【紅の少女~謎を残して~】
小さな阿求さんの後をつけ回すように進んで、やっとお屋敷に着きました。歩幅が違うので、どうしても変な歩き方になってしまうのです。別に様々な角度から阿求さんをなめ回すように見ていたわけではありません。
「ここです」
「はー、凄いですね。うちの、あ、紅魔館というところの門番なんですが、あそこと同じくらい素敵な場所なんじゃないでしょうか」
「あら、門番さんにお褒めいただけるとは光栄です。さあ、どうぞ」
「はい、失礼しまーす」
遠巻きに和風のメイドさんみたいな人に見られつつ、私は奥に進んでいきました。
「あ、すみませんが、二人分のお茶と菓子類などをお願いします」
歩いている途中、使用人みたいな人に頼んでいました。私の分もあるみたいです。
「えっと、ありがとうございます」
礼を言わないのも失礼だと思ったので頭を下げたのですが、特に返事もなくそそくさと奥へ行ってしまいました。心なしか足取りは速めです。
「紅美鈴さん?」
「あ、はい。……あと、私の事は美鈴と呼んでください。なんだか全部言われるとむず痒いんです」
「ふふ、わかりました。……ここが私の私室みたいなものです。大体はここで仕事をしていますかね」
ほどなくして、到着したようです。結構な距離を歩いた気がするのですが、さすがに大きいお屋敷だけはあります。
「庭がよく見えて良い場所ですね」
「具体的に褒めてくださって、ありがとうございます」
「あ、はあ」
時々こういう妙な言い回しが入るのはなぜなんでしょうか。ちょっと見た目の年齢からは想像しづらいのですが。感じからして、妖怪でない事は確かです。気の流れがおかしいのは気になりますが。あ、別に気の流れと気になるとかけて駄洒落では。
「お茶をどうぞ」
いつの間にか、二人分のお茶とお菓子が置いてあります。何とも仕事が早い限りです。
「……気遣い有り難うございます」
「どうかしましたか? また妙な顔を」
「いえ! なんでもありません。あの木のせいということにしておいてください!」
適当に見繕った木を指さしてわけのわからない言い訳をしてみましたが、私は一体何がしたいんでしょうか!
「緊張なさらずとも結構ですよ」
「してませんから、大丈夫です」
「それとも、先ほどの使用人の目が気になりましたか?」
「あ、いえ、それは」
実はそうだったのかもしれません。普通に接してくれる方々が多いので忘れていましたが、妖怪は人間を襲うのが本分です。だから、ああいった態度を取るのが当たり前ではあるのですが。
「先ほど言った、私の務めについてなのですが」
とん、と机の上に分厚い本を置いています。題は、幻想郷縁起と書かれているようです。中国語読みだとなんでしたっけ。忘れました。
「妖怪について記している本です。昔は注意喚起を呼びかけていた役割の砲が強かったのですが、今は妖怪の広告みたいな内容になっています。ほら、これがあなたです」
「あ、本当だ。ちゃんと絵まで……って、後ろ姿だけ!?」
内容については大体あっているのですが、絵が何とも残念です。
「後ろ姿の方が格好良いと思いましたので」
「え? そうですかねぇ、照れますねぇ」
「……その、本当に妖怪とは思えないですね」
「今日会う人全てに言われている気がします」
私はそんなに変なのでしょうか。
「大体の人は笑っているので、馬鹿にされているわけではなさそうなんですが……」
「ああ、それはそうでしょう。だって、あなたは……」
そこで止まって、しばらく考え込みました。
「いい人、のようですから」
「いえ、妖怪ですって」
「わざとですよ。まあ、時折シエスタをしているのは気になるところですが……」
「あ、あれは! 精神集中に必要なのです! 一昼夜見張りをするという緊張を保つために……!」
面倒だから眠っているわけではありません! 暖かいからつい横になってしまっているわけではありません! いつの間にか意識が飛んでいるわけではありません!
「そんなに必死で否定すると、かえって怪しいですよ」
くすくすとおかしそうに笑われてしまいました。
「それにしても、一日中ですか……大変ですね。私からは考えられません」
「もう慣れていますから。私はこういう風に書き記す方が大変そうですよ」
幻想郷縁起はこの一冊に纏めてあるのですが、私室を見回す限り他にもたくさんの資料があるみたいです。多分、あれを参考に一冊にしているんだと思います。その作業を想像するだけでもくらくらします。
「あなたは体育会系なのですね。まあ、でも私の務めはもうほとんど終わっているのですけどね。さっきも退屈だから買い物に出かけていただけですし」
「終わって……いえ、それは後で聞きます。それよりもですね」
「あら、なんですか?」
「どうして霊夢さんと一緒に、というか、あの人は私にあなたを頼んだのでしょうか」
最初から一緒にいたのかどうなのかわからなくて、変な聞き方になってしまいました。
「ああ、博麗の巫女さんとは出先で会ったんです。賽銭がないって怒っていましたが」
「あんなところにある神社には、なかなか行けないとは思います」
「ですよねぇ。面識があったので少し話をしていたら、あなたとあの……外来人の方が何やらもめて、いや、絡んでいたのかな? とにかく、それで霊夢さんが」
「助けてくれたわけです」
「口を出してきた、とは言わないんですね」
「なぜですか?」
「いえ、別に」
そういってお茶をすすっていますが、今のやり取りの意味はよくわかりませんでした。
「んー、でも霊夢さんが私を阿求さんに任せたのはよくわからないですね。一応、私だって妖怪なんですけど」
「人間に襲われていたからじゃないですか」
苦笑しながら、そんなことを言われてしまいました。
「た、確かにあれは襲われていた……と言えますが……。えっと、早苗さんでしたか、あの人は、その、なんなんです?」
「外来人の方、だけでは説明が足りませんか?」
「ああいえ、最近来た妖怪の山の神様に仕えている人……だったかな、というのは知っているんですけど」
「ということは、あのやたらめったら参拝客に弾幕勝負を仕掛けてくる、あれの事についてですか」
「え、ええ……あれは一体」
「謎です」
きっぱりと答えられました。
「そ、そうなんですか……」
「人の心なんて読めませんからねぇ。そういう妖怪もいるらしいですけど」
「へー、そうなんですね」
私の心の中を読まれたら、どういう顔をするのか気になります。
「まあ、私見で良ければ述べますが?」
「あ、はい」
「あの方は、そうですね……。面倒だから詳しい説明は省略しますが、お上りさん状態なのだと思います」
「……大体理解できました」
「でしょう。興味深い人物ではあるのですけどね、あなたと対になっていて」
「え?」
「妖怪は人間を襲うのが当たり前だったでしょう」
「あ、はい。私は余りしませんが」
こういうことを言ってしまうのは、やっぱりさっきの目線が心に残っているからでしょうか。
「わかっていますよ。ちょっと話を戻しますが、彼女たちも悪気があってのことではないですから」
「それは、良かったです」
気を遣わせてしまったみたいですが、素直に感謝すべきだと思いました。
「それで、ですね。あの人はどうも参拝している人を誰彼構わず襲いかかっているようなんですようね」
「私もでしたが……何か悪い事でもしたんでしょうか?」
「いえ、あなたは別に悪くないです。強いて言えば? 環境に毒されたという感じですか」
「環境、ですか。今一つぴんと来ないです」
「そうですね……。ここからは本当に私の推測なので、適当に聞き流してくださって結構です」
「そんな。ちゃんと聞きます」
「ふふ、ありがとうございます。博麗の巫女の考案したスペルカードルールなのですが、あれのおかげで人間と妖怪が対等に戦えるようになったんですね。大体は力が強い方の勝ちになるのですが、あの霧雨魔理沙でしたか、ああいった努力した人間が力の大きな妖怪にも勝てるようになっています。というか、神様にも勝てるようですね、あれなら」
「そうですね。私もよく肉弾戦を求められるんですけど、時々弾幕ごっこはします」
圧倒的に少ないですが。
「もしかして最近決闘の申し込みが増えたのは、この幻想郷縁起に書いてある事のせいなのでしょうか」
「そうかもしれませんね。ご迷惑でしたか?」
「いえ、色々な方と話せるのは楽しいです」
「戦える、ではないんですね?」
「え? ああ、そういえばそうですね」
「なるほど」
何やら納得したような顔で頷いています。
「妖怪は好戦的なのだと思いますが、特にあなたはそうではないみたいですね。他者との触れ合いを優先しているような言動です。先ほどから時々わざと変な事を言っているですが、怒る様子もありませんし」
「……何かありましたっけ?」
よくわからないやり取りがそれなんでしょうか。
「それはともかく、人間の妖怪化、もしくは妖怪の人間化が進んでいるのではないかと思いましてね。ここ近年で特にそれが顕著になってきた傾向にあります」
「あー、そうですかね。私は元からこんな感じのような気がしますけど」
「全体の話ですかね。あー、面倒だから説明をと言ったのに、結局全部言ってしまいましたね」
そういえば、確か早苗さんについては詳しい説明は省略する、ということでした。それで、人間の妖怪化ということは、つまり……。
「早苗さんは妖怪だっていうことですか?」
「ぶっ! いえ、何を言っているんですか……!」
口に含んだお茶を吹き出してむせてしまいました。とりあえず、背中をさする事にします。
「えっ? 違うんですか?」
「……まあ、それくらい好戦的になっている、というのは確かだと思います。さすがに力を持たない人間は襲っていないようですが」
「うーん、まあ人が死んだりとかはしないからいいんじゃないでしょうか」
「そうともいえますね。とはいえ、博麗の巫女から聞いた話と、先ほどの件しか見ていないので、普段のあの人はそこまでおかしくはないかもしれません、と予防線を張っておきます」
「は、はあ。そうですか」
少なくとも私に言っているようには感じないのですが。
「それと、最後に補足ですが人間が純粋に妖怪になるという例もいくつかありますが、今言った事は立ち振る舞いや心の問題なので、後天的な魔法使いなどには当てはまらないですね」
「パチュリー様は生まれながらの魔法使いでしたっけ」
頷きながら、お茶をすすっています。この話はこれで終わりと言う事でしょうか。
「ああ、それで来る前にあなたを招待するのも私の務め、とも言いましたよね」
「ええ、それは覚えています」
「現在の私、は人間と妖怪の架け橋を用意するような役目になっていますね。で、一応あなたなら大丈夫かなと思って屋敷に連れ込んでみました」
「大丈夫ってことでいいんですか?」
「ええ、これで私の務めも本格的に終わりですかね」
そう言って伸びをする阿求さんは、何だか儚げでした。
「務めが終わりですか、なんだか哀しいですね」
「おや、ずっと門番の務めが続くあなたがそれを言うんですか?」
「私は楽しいですし」
「そうでしたね。私はまあ、楽しいと言えば楽しかったですかね。絵も可愛く描けるようになれましたし」
その割には、どこか他人事のような口調で話しているようです。
「あの、なんだか寂しそうですけど、間違っています?」
「……ふむ、そうですね。半々と言ったところですか」
「……?」
言葉の意味を考えていると、阿求さんの目がすっと細められました。
「試してみますか」
「あの?」
「私は、ですね。いいですか」
「は、はい」
念を押すように言っている阿求さんの顔には、余り感情が見受けられません。
「もうすぐ死ぬと思います」
「え……?」
何も考えられなくなりました。
「あの……」
「先ほど、私は九代目稗田と名乗りました」
「あ……はい」
「稗田の人間、というより御阿礼の子は代々この幻想郷縁起を纏めるために、ある程度記憶を継承して転生するという事を行っています」
「そうだったんですか……。だから、見た目と違う感じを受けるときがあったんですね……」
多く喋ってしまうときは、相手の言葉を出来るだけ聞きたくないからなのかもしれません。
「そして、その転生という行為は人の身には過ぎた事なのか、この体は限界が来ています」
「はい……」
「そうですね。あと、十何年か生きられれば良いところでしょうか」
「そんな……」
「やはり、そういう顔をされますか」
見た目の年に似合わない渋い顔をしています。
「その……申し訳ありませんでした」
「なにが、ですか?」
出来る事なら、嘘を吐いたと言って欲しいのですが、阿求さんの顔はそうではないと言っています。
「人間くさい妖怪なら、そういった反応をするかと思って、わざと哀しい事を言いました」
「本当……なんですね」
常人よりも気の流れがおかしいことには気がついていましたが、そこまでとはわからなかったです。
「すみません」
「あ、謝る必要なんて……言う方も辛いと思いますし、だって自分の事ですし、それに私は暢気な妖怪ですから、だから……」
「では、なぜ涙を流していらっしゃるんですか?」
「それ、は……汗です」
どうしても止める事は出来ませんでした。何も考えなくても、体は勝手に泣き始めたみたいです。
「やはりあなたは……」
「き、気にしないでください! 慣れていますから……」
「……慣れた方は何ともないような顔をするものですよ」
「これがなんともないんです!」
「ごめんなさい……」
「あ、あの……その……」
ますます哀しそうな表情になってしまいました。私自身はそれを望んでいないけど、だからといってどうすればいいのかわからないのです。何を言うのも違う気がして、でも、言わずにはいられなくて。
「あの!」
「いいんですよ、何も言わなくて。それに、ここから先は」
何もない空間へ体を向けます。そちらには庭も見えないはずなのですが。
「あなたもご同席していただけますか?」
「あら、ばれていたのね」
「は!?」
何もない空間から突然、あの方、八雲紫さんが飛び出てきました。よく分からない空間のスキマに腰掛けて、こちらを見下ろしています。
「ごきげんよう、門番さん」
「あ、えっと、ごきげんようです」
突然の事で妙な返事をしてしまいましたが、本当によくわかりません。
「私がいるって、いつから気がついていたのかしら」
「ほとんど勘ですね」
「あら、霊夢みたいな事を言っちゃって」
「こういった話題には口を挟んでくると思いまして。加えて」
「間が持たなかった、というのもあるわけね」
「察しの通りです」
「私もそろそろ可愛らしい口を挟もうと思っていたから、ちょうどよかったですわ」
「……そうですか」
とんとん拍子で話が進んでいってついて行けませんでしたが、やっと我に返りました。
「あの!」
「なぁに?」
「どうしてあなたがここにいるんですか? いつから聞いていたんですか? そもそも、お嬢様とはどうなったんです?」
「まあ、お待ちなさいな。立て続けに質問しないでくださるかしら。順番に行こうじゃありませんの」
「あ、はい。すみません……」
頭がごちゃごちゃになって、つい聞くばかりになってしまいました。
「まず、後者の質問だけれど、心配はいらないわ。弾幕勝負に勝って、無事に記憶を消してあげたから」
「記憶って例の……あ、屋敷はどうなったんですか!」
「それもまた、無事に半壊したわね」
「そんな!」
「心配しなくても大丈夫よ。レミリアも館も、あのメイドが何とかしているから」
「では、手伝いに行かなければ!」
「稗田の娘を放っておくの?」
「あ、それは、その……いえ、話が終わるまではここにいます」
「結構。さて、話は長くなるだろうからお座りなさいな」
腰掛けているスキマから降りて、私たちの近くに座りました。言われて気がついたんですが、私はいつの間にか立ち上がっていたみたいです。
「お茶は、いりますか?」
「あら、優しい。でも、すぐに退散するから大丈夫よ。お茶漬けなんかも出さなくて良いわ」
「分かりました」
お茶漬け云々がよく分からなかったんですが、お茶を出すとは反対の意味なのでしょうか。
「では、二番目の質問に答えようかしら」
「えっと、なんでしたっけ」
「いつから聞いていたんですか、ですよ」
忘れていた私に、阿求さんが助け船を出してくれました。ついでにお茶も。
「あ、そうでした」
「仲睦まじいわね。一番目の質問に答えるのが心苦しいわ」
「え?」
「話を逸らしすぎたわね。いつから聞いて、というよりもつけていた、の方が正しくはあるわね。その場合の答えは、あなたが守矢神社の巫女に襲われかかっていたところかしら。ちなみに、霊夢は微妙に気がついていたようだけど、害がないと判断したのか、放って置いてくれたわ」
「あ、そんな前からなんですか……」
私は全く気がつきませんでした。阿求さんの方を見ると苦笑しているので、私と同じようです。
「勝負自体は早めに終わったからね」
「あ、記憶がどうとか言っていたんですが、何をしたんですか?」
「ああ、ちょっと例のあれを見た部分だけ、境界を操作しただけよ。双方の合意を取ってからなので、問題はないわ」
「あの、それだとなぜ勝負になったのか、わからないのでは?」
「……」
口元に人差し指を当てて考えた後、こういいました。
「あの瀟洒なメイドが何とかするでしょう」
「丸投げですか!」
「仕方ないじゃない。そこまで考えてなかったのだもの」
「妖怪の賢者と言われる方も、そういうことがあるのですね」
阿求さんが笑いをかみ殺しながら言っています。思い出したのですが、どうも彼女が言っていた賢者というのが八雲さんだったようです。確かに頭が良さそうに感じます。見た目とは裏腹ではありません。ええ、そうですとも。
「それにあの子、今日は色々とやりたいみたいだったから」
「咲夜さんが、ですか?」
「ええ、心当たりがあるんじゃないの?」
「……?」
「まあ、良いわ。その話は。帰って直接本人にお聞きなさい」
「あ、はい」
「では、答えたくないと仰った一番目の質問になりますか」
脱線しまくりなのを見かねたのか、阿求さんが補足してくれました。
「私がここへ来た理由について、ね。さっきの話と少し共通点があるのだけどね」
「さっきですか?」
「記憶云々。ああ、いえ、そのままね」
無表情で立ち上がり、私の前まで歩み寄ってきました。
「あの……?」
「貴女の記憶を消してあげようと思ってね」
「はい……?」
「……」
意味が分からなくて、八雲さんと阿求さんの顔を交互に見比べてしまいました。二人とも、同じような無表情をしています。
「やはり、少し喋りすぎましたか?」
「興味深い話ではあるけど、別段隠すような事ではないかしらね。妖怪の人間化については、私もすでに思いついてはいたから」
「では……?」
怪訝そうな顔をしています。
「親切心みたいなものよ」
「あの、馬鹿な私にも分かるように言ってくれれば嬉しいのですが……」
八雲さんの話は、名前の通り雲を掴むような感じでついて行くのが難しいです。
「違う」
「へ?」
「貴女は馬鹿ではない」
「そう、ですか?」
「ただ、卑屈になる事もなくそう言えるのは、ある意味では珍しいわね」
「本当にそう思っているから、言ったんですけど……」
「言葉に出来ていないだけで、私が言った意味は感覚的に理解しているはず」
「……。ごめんなさい、分からないんです」
「ふむ……。こちらの驕りかしら。では、明確に答えるとしましょうか」
「あ、お願いします」
とりあえず、考えても分からない事は聞いた方が早いと思いました。余り聞きすぎると咲夜さんとかに怒られるのですが。
「人間の妖怪化、妖怪の人間化について関係のある事なのだけれど」
「そうなんですか?」
「貴女は、そうね。私の目から見ても、いえ、見た目は人間か。ではなく、話した感じからしても、明らかに人間よりの性格ね」
「えっと、ありがとうございます」
お礼を言ったのは、八雲さんの機嫌が少しだけ良さそうに見えたからです。機嫌を良くしたならお礼を言われるのが正しいのかもしれませんが、いいじゃないですか、細かい事は。間違えたわけではないんです。
「だからこそ、稗田の娘と会った記憶を消そうと思ったのよ」
「それは……。なぜ、ですか?」
「本当に分からないのか、分かっていて演じているのか、それとも考えたくないだけなのか……全部かしらね」
「あの、教えてください」
「……見ている限り、貴女たちは大分親しく見えたのよね」
「はい」
すぐに結論を言わないのは、私を気遣っての事なのでしょうか。それとも、八雲さんが言いづらいからなのでしょうか。どちらも、なのかもしれません。
「そして、稗田の娘から余命幾ばくもないと聞かされたときの反応」
「ええ……」
「ここまで言って、まだ分からない?」
試すような、興味深いような、そんな顔です。私に失望しているとかそういうわけではないようです。
「あの、間違っていても怒らないで欲しいんですが」
「そんなことしないわよ、馬鹿ね。あ、いえ、馬鹿ではないわね」
「あ、はあ。それで、ですね……。もしかして、私を傷つけたくないから、ですか?」
「御名答」
ぱちぱちと音を立てて拍手をしていますが、余り愉快そうではありませんでした。
「お節介みたいなものだけれど、気になった以上は行動しないと気が済まない質なのよね。困った事に」
「私の為に……本当なんですか?」
「嘘ではないわ。本当でもないけど」
「え?」
「もしや、どちらも同じほど、なのでしょうか」
それまで黙っていた阿求さんが、そんな事を言いました。つまりそれは、私と八雲さんの為ということになります。私はまだ分かりますが、八雲さんについてはあやふやな印象です。
「それも、御名答」
「先ほどの話と関係が?」
「どうかしらね。私自身もよく分からないから、はっきりさせるためにこうして話しているというのもあるから」
「あなたにも分からない事があるとは」
「長く生きているとね、その時々の価値観について行けないときがあるのよ。特に私は眠ってばかりだから。それで、こうして新しい価値観を持っているであろう人物と対話して、より賢くなろうとしているわけですわ」
「だからこその妖怪の賢者ですか」
「おそらくは、ね」
何だか含みのあるような笑い方でしたが、何を考えているのかは読み取れません。今の会話の意味もおぼろげにしか理解できなかったですし。
「貴女も貴女で、結構な年月を重ねているはずなのだけれど、それを感じさせない性格ね」
「それは、褒められているんでしょうか」
「若い子は好きよ」
「あ、ありがとうございます」
答えになっているのかなっていないのか、分かりません。
「若いが故に、傷つきやすいと私は思っている」
それまでの微笑みを浮かべた顔とは打って変わって、今度は哀しそうな顔になりました。
「稗田阿求が死ねば、きっと貴女は哀しむでしょう。それだけでなく、立ち直れなくなるかもしれない。私の我が儘だけれど、そういうところは見たくもないし、考えたくもない。だから、記憶を消したい。ご理解して貰えたかしら」
「それは……」
色々な事が頭の中で思いついては消えていっていますが、一つだけ確かなものが残っています。
「お断りします」
「美鈴さん……」
「今度は私が問うわ。なぜ?」
「私が嫌だからです」
「続けて貰えるかしら」
私は説明が下手なので、今のだけでは納得できないみたいでした。
「私……私が阿求さんを忘れるのが嫌だからです」
「その結果、死を知って哀しみに暮れる事になっても?」
「……! 今までだって、そんな事はありました」
「先ほども言ったように、貴女は人間らしすぎる。今は耐えられるかしら?」
「耐えるとか、そういうことじゃないんです!」
思わず大声を上げてしまいましたが、八雲さんは驚きもせず、ただ真摯な目でこちらを見つめていました。
「八雲さんの言う通り、確かに阿求さんが……亡くなったら私は哀しむと思います。ずっと泣きじゃくって、門番の仕事にも手が付けられなくなるかもしれません。もしかしたら、立ち直れなくなる事だって当然あるかもしれません。ですが……でも、私はだからといって忘れるのが良いとは思いません! 阿求さんとはまだ会って少ししか話していません。けど、その間に私は凄く楽しくて、哀しくて……いろいろ感じました。それは全て大切なものなんです! 私にとって、誰かに無くされたくない、かけがえのない想い出なんです! 最初から会わなければ良かったとか、そんな事は考えたくないです! だから、だから八雲さんの気持ちを裏切るのは心苦しいです、が……あ、う……」
一気に喋っている最中、私は泣いていました。続きが言いたいのに、なかなか声が出ません。
「ほら、落ち着いて」
優しげな手つきで、私の背中をさすってくれます。思わず怒鳴ってしまったのに、それをまるで気にしてないようなそぶりです。
「ごめんなさい……。だから、記憶は消してくれなくてもいいんです。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、全部忘れないで、覚えていたままで過ごしていきたいんです。その、本当にごめんなさい!」
これは私のわがままです。八雲さんは八雲さんなりに、私の事を気遣ってくれるのは分かっていました。けれど、これだけは私の譲れない部分でした。
「貴女の気持ちは良く伝わってきたわ。けど、蛇足だろうけど色々と聞かせて貰うわね。顔を上げて頂ける?」
「あ、はい……」
気づかないうちにうつむいていました。何だかこういう事が多いような気がします。
「分かった上で、私が貴女の記憶を消すと言ったら、どうする?」
「やめてくれるように、お願いします!」
「実力行使に打って出たら、どうする?」
「少し怖いですが、弾幕勝負なら負けません!」
「では、貴女に私が心の底から頼み込んだら、どうする?」
「……これだけは譲れません!」
「では、最後の質問をさせてもらおうかしら」
「は、はい……」
今までとは違って、優しげな雰囲気も哀しげな顔も消えました。それはまさに、妖怪と言える表情です。
「私は私の意志を貫きたい。だからこそ、弾幕もなしの単純な力勝負で貴女を叩きのめして、無理矢理に記憶を消すと言ったら……どうする?」
「ちょっと怖いですけど、戦います! そして、勝てないと思いますが、負けません!」
「貴女なら分かるはずよね。先ほどの話していたけど、弾幕勝負ならば神にも勝てる事がある。博麗の巫女にさえも。けれど、単純な力だけならば、圧倒的に私の方が上だと」
「分かっています……あなたは本当に強大な力を持っています。さっきから凄く威圧感みたいなのが来ています……」
「では、降参したら? 私はそれを許すだけの度量はあるわよ」
「嫌です!」
「どうするつもりなの?」
「いくら体がぼろぼろになっても、心までは絶対に守って見せます!」
「そう……。よく言ったわ。では、己の信じる道を賭けて、私を倒してみなさい。私も、全力で相手になりましょう」
芝居がかった口調ですが、それは本心なのだと直感的に分かりました。
「お二方とも、やめてください!」
阿求さんが間に割って入ろうとしますが、私たち二人でそれを拒みました。どちらともなく、立ち上がります。
「さあ、来なさい」
「……!」
怖いです。本当に体が震えます。八雲さんは決して冗談でこんな事を言っているわけではありません。私も八雲さんも、本気なのです。だからこそ、とても怖いです。この方には、私を変えられるだけの力があります、理由もあります。しがない門番の私が、そもそも話をする事すら珍しいほどなのです。その八雲さんが、本気で私に挑んできています。今までの中で、最強の敵です。間違いありません。立っているのもやっとなくらいです。けれど、それでも私は諦める事は出来なかったのです。諦めたくないという後ろ向きな想いが、私は私のまま前に進みたいという気持ちに変わりました。それだけで、良かったんです。
「……てえええぇぇぇぇぇいっ!」
何も考えない事にしました。ただ、自分の心のままに八雲さんへ突進していきます。彼女はそれを見て笑い、そして……。
「あれ……?」
「え……?」
そのまま、私の突撃を受けて、床に倒れました。私も阿求さんも、驚いた顔をしています。ただ、八雲さんだけがひどく穏やかな表情をしています。
「私の負けね……降参よ。それを許してくれるかしら?」
「え、あ、はい。許します……」
「ふふ、ふふふ……」
とても機嫌が良さそうに姿勢を正し、再び私と向き合うように座ります。ちなみに、私はただ単に腰が抜けて立てないだけです。随分とあっさりとした決着なので、というのもあります。
「いいわねぇ、本当に」
「八雲さん……?」
「わざと、負けたんですか……?」
「いいえ、それだけは決してないわ」
「じゃあ、どうして……?」
私も阿求さんも分からないようです。
「私の持論なのだけれどね。そうねぇ……例えばさっきみたいに、私が威圧感を出して相手を恫喝したら、行動を変えられる事もあるでしょう? それは例え肉体的に打撃を与えなくても、感情的、精神的に攻撃をすれば相手を負けさせる、自分が勝つ事が出来るという事なのよ。つまり、私は貴女の言葉の力、感情の勢いに負けたと……そういうことかしらね。特に私たちは妖怪だから、精神的な攻撃は結構堪えるものなのよ。例え、最強の妖怪と言われる私でもね。もちろん、普段はそこまで打たれ弱くはないのだけれど、貴女の言葉が本当に強かったから素直に負けを認めた、というわけね。ああ、清々しい気分だわ。全力を尽くして負けたというのが何よりも嬉しいわね」
いっぺんにそこまで語ってから、おかしそうに笑い始めました。何だか本当に嬉しそうに見えます。そういえば、私に挑戦してくる人でもこういう人はいます。時々今の八雲さんみたいな顔をしていました。つまりはそういうことなんでしょうか。
「私は……勝ったんですか?」
「その通りよ。誇ってもいいわね。心の門番という二つ名でも上げようかしら」
「い、いえ、何だか恥ずかしいから結構です」
信じられない事ですが、私のわがままが通ってしまったようです。これで、私は大切な記憶を消さずに済みます。
「待ってください」
今度こそ割って入ってきたのは、阿求さんでした。
「次は……私の筋を通して貰えないでしょうか」
「なんですか……?」
「なにかしら」
私の中で、嫌な予感が大きくなっていきます。それだけの表情が彼女にはありました。
「差し出がましい申し出だとは分かっています、賢者様」
「そこまで畏まらなくても結構よ。怒ったりしないから。それに、何が言いたいかはある程度は予想が付くわ」
「そう、ですか。では……」
私の方を一度見て、また八雲さんに戻しました。
「紅美鈴さんの、私に関する記憶を消してください」
「そんな!」
「やはり、ね」
「どうして、ですか、阿求さん……」
言っている最中に、分かっては来ました。ですが、余りそれは考えたくない事だったのです。
「覚えて貰えるのは嬉しいです。けれど、私も人間です。私は……手前勝手な言い分で申し訳ないのですが、美鈴さんが哀しむところは見たくありません。自分の死というものが原因で、あなたが泣いているのを想像するだけでも……耐えられないんです。先ほどまでのやり取りを無駄にすると思って黙っていようかとも考えましたが、それでは失礼だと判断しました。あなた方がお互いの本音をぶつけ合ったならば、私もそれに答えるべきです。稗田阿求として」
思った通りでした。私は私の事しか考えていませんでした。いえ、私の事しか分からなかったので、その事を押し通そうとしただけです。だから、阿求さんがこういった事を言い始めても、なんにも不思議ではありません。ですが……。
「私は……哀しいです……それは……」
「私だって……哀しいんです。分かってください……。私の弱さを責めてくださっても構いません」
「そんな事はしません!」
「そうよ。それは弱さではなく、強さと言うべきね」
「ありがとうございます……」
深々と地面に頭を下げてしまっています。私は誰かに喜んで貰えればそれで良かったのですが、やり方が間違っていたのでしょうか。
いえ、まだです。まだ何とか出来るはずなんです。駄目だ、と考えてしまったらそこで終わってしまいます。間違っていたとしても、それを認めてどうするかが大切です。だからこそ、私は言いました。
「分かりました。私の記憶を消してください」
「……!」
「いいの?」
阿求さんは驚いたような表情に、八雲さんは確認するような冷静な口調です。
「これで、いいんです」
「貴女は貴女の大切な意志があったのではなくて?」
「阿求さんにも阿求さんにとって、大事な想いがあるんです。それを蔑ろにするわけにはいきません」
「そうね。筋は通っているわね。言い始める順番が違ったとしても、おそらく最後はこの結論へ全員が行き着いた事でしょう。だから……」
八雲さんが、阿求さんの頭に手を乗せました。
「今は泣きなさい。九代目の御阿礼の子である以前に、貴女も女の子なのだから」
「は、い……。ありがとう、ござい、ます……」
ただ、静かに泣き続ける阿求さんを慰めていました。
誰も間違ってはいないと、八雲さんは言いたいのでしょう。私が最初でも、最後でもこれが一番正しい道なのだと、誰にも責任がないのだと、悪くないのだと言いたいのだと思います。これが、八雲さんらしい優しさなのでしょうか。
「貴女の記憶はどうするのかしら?」
しばらくして、阿求さんが落ち着いてから、八雲さんがこう切り出しました。
「この子に会ったという記憶、ついでに消しても構わないのだけれど?」
「それは……出来ればやめて欲しいです。私は記憶を残したまま転生できるとはいえ、今の阿求として感じたものは、次の稗田の人間には分からないものでしょうし、何よりこういった事があったと覚えたまま、眠りたいのです」
「そう、分かったわ」
「阿求さん……ありがとうございます」
記憶をなくした方が楽だとは思うんです。何も知らなかった方が哀しみも減ります。けど、辛くても覚えたまま生きていくという事を選んでくれました。そして、私には傷ついて欲しくないから記憶を消して欲しいと……矛盾しているようで、そうではないとは思います。
「結局人間が一番強いのかしらね」
「その様な事は……」
「褒めているのだから、素直に受け入れなさいな」
「はい、恐縮です」
「さて……」
話は終わったと言わんばかりに、私の方へ流し目をしてきました。
「お別れの言葉くらいは言ってもいいんじゃないかしら」
「そうですね。……阿求さん」
「はい……」
目元を赤く腫らして、ばつの悪そうな顔をしています。
「こっちを見てくれませんか?」
「あ、はい……」
最後ならば、ちゃんと目を見てから話したかったんです。
「ごめんなさい、私の我が儘を……」
「良いんです。私はその、門番ですから……」
「……?」
「私は本当に説明が下手ですねぇ」
「いえ、そんなことは……」
「えっと、門番の妖怪であるので、もう何十年か里に来られないかもしれないですし、これで良かったんだと思います。だから、私に悪いだなんて思わないでくださいね。あなたの優しさは分かりましたから」
「そんなこと、ありません……」
「そんなこと、ありますよ……」
こうしてみると、本当に幼い少女です。
「変な言い方になりますけど、お元気で……」
「はい、ありがとうございます、美鈴さん……」
後は言葉になりませんでした。もっと言いたい事はあると思うのですが、これ以上は必要ないと感じます。
「スキマから失礼。私からも一つだけ言っても良いかしら」
「え? あ、はい」
「なんでしょう……?」
どうやら阿求さんに向けての言葉のようです。
「貴女の走馬燈には紅美鈴という名の妖怪が出てくる事でしょうね」
「……っ!」
口を押さえてまた泣き始めてしまいました。けれど、これは哀しいからと言うよりも、嬉しいからという風に見えます。
「流れを切るようで悪いのだけれど、そろそろいいかしら」
「はい……」
「っ……」
何とか目元をぬぐって、私を見ようとしてきます。そうしたひたむきな姿に、私まで泣きそうになりますが、そうするわけにはいきません。どういった形になろうと、笑顔で終えたいのです。
「では、僭越ながら……」
八雲さんが、私の頭に手を乗せます。
「美鈴さん……!」
「大丈夫ですよ、痛くないでしょうし」
「痛いわよ?」
「え!?」
「嘘よ」
「そ、そうですか。……えっと、嘘なんですよ、ね」
「ん、まあね」
多分これで大丈夫だとは思います。それでもどういった結果になるかは起こってからしかわからないので、悔いの無いようにしたいところです。
「では、お達者で、阿求さん。私もめげずに頑張りますから」
「色々と……お世話になりました」
「今日はお礼を聞く事が多いわね」
「良い事だと思います」
「同感ね。それじゃ、準備はいい?」
「……はい」
「貴女の意志、私の意志、そして稗田の娘の意志、全てを踏まえた上で私は行動するわ。そして……」
阿求さんに聞こえないように、私に耳打ちしてきました。
「分かっているから」
「はい、ありがとうございます……」
「ありがとうございました……!」
そうして、私は緩やかに意識を失いました。
【終章~日常~】
「ただいま戻りましたー!」
もう日の暮れた時間に、私はやっと紅魔館に帰ってきました。
「遅い」
門の前には、咲夜さんが待っていました。いつからここにいたのでしょうか。地面を見ると、何度も立ち直した後みたいなのがあります。見なかった事にしましょう。
「ごめんなさぁい」
「どこへ行っていたの?」
「えっと、色々です」
としか言いようがありません。全て話す事は出来ませんし。
「そう。楽しめた?」
「ええ、それはもう」
「良かったわね。半壊した屋敷が可哀想だけれど」
「はっ! そうでした! 急いで修理しなければ!」
私は一息で門を飛び越えて、急いで館の元へ飛んでいきましたが……あれ。
「壊れてないじゃないですか!」
「待ってって言ったでしょう」
「え? 言ったんですか。すみません」
「言ってないけど、まあいいわ」
「いいんですか!?」
咲夜さんってこんな性格でしたっけ。
「それよりも、どうなっているんです? 館だけでなくどこも壊れた様子がないんですが……」
私の記憶が確かならば、出る前と全然変わってないはずです。直した感じも見あたりません。
「半壊したのは事実ではあるわよ。でも、なんだかあのお嬢様口調が気持ちの悪い妖怪が、勝手に直して帰って行ったわ」
「え、あ、そうなんですか、紫さんが……」
「あら、会っていたの。なのに、知らないのはなぜ?」
「聞くのを忘れていました。向こうも言うのを忘れていたんだと思います」
「そう。ところで、それは何」
「これですか?」
背負った袋にようやく反応してくれました。中身を取り出して見せてみます。
「香霖堂で輪投げというものを買ってみました」
「ふーん、子供の玩具ね」
「あ、知っているんですか」
「外の世界の物?」
「そうみたいです。何だかよく分からない素材で出来ていますよ」
触ったら柔らかいのですが、木でもないようなのです。内容がないようなんて言わせないようとか思いつきましたけど、きっと若気の至りですよね。
「ゴムかしら……まあいいわ。とりあえず、入りましょう」
「え? なぜです?」
「入ればわかるから、付いてきなさい」
「と言われたら、意味もなく断りたくなりますね」
「刺すわよ」
「冗談ですって!」
場の雰囲気を和ませるつもりが、逆になってしまいました。そもそも、元から和やかだった気がしますが。
とりあえず、館の正門をくぐってみます。ここから入るのは、かなり久しぶりな記憶があります。
「あれ、お嬢様。それにパチュリー様も」
お嬢様は仁王立ち、パチュリー様は立っているのが辛いのか、座った状態で浮いています。いや、ちょっと待ってください。浮いているというのは座った状態と言えるのでしょうか。どうでもいいですね。
「あー、ご苦労さん」
「こんにちは」
「どうしたんです?」
まだ夕方ですし、お嬢様が起きるには早い時間です。現に眠たそうにふらふらしているようですが。
「あれだ、お祝いの言葉を述べに来たのよ」
「へ?」
「レミィが言うには、今日はあなたが門番になってから何百周年か記念らしいけど……」
「……そうでしたっけ?」
「正確な数字は覚えてないから、私に聞かれてもなぁ」
この人は一応私の主だったような気がするんですが。
「とにかく、この日なのは間違いないのだそうよ」
咲夜さんが瀟洒な感じに補足しています。瀟洒ってこういう時に使うのが正しいんでしょうか。わかりませんね、フフッ。
「で、それで謝辞を述べようかと」
「あ、ありがとうございます」
「レミィ、何か渡さないの?」
「あー?」
本当に眠そうなんですが、わざわざそれだけの為に起きてきて下さったんでしょうか。
「……紅茶でも飲む? 咲夜の」
「私任せなのですか、お嬢様」
「いいじゃないの。一番張り切っていたのはあんたなんだし」
「え?」
「お嬢様!」
「咲夜さん?」
「なんでもないわ」
何だか顔に手を当てて照れているように見えます。
「とりあえず、私からはこれをあげるわ。あなたも載っているわよ」
「幻想郷縁起ですか……」
手に取ると、なんだか色々な感情がこみ上げてくるような気がします。
「なぜこれを?」
「……その、間違って二冊買ってしまって……」
凄く申し訳なさそうに言っているので、責めるわけにもいきませんというか、そもそも責めるつもりなんてありませんが。
「余り物を押しつけるなんて、レミィも性格が悪いねぇ」
「言葉しか用意していないあなたに言われたくない気がする」
「いいのよ。言葉だけでも。それでも相当な力があるんだから。ねぇ、紅美鈴?」
「……」
心の中で色々と考えていました。
「おーい」
「はっ! すみません、ぼーっとしていました。私は言葉だけでも嬉しいですよ」
「そう、じゃあ、私の本はいらないのね……」
しょんぼりしてしまいました。
「いいえ! そういう意味ではありませんから! 有り難く頂戴いたします」
「何だか武士みたいねぇ」
咲夜さんがおかしそうに笑っています。最近はこういった柔らかい表情が多いような印象です。
「では、咲夜殿は如何なる物を用意して下さったのでしょうか」
ついカッとなって口調を変えました。ムシャクシャしてしてやりました。今は反省しています。
「気づかないとは、片思いねぇ」
あの、お嬢様。鬼の方みたいに頭を前後に揺らしているのですが、大丈夫なのでしょうか。何だか聞くのも憚られますが。
「え? それはどういう……あ」
なんとなくわかりました。
「今日のお休み自体が贈り物だったんですね」
「ん、まあ、そうね」
「加えて、花畑の事もね」
「え? あれは紫さんが直してくれたのでは……」
「違うわよぉ。なんで戦ったのか忘れたけど、その最中にずーっとあそこを守っていたのが咲夜なのよ、ねぇ?」
お嬢様が振り、
「いえ、それは」
「違うの?」
パチュリー様が聞き、
「違いませんが、その」
「やっぱり違うんですね……」
私がからかいます。
「あーもう! 皆さんわざと言ってますね! そうですよ! 今日くらいはこの子の仕事を増やしたくなかったんです! あの変な妖怪が直す前に、私がするつもりでした! 以上です!」
ほとんど自棄ですね。
「あははは、ありがとうございました」
「まったく……」
顔を真っ赤にしている咲夜さんは、異様な魅力があると思うのですが、いかがでしょうか。私は何をされても忘れないように、貴重なその顔を目に焼き付けておこうと思います。
「あら、あらら……」
なぜかは分からないのですが、ぽろぽろと涙がこぼれ始めました。
「んー? なんで泣いてるの?」
「嬉し泣きかしら」
「ほら、お嬢様の前で泣かないの」
今日は何だか皆さん優しいです。思わず色々な言葉が口から出そうになります。
「皆さん、ありがとうございました!」
「過去形で言わないの。別れの挨拶みたいじゃないのよぉ」
すでに瞼が開いていないお嬢様。
「そうね。レミィの言う通りだわ」
少し息が苦しそうなパチュリー様。
「どういたしまして」
やっと瀟洒なメイドさんに戻った咲夜さん。
「やっほー」
何だか不自然な感じのフラン様。って、あれ?
「フラン様?」
「げ、フラン。どうしてここに」
ぎょっとした顔をしているお嬢様ですが、未だに姉妹仲は宜しくないのでしょうか。
「いいじゃないの、私がどこにいたって。それより何してるの?」
「美鈴のお祝いをしているのよ。まあ、簡素なものだけれど」
「めーりん……ああ、門番の」
こちらに向き直ったと言う事は、覚えていて下さったようです。さすがに記憶から消されていると、色々と傷つきますから良かったです。
「何だかよくわかんないけど、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
今日は何度お礼を言ったか、さすがにもう覚えていません。
「それよりも、妹様。どうされました?」
「あー! 聞いてよ、咲夜。ほら、これ」
宝石のような羽を見せてきます。確か、最初に見て違和感があったのは、そこですが……まさか。
「ここの羽がさぁ、どこかに行っちゃって」
「え、それは……」
咲夜さんの顔が青ざめて行きます。いえ、緑ざめると言う方がこの場合はいいのかもしれませんが、分かりません!
「確か……緑色だったはずなんだけど、知らない?」
「ええと、ですね……。確か廊下に落ちているのを見かけました」
とりあえず、受け答えはしているようですが、どうするつもりなんでしょうか。いえ、それ以前に私はどうすれば良いんでしょうか。誰か教えて下さい。
「あ、そうなの! ん」
手を差し出しています。持っていると思ったのでしょう。普通はそうですよね。
「あー、えー、あれはですね、妹様」
目が泳いでいます。ところで、あれですよね。目が泳ぐっていう表現についてなんですが。
「美鈴が知っています」
「びくっ!」
余計な事を考えている暇はありません。
「んー? じゃあ……ん」
今度は私にその可愛らしい手のひらを太陽にではありませんが、そんなことしたら妹様が灰になってしまうじゃないですか。なに言っているんですか、全く。いえ、私はなんなんですか、もう。いい加減にして下さいよ。
「あれは……ですね、その……」
言うっきゃない!
「……香霖堂さんに売ってしまいました」
「え?」
「は?」
「……へ?」
「ちょ……」
三者三様の反応ならぬ、四者四様ですよね、って、やかましいです! ちなみに、上から妹様、お嬢様、パチュリー様、咲夜さんです。
「せ、正確に言えばですね……」
「なぁに?」
妹様が怖いんです!
「一時的に預けただけなんですが、その……」
「うんうん!」
レーヴァテインを発動させようとしないでくれると嬉しいのですが!
「返して貰うのを忘れてました!」
「言う事はそれだけだね!」
「ひぃぃ!」
その時、なぜか頭の中というか、正確には帽子の中が重くなりました。
「うわ!」
もちろん耐えきれずに落ちましたが、それは件の緑色の宝石でした。
「あれ……?」
「あ、これ私の。なーんだ、あるんじゃないの。変な嘘付いて。どういうつもり?」
「え、あの……」
ふてくされながら、元のところに羽を付けています。そもそも、着脱式だったんですか……。
「その、これを渡そうと思ったんです」
私は思いついて、背中にある袋を差し出しました。
「これなに? ……輪っかと台?」
「香霖堂に売っていました。輪投げという物らしくて、その台の棒に遠くから輪っかを投げて入れる玩具みたいです」
さすがにちょっと厳しい言い訳かもしれませんが、妹様は余り気にすることなく見ています。
「なんか単純そうな遊びねぇ」
「……お気に召しませんでした?」
「そんな事言ってない。部屋の中で退屈だし、暇潰しにはいいかな。やった事ないしね」
「良かったです」
「ん、ありがと」
「フラン様を笑顔に出来て、とても嬉しいです」
「そ、そう」
「ねえ、パチェ。あれって口説いているのかしら」
「天然じゃない? 妹様はまんざらでもないような感じに見えるけど……」
「真顔で恥ずかしい台詞を口にしますね、あの子は」
「そこ、うるさいよ!」
「あはは……」
苦笑していると、咲夜さんが何かに気づいたようです。
「ちょっと、これ」
一緒に落ちていたらしい紙切れを咲夜さんが拾い上げていました。お嬢様が興味深げに覗き込んでいます。
「ええと、なになに……『香霖堂の店主がフランドール・スカーレットの体の一部を興味深げに観察していたので、これは不味いと思って無理矢理取り上げてきましたわ。こんな大事な物を忘れてはいけませんわよ。貴女の八雲紫より』……って、なにこれ」
どうも、紫さんが届けてくれたらしいです。
「しかも、絵が付いているわよ……。結構上手じゃないの。何だか腹が立つわね。しかも、自画像だし!」
寝ぼけ眼をこすりながら、お嬢様が解説しています。
「お嬢様、裏にも何か……」
「んー? どれどれ……『私は私、貴女は貴女、あの子はあの子の幸せを祈ります』……。なにこれ?」
最初の時とはまた違った顔で呟いていますが、それは正直どうでも良かったです。
「……美鈴?」
私の様子に気づいたパチュリー様が、何事かと声をかけてきました。
「あ、あはは……大丈夫ですよ……」
顔を手で隠しながら、玄関に戻っていきます。
「では、そろそろ仕事に戻りますね! 皆さん、今日は一日ありがとうございました! それでは!」
「え? なになに?」
「ちょっと、どうしたの?」
「私が何か……?」
「美鈴?」
皆さんの声を背に、私は門に駆けていきました。
そして、思い出していました。夕暮れの湖での会話を。
「ごきげんよう」
「……はっ!」
がばっと跳ね起きました。すぐに辺りを見回したら、ここはどうやら紅魔館周囲の湖らしき場所だと分かりました。隣には八雲さんが腰掛けていて、何だか良い雰囲気ではないでしょうか。というか、顔を覗き込まれていたような気がするんですが。いえ、それはどうでも良い事なんです。
「あれ、私……」
「痛くはなかったでしょう?」
「え、ええ、そうですね……」
「ちょっと眠気の境界を操作しただけだからね」
「そういう事も出来るんですか……って、あれ……」
全て覚えています。今日一日の記憶が、朝から今まで全部思い出せます。
「あの、私……覚えていますね」
「そうなのかしら?」
「八雲さんが藍という方に、味噌汁を流し込まれたとかいうところも……」
「……それは忘れて頂戴。お願いだから。吹き出して布団を汚した事なんて、思い出したくないの」
「あの、私の知らない事まで言っているんですが……」
「お黙りなさい」
「……」
「本当に黙ったら話が続かないじゃないの」
「どうしろって言うんですか!」
「記憶の話をしましょう、と言いますわ」
「……!」
脱線された話が戻されました。相変わらずこういう流れが好きのようです。
「どうして、ですか?」
「嘘だからよ」
「それは、私のですよね」
「ええ、そのように解釈したのだけど、間違っていたかしら?」
「いえ、それで合っています……」
私はあの時、記憶を消す事を了承する嘘を吐きました。おそらく八雲さんが気づくと思って言った事なのですが、どうなるかは本当に分かりませんでした。ですが、どうやら私の願い通りになったようです。
「どうも、ありがとうございました」
「どういたしまして。さて、ちょっと言いたくて聞きたいのだけど、いいかしら?」
「ああ、はい」
「嫌でも言ったり聞いたりするんだけどね」
「……八雲さんらしいですね」
「ちょっと待って」
手で待て、の姿勢を取ります。意外と体を動かしながら喋っている印象があります。
「その八雲さんというのは、なに?」
「え? いえ、何となくですが……」
「もう初対面ってわけじゃないのに、未だに名字呼びとはねぇ」
「あ、いえ! これはですね、相手に確認してからか、言われてから意外は基本的に名字で呼ぶようにしているんですよ!」
「あら、幻想郷では珍しいわね。というか、あれよね。名前に様付けって、ちょっと変なのだと思うのだけど、どうかしら」
「どう、と言われましても……」
それが普通でしたから、何とも言いようがありません。
「八雲と呼ばれたら、私の式と紛らわしいから紫と呼んで下さらないかしら?」
「あ、わかりました……紫さん」
「いやん、紫って呼んでぇ」
身をよじりながら甘ったるい声で懇願してきました。その、あの、私は一体どうすればいいのやら。
「……ああ! あなたの式は八雲藍って名前なんですね!」
誤魔化す以外に選択肢はありません!
「ええ、そうね。私が名付けたのは確かよ。ところで、どうして誤魔化したの?」
「いえ、それは……」
「まあ、普通は困るわよね、あれ」
「え? ええ……」
「肯定しないで貰えるかしら、傷つくわ」
「ああああ、私はどうすれば……」
「まあ、落ち着きなさいって」
「紫さんが落ち着いて下さい!」
「全くね」
おかしそうに笑った後、なぜか傘を差して肩にもたれさせました。
「そろそろ言ってもいいかしら?」
「いえ、いつでもどうぞ」
本題をしっちゃかめっちゃかにしているのは、八雲さんもとい紫さんなのですが、言う度に横道へ行きそうなのでやめます。
「私が記憶を消さなかった理由は、貴女の信条と心情を察したからなのよ」
「心情、信条……ああ、はい、分かります」
大切な記憶を守りたい、という辺りでしょうか。
「では、次に聞くわね。迷惑だったかしら?」
「いえ! そんな事はないです」
「そう。では、次。本当にこれで良かったの?」
「……それは、その」
「次、言うわね。おそらくだけど、あの子は気づいているわよ」
「えっ?」
出来る限り不自然な感じにならないよう気をつけたのですが……。
「さすがにちょっと決断が早かったかしらね。あと、貴女は顔に出やすいのよ」
「そ、そうですか……」
「まあ、そうでなくても貴女の言う通り、確かに今生の別れであるかもしれないから、ああいう態度になるのは当然かしらね」
「今生の……別れ……」
「悔いなく逝けるんじゃないかしら、貴女の優しい嘘のおかげで」
「あ……」
泣いてはいけないと、分かっているんですが。
「今日は曇り時々雨ねぇ」
「ずみまぜん……」
「女の子としては、今のはちょっと頂けないかしらねぇ」
何とか服で顔をぬぐって、喋れる状態にします。
「すみませんでした……」
「いいのよ、別に。泣き顔を見るのは好きだから」
夕日に照らされる紫さんの顔は、どうしてか儚げに見えました。
「……紫さんは」
「ん?」
思わず口を出た言葉ですが、続きを言うのは少し躊躇われます。でも、気になったら聞いた方が良いとは思います。
「泣かないんですか?」
「さてね。貴女が眠っている間に泣いたかもしれないわよ? どう思う?」
「じゃあ……泣いたという事にします」
「あらあら」
おかしそうにくすくすと笑っています。それでもやはり哀しみを感じさせるのはなぜでしょうか。
「そう言ってくれると嬉しいわ」
「えっと、どういたしまして、です」
「貴女と話していると、なんだか安心するわ」
「そうですか? 照れます」
「……そういう者ばかりだったら、いいんでしょうけどねぇ」
愚痴が口からこぼれ落ちたように出てきました。
「あの、どうしました? 私で良ければ相談に……ああいえ、話くらいは聞けると思います」
「謙虚ねぇ。検挙したいくらいだわ」
「え、ちょっと」
座りながらにじり寄ってくると、微妙に怖いです。よからぬ事をされるのではないのかと。
「ま、それはいいのよ。いつか解決するかもしれないし。今はまだきっかけもなくてね」
「そうですか……」
「今回も本当に些細な事がきっかけだったわね。ここまで色々な話に発展するとは、正直思っていなかったのだけど」
「私もです。久しぶりの休日ですが、色々な方と会えましたし、楽しかったです」
「哀しい事もあったけれど?」
私の言葉に付け足すように言ってきますが、首を振ります。
「それもありましたが……全部思い出してみて、最後に感じたのが楽しかった、なんです」
「そう……」
目を細めながら、私を見ています。それはどういった感情が入っているのか、私には分かりませんでした。寂しさなのか、嬉しさなのか、それとも羨ましさなのか。
「私はね、喜怒哀楽っていう言葉が好きなのよ。喜びから始まり、怒りで受け、哀しみが転じて、楽しさで終わる、この言葉がね」
「起承転結……ですか?」
「そうそう。途中で色々あっても、最後は楽しく終わる事が出来る。素敵な事じゃない?」
「はい、私もそう思います」
「だからね、貴女も今回の事は楽しく終わって欲しいとは思っていたのだけど、気を遣う必要なんてなかったかしらね」
「いえ、そんな事はありません。やっぱり紫さんと話すだけでも、気が楽になりますから」
「そう、楽にね……良かったわ」
言いながら、紫さんは立ち上がりました。
「あ、紫さん?」
私もつられて立ち上がりました。紫さんはまた空間にスキマを作っています。
「良かった、で終わらせられて本当に良かったわ。だから、今のうちに私は退散するわね」
「そ、そんな自分が悪いみたいな言い方を……」
「私は神隠しの主犯と言われているくらいだからね。余り話していると、隠してしまうかもしれないわよ?」
「そんな事はしないでしょう……ですよね」
「まあね。それに、貴女もそろそろ帰られないと不味いんじゃない? すっかり日が落ちてしまったけど」
「ああ!」
見ると、半分ほど太陽が湖に沈んでいました。夕方辺りには帰ってこいと言われたような覚えがあります。自分で言ったような気がしますが、どちらにしても不味いです!
「私も帰ります! 色々お世話になりました、では、また!」
「あ、ちょっと」
たまらなくなって走り始めた後、私は門に辿り着いていました。
「うっ……あ……」
やっぱり思い出すだけでも哀しくなってきます。特に独りになるとどうしても考えてしまいます。私は門の横で、声にならない声を出しながら泣き続けました。
「う、く……」
大声で泣き喚くような事にはなりませんでした。ただ、哀しくて涙を落とし続けました。
「どうしたの?」
それをすくい上げてくれたのは、咲夜さんでした。いつもの瀟洒な態度を崩さずに、膝を崩した私の隣に座ってきました。
「あ、なんでも……ないんです……」
「そんなわけはないでしょう。いきなり泣き出して飛んでいったら、誰だって追いかけてくるわよ」
「嬉し泣き……なんです」
「そうは見えなかったかなぁ」
「お嬢様……」
誰だって、というのはお嬢様もそうだったようです。すでにすっかり日が落ちて夜になっているので、やっと目が覚めた様な顔つきになっています。
「あー、微妙に来たかったような来たくなかったような」
「妹様まで……」
お嬢様とは少しだけ距離を置いて、私に近づいてきます。
「ぜぇ……ぜぇ……みんな……早い……のよ……」
「パ、パチュリー様!?」
全力疾走をした後みたいなふらふらな様子のパチュリー様まで来ました。
「大丈夫ですか? お水をどうぞ」
「あ、ありがとう……」
何時の間にお水なんで用意したんでしょうか。
「そこの花壇用の水差しに入っていたものなんですけど、いいですよね」
「ぶー!!」
「ひえ!」
思い切り吹き出した水が、私に降り注いできました。とりあえず、吸血鬼であるお嬢様達にかからなくて良かったと思う事にします……。
「あら、冗談でしたのに」
「咲夜ぁ……」
恨めしい顔で咲夜さんを睨んでいます。
「まあ、待ちなよ。咲夜も最近面白いのはいいけど、やり過ぎじゃない?」
「いえ、つい……」
「ついで変な冗談を……」
人きしり咳き込んでから、こういいました。
「……まあ、いいけど。とりあえずは落ち着いたから」
パチュリー様の人の良さも大概だと思います。だからこそ、からかいたくなる気持ちはわからないでもないんですが。
「お詫びの印として、普通の水を持ってきました。時間を止めて屋敷から持ってきたものですよ」
「……ありがとう」
今度は普通に飲み始めました。多分、本当の事だとは思います。さすがに、これで水差しのものなんて入れたら、咲夜さんは人でなしになりますし。普通に飲んでいるということは、大丈夫みたいです。もしかしたら、泣いていた私を気遣っての事だったのでしょうか。
「あれ、ちょっと待ってよ。なんかおかしくない?」
「妹様?」
「パチュリーって、喘息で苦しいからいつも飛んで移動しているんじゃなかったっけ」
「あ……」
今気づいたように、惚け顔になるパチュリー様は可愛いですね。
「そうよね。どうしてわざわざ走ってきたの、レミィ?」
「いえ、それは、その……」
明らかに狼狽しているパチュリー様は愛おしいですね。
「美鈴が心配で、思わず走っちゃったんですよね」
「え、その……」
赤面しているパチュリー様は可愛いそうですね。
「違うんですか。てっきり、私のために辛い体を押して来てくれたのだと思ったのですが……」
「うう、だからぁ……」
しょんぼりするパチュリー様はすでにあれですよ。兵器ですよ、兵器! 平気でいられますかっての!
「咲夜、私に仕返しをしたんでしょう……」
「あら、なんの事でしょうか」
そういえば、確かに先ほどのやり取りとそっくりでした。
「皆さん、本当に仲が良いですね」
「なに言ってるのよ、門番の……美鈴」
「こればかりは姉上様に賛成かな」
「確かにその通りね」
「お嬢様の仰る通りよ、美鈴」
「え? え? え?」
何を言われているのか分かりませんでした。何かおかしな事を言ったのでしょうか。
「あんたもその中に入っているでしょうに」
「自分だけは違うっていう感じはちょっとね」
「独りではないのよ……」
「ああ、大体言いたい事は言われてしまいました。ということよ、美鈴」
「皆さん……」
今度は嬉しさで、前が見えなくなってきました。
「本当に、ありがとうございました!!」
「あー、良い天気!」
次の日の朝日を見ながら、私は叫んでみました。昨日もやっていた気がしますが、まあいいじゃありませんか。それにしても、こういうのを五月晴れって言うんでしょうか、わかりません!
「でも……」
色々と分かった事は多かったです。昨日の体験は私にとって、本当に大切な想い出になりました。
きっかけは紫さんが言ったように、些細な事でした。ですが、あれから私は珍しい物が溢れる香霖堂へ行って、その店主さんと仲良くなったり、人里で何だかぶつぶつ言いながら歩いていた八雲藍さんを見かけたり、薬屋さんをやっているウドンゲさんこと鈴仙さんと共感し合ったり、そのお師匠さんに面食らったり、参拝をしたのになぜかその神社の早苗さんという巫女さんに襲いかかられそうになったり、普段は優しい霊夢さんに助けられたり、色々とありました。そして、稗田阿求さんとの出会い。一言では言い表せませんが、忘れなくて本当に良かったです。これからも、私は覚え続けていると思います。そして、十数年後、哀しみに暮れる事になったとしても、ちゃんと立ち直れます。もし、記憶をなくしていたら多分私は私でなくなっていたのだと、今では思うようになりました。
もう会う事はないかもしれません。けれど、それでも、私も紫さんもあの子も、阿求さんも同じ記憶を共有しています。紫さんはおそらくと言っていましたが、私としては阿求さんが嘘を見破ってくれる事を望みます。そうすれば、なんだか見えない絆で繋がっている気がするからです。それを、人は縁と呼ぶのでしょうか。紫さんが繋げてくれた縁を、私は大切にしようと心に決めました。例え哀しい結果になっても、それで終わりではありません。哀しみだけで終わらせてはいけないんです。紫さんの言う通り、最後は楽しく終わりたいです。
私は、言うまでもなく楽しく終わる事が出来ました。哀しくて何度も泣いてしまったりもありましたが、昨日も最後は笑顔で解散になりました。
「うーん、気分が良いなぁ!」
こういうのを幸せって言うんでしょうね。これだけは、はっきりとわかります!
―紅魔館の門番少女 完―
阿求の事情をしったことや記憶を消す消さないや、そのあとの紅魔館の人達の
暖かさなど良いものでしたね。
美鈴の様々な感情が詰まってる良いお話でした。
ただ会話が始まると会話ばかりになったり、もう少し改行したほうが良い部分もあったりと。
原稿131枚分に加え、これの十倍くらいの量になる話か…個人的な意見で申し訳ないですが
纏められる部分とか出来る限り見直して整理してみては如何でしょう?
あまりにも後書きで語りすぎていて、肝心の作品の余韻が台無しになっています。
……とは言え作品自体は文章に多少の荒さやリズムの悪さを感じましたが、
キャラクターの感情が伝わってくる、心に響く作品でした。
すでにご覧になった方には心よりお詫びします。失礼しました。
次回作期待してます。