「…………」
脳は瞬間的に覚醒し、体の反応もそれに追随するかのごとく。
久々に悪くない目覚めである。
瞼を擦ると、微かにあった眠気の残滓は雲散霧消する。
「ふう」
一息ついて寝床を抜け出した。
眠くはないが、暖かさに感けて時間を無為に過ごしてしまいそうだったので、潔く起きることにしよう。
「おはよう、みんな」
人形たちに呼びかけると、呼応するように動き出す。
上海と蓬莱が先頭に立ち、全員が一斉に恭しくお辞儀をした。ある意味、壮観の一言に尽きる。
寝巻きを脱いで、いつもの服に身を包んでいく。
最後にカチューシャをつけ、果たして「アリス・マーガトロイド」は完成した。
さて、とっとと朝ごはんを―――
「おはようございます、とてもいい朝ですわね」
「たった今最悪になったわとっとと出てけ」
「あらあら、つれないこと」
―――作ろうかと決意を露にしようとした矢先、出鼻を挫かれた感覚に陥った。というか、挫かれた。
八雲紫はテーブルを我が物顔で占拠しており、あまつさえ最近仕入れたばかりのわたしのティーカップを使い、優雅に紅茶を啜っているではないか。
まるで度々紅魔館に忍び込む白黒のようだ。
動かない大図書館の苦労が手に取るように理解されていく。今度会ったら、できるだけ優しくしてやろう。
「来るなら来る、来ないなら来ない、ちゃんと言いなさいよね。前もって、前日に、事前に!」
「寝起きは誰しも不機嫌なもの。ほら、ツンツンしてないで座りましょう? 二人でゆっくりお茶を飲めば、熱さも忘れるわよ……ははあ、もしかしてあなた、俗に言うツンデ」
事前告知無しのリトルレギオンが発動した。
「で、何の用よデバガメ」
「ふふ、なんとなく来てみただけよ。途中経過を確認しにね」
「悪趣味ね。マーガトロイド家には、スキマに向かって塩をぶつけて二度と来るなと追い返す慣わしがあるんだけど、やっていい?」
「嫌いの裏返しは好きなのよね。ふふ、ありがとう」
「勝手に裏返すな」
先程のリトルレギオンは難なくかわされ、続く首吊り蓬莱人形はスキマへと吸い込まれていった。
こいつを凹ませるにはどうすればいいかと思ったが、暖簾に腕押し糠に釘。こちらが『大人の対応』をするしかないのであった。
「それで、確認は終わったの? 終わらなくても帰るべきそうするべき、とわたしは思うんだけど」
「つれないわねー。何か失礼なこと、貴女にしたかしら?」
現在進行形で迷惑をかけ続けているというのに、しかも自覚しているから最悪だ。
何とかできる手段を持たないこの身がもどかしい。
「……ま、それはこれからね。と言っても、今すぐに」
にこり。
「っ!」
背筋が氷柱に取って代わられたかのような寒気と、心の『隙間』を覗かれたようなおぞましさ。
同性から見ても美しいと思ってしまう八雲紫の微笑みにはそれらが同居している。隠そうともしていない。
圧倒的な清廉さを醸しながら、スキマはゆっくりと近付いてくる。
奴とわたしの隙間は徐々に埋まっていき、やがて紫はわたしの前で歩みを止めた。
「ねえ、アリス」
「―――なに」
声を絞り出すのが精一杯だった。
しかし出た言葉は、拒否ではない。探りのそれである。
……以前の自分をふと思い返すと、これほどまでの圧迫感を前にしたら、まずは逃げ道を作ろうと模索していたに違いない。
負けたら後がない。故に、自分は全力を出さない。
だから、わたしは逃走一択の手を打つ。
しかし勝てるはずもない絶対的な力を目前に、わたしは拒まなかった。
「弾幕ごっこ、しましょう」
「――――」
理解はまだやってこない。
蛇に睨まれたカエル、萃香に睨まれたにとりだったアリス・マーガトロイドのシステムはパーフェクトフリーズ。
破壊の権化にも思えた八雲紫の妖力は形を潜め、奴は「どうかしましたか?」とでも言いたげに笑っている。
鈍足すぎる思考回路はいまだシナプスを走破できていないようで、わたしは三分ほど固まっていた。
「イエスかしら、ノーかしら?」
「―――はい?」
「イエスね。それじゃあ見晴らしのいい場所に移動しましょうか」
疑問を呈した言葉のつもりだったが、紫はそれを見抜きつつも肯定と捉えたようだ。
なんとも最低な―――
「とうちゃーく」
そして元凶を睨みつける頃には、見慣れた神社の境内に、わたしは立っていた。
「はあ、なんでここを選ぶかなあんたたちは」
わたしじゃない。わたしは違う。
一生懸命顔を横に振る。ぶんぶんと風を切る音が聞こえないほど、勢いよく振った。
「いいじゃない霊夢。長い人生、適度なストレスも必要よ?」
「その原因が何を言っても説得力に欠けるわね。二人まとめて夢想封印しておけば、そのストレスもちょっとは軽減されるかしら」
なぜか巻き添え確定だった。
「大丈夫よ。腐っても幻想郷を管理する八雲紫が、住処を破壊するような真似をすると思って?」
「しそうだから言ってるのよ。あんたなら壊しても元通りにできるからいいじゃない、とか考えてそうだし」
「あら、わかってるじゃない。さすが博麗の巫女、格が違うわね」
何と比べてだろう。
これから行われようとしている一方的な催しを前に、わたしは軽い現実逃避に陥っていた。
「アリス、準備はいいかしら」
「……突然連れてきて、準備も何も」
最後の抵抗を試みた。
「そんなこともあろうかと、持ってきてあげたわ」
無駄だった。
紫が指を弾く。スキマが開き、わたし愛用の人形たちが雪崩のように出てくる。
四面楚歌。前門の虎後門の狼。しかしまわりこまれてしまった。
様々な絶望色のフレーズが脳を過ぎっては蓄積していく。
「いいぞーやれやれー」
異変を止めるべき巫女は囃し立てている。仕事しろと言いたい。先程までの態度はどうした。
「お、なんだなんだ。霊夢、何が始まるんだ?」
「アリスと紫が弾幕ごっこするのよ」
「そーなのかー」
「あら、久々に遊びに来たと思ったら、面白そうね」
「お嬢様、日傘から出ないようにしてください」
「おや、幽々子様。アリスと紫様がなにやら始めそうな雰囲気ですよ」
「あら、紫ったらわたしに黙ってこんな面白そうなことを」
見慣れた顔に、あまり見慣れない顔。有象無象が犇きながらやって来た。
おのれ、なんで今日に限って集まってくるのか。責任者出て来い。
「ご苦労様、萃香」
「これくらいお安い御用よ」
あっさり出てきた。しかも裏取引がされていたようだ。
望まずとも状況が勝手に成立していく。
どう足掻いても、逃れることは出来なさそうだった。
弾幕ごっこをやるのは構わないのだが、当事者を差し置いて物事を進めていくのは腑に落ちない。
「納得いかないようね」
「そりゃ、いく方がどうかしてる」
「ごもっともね。でも、こちらにも事情があるのよ。準備体操の次は、踊りを覚えてもらわないと」
その言葉ではっとなる。謎が解けていく。
やがて、理解が満ちた。こいつの考えを悟った。
こいつは、『アリス・マーガトロイド』を―――
「舞台は整い、観客は揃い……あとは何がいるかしら」
スキマを周囲に侍らせて、紫は目を細めた。
奴は、『わたし』を待っている。
唾を飲み込む。目頭を押さえる。
こいつが用意した船に、わたしは自分から乗った。挑発に乗ったと言えば自己弁護の理由にもなるが、ここまで紫の思惑通りに動いてしまった今では、その行為に意味はない。
『やらねばならない時』。『やらなくてもいい時』。
今は。
そして『あとは』何が必要か―――
「―――いいわ、やってやろうじゃない」
決断した。
ごちゃごちゃと絡まりあっていた思考の糸が燃え落ちていく。
「あら、頷いてくれるのね。ありがとう」
紫は扇子で口元を隠すが、三日月のように鋭く尖っているのはバレバレで。
しかし不思議と、悪寒は走らなかった。
乗りかかった船ではなく、乗ってしまった船である。
難破しようが沈没しようが、わたしはすでにこいつと共にあるのだから。
「こうなったら最後まで、あんたの掌の上にいてやるわ」
「その潔さ、感嘆に値しますわ」
ふわり。
互いに浮かび上がり、小高い中空へと身を躍らせる。
「時間無制限」
「先に被弾した方の負け」
わたしの予想が正しければ―――
「霊夢、合図よろしくね」
「ええ」
お払い棒を天に掲げ、霊夢が時を告げる。
「はじめ」
続く
ずっと続きをお待ちしていた作品の一つです。
もう一度最初から読み直さないと…。
また近いうちに会えるのを、お待ちしていますね。
いきなり話が終わったのでどうしたのかと思いました
次回作楽しみにしています
続きが楽しみです。