一枚四百八十円。
冷静に考えて欲しい。ドロワーズが、とてもよく、冷えているのである。
その電撃的な第一報は幻想郷にたちまち大反響を呼び起こし、その売り主霧雨魔理沙の名前は冷やしドロワーズの登録商標と共に、三日経たずして幻想郷の東西すべてを駆け抜けた。商人が一度は夢見る大ヒットを手にして左団扇の未来が彼女に約束され始めた頃、しかし商売は唐突に終焉を迎える。所詮は箪笥に買い溜し過ぎたドロワーズを切り崩しただけの、しがない小遣い稼ぎであった。尚あっち系の商売ではないので、一度でも着用したものは勿論売っていない。
かくて「幻の」という冠言葉を得た商品「幻の冷やしドロワーズ」はさらなる大反響と問い合わせを呼び、銀行の取り付け騒ぎのように押し寄せる人波で霧雨邸の前庭は未曾有の大混乱に陥った。押し寄せた幻想郷の住人達は口々に冷やしドロワーズ! VIVA冷やしドロワーズ! あー、とかうわー、とか叫びながら裏口に回ってくつろぎのウッドデッキにまで押し寄せる。ひっきりなしに叩かれるドアノッカー、喉から二の腕まで出てくるほどに彼らは冷やしドロワーズを欲していたのだが、興味を失している魔理沙はいくら縋られても商売を再開する気を起こさない。
その大騒ぎの噂が耳に入ったところで、魔理沙は親父に呼び出された。つまりは霧雨魔法店の主人である。
「べらんめぇ! てめぇそれでも女か!」
発音は「おなご」であった。
界隈では常に死亡説が絶えないこの親父だが実は生きているのである。ちょっと太めでハゲだが大変元気である。
親父は勢い込んで唾を飛ばした。
「女なら、一回手ェ出した商売は諦めるんじゃねぇ!!」
男も女も関係ない話じゃないか――と、率直に魔理沙は思ったのだがまぁどうでも良い。
タマさえ補充すれば再開は容易だったので、魔理沙は親父の説得を経て遂に冷やしドロワーズの販売を再開する。一枚四百八十円だが二枚買ったら九百円、というお得セットお値打ち価格は親父の入れ知恵である。さすが練熟の商人だ。販売再開の一報は一日と置かずして全幻想郷を駈け巡り、聞きつけた幻想郷住人が再び大挙して押し寄せた邸宅前は欣喜雀躍に沸き返っていた。
「ええい、皆々の衆!」
博麗神社に集合した大観衆を前に、魔理沙は冷えたドロワーズに似つかわしくない熱さで叫ぶ。
べべんべん。
「冷やしドロワーズの効能はぁ!」
「んおー!!」
売り主が大きく見得を切り、最早待ちくたびれた観衆達は大歓声でこれに呼応する。商人魂と消費者魂、魂と魂が共鳴している。百人が見れば百人とも頷いたであろう、幻想郷は今や冷やしドロワーズの虜であると。今や幻想郷は冷やしドロワーズ無くしては生きてゆけないと。
「まず当然ながら、これを穿くと気持ち良い。かき氷や水浴びなんて比較にならないくらい、しっちゃかめっちゃか心地よい!」
拳を振り上げいい加減な日本語を飛ばす魔理沙と、その語尾を待ちきれず上から塗りつぶしてゆく万雷の拍手。
その勇姿を、沸き返る人垣の中程から静かに見守る影があった。仁王立ち、ぶっとい眉毛が吊り上がり二の腕には岩海苔がびっしり生え、余人をまったく寄せ付けない迫力を醸し出している。
あの子には、商才がある――
親父は無精髭に席巻されつつある口を真一文字に引き結び、丸太みたいな腕を太鼓みたいな腹の上に拱いている。気付けば一人蟄居して魔法実験だか何だかチンケな事に手を出していたかと思えば、あれでなかなか腕が立つようだ。娘に商売のイロハを教えたことなど一度も無い。少なくとも自分の前では学ぼうともしなかったし、よって現在展開されているセールストークは門前の小僧が読んでいる習わぬ経だ。商品説明は付加価値よりもまずは本的な使い方を説明するのが第一だが、この辺は言わずとも自然と体得しているらしい。
逞しい目で愛娘を見つめる。
お手並み拝見とばかりに睨み付けている。
「いいか皆の衆! 冷えたドロワーズの良さは想像を絶する! こればっかりは穿いてもらわないと分からないぜ」
魔理沙が声を張る。
穿けば心地よい――嗚呼、何と簡潔明瞭な売り文句。暑い夏、日本の夏、蒸し暑い部屋の中キンキンに冷やしたのをすっと下半身に着用すれば、幻想郷の中にある幻想郷が見えることだろう。夏の股間がたちまち有頂天である。
魔理沙の父、略してまりちちは思わず己のシンボリックな場所を無骨な掌できゅっと押さえた。ここが冷えるのである、ここが。
「次にぃ」
「おおー!!」
「冷やしドロワーズには様々な使い方がある! ……のだが、これは私以外の人から語っていただくとしようか」
さて、ここで演台に賓客が上がった。悠揚と舞台中央に歩み出た彼女は、実際に商品を使用しその立場から感想を述べる、俗に言うところのモニターである。だがしかしまりちちはそんな耶蘇伴天連が使うような横文字の冷血な言葉を使わない。目の前に現れる人間への二人称はいつ如何なる時も常に「お客様」であり、そして舞台上のお客様には見覚えがあった。紅白の衣裳と黒髪が艶やかな少女、あれは、魔理沙とはいつも博麗神社で仲良くしてもらっている――そう、魔理沙の将来のお婿さんだった筈。
博麗霊夢はアルカイックスマイルで口火を切る。
「穿くだけじゃなくて、使い方は色々ね……まず寝る時に半脱ぎにして、腿のあたりにかけておくとこれが最高なの……」
「――おおっっ!!」
「そして昼間暑い最中には上肢ね。この冷やしドロワーズを二枚使って、両袖の中に仕込んで腕を通せばひんやり快適」
「さぁさぁ、本日二枚なら九百円!」
「おおおー!!」
「更に風邪を引いた時の解熱剤に!」
「おおー」
「そうめんを冷たく食べるため皿に敷く!」
「おおー!」
「おふくろの味『ドロワーズの冷製カルパッチョ』!」
「うおおーーーーっっっ!!」
霊夢が指折り掲げる魅力的な使用方法の一つひとつに、観衆はいちいち沸き返る。否、まりちちの耳にそれは既に歓声ですらない。怒張しきった雄叫びはもはや咆哮と呼ぶに相応しく、まりちちは商売人として、また一人の漢として、己が魂の震え戦くのを抑えきれない。群衆は今や一心同体となり、売り手買い手の隔ても失って全員で猛々しく盛り上がっている。こんな一瞬、どんな商売人にとっても一度は味わってみたい夢見心地の光景である。真の商売人が欲するのはお足ではなくお客様の「嬉しい」と「ありがとう」であり、利益などはお客様の笑顔を追求する先で自然とついてくる物だ。
まりちちはこの昂奮が、いつまでも続けば良いのにと願っていた。人々を問答無用で虜に捕らえた英雄は冷やしドロワーズ、憎い奴である。冷やしドロワーズ、冷やしドロワーズ、嗚呼、まるでお前の匂いが五月の薫風に乗っかってくるようだ。
一世一代の大舞台であった。
霊夢は役割を終え、ここでお役御免となって退く。
「……えっと、あたいはチルノ!」
「おー!」
二番目の賓客が演台に上がる。短めのスカートの下、既にドロワーズが見えている。
「これを穿いておけば、夏でも身体が溶けることはないっ! あたい最強!!」
「お前だけだバーカ! 引っ込め!」
続けて三番目の賓客が舞台に上がった。魔理沙に背中を押され、おずおずと自信なさげに衆目の前へ歩み出たのは、魔理沙の紹介によると
「こちら、姓は東風谷に名は早苗と発する!!」
「うおおおおおお!!」
という、少女らしい。
まりちちも噂には聞いている。詳しい素性についてはよく知らないが、お店を訪れたお客様の口伝で名前だけは知っている。山の方にこの度移り住んできた、幻想郷の新参者。まだ乳臭い顔とカラダをしている。
三歩くらいの時間を掛け、早苗は半歩くらい前に出た。
「えっと……も、元の世界には無くて、幻想郷に来てから冷やしドロワーズってのを知ったのですが」
おずおずと、スカートの裾を握り締めて早苗は喋り出す。
むぅ、とまりちちは唸る。
乳臭ぇ。
だがしかしその乳臭さ、初々しい有様が非常に愛らしいではないか。恥ずかしがる女の子はいつ如何なる時代も可愛いもので、思わずこの腕できゅっと抱き締めてみたくなる。牛肉みたいな舌で、まりちちはべろりと唇を湿らせる。
誓って好色とかえろおやじとか、まりちちって実はロリコンなんだぜとかの意味ではない。早苗の幼さに唸ったのは商売上の理由あってのことであって、誓ってそれ以上でも以下でもない。……と思う。
霊夢のように自信満々で、いかにも喋り慣れた立て板に水の喧伝が何人も続けば、あまりに出来すぎた話にお客様がふと猜疑に陥ることがある。興奮の坩堝の中でそういうのを「えあーぽけっと」とかいうらしいが、まりちちも詳しいことは知らない。それを防ぐためにもモニタリングをして下さるお客様を選別する際は、顧客属性や性格を互いに離しておくのが基本だ。その方が効果的で、話の幅も広がる。
まりちちの師匠が、幼い頃に口をすっぱくしていたことだ。
掴んでいたスカートを、そのまま恥ずかしげに早苗が真上へと持ち上げた。冷静に考えると割ととんでもない行動である。そこから現れるのは白い脚と膝っ小僧、そして勿論冷やしドロワーズである。宣伝のためとはいえ大観衆の目が見つめる前でスカートを自らまくり上げる、その背徳っぽさが堪らない。
「み、皆さんも是非穿いてください、これ、とっても気持ち良いんです……!」
「か……か……かわあいい! かぁいいぞぉおおーーーッ!!」
「お持ち帰りぃぃいいッッ!!」
「や、あ……ありがとうございますっ! で更に、この冷やしドロワーズですが!」
早苗はそこでスカートから指を離し、声援に後押しされるように魔理沙から真新しい冷やしドロワーズを受け取った。
群衆が早苗の一挙手一投足に注目している。腕を組んだまま顎をさするまりちち。
観衆全員の注目を浴びながら早苗は、
――やおらそれを、逆さまにしてすっぽりと頭から被った。
「……こうすれば、夏の日向を歩くのにも非常に快適です~~」
布にくぐもらされた声が呟く。
それはあたかも、ドロワーズが人語を解して喋っているような光景だった。
観衆は一様に言葉を失っている。
そして前触れもなくドロワーズは舞台を左右に歩き始めた。さながらドロワーズに胴体と手足が生えたドロワーズマン一号みたいな出で立ちで歩く元東風谷早苗は、やはり緊張と視界不良を拭えない足取りでモデル歩きを敢行する。凸型の花道の一番てっぺんでキメキメのポーズを構え、踵を返して司会者の元に戻る途中でしかし足を踏み外し「……きゃあぁっ!?」、敢えなく舞台左袖に転落するドロワーズマン一号。正義は敗れたり。
――その危機に、幻想郷住民が一致団結する!
「うおああああああああああッッッッッッ」
「早苗ーッ、俺だーッ! 結婚してくれぇーッ!!」
餌に群がる池の鯉のように、冷やしドロワーズへと殺到する黒波。
背後から眼前へと雪崩れてゆく群衆の中、まりちちはその棒杭のような二本足で、暫し硬直して立ち尽くしていた。
こ、これが冷やしドロワーズの魅力なのか……。
相対的に人口密度の薄れてゆく舞台正面やや後方よりの立ち位置から、まりちちはただただ唸るしかない。
――しかる後に矢も楯もたまらず、己もまた冷やしドロワーズの落下点へと駆け出してゆく。人が飛ぶ。怒号も飛ぶ。
大混乱がようやく収束した後、魔理沙が落ち着き払った声音で場を再び支配する。
「さて……お名残惜しいところですが皆の衆、」
最後のお客様をご紹介するぜ――
言葉に相応しく、魔理沙は、厳粛に呟いた。
再び舞台に注がれる数多の視線の中、袖から魔理沙がエスコートしてきたのはやや小柄な女性であった。
誰かが息を呑む音が聞こえる。
粛然と見守る観衆の中、最後のお客様はいたく荘厳な佇まいをして現れた。ドロワーズマンの落下地点へ殺到していた黒山の観衆が、一人ずつ振り向く。手を止める。振り返る。真っ赤に染まった王蠱の瞳の攻撃色が落下地点を中心にすう――っと青へ変わったあの名シーンのように、静かな波を纏いながら全員の視線が舞台上に戻ってゆく。場の空気が熱狂から緊張へと変わってゆく。
まりちちは固唾を呑み、興奮の坩堝があのお客様の登場によって過冷却されることを少し恐れた。だが、結論から言えばこれはまりちちの杞憂に終わる。先ほどの話にも通じることで、モニタリングのお客様の変わり目にはある程度の減り張りが必要なのだ。静まり返った観衆の中に、しかし未だ飽和の二文字は存在していない。冷やしドロワーズに魅了し尽くされここに集いし群衆は今更、畏み畏み地獄の裁判長の登場ごときで小揺るぎもしない。
四季映姫・ヤマザナドゥは恭しく自己紹介をしてから、左手に持った冷やしドロワーズを高々と掲げる。
「わたしは……毎日つらい」
突然の告白であった。
その瞳には冷やしドロワーズが映り、僅かながら涙さえ浮かんでいるようにも見える。
「毎日人が死んでゆく……私の裁判は、開廷待ちがありません。来たる人々に備え、ずっと座っていなければなりません。往生された方があれば即裁判で、それは人一人の生き様をすべて裁くのですから長大な時間がかかります。……そんで是非曲直庁第三小法廷の椅子とかぶっちゃけ固いんです。綿とかもう潰れてますし、凭れ掛かったらハツカネズミを踏み潰したような音がするだけで撓りなんかありはしません。もうかなり古い。そういう椅子だから、ずっと座っていれば蒸れもするし痒くもなる」
しんと、静まりかえる場内。
映姫はおもむろに右手で悔悟の棒を懐から取り出し、群衆をぐるり指した。
そして、後――
「そう……」
左手で掲げている冷やしドロワーズに、ピタリとその切っ先を据えた!
「コレが、コレこそが、私に快適な裁判をくれたのです!!」
「――――――んぅおおおーーーっっ!」
刹那、花火のように爆発する大歓声の復古!
当然ながらまりちちはひとたまりもなかった。耳を破らんばかりの咆哮と何本も突き上げられる拳、一瞬にして全身に鳥肌が立つのを感じた。宇宙の創始もかくやと思わせる、迅雷一閃のような昂奮の復活であった。ここからドロワーズの宇宙が始まるかもしれないと本気で思った。
「顕界で生きとし生ける皆さん、冷やしドロワーズは本当に気持ち良いです! なんせあのおんぼろ裁判長席に座っててもひんやり快適! まるで揉み上げられるようにケツの右と左からじわじわ侵食してくる涼感はクセになります! やみつきです。さらには緊張の法廷で汗ばんだ手も、こうやって」
映姫はもう自分で自分を抑えきれない、といった剣幕でやおら自分のスカートの中に上から手を突っ込む。群衆が一様に息を呑む。伸びたスカートの胴回り、すっぽり収まった両手首からの先っぽ。まりちちだけが腕組みしたまま、静かに頷いている。
そう、彼女もまた、舞台上に出る前から着用していたのだ――喧伝して下さるお客様にちゃっかり穿かせておく愛娘の抜かりなさに頷いたのだ。彼女に限らず、ここまでの賓客四人は全員、今日この舞台上でも着用していた。そう、ここが大事なのだ。お客様が宣伝してくれるのだから、そのお客様に大観衆の前で着用しておいていただかないと大発表会も片手落ちである。魔理沙の、素人だてらにしてこの用意周到さには、海千山千の熟達商人まりちちといえども、牛肉の舌をくるりと巻かざるを得ない。
臍のあたりからスカートの中に手を突っ込んだまま、四季映姫・ヤマザナドゥは大観衆に微笑んだ。
波を打って押し寄せる歓声の波の中を、彼女もまた歩き出す。東風谷早苗と同じように凸型の長細い花道を、彼女もまたしゃなりしゃなりと歩いた。ただ違うのは彼女が前裾に手を突っ込んでいることで、腕が振れないので肩を左右に揺らしてかぶき者のように風を切っている点である。それにしてもあの変態極まりない別嬪はんは誰やねん、あのデルモすげえぞ、あれで裁判長様なのか、あれは俺の嫁だぞ、巻き起こる拍手喝采と驚嘆の溜息。
花道の剣が峰でくるりと一回転、更に浴びせられる歓声、踵を返して通路を戻り司会者の隣でまた聴衆の方へ向き直って、最後にウィンクするそのサービス精神まで憎い。さすが裁判長である。天地を割らんばかりに轟き渡るスタンディングオベーション。可憐に微笑むバカボンのパパ。あんなにクリーム色の腹巻きが似合いそうな裁判官は、どこのどんな冥土を探したってそうは居ないだろう。
これも、これさえもまた、冷やしドロワーズのお陰なのだとしたら。
「へっ……」
まりちちは、唯言葉もなく、絶望を感じていた。
目の前にて繰り広げられた大宣伝大会は一種、完成された芸術のような圧倒的なパワーを発していた。長らく他者の追随を許さず第一線で職人肌を発揮してきた辣腕の商人が、もし引退を決意するとしたら今みたいな時なのだろう。この発表会を娘が催しているという事実がまりちちの胸を締め付ける。集まった観衆に堂々と冷やしドロワーズを掲げる己が娘の凛々しさは、この自分、一生忘れまい。この場に集いし少女達の、冷やしドロワーズに奪い尽くされた虜の瞳は、例えこの身が地獄に墜とされ焼き尽くされようとも二度と忘れない。忘れてやるものか。
商売に絶対必要な人心掌握の術を彼女は、魂の部分で既に体得している。卑俗な言い方をすれば天才、西洋の横文字に準えるならカリスマというやつだ。その血が自分の遺伝子を以て醸成されたことは少なからず誇りだが、今のまりちちは商売人としてその才覚の圧倒的な較差に打ちのめされ、もはや何も考える気力が起きないでいる。あの子に商売を続ける気があるのなら、明日すぐにでも霧雨魔法店の暖簾をひっぺがえして熨斗つけて禅譲することさえやぶさかではない。藍染めに抜かれた霧雨の文字を、あの娘の軒先で輝かせてくれるなら自分は何も言わない。ウチの玄関にはローソンのカラーコピーでも提げておけば良いのだ。
嗚呼愛娘よ――せめて出藍の誉れと、私のことを言ってくれたならこの父はもう何も望みはしない。それだけで幸せだ。
「ご覧の通り冷やしドロワーズは画期的な商品である。それは販売再開を待ち望み、そして今日ここにお集い下さった皆々様の数こそが…………何より証明しているぜ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「ブラボォーーーーーーーーーーー!!!」
「ひんやりとした肌触りからドロワーズマン一号まで、使い方は多岐に渡る。ここに集う多士済々の方々が、思い思いに使っていただければと思う!」
「いえぇぇぇああああああーーーー!!!」
「ジーーーーーーーーク魔理沙ぁぁ!!!」
満足げに微笑む魔理沙。そしてとどめだと言わんばかりに冷やしドロワーズのパッケージを掲げ、そこに印刷された丸い小さなマークを指さす。
佳境に差し掛かった発表会。魔理沙が最後の力を振り絞る。
「……申し遅れたが冷やしドロワーズは、貴方にだけでなく地球にも優しい――これはエコマークといって、最近幻想郷に流れてきた外の世界の意匠だが」
さて。
群衆が各々目を凝らすが、さすがに遠すぎて小さすぎて見えないようだ。まりちちだけが両目24.0の視力を生かして、それを見た。腕が地球を抱いている。
そして同時に、魔理沙の白い喉がこくりと唾を嚥下する僅かな動きも見えた。
「そう、冷やしドロワーズは環境にも非常に優しい商品だ。なぜなら」
次の瞬間――
魔理沙は上体を屈めて、自分のスカートの中に下から腕を突っ込む。
下着を掴んだ腕をやおらひと思いに下へずり下げた!
「うおおおぉぉぉおおおおーーーーー!!??」
「ぶっっっ!!」
大胆な行動に出た魔理沙に浴びせられた歓声は、九十九パーセントの大驚愕と一パーセントのジェット噴射に分かれた。
一パーセントが誰か、など、今更説明するまでもないだろう。
足首まで下げてから両足を抜き、脱いだばかりのそれを、大観衆に向かって臆面もなく突きつける愛娘。
「こうして、時間が経って温まってしまった冷やしドロワーズでもー」
ひらひらと大観衆の前で振られる白いドロワーズ。観衆が緊張に固唾を呑んでいる。元冷やしドロワーズだったそのドロワーズの命運にも緊張しているし、それを脱いでしまった魔理沙の下半身についてもそこはかとなく全員が緊張している。
舞台袖に設置された、身の丈の倍以上はあるばかでっかい金属扉に歩み寄る魔理沙。未だどよめく観衆の中、まりちちはようやく、初めてそれが業務用の大型冷凍庫なのだと気がついた。外の世界から流れてきたがらくたの中に、そういえば大昔見たことがある。
「あぁ――」
同時に、愛娘の突拍子もない行動の意味をようやく理解する。着終えた冷やしドロワーズが行く先は、在り来たりな洋箪笥などでは無いということだ。
さて現在の社会で、お客様への最後の一押しとして意外に有効な訴求力を持つ要素は何か?
環境への優しさである。
環境についてはそれ単体が直接的な購買動機とはなりにくいものの、現代において大きな広告効果を持つ。自分が環境問題に影ながら貢献している、という意識を得ることが出来るからであるという。そういう隠し味となる環境問題を最後の最後に持ってくるあたり、
本当に油断のない娘である。
すたすた冷凍庫へ歩み寄ってゆく魔理沙に、大観衆は注目する。揺らめくスカートから覗ける白い脚の面積は、先ほどより当然増えている。膝が見えるたびに誰ともなく緊張する。
「冷やしドロワーズ……」
「おお!」
「それが温くなってしまったら、また冷やせば良いだけのこと。つまり冷やしドロワーズは、一切のゴミを出さない!」
「……うおおおぉぉおおおおおおお!!!」
「まさにパーフェクツッッ!!!!!!!」
観客もまた最後の力を振り絞るように、力の限りの大歓声で魔理沙に応える。このときばかりは娘の行動も忘れた。まりちちも我が事のように、群衆と同体となって興奮を抑えきれない。
フィナーレに至って会場は今日イチの盛り上がりを見せる。ひっきりなしに浴びせられる喝采と声援。まりちちも愛娘への応援に参加する。ジークだろうがハイルだろうが何でも良い。心地よい陶酔感に身を任せる。娘の成長の喜びに胸を躍らせる。そして何より、
――冷やしドロワーズの魅力に、今やまりちちも完全に取り憑かれてしまっている!
魔理沙が冷凍庫の取っ手に手を掛けた。その彼女には今や、後光すら差しているように見えた。
まりちちにそれは、彼女が自ら栄光への扉を開けて前へ進もうとしている旅立ちの光景に見えている。数え切れない人々が後押ししてくれている。あの銀色の重そうな扉の向こうには栄光と名誉が両手を広げて待っている。彼女は今満面の笑みで観客を振り返り、サクセスストーリーへの扉を自らの手で開けようとしている。
観客の方へ向き直り、後ろ手に取っ手を掴んだ魔理沙。
その瞬間の力強く得意げなあの笑顔を、まりちちは一生忘れないだろう。
「一度は温くなってしまった冷やしドロワーズでも、こうして冷凍庫で再び冷やせばぁ!」
ばあんと、思い切って扉を開け放った霧雨魔理沙。
栄光に通じる重い扉を、彼女らしく大きく力強く開け放ったその瞬間彼女を襲ったのは、割れんばかりの凱歌とまりちちの溢れる希望、庫内にぶら下げられた何枚もの冷やしドロワーズの光景、そして観衆全員の注目と、
エアーカーテンであった。
解説しよう。庫内の冷気を外気から保持するために、開扉と同時に入り口へ向かって低温で吹き出される猛烈な風のことである。
地面に叩きつけられたエアーは反射を起こし、魔理沙の立っている舞台で壮絶な上昇気流を作り出した。
魔理沙のスカートが、一瞬にして風船のように大きく膨らみ、次の瞬間――
「ま、魔理リン・モンロー……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
* *
「……元気出せや、そろそろ」
家に入るなり自室へ一直線に飛び込んだ上に布団まで被り、うわ言のように「見られた、見られた……」と呟きながら未だ顔を見せない魔理沙。外界を隔絶できるありとあらゆるもので身を護ろうとする魔理沙の横で、まりちちはぶっとい腕を組んでいる。今日この日ばかりは、霊夢にもお引き取り願った。
練熟の商人として一つアドバイスすれば、一度も失敗しない商人などこの世に居ないのである。人が良ければ騙されるし、角が立てば孤立する。疑心暗鬼では人付き合いを失い、素直すぎれば誰かに裏をかかれる。慎重すぎれば機に乗り遅れ、積極的すぎれば貧乏くじを引かされる。堅実を狙えば儲けが小さく、一攫千金を夢見ればしっぺ返しも相応に大きい。
商売に正解も間違いもない。選んだ道の先に成功と失敗の両方がある。成功ばかりを選べる商人などあり得ないのだから、要は、自分の手にした好機を絶対に手放してはならないということに集約されるのだ。
今日一日は深く落ち込んでも仕方ない。だが自分の足で歩き出さなければ、何の成功も訪れない。
一回手を出した商売なら、たやすく諦めてはいけない。泥臭く縋り付いていれば、いつか光明が差す可能性を残せるのだ。
まりちちは拳を握る。
愛する娘だからこそ、甘い言葉はかけない。厳しさこそが、優しさの裏返しだとまりちちは信じている。
不撓不屈の精神で進め、我が娘よ!
「べらんめぇ! それでもテメェ…………女だったな」
発音は「おんな」だった。
布団がもぞりと、僅かに動く。
まりちちが駄目押しとばかりに、しみじみと呟く。
「……ちんちん、ついてなかったもんなあ……」
商売には正解も間違いも無い――この金言についてはしかし社会上、捻くれた者によって若干の異議を挟まれることがあることを申し添えておこう。
より正しくは、
「商売に確実な成功は無いが、確実な失敗はある」
ではないか、という意見である。
まりちちが最後に見たのは、ドロワーズよりも真っ白な光の世界だった。愛娘が人相手に久々に撃った、全力全開のマスタースパーク。
愛娘のスターダム進出を夢に見ながら、彼は自らがお星様になった。
(了)
この子にこの親ありか、母親涙目ww
そしてこの幻想郷はもうだめだ。
この台詞回しで茶ー噴いた。
ちちやべえw
そう、これがファシズムにおけるプロパガンダの効果なのである。
まりちち・・・視力がとんでもなく良い程度の能力
それはともかく、早苗さんは俺がこっそり持ち帰りまs
文句なく100点