神社に着くなり私は靴を脱ぎ捨て、訪いも入れず縁側から上がりこみ、ババンとフスマを開け放った。
そして開口一番、
「ベタは憎むべきものだと思う」
「いきなり何よ」
ベタな出会い、ベタなストーリー、ベタなオチ。
どれもこれも私が昨日読んだ本に含まれていたものだ。
どんな本かといえば、まさか天下の霧雨魔理沙さんが、と思われるかもしれないが、白状しよう。
ここで詳しく語ることはしないが、つまるところ愛別離苦のラブストーリーだ。
ありとあらゆるベタの粋を集めて作ったようなその本はしかし、私を深く深く感動させてやまなかった。
昨夜は眠りに落ちるまで泣いていたことをよく覚えている。
で、朝起きて、今一度その感動を味わおうと、読み返してみたのだ。
「なんだろうな、あの騙された感」
「話が見えない」
さすがに二度目となると、展開が分かっていることもあってサクっと読めた。
で、どうなったかというと、あの感動が再びよみがえる……!
なんてことはまったくなく、それはもうこれっぽちもなく、私は覚めた頭と冷めた声でツッコんだのだ。
『ベッタベタやないか!』
と。
一夜明けてみると、感動スペクタクル大巨編が、鼻で笑ってしまうようなお涙頂戴話に変貌していたのだ。
きわめて悪質な詐欺にあった気分だった。
宗教にハマるのってああいう気分なのかなあ? と思う。
主人公が涙を拭くのに使ったのと同じハンカチです、とかいわれたら、
昨夜の私なら何のためらいもなく金を出していたのかもしれない。
許せないよな。
何が許せないって、そんな陳腐なお話でも号泣させてくれちゃう、ベタなお話が許せないのだ。
私はカタにはめられてしまった哀れな魔法使い、ピエロ。
どれだけ悔やんでもあの涙はもうかえってこない。
ネピア一箱分の涙が無為に消費されてしまったのだ。
いや、本当に無為の涙だったのかどうか、それについては疑問が残る。
あの涙は、感動は本物だったと思いたい、というのが本音だ。
だけどな。
「乙女の涙は貴重なんだぜ?」
「泣き虫さんがよく言うわ」
「失礼な、私がいつ泣いた」
「タンスの角に小指ぶつけた時とか、酔っ払って愚痴りたいのに相手がいない時とか、あんたが最後に食べようと思ってたコロッケを私が食べちゃった時とか、夕日があんまりにもキレイだった時とか」
「それは演出ってやつだ」
アメジスト、トパーズ、アクアマリン。そんな宝石たちが束になっても敵いやしない至玉。
それを、ここぞという時にホロリと流すからこそ、男も女もみんなキュンとくるのだ。
だけれども、何かあったらすぐ泣いてるようでは至玉もその辺の石ころと化す。
――要するに、涙ってのは安売りされちゃいけないんだよ。
それを、ああもドバドバと放出させてくれたベタなお話は、やっぱり紛れもない悪だ。
ハートウォーミングだの何だのと謳って口当たりの良さを装っているのもタチが悪い。
もはや巨悪といっても過言ではないだろう。
「だからさ、ベタなことを絶滅させてやろうかなって。まずは手始めにこの神社から」
「そんなことのためだけに、わざわざ?」
「うん」
「もう帰れアンタ」
霊夢はつれない。
膝を崩してお茶なんかすすって、深刻さのカケラもなかった。
「わかってんのか? 由々しき事態なんだぜ? 知ってのとおり幻想郷にはありとあらゆるベタが蔓延している。ネコ耳しかり、ウサ耳しかり、ぼっちキャラから病弱キャラまでなんでもござれ、だ。このまま放っておいたらきっと……えーっと、きっと……、多分ひどいことになるんだよ」
「ベタベタの魔法使いが何言ってんの」
「そのツッコミは予測済み」
灯台下暗し、なんてコトワザに頼るまでもなく、私は抜け目がない。
立ち上がって自分のスカートをガバとめくり、見せつけてやる。
まぁそんなことしなくても見えるんだけど、なんとなく、ノリで。
「ジャージだ……」
「な?」
ジャージの上にスカートという田舎の女子高生ライクな魔法使いなど、私が知る限りでは未だかつてない。
晴れてベタベタな魔法使いを卒業した私はきっと、通学ヘルメットと錆びたチャリンコが似合う素朴な笑顔をしている。
ダセエとか思ったやつはマスパをご馳走してやるから放課後、体育館裏に来るように。
「な? って言われてもねえ」
と、霊夢はだらりだらりと台所へ這っていく。
実に良い。
きちんと立ち上がって歩いていくなんてベタもいいところだ。しかし――
「おい、話はまだ終わってないぞ」
「おやつ持ってくんのよ」
「話はそれから、か」
そわそわしながら霊夢を待つ。
今日のおやつはなんだろ。
暑くなってきたし、水羊羹とかだろうか。
おっと、ここでその味を想像してゴクリとツバを飲むようなことをしてはいけないし、ましてや期待のあまりヨダレをたらすことなど許されない。
理由はいわずもがな、だ。
「私の分もな」
「はいはい」
「転ぶなよ」
「分かったって」
もう二つ釘をさしておく。
こんな風に、私達の日常にはありとあらゆるベタな罠が待ち構えているのだ。
一瞬たりとも気をぬくことは許されない。
やがて、皿をきちんと二つ持って、霊夢が戻ってきた。
皿の上には、私の拳よりちょっと小さいぐらいのキナコ餅が一つずつ。
餅は嫌いじゃない、むしろ好き。まぁそれも調味料によるが――
「砂糖は?」
「多めに入れた」
「さすがによく分かってる」
甘くないおやつなんて、おやつじゃないし。
「あんたがいなきゃ二つ食べれたのに」
「それは残念だったな」
にしし、と私は笑って、菓子楊枝を手にとる。
霊夢もほとんど一緒に手を伸ばし、餅をブスリと――そこでハッとした。
「待てッ!」
「……? なによ?」
初めはただの想像、だがそれも、柔らかな粘土を削って形を持たせるように、次第に現実味を帯びてくる。
目を閉じればその情景がありありと浮かんできた。
うぐぐ、と喉をかきむしりながら顔を青くする霊夢の姿。
それを見て私は『誰かー! 掃除機持ってきてー!』と叫んでいるのだ。
なんというあからさまなフラグ。
「とにかく待て。まずは楊枝を置け」
霊夢を手で制したまま、考える。
そんな、ちっちゃい子供じゃあるまいし、私の杞憂に過ぎないのではないかと。
私はちょっと母性本能発揮しすぎなんじゃないかと。
「……食べないの?」
しかし意地汚いコイツのことだから、ありえなくもないことだ。
宴会でがっついて閻魔の世話になりかけたことも一度や二度じゃない、気がする。
念には念を入れておくべきだろう。
「ちょっとそれ、貸して」
霊夢の小皿に手を伸ばす。
「やだ」
引っ込められたが、
「食べないから。そこまで食い意地は張ってない」
「ならいいけど」
なかば無理やりに皿を引き寄せ、菓子楊枝を二本、上手に使って、霊夢の餅を切り分けていく。
「なにしてんの?」
「まぁ待てよ」
粘度のある餅を切り分けるのは骨が折れたが、なんとか一口サイズ、より小さくすることができた。
しかし私はこれでもまだ、一抹の不安に駆られていた。
それは霊夢の大ざっぱさに起因するもので、皿ごとザザザッ、とまとめて口に放り込まれてしまっては何の意味も為さないのだ。
ならばこうする他あるまい……!
ひょいプス。
楊枝の先に一つ、餅をさす。
「はい、あーん」
「……何なの?」
「いいから、あーん」
「いや、意味が」
「食わないなら私が食っちまうぞ」
「あーん」
ぱくりと食いつき、もそもそと仏頂面で口を動かす霊夢の喉を、注意深く観察する。
これだけ配慮してやっても詰まらせるようなら、それはもはやベタじゃない、と思うけど、
「よーく噛めよ」
しつこいようだが念には念を。
「もぐもぐ……もう一個」
「だーめ。ちゃんと百回は噛めよ。消化にも良いんだぜ」
「もう飲んじゃった」
「仕方ないやつだなあ。はい、あーん」
「あーん」
「フフフ」
私の努力の甲斐あって、今のところベタな展開はことごとくその芽を摘まれている。
至極、満足だ。
こういう小さな小さな積み重ねが、いずれ幻想郷からベタを駆逐してくれるのだろう。
それに、なんていうのかなあ。
こんな風に霊夢のお世話をしてやってる感が、少しだけくすぐったくって、心地良いっていうか。
ウサギとか子猫に餌をあげてる時の、優しい気持ちが胸に満ちる。
「美味しい?」
気を良くした私は、ちょっと上目遣いに訊いてみた。
「作ったのは私なんだけど」
「美味しい?」
「だから」
「…………」
もう、と霊夢は目をそむけ、
「……美味しいわよ」
「えへへ」
順調、順調。
さよならベタベタ、グッバイお約束。
のはずなのだけれど、なぜか私の胸には、ちょっとした違和感があった。
何か大変なことを見落としているような……。
キノコを探して森を散策してたら大樹に直撃、そんな時の感覚に近い。
「あーん」
だけど、矢継ぎ早な催促のせいで考える暇もなかった。
結局全ての餅を私の『あーん』から食べ終えた後、霊夢は食後の茶をすすりながら、
「美味しかった」
そう呟いた。
「……そうか、良かったな」
としか、私は言えなかった。
『あーん』って良いものだなあ、という満足感と、『これでいいのかキリサメマリサ?』という不可思議な自責の念が、私のなかで混ぜこぜになっていたのだ。
「それじゃ、今度は私が」
不意に霊夢が言った。
悪戯っぽい笑みに私は、
「へ?」
だなんて、呆けた答え。
「食べさせてあげる」
「私はいいって。お前と違って、よく噛んで食べるし」
「遠慮しないの」
「遠慮とか、そういう話じゃなくってだな」
「はい、あーん」
コイツは人の話を聞かないから困る。
……それにしても、なんだろう、ここで私が『あーん』されちゃっても、何も問題はないはずなんだけどなあ?
私もやったことだし……お返しに過ぎないわけであって。
だけど、何か引っかかるんだよなあ。
「ほら、口開けなさいよ」
「いや、それは……」
正直なところ、自分がやられる立場になってみると、その、恥ずかしいのだ。
「鼻つまんでやろうか?」
「な」
そんな、嫌いなものを我が子に無理やり食べさせるお母さんみたいなこと、許せるわけがないだろう。
この子の為なら鬼にも悪魔にもなる! だなんてベタな親心、陳腐だ。
「嫌ならとっとと、あーん」
「……あーん」
大人しく口を開く。
飛び込んできた砂糖の味は、当たり前のことだけれど、どうしようもなく甘かった。
「……もぐ」
「美味しい?」
「おいふぃけど」
スッキリはしない。まぁ餅を食べているのだから当たり前だろう、とも思う。
だけど、もそもそと口を動かしてみても、甘いばっかりで、きなこの風味がまるで伝わってこないのだ。
私はちぐはぐな顔になっていることだろう。
そんな私の反応が不満なのか、霊夢が、
「口移しの方が良かった?」
なんて、 ふざけた冗談を 言うもんだから―― 餅が ―― 喉に引 っ
○
『そう、あなた方は少しベタ過ぎる』
閻魔にそうツッコまれた私は甚だ不本意だった。
そういうお前のお説教とか、彼岸に片足突っ込んじゃう、こういう展開の方がよっぽどがベタベタだろうと強く主張したかった。
けれど、見た目がチビッ子のミニスカ閻魔というのは私の知る限りオンリーワンであり、反論する余地はなかった。
甘んじて説教を受け入れていたところで現世に引き戻されたのが、ついさっきのこと。
「おかえり」
平然と言ってくれた霊夢の口が、もそもそと動いていたのが少し気になった。
何があったのか、何をしてくれたのか。
――あなたはいったい何をお食べになっているのですか? そう訊ねる勇気はなかった。
気づいたら私は、賽銭箱の隣に腰かけ、境内をだらだらと掃き掃除する霊夢を眺めている。
晴れてはいるが、雨が近いのか、六月の風は杜を強く揺らす。
集めた傍から散っていく落ち葉。
こういうとき、『イヤーン、イタズラな風がー』とかいってスカートをおさえる霊夢のサービスショットを期待するやつがいるのかもしれない。
でも残念。
霊夢には私のジャージをはかせてある。
私の目が黒いるうちはそんなベタベタなこと、許さないんだよ。
そんなことを考えていたら、霊夢の横にぬるりと、亀裂が走った。
「ごきげんよう」
ファンシーなスキマから顔を覗かせるは大妖怪、八雲紫。
ベタといえばこいつの登場の仕方もベタなのだけれど、私とて限度は知っている。
これぐらいで怒鳴ったり、追い返すようなことはしない。
それに、この年増は怒らせると面倒なのだ。
「何しに来たのよ」
「あら、ずい分じゃない」
「珍客なら間に合ってるもの」
「あんなチンチクリンと一緒にしないで欲しいわね」
紫が私を見る。失敬な。
「私からすれば似たようなもんよ」
「今日は本当につれないのね」
「いつものことだし」
「それって自分で言うことかしら」
紫は口元を扇子で隠し、くすくす笑う。
見飽きた光景、いつもと何ら変わりない日常が私の前で繰り広げられている。
でも、こんなやり取りはなんていうか、ベタっていうのとは違うんだよなあ。
だから私もいちいちツッコんだりはしない。
何も、どこまでもぶっ飛んだ、ジェットコースターみたいな日々を求めているわけではないのだ。
お約束という名のパターンにハマらなければ、それでいい。
「ところで」
と、紫は霊夢の足元を見て、
「カゼでも引いているの? それは……」
私が着せたジャージのことだろう。
紫はどこか不安げな色を眉の間に浮かべていた。
「カゼ引いてたら掃除なんかしないでしょ」
「そう、ならいいけど……ところで最近ちゃんと食べてる? ちょっと痩せたみたいだけど」
「べつに、いつも通りよ」
霊夢はぶっきらぼうに答える。
くだらないこと言ってるヒマがあったら手伝え、とでも言わんばかりに。
「あなたはいつ訊いたってそう言うんだから……『いつも、いつも、いつも』ってそればっかり」
「それであんたに何の問題があるっての」
「いや、べつに問題ってわけじゃないけれど……」
「じゃあいいでしょ。ほっといてよ」
「あなたは若いから、少しぐらい無茶をしたって平気だと自分では思うかもしれないけれどね、若い頃の無茶っていうのは年を取ってから響いてくるものなのよ? 私はそんな人間を何人も見てきたわ。年頃の女の子なんだから少しは節制することも考えないと――」
「なに、お説教しに来たわけ?」
「う。いやいやそんなつもりはなくって」
うっとうしそうに細まった霊夢の視線を受け、うろたえる紫。
このあたりで私は、肌がざわつくほどに不穏な空気を感じ取っていた。
伝えたいけど素直に伝えられない紫の思い。
それによって生み出される、思わず頬が緩んでしまうような微笑ましさ。
ハートフルな展開への予感、あるいは期待感。
――危険だ。止めたい、止めなければ。
「……あら、リボンが曲がってるわ」
私の危惧をよそに、紫は露骨に話題をそらす。
より強く、深く、……優しく、霊夢と触れ合える方向へ向けて。
「そう? べつに気にしないけど。自分じゃわかんないし」
「だーめ、服装の乱れは素行の乱れ、っていうじゃない」
許しも待たずに解かれるリボン。
しゅるりフワ。
広がる黒髪に紫はそっと手を触れ、
「あらら、ずい分絡んじゃって」
「そういや最近手グシばっかりだった」
「手グシってあなた……だめよ、手荒に扱っていたらすぐ痛んでしまうわ。髪は女の命なんですから……ついでに梳いてあげましょう」
と、紫はスキマから高級そうな、おそらく珊瑚の櫛を取り出した。
「べつにいいってば」
霊夢は緩慢に首を振り、紫の手から逃げる。
でもそれは本気の拒絶ではなくって、どこかくすぐったそうな、照れ隠しの仕草だって私にはわかって――
「ほら、良い子だからこっちに来なさいな」
「もー、何なのよー」
限界だ、と思った時にはもう、私は立ち上がり、
「よせッ!」
叫びながら、紫に指を突きつけていた。
「なんだかんだ言いながらお母さんお母さんするんじゃないッ!!」
「……何なのアレ?」
紫は私を見ながら、霊夢に訊く。
「来たときからずっとああなのよ」
「嫉妬してるのかしら?」
「おかーさんに? なんで――あっ」
やっちまった、と耳まで真っ赤にして俯く霊夢。
その様を見て「くふふふふふ」と心底嬉しそうに笑う紫。「ねえ? 誰が、何ですって? もう一回聞かせて頂戴?」
「うっ、うるさい……」
「あら、『おかーさん』に向かってそれはないんじゃないの?」
「とっとと帰れ!」
あああああぁぁぁ。
なんだよこの光景。
いい加減にして欲しい。許されるかこんなもの――
「ベタ過ぎるんだよお前ら!」
いよいよ私は我慢できなくなって駆け出し、二人の間に割り込んだ。
「離れろ! 今すぐ離れろ! お前らはこれ以上一緒にいちゃいけないんだよ!」
「あらどうして?」
紫はきょとんとする。
「どうしてって……どうしても!」
「おかしなことを言うのねえ……ほーら霊夢ちゃん? こっちへいらっしゃい」
と、私の後ろの霊夢に手招きする。
「ああッ!? 『ちゃん』って言うな馬鹿!」
そんなこと言っちゃった日には――。
振り向けば、
「…………」
ほらやっぱり。
霊夢は満更でもなさそうに、散らばった後ろ髪を、もじもじといじっている。
ダメだ。もはや一刻の猶予もなかった。
この先に待ち構えているものはおそらく、膝枕→耳掃除→子守唄というスーパーコンボ。
挙句の果てに、パジャマ姿の霊夢に優しくヴェポラップを塗ってあげる紫の姿まで、私は幻視できた。
だけどやっぱりママが好き――ってやかましいわ!
「貸せ!」
紫の手から櫛という名のフラグを奪い取る。
こいつの手に持たせておくには、あまりにも危険すぎるブツだ。
「ちょっとこっち来い」
「なによ?」
訝る霊夢の手を引き、賽銭箱の隣に座らせた。
そうしてから私は霊夢の後ろに膝で立ち、諭してやることにした。
「お前はさあ……どうしてすぐにそう、ベタベタな感じになっちゃうわけ?」
「そんなこと言われても」
「最初に言っただろう? ベタは憎むべきもんだって」
と言いつつ私は霊夢の髪を一すくい掴み、上から下へ、櫛を通す。
確かに、ずい分絡んでしまっていた。
クックッと、ときおり霊夢の顔が上を向く。
「痛いって」
「ごめん。でも手入れしてないお前が悪い」
「背中かゆい」
「床屋じゃないんだから」
とツッコみながらも、かいてあげる私。
…………。
……っれえ?
おやつの時と同じような違和感に首をかしげていると、不意に紫が笑って、
「そうしていると、まるで姉妹みたいね」
と言うのだ。「どっちがお姉さんなのかしらね?」とも。
「そりゃ、この状況見てろよ。私がお姉ちゃんに決まってるだろ」
紫に見せつけてやるように、霊夢の髪を梳く。
「はぁ? 何言ってんの? 私の方が背ぇ高いのに」
「べつに身長は関係ないだろ」
「なによ」
「なんだよ」
顔も合わせずに口喧嘩をする。
どんな顔をしているのか、まぁお互い、大体の想像はつくだろう。
そんな私達を見て、また、紫が笑った。
「今日のところは帰るわ。私はお邪魔みたいだし」
と、殊勝な言葉を残し、スキマの中へと消えていった。
あっという間に、てんであっさり。
『じゃあな、二度と来るなよ』と皮肉をお見舞いする暇もなかった。
「何しに来たのかしら」
「……さぁ」
どういう事情なのかはわからないが、期せずして紫を追い払ってしまった私である。
しかしまぁ、ベッタベタなシチュエーションを未然に防げたのを、大手を振って喜んで良いはずだ。
だけれども、ふと、手が止まる。
…………。
……っれえ? 何かまた、やらかしちゃってるような……。
「終わり?」
じっと座っているのにも飽いたのか、霊夢が頭を後ろに倒して、私を見上げてくる。
「だーめ、良い子にしてなさい」
「なによ、急にお姉ちゃんぶっちゃって」
「はは、生意気な妹だぜ」
何かがおかしい、間違っている、それは確実だ。
でも、悪くない気分だった。
だからしばらくは、何も考えないで、こうしていても良いんじゃないかって、そう思えた。
「ついでに肩もんでー」
「贅沢なやつだなあ」
暖かな空気。どこかでカラスが啼いている。
○
「いやいやおかしいだろう!」
しっぽりしてる場合じゃないって……!
晩御飯食べてくんでしょ、という霊夢の言葉を当たり前のように受け入れて、居間でくつろぐ私だったのだが、次第に赤く染まっていく障子を眺めているうちに、気づいてしまった。
そう。
私が一番ベタなんじゃないかって……。
今日一日の、今までのイベントを思い出してみる。
主に、私と霊夢のあり方について。
他人のことみたいに、出来るだけ客観的に見つめなおす。
するとどうだろう。
なんだこのベッタベタな仲良しさん達は……!
薄い座布団をぎゅっと握り締め、じたばたしたくなった。
でも我慢する。ベタもいいところだから我慢する。
こんな一挙手一投足にまで制限を受けるだなんて。
そもそも無茶な野望、というか思いつきだったのだろうか。
でも、負けん気だけが取り得の私だ。
いや、他にも取り得はたくさんあるけど……えーっと、例えば……、色々あるんだけど、すぐには思いつかないだけであって。
色々あるぞ。勘違いはしないで欲しい。
とにかく、自分が豪語したことを早々と引っ込められるほど、私は人間が柔軟にできてはいないのだ。
せめて今日一日ぐらいは。ベタなことを回避し続けなくては収まりがつかない……!
「おーい、今日の献立は?」
寝転んだままで、台所で働く霊夢に向けて、大き目の声をかける。
白米に塩、とかいうベタベタな貧乏メニューだったら、
里へひとっ走りして刺身なりドラゴンフルーツなり買ってくるつもりだったのだ。
「肉じゃがー」
という声が返ってきた。
主菜は肉じゃが、か。なんとも判断致しかねる。
それは新婚さんの初めてのお料理、という意味ではベタだけれど、私達はべつに新婚さんというわけでもないし、この神社で出されるものとしては目新しい、というか初めてのことであり――って、ええ!?
「肉ッ!?」
私の聞き間違いだろう、と思った。
『じゃが』の上につく単語は『肉』、下につくなら『バター』という先入観が、勝手に言葉を補ってしまっていたのではないかと。
「な、何の肉だよ?」
おそるおそる訊いてみる。
肉といっても色々あるのだ。
トリとか、カエルとか、ウサギとかカメとか。
「牛だけど」
私の予想に反して、返ってきたのはごくスタンダードな家畜の名前だった。
「野良バッファローがいたのか……?」
どこのサバンナだよ、と自分でツッコみたくなる私の発言はテンパっていたが故。
だって、おかしいだろう? 当たり前みたいに、献立に高級食材を使ってくれる博麗神社なんて。
「失礼ね、お肉屋さんで買ってきたのよ」
当たり前だけど、当たり前じゃない答え。
「…………」
ベタではないだろう、とは思う。
だけど、どう考えても不自然だ。
でも、ベタじゃないなら、私の今日のコンセプト的には何も問題ないわけだし……。
大人しくゴチになって、家に帰って眠れば良いだけの話。
だけどモヤモヤした感じが残ってぐっすり眠れなさそうで――ああもうワケわかんない。
そんな風に煩悶しているうちに、良い匂いが漂ってきた。
「できたわよー」
お盆を抱えてやってきた霊夢が、ちゃぶ台の上に晩御飯を並べていく。
白米が大盛りの茶碗と、貧相な具の味噌汁が二つずつ。
そして、肉じゃがの入った椀が、一つ、置かれた。
少ないな、と一目でわかった。肉じゃがが、だ。
じゃがいも、糸こんにゃく、ニンジン、そして肉。
贔屓目に見ても二人分はない。
「……そういうことか」
「……?」
私は思い至った。
結局、この一つの肉じゃがの皿を取り合うという、ベッタベタなバトルロワイアルに落ち着くんだな、と。
「いいぜ、相手になってやるよ」
あれやこれやと考えるのにも疲れた。弾幕ごっこでもしていた方が、まだ頭が休まるというもの。
食事前の運動というのも悪くない。
こいつもそういうつもりなのだろう、と私はみていたのだが、なぜか霊夢は呆けたように、
「……なに言ってんの?」
「取り合うんだろう? 私達で、この皿をさ」
「いやそれ、あんたの」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
だって、だって――
「私のってお前……。肉じゃがだぜ? ただのじゃがいもじゃなくて、肉じゃがなんだぜ? この神社じゃ年に一度のご馳走だろう。それをお前、当たり前みたいに……はは、冗談きついな」
乾いた笑い。それぐらい度肝を抜かれてしまっていたのだ。
「べつに冗談じゃないけど」
「そうそう、それでこそ意地汚いお前だ――って、ええ? なんで……?」
「なんでって……。あんたはそれを言わせないために、ベタベタがあーだのこーだの言って予防線張ってたんじゃないの?」
「予防線……?」
まるで見当がつかなかった。
「何のことだ?」
「本気で言ってんの?」
「そっちこそ」
「はぁ……」
霊夢は心底うんざりしたように、溜め息をつく。
呆れ、みたいなものも見てとれた。
「あんた今日、誕生日じゃない」
「あっ、え……?」
ウソだろ? と思ったけれど、水をかけられたように冷えた頭で、今日の日付を思い出してみる。
家を出る前にカレンダーにつけた×印を、脳裏に思い描く。
……そうだ。確かに今日は、私の誕生日だ。
それは暦とした事実としてある。
でも、だけど、おかしな話だけれど、なんでよりによって今日なんだ……。
「お前、それで……?」
「お祝いしてもらいに来たのかなーって思ってたら、なーんか違うみたいだし。あんたなりの照れ隠しなのかなって思って。だから私もしれっとしてたのに」
「…………」
確かに、今更改まって誕生日のお祝いだなんて、それこそベタベタもいいところだ。
今、この時。私はどういう顔をすれば良いのだろう。
頼んでもいないのにベタなことすんな! って怒れば良いのだろうか。
それとも、素直に喜べば良いのだろうか。……わからない。
わからないから、ひとまず、さっきから抱いていた疑問を訊ねてみることにした。
「お金は」
「ん」
「肉の金は、どうしたんだよ」
「それぐらいの蓄えはあるわよ」
それはウソだって、すぐにわかった。
こいつは、蓄えなんて悠長な言葉にはまるで無縁の生活をしていることを、私は知っているし、忙しなく鼻の頭をさわってみたり、手を揉んでみたり、そんな霊夢のあからさまな仕草が、私の予想を確信へと変えてくれる。
そしてハッとした。
無いところへ金を引っ張ってくるにはどうすればいいか。
乱暴なやつなら、自分を例に引くのもどうかと思うが、例えば私とかであれば、『死ぬまで借りている』というお洒落な理屈を振りかざして、適当なやつから拝借してくることもできる。
無論、その責任は自分が負うわけだけれど。
しかし、霊夢は、こんな間抜け面をしていても、幻想郷の秩序だ。
そんな無茶苦茶は許されない。
正当な手続きを以って、霊夢が金を引っ張ってくるとしたら……。
気づいたら私は座布団を蹴って駆け出していた。
この神社とは長い付き合いだから、どこに何があるのか、大体のことは把握している。
「ちょっと、食べないの?」
私は化粧箱を探していたのだ。
陰陽玉とか、封魔針とか、そういった消耗品を除けば、この神社で唯一値が張りそうな、――代々伝わるっていう、歴史ある逸品。
「あった……」
フスマの奥に変わらず鎮座する化粧箱を見つけ、震える手で私はそれを開け、なかをあさる。
霊夢には未だ縁のない、あこや貝の香合、質素な板紅、古びた匂い袋なんかの中に、アレの姿を探すけれど、……見つからない。
「勝手に家捜ししないでよね」
背中から声がかかる。
「……お前、櫛はどうしたんだよ」
私は振り向きもせず、しゃがみ込んだまま言った。
「あーそれはー、えーっと……なくしちゃった」
「ウソつけよ、大事にしてたじゃないか」
それはもう、大雑把なこいつにしてみれば、異常だって思えるぐらいに。
「まぁ、いいじゃない」
「良くないッ!!」
振り返り、霊夢の肩を掴む。
「バカじゃないのか!? 誕生日なんて、今まで何回もあったことじゃないか! それをなんで……なんで今日に限って」
「十回目の、でしょ?」
「え?」
「いや……私達が、なんだ」
歯切れ悪く、霊夢は言った。
「友達になってからさあ」
十回目、言われみればそうなのかもしれない。
節目だ、記念だ、とでもいうつもりなのだろうか。
こいつらしくもない。
けど、そんなことは今、重要じゃないんだ。
「でも、だからって、大切な物を質に入れてまで……! なぁ、そうなんだろ!?」
「……そうなんだけどー、べつに借りたお金を全部使っちゃったわけじゃないのよ? ご飯を大盛りにする分と、切れてたお味噌と、アンタのお肉の分だけだし」
「今日の献立のほとんどじゃないか……! その分の金はどうするつもりなんだよ!?」
「ちょっとおやつを我慢すればまかなえるわよ。だから、問題無いんだって」
「問題無いって、お前なあ……」
自己犠牲。ベタベタの権化みたいな、霊夢の思いと、行動。
陳腐だ。
ああ陳腐だ!
そう考えていれば、無闇に心動かされなくて済むから、そう考えるのが妥当なことだと私は思って、今日一日、じたばたと足掻いてきたのだ。
あらゆるベタを憎み、恨み、忌避し続けてきたつもりだった。
「なによ、嬉しくないわけ?」
「それは……ぞっ、ぞれ゛ばだな゛ぁ……!」
嬉しいに決まってる。
現に私は、バカみたいに嬉し泣きをしてしまっている。
女の涙は貴重なんじゃなかったのか。
こんな無様の姿を晒さないがために……私は……。
「ほら、冷めちゃうでしょうが」
と。
霊夢はまるで、肉じゃがの方が大事だ、とでもいうように、私の肩を叩いてから居間へ戻る。
……私は気の抜けた身体を無理やりに動かし、それに続いた。
ずい分長い時間が経ってしまっていた気がしたけれど、ちゃぶ台の上では味噌汁がまだ、かろうじて湯気を上げていた。
ちゃぶ台を挟んで座り、二人揃って箸を手に、
「いただきます」
「……いだだぎます」
声をあわせる。あっちゃいないけど。
ぱくぱくと勢いよく白米を口に運ぶ霊夢と、目の前の肉じゃがを、私は交互に見つめた。
「黙って見てないで食べなさいよ」
「……う゛ん、いや」
「なによ?」
「…………」
これで良いのかなあ、なんで、こういう話になるのかなあ、という気持ちが一瞬よぎったけれど、それもすぐに掻き消えた。
優しい色の肉じゃがと、真っ白のご飯が、美味しそうだ、って素直に思ったんだ。
だから――
「……はんぶッ」
「ん?」
「……はんぶんこ、な?」
待ってました、といわんばかりの笑顔。
どこまでもベタな私と、霊夢だった。
<完>
ベタな二人がベタベタしててモアベター。
初心に帰ってみるのも一興ということで
いいなあ、この雰囲気すごくいいなあああ!
良いお話をありがとうございました。
べたべたな話でしたが目から汗が
やはり王道はいいものだ
凄いね。
ああ、いいな、いいな。この空気大好きです。
これを読むことが出来て本当に良かった!
良いじゃないか。良いじゃないかベタ!
本当に、本当にありがとうございます!
ベタ最高!
やっぱりお姉ちゃんは霊夢でした。