白玉楼に珍しい来客があることに、多少なりとも『魂魄 妖夢』は驚いた。
「よっ」
気さくに片手を挙げて挨拶するその人物こそ、不老不死の少女、『藤原 妹紅』。特に親しい
わけではないが永い夜の異変の時以来、博麗神社の宴会などで度々顔は見かけている。死に
縁がない彼女が、なぜだか冥界のメッカに姿を現していた。
「……何の用だ、藤原妹紅。ここ、白玉楼に訳なく立ち入るものは、斬る」
妖夢は警戒の色を隠しもせず、腰にした楼観剣の鯉口を切る。それを見ても余裕の体勢を
崩さない妹紅。ヒュウ、と口笛一つして
「アンタんとこの主に呼ばれてきたんだけど。それでも斬る?」
とポケットに手を突っ込んだまま言い放った。
先だっての宴会で白玉楼の管理者にして妖夢の主、『西行寺 幽々子』と目の前の妹紅は
何やら話し込んでいた、と人伝に聞いた。不死の彼女を少なからず恐れる主ではある。その事も
あり不思議に思いはしたのだが、冥界にまで招き入れるとは何事かと妖夢の疑問は膨れる一方
ではある。しかし、主が呼んだ客人を無碍に追い返すわけにはいかない。姿勢を正し、頭を下げた。
「失礼した」
「まぁ、うん。否定はしないよ。普通来客に刃を向けるってのは感心しないね」
ぐ、と言葉に詰まる妖夢。
「あぁ、でも。今日は刃を向けられに来たようなものかな」
いたずらっ子のような笑みを浮かべつつの言葉に、妖夢はきょとんとする。
「こないだアンタの主とちょいと酒飲み勝負をやらかしてね。まぁ、惜しむらく負けたん
だけどさ。その上で約束ごとをしたのさ……アンタと剣の手合わせをしろって」
「へっ?!」
「じゃあ、あがらせてもらうよ?」
ひょいと石段を飛び越え、白玉楼の美しい庭に降り立った妹紅。その後ろから慌てて
飛んできたのはもちろん妖夢だ。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと!!」
「ん? 何?」
「け、剣の手合わせって何!? 幽々子様から何も聞かされてないんだけど!?」
「そうなの? まぁだとしても私は私のやることやるだけなんだけれども」
どう考えてもいつもの幽々子の気まぐれと判断した妖夢、
「ちょっと待ってて。幽々子様を探してくるから!」
言うが早いか健脚を発揮し妹紅の前から駆けて消える。忙しない奴だと妹紅、一つ欠伸をした。
待つことしばし、去ったときと同じ勢いで妹紅の前に現れる影。妖夢の顔はいまいち晴れやか
でない。
「……見つからなかった」
「そうかい」
妖夢が戻ってくるまで座してぼんやりと庭を眺めていた妹紅であったが、立ち上がり砂を
払い、ゆっくりと向き直った。
「で、どうする? いちいちご主人様に確認しなくちゃ振るえない剣なの?」
「……そんな事は! ……ない、けど」
「じゃ、決まりだね」
にやりと笑う妹紅。視線を左右に動かすもので妖夢もつられてみぎひだり。一体何を探して
いるのだろうか。
「私だけ徒手空拳というわけにはいかないでしょう? 武器庫までの案内よろしく」
白玉楼の武器庫……といってもその実ただの蔵であるが、先代剣術師範『魂魄 妖忌』の
数少ない趣味のひとつ、武具収集の全てがそこにある。
大きな南京錠の鍵をかちりと外し重い扉を開け、妖夢は妹紅を中へと導く。これが白黒の
魔法使いなどならこうもあっさり通しはしないだろうが、目の前の紅白の不死者は常識人の
部類ではある。気に病む必要はなかろうと思いながら、妖夢は目録をなんとなくぺらぺらと
めくった。
刀や剣といったものだけでなく、ここには槍や弓、立派な防具などが相当数収められている。
妖刀、魔剣の類が幻想郷に流れ着くことはままあり、かなりの数がこの蔵にもある。もっとも
普通の武具も揃えられているのだが、さて、どのような刀を、それとも剣か、引っさげて
くるのかと思うと少しだけ妖夢の胸は高鳴った。
一方の妹紅、
「さて、アイツの言うとおりならここにあるはずなんだけど……」
とかなんとか、いたく真剣な顔をして探索を続けている。彼女がいるのはなぜだか西洋鎧
などが並ぶ一角。
「これ……は違うかな。……あ。あー、あーっ!」
素っ頓狂な声を出して駆ける先に、四振りの細長い剣があった。そのうちの一つ、真紅の
鞘に納まった剣を手にとる。
「……まさかこんなところにお前が来ているとはね……」
妹紅はそう呟き、まるで長い間会えなかった恋人にようやく出会えたかのようにそっと、
しかし力強く抱きしめた。
「お待たせ」
「いえいえそんな……」
非常に日本人的な受け答えの妖夢が目にした妹紅の姿は、非常にに日本人っぽくなかった。
手にした得物は妖夢のよく知る刀でも、まして和剣でもない。剣と呼ぶのにはあまりに頼りない
細く長いもの。他には護拳にやたら装飾の入った短刀を腰に佩いている。妹紅の頭には
羽飾りの付いた鍔広帽が乗っかって、その背には真紅のマントが翻っている。普段の服装は
そのままなのでなんというか、和と洋とがカオスめいて、しかし不思議と堂に入っている。
どこかキザっぽくも、恭しく片手を添え帽子を脱ぎ、西洋式の一礼をした。しばし唖然と
した妖夢だがすぐ気を取り直し、
「その剣で本当にいいんだな?」
と問う。帽子を頭に戻しつつ妹紅は挑発的な視線を妖夢に投げかけた。
「この剣だからいいのさ。こっちの心配するより、自分の心配した方がいいよ?」
「……むっ。そう言うのなら手加減はしないから」
「あぁ、是非そうであってほしいね」
などと言いながら妹紅は白玉楼の縁側にポケットから取り出した何かを置く。小さな硝子
製の容器に入れられた何らかの液体。妖夢は怪訝な顔でそれを見つめる。それに気づいた
妹紅はさして面白くなさそうに言う。
「傷薬だよ、永琳特製の。要らん借り作っちゃったなぁ」
「傷薬……?」
「そ。今からやるのは真剣勝負だ。とはいえアンタの主に頼まれてのものだからね。痕の
残る怪我なんてさせられないでしょ? ま、永琳が薬に手を抜くことはないから効き目の
方は抜群だろうね」
淡々と告げる妹紅の言葉に、しかし妖夢のはらわたの奥底が妙な熱を帯び始めた。どうにも
妹紅からは格下に見られている気がする。
確かに弾幕勝負ともなれば、命知らずの炎の弾幕に多少後れをとることはあるかもしれない。
しかし、剣の腕で見くびられるのは彼女の沽券に関わる。そこへ更にこんな言葉が浴びせられた。
「ま、私はこのとおり死ぬことはない体だ。アンタは私を殺す気でかかってくるがいいさ」
はらわたの種火に油が注がれた。向こうは手加減をする、こちらは本気で。その燃え盛る
心の勢いで恫喝しようとも思った妖夢は、顔を真っ赤にしつつも何とかこらえる。
改めてこう考える。ならば望みどおり本気でかかって、手も足も出なくさせてやると。
ズタズタに斬り裂き突き刺し地べたに這わせて、思い上がった妹紅の顔を見下ろしてやる
のだと。射殺す視線を不死人に向けた。
「なら、覚悟しなさい」
「très bon.」
妹紅の呟きは、妖夢には届かなかったようだ。
風さえ吹かぬ白玉楼の中庭で、二人の剣士が向かい合う。奇しくもお互いの得物は二つ。
妖夢は丁寧に一礼をし、ずらりと楼観剣をその背から抜き放つ。少女の手には長過ぎるよう
にも見えるのだが、それ故に、圧倒的な存在感を持って目の前の相手を威嚇しているように
みえる。
対して紅妹、脱帽式の華麗な一礼を決めると素早く二本の剣を抜き放つ。右手には
針のように長く細い西洋剣、物を知るもの曰くの”レイピア”。左手には護拳の装飾も
華やかな”マン・ゴーシュ”といわれる短剣だ。レイピアの柄を胸の前に添え、十字架を
持って祈るかのごとく瞳を閉じて小さく呟く。
「Je promets la victoire sur cette épée.」
「む……え、英語か!? いんぐりっしゅか!? ば、馬鹿にするな、私だってそれくらい
知ってるぞ! ぐっどもーにんぐ! まいねーむいずようむこんぱく! でぃすいずあぺん!」
これには流石の妹紅もぷっと吹き出さざるを得ない。戦い前の張り詰めた空気を切り
裂かれた気分だ。
「な、なにがおかしい!?」
「あぁ、いや、ごめんごめん。馬鹿になんかしてないし、そもそも英語ですらないよ。
ま、気にしなさんな」
しゅぴと細剣が空気の切り裂く音。鳩尾の高さに、掌側を上にして剣の柄を握りこむ右手と、
さらに高く頬の横で左手に握られた短剣。独特な構えを以って妹紅は気合を入れなおす。
先に呟いたよう、例え手合わせといっても半端なつもりは全くない。なにしろ”この剣に
誓って勝利を”と言ってしまったのだから。
妹紅に合わせて妖夢も青眼の構えを取った。すぅ、と息を吸ってきりりと睨みつける。その
瞬間に妖夢は天才的な一人の剣士としてのスイッチが入った。
普段からやれ未熟だのやれ幼いだのと主と主の友人と、他の連中からも言われている妖夢。
それでも剣に関しては彼女は天性の才覚を持っている。一瞬にして妖夢は妹紅の戦闘スタイルを
導き出し、かつそれに対して自らの戦術と優位性を推し量る。
――妹紅の持つ細剣は明らかに突き専用。多少は斬ることもできようが与えられるのは
かすり傷程度、目でも狙われることだけ注意すべき。
踏み込みに気をつけさえすれば、攻撃は単調なものだと予測はできる。
それに対して楼観剣は唐竹割りも薙ぎ払いも、相手が得意とする突きさえも行える万能の刀。
白楼剣をも使うとすれば、その攻撃方法は多岐に渡る。立ち回りでは圧倒的に優位が
保てそうだ。
次に攻撃の鍵となるのは間合いだ。体格にほとんど差はない。ならば武器だ。リーチはどう
みても楼観剣のほうがひとふた周りは長い。その点は大きく有利に働く。
妹紅の左手の武器はおそらくは防御用の一品だ。
拳を守る装飾の一部は、鍔からせり出して鉤の形を成している。刃を絡め取られれば多少
煩わしいだろうか。
しかし妖怪が鍛えし楼観剣ならば、その気になれば護る剣身ごと妹紅を斬ることだって
できよう。
妹紅自体の身体能力を考えてみる。
永き夜の異変を起こした後、彼女は闘っている。圧倒的な灼熱の弾幕を避けるのに必死だった
覚えがある。
だが不死の身体以外に特段優れたものがあるとは感じられなかったのも事実。
神速の烏天狗はともかくとして、あの黒白の魔法使い程すらの速さを持ちえているとは
とうてい思えない、ならば……。――
電光の速さで思考を終了させ、妖夢はこう結論付けようとした。
”勝てる。”
その「勝て」まで頭に浮かべた瞬間、右わき腹につぷりと熱い感触。はっとして飛び退くも
もう遅い。白いブラウスがじくじくと赤に染まっていく。
「……一本、てとこかな? Mademoiselle.」
一撃を加えたままの格好、つば広帽子の下から冗談めかしたような声がする。それを冷静に
受け止められないほど、妖夢は動揺していた。
脳内分析が軽く覆され、更に喰らった一撃は明らかに手加減されていた。妹紅が狙いを定め、
完全に腕を振りぬいていたならば肝の臓ごと背中まで貫き通され、致命的な一撃に妖夢は悶死
していただろう。剣の才ある故にそれを理解してどっと冷や汗をかく妖夢。帽子の陰に隠れ
妹紅の顔は見えない、見えない顔が嘲っている気がした。
「もしかして私の力をなめてた? はは、初見の相手をなめてかかるとは、怖くて私じゃとても
できやしない。そんなつまらん失敗で殺されるのは不死の私でもゴメンだからね」
「……んなっ……、く……」
しかし、言い返せない。言い返せるわけがないのだ。実力を見誤り、刺突を、それも手加減
されて食らったのはどうしようもない事実。
「実戦ならこの時点で勝負がついててもおかしくはないだろうけど……まだやる?」
剣先に僅かについた血液をひょうと剣身風に躍らせ払い飛ばす妹紅。その顔にはやはり自信
満々の笑みが見て取れた。冷えたはずの腹の内がかぁっと再加熱されていくのを感じる妖夢。
小さな傷口を押さえていた手を離し、
「馬鹿にするな!! ま、まだ始まったばかりだろう!」
楼観剣を握り締めた。
怒気を顕わにする少女を見ながら、妹紅もゆるりと思考する。
妖夢の剣の腕前は、自分よりも上だとは確信している。妹紅より遥かに年齢の下回る彼女が
達人の域に立つには、想像を絶するほどの修行を重ねたことだろう。だが、彼女から圧倒的に
足りないものを感じた。実戦経験、それも一毫秒の逡巡が命のあるなしを左右するような
修羅場をくぐり抜けていないと。
今もほんの一瞬の気の緩みを感じたからこそ、妹紅の身体は考えるより早く動いていた。
自らの脚力で届かない数十センチは空を飛ぶ力を応用して補う。剣先が当る瞬間に初めて、
あぁ手加減せねばだな、と思考が割り込んで脇腹を刺す手を緩めた。全て、とある一時代に
妹紅が剣で命をやり取りをした経験則が可能にしているのだ。
「じゃ、続けようか」
構えを取り直した妹紅がそう告げる。次の瞬間には靴底が地面を蹴る音。遠く後ろに跳んで
妖夢は間合いを外した。成る程学習したかと妹紅は小さく頷く。
とにかく落ち着くことが先決だと妖夢は思い至る。一撃を食らったことは都合よく脳から消し
去ってしまえ、今からこそ、本物の魂魄妖夢を見せつけてやるぞと気合を入れなおす。
じりじりと間合いを詰める妹紅を見ながら一つ二つ大きく息を吐く。もう、相手を侮る
ことはすまい。よし、と妖夢は胎をくくった。妖夢の視線が真っ直ぐなものに代わり、妹紅が
息を呑む。その刹那白玉楼に一陣の風が舞い、妹紅の体がその場からすっ飛んだ。
「冗談でしょ……」
倒れ伏しながらそうぼやく妹紅、すぐ側に落ちた帽子を拾おうと手を伸ばす。が、
「うわっと!?」
瞬時にその場から転がりつつ逃げる。数瞬前まで身体があった場所、そこの地面に深い
裂け目が生じていた。跳ね起きつつ彼方に目をやれば、妖夢が刀を手にして妹紅に向き直る姿。
それを目視して、膝立ちの妹紅はすぐさまその場を跳ね飛ぶ。その体のすぐ側を、颶風と
化した質量のある”何か”が通り過ぎた。
「なるほど……それがアンタの剣、ってわけ……」
はるか数間向こうの妖夢の背を眺めながら、ようやくまともに立ち上がれる妹紅。器用に
剣先で帽子を拾い、頭に乗せなおす。
妹紅を襲ったのは妖夢の斬撃。ただその踏み込みの距離も速度も人知を超えたもの。最初の
一撃は妹紅が自ら倒れるほどに飛びのかねば、腹を真っ二つに薙がれていただろう。修羅場を
くぐった妹紅だからこその反応することができた。
構えを取り直す妹紅。このままただただ逃げるだけというのは彼女の熱い気質には合わない。
「来い」
小さな呟きは聞こえてはいないだろう。しかし、声に招かれたように妖夢はタイミングよく
一歩を踏み出していた。妹紅は斬撃の軌道を予測して左手の小剣での受けを狙う。止めさえ
すれば、レイピアで突き倒すことができる、そう考えたのだ。が、
「……ちっ!!」
自らの目論見を放棄して飛び退る妹紅。鎌鼬のような斬が横切って、妹紅の左腕を半ばまで
切り裂いていった。痛みは自らの見通しの甘さゆえと妹紅。一撃の疾さ、重さを鑑みて、
自らの剣で受けきれるはずも無いと思い知ったのは斬られるほんの一瞬手前だった。
驚くほどの量の血が溢れるのも束の間、恐るべきは蓬莱人。傷口が塞がり始める。それを
確認する間も惜しいとばかり、妹紅は後ろに思いっきり駆けた。恥も外聞も無い。今は
妖夢との間合いを少しでも開けないと、腕の完治にも一苦労すると思ってのことだ。
振り返れば妖夢との距離はかなり開いている。あの勢いの斬撃では止まる事すら容易いこと
ではないだろう。腕を見やればかすかな裂傷が見えるだけ、それも徐々に塞がっている。
妹紅は考える。受けることすら敵わぬ剣にどう戦うか。胴薙ぎの真っ二つにされるまでただ
避けるばかりというのはいただけない。
しかし考える時間も与えぬとばかりに妖夢が駆けてきた。凄い勢いで真っ直ぐに。
……真っ直ぐ、そうか。
「ははは、なるほど」
ここで攻略方法に気付いた妹紅。余裕の笑みを取り戻し、びしりと音が出そうなほどに潔く
構えた。
そこに駆け寄り間合いを詰めた妖夢、妹紅の笑みに若干眉をひそめるが、疑惑を身体の内の
闘魂の炎に投げ込み、それを燃料としたかのごとく裡に力を込める。す、と刀が横に
倒されつつ、二百由多を駆ける脚力が爆発した。
一瞬を永く永く引き伸ばしたような感覚。一気に近づいてくる妹紅の動向に真剣を尖らせ、
斬るべき胴を睨みつける。その胴がほんの少しだけ動く。馬鹿め、多少動いた程度で……と
思いかけて妖夢はしかし、すぐさまその認識を改めるはめになる。
妹紅が身体を動かす先は妖夢の身体が駆け抜ける延長線上。このままでは刃ではなく身体と
身体がぶつかってしまう。いや……違う!!
「くァッ!」
怪鳥でも鳴いたかのような声を喉から絞り出し、妖夢の身体は前のめりに地面へと倒れこむ。
玉砂利が顔を擦って痛みが走った。しかしこれは妖夢が望むべき最良の結果であった。なにがか?
駆け抜ける同一線上の妹紅はしっかりとレイピアを握って構えていた。そこに突っ込めば
どうなるか言わずもがな。自ら刺突剣の切っ先に飛び込んで、そのまま百舌の早贄が如く貫かれた
ところだろう。これこそ妹紅が導き出した妖夢の高速斬撃への対処。
それを理解した妖夢は接触寸前、駆ける脚を無理やりにねじった。方向転換もままならないが、
せめて切っ先を避けるためにと自ずから倒れこんだのである。
その妖夢、はっとしてすぐに立ち上がる。身構えて相対する妹紅を見やるが、構えを解かずに
妖夢を見据えていた。睨みつける妖夢に声がかかる。
「安心しなよ。倒れたアンタを攻撃するつもりはさらさらないわ」
「なぜだ……っ!」
格の違いとやらを見せたつもりか、そう激昂しそうになる妖夢。だが妹紅の目には嘲りの
色など欠片も見えない。
「なんていうかな。騎士道精神、ってヤツさ」
「……きしどうせいしん?」
「……っあー……。あんまり気にするな。武士道精神みたいなヤツだと思ってくれればそれで
いいかな。公正かつ真剣に闘りあいたい。それだけかな」
静かに、しかし内面で燃える瞳を真っ向から受け止め、妖夢の深い海のような蒼い瞳にも
炎が宿る。ゆるりと立ち上がり楼観剣を握り直した。
「ならばこちらも……全身全霊を込めていかせてもらう!!」
宣言するや否や、振りかぶって放つ右袈裟の斬。妹紅は決死の思いでその軌道を短剣の刃で
逸らし、お返しとばかりレイピアで渾身の突きを放つ。
その刀身がいきなり跳ね上げられた。今まで眠らせていた白楼剣をここで抜き放ち、抜き
放ちざまにレイピアを跳ね除けたのだ。お互い次の一手も定まらぬまま、身体同士が近づいて……!
ゴスッ!
そんな鈍い音がして二人の額同士がカチ当った。つつ、とこぼれ落ちる真っ赤な血を
ものともせず睨み合う二人。真紅と深蒼の視線が火花を散らし、同時に二人が飛び退く。
「「この石頭!!」」
計ったかのように同じ台詞を飛ばす二人。
蓬莱人の特性か、頭を襲う鈍い痛みから一瞬早く立ち直った妹紅が攻勢に出る。上中下段へと
矢継ぎ早に繰り出される三連突。光の速さを思わすその突きをことごとく白楼剣で叩き落し
弾く妖夢。下段の突きを制すれば即横薙ぎの楼観剣。それをしゃがみ込んでかわした妹紅
だったが、そこに回転力を落とさぬままで妖夢の蹴りがこめかみを痛打する。
「が……ッ!!」
吹き飛ばされはせずとも大きく体勢を崩した妹紅を見、楼観剣を振り上げる妖夢。だが、
めくらめっぽうに突いてきたレイピアのせいで踏み込むことができない。その隙に妹紅は
なんとか構えを取り直した。
「……最初から二刀流にすればいいのに」
「魂魄流の戦い方は一通りだけではない!」
その言葉どおりに、白楼剣が一旦鞘に戻る。戻るが早いか妖夢の身体が妹紅目掛けて弾丸の
ように突進する。先の高速斬撃かとレイピアで串刺しを図る妹紅ではあったが、妖夢もそこまで
愚かではない。
地をたぁんっと蹴るや空に舞い、上空からの真っ向唐竹。妹紅の脳天目掛けて打ち下ろす。
斬撃受ければ刀ごと身体も真っ二つ、その運命を幻視するや避けの一手の妹紅。弾けたように
後ろへと飛び退る。が、妖夢の先読みはそれを凌駕した。刀を振り下ろし着地すると同時に、
もう一度妹紅を高速追尾。しかし刀で攻撃する構えは取れてないと妹紅は看破する。一瞬安堵を
してしまう、それが甘かった。
「せいッ!!」
突っ込む勢いそのままに妖夢、斬でも突でもなく、握った柄頭を妹紅の身体に深く
めり込ませた。
「……っげぶぅっ!?」
鳩尾を襲う衝撃に目を白黒させながら吹き飛ぶ妹紅。酷いことに、そこへ遅れて楼観剣の
横薙ぎが到着する。無意識かそうでないのか、かろうじて短剣で防げたのは幸運が味方したか、
それとも習熟極まる剣の腕のおかげか。鉄と鉄の食い合う硬質な音が響き渡り、二人の距離が
微妙に離れた。
たたらを踏んでよろめきつつ、妹紅は体のどこもぶつ切りにされてない事を確認する。
代わりに愛用の短剣の根元が、刀身の半ばまで切り裂かれていたが。
「……なんて切れ味よ」
「ふふ。妖怪が鍛えしこの楼観剣、切れないものなどそうそうない」
結構気に入ってたのに、などとぼやきつつ藪睨みの妹紅。視線の先の妖夢はどこか誇らしげな
表情だ。
「……いい武器もってるじゃない、アンタ」
「でしょう?」
「だから、今からそいつを奪わせてもらう」
見据える視線は、闘いに煽られ加熱を続けている。短剣を鞘にしまい、身体はあちこち
痛むだろうが、それをおくびにも出さずレイピア一本で構えをみせる妹紅。
「そんなことは、させるか!」
二振りの刀こそ妖夢の命ともいえる。奪われてたまるものかと、掌が白くなるほどに柄を
強く握り締める妖夢。そこへ、妹紅が打って出た。
「シャァっ!!」
その刺突は迷いなく妖夢の眉間を狙うも、悉く白楼剣で薙ぎ払われる。だが、妖夢が恐れる
のはそれらの攻撃ではない。いかようにしてか繰り出される武器奪取の一手にこそ全神経を
集中しているのだ。本当の事を言えばとっとと斬り倒したいところではあろう。しかし、
そこを狙って武器を奪われてしまうかも、という思いが攻撃の手をとどまらせていた。
それこそがいかにも拙い手であることに気付いたのは、
「……くぁァッ!?」
妹紅の言う”武器”を奪われるその後であった。上半身を狙う剣先は全てこの為の仕込み。
妖夢の右足の甲に、深々と刃先が食い込んでいた。灼けるような痛みにひるんだ妖夢めがけて、
ひらめくレイピアは追い討ちとばかりに左足にも深い傷を刻む。
耐え難い痛みに悶絶しながらも、妖夢は闇雲に両手の剣を振り回す。もちろん当るはずもなく、
妹紅はひらりと華麗なバックステップで間合いを取る。空に風斬り刃唸らせて、刀身の血を
払う妹紅。
「う……ぁ……、私の……足……ぃッ」
余裕の妹紅と対照的に、歯を食いしばりつつ、くずおれそうな身体を楼観剣を杖にしながら
支える妖夢。いまや健脚を包む靴下は完全に赤に染まり、靴の下には小さな血溜まりができつつ
あった。
痛みに負けて喚きながらのた打ち回れば少しは楽になろうに、それを我慢して妹紅を睨み
つける。涙に溢れた瞳の奥底には、地獄で燃え盛る昏い炎すら見えそうである。真っ向から
視線を受けて妹紅はしてやったりの笑みを浮かべた。
「奪わせてもらったよ、アンタの”武器”をね」
「剣……ッ……を、う、奪う……ンじゃ、なかった、の、か……?」
「誰がそんな事言ったね? ……って、その様子じゃ自分の一番の武器にも気付いてなかった
ってことかな、やれやれ」
「だっ……黙れぇっ!!」
鼻で笑う妹紅めがけて、痛む足も何のそのと妖夢が斬りかかる。血で不快にぬとつく足を
踏み込み、叩きつけるような一撃を浴びせかけた。それをすんでのところでかわす妹紅。
「っく!」
痛みで出そうな呻きを噛み潰しつつ、振り向きざまの突きはしかし虚しく空を切る。妹紅は
軽々と間合いの外へと退避していた。激昂したまま駆けようとして、足の傷が酷く疼き妖夢は
つい立ち止まる。そこに浴びせかけられる、剣撃でも嘲笑でもない、諭すような声。
「ほら、攻撃すらままならなくなったじゃないか。いくら得物の質が良くとも、剣士の技量が
追いつかねば意味がない。その点アンタは……多少未熟なところはあるけど、きちんと鍛錬を
欠かしていない立派な剣士だ」
「……こ、こんな状況で誉められてもね」
じくじくと傷が痛む中、幾分涙声交じりで妖夢が強がる。
「そう? ま、それにしても事実を喋ってるに過ぎないね。その技量はアンタの足腰の強さに
表れてる。斬撃の威力も、踏み込みの鋭さもそいつが生み出してる……とんでもない”武器”
だよ。だから奪わせてもらった」
「ふ、巫山戯るなっ!! これしきの怪我で……」
「巫山戯てるもんかっ!!」
声を荒げた妖夢にしかし、それより強い語気を被せる妹紅。その顔は確かに真剣そのものだ。
もう一度小さく、巫山戯てなんかいないと呟いて、妖夢に言葉を投げかける。
「真剣勝負だからやらせてもらった。それが分からんならそのまま続けるがいいさ」
「なら……そうさせてもらうッ!!」
奥歯を噛み締め痛みに耐えつつ、思いっきり踏み込み横薙ぎの楼観剣。二、三度翻るも
斬れたのは空気だけ。ステップ一つ二つで易々と妹紅は凌ぎきる。苦し紛れに妖夢が突きを
放てば、
「そこだッ」
「くッ!?」
刃を蛇のように遡るレイピア特有の刺突一閃。致命傷を覚悟した妖夢の胸元に浅い傷を刻む。
明らかに手加減された一撃と知り、怒りのままに左から右へと斬り払うものの時既に遅し。
またもや妹紅は楽々斬撃から逃れている。避けられたと妖夢が思った瞬間には間合いを詰めた
妹紅。レイピアの攻撃範囲を予測して、今度は妖夢自身が避けに入るも、
「ひぐっ!?」
無理な方向転換で足の傷が開く。血でぬたつく足捌きに加え、激痛で遮断される感覚が回避
行動を大幅に鈍らす。
右胸を狙った突きをぎりぎりのところでかわせたのは僥倖といっていいだろう。だが、
腋下に逃がしたはずの細剣の刃は勢い良く跳ね上がり妖夢のブラウスの右袖を切り裂いた。
遅れて腕に現れた裂傷から真っ赤な血が溢れ出す。痛みを感じながらも、けなげに妖夢は
左手一本で楼観剣の突きを放とうとするが、
「甘いよっ!」
「っ……!?」
妹紅も驚くべき反応速度をみせる。その身をあろうことか妖夢に向かって躍らせた。貫き通す
のに有効な距離を詰められて、突きは虚しく妹紅の体側面を掠めていくだけ。
シャツと脇腹を薄く切り裂くその刃の腹を思いっきりレイピアの柄尻で叩いて妖夢の
バランスを崩す妹紅。焦って妖夢は白楼剣を刹那の速さで引き抜いたが、
「そらよっ!!」
「かはッ!!」
その下をくぐり抜け妹紅の爪先蹴りが妖夢の丹田近くにめり込む。さしもの妖夢も激痛に
身をくの字にして苦悶する。下がった頭の髪の毛を、妹紅の開いた左手が掴んだ。
「も一丁!!」
「……!!」
身動きできないまま、顎の中心に叩き込まれたのは右膝蹴り。声すら上げることもできずに
妖夢の体が伸び上がり、その身に更に三連撃の刺突が決まる。左右の肩口に深く、鳩尾に浅く。
ワイン樽に穴を開けたかのごとく真っ赤な血が迸る。更に、
「おまけだァ!」
渾身の左後ろ回し蹴りが妖夢の腹に叩き込まれ、その軽い体躯が吹き飛んだ。
吹き飛びつつもしかし妖夢は戦士であった。無様に地面の味を舐めるより早く、己の
半霊を回り込ませクッションとしてなんとか持ちこたえる。
ずるり、と倒れそうな身体を何とか立て直し荒い息の下武器を構えるも、この数合でその
姿は散々なものに変えられている。新旧問わず傷口から鮮血は流れ出し、緑のベストと
スカートは酷い色合いの斑模様。ブラウスのあちこちは破れそこも血に染まっている。
真っ赤な色は、今も服の染みを押し広げていた。
「ちなみに実戦なら今ので三回は死んでるだろうけど、どうするね。まだやるかい?」
刀身で肩をトントンと、余裕綽々に妹紅が問いかける。こちらは不死人故に傷はない。
断ち切られた左袖くらいが激しい被害の名残ではあるが。
かなり血を失ったであろう、普段以上の蒼白い顔の妖夢。しかし闘志だけは尽きぬ瞳で
妹紅を睨みつける。ただ、少なからぬ涙で滲んだ色を映してはいたが。まなじり決して妖夢は
叫ぶ。
「当たり前だ!」
その声を聞きつつ、妹紅は何かを思うような顔。
「続けられるその根拠は、一体なに?」
「こ、この心が折れないうちは、私は闘い続ける!」
きりりと妹紅に視線を合わせ妖夢は宣言した。それを受けて妹紅の眉がぴくりと動く。
「つまりさぁそれって、根性とかそういうのでどうにかする、って言いたいわけだ。違うなら
いいけどさ」
「そ、そうよ! 根性で切り抜けて……」
妖夢の言葉が終わるのを待つまでもなく駆け出す妹紅。呆気に取られたのは一瞬のこと、
妖夢はそれに反応し楼観剣を振り上げる。力任せの上段斬りは妹紅がとっさに抜いた短剣で
受け止められた。しかし壊れた刀身で完全に受け切ることはできずに、刃は鈍い音と共に
叩き折れる。
短剣をぽろりと取り落とした妹紅の左肩にざっくりと食い込む楼観剣の刃。開いた肩の
傷から真っ赤な血が吹き出る。それでも刃は妹紅の身体を両断するには至らない。腕の力のみの
斬、途中に受け止められてその力も弱まり、加えて間合いを詰めに詰められたせいだ。
血飛沫に赤く染まる妹紅。肩の傷の痛みもあろうに、妖夢の懐に潜り込み左手で胸倉を
掴んだ。瞳の奥で燃え盛るのは怒りの炎。
「巫山戯てンのはアンタのほうじゃないのか、魂魄妖夢……ッ」
「な……なにを」
妹紅がこの立会いで初めて見せた表情を見て狼狽する妖夢。今の言葉のどこに妹紅を
怒らせる要素があったのか、まるで見当もついていないのだ。
言われた妹紅もそれに気付いたのだろう。舌打ちしながら軽い前蹴りで妖夢の身体を
突き放した。そこで初めて肩の傷を見やるが、何の感慨も浮かばぬが如く妖夢に視線を戻した。
血に塗れた美貌に冷たい表情が張り付いている。
「……どうやら本気でそう思ってたらしいね。精神論大いに結構。だけどね、上策下策全て
尽くして頼るもんだよ、気合だの根性だのってのはさ。知恵も働かす前にそんなもんで相手と
立ち回ろうなんざ千年早い。私も舐められたもんだ、そう思っただけさ。……だけどな」
妹紅の炎色の目が、妖夢の海色の目を見据える。射抜く視線。
「妖夢、そのまんまじゃアンタ、自分が死ぬどころか主殿まで犬死させる結果に終わろうよ」
その言葉が、刃より鋭く妖夢の心に突き刺さった。
言うまでもなく妹紅は長い年月を生きてきた。その全てを一人で歩んできたわけではない。
彼女の心の中に足跡を残した人間は数多くいる。その中には天寿を全うせぬまま逝ったものも。
若くして、その若さゆえに散った命も数多く知っている。その度に言い知れぬ怒りと、
無力感に苦しめられたものだ。
肝試しの夜に知って以来、目の前の少女にも若さゆえの危うさを感じていた。暴走しそうな
雰囲気がかろうじて縫いとめられているのは、主が手綱を上手く操っているからこそだとも。
後に慧音に聞いて、妖夢の剣は未完成のままだと知った。いかなる理由があったかは
分からなくとも彼女の師である妖忌にしてみれば、守るべき主の下を去り、弟子を道半ばに
置いていくことは断腸の思いであったろう。ともかく、教えられぬ真の剣の道を知らぬまま、
危うい剣を妖夢は振っている。
それを理解して妹紅の気もそぞろ。袖擦り合うも他生の縁である。余計な世話になるかも
しれないが、自らが何か力になれないかと思いつつもなかなか言い出せずじまいであった。
ようやく先の酒宴でそのきっかけができて、今に至る。
熱過ぎる闘志に身を焦がしそうな妖夢を見て問いを投げかければ、返ってきた答えは
あまりに青臭いもの。そのせいで死んでいった奴らの顔が浮かんでしまう。そこに、この
真面目な少女の顔を加えたくはない。妹紅が妖夢に辛辣な言葉を叩き込んだ訳はそういう
ところにあった。
しかして妖夢、う、と小さく呻いたまま、その身を小さくわななかせてそれっきりである。
思い出しているのは春雪異変のことだろう。向かう者達を返り討ちにもできず押し通られ、
主の祈願果たされることもなく異変は終わった。
その後の主は深さ限りない悲しみを、誰にも隠したまま心に持ったままでいる。妖夢だけは
それを知っている。知っているが故に、今の妹紅の言葉こそが最もダメージを与えたのだ。
そんな妖夢の様子を見ながら妹紅は小さく溜息を吐く。ふと思い出すのは先の宴会の夜の
こと。
「あぁ畜生輝夜の奴っ! 今が宴会じゃなかったら脳天ぶっ飛ばしてやるのにっ!
あぁ、くそっ、忌々しい」
ぶちぶちと物騒な文句を呟きながら博麗神社の境内の端へと歩いていくのは妹紅である。
酒の席で何がしか、仇敵である『蓬莱山 輝夜』にやりこめられたのであろう。ふてくされた
顔で探すのは親友である『上白沢 慧音』であろうか。
しかし彼女は山の神社の連中と真剣な顔をして何やら話し合っていた。その中にずかずか
踏み込むのもためらわれた。少しだけ酒臭い溜息を吐いて、宴会場の隅の方へと向かう。
やれやれなどと呟いてどっかと腰を下ろし、お行儀悪く徳利からそのまま酒をあおろうと
して空っぽであることに気付いた。ますます眉間に皺が寄る。と、そこに、
「どうぞ」
と朱塗りの盃が差し出された。
そこに描かれた桜の花弁と黒揚羽蝶、視線を上げればその螺鈿が暗示するかの如き美しき
姿。西行寺幽々子そのひとである。決して相容れぬ死にまみれた亡霊であれど、向けられた
盃を断るほど野暮ではなかった。
「……ありがと」
受け取る盃に真白き酒が注がれる。口をつけて飲み干せば、芳醇な味わいが広がる。実に
美味き濁酒であった。
「お見事ですわ」
「そうかね」
無言で返杯を勧める妹紅。受け取る亡霊嬢はなみなみと酒の注がれた盃を傾け、こちらも
見事な飲みっぷりである。一つ息を吐いて、たおやかな笑みと盃を妹紅に向けた。言葉もなく
受け取り飲み干してはまた返す。あちこち騒がしき宴会の場で、ここだけが静かな空間のまま
酒が進んでいった。
「あ、あのさ」
結局静寂に耐え切れなかったのは妹紅のほうだった。ずっと聞きたい事はあったが、
なんとなくこの静かさに押しつぶされていた疑問。それを口にする。
「なんで、私と酒を?」
今更であった。だがしかしその疑問は当然であろう。肝試しの夜のやり取りで幽々子が
妹紅を恐れているのはわかっている。ある意味で”死”そのものの彼女に対し、蓬莱人のみは
その力を及ぼす事が出来ない。普段のほほんとした彼女が一瞬見せた怯えの色は、本物で
あったはずだ。しかし、今の彼女は穏やかな笑みと共に妹紅のすぐ側にいる。その微笑んだ口が動いた。
「お腹がすいてないからですわ」
「……蓬莱人の肝を酒のツマミにするつもりはないってことね」
答えは柔らかく優しい声である。相変わらず不思議すぎて妹紅には思考を理解できそうに
ない。しかしともあれ頭から丸齧りされることはないだろうとは思えた。酒を飲み干し、
幽々子に盃を返す。
「ま、私もアンタとこうやって話すこともなかった事だしさ。これを機会によろしく」
「えぇ」
そんなやり取りのあと、また酒を二、三杯。不意に妹紅が真面目な顔で幽々子を見る。
「……そういや、アンタの従者」
「庭師ですわ~」
「そうなの?」
「剣士ですわ~」
「どっちだよ!? ……どっちもなの?」
軽く盃を空にして、幽々子は微笑んで頷く。
「そうなのか。ま、それはいいとして、いないの?」
「今頃は夢の中で剣でも振ってるのかも」
つまりはとっくの昔に酔いつぶれたということらしい。幽々子から返ってきた盃を受け取り、
注がれる酒を眺める妹紅。少し寂しげな声で言う。
「そう、か……。……惜しいね、あの娘」
「でしょう?」
くい、と盃を傾ける妹紅。何杯目だったか、五杯を越えた頃から数えるのをやめた。
「でも、貴女にも分かりますのね」
「まぁね。この永すぎる人生、剣を握ることもあったから、さ。分かるんだよね」
酒精の毒は効かずとも、酒の美味さは舌を滑らかにする。慧音にすら告げたことのない
過去をつい口走った。空いた盃を幽々子にまた返す。なみなみと白い酒。
「とはいえ私の剣はあの娘のそれとは違っててね。遥か海を渡って西の果てにある、葡萄で
作った酒を飲む国でさ。そこにいる私と同じ不死人から習い身につけたものでね。おかげで
随分修羅場も切り抜けられたものさ、文字通りに」
どこか遠い目をしながらの妹紅。思い馳せるは昔の姿だろうか。
「それは、細く長い、針のような剣を使うものでなくて?」
幽々子の声に、現実へと引き戻される妹紅。驚いた目で幽々子の方を向く。
「あの子の先代、妖忌っていうのですけれど。武器を集めるのが趣味だったの。ねぇ妹紅。
貴女の剣、見てみたいわ~」
「や、えー……」
驚きからまだ多少立ち直れていない妹紅、しばらく逡巡する。
「私の剣なんて酒のツマミにもならないよ?」
「いやいや、妹紅。お酒は十分足りてるわ」
くすくすと、なにが楽しいのだか顔をほころばせて幽々子。むぅ、と悩む妹紅。やはり思慮が
深遠すぎてよく分からない。が、妖夢よりは幾分柔らかい頭ではある。
「……あの子の剣と私の剣は、違うよ?」
「いやいや、剣は剣ですわ。はぐらかさないで」
「……まいったな」
ぐしぐしと頭を掻き、しばらく腕を組み押し黙って、そうかと思えばやおらすっくと
立ち上がる。
「負けたよ、酒飲み勝負はアンタの勝ちだ」
「これって勝負でしたのね~」
にこにこと微笑む姿に、やはりこの亡霊嬢は食えたもんじゃないと妹紅は思う。もっとも
向こうもこちらを食いたいとはこの先永遠に思わないだろうが。
「負けたもんはしょうがない、勝者の言い分を聞こうさ。見せてやるよ、私の剣。あの娘
にもね」
「剣ならうちの蔵にありますから、あの子に言えばいつでも見れますわ」
幽々子の深桜色の瞳を見つめ、にやりと不敵な笑み。それを受けてやはり、幽々子は
柔らかく微笑むのであった。
「……ほんと、惜しいね」
小さく呟く妹紅。妖夢はいわば彼女自身が刀のような少女だ。ただ妹紅にも、そして彼女を
知る多くの者もこう思うだろう。切れ味のみを追求しすぎて硬く折れやすい刀であると。
柔らかさとしなやかさを手に入れなければ、折れた鋭すぎる刃は彼女の身も心をも真っ二つに
してしまうだろう。それはあまりにも惜しい。
「なあ!」
大きな声で呼ばわる妹紅。
「な、何!?」
それについ反応してしまう妖夢だが、
「いや、アンタじゃない。……なあ! 見てるんでしょう!? いいかげん姿を現しなさいよ!!」
妹紅はそれに構わず、空に向かって声を張り上げた。普通なら誰しもが妹紅がどうかしたかと
疑うだろう。もちろんここは普通がまかり通る場所ではなく、幻想郷だ。
「お呼びかしらー?」
白玉楼の上空、妹紅と妖夢が立ち合う真上に闇色の亀裂が走る。そこからひょっこりと
顔を覗かせる二つの影。声を出した影は光を浴びて薄桃色の姿となった。もちろん、
幽々子である。
空を割く亀裂の正体が”スキマ”であるからには、もう一つの影は『八雲 紫』。幽々子の
親友にして隙間繰りの大妖怪、幻想郷の管理者である。
「ゆっ幽々子様ッ!? ゆ、紫さまもっ!?」
「はぁい、妖夢ー。最初っから見てましたわ」
気の抜けた声でひらひらと手を振る紫。ぽかんと口をあけた妖夢の頬に、赤みがさした。
相次ぐ劣勢に恥ずかしくなったのか。
「なんかおまけまで来たけどまぁいいや。幽々子、これから私は最後の打ち合いをしようと
思ってる」
「そうなの?」
「ええ」
上空の幽々子に向かって宣言する妹紅。おまけと言われた紫の笑顔の額に青筋が走るが
それはどうでもいい。
「そこで妖夢が私に太刀打ちできなきゃ……色々考え直した方がいいかもしれないね」
真剣な声で妹紅が伝え、その内容に妖夢が身を硬くする。視線の先の幽々子はいつもの
ようにどこかとぼけた雰囲気のまま。ふぅむと考えるようなふりをして、
「そうかしら?」
と笑顔で言い放つ。
その視線は、自らの愛する側仕えに向けられた。
「妖夢」
「は、はいっ!」
「……勝ちなさい」
「……はいっ!!」
ただ一言、それだけで妖夢の消えかけていた闘志が再燃する。ぼんやりとしていた瞳の
光がいまや旭光のように輝いていた。楼観剣の柄を強く握りなおし青眼に構える。ほう、と
感心しつつも歪む妹紅の片唇、強者の笑みだ。
「なるほど、主が居て初めて真の強さが発揮される。分からない話じゃないわね。けれどさ」
レイピアの切っ先を妖夢に向けて言い放つ。
「だからって勝てると決まったわけじゃない。これで負けたら無様なんてもんじゃないよ
……負かすけどさ」
その言葉を受けて妖夢、傷だらけの姿には恐れ一つない表情。
「幽々子様が勝てと仰られたんだ。だから……絶対にッ勝つッ!!」
力強く叫んだ。じりりと地面を踏みしめ真っ向から構えあう。真剣な表情でしばし睨みあうも、
唐突に妹紅の顔に意地の悪い笑みが浮かんだ。
「じゃあ、こうすればどう闘う?」
そう言う妹紅の体がふわりと浮いた。そのままゆるりと空へ上昇する。その姿を追う
妖夢の視線。自然と見下ろす形の妹紅は、その視線の如く上から立場で口を開く。
「ふン。阿呆みたいに追っかけてくると思ったけどね。それとも追いかけもできないほどの
臆病者かね」
ははは、と高らかに笑いもう一度妖夢を見やる。それでも妖夢は動かない。その心は熱く
燃え盛り、しかし思考は冷たく澄んでいる。追わねば刃は妹紅に当てることはできない。
それは承知だが無策に突っ込むことはいかにも愚かだ。
策、か。そういえば妹紅もそんな事を言っていたな、と妖夢は思う。色々と酷い事を言われた
気もするが、それら全てはまるで何かを伝えようとするかのようでもあった。
ふ、と妖夢は自らの剣の師を思い出す。彼もまた教えの言葉はぶっきらぼうで厳しいものが
多かった。もう一度妹紅の真紅の瞳を見つめる。挑発的な言葉とは裏腹の真っ直ぐな瞳、
師匠の瞳と同じ瞳であった。
「ほらほらどうした、主に恥をかかせる気? 私は臆病者の無能なでくの坊ですよー、ってさ。
ははは!!」
やはり、口調だけは挑発を濃くしているが目の澄み様は変わらない。その真剣さに応えねば
ならないと、妖夢は小さく小さく頷いた。頷きつつ、思考の回転はより加速を始める。地を
踏みしめて叩き切る己の剣で、空に舞う妹紅に勝つにはどうすればいいかを。
「どう、幽々子。あの娘は勝てるかしら?」
おまけ、もとい紫がコップ酒をすすりながら聞く。おまけは気楽なものだ。
「さあ?」
にこやかに微笑みつつ幽々子はいう。冷たく思える言い草にも聞こえるが、表情が全ての
答えと紫は悟る。ふと眼下に目をやれば、妖夢の身体もふわりと空へ浮かんだ。時折落ちる
血は痛々しいものだが、その身に纏う気力は決して衰えてないと紫は見た。
「ようやっとお出まし?」
「ああ。すまない、待たせてしまって」
「それで、私に勝つ算段はできてるの?」
余裕を崩さずの妹紅に、
「それを今から見せてやる。覚悟ッ」
そう叫んで妖夢は己が身をぐいとねじった。同調して構える妹紅。
そこに妖夢が勢い良く飛び込む。妖夢の体躯が放たれた独楽のように回転し、竜巻の如く
妹紅へ襲い掛かる。片手で柄を握り締め、凄まじい疾さで刃が横薙ぎに唸る。派手に後ろに
飛んでその攻撃をかわす妹紅に、再度迫るは回転の勢いを殺さないまま横殴りの斬撃。受ける
剣を折られた妹紅には避けの一手しか残されていなかった。
当れば真っ二つの凶悪なつむじ風となって妹紅に迫撃する妖夢。その様はまさに怒れる
風神の如し。
「凄いわねぇ。あの様子なら……。……どうしたの幽々子?」
「え、あ、……うん」
昼だというのに酒をお供に物見遊山気分、親友に穏やかな声をかけた紫は困惑した顔へと
変わる。一徹な従者を見る幽々子。紫の思っていたような余裕の表情ではなかった。
奥歯を噛み締め眉根は寄って、明らかに煩悶の雰囲気である。もう一度戦場へ視線を移す紫。
妖夢の放つ止まらぬ回転斬りをギリギリで妹紅はかわし続けている。
切り飛ばされた妹紅の前髪が数本風に舞った。その数を”13”と認識して、紫の視線が
冷たく光る。瞬時にして全てを数式化し結論を導いて、その表情が曇った。そのまま呟く。
「……アレは、正解じゃないわね」
……結局、ここまでか。そう心の中で思うのは妹紅。今起きている攻防は妹紅が立てた
予測の範疇内である。
剣術というものは総じて地に足をつけた状態で戦うことを念頭に置かれている。妖夢の刀も、
妹紅のレイピアであっても変わりない。もとおより空舞う者達のために考えられたものではない。
思いきり地面を踏みしめ、あるいは地面を思いきり蹴って飛び込み、切り払い、貫き通す。
では、その地面がないまま戦えばどうなるのか?支えがない空中では闘い方は大きく制限
される。それは妹紅も妖夢も同じだ。同じなのだが、しかし失う物が大きいのは妖夢の方で
ある。得意の真っ向唐竹割りも手の力だけで振り下ろすのでは必殺にはならない。妹紅の
突きも大きく威力を殺がれそうなものだが、飛び込んでの刺突なら空を舞っていても
不可能ではない。妹紅は自分がほぼ一方的に有利になる舞台へと妖夢をおびき寄せたのだ。
大幅に戦い方を制限された妖夢が取り得る戦法は限られてくる。刃の旋風と化した妖夢では
あるが、妹紅にすればそれは予測済み。
振り回される楼観剣は長大な刀であり、その重さも並みのものではない。その質量に
回転力を上乗せすれば、当れば深い傷を与えられることは必至。加えて妖怪が鍛えた楼観剣、
切れ味たるや大磐石をも易々と両断するほど。まして人の身体をや、だ。それのどこが
正解ではないというのだろう。
答えはその少し後に訪れた。数度妖夢の件が空を切り、膠着したかに見えた闘い。妖夢の
横薙ぎがまた空を切る、同じ展開だと見えた。颶風と化した刃が、振りぬかれた。
「んあッ……くうっ!!」
妹紅に紙一重で届かないはずだった刃。しかし今、それは妹紅の血で朱に染まっている。
妖夢の眼前では妹紅の腹が真一文字に裂かれ、血がほとばしっている。苦痛に顔を歪める
妹紅ではあったが、視線の先に妖夢の姿を認めるや鬼神の笑みを浮かべた。
「……へへ、避けきるのは無理だった、か。けど、もうその剣は、見切った」
その言葉に驚愕の表情のまま目を見開く妖夢。その手にした楼観剣、右手の握りは柄の
端を握り締めていた。幾度か通常の斬を繰り返し打ち、間合いをあえて見切らせておいて
必殺の仕込み。一撃を打つ瞬間に柄を右手の中で滑らせ、伸びた間合いで敵の胴を薙ぐ。
それが妖夢の策。熟達した腕がなければ出来ないその技に妹紅の腹は大きく裂かれている
はずだった。だが、実際は……。
妹紅の血がみるみる止まっていく。妖刃は妹紅の腹を一寸すら捉えてはいなかった。
さしずめ薄皮一枚。蓬莱人の治癒力ならものの三十秒もあれば綺麗に塞がる。それで、
終わりだ。
妖夢は理解する。今の手は、全て読まれていた。
「……う、うわあああ!!」
狼狽極まった声で叫びながら妖夢はめくらめっぽう剣を振り回す。だが妹紅は余裕の
表情で楽々と回避していく。見えない勝利に向かって足掻き続けるような妖夢の姿。あまりに
痛々しい必死さに見守る二人の顔にも影が差した。
「幽々子、もう止めさせてあげたらどう?」
「……もう少し、あの子の好きにさせたいわ。いつも私が好き勝手ばかりやってる分、ね」
二人の視線の先、妹紅は妖夢の一撃を後ろに飛んで大きく間合いを離していた。追えずに
その場に留まり、ぜえぜえと息を荒げたまま構えを取り直す妖夢。あちこちからできた傷は
総身を血の紅に変えていた。
そろそろ、終わりにしてやるか、と妹紅はそう考える。もはや妖夢の策は尽きた。これ以上
長引かせるのは彼女のためにもならないだろうと。見切ったのは策だけではない。妖夢の
振るう楼観剣のリーチも、斬撃を放つタイミングも、斬りかかろうとする際の癖すらも
立会いの中で見極めている。
次、妖夢が回転しながら剣を薙いだのならそれこそを終焉にすると妹紅は決めた。刃を
かわした後すぐさま間合いを詰め、体勢の戻らぬままの妖夢の首筋か心臓にレイピアの
刃先を突きつける。それで負けを認めるだろう。
構える妹紅の視線の先で、また妖夢がぐっと身体を捻っている。タイミングを図る妹紅。
妖夢の肩が小さく跳ねた、来る!
「はァッ!」
裂帛の気合の声と共に、妖夢の刃が飛んできた。
比喩ではない、本当に妹紅めがけて楼観剣が一直線に飛んできたのだ。
「何ッ!? うわっ!」
咄嗟にレイピアの護拳で剣を叩き落す妹紅。不意を突かれて反射的に動いてしまった。
大きく体勢が崩れるその視界に、白楼剣を握り締め恐ろしい勢いで突撃してくる妖夢の姿。
拙いと思って避けようとする妹紅の体が、ふわりとした何かに包まれ動きを止められる。
妖夢の半霊だ。それが背中から包み込むようにして妹紅を逃がさない。
動けぬと知った瞬間、妹紅は飛来する影めがけて右手を突き出した。しかし、レイピアの
先は浅く妖夢の右肩をかすっただけ。どっ、と鈍い衝撃と共に、妹紅は己の胸に刃が突き
立つ感触を知った。
予想を遥かに上回られた、と妹紅。回転の斬撃もこのための布石。上策を下策で完全に
覆い隠し、油断する私に見事に一本を決めたかと、そう妹紅は感づいても時既に遅し。ぐぐ、
と半霊に身体を押し付けられ、喉の下から血の味が遡る。それでも妹紅は笑みを隠しえ
なかった。そのまま心に思い浮かんだ言葉を、妖夢の耳元で呟く。
「Vous êtes très merveilleux. ……お見事」
ずぐり、と刃が体の奥にめり込み、心臓を貫く。かはっと血を吐き、妹紅は意識を闇へと
手放した。胸から剣を生やしたまま落ちていく身体。それを見つめる妖夢の視界も霞が
かかったように鮮明ではない。勝利の味を噛み締めることもできずに、対手の後を追うように
妖夢の意識と身体はまっさかさまに落ちていった。
「ん……」
無意識の暗闇から目が覚めて、その視界に真っ先に飛び込んでくるのが絶世の美女の
微笑みならば、多くの人は天国にでも来たのかと思うに違いない。勿論少女はそうは
思わなかったが、確かにここは天国に近しい場所。白玉楼、屋敷の縁側である。
「おはよう、妖夢」
「……んっ……幽々子、さ……まっ!? あっ、はれ?」
愛しい主の微笑みを天に仰ぎ見て、ついで自分の首の裏の柔らかさを知り膝枕をされて
いる事に気づいた妖夢。慌てて起き上がろうとして、その額を透き通るように白い掌に
制される。持ち上がろうとした頭がまた膝の上に戻ってきた。
「そのままでいいのよ」
「え、あの、でもしかし……えっと、は、はい」
有無を言わせぬ優しい笑みの力に、頬を少し赤く染めて妖夢は従う。しばし逡巡して、
口を開いた。
「あ、あの、幽々子様」
「なぁに?」
次の言葉が出ない。どうやら考えをまとめずについ問うてしまったのだろう。しばらく
あのその、と口の中でもごもごやっていたのだが、ようやく形になる声。
「も、妹紅は?」
「帰ったわ。貴女によろしく、って」
「は、はぁ」
心臓を貫いて確かに命を断ったはずなのに、蓬莱人の再生力というのはやはり無茶苦茶だ、
と妖夢。同時に彼女より遅れて目が覚めたことを少し悔しく思う。思って次の問いが頭に
浮かぶ。
「……私は、勝ったんですか?」
その声を受け一瞬だけ幽々子の片眉が跳ねる。ふむ、と少しだけ考える……フリなの
だろう。笑顔で返す言葉は、
「その問いにはもう答えましたわ」
と謎めいたもの。こういうやり取りはいつものことではあるから、妖夢もしばし再考する。
勝敗の答えは既に出たというも、勝ったも負けたも言われていない。言われたのは
『妹紅は帰った』だけ。
そこまで考えて妖夢ははたと気づいた。あぁそうか、そもそも勝敗をつけようとしていた
わけではない。命を懸けたものとはいえ、あくまで剣の手合わせ。だとしたら勝ち負け
よりも、もう終わったかどうかを聞くべきだったのだ。そしてそれは既に答えられている。
「はい」
その声に幽々子は優しい笑みを浮かべる。珍しく妖夢が意図を汲み取った事を嬉しく
思ったのだ。
「あぁ、そこにあるのは春の日溜まり? 温かいを通り越して熱くもあるけど、その中に
お邪魔させてもらって構わないかしら?」
と、割り込んでくる声は紫のもの。妖夢は顔を上げようとしてまた制される。第三者に
こんな姿を見られているのを知って、また頬に朱がさした。
「お日様が誰かを拒んだりするかしら?」
「それもそうね。……はい、妖夢。剣は拾っておきましたわ、感謝なさい」
「あっ! ゆ、紫さまっ。あ、あのその……ありがとう、ございます。こんな格好からで
申し訳ありません」
ことりと音を立てて、妖夢の傍らに置かれる二振りの剣。投擲した楼観剣、妹紅の体に
残したままであった白楼剣、そのどちらもがきちんと鞘に収められている。それを見て、
とたんに己の所業を妖夢は思い出す。血の気がさぁっと引いて赤い頬が青白く変わった。
「あ、あの……幽々子様っ」
「なぁに?」
「わ、私とんでもない事を、ゆ、許されないことを……してしまいましたっ」
本当なら今すぐにでも起き上がり土下座したいのだろう。だが、優しく銀の髪を撫でられて
いてはそれを振り払うのも妖夢にとっては無礼に当る。見る間に青い瞳が潤んでいく。
それを見て、ことさら優しく髪を撫でる掌。
「許されないことなど一つもないわよ?」
「いいえ。私は、け、剣士としての誇りを、お爺様の魂を……楼観剣をこの手から投げ
捨てて……あ、いたっ」
震える声で告げる妖夢のおでこを、幽々子は軽く弾いた。
「こぉら」
「え、え?」
珍しく少し膨れて妖夢を叱る幽々子。優しく、しかし真剣な眼差しで妖夢の目を覗く。
「あなたは誇りのためにあなたの命を捨てるの? 誇りのために私を殺すの?」
「……っ!?」
言葉に詰まる妖夢。もし次に主を守る必要がある時、刀にこだわって主を危険に曝すような
馬鹿なことができようか。
「あなたの剣士としての使命は、私を守り続けること。それは死んでできることかしら、妖夢?」
「……いいえ」
「なら、許されないことなど一つもないわ」
いつもの笑み、いや、いつも以上に温かい笑みに妖夢も心の重石が外れる音を聞いた。
「亡霊になれば、できるんじゃない?」
そこに空気を読まない一言。むっと幽々子が可愛い顔で睨むと、わざとらしく視線を
遠くへ逃がすのは紫。妖夢は傍らの剣に手を伸ばし、それが引き金でまた疑問が浮かぶ。
「あの、幽々子様。妹紅に貸した剣は……」
「ああ、あれ、あげちゃったわよ。蔵にあるほかの3本と一緒に」
「あっ、そうですか……って、えええええ!?」
驚きの声と共にここでようやく身を起こす妖夢。膝から逃げられて幽々子が少し
寂しい顔をした。
そのまますぐに詰め寄られるのかと思ったのだが、妖夢は苦痛に耐えるような顔で身体を
押さえ少しの間押し黙った。傷跡が疼くのだろうか。流石に不安に思った幽々子が何か
声をかけようとするも、妖夢は一瞬早く復活する。
「あ、あれはお爺様の物ですよ!? 何で勝手にあげちゃったんですかぁ!? しかも4本も!?」
「いやいや妖夢」
結構な剣幕で押し迫る妖夢の顔にぺちりと閉じた扇の親骨が当てられる。
「あれは妹紅のものよ?」
「へ?」
「あの剣は持ち主の手を離れ、たまたまこの幻想郷にたどり着き、たまたま妖忌の手に渡って、
たまたまうちの蔵にあっただけ。元の持ち主が出てくれば返すのが当然ではなくて?」
くい、と扇で押されて正座する妖夢。考えてみれば妹紅はあの剣を使いこなしていた。
剣が幻想入りし、妹紅も幻想郷の住人ならば、持ち主と考えて然るべきだろう。だがあとの
3本は?
「あのー……」
「はいはい、言いたい事はわかってるわ妖夢。残りは全てあの子の友人達のもの。私たちが
持つより、あの子が持つのが相応しいものよ」
「……なるほどー」
ぽん、と手を打つ妖夢。その腕には包帯が巻かれてある。そこでようやく妖夢は自分が
手厚く手当てされているのに気付く。体のあちこちに包帯が巻かれていた。傍らに空に
なった硝子のビン。妖夢の視線の動きを追って、幽々子と紫はくすりと笑う。
「まさか、お二人が?」
「他に誰かいるのかしら?」
幽々子の笑顔に凍りつく妖夢。更に、
「ほんと、腹が立つくらいにあの薬の効果は抜群ね。それにしても包帯なんて巻いた
のは何年ぶりかしら?」
と朗らかな紫の声。凍った妖夢の額からたらたらと脂汗が流れ出す。
「あああああ、おおおおお、えええええ、ええと、ももも、申し訳ありませんっ!
お、おふおふ、お二人のお手を煩わせるなんて、そ、そんな恐れ多いこと……」
ひょんと縁側から室内に後ずさりし、べったりと土下座を敢行する。あまりの恐縮っぷりに
一度は呆気にとられる幽々子と紫だが、二人仲良く同時に吹き出した。
「わ、笑わないでください……っ」
消え入りそうな声で懇願する妖夢に、くすくすと笑いながら答える幽々子、
「うふふ、ごめんごめん。でもそんなに畏まらなくてもいいの。従者を気遣うのも主の仕事のうちですわ~」
と開いた扇の向こうでもう一度くすくすと笑う。その言葉に妖夢は思わず、『でしたら
普段ももう少しお気遣い下さい』と声を上げそうになるも、何とか心の中にしまいこむ。
「私も素晴らしい剣劇を堪能させてもらったんだし、気にすることはなくてよ」
そう声をかけるのは紫。そしてある事を思い出した。
「そうそう、妹紅から手紙を預かっていたんだわ。読みなさい、妖夢」
「は、はい」
すっと目の前に差し出された折った半紙を受け取る妖夢。かすかに墨の香りがした。広げて
目を通せば、思った以上に流麗な文字が並ぶ。しばし目を通すうちに、妖夢の顔に
知らず知らずの笑みが浮かぶ。それを眺める二人の顔もまたほころぶのであった。
―――妖夢へ
乱文しか書けないからその点は諦めてくれ。
まず、なにはともあれありがとう。そして、おつかれさま。
ついで、さんざ罵詈雑言を投げかけたことを謝らせてほしい。すまなかった。
また後日、手土産に甘味でも持って再度謝りに来る。
白玉楼だから池の屋の白玉饅頭でいいか?
さておき、参ったと言わせてもらおう。
最後の勝負は良くて相討ちで終わると思っていた。そこも詫びねばならない。
妖夢、貴女は強い。経験を積み、師匠と主の言葉をよく学べば、天下無双に手が届くはず。
自信を持って。されど驕るべからず。
次は一献、酒でも酌み交わそう。
Au revoir. またいずれ―――
白玉楼に通ずる野道を妹紅は上機嫌で歩いている。死の闇より帰還し、幽々子と紫に
妖夢を託した。互いに最大限の礼を尽くし、幽々子から剣を譲り受けている。愛しげに
一振りの剣を掲げて、友に対するように語りかける。流暢な、古いフランス語で。
「負けてしまったよ、ダルタニャン。あぁ、彼女はまるで若き日の君を見ているようだった。
ついつい、おせっかいだとはわかっていたけれど、私が得た剣の何かを伝えたくなって
しまってね……。でも、余計なお世話だったかもしれない。彼女はいずれ、君のような立派な
銃士……じゃないな、剣士になるはずさ。きっと、きっとだ」
妹紅の脳裏に浮かぶのは、素性も性別をも隠し、友と剣持ち陰謀に立ち向かった時代の
風景。視界の先に今も忘れえぬ若き銃士の笑顔。更に二振りの剣を加えれば、浮かび上がる
顔もまた増える。
「アトス、ポルトス。私の心に、まだ銃士の誇りは残っていたみたいだ。私だけのうのうと
生き永らえている、その事が許されるならあの時の私たちの想いを、一人でも多くの有望な
若者に捧げたい。私が生きている限り」
優しき友たちならば、きっと許すと言ってくれるだろう。藤原妹紅の、銃士アラミスの
気高き魂を未来あるものたちへと託す。それは先に生まれたものの使命ではなかろうか、
妹紅はそう考える。
剣を空に掲げる。パリで見た時と同じような、温かい陽光が妹紅に降り注いでいた。
幻想郷でも変わらなく伝わるはず。そう信じて心に浮かんだ言葉を天に向かって大きく叫んだ。
「……一人はみんなのために、みんなは一人のためにっ!!」
いやしかし、剣の戦いは格好良い……。
良いお話をありがとうございました。
登場人物の行動の動機がいまいちパッとしないのもマイナスです。
もみもみは未熟な気がしますからww
因みに、慧音と霖乃助は神器持ってるわけだけどどうなんだろ?
もこたんが三銃士、凄い発想です。
妹紅のおせっかいでお人よしな部分が見えてよかった。
妖夢は少し妹紅に感謝してもいいかも(笑)
妖夢vs妹紅のバトル良かったですよ。幻想郷でも珍しい得物同士のぶつかり合い
愚直なまでに剣を離さなかった妖夢が勝つために自分の殻を破って剣を投擲するとことか
竹林の案内人じゃなくてもやっぱりお節介焼な妹紅とか中々楽しかったです