が浮かぶ。
「あの時に、私がもっと強ければ……フランはあんな思いをする事は無かった」
独白するように、後悔を吐き出していく。
「あんなに、五百年近くも苦しむ事など、無かったのに……」
「美鈴も、同じ事を言っていたわ」
「美鈴が?」
レミリアが首をかしげた。
「自分が、もう少し早く駆けつけていればと、以前、不意に漏らしてね」
「そう……」
パチュリーが新しい本を手に取り視線を落とす。
「あの子は前に進もうとしている。かつて自分を苛んだ記憶を知り、受け入れようとしている」
「フランは、大丈夫だろうか? また、以前と同じように……」
「大丈夫よ、きっと。まずは貴方が信じてあげなさいな」
「そうね、きっと、大丈夫……」
レミリアは呟いた。
☆☆☆
フランドールはごしごしと目を擦る。目覚めたばかりで体がだるい。
あと少しで何かわかりそうな気がするのだが、そもそもここ数日夢すら見ない。
「ん~~~」
呻いて伸びをする。
忘れてしまった記憶を受け入れると決めたのに、心のどこかで拒絶しているのではないか?
そんな思いが頭を掠め、否定するように軽く頭を振る。
時計を見る。午前の八時。準備を始めよう。
今日は美鈴に人里へと連れて行ってもらえる日なのだから。
「あいつら今日はね、丘のほうまで遊びに行っちゃって」
出迎えた少女がそういった。
あいつらとはいつもフランドールと遊んでいる男子達の事だ。
「だから帰ってくるまで一緒に遊んでよう」
素直にうなずくとフランドールはカルタ取りに備えて暗記してきた札を思い出す。
遊びに来るたびに少女に挑んでいるが、いまだ連戦連敗中なのだ。
が、少女が取り出したのは別のものだった。
「あれ、カルタ取りじゃないの?」
少女の手には小さな布袋が四つほど握られている。
「うん、お手玉って言うの」
フランドールはややがっかりした表情を見せた。が……
「見ててね」
巧みに、四つの布袋を放り投げ、操る様子にすぐに釘付けになった。
「どうかな?」
問いに、フランドールは両手を伸ばした。
☆☆☆
それは蠕動した。
ただただ、地面を抉り、近くのものすべてを取り込んで、喰らい。
際限なく成長しながら前へと進む。先にあるちっぽけな人里もそれにとってはただの餌にしか過ぎないのだ。
☆☆☆
少女はただ一人、夜闇の中を歩いていた。
周りにはただ広大な草原が広がっていて他には何も無い。
目を凝らしてみても、どこまでもただ緑が続いているだけである。
「あれ?」
訝しげな声が漏れる。
どうしてここに居るのだろうか?
自分は人里の子供達と遊んでいたのではなかったか?
そうこう考えているとやがて少女はたどり着いた。
目の前に人影がうずくまっている。
膝を抱え、全てを拒絶するように頭を伏せ、微かに体を震わせている。
蜂蜜色の髪に血の色のような真っ赤な洋服。背中には枯れ枝に色とりどりの宝石をぶら下げたような奇妙な羽が生えている。
いつものように少女は、人影の前に座った。
「教えてよ」
少女は問いかけた。
「もう、大丈夫だから」
人影に反応は無い。相変わらず全てを拒絶するようにうずくまったままだ。
ため息をついて瞳を閉じる。
何も聞こえない、いつもの事だ。あとは、目覚めの予兆を待つしかない。
それは、すぐにやってきた。体が浮き上がるような奇妙な感じ。
闇の世界に光が溢れて、いつも目が覚めるのだ。
走っていた。
どこまでも続く様な広大な草原を。
ただ、一人ではない。
自分の周りには十人程、併走していた。
皆、疲れきり、焦りや絶望を張り付かせている。
私は彼等を知っていた。父の城で働いていた使用人達だ。
走りながら、振り返り後ろを見る。
かつて住んでいた城は崩れあちこち火の手が上がり、見る影も無い。
不意に、数人が歩を止めた。
疲れきってしまった様子でその場に座り込む。
それが伝染したのだろうか、次々と皆、地面へとへたり込んだ。
「足を止めるな!」
集団を先行していた姉が叱咤の声を上げる。
「逃げるんだ、やつらに補足されたら……」
姉の言葉が途切れる。
不思議に思って顔を上げると姉は厳しい顔で私達の後方へと視線を移した。
視線を向けると、先ほどまで居なかったはずの者達が居た。
禍々しい黒塗りの鎧。
神の使途と言うより、地獄の使者にしか見えない。
城を攻め滅ぼした教会の騎士達。……人間ではなく化け物の様に思えた。
それが何も無い空間から続々と現れる。その数、十人ほど。
「教会の狗共め!」
姉が、殺意を剥き出しにして騎士達に襲い掛かっていく。
使用人たちは動かない。ただ、呆然と姉が戦うのを見続けているだけだ。
加勢するでも、逃げるでもない。
「何をしている、お前達、逃げろ!」
戦いながら、姉が叫んだ。
でも、無駄だ。彼らの顔に浮かんでいるのはもう、諦めと無力感。
姉の言葉は届かない。
姉は、強かった。まだ、齢二十にも満たぬ身で、必死で爪を振るい、攻撃をいなして、時にはその牙で噛み付いて。
十人いた騎士たちはすでに四人が倒されていた。
だが、姉自身も満身創痍だった。そして……
騎士の槍が姉を捕らえた。
胸を貫かれて、絶叫をあげて地面へと投げ出される姉。
血反吐を吐きながらもなお、戦うべく立ち上がろうとして、うまくいかずに地面へと倒れこむ。
槍に仕込まれた対魔の銀が、姉から変化と再生を奪ってしまっていた。
その姉に、騎士たちが殺到した。いっせいに、槍を振り上げる。
私が出来たことはただ一つだけだった。
右手を騎士たちに向けて、握った。
騎士が破裂した。
二度、握ると、また破裂した。
この時、初めて自分の力が何であるのか、気が付いた。
最終的に、六度握って終わりにした。
騎士だった残骸が残る。
「フ、フラン……?」
呆然としたような姉の声。
大丈夫だよと、姉に言った。
大丈夫。この力があれば、守れる。
皆を守ることができる。
再び転移してきた騎士達など、もはや相手にならない。
だって、こう、手を握れば壊れるのだもの。
握って、握って、何回も、何十回も握って……
握って、握って、握って、壊して、壊して、壊して、壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊した。
「ふふ、あはははは……」
愉快だった。楽しかった。
目の前で皆を苦しめる敵を、同じ目にあわせてやれるのが。
そして、皆を守れる事が嬉しかった。
草原が真っ赤に染まるほどに壊して。
動くものが居なくなった。
「これでもう、大丈夫」
私は満足して使用人達を振り返った。
そこには……
☆☆☆
フランドールは瞳を開けた。
身を起こし辺りを見回す。畳敷きの寺子屋の一室。
安堵のため息を吐いて、それから右手を持ち上げて、何度か握って。
「思い出しちゃった、なぁ……」
先ほど見た、夢の内容。
あれが恐らく、自分を苛んでいた記憶。
驚いた事にとても、気分が落ち着いていた。
本当ならば全てを拒絶してうずくまってしまってもおかしくは無いはずなのに。
いまなら、落ち着いて振り返る事ができる。
記憶を封印していた期間、少しでも客観的に自分を見れるようになったおかげかもしれない。
自分が恐れていたもの……怖くて仕方がなかったものは……
「フランちゃん、大丈夫?」
少女が問いかけてくる。
先ほどまで、フランドールと一緒にお手玉で遊んでいた少女だ。
ああ、そうだ。遊んで、少年達を待ちくたびれて、眠ってしまった。
「汗びっしょりだよ?」
そう言って、ハンカチを取り出して、顔の汗を拭ってくれる。
心配そうな視線が心地よかった。
忌まわしい記憶。
確かに思い出した、思い出せば、もう一人の自分を救えると思っていた。
でも……
「ここに居たのか!」
声は部屋の入り口から聞こえた。
「先生……どうしたの?」
上白沢慧音が、緊迫した様子でそこに立っていた。
「ああ、化け物がこの里を目指しているんだ、大丈夫だとは思うが念のため避難を……」
「化け物……」
不安げに呟く少女を安心させるように慧音は頭を軽く撫でた。
「とりあえず村のみんなと一緒に妹紅と……」
フランドールのほうに視線を移す。
「美鈴が様子を見に行ってくれている、化け物はまだ丘のふもとに居るから大丈夫だ」
言葉を聴いて、少女が青ざめた。
「……あいつら、丘に遊びに行くって……」
「何だと!?」
そういえばとフランドールは思い出した。
少年達は丘に遊びに言ったのだと。
そして、慧音が走り出す前に、フランドールが窓から身を出して、羽を羽ばたかせていた。
☆☆☆
巨大な、黒い蛞蝓だ。
すでに小山ほどの大きさになっており、その蠕動を止める事はできそうに無い。
その周りを十人程の若者達が飛び回り様々な攻撃を加えているが大した効果は無いようだ。
剣で切り裂こうが、炎で焼こうが、気で破裂させようが、瞬く間にそれは再生する。
「ちぃっ!」
舌打ちをして、炎の浴びせていた妹紅が距離をとる。
一瞬置いて妹紅が居た場所を、蛞蝓から伸びた触手が凪いだ。
「どうすればいい? 村まではもう、距離が無い」
妹紅が焦ったような声をあげる。
「妹紅さん!」
そんな妹紅に気弾を放ち牽制していた美鈴が近付く。
「あれを……」
示されたほうを見て妹紅が絶句する。
そこに居たのは子供、巨大蛞蝓の傍の岩の陰に三人の子供達が隠れるように居た。
「あいつら……」
妹紅には見覚えが合った。慧音の寺子屋の生徒達だ。
蛞蝓は迫り、このままでは岩ごと飲み込まれてしまうだろう。
かといって逃げ出せば、蛞蝓から伸びる触手に囚われて食われてしまう。
「助けるわ、美鈴。援護して」
返事も待たずに炎の翼を広げて妹紅が突っ込んだ。
蛞蝓が反応し、幾本もの触手を伸ばす。
「邪魔だ!」
触手を、炎がなぎ払う。
炎を逃れた触手は、美鈴の援護によって叩き落される。
岩陰の子供達が妹紅達に気が付き歓声を上げる。
「掴め!」
妹紅が子供達に手を伸ばす、手を取ろうとした僅かな隙に、触手が直撃した。
鈍い音を立てて、妹紅が吹き飛ばされる。
何とか空中で姿勢を建て直し、再度向かおうとするが、無数の触手に襲われままならない。
一方子供達の下にたどり着いた美鈴も、迫り来る触手から子供達を守り身動きが取れない。
このままでは迫る本体に押しつぶされ、喰われてしまう。
「く、どうすれば!」
里の若者達も援護にくるがその分触手が増え、いなすのに精一杯だ。
その時、一陣の風が吹き荒れた。
妹紅のものとは違う、剣の形を取った炎が吹き荒れ、美鈴に殺到していた触手を全て焼き飛ばした。
「妹様!」
「美鈴、大丈夫?」
「助かりました」
美鈴がとっさに三人の子供を抱え、空へと舞う。
すぐに再生した触手がそれを追うが、妹紅の放った火の鳥とフランドールの炎剣に阻まれる。
子供を人里沿いに下ろして美鈴がすぐに戻ってくる。
「助かったわ、妹さん」
「フランドールだよ。フランって呼んで」
「わかった」
それぞれが巨大蛞蝓に攻撃を仕掛ける。
人里まではもうわずか、人々の避難は慧音が完了させているだろうが、家や財産はそうは行かない。
それらを食い尽くさせるわけには行かないのだ。そうなれば、人々は間違いなく貧困に喘ぐことになる。
だが、一向に攻撃が答えた様子は無い。巨大蛞蝓はゆっくりと、だが確実に人里を飲み込もうと迫りつつある。
「どうすればいい!?」
絶え間なく炎を放ちながらも妹紅があせっている。
「奥の手を!」
美鈴がそう言って地面に降り立ち大地に手を当てる。
「龍脈の流れ、その力を借りて……」
ただ、フランドールはぼんやりとそれを眺めていた。
……倒す方法はある。フランドールは右手を巨大蛞蝓に向けた。
でも、握る事ができない。
一瞬後、虹色の気が大地から立ち上り壁となって巨大蛞蝓を包み込んだ。
そして、動きが止まる。苦しそうな、もがく様な様子を見せた。
「よし! いけるか、美鈴?」
「いえ、動きを止めるのが精一杯で。龍脈の力が弱まっていて長くは持たない」
苦しそうに、巨大蛞蝓がもがく。
手が、凍りついたように動かない。
フランドールの脳裏にあのときの光景が蘇っていた。
もがいて、もがいて、巨大蛞蝓が動きを止めた。
「なんだ?」
妹紅の疑問の声。
「まずい!?」
美鈴が焦ったような声を出す。
「皆、離れて!」
声と共に、巨大蛞蝓が力を溜める様に収縮し、そして……
まるで爆発するかのように膨張、四方八方に無数の触手を噴出した。
あの血濡れの草原で……
(これでもう、大丈夫)
フランドールはそう皆に言ったのだ。
(大丈夫、敵はもう居ないよ……なのに……)
それは虹色の壁をたやすく突き破りあらゆる方向に伸びて退避が遅れた若者達を拘束する。
声に反応し間一髪で妹紅は回避に成功した。
「美鈴!!」
だが、龍脈の気を使うために、大地とつながっていた美鈴は回避が遅れた。
触手に絡みつかれ、抵抗するように虹色の気が数度瞬いて、消えて。触手ごと巨大蛞蝓に取り込まれる。
フランドールは再度、右手を巨大蛞蝓に向けた。
そのなかに破壊の目を移動する。そして……そして……
(どうして? 何でそんな目で私を見るの?)
その手を、握った。
一瞬だった。
あれほどの再生能力を誇っていた巨大蛞蝓が爆砕した。
黒いヘドロのようなものが辺り一面に飛び散って、それすらも地面に付く前にばらばらになって霧散する。
僅かに十秒ほどの出来事だ。だれも、何が起きたのかわからなかったに違いない。
フランドールの視線が巨大蛞蝓が居た場所を確認する。
数人の若者と共に美鈴が倒れていた。よろけながら起き上がろうとする所を見ると無事なのだろう。
安堵の息を吐いて。そして、彼女は気が付いた。
自分に向けられる視線。
周りを見渡すと、皆、同じような表情を浮かべていた。
引きつったような、おかしな笑み。
あの時と同じだ、同じ顔が並んでいる。
別におかしい事ではない。
あれほどまでに苦労して、追い詰められて、なお倒せなかった化け物を。
たった一握りで破壊してしまうこの力を見て人々が何を思うのか。
きっと、こう思うのだろう。もし、自分に向けられたのなら、と。
別に、フランドールはそれを攻めるつもりは無い。
きっと、世界はこういうものなのだから。
一度目は、その視線が怖くて、恐ろしくて。
全てを拒絶した。そうすれば、もう誰にも見られる事は無いから。
此方が目を向けなければ、耳を塞いでしまえば、自分を否定される事もないのだから。
でも大丈夫。二度目だから。
今度は引きこもらない、自分を納得させる事が出来る。
自分の力は危険だから。見せてしまった自分が悪いのだから。
拒絶されるのは当然なのだからと。
もう一人の自分にも声をかけることができるだろう。
これは……仕方の無い事なのだと……
「すげぇ!!」
声が響いた。
フランドールが視線を向けるとそこには子供が居た。
先ほど、助けた子供達だ。どうやら人里に避難せずにずっと戦いを見ていたらしい。
フランドールがまるで虫が光に吸い寄せられるに子供達に寄っていく。
「私が、怖くないの?」
少年達はフランドールをまっすぐ見ていた。
純粋に、賞賛と憧れをこめて。
「なんで?」
「すごかったぜ!」
「かっこよかった!」
安っぽい賞賛の言葉、それでも……それでも……
背後に、気配を感じた。
フランドールが振り返ると、妹紅を初めとする若者達が次々と降り立っていた。
「助かったわ、ありがとう!」
妹紅がそう言って笑顔を見せた。
背後の若者達も同じように笑みを浮かべている。
「少しだけ驚いてしまったけど、すごいじゃないか」
フランドールは何か言おうとした。
でも、唇が震えるだけで声にならなかった。
「妹様、お疲れ様です」
美鈴がフランドールに視線を合わせて笑みを浮かべた。
それで、落ち着いたのかフランドールは自分を囲む笑顔に息を吐いて。もう一度。
「私が、怖く……無いの?……」
と、震える声で問うた。
妹紅と若者が一度目を合わせて、フランドールへと視線を戻して確かに頷いた。
フランドールがそのまま美鈴に抱きついて……
美鈴に抱きついたまま、あの時の草原から抑えていた涙を流して、ただ、泣きじゃくった。
☆☆☆
少女はただ一人、夜闇の中を歩いていた。
周りにはただ広大な草原が広がっていて他には何も無い。
目を凝らしてみても、どこまでもただ緑が続いているだけである。
ここがどこか? と問われても少女は答える事が出来ない。
本当に分からない。もしかしたら遠い昔に訪れた場所なのかもしれないが。
まあ、そんな事はどうでも良いと、一人歩く少女は思っていた。
なぜならこれは夢なのだから。
ここ数年で、何度も見るようになった夢。
同じ出来事だけが繰り返される、だがはっきりと夢と分かる。
こういうのを明晰夢と言うのだろうか? しかし内容は思い通りにならないので違うだろう。
やがて少女はたどり着いた。
目の前に人影がうずくまっている。
膝を抱え、全てを拒絶するように頭を伏せ、微かに体を震わせている。
蜂蜜色の髪に血の色のような真っ赤な洋服。背中には枯れ枝に色とりどりの宝石をぶら下げたような奇妙な羽が生えている。
人影から感じる事の出来る感情は怯え。
少女は何をしてあげればよいのか、どう声をかけてあげればよいのかもう分かっていた。
「もう、大丈夫だよ」
人影が体を震えさせた。
「もう、誰も怖がらないよ」
そういって、フランドールは笑顔を見せて、もう一人の自分を強く抱きしめた。
-終-
……とか思いましたが締めの綺麗さにそんな不満はどうでもよくなりました。
ぐいぐい攻め込んでくる感情が心地よかったです。
とても美味しくいただきました。(お話を)
個人的に、パチュリーの過去が気になったり。
序盤の咲夜と美鈴のやり取り・前にコメントしてる方自重wwww
ただ検索するとき、みたらし団子で検索してしまったことがあるのは内緒(どうでもいい
嫌なことはしんどいけど、それと向き合うのはもっとしんどい
そんな時に周りに人がいることを凄い幸せに思う