小悪魔がパチュリーを呼んでいた。
なんせいろんな種類の奴が来る図書室だ。館外の来客があれば呼ぶようにあらかじめ言いつけておいた。面倒とは思いながらも、天井近くにいた彼女は本を一冊だけ抜き、深海魚のように身を翻して床に足をつけた。そのままゆったりとした動きで本の海を歩いて横切っていく。あんまり室内でぴゅんぴゅん飛び回るのも嗜みに欠けるし、図書室にそぐわない。景色が止まっていてこその図書室だ。もちろん戦闘時は別として。
入口に着くと、小悪魔がパチュリーに来客を告げた。小悪魔の朗らかな顔の向こうにはアリスがいる。たぶん空気が悪いせいだろう。知らない場所に放り出された猫のように、顔をしかめている。彼女とパチュリーの接点は乏しく、宴会で何度か顔を合わせるくらいだった。
パチュリーは彼女のデータを頭の中で洗いだした。
アリス・マーガトロイド。
・常識人。
よろしい。パチュリーは一項目で検索を止め、とりあえず無下には扱うまいと心に決める。
アリスは少し落ち着かない様子で、視線を奥の本棚の方へさまよわせていたが、やがてパチュリーに視線を止めると、「調べ物がしたいのだけど」と少し早口で言った。警戒心の強い動物のようだった。
「どうぞ、お好きに」
パチュリーが言うと、アリスは頭を下げて奥へ歩き出す。小悪魔が案内をするために、洋燈を持ちながらアリスの後に付いていった。二人の姿が本棚の暗がりへ消えていった。パチュリーも一緒に行こうかと思ったが、どうも邪魔になりそうなので、そばにあったテーブルに着き、持ってきた本を読み始めた。大して接点もないし、白々しいやりとりをするのは疲れそうだ。
それから30ページも読み進めたころ、湯気の立つカップが音もなく目の前に置かれる。置かれる位置から角度まで、静物画のような構図を保っていた。顔を上げるまでもなく咲夜だ。「ご苦労さま」。独り言のように呟く。
「珍しいお客様ですね」
「そうね。でも図書室に意外な顔ではない」
なんだかやりづらい奴だけど、とパチュリーは心の中で付け足す。魔法使い同士は相性が悪いと言われている。陰気な性質が多いから。月が二つあっても、結局は真っ暗なままだ。
咲夜はそんなパチュリーの内心を故意にか天然かで無視して、丁寧に三人分のカップとスコーンを並べて姿を消した。パチュリーは並ぶそれをちらりと見て、アリスは多分食べないで帰ると予想する。
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彼女の予想は当たった。お茶を勧めると彼女は丁重にそれを断り、人形達に本を抱えさせてせかせかと出て行ってしまった。そして彼女の分のスコーンは小悪魔がいま喜んでかぶりついている。幸せそうな小悪魔の邪魔をするのも少し気が引けるが、パチュリーは尋ねるべきことを尋ねた。
「それで、どんな本を見てたの?彼女」
「ええと」
小悪魔はジャムのついた口元を慌てて拭い、「あまりたちの良くない本でした」と答えた。
「黒魔術とかそういう部類です。そこの棚の前まで案内をしましたが、アリスさんはここまででいいとおっしゃって…」
黒魔術。パチュリーはアリスが藁人形も遣うことを思い出した。続いて浮かんだのは、髪の毛が伸びる呪いの人形だった。あまり気持ちのいい話ではない。日向に置けばたちまち退散しそうな類のものだ。
「人形と黒魔術って、オカルトまっしぐらね」
「肝試しの仕込みですかね。誰かおどかしたり」
「本物がよく宴会で飲み食いしているのに?誰も怖がりゃしないわよ」
単なる興味で調べるにしては、アリスにいささか余裕が感じられない。彼女の意図が読めない不気味さを感じながら、パチュリーは紅茶を飲む。自分に被害が来ることはまずないだろうから、そのことは忘れることにした。パチュリーはぱたんと本を閉じ、一緒に気持ちも切り替えた。
「期日を過ぎても返却に来なかったら教えてちょうだい。それから」
「呪いの人形関係で何か面白いことが起こったら報告します」
「よろしい」
それだけ言うとパチュリーは立ち上がり、立ち並ぶ本棚の中へ戻っていった。背後から小悪魔が茶器を片付けるカチャカチャした音が聞えてくる。
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一週間が過ぎ、アリスの訪問はパチュリーの記憶から薄れていった。
その日の平穏をはちゃめちゃに打ち破ったのは魔理沙だ。
パチュリーはいつものように本棚の間をぱたぱたと歩き回り、上へ浮かんで高い位置の本を取り、床に腰掛けて読み、を飽きることなく十何回もやっていた。読書を楽しんでいるようにはもはや見えず、端から見えれば警備員にでも見えたかもしれない。そのうちに彼女は、さっきから頭上をこそこそと飛び回る黒い影に気づいた。梁の後ろに回り込んだり、パチュリーの後ろに位置取りしたりと気を回しているようだが、箒が擦れることで時たま降ってくる煤で丸わかりだった。どうだ、伊達に掃除をしていないわけではない。
ここでは気づかないふりをして、本を盗むその場で取り押さえてやろうとパチュリーは考える。窃盗は現行犯逮捕が重要だ。彼女はすっと腰を上げる。
「水土符『ノエキアンデリュージュ』!」
「おわっ?!」
よく考えれば窃盗以前に延滞犯だった。振り向きざまに放った水弾の連発が、強化された梁を穴空きチーズみたいに容赦なく削る。魔理沙はいったん本棚の間に降りたようなので、パチュリーはこの隙に天井に信号弾を放ち、小悪魔に合図を送った。
すぐに入口方面から、ダイヤモンドを組んだ妖精が何組か現われ、立ち並ぶ本棚の間へ奥から順に次々に射撃を加えていった。パチュリーはふわりと浮かび、埃の積もった本棚の天頂面をずらりと見渡す。暗がりに潜んだ黒っぽい奴は見つけづらい。魔理沙とか、あの嫌われ者の甲虫とかね。パチュリーはしばらく目を凝らしていたが、やがて目が疲れたので作戦を切り替えることにした。いったん妖精達に退避の命令を出す。彼女らは統制の取れた動きで速やかに来た方向へと戻っていった。丁寧に訓練をつけてくれた美鈴に感謝したい気分になった。それとも単によっぽど暇なのだろうか。
「『アグニシャイン』!」
パチュリーはスペルを行使すると、無差別に火炎をばらまき、魔理沙をあぶり出そうとする。あらかじめ室内全体に保護のまじないをかけておいたからこそできる荒技だ。パチュリーは特に隅っこには念入りに炎を放った。あっという間に、図書室の中は審判の日のように、火明かりに照らされた。本棚の作り出す影が巨人のようにあちこちで揺らめいていた。
着弾した魔力の炎は、何も燃やすことはないが熱を発して燃え続ける。上から見下ろしすと、本棚の間はほとんどが格子状の火の海だ。パチュリーは外の世界のボンバーマ何とかを想像した。室内はすでにサウナのように暑くなっていたが、それでも魔理沙が出てくる気配はなかった。あれくらいで焼け死ぬはずはない、とパチュリーははたはたと胸元から風を入れながら辺りを見回す。と、乾燥した空気が障ったのか、しきりに咳が出てきた。いったん高度を落とし、火のない床に膝をつきながら涼しい空気を肺いっぱいに取り込む。俯いた拍子に汗の珠が床にぽたりと落ちた。
「残念だったな」
背後の炎の中から声がする。慌てて振り返ると、魔理沙は四方を、冷気を吹き出す球に囲まれながら悠然と姿を現した。
「たまにはこれも使えるもんだぜ」
しまった、とパチュリーは思う。その魔法の存在をすっかり忘れていた。魔理沙はさっと箒にまたがると、まだ呼吸が整わないパチュリーの首を子猫か何かのようにつまみ上げ、そのまま弾丸となって入口の方へ飛び始めた。
「壁にでも……ぶつける気?弾幕ごっこじゃない…肉弾戦で私を痛めつけたら……レミィが黙っちゃ…いないわよ…っ」
「なに、お前にはちょっと退場しててもらうだけさ」
パチュリーは考える。たぶん魔理沙は、私をどこかに置いてきて、それから自分だけ戻って悠々と盗みをやるつもりだ。確かに私は飛ぶスピードで魔理沙には敵いそうもなく、屋敷の外にでも放り出されたらコイツに十分な時間を与えてしまう。スペルが使えるようになるにはもう少しかかるし、この状況だと、小悪魔も魔理沙を私ごと撃てそうにない。
パチュリーは敗北感を感じながら、目の前の図書室入口を見る。ぐんぐん迫る四角形。だが、速度が心なしか遅くなってきたような気がする。気のせい?いや、気のせいではない。現に小走りくらいの速度しか今は出ていない。
「な、何だこりゃっ」
見ると、魔理沙の箒を無数の人形達が引っ張っていた。
「アリス?!」
魔理沙が叫ぶと、一番入口に近い本棚の影から、ひょっこりと姿を現した。どういう心境の変化やら、今日はパチュリーに向けてひらひらと手を振りかけてきている。
「まかせなさい!」
「ああ、もう、箒が痛むっ!ってうわっ!」
本人も気づかないうちに、箒の軌道がずらされていて、目の前には入口ではなく壁が迫ってきていた。間一髪で魔理沙は箒の先を垂直に立てるようにして止まる。勢いでパチュリーはべたんと床に落とされる。遅れて魔理沙もその姿勢のまま床にずりずり落っこちる。
ぼてん。背中からひっくり返った魔理沙の回りを、槍で武装した人形が取り囲んだ。
「分かったよ」
魔理沙は仏頂面の極みで両手を挙げた。
「降参だ」
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魔理沙には換気のために窓を全て開けさせた。それを済ませると魔理沙は、テーブルの空いた椅子に座り、咲夜が用意したスコーンをつまみ上げ、紅茶のカップを手元に引き寄せる。何という図々しさ、とパチュリーは思った。それは小悪魔の分だ。
泣きそうな小悪魔には、正常な時間の流れの中では見えない誰かが新しい分を置いていった。同時に何かお茶に細工をされたらしく、魔理沙が辛いと喉を押さえ、テーブルに突っ伏した。
アリスはそんな魔理沙を尻目に、しきりとパチュリーの体調を気にしてくる。この前とはまるで違う態度に、パチュリーは違和感を覚えるものの胸中悪い気はしなかった。
「お前な、少しは私の心配もしたらどうだ。これ絶対何かヤバイもの入ってるぞ。塩酸とかそういうのだ」
「それよりアンタねぇ。人さらいにまでなったの?あんな真似して、人をどこかにぶつけたりしたらどうする気よ」
「ぶつけてないだろ」
「もしもの話よ。考えなさいよ野良」
「わーったよ、都会人」
「それで、こいつの処遇はどうするの?」
「え?」
虚を突かれたようにパチュリーが顔を上げる。そういえばそうか。今日は私が勝ったことになるのか。
「うーん、本を全部返す、とか」
「それだけ?」
信じられない、という風にアリスが言った。
「それじゃペナルティにならないじゃない」
アリスの言うことは最もだったが、他にいい案も思いつかない。
「小悪魔、何か案はある?」
「わ、私ですか。妹様の遊び相手になってもらうとか」
「普段からやってるよ」
「うーん」
「それじゃあ私の好きにしてもいい?」
今日、魔理沙を捕まえられたのはアリスのお陰だった。パチュリーは当然こくりと頷く。
「じゃーん」
アリスは懐から藁人形を取り出し、テーブルに置いた。パチュリーはふと本の一件を思い出す。と、カウンターに何冊か覚えのない本が積んであるのが目に付いた。今日のアリスはやはり本を返しに来たのだろう。瞬く間にアリスはぶちん、と魔理沙の髪の毛を抜いて人形の中に埋め込む。
「これの実験台になってもらいます」
「いて……おい!洒落にならないぞそれは!」
「あぁ、大丈夫よ。新型だから」
彼女は躊躇いもなく手近にあったペンで藁人形の腕の辺りを一息に刺した。
「ちょっ!!………って、え」
と、魔理沙の腕から、にょろんと一本長い毛が生えた。乙女の腕には当然似つかわしくない。呪いの藁人形か毛が伸びる人形かと思ったら折衷案でそう来たか。小悪魔がげんなりした表情で呆れた声を出す。
「うわ」
「えええええええええ!!」
魔理沙は腕を抑えて大声を上げる。引っ張ってみてもなかなか抜けない。ぷちん、とこちらにまで聞える痛そうな音を立てて、ようやくのことで毛が抜けた。なんだっけ、外の世界にこういう風習があるらしいけど。確か『植毛』の『こまーしゃる』でよく若い女性がやっているらしい。
「さて、どんどん行こうかしら」
「待て、待て、お前、これも洒落にならないぞ。おい、どこ狙ってんだ、おい」
魔理沙が怯えきった表情でアリスの袖を掴んでいる。地味に恐ろしい呪法だとパチュリーは思った。いや、有効に使えなくもないのだろうが、あんなにふてぶてしい毛だと毛髪なんて器には到底収まりそうもない。どのみち天パだ。この場合は人工だけど。
アリスは魔理沙を無視するように、パチュリーににこやかに話しかける。
「さて、パチュリー。この前借りた本、そこに置いておいたから。今日はこれでお暇するね」
「あ、はい」
「おい、待てよー、やめろよー、その人形離せよー」
もはや魔理沙は半泣きだった。アリスが立ち上がると、彼女もいっしょに立ち上がる。
「ちゃんとパチュリーに本返す?」
「返すってば。とって返して返すから」
「ふふっ、どうしようかしら」
二人はそんな会話をしながら、入口の方へ向かっていった。
「ありがとう…アリス」
パチュリーがそう言うと、アリスは振り返って横顔を見せ、手を挙げた。
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「アリスってさ」
「何ですかパチュリー様、早くも恋ですか。チョロすぎませんか」
すぱん、と小悪魔を平手ではたいておいた。
「魔理沙と一緒だと印象変わるのね」
「人見知りするタイプなんじゃありませんか?」
そうかもね、と答えてパチュリーは紅茶を口に含む。
「ああいう感じだったら、仲良くなれそうかも」
小悪魔はそれを聞いて目を細める。
「パチュリー様はレミリア様といい、ある程度押しの強い方と相性がいいんですよ。友達は多いと楽しいです。私だって魔界には百人友達がいて、百人でお弁当を食べるんです」
「一人ハブられてるのはあんたかしら?」
「違います」
会話をする彼女らの後ろで、アリスの返していった本――騒ぎで山が斜めに崩れていた――の一番上の一冊が滑り落ちた。下から出てきた二冊目には、黒い革表紙に金文字でタイトルが書かれている。
――『死霊魔術』。
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翌日。魔理沙が夜逃げのようにでかい風呂敷を背負って紅魔館にやってきた。「本を返しに来た」と何度言っても、美鈴がなかなか信じてくれなくて大変だったそうだ。
パチュリーはメモを参照しながら、風呂敷に包まれていた40冊ほどの本を点検した。
「まだまだ足りない」
「勘弁してくれ」
突っ伏していた魔理沙が顔を上げると、ひどい隈だった。それから赤く腫れている点がいくつか。毛を抜いた跡だろう。
「それでも徹夜で引っ掻き回した」
見ていて可哀想になってきたので、今回はこれで勘弁することにした。なにも体裁の問題なので、一部でも返してもらえればそれでいい話だ。小悪魔を呼び、本を棚に戻すよう言う。
「あいつ、実験だからってやたら高いテンションで人に毛を生やしやがった」
「魔理沙、ここにも一本」
「痛っ!……まったく」
肌が荒れる、とこぼして魔理沙が苦笑いをした。確かに苦笑いでもするしかない状況だ。
「にしたってアリスがいるなんて聞いてないぞ。お前らいつの間に仲良くなったんだよ」
「あぁ、それはたまたま彼女が本を返しに来ていたから」
パチュリーはカップを傾け、続ける。
「それにあまり仲良く無い。貸し出しの時は全然愛想がなかったもの。だから昨日のアリスにはびっくりした。ちょっとだけ」
魔理沙はきょとんとした表情をする。
「そうか?私はてっきり、お前がいるとああいう感じになるのかと思ったが」
「へ?」
話がおかしい。彼女は魔理沙といると元気になるのではないのか?
「普段の彼女って、ああいう感じじゃないの?」
「いや――」
魔理沙は少し思案して言った。
「もっとむすっとしてる。『じゃーん』なんて酔ってても言わないタイプだ」
「新しい藁人形が完成して、軽い躁状態だったとか」
魔理沙は腕の赤いところをパチュリーに示した。
「これで?」
こんなもんを作ってか、それこそ異常だぜ、と吐き捨てるように言ってから、魔理沙はカップを傾ける。だからそれは、小悪魔の分だ。
*******************************
「こんにちは、パチュリー」
アリスが素敵な微笑みを浮かべながら図書室にやってきたのは、その翌日の午前だった。
「あらアリス、いらっしゃい」
自然と、こちらの受け答えも愛想が良くなる。相手がバスケットを下げていれば尚更だ。アリスがバスケットをテーブルの上に置いて覆いを取ると、中からまだ温かいバタークッキーが姿を見せた。
「どうしたのこれ?」
「本を借りたお礼がまだだったから。あなたのところのスコーンには負けるかも知れないけど」
バターの匂いを嗅ぎつけた小悪魔がいち早くやってくる。彼女にお茶を淹れさせ、三人はテーブルに座る。クッキーを前に、パチュリーはふと、先日の魔理沙の言葉を思い出した。
――『アリスは普段はもっとむすっとしている』。
私は担がれたに違いない。魔理沙の言うアリスは、今のアリスからは想像できそうもない。あるいはイメチェンか何かに成功したのだろう。幻想郷ではよくあること。
パチュリーはそう結論づけると、クッキーに一枚手を伸ばした。噛むと甘くて香ばしい。何かのハーブがほんのわずか加えられていて、それが例えようもなくおいしさを膨らませている。思わず続けざまに手を伸ばすと、小悪魔の手とぶつかった。アリスはそれを見ながら微笑む。小悪魔は鞍替えしそうな調子で言った。
「とってもおいしいです、アリスさん」
ふと小悪魔を見て、先日アリスが借りた本に紛れた一冊、『死霊魔術』を思い出す。この前のドッキリ藁人形に、ネクロマンシーを使う要素はパチュリーの思うところでは一片もなかった。アリスはあの本を何に使ったのだろう。
不吉な予感を打ち払うように、パチュリーはお茶のカップを傾けた。
「……」
それ自体はとてもおいしいクッキーだったが、たまたま今日のお茶がハーブティーだったために、相性は最悪だった。パチュリーは顔を最小限しかめたあと、「あら」と何でもないように言う。幸い、アリスはまだお茶もクッキーも口にしていない。
「ちょっとハーブティーだと勿体ないわね。棚にあるとっておきの紅茶を淹れてちょうだい」
同じことに気づいたらしい小悪魔がぱたぱたと普通の紅茶を淹れに戻る。ハーブティー、という言葉にアリスも何かに感づいたらしく、申し訳なさそうな顔をした。
「いいの。こっちが悪いんだから」
そう言いながらも、パチュリーの胸には黒い波紋のように良くない予想があれこれと渦巻いていた。そんなパチュリーの様子を見て、アリスはどことなく寂しそうな表情を作った。
*******************************
午後。アリスが帰ってしばらくすると、今度は魔理沙がやってきた。今日も小さな包みを抱えている。魔理沙らしからぬ殊勝な態度だ。植毛がよっぽど恐ろしかったらしい。
「ほれ」
魔理沙から本の包みを受け取ったが、小悪魔はシエスタとかなんとか言いながら引っ込んでいるので、カウンタの上にそのまま置く。
魔理沙の顔色が優れないことに気づいた。そう指摘する前に、魔理沙は向こうから話を切り出してきた。
「さっき文と弾幕勝負をしてな」
「あなたは平穏に暮らせないの?サイヤ人なの?」
魔理沙は無視して話を続ける。
「それで、賭けをしたんだ。あいつが勝ったら私に密着取材。私が勝ったらここ最近のとっておきのスクープ写真をこっそり譲るって。…それで私が勝った。いや、勝ったってよりあいつはやっぱり本気じゃなかった。それで渡されたのがこの写真だ。どのみち記事にできそうもないが」
魔理沙は白黒の写真を手渡してきた。アリスの家が写っている。窓からは着替えてる最中のアリス。
「ねえ、これって単なる盗撮…」
「いいからよく見てみろ」
目を凝らしてみてみると、着替えているアリスのすぐ後ろに、おかしなものが写り込んでいた。金髪で、焦点を失った碧眼、力なく垂れた首。
「…どういうことよ、これ。アリスが二人?」
「さあな。ただ単に等身大の人形を作っただけかも知れない。だけど、最近のアリスの様子がおかしいことを考えると、あまり穏やかじゃない。なあ、パチュリー、一体あいつは何の本を借りたんだ」
「『死霊魔術』――」
パチュリーの中でがちんと歯車が噛み合う。たぶん、あのアリスは人形の方だったのだ。死霊が取り憑いた動く人形。はじめに本を借りに来た無愛想なアリスが恐らく本物。
「で、どうする?」
同じ考えに至った魔理沙が聞いてきた。
「このまま知らんぷりして人形の相手なんてできないでしょ」
パチュリーは手近な紙にさらさらと伝言を書き付け、魔理沙と連れだって外へ出る。
*******************************
魔法の森が暮れるのは早かった。
日が沈んだ途端、木々は影を無尽蔵に伸ばしはじめた。二人は地面に降り立つと、アリスの小綺麗な家の前に立つ。
「アリスー」
魔理沙が無遠慮にアリスの家のドアをノックする。握りこぶしで、五回。
「…誰?」
しばらく経つと、ぎぃっと戸を軋ませ、中からアリスがひょこんと顔を覗かせた。
「よう」
魔理沙は手を挙げて挨拶し、パチュリーは無言で頭を軽く下げた。二人を見ると、アリスはほっと息をつく。
「あんまりノックが乱暴だから、山賊か何かかと思ったわよ。ま、いいわ。入って入って」
アリスが二人を家に招き入れた。家の中は申し訳程度に火が入れてある。物の位置は分かるが、それが何かまでは分からない。今二人が抱いている危惧も危惧だけに、なんだか薄気味悪かった。後ろを歩きながら、魔理沙はパチュリーに「どっちだ?」と聞いてくる。分かるわけがない。ひょっとしたら首の後ろにネジとかチャックとかそういうものが見えるかも知れないが、生憎この薄暗さだ。
「どうしたの、二人とも早くいらっしゃい」
アリスが居間の戸を開け、二人が部屋に入る。アリスも押さえていたドアを放し、居間に一歩踏み入れる。
がしゃん!
その瞬間、アリスの身体から力が抜ける。彼女は膝から崩れ落ち、床に倒れ込んだ。
「お、おい!」
魔理沙がアリスに触れた。
「……パチュリー、これ」
パチュリーも魔理沙に習って、アリスの肌に触れる。一見、本物と同じ白磁のように透き通った肌だが、感触までも白磁だった。指先に伝わってくるのは硬い木の感触。二人は後ろを振り返る。居間の奥の暗がりの椅子に、本物のアリスが腰掛けていた。暗がりで、顔は見えない。そこに倒れているアリスと、全く同じ背格好と服装だった。
「…ばれちゃった?」
感情の読めない声でアリスは言った。
「ああ。何でこんな悪趣味な真似してるのか問い詰めに来た」
闇の向こうでアリスが溜め息をつき、がたんと音を立て椅子から立ち上がる。二人は思わず身構えるが、彼女は近くにあった洋燈に火を入れただけだった。
パチュリーは再び彼女と、傍らに倒れたアリス――アリス人形を見比べる。何の違いもそこには見受けられない。本物のアリスが若干疲れた顔をしている以外は。
「話すわよ。もう劇にならないもの」
*******************************
私は自律人形を完成させたい。
自律人形とは自分で考え、自分で行動する人形のこと。
――そう。メディスンがまさにそれね。もう少し安全な仕様にしたいけれど。
あれじゃあ研究だってできやしない。
人形遣いなら誰だって自律人形を夢見るわ。
それに、私は人形が好きだから、より優れたかたちを人形に与えたい。
それだけのことよ。でもそれはとてつもなく難しいの。
私のこの人形達だって、決して自律人形ではない。
私が定期的に命令を与えて、それらしく振る舞っているだけ。
自分で何かを考えてるわけでは決してない。
単なる命令の集積では恐らくどんなにこのやり方を洗練しても自律にはならない。
どんなに研いでみたところで、命令と自律は相反する。
それに気づいた私が次に目をつけたものがあったの。
それが降霊術よ。
――もちろん、こんなものは人形製作とは言えない。
ゾンビは自律人形に入らないもの。
試しにやってみたって言うだけ。興味本位よ。
もちろん少し怖かったけど。
まず小さいサイズでやってみた。
結果は…ただの呪い人形。
あれこれ暴れて、最後は人形が破裂。
死霊にとって小さい人形に押し込められるのはよっぽど嫌みたい。
次に等身大の人形を作った。
でも、どんなに等身大の人形を作ってみたところで、
彼らにしてみれば出来が悪かったみたいね。
サイズの問題より、写実性の問題なのかも知れない。
小さい人形の場合と同じ。
頭で歩こうとしたり、最悪、こちらに襲ってきたりもした。
精巧さを突き詰めてみてはどうか、と思ってやってみたのが、私の姿を写すこと。
――途中から、フランケンシュタインを造ってるような気分になってきた。
狂気を孕んだ高揚ってヤツね。
ようやくのことで完成した私に、私の記憶と性格を擦り込んで、動かしてみた。
設定した通り、彼女は私の方を人形だと思いこんだ。
それからパチュリー、あなたのところで借りてきた本を返しに出掛けていこうとした。
記憶の整合性もあったし、行動にも不審な点は何もなかった。
私は止めずに、そのまま出掛けさせたわ。
唯一計算外だったことは、そいつが帰ってきた時に知った。
私の真似をして戦闘ができるのは期待以上の仕上がりだったけど、
それから、そいつは人形に言い聞かせるみたいに――事実そのつもりで――、
私にパチュリーや魔理沙のことを話した。
信じられる?そいつは…私より上手く私をやれていたのよ。
元になった死霊の性格なのか、何か設定に間違いがあったのか、
とにかくそいつは私以上にあるべき私だったの。
私はいったいどうすればいいんだろう。
このまま、こいつがアリスになった方がいいんじゃないか。
そう思って私は、一日だけのつもりだったすり替わりと試運転を延ばした。
一日延び、二日延び。
その度に、こいつが私以上なんだってことを感じながら、だまって話を聞いてた。
そうしてたらなんだか、入れ替わるタイミング、見失っちゃった。
*******************************
ぽつり、ぽつりと話を終えたアリスは俯く。魔理沙は腕を頭の上で組んでいたが、聞き終えると実に無遠慮な一言を言った。
「お前、莫迦だな」
「好きに言ってよ。こんなことに手を出した私が莫迦だった」
「こんなもんはな」
魔理沙は言うと、人形のアリスの方に近づいた。
「ちょっと、魔理沙?」
パチュリーは魔理沙が本人の前で人形を壊すのかと思い、止めようとする。だが魔理沙はポケットからゴムを取り出し、人形の髪を手早く束ねてポニーテールを作った。それから彼女は人形の服に手を掛けた。
「よし!人形の服を ぬがせてやるぜッ!あそこが本物と同じかどうか 見てやるッ!」
「ちょっと、魔理沙っ!!何してんの、やめなさいよ!」
訳の分からない台詞を言う魔理沙を、アリスが顔を真っ赤にして止めに入った。パチュリーはすっかりうろたえてきょろきょろしている。
「服!」
人形の服を剥ぎ終わると、魔理沙がアリスに大声で言った。
「今アンタが脱がせたんでしょーがああ!!」
「いいから違う服だってば!」
アリスは「ああ、もう」と、ブツブツ言いながら、小走りにクローゼットのある自室へ向かっていった。
「ねぇ、魔理沙、何をする気なの」
「こんなもん、同じ格好だからあいつが変な考えを持つんだよ。あいつはあいつだし、人形は人形だ。あいつはただ人付き合いの良い人形を作っただけだろーが」
「そう考えれば、まあ確かに」
「だろ」
パチュリーは魔理沙の顔を、頼もしげに見る。厄介ごとを綺麗さっぱり粉砕するのは、やっぱりこいつの役割らしい。
アリスが服を二着抱えて持ってきた。魔理沙は適当な方を人形に着せる。人形の印象はそれでだいぶ変わった。2Pコスのアリスといった趣だった。
「後は目鼻立ちを少しいじれば、姉妹程度の似方に落ち着くんじゃないか?」
「………」
アリスはしばらく人形を見下ろしていた。
「まあ、お前もいろいろ思うところはあるだろうが、っておい待て!」
アリスは懐から札を一枚出すと、人形の顔に貼り付けようとした。博麗印の除霊の札だとパチュリーは気づく。確か宴会の時に幽々子が面白がってつけていたが、たぶん並の死霊には効くのだろう。魔理沙がアリスの腕をすんでのところで掴んで止める。
「放してよ!」
「おい、人の苦労を水の泡にする気か」
「だって、そいつは自分が私だと思ってる。なのに自分が人形だったなんて知ったら、発狂しちゃうかも知れないもの!そんなもの見たくない!こうするしかないの。私が悪いの!これ以上こんなの見たくない、だから放して!」
もがくアリスの前に、部屋の隅から何かがやってきて立ち塞がった。いつもアリスが使っている人形達だ。さらにそいつらはアリスの手に飛びかかって札をひったくってしまう。
「何よアンタ達!鞍替えする気なの!?私よりそいつが大事だって言うの!」
「落ち着けよアリス!」
パチュリーは人形のアリスがうっすら目を開けたことに気づいた。
「二人とも、静かに」
天井を見ながら、『彼女』はぽつりと呟く。
「知ってたよ」
「え?」
「私の話を聞きながら、あなたは泣いてた。だから知ってる」
アリスの身体から力が抜ける。彼女は人形の首に抱きつくと、しばらくの間、嗚咽を漏らした。
「……ごめんなさい、ごめんなさい…」
「人形は泣けないもの。それでも楽しかったから、私はずっと、あなたの気持ちを知りながら動いてた」
人形はそっとアリスの頭に手を乗せる。
「ありがとう、二人とも。ごめんね、アリス」
錯覚ではなかったと思う。人形の声には、しっかりとした慈愛の響きがあった。
*******************************
「私が午睡を楽しんでいる間にそんなことがあったのですか」
「あんた、朝まで寝てたでしょうが」
パチュリーが夜に図書室に戻ってくると、伝言には触れられた形跡もなく、火も入っていない室内は真っ暗だった。げんなりした彼女は自室に戻ると、早々に眠った。小悪魔に昨日の顛末を話したのは今朝になってである。
「それで、アリスさんとその、人形さんはどうしたんですか」
「さぁてね」
二人が上手くやれそうな気もするが、結局はアリスの度量次第だろう。
と、階段から美鈴が顔を出した。
「パチュリー様、お客様です。アリスさんと、えぇと、その、ご姉妹?」
美鈴を労ってから、通すように言う。それから、パチュリーは思わず小悪魔と顔を見合わせる。やがて足音が二つ聞えてきた。
今日の『アリス』は、帽子を被り、本物よりも少し活動的な格好をしている。入口に並んで立つと、人形の方がにこやかに笑った。
「こんにちは」
よく見ると、アリスが手を加えたのか、目鼻立ちが本物よりも少し大人びている。そのせいか、どちらがより姉かというと一発で分かる。アリスは無愛想な表情をしながら、小さな早口で「こんにちは」と言った。
『アリス』はアリスを窘める。
「アリス、表情が硬い」
「こう?」
アリスはふっと微笑んだ。
「そうそう、そんな感じよ」
『アリス』はパチュリーの方へ向き直った。
「でね、アリスが調べ物をしたいんだって」
「ええ、もちろん。私が案内するわ」
パチュリーが立ち上がり、二人を奥へ案内する。小悪魔はそんなパチュリーを見て意外そうに後を追いかける。
「人形が人形遣いを遣ってるみたいですね」
人形人形遣い遣いだ、うぷぷ、と笑いを漏らしながらパチュリーの傍らを飛ぶ小悪魔が言った。
「いつまでもあの調子じゃないわよ。アリスの奴、たぶん悔しくなって意地でもにこやかになる」
後ろの二人に聞えないように、パチュリーがボソボソと言う。
親しい友人が増えた、とパチュリーは思う。妙に人付き合いの良い呪い人形と、これからそいつを見習って人付き合いが良くなりそうな奴。そういえば、いつまでも『アリス』じゃ勝手が悪いし、名前を後で聞いておかなくては。
彼女たちが書庫へ歩いていく頃、テーブルの上にはスコーンとカップが既に四人分きっちりと並んでいる。そうして狼の口を開きながら、彼女たちの茶会を心待ちにしている。
題材故ですかねぇ。
結構面白いですよ
アリスが序盤で少ししかでてなかったせいか、人形が登場してからのアリスの心情に
共感しにくかったのかも。
パチュリーが可愛い!
また、あなたの作品が読めてよかったです。
新しいタイプのお話ですね!
フランケンシュタインはつくった者であり、つくられた者じゃあ無いから
この作品だと、アリスがフランケンシュタイン
つくられた者には名前が無いです
こんなアリスもいいですね。
ジョジョネタは吹いた。
あとスコーンってそっちかwww
終わり方も明るくて大変面白かった
それに最後は3魔女が仲良くしてる場面も俺的にポイント高いですね
個人的にはもうちょっとキツい終わり方が良かったかな。
まあ個人嗜好の範疇で。
ほんもののアリスかわいいじゃないか。
そしてこの作品のパッチェさん、なんか好きです。どこか人間臭いというか。
最後に、もう言ってる人がいますが我慢できなかったので。
スコーンってそっちかい。