上海の新しい服を作ろうと決めたのが昨日。
それを作るには特殊な繊維が必要で、家から少し離れた森に入っていったのが今朝。
目的の植物を見つけて、さあ帰ろうと思ったのがさっき。
そして、今。
空を見上げたアリス目がけて、小悪魔が降ってきた。
それがブラウン管越しだったら、ちょっとしたコメディだ。空から降ってきた小悪魔は、木々の枝で多少の減速をしたものの、ほぼそのままの勢いで大地に突き刺さった。そう、突き刺さったのだ。
それも首から。並の人間でなくとも、即死は確実だろう。
アリスとて、生きている自信はない。
「ぶもももぶもほぶ」
大地の下から聞こえる声。信じがたいことに、生きてはいるらしい。さすがは悪魔の名を持つだけはあると評価してもいいのだが、いかんせん相手は首だけ埋まった謎のオブジェ。これを褒めることは、将来のアリスにも何らかの影響を与えかねない。
いっそ見なかったことにして、帰ってしまうのが得策ではないか。
俄に湧き出した誘惑に、身体ごと引っ張られる。
「んー! んー!」
立ち去る気配に反応して、小悪魔が唯一自由を許された両足をバタバタと動かした。
スカートでそんなことをするものだから、世間様に披露してはいけないものを余すところなくお見せしている。
これはいけない。そんな姿を見せられては、助けるしか他になかった。
大根を抜く要領で、小悪魔を引っこ抜く。
「ぷはーっ!」
土を吐き出しながら、顔を覗かせる小悪魔。茶色くなっても、可愛らしい顔立ちに遜色は、まぁ若干あるが。
アリスはハンカチを取り出し、顔についた土を拭いとってあげた。紅玉を溶かしたような流れる髪にも、よく見ればびっしりと土がこびりついている。
「まったく、仕方ないわね。あなた、確かパチュリーのところの小悪魔よね」
「あ、はい。小悪魔です」
「良かったらウチに来なさい。シャワーぐらいなら貸してあげるわよ」
小悪魔は少しだけ考えて、自らの髪を梳きながら首を縦に振った。悪魔と言えども、女の子。土まみれの格好で帰ることが、我慢ならなかったのだろう。
手助けしてやる義理はないものの、このまま放って帰るのも目覚めが悪い。それに、目的の物は全部手に入れたところだし。シャワーを貸すぐらいなら問題もないはず。
そう思って歩き出したところで、ふと立ち止まる。
「そういえば、どうして空から降ってきたのよ」
「あ、ああ……いや、別に大したことじゃないんですよ。ええ、大したことじゃ」
頭の横についた羽をパタパタと動かしながらついてきていたのに、急に顔をひきつらせ、目線を泳がした。
「言いたくないなら良いんだけど。言えることなら知りたいわね」
責め立てるわけでもないアリスの言葉に、しかし小悪魔は表情のより一層曇る。言うべきか言わまいか。葛藤している心中が、ありありと浮かんでくるようだ。
「わ、わかりました。お教えします。でも、その代わり、絶対に誰にも言いふらさないでくださいね」
いやに強く念を押すものだから、考えもなしに頷いてしまう。元より広めるつもりなどないのに、そうまで言われると緊張してしまうから不思議だ。
「実はですね、私を吹っ飛ばしたのはパチュリー様なんです」
それに関しては、何となく予想はしていた。こんな芸当が出来るのは、紅魔館ではパチュリーぐらいのもの。さしたる驚きはない。
問題はこれから。此処から先はアリスにも予想不可能な未知の領域なのだ。
固唾を飲んで、小悪魔の言葉を待つ。
「パチュリー様はこうおっしゃいました。よくよく考えたら宇宙船なんか無くても、大砲に大量の火薬詰めたら宇宙に行けるんじゃない?と」
太陽を竹槍で突き落とすようなトンデモ理論に目眩を覚える。あそこの魔女は知識も豊富で、アリスよりも遙かに賢者に近い位置へ立っている。そのせいなのか、時折とても理解できないような事を言うのだ。
永琳あたりがそれに近い。天才であればあるほど、常人に理解できない言動を見せるもの。
しかし、これはいくら何でも。
顔を押さえ、言葉を失う。
「まぁ、案の定失敗しちゃったみたいですけどね」
大砲で撃たれたのに、恨む素振りを欠片も見せない小悪魔。その純粋さに、若干顔をしかめる。少しだけ、眩しかった。
こんな女の子が、幻想郷にいただなんて。
悪魔という名前通り、てっきり悪戯好きな妖精みたいな奴だと勝手に決めつけていた。しかし、名前で判断するには難しい悪魔だったようである。
この子になら、シャワーぐらい貸しても惜しくはない。そう思わせる魅力があった。
もっとも、それも彼女の技なのかもしれないが。
「とにかく、早くシャワーを浴びましょう。そんな格好してたら、髪が傷むわ」
後ろをついてくる小悪魔は、上機嫌で「アリスさんとシャワー、アリスさんとシャワー」などと珍妙な鼻歌を歌っている。
機嫌が良いのは構わないが、誰も一緒にシャワーを浴びるとは言っていない。
そう、言っていないはずだった。
「小悪魔って……小さいのは名前だったのね……ふふふ……なによ、本当は中悪魔じゃないのよ……」
浴室から出てきたアリスは、勝負もしていないのに完膚無きまでに打ち負かされていた。がっくりと膝をつき、濡れた髪から垂れた水滴が床にシミをつくる。
「何してるんですか、アリスさん。髪乾かさないと、風邪ひきますよ?」
洗面台にあったドライヤーをフル活用しながら、不思議そうな声で尋ねてくる小悪魔。いつまでも敗北感を味わってる場合ではない。彼女の言葉は間違っていないのだから。
乾かし終わった小悪魔からドライヤーを渡され、痛まないように自分の髪の毛からも水気を飛ばしていく。しばらくして終わった時、ふと小悪魔の髪がまだ少しだけ濡れていることに気が付いた。
家主が使うべきだからと、気を利かせたのか。まったく、よく出来た悪魔だ。
「小悪魔、ここに座りなさい」
「は、はい」
蔦が絡み合ったような椅子に座らせ、軽くドライヤーをあてていく。さりげなく手櫛を入れ、感触を楽しんだ。
世界がパルスィするような髪だ。最高級の糸を使って、髪の触り心地を意識した人形にだってこの感触は出すことができない。気がつけば、いつまでも触りたくなっている。これも悪魔の能力なのだろうか。
ともすれば透き通りそうなほどきめ細かい髪の毛。触るたびに手が絡め取られているのような錯覚を覚える。逆に撫でているのはこちらではないかと、思わせるほどの髪の毛だ。
「んんぅ、アリスさん?」
「あっ、ごめんなさい。なんでもないわ」
名前を呼ばれ、意識を取り戻す。危ない、危ない。また魅惑の世界へ旅立っていたようだ。
「いいですよ。パチュリー様も、そうやって私の髪を触るのが好きみたいですから」
「パチュリーも?」
「ええ」
意外な名前に驚きを隠せない。あの手の魔女は、こういった事に疎いと思っていたけれど。
そう考えれば、嫉妬の対象がパチュリーに移る。なんとも羨ましいではないか。あの髪を毎晩撫でることが出来るのだから。
「良かったら、もうちょっとだけ触ってみます?」
「良いの?」
「シャワーを貸してくれたお礼です、というのはちょっと調子に乗りすぎですかね」
「元からお礼なんか期待してないわ。でも、触らせてくれるのなら断る理由はないわね」
再び腰を降ろす小悪魔。背後に立ったアリスは、得も言われぬ妙な緊張感を覚えていた。
まるで、これから服を脱がすような感じだ。実際はただ、髪を触るだけなのに。
何度か深呼吸して、緊張を和らげた。
少し震えの残る手をのばし、艶やかな髪を撫でる。ふかふかの獣に手を埋め込んでいるようで、思わず顔がにやける。小悪魔が前を向いていてくれて助かった。こんなにやついた顔など、他人に見せていいものではない。
何度も何度も梳いていくうちに、段々と小悪魔の首が据わらなくなってきた。誤って髪を引っこ抜かないよう気を付けながら触っていたけれど、そのうち小悪魔は寝息を立てながら夢の世界へと旅だってしまう。
このままベッドに寝かせてもいいのだが、それはそれで色々と問題がありそうだ。かといって、背負って紅魔館まで行く体力もない。
正面に回る。子供のような寝顔は可愛いけれど、仕方がないことだ。
アリスは両肩を揺すり、小悪魔に覚醒を促した。
「あれー、ここどこですかぁ?」
寝ぼけ眼を擦りながら、ふわふわと浮くような声を出す小悪魔。僅か短時間のことながら、すっかり意識は鈍ってしまったらしい。寝付きがいいと言うか、寝起きが悪いというか。
「私の家よ」
「アリスさんの、家ぇ?」
焦点の定まらない瞳に、少しずつ光が戻り始めている。
「えっと、確か……」
唇にあてた指先が、皺のよった眉間に移る。
うんうんと唸って、おお、と手を合わせた。
「全部思い出しました! アリスさんの手つきが気持ちよすぎて、つい寝ちゃったんですね、私」
頬を赤く染め、気まずそうに頭を掻く仕草のなんと可愛らしいことか。パチュリーに頼んで、配属を変えてもらいたいぐらいである。勿論、アリスの家担当の。
もっとも、それを小悪魔は望んでいないだろう。パチュリーの名前を口に出す時の彼女の顔を見ていれば、どんな鈍感にだって分かることだ。
「髪、弄られるの好きなのね」
「えへへ、実はそうなんです」
触らせてくれたのも、今にして思えば自分が気持ちいいからなのだろう。お礼などと言っていたが、ちゃっかり自分も楽しむとは。さすがは小悪魔と言ったところか。
「まぁ、私が言えた台詞じゃないけどあまり他人に弄らせないことね。痛むのが早くなるわよ」
「私が髪に触らせたのは、パチュリー様とアリスさんだけですよ」
「ん……」
特別な扱いをされているようで、何とも答えに困る。
「ほら、前にパチュリー様の髪を弄ってられたじゃないですか。あの時の手つきを見て、ああこの人なら触ってもらいたいかも、なんて思ってたんです。密かに」
そういえば、と思い出す。あの魔女は身なりに興味が全くなく、たまに髪をボサボサのままにしているのだ。それが我慢できず、ついつい手を入れてしまうことがしばしば。その時の様子を、小悪魔は見ていたらしい。
「褒めて貰えるのなら、こちらとしても嬉しい限りよ」
「あ、あの……」
溌剌とした笑顔が一転、こちらの顔色を窺うようなものに変わる。
「良かったらですけど、また私の髪を弄ったりして貰えませんか? 本当に、暇があればで良いんですけど」
予想だにしなかったお願いだが、断る理由などどこにもない。アリスとて、出来ることならまた触ってみたいと思っていたのだ。
「いいわよ。暇があれば、また此処に来て」
「はいっ!」
両手を合わせ、笑顔を零れさせる。笑顔が眩しいとは、この子のような者をさして作られた言葉に違いない。
アリスはそう思った。
さて、楽しむ時間も、ここまでにしておこう。続きはまた、次の機会にとっておく。
パチュリーを妬みはしたものの、よくよく考えれば本当に恵まれているのはアリスの方なのだから。
毎日触っているパチュリーと、たまにしか触れないアリス。その両者を比べたら、きっと感動が大きいのはアリスの方。
だからアリスはあっさりと小悪魔を帰すのだ。
彼女はきっと、また此処に来てくれるだろうから。
翌日も空から小悪魔が降ってきた。
「パ、パチュリー様が今度はニトロを使ったから大丈夫って……」
より感動できる方法に、パチュリーも気付いたのだろうか。
肩をすくめながら、また髪についた泥を拭ってあげる。
「仕方ないわね。今日もシャワーを浴びていきなさい」
待っていましたとばかりに、嬉しそうに飛び跳ねる小悪魔。喜んでくれるのは有り難いが、言っておかなければならない事が一つだけあった。
「ただし、今日は一人で入ること」
敗北感を味わうのは、一日だけでいい。
これは幸運と思っていたら感想が消えたorz
人間(?)大砲も幻想になったのか……
頭についている羽をパタパタ動かすという仕草も可愛かったですし、アリスが彼女の髪を弄ったり
といった光景も良かったです。
のんびりとしてて面白いお話でした。
あと大砲云々で、大砲で人を撃ち出して移動したりする某ゲームを連想しました。
誤字の報告です。
>太陽を竹槍を突き落とすような
『竹槍で』ですよね。
面白いほどよくまとめられた起承転結でした。
ついでに誤字(?)の報告をば。
>「わ、わかりました。お教えてします。
ここは「お教えします」では?
申し訳ありません。
あら?
しかし2828だぜww
推敲をお願いします
ありがとうございました
これは小悪魔さんの時代がきたということか~!
今のコピーより売れるんじゃね??
ストレートで読みやすかったです
こあかわいいです
アリこあとは良いものだ。
ナイス天啓!
大砲のくだりで「月世界旅行」思い出したw
それにしても、こあ、丈夫ですね。
小悪魔が可愛かったです。全体的にちょっとあっさりすぎたのが残念。
それにしてもこあかわいい