Coolier - 新生・東方創想話

葉桜の季節に、二人

2009/05/31 21:42:54
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「私は庭で修行をしておりますので、何かありましたらお声をお掛け下さい」

 お昼を終えてくつろぐ幽々子さまにそう告げて、私は居間を辞した。
 昼の片付けを済ませた後は、夕餉の支度までは修行に明け暮れる。それが私の日課となっていた。

 竹刀を手にして庭に降り立つと、思いのほか強い日差しに反射的に目を細める。
 庭に植えられた沢山の桜の木は、みずみずしい色合いの若葉を茂らせていて、その一枚一枚が陽光を照り返してきらきらと輝いていた。
 私は大きく深呼吸をし、澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込む。今はもう、桜の花咲く時期を通り越し、新緑が映え渡る頃合いなのだ。
 桜色の華やかな季節は花吹雪と共に去ってゆき、桜の木は、真新しい若葉にその主役を譲りつつあるのだった。

 私は一定した動作で、正面に竹刀を振るう。
 二十本を1セットとし、それを終えるごとにひと呼吸。そして体の向きや足運びを変えてまた素振りを始める。その繰り返しだった。
 相手がいれば打ち込み稽古など修行の幅も広がるのだけれども、一人での修行となると、どうしても素振りが主になってしまう。まさか、幽々子さまを相手にして打ち込みなどをするわけにもいかないだろう。
 素振りも大事な修行の一環であるとは理解していても、やはり相手ありの稽古をしたいというのも本音だった。
 こんな時、お師匠様がおられれば……などと考えてしまうのも、またいつものことで。
 でもそれは叶わぬことと分かっているので、私は邪念を振り払うように、また素振りにふけるのだった。

 ある時、ふと、桃色の小さなものがちらちらと舞い降りてゆくのが視界に入った。
 それは、未だ桜の木にわずかに残っている花びらが、名残を惜しむように散りゆく姿だった。

 私は素振りの手を止めて、庭に広がる桜の木々に目をやる。
 もはや、ところどころにほんのりと薄紅色のものが見当たる程度で、全体が眩しいほどの新緑で覆われるのも間もなくのことだろう。
 それは冥界という場にありながら、生命力に満ち溢れた光景だった。

 ――葉桜の頃。私は、一年の中では今の時期が一番好きだった。

 春を迎える頃合いは皆が皆浮かれ切ってしまい、どうにも落ち着きというものに欠ける。
 ここ冥界も、桜の花咲く時期ともなると、幽霊たちがにわかに沸き立ってくるのが見ていてよく分かる。おまけに最近では、顕界からも花見客が訪れる始末である。
 そうなればもう修行どころではなくて、私自身も花見から片付けまでを付き合わされることになるのだった。

 花見の時期が過ぎた今、白玉楼はいつも通りの静けさと落ち着きを取り戻している。
 修行にしても庭の掃除にしても、それらに没頭するにはちょうど良い季節なのだった。

 気が付けば、かなりの時間、ぼんやりと物思いにふけってしまっていた。
 ひと呼吸にしては休み過ぎたかな、と思い、また素振りを始めようとした時、

「……うん?」

 ふと、幽々子さまの姿が視界の端に入った。
 幽々子さまはいつものように縁側に腰を下ろしていて、どうやら私の様子をのんびりと眺めているようだった。
 幽霊ほどではないけれど、亡霊である幽々子さまは存在が希薄であるために、お近くにいらしてもその存在に気付けないことも多い。
 従者という立場上、私は幽々子さまの動向を常に察知していなければならない。のだけれど、それがなかなか叶わないのだった。
 私と目が合うと、幽々子さまはにこりと笑って、こちらに手招きをして見せる。その傍らには……おやつのお団子とお茶が置かれていた。しかも私の分まで。

「おやつでしたら、ひと声掛けて下されば私がご用意しましたのに」
「さっき妖夢のこと呼んだのだけどねぇ、素振りに夢中で気付いてくれなかったのよ」

 呼ばれていたのか。全く聞こえていなかった。

「す、すみません……。全く気付かずに」
「なぁんてね。呼んでなんていないわよ。
 だってねぇ、すっごく真剣な顔して竹刀をぶんぶん振ってる妖夢を見てたら何だか微笑ましくなっちゃって、呼ぶに呼べなくなっちゃったのよ」

 私はまたいつものように、からかわれていた。
 と言うか竹刀をぶんぶんって……子どものチャンバラごっこじゃあるまいし。
 いや、幽々子さまから見れば、私の素振りなど所詮は児戯に等しいのかも知れない。
 それに顕界のどこぞの書物で私は、真剣を振るっている時でさえも“迫力が無い”などと評されているのだ。見た目は幼い女の子、などというオマケつきで。
 やっぱり、身体が小さいとこんなものなのか。本人としては、手に持つ刀だけでなく、頭のてっぺんからつま先まで正に真剣そのものだというのに。
 私は普通の人間と比べて寿命が長い分、肉体的な成長もそれだけ遅くなる。だから早くに外見をどうにかしたいと思っても、それは無理難題なのだった。

「…………」
「あらあら、どうしたのかしら。黙り込んじゃって」

 胸中に渦巻く色んなものを吐き出したくても、それを言葉に出来ない時だってあります。

「ま、妖夢も休憩しなさいな」

 私の気持ちなどそっちのけで、幽々子さまはご自身の隣りを私に勧めてくる。
 休憩にはちょっと早いけれど、このまますぐに修行に戻ったとしても、幽々子さまのお言葉が脳裏にこびりついてしまって、気持ちが全く引き締まらないだろう。
 何より、せっかく幽々子さまが淹れて下さったお茶があるのだから、その誘いを断るわけにはいかなかった。

「お疲れ様、妖夢」

 隣りに腰を下ろすと、幽々子さまは私にそっとお茶を差し出す。その様子は、従者をいたわる主そのものの姿だった。
 だからこそ、私は却って心の中で「ほんのちょっと前まで私をからかって楽しんでたくせに……」などと思ってしまう。
 きっと、こんな風に緩急をつけることで、からかう楽しみに変化と深みを作り出しているのだろう。私はもう、そこまで考えるようになっていた。
 けれど。
 私を見つめるその瞳に、そんな邪な色などどこにも見当たらず。
 むしろ、そんな邪推をしている私の方が罪悪感に駆られてしまい。
 だから私は、卑怯だ、と思ってしまうのだった。
 結局のところ私は、そんな幽々子さまに何度となくからかわれているのだから。

「もう、桜もだいぶ散っちゃったわねぇ」

 のんびりとした口調でそう言って、幽々子さまは庭の木々を見つめていた。
 幽々子さまは、満開の時はもちろん、それが儚く散りゆく姿までも愛で続けていた。季節が幾度巡ろうとも、幽々子さまの桜に対する思いは変わることがない。幽々子さまと言えば桜、と言っても良いくらい、幽々子さまは桜が好きなのだ。
 だから、こうしてほとんどが若葉に覆われてしまったありさまをどう思うのだろう。

「幽々子さまはやっぱり、桜の季節が終わると寂しいのですか?」
「そんなことはないわよ。季節は流れるものだから、その季節に合ったものを見て愉しまないと」

 意外と、さっぱりとした答えが返ってきた。これはこれで幽々子さまらしいのかも知れない。

「今の時期なら、青々とした若葉の初々しさが、見ていて気持ち良いわね」
「私もそう思います」
「それで、あの生えたばかりの若葉を眺めてると、何となく妖夢を思い浮かべちゃうのよねぇ」
「?」

 随分と唐突な話だった。が、私の服の色から連想しているのだろうとすぐに推測出来る。
 私はいつも緑色を基調とした服装に身を包んでいるから、あの新緑からは私をイメージしやすいのだろう。
 しかし幽々子さまは、そうしてうんうんと納得している私を見るや、いやいや妖夢と首を振る。

「違うのですか?」
「それも違わないけれど、こう、どっちもまだまだ青いわよねぇ、って思って」

 そう言うと幽々子さまは、閉じた扇で口元を押さえながらくすくすと笑っていた。
 そんな幽々子さまに、私は思わずむっとしてしまう。

「どうせ私は、まだまだ青いですよ」

 唇を尖らせてそっぽを向く。きっと、こういう風に拗ねてしまうからまだまだ青いなどと言われてしまうのだろう。我ながら子供じみた反応をしているなと気付くのは、いつもそうしてしまった後だった。
 けれど私は、こうして不意に自らの青さや未熟さを指摘されて、動じることなく笑って受け止められるほど大人ではないのだった。

「まあまあ、最初は誰だって青いものよ」
「そんな風に後から取り繕うくらいなら、最初から言わないで下さいよ」

 私もつくづく素直でないと思う。

「それにねぇ、妖夢」

 ゆっくりと、噛んで含めるように幽々子さまが言う。その声は、それまでよりも間近に感じられた。
 と、気が付くと幽々子さまは私のすぐ傍に寄り添っていて、私の肩を抱き寄せるようにして背中に手を回していた。

「幽々子さま?」

 不意のことにちょっと驚いたけれど、そこに強引さはなく、自然と私たちは身を寄せ合うかたちになる。
 その行為の意図するところは、すぐには汲み取ることは出来なかった。幽々子さまの言動の意味を理解するのに、私はいつも苦悩している。
 けれど今、私たちはこうしてわざわざ身体を触れさせているのだ。そうしてまで、何か伝えたいことがあるのだろう。どこかこそばゆい感じはするけれど、決して居心地は悪くなかった
 私は包み込まれるような心持ちで、幽々子さまの先を待つことにした。

「そうやって貴方が青いから、こうして私たちが寄り添っていられるのかもね」
「幽々子さま……」
「まるで、あの桜の木みたいね」
「あ……」

 幽々子さまが扇で指し示した先。
 そこには、桜の木が青々と若葉を茂らせる様子と。
 そして、わずかに残された桜の花が儚げに霞んでいるのが見えた。
 それは、先ほどまでと何ら変わることのない、桜の木。
 けれど今は――

「青い若葉の中にちょっと桜色が合わさってるのが、ちょうど私たちみたいで」

 幽々子さまは桜の花で、私は若葉。
 幽々子さまの言う通り、そんな桜の木が、私たちの姿を映しているかのように見えたのだった。

「若葉が青さを失う頃には、もう花は散ってしまっている。桜と若葉が一緒にいられるのは、ほんの少しの間だけなのよね」
「……でも、私たちはずっと一緒ですよね」
「妖夢がずっと青いままだものねぇ」

 そんな言い方をされてしまうと、私は一体、どういう返事をすればいいのだろう。
 どんな風に話が進んでいっても、結局はこうやって幽々子さまに言い含められてしまう。気付けば、幽々子さまの思い通りの道筋に誘導されているのだ。
 やっぱり、幽々子さまはずるい、と私は思うのだった。

「まあ、いつまでも青いままでいるつもりはないんでしょうけれどね」
「……当たり前です」

 それでも。
 最後には、こうして私の背中をぽんと押してくれる。
 幽々子さまは、私の扱い方というものを本当によく心得ていた。

「だから貴方も、桜が安心して散っていけるように頑張りなさい」

 それはあくまで、もののたとえに過ぎないのだろう。しかし、幽々子さまのその言葉にどきりとしてしまったのもまた事実だった。
 私は幽々子さまをお守りするために、日々鍛錬を行なっている。決して、安心して散っていけるようにするためではないのだ。

「……頑張ります」

 だから私は、それだけしか言えなかった。
 今はまだ青い、半人前に過ぎない私だけれども、幽々子さまの従者として一人前になれるよう、頑張り続けるしかない。
 今までそうしてきたように。これからも、ずっと。
 と。

 ――花びらが、ひらり。

 そう決意を固めた私の目に、それは映った。
 どこからともなくやって来た一枚の桜の花びらが、私たちの目の前で舞っている。
 たった、たった一枚の、小さな花びら。なのに、私の目は白く輝くその姿をはっきりと捉えることが出来た。
 それはそよ風に遊ぶようにして、私たちの方へと流されて来ていた。

「あら……」

 花びらに気付いた幽々子さまは、それを受け止めようと手のひらを差し出す。病的なまでに白い素肌とも相まって、その仕草は春霞の中に消えてしまいそうなほど儚げだった。
 しかしその花びらは、そんな幽々子さまをからかうようにひらりとひるがえり、その手をかわしてしまう。
 そして、なおもゆらゆらと揺れるそれが最後の着地点としたのは。
 隣に腰掛ける、私の膝の上なのだった。

「あらあら、私はふられちゃったみたいね」
「そんなことは……」
「その子は、妖夢がいいんだって」

 幽々子さまはそう言うと、ちょっとだけ寂しそうに笑った。
 私の緑色のスカートにちょこんと咲いた、可憐な花びら。それは、まさに咲いたばかりであるかのように、綺麗な薄桃色をしていた。
 本来なら、もうしおれていてもいいはずなのに。
 それはとても、健気な散り際の姿だった。

「何だか、妖夢のことを応援してくれているみたいねぇ」 

 幽々子さまはそんな花びらを、楽しげに眺めていた。幽々子さまからそう言われると、何だか本当に応援されているような気分になる。
 私はその花びらを潰さないように慎重につまみ取り、自分の手のひらに乗せる。
 私を応援してくれる、小さな小さな桜の花。けれど、私にとっては大きな大きな力となってくれそうで。
 まるで、幽々子さまの深い想いがそのまま託されているかのようだった。

「私も、妖夢の膝の上がいいわぁー」

 ――と、そんな風に浸っていたのに。
 幽々子さまが突然能天気な声を上げて、私の膝を枕にするように寝っ転がって来たのだ。
 このお方は、相変わらず先が読めない。私は翻弄させられるばかりだった。

「何するんですか幽々子さま!」
「さっきの花びらの真似」

 あっけらかんとした答えだった。
 幽々子さまは私の膝の感触を確かめるように、頭をころころと動かす。するとその桜色の髪が、私のスカートの上でふわふわと広がっていった。

「もう……」

 そんな風に奔放に振舞う幽々子さまを、結局私はいつものように受け止めざるを得ないのだった。

「ねぇ妖夢」

 やがて幽々子さまは頭の座りを落ち着けると、いつもの穏やかな声で私の名を呼んだ。
 私の身体が大きくないこともあるけれど、こうして膝枕をすると、互いの顔が思いのほか接近することに気付かされる。
 間近で幽々子さまのお顔を拝見すると、その美しさにあらためて心を奪われてしまうと共に、その陰に潜む幽かな寂しさを感じずにはいられなかった。
 私はどうしても、満開に花咲く桜と、それが儚く散りゆく姿との両方を、幽々子さまに重ねてしまうみたいだった。

「たまには、こういうのもいいわねぇ」

 私の膝の感触が心地良いのか、幽々子さまは目を細めて気持ち良さそうにしている。

「このまま本当に寝てしまうのですか?」
「あら、ダメなの?」
「それは……」

 ダメではないのだけれど、私も修行の続きをしたいし、でも幽々子さまはこんなに気持ち良さそうだし……。
 と、そうやって困ったように逡巡しているのが顔に出ていたのだろう。膝の上の幽々子さまがくすくすと笑っていた。
 そんな表情を見せられては、私はもう幽々子さまの希望を受け入れることしか出来ない。私は決して、幽々子さまの笑顔には勝てないのだった。
 諦めたように苦笑した私を、許しの意と受け取ったのだろう。幽々子さまはもう何も言わず、ゆっくりとまぶたを下ろしていった。
 穏やかな寝息が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。




 暖かな風が吹いて、新緑をたたえた桜の木がさわさわと鳴る。微かな若葉の香りに鼻腔をくすぐられ、私は顔を上げた。
 あと幾日かすれば、もはや赤いものは失われてしまい、庭の桜の木々は豊かな緑色のみで覆われてしまうのだろう。
 そうなってしまえば、もはや葉桜とは呼ばれない。
 ちょっと寂しい気もするけれど、緑がずっと遠くまで生い茂る光景も、それはそれで見ごたえはある。
 何より、季節はそうやって、移り変わってゆくものなのだから。

 視線を下ろし、膝元を見る。
 緑色のスカートの上で、静かにすやすやと眠る幽々子さま。
 しばらくして起きられる頃にはもう、夕餉の支度を始める時間となっているかも知れない。けれど、私のほうから幽々子さまを起こすことはやはり出来なかった。
 今も心地良い眠りの世界に抱かれているのだろう。柔らかな微笑みが私の目の前にふわりと咲いていた。
 その笑顔は決して散ることはなく、私のそばでいつまでも咲いていてくれる。
 私はそんな幽々子さまの寝顔を、飽きることなく見つめ続けていた。
 
私はこんなゆゆよむがどうしようもなく好きなようです。
上泉 涼
[email protected]
http://d.hatena.ne.jp/hiatus/
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コメント



0.1320簡易評価
5.100煉獄削除
二人の会話や雰囲気とかとても良いですね。
だんだん春から夏に季節が変わっていく暖かさが感じられるようでした。
妖夢と葉桜の青さを掛けているのも上手いと思いましたし、こうやってのんびりと
会話して妖夢に膝枕をしてもらい眠る幽々子さまや庭の光景を見る妖夢に和みますね。
面白いお話でした。
6.100名前が無い程度の能力削除
とても和みますね
いい作品でした
11.100負け犬N削除
こういう和やかな雰囲気、いいですね~。みょんとゆゆさまを若葉と花に重ね合わせている所が特に秀逸だと感じましたね。
14.100名前が無い程度の能力削除
もう文句の付けようが無いです。
素晴らしい作品をありがとうございました。
16.100名前が無い程度の能力削除
私もこんなゆゆよむがどうしようもなく好きです。
た…たまらん。
29.100名前が無い程度の能力削除
二人の日常は本当にこんな感じなんだろうなあ。
素晴らしいです。
30.100名前が無い程度の能力削除
暖かいのに切ない……。
ああ、これが桜の美しさか。
34.100非現実世界に棲む者削除
最高に素晴らしいゆゆみょんでした。
可愛い。