四、走狗
もはや、人に存在を忘れられてどれ程の月日が経った日であったか。同族は絶滅し、神は隠れ妖怪は地に伏せた。現実と幻想の入り乱れた世はなく、現の人間の敵は全て人間になっていた。自分たちの威厳など、近代科学の前では全く持って無意味なのだ。だから恐怖もされなければ、崇められる事もない。
信仰(恐怖)の力がなければ、妖怪も神も、その間たる祟り神も、虚無も同じなのだ。はじめから、居なかった事となる。
うわべだけの想いなど塵芥に等しく、まして何かしらのご利益がある訳でもない自分の祠に、誰がお参りをするというのか。ゴミが吹きだまり、苔生し、朽ち果てていくだけの、小さな祠に。
ああ人々の悲鳴が聞こえる。空は赤く燃えて行く。地には業火。空は轟音。絶望の喘ぎ声が、響き渡っている。その声は自分に対するものではない。あの、空を行く鉄機に対してだ。
ヒトは空を飛ぶようになったか。
自分は祠を歩み出て、里へと降りる事にした。どうせ朽ち果てる身だ。そしてどうせ、自分はこの人々の恐怖によって出来上がった狼の化身である。最後に出来る事があるとするならば、自分を生かし続けた人々の子孫を護る事ぐらいだろう。
彼らが生き、そして伝えたならば、後世には新しい信仰が芽生えるやもしれない。また新しく小さな自分がどこかへと発生し、今度こそは祟り神ではなく、ご利益のある神として生まれ変わってくれる事だろう。
だが甘かった。ここにそんなものは存在し得ない。
鉄の鳥が、空から何かをばらまく。空で四散し、地面へと衝突したそれは、瞬く間に炎をちりばめて行った。驚くべき光景だ。笑い転げてしまいそうになる。
自分たち神や鬼が再現した地獄を……人が再現出来るようになっていたのだ。
女が逃げ遅れて焼かれる。子供が躓いて家の下敷きになる。助けようとした男は炎に捲かれて死んでいった。
嗚呼、なんてことだ。なんて無慈悲なんだ。鬼とて神とて、もっと情緒というものがあろう。人はそんな、ゴミのように死んで良いものではないのだ。食い破られ、千切り捨てられ、皆が慄き恐怖するものなのだ。そして人は、これを退治しようと立ち上がるのだ。それこそに意味があるのだ。
繰り返し繰り返しそうしてきたというのに、人類は何を学んだ。より凄惨により痛ましく。報復は報復を産み想いは信仰となる筈だ。
だがこれはなんだ。ただ人が焼かれて往くだけではないか。なんと無機質な事か。人はそして逃げまどい、四方を囲まれた街で、蒸し焼きになるだけなのだ。自分の見ているものは、これは、何なのだ?
怨嗟しか残らぬではないか。空を飛ぶ鉄の鳥に対して、彼らに出来る事があるのか。兵隊はどこだ、術師はいずこへ、勇敢なる大将はどこへ行った。
民が死んでいるぞ。これでは信仰なぞ芽生えない。祟り神たるあの鳥に、立ち向かうものはいないのか。
「あ……あ……」
「……――我が恐ろしいか人間」
「白……狼……?」
「我が恐ろしいか人間」
「……娘が……見当たらないの……炎に捲かれて……見失って……」
「……我は恐ろしくないのか、人間」
「娘が……娘が……!!」
もはや言葉もない。自分など、あの大火に、あの鉄の鳥に比べれば、恐怖でもなんでもないのだ。でかい犬が一匹、そこにいるだけなのだ。娘を見失った母は自分にしがみつき、何かを懇願しているではないか。
自分は利益を齎す神ではないというのに。
しかし、走った。燃えさかる炎を飛び越え、祟り神を睨みながら、人の街を駆け抜ける。どれだけ自分の図体が出かかろうと、鉄の鳥の攻撃を避けるのに懸命な人間にとり、自分など気に止まる存在でもなかったのだろう。
ただ駆ける。毛を焦がし身を焼く熱さを無視し、あの母と同じ匂いのする方へと走る。
母。父。家族。仲間。
皆逝った。駆け抜ける草原は人により潰され、潜むべき山には鉱山が開かれた。皆コイツ等の所為だ。だというのに、自分はそいつ等の為に今駆けている。駆け抜けた筈の草原は焼けの原。幼き記憶を内包した地は、ヒトによって蹂躙され、祟り神によって土に還されて往く。
――――オォォォォォォォォォォォォン
猛る。
野を返せ、山を返せ。
――――オォォォォォォォォォォォォン
猛る。
父を返せ、母を返せ。
自分はここに居る。未だ消えず、信仰の残滓のように生き残っている。父と母と、皆と暮らした記憶だけを胸に、腐れた争いを続け穢れを溜め続けるヒトの合間に生きている。
この行き場のない怒り、一体どこへ行けば払われるものなのか。
「娘」
「――」
「起きよ。母が探しておる」
「――」
「ははっ」
「――」
「はははははッッ!! 他愛ない!! なんとヒトの弱き事か!! たったこれだけの炎で滅びるとは、なんと情けない事か!! それだけ弱いというのに、いったいどうやって我々を滅ぼした!! 信仰とはそれほどにも強いものなのか、その強弱で我々が滅びるのか!! ははははッッ!!!!!」
とうとう、我慢出来ずに笑った。まるでボロクズのように丸くなってしまった娘の遺骸を咥え、母の下へと走る。これを見た母はどんな顔をするだろうか。自分をバケモノと罵るだろうか。泣き叫ぶのだろうか。想像すればする程に面白可笑しくなる。
みよ、この躯を。何とみすぼらしい。これでは焼けすぎて食えぬ。打ち捨てて肥料にしかならないだろう。土に還って輪廻を歩むしかない、まさしく虚無の産物だ。
「……あ、ああ……」
「娘だ。臭いで間違いがない。どうみても、人には見えん容姿だがな」
「……嗚呼」
ヒトが隠れる為に作った穴倉の入口に立つ。人々は皆、自分をみて何事だとしている。代わり果てた娘を見た母は、その遺骸を抱きしめ、ただ泣くばかりであった。
「……」
「ありがとうございます……もう、逢えないかと思っていたから……」
「――なんと」
母の言葉にたじろぎ、後ずさる。怖がらせてやろうと持って来たというのに、まさか感謝されるとは思わなかった。言い知れない感情で、心がむちゃくちゃにされる。
なんということだ。
「ふざけおって――ふざけおってぇぇッッ!!」
駆けだす。もうこんな世に未練はない。誰も恐怖しない世など意味はない。そうか、そんなにもあの祟り神が恐ろしいか。なんと不愉快な事か。
これが科学の世か。これが人間同士の争いか。そこには、想いの具現たる自分たちに、入る隙間などカミソリ一枚分も存在してはいないのだ。
ただ駆ける。焦げた身を引きずりながら、最後に味わうべき恐怖も得ないまま、地を駆け山に至る。
まるで、自分を形作るものが崩れて行くような気がした。
恐怖の脱却を眼前にて演じられたのならば、仕方がない。自分はその時点で『何でもない』ものになってしまったのだから。白狼と言う神は、もはや地上では生きられぬ神になってしまったのだ。
駆ける。駆ける。
視界が白んでしまったのも無視し、ただ駆ける。
躓き、転んでも、ただ前へと進んだ。どうせ溶けて行くのだろう。ならばこの怨嗟、広めに広めてやろうと。
森が深くなって行く。ここがどこだかすらも、解らなくなる。今までいた場所とは空気が違い色が違う。そこで漸く、己は足を止めた。
臭いを嗅ぐ。耳を立てる。だが、人一人の気配すらない。見たことも無い動植物が辺りを埋め尽くしているではないか。まるで時期でもない花が咲き誇っている。己が居た大和の地ではないのだろうか。
そこで、蹲る。
自分は冥府へと落ちたのだろうか。その割には、体は未だ焼け爛れたままである。地獄に落ちると生前の痛みすら引きずるのだろうか。なんとむごい世だろうか。
再び立ち上がる。しかし、すぐさままた立ち止まった。
「――白狼。見ない顔ですね。それに酷い火傷」
「――」
それは、なんと形容して良いものだったか。女が一人、己の眼前に立ちはだかっていたのだ。まさしくその一言に尽きるべきなのだが、違う。四角い箱を手にした女は、飄々としていながらも、その蓄えられた力は自分など足元にも及ばぬ幻想の力。
潰え、消え失せた筈のバケモノである。人間を恐怖の底にたたき落とすソレだ。
何をする気でいるのか。立ちはだかり、道を拒むというのか。ここが地獄なれば、では父も母もここに居る筈だ。楽しく草原を駆けまわった仲間がいる筈なのだ。
どけ、そこをどけ。
「ほう。年期が浅い割りには、良い顔をします。その瞳はなんでしょうか」
「……」
「何もかもを失った者の目ですね。そして貴女はこの郷に至った。喜ぶべきでしょう」
「……」
「私を倒したところで、得るものはありませんよ。ただ、どうしても現実を認識出来ないというんでしたら……」
「……どけ」
「私が教鞭をとっても構わない。不躾な狼に、ここが如何な奇跡で出来ているか、ご教授してあげましょう」
……。
それは風であったし、それは神であった。深手を負っていようと、そうでなかろうとも、自分の攻撃など当たりはしない。爪を立ててもいなされ、牙を剥こうと払われるだけ。まるで母と戯れる赤子のようだ。その一撃には慈悲があり、痛めつけようという気は感じ取れなかった。
ただ、やんちゃをする子供を咎めるような手腕。彼女は笑ったまま、自分と戯れている。
投げ出した足を女がとる。それは妖力か、はたまた怪力か。大きな体をそのまま地面へと叩き伏せられた。
「甘い。でかいだけじゃどうしようもありませんね。見たところもう三百歳は越えているでしょう。人の姿ぐらい、取れますでしょう?」
「……嫌なのだ。我は人型を取ると幼く弱く見える。それでは舐められる。お前のような奴に一度見下されれば、おそらくは末代までだ、天狗」
「可愛いのがいいです。でかいと邪魔ですし、うちに運べないじゃないですか。その傷、いくら幻想の郷とてそのままでは治癒もしません。さっさと付いてきてください」
「何を……」
「ここは幻想郷。忘れ去られた者達が行きつく、妖怪最後の楽園です。貴女は運よくここに至った。ただ虚無へと還る事もなく、ここに至った。幻想郷は悪食ですから、許容したのでしょう。立ち上がってください。こちらを良くみてください。貴女の生きるべき場所はこれからココです」
自分は……。
ただ、笑う事しか出来なかった。人の形をとり、生まれたての子供そのものの姿と泣き様で、彼女の前に立つ。自分は生きても良いのか。自分にも生きる場所がまだあったのか。自分の仲間はここにいるのだろうか。忘れ去られ、消え失せた神に妖怪は、ここで暮らしているのだろうか。
言い知れない想いに胸がいっぱいになる。誰にも恐怖されず、ただそれだけに執着した己が、至って良い場所なのだろうか。
「祟り神ね。もう、人間は貴女に恐怖しなくなったのでしょう」
「はい……」
「ただ、生きて行くには執着の選択が必要になる。貴女はここに至る前、きっと深い絶望を知った事でしょう。もはや、恐怖など己を生かしてくれるに足りぬ、とでも」
「……はい」
「色即是空。人も神も妖怪も、結局は四苦八苦から逃れられませんが、選択肢はある筈です。貴女はその執着の一つを切り捨てた。だから、この郷で別の執着を得ましょう。空即是色です。至る道は遠いですがね」
「何故……何故そこまでしてくださるんですか。私は貴女を襲いました。一体なんの義理が」
「眼が似てるんです。許せないくらいに。失ったものを取り返そうとしていたんでしょうね」
「……貴女もですか」
「はい。私はこの郷にて、いつの日か取り戻すんです。その執着に、生きています」
「……」
「さあ、往きましょう。ここは恐怖の彼岸。忘れられたもの達の此岸です」
彼女に手をひかれ、新しい世界の空を渡る。
「ここには、貴女のお仲間もいます。きっと、受け入れてもらえますよ」
「貴女は……何者なのですか?」
「――私は射命丸文。しがない天狗でブン屋です」
それが、最初の記憶である。
※
気だるい気分であったが、立ち上がらない訳にもいかなかった。文が家を発った後、所詮は他人で無力な自分の愚かさに苛まれ、頭を抱える事しか出来なかった犬走椛は、漸く身体を動かす決心をする。
外はもう朝の光に満ちており、あれから数時間が経っているという事を、今更ながらに確認する。
思い返せば、もう六十年近い付き合いになる文の、何か一つでも知っていたかともし問われたならば、自分は答えるなど出来はしないのだろう。彼女は人に対して、自身の過去を語ったりはせず、まるで成人のまま生まれてきたような振る舞いをするからだ。自分に限った話でもなく、おそらくは妖怪山の誰も、射命丸文に詳しい人物などいない。
唯一詳しいといえば、太郎坊ぐらいなものだろう。
犬走椛は、射命丸文に恩義を感じている。自暴自棄の自分を救ってくれた彼女に、いつか恩返ししなければと、常々考えていたのだが、文が何かしらの災厄や、危機に直面するといった事態が無いため、返しそびれていた。それはそれで良かったのだろう。辛い思いをせず生きられるならば、それに越した事もない。
……。故、この度は様子の可笑しい文をなんとか幸せにしてやれないものかと、考えたのだが……。結果は裏目に出、しかも取り返しのつかない現状にまで至ってしまった。
射命丸文の監視……というのは、気分の良いものではなかったが、彼女の変化をいち早く感知出来、状況に応じた心配りを即座に発揮出来る位置にあるので、渋々ながらも引き受けていた仕事だ。新聞を辞めるなどと言う情緒不安定な文に、何か一つでもしてやれればと太郎坊に相談を持ちかけたのだが、結果がこれではどうしようもない。
千年天狗は、もう外へと出て行ってしまったのだろうか。自分が知る、近代日本国の実態を思い出し、多少憂鬱になる。あれから六十余年も経っているから、もう戦火に巻き込まれる事はないだろうと思いながらも、開国以来刻々と薄れて行く幻想の度合いを想うと、胸が苦しくなる。
ヒトの目が届かない場所などない。妖怪や神が人を驚かせる事もなければ、敬う事も少ないだろう。自分とて、そうして忘れられた神の一柱だ。人の信心無くして、妖怪も神も成り立たないのである。
そのように思いながら、消えてしまった彼女の寝室に入る。彼女が思い続けたものはなんだったのだろうか。慕うべき彼女が悩み続けた事とはなんだっただろうか。自分に、もっと相談してくれたなら、また別の道が見えたのではなかったのだろうか。
自分にそのような道を説いたのも、文だというのに。
結局、彼女が求めた価値観とは、なんだったのだろうか。
「……これは……」
ベッドの上には一冊のスクラップ帳が放置してある。内容はもちろん文々。新聞なのだが、時期が固まってある頁が開いたままになっている。ベッドに腰掛け、スクラップ帳を捲る。
文々。新聞 第四十二期 皐月の二
博麗の巫女殺害さる!
起こり得てはならない事件が起こった。人間と妖怪の仲介をしていた博麗の巫女が何者かによって殺害されたのだ。殺害現場は散々たる有様で、とても人間によっての犯行とは思えないものであった。博麗は結界守であると同時に結界存続の為に尽力してきた人物であり、この事から結界反対派の妖怪によるものだと推測されている。
結界施工に尽力した八雲氏は「幸い魂の確保は成り、依童の容易もあるので、博麗は直ぐに戻る。人妖ともに冷静になり、事態を荒立てない事が肝要」と冷静に語ってくれた。氏は細切れとなった博麗の遺骸を丁寧に拾い、食べたという。自分なりの供養なのだと、涙ながらに語っていた。
文々。新聞 第四十二季 皐月の四
妖怪の驕り
人妖の戦火が拡大して最早二年となるが、未だ双方とも矛を納めずに終わりのない戦いを続けている。妖怪は力が強い故に人を見下しがちであるが、その感情が正しく論理的であると言った証拠はどこにもない。我々妖怪とはヒトに見られて在ると言われている。外で幻想となり果てこの郷へ至ったものならば、少なくとも自覚出来る話ではなかっただろうか。ヒトが見、ヒトが恐れ、ヒトが嘯き、ヒトが伝えるからこそ妖怪は実体を持ち、人間よりも強くあれたと言えるだろう。
人里の賢者は「このまま争いが続けば、寿命が長い方が当然勝つだろう。しかし勝ち得た先に残るのは妖怪の自滅である。まずは話し合いの場を持ち、仲介者たる博麗との交渉に移るべきだ」と言っており、我々もこのような意見を蔑ろにせず、よく聞くべきではないのだろうか。
文々。新聞 第四十二期 皐月の十
死者数計測不能 まだまだ広がる人妖動乱
博麗が逝くという痛ましい事件も冷めやらぬ中、また新たな紛争によって死者が出た。御山東の平野に起こった人と妖怪の争いは熾烈を極めたらしく、双方ともに遺体がバラバラとなっていた為、個体数を数える事も出来ない程の惨状であった。
このままで良いわけがないのだ。文々。新聞記者の私は、人と妖怪の会合を持つようこの紙面にてお伝えする。場所は中立地帯である妖怪山山中の大沼、時刻は明日の夕刻とする。戦を望むものには丁重に、私射命丸文と防衛部全勢力がお引き取り願うようにする為、議論を望む人間、妖怪は是非参加されるように願う。
文々。新聞 第四十二期 皐月の十二
講和成立!! 人と妖怪の想いが一つに
大変喜ばしい展開となった。以前文々。新聞が主催した会合にて講和が成立し、人間と妖怪の不可侵条約が結ばれたのだ。暫定的なものであるが、今後はこの条約が指針となって幻想郷の平和を構築して行くことになる。この会合には人里から上白沢慧音女史、稗田家当主(御阿礼に非ず)、人里首長及び人間二十名。妖怪(広義の意味での妖怪)から八雲紫氏、八雲藍氏、西行寺幽々子氏その他妖怪三十名。そして彼岸から四季映姫・ヤマザナドゥなどが参加。事態収束の為に議論が交わされ、条約が結ばれるに至った。
今後不用意な戦闘、紛争があった場合、御山防衛部及び協力者が強制介入する事となる為、私的戦闘は控えなければならない。
不満は幾らでも上がると予想されているが、講和に尽力した八雲氏は継続的な介入と協力、そして時間が解決してくれるものだと話している。記者としては、この場に博麗の巫女が居なかった事がとても残念であった。
右の写真は会合の際に居合わせた妖怪の娘と人間の娘が戯れる姿である。我々大人の妖怪と人間が、このように出来る日がいつかくるのであろうか。八雲氏の語る通り、継続的な努力が要求されている。
文々。新聞 第四十二期 皐月の三十
ヒトと妖怪の大宴会
文々。新聞 第四十二期 水無月の十
人間代表が声明
文々。新聞 第四十二期 水無月の二十五
妖怪代表者数名を選出 不可侵条約継続化へ
文々。新聞 第四十二期 葉月の五
新博麗の巫女決まる 人間妖怪双方の仲介へ
文々。新聞 第四十二期 葉月の二十
終戦へ 二度と同じ過ちのなきことを
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・
・
「……大切なものを失った……か」
載せられていた写真の原本を手に、頷く。
文とて常々話していた筈だ。なぜ幻想郷に人がいるのか。その理由は何かと。
所詮、自分たち幻想物は構成部分の大半が『ヒトが認識してこそある幻想の具現体』なのである。どれほどに力をつけようとも、人々が思い描く恐怖や畏怖がなければ、虚空も同じなのだ。
外には人がいるだろう。だが、はたして彼女を妖怪と認識する人間が、どれほどいる? だからこそ、ここは幻想郷であり、死滅した概念が行きつく場所なのだ。そこを出て行くなど、自殺とさほど変わりがない。
……。まだ、文は幻想郷にいるのだろうか。止めに行かねば。だが、だが、己だけではあまりにも無力だ。彼女に働きかけるだけの発言力も純粋な能力もない。
外に出る。開眼、神通。
「……」
千里先を見通す能力で幻想郷を見渡す。
「博麗……神社。やっぱり、いるじゃないですか……はぁ」
……文は博麗神社にいる。その憂鬱そうな顔は、まるで普段の射命丸文とは似ても似つかないものだ。もはや別モノ、と言っていい。
ここでひとつ疑問が生まれる。文は出て行くと言った。冗談には聞こえなかったし、嘘を吐いてもなんの得もない。言い切りって出て行って、まして人間に保護されるなど、彼女のプライドが許すところなのだろうか。
いや……とひとつ思いだす。太郎坊は策を用意していた筈だ。防衛部会議には参加して居ない為その詳細までは聞き及んでいないが、それ相応の手段が取られたと考えるのが妥当だろう。
何者かが文を引きとめたのだ。となれば、もう防衛部全体で動いているのだろう。自分のような木端ではどうしようもない事態だ。
さて、どうしたものかと思う。自ら博麗神社に乗り込んでも、文は否定するだろうし、下手をしたら博麗に追っ払われかねない。やはり、組織に頼らざるを得ないだろう。願わくば、太郎坊が文を丁重に扱ってくれる事を祈るしかないのだ。所詮自分は狗である。文に恩義を感じながらも、組織にも多大な恩を受けている。
……文は太郎坊を必死に否定している様子だが、太郎坊は違うと見える。ここはやはり相談するべきなのだろう。以前、文が新聞を辞めると言いだし、それを報告した折とて、あの厳つい顔を顰め、酷く心配している様子であった。
何かあるのだろう。では何だろうか。個人的な関心といえばそれまでだが、気になって仕方がない。
兎も角太郎坊の元へ行かねばならぬと思い、空を駆ける。
山の峯に立つ小さな庵が、空へ舞い上がった事でより小さく見えた。彼女の家は小さい。彼女の姉妹達は皆御山の各種役所に勤めているので、それ相応の家に住んでいるのだが、長女の彼女は否定するようにしている。仙人にでもなるつもりだったのか、いや、それにしては俗物すぎる。
そうだ。実に落ち着きがない。まるで、本当に子供のようだ。千年も経た妖怪とは、笑顔で、落ち着いており、無言の威圧感を持つものなのだが、彼女は違った。故に自分も文と仲良く出来ていたのだと思う。
……。
何もかもがあやしく見えてくる。あの情緒不安定な文は、何をどう思い、そして、こうなってしまったのか。
「おい、犬走」
「おや、狗三郎さん」
山を飛びはね、そろそろ本営に到着するというところで、小生意気な餓鬼の格好をした狗三郎に呼び止められる。犬耳に白髪で、どこか自分に似ているのは恐らく元の動物が同種故だろう。
「召集がかかったのに、何してるんだ?」
「はあ。実は密命で」
「……太郎坊様かよ」
「それじゃ急いでますから」
「おい」
「あのですね、私はおいじゃないですよ、隊長殿」
「射命丸文を狩りだすから、報告が終わったらさっさと来いよ」
「剣呑ですねえ。了承です」
彼はフンと鼻を鳴らしてどっかへ飛んで行った。対して歳も変わらないのに、まったく偉そうだ。とはいえ警備長殿の息子であるし、突っ込んだところで得るものがないのでそこは流す。組織は上下ありきであるし、別段と文句もないのだ。
それにしてもずいぶんと好戦的である。きっと文に叱られたのが気に入らなかったのだろう。その本人を指名手配犯として追っかけるのだから、当然やる気も溢れているのだ。
「白狼警備隊は人里担当である筈ですが」
「太郎坊様にご報告があります。通してくださいな」
「……椛ちゃんも大変ね」
「いえいえ。好きでやってますしね」
門番に挨拶し、本営内へと入る。いつも通りの館内である筈なのに、しかし緊張感が漂っていた。久し振りの有事なのだろう。守矢が御山を占拠した頃よりも緊迫している。警備隊員も事務員もあちこちを走りまわり、追われるように仕事をしていた。
「……備品みんな壊して……文様はまったく……ぶつぶつ」
「同族を指名手配ってのも気が引けるなあ……」
「しかもあの射命丸文様だぞ。太郎坊様の娘さんだし……」
「死ぬほど強いしね。本気出した文様なんて、誰が勝てるってのよ」
「同感。たぶん徒労に終わるわね。あ、椛ちゃんおはよー」
「お早うございます、あ、頭撫でないで撫でないで」
「アンタも大変ねえ。文様と仲が良いのに、辛いでしょう?」
「いつか何かする人だと思って準備していたので、大丈夫です。辛いの慣れっこです」
「いや関心。流石博麗をたたき落とす程度の能力」
「霊撃されると落ちますけどね。それじゃ」
これから文を捜索に行くであろう仲間達に挨拶し、統括室へと赴く。太郎坊の諜報役として活動している為、統括室の門番は自分を見るなり扉を開いてくれた。
門番に頭を下げて室内に入る。実に酷いあり様だ。あちこちにはまだ傷痕が残っており、この一件が終わるまで改装も手つかずになるであろうから、立派な筈の統括室もだいぶ威厳が減るものである。
太郎坊は何をするでもなく、窓から外を見上げていた。大きく、力も強い彼の背中だったが、今は一抹の哀愁が漂っている。
「ご報告します。文様は博麗神社に匿われている模様です。見たところ、博麗もかなり警戒しているらしく、並の警備隊が乗り込んだところで、これを確保出来るモノとは思えませんでした」
「御苦労……すまんな、色々と」
「皆言うんです。大変だろうとか、そう言う事を。大丈夫です、私は。それよりも、お聞きしたい事がたくさんあるんです。立場を弁えず、私は射命丸文の友人として太郎坊様に聞きたいんです」
「……何もかも、この儂の不手際だ。お前に説明しない訳にも行くまい」
「あ、アッサリですね」
「何がだ」
「もっと渋られるかと思いました。その場合は、ここに座り込みでしたが」
「はは……。お前には迷惑をかけているからな。それに……まともに文と付き合ってくれている奴なんていうのは、お前ぐらいなものだ」
「みんな、文さん……文様の良さを知らないんです。あんなに素敵な方なのに」
「何を考えているか解らないからだろう。アレは頭も良く、強く、そしてあまり人に心を開きたがらない。ヒトに関わる全てを自重しているのだ。若い言葉でなんだったかな」
「ウザい、ですか」
「そう。当たり前のことなのだ。奴は、そうでなければ生きられないのだから」
太郎坊は一度も此方に顔を向けず語り出す。ただ、ありのままを口にして行く。射命丸文という妖怪の起源、一体何が、彼女を凶行に走らせ、何故太郎坊が彼女に強制をするのか。
「あれは、千年ほど前のことだった」
大和の国を隅々まで行脚し、もはや回峰と名乗るのもおこがましい年月を踏破しつくした太郎坊が、その歩き納めとして選んだのが修験本山である金峯山(奈良県大峰山)だった。山頂にて蔵王権現を感得し、神変大菩薩(役行者)との対話を済ませ、これから何処を根城にし、隠遁生活を送ろうと考えながら下山していた時の事である。
太郎坊が連れ添っていた行者が、一人、また一人と消えて行く。霧も濃く、人間程度では死と隣り合わせである日を選んで山を行く人々であるから、太郎坊もまたこれも定めと、手を合わせるばかりであったのだが、どうも様子がおかしい。
山とは異界である。そして己もまた異界の住人だ。人が神を観、仏を観、そして死を見出すのが山であり、そこに登る事によって、より『あちらがわ』に近づき、この世の果てを見出し悟ろうというのが、修験である。
迷えば死、脚を滑らせれば死、力尽きれば死。
しかし、それら大自然から受ける洗礼ではない、もっと単純な死が身近にあったのだ。
――これは驚いた。
――……――――……――……
まさしく、神代の荒ぶる神を想像させる光景である。全長約五米におよぶ体躯を羽ばたかせ、白い霧の中を黒光りしながら、深い木々の合間を泳ぐ影があった。
ガァと啼くそれは、恐らくは鴉。ただ、単純でなければ、常識でもなく、悉く何もかもが異質の鴉である。
あらゆる苦難を乗り越え、山と仏と対話し、経を唱えながら常に浄土を見てきた己が、生を受けて初めて恐怖する瞬間であった。霊も妖怪もヒトも自然も、どれ一つとして直接的な死と見いだせなかった自分が、震え、怯え、愕然としたのだ。
まさかヤタか。いや違う。こんな化け物が、人を導く訳もない。とても神に遣わされたものとは思えない、そう感じさせるだけの怨みをこの大鴉に感じずにはいられなかった。
黄泉戸喫(よもつへぐい)でも食らったか大鴉。もはや現世のものとは思えんぞ。
くらわねば。
何。
くらわねば生きられぬ。蟲も腐肉も神も仏も。行者など特に旨くできておる。
何故に。
貯えがあろう。その身に蓄えた霊力があろう。行者は旨い。そしてお前は殊更美味そうだ。
悪食の外道か。調伏せねばなるまいて。
神主、巫女、仏法僧、陰陽師、修験者、あらゆる霊力を食らった外道が一匹そこにはいた。もはや退けぬ。己に訪れた最後の修行であろう。そうとしか思えなかった。雑密教の粋たる己が調伏せねばならない相手がこれだ。人間、最後に襲ってくる欲はやはり、食欲の権化なのだろう。
生きたければ喰わねばならない。歩きたければ喰わねばならない。生命であるには喰わねばならない。
つまるところ、更なる上があり、そして超越しなければならない壁があったのだ。山を説き法を説くには、この悪食を滅さねばならない。
覚悟を決めた太郎坊と大鴉の争いは三日三晩に及び、術という術、呪という呪を使い果たし、最後には使役していた護法童子まで逃げ出した。精も根も尽き果て、さて何に縋ろうかと思い立った時、結局は己しかないのだと悟る。
そしてこの世は、因果の捨拾選択を迫り境地を示す『色即是空、空即是色』であったのだ。
己が選び、そして最後に至った道で出会ったこの悪食は、因果の下で成り立つ尊いつながりである。
仏に感謝し、大鴉の胸倉を捕まえ、不動明王の真言を唱えながらぶん殴る。妖怪何者ぞと殴る。眠気も疲れも食欲も性欲もこの巫山戯けた現世も、お前ほどの化け物には敵わないと嘆き、殴る。
全ては繋がりのもとにある。お前とて逢うべくして逢ったのだ。繋がりを求めたのだ。
無い……強くならねば、食って、強くならねば、一人身で、生きられる強さを手に入れねば。
まだ言うか。
無いのだ、行者。我には縁がない。父はおらず、母は死んだ。そしてその腐肉を食らい、我はある。
まだ言うか。
ひとりなのだ。誰ともつながらぬのだ。我は、ひとりなのだ。
では私と繋がれ。御仏もまたそれが望みなのだ。
……。
応えよ。
我は……わ……わたしは……。
凶悪無比の妖力を振りまき御山を蹂躙した大鴉は、太郎坊の説法により調伏される。やがてその姿は在るべき姿へと戻り、静まる事となった。
一匹の鴉はそれ以来、付く事も離れる事もせず、常に太郎坊の近くに居た。それから、十年二十年と過ぎ、衰えのない人間……御山を駆けまわる天狗と化けたのは、およそ百年経ってからの事である。
六道輪廻へと帰依するものだとばかり思っていた太郎坊だったが、この変調には寛容であった。御仏は己へ現世救済の行を課したのだろう。死ねぬという事は、それだけの価値がある。では手始めに何を救うべきかと考えたのだが、結局は一番の気がかりに意識が行くのであった。
もう百年も自分の近くにおり、しかし一度も言葉を交わさぬ鴉である。
鴉は何も言わず、啼かず、笑わず、ずっとそこに居た。不思議なものでも見るようにして、太郎坊を観察し続けていたのだ。そこにどのような意図があったのかは、太郎坊も解らなかったが、百年も考える必要があるほど大切なものだったのだろう。
これ、降りてこぬか。いつまでそうしているつもりだ。
……。
言葉でも忘れたか。儂はこれから、お前のような奴等に救済を説く。お前もついてくるか。
……。
お前を救うには、どうすれば良いのか。それもまた、考えねばな。
……。なぜ。
何。
何故食わぬ。何も食わぬのか。己を捨て、何故ヒトの事ばかり考える。まして元人間のお前が。
現世は何処かしら腐れておる。そんな世を救おうという輩はまたゴマンといる。
ほう。
その中に儂のような奴が居ってもよかろう。欲はもう飽きたのだ。悪食はお前の調伏と共に失せた。
ほう。
儂は儂自身には何も求めん。ただヒトは傲慢で妖は愚かだ。説いて、分別をつけねばならない。
どこに求めているのだ。
強いて言えばお前だ。無駄に歳を食う事もなかろう。別の路を求めても良かろう。お前はどうするのだ。
行者。
何だ。
それがお前の幸福なのか。因果の捨拾選択なのか。お前のつながりはどこにある。
まさしく現世だ。御仏はそう望み、儂を天狗にしたのだろう。儂が分別の権化となろう。
……。我もついて行く。お前の見る世界を、まだ見ていたい。我は、お前としか繋がりがないのだ。
それもまた仏が迫る難題よの。
戦火を超え、飢饉を目にし、天災の無情さに涙し幾星霜。野を超え山を超え谷を行き、妖怪に説いて回り、またどれだけの月日がたったのか。終わりなき悲劇を百と七程体験し、百八めに辿り着いたのは、愛別離苦であった。
怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦、愛別離苦。世は無常だが、それでも生きて笑わねばな。
飢饉で全滅した村など幾つも見た。
そうよの。
戦で滅びた村など幾つも見た。
そうよの。
しかし、これは辛い。
そうよの。お前は母と死に別れたのであったな。
あの母はもう動かぬのか。躯に縋りつく童に何もしてやれぬのか。
儂等に出来る事など、焼いて焚き上げるくらいであろう。恐らくは疫病だ。
では、あの童はどうする。
肌に発疹があるだろう。もうじき死ぬ。
助からぬのか。
助からぬ。またそれも焼いて供養するしかなかろう。
強くはなれぬのか。あの童は強くなろうとはしないのか。
儂は例外だ。お前も例外だ。ヒトは弱い。
結滞な母であった。我を差別し育てた、愚か者だ。だが我は喰ったぞ。母を喰った。そして生きながらえた。
……。
……喰って、そして血肉となった。我の身体には母が眠る。我が生きているのも、母を喰ったからだ。
ヒトは、ヒトを喰わぬ。よほどでない限りな。そして喰ったからといって不老不死にはなれぬのだ。愛別離苦の何が辛い。お前は差別されて育てられたのだろう。
育てられた事実は変わらぬ。そして母を嫌ってはおらぬ。母は内に居る。
……。
我にとって幸福があるとするならば、もう一度やり直したい。強くなり、何ものにも犯されぬ家族が欲しい。そこには母がおり、父がおり、姉妹がいる。強くなった我を見てもらいたい。そして母に認めてもらいたいのだ。
死者は蘇らぬ。
解らぬぞ。世はこれほどに混沌とし、何が飛び出るかも解らぬのに、勝手に可能性を切り捨てるのは愚かではなかろうか、行者。さあ、もっと世を見るぞ。見てみて見尽くしたら、次は安住の地を得よう。そこで可能性を探求しよう。
……。それが望か。
そうだ。我は強くなり、家族を持つ。何ものにも虐げられない理想郷(家族)を築くのだ。
鴉は太郎坊の前に降り、その姿を変えて行く。百と五十年の歳月を化け物として暮らした妖怪は、転じ、無垢な少女へと変貌を遂げる。黒く深い緑の髪は鴉の羽根を想わせ、白く透き通った肌は妖怪に似つかわしくない純粋さを湛えていた。鴉にとっての理想がその姿であったのだろう。
……如何にした。
空から見下ろすのも飽きたの。お前と一緒に地を踏みしめながら生きていたなら、また別の可能性が見出せるかもしれない。付き合ってくれるでしょう、太郎坊。
この旅はお前の救済も含まれる。かまわぬさ。
ヒトの形を模した鴉は、太郎坊の手を取る。諸行無常の世を共に歩もうというのだ。太郎坊にも迷いはない。得るべくして得た繋がりがこれなのだ。救済への道はこの『少女』から始まる。神も仏も人も妖も、四苦八苦からは決して逃れられない世であるが、だからこそ一人でも多くの者達を救わねばならない。
己の選んだ道で、笑顔の一つでも咲くのならば、それに越した事などないのだ。
この終わらぬ命は、救済のためにある。そしてこの少女の為にある。どれだけかかろうとも、少女には現実を理解させ、新しい幸せを見出してもらわねばならない。
子などもった事のない太郎坊であったが、柔らかく温かい手を握っていると、まるで親の情のようなモノが湧出する気がした。
……。
「それからも、儂は文と暮らし、生きてきた。儂は本当の娘のように、文を愛していたつもりだ。何度も説いたし、何度も叱ったし、何度も褒めた。過ぎた時が長すぎて、もう薄れてしまった記憶だが、儂にも、そして文にも決して無駄な時間ではなかった筈だ。大和を歩きつくし、この世の無情を受け入れ、そして至った幻想郷で安住を得、生きて来た。文は幻想郷を心から好いている。奴の思い描く理想はまさしくココにしかないのだ。いや……正しくは、ココでしか実現し得ないのだ」
「文様は……未だ、家族の……その、復活を夢見ているんですね」
「儂は気が付いてしまったのだ。奴を妖怪たらしめるものは何なのか、と」
「それは……」
「念だ。情だ。奴は理想を実現しようという、深い情念の具現なのだ。だから、幾ら儂が説法しようとも聞かぬし、意味もない。他の価値観を認めようとはしないのだ。先に言ったであろう、何故文が『ウザい』のかと」
「はい」
「文は新しい価値観を知っている。知っていて、実行しようとはしない。アイツがあの歳で、歳端も行かぬ少女体であるのも、人から嫌われる行いをするのも、その癪に障る言葉も、絶対に『好かれたくない』からなのだ」
「じゃあ、その価値観というのは」
「旧来の家族ではなく。新しい家族を作り、そこに幸せを見出す行為だ。儂の養子になれと言った時も、相当に嫌がられたな。儂と文の不仲はそこにも起因する。家族を持ちたくないのだ。そして、自分から男とくっ付こうという気も、自制している」
「……では、何故太郎坊様は、解っていながら文様に強要しようとしたのですか」
「卵があるだろう」
「文様の、ですか」
「卵は、文の心的外傷の産物だ。また腐らせて地に埋めるのだろう。数十年毎にそうやってきたのだ。その都度……あいつは情緒不安定になる。もしあの卵が割れたのならば最悪だ。それは、幻想郷にとっても良くはない。約八十年前、人と妖怪が小競り合いをしていた頃があっただろう」
「博麗大結界での隔離後の小競り合いですね」
「あの時……」
とつとつと、真相を明かす太郎坊の話を聞きながら、犬走椛は、酷い違和感に駆られていた。あの悩み一つなさそうに生きる天狗に、果たして本当にそのような過去があったのか。すべては太郎坊の話でしかなく、これを確かめる術はないに等しい。
そんな椛の表情を読み取ったのか、太郎坊は話を止める。
「無理もない。恐らくお前は、奴の良い部分しか見ていないのだ。正確には見せていないのかもしれんな。アレは、お前が思っている以上に厄介な妖怪であり、そして天狗最強の化け物だ」
「私には、解らないんです」
「何がだ」
「文様は、私にとっても良くしてくれます。からかったり、馬鹿にしたり、悪戯したりしますけど、とても太郎坊様のおっしゃる射命丸文像と、合致しないんです」
「……思うところがあるのだな」
「はい。私は文様に救われました。種族も違うのに、親身になって私に助力してくれました。そしてそれは今だって変わりません。私が悩めば彼女が手を差し伸べてくれます。私の冗談に笑ってくれます。私を受け入れてくれます。傷ついた私を保護して、あらゆる知識を授けてくれたのは、ほかならぬ文様です。私は母も死んでしまいましたけれど、その、文様は、まるで……」
「母のようであった、と」
「……はい。他の人たちにどんな接し方をしているかなんて、私は知りません。でも、文様は少なくとも私を慕ってくれます。私を助けてくれます。そんな文様を、私は助けたいんです。太郎坊様、この度だけでも、見逃してはくれませんか」
「……。無理な相談だ。あの情緒不安定な天狗を、放置できるわけがない。卵が割れた八十年前、幻想郷でもっとも人を殺し妖怪をブチのめしたのは、他でもない、射命丸文なのだ。あの頃は良かっただろう。それでバランスが取れた。だが今は困る……親として、御山の守護として、奴を手元に置かねば」
「引っ立てて、どうする気ですか」
「卵は取り上げて、幽閉だろう」
「同意しかねます。では、私は一人で行きますから」
「……誰に似たのか、頑固だな」
「そりゃあ、そうですよ」
「奴は、当時親友を殺害した。お前が行って殺されれば、また奴のトラウマが増えるばかりだ」
「……」
「もう、文に辛い思いはさせたくないのだ。多少嫌でも、儂の庇護下に入ってもらえれば、どうとでもなるものだというのに」
「文様は」
「……なんだ」
「文様は、手を差し伸べて貰いたいんです。自分じゃあどうしようもなくなってしまった心を、開いてくれる人を欲している。過去、そんな人がいた筈なのに、自分の手で殺してしまった、そうですね」
「……行くのか。儂の命に背いても」
「放っておけませんから。たぶん、私がいかなきゃいけないんです」
「帰って来る頃、お前の役職はないかもしれんぞ?」
「知りませんよ、そんな事」
「――しかし……奴は……執着を失えば……奴から妄念を取り除いてしまえば……」
「それが逃げなのです。文様も、太郎坊様も、逃げてきた。今こそ、立ち向かわなければ」
「お前はそれでいいのか」
「きっと答えはあります」
「……そうか」
太郎坊に背中を向け、ボロボロの統括室を後にする。太郎坊の物言いは乱暴だが、間違いなく射命丸文を想っての言葉だ。椛がそれに対して反発するのも、筋違いである。
とはいえ、捨てておけない事実があるのだ。射命丸文は、自分にとってかけがえのない人だ。いつか、救ってくれたその恩を返す日があるとするならば、まさしく今しかない。普段、あれだけ明るく、不機嫌も知らなそうな文が、いつまでもふさぎ込み、そして自暴自棄になる姿など、見たくないし、そんな想いをさせたくない。
本営を出て空を目指す。
今かけてやれる言葉がある筈だ。
「文さん、今いきますから、椛は、行きますから!!」
どんな現実が待ち受けていようとも、乗り越えられるのだという確固たる意識が芽生える。もし太郎坊の語る救済があるとすれば、それは間違いなく自分なのだ。
あのスクラップ帳を見れば、解るではないか。
彼女は助けを求めている。そして謝罪する事を求めている。自分の在り方に決着をつけようと、もがきながら、暴れながら、それでも至れない現実に苦悶している。
誰にも優しく出来ないものだと、信じ切っている。誰にも優しくする資格など無いと決め込んでいる。後ろめたい過去に引きずられながら、そうも出来ずにいつまでも子供であり続けようとしている。新聞に嘘を書いて、己を保身してしまうほどに、新聞に真実を書き続けて、贖罪してしまうほどに。古い新聞を書きなおし、幾度も読み返してしまうほどに。
彼女は彼女自身を恐怖しているのだ。
打開せねば。
彼女の答えはまさしく犬走椛なのだ。後悔の先に現れた、一瞬の揺らぎは、自分自身なのだから。
会わねば。
射命丸文に。もっとも慕い、そして恩を返すべき相手に。
不運にも重ねられてしまった彼女の枷を、取り払わねば。
それが例え、最悪の選択であってもだ。
五、我想うが故に我はあれど
「私は嘘を吐きました。霊夢さん」
翌日の昼。自分は霊夢に話を切り出した。霊夢は縁側でお茶を啜っていたが、その手を止める事もなく『ああそう』とだけ受け答える。
嘘というのは他でもない。新聞に本腰を入れた切欠である。
「知ってるわよ。アンタの過去でしょう」
「あら、ご存じで。軽蔑しましたか?」
「別に。私自身が被害を被った訳じゃないもの」
「あはは……あの時はしばらく、事情を知った人は口を聞いてくれませんでしたよ」
「そりゃあ……まあ、人間六十人をミンチ肉にして、妖怪五十匹を一年間再起不能にしたら、そりゃ嫌われるでしょうさ。隠したくなる気持ちも解るわ」
「何処まで……」
「一応、博麗の巫女なのよ。幻想郷の危機に関して、知識がない訳じゃないわ。今から八十年前の春。小競り合いを続けていた人間と妖怪の間を割って全てをしっちゃかめっちゃかにしたのがアンタ。そしてねつ造記事でそれを隠したのも、アンタ」
「……はは。もう一人、別にも殺してしまっているんですが」
「へえ。で?」
霊夢の目は変わらない。いつの時代の博麗もそうであったように、妖怪と人間の争いに関しては達観している。スペルカード制定者であるというのも、実に頷ける話なのだ。彼女は争いを当然と受け止め、絶対終わりがないと知っているからこそ、戦闘をスポーツに転換した。八雲あたりの入れ知恵もあったのだろうが、博麗が口にしたからこそ実現し得たものである。
だからこそ話せるものなのだろと思うのだ。博麗だからこそ、射命丸文という人物を客観視してくれる。
「現状を、どこまでご存じですか」
「山に追われてるって事ぐらいしか知らないわ。新聞辞める話から、どうしてここまで飛躍して、私に保護されるまでに至ったりするのかしら」
「……。新聞、ですか。そうですね。新聞を本気で始める切欠となった話も、脚色があります」
「ああ、結局かかわってるのね。じゃあその卵もかしら」
「……これだから巫女の直感は恐ろしいのです」
霊夢からお茶を受け取り、隣に腰を掛ける。少し曇り気味の空を見つめながら、あの時もこんな空でしたと呟いて、過去への邂逅を始める。
幻想郷の小競り合いに終わりは見えていなかった。折角の理想郷も、博麗大結界という異質の隔離によってその様相を変え始めたのである。八雲紫ほか、結界初代博麗も、長期的に見た幻想郷平和の為に結界を施工したのだ。それを喜ぶのは、当然ある程度知識があり、先の見えている者達である。近代化の波が押し寄せ、幻想がドンドンと膨れ上がって来るこの時代に、何の防壁も持たない独立地帯は、その儚き幻想も蹂躙されるだけである。
故の結界であったのだが……そのような見識のある者は少数で、大半が隔離されたという恐怖を味わっていた。妖怪が大挙として押し寄せた場合、何処に逃げれば良いのか。人間が妖怪を絶滅させようと立ち上がった時、何処に逃げれば良いのか。
隔離によって生まれたのは、酷い疑心暗鬼である。
情報よりも直観。未来の幸せよりも目先の幸せというのは、人妖双方とも変わりがなかったのだ。
しばらくのにらみ合いが続き、そして戦火の切欠となったのは妖怪が人の子を喰った事に始まる。年長妖怪や力ある退魔師達の配慮は空しく散り、つぶし合いが始まった。
文は、もう見慣れた光景である。長い年月を外の世界で暮らし、そしてその愚かさを身にしみて実感している文にとり、何時かこうなってしまうのではないかという予見があったからだ。人と妖怪の共生。聞こえは美しいが、さあヤレと言われて簡単に出来るものではない。
外では世界の覇権を争い始めた時期だ。人間同士ですら争うというのに、根本から違う存在と分かち合えというのが無理な話なのである。
妖怪が封印され、人が消えて行く。自分の好きだった場所が犯されて往くような気がして、文はこの争いには参加しなかった。防衛部からお声がかかろうとも、それは無視し続けたのだ。
そんなある日。
文は卵を身ごもる。過去の経験から、しばらくは一人大人しくするべきだとしていた。どうせまた父が五月蠅いのであるし、下手をすれば幽閉されかねない。卵を産み、そして失う悲しみは想像を絶し、自分自身に見境がつかなくなる。
どこへ行くにも卵を抱えて歩いた。何をするにも卵と一緒であった。決して生まれる事などないと知っていながら、他にどうする事も出来ないのだ。
卵を捨てる。出来たらどれだけ幸せな事だろうか。
射命丸文は、一度母に棄てられかけた。卵を温める事を拒否されたのだ。水子への恐怖と言えよう。
自分は男と交わった事など無いが、もし、万が一、何か間違いがあり、神様の手違いがあって、これが受精卵であった場合、卵の放棄は母と同じ行いになってしまう。
自分には到底出来ないものだった。初めて卵を宿した折、自分は父に強く言われ、その卵を供養所へと持って行った。まさか目の前で割られるとも知らずにである。
結果、中から出てきたものは何だったか。
「――中から出てきたものは、鴉の死体でした。雛じゃありません。小さい、黒い、鴉の死体です」
「死体を、産んだの?」
「はい。死体を産みました。皆は驚き、私は卒倒しました。到底耐えられる精神的苦痛じゃありませんでしたから。父を避けるようになったのは、それからです」
「それで、八十年前の卵はどうだったの」
「……う……ぐっ……くっ……」
「割れたか、割られたのね」
「……割られ、ました」
「そして割ったソイツを殺害したと」
「……親友だったんです。あまり人に好かれるような事をしない私ですから、友達なんて少なかった。人間であった彼女が、細切れになって、吹き飛びました。……もう、そこからはあまり覚えていないんです。とにかく、血なまぐさくて、視界が真っ赤だったことくらいしか……」
「人間の被害数が六十二人。家畜が六匹。妖怪が四十八匹。何をしたらこうなるのやら」
「収まりがつかなかったのでしょう。意識を取り戻した私は、至って普通でした。父達に自分のした事を聞いた後は、それをひた隠すので必死でした。以前にとりから貰ったカメラ、八雲さんから貰ったフラッシュとフィルムでねつ造写真を作り、新聞で自分の出した被害を全部他人の所為にして、非戦反戦を煽って、すべて、隠したつもりです……」
「でも、結果おさまったのでしょ」
「だから、私は新聞を続けました。もう嘘は書けないと思って、真実を追求して行きました。カメラは何も悪くないのに、私にねつ造されたんです。だから、本当の事を映して行こうと」
「苦痛じゃなかったの?」
「苦痛でしたけど……しばらくして、すごく、楽しくなったんです。私が書いた新聞をみんなが読む。それはつまり、私を認めてくれる事に通じるんじゃないかと……錯覚して」
「結局、自己保身だったのね」
「はい。情緒が不安定になる度、隠していた本当の気持ちが湧きあがって、新聞を辞めたくなりました。そして、結果がこれです。父は私に言いました。新聞は精神安定剤でしたから、新聞を辞めるなら、絶対に天狗の役所で働けと。幻想郷の為にも、お前の為にも、私の近くで暮らせと、そういって」
「で、その約束を蹴とばした、と」
「次はありません。もし、私が今卵を割ってしまったのなら、同じ悲劇が起こるでしょう。私はこの歳になって、あれを自制する術を持ち得ません。父は私を拘束して、卵を確保したいのでしょう。こっちとしては真っ平御免です。だから、外に出してもらいたいんです。私は……大好きな幻想郷を、壊したくない」
「参ったわね。自分勝手な上に、面倒なほど根が深いわ。でも出せない」
「何故ですか」
「逃げてもしょうがないわ。向き合わなきゃいけないことだってあるでしょう」
「他人事だと思って、サラリと言いますね」
「親身になってるつもりよ。私は幻想郷の守護者だもの」
「……そうでした」
解っていた事だが、話は平行線だ。この頑固な博麗が、そう簡単に頭を縦に振る訳もない。後に出来るものといえば、卵を割らず、大人しくしている事ぐらいだろう。多少の情緒不安定で暴れる程度なら、博麗がなんとかしてくれる。これは人の身であるが、受け継がれた歴史が違う。中程度の自分と同格の力を持っている。いざとなれば、おそらく八雲紫が出てくるだろう。
……。
それは、良いのだが。
己の進退を問う場合、正解とは言い難かった。いつまでもこんな時限爆弾を抱えている訳にもいかない。その都度博麗にお世話になるのは、あまりにも恥ずかしい。とはいえ、抑えきれない破壊衝動と、どう向き合うかなど答えは出ないのだ。
思考は堂々巡りする。
「軽蔑、しましたか?」
「さっきも言ったじゃない。しないわよ。妖怪は人を殺す。当たり前よ。アンタの殺した数なんて、紫が神隠しした数の千分の一でしょう。レミリアが血を吸って殺した人間の百分の一でしょう。いちいち軽蔑してたらね、ココじゃ暮らしていけないわ。別に、アンタは私を殺すつもりなんてないのでしょう?」
「あ……う……そう、です。私は別に霊夢さんを殺すつもりなんてありません。寧ろ好意的かと」
「それもキモイけど。だから、アンタはしばらくここにいなさいよ。落ち着いたら、山に謝りにいけばいいわ。軽くなった身と頭なら、正しい判断くらい下せるでしょう」
「……れ、霊夢さん?」
「何かしら」
「ちょっとドキッとしました。心の広い方だったんですね」
「だからくっつくな……私にくっついたって子供は産まれないわよ」
「そうですね。想像妊娠で卵を産むとまた厄介ですし」
「あのねえ……」
「さて……冗談はそれとして」
「何よ」
「そろそろ、御山連中がかぎつける頃でしょう。まして、椛の千里眼からは逃げられませんしね」
「そうだったわね――ああ、来た来た」
「……空が黒い」
霊夢は湯呑みを盆に戻すと、庭に出て大きく背伸びをした。
背伸びをして……どうするのだろうか。
「アンタはお姫様よろしく、そこで大人しくしてなさい。あいつ等と交渉するぐらいには減らすから」
「ちょ、ちょっと。どうみても二百はいますよ、アレ」
雲は厚く、光もわずかしか届かないというのに、空を舞う天狗の群れは更にそれを覆い隠していた。防衛部が自分を捕える為に、何かしらの策は弄するのであろうと考えてはいたが……あれではもはや単純暴力の塊である。策もへったくれもあったものではない。防衛部は戦争でもする気でいるのだろうか。
更に言えば、この紅白は何故そんなにやる気満々でいるのか。一体どのような義理があるというのか。こんなものと正面衝突して、いくら博麗でも勝てる訳がない。空に目を凝らしてみれば、烏合の衆の真中あたりには中堅クラス以上の鴉天狗も控えている。
「霊夢さん、私を外に出してください。そうしなきゃ、殺されちゃいますよ?」
「阿呆らし。きっとこれは異変なのよ」
「は、はあ」
「言い事聞かせてもらったわ。だから解決する。しっかり取材なさい」
「取材なんて……」
「私の中では八十年も続いてる異変なのよ。そろそろ解決させなさい」
「はち……じゅう?」
「――馬鹿ね。『前の私とは』あんなに仲良くしていたじゃない」
「――ッ」
それだけ告げて、博麗霊夢は天狗の群れへと突っ込んで行く。自分は何も声を掛けてやれないまま、棒立ちするほかなかった。
……なんてことだ。
彼女は覚えている。友人も碌に作ろうとせず、否定し続けた自分に、唯一語りかけてくれた過去を。彼女の顔を見る度に後ろめたい気持ちに駆られていた。何度謝ろうと思い、諦めてきたことか。
当たり前だ。覚えていたのなら、殺す程に憎んでいる筈だったのだから。
博麗は、何食わぬ顔で射命丸文と再会し、何食わぬ顔で射命丸文と言葉を交わした。何故なのか。
八十年前、卵を割ったのは博麗だ。そして、怒りのままに殺害したのは、自分である。だというのに、彼女は、覚えているクセに、自分を責めようとはしない。
まして、この愚か者を護るというのだろうか。
「何故……何故!!」
――文は、この卵をどうするの?
――温めます。温めるだけですが。この中には、生命はないんですよ。
――なのに、何が辛いの?
――棄てられないんです。私は、卵の時に棄てられかけた。だから、棄てるなんてマネが出来ないんです。
――太郎坊に聞いたわ。貴女は新しい価値観を認められないって。
――おしゃべりな父上ですね。
――貸してよ。
――割らないで……くださいよ?
――文は向き合うべきよ。いつまでも、過去を引きずっていては、幻想郷で幸せになんてなれないわ。
卵の割れる音が聞こえる。
※
博麗霊夢にとり、今こそが悲願成就の時であったこれを逃せば、次は別の代の博麗まで待たねばならない。
自分ならば彼女に幸せを齎す事が出来るであろうと、信じて疑わず、愚かしくあったあの頃。
自分こそ、この郷にあり、未だ執着を捨てきれずにいる彼女に、新しい道を開けるのだと思い込んでいたあの頃。
何もかもが浅はかであったし、すべての配慮に足りていなかった。
神社で一人、幻想郷を見渡しながら、淡々と日々を繰り返してきた自分。変わる事のない日々を歩み、終わる事のない輪廻にたゆたい、郷と運命を共にする博麗という奴は、関心という心が欠如していた。
「博麗一人です。山ン本隊長、如何しますか」
「お前らで抑えておけ。俺は、射命丸を捕えに行く」
「……しかし、射命丸文ですよ?」
「それでも」
「了解です」
「はン。舐められたものねえ」
博麗は幻想郷の巫女である。そして幻想郷の体現者であり代弁者だ。そこには雑念や雑感は不必要であり、装置としての機能を求められていた。いつから自分が巫女であったのかなどといった情報はいらず、無機質に振る舞い、無機質に生きる必要があった。
肉体は器である。そして己本体という奴は、所謂御阿礼同様の魂でしかない。何ものかが器を選定し、何ものかの器に己を埋める。出来上がるものは、強制的に人間の『式』を組みかえられた人造人間だ。
維持し、継続する事が目的であって、ヒトと交流する事はなく、存在する事だけが求められるのが、博麗だ。
もう何代と繰り返してきた。もう何代とそのように過ごしてきた。
あの、変な天狗が来るまでは。
「ガッ――――ッッ!!」
「遅い鈍いかったるい!! 下っぱ天狗が博麗の巫女に敵う訳がないでしょうがッ!!」
「もう五人目だぞ!! 警備隊の名前は飾り物か!!」
「でもあいつ、た、弾が当たらなくて!! まるで、何もかもすり抜けるみたいにっ!」
「ほら、ぼやぼやしてると全員ぶっとばすわよッ」
一人の天狗が神社に現れた。飄々としており、発言の節々にイヤミがあり、酷く不愉快な奴だったと、よく覚えている。天狗は人と妖怪の争いについて意見を聞きたいなぞという名目で現れたのだが、それ以降もちょくちょくと自分へと逢いに来るようになった。
何故だと聞けば、笑顔がないからと言われた。自分が住むと決めたこの素晴らしい幻想郷で、幻想郷守が不愉快な顔をしているなんていうのは、許せないのだという。
何故だと聞けば、彼女は笑った。
この郷は、自分の理想を再現する為にあるのだという。誰にも邪魔されず、誰にも疎まれず、誰にも差別されず、何の脅威もなく、ヒトも妖怪も笑顔で、愁いも抱かず、ただ暮らし続けるという、ある意味で死滅した幻想を再現する場所で、自分は幸せを築くものである、と。そんな郷で巫女が笑わぬなど、笑えないというのだ。
何を築きたいのかと問えば、また彼女は笑った。
家族。自分が持ち得る筈であった、可能性を求めているのだと。そういう。
逆に、お前に家族はあるのかと問われる。自分は答えられず、言い淀んだ。
「部隊壊滅!! 鴉天狗掃討隊に向けた霊力を感知!! 夢想封印来ます!!」
「あの子はまだ乗り越えなきゃいけないものがあるのよ、闘わなきゃ得られないものがあるのよッ」
「な、何をいって――」
「現代最後のチャンス、逃してなるものかってんですッ!! 次の博麗は忘れているかもしれないのにッ!!」
「突っ込んでくるぞ!! 総員構えぇぇぇぇッッ!!」
「彼女には可能性がある!! 目を覚まさせなきゃいけないのよ!! いつまでも、卵の中身を夢見てる、あの大馬鹿者を、叩き起こしてやらなきゃならないのよっ!!」
それから、天狗は毎日通うようになった。無愛想な自分に語りかけ、触れあい、果ては飯まで作るようになる。どうしてそんな事をするのかと問うたが、彼女ははにかんで、答えは出さなかった。
毎日毎日、現れては笑い、現れては小言を言い、現れては安否確認するのである。昨日も見たのに、そうちょくちょく体調が変わるものかと文句をつければ、天狗は悲しそうな顔で自分に言うのだ。危うい、と。
まるで表情のないお前は危うくて、一人にはしておけないと。お前が死ねば少なからず幻想郷に影響が出るだろうから、ちゃんと見ておかなければならない、と。幻想郷の終わりは、天狗、射命丸文の理想の終わりでもあるから、潰えさせてはならないのだ、と。
――まるで、お母さんみたい。いつも子供の心配をして、自分の事はほったらかしなのだもの。
……。自分には家族もいない。だが、それは、生物としてなのだろうか。どうしても、このお節介に対して、母という比喩をぶつけてやらずにはいられなかったのだ。自分は人間で、彼女は天狗だというのに。
それを聞いた射命丸文は、目をパチクリとさせ、開口し、声を失い、愕然としていた。
自分が否定してきた価値観を、自ら再現してしまったと、そのように言う。この郷で、死んでしまった家族たちの復活を願い、生きてきたというのに、自分が新しい家族を作ろうとしていた、と。
去ろうとする文を……自分は、引きとめた。
文にとって、博麗霊夢は幻想郷の要であるから守りたかっただけなのかもしれない。だが、博麗霊夢が受けた待遇は、今更になって忘れられない家族の温かさであった。離せという声も聞かずにしがみつき、この身となって初めて、声を上げて泣いた。
「……どうやって止めればいい、どうすればいい」
「白旗をあげましょうか。この博麗は……異常です。上層部でも連れてきますか?」
「まだ、まだだ。人間一人に十個警備隊壊滅なんて、幻想郷一生の笑いものだ」
「みな納得すると思いますけど……博麗ですし」
「ぬぬぬぬ……ッ」
「――はあッ……はあ……――はっ……あとからあとから湧いてきて……何匹いるのよ、小五月蠅い……」
「狗衛門殿の御子息は」
「文様……じゃなかった、射命丸文へ特攻に。勝てないでしょう」
「……」
「次は!! 誰!! もう面倒だから全部かかってきなさいよ!!」
「……何がアイツをこうさせるんだろうか……」
「さあ……あ、弾幕きます」
「絶対捕える。拘束鎖を」
「はい」
博麗霊夢は、射命丸文に母を見出していた。
無機物であった筈の己に去来した感情は、既に払拭するにはあまりにも深く染み込んでいたのだ。
ある日は身の回りの世話を焼き、ある日はつまらない話を延々繰り広げ、ある日は笑い、ある日は泣き、自分の知らない家族という概念に、博麗霊夢は陶酔していた。自分にもあったかもしれない可能性は、捨てるには温かすぎたし、壊すには尊すぎた。
そんな折――射命丸文は、卵を持って、現れた。
ただの無精卵だと言われたが、文はまるで子のように毎日毎日、その卵を愛でていた。
……。
ふと、そこに。
歪な感情が芽生える。
正論で肉付けされた感情は、日増しに膨れ上がって行くのだ。
人間と妖怪の争いが続き、事あるごとに御山の連中と協議を重ねる日々が続いていたのだが、ここで一人の人物と知り合う事となる。それが射命丸文の義父、射命丸太郎坊である。
自分は射命丸文と仲良くしていると挨拶すれば、彼はまた嬉しそうに頷き、その様子を聞き出し始めた。文が良くしてくれる事、大切な友人であるという事、様々だが、その中でも文が卵を産んだという話に、太郎坊は興味を示した。
そこで初めて、射命丸文の過去を知る。彼女が旧家族への想いを捨てられないでいる事、新しい家族を作ろうとしない事。そういった頑なな想いをどうにか解いて、もっと幸せな生を歩んでほしいと言われる。
自分は、彼女を母のように慕っていると、そのように告げる。
太郎坊は、酷く喜んだ様子で、涙ながらに頭を下げていた。
……。
旧来の家族への想い。生まれるはずのない卵への愛着。
自分は知っていた。
あの卵には……彼女のユメミルセカイが詰まっている事を。
そうして、己は割ったのだ。射命丸文の、一番大切な家族を。
「今の私なら、純粋な気持ちであの卵をぶち割れる!! ぶち割って、あいつを目覚めさせなきゃいけない!! お前ら天狗に、連れていかれてなるものですかぁぁッッ!!」
「突っ込んで来たぞ!! いまだ!!」
自分は――
「文……!! 文……!! うっ……うぅぅ……ッッ」
自分は――間違っていただろうか?
「くおっ……んんんんのぉぉぉぉぉッッ」
「こいつ……鎖を……ッ」
自分は――彼女を……。
「駄目です、耐久が持ちません。破られます」
「捕える必要はありませんよ」
「お前は……」
「お話します。皆さん、下がってください」
「い、一介の隊員が何を言っているんだ、犬走」
「霊夢さん」
「アンタは……妖怪山の」
「もう、静まってください。お話しましょう」
自分は――愛していたからこそ、卵を割ったのだ。
「文さんを護ろうという気概には恐れいります。けれども、真実を知って貴女は、本当に卵を割れますか」
「なんですって?」
自分を捕えていた鎖が、霊力の耐久限界を超えて弾け散る。突如現れた犬走椛は霊夢の前へと立ちはだかり、その強い力を秘めた瞳で、此方をジッと見つめていた。
他の天狗達は、奇怪なものを見るような眼でいたが、いつもは子犬扱いされる椛の尋常ならざる気配に気が付き、距離を取り始める。
「どういう事」
「良く働く頭で考えてください。彼女が何を想い、何の為に生きたのか。彼女が存在し得る理由を」
「……」
「それでも、私は割ります。私には覚悟がある。彼女への想いがある。本当に救うべき道が見える」
「ふん、知ったかぶって。アンタに文の何が解る」
「――そうですか」
椛は自分の横を素通りし、境内へと降りて行く。自分はどうするべきかと考えたところで、天狗の代表らしき者が近寄り、声掛けてきた。
「……五十七名だ。やられたのは。このままでは引けぬぞ」
「ちょっと待ってなさい。今、決着つけてくるから」
「何?」
「少し黙ってなさいよ。終わらせるんだから。そのあと、文を捕えれば良い――別に最後までここでやり合ってもいいわよ。ただ、その時は八雲紫を呼ぶ。アンタ等が束になっても敵わないでしょうね。こっちも、なりふり構ってられないのよ」
「――渡すのだな」
「ええ。あとでね。あの子に感謝なさい」
流石の増上慢達も、八雲の名前を出されてたじろいだと見える。八雲と博麗の決定的な繋がりは、御山も知る所にあるからだ。自分は天狗を睨みつけ、早く退くようにと促す。
境内を見降ろし、そこには何があったかと確認する。最早後戻りなど出来ぬ状況。
今こそ、立ち向かわねば。
※
一時の感情であった筈なのだ。
しかし、どうしても、彼女を放っておけなかった。手にかける度に感情を芽生えさせ、構う度に表情を豊かにしていった。
無機物が有機物に変わる。石仏が生身の人間へと変化して行く。どれほどに楽しかったか、どれほどに愛しかったか、思い出せば思い出すだけ、胸が痛くなる。
博麗霊夢。その数奇にして波乱の生を歩む巫女に、己がしてやれる事の全てを施した。
いつしか、娘のように可愛がっていたのだ。それに気が付き、絶望し……しかし、博麗は受け入れてくれた。幸せになって行く実感を得て、こんな優しい思いが続くのならば、もはや既存の価値観など、薄れて行くものだろうとまで、思っていた。
だが……卵とともに、すべてが想起された。己から産まれ出でたこれは……。
「……霊夢さん。あれはただの死体なんかじゃないんです。あれは……私が食らい、内包した肉。姉です」
己は姉を産んだのだ。次に産んだ卵は妹だった。姉妹を、次の時期も、次の次期も産んだ。
そして、五匹いた姉妹、すべての『遺骸』を産み終わった。
では、最後に残る、この卵は……何か。
己の手のうちにあり、冷たく、何の反応も無いこの卵の内に秘められたものは。
「これは……母。私は、母を産んだ。きっと、死体でしょうけどね」
遠くの空では、博麗霊夢が暴れまわっている。なんと強い事だろうか。なんと恐ろしい事だろうか。自分を殺した者を護る為に、彼女は命を削っている。
博麗に卵を割られて以来、卵を割られた恨みと、殺してしまった罪悪感で、近寄る事も出来なかった。久し振りに出会った彼女は、何もかもを忘れた表情で居た。自分も、それならば付き合えると思い、近づいたのだ。
だが、彼女は覚えていた。
そして、闘っている。
あれだけ愛したのに。あれだけ慕っていたのに。卵を目の前にし、自分は彼女を殺した。思えば、思うほどに、愚かである。生まれ出でれば腐るだけの卵と、今を生きる生物を天秤にかけ、卵を重くするなど、どうかしているとしか、考えられない。
謝りたかったのだ。許してほしかったのだ。
殺してしまった責任と、新聞をねつ造してまで隠した過去を、清算したかった。
「……しゃ、射命丸文!! 殺妖未遂、内乱罪、その他諸々の諸犯罪で、お前を拘束するッ」
「やあ、これはこれは。狗衛門の息子さんじゃありませんか」
「狗三郎だッ!!」
「小さい頃の狗衛門に良く似ていて、小生意気そうで実に可愛らしいですよ、貴方」
「ばっばっかにしやがって……ッ!!」
狗三郎は、楯を構えにじり寄る。額に冷や汗をかき、ぶるぶると震えながら、近づいてくる。
「本気ですか?」
「あ、あ、あた、あたりまえだッ」
「貴方の父だって、私には敵わないのに。貴方一人で勝てるとでも?」
「そういう問題じゃないッ!!」
「ほう、では」
「ち、父を馬鹿にするなぁッ!! お前からしたらどうとか、そんなの関係ないんだよッ!! 俺の親父は、俺ん中で一番なんだ!! 俺の親を馬鹿にするな、馬鹿にするなぁぁッッ!!」
「――嗚呼……なるほど……」
……。
親への想い。それは、今だろうと昔だろうと、変わらぬものがあるのだろう。
それが例え千年昔だろうと、万年昔だろうと。生物である限りは、父を敬い、母を慕い、家族然として在る事が、一番の幸せに決まっている。ひとりしかいないから、代えなんて利かないから。
だというのに、自分と来たら、いつまでも、無くなってしまった物を得ようと、こうしている。
「解りました。その件については、謝りましょう。すみませんでした」
「……え、あ……あ、う……」
「ただ……その……うちも『娘』が、頑張っているんです。ここで捕えられたら、娘の立つ背がないじゃないですか。それにほら……もう一人の『娘』が、ずーっとこっちを見ているんですよ」
空を見上げる。白い髪を靡かせ、此方を見降ろす影が一つ。犬走椛は、覚悟を決めて、そこに在った。
「だから」
狗三郎の胸倉を捕まえ、
「あっ――」
思いきり、地面に叩きつける。
「ごっ……ぐっ……ッ」
「悔しいでしょう。あと百年したら、また来てください。相手してあげますから」
「――畜生、畜生……ッッ」
「ふふ。泣く姿まで狗衛門そっくりです。狗衛門みたいな、立派な天狗になってくださいね」
狗三郎に背を向ける。これで良い筈だ。彼はその頑なな意思を一つ貫き、殺されるかもしれない恐怖に真っ向から立ち向かった。その行為に敬意を表する。
「ああ……空戦は、終わったみたいですね」
やがて、数匹の天狗が狗三郎を抱えて去り、天狗の代表者が一人、そして椛と霊夢が共にやってきた。
「そこの巫女を引き取ってくだされ。暴れん坊で敵いません。他の連中は不様にやられて、相当気は立っていますが……博麗が八雲を呼ぶと脅すんです。博麗と八雲と文殿を相手に、闘えるだけの戦力がない。何やら博麗に条件があるようなので、ここは休戦とします」
「博麗相手によく善戦したと言えるでしょう。これなら無法者が暴れても、御山は安泰ですね」
「酷い皮肉ですな、文殿」
「逃げませんから、どこか見えないところで待機していてください」
「畏まった。統括にはどう伝えれば良い」
「だから、少し待ってください。これが終わったら、行きますから」
「……あい解った」
馴染みの鴉天狗は、部隊を率いて退いて行く。椛と霊夢の一人と一匹は、何を話すでもなく、文の前に立ちつくしている。この子達にかけてやる言葉が見当たらない。自分という愚か者を、どう処理して良いのか、判断がつかないのだ。
何もかもが甘えだった。本当に迷惑をかけたのだと思ったなら、もっと早い段階で外へと出るべきだったのに、いつまでも引きずり、惰性に任せ、もう八十年という年月を、またぬるま湯の中で過ごしてきた。
答えを出す気もなく、罪悪感と、葛藤に苛まれ、ぐるぐると同じ道を行ったり来たりとしていた。
だが、今まさに、その答えを出せと、目の前に二人の『娘』が迫っている。ここで逃げるなんてマネは、当然出来る訳がない。
博麗の叫びを思い出す。部隊を引きかえらせないのは、その為だ。
二人は、卵を割る気でいる。絶対に嫌だと拒み続けてきた現実を突きつけている。もし、自分が暴れた場合、博麗と椛と、出てくるであろう紫、そして天狗警備隊があれば、丁度だろう。
『虐殺天狗』を押さえるに、十分だ。
「霊夢さん」
「何かしらね」
「……あの時は、済みません。殺して、しまって」
「……」
「だ、だめな母親役でしたね。ご飯作っても美味しくないですし、娘にお酒強要しますし、母親らしい優しさもかけてやれなかったのに……でも、まるで、母のように慕って貰えて、本当にうれしかった」
「いいのよ」
「……はい?」
「私が迂闊だったの。それに、私には邪念があったわ。自分よりも可愛がられる卵が憎かったのよ。アンタが大事にしている事を知っていて、無くなってしまえば良いと思っていたわ。それが同時にアンタの幸せになるのだと、あの頃の私は信じて疑わなかった」
「霊夢さん……」
「だからこそ、割らせて頂戴。今の私なら出来る。純粋な気持ちで、アンタを救える」
霊夢が、右手を差し出す。卵を寄こせと、そう言う事だろう。だが、それを椛が制止した。
「文さん」
「――椛」
「貴女は、新しい価値観を受け入れられず、悩んでいた。古い価値観を打ち破ってくれる筈の博麗は、その手で殺した」
「ええ、間違いありません」
「何故、話してくれなかったんですか。何故、悩みを打ち明けてくれなかったんですか。新聞継続の云々なんて、私知りませんよ。むしろ、この事こそ重要じゃないですか」
「そりゃ……あの……その……」
「ガッカリです。あんなに可愛がってくれたのに、そんな私にお話してくれないなんて、ずるいです」
「――私の悪い所を、見てもらいたくなかったんですよ」
「でも、結果これじゃあ、意味がないじゃありませんか」
「……全く」
「だから、その卵をください。私が割ります。霊夢さんが過去やった事なのでしょう。だったら次は私です」
「ど、どういう理屈で、そうなるんですか」
「何言ってるんですか。貴女がこのループから脱却する手立ては、これしかないのに。貴女が求めているもの、その自らが破壊する事で、新しい価値観の受け入れ口を作る。それだけです。霊夢さんがやるくらいなら、次は私です。私です」
「……この中には……母がいる。ただの鴉の死体じゃないんです」
「文さんだって、口にしたじゃないですか」
「何を……」
「この世は四苦八苦からは逃げられないけれど、選択股ぐらいはある。執着を切り捨て、執着を受け入れ、より良く生きて行くのだと、仏の道に至るのだと。色即是空、空即是色。なんだかんだと、太郎坊様のお言葉だったんですね」
「ああ……そんな時代も……ええ、ありました、ね」
「さあ、今がその時です。その執着、私が叩っ斬りましょう」
椛が左手を差し出す。
どう、すればいい。
どうすればいい、そのように、悩み続けてきた。そして、先伸ばしにしてきたのだ。選ぶ事無く、執着を変える事なく、劣化してしまった新聞記事のような記憶を携えて、生きてきた。
先には解りきった絶望があるというのに、後生大事に抱えてきた。変化を嫌い、保守を目指し、嫌な思い出を封じ込め、謝罪すべき事をせず、何もかも隠して来たのだ。
「文」
「文さん」
「――わたし……は……」
卵の中には、きっと母の死体がある。優しくしてもらいたかった、自分に優しくしてくれる可能性だって存在した母が在る。もし、これが生きていたらどうするのだ。自分は……母を殺す事に、なるではないか。この二人は、そんな可能性を、殺そうというのか。
――違う!!
違う違う!! また、またそうやって先伸ばしだ。堂々巡りの永久ループだ。この先にまた卵が産まれ、きっとそれすらも抱えて温めるのだろう。達観したつもりでいて、逃げるのだ。
二人が母を殺そうとしているなど、笑止千万。冗談にもならない逃げではないか。何度繰り返した、何度間違いを犯した。取り返しのつかない事件は何件ある。ねつ造した過去は幾つある? 今こそ立ち向かわねば、今こそ、この二人の想いに応えねば、いつ応える。
だが……だが、割れない。とても、一人では、割れないのだ。
「お二人とも」
「ええ」
「はい」
「――手伝ってください。私一人では、怖気づいて、割れないんです。どうか――この愚かな私に、助力を」
口にし、身ぶるいする。
三人で卵を囲み、三人で卵に触れる。
力む事もなく、ただいつも通り、能力をぶつけるだけ。それが三人なら尚更容易い。
薄い殻は他愛も無く、罅が入り崩れて行くだろう。
「う、ううぅッ」
……、三人が、力を込める。くしゃり、と、呆気のない音がした。
「ハッ――アッ……ッ……うっ……ううううぅッッッ」
同時に襲い来る衝撃。冗談にもならない殺人衝動。ギロリと目を剥き、二人を見据え、手を伸ばす。ビリビリと震える腕は、博麗霊夢の鼻先、椛の胸元にまで迫っている。
全身から汗が噴き出す。気を一瞬でも抜いたなら、声が出るまでもなく、柔らかい素材で出来た博麗霊夢が、ただの肉塊になり果ててしまう。
また繰り返すのか。
また『娘』を殺すのか。
彼女は――殺した相手を、恨まず、受け入れてくれたのに。あんなにも慕ってくれていたのに。
彼女は――何もかも知って、それでいて決意してくれたというのに。
ああ、だが、この奥底から聞こえる声はなんだ。
割れた卵から聞こえる声はなんだ。この黒い塊、鴉の死体から湧きあがるものは何か。
『人食い』『人殺し』
『化け物』『親食い』
『親族殺し』『虐殺者』
『殺戮者』『半端者』
『悪食』『外道』
様々な性別、様々な声。この鴉の死体から伝わってくるのは、
己の咎自身なのだろうか。
姉妹を喰い、
母を喰い、
子供を喰い、
親を喰い、
蛆も蚯蚓も百足も蟷螂も、
雀も鴉も鷹も鳶も、
牛も猪も熊も狼も、
巫女も神主も陰陽師も仏法僧も切支丹も修験者も、
あちらの山へあちらの里へ、
あちらの海へあちらの湖へ。
生きる為強くなる為幸せになりたくてなりたくてなりたくて、
食いに食いに喰いに食いまくったではないか。
この卵の中身が母である確証などどこにもない。
ありとあらゆるものが詰まった肉だって想像できたはずだ。
怨嗟が憎悪が脳みそをぐちゃぐちゃに掻きまわして行く。
お前こそが全て悪であるのだと囁いてくる。
締め付けられるような胸の痛みは今すぐにでも潰して止めたくなる。
何が悪い何が悪い。
食って何が悪い。
生きる為だ強くなる為だ。
行きついた未来に幸せがあるのだと信じていたからこそ喰った。
何が悪い。
食われる方が悪いのだ。
弱いのが悪い。
弱いから喰われた、
餌になった。
それだけの話ではないか。
「何が、何が悪い……何が悪い……!! 殺そうとしたくせに、調伏しようとしたくせに、弱いくせに喚きやがって……うぅぅぅぅッ……」
手が伸びる。その手が、博麗の首にかかる。椛の首にかかる。
霊夢は眉ひとつ動かさず、そして射命丸文の腕を取り、目を閉じた。
――お母さん。
ああ、なんてことだ。
椛が、涙をこぼしながら、射命丸文に縋りつく。
――お母様。
ああ、なんてことだ。
「わたしは……」
咄嗟に、死体である筈の肉塊を拾いあげて両手にとり、咽び泣く。肯定し続けた生を否定し、母に許しを請うために。隠ぺいと捏造で作り上げられた己を払拭し、新たな選択肢を呼び込むために。
「母上……母上……文は、文は強くなりました、強くなったのです。誰にも負けないくらい、強くなったはずなのです。そして、そんな過去に私を慕ってくれる人が出来たんです、命をかけてまで、私を抱きしめてくれる人が、いるんです……私は、この子たちに何をしてあげれば良いのでしょうか、どうしたら幸せにしてあげられるのでしょうか、強くなっただけでは、解らないのです。貴女ならどうしますか……母上……文は、未熟者で、半端者で、この歳になっても、母親面の一つも、出来ないんです……ただ、謝る事しか、出来ないんです……。霊夢、ごめんなさい……ごめんなさい……椛……ありがとう……ありがとう……。母上、私には、こんなことしか、出来ないのです……父上の申しつけも訊かず、怠惰で暮らし、惰性で生き、何もかも隠して生きてきたんです……母上……」
どうか、どうかこの愚かな現実に救済を。ただ虚妄こそを真実と思い込んできた己に希望を。自分勝手だと知りながらも、どうする事も出来ぬこの感情は、もはや奇跡か幻想に頼るほかない。体裁もプライドも捨てて、あらぬものに祈るほかない。
「文……もういいから、もういいから。わた、私は、恨んでなんて、いない。私に感情をくれた貴女を、私に母性をくれた貴女を、恨むなんて出来ないから……あの時の私は、博麗で一番の幸せ者だったから……だから、もう、もう謝らないで……あやぁ……ッ」
「感謝したいのは、此方なんです。自暴自棄で何もかもかなぐり捨てた私に、希望をくれたのは貴女なんです。道を示してくれたのは貴女なんです。両親を失い、人間に忘れ去られた私を、一番見つめてくれたのは、貴女なんです……文さん、どうか、もう、やめてください……わたし、私達がいますから、私達がいますからッ」
感じた覚えのない温もり。
いいや、家族に抱かれ、得れる筈であった幸せだ。
可能であった筈の過去。それは、旧来の可能性ではなく、現存し実現し得る可能性の温かさ。
どんどんと冷えて行く手を、下ろす。小さい鴉は、地面に落ちた。
それはまるで、はじめからなかったかのように、風に吹かれた砂のように、サラサラと、消えて行く。
同時に、己の虚が露わとなる。
「……さようなら、母上……さようなら……みんな……私がゆめみた幻想郷……」
色即是空。
執着の彼岸。
妄念を抱き続け、それを糧に生きた射命丸文の結末。
それは即ち――死である。
思念考 ~卵の中の幻想郷~
乗り越えた先に見えたものが、己の真実とあらば、では現状こそが正しく否定しがたい己なのだろう。ただ強くあろうとした若かりし頃の記憶。人の死を見、妖怪の生を見、ヒトから成った天狗の想いに触れて生き、あれやこれやと考え、拾い、捨て、選び、至った永遠の楽園にて導き出した答えは『可能』
『可能』は己が意識せずとも、卵という形で現れた。それは確かに『可能』だったのだろう。己が内包した霊力から依り分け、探し出し、選びぬき、形造り、卵として産み出す行いは、間違いなく可能性の粋であった。
無意識化に望んだその卵は、射命丸文に衝撃を与え、産まれ出で、割れた。中から出てきたものは不完全な姉妹の死体。自覚し、この卵は己が望んだ結果なのだと悟り、また新たに造り、数十年に一度産卵する。
姉妹の死体を五つ産み、最後に残るものは母の残滓を込めた卵である。
……確かに、可能性はあったが、それが成功する確率など、弾き出すまでもなく零に近い。
解っていたのだ。中身が死体である事など。それでも、己は誰にも渡せなかったし、納得するまで温めたかった。
母になる事を否定し幾星霜。その歴史の中で血迷った行いが二回。
それは博麗であり、犬走である。
己の手で家族を作り上げるという行為を、現実に求めたのだ。他からの遺伝子を受けて卵の可能性が混ざりあう事を避けた結果に導きだした逃げ道は、他者を子にするというものである。
この理想を実現してくれる世界の要である博麗を子として愛した。
迫る消滅を否定して幻想郷に辿り着いた犬走を子として愛した。
二つの行いは、憤りを感じながらも為す術のない己を生かす為だけの筈であったのだ。そんな己に対しての葛藤を呼び覚ますものであり、耐えられない自己嫌悪の産物でもある。
逃げではあった。だが己の行いは具現化し、博麗と犬走に生と死を齎す事になる。
逃げではあったが、嘘ではなかった。
――そしてそんな現実は、最期に射命丸文への解答を求めたのだ。
己が導き出した『可能』は『不可能』へと転じ、妄執を、執着を失った射命丸文の幕を下ろす。
求めたのではなかろうか。
新しい執着を。生きる希望を。作るべき世界を。
――手を伸ばす。
ゆらゆらと揺れる、蜘蛛の糸を手に掴む。
だが、それは切れた。足元には、己が殺し、食い破った亡者たちが蠢いていたからだ。蹴飛ばしてしまおうとして、脚を上げる。だが、それらは全て容姿を変え、見覚えのある鴉へと転じた。
暗く赤く、生臭い臓物のような地獄の中で、皆が糸へと縋りつく。母も姉妹達も。人も妖怪も、皆が挙って、糸へとしがみつく。
そんな光景を見つめ、自分は一人、地面へと降り立った。
あの糸は可能性なのだろう。だが、己という奴は、そんな目に見える可能性に縋りつき、どれほどの絶望を味わっただろうか。一縷の望みに賭け、どれだけの月日を無駄にし、その中でどれだけの人を殺したのか。
もう良い。昇れないのならば昇らずとも良いだろう。どうせまた絶望するだけなのだ。誰かを不幸にするだけなのだ。自分には、誰かを幸福にするだけの力など有りはしないのだから。
そんな地獄を見つめ、糸の下を望む。そこには、デタラメな奴がいた。
そいつは糸にしがみつく亡者を見上げながらも、見下している。こちらに気が付くと、今度は自分を見下し始めた。イライラとしたが、怒りを露わにしたところで得るものがない。
何故一人ずつ昇らないのかしら。そうすれば、光明も見えるかもしれないのに。
ここには愛なんてありません。譲り合いもありません。遠慮もありません。
貴女は昇らないのかしら。
昇りません。どうせ、あの天蓋に見える光は偽りです。辿り着いた瞬間、糸が切れるのです。
可能性ぐらいあるんじゃないかしら。
あるでしょう。極僅かに。ただ、現実を見た瞬間に蹴とばされて、地に落ちます。それでは不可能です。
在るのに無いとは矛盾ではないかしら。
あんなものを握れるのは、それこそ清いものだけです。私は人の可能性を犠牲にし続けた。
犠牲にして生きてきた。罪悪なら腐るほどありますが、美しさなど一つもありません。
彼女はそれを聞き、腹を抱えて大笑いしだした。相変わらずの不愉快、そして理不尽ぶりに言葉を失う。コイツからすれば、こんな地獄だって隣の家と同等の距離でしかないのだ。自分がどれだけもがこうとも得る事の出来ない現実を、容易く得られる存在なのだから。
境界を開いてくれなどと頼むのも馬鹿らしい。また大笑いされるだけなのだ。
ここには思いやりなどないのでしょう。
はい。
では、そうすればいいわ。ここで留まるなんて、貴女の偽善でしかない。
……。
ここは卵の中よ。貴女と貴女がとりこんだ者達を内包した、不可能と可能と清水と汚泥の境界線。
どう、しろと。
思いやりなど無くしてしまえばいいわ、虐殺天狗。
必死に糸を掴む者達を出しぬき、己が昇れ、そう言いたいのだろう。だが、あの者達は皆己が殺してきたものだ。殺したものをまた殺すなど、それこそ情も何もない。例え虚妄のような存在であろうと、あまりにも無慈悲すぎるではないか。
執着は拾うに難く、捨てるに難い。
……。
私は不変の執着の一つを無残にもバラバラにされた事があるわ。
……それ、は。
太郎坊は、地面に頭を擦りつけて謝った。娘を許してくれと。では貴女も、あの者達に頭を下げてみる?
……。
未だ執着を捨てれぬ者よ。千の年月など、塵芥だわ。今こそが真実よ。
学び、選び、拾い、捨てて、ようやく積み重ね、磨き抜いたのが貴女であり、そして彼女達への想いでしょう。
答えは出ている。
……私は……。
※
「御苦労だった。今は警備隊再編で忙しいでな、また後でだ」
「いえ、私は……」
「お咎めなどない。暫く休暇をやるから、整理をつけて来るが良い。ああ、あと、博麗にボコにされた奴が隊長を下りてな、お前が代わりにやるように」
「そんな、私は隊長なんて柄じゃありません」
「……儂は感謝している。最初からこうするべきだったのだ。二の足を踏み、奴に手を差し伸べられなかった儂にかわって、文を幸せにしてやったのは、お前なのだから。儂にはこれぐらいしか出来ん」
「でも……」
「――ありがとう。娘は選んだ。その結末がこれだ」
太郎坊に頭を下げ、統括室を後にする。
今回の事件の影響で警備隊再編が起こったらしく、もう二週間経つというのに、どこもかしこも忙しい。博麗霊夢に撃墜された天狗の数は結局六十名に登り、その内重傷者が五名である。人間に叩き落とされた事を恥じた中堅クラスの天狗が数名辞任し、警備隊全体でのパワーバランス調整を名目に手が加えられたのだという。
別に恥じずとも良いのだが、博麗霊夢何たるかを知らなければ、仕方がない事なのかもしれない。
あれは、負けるようにはなっていないのだ。一度勝つと決めれば、何度落ちようとも挑み、そして必ず勝利する。いや、正しくは勝利するように出来ているのだ。
そういう意味では、射命丸文喪失はまさしく生まれて初めての敗北だったのだろう。
「おい」
「おや、狗三郎さん。お怪我は大丈夫ですか」
「別に。それより、射命丸文は」
「遠いところに行っちゃいましたよ」
「……そうか。百年後には必ず決着をつけなきゃいけないんだから、その頃にゃ戻ってきてもらわないと」
「良い人でしょう? 美人ですし。なんといっても、可愛らしいんです、あれで」
「あのなあ……」
「おっと、そういえばそうでした。私、今度隊長に昇格したんです。なのでもう少し敬ってください。今後は立場も対等です」
「えー……」
「なんです、その嫌そうな顔」
「犬走隊長殿……うえぇ……」
「喰うぞお前……純粋に力比べしてあげましょうか……こう見えても、齢三百六十の白狼ですよ……?」
「すみません。あ、ボク、見回りにいかないと。それじゃあ」
「はい、いってらっしゃい」
調子の良い狗三郎に手を振り、さて自分はどうしようかと考える。休暇を貰ってしまったし、かと言って余暇を潰すほどの趣味もない。大将棋は、頭を使うから余計な事を考えずに済むのだが、それも気分ではない。
結局選択肢の一つとして浮かぶのが、博麗神社であった。
事件後に何度か足を運んだが、まともに取り合ってもらえた試しがない。行くだけ無駄だとは解っていても、一度ちゃんと話をつけねばいけない相手なのだ、幾度でも行くしかなかろう。
そもそも博麗とは初対面が守矢事件、以降は宴会で数度言葉を交わした程度である。友好度のスタート地点からして違うのであるから、回数を重ねるしかないのだ。
博麗霊夢。その類稀なる運命の狭間で見た現実を、一体どのように考えているのだろうか。八雲紫が幾度か自宅に現れ、お酒のツマミだと言って話した博麗の歴史を聞きはしたが、八雲の話は小難しいし、脱線するし、良く解らない言い回しが多すぎる上、博麗本人ではない故に文との繋がりが見えなかった。
「さて、霊夢さんはいらっしゃいますかね」
神社境内に降り立ち、額に手を翳して辺りを見回す。今日は運良く外で掃除をしている様子だ。母屋に引きこもられていると、大体の場合門前払いである。なるべく自然体で近づき、さりげなく声をかける。
「何してるんですか」
「執着を捨てようと思って」
博麗の傍には、新聞紙が堆く積まれている。果たして何年分なのだろうか。気まぐれ発行とはいえ、その数は三桁で済むものではないだろう。
「燃やしてしまうんですか」
「とっておいてもしょうがないもの」
「いつからのです?」
「アイツと初めて知り合ってから。よくもまあ、こんなに書いたものね。紙資源の無駄遣いにも程があるわ」
「今日は、喋ってくれるんですね」
「……結局」
何の感情も見せず、火打ち石を打ち、種火を作る。口で吹いて火を強め、躊躇いもなく、新聞の束にそれを投げ込む。文々。新聞の歴史が煙となって天へと昇って行くのだ。自分は止める事もせず、彼女の行動を見守るだけだった。
「結局、私の抱く感情は、文が抱き続けて来たものと同じなのよ。帰って来る筈のない者をいつまでも待ち続け、無駄な努力を積み重ねて行く。まるで意味がないでしょう。文がそうだったように」
「そんな事ありませんよ。彼女は私達に思い出を残してくれたじゃありませんか。貴女だって、今の貴女らしくなったのは、彼女のお陰なのでしょう。だったら、意味くらいあります」
「ま、そうね。そしてあいつは自己満足して消えて行った。私の感情も、アンタの感情も全て無視して、勝手に完結したのよ。酷い話」
「……私達は彼女の夢見る幻想郷をぶち壊した。壊して得たものが無であったのなら、それが彼女の選択であり、そして幸せな事です。最早胸を締め付けるような想いに囚われる事はなく、卵を産む苦に懊悩する事なく、私達を見て、過去の記憶に懺悔する事もない」
「……」
「私達の執着が一つ、潰えたんです。ただ、私にも貴女にも、幸いまだ生きる糧がある。泣いても、その胸は埋まりません。だから、今あるもので埋めます。所詮すべての色は空ですが、空であるからこそ、そこで生きて得るものがある筈です」
「――それで、アンタは納得しているの?」
ハハッと笑い、誰が、と答える。
正論が必ずしも誰かを納得させるとは限らない。己が口にしている事は、論理立てて構築した所謂自然の流れというだけであり、様々に入り乱れた想いをなだめるには足りないのだ。
「私は、それで良い。文が散々と悩み続けて得た答えがそれだったのなら、私の悩みだって、行きつく先はそこなんでしょうから。むしろ、現状に異議申し立てするのは、自己矛盾ではないかしら」
「矛盾くらいなんですか。最強の矛と最強の盾は、きっと今だに勝負がついていないに決まってます」
「じゃあ、アンタも文みたいに、ずっと抱え込むのかしら。『母』は、戻ってきたりしないわ」
「気持ちが足らないんです」
「馬鹿ね」
「霊夢さん、気持ちが足らないんです」
「だから……」
「……ごめんなさい。今日は帰ります」
「雨、降りそうだけど」
「いいえ。ご厚意だけ、受け取ります」
「そう。じゃあね」
「はい」
まるで新聞が燃える煙が、雲を作っているかのように、どんどんと暗くなって行く。
霊夢に背を向け空へと上がり、もう一度振り返った先には、泣き崩れる霊夢の姿があった。
それに合わせるようにして、空を覆う厚い雲がさめざめと泣いていた。楯を笠代わりにして空を行くのだが、次第に強くなる雨は行く手を阻み、服を濡らして行く。
そろそろ梅雨も近い頃であるから、長雨になりそうであった。
「ひえぇ……びしょびしょ……」
家に辿り着く頃には、既に下着の中までずぶ濡れになっていた。滝の近くにある穴倉を改造して作った家は、狭いがそれなりに気に入っている。じめじめしているとして仲間からは不評であったが、自分は目立たずひっそりしている雰囲気を好んでいる。
ぐしょぬれになった服を脱いで干し、全身を震わせる。まさしく獣の様子だが、見た目は子供である。
「今日はもう無理かな」
手拭いで体を拭き、洗濯籠に放ると、そのまま自分はベッドの中へと収まる。この雨では『文』とで何処かで雨宿りしているに違いないと決め込み、不貞寝を決め込んだ。
自分はあれから、ずっと文を探し続けている。誰が、何と言おうとも、彼女が消失した事実を受け止めようとはしなかった。霊夢にもその決意を伝えようとしていたのであるが、先ほど漸く達成されたと言える。お節介な八雲が、何度か説きに現れたが、自分という奴は全部突っぱねた。
射命丸文を取り巻く事件に深くかかわっている彼女は、やはり賢者らしく聡明である。幻想郷住人として、射命丸文の『娘』として憂いているのか、いないのか、八雲はしょっちゅう現れては、ああでもないこうでもないという話をしてくれる。ただ、頭が良すぎて何を言っているのか、今一掴めない。
文が消失した後、自分と霊夢を抱きとめたのは彼女であった。一体どのような思惑があっての事なのだろうか。彼女はハッキリ直接的に言葉にはしないし、曖昧だ。
「明日晴れたら……無縁塚を周って、太陽の畑もみて……それから……」
大の字になり、千里眼で様子を見ながら明日の予定を考え、ただむき出しの岩肌を見つめる。やがて岩の模様が人の顔に見えてきた。疲れているのだろうかとも思ったが、それはまさしくヒトの顔であった。
「うひゃあ」
「あら、全裸のところ失礼しますわ」
「や、八雲様ッ」
「来ると言ったでしょう。何故来客用の格好をしていないの」
「理不尽な……」
ぬるりと出て来た紫に驚いたのも束の間、理不尽な事を言われて顔をしかめる。当人といえばいつの間にか椅子に座り、勝手にお茶を入れて飲み始めた。大変お引き取り願いたいのだが、自分程度が怒鳴ってもどうなるものでもないので、仕方なく着替えを引っ張りだし、紫を持て成す事にした。
「来るなら玄関からにしてください」
「この穴倉の何処に玄関があるの。いいからこっちに来てお酒の相手をしなさい」
「お茶なのかお酒なのか……」
「貴女も霊夢みたいな反応するのね。射命丸文の趣味だったのかしら」
「……」
「ふふ、そう睨まないで」
紫がスキマに手を突っ込み……わざとなのか、天然なのか、古吟醸月世界を持ちだしてきた。いや、どうせ八雲紫という超常能力者の事だ、わざとなのだろう。彼女は何食わぬ顔でそれをコップに注ぎ始める。
「ハイ。イッキ、イッキ」
「アルハラですか」
「ノリが悪いわねえ。まあいいわ」
そういって、紫は自分の分を自分で注ぎ、一気に飲み干す。一体コイツは何がしたいのだろうと、思わざるを得なかった。馬鹿にしているのだろうか。
「馬鹿にしているんですか」
思わず言葉に出る。
「良く言われるのだけど、私は至って真面目なのよ。外野である筈だった貴女が、霊夢の抱き続けた想いを後押しした。つまりそれは因果の癒着よ。酒も酌み交わしていない貴女と、改めて知りあって因果の均整を保とうとしているのよ」
「良く解りませんが。まあいいです、呑みます」
「そうそう」
意味不明の物言いだが、真面目に語られると正論に聞こえてくる。自分という奴がほぼ外野であった事は間違いなく、そこに割って入って事件の結末を見たのだから、確かに彼女の言い分は在ると思われる。酒はどうだが知らないが。
「私達って、何かしらね」
ふいに、八雲はそのように口にする。手の甲に顎をつけ、物憂げに話すのだ。
「どうしましたか」
「もう三千と少しほど生きているわ。射命丸文の実に三倍ね。こんな長い間女性体を保ち、人類の行く末を見、見果て、見飽き、生きてきた。アナタ、子供はいる?」
「いえ。私が大人になる頃には、外の世界では同族諸共彼岸行きでしたし。こちらに来てからも、まあサッパリです」
「では、何かを育てたという記憶もないのね」
「はあ……」
「私は一人一種族。他に血族はなく、子供を欲しがった記憶もないわ。私は自らの手にて認められる存在を得、それを育て、形造り『子』としてきた。藍然り、幻想郷然り、博麗然り」
「それが、何か」
「……それは母性だったかしら? 私は謂わば混沌に執着し、人の抱く混沌を塒にして『在る』わ。世界の何処からでも、人が潰えぬ限り、私が執着を捨てぬ限りは在り続ける。そんな身勝手で抽象的な存在が、果たして子を抱く幸せを得るに至るのかしら。でも実際、私は『子』を育てたという満足感を持ち、『子』の存在を喜んでいる。守ろうという意思を持つ。これは、女だからかしら?」
「私は、射命丸文に救済されて以来、幻想郷に執着しています。ここがあるからこそ在れるという喜びに生きています。そういう意味では、貴女が母なのでしょう。嫌ですけどね」
「心中察するわ。それで……我々『母』は、女の形を捨てたら無くなってしまうのかしら。いいえ、違うわ。想うことにこそ意味があり、性別なんてものはおまけでしかない。結果的に、母性なんてものは父性なんてものは虚妄で、己の意思こそが神足り得るのよ。思念で出来上がった我々に、その思念が変化を求める事はない。そこに一人として産まれた時点で、私は私、貴女は貴女」
「何が、言いたいのですか。わざわざ私に逢いに来て、貴女の半生を振り返る真似はしないでもらいたいです。私は、貴女になんて興味はないんですから」
「あら、言うわねえ」
何時まで経っても話の核心を語らない紫にシビレを切らし、思わず不満をぶちまける。何かされるかと思ったが、紫は平静なままであり、身動き一つとっていない。ピクリと動いたかと思えば、ただ酒を口にしただけであった。
自分に逢いに来たという事はつまり、射命丸文の事なのではないのか。なぜ、そんな遠回りに物事を語るのか。永く生きた妖怪というのは、皆こうなのであろうか。
彼女が如何様に思考方法を弄ろうとも、確固として残された現実は過酷であり、受け入れ難い。射命丸文は唯一無二の母であり、他の誰かがなり変わったりなど出来ないのだ。
「貴女がどういうつもりかは知りません。あまり、悪戯に問題を掘り出さないでください。霊夢さんにも止めてあげてくださいね。彼女はたぶん、私なんかより繊細ですから。射命丸文はもう居ない。もう、戻ってこない。私の想いも、霊夢さんの想いも、彼女の旧価値観を打ち滅ぼし、新価値観を受け入れさせられるだけの力はなかった。無力だった。千年と抱き続けた妄執を、取り除けなかった――悔しいんです。本当に、ただただ悔しいんです。解りませんか!? 伝わらない想いがどれほどに虚しいか!! どれほどに辛いか!! 最愛の母を『二度』も目の前で失う苦しみが!! 家族は消え失せ、人に忘れられ、ただ消える事しか出来なかった者の憐憫が!! 貴女に解りますか!? そうであっても、解っていても、求めずにはいられないこの気持ちが!!!」
「だから愚かなんですわ。そうやって、自分を可哀想な子のように演出して、何か得られる?」
「――だって……文さんは」
「ここまで愚かだと、射命丸文も報われない……いいえ、また母性を擽られて、面倒見始めるのかしら」
「かえってください」
「射命丸文は、時を超え抱き続けた執着を糧に、家族の再生を夢見た。彼女だってもう解っていた。無理な事ぐらい。貴女達が割った卵の中から出てきたのは、まさしく射命丸文の母なれど、結局は死体だった。それは執着の死。彼女が思い描いた理想郷の死そのもの」
「……だから、何だと。そんな事を話しても、何の意味もありませんよ。八雲様、不愉快です」
「――この広い三千世界。千年鴉程度が仏になるにはまだまだ足りないわ」
そういって、紫は立ちあがる。
「……何を」
「私は嬉しくてしょうがないの。閉鎖した可能性しか持ち得ない妖怪が、絶対無理だとされた概念を打ち破り、そして現界したことを。幻想郷という終末でしか遂げられない、歓喜すべき現実を、私は涙で許容するわ」
「まさか――ッッ」
「ごきげんよう風神の子。幸福は貴方達一人と二匹にある。まだ、空を飛んでいる程度がお似合いよ」
「は、あはは、あははははッッ――あは、げほッ――くふふふッ――ふっ……ふ、ずッ……う、ぐっ……」
「さあ、行って。幻想の子」
八雲がその様に言い、右手で境界を開く。彼女の瞳には薄らと涙が浮かんでいた。それを隠すようにして、残ったお酒を、一気飲みにする。
「私も焼きがまわったわ」
「う、うえ……あっ……あ、あああぁぁ……」
性悪にも程がある。博麗も、八雲も、文も、どいつもこいつもハッキリしない。何もかも濁して、何事も遠まわしにして、絶対直接的に言葉で伝えたりなんてしないのだ。本人がどう思っていようとも、衝立を二、三枚はさんで話す。
どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。それで伝わると思っていやがる。大半の人間も妖怪も、そんな裏の裏まで読んでなどいない。もっと具体的に、言葉で態度で、示せというのだ。
境界を抜けた先の岩を飛び越え、木々を渡って空に至る。今まで降っていた雨はまるで嘘だ。そこには青空が広がっているではないか。八雲め、わざわざ気象まで弄るなんて、本当に遠回りな奴だ。
博麗神社に至り、ただ空を呆然と眺めて、意識をふらつかせる博麗をひっ叩き起こす。
何事かと目を覚ました彼女に対して、自分は空を指さした。
思いついたように自分は立ち上がり、蜘蛛の糸へと歩いて行く。
自分が、今更思いやりなどもってやる必要はなかったのだ。
群がる者達の襟首を捕まえ、ブチのめす。
一人、二人、三人と、己が食いつくし糧とした者達を、殺して行く。
飛び交う姉妹達の首元を握りしめ、折る。
自分は何もかもを犠牲にして生き延びようとしている。たった二度だけ観た幸せを、また掴もうとして、殺した者達をまた殺して行く。
罪悪を、後悔を。
娘が悲しんでいる。遠くから、彼女達の泣き声が聞こえてくる。
母は……。母は、守らなくてはならない。その道がどんなに汚かろうとも、どんな障害があろうとも、娘を生かし、護るために、幸せにする為に、蹴とばし、踏みつぶしてしまわなければならない。娘が母と慕ってくれている限りは、ある限り、出来る限りを尽くさねばならない。どれだけの罪を背負おうとも、どれだけの後悔を抱こうとも、娘の笑顔の為に、犠牲を生まねばならない。
紅白が眼前に立つ。
まさしくその眼は爛れていた。己が最も恐怖し、恐れた現実。
この罪悪こそが根幹。死は死をもって償おうとし、こんな世界に迷い込んで、可能性を捨ててしまった己の枷であり戒め。
例え『娘』にそっくりでも。
自分は、そいつを押し倒し、首を絞め、殺してやる他ない。
紅白が自分を母と呼ぶ。お母さんお母さんと、喚く。一瞬手が緩まるが……はたと気が付き、更に強く締め付けた。
絶命する不可能を、蹴り飛ばす。
その先に居るものは最後の障壁だ。
あの時と変わらぬ姿の母は、羽をばたつかせ、此方を威嚇していた。
自分は、拳を握りしめる。愛してくれる事のなかった母。自分を差別した母。その肉を食って生きながらえた自分。その怨念のみを糧にして生きた自分。
今こそ、別れの時だ。
「母上――私は、娘たちのところへ行きます。こんな、殻の中にはいられないのです。私の負が全てつまったこの中になど、いられないのです。母上。もう許しは請いません。さようなら」
ガァと啼く『母』を捕まえ、首を引きちぎる。
選りすぐった道へ。己が選び続けて至った最後の道へ。もはや母の怨念もいらない。
その執着はまさしく、今引き裂いた。
涙を流しながら、蜘蛛の糸にしがみつき、昇る。
光明を目指し、あるべき可能性を得る為に、手を絞る。
例え虐殺天狗と罵られようとも、例え腐肉で出来た我が身体だろうとも。
それを心から想ってくれる人がいる。自分の死を悲しんでくれる人がいる。
光に手を伸ばす。
どうか――この先に、新しい価値観が在るよう願いながら、手を伸ばす。
「――私達妖怪は執着と共にあり、そして人とある。もし此れが無となった時、おそらくは死ぬのでしょう。けど、心した方が良い。我々のような曖昧な奴等は、全てを零にしない限りは、あり続けるのよ。いいえ、それを証明してくれた奴がいるわ。御仏は偉大ね。正しくこの世は空なれど、執着を抱かなければ至れない世界がある。執着とは、拾うに難く、捨てるに難い。射命丸文に讃辞を。母を殺し母となった妖怪に祝福を」
――そこでは、一羽の鴉が、悠然と風を切っている。
「……あ」
絆とは得難いものである。
そして、手放し難いものである。
「あ、あ……」
妄執に生き、葛藤に死んだとしたならば。
では葛藤の先に得たものはなんだろうか。
「嗚呼――あ、ああッ」
射命丸文が捨て、そして拾い得たもの。
隣には誰が居た。
「ううぅッ!! うあぁぁッ……あ、ぐずっ……うううぅぅぅぅぅゥッ!!」
射命丸文を想い、死を厭わず立ち向かい、
確固たる形として、射命丸文の内側を埋めた者達がいたではないか。
その射命丸文を、母と認めた者が居たではないか。
「――文さん!! 文、文さぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッッッ!!!」
「――文!!! あやぁぁぁッッッ!!」
一羽の鴉は、犬走椛の前に降り立ち、申し訳なさそうに、首を縦に振る。
至ったものは執着の此岸。
射命丸文が、罪悪を積み重ねた挙句手に入れた空。
この世が空であると言うならば、ではその中にこそ求めてみよう。どれだけの犠牲を孕もうとも生きて行こう。求め続けた先に得た答えを手に、また犠牲を産んで行くのだ。どうせ自分達は、仏にも近寄れぬちっぽけな悪でしかなく、彼らが求める理想は遠すぎる。
だったらこの空を根城にしよう。執着し、妖怪として生きて行こう。気に入らないものを切り捨て、己が笑顔であれるために、娘たちが笑顔であれるために。
「――ただいま」
それは、幾多とある選択肢の中から選び抜いた、正しく真実だろう。
了
もはや、人に存在を忘れられてどれ程の月日が経った日であったか。同族は絶滅し、神は隠れ妖怪は地に伏せた。現実と幻想の入り乱れた世はなく、現の人間の敵は全て人間になっていた。自分たちの威厳など、近代科学の前では全く持って無意味なのだ。だから恐怖もされなければ、崇められる事もない。
信仰(恐怖)の力がなければ、妖怪も神も、その間たる祟り神も、虚無も同じなのだ。はじめから、居なかった事となる。
うわべだけの想いなど塵芥に等しく、まして何かしらのご利益がある訳でもない自分の祠に、誰がお参りをするというのか。ゴミが吹きだまり、苔生し、朽ち果てていくだけの、小さな祠に。
ああ人々の悲鳴が聞こえる。空は赤く燃えて行く。地には業火。空は轟音。絶望の喘ぎ声が、響き渡っている。その声は自分に対するものではない。あの、空を行く鉄機に対してだ。
ヒトは空を飛ぶようになったか。
自分は祠を歩み出て、里へと降りる事にした。どうせ朽ち果てる身だ。そしてどうせ、自分はこの人々の恐怖によって出来上がった狼の化身である。最後に出来る事があるとするならば、自分を生かし続けた人々の子孫を護る事ぐらいだろう。
彼らが生き、そして伝えたならば、後世には新しい信仰が芽生えるやもしれない。また新しく小さな自分がどこかへと発生し、今度こそは祟り神ではなく、ご利益のある神として生まれ変わってくれる事だろう。
だが甘かった。ここにそんなものは存在し得ない。
鉄の鳥が、空から何かをばらまく。空で四散し、地面へと衝突したそれは、瞬く間に炎をちりばめて行った。驚くべき光景だ。笑い転げてしまいそうになる。
自分たち神や鬼が再現した地獄を……人が再現出来るようになっていたのだ。
女が逃げ遅れて焼かれる。子供が躓いて家の下敷きになる。助けようとした男は炎に捲かれて死んでいった。
嗚呼、なんてことだ。なんて無慈悲なんだ。鬼とて神とて、もっと情緒というものがあろう。人はそんな、ゴミのように死んで良いものではないのだ。食い破られ、千切り捨てられ、皆が慄き恐怖するものなのだ。そして人は、これを退治しようと立ち上がるのだ。それこそに意味があるのだ。
繰り返し繰り返しそうしてきたというのに、人類は何を学んだ。より凄惨により痛ましく。報復は報復を産み想いは信仰となる筈だ。
だがこれはなんだ。ただ人が焼かれて往くだけではないか。なんと無機質な事か。人はそして逃げまどい、四方を囲まれた街で、蒸し焼きになるだけなのだ。自分の見ているものは、これは、何なのだ?
怨嗟しか残らぬではないか。空を飛ぶ鉄の鳥に対して、彼らに出来る事があるのか。兵隊はどこだ、術師はいずこへ、勇敢なる大将はどこへ行った。
民が死んでいるぞ。これでは信仰なぞ芽生えない。祟り神たるあの鳥に、立ち向かうものはいないのか。
「あ……あ……」
「……――我が恐ろしいか人間」
「白……狼……?」
「我が恐ろしいか人間」
「……娘が……見当たらないの……炎に捲かれて……見失って……」
「……我は恐ろしくないのか、人間」
「娘が……娘が……!!」
もはや言葉もない。自分など、あの大火に、あの鉄の鳥に比べれば、恐怖でもなんでもないのだ。でかい犬が一匹、そこにいるだけなのだ。娘を見失った母は自分にしがみつき、何かを懇願しているではないか。
自分は利益を齎す神ではないというのに。
しかし、走った。燃えさかる炎を飛び越え、祟り神を睨みながら、人の街を駆け抜ける。どれだけ自分の図体が出かかろうと、鉄の鳥の攻撃を避けるのに懸命な人間にとり、自分など気に止まる存在でもなかったのだろう。
ただ駆ける。毛を焦がし身を焼く熱さを無視し、あの母と同じ匂いのする方へと走る。
母。父。家族。仲間。
皆逝った。駆け抜ける草原は人により潰され、潜むべき山には鉱山が開かれた。皆コイツ等の所為だ。だというのに、自分はそいつ等の為に今駆けている。駆け抜けた筈の草原は焼けの原。幼き記憶を内包した地は、ヒトによって蹂躙され、祟り神によって土に還されて往く。
――――オォォォォォォォォォォォォン
猛る。
野を返せ、山を返せ。
――――オォォォォォォォォォォォォン
猛る。
父を返せ、母を返せ。
自分はここに居る。未だ消えず、信仰の残滓のように生き残っている。父と母と、皆と暮らした記憶だけを胸に、腐れた争いを続け穢れを溜め続けるヒトの合間に生きている。
この行き場のない怒り、一体どこへ行けば払われるものなのか。
「娘」
「――」
「起きよ。母が探しておる」
「――」
「ははっ」
「――」
「はははははッッ!! 他愛ない!! なんとヒトの弱き事か!! たったこれだけの炎で滅びるとは、なんと情けない事か!! それだけ弱いというのに、いったいどうやって我々を滅ぼした!! 信仰とはそれほどにも強いものなのか、その強弱で我々が滅びるのか!! ははははッッ!!!!!」
とうとう、我慢出来ずに笑った。まるでボロクズのように丸くなってしまった娘の遺骸を咥え、母の下へと走る。これを見た母はどんな顔をするだろうか。自分をバケモノと罵るだろうか。泣き叫ぶのだろうか。想像すればする程に面白可笑しくなる。
みよ、この躯を。何とみすぼらしい。これでは焼けすぎて食えぬ。打ち捨てて肥料にしかならないだろう。土に還って輪廻を歩むしかない、まさしく虚無の産物だ。
「……あ、ああ……」
「娘だ。臭いで間違いがない。どうみても、人には見えん容姿だがな」
「……嗚呼」
ヒトが隠れる為に作った穴倉の入口に立つ。人々は皆、自分をみて何事だとしている。代わり果てた娘を見た母は、その遺骸を抱きしめ、ただ泣くばかりであった。
「……」
「ありがとうございます……もう、逢えないかと思っていたから……」
「――なんと」
母の言葉にたじろぎ、後ずさる。怖がらせてやろうと持って来たというのに、まさか感謝されるとは思わなかった。言い知れない感情で、心がむちゃくちゃにされる。
なんということだ。
「ふざけおって――ふざけおってぇぇッッ!!」
駆けだす。もうこんな世に未練はない。誰も恐怖しない世など意味はない。そうか、そんなにもあの祟り神が恐ろしいか。なんと不愉快な事か。
これが科学の世か。これが人間同士の争いか。そこには、想いの具現たる自分たちに、入る隙間などカミソリ一枚分も存在してはいないのだ。
ただ駆ける。焦げた身を引きずりながら、最後に味わうべき恐怖も得ないまま、地を駆け山に至る。
まるで、自分を形作るものが崩れて行くような気がした。
恐怖の脱却を眼前にて演じられたのならば、仕方がない。自分はその時点で『何でもない』ものになってしまったのだから。白狼と言う神は、もはや地上では生きられぬ神になってしまったのだ。
駆ける。駆ける。
視界が白んでしまったのも無視し、ただ駆ける。
躓き、転んでも、ただ前へと進んだ。どうせ溶けて行くのだろう。ならばこの怨嗟、広めに広めてやろうと。
森が深くなって行く。ここがどこだかすらも、解らなくなる。今までいた場所とは空気が違い色が違う。そこで漸く、己は足を止めた。
臭いを嗅ぐ。耳を立てる。だが、人一人の気配すらない。見たことも無い動植物が辺りを埋め尽くしているではないか。まるで時期でもない花が咲き誇っている。己が居た大和の地ではないのだろうか。
そこで、蹲る。
自分は冥府へと落ちたのだろうか。その割には、体は未だ焼け爛れたままである。地獄に落ちると生前の痛みすら引きずるのだろうか。なんとむごい世だろうか。
再び立ち上がる。しかし、すぐさままた立ち止まった。
「――白狼。見ない顔ですね。それに酷い火傷」
「――」
それは、なんと形容して良いものだったか。女が一人、己の眼前に立ちはだかっていたのだ。まさしくその一言に尽きるべきなのだが、違う。四角い箱を手にした女は、飄々としていながらも、その蓄えられた力は自分など足元にも及ばぬ幻想の力。
潰え、消え失せた筈のバケモノである。人間を恐怖の底にたたき落とすソレだ。
何をする気でいるのか。立ちはだかり、道を拒むというのか。ここが地獄なれば、では父も母もここに居る筈だ。楽しく草原を駆けまわった仲間がいる筈なのだ。
どけ、そこをどけ。
「ほう。年期が浅い割りには、良い顔をします。その瞳はなんでしょうか」
「……」
「何もかもを失った者の目ですね。そして貴女はこの郷に至った。喜ぶべきでしょう」
「……」
「私を倒したところで、得るものはありませんよ。ただ、どうしても現実を認識出来ないというんでしたら……」
「……どけ」
「私が教鞭をとっても構わない。不躾な狼に、ここが如何な奇跡で出来ているか、ご教授してあげましょう」
……。
それは風であったし、それは神であった。深手を負っていようと、そうでなかろうとも、自分の攻撃など当たりはしない。爪を立ててもいなされ、牙を剥こうと払われるだけ。まるで母と戯れる赤子のようだ。その一撃には慈悲があり、痛めつけようという気は感じ取れなかった。
ただ、やんちゃをする子供を咎めるような手腕。彼女は笑ったまま、自分と戯れている。
投げ出した足を女がとる。それは妖力か、はたまた怪力か。大きな体をそのまま地面へと叩き伏せられた。
「甘い。でかいだけじゃどうしようもありませんね。見たところもう三百歳は越えているでしょう。人の姿ぐらい、取れますでしょう?」
「……嫌なのだ。我は人型を取ると幼く弱く見える。それでは舐められる。お前のような奴に一度見下されれば、おそらくは末代までだ、天狗」
「可愛いのがいいです。でかいと邪魔ですし、うちに運べないじゃないですか。その傷、いくら幻想の郷とてそのままでは治癒もしません。さっさと付いてきてください」
「何を……」
「ここは幻想郷。忘れ去られた者達が行きつく、妖怪最後の楽園です。貴女は運よくここに至った。ただ虚無へと還る事もなく、ここに至った。幻想郷は悪食ですから、許容したのでしょう。立ち上がってください。こちらを良くみてください。貴女の生きるべき場所はこれからココです」
自分は……。
ただ、笑う事しか出来なかった。人の形をとり、生まれたての子供そのものの姿と泣き様で、彼女の前に立つ。自分は生きても良いのか。自分にも生きる場所がまだあったのか。自分の仲間はここにいるのだろうか。忘れ去られ、消え失せた神に妖怪は、ここで暮らしているのだろうか。
言い知れない想いに胸がいっぱいになる。誰にも恐怖されず、ただそれだけに執着した己が、至って良い場所なのだろうか。
「祟り神ね。もう、人間は貴女に恐怖しなくなったのでしょう」
「はい……」
「ただ、生きて行くには執着の選択が必要になる。貴女はここに至る前、きっと深い絶望を知った事でしょう。もはや、恐怖など己を生かしてくれるに足りぬ、とでも」
「……はい」
「色即是空。人も神も妖怪も、結局は四苦八苦から逃れられませんが、選択肢はある筈です。貴女はその執着の一つを切り捨てた。だから、この郷で別の執着を得ましょう。空即是色です。至る道は遠いですがね」
「何故……何故そこまでしてくださるんですか。私は貴女を襲いました。一体なんの義理が」
「眼が似てるんです。許せないくらいに。失ったものを取り返そうとしていたんでしょうね」
「……貴女もですか」
「はい。私はこの郷にて、いつの日か取り戻すんです。その執着に、生きています」
「……」
「さあ、往きましょう。ここは恐怖の彼岸。忘れられたもの達の此岸です」
彼女に手をひかれ、新しい世界の空を渡る。
「ここには、貴女のお仲間もいます。きっと、受け入れてもらえますよ」
「貴女は……何者なのですか?」
「――私は射命丸文。しがない天狗でブン屋です」
それが、最初の記憶である。
※
気だるい気分であったが、立ち上がらない訳にもいかなかった。文が家を発った後、所詮は他人で無力な自分の愚かさに苛まれ、頭を抱える事しか出来なかった犬走椛は、漸く身体を動かす決心をする。
外はもう朝の光に満ちており、あれから数時間が経っているという事を、今更ながらに確認する。
思い返せば、もう六十年近い付き合いになる文の、何か一つでも知っていたかともし問われたならば、自分は答えるなど出来はしないのだろう。彼女は人に対して、自身の過去を語ったりはせず、まるで成人のまま生まれてきたような振る舞いをするからだ。自分に限った話でもなく、おそらくは妖怪山の誰も、射命丸文に詳しい人物などいない。
唯一詳しいといえば、太郎坊ぐらいなものだろう。
犬走椛は、射命丸文に恩義を感じている。自暴自棄の自分を救ってくれた彼女に、いつか恩返ししなければと、常々考えていたのだが、文が何かしらの災厄や、危機に直面するといった事態が無いため、返しそびれていた。それはそれで良かったのだろう。辛い思いをせず生きられるならば、それに越した事もない。
……。故、この度は様子の可笑しい文をなんとか幸せにしてやれないものかと、考えたのだが……。結果は裏目に出、しかも取り返しのつかない現状にまで至ってしまった。
射命丸文の監視……というのは、気分の良いものではなかったが、彼女の変化をいち早く感知出来、状況に応じた心配りを即座に発揮出来る位置にあるので、渋々ながらも引き受けていた仕事だ。新聞を辞めるなどと言う情緒不安定な文に、何か一つでもしてやれればと太郎坊に相談を持ちかけたのだが、結果がこれではどうしようもない。
千年天狗は、もう外へと出て行ってしまったのだろうか。自分が知る、近代日本国の実態を思い出し、多少憂鬱になる。あれから六十余年も経っているから、もう戦火に巻き込まれる事はないだろうと思いながらも、開国以来刻々と薄れて行く幻想の度合いを想うと、胸が苦しくなる。
ヒトの目が届かない場所などない。妖怪や神が人を驚かせる事もなければ、敬う事も少ないだろう。自分とて、そうして忘れられた神の一柱だ。人の信心無くして、妖怪も神も成り立たないのである。
そのように思いながら、消えてしまった彼女の寝室に入る。彼女が思い続けたものはなんだったのだろうか。慕うべき彼女が悩み続けた事とはなんだっただろうか。自分に、もっと相談してくれたなら、また別の道が見えたのではなかったのだろうか。
自分にそのような道を説いたのも、文だというのに。
結局、彼女が求めた価値観とは、なんだったのだろうか。
「……これは……」
ベッドの上には一冊のスクラップ帳が放置してある。内容はもちろん文々。新聞なのだが、時期が固まってある頁が開いたままになっている。ベッドに腰掛け、スクラップ帳を捲る。
文々。新聞 第四十二期 皐月の二
博麗の巫女殺害さる!
起こり得てはならない事件が起こった。人間と妖怪の仲介をしていた博麗の巫女が何者かによって殺害されたのだ。殺害現場は散々たる有様で、とても人間によっての犯行とは思えないものであった。博麗は結界守であると同時に結界存続の為に尽力してきた人物であり、この事から結界反対派の妖怪によるものだと推測されている。
結界施工に尽力した八雲氏は「幸い魂の確保は成り、依童の容易もあるので、博麗は直ぐに戻る。人妖ともに冷静になり、事態を荒立てない事が肝要」と冷静に語ってくれた。氏は細切れとなった博麗の遺骸を丁寧に拾い、食べたという。自分なりの供養なのだと、涙ながらに語っていた。
文々。新聞 第四十二季 皐月の四
妖怪の驕り
人妖の戦火が拡大して最早二年となるが、未だ双方とも矛を納めずに終わりのない戦いを続けている。妖怪は力が強い故に人を見下しがちであるが、その感情が正しく論理的であると言った証拠はどこにもない。我々妖怪とはヒトに見られて在ると言われている。外で幻想となり果てこの郷へ至ったものならば、少なくとも自覚出来る話ではなかっただろうか。ヒトが見、ヒトが恐れ、ヒトが嘯き、ヒトが伝えるからこそ妖怪は実体を持ち、人間よりも強くあれたと言えるだろう。
人里の賢者は「このまま争いが続けば、寿命が長い方が当然勝つだろう。しかし勝ち得た先に残るのは妖怪の自滅である。まずは話し合いの場を持ち、仲介者たる博麗との交渉に移るべきだ」と言っており、我々もこのような意見を蔑ろにせず、よく聞くべきではないのだろうか。
文々。新聞 第四十二期 皐月の十
死者数計測不能 まだまだ広がる人妖動乱
博麗が逝くという痛ましい事件も冷めやらぬ中、また新たな紛争によって死者が出た。御山東の平野に起こった人と妖怪の争いは熾烈を極めたらしく、双方ともに遺体がバラバラとなっていた為、個体数を数える事も出来ない程の惨状であった。
このままで良いわけがないのだ。文々。新聞記者の私は、人と妖怪の会合を持つようこの紙面にてお伝えする。場所は中立地帯である妖怪山山中の大沼、時刻は明日の夕刻とする。戦を望むものには丁重に、私射命丸文と防衛部全勢力がお引き取り願うようにする為、議論を望む人間、妖怪は是非参加されるように願う。
文々。新聞 第四十二期 皐月の十二
講和成立!! 人と妖怪の想いが一つに
大変喜ばしい展開となった。以前文々。新聞が主催した会合にて講和が成立し、人間と妖怪の不可侵条約が結ばれたのだ。暫定的なものであるが、今後はこの条約が指針となって幻想郷の平和を構築して行くことになる。この会合には人里から上白沢慧音女史、稗田家当主(御阿礼に非ず)、人里首長及び人間二十名。妖怪(広義の意味での妖怪)から八雲紫氏、八雲藍氏、西行寺幽々子氏その他妖怪三十名。そして彼岸から四季映姫・ヤマザナドゥなどが参加。事態収束の為に議論が交わされ、条約が結ばれるに至った。
今後不用意な戦闘、紛争があった場合、御山防衛部及び協力者が強制介入する事となる為、私的戦闘は控えなければならない。
不満は幾らでも上がると予想されているが、講和に尽力した八雲氏は継続的な介入と協力、そして時間が解決してくれるものだと話している。記者としては、この場に博麗の巫女が居なかった事がとても残念であった。
右の写真は会合の際に居合わせた妖怪の娘と人間の娘が戯れる姿である。我々大人の妖怪と人間が、このように出来る日がいつかくるのであろうか。八雲氏の語る通り、継続的な努力が要求されている。
文々。新聞 第四十二期 皐月の三十
ヒトと妖怪の大宴会
文々。新聞 第四十二期 水無月の十
人間代表が声明
文々。新聞 第四十二期 水無月の二十五
妖怪代表者数名を選出 不可侵条約継続化へ
文々。新聞 第四十二期 葉月の五
新博麗の巫女決まる 人間妖怪双方の仲介へ
文々。新聞 第四十二期 葉月の二十
終戦へ 二度と同じ過ちのなきことを
・
・
・
・
・
・
「……大切なものを失った……か」
載せられていた写真の原本を手に、頷く。
文とて常々話していた筈だ。なぜ幻想郷に人がいるのか。その理由は何かと。
所詮、自分たち幻想物は構成部分の大半が『ヒトが認識してこそある幻想の具現体』なのである。どれほどに力をつけようとも、人々が思い描く恐怖や畏怖がなければ、虚空も同じなのだ。
外には人がいるだろう。だが、はたして彼女を妖怪と認識する人間が、どれほどいる? だからこそ、ここは幻想郷であり、死滅した概念が行きつく場所なのだ。そこを出て行くなど、自殺とさほど変わりがない。
……。まだ、文は幻想郷にいるのだろうか。止めに行かねば。だが、だが、己だけではあまりにも無力だ。彼女に働きかけるだけの発言力も純粋な能力もない。
外に出る。開眼、神通。
「……」
千里先を見通す能力で幻想郷を見渡す。
「博麗……神社。やっぱり、いるじゃないですか……はぁ」
……文は博麗神社にいる。その憂鬱そうな顔は、まるで普段の射命丸文とは似ても似つかないものだ。もはや別モノ、と言っていい。
ここでひとつ疑問が生まれる。文は出て行くと言った。冗談には聞こえなかったし、嘘を吐いてもなんの得もない。言い切りって出て行って、まして人間に保護されるなど、彼女のプライドが許すところなのだろうか。
いや……とひとつ思いだす。太郎坊は策を用意していた筈だ。防衛部会議には参加して居ない為その詳細までは聞き及んでいないが、それ相応の手段が取られたと考えるのが妥当だろう。
何者かが文を引きとめたのだ。となれば、もう防衛部全体で動いているのだろう。自分のような木端ではどうしようもない事態だ。
さて、どうしたものかと思う。自ら博麗神社に乗り込んでも、文は否定するだろうし、下手をしたら博麗に追っ払われかねない。やはり、組織に頼らざるを得ないだろう。願わくば、太郎坊が文を丁重に扱ってくれる事を祈るしかないのだ。所詮自分は狗である。文に恩義を感じながらも、組織にも多大な恩を受けている。
……文は太郎坊を必死に否定している様子だが、太郎坊は違うと見える。ここはやはり相談するべきなのだろう。以前、文が新聞を辞めると言いだし、それを報告した折とて、あの厳つい顔を顰め、酷く心配している様子であった。
何かあるのだろう。では何だろうか。個人的な関心といえばそれまでだが、気になって仕方がない。
兎も角太郎坊の元へ行かねばならぬと思い、空を駆ける。
山の峯に立つ小さな庵が、空へ舞い上がった事でより小さく見えた。彼女の家は小さい。彼女の姉妹達は皆御山の各種役所に勤めているので、それ相応の家に住んでいるのだが、長女の彼女は否定するようにしている。仙人にでもなるつもりだったのか、いや、それにしては俗物すぎる。
そうだ。実に落ち着きがない。まるで、本当に子供のようだ。千年も経た妖怪とは、笑顔で、落ち着いており、無言の威圧感を持つものなのだが、彼女は違った。故に自分も文と仲良く出来ていたのだと思う。
……。
何もかもがあやしく見えてくる。あの情緒不安定な文は、何をどう思い、そして、こうなってしまったのか。
「おい、犬走」
「おや、狗三郎さん」
山を飛びはね、そろそろ本営に到着するというところで、小生意気な餓鬼の格好をした狗三郎に呼び止められる。犬耳に白髪で、どこか自分に似ているのは恐らく元の動物が同種故だろう。
「召集がかかったのに、何してるんだ?」
「はあ。実は密命で」
「……太郎坊様かよ」
「それじゃ急いでますから」
「おい」
「あのですね、私はおいじゃないですよ、隊長殿」
「射命丸文を狩りだすから、報告が終わったらさっさと来いよ」
「剣呑ですねえ。了承です」
彼はフンと鼻を鳴らしてどっかへ飛んで行った。対して歳も変わらないのに、まったく偉そうだ。とはいえ警備長殿の息子であるし、突っ込んだところで得るものがないのでそこは流す。組織は上下ありきであるし、別段と文句もないのだ。
それにしてもずいぶんと好戦的である。きっと文に叱られたのが気に入らなかったのだろう。その本人を指名手配犯として追っかけるのだから、当然やる気も溢れているのだ。
「白狼警備隊は人里担当である筈ですが」
「太郎坊様にご報告があります。通してくださいな」
「……椛ちゃんも大変ね」
「いえいえ。好きでやってますしね」
門番に挨拶し、本営内へと入る。いつも通りの館内である筈なのに、しかし緊張感が漂っていた。久し振りの有事なのだろう。守矢が御山を占拠した頃よりも緊迫している。警備隊員も事務員もあちこちを走りまわり、追われるように仕事をしていた。
「……備品みんな壊して……文様はまったく……ぶつぶつ」
「同族を指名手配ってのも気が引けるなあ……」
「しかもあの射命丸文様だぞ。太郎坊様の娘さんだし……」
「死ぬほど強いしね。本気出した文様なんて、誰が勝てるってのよ」
「同感。たぶん徒労に終わるわね。あ、椛ちゃんおはよー」
「お早うございます、あ、頭撫でないで撫でないで」
「アンタも大変ねえ。文様と仲が良いのに、辛いでしょう?」
「いつか何かする人だと思って準備していたので、大丈夫です。辛いの慣れっこです」
「いや関心。流石博麗をたたき落とす程度の能力」
「霊撃されると落ちますけどね。それじゃ」
これから文を捜索に行くであろう仲間達に挨拶し、統括室へと赴く。太郎坊の諜報役として活動している為、統括室の門番は自分を見るなり扉を開いてくれた。
門番に頭を下げて室内に入る。実に酷いあり様だ。あちこちにはまだ傷痕が残っており、この一件が終わるまで改装も手つかずになるであろうから、立派な筈の統括室もだいぶ威厳が減るものである。
太郎坊は何をするでもなく、窓から外を見上げていた。大きく、力も強い彼の背中だったが、今は一抹の哀愁が漂っている。
「ご報告します。文様は博麗神社に匿われている模様です。見たところ、博麗もかなり警戒しているらしく、並の警備隊が乗り込んだところで、これを確保出来るモノとは思えませんでした」
「御苦労……すまんな、色々と」
「皆言うんです。大変だろうとか、そう言う事を。大丈夫です、私は。それよりも、お聞きしたい事がたくさんあるんです。立場を弁えず、私は射命丸文の友人として太郎坊様に聞きたいんです」
「……何もかも、この儂の不手際だ。お前に説明しない訳にも行くまい」
「あ、アッサリですね」
「何がだ」
「もっと渋られるかと思いました。その場合は、ここに座り込みでしたが」
「はは……。お前には迷惑をかけているからな。それに……まともに文と付き合ってくれている奴なんていうのは、お前ぐらいなものだ」
「みんな、文さん……文様の良さを知らないんです。あんなに素敵な方なのに」
「何を考えているか解らないからだろう。アレは頭も良く、強く、そしてあまり人に心を開きたがらない。ヒトに関わる全てを自重しているのだ。若い言葉でなんだったかな」
「ウザい、ですか」
「そう。当たり前のことなのだ。奴は、そうでなければ生きられないのだから」
太郎坊は一度も此方に顔を向けず語り出す。ただ、ありのままを口にして行く。射命丸文という妖怪の起源、一体何が、彼女を凶行に走らせ、何故太郎坊が彼女に強制をするのか。
「あれは、千年ほど前のことだった」
大和の国を隅々まで行脚し、もはや回峰と名乗るのもおこがましい年月を踏破しつくした太郎坊が、その歩き納めとして選んだのが修験本山である金峯山(奈良県大峰山)だった。山頂にて蔵王権現を感得し、神変大菩薩(役行者)との対話を済ませ、これから何処を根城にし、隠遁生活を送ろうと考えながら下山していた時の事である。
太郎坊が連れ添っていた行者が、一人、また一人と消えて行く。霧も濃く、人間程度では死と隣り合わせである日を選んで山を行く人々であるから、太郎坊もまたこれも定めと、手を合わせるばかりであったのだが、どうも様子がおかしい。
山とは異界である。そして己もまた異界の住人だ。人が神を観、仏を観、そして死を見出すのが山であり、そこに登る事によって、より『あちらがわ』に近づき、この世の果てを見出し悟ろうというのが、修験である。
迷えば死、脚を滑らせれば死、力尽きれば死。
しかし、それら大自然から受ける洗礼ではない、もっと単純な死が身近にあったのだ。
――これは驚いた。
――……――――……――……
まさしく、神代の荒ぶる神を想像させる光景である。全長約五米におよぶ体躯を羽ばたかせ、白い霧の中を黒光りしながら、深い木々の合間を泳ぐ影があった。
ガァと啼くそれは、恐らくは鴉。ただ、単純でなければ、常識でもなく、悉く何もかもが異質の鴉である。
あらゆる苦難を乗り越え、山と仏と対話し、経を唱えながら常に浄土を見てきた己が、生を受けて初めて恐怖する瞬間であった。霊も妖怪もヒトも自然も、どれ一つとして直接的な死と見いだせなかった自分が、震え、怯え、愕然としたのだ。
まさかヤタか。いや違う。こんな化け物が、人を導く訳もない。とても神に遣わされたものとは思えない、そう感じさせるだけの怨みをこの大鴉に感じずにはいられなかった。
黄泉戸喫(よもつへぐい)でも食らったか大鴉。もはや現世のものとは思えんぞ。
くらわねば。
何。
くらわねば生きられぬ。蟲も腐肉も神も仏も。行者など特に旨くできておる。
何故に。
貯えがあろう。その身に蓄えた霊力があろう。行者は旨い。そしてお前は殊更美味そうだ。
悪食の外道か。調伏せねばなるまいて。
神主、巫女、仏法僧、陰陽師、修験者、あらゆる霊力を食らった外道が一匹そこにはいた。もはや退けぬ。己に訪れた最後の修行であろう。そうとしか思えなかった。雑密教の粋たる己が調伏せねばならない相手がこれだ。人間、最後に襲ってくる欲はやはり、食欲の権化なのだろう。
生きたければ喰わねばならない。歩きたければ喰わねばならない。生命であるには喰わねばならない。
つまるところ、更なる上があり、そして超越しなければならない壁があったのだ。山を説き法を説くには、この悪食を滅さねばならない。
覚悟を決めた太郎坊と大鴉の争いは三日三晩に及び、術という術、呪という呪を使い果たし、最後には使役していた護法童子まで逃げ出した。精も根も尽き果て、さて何に縋ろうかと思い立った時、結局は己しかないのだと悟る。
そしてこの世は、因果の捨拾選択を迫り境地を示す『色即是空、空即是色』であったのだ。
己が選び、そして最後に至った道で出会ったこの悪食は、因果の下で成り立つ尊いつながりである。
仏に感謝し、大鴉の胸倉を捕まえ、不動明王の真言を唱えながらぶん殴る。妖怪何者ぞと殴る。眠気も疲れも食欲も性欲もこの巫山戯けた現世も、お前ほどの化け物には敵わないと嘆き、殴る。
全ては繋がりのもとにある。お前とて逢うべくして逢ったのだ。繋がりを求めたのだ。
無い……強くならねば、食って、強くならねば、一人身で、生きられる強さを手に入れねば。
まだ言うか。
無いのだ、行者。我には縁がない。父はおらず、母は死んだ。そしてその腐肉を食らい、我はある。
まだ言うか。
ひとりなのだ。誰ともつながらぬのだ。我は、ひとりなのだ。
では私と繋がれ。御仏もまたそれが望みなのだ。
……。
応えよ。
我は……わ……わたしは……。
凶悪無比の妖力を振りまき御山を蹂躙した大鴉は、太郎坊の説法により調伏される。やがてその姿は在るべき姿へと戻り、静まる事となった。
一匹の鴉はそれ以来、付く事も離れる事もせず、常に太郎坊の近くに居た。それから、十年二十年と過ぎ、衰えのない人間……御山を駆けまわる天狗と化けたのは、およそ百年経ってからの事である。
六道輪廻へと帰依するものだとばかり思っていた太郎坊だったが、この変調には寛容であった。御仏は己へ現世救済の行を課したのだろう。死ねぬという事は、それだけの価値がある。では手始めに何を救うべきかと考えたのだが、結局は一番の気がかりに意識が行くのであった。
もう百年も自分の近くにおり、しかし一度も言葉を交わさぬ鴉である。
鴉は何も言わず、啼かず、笑わず、ずっとそこに居た。不思議なものでも見るようにして、太郎坊を観察し続けていたのだ。そこにどのような意図があったのかは、太郎坊も解らなかったが、百年も考える必要があるほど大切なものだったのだろう。
これ、降りてこぬか。いつまでそうしているつもりだ。
……。
言葉でも忘れたか。儂はこれから、お前のような奴等に救済を説く。お前もついてくるか。
……。
お前を救うには、どうすれば良いのか。それもまた、考えねばな。
……。なぜ。
何。
何故食わぬ。何も食わぬのか。己を捨て、何故ヒトの事ばかり考える。まして元人間のお前が。
現世は何処かしら腐れておる。そんな世を救おうという輩はまたゴマンといる。
ほう。
その中に儂のような奴が居ってもよかろう。欲はもう飽きたのだ。悪食はお前の調伏と共に失せた。
ほう。
儂は儂自身には何も求めん。ただヒトは傲慢で妖は愚かだ。説いて、分別をつけねばならない。
どこに求めているのだ。
強いて言えばお前だ。無駄に歳を食う事もなかろう。別の路を求めても良かろう。お前はどうするのだ。
行者。
何だ。
それがお前の幸福なのか。因果の捨拾選択なのか。お前のつながりはどこにある。
まさしく現世だ。御仏はそう望み、儂を天狗にしたのだろう。儂が分別の権化となろう。
……。我もついて行く。お前の見る世界を、まだ見ていたい。我は、お前としか繋がりがないのだ。
それもまた仏が迫る難題よの。
戦火を超え、飢饉を目にし、天災の無情さに涙し幾星霜。野を超え山を超え谷を行き、妖怪に説いて回り、またどれだけの月日がたったのか。終わりなき悲劇を百と七程体験し、百八めに辿り着いたのは、愛別離苦であった。
怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦、愛別離苦。世は無常だが、それでも生きて笑わねばな。
飢饉で全滅した村など幾つも見た。
そうよの。
戦で滅びた村など幾つも見た。
そうよの。
しかし、これは辛い。
そうよの。お前は母と死に別れたのであったな。
あの母はもう動かぬのか。躯に縋りつく童に何もしてやれぬのか。
儂等に出来る事など、焼いて焚き上げるくらいであろう。恐らくは疫病だ。
では、あの童はどうする。
肌に発疹があるだろう。もうじき死ぬ。
助からぬのか。
助からぬ。またそれも焼いて供養するしかなかろう。
強くはなれぬのか。あの童は強くなろうとはしないのか。
儂は例外だ。お前も例外だ。ヒトは弱い。
結滞な母であった。我を差別し育てた、愚か者だ。だが我は喰ったぞ。母を喰った。そして生きながらえた。
……。
……喰って、そして血肉となった。我の身体には母が眠る。我が生きているのも、母を喰ったからだ。
ヒトは、ヒトを喰わぬ。よほどでない限りな。そして喰ったからといって不老不死にはなれぬのだ。愛別離苦の何が辛い。お前は差別されて育てられたのだろう。
育てられた事実は変わらぬ。そして母を嫌ってはおらぬ。母は内に居る。
……。
我にとって幸福があるとするならば、もう一度やり直したい。強くなり、何ものにも犯されぬ家族が欲しい。そこには母がおり、父がおり、姉妹がいる。強くなった我を見てもらいたい。そして母に認めてもらいたいのだ。
死者は蘇らぬ。
解らぬぞ。世はこれほどに混沌とし、何が飛び出るかも解らぬのに、勝手に可能性を切り捨てるのは愚かではなかろうか、行者。さあ、もっと世を見るぞ。見てみて見尽くしたら、次は安住の地を得よう。そこで可能性を探求しよう。
……。それが望か。
そうだ。我は強くなり、家族を持つ。何ものにも虐げられない理想郷(家族)を築くのだ。
鴉は太郎坊の前に降り、その姿を変えて行く。百と五十年の歳月を化け物として暮らした妖怪は、転じ、無垢な少女へと変貌を遂げる。黒く深い緑の髪は鴉の羽根を想わせ、白く透き通った肌は妖怪に似つかわしくない純粋さを湛えていた。鴉にとっての理想がその姿であったのだろう。
……如何にした。
空から見下ろすのも飽きたの。お前と一緒に地を踏みしめながら生きていたなら、また別の可能性が見出せるかもしれない。付き合ってくれるでしょう、太郎坊。
この旅はお前の救済も含まれる。かまわぬさ。
ヒトの形を模した鴉は、太郎坊の手を取る。諸行無常の世を共に歩もうというのだ。太郎坊にも迷いはない。得るべくして得た繋がりがこれなのだ。救済への道はこの『少女』から始まる。神も仏も人も妖も、四苦八苦からは決して逃れられない世であるが、だからこそ一人でも多くの者達を救わねばならない。
己の選んだ道で、笑顔の一つでも咲くのならば、それに越した事などないのだ。
この終わらぬ命は、救済のためにある。そしてこの少女の為にある。どれだけかかろうとも、少女には現実を理解させ、新しい幸せを見出してもらわねばならない。
子などもった事のない太郎坊であったが、柔らかく温かい手を握っていると、まるで親の情のようなモノが湧出する気がした。
……。
「それからも、儂は文と暮らし、生きてきた。儂は本当の娘のように、文を愛していたつもりだ。何度も説いたし、何度も叱ったし、何度も褒めた。過ぎた時が長すぎて、もう薄れてしまった記憶だが、儂にも、そして文にも決して無駄な時間ではなかった筈だ。大和を歩きつくし、この世の無情を受け入れ、そして至った幻想郷で安住を得、生きて来た。文は幻想郷を心から好いている。奴の思い描く理想はまさしくココにしかないのだ。いや……正しくは、ココでしか実現し得ないのだ」
「文様は……未だ、家族の……その、復活を夢見ているんですね」
「儂は気が付いてしまったのだ。奴を妖怪たらしめるものは何なのか、と」
「それは……」
「念だ。情だ。奴は理想を実現しようという、深い情念の具現なのだ。だから、幾ら儂が説法しようとも聞かぬし、意味もない。他の価値観を認めようとはしないのだ。先に言ったであろう、何故文が『ウザい』のかと」
「はい」
「文は新しい価値観を知っている。知っていて、実行しようとはしない。アイツがあの歳で、歳端も行かぬ少女体であるのも、人から嫌われる行いをするのも、その癪に障る言葉も、絶対に『好かれたくない』からなのだ」
「じゃあ、その価値観というのは」
「旧来の家族ではなく。新しい家族を作り、そこに幸せを見出す行為だ。儂の養子になれと言った時も、相当に嫌がられたな。儂と文の不仲はそこにも起因する。家族を持ちたくないのだ。そして、自分から男とくっ付こうという気も、自制している」
「……では、何故太郎坊様は、解っていながら文様に強要しようとしたのですか」
「卵があるだろう」
「文様の、ですか」
「卵は、文の心的外傷の産物だ。また腐らせて地に埋めるのだろう。数十年毎にそうやってきたのだ。その都度……あいつは情緒不安定になる。もしあの卵が割れたのならば最悪だ。それは、幻想郷にとっても良くはない。約八十年前、人と妖怪が小競り合いをしていた頃があっただろう」
「博麗大結界での隔離後の小競り合いですね」
「あの時……」
とつとつと、真相を明かす太郎坊の話を聞きながら、犬走椛は、酷い違和感に駆られていた。あの悩み一つなさそうに生きる天狗に、果たして本当にそのような過去があったのか。すべては太郎坊の話でしかなく、これを確かめる術はないに等しい。
そんな椛の表情を読み取ったのか、太郎坊は話を止める。
「無理もない。恐らくお前は、奴の良い部分しか見ていないのだ。正確には見せていないのかもしれんな。アレは、お前が思っている以上に厄介な妖怪であり、そして天狗最強の化け物だ」
「私には、解らないんです」
「何がだ」
「文様は、私にとっても良くしてくれます。からかったり、馬鹿にしたり、悪戯したりしますけど、とても太郎坊様のおっしゃる射命丸文像と、合致しないんです」
「……思うところがあるのだな」
「はい。私は文様に救われました。種族も違うのに、親身になって私に助力してくれました。そしてそれは今だって変わりません。私が悩めば彼女が手を差し伸べてくれます。私の冗談に笑ってくれます。私を受け入れてくれます。傷ついた私を保護して、あらゆる知識を授けてくれたのは、ほかならぬ文様です。私は母も死んでしまいましたけれど、その、文様は、まるで……」
「母のようであった、と」
「……はい。他の人たちにどんな接し方をしているかなんて、私は知りません。でも、文様は少なくとも私を慕ってくれます。私を助けてくれます。そんな文様を、私は助けたいんです。太郎坊様、この度だけでも、見逃してはくれませんか」
「……。無理な相談だ。あの情緒不安定な天狗を、放置できるわけがない。卵が割れた八十年前、幻想郷でもっとも人を殺し妖怪をブチのめしたのは、他でもない、射命丸文なのだ。あの頃は良かっただろう。それでバランスが取れた。だが今は困る……親として、御山の守護として、奴を手元に置かねば」
「引っ立てて、どうする気ですか」
「卵は取り上げて、幽閉だろう」
「同意しかねます。では、私は一人で行きますから」
「……誰に似たのか、頑固だな」
「そりゃあ、そうですよ」
「奴は、当時親友を殺害した。お前が行って殺されれば、また奴のトラウマが増えるばかりだ」
「……」
「もう、文に辛い思いはさせたくないのだ。多少嫌でも、儂の庇護下に入ってもらえれば、どうとでもなるものだというのに」
「文様は」
「……なんだ」
「文様は、手を差し伸べて貰いたいんです。自分じゃあどうしようもなくなってしまった心を、開いてくれる人を欲している。過去、そんな人がいた筈なのに、自分の手で殺してしまった、そうですね」
「……行くのか。儂の命に背いても」
「放っておけませんから。たぶん、私がいかなきゃいけないんです」
「帰って来る頃、お前の役職はないかもしれんぞ?」
「知りませんよ、そんな事」
「――しかし……奴は……執着を失えば……奴から妄念を取り除いてしまえば……」
「それが逃げなのです。文様も、太郎坊様も、逃げてきた。今こそ、立ち向かわなければ」
「お前はそれでいいのか」
「きっと答えはあります」
「……そうか」
太郎坊に背中を向け、ボロボロの統括室を後にする。太郎坊の物言いは乱暴だが、間違いなく射命丸文を想っての言葉だ。椛がそれに対して反発するのも、筋違いである。
とはいえ、捨てておけない事実があるのだ。射命丸文は、自分にとってかけがえのない人だ。いつか、救ってくれたその恩を返す日があるとするならば、まさしく今しかない。普段、あれだけ明るく、不機嫌も知らなそうな文が、いつまでもふさぎ込み、そして自暴自棄になる姿など、見たくないし、そんな想いをさせたくない。
本営を出て空を目指す。
今かけてやれる言葉がある筈だ。
「文さん、今いきますから、椛は、行きますから!!」
どんな現実が待ち受けていようとも、乗り越えられるのだという確固たる意識が芽生える。もし太郎坊の語る救済があるとすれば、それは間違いなく自分なのだ。
あのスクラップ帳を見れば、解るではないか。
彼女は助けを求めている。そして謝罪する事を求めている。自分の在り方に決着をつけようと、もがきながら、暴れながら、それでも至れない現実に苦悶している。
誰にも優しく出来ないものだと、信じ切っている。誰にも優しくする資格など無いと決め込んでいる。後ろめたい過去に引きずられながら、そうも出来ずにいつまでも子供であり続けようとしている。新聞に嘘を書いて、己を保身してしまうほどに、新聞に真実を書き続けて、贖罪してしまうほどに。古い新聞を書きなおし、幾度も読み返してしまうほどに。
彼女は彼女自身を恐怖しているのだ。
打開せねば。
彼女の答えはまさしく犬走椛なのだ。後悔の先に現れた、一瞬の揺らぎは、自分自身なのだから。
会わねば。
射命丸文に。もっとも慕い、そして恩を返すべき相手に。
不運にも重ねられてしまった彼女の枷を、取り払わねば。
それが例え、最悪の選択であってもだ。
五、我想うが故に我はあれど
「私は嘘を吐きました。霊夢さん」
翌日の昼。自分は霊夢に話を切り出した。霊夢は縁側でお茶を啜っていたが、その手を止める事もなく『ああそう』とだけ受け答える。
嘘というのは他でもない。新聞に本腰を入れた切欠である。
「知ってるわよ。アンタの過去でしょう」
「あら、ご存じで。軽蔑しましたか?」
「別に。私自身が被害を被った訳じゃないもの」
「あはは……あの時はしばらく、事情を知った人は口を聞いてくれませんでしたよ」
「そりゃあ……まあ、人間六十人をミンチ肉にして、妖怪五十匹を一年間再起不能にしたら、そりゃ嫌われるでしょうさ。隠したくなる気持ちも解るわ」
「何処まで……」
「一応、博麗の巫女なのよ。幻想郷の危機に関して、知識がない訳じゃないわ。今から八十年前の春。小競り合いを続けていた人間と妖怪の間を割って全てをしっちゃかめっちゃかにしたのがアンタ。そしてねつ造記事でそれを隠したのも、アンタ」
「……はは。もう一人、別にも殺してしまっているんですが」
「へえ。で?」
霊夢の目は変わらない。いつの時代の博麗もそうであったように、妖怪と人間の争いに関しては達観している。スペルカード制定者であるというのも、実に頷ける話なのだ。彼女は争いを当然と受け止め、絶対終わりがないと知っているからこそ、戦闘をスポーツに転換した。八雲あたりの入れ知恵もあったのだろうが、博麗が口にしたからこそ実現し得たものである。
だからこそ話せるものなのだろと思うのだ。博麗だからこそ、射命丸文という人物を客観視してくれる。
「現状を、どこまでご存じですか」
「山に追われてるって事ぐらいしか知らないわ。新聞辞める話から、どうしてここまで飛躍して、私に保護されるまでに至ったりするのかしら」
「……。新聞、ですか。そうですね。新聞を本気で始める切欠となった話も、脚色があります」
「ああ、結局かかわってるのね。じゃあその卵もかしら」
「……これだから巫女の直感は恐ろしいのです」
霊夢からお茶を受け取り、隣に腰を掛ける。少し曇り気味の空を見つめながら、あの時もこんな空でしたと呟いて、過去への邂逅を始める。
幻想郷の小競り合いに終わりは見えていなかった。折角の理想郷も、博麗大結界という異質の隔離によってその様相を変え始めたのである。八雲紫ほか、結界初代博麗も、長期的に見た幻想郷平和の為に結界を施工したのだ。それを喜ぶのは、当然ある程度知識があり、先の見えている者達である。近代化の波が押し寄せ、幻想がドンドンと膨れ上がって来るこの時代に、何の防壁も持たない独立地帯は、その儚き幻想も蹂躙されるだけである。
故の結界であったのだが……そのような見識のある者は少数で、大半が隔離されたという恐怖を味わっていた。妖怪が大挙として押し寄せた場合、何処に逃げれば良いのか。人間が妖怪を絶滅させようと立ち上がった時、何処に逃げれば良いのか。
隔離によって生まれたのは、酷い疑心暗鬼である。
情報よりも直観。未来の幸せよりも目先の幸せというのは、人妖双方とも変わりがなかったのだ。
しばらくのにらみ合いが続き、そして戦火の切欠となったのは妖怪が人の子を喰った事に始まる。年長妖怪や力ある退魔師達の配慮は空しく散り、つぶし合いが始まった。
文は、もう見慣れた光景である。長い年月を外の世界で暮らし、そしてその愚かさを身にしみて実感している文にとり、何時かこうなってしまうのではないかという予見があったからだ。人と妖怪の共生。聞こえは美しいが、さあヤレと言われて簡単に出来るものではない。
外では世界の覇権を争い始めた時期だ。人間同士ですら争うというのに、根本から違う存在と分かち合えというのが無理な話なのである。
妖怪が封印され、人が消えて行く。自分の好きだった場所が犯されて往くような気がして、文はこの争いには参加しなかった。防衛部からお声がかかろうとも、それは無視し続けたのだ。
そんなある日。
文は卵を身ごもる。過去の経験から、しばらくは一人大人しくするべきだとしていた。どうせまた父が五月蠅いのであるし、下手をすれば幽閉されかねない。卵を産み、そして失う悲しみは想像を絶し、自分自身に見境がつかなくなる。
どこへ行くにも卵を抱えて歩いた。何をするにも卵と一緒であった。決して生まれる事などないと知っていながら、他にどうする事も出来ないのだ。
卵を捨てる。出来たらどれだけ幸せな事だろうか。
射命丸文は、一度母に棄てられかけた。卵を温める事を拒否されたのだ。水子への恐怖と言えよう。
自分は男と交わった事など無いが、もし、万が一、何か間違いがあり、神様の手違いがあって、これが受精卵であった場合、卵の放棄は母と同じ行いになってしまう。
自分には到底出来ないものだった。初めて卵を宿した折、自分は父に強く言われ、その卵を供養所へと持って行った。まさか目の前で割られるとも知らずにである。
結果、中から出てきたものは何だったか。
「――中から出てきたものは、鴉の死体でした。雛じゃありません。小さい、黒い、鴉の死体です」
「死体を、産んだの?」
「はい。死体を産みました。皆は驚き、私は卒倒しました。到底耐えられる精神的苦痛じゃありませんでしたから。父を避けるようになったのは、それからです」
「それで、八十年前の卵はどうだったの」
「……う……ぐっ……くっ……」
「割れたか、割られたのね」
「……割られ、ました」
「そして割ったソイツを殺害したと」
「……親友だったんです。あまり人に好かれるような事をしない私ですから、友達なんて少なかった。人間であった彼女が、細切れになって、吹き飛びました。……もう、そこからはあまり覚えていないんです。とにかく、血なまぐさくて、視界が真っ赤だったことくらいしか……」
「人間の被害数が六十二人。家畜が六匹。妖怪が四十八匹。何をしたらこうなるのやら」
「収まりがつかなかったのでしょう。意識を取り戻した私は、至って普通でした。父達に自分のした事を聞いた後は、それをひた隠すので必死でした。以前にとりから貰ったカメラ、八雲さんから貰ったフラッシュとフィルムでねつ造写真を作り、新聞で自分の出した被害を全部他人の所為にして、非戦反戦を煽って、すべて、隠したつもりです……」
「でも、結果おさまったのでしょ」
「だから、私は新聞を続けました。もう嘘は書けないと思って、真実を追求して行きました。カメラは何も悪くないのに、私にねつ造されたんです。だから、本当の事を映して行こうと」
「苦痛じゃなかったの?」
「苦痛でしたけど……しばらくして、すごく、楽しくなったんです。私が書いた新聞をみんなが読む。それはつまり、私を認めてくれる事に通じるんじゃないかと……錯覚して」
「結局、自己保身だったのね」
「はい。情緒が不安定になる度、隠していた本当の気持ちが湧きあがって、新聞を辞めたくなりました。そして、結果がこれです。父は私に言いました。新聞は精神安定剤でしたから、新聞を辞めるなら、絶対に天狗の役所で働けと。幻想郷の為にも、お前の為にも、私の近くで暮らせと、そういって」
「で、その約束を蹴とばした、と」
「次はありません。もし、私が今卵を割ってしまったのなら、同じ悲劇が起こるでしょう。私はこの歳になって、あれを自制する術を持ち得ません。父は私を拘束して、卵を確保したいのでしょう。こっちとしては真っ平御免です。だから、外に出してもらいたいんです。私は……大好きな幻想郷を、壊したくない」
「参ったわね。自分勝手な上に、面倒なほど根が深いわ。でも出せない」
「何故ですか」
「逃げてもしょうがないわ。向き合わなきゃいけないことだってあるでしょう」
「他人事だと思って、サラリと言いますね」
「親身になってるつもりよ。私は幻想郷の守護者だもの」
「……そうでした」
解っていた事だが、話は平行線だ。この頑固な博麗が、そう簡単に頭を縦に振る訳もない。後に出来るものといえば、卵を割らず、大人しくしている事ぐらいだろう。多少の情緒不安定で暴れる程度なら、博麗がなんとかしてくれる。これは人の身であるが、受け継がれた歴史が違う。中程度の自分と同格の力を持っている。いざとなれば、おそらく八雲紫が出てくるだろう。
……。
それは、良いのだが。
己の進退を問う場合、正解とは言い難かった。いつまでもこんな時限爆弾を抱えている訳にもいかない。その都度博麗にお世話になるのは、あまりにも恥ずかしい。とはいえ、抑えきれない破壊衝動と、どう向き合うかなど答えは出ないのだ。
思考は堂々巡りする。
「軽蔑、しましたか?」
「さっきも言ったじゃない。しないわよ。妖怪は人を殺す。当たり前よ。アンタの殺した数なんて、紫が神隠しした数の千分の一でしょう。レミリアが血を吸って殺した人間の百分の一でしょう。いちいち軽蔑してたらね、ココじゃ暮らしていけないわ。別に、アンタは私を殺すつもりなんてないのでしょう?」
「あ……う……そう、です。私は別に霊夢さんを殺すつもりなんてありません。寧ろ好意的かと」
「それもキモイけど。だから、アンタはしばらくここにいなさいよ。落ち着いたら、山に謝りにいけばいいわ。軽くなった身と頭なら、正しい判断くらい下せるでしょう」
「……れ、霊夢さん?」
「何かしら」
「ちょっとドキッとしました。心の広い方だったんですね」
「だからくっつくな……私にくっついたって子供は産まれないわよ」
「そうですね。想像妊娠で卵を産むとまた厄介ですし」
「あのねえ……」
「さて……冗談はそれとして」
「何よ」
「そろそろ、御山連中がかぎつける頃でしょう。まして、椛の千里眼からは逃げられませんしね」
「そうだったわね――ああ、来た来た」
「……空が黒い」
霊夢は湯呑みを盆に戻すと、庭に出て大きく背伸びをした。
背伸びをして……どうするのだろうか。
「アンタはお姫様よろしく、そこで大人しくしてなさい。あいつ等と交渉するぐらいには減らすから」
「ちょ、ちょっと。どうみても二百はいますよ、アレ」
雲は厚く、光もわずかしか届かないというのに、空を舞う天狗の群れは更にそれを覆い隠していた。防衛部が自分を捕える為に、何かしらの策は弄するのであろうと考えてはいたが……あれではもはや単純暴力の塊である。策もへったくれもあったものではない。防衛部は戦争でもする気でいるのだろうか。
更に言えば、この紅白は何故そんなにやる気満々でいるのか。一体どのような義理があるというのか。こんなものと正面衝突して、いくら博麗でも勝てる訳がない。空に目を凝らしてみれば、烏合の衆の真中あたりには中堅クラス以上の鴉天狗も控えている。
「霊夢さん、私を外に出してください。そうしなきゃ、殺されちゃいますよ?」
「阿呆らし。きっとこれは異変なのよ」
「は、はあ」
「言い事聞かせてもらったわ。だから解決する。しっかり取材なさい」
「取材なんて……」
「私の中では八十年も続いてる異変なのよ。そろそろ解決させなさい」
「はち……じゅう?」
「――馬鹿ね。『前の私とは』あんなに仲良くしていたじゃない」
「――ッ」
それだけ告げて、博麗霊夢は天狗の群れへと突っ込んで行く。自分は何も声を掛けてやれないまま、棒立ちするほかなかった。
……なんてことだ。
彼女は覚えている。友人も碌に作ろうとせず、否定し続けた自分に、唯一語りかけてくれた過去を。彼女の顔を見る度に後ろめたい気持ちに駆られていた。何度謝ろうと思い、諦めてきたことか。
当たり前だ。覚えていたのなら、殺す程に憎んでいる筈だったのだから。
博麗は、何食わぬ顔で射命丸文と再会し、何食わぬ顔で射命丸文と言葉を交わした。何故なのか。
八十年前、卵を割ったのは博麗だ。そして、怒りのままに殺害したのは、自分である。だというのに、彼女は、覚えているクセに、自分を責めようとはしない。
まして、この愚か者を護るというのだろうか。
「何故……何故!!」
――文は、この卵をどうするの?
――温めます。温めるだけですが。この中には、生命はないんですよ。
――なのに、何が辛いの?
――棄てられないんです。私は、卵の時に棄てられかけた。だから、棄てるなんてマネが出来ないんです。
――太郎坊に聞いたわ。貴女は新しい価値観を認められないって。
――おしゃべりな父上ですね。
――貸してよ。
――割らないで……くださいよ?
――文は向き合うべきよ。いつまでも、過去を引きずっていては、幻想郷で幸せになんてなれないわ。
卵の割れる音が聞こえる。
※
博麗霊夢にとり、今こそが悲願成就の時であったこれを逃せば、次は別の代の博麗まで待たねばならない。
自分ならば彼女に幸せを齎す事が出来るであろうと、信じて疑わず、愚かしくあったあの頃。
自分こそ、この郷にあり、未だ執着を捨てきれずにいる彼女に、新しい道を開けるのだと思い込んでいたあの頃。
何もかもが浅はかであったし、すべての配慮に足りていなかった。
神社で一人、幻想郷を見渡しながら、淡々と日々を繰り返してきた自分。変わる事のない日々を歩み、終わる事のない輪廻にたゆたい、郷と運命を共にする博麗という奴は、関心という心が欠如していた。
「博麗一人です。山ン本隊長、如何しますか」
「お前らで抑えておけ。俺は、射命丸を捕えに行く」
「……しかし、射命丸文ですよ?」
「それでも」
「了解です」
「はン。舐められたものねえ」
博麗は幻想郷の巫女である。そして幻想郷の体現者であり代弁者だ。そこには雑念や雑感は不必要であり、装置としての機能を求められていた。いつから自分が巫女であったのかなどといった情報はいらず、無機質に振る舞い、無機質に生きる必要があった。
肉体は器である。そして己本体という奴は、所謂御阿礼同様の魂でしかない。何ものかが器を選定し、何ものかの器に己を埋める。出来上がるものは、強制的に人間の『式』を組みかえられた人造人間だ。
維持し、継続する事が目的であって、ヒトと交流する事はなく、存在する事だけが求められるのが、博麗だ。
もう何代と繰り返してきた。もう何代とそのように過ごしてきた。
あの、変な天狗が来るまでは。
「ガッ――――ッッ!!」
「遅い鈍いかったるい!! 下っぱ天狗が博麗の巫女に敵う訳がないでしょうがッ!!」
「もう五人目だぞ!! 警備隊の名前は飾り物か!!」
「でもあいつ、た、弾が当たらなくて!! まるで、何もかもすり抜けるみたいにっ!」
「ほら、ぼやぼやしてると全員ぶっとばすわよッ」
一人の天狗が神社に現れた。飄々としており、発言の節々にイヤミがあり、酷く不愉快な奴だったと、よく覚えている。天狗は人と妖怪の争いについて意見を聞きたいなぞという名目で現れたのだが、それ以降もちょくちょくと自分へと逢いに来るようになった。
何故だと聞けば、笑顔がないからと言われた。自分が住むと決めたこの素晴らしい幻想郷で、幻想郷守が不愉快な顔をしているなんていうのは、許せないのだという。
何故だと聞けば、彼女は笑った。
この郷は、自分の理想を再現する為にあるのだという。誰にも邪魔されず、誰にも疎まれず、誰にも差別されず、何の脅威もなく、ヒトも妖怪も笑顔で、愁いも抱かず、ただ暮らし続けるという、ある意味で死滅した幻想を再現する場所で、自分は幸せを築くものである、と。そんな郷で巫女が笑わぬなど、笑えないというのだ。
何を築きたいのかと問えば、また彼女は笑った。
家族。自分が持ち得る筈であった、可能性を求めているのだと。そういう。
逆に、お前に家族はあるのかと問われる。自分は答えられず、言い淀んだ。
「部隊壊滅!! 鴉天狗掃討隊に向けた霊力を感知!! 夢想封印来ます!!」
「あの子はまだ乗り越えなきゃいけないものがあるのよ、闘わなきゃ得られないものがあるのよッ」
「な、何をいって――」
「現代最後のチャンス、逃してなるものかってんですッ!! 次の博麗は忘れているかもしれないのにッ!!」
「突っ込んでくるぞ!! 総員構えぇぇぇぇッッ!!」
「彼女には可能性がある!! 目を覚まさせなきゃいけないのよ!! いつまでも、卵の中身を夢見てる、あの大馬鹿者を、叩き起こしてやらなきゃならないのよっ!!」
それから、天狗は毎日通うようになった。無愛想な自分に語りかけ、触れあい、果ては飯まで作るようになる。どうしてそんな事をするのかと問うたが、彼女ははにかんで、答えは出さなかった。
毎日毎日、現れては笑い、現れては小言を言い、現れては安否確認するのである。昨日も見たのに、そうちょくちょく体調が変わるものかと文句をつければ、天狗は悲しそうな顔で自分に言うのだ。危うい、と。
まるで表情のないお前は危うくて、一人にはしておけないと。お前が死ねば少なからず幻想郷に影響が出るだろうから、ちゃんと見ておかなければならない、と。幻想郷の終わりは、天狗、射命丸文の理想の終わりでもあるから、潰えさせてはならないのだ、と。
――まるで、お母さんみたい。いつも子供の心配をして、自分の事はほったらかしなのだもの。
……。自分には家族もいない。だが、それは、生物としてなのだろうか。どうしても、このお節介に対して、母という比喩をぶつけてやらずにはいられなかったのだ。自分は人間で、彼女は天狗だというのに。
それを聞いた射命丸文は、目をパチクリとさせ、開口し、声を失い、愕然としていた。
自分が否定してきた価値観を、自ら再現してしまったと、そのように言う。この郷で、死んでしまった家族たちの復活を願い、生きてきたというのに、自分が新しい家族を作ろうとしていた、と。
去ろうとする文を……自分は、引きとめた。
文にとって、博麗霊夢は幻想郷の要であるから守りたかっただけなのかもしれない。だが、博麗霊夢が受けた待遇は、今更になって忘れられない家族の温かさであった。離せという声も聞かずにしがみつき、この身となって初めて、声を上げて泣いた。
「……どうやって止めればいい、どうすればいい」
「白旗をあげましょうか。この博麗は……異常です。上層部でも連れてきますか?」
「まだ、まだだ。人間一人に十個警備隊壊滅なんて、幻想郷一生の笑いものだ」
「みな納得すると思いますけど……博麗ですし」
「ぬぬぬぬ……ッ」
「――はあッ……はあ……――はっ……あとからあとから湧いてきて……何匹いるのよ、小五月蠅い……」
「狗衛門殿の御子息は」
「文様……じゃなかった、射命丸文へ特攻に。勝てないでしょう」
「……」
「次は!! 誰!! もう面倒だから全部かかってきなさいよ!!」
「……何がアイツをこうさせるんだろうか……」
「さあ……あ、弾幕きます」
「絶対捕える。拘束鎖を」
「はい」
博麗霊夢は、射命丸文に母を見出していた。
無機物であった筈の己に去来した感情は、既に払拭するにはあまりにも深く染み込んでいたのだ。
ある日は身の回りの世話を焼き、ある日はつまらない話を延々繰り広げ、ある日は笑い、ある日は泣き、自分の知らない家族という概念に、博麗霊夢は陶酔していた。自分にもあったかもしれない可能性は、捨てるには温かすぎたし、壊すには尊すぎた。
そんな折――射命丸文は、卵を持って、現れた。
ただの無精卵だと言われたが、文はまるで子のように毎日毎日、その卵を愛でていた。
……。
ふと、そこに。
歪な感情が芽生える。
正論で肉付けされた感情は、日増しに膨れ上がって行くのだ。
人間と妖怪の争いが続き、事あるごとに御山の連中と協議を重ねる日々が続いていたのだが、ここで一人の人物と知り合う事となる。それが射命丸文の義父、射命丸太郎坊である。
自分は射命丸文と仲良くしていると挨拶すれば、彼はまた嬉しそうに頷き、その様子を聞き出し始めた。文が良くしてくれる事、大切な友人であるという事、様々だが、その中でも文が卵を産んだという話に、太郎坊は興味を示した。
そこで初めて、射命丸文の過去を知る。彼女が旧家族への想いを捨てられないでいる事、新しい家族を作ろうとしない事。そういった頑なな想いをどうにか解いて、もっと幸せな生を歩んでほしいと言われる。
自分は、彼女を母のように慕っていると、そのように告げる。
太郎坊は、酷く喜んだ様子で、涙ながらに頭を下げていた。
……。
旧来の家族への想い。生まれるはずのない卵への愛着。
自分は知っていた。
あの卵には……彼女のユメミルセカイが詰まっている事を。
そうして、己は割ったのだ。射命丸文の、一番大切な家族を。
「今の私なら、純粋な気持ちであの卵をぶち割れる!! ぶち割って、あいつを目覚めさせなきゃいけない!! お前ら天狗に、連れていかれてなるものですかぁぁッッ!!」
「突っ込んで来たぞ!! いまだ!!」
自分は――
「文……!! 文……!! うっ……うぅぅ……ッッ」
自分は――間違っていただろうか?
「くおっ……んんんんのぉぉぉぉぉッッ」
「こいつ……鎖を……ッ」
自分は――彼女を……。
「駄目です、耐久が持ちません。破られます」
「捕える必要はありませんよ」
「お前は……」
「お話します。皆さん、下がってください」
「い、一介の隊員が何を言っているんだ、犬走」
「霊夢さん」
「アンタは……妖怪山の」
「もう、静まってください。お話しましょう」
自分は――愛していたからこそ、卵を割ったのだ。
「文さんを護ろうという気概には恐れいります。けれども、真実を知って貴女は、本当に卵を割れますか」
「なんですって?」
自分を捕えていた鎖が、霊力の耐久限界を超えて弾け散る。突如現れた犬走椛は霊夢の前へと立ちはだかり、その強い力を秘めた瞳で、此方をジッと見つめていた。
他の天狗達は、奇怪なものを見るような眼でいたが、いつもは子犬扱いされる椛の尋常ならざる気配に気が付き、距離を取り始める。
「どういう事」
「良く働く頭で考えてください。彼女が何を想い、何の為に生きたのか。彼女が存在し得る理由を」
「……」
「それでも、私は割ります。私には覚悟がある。彼女への想いがある。本当に救うべき道が見える」
「ふん、知ったかぶって。アンタに文の何が解る」
「――そうですか」
椛は自分の横を素通りし、境内へと降りて行く。自分はどうするべきかと考えたところで、天狗の代表らしき者が近寄り、声掛けてきた。
「……五十七名だ。やられたのは。このままでは引けぬぞ」
「ちょっと待ってなさい。今、決着つけてくるから」
「何?」
「少し黙ってなさいよ。終わらせるんだから。そのあと、文を捕えれば良い――別に最後までここでやり合ってもいいわよ。ただ、その時は八雲紫を呼ぶ。アンタ等が束になっても敵わないでしょうね。こっちも、なりふり構ってられないのよ」
「――渡すのだな」
「ええ。あとでね。あの子に感謝なさい」
流石の増上慢達も、八雲の名前を出されてたじろいだと見える。八雲と博麗の決定的な繋がりは、御山も知る所にあるからだ。自分は天狗を睨みつけ、早く退くようにと促す。
境内を見降ろし、そこには何があったかと確認する。最早後戻りなど出来ぬ状況。
今こそ、立ち向かわねば。
※
一時の感情であった筈なのだ。
しかし、どうしても、彼女を放っておけなかった。手にかける度に感情を芽生えさせ、構う度に表情を豊かにしていった。
無機物が有機物に変わる。石仏が生身の人間へと変化して行く。どれほどに楽しかったか、どれほどに愛しかったか、思い出せば思い出すだけ、胸が痛くなる。
博麗霊夢。その数奇にして波乱の生を歩む巫女に、己がしてやれる事の全てを施した。
いつしか、娘のように可愛がっていたのだ。それに気が付き、絶望し……しかし、博麗は受け入れてくれた。幸せになって行く実感を得て、こんな優しい思いが続くのならば、もはや既存の価値観など、薄れて行くものだろうとまで、思っていた。
だが……卵とともに、すべてが想起された。己から産まれ出でたこれは……。
「……霊夢さん。あれはただの死体なんかじゃないんです。あれは……私が食らい、内包した肉。姉です」
己は姉を産んだのだ。次に産んだ卵は妹だった。姉妹を、次の時期も、次の次期も産んだ。
そして、五匹いた姉妹、すべての『遺骸』を産み終わった。
では、最後に残る、この卵は……何か。
己の手のうちにあり、冷たく、何の反応も無いこの卵の内に秘められたものは。
「これは……母。私は、母を産んだ。きっと、死体でしょうけどね」
遠くの空では、博麗霊夢が暴れまわっている。なんと強い事だろうか。なんと恐ろしい事だろうか。自分を殺した者を護る為に、彼女は命を削っている。
博麗に卵を割られて以来、卵を割られた恨みと、殺してしまった罪悪感で、近寄る事も出来なかった。久し振りに出会った彼女は、何もかもを忘れた表情で居た。自分も、それならば付き合えると思い、近づいたのだ。
だが、彼女は覚えていた。
そして、闘っている。
あれだけ愛したのに。あれだけ慕っていたのに。卵を目の前にし、自分は彼女を殺した。思えば、思うほどに、愚かである。生まれ出でれば腐るだけの卵と、今を生きる生物を天秤にかけ、卵を重くするなど、どうかしているとしか、考えられない。
謝りたかったのだ。許してほしかったのだ。
殺してしまった責任と、新聞をねつ造してまで隠した過去を、清算したかった。
「……しゃ、射命丸文!! 殺妖未遂、内乱罪、その他諸々の諸犯罪で、お前を拘束するッ」
「やあ、これはこれは。狗衛門の息子さんじゃありませんか」
「狗三郎だッ!!」
「小さい頃の狗衛門に良く似ていて、小生意気そうで実に可愛らしいですよ、貴方」
「ばっばっかにしやがって……ッ!!」
狗三郎は、楯を構えにじり寄る。額に冷や汗をかき、ぶるぶると震えながら、近づいてくる。
「本気ですか?」
「あ、あ、あた、あたりまえだッ」
「貴方の父だって、私には敵わないのに。貴方一人で勝てるとでも?」
「そういう問題じゃないッ!!」
「ほう、では」
「ち、父を馬鹿にするなぁッ!! お前からしたらどうとか、そんなの関係ないんだよッ!! 俺の親父は、俺ん中で一番なんだ!! 俺の親を馬鹿にするな、馬鹿にするなぁぁッッ!!」
「――嗚呼……なるほど……」
……。
親への想い。それは、今だろうと昔だろうと、変わらぬものがあるのだろう。
それが例え千年昔だろうと、万年昔だろうと。生物である限りは、父を敬い、母を慕い、家族然として在る事が、一番の幸せに決まっている。ひとりしかいないから、代えなんて利かないから。
だというのに、自分と来たら、いつまでも、無くなってしまった物を得ようと、こうしている。
「解りました。その件については、謝りましょう。すみませんでした」
「……え、あ……あ、う……」
「ただ……その……うちも『娘』が、頑張っているんです。ここで捕えられたら、娘の立つ背がないじゃないですか。それにほら……もう一人の『娘』が、ずーっとこっちを見ているんですよ」
空を見上げる。白い髪を靡かせ、此方を見降ろす影が一つ。犬走椛は、覚悟を決めて、そこに在った。
「だから」
狗三郎の胸倉を捕まえ、
「あっ――」
思いきり、地面に叩きつける。
「ごっ……ぐっ……ッ」
「悔しいでしょう。あと百年したら、また来てください。相手してあげますから」
「――畜生、畜生……ッッ」
「ふふ。泣く姿まで狗衛門そっくりです。狗衛門みたいな、立派な天狗になってくださいね」
狗三郎に背を向ける。これで良い筈だ。彼はその頑なな意思を一つ貫き、殺されるかもしれない恐怖に真っ向から立ち向かった。その行為に敬意を表する。
「ああ……空戦は、終わったみたいですね」
やがて、数匹の天狗が狗三郎を抱えて去り、天狗の代表者が一人、そして椛と霊夢が共にやってきた。
「そこの巫女を引き取ってくだされ。暴れん坊で敵いません。他の連中は不様にやられて、相当気は立っていますが……博麗が八雲を呼ぶと脅すんです。博麗と八雲と文殿を相手に、闘えるだけの戦力がない。何やら博麗に条件があるようなので、ここは休戦とします」
「博麗相手によく善戦したと言えるでしょう。これなら無法者が暴れても、御山は安泰ですね」
「酷い皮肉ですな、文殿」
「逃げませんから、どこか見えないところで待機していてください」
「畏まった。統括にはどう伝えれば良い」
「だから、少し待ってください。これが終わったら、行きますから」
「……あい解った」
馴染みの鴉天狗は、部隊を率いて退いて行く。椛と霊夢の一人と一匹は、何を話すでもなく、文の前に立ちつくしている。この子達にかけてやる言葉が見当たらない。自分という愚か者を、どう処理して良いのか、判断がつかないのだ。
何もかもが甘えだった。本当に迷惑をかけたのだと思ったなら、もっと早い段階で外へと出るべきだったのに、いつまでも引きずり、惰性に任せ、もう八十年という年月を、またぬるま湯の中で過ごしてきた。
答えを出す気もなく、罪悪感と、葛藤に苛まれ、ぐるぐると同じ道を行ったり来たりとしていた。
だが、今まさに、その答えを出せと、目の前に二人の『娘』が迫っている。ここで逃げるなんてマネは、当然出来る訳がない。
博麗の叫びを思い出す。部隊を引きかえらせないのは、その為だ。
二人は、卵を割る気でいる。絶対に嫌だと拒み続けてきた現実を突きつけている。もし、自分が暴れた場合、博麗と椛と、出てくるであろう紫、そして天狗警備隊があれば、丁度だろう。
『虐殺天狗』を押さえるに、十分だ。
「霊夢さん」
「何かしらね」
「……あの時は、済みません。殺して、しまって」
「……」
「だ、だめな母親役でしたね。ご飯作っても美味しくないですし、娘にお酒強要しますし、母親らしい優しさもかけてやれなかったのに……でも、まるで、母のように慕って貰えて、本当にうれしかった」
「いいのよ」
「……はい?」
「私が迂闊だったの。それに、私には邪念があったわ。自分よりも可愛がられる卵が憎かったのよ。アンタが大事にしている事を知っていて、無くなってしまえば良いと思っていたわ。それが同時にアンタの幸せになるのだと、あの頃の私は信じて疑わなかった」
「霊夢さん……」
「だからこそ、割らせて頂戴。今の私なら出来る。純粋な気持ちで、アンタを救える」
霊夢が、右手を差し出す。卵を寄こせと、そう言う事だろう。だが、それを椛が制止した。
「文さん」
「――椛」
「貴女は、新しい価値観を受け入れられず、悩んでいた。古い価値観を打ち破ってくれる筈の博麗は、その手で殺した」
「ええ、間違いありません」
「何故、話してくれなかったんですか。何故、悩みを打ち明けてくれなかったんですか。新聞継続の云々なんて、私知りませんよ。むしろ、この事こそ重要じゃないですか」
「そりゃ……あの……その……」
「ガッカリです。あんなに可愛がってくれたのに、そんな私にお話してくれないなんて、ずるいです」
「――私の悪い所を、見てもらいたくなかったんですよ」
「でも、結果これじゃあ、意味がないじゃありませんか」
「……全く」
「だから、その卵をください。私が割ります。霊夢さんが過去やった事なのでしょう。だったら次は私です」
「ど、どういう理屈で、そうなるんですか」
「何言ってるんですか。貴女がこのループから脱却する手立ては、これしかないのに。貴女が求めているもの、その自らが破壊する事で、新しい価値観の受け入れ口を作る。それだけです。霊夢さんがやるくらいなら、次は私です。私です」
「……この中には……母がいる。ただの鴉の死体じゃないんです」
「文さんだって、口にしたじゃないですか」
「何を……」
「この世は四苦八苦からは逃げられないけれど、選択股ぐらいはある。執着を切り捨て、執着を受け入れ、より良く生きて行くのだと、仏の道に至るのだと。色即是空、空即是色。なんだかんだと、太郎坊様のお言葉だったんですね」
「ああ……そんな時代も……ええ、ありました、ね」
「さあ、今がその時です。その執着、私が叩っ斬りましょう」
椛が左手を差し出す。
どう、すればいい。
どうすればいい、そのように、悩み続けてきた。そして、先伸ばしにしてきたのだ。選ぶ事無く、執着を変える事なく、劣化してしまった新聞記事のような記憶を携えて、生きてきた。
先には解りきった絶望があるというのに、後生大事に抱えてきた。変化を嫌い、保守を目指し、嫌な思い出を封じ込め、謝罪すべき事をせず、何もかも隠して来たのだ。
「文」
「文さん」
「――わたし……は……」
卵の中には、きっと母の死体がある。優しくしてもらいたかった、自分に優しくしてくれる可能性だって存在した母が在る。もし、これが生きていたらどうするのだ。自分は……母を殺す事に、なるではないか。この二人は、そんな可能性を、殺そうというのか。
――違う!!
違う違う!! また、またそうやって先伸ばしだ。堂々巡りの永久ループだ。この先にまた卵が産まれ、きっとそれすらも抱えて温めるのだろう。達観したつもりでいて、逃げるのだ。
二人が母を殺そうとしているなど、笑止千万。冗談にもならない逃げではないか。何度繰り返した、何度間違いを犯した。取り返しのつかない事件は何件ある。ねつ造した過去は幾つある? 今こそ立ち向かわねば、今こそ、この二人の想いに応えねば、いつ応える。
だが……だが、割れない。とても、一人では、割れないのだ。
「お二人とも」
「ええ」
「はい」
「――手伝ってください。私一人では、怖気づいて、割れないんです。どうか――この愚かな私に、助力を」
口にし、身ぶるいする。
三人で卵を囲み、三人で卵に触れる。
力む事もなく、ただいつも通り、能力をぶつけるだけ。それが三人なら尚更容易い。
薄い殻は他愛も無く、罅が入り崩れて行くだろう。
「う、ううぅッ」
……、三人が、力を込める。くしゃり、と、呆気のない音がした。
「ハッ――アッ……ッ……うっ……ううううぅッッッ」
同時に襲い来る衝撃。冗談にもならない殺人衝動。ギロリと目を剥き、二人を見据え、手を伸ばす。ビリビリと震える腕は、博麗霊夢の鼻先、椛の胸元にまで迫っている。
全身から汗が噴き出す。気を一瞬でも抜いたなら、声が出るまでもなく、柔らかい素材で出来た博麗霊夢が、ただの肉塊になり果ててしまう。
また繰り返すのか。
また『娘』を殺すのか。
彼女は――殺した相手を、恨まず、受け入れてくれたのに。あんなにも慕ってくれていたのに。
彼女は――何もかも知って、それでいて決意してくれたというのに。
ああ、だが、この奥底から聞こえる声はなんだ。
割れた卵から聞こえる声はなんだ。この黒い塊、鴉の死体から湧きあがるものは何か。
『人食い』『人殺し』
『化け物』『親食い』
『親族殺し』『虐殺者』
『殺戮者』『半端者』
『悪食』『外道』
様々な性別、様々な声。この鴉の死体から伝わってくるのは、
己の咎自身なのだろうか。
姉妹を喰い、
母を喰い、
子供を喰い、
親を喰い、
蛆も蚯蚓も百足も蟷螂も、
雀も鴉も鷹も鳶も、
牛も猪も熊も狼も、
巫女も神主も陰陽師も仏法僧も切支丹も修験者も、
あちらの山へあちらの里へ、
あちらの海へあちらの湖へ。
生きる為強くなる為幸せになりたくてなりたくてなりたくて、
食いに食いに喰いに食いまくったではないか。
この卵の中身が母である確証などどこにもない。
ありとあらゆるものが詰まった肉だって想像できたはずだ。
怨嗟が憎悪が脳みそをぐちゃぐちゃに掻きまわして行く。
お前こそが全て悪であるのだと囁いてくる。
締め付けられるような胸の痛みは今すぐにでも潰して止めたくなる。
何が悪い何が悪い。
食って何が悪い。
生きる為だ強くなる為だ。
行きついた未来に幸せがあるのだと信じていたからこそ喰った。
何が悪い。
食われる方が悪いのだ。
弱いのが悪い。
弱いから喰われた、
餌になった。
それだけの話ではないか。
「何が、何が悪い……何が悪い……!! 殺そうとしたくせに、調伏しようとしたくせに、弱いくせに喚きやがって……うぅぅぅぅッ……」
手が伸びる。その手が、博麗の首にかかる。椛の首にかかる。
霊夢は眉ひとつ動かさず、そして射命丸文の腕を取り、目を閉じた。
――お母さん。
ああ、なんてことだ。
椛が、涙をこぼしながら、射命丸文に縋りつく。
――お母様。
ああ、なんてことだ。
「わたしは……」
咄嗟に、死体である筈の肉塊を拾いあげて両手にとり、咽び泣く。肯定し続けた生を否定し、母に許しを請うために。隠ぺいと捏造で作り上げられた己を払拭し、新たな選択肢を呼び込むために。
「母上……母上……文は、文は強くなりました、強くなったのです。誰にも負けないくらい、強くなったはずなのです。そして、そんな過去に私を慕ってくれる人が出来たんです、命をかけてまで、私を抱きしめてくれる人が、いるんです……私は、この子たちに何をしてあげれば良いのでしょうか、どうしたら幸せにしてあげられるのでしょうか、強くなっただけでは、解らないのです。貴女ならどうしますか……母上……文は、未熟者で、半端者で、この歳になっても、母親面の一つも、出来ないんです……ただ、謝る事しか、出来ないんです……。霊夢、ごめんなさい……ごめんなさい……椛……ありがとう……ありがとう……。母上、私には、こんなことしか、出来ないのです……父上の申しつけも訊かず、怠惰で暮らし、惰性で生き、何もかも隠して生きてきたんです……母上……」
どうか、どうかこの愚かな現実に救済を。ただ虚妄こそを真実と思い込んできた己に希望を。自分勝手だと知りながらも、どうする事も出来ぬこの感情は、もはや奇跡か幻想に頼るほかない。体裁もプライドも捨てて、あらぬものに祈るほかない。
「文……もういいから、もういいから。わた、私は、恨んでなんて、いない。私に感情をくれた貴女を、私に母性をくれた貴女を、恨むなんて出来ないから……あの時の私は、博麗で一番の幸せ者だったから……だから、もう、もう謝らないで……あやぁ……ッ」
「感謝したいのは、此方なんです。自暴自棄で何もかもかなぐり捨てた私に、希望をくれたのは貴女なんです。道を示してくれたのは貴女なんです。両親を失い、人間に忘れ去られた私を、一番見つめてくれたのは、貴女なんです……文さん、どうか、もう、やめてください……わたし、私達がいますから、私達がいますからッ」
感じた覚えのない温もり。
いいや、家族に抱かれ、得れる筈であった幸せだ。
可能であった筈の過去。それは、旧来の可能性ではなく、現存し実現し得る可能性の温かさ。
どんどんと冷えて行く手を、下ろす。小さい鴉は、地面に落ちた。
それはまるで、はじめからなかったかのように、風に吹かれた砂のように、サラサラと、消えて行く。
同時に、己の虚が露わとなる。
「……さようなら、母上……さようなら……みんな……私がゆめみた幻想郷……」
色即是空。
執着の彼岸。
妄念を抱き続け、それを糧に生きた射命丸文の結末。
それは即ち――死である。
思念考 ~卵の中の幻想郷~
乗り越えた先に見えたものが、己の真実とあらば、では現状こそが正しく否定しがたい己なのだろう。ただ強くあろうとした若かりし頃の記憶。人の死を見、妖怪の生を見、ヒトから成った天狗の想いに触れて生き、あれやこれやと考え、拾い、捨て、選び、至った永遠の楽園にて導き出した答えは『可能』
『可能』は己が意識せずとも、卵という形で現れた。それは確かに『可能』だったのだろう。己が内包した霊力から依り分け、探し出し、選びぬき、形造り、卵として産み出す行いは、間違いなく可能性の粋であった。
無意識化に望んだその卵は、射命丸文に衝撃を与え、産まれ出で、割れた。中から出てきたものは不完全な姉妹の死体。自覚し、この卵は己が望んだ結果なのだと悟り、また新たに造り、数十年に一度産卵する。
姉妹の死体を五つ産み、最後に残るものは母の残滓を込めた卵である。
……確かに、可能性はあったが、それが成功する確率など、弾き出すまでもなく零に近い。
解っていたのだ。中身が死体である事など。それでも、己は誰にも渡せなかったし、納得するまで温めたかった。
母になる事を否定し幾星霜。その歴史の中で血迷った行いが二回。
それは博麗であり、犬走である。
己の手で家族を作り上げるという行為を、現実に求めたのだ。他からの遺伝子を受けて卵の可能性が混ざりあう事を避けた結果に導きだした逃げ道は、他者を子にするというものである。
この理想を実現してくれる世界の要である博麗を子として愛した。
迫る消滅を否定して幻想郷に辿り着いた犬走を子として愛した。
二つの行いは、憤りを感じながらも為す術のない己を生かす為だけの筈であったのだ。そんな己に対しての葛藤を呼び覚ますものであり、耐えられない自己嫌悪の産物でもある。
逃げではあった。だが己の行いは具現化し、博麗と犬走に生と死を齎す事になる。
逃げではあったが、嘘ではなかった。
――そしてそんな現実は、最期に射命丸文への解答を求めたのだ。
己が導き出した『可能』は『不可能』へと転じ、妄執を、執着を失った射命丸文の幕を下ろす。
求めたのではなかろうか。
新しい執着を。生きる希望を。作るべき世界を。
――手を伸ばす。
ゆらゆらと揺れる、蜘蛛の糸を手に掴む。
だが、それは切れた。足元には、己が殺し、食い破った亡者たちが蠢いていたからだ。蹴飛ばしてしまおうとして、脚を上げる。だが、それらは全て容姿を変え、見覚えのある鴉へと転じた。
暗く赤く、生臭い臓物のような地獄の中で、皆が糸へと縋りつく。母も姉妹達も。人も妖怪も、皆が挙って、糸へとしがみつく。
そんな光景を見つめ、自分は一人、地面へと降り立った。
あの糸は可能性なのだろう。だが、己という奴は、そんな目に見える可能性に縋りつき、どれほどの絶望を味わっただろうか。一縷の望みに賭け、どれだけの月日を無駄にし、その中でどれだけの人を殺したのか。
もう良い。昇れないのならば昇らずとも良いだろう。どうせまた絶望するだけなのだ。誰かを不幸にするだけなのだ。自分には、誰かを幸福にするだけの力など有りはしないのだから。
そんな地獄を見つめ、糸の下を望む。そこには、デタラメな奴がいた。
そいつは糸にしがみつく亡者を見上げながらも、見下している。こちらに気が付くと、今度は自分を見下し始めた。イライラとしたが、怒りを露わにしたところで得るものがない。
何故一人ずつ昇らないのかしら。そうすれば、光明も見えるかもしれないのに。
ここには愛なんてありません。譲り合いもありません。遠慮もありません。
貴女は昇らないのかしら。
昇りません。どうせ、あの天蓋に見える光は偽りです。辿り着いた瞬間、糸が切れるのです。
可能性ぐらいあるんじゃないかしら。
あるでしょう。極僅かに。ただ、現実を見た瞬間に蹴とばされて、地に落ちます。それでは不可能です。
在るのに無いとは矛盾ではないかしら。
あんなものを握れるのは、それこそ清いものだけです。私は人の可能性を犠牲にし続けた。
犠牲にして生きてきた。罪悪なら腐るほどありますが、美しさなど一つもありません。
彼女はそれを聞き、腹を抱えて大笑いしだした。相変わらずの不愉快、そして理不尽ぶりに言葉を失う。コイツからすれば、こんな地獄だって隣の家と同等の距離でしかないのだ。自分がどれだけもがこうとも得る事の出来ない現実を、容易く得られる存在なのだから。
境界を開いてくれなどと頼むのも馬鹿らしい。また大笑いされるだけなのだ。
ここには思いやりなどないのでしょう。
はい。
では、そうすればいいわ。ここで留まるなんて、貴女の偽善でしかない。
……。
ここは卵の中よ。貴女と貴女がとりこんだ者達を内包した、不可能と可能と清水と汚泥の境界線。
どう、しろと。
思いやりなど無くしてしまえばいいわ、虐殺天狗。
必死に糸を掴む者達を出しぬき、己が昇れ、そう言いたいのだろう。だが、あの者達は皆己が殺してきたものだ。殺したものをまた殺すなど、それこそ情も何もない。例え虚妄のような存在であろうと、あまりにも無慈悲すぎるではないか。
執着は拾うに難く、捨てるに難い。
……。
私は不変の執着の一つを無残にもバラバラにされた事があるわ。
……それ、は。
太郎坊は、地面に頭を擦りつけて謝った。娘を許してくれと。では貴女も、あの者達に頭を下げてみる?
……。
未だ執着を捨てれぬ者よ。千の年月など、塵芥だわ。今こそが真実よ。
学び、選び、拾い、捨てて、ようやく積み重ね、磨き抜いたのが貴女であり、そして彼女達への想いでしょう。
答えは出ている。
……私は……。
※
「御苦労だった。今は警備隊再編で忙しいでな、また後でだ」
「いえ、私は……」
「お咎めなどない。暫く休暇をやるから、整理をつけて来るが良い。ああ、あと、博麗にボコにされた奴が隊長を下りてな、お前が代わりにやるように」
「そんな、私は隊長なんて柄じゃありません」
「……儂は感謝している。最初からこうするべきだったのだ。二の足を踏み、奴に手を差し伸べられなかった儂にかわって、文を幸せにしてやったのは、お前なのだから。儂にはこれぐらいしか出来ん」
「でも……」
「――ありがとう。娘は選んだ。その結末がこれだ」
太郎坊に頭を下げ、統括室を後にする。
今回の事件の影響で警備隊再編が起こったらしく、もう二週間経つというのに、どこもかしこも忙しい。博麗霊夢に撃墜された天狗の数は結局六十名に登り、その内重傷者が五名である。人間に叩き落とされた事を恥じた中堅クラスの天狗が数名辞任し、警備隊全体でのパワーバランス調整を名目に手が加えられたのだという。
別に恥じずとも良いのだが、博麗霊夢何たるかを知らなければ、仕方がない事なのかもしれない。
あれは、負けるようにはなっていないのだ。一度勝つと決めれば、何度落ちようとも挑み、そして必ず勝利する。いや、正しくは勝利するように出来ているのだ。
そういう意味では、射命丸文喪失はまさしく生まれて初めての敗北だったのだろう。
「おい」
「おや、狗三郎さん。お怪我は大丈夫ですか」
「別に。それより、射命丸文は」
「遠いところに行っちゃいましたよ」
「……そうか。百年後には必ず決着をつけなきゃいけないんだから、その頃にゃ戻ってきてもらわないと」
「良い人でしょう? 美人ですし。なんといっても、可愛らしいんです、あれで」
「あのなあ……」
「おっと、そういえばそうでした。私、今度隊長に昇格したんです。なのでもう少し敬ってください。今後は立場も対等です」
「えー……」
「なんです、その嫌そうな顔」
「犬走隊長殿……うえぇ……」
「喰うぞお前……純粋に力比べしてあげましょうか……こう見えても、齢三百六十の白狼ですよ……?」
「すみません。あ、ボク、見回りにいかないと。それじゃあ」
「はい、いってらっしゃい」
調子の良い狗三郎に手を振り、さて自分はどうしようかと考える。休暇を貰ってしまったし、かと言って余暇を潰すほどの趣味もない。大将棋は、頭を使うから余計な事を考えずに済むのだが、それも気分ではない。
結局選択肢の一つとして浮かぶのが、博麗神社であった。
事件後に何度か足を運んだが、まともに取り合ってもらえた試しがない。行くだけ無駄だとは解っていても、一度ちゃんと話をつけねばいけない相手なのだ、幾度でも行くしかなかろう。
そもそも博麗とは初対面が守矢事件、以降は宴会で数度言葉を交わした程度である。友好度のスタート地点からして違うのであるから、回数を重ねるしかないのだ。
博麗霊夢。その類稀なる運命の狭間で見た現実を、一体どのように考えているのだろうか。八雲紫が幾度か自宅に現れ、お酒のツマミだと言って話した博麗の歴史を聞きはしたが、八雲の話は小難しいし、脱線するし、良く解らない言い回しが多すぎる上、博麗本人ではない故に文との繋がりが見えなかった。
「さて、霊夢さんはいらっしゃいますかね」
神社境内に降り立ち、額に手を翳して辺りを見回す。今日は運良く外で掃除をしている様子だ。母屋に引きこもられていると、大体の場合門前払いである。なるべく自然体で近づき、さりげなく声をかける。
「何してるんですか」
「執着を捨てようと思って」
博麗の傍には、新聞紙が堆く積まれている。果たして何年分なのだろうか。気まぐれ発行とはいえ、その数は三桁で済むものではないだろう。
「燃やしてしまうんですか」
「とっておいてもしょうがないもの」
「いつからのです?」
「アイツと初めて知り合ってから。よくもまあ、こんなに書いたものね。紙資源の無駄遣いにも程があるわ」
「今日は、喋ってくれるんですね」
「……結局」
何の感情も見せず、火打ち石を打ち、種火を作る。口で吹いて火を強め、躊躇いもなく、新聞の束にそれを投げ込む。文々。新聞の歴史が煙となって天へと昇って行くのだ。自分は止める事もせず、彼女の行動を見守るだけだった。
「結局、私の抱く感情は、文が抱き続けて来たものと同じなのよ。帰って来る筈のない者をいつまでも待ち続け、無駄な努力を積み重ねて行く。まるで意味がないでしょう。文がそうだったように」
「そんな事ありませんよ。彼女は私達に思い出を残してくれたじゃありませんか。貴女だって、今の貴女らしくなったのは、彼女のお陰なのでしょう。だったら、意味くらいあります」
「ま、そうね。そしてあいつは自己満足して消えて行った。私の感情も、アンタの感情も全て無視して、勝手に完結したのよ。酷い話」
「……私達は彼女の夢見る幻想郷をぶち壊した。壊して得たものが無であったのなら、それが彼女の選択であり、そして幸せな事です。最早胸を締め付けるような想いに囚われる事はなく、卵を産む苦に懊悩する事なく、私達を見て、過去の記憶に懺悔する事もない」
「……」
「私達の執着が一つ、潰えたんです。ただ、私にも貴女にも、幸いまだ生きる糧がある。泣いても、その胸は埋まりません。だから、今あるもので埋めます。所詮すべての色は空ですが、空であるからこそ、そこで生きて得るものがある筈です」
「――それで、アンタは納得しているの?」
ハハッと笑い、誰が、と答える。
正論が必ずしも誰かを納得させるとは限らない。己が口にしている事は、論理立てて構築した所謂自然の流れというだけであり、様々に入り乱れた想いをなだめるには足りないのだ。
「私は、それで良い。文が散々と悩み続けて得た答えがそれだったのなら、私の悩みだって、行きつく先はそこなんでしょうから。むしろ、現状に異議申し立てするのは、自己矛盾ではないかしら」
「矛盾くらいなんですか。最強の矛と最強の盾は、きっと今だに勝負がついていないに決まってます」
「じゃあ、アンタも文みたいに、ずっと抱え込むのかしら。『母』は、戻ってきたりしないわ」
「気持ちが足らないんです」
「馬鹿ね」
「霊夢さん、気持ちが足らないんです」
「だから……」
「……ごめんなさい。今日は帰ります」
「雨、降りそうだけど」
「いいえ。ご厚意だけ、受け取ります」
「そう。じゃあね」
「はい」
まるで新聞が燃える煙が、雲を作っているかのように、どんどんと暗くなって行く。
霊夢に背を向け空へと上がり、もう一度振り返った先には、泣き崩れる霊夢の姿があった。
それに合わせるようにして、空を覆う厚い雲がさめざめと泣いていた。楯を笠代わりにして空を行くのだが、次第に強くなる雨は行く手を阻み、服を濡らして行く。
そろそろ梅雨も近い頃であるから、長雨になりそうであった。
「ひえぇ……びしょびしょ……」
家に辿り着く頃には、既に下着の中までずぶ濡れになっていた。滝の近くにある穴倉を改造して作った家は、狭いがそれなりに気に入っている。じめじめしているとして仲間からは不評であったが、自分は目立たずひっそりしている雰囲気を好んでいる。
ぐしょぬれになった服を脱いで干し、全身を震わせる。まさしく獣の様子だが、見た目は子供である。
「今日はもう無理かな」
手拭いで体を拭き、洗濯籠に放ると、そのまま自分はベッドの中へと収まる。この雨では『文』とで何処かで雨宿りしているに違いないと決め込み、不貞寝を決め込んだ。
自分はあれから、ずっと文を探し続けている。誰が、何と言おうとも、彼女が消失した事実を受け止めようとはしなかった。霊夢にもその決意を伝えようとしていたのであるが、先ほど漸く達成されたと言える。お節介な八雲が、何度か説きに現れたが、自分という奴は全部突っぱねた。
射命丸文を取り巻く事件に深くかかわっている彼女は、やはり賢者らしく聡明である。幻想郷住人として、射命丸文の『娘』として憂いているのか、いないのか、八雲はしょっちゅう現れては、ああでもないこうでもないという話をしてくれる。ただ、頭が良すぎて何を言っているのか、今一掴めない。
文が消失した後、自分と霊夢を抱きとめたのは彼女であった。一体どのような思惑があっての事なのだろうか。彼女はハッキリ直接的に言葉にはしないし、曖昧だ。
「明日晴れたら……無縁塚を周って、太陽の畑もみて……それから……」
大の字になり、千里眼で様子を見ながら明日の予定を考え、ただむき出しの岩肌を見つめる。やがて岩の模様が人の顔に見えてきた。疲れているのだろうかとも思ったが、それはまさしくヒトの顔であった。
「うひゃあ」
「あら、全裸のところ失礼しますわ」
「や、八雲様ッ」
「来ると言ったでしょう。何故来客用の格好をしていないの」
「理不尽な……」
ぬるりと出て来た紫に驚いたのも束の間、理不尽な事を言われて顔をしかめる。当人といえばいつの間にか椅子に座り、勝手にお茶を入れて飲み始めた。大変お引き取り願いたいのだが、自分程度が怒鳴ってもどうなるものでもないので、仕方なく着替えを引っ張りだし、紫を持て成す事にした。
「来るなら玄関からにしてください」
「この穴倉の何処に玄関があるの。いいからこっちに来てお酒の相手をしなさい」
「お茶なのかお酒なのか……」
「貴女も霊夢みたいな反応するのね。射命丸文の趣味だったのかしら」
「……」
「ふふ、そう睨まないで」
紫がスキマに手を突っ込み……わざとなのか、天然なのか、古吟醸月世界を持ちだしてきた。いや、どうせ八雲紫という超常能力者の事だ、わざとなのだろう。彼女は何食わぬ顔でそれをコップに注ぎ始める。
「ハイ。イッキ、イッキ」
「アルハラですか」
「ノリが悪いわねえ。まあいいわ」
そういって、紫は自分の分を自分で注ぎ、一気に飲み干す。一体コイツは何がしたいのだろうと、思わざるを得なかった。馬鹿にしているのだろうか。
「馬鹿にしているんですか」
思わず言葉に出る。
「良く言われるのだけど、私は至って真面目なのよ。外野である筈だった貴女が、霊夢の抱き続けた想いを後押しした。つまりそれは因果の癒着よ。酒も酌み交わしていない貴女と、改めて知りあって因果の均整を保とうとしているのよ」
「良く解りませんが。まあいいです、呑みます」
「そうそう」
意味不明の物言いだが、真面目に語られると正論に聞こえてくる。自分という奴がほぼ外野であった事は間違いなく、そこに割って入って事件の結末を見たのだから、確かに彼女の言い分は在ると思われる。酒はどうだが知らないが。
「私達って、何かしらね」
ふいに、八雲はそのように口にする。手の甲に顎をつけ、物憂げに話すのだ。
「どうしましたか」
「もう三千と少しほど生きているわ。射命丸文の実に三倍ね。こんな長い間女性体を保ち、人類の行く末を見、見果て、見飽き、生きてきた。アナタ、子供はいる?」
「いえ。私が大人になる頃には、外の世界では同族諸共彼岸行きでしたし。こちらに来てからも、まあサッパリです」
「では、何かを育てたという記憶もないのね」
「はあ……」
「私は一人一種族。他に血族はなく、子供を欲しがった記憶もないわ。私は自らの手にて認められる存在を得、それを育て、形造り『子』としてきた。藍然り、幻想郷然り、博麗然り」
「それが、何か」
「……それは母性だったかしら? 私は謂わば混沌に執着し、人の抱く混沌を塒にして『在る』わ。世界の何処からでも、人が潰えぬ限り、私が執着を捨てぬ限りは在り続ける。そんな身勝手で抽象的な存在が、果たして子を抱く幸せを得るに至るのかしら。でも実際、私は『子』を育てたという満足感を持ち、『子』の存在を喜んでいる。守ろうという意思を持つ。これは、女だからかしら?」
「私は、射命丸文に救済されて以来、幻想郷に執着しています。ここがあるからこそ在れるという喜びに生きています。そういう意味では、貴女が母なのでしょう。嫌ですけどね」
「心中察するわ。それで……我々『母』は、女の形を捨てたら無くなってしまうのかしら。いいえ、違うわ。想うことにこそ意味があり、性別なんてものはおまけでしかない。結果的に、母性なんてものは父性なんてものは虚妄で、己の意思こそが神足り得るのよ。思念で出来上がった我々に、その思念が変化を求める事はない。そこに一人として産まれた時点で、私は私、貴女は貴女」
「何が、言いたいのですか。わざわざ私に逢いに来て、貴女の半生を振り返る真似はしないでもらいたいです。私は、貴女になんて興味はないんですから」
「あら、言うわねえ」
何時まで経っても話の核心を語らない紫にシビレを切らし、思わず不満をぶちまける。何かされるかと思ったが、紫は平静なままであり、身動き一つとっていない。ピクリと動いたかと思えば、ただ酒を口にしただけであった。
自分に逢いに来たという事はつまり、射命丸文の事なのではないのか。なぜ、そんな遠回りに物事を語るのか。永く生きた妖怪というのは、皆こうなのであろうか。
彼女が如何様に思考方法を弄ろうとも、確固として残された現実は過酷であり、受け入れ難い。射命丸文は唯一無二の母であり、他の誰かがなり変わったりなど出来ないのだ。
「貴女がどういうつもりかは知りません。あまり、悪戯に問題を掘り出さないでください。霊夢さんにも止めてあげてくださいね。彼女はたぶん、私なんかより繊細ですから。射命丸文はもう居ない。もう、戻ってこない。私の想いも、霊夢さんの想いも、彼女の旧価値観を打ち滅ぼし、新価値観を受け入れさせられるだけの力はなかった。無力だった。千年と抱き続けた妄執を、取り除けなかった――悔しいんです。本当に、ただただ悔しいんです。解りませんか!? 伝わらない想いがどれほどに虚しいか!! どれほどに辛いか!! 最愛の母を『二度』も目の前で失う苦しみが!! 家族は消え失せ、人に忘れられ、ただ消える事しか出来なかった者の憐憫が!! 貴女に解りますか!? そうであっても、解っていても、求めずにはいられないこの気持ちが!!!」
「だから愚かなんですわ。そうやって、自分を可哀想な子のように演出して、何か得られる?」
「――だって……文さんは」
「ここまで愚かだと、射命丸文も報われない……いいえ、また母性を擽られて、面倒見始めるのかしら」
「かえってください」
「射命丸文は、時を超え抱き続けた執着を糧に、家族の再生を夢見た。彼女だってもう解っていた。無理な事ぐらい。貴女達が割った卵の中から出てきたのは、まさしく射命丸文の母なれど、結局は死体だった。それは執着の死。彼女が思い描いた理想郷の死そのもの」
「……だから、何だと。そんな事を話しても、何の意味もありませんよ。八雲様、不愉快です」
「――この広い三千世界。千年鴉程度が仏になるにはまだまだ足りないわ」
そういって、紫は立ちあがる。
「……何を」
「私は嬉しくてしょうがないの。閉鎖した可能性しか持ち得ない妖怪が、絶対無理だとされた概念を打ち破り、そして現界したことを。幻想郷という終末でしか遂げられない、歓喜すべき現実を、私は涙で許容するわ」
「まさか――ッッ」
「ごきげんよう風神の子。幸福は貴方達一人と二匹にある。まだ、空を飛んでいる程度がお似合いよ」
「は、あはは、あははははッッ――あは、げほッ――くふふふッ――ふっ……ふ、ずッ……う、ぐっ……」
「さあ、行って。幻想の子」
八雲がその様に言い、右手で境界を開く。彼女の瞳には薄らと涙が浮かんでいた。それを隠すようにして、残ったお酒を、一気飲みにする。
「私も焼きがまわったわ」
「う、うえ……あっ……あ、あああぁぁ……」
性悪にも程がある。博麗も、八雲も、文も、どいつもこいつもハッキリしない。何もかも濁して、何事も遠まわしにして、絶対直接的に言葉で伝えたりなんてしないのだ。本人がどう思っていようとも、衝立を二、三枚はさんで話す。
どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。それで伝わると思っていやがる。大半の人間も妖怪も、そんな裏の裏まで読んでなどいない。もっと具体的に、言葉で態度で、示せというのだ。
境界を抜けた先の岩を飛び越え、木々を渡って空に至る。今まで降っていた雨はまるで嘘だ。そこには青空が広がっているではないか。八雲め、わざわざ気象まで弄るなんて、本当に遠回りな奴だ。
博麗神社に至り、ただ空を呆然と眺めて、意識をふらつかせる博麗をひっ叩き起こす。
何事かと目を覚ました彼女に対して、自分は空を指さした。
思いついたように自分は立ち上がり、蜘蛛の糸へと歩いて行く。
自分が、今更思いやりなどもってやる必要はなかったのだ。
群がる者達の襟首を捕まえ、ブチのめす。
一人、二人、三人と、己が食いつくし糧とした者達を、殺して行く。
飛び交う姉妹達の首元を握りしめ、折る。
自分は何もかもを犠牲にして生き延びようとしている。たった二度だけ観た幸せを、また掴もうとして、殺した者達をまた殺して行く。
罪悪を、後悔を。
娘が悲しんでいる。遠くから、彼女達の泣き声が聞こえてくる。
母は……。母は、守らなくてはならない。その道がどんなに汚かろうとも、どんな障害があろうとも、娘を生かし、護るために、幸せにする為に、蹴とばし、踏みつぶしてしまわなければならない。娘が母と慕ってくれている限りは、ある限り、出来る限りを尽くさねばならない。どれだけの罪を背負おうとも、どれだけの後悔を抱こうとも、娘の笑顔の為に、犠牲を生まねばならない。
紅白が眼前に立つ。
まさしくその眼は爛れていた。己が最も恐怖し、恐れた現実。
この罪悪こそが根幹。死は死をもって償おうとし、こんな世界に迷い込んで、可能性を捨ててしまった己の枷であり戒め。
例え『娘』にそっくりでも。
自分は、そいつを押し倒し、首を絞め、殺してやる他ない。
紅白が自分を母と呼ぶ。お母さんお母さんと、喚く。一瞬手が緩まるが……はたと気が付き、更に強く締め付けた。
絶命する不可能を、蹴り飛ばす。
その先に居るものは最後の障壁だ。
あの時と変わらぬ姿の母は、羽をばたつかせ、此方を威嚇していた。
自分は、拳を握りしめる。愛してくれる事のなかった母。自分を差別した母。その肉を食って生きながらえた自分。その怨念のみを糧にして生きた自分。
今こそ、別れの時だ。
「母上――私は、娘たちのところへ行きます。こんな、殻の中にはいられないのです。私の負が全てつまったこの中になど、いられないのです。母上。もう許しは請いません。さようなら」
ガァと啼く『母』を捕まえ、首を引きちぎる。
選りすぐった道へ。己が選び続けて至った最後の道へ。もはや母の怨念もいらない。
その執着はまさしく、今引き裂いた。
涙を流しながら、蜘蛛の糸にしがみつき、昇る。
光明を目指し、あるべき可能性を得る為に、手を絞る。
例え虐殺天狗と罵られようとも、例え腐肉で出来た我が身体だろうとも。
それを心から想ってくれる人がいる。自分の死を悲しんでくれる人がいる。
光に手を伸ばす。
どうか――この先に、新しい価値観が在るよう願いながら、手を伸ばす。
「――私達妖怪は執着と共にあり、そして人とある。もし此れが無となった時、おそらくは死ぬのでしょう。けど、心した方が良い。我々のような曖昧な奴等は、全てを零にしない限りは、あり続けるのよ。いいえ、それを証明してくれた奴がいるわ。御仏は偉大ね。正しくこの世は空なれど、執着を抱かなければ至れない世界がある。執着とは、拾うに難く、捨てるに難い。射命丸文に讃辞を。母を殺し母となった妖怪に祝福を」
――そこでは、一羽の鴉が、悠然と風を切っている。
「……あ」
絆とは得難いものである。
そして、手放し難いものである。
「あ、あ……」
妄執に生き、葛藤に死んだとしたならば。
では葛藤の先に得たものはなんだろうか。
「嗚呼――あ、ああッ」
射命丸文が捨て、そして拾い得たもの。
隣には誰が居た。
「ううぅッ!! うあぁぁッ……あ、ぐずっ……うううぅぅぅぅぅゥッ!!」
射命丸文を想い、死を厭わず立ち向かい、
確固たる形として、射命丸文の内側を埋めた者達がいたではないか。
その射命丸文を、母と認めた者が居たではないか。
「――文さん!! 文、文さぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッッッ!!!」
「――文!!! あやぁぁぁッッッ!!」
一羽の鴉は、犬走椛の前に降り立ち、申し訳なさそうに、首を縦に振る。
至ったものは執着の此岸。
射命丸文が、罪悪を積み重ねた挙句手に入れた空。
この世が空であると言うならば、ではその中にこそ求めてみよう。どれだけの犠牲を孕もうとも生きて行こう。求め続けた先に得た答えを手に、また犠牲を産んで行くのだ。どうせ自分達は、仏にも近寄れぬちっぽけな悪でしかなく、彼らが求める理想は遠すぎる。
だったらこの空を根城にしよう。執着し、妖怪として生きて行こう。気に入らないものを切り捨て、己が笑顔であれるために、娘たちが笑顔であれるために。
「――ただいま」
それは、幾多とある選択肢の中から選び抜いた、正しく真実だろう。
了
面白かったのに、あとがきがダメだってww
後書きはこれ以外には考えられないですね。
貴方の超展開SSは安定して鴉肌が立ちますね。
いや、最高です。
風神録でのこの台詞がもの凄い意味深い言葉になるなぁ
歴代の博麗の巫女が本質的に同一人物でありこの時点の文はそれを知らないと考えると余計に
それにしても霊夢と文で親子モノか
いつぞやの霊夢=メディ並に色々と新しすぎる
次は文を巡って争うマザコン霊夢と椛に紫乱入ですね。
また新しい視界が開けた気がします。
…後書きの自重しなさっぷりも相変わらずなようでw
ゆかりんそこまで初心でしたかw
感動の極みです
ゆかりんwww
いやぁ、相変わらず俄雨さんの作品は読み応え十分で良いですなぁ
STG東方より幾らかファンタジー色が強く、人妖の過去を深く掘り下げて描写する展開には舌を巻くばかり。
すごいなぁwww
息抜き程度に読もうと思ってたのに深く読み入ってしまったじゃないかw
久々に読み応えのある深い長編もの、ごちそうさまでした。
だがあとがきに全部持ってかれた!
まさかここでうぶりんを見るとはなぁw
面白かったです
どうしたらこういう発想が浮かぶんだろう
久しぶりに大作を読ませていただきました
その余韻をほんのり壊すあとがき。
面白かったです。
文=風神少女ですね、かっこいい。
しかし椛が男前ww
因みにゆかりんの旦那は宇***子(○○歳)ですよwww
赤ちゃんはキャベツ畑で採れるんだよ
この展開は非常に斬新でした
はじめは天狗戦の熱い霊夢に違和感があったもののそれもすぐに無くなりました
他にもいろいろ感想があったのですが、何を書けばいいのかうまくいきませんね
せめて尊敬と感謝をこめて100点を置いていくんだ
凄みのある文章に圧倒されて一気に読み切っちゃいましたよ。
100点以上無いのかと思ったのはひさしぶり。
さぁ、何かの詰まった卵を生むんだ!
あと、阿求は俺のもんだ。
大体、阿求にもおじちゃんって呼ばれる歳じゃねーの?
読後感良かった、感動した。
某海産物一家の長男カ○オ君なんてあの若さで立派なおじさん資格者なんだぞ。
まあ、それはいいとして、相変わらずの文章力お見事でした。
文句なしに100点
まさにキャラに歴史ありですな
非常に読み応えのある物語、ごちそう様でした。
だから神主様や俄さんのような素晴らしいクリエーターに感謝と尊敬の念を。
そしてそこから生まれる新たな執着に祝の風を。
僕もなにか両親に送ろうかな。
とか思ったらゆかりんもおぼこだったでござるの巻。
実体験と追体験の差異なんですかね。
なんというか、キャラの特徴に対する考察の深さに、どんどん物語に引き込まれました。
少々過去の回想の古風な言回しがすんなりと読めずに苦労しましたが、
時間の隔絶を感じました。
嗚呼なんて素敵な幻想郷なんでしょう…
ただ涙で後書きの最後の一行が読めなかったのが残念です。
読めないったら読めない。
素晴らしいお話でした。スクロールバーを見てうげぇ、となったのですが、読み始めてからは全く気にならず。気づいたら後篇まで読み終わっていました。
本当にありがとう。
オリキャラも出てるのに、全く気にならない。
良いお話をありがとうございました。
あとがき自重w
いやはや、私も精進せねば……
物語の骨格はシンプルですが、それを支える幾重もの強靭な筋肉にただただ圧倒されるばかり。
創想話作品の中でも最も力強い文学作品の一つでありましょう。
心が締め付けられました。
100点じゃ足りねえ。
素晴らしい作品をありがとう。
ぬう、携帯からじゃ後書きが見れなくなってら……。気になる。
涙ちょちょぎれました
丼三杯余裕ですな
>この雨では『文』とで何処かで雨宿り
「『文』とて」ですかね?
読後暫く経っても涙が止まりません、どうしてくれるんですか
二次創作の可能性って凄いんだな。
そして後書き…w
少女ゆかりんかわええ。
久々に長編の良作を読ませていただきました
そしてあとがきwwww
ちくしょう、なかなか良い親父しやがって
あとゆかりんかわええwww
いつも、いつも素晴らしいものをありがとうございます。
夢見るおじさんに最大限の称賛を。
素晴らしい作品だと思います。
素晴らしい
「……え?」
師のお話は物によって自分に合わないのですが、これはストンと胸を打ちました。
文句なしの100点をお受け取り下さい。
素敵な物語をありがとう
お金払ってでも読みたい
これは俺の中で、そんなレベルのSSです
ただただ凄い
これから同人誌やSSで文の卵が出てくるたびにこの話を思い出すでしょう
風神録を霊夢でプレイするたびに思い出すでしょう
文花帖やダブルスポイラーで(ry
中盤からラストにかけて一気に来ました。前篇あっての作品みたいないい見本ですね。
今までタグで好き嫌いしていた自分を後悔したい。
あと後書きのおまけ、イイハナシダッタノニナー。
「何を謝っているんですか。そんな暗い顔しないでください。ほら、呑みましょうよ。きっとお酒が解決してくれます。いやはや、それにしても美味しいですねこれ」
「高いんだからそんなガバガバ……って、もう半分もない!!」
「おかあ……文さんも呑んでください」
「誰がお母さんよ」
「あぶぶぶ……言い違えただけです。子供が先生をお母さんと呼び間違えるのと一緒です」
「酔ってる?」
「にゃーん」
「犬でしょアンタ……」
段々とグダグダになって行く椛に勧められてお酒を呑む。酷く落ち込んでいたものだが、椛を見ているとそれも和らぐような気がした。何故だろうかと考えるが、これと言った理由も見当たらない。後輩で気心が知れているから、とでもしておけばよかろう。
後編まで読んだ後で前編を読み返すと、見え方が1回目と全く違いますね
面白すぎる
読みたくなるのが止まらないし、読みたくなるというかそもそも完全に入り込んでしまう
つらつら読んでいくんじゃなくて、語りはリズムをつけて、台詞は感情をつけて、より入り込むために意識的に読み方を変えながら無意識に読んでしまう
細かい部分までよく練りこまれていて、最後にストンと落ち着ける展開の物語でした。
世界を創る。広げる。
なんて素晴らしく、楽しいことか。
ありがとうございました。
いやぁ面白かった。文と霊夢が親子設定の話は大好物です。加えて椛もとかもうね。
とても3年前の作品とは思えない。読めてよかったです