強烈な閃光がほとばしる。
直径十メートル以上、長さ数百メートルに達するエネルギーの柱が湖面に突き刺さり、水蒸気爆発とともに盛大な水しぶきをまきちらした。
湖に住む魚や妖精にとっては迷惑な話だろうけど、当たり所が水面だったのは幸い。湖畔の林や館に直撃していたら大惨事となっていた。
「きりきりばたーん……」
閃光の直撃を受けた被害者Aはきりもみしながら墜落して、べしゃりと地面に叩きつけられた。
「擬態語は口に出していうものじゃないぜ」
即座に犯人Aが軽口を叩く。命があるかの心配は無用だ、このくらいで死ぬタマではないのは先刻承知している。
「また負けたぁ」
被害者A、紅美鈴は衣服をあちこち焼き焦がされて扇情的な姿をさらしている。並の人間なら、扇情的どころか猟奇的な姿に成り果てるであろう攻撃を受けても彼女はぴんぴんしている。肉体的なダメージとしては大したことがない、それよりも力と力のぶつかり合いに敗れた精神的ショックのほうが重大だ。
「また勝っちまった」
犯人A、霧雨魔理沙は得意げにそう言い放った。余裕しゃくしゃくに見えるが、実は僅差の勝負だった。数年前に初めて手合わせしたときには軽く撃破できた美鈴だが、最近は妙に力をつけてきている。魔理沙の最強のスペルでも一撃だけではケリがつかなくなってきた。
そろそろ魔術のバリエーションを増やさないとな。次は誰の技をパクろうか。などと考える魔理沙であった。
「覚えてなさいよー」
典型的な負け台詞を放つ美鈴を尻目に、魔理沙はやすやすと館への侵入を果たす。目的地はいつもの場所、紅魔館地下の大図書館。
午前中に来たのは正解だった。よい子の夜型吸血鬼たちはそろそろおねむの時間で、口うるさいメイド長が邪魔しに来る気配もない。たまに見かける妖精メイドたちは、魔理沙の姿を見るなりきゃっと叫んで物陰に隠れてしまう。何かの異変で気が立ってるときを除けば、基本的に臆病な連中なのだ。
これでもかというほど広大な図書館を、箒にまたがって悠々と飛んでいく。
「本当にザルだなここの警備は。なあ?」
本棚の合間に隠れて様子をうかがっていた、司書の小悪魔に声をかける。彼女はぎくりとした顔になって、魔理沙に背を向けて奥のほうへ飛び去っていく。
「パチュリー様っ。あいつあんなこと言ってますよ」
どうやらあの小悪魔の主人はごく近くにいるらしい。声のするほうを覗いてみた。
「そう、じゃあこの図書館の守りは万全であると見せつけてあげなさい。あなたが」
そっけなく言い放つ図書館主、パチュリー・ノーレッジ。いつものことだが彼女の視線はずっと手元の本に注がれている。
「いやその。死んで来いとおっしゃいますか?」
顔の前で両手を振り、全力で拒否の意を表明する小悪魔。
「ただし本を散らかさないようにね、あと図書館では静かに。さあ、あの不埒なネズミを退治してきなさい」
「ふええ……」
悪魔といっても所詮は小悪魔。幻想郷の人間のなかでは最強の魔法使いに太刀打ちできるはずもない。もちろんパチュリーもそれを分かってて言っている。
「いじめ、カッコ悪いぜ」
思わずツッコミを入れてしまう魔理沙。顔を出してしまったあとで、こいつらのペースに乗せられちまったかなと少し後悔する。
「合意の上なのだから口出ししないで」
パチュリーの言葉にきょとんとする二人。彼女は読みかけの本をぱたんと閉じて魔理沙に向き合った。
「虐待だなんてとんでもない。ああいう言い方をしてあげると喜ぶの、うちの使い魔は」
「ひょっ?」
「そいつは知らなかった、ごちそうさま。私はなんだかお邪魔虫だな」
魔理沙は帽子を深くかぶりなおした。勝手に人格をおとしめられた小悪魔があわてて抗議する。
「喜びませんよ、ひどいですよ」
「ひどい? 本当にひどいことをするつもりなら、あなたの真の名を添えて命令を下すわよ。口先の言いつけだけで済ましてあげるのが、私の優しさだと知りなさい」
わけの分からぬ理由で叱責され、小悪魔は無言で小刻みに身を震わせている。
「いや、やっぱりひどいぞおまえ」
「つい楽しくて」
献身的に尽くしてくれる従者をつい面白半分に虐げてしまう。それが真の魔法使いという種族なのだ。
「パチュリー様ともあろうおかたが、なんでこんなへっぽこを飼育してるんだ」
「へっぽこ!?」
「大悪魔ってのはプライドの塊みたいなものだから扱いづらくて。へっぽこで充分」
へっぽこ悪魔は唇を噛み、涙目で立ち尽くしている。
「早くお茶ぐらい用意なさい」
「ひっ……ぐ……」
声にならない声をあげ、点々と涙を落として小悪魔は飛び去っていった。
「やべえ、あいつおもしろい」
「あげないわよ」
哀れな使い魔の後ろ姿を見届けてから、二人はお互いに視線を戻した。
「しかし、うん、さすがにやりすぎだな。主人が率先してイジるのはまずいだろ」
眉をひそめる魔理沙をパチュリーは薄目で見る。
「あの程度で罪悪感を感じるなんて未熟者。真の魔法使いたる者、こんな瑣末な事はどうでもいいの」
「おまえ、もう口きいてもらえないかもよ」
パチュリーは再び、小悪魔の去った本棚の向こうを見る。
「言われなくてもあとで慰めておくわ、あの子の機嫌なんて簡単に直るんだから。ぎゅっと抱きしめて、キスのひとつもしてあげれば」
「キ……ああもう、本気でごちそうさまだ」
突如として飛び出した過激な発言に、魔理沙はなぜかどぎまぎしてしまう。薄笑いを浮かべてパチュリーがさらにつぶやく。
「主人に優しくされたら無条件で幸福を感じてしまう、何をされたってわたしを嫌いになれない、そういう存在なの……ふふ、可愛いでしょ、あげないわよ」
危険。これ以上この話題は危険。そう感じた魔理沙があわてて話を変える。
「それよりだっ、今日は大ニュースがある」
そう言いながら持ち込んできた荷物をあさって、一冊の書物を取り出す。
「借りた本、返しに来てやったぜ!」
言い放つと同時に卓上に本を叩きつける。ほこりが舞い上がってパチュリーは何度かせきこんだ。
「えほっ、ちょっと、んっ、なんの嫌がらせよ」
「あ、や、わりいわりい。じゃなくてだ、この魔理沙様が直々に本を返しに来てやったんだぞ、もっと驚けよ」
それだけにしては妙に魔理沙の語気が荒い。パチュリーはひとつため息をついた。
「当然のことでしょう、なぜ驚かなくちゃいけないの。貸し主に感謝のひとことも言うのが筋じゃない」
「言うもんかよ。すっかり騙されたんだぞ、このインチキ魔道書にさ」
魔理沙は表紙をばんばんと叩いたあと、本を開いて付箋のついたページをめくる。
「何が植物成長の秘薬だ、バカ高い素材ばっかり要求しやがって。ほらこの『限りなく純粋なアルコール』とか、わざわざ外の世界の品を調達したんだぜ。それをさ――」
ぷんすかしながらも実験の手順を説明していく。
「――やっと完成したんで、うちで栽培してるキノコにかけてみたんだよ。そしたらたちまちしなびて枯れちまって。それだけじゃない、薬の蒸気でほかのキノコまでダメになっちまった。どうしてくれる」
パチュリーは魔理沙の言葉に反応せず、黙々と書を読み進めた。やがてぴたりと手が止まる。
「ヘルメス文書のアラビア写本ね、これ。元素式の構成も正確だし、とても偽書とは思えない」
「つっても現に……」
「ここ、調合の順番がはっきり書かれてないようだけど。どうやったの?」
不意に問いかけられて、魔理沙は唇に親指を当てて考え込んだ。
「ええと、どうだっけ。まあフィーリングで」
「はい、アウト」
パチュリーはぱたんと本を閉じた。
「あなたには魔道書を読む資格がない」
「ちょっと待てよ」
魔理沙が手を伸ばすと、視線だけでそれを制する。
「記載があいまいなのは、ここが重要ポイントだからよ。どこかに暗号化されたヒントがあるのか、あるいは同じ著者の別の本に答えがあるのか……いずれにせよ、思いつきでどうにかしようなんて論外ね」
説明されているうちに、魔理沙はどんどん口をとがらせていく。
「私はいつだって勘と経験でやってきたんだ。たいがいそれでうまくいく」
腕組みして胸を張る魔理沙に、パチュリーが今日何度目かの大きなため息をつく。
「あなたはとても優秀。だからそんな適当な方法でもそれなりの魔法薬が作れる」
「そういう褒めかたするやつは、絶対にあとでけなしてくるんだよな」
だまらっしゃい、とパチュリーは口の中で小さくつぶやく。
「駄目、全っ然駄目。才能が死んでる。宝の持ち腐れとはあなたのためにある言葉よ――」
ぎりっと魔理沙が奥歯をかみ締めるが、お構いなしにお説教は続く。
「――今のあなたは、立派な橋の隣におんぼろのつり橋をかけようとしているようなもの。まずは先人の知恵と、そこに寄って立つ理論を学びなさい」
「んだよ、急に教師みたいなこと言いやがって」
「こんなわがままな生徒は願い下げね。いいこと、嘘と真実を見極められない者に魔法使いは向いていないの」
魔理沙はちっと舌打ちして席を立ち、箒にまたがった。そこへちょうど小悪魔がやってくる。
「お茶です」
「いらねえよっ。代わりの本を探すからな」
言いながら飛び上がって、手近な本棚から魔道書を物色していく。
「うううう」
トレイを持つ小悪魔の手が震え、カップがかちゃかちゃと音を立てる。彼女の目は少し充血していた。お茶を運んでくるのに妙に時間がかかった事といい、給湯室でしばらく泣き濡れていたらしい。
「あれに出す飲み物なんてないわ。ここに置いて」
パチュリーが隣の席を引くと、小悪魔はしばらく迷うそぶりを見せたあとにおそるおそる席についた。自分のスカートをぎゅっと握りしめ、こぶしを震わせている。その上へパチュリーはそっと自分の両手を乗せた。はっとして顔を上げる小悪魔の肩におでこを当てて、何事かをささやく。
「……人前でいちゃつくな」
二人に聞こえないように独り言を言う魔理沙。本当は面と向かってを言ってやりたいのだが、どうも割って入れるような雰囲気ではない。正視するのも気が引けて、横目でこっそり様子をうかがう。
「うわ、顔が近えって」
熱く見つめあって何かをささやきあう二人。互いの顔面の距離は十センチを切っている……あ、いま抱き合った。さっきからなんとも表現しがたい胸騒ぎを感じていた魔理沙は、てめえらちったあ人目を気にしろと叫びたいのをぐっと我慢して、大急ぎで遠くの本棚に避難するのだった。
「変態だぁ、ホンモノの魔法使いはみんな変態だ、あんなもんにはなりたくねえよ。そう思わないか、なあ?」
少女宴会中である。
参加者わずか三名のこぢんまりとした宴で、魔理沙は開始そうそうにほろ酔いを通り越す勢いで酔っぱらっていた。
「どうしてそれを私に振るの。答えに困るじゃないの――」
魔理沙の知る、もうひとりの本当の魔法使いはそう言って手で追い払う仕草をした。
「――だいたい、パチュリーがどこか狂ってるなんて、前からわかっていたことじゃない」
笑顔でさらっとひどいことを言ってのける人形使い、アリス・マーガトロイド。彼女もまた特別な魔法使いのひとり、常にわが道を行くいい根性では余人のおよぶところではない。
「だからおまえに聞いたんだよぅ。お人形さんだけがお友達の、根暗な魔法使い様よお」
たちの悪いからみかたをしてくる酔っ払いに対して、アリスは眉間にしわを寄せる。
「馬鹿にしないでっ」
どんと机を叩いた勢いで小皿がひとつ転がり落ちた。アリスの操る自動人形たちが、すぐさまそれを片付けて流し場へ持っていく。
「ただの人形なんかじゃない、この子たちには心があるのよ」
「そっちが重要なのか」
「今はまだ不完全な、半分機械じかけのような精神だけど、いずれは完全に自発的な存在となるの、私の愛で!」
いきなり演説を始めるアリス。こちらもだいぶ回ってきたようだ。
「わかったわかった、ここにもド変態がいるってのがよーくわかった。どう思う? あやや」
「やめてください、その変な呼び方」
三人目の飲ん兵衛、背中にカラスの翼を持つ少女がおちょこを突き出す。おまえが自分で言い出したんだろ、と言いながら魔理沙は持参の酒を注ぐ。
「ん、ん、ぷはあ。あー、なんかこれクセになる」
とろんとした目になって射命丸文はひとりごつ。例の『限りなく純粋なアルコール』とやらはなかなか好評のようだ。これをゆずってくれた店主いわく『本来は燃料用で、人間が飲んだら目玉がつぶれるシロモノ』とのことだが、妖怪に飲ませる分には問題ないだろう、たぶん。
「どうよと言われても、アリスさんがどうかしてる人だってのはとっくに知ってます」
続けて文は、きゃははっと甲高い声でわらう。アリスはむっとした様子でそちらをにらみつけた。同時に彼女の隣の人形も同じ動作をする。明らかに、行動をシンクロさせて遊んでいる。
「こいつの駄目っぷりについてじゃない。魔法使いと言う種族全体のイカれ具合についてだ」
「実に魔理沙さん向きの進路ですね」
平然と答える文。酔った上での暴言か? いや、と魔理沙は考え直す。彼女はシラフでもそのぐらいは平気で言う。そもそも天狗ってのは種族的にいい根性してる奴らばかりなのだ。『謙虚な天狗』なんて日本語として矛盾している。
「私もおんなじくくりかよ……まあいいさ、それよりこりゃあスクープだぜ。貴社の記者が大好きな大スクープ、現代の魔女と小悪魔系ギャルの熱愛発覚だ」
手元のカメラをいじって、じーかしゃじーかしゃと空巻きしながら文は考え込む。
「そんな品性下劣なゴシップ記事……大衆が望むのなら仕方ありません。だけどまだちょっと話題性が薄いかなぁ。主従の間の歪んだ愛情なんてあの二人に限らないし、もっとこうネチョリドロリとした展開じゃないと」
「じゃああれだ、浮気話のひとつもあれば盛り上がるだろ。ひとはだ脱ぐぜ、アリスが」
ジャーナリストとパパラッチの境界をさまよう文に、後者の側へ魔理沙が一押しする。
「見えたっ、『ひとりの使い魔をめぐり、魔法使い同士が骨肉の争い』。これなら多少は人目を引ける、さすがです」
小さなお盆を持った二体の人形が、盛り上がる二人の後頭部を同時に殴打した。
「本人の前で密談するな!」
その後しばらく、マーガトロイド邸内に少女たちの笑い声が響いた。つまりはみんなハイになっているのである。
「それで、今日の強奪は収穫なしなの?」
何気ない風を装ってアリスがたずねる。魔理沙が紅魔館から持ち出す書籍の中には、ときおり禁書級の魔道書が混じっているのだ。たまに部屋掃除の手伝いと言う名目で魔理沙の家に押し入っては、貴重な蔵書の内容を人形の目に記録させている。
「強奪じゃない、拝借と言ってくれ。今日のブツは……こいつだ」
荷物から一冊の本を取り出して、表紙を二人に見せびらかす。
「おおっ。えー、あー、何語?」
書名を読み取ろうとして、文は即座にその試みを断念した。西洋文字はどうしても見慣れない。
「ふふん。ラテン語だよ、チミィ」
得意顔の魔理沙。ラテン語とアラビア語は西洋魔術師の必須教養だ、読めなきゃ話にならないから必死で勉強した。
「『サン・ジェルマンの遺産』ねえ。また怪しげなものを」
当然アリスにも読めるのだった。魔理沙は内心舌を打つ。
「サン……それなんだっけ、人の名前ですよね」
「おう。パチュリーの奴がさ、昔の魔法使いの業績も知っておけなんて偉そうにぬかすもんだから、とりあえず名前を知ってる有名人の本を借りてきた」
文は口元に手を当て、なにかぶつぶつ言っている。
「サンジェルマン、サンジェルマン……確かどっかで聞いたことが」
「へえ。お山の天狗も知ってるなんてなかなかのものじゃない、外の世界の魔法使いも」
――伝説の魔術師、サンジェルマン伯爵。生没年不明。18世紀のヨーロッパ社交界に彗星のごとく現れた男。
推定で二千歳以上、バビロニア大王ネブカドネザルと親交が深かったと語り、聖書外典に記された不死者『さまよえるユダヤ人』との関連性も指摘されている。
絵画、音楽、錬金術に優れる。特にダイアモンドの精製・修復を得意とし、ルイ15世の寵愛を受けた。一説にはカリオストロ伯爵の師匠とも言われる――
「で、その人のことを調べてどうしようというの、魔理沙は」
アリスが首をかしげる。文もうんうんとうなずいた。
「その本は外の世界のものでしょ。あちらでとっくに知られているようなことを調べても、あまりあてにはならないんじゃ」
魔理沙は開いたページをぱんと叩いた。
「こいつは単なるきっかけさ。何よりタイトルに惹かれたんだ、『遺産』って響きに」
「お宝でも掘り当てようというの。だいたいどうやって外に出るつもりよ」
幻想郷と外の出入りを管理している妖怪賢者が、遺産捜索ごときでほいほい許可を出すはずがない、とアリスは言おうとした。
ちっちっと舌打ちして魔理沙は指を横に振る。
「おまえはふたつの勘違いをしている。第一に、外の世界なんか行く必要はない」
特に二人から抗弁が出ないのを確認して、言葉を続けた。
「外の人間たちは、自前で発展させた技術を信奉するあまり、まるで魔法を信じなくなっちまった。そんな世界じゃ魔法使いもただの人間だ」
「知ってます。誰も妖怪を怖がらないような国じゃ妖怪は滅んでしまう。うちのお山の神様だって、外にいられなくなって移住してきたクチで」
自分だって知識では負けていないとアピールする文に向かって、魔理沙はびしっと人差し指を突きつけた。
「じゃあ聞くぜ、サンジェルマンはどこにいる」
「そんなの知るわけ……ああ、そっか。あちら側にはもういるわけがないと」
「だろう? この幻想郷のどこか、あるいはアリス、おまえの故郷の魔界にいるはずだ」
我ながらすばらしい推理だと悦に入る魔理沙に、アリスが再び疑問を投げかける。
「じゃあ仮に本人を見つけたとして、それでどうするの。実在するかも定かじゃない遺産とやらを、私によこせと迫るつもり?」
「ちっちっ、それが第二の勘違いさ。魔法使いなら誰だって自分だけのお宝を隠し持っている」
なにを言い出すのやらと言う顔のアリスと、それは初耳だと目を輝かせる文。
「自分だけが身につけたスペルの数々、それが私らの財産じゃないか。考えてもみな、いまやスペルカードルールは、冥界・天界・魔界にまで浸透してる。伝説の魔法使いと呼ばれるほどの男だ、とっておきの難スペルを編み出しているに違いないさ。私はその技をパクり、より強くなる……完璧な計画!」
口さがない者たちは、霧雨魔理沙を『魔法泥棒』と呼ぶ。
その異名は伊達ではない。名のある妖怪、魔法使いが長年かけて編み出した秘術を、魔理沙はいとも簡単にまねて自分のものにしてしまえる。彼女の天賦の才能とたゆまぬ努力は常に、楽して儲けるというベクトルに向けられているのだ。
「あのねえ。あなた、パチュリーの忠告を激しく誤解していない?」
「はん、私がこうだと思ったなら、世の中そういうものなのさ」
そもそも魔理沙は体系だった魔術の勉強などしたことが無い。自分の知る限りもっとも優秀な魔法使いにつきまとって、勝手に技を盗む。それだけのこと。
「忠告……サンジェルマンの、忠告」
二人のやり取りをよそに、文は何かぶつぶつとつぶやいている。
「思い出した!」
突如大声を上げた文に、魔法使いたちはびくりとしてそちらを向く。
「スペルの名前です。藤原妹紅のスペルカード、貴人「サンジェルマンの忠告」。いやあ、あれはキレイにとるのに苦労したなあ」
文のフィールドワークのひとつが弾幕写真撮影。あまり知られていないマイナーなスペルカードにも精通している。
「もこう? 不老不死の、あの妹紅のことか。おい、文」
「ふわあ……」
あくびをひとつたてるなり文は仰向けにぶっ倒れて、ごうごうと女の子らしさのかけらも無いいびきを立てて眠り始めてしまった。よっぽど酔いが回っていたらしい。
「藤原妹紅。確かあの子、何百年も外の世界を放浪していたとか」
文のほっぺたをぺしぺしと叩いていた魔理沙が、はっとしてアリスを向く。
「それだ。あいつきっと、本人に会ったことがあるんだ」
夜の薄暗闇をぶっ飛ばして魔理沙は竹林の上空を行く、目指すはもちろん妹紅の住居。初めて彼女に出会ったときと同様にアリスも連れて行こうと思ったが、尋常ではない倒れかたをした文の介抱に忙しくて、一緒には来れなかった。
上空からでは、妹紅のこじんまりとした庵の場所が特定できない。それほど足しげく出会っている相手でもないし。次善の策として、あらん限りの弾幕を夜闇に向けて打ち上げることにした。迷いの竹林の案内人を買って出ている彼女なら、きっとこれで……
「おい。どこの阿呆どもがやりあってるかと思えば、まさかひとり弾幕とは」
案の定、銀髪の少女が魔理沙に声をかけてきた。
「おっと、まんまとおびき寄せられやがったな。さあ」
魔理沙の言葉に妹紅は身構え、その背に炎の両翼を展開させた。掌を前に突き出してまばゆい熱気を収束させていく。完全に臨戦態勢だ。
「あうっ、違う、勝負に来たんじゃないんだ。おまえにちょっと聞きたいことが」
「突然の騒ぎに叩き起こされ、いまむかっ腹が立って仕方がない」
やるしかないらしい。ちょっとまだ酔いが回ってはいるが、それを言い訳に引き下がることは魔理沙のプライドが許さない。得意の魔術具を取り出しながら妹紅から距離を置いた。
でもって小一時間後――
「で、なんか用があったんじゃないの」
「あつつ、あの、ひゃうう……これムチャクチャしみるんだけど」
魔理沙は妹紅の家で火傷の手当てを受けていた。先ほどの対戦結果は惜しくも敗北、魔理沙が一方的に全身を焼かれる結果となった。妹紅のほうもそれなりの手傷を負っていたはずだが、こちらはすでに跡形もなく完治している。不老不死ってずるいなあと思う。
「何があったかは知らないけど、もっと自分を大切にしたら。人間は脆いんだから」
突然の乱入者を叩きのめした上で、それでも魔理沙が退かないのでしかたなく自宅に連れ込んで手当てしてやる妹紅であった。そもそも火傷の薬を常備してあるあたり、どこまでお人よしなのか。
「ああ、ちょっと昔話が聞きたくてさ、人生の大先輩の」
ばつが悪くていつになく下手に出てしまう魔理沙。すると妹紅の手が止まった。
「私にろくな思い出なんてない。手土産もなしに来て言うことはそれだけ?」
照れ隠しなのか本当に機嫌が悪いのか、妹紅の表情は暗かった。魔理沙は部屋の片隅に置いた手荷物を指差す。
「いちおうあるぜ、あの中の瓶にとっておきの酒が。まあ飲みかけで悪いけど」
ひととおり包帯を巻き終わってから、妹紅は荷物をあさってそれらしき瓶を取り出した。ラベルに目を走らせ、蓋を開ける。
「『めちいる・あるこほる』? こりゃどうみてもなんかの薬品じゃあ……う。おいこらっ」
「なんだよ」
妹紅は急いで魔理沙のそばによってきて、頬に手を添えてその目を覗き込んだ。
「なにがとっておきの酒よ、ただの毒薬じゃない。まさか全部飲んで……」
突然の豹変ぶりにどぎまぎしてしまう。あと顔が近い。
「人間には毒らしいな。私はやってないぞ。知り合いの妖怪はうまいうまいと言って飲んでたけど」
そう聞いて妹紅はがくりと肩を落とした。再び顔をあげて目が合う。
「あんた、私をなんだと思ってる?」
「人間以外」
魔理沙は何度か軽く頬を叩かれた、微妙に痛みが残る程度に。あにすんだよお、と不満の声が漏れる。
「はあ、帰れあんた」
「教えてくれたら帰るって。あのさ、妹紅の昔の知り合いに、サンジェルマンっていう魔法使いがいなかったか」
きょとんとした顔になった妹紅は、やがてゆっくりあごに手をやった。
「懐かしい名前ね。何度か面識はあるけど、最後に会ったのは二百年ぐらい前か」
待ち望んでいた返答に、魔理沙は思わず身を乗り出した。
「本当に? どこで会った? どんな奴?」
「会ったのは、西蔵の国だったり幻想郷に来てからだったりかな。ここは居心地が悪かったみたいでさっさと出て行ったけど。どうしてあいつの話を」
やや返答に詰まる。魔法泥棒のためだぜ、とはちょっと言い出しづらい。
「あー、おんなじ魔法使いとしてたまに名前は聞くけど、ウワサでしか知らないから。実際どんな奴なのかなと」
「……とんだエロ親父だった」
伝説の大魔法使いの人格が即刻否定される。
「物腰は丁寧すぎるほどキザな男だけど、どうも私を見る目がいやらしくて。同じ不死の貴人どうし交友を深めよう、なんて口説かれたけど、こっちはそんな身分とっくに捨ててるっての」
「ははぁ。なんか数千年前から生きてるらしいが」
妹紅は鼻で笑う。
「それは奴のハッタリね、明らかに私より年下」
「えっ。昔のナンタラ大王と親友だった、とか吹聴してたらしいけど」
「いろいろと器用な奴で、霊媒術も得意だったから。聖書に出てくる有名人の霊を呼び出してはいろいろ話をしてたらしい。傑作なのはあれよ、耶蘇の霊を呼んだときの」
耶蘇って誰? 疑問をそのままぶつけてみる。
「おいおい。切支丹の元締めの……ああ、最近は『ヤソ』じゃなくて『イエス』と呼ぶんだっけ?」
「えらく大物じゃないか。それで」
「ああ、向こうさんはカンカンにお怒りで、おまえはろくな死に方をしない、って予言されたとかなんとか」
多忙を極める天界の最高幹部が、まるで信仰心のない魔術師に呼び出されてはそりゃ怒るというものだろう。魔理沙の中で、自称伯爵へのイメージががらがらと崩れ去っていく。
「あとは、その時代ごとの王様に会ってはあれこれ説教するのが趣味だったらしい。でもまるでいうことを聞いてくれないやつがいたとかで、弟子に命じてそいつの醜聞をでっち上げて、王家を断絶させてやったと自慢げに話していたよ。もうこいつは駄目だと思ったね」
ここまでけちょんけちょんに否定されるサンジェルマンには、もはや哀れみすら感じる。
「聞くだに駄目オヤジだなあ……あでも、なんでそんなやつの名をスペルカードにしてるんだ。実は好きだったとか? ん?」
妹紅は唇をゆがめた。
「冗談。けどまあ、あいつにもちょっとだけ恩義を感じているから、記念に名を残してやってもいいかなと」
これだけ嫌っていた相手にどんな恩があったというのか。魔理沙は黙って話の続きを待った。
「最後に会ったとき言われたの、私の探し人はいつでも手の届く場所にいるって。そのときはまるでわけがわからなかったけど、あちこちさまよってみたらこの竹林であいつを見つけた。昔、いつか必ず殺してやると思ったあいつに」
ぐっと拳を握りしめ、暗い情念を秘めた瞳で妹紅は竹やぶの向こうを見やる。
「この手であいつの全身を焼き尽くして、心臓をえぐり出してやるの。何度よみがえろうが、何度でも」
さっき包帯を巻いてくれた、自分が毒を飲んだのではと本気で心配してくれた妹紅はどこに行ってしまったのか。魔理沙は今の彼女に言いようのない薄気味悪さを感じていた。
「ごめんね、理解できないよね。たぶん私は、この体になったときの自分から永久に解放されないんだと思う。そこに諦めがつけられたのは、ある意味サンジェルマンの忠告のおかげ。やつにはそれなりに感謝してる」
妹紅には悪いが、やはりとても理解できなかった。人を憎むのは自分にとってもつらい。だから魔理沙は誰も憎まない、気に食わない奴はただ笑い飛ばすだけ。誰か特定の相手への憎しみが永遠に続くなんて、考えたくもない責め苦だ。
「そっちの事情なんて知るかよ。聞いたから帰るぜ」
威勢よく立ち上がろうとしたら、焼かれた皮膚の痛みで思わずつんのめってしまった。妹紅はとっさに手を貸そうとして、一度動きが止まって、それからゆっくりと魔理沙の腕を手にとって立ち上がった。
「無理しない」
「わりい」
それっきり微妙な沈黙が続く。やっとこさ玄関先まで送り届けてもらった魔理沙は、愛用の箒にまたがって宙に浮かび上がった。
「また……暇だったら来てちょうだい」
「おう。次は、勝つ!」
そう言って親指をぐっと立てると、妹紅も同じ仕草をとった。そしてすでに明け始めた空へ向けて魔理沙は飛び去った。
アリスの家の玄関先。ドアノブに手をかけた魔理沙は、その向こうからかすかな、しかし苦しみに満ちたうめき声を聞きとった。何かがこの中でうごめき、もだえ吠えている。とても面白そうな事態だ。一気にドアを開け放つ。
「うむあぁぁ……頭痛いぃぃ……ぎぼぢわるぅぅ、おうぇっ」
無残に這いつくばり、のたうち回る射命丸文の姿がそこにあった。人形たちがその介抱にあたっている。ちなみにアリス本人はベッドで就寝中。
「どうした、二日酔いか? 妖怪のくせに珍しい」
「わかんないわよぉ。昨日あたし、うう、何にも覚えて、うぇっ、ないけど、むぐぐ……」
どうやら昨日の毒酒には、妖怪ですら重度の二日酔いにさせる薬効があったらしい。
「そうか、記憶が飛んでるか。そいつはなによりだ」
部屋の片隅から例の本を回収して、足早にこの魔窟を立ち去ることにした。アリスはよくここで寝られるものだと思って観察してみると、彼女は耳栓を装着していた。文を屋外に追い出さないというあたりがアリスの最低限の友情表現ということか。
いったん帰宅してたっぷり睡眠をとったあとに、魔理沙は再び出かける準備を始めた。行き先は昨日と同じ、紅魔館。体のあちこちがひりひり傷むのをこらえて湖畔を飛び進む。
「またきたぁ……って、なんだか大怪我していない? やれるの?」
手足に包帯だらけの姿を見て美鈴が妙な心配をし始めた。無駄にお人よしどもめ、と魔理沙は心の中で毒づく。今日のところは門番との勝負は省略したい。この状態でやり合っても不本意な黒星がつくのは確実だ。そのための切り札もある。
「パチュリーに借りた本を返しに来た。今日の私は正々堂々とお客様だぜ」
美鈴が目を丸くする。
「は? ごめん、意味がわからない。いまなにかありえない幻聴が聞こえたような」
「おうおう、ここの門番は主の友人への来客を突っ返すってのか。メイド長を呼んでこい」
あわてて美鈴が門を開ける。
「はうっ、それだけはご勘弁を。来客ぅ、来客でーす」
門番長の合図に、わらわらと妖精メイドたちが寄ってきて魔理沙をエスコートする。やはりおっかなびっくりの態度で10メートルほど離れてだが。特に暴れる気もないのでそのまま図書館まで案内される。
「また来ましたよ」
「来たわね」
ちょうどティータイム中だったらしいパチュリーと小悪魔がいた。明らかに昨日の二人よりも距離が近い。こいつらの歪んだ主従関係には二度と触れるまいと心に誓う。
「本を返しに……」
来たぜ、と言いながら卓に持参の品を叩きつけようとしたところで、小悪魔に制止された。
「こあのくせに」
ささやき声でそう告げると小悪魔はびくりとして身をこごめる。いちいち反応が大げさなので面白い。ことあるごとに彼女をちくちくいじめるパチュリーの気持ちが理解できてしまった。
とりあえずは平和的に席につき、紅茶をいただく。飲んでいる途中で妙な香りがすることに気がつき、魔理沙はクンと鼻を鳴らした。
「なんのにおいだ? ん、紅茶じゃないな……パチュリー、おまえか」
「なに。ひどい侮辱に聞こえるのだけど」
目を吊り上げるパチュリーに対し、急いで訂正する。
「いや、別にくさいってわけじゃないんだが。なんと言うかエスニック系の芳香が。おまえの服からだな、きっと」
パチュリーも自分の袖に鼻を当ててにおいを嗅ぐ。
「ああ、虫除けのハーブオイルのよ。これ今日出したばかりのだし」
「いつもの寝巻きなんで気がつかなかったぜ。紫一色で、そいつは誰かのマネのつもりか」
いつも紫色の服を着ている別の知り合いを思い出す魔理沙。イメージカラーで勝負するなら、どう考えてもあっちが本家だろう。
「いちおうの恩人に敬意を示しているの。飽きたら別のにするわよ」
肯定されるとは思わなかった。いつの間に紫同盟が結成されたのか。
「それで、昨日は何を借りて行ったの」
これです、と小悪魔が卓に置いた本のタイトルを確認して、パチュリーの顔色が少しだけ曇る。
「は。その魔法使いの列伝? どうしてまたそんな過去の人物を」
呆れ顔になったところを見るに、彼女もサンジェルマンの実像を知っていたらしい。
「いや、こいつけっこうな有名人じゃないか。参考になるかと思ったが、まるであてにならん」
魔理沙の話を聞いてか聞かずか、パチュリーはじっと表紙を眺めている。
「ひとこと本人に文句つけてやりたいぜ。いまごろどこで何をしてやがるのか……」
パチュリーは顔を上げ、眉をひそめて魔理沙の顔をうかがった。そして問いかける。
「知らないの? サンジェルマンの悲惨な最期を。魔法使いなら常識と思っていたけど――」
今度は魔理沙が困惑顔になる番だった。
「――そういえば、あなたは生粋の幻想郷育ちだっけ。共有できる知識もないのに常識を振りかざした私が愚かね」
少し腹の立つ言い方なので、『アリスも知らなかったぞ』と言おうとして気がついた。彼女は魔界人だ。パチュリーの言ってる常識とやらは、外の世界出身の魔法使いなら常識ということなのだろう。
「そういや、ろくな死にかたしないって予言されてたんだっけ。どうなったんだ」
目を伏せ、一度咳払いしてからパチュリーは語りだす。
「サンジェルマンは、貴族という階級に異常な執着を持っていたの。ところが一度フランスの王家を滅ぼしてしまったものだから、しばらく放浪したのちに名前を変えて、今度はロシアに潜伏した」
「ふむ、そこでもまた何か悪さをやらかしたと」
「ええ。彼の生涯最大の計画、あの巨大な帝国をのっとろうと企んだ。噂では、そこの皇后に取り入って密通し、自分の子供まで孕ませたというわ」
いきなり生々しい話になってきた。本当に力ある魔法使いは、そういう肉欲とは遠く離れたところにいるはずなのだけど。
「ゆくゆくは、彼自身を聖者としてあがめる宗教国家でも作りたかったのじゃないかしら」
「おお。信者がたくさんいれば外の世界でもやっていけるはずだしな。わりと頭いいな」
「でもその計画が皇帝の親戚筋にばれてしまって、あっさりと暗殺されてしまったの。分不相応な野望の代償ね」
暗殺という不吉な言葉に魔理沙は違和感を感じ取った。
「あれ。人間がそう簡単に魔法使いを殺せるものか?」
「それはもう。いくら毒を盛られても死なず、銃を何発撃たれても死なず。瀕死の状態で凍った川に投げ込まれて、やっと水死したそうよ」
そこまでされたら魔法使いでも死ぬのか、いい勉強になった。
「ろくでなしは最後までろくでなしか。何が遺産だ……ん?」
ひとつなにかが引っかかる。パチュリーの話を最初から思い出してみて、気がついた。
「待てよ。それが本当なら、サンジェルマンには子供がいるはずじゃないか、王妃に産ませたとかいう。もしかしてそいつが遺産でした、とかいうベタな落ちかよ」
パチュリーは頬杖ついて紅茶をすすった。
「だとして、どうするの」
「ああうん、親がいないならガキでもいいや。ひとこと文句を」
「言ったらいいわ。その子ならいま――」
ここで言葉を区切って、じっと魔理沙の目を見つめる。
「――あなたの目の前にいるから」
魔理沙は思わず紅茶を吹き出しかけた。何度か咳き込んで、口元をぬぐってからパチュリーをまじまじと見つめる。彼女は視線をそらさず、ただにっこりと笑った。
「と言ったら、信じる?」
パチュリーは立ち上がり、『サンジェルマンの遺産』を手に取ると小悪魔に返した。
「忠告したでしょう、嘘と真実を見分けられない者に魔法使いは向いてない。だいたいね、その本がまるで無価値であると気がつかなかった時点であなたの敗北よ。出直してらっしゃい」
魔理沙の顔に、徐々に血の気が戻る。
「てんめえ、つい信じちまったじゃ……あう、いて、いてて」
地団駄を踏んだ拍子に包帯がずれてしまった。水ぶくれのできた皮膚に直接外気があたる。
「うう、出直してくるよ、こんチキショウ」
魔理沙は箒にまたがり、宙に浮かび上がった。
「少しだけ、いまの話には続きがあるの」
「なんだ、手短に頼む」
体のあちこちが痛いし、正直この一件にはもう興味を失っている。だけどパチュリーが特別に話したいという続きなら、まだ何か裏があるのかも。
「たちの悪い魔法使いに簡単に騙されてしまった皇帝の一族は、すっかり民からの信頼を失った。それから数年と経たないうちに反乱を起こした民衆に捕らえられて、みんな処刑されてしまったそうよ」
「盛者必衰は世の理だろ、悪いが聞いて損した」
言うなり図書館を飛び出す魔理沙。行き先はもちろん、昨夜場所を覚えた竹林の小さな庵だ。自分で自分に包帯を巻くなんて面倒だ、無駄に面倒見がいいお人よしに任せるに限る。
予定外のお客が去った紅魔館の大図書館。小悪魔は一冊の本を棚に戻そうとして、もう一度その書名を見つめた。
パチュリーは誰にも過去を語らない。彼女の数十年来の友人ですら、パチュリーがただの人間であった頃を知らないし、興味もない。
だが小悪魔だけは、かつて断片的に主人の過去を聞かせてもらったことがあった。詳しく語りたくないのも当然の、忌まわしい記憶。
彼女の両親と弟は、革命戦士を名乗る狂信者によって殺された。血に飢えた男たちは、彼女の姉たちに対しても言葉にしがたい乱暴をはたらきだした。
極限の恐怖と、憎悪と、絶望に直面したとき、彼女の中に眠る本当の力が目覚めた。
その後、紫の服の女性に導かれて幻想の郷にたどりついた彼女は、吸血鬼の少女と友誼を結んで少しずつ心の傷を癒していくのだが、それはまた別のお話。
直径十メートル以上、長さ数百メートルに達するエネルギーの柱が湖面に突き刺さり、水蒸気爆発とともに盛大な水しぶきをまきちらした。
湖に住む魚や妖精にとっては迷惑な話だろうけど、当たり所が水面だったのは幸い。湖畔の林や館に直撃していたら大惨事となっていた。
「きりきりばたーん……」
閃光の直撃を受けた被害者Aはきりもみしながら墜落して、べしゃりと地面に叩きつけられた。
「擬態語は口に出していうものじゃないぜ」
即座に犯人Aが軽口を叩く。命があるかの心配は無用だ、このくらいで死ぬタマではないのは先刻承知している。
「また負けたぁ」
被害者A、紅美鈴は衣服をあちこち焼き焦がされて扇情的な姿をさらしている。並の人間なら、扇情的どころか猟奇的な姿に成り果てるであろう攻撃を受けても彼女はぴんぴんしている。肉体的なダメージとしては大したことがない、それよりも力と力のぶつかり合いに敗れた精神的ショックのほうが重大だ。
「また勝っちまった」
犯人A、霧雨魔理沙は得意げにそう言い放った。余裕しゃくしゃくに見えるが、実は僅差の勝負だった。数年前に初めて手合わせしたときには軽く撃破できた美鈴だが、最近は妙に力をつけてきている。魔理沙の最強のスペルでも一撃だけではケリがつかなくなってきた。
そろそろ魔術のバリエーションを増やさないとな。次は誰の技をパクろうか。などと考える魔理沙であった。
「覚えてなさいよー」
典型的な負け台詞を放つ美鈴を尻目に、魔理沙はやすやすと館への侵入を果たす。目的地はいつもの場所、紅魔館地下の大図書館。
午前中に来たのは正解だった。よい子の夜型吸血鬼たちはそろそろおねむの時間で、口うるさいメイド長が邪魔しに来る気配もない。たまに見かける妖精メイドたちは、魔理沙の姿を見るなりきゃっと叫んで物陰に隠れてしまう。何かの異変で気が立ってるときを除けば、基本的に臆病な連中なのだ。
これでもかというほど広大な図書館を、箒にまたがって悠々と飛んでいく。
「本当にザルだなここの警備は。なあ?」
本棚の合間に隠れて様子をうかがっていた、司書の小悪魔に声をかける。彼女はぎくりとした顔になって、魔理沙に背を向けて奥のほうへ飛び去っていく。
「パチュリー様っ。あいつあんなこと言ってますよ」
どうやらあの小悪魔の主人はごく近くにいるらしい。声のするほうを覗いてみた。
「そう、じゃあこの図書館の守りは万全であると見せつけてあげなさい。あなたが」
そっけなく言い放つ図書館主、パチュリー・ノーレッジ。いつものことだが彼女の視線はずっと手元の本に注がれている。
「いやその。死んで来いとおっしゃいますか?」
顔の前で両手を振り、全力で拒否の意を表明する小悪魔。
「ただし本を散らかさないようにね、あと図書館では静かに。さあ、あの不埒なネズミを退治してきなさい」
「ふええ……」
悪魔といっても所詮は小悪魔。幻想郷の人間のなかでは最強の魔法使いに太刀打ちできるはずもない。もちろんパチュリーもそれを分かってて言っている。
「いじめ、カッコ悪いぜ」
思わずツッコミを入れてしまう魔理沙。顔を出してしまったあとで、こいつらのペースに乗せられちまったかなと少し後悔する。
「合意の上なのだから口出ししないで」
パチュリーの言葉にきょとんとする二人。彼女は読みかけの本をぱたんと閉じて魔理沙に向き合った。
「虐待だなんてとんでもない。ああいう言い方をしてあげると喜ぶの、うちの使い魔は」
「ひょっ?」
「そいつは知らなかった、ごちそうさま。私はなんだかお邪魔虫だな」
魔理沙は帽子を深くかぶりなおした。勝手に人格をおとしめられた小悪魔があわてて抗議する。
「喜びませんよ、ひどいですよ」
「ひどい? 本当にひどいことをするつもりなら、あなたの真の名を添えて命令を下すわよ。口先の言いつけだけで済ましてあげるのが、私の優しさだと知りなさい」
わけの分からぬ理由で叱責され、小悪魔は無言で小刻みに身を震わせている。
「いや、やっぱりひどいぞおまえ」
「つい楽しくて」
献身的に尽くしてくれる従者をつい面白半分に虐げてしまう。それが真の魔法使いという種族なのだ。
「パチュリー様ともあろうおかたが、なんでこんなへっぽこを飼育してるんだ」
「へっぽこ!?」
「大悪魔ってのはプライドの塊みたいなものだから扱いづらくて。へっぽこで充分」
へっぽこ悪魔は唇を噛み、涙目で立ち尽くしている。
「早くお茶ぐらい用意なさい」
「ひっ……ぐ……」
声にならない声をあげ、点々と涙を落として小悪魔は飛び去っていった。
「やべえ、あいつおもしろい」
「あげないわよ」
哀れな使い魔の後ろ姿を見届けてから、二人はお互いに視線を戻した。
「しかし、うん、さすがにやりすぎだな。主人が率先してイジるのはまずいだろ」
眉をひそめる魔理沙をパチュリーは薄目で見る。
「あの程度で罪悪感を感じるなんて未熟者。真の魔法使いたる者、こんな瑣末な事はどうでもいいの」
「おまえ、もう口きいてもらえないかもよ」
パチュリーは再び、小悪魔の去った本棚の向こうを見る。
「言われなくてもあとで慰めておくわ、あの子の機嫌なんて簡単に直るんだから。ぎゅっと抱きしめて、キスのひとつもしてあげれば」
「キ……ああもう、本気でごちそうさまだ」
突如として飛び出した過激な発言に、魔理沙はなぜかどぎまぎしてしまう。薄笑いを浮かべてパチュリーがさらにつぶやく。
「主人に優しくされたら無条件で幸福を感じてしまう、何をされたってわたしを嫌いになれない、そういう存在なの……ふふ、可愛いでしょ、あげないわよ」
危険。これ以上この話題は危険。そう感じた魔理沙があわてて話を変える。
「それよりだっ、今日は大ニュースがある」
そう言いながら持ち込んできた荷物をあさって、一冊の書物を取り出す。
「借りた本、返しに来てやったぜ!」
言い放つと同時に卓上に本を叩きつける。ほこりが舞い上がってパチュリーは何度かせきこんだ。
「えほっ、ちょっと、んっ、なんの嫌がらせよ」
「あ、や、わりいわりい。じゃなくてだ、この魔理沙様が直々に本を返しに来てやったんだぞ、もっと驚けよ」
それだけにしては妙に魔理沙の語気が荒い。パチュリーはひとつため息をついた。
「当然のことでしょう、なぜ驚かなくちゃいけないの。貸し主に感謝のひとことも言うのが筋じゃない」
「言うもんかよ。すっかり騙されたんだぞ、このインチキ魔道書にさ」
魔理沙は表紙をばんばんと叩いたあと、本を開いて付箋のついたページをめくる。
「何が植物成長の秘薬だ、バカ高い素材ばっかり要求しやがって。ほらこの『限りなく純粋なアルコール』とか、わざわざ外の世界の品を調達したんだぜ。それをさ――」
ぷんすかしながらも実験の手順を説明していく。
「――やっと完成したんで、うちで栽培してるキノコにかけてみたんだよ。そしたらたちまちしなびて枯れちまって。それだけじゃない、薬の蒸気でほかのキノコまでダメになっちまった。どうしてくれる」
パチュリーは魔理沙の言葉に反応せず、黙々と書を読み進めた。やがてぴたりと手が止まる。
「ヘルメス文書のアラビア写本ね、これ。元素式の構成も正確だし、とても偽書とは思えない」
「つっても現に……」
「ここ、調合の順番がはっきり書かれてないようだけど。どうやったの?」
不意に問いかけられて、魔理沙は唇に親指を当てて考え込んだ。
「ええと、どうだっけ。まあフィーリングで」
「はい、アウト」
パチュリーはぱたんと本を閉じた。
「あなたには魔道書を読む資格がない」
「ちょっと待てよ」
魔理沙が手を伸ばすと、視線だけでそれを制する。
「記載があいまいなのは、ここが重要ポイントだからよ。どこかに暗号化されたヒントがあるのか、あるいは同じ著者の別の本に答えがあるのか……いずれにせよ、思いつきでどうにかしようなんて論外ね」
説明されているうちに、魔理沙はどんどん口をとがらせていく。
「私はいつだって勘と経験でやってきたんだ。たいがいそれでうまくいく」
腕組みして胸を張る魔理沙に、パチュリーが今日何度目かの大きなため息をつく。
「あなたはとても優秀。だからそんな適当な方法でもそれなりの魔法薬が作れる」
「そういう褒めかたするやつは、絶対にあとでけなしてくるんだよな」
だまらっしゃい、とパチュリーは口の中で小さくつぶやく。
「駄目、全っ然駄目。才能が死んでる。宝の持ち腐れとはあなたのためにある言葉よ――」
ぎりっと魔理沙が奥歯をかみ締めるが、お構いなしにお説教は続く。
「――今のあなたは、立派な橋の隣におんぼろのつり橋をかけようとしているようなもの。まずは先人の知恵と、そこに寄って立つ理論を学びなさい」
「んだよ、急に教師みたいなこと言いやがって」
「こんなわがままな生徒は願い下げね。いいこと、嘘と真実を見極められない者に魔法使いは向いていないの」
魔理沙はちっと舌打ちして席を立ち、箒にまたがった。そこへちょうど小悪魔がやってくる。
「お茶です」
「いらねえよっ。代わりの本を探すからな」
言いながら飛び上がって、手近な本棚から魔道書を物色していく。
「うううう」
トレイを持つ小悪魔の手が震え、カップがかちゃかちゃと音を立てる。彼女の目は少し充血していた。お茶を運んでくるのに妙に時間がかかった事といい、給湯室でしばらく泣き濡れていたらしい。
「あれに出す飲み物なんてないわ。ここに置いて」
パチュリーが隣の席を引くと、小悪魔はしばらく迷うそぶりを見せたあとにおそるおそる席についた。自分のスカートをぎゅっと握りしめ、こぶしを震わせている。その上へパチュリーはそっと自分の両手を乗せた。はっとして顔を上げる小悪魔の肩におでこを当てて、何事かをささやく。
「……人前でいちゃつくな」
二人に聞こえないように独り言を言う魔理沙。本当は面と向かってを言ってやりたいのだが、どうも割って入れるような雰囲気ではない。正視するのも気が引けて、横目でこっそり様子をうかがう。
「うわ、顔が近えって」
熱く見つめあって何かをささやきあう二人。互いの顔面の距離は十センチを切っている……あ、いま抱き合った。さっきからなんとも表現しがたい胸騒ぎを感じていた魔理沙は、てめえらちったあ人目を気にしろと叫びたいのをぐっと我慢して、大急ぎで遠くの本棚に避難するのだった。
「変態だぁ、ホンモノの魔法使いはみんな変態だ、あんなもんにはなりたくねえよ。そう思わないか、なあ?」
少女宴会中である。
参加者わずか三名のこぢんまりとした宴で、魔理沙は開始そうそうにほろ酔いを通り越す勢いで酔っぱらっていた。
「どうしてそれを私に振るの。答えに困るじゃないの――」
魔理沙の知る、もうひとりの本当の魔法使いはそう言って手で追い払う仕草をした。
「――だいたい、パチュリーがどこか狂ってるなんて、前からわかっていたことじゃない」
笑顔でさらっとひどいことを言ってのける人形使い、アリス・マーガトロイド。彼女もまた特別な魔法使いのひとり、常にわが道を行くいい根性では余人のおよぶところではない。
「だからおまえに聞いたんだよぅ。お人形さんだけがお友達の、根暗な魔法使い様よお」
たちの悪いからみかたをしてくる酔っ払いに対して、アリスは眉間にしわを寄せる。
「馬鹿にしないでっ」
どんと机を叩いた勢いで小皿がひとつ転がり落ちた。アリスの操る自動人形たちが、すぐさまそれを片付けて流し場へ持っていく。
「ただの人形なんかじゃない、この子たちには心があるのよ」
「そっちが重要なのか」
「今はまだ不完全な、半分機械じかけのような精神だけど、いずれは完全に自発的な存在となるの、私の愛で!」
いきなり演説を始めるアリス。こちらもだいぶ回ってきたようだ。
「わかったわかった、ここにもド変態がいるってのがよーくわかった。どう思う? あやや」
「やめてください、その変な呼び方」
三人目の飲ん兵衛、背中にカラスの翼を持つ少女がおちょこを突き出す。おまえが自分で言い出したんだろ、と言いながら魔理沙は持参の酒を注ぐ。
「ん、ん、ぷはあ。あー、なんかこれクセになる」
とろんとした目になって射命丸文はひとりごつ。例の『限りなく純粋なアルコール』とやらはなかなか好評のようだ。これをゆずってくれた店主いわく『本来は燃料用で、人間が飲んだら目玉がつぶれるシロモノ』とのことだが、妖怪に飲ませる分には問題ないだろう、たぶん。
「どうよと言われても、アリスさんがどうかしてる人だってのはとっくに知ってます」
続けて文は、きゃははっと甲高い声でわらう。アリスはむっとした様子でそちらをにらみつけた。同時に彼女の隣の人形も同じ動作をする。明らかに、行動をシンクロさせて遊んでいる。
「こいつの駄目っぷりについてじゃない。魔法使いと言う種族全体のイカれ具合についてだ」
「実に魔理沙さん向きの進路ですね」
平然と答える文。酔った上での暴言か? いや、と魔理沙は考え直す。彼女はシラフでもそのぐらいは平気で言う。そもそも天狗ってのは種族的にいい根性してる奴らばかりなのだ。『謙虚な天狗』なんて日本語として矛盾している。
「私もおんなじくくりかよ……まあいいさ、それよりこりゃあスクープだぜ。貴社の記者が大好きな大スクープ、現代の魔女と小悪魔系ギャルの熱愛発覚だ」
手元のカメラをいじって、じーかしゃじーかしゃと空巻きしながら文は考え込む。
「そんな品性下劣なゴシップ記事……大衆が望むのなら仕方ありません。だけどまだちょっと話題性が薄いかなぁ。主従の間の歪んだ愛情なんてあの二人に限らないし、もっとこうネチョリドロリとした展開じゃないと」
「じゃああれだ、浮気話のひとつもあれば盛り上がるだろ。ひとはだ脱ぐぜ、アリスが」
ジャーナリストとパパラッチの境界をさまよう文に、後者の側へ魔理沙が一押しする。
「見えたっ、『ひとりの使い魔をめぐり、魔法使い同士が骨肉の争い』。これなら多少は人目を引ける、さすがです」
小さなお盆を持った二体の人形が、盛り上がる二人の後頭部を同時に殴打した。
「本人の前で密談するな!」
その後しばらく、マーガトロイド邸内に少女たちの笑い声が響いた。つまりはみんなハイになっているのである。
「それで、今日の強奪は収穫なしなの?」
何気ない風を装ってアリスがたずねる。魔理沙が紅魔館から持ち出す書籍の中には、ときおり禁書級の魔道書が混じっているのだ。たまに部屋掃除の手伝いと言う名目で魔理沙の家に押し入っては、貴重な蔵書の内容を人形の目に記録させている。
「強奪じゃない、拝借と言ってくれ。今日のブツは……こいつだ」
荷物から一冊の本を取り出して、表紙を二人に見せびらかす。
「おおっ。えー、あー、何語?」
書名を読み取ろうとして、文は即座にその試みを断念した。西洋文字はどうしても見慣れない。
「ふふん。ラテン語だよ、チミィ」
得意顔の魔理沙。ラテン語とアラビア語は西洋魔術師の必須教養だ、読めなきゃ話にならないから必死で勉強した。
「『サン・ジェルマンの遺産』ねえ。また怪しげなものを」
当然アリスにも読めるのだった。魔理沙は内心舌を打つ。
「サン……それなんだっけ、人の名前ですよね」
「おう。パチュリーの奴がさ、昔の魔法使いの業績も知っておけなんて偉そうにぬかすもんだから、とりあえず名前を知ってる有名人の本を借りてきた」
文は口元に手を当て、なにかぶつぶつ言っている。
「サンジェルマン、サンジェルマン……確かどっかで聞いたことが」
「へえ。お山の天狗も知ってるなんてなかなかのものじゃない、外の世界の魔法使いも」
――伝説の魔術師、サンジェルマン伯爵。生没年不明。18世紀のヨーロッパ社交界に彗星のごとく現れた男。
推定で二千歳以上、バビロニア大王ネブカドネザルと親交が深かったと語り、聖書外典に記された不死者『さまよえるユダヤ人』との関連性も指摘されている。
絵画、音楽、錬金術に優れる。特にダイアモンドの精製・修復を得意とし、ルイ15世の寵愛を受けた。一説にはカリオストロ伯爵の師匠とも言われる――
「で、その人のことを調べてどうしようというの、魔理沙は」
アリスが首をかしげる。文もうんうんとうなずいた。
「その本は外の世界のものでしょ。あちらでとっくに知られているようなことを調べても、あまりあてにはならないんじゃ」
魔理沙は開いたページをぱんと叩いた。
「こいつは単なるきっかけさ。何よりタイトルに惹かれたんだ、『遺産』って響きに」
「お宝でも掘り当てようというの。だいたいどうやって外に出るつもりよ」
幻想郷と外の出入りを管理している妖怪賢者が、遺産捜索ごときでほいほい許可を出すはずがない、とアリスは言おうとした。
ちっちっと舌打ちして魔理沙は指を横に振る。
「おまえはふたつの勘違いをしている。第一に、外の世界なんか行く必要はない」
特に二人から抗弁が出ないのを確認して、言葉を続けた。
「外の人間たちは、自前で発展させた技術を信奉するあまり、まるで魔法を信じなくなっちまった。そんな世界じゃ魔法使いもただの人間だ」
「知ってます。誰も妖怪を怖がらないような国じゃ妖怪は滅んでしまう。うちのお山の神様だって、外にいられなくなって移住してきたクチで」
自分だって知識では負けていないとアピールする文に向かって、魔理沙はびしっと人差し指を突きつけた。
「じゃあ聞くぜ、サンジェルマンはどこにいる」
「そんなの知るわけ……ああ、そっか。あちら側にはもういるわけがないと」
「だろう? この幻想郷のどこか、あるいはアリス、おまえの故郷の魔界にいるはずだ」
我ながらすばらしい推理だと悦に入る魔理沙に、アリスが再び疑問を投げかける。
「じゃあ仮に本人を見つけたとして、それでどうするの。実在するかも定かじゃない遺産とやらを、私によこせと迫るつもり?」
「ちっちっ、それが第二の勘違いさ。魔法使いなら誰だって自分だけのお宝を隠し持っている」
なにを言い出すのやらと言う顔のアリスと、それは初耳だと目を輝かせる文。
「自分だけが身につけたスペルの数々、それが私らの財産じゃないか。考えてもみな、いまやスペルカードルールは、冥界・天界・魔界にまで浸透してる。伝説の魔法使いと呼ばれるほどの男だ、とっておきの難スペルを編み出しているに違いないさ。私はその技をパクり、より強くなる……完璧な計画!」
口さがない者たちは、霧雨魔理沙を『魔法泥棒』と呼ぶ。
その異名は伊達ではない。名のある妖怪、魔法使いが長年かけて編み出した秘術を、魔理沙はいとも簡単にまねて自分のものにしてしまえる。彼女の天賦の才能とたゆまぬ努力は常に、楽して儲けるというベクトルに向けられているのだ。
「あのねえ。あなた、パチュリーの忠告を激しく誤解していない?」
「はん、私がこうだと思ったなら、世の中そういうものなのさ」
そもそも魔理沙は体系だった魔術の勉強などしたことが無い。自分の知る限りもっとも優秀な魔法使いにつきまとって、勝手に技を盗む。それだけのこと。
「忠告……サンジェルマンの、忠告」
二人のやり取りをよそに、文は何かぶつぶつとつぶやいている。
「思い出した!」
突如大声を上げた文に、魔法使いたちはびくりとしてそちらを向く。
「スペルの名前です。藤原妹紅のスペルカード、貴人「サンジェルマンの忠告」。いやあ、あれはキレイにとるのに苦労したなあ」
文のフィールドワークのひとつが弾幕写真撮影。あまり知られていないマイナーなスペルカードにも精通している。
「もこう? 不老不死の、あの妹紅のことか。おい、文」
「ふわあ……」
あくびをひとつたてるなり文は仰向けにぶっ倒れて、ごうごうと女の子らしさのかけらも無いいびきを立てて眠り始めてしまった。よっぽど酔いが回っていたらしい。
「藤原妹紅。確かあの子、何百年も外の世界を放浪していたとか」
文のほっぺたをぺしぺしと叩いていた魔理沙が、はっとしてアリスを向く。
「それだ。あいつきっと、本人に会ったことがあるんだ」
夜の薄暗闇をぶっ飛ばして魔理沙は竹林の上空を行く、目指すはもちろん妹紅の住居。初めて彼女に出会ったときと同様にアリスも連れて行こうと思ったが、尋常ではない倒れかたをした文の介抱に忙しくて、一緒には来れなかった。
上空からでは、妹紅のこじんまりとした庵の場所が特定できない。それほど足しげく出会っている相手でもないし。次善の策として、あらん限りの弾幕を夜闇に向けて打ち上げることにした。迷いの竹林の案内人を買って出ている彼女なら、きっとこれで……
「おい。どこの阿呆どもがやりあってるかと思えば、まさかひとり弾幕とは」
案の定、銀髪の少女が魔理沙に声をかけてきた。
「おっと、まんまとおびき寄せられやがったな。さあ」
魔理沙の言葉に妹紅は身構え、その背に炎の両翼を展開させた。掌を前に突き出してまばゆい熱気を収束させていく。完全に臨戦態勢だ。
「あうっ、違う、勝負に来たんじゃないんだ。おまえにちょっと聞きたいことが」
「突然の騒ぎに叩き起こされ、いまむかっ腹が立って仕方がない」
やるしかないらしい。ちょっとまだ酔いが回ってはいるが、それを言い訳に引き下がることは魔理沙のプライドが許さない。得意の魔術具を取り出しながら妹紅から距離を置いた。
でもって小一時間後――
「で、なんか用があったんじゃないの」
「あつつ、あの、ひゃうう……これムチャクチャしみるんだけど」
魔理沙は妹紅の家で火傷の手当てを受けていた。先ほどの対戦結果は惜しくも敗北、魔理沙が一方的に全身を焼かれる結果となった。妹紅のほうもそれなりの手傷を負っていたはずだが、こちらはすでに跡形もなく完治している。不老不死ってずるいなあと思う。
「何があったかは知らないけど、もっと自分を大切にしたら。人間は脆いんだから」
突然の乱入者を叩きのめした上で、それでも魔理沙が退かないのでしかたなく自宅に連れ込んで手当てしてやる妹紅であった。そもそも火傷の薬を常備してあるあたり、どこまでお人よしなのか。
「ああ、ちょっと昔話が聞きたくてさ、人生の大先輩の」
ばつが悪くていつになく下手に出てしまう魔理沙。すると妹紅の手が止まった。
「私にろくな思い出なんてない。手土産もなしに来て言うことはそれだけ?」
照れ隠しなのか本当に機嫌が悪いのか、妹紅の表情は暗かった。魔理沙は部屋の片隅に置いた手荷物を指差す。
「いちおうあるぜ、あの中の瓶にとっておきの酒が。まあ飲みかけで悪いけど」
ひととおり包帯を巻き終わってから、妹紅は荷物をあさってそれらしき瓶を取り出した。ラベルに目を走らせ、蓋を開ける。
「『めちいる・あるこほる』? こりゃどうみてもなんかの薬品じゃあ……う。おいこらっ」
「なんだよ」
妹紅は急いで魔理沙のそばによってきて、頬に手を添えてその目を覗き込んだ。
「なにがとっておきの酒よ、ただの毒薬じゃない。まさか全部飲んで……」
突然の豹変ぶりにどぎまぎしてしまう。あと顔が近い。
「人間には毒らしいな。私はやってないぞ。知り合いの妖怪はうまいうまいと言って飲んでたけど」
そう聞いて妹紅はがくりと肩を落とした。再び顔をあげて目が合う。
「あんた、私をなんだと思ってる?」
「人間以外」
魔理沙は何度か軽く頬を叩かれた、微妙に痛みが残る程度に。あにすんだよお、と不満の声が漏れる。
「はあ、帰れあんた」
「教えてくれたら帰るって。あのさ、妹紅の昔の知り合いに、サンジェルマンっていう魔法使いがいなかったか」
きょとんとした顔になった妹紅は、やがてゆっくりあごに手をやった。
「懐かしい名前ね。何度か面識はあるけど、最後に会ったのは二百年ぐらい前か」
待ち望んでいた返答に、魔理沙は思わず身を乗り出した。
「本当に? どこで会った? どんな奴?」
「会ったのは、西蔵の国だったり幻想郷に来てからだったりかな。ここは居心地が悪かったみたいでさっさと出て行ったけど。どうしてあいつの話を」
やや返答に詰まる。魔法泥棒のためだぜ、とはちょっと言い出しづらい。
「あー、おんなじ魔法使いとしてたまに名前は聞くけど、ウワサでしか知らないから。実際どんな奴なのかなと」
「……とんだエロ親父だった」
伝説の大魔法使いの人格が即刻否定される。
「物腰は丁寧すぎるほどキザな男だけど、どうも私を見る目がいやらしくて。同じ不死の貴人どうし交友を深めよう、なんて口説かれたけど、こっちはそんな身分とっくに捨ててるっての」
「ははぁ。なんか数千年前から生きてるらしいが」
妹紅は鼻で笑う。
「それは奴のハッタリね、明らかに私より年下」
「えっ。昔のナンタラ大王と親友だった、とか吹聴してたらしいけど」
「いろいろと器用な奴で、霊媒術も得意だったから。聖書に出てくる有名人の霊を呼び出してはいろいろ話をしてたらしい。傑作なのはあれよ、耶蘇の霊を呼んだときの」
耶蘇って誰? 疑問をそのままぶつけてみる。
「おいおい。切支丹の元締めの……ああ、最近は『ヤソ』じゃなくて『イエス』と呼ぶんだっけ?」
「えらく大物じゃないか。それで」
「ああ、向こうさんはカンカンにお怒りで、おまえはろくな死に方をしない、って予言されたとかなんとか」
多忙を極める天界の最高幹部が、まるで信仰心のない魔術師に呼び出されてはそりゃ怒るというものだろう。魔理沙の中で、自称伯爵へのイメージががらがらと崩れ去っていく。
「あとは、その時代ごとの王様に会ってはあれこれ説教するのが趣味だったらしい。でもまるでいうことを聞いてくれないやつがいたとかで、弟子に命じてそいつの醜聞をでっち上げて、王家を断絶させてやったと自慢げに話していたよ。もうこいつは駄目だと思ったね」
ここまでけちょんけちょんに否定されるサンジェルマンには、もはや哀れみすら感じる。
「聞くだに駄目オヤジだなあ……あでも、なんでそんなやつの名をスペルカードにしてるんだ。実は好きだったとか? ん?」
妹紅は唇をゆがめた。
「冗談。けどまあ、あいつにもちょっとだけ恩義を感じているから、記念に名を残してやってもいいかなと」
これだけ嫌っていた相手にどんな恩があったというのか。魔理沙は黙って話の続きを待った。
「最後に会ったとき言われたの、私の探し人はいつでも手の届く場所にいるって。そのときはまるでわけがわからなかったけど、あちこちさまよってみたらこの竹林であいつを見つけた。昔、いつか必ず殺してやると思ったあいつに」
ぐっと拳を握りしめ、暗い情念を秘めた瞳で妹紅は竹やぶの向こうを見やる。
「この手であいつの全身を焼き尽くして、心臓をえぐり出してやるの。何度よみがえろうが、何度でも」
さっき包帯を巻いてくれた、自分が毒を飲んだのではと本気で心配してくれた妹紅はどこに行ってしまったのか。魔理沙は今の彼女に言いようのない薄気味悪さを感じていた。
「ごめんね、理解できないよね。たぶん私は、この体になったときの自分から永久に解放されないんだと思う。そこに諦めがつけられたのは、ある意味サンジェルマンの忠告のおかげ。やつにはそれなりに感謝してる」
妹紅には悪いが、やはりとても理解できなかった。人を憎むのは自分にとってもつらい。だから魔理沙は誰も憎まない、気に食わない奴はただ笑い飛ばすだけ。誰か特定の相手への憎しみが永遠に続くなんて、考えたくもない責め苦だ。
「そっちの事情なんて知るかよ。聞いたから帰るぜ」
威勢よく立ち上がろうとしたら、焼かれた皮膚の痛みで思わずつんのめってしまった。妹紅はとっさに手を貸そうとして、一度動きが止まって、それからゆっくりと魔理沙の腕を手にとって立ち上がった。
「無理しない」
「わりい」
それっきり微妙な沈黙が続く。やっとこさ玄関先まで送り届けてもらった魔理沙は、愛用の箒にまたがって宙に浮かび上がった。
「また……暇だったら来てちょうだい」
「おう。次は、勝つ!」
そう言って親指をぐっと立てると、妹紅も同じ仕草をとった。そしてすでに明け始めた空へ向けて魔理沙は飛び去った。
アリスの家の玄関先。ドアノブに手をかけた魔理沙は、その向こうからかすかな、しかし苦しみに満ちたうめき声を聞きとった。何かがこの中でうごめき、もだえ吠えている。とても面白そうな事態だ。一気にドアを開け放つ。
「うむあぁぁ……頭痛いぃぃ……ぎぼぢわるぅぅ、おうぇっ」
無残に這いつくばり、のたうち回る射命丸文の姿がそこにあった。人形たちがその介抱にあたっている。ちなみにアリス本人はベッドで就寝中。
「どうした、二日酔いか? 妖怪のくせに珍しい」
「わかんないわよぉ。昨日あたし、うう、何にも覚えて、うぇっ、ないけど、むぐぐ……」
どうやら昨日の毒酒には、妖怪ですら重度の二日酔いにさせる薬効があったらしい。
「そうか、記憶が飛んでるか。そいつはなによりだ」
部屋の片隅から例の本を回収して、足早にこの魔窟を立ち去ることにした。アリスはよくここで寝られるものだと思って観察してみると、彼女は耳栓を装着していた。文を屋外に追い出さないというあたりがアリスの最低限の友情表現ということか。
いったん帰宅してたっぷり睡眠をとったあとに、魔理沙は再び出かける準備を始めた。行き先は昨日と同じ、紅魔館。体のあちこちがひりひり傷むのをこらえて湖畔を飛び進む。
「またきたぁ……って、なんだか大怪我していない? やれるの?」
手足に包帯だらけの姿を見て美鈴が妙な心配をし始めた。無駄にお人よしどもめ、と魔理沙は心の中で毒づく。今日のところは門番との勝負は省略したい。この状態でやり合っても不本意な黒星がつくのは確実だ。そのための切り札もある。
「パチュリーに借りた本を返しに来た。今日の私は正々堂々とお客様だぜ」
美鈴が目を丸くする。
「は? ごめん、意味がわからない。いまなにかありえない幻聴が聞こえたような」
「おうおう、ここの門番は主の友人への来客を突っ返すってのか。メイド長を呼んでこい」
あわてて美鈴が門を開ける。
「はうっ、それだけはご勘弁を。来客ぅ、来客でーす」
門番長の合図に、わらわらと妖精メイドたちが寄ってきて魔理沙をエスコートする。やはりおっかなびっくりの態度で10メートルほど離れてだが。特に暴れる気もないのでそのまま図書館まで案内される。
「また来ましたよ」
「来たわね」
ちょうどティータイム中だったらしいパチュリーと小悪魔がいた。明らかに昨日の二人よりも距離が近い。こいつらの歪んだ主従関係には二度と触れるまいと心に誓う。
「本を返しに……」
来たぜ、と言いながら卓に持参の品を叩きつけようとしたところで、小悪魔に制止された。
「こあのくせに」
ささやき声でそう告げると小悪魔はびくりとして身をこごめる。いちいち反応が大げさなので面白い。ことあるごとに彼女をちくちくいじめるパチュリーの気持ちが理解できてしまった。
とりあえずは平和的に席につき、紅茶をいただく。飲んでいる途中で妙な香りがすることに気がつき、魔理沙はクンと鼻を鳴らした。
「なんのにおいだ? ん、紅茶じゃないな……パチュリー、おまえか」
「なに。ひどい侮辱に聞こえるのだけど」
目を吊り上げるパチュリーに対し、急いで訂正する。
「いや、別にくさいってわけじゃないんだが。なんと言うかエスニック系の芳香が。おまえの服からだな、きっと」
パチュリーも自分の袖に鼻を当ててにおいを嗅ぐ。
「ああ、虫除けのハーブオイルのよ。これ今日出したばかりのだし」
「いつもの寝巻きなんで気がつかなかったぜ。紫一色で、そいつは誰かのマネのつもりか」
いつも紫色の服を着ている別の知り合いを思い出す魔理沙。イメージカラーで勝負するなら、どう考えてもあっちが本家だろう。
「いちおうの恩人に敬意を示しているの。飽きたら別のにするわよ」
肯定されるとは思わなかった。いつの間に紫同盟が結成されたのか。
「それで、昨日は何を借りて行ったの」
これです、と小悪魔が卓に置いた本のタイトルを確認して、パチュリーの顔色が少しだけ曇る。
「は。その魔法使いの列伝? どうしてまたそんな過去の人物を」
呆れ顔になったところを見るに、彼女もサンジェルマンの実像を知っていたらしい。
「いや、こいつけっこうな有名人じゃないか。参考になるかと思ったが、まるであてにならん」
魔理沙の話を聞いてか聞かずか、パチュリーはじっと表紙を眺めている。
「ひとこと本人に文句つけてやりたいぜ。いまごろどこで何をしてやがるのか……」
パチュリーは顔を上げ、眉をひそめて魔理沙の顔をうかがった。そして問いかける。
「知らないの? サンジェルマンの悲惨な最期を。魔法使いなら常識と思っていたけど――」
今度は魔理沙が困惑顔になる番だった。
「――そういえば、あなたは生粋の幻想郷育ちだっけ。共有できる知識もないのに常識を振りかざした私が愚かね」
少し腹の立つ言い方なので、『アリスも知らなかったぞ』と言おうとして気がついた。彼女は魔界人だ。パチュリーの言ってる常識とやらは、外の世界出身の魔法使いなら常識ということなのだろう。
「そういや、ろくな死にかたしないって予言されてたんだっけ。どうなったんだ」
目を伏せ、一度咳払いしてからパチュリーは語りだす。
「サンジェルマンは、貴族という階級に異常な執着を持っていたの。ところが一度フランスの王家を滅ぼしてしまったものだから、しばらく放浪したのちに名前を変えて、今度はロシアに潜伏した」
「ふむ、そこでもまた何か悪さをやらかしたと」
「ええ。彼の生涯最大の計画、あの巨大な帝国をのっとろうと企んだ。噂では、そこの皇后に取り入って密通し、自分の子供まで孕ませたというわ」
いきなり生々しい話になってきた。本当に力ある魔法使いは、そういう肉欲とは遠く離れたところにいるはずなのだけど。
「ゆくゆくは、彼自身を聖者としてあがめる宗教国家でも作りたかったのじゃないかしら」
「おお。信者がたくさんいれば外の世界でもやっていけるはずだしな。わりと頭いいな」
「でもその計画が皇帝の親戚筋にばれてしまって、あっさりと暗殺されてしまったの。分不相応な野望の代償ね」
暗殺という不吉な言葉に魔理沙は違和感を感じ取った。
「あれ。人間がそう簡単に魔法使いを殺せるものか?」
「それはもう。いくら毒を盛られても死なず、銃を何発撃たれても死なず。瀕死の状態で凍った川に投げ込まれて、やっと水死したそうよ」
そこまでされたら魔法使いでも死ぬのか、いい勉強になった。
「ろくでなしは最後までろくでなしか。何が遺産だ……ん?」
ひとつなにかが引っかかる。パチュリーの話を最初から思い出してみて、気がついた。
「待てよ。それが本当なら、サンジェルマンには子供がいるはずじゃないか、王妃に産ませたとかいう。もしかしてそいつが遺産でした、とかいうベタな落ちかよ」
パチュリーは頬杖ついて紅茶をすすった。
「だとして、どうするの」
「ああうん、親がいないならガキでもいいや。ひとこと文句を」
「言ったらいいわ。その子ならいま――」
ここで言葉を区切って、じっと魔理沙の目を見つめる。
「――あなたの目の前にいるから」
魔理沙は思わず紅茶を吹き出しかけた。何度か咳き込んで、口元をぬぐってからパチュリーをまじまじと見つめる。彼女は視線をそらさず、ただにっこりと笑った。
「と言ったら、信じる?」
パチュリーは立ち上がり、『サンジェルマンの遺産』を手に取ると小悪魔に返した。
「忠告したでしょう、嘘と真実を見分けられない者に魔法使いは向いてない。だいたいね、その本がまるで無価値であると気がつかなかった時点であなたの敗北よ。出直してらっしゃい」
魔理沙の顔に、徐々に血の気が戻る。
「てんめえ、つい信じちまったじゃ……あう、いて、いてて」
地団駄を踏んだ拍子に包帯がずれてしまった。水ぶくれのできた皮膚に直接外気があたる。
「うう、出直してくるよ、こんチキショウ」
魔理沙は箒にまたがり、宙に浮かび上がった。
「少しだけ、いまの話には続きがあるの」
「なんだ、手短に頼む」
体のあちこちが痛いし、正直この一件にはもう興味を失っている。だけどパチュリーが特別に話したいという続きなら、まだ何か裏があるのかも。
「たちの悪い魔法使いに簡単に騙されてしまった皇帝の一族は、すっかり民からの信頼を失った。それから数年と経たないうちに反乱を起こした民衆に捕らえられて、みんな処刑されてしまったそうよ」
「盛者必衰は世の理だろ、悪いが聞いて損した」
言うなり図書館を飛び出す魔理沙。行き先はもちろん、昨夜場所を覚えた竹林の小さな庵だ。自分で自分に包帯を巻くなんて面倒だ、無駄に面倒見がいいお人よしに任せるに限る。
予定外のお客が去った紅魔館の大図書館。小悪魔は一冊の本を棚に戻そうとして、もう一度その書名を見つめた。
パチュリーは誰にも過去を語らない。彼女の数十年来の友人ですら、パチュリーがただの人間であった頃を知らないし、興味もない。
だが小悪魔だけは、かつて断片的に主人の過去を聞かせてもらったことがあった。詳しく語りたくないのも当然の、忌まわしい記憶。
彼女の両親と弟は、革命戦士を名乗る狂信者によって殺された。血に飢えた男たちは、彼女の姉たちに対しても言葉にしがたい乱暴をはたらきだした。
極限の恐怖と、憎悪と、絶望に直面したとき、彼女の中に眠る本当の力が目覚めた。
その後、紫の服の女性に導かれて幻想の郷にたどりついた彼女は、吸血鬼の少女と友誼を結んで少しずつ心の傷を癒していくのだが、それはまた別のお話。
文章量と内容のバランスがちょうどいいのでとにかく読みやすかったです。
パチュリーさんがいいキャラしてる。
オリジナルの設定とキャラが上手くまとまっていて良かったです。
サンジェルマンとラスプーチンを繋げ更にパチュリーに....
文章も読みやすくパチェの魔理沙のあしらい方が絶妙だと感じました。
君も良いやつだ。 メチル・アルコルのカストリでも飲め。
ちなみにさ、「さまよえるポルトガル人」もこの世にはいるらしいぞ
妹紅が旅をしてた頃の話は夢が膨らみますよね