紅霧異変から数ヶ月、今日も紅魔館は図書館を除いて平和だった。
異変が起こる前までは閉鎖的だったここも、主であるレミリア・スカーレットが従者を連れて外出したり、外から来客があったりと、以前と比べて少しずつではあるが開放的になっいった。来客があった場合、まずは門番のチェックを受けることになる。勿論敵意を持っている者や、主に害を為す可能性のある者は門前払いとなる。
しかし例外というものは常に存在する。紅魔館に出入りする者の中でたった一人だけ門番のチェックを受けたことがない人物がいる。
白黒の魔法使い、霧雨魔理沙である。普通の客としてなら正門から入るのだが、門番の隙をついてはこっそり忍び込んでいた。彼女の目的が紅魔館の地下、パチュリー・ノーレッジが住み着いている大図書館が有する魔導書を借りること。悪く言えば無断で拝借することだからだ。更に悪く言えば盗難と言えなくもない。
魔理沙がこの図書館の存在を知ったのは紅霧異変の時だった。図書館に入った瞬間、集められた本の多さに驚愕した。見渡す限り本棚。図書館である以上それは当然だが、空でも飛ばないと最上段に手が届かない。そんな本棚が一体いくつあるのか。残りの人生を全て本を読むことに費やしたとしても一体どれだけ読めるのだろうか。
そんな状況を目の当たりにして、魔法使いである以上、心が躍らないはずがない。
「後で、さっくり貰っていこ」あの時の言葉通り、レミリアを倒したあとにさっくりという表現が正しいのかは分からないが、パチュリーに無断で相当な数の魔導書を持って帰った。その後も、スペルカード戦でパチュリーを負かせた挙句、本を奪っていったり、世間話をしに来たフリをして帰り際にこっそり持ち帰ったりと、日に日に本棚から本が消えていった。
「死ぬまでには返すぜ」とは言っているものの、その気は全くないのか、今まで借りた本を返したことは一度もなかった。パチュリーも返してくれるならと思っていたが、自分が読もうとする本に限って、魔理沙が先日持っていってしまった。というパターンが増えてきたのでいい加減対策を講じることにした。
実に簡単な事。自分でどうこうするより建物自体に侵入させなければいいのだ。
「というわけで、魔理沙が来たら追い返して。これ以上本を持っていかれるのは困るわ」パチュリーが珍しく正門までやってきて美鈴に命令した。
「はい。でもあのマスターなんちゃらを使われると、私では防ぎきれない上に紅魔館に被害が出るので、使われるよりはと思って見逃していたのですが、まさか本を無断で持ち出していたなんて……」
パチュリーは魔理沙のマスタースパークを思い出して身震いをした。確かにアレはまずい。美鈴にそれを止めろというのは酷な話か。
「でもあなた昔は相当だったんでしょ? レミィといい勝負をしたとか」
美鈴の目が一瞬だけ険しくなったが、それもすぐにいつもの顔に戻った。
「あらら。誰から聞いたのですか? そんな昔話」
嘘がつけない性分なのか、誤魔化すことはしなかった。
「勿論ここの主よ」そう言ってパチュリーはちらりと紅魔館を見た。
「レミィといい勝負できるなら止めれない筈がないわ。何度か思い知らせれば来なくなるでしょう。それに魔理沙のアレはどうこうするのではなくて、まず撃たせないことね」
曖昧な返事を返す美鈴に、「お願いね」と言い残してパチュリーは図書館へと戻っていった。
* * * * *
「あの本はどこだったかしら……」
ふわふわと宙に浮かび、本棚の前を言ったり来たり。
「ここね、って……。また持っていかれてる」
無い物は仕方ない。いつかまとめて返してもらえばいい。魔理沙とて魔法使いなのだ。本の扱いには気を使っているはずだし、死ぬまでには返すと言っている以上、そこまで心配ではないのだが、やはり自分が読みたいと思った本がないのは少しだけストレスが溜まる。
この図書館に足を踏み入れる者といえば、たまに尋ねてくるレミリアと、呼びつけた時にだけやってくる咲夜だけだった。それ以外はずっと一人。そんなことには慣れている。レミリアが起こした異変の後、魔理沙が頻繁に来るようになったが、とにかくパチュリーの邪魔ばかりしていた。
『なぁパチュリー。本読む以外に何か趣味はないのか?』
『無いわよ。本の傍に在る者こそ私だもの』
『ここ何て書いてあるんだ? 難しくて読めないぜ』
『こんなのも読めないでよく魔法使いやってるわね。えっと、これはね……』
『その本面白そうだな! 私も一緒に読ませてくれ』
『二人で読むものじゃないでしょ。読み終わったら貸してあげるから……って、そんなにくっつかないでよ。もう……』
邪魔ばかりされていたはずなのに、どうしてかそれほど嫌ではなかった。
「そろそろ来る頃ね」
実は魔理沙がやって来る時間は大体決まっていた。そう丁度これぐらいの──
「!?」
急に本棚が揺れた。──本棚だけではなく、紅魔館全体が。
揺れは直ぐに収まった。幸い何かが倒れたりはしなかったが、一体何が起こったというのか。パチュリーは原因を探るために外に出てみることにした。
再び正門までやってきて美鈴に声をかけた。
「今の揺れは? あれ、魔理沙?」
空を見上げると魔理沙が去っていくのが見えた。「私はスロースターターなんだよ!」なんて捨てゼリフを吐きながら。
「え? 追い返したの?」
パチュリーは勝てたことが意外とでも言いたげな表情を作った。
「ええ。見ての通りですよ。私だってやれば出来るんです」
少し自信ありげに胸を張る美鈴。
「それはよくやったわ。で、さっきの揺れは何だったのかしら」
「あー、それはですね……」
頬を掻きながらばつが悪そうな顔をしている。
「踏み込みに気合が入りすぎてしまって……でもなんでしたっけ、八卦なんとかは破壊しておきましたので!」
そう言って足元を指差した。美鈴が指差した先には足跡が残っていた。これは足跡なんてレベルではないのかもしれない。恐らく踝ぐらいまではめり込んだと思われるソレを中心に大地に亀裂が走っていた。紅魔館の玄関あたりまで。
「地震かと思ったわ。本棚も倒れるかと思ったし」
「申し訳御座いません……」
深々と頭を下げる美鈴に対し、パチュリーからのお咎めは無かった。
「まぁいいわ。ちゃんと追い返したことだし。八卦炉壊したならしばらくは来ないでしょうね。この亀裂は時間があるときになんとかするわ」
だれかこの亀裂に足が嵌ったりしたら面白いわね、と言い残しスキップでも始めそうな軽い足取りで館内に戻ろうと──
「美鈴。すぐ直すわ。でもその前に手を貸してちょうだい」
いつも通りの落ち着いた口調。
「どうされましたか?」
駆け寄る美鈴。
「……不覚にも」
パチュリー自身が面白いことになっていた。
* * * * *
八卦炉を破壊されたにも関わらず魔理沙は懲りずに本を奪いにきたようだが、その度に美鈴に撃退されていたので、騒がしかった図書館に久しぶりに静寂が訪れた。
「やっとゆっくり本が読めるわね」
貸した本が返ってきたわけではないので、これで溜飲が下がったわけではないが、とりあえず静かに本が読めるので良しとする。睡眠を必要としないパチュリーは、気がつけば何日も読みっぱなしだったということが多々あった。
「そろそろ魔理沙が来る時間かしら」
そう思う頃にはあの時のように図書館が軽く揺れるか、美鈴と魔理沙が戦っているであろう音が微かに聞こえてくるだけだった。
「それにしてもあいつも懲りないわね。持っていった本を返すなら入れてもいいと美鈴に行っておこうかしら」
* * * * *
「やっと手に入ったわ……」
長い間探していた貴重な一冊。これがあれば扱える魔法の種類が更に広がるはず。そして魔理沙もまた、この本を捜し求めていた。なぜなら彼女が好んで使う星の魔法についても書かれているからだ。
「魔理沙が来たら見せてあげ……」言いかけて口を閉じた。
自分で魔理沙を追い払えと美鈴に頼んだのに、どうしてそんな言葉が出てくるのか。一人で居ることに慣れきった生活。そこに入り込んできたあの騒がしい魔法使い。本を持っていかれるのは辟易していたが、彼女と話すことは実はそこまで嫌ではなかった。初めは邪険にしていたが、次第に諦め、騒がしいことに慣れていった。
魔理沙が来るようになってから、一つしかなかった椅子を二つに増やした。パチュリーはいつも自分が座る場所の向かいに置いてある椅子を見た。魔理沙が来なくなってから何日経ったか数えてはいないが、しばらく来ていないことだけは椅子に積もった埃から窺うことができた。
いつからか、ほんの少しだが読書中に余計なことを考えるようになった。思い出してみると、魔理沙は毎日のようにここへ足を運んでいた。図書館に来れなくなった今、彼女は何をしているのだろう。日を追うごとにその疑問はパチュリーの心の中で大きくなっていった。
『どうして外に出ないんだ? たまには外で本読むのもいいんじゃないか?』
『日光で本と髪が痛むからよ』
『本はともかく、確かに綺麗な髪してるな』
『ちょっと、気安く触らないでよ……匂いも嗅がない!』
魔理沙との何気ないやりとりが思い出される。当時は静かにして欲しい一心だったはずが、今ではあの騒がしさに懐かしささえ覚え始めていた。
何故こんなことばかり考えるようになったのか、自分のことながら全く理解できなかった。
「そういえば……」
最近はいつもの時間に外が騒がしくなったり、揺れが起きたりということが起こらなくなっていた。もう諦めたのだろうか。もうここに来ることはないのだろうか。
もうあの笑顔を見ることは出来ないのだろうか。
この気持ちは一体……
パチュリーは読んでいた本を閉じた。そして、数ヶ月ぶりに図書館の外へ出た。
向かいの椅子の埃を落としてから。
* * * * *
「最近、魔理沙来ないわね」
本当はこんなことが言いたいのではない。そんな表情で門番に声をかけた。しかし心が読める能力でもない限りパチュリーの心中を察することはできない。
「静かに本が読めるからいいじゃないですか」
「もう少し手加減してあげたら?」
「全力で相手しないと追い返せないですよ。手抜いたら侵入を許してしまいます」
門番としての責務を果たしている美鈴に、手加減をしろなどと言うことは間違っていると分かっていた。遠回しに言っても伝わらないだろう。やはり正直に言うべきかどうか悩んだ。
「どうされました? 深刻そうな顔してますけど」
美鈴に指摘されて気がついた。自分はそんなに考え込んでいたのかと。心の奥底から沸いてくる未知の感情に戸惑うばかりだった。
「……話があるわ」
正直に話すことを決意した。ただパチュリー自身がよく分かっていないので上手く説明できるかどうかはわからない。
「はい? え、あ……ど、どうぞ?」
深刻な顔で話があると言われれば誰でも少しぐらいは慌てるだろう。美鈴も例外ではなかった。
「今じゃないわ……夜がいいわね。交代の時間になったら図書館まで来てちょうだい」
美鈴の返事を待たずにパチュリーはふわふわと宙を泳ぎ、来た道を引き返していった。「うーん、何の話だろう」
* * * * *
真夜中の図書館。睡眠を必要としないパチュリーはこの時間になっても本を読み続けている。しかし今日はいつもとは違った。美鈴がやって来るのを今か今かとそわそわしながら待ち続けていた。意味もなく歩き回ったり、本を開いても読むわけでもなく、ページをパラパラと捲ってみたり。魔理沙が来なくなってから頻繁に感じるようになった不思議な想い。それに対する回答を得られるのではないかという期待が頭の中を駆け巡っていた。勿論、最初から美鈴に頼ろうと思ったわけではない。ここにある膨大な本を片っ端から調べてみたが、パチュリーの望む答えは得られなかった。親友であるレミリアに相談しようとも思ったが、『なに、そんなことも分からないの?』と笑われそうな気がしてやめた。咲夜の場合はそんなことを思っていても絶対口には出さないだろう。もしかしたら当たり障りの無い事しか言ってくれないかもしれない。そう考えると美鈴が適任な気がした。見下すことも、変に気を使うこともしない。ただ正直に思ったことを口にしてくれそうな気がしたから。
「……まだかしら」
足音が聞こえた気がした。耳を澄ますと、それはだんだんと大きくなっていく。階段を誰かが降りてきている。恐らく美鈴だろうと思い、パチュリーははやる気持ちを抑えながら扉へと小走りで近づいていった。ノブに手を掛けようとする前に扉が開いた。
「あっ」
そのまま扉はパチュリーの方に向かって開いていく。
「むきゅっ」
扉の端がパチュリーの顔にめり込んだ。
「むきゅ? あ、パチュリー様!」
顔を両手で押さえてしゃがみこんでいるパチュリ-に大丈夫ですかと声を掛ける美鈴。「パチュリー様って滅多にここから出られないから何も気にせず開けちゃいました……これからは気をつけます……」
立ち上がり、「気にしないで。大丈夫よ」と言うパチュリーだが、まだ両手は鼻のあたりに添えられたままだった。ついでに顔を赤くして目には薄っすらと涙が浮かんでいた。「それで、お話って何ですか?」
パチュリーはいつも本を読んでいる椅子に座り、美鈴はその向かいに座った。
「まず約束をしてちょうだい。ここでの話は口外しないと」
涙を拭いてから真剣な表情で美鈴の目を見た。二人でしか話せない、そして他言無用。一体どんな重要な話だというのか。美鈴はごくりと喉を鳴らした。
「ええ、勿論です。例え拷問に掛けられても口を割りません」
きっぱりと答える。
「レミィに聞かれても?」
「う、それは……」
「大丈夫よ。私がフォローするわ」
「それならなんとか……」
いくら他言無用といっても、雇い主であるレミリアに問い詰められたら隠し通すことは難しいと思われたが、フォローがあるなら何とかなるだろうと安堵の息を漏らした。
「じゃあ本題に入るわね……」
パチュリーがもぞもぞと姿勢を正す。
美鈴も釣られて背筋が伸びる。
「あ、あのね……」
「は、はい……」
中々言葉が続かない。パチュリーは何度か深呼吸を繰り返した。そしてゆっくりと口を開く。
「ま、」
「ま?」
「────いと、──が、────するの……」
そのまま二人は無言になった。
「え? 何です?」
「だから、」
パチュリーは俯きながら、しかし目線は美鈴から外すことなく呟いた。
「魔理沙が来ないと、何だか胸がもやもやするの……もやもやって表現が正しいのかもよく分からないけど。こんな気持ちになんてなったことなくて、誰に相談していいかも分からなくて困ってたの」と早口で捲し立てた。
パチュリー様もかわいいところあるんですね。と口には出さなかった。
「魔理沙が来ないと、ですか……あれだけ嫌がってたのに。ふむ……」
腕を組み、目を閉じて唸りだした。美鈴の動きに一喜一憂するパチュリー。どれだけ時間が経ったのだろうか。美鈴は真っ直ぐにパチュリーを見つめた。
「パチュリー様って、ひょっとして女の子が好きだったりします?」
「え? お、女の子が好きって、その……えぇっ!?」
予想外の質問に珍しく取り乱した。少し椅子から飛び上がったところを見ると、ここまでのリアクションを見せたのは初めてかもしれない。
「そんなわけないじゃない! というか、誰かを好きになったことなんてないわよ!」
必死に否定するあたりがいかにも怪しいといったところだが、最後の言葉から推測するに、本当にそんなことはないようだった。
「あれ、おかしいですねぇ。これしかないと思ったんですけど……でも考えてみれば
勝手に本持って行くわ、騒がしいわで、好きになる要素は皆無ですよね」
再び考え込もうとする美鈴をパチュリーが止めた。
「それが、最初は嫌だったんだけど、本を返してくれないのは今でも嫌よ? 騒がしいのは慣れていったの」
「慣れですか……」
「正直に言うと、毎日魔理沙が来るのが楽しみになってたのかもしれないわ」
以前は一人が当たり前だった。ただ本さえ読むことが出来ればそれで良かった。
いつからか騒がしいのが当たり前になった。自身とは種類も種族も性格も違う白黒の魔法使い。一番嫌いなタイプなのになぜか嫌いになれなかった。
「へぇ、そうなんですか……」
そういえば、と美鈴が思い出したかのように話始めた。
「パチュリー様って紅魔館に来てから、どれだけ外に出ました?」
普通はそんなことは聞かないだろう。覚えているはずなどないのだから。しかしパチュリーは違う。
「えーと、両手で少し足りないぐらいかしら」
指折り数えていた。
「ですよね。あとは、そうですねぇ。友達っています?」
次々と質問を変えていく。
「レミィぐらいね。咲夜とあなたは友達っていうより、ねぇ……」
「本を読んでいる時って何か考えてますか?」
「前は文字を目で追うのに夢中だったけど、最近は他ごとを……」
「魔理沙のことですよね?」
「そ、そうよ」
突然、美鈴が両手を叩くように合わせた。軽い音が館内に響く。
「簡単なことじゃないですか。どうしてすぐ気づかなかったんでしょう」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらパチュリーを見つめた。
「な、なによ。一体何なの?」
どうやら分かってしまったらしい美鈴に対して動揺を隠せない。
「決めました。これはパチュリー様が自分で気づくべきです。一応手を貸すぐらいはしますけど」
「折角呼んだのだから正直に言いなさいよ」
「魔女なのに分からないこともあるんですねー いつも本ばかり読んでるのに分からないことってあるんですねー」
決して嫌がらせなどではなく、どうしてもパチュリー自身に気づいて欲しいと思った美鈴のせめてもの気遣いだった。こう言えばこれ以上は食い下がってはこないだろうと。
「むー。そこまで言われては仕方ないわね……」
かわいらしく頬を膨らまして、美鈴から聞き出すことは諦めた。
「それでは私は失礼して……」
椅子を引いて立ち上がる美鈴。
「では、おやすみなさい。パチュリー様」
「おやすみ。ありがとう、美鈴」
* * * * *
美鈴は自室へは戻らず、ある場所へと足を運んだ。
魔法の森の中に佇む怪しい家屋。看板には店の名前らしきものと「なんかします」という意味不明な言葉が書かれていた。美鈴には誰の家か検討はついていた。
ノックを3回する。返事が無い。続けて3回。
「……こんな時間に一体誰だ?」
ドアが開く。
「お前は……」
「話があります」
「……分かった。まぁ入れよ」
* * * * *
美鈴に相談をしてから一夜が明けた。結局あれからずっと考えていた。眠くなることは無いが考えすぎて疲れてしまった。これなら全く読めない言葉で書かれた魔導書を解読するほうがよっぽど楽だと思った。少し眠ってしまおうか。そんなことを考えている内に、気がつけば眠っていたようだ。睡眠はが必要ないので寝足りないということはなかった。ただいくらか頭はすっきりしたような気がした。
一体今は何時なのだろうと考えていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
訪問者は昨日に引き続き、美鈴だった。
「失礼します」
何故か美鈴は微笑んでいる。
「どうしたの?」
「パチュリー様にお客様が」
恭しくパチュリーに向かって頭を下げた。
「正門でお待ち頂いておりますので」
「私に客? 一体誰かしら……まぁいいわ、行きましょう」
玄関を開けると外は暗く静まり返っていた。空には無数の星が瞬いている。虫たちの奏でる美しい音色が響いている。
「今日はやけに星が綺麗ね……」
空を見上げながら正門に向かって歩いていると、
「また来たぜ」
突然正面から声が聞こえた。
聞き覚えのある声。
久しぶりに聞いた声。
ずっと聞きたかった声。
「あ……」
声の主は正門の外側に立っていた。
隣に大きな袋を置いて。
暗闇の中でもお互いの表情が見えるぐらいの距離まで来た。
「遅くに悪いな。悪いついでに、これも悪かったな」
隣に置いてあった袋を差し出した。
「重いから気をつけろよ……ああ、いいや、後で私が運ぶから中だけ確認してくれ」
そう言って入り口を縛ってある紐を解いて中をパチュリーに見せた。
「これ私の本?」
「そうだ。これで全部じゃないが、一度に持ってこれたのはこれだけだ」
魔理沙はパチュリーの後ろに控えている美鈴に目線を送った。
「どういう風の吹き回し? 返してくれるってことは、今から死ぬのかしら?」
「ははっ、冗談きついぜ」
二人共笑っていた。どちらにもわだかまりは無いようだった
「一応だが、返す物は返したな。じゃあ次は見せるものを見せないとな」
「何を見せてくれるの?」
「誠意かな。いや、なんだろう。今から見てもらうのは空なんだが」
「空?」
「ああ。瞬きするのが勿体無いぐらいのヤツを見せてやる」
パチュリーは美鈴に話しかけた。
「何をするのかしらね」
「今日はいつもと比べて星が多いと思いませんか?」
「いつも外にでないけど、確かに多い気はするわ」
「今日は七月七日なんですよ。七夕です」
「あ、だから……天の川ね。どうりで綺麗なはずだわ」
魔理沙が箒に跨って、今にも飛び立たんとしている。
「なぁパチュリー。私に会えなくて寂しかったか?」
パチュリーの心臓が跳ね上がる。
「寂しい?」
ああ、そうだったのね──ずっと胸の奥でくすぶっていた想い。
これが寂しいってこと。
魔理沙に会うことがなければ、ずっと一人で居たら、パチュリーは恐らく寂しいという感情を知ることは無かっただろう。
美鈴の言った通り人に教えてもらうことではないなと。そんな事を考えて、寂しかったわ、と返事をした。
返事を聞いた魔理沙は不敵な笑みを浮かべて星空へと舞い上がった。
「実は新しい魔法を開発したんだぜ。まだ試し撃ちもしてないんだ。パチュリーに一番に見せようと思ってね。お詫びのしるしってやつだ」
「そういえば名前決めてなかったぜ!」
魔理沙の元気な声が響く。
だんだんと姿が見えなくなっていく。黒い影が夜空に浮かび、両手をかざしているのが見えた。
「名前はそうだな……ミルキーウェイだ!」
色取り取り、大小様々な同じ名前の流星群が、夜空に燦然と輝く天の川を、更に美しく彩っていく。
「これからはまた図書館に来てもいいわ!」
喉が痛くなるぐらい大きな声を出したのは初めてだった。
魔理沙に届いたかどうかは分からないが、それは明日になればわかるだろう。
「友達が二人に増えましたね、パチュリー様」
「ええ」
美鈴は初めて見た。こんなにも楽しそうに笑うパチュリーを。
騒がしくも平和な日々が、また始まる。
自分は百合でもよかったくらいですが、この位もいいもんですね。