Coolier - 新生・東方創想話

真夏の夜のリングドリーム

2009/05/01 16:16:20
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 このSSはプロレスが分からないと分かりづらい表現が多い気がします。
 
 このSSは、プロレスは八百長という視点では書かれておりません。
 このSSは、プロレスはすべからくガチンコという視点では書かれておりません。
 
 
 お読み下さる方は、ご注意下さると幸いです。




































 


 じりじりと照りつける日差しの中、博麗神社の境内の真ん中に箒が一本倒れていた。
「……暑い」
 博麗神社の巫女、霊夢が拝殿の日陰で唸って箒を眺めている。
 朝の涼しい時間までは、頑張って境内の掃除をしていたものの、日が強くなるにつれて暑さは霊夢を苛み、完全に太陽が真上に位置するに至って、彼女は巫女としての責務である神社の管理を放棄した。
 つまりは、日陰でのサボタージュを選択したのである。
「こんなに暑い日は、宇治金時が怖いわねぇ……」
 
 宇治金時、それは最も気高きかき氷の名前。

 抹茶の香りに餡の甘味が組み合わさったその味が一たび舌に乗せられれば、暑気などどこか遠くへと飛んで行ってしまう。
 もっとも、そんな素敵な食べ物は甘味屋がある里にでも行かなければ食べられない。
 あるいは、霧の湖に出没する氷の妖精を捕獲するか、だ。
「だれているわね。もっとシャンとしなさい」
「うん?」
 背後からの声に霊夢が振り向くと、見慣れた紫色の装束に身を包んだ人影がそこに居た。
 神出鬼没のスキマ妖怪、八雲紫である。
「ほら、そんな服をはだけてないで……」
「だって暑いじゃない」
 乱れた霊夢の服装を直そうとする紫と暑いので抵抗する霊夢、真夏の真昼の出来事だった。
 
 ちりーん、という雅な音が暑気を払う。
 
 風が吹き始め、風鈴が音を奏でた。
「で、今日は何の用よ?」
 博麗神社の今日の昼餉はそうめん、薬味はミョウガを刻んだものと胡麻、付け合わせはきゅうりのお新香だ。
 あまり栄養があるようには思えない。
「夏だからってそうめんばかりは感心しないわよ。ちゃんとそうめん以外も食べてる?」
 そうめんをだるそうに食べる霊夢を心配して、紫は尋ねた。
「んー、夜はそれなりに食べてるわよ」
「じゃあ、昼は?」
「……まあ、そうめん、そうめん、たまに冷麦」
 少しだけ目をそらして霊夢は答える。
 そんな霊夢を見て紫は呆れたようにため息をつく。
「まったく、そんなんだから夏バテみたいになってるのよ。良い? 暑気払いには精を付けるのが一番! さしあたり今度ミスティアの屋台にでも顔を出してみなさい。あの子は八目鰻と言いながら普通の鰻を出しているから、精を付けるにはちょうどいいわ」
「そうね。そのうち顔を出してみるわ」
 熱心に訴える紫に霊夢は素知らぬ顔で答えた。
「そのうちじゃなくて今夜にも行ってみなさい。あと、ほらまた服をはだけて……だらしない格好をしているから暑いのよ。キチンとしていればこの程度の暑さ、なんともないでしょ」
 霊夢は再び服を直される。
 もう、霊夢に抵抗する気力は無いらしく、紫にされるがままだ。
「あと、最近お洗濯をしてないわね。いくら夏は洗濯物が早く乾くからって、放置しておくと着る物が無くなるわ。今のうちに洗濯しておけば、夜までには乾くから……」
 暑い夏という事で少々だらけた生活を送っていたのは事実だが、こうも口うるさいとげんなりしてしまう。
「はぁ……あんたは私の母親か」
 ぼそりと霊夢は愚痴った。
 すると、紫は少し眼をまたたかせると、
「ふむ、確かにそうとも言えるわね。だって私は幻想郷の産みの親なんだから、幻想郷に生きるすべての者は、私の子供みたいなものじゃない」
 と言って朗らかに笑った。
 
 確かに、幻想郷を最初から見つめ続けているこの妖怪にとって、幻想郷に生きるすべてのモノは我が子も同然なのだろう。

「そう返されると、邪険にできないわねぇ」
 そうめんを食べながら、霊夢は諦めたようにため息を吐くのだった。
 
 
 食事のあとは洗濯を行い(紫は見ているだけ)、夕食に鰻を食いに連れて行かれる。
 
 そんな外食の帰りに、唐突に霊夢は紫から一枚の紙切れを手渡された。
「なにこれ?」
 その紙切れは、長細い手の平にちょうど乗るくらいの大きさで、ちょうど一円札と同じぐらいの大きさをしたカラフルな紙きれだった。
「必要な事は、裏に書かれているわ」
 表は原色をふんだんに使われてあまり目によろしくない。
 そんな紙切れの表には『幻想郷プロレスリング 夏のビックマッチ!』などと大きく書かれ、その紙切れの裏面には細かい文字で規約や名前を描く欄がある。
「なにこれ」
 その紙切れに書かれたある文言を見て霊夢の目は点になる。その紙の表には『メインイベント 初代幻想郷選手権試合 八雲紫対伊吹萃香』となどと意味不明な事が書かれていた。
「娯楽の少ない幻想郷に、私たちからのプレゼントよ」
「いや、意味が分からないから……えーと、紫と萃香が戦うってこと?」
 手元の紙切れと紫の顔を見比べて、霊夢が聞く。

 しかし、紫は霊夢の問いに答えずに、
「楽しみにしていてね。損はさせないから……シーユーネクストアゲイン!」
 と、凄い和風な発音で別れの言葉を残して、スキマへと消えてしまう。
 
「まったく、なんなのよ……」
 鈴虫の音色の中に一人取り残された霊夢は、残された紙切れを持って大きく溜息をついた。
 
 
 
 
 
 
 ※
 
「私も貰ったぜ。そのチケット!」
 じりじりと照りつける日差しの中で神社にやって来た魔理沙は、霊夢から『件の紙切れ』を見せられると、開口一番にそうのたまった。
「チケット……という事は、これって入場券か何かなの?」
 霊夢が『件の紙切れ』をひらひらさせると、魔理沙が「ああ、それが入場券なんだぜ」と言って『それ』が書かれた箇所を指差す。
「あれま」
 そこにはしっかりと『初代幻想郷選手権試合入場券』と書かれていた。
「ちゃんと見ようぜ?」
「興味が無かったから」
 その言葉に魔理沙は苦笑いをした。
 そんな魔理沙を尻目に、霊夢は澄まし顔で麦茶を一口飲む。

 昨日に比べて、霊夢の体調はかなり良い。
 恐らく紫に奢ってもらった鰻で精を付けたおかげだろう。
 
「私はこういったモノが好きだから結構興味があるぜ? 図書館の本でプロレスの事は結構知ってるけど、実物を見るのは初めてだし……けっこうワクワクするな!」
 そう言うと魔理沙は「あー、喉が乾いた」などと言いながら。霊夢が飲んでいた麦茶をひったくると一気に飲み干した。
「……あー、うまい!」
「まったく、行儀悪いわね」
 呆れたように見る霊夢に、魔理沙は照れ臭そうに笑った。
 霊夢は立ち上がり、自分の分の麦茶を取りに行こうとすると、魔理沙は「私もおかわり」と悪びれもせず霊夢にコップを渡す。
「はいはい……」
 奥に消える霊夢を、縁側で魔理沙は足をぶらぶらさせながら眺めている。
 蝉は短い命を燃やすかのように鳴き、風鈴はただ静かに音を鳴らしていた。
 
 その日は、どうしようもなく夏日だった。
 
「はい、おかわり」
「さんきゅー」
 二人で縁側の日陰で麦茶を味合う。
 なんとなく二人は神社の庭にある、蟻に運ばれる死んだ蝉を見ていた。
「夏だな」
 魔理沙がぼそりと呟く。
 夏は熱い太陽が全てを支配する灼熱の季節だ。
 生命を育むのではなく、命を燃やしつくす、そんな季節。
「そうね」
 そんな苛烈な夏の象徴を眺めながら、霊夢は静かに同意する。

 あの蝉は、命を残して死ぬことができたのだろうか?

 気がつけば蝉の声がやんでいる。
 仲間の為に黙祷でも捧げているのかもしれない。
 そう思いながら霊夢は麦茶を一口飲む。
 命、受け継がれるもの。そんなものに霊夢は思いを巡らせる。
「夏と言えば、プロレスの季節だよな?」

「それは知らない」

 魔理沙の求めた同意を霊夢は一刀両断で切り裂いた。
 しばしの沈黙ののち、蝉はまたうるさいくらいに鳴きはじめる。
 黙々と麦茶を二人は飲み続け、気が付けば空になっていた。
「夏だよな」
「そうね」
 魔理沙の言葉に霊夢は静かに同意した。
 
 
 
「なー、しようぜー。プロレスの話ー」
 夕餉の食卓で魔理沙は鰻のカブト焼きを齧ると、不満そうに声を上げる。
「いや、興味無いし……そもそも知らないものは語れないし」
 鰻の肝吸いを啜りながら霊夢は面倒くさげに魔理沙をあしらう。
 前日、紫と一緒に行ったミスティアの屋台で鰻を貰ったので、本日の夕餉は鰻尽くしだ。
「流石に二日連続は胸やけしそうね……」
 そんな事を言いながらも、霊夢が鰻のかば焼きをご飯に乗っけて、鰻のタレを白いご飯に十分に染み込ませた。

 なぜ鰻のタレはこんなにもご飯に合うのだろうか?

 そんな哲学的命題に思いを巡らせながら、霊夢はご飯を一口食べる。
「なんだ夏バテか? だったら、梅干しの漬け汁は効くぞ……って、そうじゃないプロレスだよ、プロレス!」
「魔理沙って、そんなにプロレスってのが好きなの?」
「い、いや、まあ嫌いじゃないだけだ。とりあえずパチュリーのとこの本で知ってるだけだったプロレスが、実際の見れるわけだからな! べ、別に初めてのプロレスで興奮しているわけじゃないぜ!」
「なるほど、魔理沙はプロレス初体験に興奮しているわけね」
「そ、そんなこたぁないぜ!」
 魔理沙は顔を真っ赤にして絶叫する。
「とりあえず魔理沙、おかわりいる?」
「大盛りで頼む!」
 大盛りのご飯をカブト焼きで片づけていく魔理沙は、
「ひょりひゃへふ! ふぁふぁひのおふぉうふぁいふぉうのひぇふふゃーは……」
 と、口にものを入れたまま霊夢に向ってを熱っぽく喋る。
「まずは、飲みこみなさい」
「ふぁふぁっはっ!」

 たぶん、分かったと言っているのだろうが、喋っている時点で魔理沙は分かっていないだろう。
 
 霊夢の無言のお払い棒の一撃で魔理沙はようやく理解し、素直にご飯を平らげる。
 そして落ち着いた魔理沙は霊夢にこう尋ねた。

「馬場と猪木、霊夢はどっちが強いと思う?」

 それに対して霊夢は「誰それ」と答えた。




 人間の里の近くにある広い空き地が、その場所だった。
 
 そもそも空き地など何処にでもあるのだが、人里に近く騒いでも迷惑がかからないという事で、この空地が会場に選ばれた。
 周囲には重ねられた大量のパイプ椅子に長机、マイクなどの音響機材、すでに組立てられた食べ物関係の屋台、それにきびきびと動く天狗や河童達の姿が見える。
「やっぱリングの設営ってのは、ドキドキするねぇ」
 天狗達を監督しながら、メインイベンターの一人である伊吹萃香が感慨深げにため息を吐く。
「花道は作った方がいいかしら?」
 会場を見回しながら、もう一人のメインイベンターである八雲紫は腕組みをする。
「いらないんじゃないかな。もっとデカイ会場なら花道があった方が映えるだろうけど、こうしたちんまい会場だったら滑稽だろう?」
「となると、入場時の演出は……」
「スモークと入場曲、それにライトってところだねぇ。まあ、スモークは色付きだから、好きな色を選ぶと良い……紫はやっぱりムラサキが良いかい?」
 紫にそんな事を尋ねながら、萃香はリングにキャンパスが敷かれるのをじっと見ていた。
「そうね。普通の白いスモークでも良いけど、メインイベンターが地味にしちゃ、他のみんなも派手に出来ないでしょう? 紫色で派手な感じで良いわよ」
「あいよー」
 リングが立ち、パイプ椅子が並べられていく。
 そんな少しずつ会場が出来上がっていく様を見て、萃香と紫は何となく顔がゆるんでいた。
「いいわね、やっぱり」
「そうだねぇ」
 祭の支度が楽しいのと同じように、リングの設営も楽しい。
 この六メートル四方のロープでできた囲いが、今夜の熱狂の舞台となる……そう思うと、二人の顔が自然とゆるむ。
「おーい、そこ! ロープがたるんでいるぞ!」
「スピーカーの位置はここで良いのか―!」
 リング設営をしている天狗や河童達の声が響く。
 気が付けば、もうリングはロープの張りを調整している段階だった。
 リングサイドや会場入り口には長机が置かれて、観客席となるパイプ椅子は会場の所狭しに並べられている。
「ところで萃香」
「なんだい?」
「長机がリングサイドに並んでるみたいだけど」
「うん」
「テーブル送り用?」
 会場に並んでいる長机は組み立て式だ。
 この組み立て式長机というものは、プロレスにおいては投げなどで叩きつけると、良い感じにへし折れるので稀に使われる。
 こうした長机への叩きつけをテーブル送りと称し、海外にはテーブルの名手なども存在するほどハードコア系の試合では一般的に使われている。
「ま、何にもないよりは色々あった方が良いだろ?」
 そう言って萃香はニヤリと笑う。
 
 プロレスは盛り上がるなら、何をしても許される。
 
 ロープを使わなければプロレスじゃないし、コーナーポストを使った攻撃は常套手段だ。
 場外に降りても、10カウント(団体によっては20カウント)以内に戻ってくればまったく問題ないし、場外におりた選手にリングから飛んでも問題は無い。更に言えば、大体の反則も5カウントまでなら許されるし、レフリーが見ていなければ凶器攻撃すら許容される。
「確かに、無いよりはあった方が良いわね」
 だから、紫も釣られて笑った。
 この、おおらかさもプロレスの醍醐味の一つ。
 
 会場の設営はおおよそ終わっていた。
 
「負けないぞ?」
 八重歯を覗かせ、萃香は紫を見る。
 その顔には強烈な自負心が現れていた。
「……じゃあ、あえてこう言いましょうか。『喰ってやる』ってね」
 言葉とは裏腹に紫は穏やかに笑っていた。
 そこに現れているのは、静かな闘争心と絶対的な自信だ。
 どちらともなく二人は手を差し出し、握手をする。
 
「じゃあ……」
「今夜、試合で逢いましょう」

 そして二人は踵を返す。
 振り返ることなく二人は別れた。
 
 
 
 
 所変わって同日同刻香霖堂。
「なーなー、香霖はプロレスとかどうよ?」
「まあ、嫌いじゃないけど」
 好感触に魔理沙のテンションは一気に上がった。
「そっか、そっかー! やっぱり香霖も男なんだな。んでどんなレスラーが好きなんだ? あと好きな試合とかどうよ?」
 魔理沙の言葉に霖之助はくい、っと眼鏡を押し上げる。
「そうだね。やはり好きなレスラーと言われれば難しいところだけど、個人的にはやっぱりジョー・スッテカーじゃないかな」
 そう名前を上げた霖之助、そこ顔は控え目だが静かな自信に充ち溢れている。
「……だれ」
 一方、魔理沙はそんな自信たっぷりな霖之助の顔を呆然と見つめていた。
 
 ジョー・ステッカー
 1920年代のアメリカで一世を風靡した名レスラーでボディシザーズ(胴締め殺し)を得意技とした。
 その胴締めは強力無比で、仔馬をも絞め殺したという物騒な伝説を持つ。
 
「ルー・テーズ以前かよ!」
 魔理沙が呆れた声を上げる。
「何を言う! 本当ならジョージ・ハンケンシュミットやフランク・ゴッチと言いたいところをあえて、近代なのに微妙に忘れられているジョー・ステッカーを挙げたこの男心がわからないのか!」
 ちなみにフランク・ゴッチはカール・ゴッチのおかげで日本では割と有名であり、またNWA認定ヘビー級チャンピオンの原型である初代世界チャンピオンとして世界的にも割と有名、またジョージ・ハンケンシュミットは、そのゴッチの対戦相手として有名である(活躍年代は1900年代)。
「フランク・ゴッチは何となく知ってるなぁ」
「なんとなくじゃ駄目だ! フランク・ゴッチとジョージ・ハンケンシュミットの試合こそ近代プロレスの幕開け! ヨーロッパに君臨していたロシアのライオン、ジョージ・ハンケンシュミットが新大陸アメリカに渡り、アメリカンプロレスのチャンピオンであるフランク・ゴッチと激突し、2時間3分の激闘を経てゴッチがハンケンシュミットをトーホールド(足首固め)でギブアップさせる! この死闘がなければプロレスというものが成立しない!」
 身振り手振りを交えながら霖之助は熱っぽく大仰に語る。
 その勢いに魔理沙は完全に圧倒されている。
「そもそも、これ以前のレスラーというのはカーニバルレスラーとか……」
 果てしなく語られるプロレス講釈、それがようやく終わったのは日が暮れ始めた頃だった。
 
 
 
 
 
 
「……つまり、ミゼットレスラーの演技は、っと。そろそろ開場の時間だな」
 サントムービーにおけるミゼットレスラーについて独自の見解を述べていた霖之助は、開場の時間が迫ってようやく我に返ったらしい。 
「ああ、先に行っててくれ……私は後から飛んでいくぜ……」
 そんな涼しい顔をした霖之助に、魔理沙は魂が抜けたような顔でなんとか答えを返す。
「じゃあ、試合開始には遅れないようにしろよ」
 こうして霖之助は店を出て、香霖堂には魔理沙だけが取り残された。
 
「……疲れた」
 まさか、霖之助がこれほどの深いとは思わなかった。
 魔理沙の知る範囲は、基本的に日本とアメプロのメジャーどころをそれなり。
 
 とてもじゃないが付いていけない。

「……というか、プエルトリコのレスラーなんてほとんど分からないぜ。なんだよインベーダーのバリエーションとか……」
 魔理沙が知ってるプエルトリコのマスクマンであるインベーダーは、あの超獣を刺殺したインベーダー一号だけだ。
 しかし、霖之助がこれほどプロレスに詳しいという事は、それだけ多くのプロレスに関わる本が幻想入りしているという事である。
 もしかしてプロレスは外では廃れてしまったのだろうか?
 なんとなく、魔理沙はため息をついた

「どうなんだかな」
 そもそも、外の世界では紙自体が使われなくなっているらしい。
 プロレスの本も紙がつかわれなくなっただけかも知れない。
「ま、私が心配することじゃないけどな……ん?」
 カランカラン、というベルの音が鳴り響き、香霖堂のドアが開く。
「ごめんください」
 八雲紫の第一の式、もふもふした尻尾がチャームポイントの九尾の狐、八雲藍が香霖堂に入って来た。
「生憎と店主はプロレスを見に行ってるぜ」
「大丈夫ですよ。御用があるのはあなたですから」
「うん?」
 藍の言葉に魔理沙は怪訝な顔をする。
 そんな魔理沙の顔を見て、藍は面白そうににやりと笑った。
 
 
 ※
 
「人も妖怪も佃煮にしたいくらい多いわね」
 あまりの人の多さに霊夢がぼやく。
 おそらく幻想郷中の暇人が集まったのだろう。件の特設会場は大いに賑わっていた。
「入場に手間取っているってのも大きいみたいだがね。見世物小屋のように木戸銭を放り込めば即入場って形なら、これだけの人もスムーズに捌けるだろうけど、入場券という形式はまずモギリが券を確認し、千切って半券を返さなければいけない……慣れないとこれだけの人をさばけないさ」
 一方、会場入り口で霊夢と合流した霖之助は落ち着いている。
 紅白幕によって外と区切られた特設会場の入口は一つ、そこでモギリに苦労しているのは八雲紫の式である八雲藍の式の橙だった。
 彼女の前にずらりと並んだ行列の長さを見ていると、すぐには入れないだろう。

「しかし、妙に楽しそうね」
 並んでいる人の顔を見て、霊夢が呟いた。
 確かに、行列を作っている人達は、誰もかれもが妙に楽しそうに見える。
 集団で見に来ているものは雑談に興じ、家族で見に来ているものは子供と一緒に親も興奮し、一人で見に来ているものはパンフレットを熱心に眺めている。
「……ふむ、試合開始までは時間があるし、ちょっとパンフレットでも買ってみようか」
 入口の横に当日券やグッズを売っている売店があった。
「……なんか、凄い内容ね」
 その売店の横にある立て看板を眺めて霊夢は言葉につまる。
 立て看板には大きく紫と萃香の対峙する絵が使われ、他にも何人もの今回の興行に出場する妖怪や人間が濃厚なタッチで描かれていた。その面子と濃すぎる絵に霊夢は思わず息を飲む。
「とりあえず、パンフレット二冊とこのTシャツください」
 そんな霊夢を無視して霖之助は、パンフレットと今回の興行に出場するレスラーが全員集合したカラフルなTシャツを購入している。
「はーい、二十銭になりまーす……はい、ありがとうございましたー」
 店番の白狼天狗の犬走椛が嬉しそうに耳としっぽをパタパタさせる。その仕草は妙に愛らしく、並んでいた客の何人かがフラフラと列を離れてパンフレットやTシャツを買い求めた。
「ねえねえ、あんた」
「なんですか?」
 ひと段落して尻尾をパタパタさせている椛に霊夢が話しかける。
「ここの第二試合にあんたの名前が書かれてるけど、出る人が店番するの?」
 グッズ売り場の前の立て看板には、第二試合『射命丸文、犬走椛VS秋穣子、秋静葉』と書かれている。
 良く見てみれば椛の格好もいつもの服ではなく、試合用のコスチュームにパーカーを羽織っているだけだ。

 つまり、椛は選手として出るだけでなく、売店の店番もしているということである。

「ええ、どうしても人が少ないもので……それに店番しながら身体を温めてますし、大丈夫です!」
 そう言ってヒンズースクワットを始める椛を見て、霊夢は呆れたように「ああ、そう」と呟く。
「そろそろ人も少なくなってきたし、入ろうか」
 パンフレットを流し読みしていた霖之助が顔を上げて入場を促すと、
「ええ、そうね」
 と、霊夢も頷く。
「い、いらっしゃいませー!」
 完全に目を回した橙にモギられて、霊夢と霖之助は特設会場に入場した。
 
 
 
 
 
 
 



              真夏の夜のワンナイトマッチ

                   第一試合
                  10分一本勝負
 
       ザ・スモールデビル   VS   大妖精


                   第二試合


  豊かさと稔りの象徴 秋穣子      下っ端哨戒天狗 犬走椛
                     VS
  寂しさと終焉の象徴 秋静葉      伝統の幻想ブン屋 射命丸文


                   第三試合
              ラストマン・スタンディング

               出場選手 毛玉百八匹


                   第四試合
                  30分一本勝負

    メイド・ザ・ショーシャ        熱かい悩む神の火 霊烏路空
                    VS
    ザ・ゲートキーパー           地獄の輪禍 火焔猫燐

                   第五試合
                  30分一本勝負

非想非非想天の娘 比那名居天子       幽冥楼閣の亡霊少女 西行寺幽々子
                     VS
    美しき緋の衣 永江衣玖       半分幻の庭師 魂魄妖夢


                 特別ステージ

        ミスティア・ローレライとプリズムリバー三姉妹による演奏
        
        
                   第六試合
                  60分一本勝負

                   特別試合

               大天狗  VS   大蝦蟇


                   第七試合
                  60分一本勝負

             初代幻想郷ハードコア選手権試合

 四季のフラワーマスター 風見幽香 VS  蓬莱の人の形 藤原妹紅


                 セミ・ファイナル
                  60分一本勝負

              初代幻想郷タッグ選手権試合



    マスクト・スカーレット一号     怨霊も恐れ怯む少女 古明地さとり
                     VS
    マスクト・スカーレット二号     閉じた恋の瞳 古明地こいし



                   ファイナル
                 時間無制限一本勝負

                初代幻想郷選手権試合

  境目に潜む妖怪 八雲紫     VS 萃まる夢、幻、そして百鬼夜行 伊吹萃香



                    レフリー
                四季映姫・ヤマザナドゥ


                 リングアナウンサー
                   洩矢諏訪子







 試合開始間近に箒に乗った人影と九本の尻尾を持った人影が会場に降りる。
「では、よろしくお願いしますよ」
 狐に念を押された白黒は、
「ああ、まかせておけ」
 と手を上げて会場に消えていった。
 
 
 
 




 
 
「あーうー。テステステス……ただいまマイクのテスト中ー。……入ってる? ………………では、ただいまより、真夏の夜のワンナイトマッチを、開催したいと思います!」
 リングアナである諏訪子の音頭によって、簡素なオープニングセレモニーが始まる。
 
 
 様々な人々の想いを飲み込みながら、興行はついに始まった。
 







 ※


 
 右手にホップコーン、左手にビールを持った黒い魔法使いが、キョロキョロ客席を見回しながら客席の間に設けられた通路を歩いている。
「なんだかんだとちらほら席は空いているな、っと……居た居た」
 客席の前の方で陣取っている霊夢と霖之助を見つけて、魔理沙は「ちょいごめんよ」などと、謝りながら人を縫って霊夢達の方へと向かう。
 霊夢は、パイプ椅子の上に座布団を敷いてちょこんと正座し、霖之助は膝の上にパンフレットやTシャツを乗せていた。
「あら、魔理沙。結構遅かったじゃない」
 霊夢も魔理沙を見止めて声をかける。
 
 その姿は、行儀が悪いのか良いのか判断が付かないな、と魔理沙は思った。

 空いていた霊夢の隣に魔理沙は座ると、リングを見る。
 リングの上ではエメラルドグリーンのコスチュームを着た大妖精と黒と赤の悪魔的マスクを被ったザ・スモールデビルという名のマスクマンが組み合っていた。
「頑張れー! 大ちゃーん!」
 最前列で声援を通り越した絶叫に驚き魔理沙は目を凝らすと、チルノが飛び跳ねている。
「ずっと、あんな調子さ」
 霖之助は「困ったものだよ」と、苦笑いをする。
「まあ、妖精にはちょっと刺激が強すぎるかもな」
 魔理沙はチルノの様子をひとしきり眺めると楽しそうに笑った。
「まるで、珈琲を飲んで寝られなくなった子供みたいね」
 澄まし顔で霊夢が呟く。
 その例えがいいて妙だったので魔理沙と霖之助は噴き出して「違いない」と同意するのだった。
「で、今はどんな感じだ?」
 客席からリングに視線を戻した魔理沙が、霖之助に尋ねる。
「なかなかどうして第一試合から見ごたえはあるぞ。ただ、パンフレットを見ていて少し疑問は残るがね」
 大妖精に逆エビ固めを仕掛けられているザ・スモールデビルを眺めながら、霖之助は魔理沙にパンフレットを渡す。
「疑問って?」
「簡単だよ。試合表を見ていると見慣れない名前があるだろう? 彼女たちはマスクマンであり、一つの勢力を形成している。クリムゾンマシーン軍団というのだが、見ていると幾つか疑問が噴出するんだ」
 リング上では件のクリムゾンマシーン軍団の一人であるザ・スモールデビルが、逆エビ固めから脱出しようともがいていた。
「まあ、どこからマシーンって単語が出て来たのか、という疑問はあるな」
 リングサイドにはクリムゾンマシーン軍団のマスクを被ったマネージャー、ウィークリーガールが身振りで怪しい指示を送り、それを見たザ・スモールデビルはロープへと這いずり始めている。
「まあ、それは許容範囲内なのだが、問題はそこじゃない」
「ほうほう」
「このクリムゾンマシーン軍団は地霊殿と抗争中というアングルなのだが、この第一試合は抗争と全く関係ないんだ」
 ちなみにアングルとは、プロレスであらかじめ決められたあらすじや筋書きのことだ。
 軍団抗争やレスラー同士の因縁など、試合外の流れというのは、基本的にこのアングルによって決定する。


 魔理沙の開いているパンフレットには、子供向けのイラスト付きでクリムゾンマシーン軍団の解説が描かれていた。



 クリムゾンマシーン軍団。
 マスクト・スカーレット一号を筆頭とするごくあくひどうなマスクマン軍団。
 ひとのいきちをすするマスクト・スカーレット一号とタバスコをいっき飲みするマスクト・スカーレット二号は、恐怖のだいめいしだ。
 ふくしんのメイド・ザ・ショーシャはマスクト・スカーレット一号の命令ならなんでも聞く、れいけつひじょうなマスクマン。
 ウィークリーガールは、じゃあくなちせいを持ったセコンド。てんびんのようなポーズで人をおびやかす。
 ザ・ゲートキーパーはもんばんだ。
 ザ・スモールデビルはウィークリーガールのそうく、かわいいけど、ようじんようじん。
 
 クリムゾンマシーン軍団は地霊殿とこうそうしている。
 古明地姉妹とマスクト・スカーレット一号二号の試合のけっかは、幻想郷のみらいにかかわって来るだろう。
 
 
 
 
「にも、関わらず。最初のカードは地霊殿と全く関係ない! これはマッチメイカーのミスだとは思わないか!」
 霖之助は熱っぽく語った。
 ちなみにマッチメイカーとは、アングルや対戦カードを考える人物の事である。
「……仕方ないんじゃないか? 地霊殿って四人しかいないし、人がいなければ試合は組めないだろ」
「あ……」
 魔理沙の一言に霖之助は手を打つ。
 必死にロープに手を伸ばすザ・スモールデビル。
 しかし、その手はロープに手が届かず、ザ・スモールデビルはタップした。
「……実に前座らしい前座だった。ドロップキックの一つも打たず、決め技は逆エビ固め……実に基本に忠実で素晴らしい」 
 さっきまでの熱っぽさが幻であったかのようなクールさで、霖之助は第一試合の素晴らしさを讃える。

 レフリーの四季映姫が勝利者である大妖精の手を上げ、その姿を見て興奮しすぎたチルノは卒倒し、リングドクターの八意永琳の元に運ばれていった。
 
 
 
 
 
 
「なんでカレー?」
 会場は夜の六時、試合開始は六時半、そうなれば晩飯を食べている時間は無い。
 なので会場の中には食事処が出店している。
 第二試合が始まる少しの時間を利用して霖之助は食事を買ってきたのだが、それはすべてカレーだった。
「こんなにポーク○ッツが入ったカレーなんて珍しいだろ?」
 安っぽい使い捨ての食器に盛られたポーク○ッツカレーは、なかなか美味そうに見える。
 小さな豚肉のウィンナーであるポーク○ッツは、ごくまれに幻想郷に流れ着いた冷蔵庫の中に入っていたりする食材の中で、貴重なタンパク源として人気がある食材の一つだ。
 
 しかし、なぜ彼は、そんなにもポークビ○ツを一押ししているのだろうか?
 
「いやらしいな香霖は、そんなに私たちにポ○クビッツを咥えさせたかったのか?」
 先割れスプーンをポー○ビッツに突き立てて、魔理沙がにやにやと笑う。
 どうやら魔理沙は、霖之助がポー○ビッツカレーを選んだ事に『そういった』理由を見出したようだ。
「ば、馬鹿な! そんな事は無い……だいたい僕はポ○クビッツじゃなくてモルタデッラくらいはある!」
 
 
 モルタデッラとは。
 イタリアはボローニャ地方で伝統的に作られているソーセージで、直径20センチ前後のものも少なくない。
 あまりにぶっといので、主にスライスして食べることが多い。
 
 
 真偽の確かめようのない弁明する霖之助に魔理沙は大笑いをする。
「ポーク○ッツとかモルタデッラって何の事?」
 そんな二人を霊夢はきょとんとした顔で見ていた。
「あー、えーと、そうだな……っと、おお! 第二試合が始まるぞ!」
「本当だ、いやー、危ない危ない! 危うく見逃すところだった。さあ、試合に集中しようじゃないか!」
 改めて聞かれるとこう言った事は恥ずかしいものである。
 魔理沙と霖之助は顔を真っ赤にすると慌ててリングに顔を向けた。
 それの様子を見て霊夢は、首を捻るとカレーを一口すくい、ポーク○ッツを齧る。
 
 ポークビッツカレーはなかなか美味であった。
 
 
 
 
 
 
 三人がカレーを片付け終わった頃、第二試合は終盤を迎えようとしていた。
「完全に釘付けにされてるなぁ」
 勝敗は決した、と言わんばかりに試合を見ていた魔理沙がため息を吐く。
 第二試合は秋姉妹VS文と椛の天狗組の試合だった。
「うむ、これは秋姉妹の勝ちだね」
 霖之助も魔理沙に同意する。
 
 リングの上で展開されているこの試合、その全ては秋姉妹によって握られていた。
 別に天狗組が悪い試合をしているわけではない。
 むしろ、椛は弾丸ファイトと文の空中殺法によって秋姉妹を圧倒している。特に文のフェイバリットホールド(必殺技)であるスカイツイスタープレスは秋静葉をしばしの間、完全に沈黙させるほどの威力だ。
 しかしこの試合はタッグマッチ、穣子のカットによって静葉は救われ、それ以降も天狗組は秋姉妹を追い詰めきれなかった。

 そして今、秋姉妹は犬走椛を完全に分断することに成功し、止めを刺そうとしている。

「姉様!」
 穣子は、静葉が待機しているコーナーに椛を押し込んだ。
 
「はぅわ!」
 
 コーナーに椛が釘つけにした事を確認すると、穣子と静葉はタッチする。
 そして、試合権を譲り渡したはずの穣子と共に静葉は、椛をロープに振った。
 三本のロープは白狼天狗を受け止め、その運動エネルギーを吸収し、伸びて力を蓄える。そしてロープは、椛を秋姉妹の元へ走らせた。

 戻って来た椛に対して、秋姉妹は同時に飛び、腕を交差させてぶつかっていった。
 
 ダブルフライングクロスチョップ。
 タッグ技の一つであり、ロープから戻ってきた相手にフライングクロスチョップを同時に叩きこむ荒技である。
 
 試合の権利がある静葉はすぐさまフォールに入る。
 完全なコンビネーションで繰り出される二人同時のフライングクロスチョップ、それは椛をグロッキーにさせた。
「椛!」
 カットに入ろうとリングに入る文に穣子が立ちふさがる。
「どけぇ!」
 感情の迸りに任せた天狗の拳、しかし稔子はその一撃を受けながらも文の腰にしがみつき、全力でカットを食い止めた。
 穣子にしがみ付かれた文は椛を救出することはできず、マットに四季映姫レフリーが数えるカウントが響き渡る。
「椛! 起きなさい!」
 文は穣子を振りほどこうとしながら椛を叱咤するが、秋姉妹のフィニッシュ・ホールドをまともに食らった椛に起きられる道理は無く、

「……スリー!」
 
 3カウントは数えられ、試合終了を告げるゴングが鳴り響く。
 
「あーうー、11分27秒、ダブルフライングクロスチョップにより、秋静葉、稔子組の勝利です!」
 リングアナの諏訪子が試合結果を宣言し、勝敗が決した事を知った文と穣子の二人は同時に崩れ落ちた。

 
 
 
 
「文、負けちゃったわねぇ……」
 空になったカレーの容器を重ねながら霊夢がぽつりと呟いた。
 鴉天狗の射命丸文と霊夢は、知らぬ中ではない。
 そんな文が負けて、少しせつないのだろう。
「まー、確かに天狗組は強かったけど、タッグチームとしては秋姉妹の方が完成度は高かったからな」
「タッグチームとしての完成度ねぇ……たとえばどこら辺?」
 そもそもプロレスをまるで知らない霊夢には、その辺の事はまるでわからない。
「たとえば、天狗組は、基本的にカラス天狗が出てる時はカラス天狗が出っぱなし、白狼天狗が出てるときは白狼天狗って、なかなかタッチしてなかったろ? 逆に秋姉妹は流れるように交代を繰り返していたし、試合権の無い方も常にリングの中に注意して中で戦っているパートナーをサポートしていた」
 パンフレットを開き、次の試合を確認している霖之助が、魔理沙に続ける。
「簡単に言えば、秋姉妹は協力して試合していたけど、天狗組は交替で試合していた。さて、どっちが有利かな?」

 1+1を2ではなく、10にも20にもするのがタッグの本質だ。

 そうした意味では、秋姉妹はタッグチームとして輝いていた。
「なるほど……意外と奥が深いのね」
 そう言って霊夢はリングを見る。
 リングの上では、ようやく起きた椛に文が肩を貸し、立ち上がった天狗組に秋姉妹が握手を求めているところだった。
  
「まあ、結構面白いかもね。プロレスも……」
 リング上を見つめて霊夢がボソリと呟く、その言葉を聞いて魔理沙と霖之助はニヤリと笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ラストマン・スタンディングという試合形式がある。
 試合をするレスラーが次々とリングに乗り込み、最後まで立っていた者が勝つというシンプル極まりなく、果てしなく熱い試合形式だ。
 
 リングアナウンサーの諏訪子のテンションも思わず上がる。
「今宵の第三試合は、なんとラストマン・スタンディング! 出場選手は、腕自慢の毛玉108匹! そして決まるのは、毛玉で最も強い奴! さあ最初の勇気ある毛玉達の入場です!」
 
「ちょっと花摘みに行ってくるわね」
「あいよ、帰りに飲み物を買ってきてくれると嬉しいな」
「はいはい」
 毛玉にまみれて悲鳴をあげる映姫を背景に霊夢はトイレに立つ。
「閻魔様の毛玉プレイか……」
 トイレに立つ霊夢を背中で見送りながら、霖之助は唾を飲み込んだ。
 
 
 
 
 ※
 
 特設会場のトイレはどこから持って来たのか、しっかりしたコンクリート作りの綺麗な建物が建てられていた。
 便器も洋式であり、良く分からないスイッチが便座の横に付いていて、更に水を流すレバーも見当たらず、立ちあがると勝手に水が流れるという『ハイテク』な作りをしている。
「……なんか、肩凝ったわね」
 慣れないトイレは妙に緊張する。
 洗面台で手を洗っていると会場から、歓声に混じって大きなどよめきが聞こえてきた。
 
 第三試合に決着が付いたのだろうか?
 
「次は……お燐とお空に変なマスクを被った二人の試合だっけ」
 マスクを被った二人は見覚えがないが、お燐やお空はそれなりに付き合いがある。

 応援をしてみるのも良いかもしれない。

 隣で、声援を送る魔理沙は実に楽しそうだった。
「ここにきている時点で、見る阿呆は確定だから、同じ阿呆なら踊らなければ損……なのかしら」
 手を拭きながら、霊夢はぽつりとそう呟く。
 どうも、会場の熱気に当てられたのかもしれない。

「分かってきたみたいね!」

 突然、個室のドアが開いて、試合用コスチュームに身を包んだ八雲紫が飛び出した。
 眼を白黒させている霊夢の肩を抱くと、さらに紫は「貴方もプロレスのイロハを理解してきたかしら?」と耳元で囁く。
「い、いきなり出てきて、何を言い出すのよ!」
「まず、興味を持ち、次に見入り、そして声援を送るようになる! 少なくとも、今の貴方はプロレスを見ていてツマラナイって事は無いのでしょう?」
 蛸が蛸壺に潜り込むように、紫は霊夢の身体に絡みついた。
「べ、別に嫌いじゃないけど、だからってくっ付かないでよ!」
 普段の八雲紫はあまり肌が出ない服を着ているが、最後の試合に備えてコスチュームに着替えている今は状況が異なる。
 肌もあらわな際どい水着姿で絡みつかれ、流石の霊夢も肌が触れ合えば顔を赤らめてしまう。
「ま、楽しんでくれているみたいで、発足人としては嬉しいわ」
 絡みついたまま紫はニヤニヤ笑った。
 
 
 八雲紫が幻想郷でプロレスをやろうと思った理由は本人にしか分からない。
 しかし、一つだけ分かっているのは幻想郷の人々は、元々近くでスペルカード戦をやっていると、物見遊山に見に来るような人種であり、そういう野次馬根性の旺盛な人々というのは、プロレスみたいな分かりやすい娯楽が大好きという事である。
「うおおー、行けー! お空ー!」
 大工の棟梁が激しく声援を送ると、
「瀟洒! 瀟洒! 瀟洒! 瀟洒! 瀟洒!!」
 と、魚屋の息子が声を上げる。
 第四試合のクリムゾンマシーン軍団と地霊殿の勧善懲悪な抗争は、幻想郷の人たちを大いに熱くさせているようだ。
「凄い熱気ね」
 霊夢が呆れたように辺りを見回す。
 トイレから出た霊夢と紫は、会場の後ろで試合に熱狂する人々を見ていた。
「そうね、ギミックもので感情移入しやすい上に、試合のレベルも極めて高い……正直、第四試合にしたのは惜しかったかもしれないわ」
 リングの上ではメイド・ザ・ショーシャとお空が互いに攻撃を繰り出している。
 シャープな格闘スタイルのメイド・ザ・ショーシャは掌底をお空の顎にヒットさせ、パワータイプのお空は逆水平チョップをメイド・ザ・ショーシャの胸に叩き込む。
 
 そして二人の攻撃の度に、観客が掛け声をかけていた。
 
 二人は互いに一歩として引かず、意地の張り合いになっている。
「お空相手によくやるわね。あのメイド・ザ・ショーシャってのは」
「え?」
 その言葉を聞いて、八雲紫は凍りついた。
 もしかしたら霊夢は、これほど驚いた紫を見た事は無かったかも知れない。

 会場の人々が二人の攻撃の度に叫ぶ掛け声だけが、紫と霊夢の間にむなしく響き渡る。
「えーと、その、分からないの?」
 メイド・ザ・ショーシャを指して、紫は言葉を選んで尋ねた。
 それに対して霊夢は、
「当たり前でしょ。マスクをしてるなら分からないわよ」
 と、さも当然のように答える。
 
 しばしの間、紫の時間は止まっていた。
 
 そんな中でメイド・ザ・ショーシャは打ち合いをやめて、浴びせ蹴りをお空に叩きこむ。
 会場の歓声の種類が変わり、ようやく紫の時間が動き出す。
「……あによ」
 なぜ紫が凍りついたのか、全く分かっていない霊夢を、紫はまるで天然記念物を見るような目で見ると、
「もう! 可愛いわね!」
 と言って紫は霊夢を、ぎゅうっ、と抱きしめた。
 
 
 そのように霊夢と紫がイチャチヤしている間も試合は目まぐるしく進み、お燐のジャパニーズ・ロールレッグ・クラッチホールドによって、鳥猫タッグが見事に勝利したのであった。
 
 
 
 
 
 
 会場は熱気に包まれている。
 初めて見て触れるプロレスという娯楽。
 しかし、それは肉体と肉体のぶつかり合いであり、理解は極めて容易であり、単純であるがゆえに人々に受け入れられやすい。
 技と技の、身体と身体の、意地と意地の激突に会場は震えている。
 
 試合も、順調に消化されている。

 第五試合の西行寺幽々子、魂魄妖夢組対比那名居天子、永江衣玖組は幽々子、妖夢組の勝利に終わった。
 天子に追い詰められた幽々子が逆転のノーザンライトボムによって永江衣玖をフォールし勝ちを拾ったのである。

 第六試合の特別試合は、見ている人々に多くの謎を残す。
 登場した大蝦蟇と大天狗の両者が激突した瞬間、その重量を支え切れなくなったマットが割れて両者がリングに沈み、ノーコンテストになってしまったからだ。
 試合を見ていた人々は、最初は大笑いをしていたものの、なかなか進まぬリングの再設営に苛立ち『なんでこんな馬鹿げた試合を組んだのだ』と文句を言い始め、あわや暴動に発展しそうとなった。
 ミスティアとプリズムリバー三姉妹のステージで場をごまかさなければ、全てが台無しになっていたかもしれない。
 その点で、第六試合は『人間以外が出場するプロレス』という観点から多くの課題を残したと言える。

 そして風見幽香と藤原妹紅の初代幻想郷ハードコア選手権は、純粋な幻想郷の人々にハードコアのなんたるかを教え込んだ。
 最終的な結論だけを述べれば、新しく張られたキャンパスは試合終了時に真っ赤に染まり、人々はあまりの衝撃を受けて試合結果を忘却してしまった。
 
「さあ、紅魔か……じゃなくて、クリムゾンマシーン軍団の恐ろしさを思い知らせてやるわよ!」
 そして息巻いて地霊殿組を統べる古明地姉妹と激突したマスクト・スカーレット一号と二号は壮絶な激戦を繰り広げる。
 力と技、速度と巧さ、本能と理性とすべてにおいて対照的なマスクト・スカーレットと古明地姉妹は、果てしない死闘を演じた。
 マスクト・スカーレット二号とこいしがリタイアする中、一号はさとりをダブルアーム式で担ぎあげて落とすという危険技、ヘルスマッシャーでフォールし、地霊殿との一夜限りの抗争に終止符を打った。

「夢をありがとー!」
「まだ、早いわ!」
 霖之助が思わず先走る。
 基本的に試合を冷静に眺めていた彼が興奮するほど、マスクト・スカーレット組と古明地姉妹の試合は素晴らしかったということだろう。
 試合終了後にも、クリムゾンマシーン軍団と地霊殿には瀑布の如き拍手と歓声が送られ、彼女たちの試合を讃えた。
 
 残り試合はあと一つ。
 初代幻想郷選手権試合を残すのみ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ※
 
 
 月が怪しく輝いている。
 
 会場がざわつき月明かりが照らす中、リング上で何かが動いていた。
 その影に、会場に設置されたスポットライトが当たる。
 そこで照らし出されたのは、リングアナウンサーの土着神の頂点、守矢神社の神の一柱である洩矢諏訪子。
 彼女は、軽く咳払いをして「あーうー」と呟くと水を張ったように静まり返った会場を見回す。



「今宵の真夏の夜の夢はいかがでしたでしょうか?

 真夏の夜のワンナントマッチ、残す試合は後一試合になりました。
 
 初代幻想郷選手権を決める歴史的なこの試合、その栄冠を頂くのはどちらになるのでしょうか?
 
 それは戦ってみなければ分からない!
 
 戦えば全て分かる!
 
 血と肉がぶつかり合って、はじめて幻想郷のプロレスは花開くでしょう!
 
 
 
 ……それでは初代幻想郷選手権に挑む選手の入場です!
 
 
 
 萃まる夢、幻、そして百鬼夜行、伊吹萃香選手、入場!」
 
 
 入場口に緑のスモークが立ち上がり、天狗や河童従えて、星熊勇儀をセコンドに付けて伊吹萃香が入場してきた。
 流れてくる曲は、果てしなく勇壮なそしてどこか悲しげなメロディ、それに合わせて姿を現した萃香は、白いシンプルなコスチュームに身を包み、虎柄のガウンを羽織り、しっかりと踏みしめるようにリングへと歩む。
 その姿、ベルトこそまだ巻いていないが、その身には王者の風を纏っていた。
 星熊勇儀が先行し、トップロープ持ち上げセカンドロープを踏みつけて開き、萃香にリングインを促した。
 一つ、伊吹萃香は大きく頷くとリングに悠然と入場し、青いコーナーポストに背を預け、静かに目を閉じた。
 
 
 待っているのだ、対戦相手である八雲紫を。
 
 
 
「続きましては、境目に潜む妖怪 八雲紫選手、入場!」

 紫のスモークが立ち上り、八雲紫は現われた。
 神々しいパイプオルガンの音が会場に響き渡り、その重厚な音にリングは震え、観客たち圧倒されている。
 現れた紫が着るコスチュームは紫のシンプルな水着であり、その上に羽織るガウンは純白でシンプルなもの。
 しかし、そのシンプルさが逆に見た目の派手さなど不要という、ある種のストイックさを醸し出していた。
 セコンドの藍と橙はリングサイドで待機し、八雲紫一人がトップロープをくぐってリングインした。
 
 リング上で二人は睨みあう。
 
「入場に関しては持ってかれたかな」
 ガウンを勇儀に預けて、萃香は紫に近づいた。
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない、それが決まるのはすべてが終わった後。貴方が最終的に強い印象を残せば、きっと入場を含めて『伊吹萃香は八雲紫を圧倒していた』という印象を残すでしょうし、そうでなければ私の方が良かったと人々は思う。ついでに言えば、この試合自体がしょっぱかったら、今回の興行はセミ・ファイナルが最高だったと人は記憶する……そういうものよ」
 そう言って紫は「良い試合をしましょうね」と萃香に手を差し出した。
 しかし、萃香は手を握らずに紫の目をじっと見て、プロレスというものに関わるものであれば、ずっと抱き続けた疑問を口にした。
 
「ねえ、紫。……紫は馬場と猪木、どっちが強いと思う?」

 誰もが、きっと疑問に思い続けてきた。
 ジャイアント馬場とアントニオ猪木。
 日本を代表する二人の偉大なプロレスラー、あの当時の日本のプロレスファンは、少数の例外こそあれ、馬場派か猪木派のどちらかだった。
 二人が戦えばどちらが強いのか。
 偉大なる東洋の巨人が永遠の眠りについた事で、その疑問に応える事の出来るものは誰もいなくなり、そのプロレス界最大の疑問が解決される事は未来永劫なくなってしまった。
 
 ゆえにプロレスファンは決して解の得られぬ謎に悩まされる哲学者の如く、馬場か猪木かと葛藤する。
 
 その哲学的命題を萃香は、あえてこの場でぶつけてきた。
 
 八雲紫が、萃香の元に持ち込んできた古びたブラウン管とベータのビデオデッキ。
 そうして二人で、盃をかわしながらプロレスの試合を見ていたのが、すべての始まりだった。
 かつて萃香は、紫に同じ質問をしている。
 あの時の紫は「もう試合のしようがないんだから、どっちが強いかなんてわからないわ」と、模範的回答でにごしていた。
 しかし、このリングの上で紫は、

「猪木」

 と、一切の迷いなく断言した。
 その言葉を聞いて、萃香は笑い、
「奇遇だね……私は馬場の方が絶対に強いと思ってたんだ」
 と言って、一歩紫に近づいた。
 
 
 いつしか道は別れる時は来る。
 
 
 馬場と猪木が同時に力道山の門を叩き、同じ釜の飯を食らい、苦楽を共にしていたように、伊吹萃香と八雲紫も一つのブラウン管で共に、肩を組んでプロレスを楽しんでいた。
 一つの試合、技に一喜一憂していた。
 
 しかし、この世のすべては馬場的なものと猪木的なものに分けられる。

 天性と努力、力と技、正統と異端、犬と猫、目玉焼きの醤油派とソース派、これらの関係はすべからく猪木と馬場だ。同じ土俵に立ちながら優越のつけきれない事、それが馬場と猪木の本質なのだ。
 すなわち、伊吹萃香と八雲紫の意見が分かれたという事は、ある点においては決して相容れぬ立場に立ったという事に他ならない。
 かつて猪木と馬場の道が違えたように。
 
「……良い試合ができそうね」
 八雲紫は『馬場』と答えた萃香を前に攻撃的な笑いを見せる。
「まったくだ」
 伊吹萃香も紫と同様に笑ってみせた。
 八雲紫の笑いの攻撃性が鋭利な刃物であるならば、伊吹萃香の笑いは重厚な鈍器のようなもの。
「ふ、二人とも。まだゴングはなってないですよ!」
 リングの上の空気が歪む中、レフリーの四季映姫は危険な気配を感じ取り二人の間に割って入った。
「BI砲はどちらが強いのか、結論が出る事は無かった……でも、私たちの決着は今日付く」
 紫がコーナーへ戻る。
「…………そうだねぇ。きっと付くのだろうさ」
 萃香もコーナーへと戻った。
 
 
「それでは、初代幻想郷選手権試合、時間無制限一本勝負を行います。

 青コーナー、萃まる夢、幻、そして百鬼夜行、伊吹萃香!」
 
 諏訪子のアナウンスに合わせて萃香はガウンを脱ぎ捨てると右腕を突き上げた。
 
「赤コーナー、境目に潜む妖怪 八雲紫!」

 両腕を上げて八雲紫は、そのアナウンスに応えた紫はガウンをリング下の藍に投げ渡す。



 観客のボルテージも最高潮に達しようとしている。
「さあ、始まるぞ……」
 霖之助がゴクリと唾を飲み込んだ。
「……結局、どっちが強いんだ?」
 リング上の会話を聞いていた魔理沙は、未だに馬場と猪木に悩み続けている。
「……ええと、萃香はよく神社に来るし、でもそれは紫も同じだし……ええいっ! もう、どっちも頑張れー!」
 どちらを応援していいか分からなくなった霊夢は、どっちも応援する事を選択した。
 
 幻想郷中から集まった声援の中に混じったその小さな声援、しかし、それを贈られた二人は分かった、とばかりに手を上げる。
 
 
「ファイ!」
 
 会場がざわめく中、四季映姫レフリーが両手を交差させる。
 
 今、初代幻想郷選手権試合のゴングが鳴った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 立ち上がりは、果てしなく静かだった。
 ロックアップからの腕の取り合い、極めて基本に忠実な、教科書通りの立ち上がりだ。
 伊吹萃香が腕の取り合いに勝利し、ハンマーロックをかけるが、紫はぐるりと回転してハンマーロックを抜け出し、そのまま投げ捨てる。
 しかし投げられた萃香はすぐさま立ちあり、二人は再び向かい合った。
 
「素晴らしいな……ッ」
 客席では、霖之助がドッと沸いた観客の中で大きく息を吐いた。
 
 リングの上では再び萃香と紫が腕の取り合いをしている。
 ともすれば、それは前座の試合内容と変わらない動きであるが、観客の興奮はいやがうえにも高まっていた。
「これが、プロレスが上手いって奴か」
 魔理沙が、リングの上の二人に見とれながらため息を吐く。
 すべからく、試合というものは相手がいなくては成立しないものだ。

 プロレスは興行、つまるところは見世物と変わりない。

 興行としての試合は、ただ勝ち負けだけを考えていてはいけない。
 勝った上で、楽しませなければならないのだ。
「二人ともー、いいわよー!!」
 そうして唸っている霖之助と萃香の隣で、霊夢が自棄になったような声援を送っている。
 今のところは、彼女は文字通りに二人に同じように声援を送っていた。
「……動くぞ!」
 霖之助は叫んだ。
 腕の取り合いは最終的に萃香の勝利に終わったようだ。
 萃香が紫をロープに投げ飛ばすと、彼女を受け止めたロープは大きく軋み、萃香が投げつけた力、紫のウェイト、それらすべてのエネルギーがロープに貯えられる。
 
「……そう言えば、疑問なんだけど。何でロープに飛ばされたら帰って来なきゃいけないの?」

 ある種、プロレス界のタブーともいうべき疑問を霊夢はふと口にする。
 しかし、それに対して魔理沙と霖之助は、
「ロープに飛ばされたら戻ってくる、それは催眠術みたいなもんだ」
「そうじゃなきゃ、宇宙の法則が乱れるんだぜ!」
 と、当たり前のように答えた。
 
 
 萃香の膝蹴りが綺麗に、戻ってきた紫の胃袋に命中した。
 萃香の膝を支点にして八雲紫は弧を描き、マットのど真ん中で大の字を描く。
 転がった紫を確認すると萃香は自らロープに飛んで、反動を味方に付けてエルボードロップを見舞う。
 その狙いは再び胃袋、紫はその一撃を受けて悶絶する。
 
「責めるなら、一か所を攻めろ、か。教科書通り過ぎるだろ」
 魔理沙は腕を組んで唸りを上げた。
 序盤だからと、伊吹萃香は手を抜いていない。
 一点集中という、プロレスの基本を貫いている。
 
 エルボードロップの一撃を喰らわせて萃香は八雲紫が起き上がる気配がないと確認し、背を向けてコーナーポストへと向かう。
 コーナーポストからの、恐らくニードロップ辺りを見舞うつもりなのだろう。
 
 セカンドロープに足をかけ、トップロープに反対側の足を掛けて、コーナーポストに登って振り向いたその時、
「はーい、お元気?」
 伊吹萃香の目の前に八雲紫の顔があった。
 二度にわたる胃袋への強撃で脂汗を流しながら、
「紫ッ、もう動け……」
「胴体への攻撃って苦しくて動けなくはなるけど、頭と違って意識は飛ばない。だったら、根性があれば如何とでもなるわ!」
 そう叫ぶと紫は萃香の首と腕を掴むと、マットに投げ飛ばした。
 
 デッドリードライブ。
 致命的という名を冠するその投げ技は、コーナーに上った相手に対してのみ使える返し技。
 コーナーからの攻撃を予定していた相手に見舞ったときの威力と衝撃は、まさに致命的だ。

 伊吹萃香は投げ飛ばされてマットに大の字で横たわる。
 しかし、胃袋を念入りに攻められていた紫もダメージは大きく、追撃をできずにコーナーポストにもたれかかる。

 萃香は、紫に見下ろされながらノロノロと立ち上がった。
 非常に落差がある投げ技であるデッドリードライブのダメージは極めて大きい。
 そんな萃香に紫は突っ込むが、萃香はアームホイップで向かってきた紫を投げ飛ばす。
 倒れた紫に萃香はグランンドを仕掛けるが、試合巧者同士のグラウンドは目まぐるしい。いつの間にか紫は萃香の腕を取ってアームロックに持っていた。
 
「えーと、ど、どっちが勝っているの?」
 攻防が激しく入れ替わるグランドに霊夢が目を回す。
「ええと今は、萃香が紫のアームロックを外して、ヒールホールド、ええと踵を極めようとしているところだね。っと、で、結局ヒールホールドは決まらなく、紫がカニばさみで萃香を止めて……おおッ! ここから鎌固めに持って行くか!」
 霖之助の解説が追い付かないほど、二人のグランドでの攻防は素早かった。
 
 鎌固め。
 うつ伏せになった相手に仕掛ける技で、相手の交差させた足を自分の足で極め、その状態から仰向けになり相手の首も決める複合関節技である。
 
 受けた者の両腕が自由であるので、近くにロープがあるのであればブレイクするのは容易い。しかし、これがリングの中央で極まった場合は、他の複合関節技同様に解く事は困難である。
「あの状態じゃ、這いずってロープに行くのも一苦労だな……」
「萃香ー、気張りなさいー!」
 その様子に魔理沙が息を殺し、霊夢が声援を送る。

「ギブアップ?」
 レフリーの四季映姫が聞いてくるが、萃香はそれに無言で答える。
 そして萃香は両手を上げ、自分の上で技をかけている紫の首に手をかけた。
「なッ!」
 技をかけている紫が声を上げる。

 萃香の手が紫の首に、紫の手が萃香の首にかかっている。

「鎌固め返しか!」
 霖之助が声を上げる。
 鎌固め返しとは、かけられた相手が逆に首を圧迫するという、文字通り鎌固めへの返し技だ。
 リングの真ん中で繰り広げられる首の極め合いに会場は沸いた。
「…く…ッ」
 紫が荒い息を吐く。
 萃香に比べて、その顔色がみるみるとムラサキになっていく。
 それは鎌固めという技がブリッヂをしながらかける技である所為で、頭に血がのぼった上に首を絞められているからだ。
「……はあッ!」
 限界のきた紫の技は崩れ、萃香は鎌固めからの脱出に成功した。
「仕切り直しか……」
 荒い息を吐いて立ち上がる二人を見て、魔理沙が腕組をしながらビールを飲んだ。
 
 
 
 
「なかなか、渋い攻防ねぇ」
「でも、もっと派手でも良いんじゃないですか?」
 選手入場口から、試合を見ているのは第五試合を制した西行寺幽々子と魂魄妖夢の幽界コンビだった。
 二人はまだ試合の衣装のまま、上にガウンだけ羽織った状態で試合を観戦している。
「分かってないわねぇ、妖夢は。貴方はメインイベントがどういうものか」
 クスクスと幽々子は妖夢を笑う。
 それは本当に楽しそうで、妖夢は少し戸惑ってしまう。
「ええと、それでは幽々子様はメインイベントというものをどう考えているのですか?」

「それは簡単ですね。メインイベントというものは誰もが楽しめるものでなくてはいけません。つまり初めてプロレスを見るような人に同業のプロレスラー、解説者やスポンサーにすれっからしのプロレスマニアまで満足させる必要がある。だから、こそメインイベンターというものは見た目が派手な見せ技に頼らず、シンプルでいて説得力がある技で魅せる事が理想とされるからです」
 いきなり永江衣玖がリングコスチュームのまま現れると、滔々と解説を始めた。

 幽々子は突然現れた衣玖を見て「あら、まあ」と呑気に驚き、妖夢はただ呆然としていた。
「もう、いきなり走り出して何なのよ!」
 控室の方から天子が現れた。
 その手には、普段衣玖が着ている服が抱えられている。
 どうやら竜宮の使いは着替えの途中で何かを感じとり、控室を飛び出したらしい。
 しかし、そんな天子を一瞥しても、衣玖の饒舌はとどまる様子は無い。
 
「基本的に、見た目ばかりのメインイベンターは普通の客やスポンサーの受けは良いですが、レスラーやマニアからの受けが悪いのが問題です。
 かのバディ・ロージャスは決して実力が無いレスラーでしたが、傾向としては見た目を重視するレスラーでした。その所為で彼はカール・ゴッチとビル・ミラーの襲撃受け、無残な姿を晒してしまった。また、かのグレート・アントニオも実力はありませんが大きな顔をしたせいでカール・ゴッチの制裁を受けました。この事から、メインイベンターには重厚な実力者が望ましいのです。技の凄みというものは勝手に出るものですからね。
 そしてメインイベンターというのはプロレスの顔。だからこそプロレスの規範となるべく基本に忠実な試合をすることが重要なのです」
 衣玖の解説が終わり、幽々子はパチパチと手を叩いた。
 さっきまで激闘を繰り広げていた二人は、通じ合ったものがあるのか握手を交わしている。
「けどさ、衣玖……聞いていると、ゴッチって人がいなければ、別に見た目だけのレスラーでも問題は無かったんじゃ?」
「いけませんよ、統領娘様。本当のことを言っては……それにカール・ゴッチ的な選手はどこにも必ずいるのです」
 そう言って衣玖の言葉に幽々子は深く頷き、その姿を妖夢は分かったような分からないような顔で見ているのだった。
 そんな外野は置いておいてリングの上では、渋い攻防がヒートアップしていた。
 
 
 
 リングの中央で二人は組合い、紫は萃香の頭を取った。
 萃香の頭には長い角が生えている。
 その角は頭部に対する攻撃を妨害する効果もあるが、紫はまるで角など無いように萃香を頭締め……ヘッドロックに持っていく。
 こめかみを強く圧迫するヘッドロックは、未熟な者が使えば失笑ものの威力しかないが、熟達者が使えばフィニッシュ・ホールドにもなりうる。
 こと、確かな技を持つ八雲紫のヘッドロックであれば、それこそ万力の如き威力を発揮するだろう。

 伊吹萃香は、その紫の万力に絶叫する。

 何とか、紫のヘッドロックから逃れようと頭を振るが、萃香の頭から生えている角が良い感じにストッパーになって外れない。
「くそおぉぉぉっ!」
 萃香が吠えた。
 間断なく襲ってくる激痛に耐えかねたのだろうか。
 
 ――否。
 
 それは、己を奮い立たせる咆哮であった。
 雄たけびを上げた萃香は、紫の腰の掴み上げるとロープに向かって走り出す。
 幻想郷でも畏怖を持って語られる鬼の力、それを見せつけるかのようにヘッドロックをかけられたまま、萃香はロープに紫を押し込んだ。

「良い感じで、滅茶苦茶ね……ッ」
 ロープと萃香で挟まれた紫は、苦しそうにしながらもヘッドロックは外していない。
 だが、限界まで伸びたロープの反動と伊吹萃香の渾身のハンマースローによって、紫の手は萃香の頭から外れる。
 反対側のロープに飛ばされた紫はロープにはね飛ばされて、再び萃香の元に戻っていく。
 
「さて、お返しだ!」
 萃香は、空を舞った。
 それは普通の跳躍とは異なり溜め無く、観客が気が付いた時には萃香の身体は空にある。
 
 鬼の両脚は突き出され、それを喰らって紫は転倒し、空を舞っていた萃香もリングに落ちた。
 
 一発のドロップキックによって状況は逆転した。
 リング上に倒れていている二人であるが、紫と萃香ではその理由は180度違う。
 こめかみをさすりながらも立ち上げる萃香の転倒は、ドロップキックを放った所為だ。
 しかし、萃香に遅れて立ち上がろうとしている紫は攻撃を受けた為で、そのダメージは、極めて深い。
 
 なぜなら足というのは、単純に計算し腕の三倍の力を持つと言われている。
 ドロップキックとは、その足を両方使って放つ技、更に、そのドロップキックを使う伊吹萃香は力自慢で知られた鬼、その力を千人力と少なめに見積もった場合……3×2×1000で、通常の攻撃6,000倍の威力はゆうにあるだろう。
 
 そのような技を受けて、ただで済む理由は一つもない。
 動けない紫に萃香はゆっくりと近づき、続けていくぞとばかりにその首を小脇に抱えて、一気にさかさまに持ち上げた。
 
 垂直落下式ブレーンバスター。
 脳点砕きと言いながら背中から落とす普通のブレーンバスターとは違う、垂直に偽り無く脳点から落とす脳天砕きだ。
 
 マットと脳点の激突に八雲紫は昏倒し、伊吹萃香は即座に紫の片足を持ち上げてフォールの態勢に入る。

「ワン! ツー!」
 そのフォールを見て、四季映姫レフリーは即座にカウントを数えた。
 完全に決まったブレーンバスターは、相手の意識を完全にトバす。
 しかし、本当のレスラーというものは、
「ス……」
 意識がなくても、戦える限り肩が上がる。
 
 会場がドッと沸いた。
「ゆかりー! さっさと立ちなさいー! って、ああああああ、またやられるぅ!」
 霊夢は客席の上に立って声援を送っている。
 だが、それに文句を言う者は居なかった。
 なぜなら、もうほとんどの観客が総立ちになっているのだから。
 
 八雲紫は虚ろなまま、暗い空と照明を見上げていた。
 その髪を掴み、萃香は引きずり起こす。
「まだまだ行くぞ」
 小さな声で、紫以外の誰にも聞こえないほど小さな声で、萃香は囁いた。
 
 
 
 無茶を言う。
 
 徐々にはっきりしていく意識の中で、紫は心の中で苦笑する。
 鬼の放った膝蹴り、エルボードロップ、ドロップキック、そして垂直落下脳点砕き。
 どれ一つとっても、並みの妖怪であれば一撃で昏倒するような攻撃を放ちながら、まだ頑張れと萃香は言っている。
 倒れるな、と当たり前のように言ってくるのだ。
 
 有難い、紫はそう思った。
 
 誰と戦うにも決して本気を見せぬ鬼が、まだ叩かせろと言っているのだ。
 そこまでの信頼を預けてくれる。
 この八雲紫を信頼してくれている。

 相手との意思疎通がなければプロレスの試合は成立しない。
 殴る、投げる、極める相手との信頼がなければ、ああも綺麗に技は決まらない。
 
 相手を信じて、身をゆだねるから。
 
 相手を信じて、技をかけるから。
 
 
 
 こんなにもプロレスは美しく、激しく、鮮烈なのだ。




「まさか、この程度じゃないわよね」
 だから紫は、萃香を挑発した。
 
 この言葉もまた信頼の証。
 
「上等……流石は我が友だ!」
 伊吹萃香はリングの上で咆哮し、紫の両腕をリバース・フルネルソンで極める。
「ダブルアーム・スープレックスか?」
 客席で見ていた霖之助が声を上げる。
 
 しかし、技を受けている八雲紫は理解している。
 
 そんなものじゃない。
 
 八雲紫を信頼した伊吹萃香が、そんな技で終わらせる不義理はしない。
 その技量を、その力を、その柔軟さを、その受けの技術を、八雲紫の全てを信じ、躊躇い無く、もっとも危険で恐ろしい技を仕掛けてくるハズだ。
 萃香は紫を極めたまま持ち上げ、停止させた。
 
「うん、タイガードライバーか? いや、違う!!」
 それに思い至り、魔理沙は思わず悲鳴をあげる。
 
 リバース・フルネルソンからのジャンピング・パワーボムであるタイガードライバーには、あまりに恐ろしいヴァリエーションが存在する。
 最後まで両腕を極められ、一切受け身を取ることが不可能なまま頭から叩きつけられるその技は、外の世界の一九九一年にあるマスクマンの二代目だった男によって開発された。
 
 タイガードライバー’91
 プロレス史上、最も危険な技の一つに数えられるその技を伊吹萃香は八雲紫に放った。

 紫の頭がマットに叩きつけられ、会場は悲鳴に包まれた。
 両手がふさがっているから、受け身なんて取れる道理は無い。
 頭から叩きつけられるから、無事で済むとは思えない。
 
「紫……」
 霊夢が顔面蒼白で立ちつくす。
「落ち方が危ないな……」
「バカ!」
 ぼそりと呟く霖之助を魔理沙は肘で突く。
 
 会場でどよめきが収まる事は無く、マットの中央で倒れた紫はピクリとも動く事は無い。
 
 倒れた紫を萃香がフォールに入る。
 
 観客の誰もが八雲紫が起き上がれるとは思えなかった。

「ワン!」
 四季映姫レフリーがマットを叩く。

「ツー!」
 リングドクターである八意永琳が慌ただしく立ちあがろうとする。
 あるいは、すぐにでもドクターストップを宣言しようとしているのかもしれない。

「スリ……」
 カウント3が数えられる瞬間、紫が動いた。
 八雲紫の肩が上がり、伊吹萃香の頭に腕をかける。
 そして、萃香の股にも腕を潜り込ませると、そのままくるりと回って萃香の身体を丸め込んだ。
 
 丸めこまれた萃香の両肩はマットに付き、四季映姫レフリーは驚きながらもカウントを数える。
「ワン! ツー! ス……」
「うわッ!」
 そこでようやく我に返った萃香は、慌てて紫の丸め込みを振りほどいた。
 
 紫が使った丸め込み技は、スモールパッケージホールド。
 非常に高度な、しっかりと決まった場合はまず3カウントを聞く羽目になるほど逃れにくいフォール技である。
 
「……返してくることは予想していたけど、こんな事をするなんて思ってもなかったな」
 危うく逆転負けとなるところだった萃香は、ゆっくりと首を押さえながら立ち上がる紫を警戒する。
「……偉い人の言葉はちゃんと聞いておくものね」
 八雲紫は、どうにか立つ。
 まさに必殺であるタイガードライバー’91を喰らったとは思えないほど、その言動はしっかりしている。
「偉い人の言葉?」
 思わず聞き返した萃香に紫はこう返した。
 
「強くなりたかったら、首を鍛えろ」

 それは不世出のレスラー、カール・ゴッチがアントニオ猪木に送った金言、そしてプロレスの基本中の基本である言葉だ。
「ちゃんと首を鍛えていたから、受けられないはずのあの技を受けても『受け』ることができたのね」
 頭から叩きつけられるという激烈な攻撃で最も危惧すべき事は首へのダメージだ。
 しかし、八雲紫の鍛え抜かれた首は、その致命的なダメージに見事に耐えきったのである。

 最も、完全に無事で済んだわけではない。

 首周りに強烈なダメージを八雲紫は負っている。
 しかし紫は胸を張り、萃香は気圧されていた。
 周囲を見れば会場には、強烈な紫を応援する声援で溢れている。
「さあ、反撃行くわよ?」
 必殺を耐えきる事で、紫は完全に流れを引き寄せていた。
 
「はぁぁ……」
 そんな興奮する会場の中、立ち上がった紫に胸をなでおろす霊夢の姿と、
「なんていうか……お前って、良い客だな」
 そんな霊夢を魔理沙が感心するように眺めていた。
 
 
 
 
 
 
 野外に特設されたプロレス会場というものは、盆踊りの会場に似ている。
 チケットを持っていないものを遮る紅白幕は、祭のそれであるし、リングは太鼓、その周りの観客は盆踊りをする人々、そしてその周りには屋台があり、さらに隅っこには実行委員の無暗にでかいテントがあるところまでよく似ていた。
「ねぇねぇ! お姉様。なんか凄いよ!」
 納屋の屋根に設けられた特等席でフランドール・スカーレットが歓声を上げる。
「妹様、あまり縁で飛び跳ねると危ないですよ」
 ぴょんぴょん飛び跳ねるフランを咲夜が抑えようとした。
「……確かに、良い試合かも知れないけど私たちの試合の方がとても素晴らしかったわ」
 そう言ってレミリアは、さっきまで見ていたリングから目を離して、納屋の上で紅茶を優雅に啜る。

 会場となった、この人間の里郊外の空き地には放置された納屋が一つあった。
 当初の予定では、それは選手の控室に使われるはずだったが、悪役的ギミックを持ったマスクマンが普通のレスラーと和やかに同じ控え室を使うと、ちびっこの夢が壊れるという理由から、ここはクリムゾンマシーン軍団専用の控室となったのだ。
 
「咲夜さーん、ベルトが鞄に入らないんですが……」
 そんな三人の後ろでは美鈴が声を上げ、金色に輝く幻想郷タッグ選手権のベルトを鞄に入れようと四苦八苦していた。
「……いっそのことベルト巻いて帰ればいいんじゃない?」
 パチュリーがぼそりと呟く。
「なるほど、それだったら荷物になりませんね」
 そんなパチュリーの意見に小悪魔が頷いたが、
「そんなのは駄目よ! 私たちがベルトを巻いていたら、マスクト・スカーレットが私たちだってばれちゃうじゃない!」
 と、レミリアが猛烈に反対した。
 子どもたちの夢を守るのも、マスクマンの大切な仕事である。
「うわッ! 凄い。お姉様、あの技なに?」
 その時、フランが声を上げた。
 
 リングに目を向ければ、紫が萃香をフロントネック・チャンスリードロップで投げ捨てている。
「……普通に考えれば、バレバレだと思うけどね」
 再びリングに釘付けになった姉妹を眺めながら、パチュリーは呆れため息を吐くのだった。
 
 

 タイガードライバー'91に耐え切った紫は、完全に流れを引き寄せていた。
 フロント・ネック・ロックからの投げ技であるフロントネック・チャンスリードロップ、別名アントニオ・ドライバーを受けて、萃香はマットに投げ飛ばされる。
 
 参った。
 
 倒れながら、萃香は内心舌を巻く。
 壮絶な紫の猛攻に伊吹萃香は、追い詰められている。
 まるで燃え尽きる瞬間の蝋燭が、輝くように紫の攻撃は激烈だった。
 何よりも、フロントネック・チャンスリードロップに至るまでの流れは、地獄突き、DDT、レッグラリアットと全ては首……あるいは喉を狙っている。
 おかげで萃香は息をするだけで、一苦労。おまけに試合をしながらだから息も絶え絶えになっていた。
 
 一点集中がプロレスの基本であるならば、次の狙いも首であるハズ。
 そう思って萃香が薄く目を開けると、影が差した。
 
 目に飛び込んできたのは空に浮かぶ紫、彼女はカッと目を見開いて肘を立て、その肘の切っ先を伊吹萃香の喉元に向けている。
 
 八雲紫はエルボードロップを放とうとしていた。
 喉元へのエルボードロップ、それは毒針エルボードロップと呼称される技で、主に重量があるレスラーが愛用している。
 しかし、八雲紫が放つそれは重量級の使う毒針とは雰囲気がまるで違う。
「ここで、金髪の妖鬼とはね……」
 一瞬が引き伸ばされ、紫がゆっくりと落ちて来るのを眺めながら、萃香は停滞した時間の中で呟く。
 
 その肘には、きっと針が仕込まれている。
 そんな噂が流れるほど恐れられ、金髪の妖鬼と呼ばれたレスラーを萃香は思い出した。
 
 
 刹那、紫の肘が萃香の喉元にめり込んだ。
 エルボードロップをはじめとする倒れ込む技は、威力=体重が常識だ。
 
 
 しかし、それは間違っている。
 打撃部位を限りなく小さく、それこそ針先の如く小さくすればその一点に破壊力は集中される。
 その攻撃力を、最も防御の薄い一点に命中させれば、たとえ紫のウェイトであっても、その威力は100キロを超過する巨漢レスラーの毒針を凌駕できる。
 
「かはっ」

 鬼が息を吐く。
 紫はそのまま腕を回し、フォールへと持って行った。
 
 痛め技ではない、フィニッシュ・ホールドとしてのエルボードロップ。
 それを受けて、伊吹萃香は息すらできない。
 
 何も聞こえる事は無く、ただリングを照らすライトを呆然と見ていた。
 
 視界の隅で何かが動く。
 緑の髪の、白と黒の縞模様の服を着た人影がマットを手で叩いている。
 
 肩を、上げなければ。
 頭のどこかでそう考えても、その意味すら理解できない。
 もう、目を閉じても良い。
 そう思って伊吹萃香は目を閉じた。
 
「なにやってるの! 気張りなさいよ!」

 萃香は無意識に肩を上げた。
 
 
 
 
 

 
 どちらが勝ってほしいとかじゃない。
 伊吹萃香も八雲紫も、どちらも負けないでほしい。
 そして霊夢は、ここで終わったら二人とも負けてしまうと思った。
 
 だから、全力で声を上げたのだ。
 
 これ以上試合を続ける事が、二人にとって酷なことだと分かっている。
 しかし、霊夢はこれ以上頑張らなくて良いなんて、絶対に言えない。
 もっと頑張れとしか言えない。
 
 それはきっと信じているから。
 
 あの二人を信じているから。
 
 
 
 
 

 マットの上では静かに伊吹萃香が立ち上がる。
 毒針を放ち、倒れていた八雲紫も同様に疲れを隠しきれずにゆっくりと立つ。
 
 二人とも、肩で息をしている。
 
 だが、まだまだ、だ。
 
 この程度で、この試合を納めるわけにはいかない。
 
「……この程度じゃないよね?」
 荒く息を吐きながら、萃香は紫に聞いた。
 度重なる喉殺しによって、その声はかすれ始めている。

「この程度で、終わる道理はなにもないわ」
 玉のような汗を浮かべて、八雲紫が答える。
 頭部への度重なるダメージに加え、身を削る萃香への攻撃によって紫の疲労は限界に達しようとしている。
 
 肉体的には、二人は限界に近いのかもしれない。
 だが、心は未だに折れていない。
 リバプールの風となった男は、己の胸を指差してこう言った。
 
『プロレスってのは、ここでやるんだよ! ここで!』

 すなわち、これから先は純然たる意地の張り合い。
 つまり、ここからがようやく本番。
 
 リングの上で二つの影が交差した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「隣、良いかしら?」
 リングサイドの選手用特別席で試合を見ていた妹紅に誰かが声をかけた。
「ああ、空いてるよ」
 壮絶な逆水平と袈裟切りの打ち合いを見ていた妹紅が振り向くと、そこにはさっきまで対戦していた風見幽香が立っていた。
 ニコリと幽香は笑うが、妹紅は無表情のまま空いているパイプ椅子を引く。
 そんな二人の手には、引きちぎられた初代幻想郷ハードコア選手権のベルトを半分づつ、それぞれ抱えている。
「慧音さんは?」
「団体席で学校の子供らと見てるよ……さっき様子を見に行ったら『なんて過激な試合を子どもたちに見せるんだ』って、怒られた」
 そう言って憮然とした顔で妹紅は半分になっているベルトを撫で、そんな妹紅を見て幽香は楽しそうに笑う。

「まあ、あの大流血はお子様には辛いかもしれないわね」
「……大流血させた本人が言うかね」
 ぼそりと不満げに妹紅がぼやくと、さらに幽香は楽しそうに笑った。
 
 リングの上では、壮絶なる手刀の打ち合いが延々と続いている。
 その一刀、一刀ごとに汗が飛び散り、このままではリングの上には汗だまりが出来ていた。
 
「だいたい私は流血こそしなかったけど、もこたんに結構酷い目に合されたわよ?」
「もこたんって言うな」
 にまり、と幽香が笑った。そんな幽香の使う呼び名を妹紅は断固拒否する。
「そもそも、もこたんたらラダーの最上段からのフランケンシュタイナーをかますんだもの、死ぬかと思ったわ」
「そのもこたんってやめろ」
 ラダーとはハシゴの事で、ハードコア形式の試合ではたまに使われる。
 用途は、天井に吊り下げられたベルトを取る時や、コーナーポストより高い所から技を仕掛けたい時、壮絶な自爆をしたい時などに用いられる。
「その後、お前に何度も鉄柱に頭を叩きつけられて、私も死ぬかと思ったけどな」
「死なないじゃないの」
「死なないけど殺されると思った」

 リングの上では打ち合いが終わり、紫が仕掛けたサーフボード・ストレッチを萃香がオーバー・ヘッドキックで返している。
「上手いな」
 そのリング上の攻防に見とれて、妹紅はため息を漏らす。
「ねえ、もこたん……」
「だから、もこたんって言うな……って、なんだ?」
 すっと、幽香は妹紅に近づいてその手を妹紅に重ねると、肩を妹紅に預けて潤んだ瞳で見上げた。
 そして、持っていた千切れたベルトを妹紅の持っていたベルトに重ねると、
「今度、続きをしましょ?」
 と、不敵な笑みを浮かべて囁く。
 妖艶な顔を見て、妹紅は思わず息を飲む。
 
「ネチョ禁止だ!」

 そんな二人の頭を、妖しげな気配を感じて飛んできた慧音がパイプ椅子で張り倒す。
 
 リングサイドで意味不明の3ウェイが繰り広げられる中、リング上では勝負は佳境に入っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だれも知らない隠れ家の中に置かれた古びたブラウン管とビデオデッキ。
 ほんの気まぐれから再生した、一本のビデオテープ。
 
 全てはそこから始まった。
 
「これ、面白いねぇ」
 いつの間にか、萃香はそこにいた。
「……この技って痛いのかしら?」
「だったら、試してみようか!」
 見よう見まねでかけた四の字固めは、
「痛い痛い! 萃香! 外して!」
「あはは! 駄目だ。外し方が分からないし、私も痛いぃ!」
 とても、とても痛かった。
 
 
「実際にさ、やってみないか?」
 ある日、萃香がそれを誘った時、躊躇する。
 
 この閉じた幻想郷で、そんな事をしても良いのか。
 
 閉じた本人がそんな事をしても許されるのか。
 そう思った。
 
 そんな時に萃香は自分の胸を差して、笑った。
 
 心こそ、最も大切なことだ。
 
 そう、彼女は言っていた。
 彼女がいなくては、きっと何もできなかった。
 

 
 
 
 歓声が聞こえた。
 暗くなっていた視界が戻る。
 ここはリングの真ん中で、私は萃香の後ろを取っていた。
 私の両腕は、無意識のうちに萃香の腰に回してクラッチしている。
 周囲を見ると、観客は総立ちになっていた。
 
 
 
 ――会場の全てが見たい。
 
 
 
 
 そう思ったとき世界はぐるりと反転した。
 
 
 
 
 
 
 八雲紫によってリング上にあまりにも美しいブリッヂが描かれる。
 それを見た観客の歓声が止まる。
 完全なる弧を描くジャーマン・スープレックス、誰しもが見とれ、息を止める。
 ほんの一瞬の停滞、そこで四季映姫レフリーが気が付き、カウントに入った。

「ワン! ツー! スリ……」
 三カウントは途中で止まる。
 
 伊吹萃香が返したわけではない。
 技をかけた八雲紫が力尽き、ジャーマンのブリッヂが崩れてしまったからだ。
 もう、萃香の両肩が付いていない以上、四季映姫がカウントを取ることはできない。
 
 会場がざわめく。
 
 リングの上に横たわる、ジャーマン・スープレックスを受けた萃香とジャーマンをかけて力尽きた紫はまるで動かない。
 
「ワン!」

 両者ノックダウンと判断し、映姫は10カウントを取り始める。
 
「ツー!」

 だれかれともなくコールがはじまった。
 
「スリー!」

 八雲紫を呼ぶ声援、伊吹萃香を呼ぶ声援、それは混じり合い合唱となって会場を支配する。
 
「フォー!」

 そのコールを聞き、彼女は僅かに身じろぎをした。
 続く10カウントを聞きながらよろめきながらも立ち上がり、そんな彼女を見て観客は歓声を上げる。
 
 
 伊吹萃香は両の足を踏ん張って、リング中央に立っていた。
 
 
 四季映姫のカウントは続く。
 八雲紫に動ける気配は無く、もうすぐ数えられる10で伊吹萃香の勝利は確定するだろう。
 しかし、萃香は倒れた紫の前まで進み、
「……行くよ、紫」
 と、言って10カウント直前で八雲紫を引き起こす。
 

 
 

 どちらが強いとか、そんな事じゃない。
 
 貴方とでなければ、こんな素晴らしい試合はできなかった。
 
 
 全ての思いを込めて、萃香は紫を持ち上げる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この興行が行われる少し前。
「やっぱりさ、決め技はこだわりたいよねぇ」
 二人はフィニッシュ・ホールドについて話し合っていた。
 基本的なギミック、スタイルに並ぶほど、レスラーにとって決め技、フィニッシュ・ホールドは重要だ。
 なぜなら、決め技とは、対戦相手と築き上げた試合の締め。
 締めが良くなければ、それまでどれほど良い試合をしていても、画竜点睛を欠く。
 だからこそ、レスラーはフィニッシュ・ホールドには並々ならぬこだわりを見せるのだ。
「紫は、どんな技なんだい?」
「私? 私はやっぱりジャーマンね」
 萃香に尋ねられた紫は、自信満々に答える。
 
「極めや締めじゃないのか?」
「確かに、卍とかシャープシューターとか四の字は大好きだけど、やっぱり私はジャーマンに思い入れがあるのよ」
 そこであえてサソリ固めではなく、サソリとは足の交差が逆のシャープシューターを上げるところが非常に紫らしい。
「なるほど、確かにジャーマンはブリッジが映えるからねぇ」
「しかも、使い手のブリッジの綺麗さが一目瞭然じゃない? ざるそばを食べれば店の良し悪しが分かるって言うけど、私はジャーマンを見れば、プロレスの上手さってのは分かると思うの」
 つまり、自分のブリッジはとても綺麗なので、プロレスは上手いと言いたいのだろう。
 
「おやおや、じゃあジャーマンを使えない私は、駄目なレスラーってことかい?」
 萃香の頭には大きな角が二本、真上に向かって伸びている。
 おかげで、パイルドライバーを受けることはできないし、ジャーマンも受ける事は出来るけど使う事は出来ない。
「そうかもねー。悔しかったら、自分だけの凄いフェイバリット・ホールドを見つけて、私を驚かせてごらんなさい?」
「自分だけのねぇ」
 紫の言葉を受けて、萃香は頭をひねる。
 タイガードライバー'91は、確かに強烈な技だがあくまでアレは他人の必殺技だ。
 気に入っているが、自分だけの技とは言えない。

「どうしたの? 何か思いついた?」
 楽しそうに紫は悩んでいる萃香に聞いてくる。
 どうやら、普段は天真爛漫を絵に描いた悩みの欠片もない萃香が悩んでいるのが楽しいようだ。
「んー、なんかアドバイスが欲しいねぇ」
 腕組みをしたまま、ゴロゴロと転がっていた萃香が助けを求める。
 そんな姿を見て紫は噴き出す。
「そうね、萃香は分類としてはパワーファイターなんだから、その力を生かせる技が良いと思うわ」
「パワー……パワーねぇ」
 紫の提案に萃香は考え込んだ。
「どしたの?」
「パワーって言ってもね……私が全力を出すわけにはいかないだろ?」
 それまでの明るい顔が、僅かに曇る。
 
 鬼は強い。
 
 並ぶものがないほど、特に単純な力ではかなうものが居ないほど強い。
 スペルカードルールなら、鬼は鬼なりに全力を出せる。
 
 相手は避けるのだから、ルールの中とはいえ、遠慮なく力を振るう事が出来る。
 
 しかし、プロレスは違う。
 相手は避けるわけにはいかない。
 スペルカードルールには『避けの美学』があるようにプロレスには『受けの美学』が存在する。

 相手の攻撃を受けて、受けて、受けきった上で勝つ。
 
 技から逃げないこと、それこそがプロレスが他の格闘技と異彩を放つ点。
 それがプロレスの醍醐味なのだ。
 
 そして伊吹萃香の顔が曇った理由は、それだ。
 鬼の自分が、受けなければならない相手を攻撃しても良いのか?
 
 並みの、いや並ではない相手ですら鬼の力には耐えられないのに、パワーを生かした技など許されるはずは無い。
 そう思ったのだ。
 
「大丈夫よ、私は」
 紫は、思い悩む萃香にあっけらかんと答えた。
「い、いやでもたぶん無理だろ……」
「大丈夫、大丈夫」

 大丈夫と連呼する紫を萃香は呆れたように見る。
 なぜなら、どう考えても大丈夫な理由など、何一つ無い。
 
 確かに八雲紫は幻想郷でも一二を争う大妖怪だ。
 しかし、その強さの源泉は比類なき知性であり、境界を操るという神の如き力である。
 決して、鬼の攻撃に耐えられるほど強靭な妖怪ではないのだ。
 
 萃香は、紫にそう言い聞かせようと口を開こうとした。
 その時、

「別に、あなたくらいなら、いくらでも受け止められるわ」

 そう言って、八雲紫は伊吹萃香に笑いかけた。
 
 
 
 
 
 
 ―――すべてを受け入れるような、そんな笑みで。
 
 
 
 
 
「……ずるいな、紫はさ」
 それを見て、萃香はため息を漏らす。
 

 そんな笑顔も見せられたら、すべてをゆだねたくなってしまうじゃないか。
 
 
 紫は、頭を掻いている萃香を笑いながら見下ろしている。
 その笑顔は、まるで母親のそれのようだった。
 
 
「紫にかかっちゃ、私もまだまだ小娘ってことかね」
 萃香は笑みを浮かべる。
 それは、陰りなど一切なく晴々としていた。
 
 
 
 
「期待しているわよ、萃香の全力」
「ああ、手加減なんて絶対にしないからな!」

 そう言って、萃香は紫と約束した。 
 鬼は約束を破らない。

 絶対に。
 
 



 
 二人は、大歓声の中、リングの中にいた。
  
 
 萃香は紫を高く、高く、持ち上げ、
 
 
 全身全霊、全ての思いを込めて、萃香は紫をマットに叩きつける。
 
 
 
 
 
 パワーボム。
 前かがみになった相手を抱えあげ、後頭部から全力で叩きつけるというシンプルな技。
 それは単純であるがゆえに強烈であり、その鬼の全力を受け止めたリングは大きな音を立てて激しく揺れる。
 
「レフリー!」
 そのマットに伝わる衝撃で転んでいた四季映姫レフリーに萃香がカウントを要求する。
 
 
 
 
 
 レフリーは3カウントを数えきり、それを確認した萃香はフォールを即座に解く。
 リングアナが、萃香の勝利を告げ、満場の拍手が鳴り響く中で萃香は両腕を上げる。
 
 
 
 約束は、守られた。






 
 
 
 
「夢をありがとー!」
 椅子に乗ったまま霊夢はリングに向かって叫ぶ。
 その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「今度こそ、夢をありがとー!」
 続いて霖之助も続く。
 リング上では、藍に肩を貸してもらい、立ち上がった紫が萃香と抱擁を交わしている。
「良い試合だったなぁ」
 総立ちになった会場の中で、魔理沙は一人椅子に座りリングを見ていた。
 セコンドにベルトを巻いて貰った萃香は、勇儀に肩車をされて客席に向かい手を上げる。
 諏訪子にマイクを手渡され、烏天狗達の焚くフラッシュを眩しそうにしながら萃香は、リングインタビューを受けていた。

 最前列の妖精や年若い妖怪たちは大騒ぎをし、プリズムリバーたちが即興で演奏をしている。
 人間の観客も総立ちで、特に慧音の引率できた学び舎の子供たちは、大喜びだ。
 
 
「良い試合だったねぇ」
 会場から少し離れた場所にある天幕から試合を見ていた地霊殿組の火車、お燐が座布団の上でお茶を啜りながら呟いた。
 その顔は、まさにいい塩梅といったところだ。
「そうね、とても良い試合でした」
 お燐の後ろから試合を見ていた、古明地さとりは、そんな感想を漏らしながら目じりを拭った。
「お姉様……泣いてるの?」
 そんなさとりを不思議そうに、こいしが覗きこむ。
 感動する、というのがピンとこないのかもしれない。

 さとりは、こいしの頭をそっと撫でた。

「あー、しかしなんか燃えてきた!」
 試合を見て触発されたのか、お空が両手を振りまわしていると、
「お空も、もうちょい情緒を身に着けるといいかもねぇ」
 と、お燐はのほほんと呟いた。
 



 会場の興奮は収まってきたようだ。
 
「そろそろ頃合いか」
 手の平に人を三回書いて、飲む。
 
 魔理沙は一つ大きく深呼吸をして息を整えると、帽子の中から自分の背丈ほどもありそうな長い柄を持つハンマーを取り出した。
 そして魔理沙はハンマーを担ぐと、隣でいまだ興奮冷めやらぬ二人を残して、選手入場口に消えていった。
 
 
 

 
 リングインタビューの最中、一息入れてお茶を啜っていた霊夢はそれに気が付いた。
 
「あれ、魔理沙は?」
 ずっと隣に座っていた魔理沙が居ない。
 そして、その気が付いた直後に初代幻想郷選手権者である伊吹萃香のリングインタビューが続く中、突然全ての照明が落ちる。
 
「な、なに?」

 霊夢が声を上げる。
 いや、霊夢だけではない。
 唐突な暗闇に、会場に集った人々、妖怪は驚き、ざわめく。
「そ、そーなのかー!」
 件の闇妖も、自分のものではない闇に思わず声を上げていた。
 
 
 そんな最中、ある一点が強烈なスポットライトによって照らしだされた。
 
 
 スポットライトが照らしだしたのは、一人の少女だった。
 黒い帽子に星をあしらったリングコスチュームを着た金髪の少女が一人、長い柄のハンマーを担いで、忽然と会場に現れたのだ。
 
「魔理沙!?」
 霊夢は飲んでいたお茶を噴いた。
 そこにいるのは紛れもなく、一緒にプロレスを見にきた親友の霧雨魔理沙がそこにいたからだ。
「さて、まだまだ終われないぜ?」
 魔理沙はそう一言呟くと、指を鳴らす。
 
 けたたましくも激しいギターサウンドが、どこからともなく会場に鳴り響く。
 会場のスピーカーと合わない所為か、その音は割れてしまっているが、魔理沙はそれを聞いて「むしろ、らしくて良いな」と笑う。
 そして、会場の全てが呆気にとられている中、リングに向かって駆けた。 
 
 途中で鬼や天狗や河童が止めようとするが、それを容易く潜り抜け、あれよあれよという間に魔理沙はリングインしてしまう。
 リングの上には萃香と諏訪子と四季映姫。
 
 魔理沙は迷わずに萃香の元に向かう。
「何をしているのですか!」
 と、四季映姫レフリーが止めようとする。
 しかし、振り払われてあえなく気絶してしまう。
「あーうー」
 リングアナウンサーである諏訪子も、魔理沙にコーナーに突き飛ばされ、動く事が出来ない。

 そんな中で萃香と魔理沙は至近距離で対峙した。
 
「よお、チャンピオン」
 
 ハンマーを担いだまま、魔理沙はにこやかに萃香に語りかける。
 その全身からは、えも言われぬ凶悪な雰囲気がどこからともなく漂っていていた。
 
「これは一体、どういうつもりだい?」

 激闘を繰り広げて満身創痍の萃香が、魔理沙に問いかける。

 
「単純な話だ。私は、お前らの甘ったるいプロレスをたたき壊しに来たんだよ」
 そう答える魔理沙の顔は、比類なき攻撃性がみなぎっていた。
 
 

 その突然の宣戦布告の一言で、萃香は魔理沙に殴りかかった。
 しかし、紫との激戦で疲労している萃香の攻撃に切れは無く、魔理沙は簡単にかわしてしまう。
 魔理沙はハンマーを投げ捨てると、萃香の腹にトーキックを叩き込んだ。

「行くぜ?」

 爪先蹴りの一撃で、萃香は腹を抱えて頭が下がる。
 その下がった頭を掴むと、魔理沙は背を向けて、頭を肩に固定させ、思いっきり尻餅を着いた。
 全ての落下の衝撃は萃香の顎へと浸透し、その衝撃で萃香の頭は跳ね上がり、伊吹萃香の意識を彼方へと連れ去る。
 
 
 それは自身の全体重を相手の顎に衝撃として叩き込む技、スタナーだった。
 ある意味で、反逆の象徴としても語られたこの技を、霧雨魔理沙は完全に使いこなしている。
「徹底的にぶち壊してやるぜ。こんな虫酸の走るプロレスは!!」
 極悪と呼ぶにふさわしい表情で、魔理沙は萃香を重低音ストッピングで痛めつけた。
 
 
 
「一体、何をしてるのよ! あのバカ魔理沙は!」
 観客席では霊夢が椅子の上で地団駄を踏んでいた。
 他の観客も同様に魔理沙に対して、壮絶なブーイングを浴びせかけている。
 慧音の連れてきた子供たちなど、顔を真っ赤にして魔理沙を罵っていた。
 しかしリングの魔理沙はどこ吹く風、むしろ観客に見せつけるように持ってきたハンマーを見せびらかすと、それを使って倒れた萃香を攻撃していた。
 
 それを見ている観客達は更にヒートアップをし、魔理沙に激しいブーイングを浴びせていく。

 そんな中で、一人霖之助だけが、
「これだけ、観客をヒートさせている……となると、どう収拾をつけるつもりだ?」
 と、椅子に座って考えていた。
 

 


 会場の外の喧噪とは裏腹に入場口は静かなものだった。
 八雲紫の式である八雲藍の式、橙は入場口で受付をしながら人がはけたことを感謝して、水筒に入った紅茶を啜る。
「ふぃー、紅茶が美味い」
 ポットの紅茶は銘柄も思い出せないような二級品、それに少しの砂糖を入れただけのもの。
 だが、そのほんのりと甘い紅茶は、昼からの仕事で疲れた身体には良く効いた。
 猫舌なので、カップに注いでじっくりと冷ます。
「随分美味しそうね?」
「ふにゃ!」
 突然、後ろから声をかけられて、橙は思わず声を上げる。
 なぜなら、その声は良く知る声だからだ。
「ゆ、ゆかりさま!」
 慌てて橙は居住まいを正す。
 声の主は、自分の主のそのまた主、ついさっきまで伊吹萃香と激戦を繰り広げていた八雲紫だった。
「いいのよ、楽にしてて」
 そう言いつつ、紫は入場口受付の長机に座ると、一杯頂いて良い? と尋ねながら橙の水筒に入った紅茶を貰う。
 この水筒は外蓋がコップになるだけでなく、内蓋の間に二つ目のコップが用意されているタイプなので、紫の使うコップも問題なかった。
「なかなか美味しいわね」
「は、はい!」
 上機嫌な紫に橙は、慌てて頷いた。
「ビスケット食べる?」
 紫の手にはいつの間にかビスケットの箱が載せられている。
 高級ビスケットと缶に書かれたビスケット缶は、とても高級そうに見える。
「い、いいんですか?」
 そう言いながら、思わずよだれが垂れそうになり、橙は慌てて袖で拭った。
「今日は、橙も入場受付で一杯頑張ったから、ご褒美よ」
 そう言って紫は受付の長机に高級ビスケットを置いた。
 
「紫様! こんなところに居たんですか!」

 ビスケットを紅茶に浸す理想的な方程式について紫が橙に教授をしていると、八雲紫の式にして橙の主人がやって来た。
「あら、藍じゃない。ビスケット食べる?」
 そう言うと紫は、ビスケットを一枚、差し出した。
「あ、これはすみません。いただきます……じゃなくて、探しましたよ! 突然いなくなって!」
 よく見れば紫を探していた所為か、額には汗が浮かんでいる。
「大げさねぇ、ちょっと夜風に当たっていただけじゃないの」
 そう言って紫は、コップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。
「いえ、そろそろ紫様に出て行かないと……暴動が起きかねません」
「魔理沙だったら、適当に間を繋ぐわよ」
 橙に「ごちそうさま」と言ってコップを返すと紫は立ち上がる。
「あ、あのゆかりさま!」
 会場に戻ろうとする紫に橙が声をかける。
「ん、どうしたんだ、橙?」
 藍が橙に振り向いた。
 紫も、小首をかしげて振り向く。
 主人と、そのまた主人に見つめられながら橙は、
「の、残りのビスケットは食べても良いですか?」
 と聞いた。
「ええ、いいわよ」
 それを聞き、紫は噴き出しながら答える。
「食べたら、歯を磨くんだぞ!」
 藍は生真面目に注意した。
 
 
 
 



 
「そこまでよ!」
 
 選手入場口からの声に誰しもが振り向いた。
 そこに立つには、さっきまで萃香と激闘を繰り広げていた八雲紫の姿だった。

 彼女はリングに向かって駆ける。

 その動きにはさっきまでの激戦のダメージはまるで感じられない。
 サードロープを潜りってリングインした紫は、魔理沙に体当たりをして萃香を救出した。

「ゆかりー、よくやったわ!」

 客席では霊夢が、紫を喝采する。
 他の観客も同様に『魔理沙憎し』や『紫良くやった』という感情に支配されている。
 
「これ以上の傍若無人は許さないわ!」
「はっ、そう言うなら実力でどうにかしてみな!」
 魔理沙と紫がにらみ合う。
 一触即発の様相と呈したその時、倒れていた四季映姫が立ち上がって、両者の間に割り込んだ。
「二人とも、下がってください! 今日のところは紫や萃香は試合を出来る状態ではありません!」
 四季映姫の主張は正しい。
 紫にしろ萃香にしろ、とてもではないがもう一戦は不可能だ。
 なにより、流石に夜も更けている。

 映姫の言葉に会場中が頷いた。

「……なので、後日。改めて試合を開催したします!」
 その一言で魔理沙と紫が下がり、会場は歓声に包まれた。
「なるほど、ただ、それじゃあ、紫は倒せるけど、そこのチャンピオンは倒せないじゃないか」
 魔理沙がこれだけは譲れない、と食い下がる。
「だったら、何がお望みだい?」
 萃香の問いに待っていましたとばかりに魔理沙は笑うと、
「ここはタッグ戦と行こうじゃないか?」
 と提案する。
「へぇ。お前に仲間が居るのかい?」
「私よりも、極悪非道な奴が居るぜ……それともチャンピオン殿は怖いのかい?」
 萃香が挑発すると、逆に魔理沙が挑発し返す。
「なんだとー、怖い訳があるか!」
 あっさりと萃香は魔理沙の挑発に乗ってしまった。
 
 全員の意思は統一される。
 
「それじゃあせいぜい首を洗って待っているんだな」
「しっかりと、お仕置きしてあげるわ」
「叩きのめしてやるさ!」
 
 こうして、真夏の夜のワンナイトマッチは、波乱の中で幕を閉じたのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
「いやー、今回は初の興業でしたが、幾つかのトラブルはあったものの、全体としては大成功に終わりました……それでは、乾杯!」

「何で、うちで打ち上げをしてるの?」
 博麗神社の境内で、集まりに集まった今宵のプロレスの関係者。
 そんな彼らを集めて乾杯の音頭を取るのは、発起人の八雲紫と、その隣で腑に落ちない顔で戸惑っているのは博麗神社の巫女である博麗霊夢だった。
「まー、一応はさ。抗争中の連中もいるわけだから、気は使った方が良い訳で、そうなると人が来ないし、適度に広く、しかも居心地が良いこの神社に白羽の矢が立つわけなんだな~」
 萃香はすでに出来上がっている。
 その腰にはベルトが誇らしげに輝いていた。
 機嫌良さそうに盃を傾ける萃香を見て、霊夢は諦めたようにため息を吐いた。
「ねぇ、霊夢。私の活躍見てくれた?」
 コップ酒片手にレミリアが転がって霊夢に近づく。
 それを見ていたフランがマネをして「私もー」と同じように転がった。
「……レミリアって、居たっけ?」
「え、ええと、私の渾身のセミファイナル……見てなかったかしら?」
 霊夢の答えにレミリアは戸惑う。
 自分のベストバウトを見てくれていないのは、流石にせつない。
「セミファイナルって、マスクト・スカーレット組とさとり、こいし組の試合じゃない。レミリア出てないでしょ?」
 ある意味、完全に空気を読んだ霊夢の言葉に周囲は凍りつく。
 そんな中で、ただひとり八雲紫だけが大笑いしていた。

 宴もたけなわとなってきた。
 天狗や鬼はまだまだ飲み足りないようであるが、他の種族のものは何人か潰れて転がっている。
「おお、やってるな?」
 そんな中に普通の魔法使い、霧雨魔理沙がやって来た。
「おいーす」
「随分と遅かったのね」
 萃香と紫がもろ手をあげて歓迎し、他の者たちも口々にねぎらいや歓迎の言葉を投げかける。
 そんな和やかな雰囲気の中でただ一人、凄い勢いで怒っているものが居た。
「魔理沙! あんたねぇ!」
 その怒りの人は霊夢だった。
 まるで角でも生やしかねないほどの勢いで、霊夢は魔理沙に詰め寄った。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
 そんな霊夢を萃香が困ったような、しかしどこか嬉しそうでもあり、楽しそうでもある顔で羽交い締めにする。
 見回せば、他の者たちも全員似たような顔をしていた。
「いやー、本当に霊夢は分かりやすくて良いな」
 そう言って魔理沙は困ったように頭を掻いた。
 
 どこから、説明をしたものか。
 
 そう考えると頭を捻るしかないのだ。
「ひとつ、お前に聞きたいんだが」
「あによ」
 噛みつかんばかりに霊夢は答える。
 酒も入っている所為か、霊夢は随分と攻撃的になっているようだ。
「何でお前は怒ってるんだ?」
「そんなの決まってるでしょ! あんな良い試合の後に勝手に乱入して、その上にあんな暴言を!」
 凄い勢いで唾が飛び、魔理沙の顔は濡れた。
 懐からハンカチを取り出すと、優雅な仕草で魔理沙は顔を拭いて霊夢に向きなおる。
「ふうむ。勝手に、か……しかし、考えてくれ霊夢」
「あによ」
「私が独断で乱入したのなら、どうして私の入場の演出がされたんだ?」
「あ」
 その一言で霊夢の動きは止まった。
「ついでに言えば、勝手に乱入したなら、リングの上に居た閻魔やら神やらにあっという間に叩き出されてるぜ……なんであの二人が私の無法にされるがままだったんだ?」
 その言葉を聞いて、霊夢は四季映姫や諏訪子を見た。
「この鯉こくは、煮こごりが良い感じですね」
「いやー、お口にあって良かったです」
 とぼけた顔で小町お手製の鯉こくを映姫は突いている。
「ふぅ、ノドを使ったからお酒が美味いや」
「ちゃんとおつまみも食べましょうよ……悪酔いしますよ?」
 諏訪子は早苗に酒の飲み方を注意されていた。
 
 二人とも、決して霊夢と目を合わせないようにしている。
 
「もしかして……私、騙されてたの?」
 呆然とした顔で霊夢が呟く。
 
「それは違うわ」

 しかし、それに紫が異を唱えた。
「たとえば、貴方が架空の物語を読んだとします。その物語を見て、貴方は感動をしたとする……だからと言って、貴方は『騙された、そんな物語は本当に無かったんだ』って、憤るの?」
「そ、それは……」
「その感動を、否定してしまうの?」
 紫に諭されて、霊夢は言葉に詰まる。
「ここでリングに立ったもの達は、全力で戦った。確かに演出はあった……それは認めましょう。でも、その所為でそれらの試合は、貴方にとって認められないものになってしまったの?」
 
 誰もが、霊夢をじっと見ていた。
 
 認められない者もいる。
 全てを嘘に過ぎないと断じ、顧みない者もいる。
 
 
 
 
 
 熟考し……霊夢は、首を振った。
 
 
「ありがと……」
 紫が霊夢を優しく抱きしめた。
 受け入れてくれたことへの、感謝を込めて。
「私もだぜ!」
 魔理沙が、そんな二人に抱きつく。
「私もよ!」
「なら、私も羽交い締めから、ハグにするよー」
「私もー」
「い、いい加減にしなさい!」
 まるで団子のようになったど真ん中で、抱きつかれて圧殺されそうになった霊夢はキレた。
 
 
 
 
「しかし、良かったぜ。霊夢が受け入れてくれて」
「まあ、試合は面白かったし、それに……」
「それに?」
「あんなに一生懸命な姿を否定なんて出来ないわよ」
「なるほどな、じゃあ次は一緒に頑張ろうぜ!」
 魔理沙は霊夢の肩を叩いた。
「え?」

 一緒に、頑張る?
 
 魔理沙の発言の意図が読めずに霊夢は間の抜けた声を上げる。
 
 しかし、魔理沙はそんな霊夢を放っておいて、紫の方に向かう
「霊夢のギミックどうする?」
「とりあえず、貴方のスタイルがタフガール系だし、予告通り冷酷非情でせめると良いかもね」
「小道具として鎖を持たせない? んで、私とチェーンデスマッチをさせようよ!」
「ちょっと、ちょっと! あんたら何を言ってるの!?」
 聞き捨てならないことをのたまう三人に霊夢は声を上げる。
「ああ、安心しろよ。私たちは、最初は冷酷非情なヒールで売るけど、紫と萃香との試合を通じてベビーフェイスに移行する予定だから」
「んなことは聞いてない!」
 霊夢が声を上げるが、三人は気にせずに霊夢のギミックについて話を続ける。
「ちょっとあんたら、私の質問に答えなさいよ!」
 霊夢の叫びが夏の夜空に吸い込まれた。
 






 そして、一週間後。
 白いマットのジャングルに『ザ・グレートミコ』という毒霧を吹くマスクマンの姿があったという。
 
 
 
 
 
 
 
 






 涼しい夏の朝、香霖堂は静かだった。
 遠くからは蛙の鳴き声がかすかに聞こえるだけ。
 雀が香霖堂の屋根に止まり、チュンチュンと鳴きはじめた。
 少しずつ日が昇るにつれ、夏は騒がしさを取り戻そうとしている。
 
「号外ー!」
 
 唐突に、新聞が窓を突き破って香霖堂の中に投げ入れられた。
 窓の割れる音でたたき起こされた霖之助は、慣れた手つきで割れたガラスを処理すると、投げ入れられた新聞を手に取る。
 ある漫画を鴉天狗に貸してから、彼女は新聞をこうして投げ込むものと思い込んでしまった。
「まあ、寿命が100日縮むくらいは何ともないが……どれ」
 新聞の内容いつもの通りだが、紙面の端には一週間前の試合結果が書かれていた。
 







 真夏の夜のワンナイトマッチ試合結果。
 
 
 第一試合
 
 ○大妖精 [逆エビ固め 5分34秒] ×ザ・スモールデビル
 

 第二試合
 
 ○秋静葉、秋稔子 [ダブルフライングクロスチョップ 11分27秒] ×犬走椛、射命丸文
 
 
 第三試合
 
 ○毛玉 [5分10秒 フィッシャーマンズ・スープレックスホールド] ×毛玉107匹
 

 第四試合
 
 ○火焔猫燐、霊烏路空 [12分02秒 ジャパニーズレッグロール・クラッチホールド] ×ザ・ゲートキーパー メイド・ザ・ショーシャ
 
 
 第五試合
 
 ○西行寺幽々子、魂魄妖夢 [9分22秒 ノーザンライトボム] ×永江衣玖、比那名居天子


 第六試合
 
 大天狗、大蝦蟇[ノーコンテスト]
 
 
 第七試合 初代幻想郷ハードコア選手権試合
 
 風見幽香、藤原妹紅[20分18秒 ダブルノックアウト]
 
 
 第八試合 初代幻想郷タッグ選手権試合
 
 ○マスクト・スカーレット一号、マスクト・スカーレット二号[17分01秒 ヘルスマッシャー] ×古明地さとり、古明地こいし
 
 
 第九試合 初代幻想郷選手権試合
 
 ○伊吹萃香[29分59秒 パワーボム] ×八雲紫
 
 






「……さて、切手帳はどこに行ったかな」
 プロレス記事のスクラップ帳を作るべく、霖之助は楽しげに腰を上げた。
 香霖堂の外では、日差しが少しずつ強くなっていく。


 きっと今日も、熱い真夏日に違いなかった。
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コメント



0.1940簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
本当に本当に楽しかった。夢をありがとー!
8.100名前ガの兎削除
良くやった!良くやった!良くやってくれた!
このプロレスっぷりは素敵
できることなら レティさんがピンチになったらリングの下からチルノが!
とかも見てみたかった

しかし、ラスト毛玉・スタンディングの勝者はそのうちバスターを開発して毬藻神・サンダーケダマーとか名乗りそうで怖い
13.100RAINBOW削除
あまりプロレスに詳しくない自分でも楽しめました。長編にしただけのことがある。
各キャラが八百長も起こさず、かといって投げやりにやらず、全力で味わったことには好感が
もてました。
しかし、レミリアが正体がわからないなんていったいどんなマスクマンww
そして「ザ・グレートミコ」毒霧をはくマスクマンってwwww
しかし個人的には守谷組も見たかったかなと。
16.100名前が無い程度の能力削除
八百長で負けれるレスラー程、八百長なしなら上手いもんだぜ
魔理沙、ちゆりでのペアとか、八角リングとか夢が広がる広がる
正統派ももちろんいいけど
18.100名前が無い程度の能力削除
霊夢はムタかwww
22.80名前が無い程度の能力削除
第七試合はどうやってその結末になったんだw
23.100名前が無い程度の能力削除
感動をありがとー!
25.90名前が無い程度の能力削除
正直、話として結構面白かったんだよね、マジで
周りのコメントがどうとかでなく、プロレスっていうイメージと幻想郷のギャップでもなく
まったくどういうことだよふざけやがって
29.100名前が無い程度の能力削除
ボンバイエ!
まさに闘強導夢!
31.100名前が無い程度の能力削除
毛玉がどうやって足をクラッチするんですかw
中学生の頃見てたWWFを思い出しました。
妹紅のスワントーンが見えるぞ!!!
34.100名前が無い程度の能力削除
これはアツい!
プロレスには明るくない自分でも読んでて興奮しました!
37.100名前が無い程度の能力削除
そうか……山田さんはリバプールの風になって、幻想郷まで届いていたんだ……。

某リンドリの影響で全女を見始めて、今じゃWJからDDTまで楽しむプロレス者ですが。
そんな自分であった事が幸せだったと思える。そんなSSでした。
プロレスとは、素晴らしいものです。

次回興行でば自販機の上から不死鳥スプラッシュを決めるもこたんを是非。
あるいは妖怪の山キャンプ場プロレスに乱入するチーム洩矢で。
38.100名前が無い程度の能力削除
感動した!
39.100名前が無い程度の能力削除
霖之助ほど濃い知識はないですが、楽しめました。
2000年前後の日本のプロレスラーとFからEになるあたりのプロレスラーあたりを適当に当てはめながら。
あと、ラストマン毛玉108匹を見た瞬間に噴き出しました。コーラ返せ。
こういう夢のあるお話はいいですね。
すごく楽しめました。
41.100名前が無い程度の能力削除
面白かった~
42.100名前が無い程度の能力削除
毛玉w
47.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい……!
あと、霖之助がすごく若々しかったww