自分の中のもう一人の自分が、嘲るようにレミリアを見下す。
蔑むように、彼女を笑う。
「あなたは、自分のしたことが正しいとでも思ってるの?」
絶対正義を気取るつもりなどない。己の中の正義など、所詮他人から見ればどうとでも変わるもの。だからといって後悔するつもりなどないが、自分自身で半ば認めかけているのだから、後悔を覚えていることに違和感を感じなかった。
テラスで月を見上げながら、紅茶を啜るいつも通りのお茶会。側には咲夜が控えており、妹のフランドールは今もきっと地下室で眠っていることだろう。可愛い妹。レミリアが閉じこめてさせてしまった、哀れで不憫で可哀想な妹。
己の滑稽さに、思わず笑みが零れた。自分で閉じこめさせる原因を作っておきながら、それで閉じこめられた者を哀れむなんて。殺人鬼が死体に同情するようなものだ。それなら最初からするなと、誰もが口を揃えて言うだろう。
だが、レミリアは考える。今の後悔している自分が過去に戻ったとしても、きっと同じ事をするだろう。坊主は人を愚かしいと説くが、何のことはない。妖怪だろうが吸血鬼だろうが、犯した過ちを繰り返す。
レミリアは必ず運命を弄び、そしてフランドールは必然的に地下室へ閉じこめられる。まるで檻に閉じこめられた宿命のように、それは変わらない過去であった。もしも宿命をこじ開けようとするならば、レミリアが産まれる前まで遡る必要があるだろう。
白亜のテーブルクロスに皺を残さぬよう、ゆったりとした手つきでティーカップを置いた。詮無き思考も、程ほどにしないと空しさだけが残る。今更過去を悔やみ、蒸し返した所で何になる。運命を操る吸血鬼にだって、過去を変える事は出来ないのだ。時間の長さは人間と比べて長いものの、決して無駄にして良いものではない。立ち止まるのも、この辺りにしておこう。
「咲夜」
努めて出した玲瓏な声に、側にいた従者が前に出る。瀟洒に振る舞うのは結構だけれど、足音一つ立てないというのは気味が悪い。乱暴に踏みならせとは言わないが、多少の人間らしさを見せてくれないと調子が狂う。
「なんでしょうか、お嬢様」
呼んだのは自分だが、問われて思わず返答に困る。気持ちを切り替える為にと、従者の名前を口にした。さして何か思惑があったのことではないのだから、用件はと訊かれて返す答えなど持ち合わせていない。
手持ち無沙汰の左手が、催促するように膝を叩く。叩いたところで出るのは埃、気の利いた言葉など今は品切れだ。
「フランドールは何をしてるの?」
訊かずとも分かる質問に、意味があるのか疑わしい。仮に何も知らずとも、それほど気になることでもないのだから救いなどどこにも無かった。敢えて救いを述べるとしたら、咲夜が覚りで無いことぐらい。心を読まれたいたのなら、今頃従者をクビにしていた。
そんな進退の危機があったと知らぬ、咲夜の表情は変わらない。
「妹様でしたら、おそらく地下室で就寝されていると思います。よろしければ、確認しましょうか?」
「いえ、いいわ。寝る子を起こすなって言葉は、紅魔館でも通用するのよ」
「わかりました」
返事をしながら紅茶を注ぐあたりは、さすがにそつがない。時間を操る能力が無かったとしても、おそらくこの人間を雇っていたことだろう。それもまた、変わらぬ運命。
足を組み替え、新しく注がれた紅茶の匂いを堪能する。
思うだけでは意味がないと知っていても、考えは溢れ出るもの。ついつい想像してしまった。
このお茶会の向かい側の席に、フランドールが座っている光景を。
果たして自分は笑えているのか、それともしかめっ面でそっぽを向いているのか。幻の世界に問うたところで、返ってくるのものはない。ただ、紅茶の匂いだけはきっと変わらないのだろう。
レミリアはティーカップに口をつける。
その瞬間だけ、幻の世界と現実の世界が繋がったような気分だった。
父親を文字で表現するとすれば、傲慢。あるいは我が儘。いずれにせよ、褒め言葉では語れない。
もっとも、それは父親に限った話では無かった。吸血鬼というのは例外を除いて、大概の存在が己を世界最強の種族であり、他に土をつけられない実力を持っているのだと誇っている。産まれたばかりのレミリアでさえ、まるで遺伝のように確固たる矜持を兼ね備えていた。
あるいは、だからこそだったのかもしれない。父親の矮小さが、我慢ならなかったのは。
レミリアの父、ハーネルク・スカーレット。吸血鬼の世界でも一目おかれるスカーレット家の、現当主である。
就任当時は如何なる豪傑かと、その資質を探りに来る吸血鬼も数多くいた。口では煩わしいと宣いながら、その裏では機嫌良さげにワインを堪能していた事をレミリアを知っている。それも所詮は、一過性のものであったが。
節穴かガラス玉でもない限り、ハーネルクを優秀と評価する者はいないだろう。五歳になるレミリアですら、早々に父親を見限っていたのだ。他の熟練した吸血鬼など、言わずもがなである。むしろ、探りを入れに来た方が驚きだ。余程、スカーレット家はお披露目したくなかったに違いない。
誰もが口を揃えて言った。スカーレット家も落ち目だと。あんな男を当主に据えるなど、子に恵まれなかったに他ならない。蔑みの声は館にまで届き、矮小な父親は典型的な見本のように荒れた。
自分が馬鹿にされるのは、妻が引き立てる事が出来なかったからだと母を殴り。
自分の失敗を棚にあげ、レミリアが何か些細なミスを犯す度にレミリアを殴り。
最初はそんな理不尽な暴力に、怒りさえ覚えた。どうして、私がこんな男に殴られなければならないのかと。
だが、それも次第に拡散していく。代わりにレミリアが覚えたのは、哀れみの感情。
父親でありながら、ハーネルクはレミリアよりも劣っていた。勝っているのは、せいぜい年と体格と腕力ぐらいで、知能すらも比べる必要がない。野蛮をそのまま吸血鬼にしたのがハーネルクであり、矜持を尊ぶ吸血鬼からしてみれば蛮族と呼んでも違和感は無かった。
いわば獣である。ならば、その暴力に理由などあるわけがない。
そう思えば、むしろ殴る男が可哀想に思えてくるのだ。
だから、レミリアは放っておいた。いずれは、どうせ当主の座を奪われる愚か者。いまのうちに、好きなだけ暴力を振るわせてやろうと思っていたのだ。
フランドールが産まれるまで。
フランドールを産んでまもなく、母親は短い人生に幕を下ろした。
体の弱いの人だった。むしろ、よくぞ産めたものだと今でも感心している。
ただ、父親の荒れ具合はより一層酷くなった。それは不満のはけ口が減ったからなのか、それとも微かに残っていた夫としての悲しみなのか。心をのぞけないレミリアには到底分かるわけもなく、また分かったとしてもどうしようもない。
一つだけ確かなのは、ハーネルクの矛先がフランドールに向いたという事。
まるで母を殺したのはフランドールだとばかりに、産まれて間もない幼子に当たり散らそうとした。言葉もロクに喋れない妹。だけど、レミリアにとっては初めての妹。守ろうと思ったのも、姉として当然の責務だと自覚していたから。
妹の盾になり、父の横暴な暴力に耐える毎日。同情の念はやがて消え、再び怒りが心のうちから湧き出してくる。
父は父でフランドールに対する恐怖が拭えず、密かに地下室を作り、そこへフランドールを押し込めようとしていた。
「フランドールが閉じこめられるような理由はありません」
レミリアはそう言った。
しかしハーネルクは聞く耳を持たず、黙々とその準備を進めていく。
最早一刻の猶予の残されていない。レミリアは決意した。
当主の座を奪うには、まだ早い。いくら愚鈍な男だとはいえ、まだまだ腕力という意味ではあちらが上なのだ。戦えばレミリアは負ける。
しかし、能力という土俵ならば軍配はレミリアにあがる。
ハーネルクにはこれといった能力がなく、レミリアには強力な武器があった。運命を操る、その力である。
無論、これでハーネルクが死ぬように運命を操れば話は早い。だが運命というのは難しいもので、完全な誕生と死に関するものは操れないように出来てる。だから誰かが産まれるように細工したり、死ぬように変えるのは不可能なのだ。
だからといって、諦めるわけではない。方法はまだまだある。
生死を操れない代わりに、運命は人の性格を変えることが出来るのだ。
娘に恐怖することがハーネルクの運命だとしたら、それを愛するように変えてしまえばいい。
いかにも都合の良い能力。しかし、それこそがレミリアの誇る最強の武器なのだ。
月も沈まぬ、暗き夜。
いよいよ完成した地下室にフランドールを閉じこめようと、ハーネルクが動き出した。フランドールの部屋の前で待っていたレミリアは、暗がりの向こうからやってくる父に眉をひそめた。
あれが、スカーレット家の当主?
あらためて見ると、物乞いにしか見えない。家政婦も信用しないせいか身なりは薄汚く、髪も髭も手入れをした様子がない。
近づけば異臭もする。思わず口元を押さえ、レミリアは虚ろな目の父親を睨み付けた。
「こんばんは、お父様」
「レ……ミリア……か」
久しく声を出したというように、掠れて小さな声。
「そこを……どけ」
狩りの邪魔をされた獣のように、虚ろな瞳に鋭い光が宿っていく。このまま立ちはだかっていたら、間違いなく殺されてしまうだろう。
怯む素振りすら見せず、レミリアは微笑を携え、父を嘲る。
「私がどいて、どうするつもりかしら? フランドールを閉じこめても、あなたは何も変わらないというのに」
「う、うるさいっ!」
つくづく、矮小な男だと哀れに思う。困ったときは大声をあげれば、何とかなると思っているのか。それでは、そこらの人間と大差ない。
「まぁ、いいわ。止めはしません。どうぞ、お父様」
従者のように扉を開いてやり、中にハーネルクを迎え入れる。
天蓋つきのベッドの上では、何も知らぬフランドールがすやすやと寝息を立てていた。幼い吸血鬼には、まだまだ夜も眠る時間らしい。
ハーネルクはふらつく足取りで、ゆっくりとフランドールへと近づいていく。
レミリアは口元を押さえたまま、その背中に話しかけた。
運命を変える、その一言をのせて。
「思う存分、フランドールを可愛がってあげなさい」
言の葉が届くや否や、ハーネルクは時間が止まったように動かなくなる。
しかし徐々にその体が震え、やがて口から獣のようなうなり声が響いてきた。そのくせ、体は糸が切れたように崩れ落ちる。
薄汚い両手は頭を抱え、許しを請うように床へこすりつけている。
娘を愛するがゆえに、見窄らしい自分に挫折したのか。そのまま命を絶ってしまいそうな勢いだが、止める義理はない。むしろ、そうしてくれるのなら処分する手間が省けるというものだ。
薄ら笑いを浮かべながら、蹲る父親を見下ろす。
「うっ……ううっ……」
うなり声はうめき声に変わるも、その震えはまだ治まらない。
やがてハーネルクはゆっくりと顔をあげ、乾いた唇を開いた。
「フランちゃん、可愛いすぎるだろ」
……ん?
薄ら笑いが凍り付く。
待て。いま、この男は何と言った?
聞き間違いかと思ったレミリアを否定するように、ハーネルクは言葉を続けた。
「いや、マジないわ。こんな可愛い子が俺の娘とか、マジないわ。鳶が鷹を生むとかってレベルじゃないだろ、絶対。ああ、もう無理。これ以上、直視してたら灰になって死ぬね」
頭を押さえていた両手が、目隠しのように両目を覆う。
「というか、同じ空間にいること自体がやばい気がしてきた。俺の近くにいたら、馬鹿が移るかもしれんし」
振り返り、ハーネルクは一目散に部屋を出て行く。
去り際、
「おい、可愛くない方の娘」
「……なによその、差別発言」
「部屋、出るぞ。これ以上いたら、フランちゃんが穢れる」
うわぁ。
無言でレミリアは部屋を出た。
一仕事を終えたとばかりに、汗を拭うハーネルク。
ひょっとすると、自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
「いかんね、いかん。あれが俺の娘だと思うだけで、パパちょっと興奮してきたちゃったよ。どうしよう、この気持ち」
「纏めてゴミと一緒に捨てたらどうかしら」
「それがいいかもしれんな。こんな気持ち抱いてたら、フランちゃんがパパのこと嫌いになっちゃうかもしれんし」
ハーネルクが発言するたびに、言葉を失う。
運命がいかに強力であるか。改めて思い知らされた。
「フランちゃんに嫌われたら、パパ死んじゃう!」
「死になさいよ、いますぐ」
でもまぁ、これはこれで有りかもしれない。これなら間違いなく、フランドールを地下に閉じこめようとはしないだろう。
「まぁ、いいわ。とりあえず、あの地下室も早く撤去しておきなさいよ」
「は? なんでよ?」
「だってそうでしょ。あんなところにフランを閉じこめられたら、あなた嫌われるわよ」
「勿論、フランちゃん好みに改装はするよ。でも、閉じこめることに変わりはない」
意味が全く分からない。
レミリアは眉間に皺を寄せ、ハーネルクを睨み付けた。
「どういうことよ!」
「当たり前だろ! あんな可愛いフランちゃんをそのままにしておいたら、悪い虫につくに決まってる!」
温室育ちにも程がある。
「そんな我が儘、通用するわけないでしょ! いますぐ地下室を撤去なさい!」
「やだいやだい! フランちゃんは地下室でパパとずーっと遊ぶんだ!」
心なしか、精神年齢が退化している気もした。
「こうなったら、もういいわ。あなた運命を、もっとマシな方に変えてあげる」
そう思い、能力を使ったのだがハーネルクに変わった様子は見られない。
「ふはははは、馬鹿め。フランちゃんに対する愛を侮るでないわ! お前の能力ごときでは、この愛する心を変えることなどできぬ!」
力強く叫ぶ父親を、とりあえず殴ったレミリアは充分評価に値する。
レミリアの抵抗空しく、結局フランドールは地下室に閉じこめられた。もっとも、とうてい地下室とは思えないほどの部屋で、大層フランドールは喜んでいたが。
その後、レミリアはフランドールにべったりのハーネルクを蹴落とし、見事紅魔館の当主の座に収まったのだ。
これでようやくフランドールも自由だと思い、地下室から解放しようと思ったのだけれど、
「いや、別にいいよ。だって、あの部屋快適だし」
当のフランドールはこう断ったという。
地下室で眠る妹の事を思いながら、背もたれに体重を預けた。
「そういえばお嬢様、ハーネルクという方が手紙を」
「焼きなさい」
「……は?」
間髪入れぬ即断に、瀟洒な従者も聞き返す。しかしレミリアの答えは変わらない。
見なくとも、どうせ答えは変わらないのだから。
「まったく」
夜空を見上げ、呆れたように呟く。
「運命なんて、下手に弄るものじゃないわね」
しみじみと実感のこもった言葉に、咲夜はただただ首を傾げるのであった。
いつのまにか、ギャグになってる・・・
一気に眠気が吹っ飛びました。
散々シリアスで持ち上げておいてこのオチ!
盛大に笑わせて頂きました。
おもしろかったです。
それにしてもこの親父さんとは旨い酒が飲めそうだ
と思っていたが,後半。何よアレ?w
でも、ゆ る せ んww
なんという転調ww
同意。
あまりにも突然の展開だったので、自分としては肩透かしを喰らったような・・・。
戻ってこーい!!ww
しかもオヤジ生きてるw
こ れ は ひ ど い
親父マジぱねぇなオイw
しかもフランも結局地下室からでないとかwww
オwヤwジwwwwwwwwwww
親父自重しろwwwwwwwww