注意。
この作品は咲夜さん×アリスです。
他のカップリングだけが俺のジャスティス、レジェンドだという方はお手数ですが、プラウザバックを。
ちょっとくらい興味あるぜと言う方は私の稚拙な文章でご満足いただけるかわかりませんが、お付き合いください。
前作の『 銀の彼女 』・『 金色の人形姫(左作品の別視点)』を読んでいただけると、話の流れがたいへんわかりやすくなると思います。
勢い余ってよい子には見せられない作品(要するにここではNG)になりそうだったのは内緒。実は既になっていたのはもっと内緒。
細心の注意を払って切り取らせていただきました。
では、長くなりましたがこのあたりで。
↓↓
私の名前はアリス。アリス・マーガトロイド。
人間をやめて数年。人形を作り、操り、人形に囲まれて暮らす魔法使い。そう、魔女だ。
そんな私は……雪降りしきる月夜。一人の人間に、見惚れて。その数ヶ月後、私はその人間に……恋を、した。
『幸せコンフィチュール』
もう一度。
私はアリス。魔女。七色の人形使い。
人としての楔を壊し、人外として妖に足を踏み入れた元人間。そんな私が……。
今は、一枚の紙切れを前に沈黙を続けていた。
「………。はぁ」
溜息。もう何十分、何時間こうしているのか。紙の横にはインクとペン。要するに、手紙を書くための道具だ。
古い言葉で言うなら恋文。英語でならラブレター、になるだろうか。誰に書くのかは……一人しかいないけど。
そもそも私は人付き合いは苦手で、友人も少ない。その中で手紙を出すほど親しいなんて、指を折る必要もない人数。
なぜ、私がこんな手紙を書くための道具の前で沈黙しているかというと……。
「……全部咲夜が悪いのよ」
拗ねたように、私はベッドに飛び込む。軽く足をバタバタと暴れさせ、羽毛の枕を揉みくちゃにした。
だって。だって!咲夜、私の気持ちに気付いてるくせに――いや、多分だけど――。一緒にいられたり、話ができるのは相変わらず図書館でだけで。
あの日みたいに、部屋に招いてくれることもない。きっと私が言えば、晩御飯もご馳走してくれるのだろうけど、我儘みたいだ。
違う……我儘。今の私の感情は、我儘以外の何物でもない。
一緒に、いたい。もっと、咲夜の近くにいたい。いてほしい。なのに、咲夜は気付かないふりして……。
私は自分の頬を軽く張った。軽くのつもりが、予想外に痛かった。
昔読んだ本の中で、愛し合っていれば思いは自然と伝わる、なんて書いてあったけど、そんなことは戯言もいいところだ。
想いは、形にしないと伝わらない。言葉でも文字でも行動でも、何かの形にしないと、他人には伝わらない。それが、他人というものだ。
私は起き上がって、もう一度ペンに指をかけた。茉莉花の香りがしないベッドは、ささくれ立った私には少し、痛い。
「………咲夜のことが、好き」
この一言を、本人の前で言えたらどれだけ楽だろうか。
無理、だ。咲夜とは中々二人きりになれない。だから、こうして手紙という手段になった。っていう言い訳。
あの夜はあんなに。全てを晒せたけど、あんなのは一時の感情の爆発で。そうそう簡単にはいかない。
本当は、怖いだけ。断られるのが。私を受け入れてくれた。慰めてくれた。きっと、初めて恋をした相手に……拒絶されるのが。
なら、今のままでもいいじゃないか。彼女のお茶を飲んで、短くとも幸せになれる言葉を交わし、互いの名前を呼び合う。それだけでも、いいじゃないか。
「………けど。好き、なんだもの」
触れて。私に触れて。体に。心に。想いに。そのすべて、咲夜に触れてほしい。
けど、好き、と書いた時点で顔に血液が集まって、手紙を握りつぶしてしまう。文字にすると、自分の気持ちに直面するようで、恥ずかしくなる。
時間は、とっくに草木も眠るような時間。この家で起きてるのは私だけ。でなきゃ、こんな手紙なんて書いていられない。普段傍に置いている上海も、このときばかりはいない。
『答え、早く聞けると嬉しいわ。貴女がどんな顔で言ってくれるのか、楽しみよ 咲夜』
咲夜が書いてくれた、一枚のメッセージ。
意地悪だ。きっと彼女はドSだ。そうに違いない。けど、きっとその分だけ……優しくて。
あの夜を思い出すときに流れてくる感情は、恥ずかしさなんて微塵もなくて。穏やかな……揺り籠にいるような心地いい感情。
落ち着く香り。静かになっていく心音。今まで、感じたことのない、想い。
恥ずかしい。怖い。そんな思いも、まるで出てこない。初めてだからよくわからないけど、これはきっと。
あぁ……恋をするって、こういうことなんだ。ひどく、心優しい感情。
「……明日、紅魔館に行こう」
たった一言だけ。『会いたい』と書いた手紙。封筒に、咲夜へ、と書いて胸にしまいこむ。
言葉に変えて伝えることが、想像以上に難しい。だから、今はこれだけで。これだけでいい。後は、私次第でしかないから。
結論からいえば、その夜。私は眠ることなんて、できなかった。
◆
家にあるたった一つの姿見。その前で、私は自分と睨めっこをしていた。
寝癖…ついてない。服も、いつもどおりのワンピースだけど、皺もない。眼は…若干充血してるけど、大丈夫。
ふと、机の上に置いてある一冊の本に目が行く。グリモワール……は、必要ないか。置いておくのも不安だけど、今日ばっかりはおいていこう。厳重にしまって。
手紙も確認する。最後に書いた一言と宛名以外は真っ白な手紙。
「よしっ!」
周囲を警戒しながら家を出る。見つからないように。
もしあの魔法使いにでも見つかって、一緒に行くことになるだとか、挙句咲夜宛ての手紙なんて見つかろうものなら死活問題。
できるだけ人気がない道を通って、私は森を抜けた。
結論からいえば、紅魔館まで誰とも会わなかったけど。
さっきから私の心臓は落ち着いてくれない。今までこんなチャンスなかったのに。なかったのに!
なんの運命の悪戯か。いや、そういえばこの館の主は運命を操れた気がするけど。そこは置いておいて……。
「ちょうどよかったわ。今日、働き詰めだったからってお嬢様に暇を頂いて、なにをしようかと持て余していたのよ」
「そ、そう。けど、私の持て成しをしてたら普段と変わらないんじゃないの?」
「そんなことないわよ。紅茶の話がわかるアリスと話をするのは楽しいし、人形の話を聞くのも、そのことについて活き活きと話す貴女も、好きだもの」
さりげなく紛れ込んだ『好き』の一言。
咲夜は、一体どんな気持ちで私にそんなことをいうのだろうか。友愛?信愛?……それとも。
咳払いでテレを紛らわして、注がれた紅茶に口をつける。高温でないと紅茶の葉は開かないはずなのに、火傷しないように気を使った温度。
今日は美味しいコンフィチュールができたから、ということでロシアンティーで出してもらったが、なるほど。
紅茶と一緒に出されたコンフィチュール舐めてみると甘い香り。初夏のころに訪れる香り。
色は深い赤紫。ブルーベリーに似てるけど、香りも味も違う。
「チェリー……かしら」
「流石ね。甘くできたから、紅茶は濃いめに淹れてみたけど、口にあったかしら?」
「咲夜が淹れた紅茶が美味しくなかったことなんてないわよ」
「そういえば、ここのところ図書館によく来ていたものね」
……鈍い。いや、あえてそんなことをいってるのかも。
いっそのこと、貴女に会うために来ているのだと言ってしまえば、少しは見返せるかもしれない。
と、まるでタイミングを逸らすように出されたお茶請けのドーナツとホイップクリーム。ご丁寧にナイフとフォークまですでに用意してある。
「これも、サクランボを使ったものだけど。ジャムと違って酸味の強いものを使っているのよ」
「へぇ。私も自分でお菓子を作ることはあるけど、どうやったらこんなに艶が出るのかしら?」
ナイフで切ってみると、確かに。わずかにサクラ色が紛れ込んでいる。
ジャムのおかげで甘みの強い紅茶とあいまって、爽やかな酸味がなんとも美味しい。
表面も、何かでコーティングしたように綺麗な仕上がり。
「ひまわりの油を使っているの。この前、花の妖怪からタネをもらったのよ」
「花の妖怪って…! まさかあの風見幽香のこと!?」
「ええ。ここの花壇の世話も、勝手にだけどたまにやってくれてるお礼に、お茶をご馳走したりもしているのだけど、最近ようやく素直に受け取ってくれるようになったのよ」
「そ、そうなの」
彼女…風見幽香は、妖怪の中でもトップクラスの力を持つ一人だ。
町で買い物をしている姿を見かけることもあるそうだが、人間との相性は決してほめられたものではない。
まして、そんな彼女が大事に世話をしている向日葵の種を貰うだなんて……。なんていうか、益々咲夜が普通の人間だということが信じられない。
ちらりと視線を彼女に送ると、窓の傍に揺れる花を見つけた。
「…? ああ、それ。鈴蘭畑にいる子から貰ったの。様子を見に行ったときに、お礼にって。毒はちゃんと出さないようにしてもらってあるわよ?」
「………」
あいた口がふさがらないとはこのことかもしれない。いや、実際は閉口してるんだけど。
鈴蘭畑にいるといえば、あの人形のことだろう。彼女は人間に捨てられた人形であり、極度の人間嫌いだったはずだ。
そんな彼女から、宝物であるはずの鈴蘭を貰うほどに咲夜は仲がいいのか。
「頑張って、周りの世界に触れようとしてるんだけど、上手くいってないみたいで。放っておけないのよ」
「……そう」
「けど、私はお嬢様のお世話もあるし、最近は妹様もよく出てこられるようになったし。屋敷の管理もしないといけないから、会いに行ったのも久しぶりでね。心配させちゃったみたい」
「へぇ……」
苦い。甘いジャムを入れたはずの紅茶が、苦かった。
どうして、そんなに楽しそうに話すの。私以外の誰かのこと。私が、ここにいるのに。ここにいないだれかの話しをするの。
これだったら、私がいなくても時間なんて潰せたんじゃないの。
「美鈴は相変わらずよく眠るし。この間はパチュリー様と小悪魔が喧嘩して、真夜中に小悪魔が厨房まで来て泣きついてきて。危うくお嬢様の食事を台無しにしてしまうところだったし」
そう。
全然困った顔してない。
むしろ、その場面を思い出して嬉しがっているようにも見えるわ。
「お嬢様が妹様をからかうせいで毎日館のものが何かしら壊れるのよ。出費の計算も楽じゃないし、知らない間に疲れてるものなのよね。だから……」
もう、いい。見ていたくない。
苦い紅茶を飲みほして、ドーナツをヤケクソ気味に口の中へ押し込んだ。
それが苦しかったのかなんなのか。僅かに視界が歪んだ。咲夜が何事かっていう風に私のことを見てるけど、知らない。
「ご馳走様! 今日はもう帰るから!」
「ちょっと…! どうしたの? ねぇ、アリス……!」
慌てた咲夜の顔も見ずに、私は部屋の扉を強く締めた。
そして、駆け出す。時を止めれば捕まえられるだろうけど、それでも全力で離れてしまいたかった。
バカ……。バカ。バカ!! 思い切り叫べれば、少しは気持ちも楽になったかもしれないのに。
こみ上げてきた熱い何かを拭うこともせず、私は強く歯を噛みしめて紅魔館の門を駆け抜けた。
驚いたような顔をしていた門番が見えたけど、どうでもいい。
今はただ、自分でもよくわからない。嫉妬とか、苛立ちとか、羨ましさだとか。もう理解しきれないほどの量が混ざり合った感情が、無性に私を哀しくさせた。
◆
もう……日も暮れたかしら。
もういい。しばらく、ベッドの上から動きたくないもの。魔理沙が来たって動くものか。
気に入らない。咲夜の笑顔が嫌。大好きなはずなのに。見たいって、思ってたはずなのに。
ずるい。みんなずるい……。私が欲しいって思ったものなのに。思い出させるだけで咲夜を笑顔にさせるなんて。
憎らしくて、おかしくなってしまいそうで……。シーツをかき抱くようにして、枕と同じようにぐしゃぐしゃにした。
どうして、彼女を笑顔にするのが私じゃないの。どうして、あの場にいないだれかが、彼女を笑わせられるの。
ずるい……。私だって。私だけに……笑ってほしいのに。二人でいる時くらい、私だけに、声をかけてほしいのに。名前を呼んで欲しいのに。
…………………コンコン
ノックの音がした。
今はこの家にはだれもいない。当分誰もいない。
枕元で窓が開くような音。鍵を閉め忘れてた。流れ込んできたのは、ジャスミンの香りと針のような感情。
「アリス……?」
呼ばれた……。
顔をわずかに上げると、三つ編みにした銀色の髪が、揺れていた。気遣う様に、下がった眉。
チクチクと、針が刺すように胸は痛むけど。咲夜は、私の家の場所なんて。知らないはずなのに。すごく、疲れたような顔をして。
けど、何か私が口を開くより先に、咲夜は溜息を吐いた。
「まったく、せっかくの可愛い顔も台無しにして。目も真っ赤だし、ほら、もう少し顔をあげて」
「……どうして」
「……。だって、貴女が泣いていたから。それに、これ」
一枚の紙切れ。ううん、封筒。
その封筒に、何箇所か滲みができていた。
「会いたい、って一言だけ。それだけ強く願ってるんだって思ったんだけど、お節介だったかしら?」
「……!!」
私の顔を覗き込むようにしてた咲夜の腕を掴んで、無理やり体をねじる。
私が咲夜に覆いかぶさって、組み伏したような。けど、私はもう止まることのない涙を流していて、咲夜は驚きはしたようだけど、すぐに心配顔。
私が泣いていたからですって。……その理由に、心当たりがないっていうの!?
今度は私のほうから、咲夜が口を開く前に声を張り上げた。
震えた情けない声。けど、声だけは張り上げた。
「咲夜はいつもそう!私のことを心配してくれるのに肝心なことに触れてくれない!気付いてくれない!私が紅魔館に通ってるのは本なんかの為じゃなくて、咲夜に会うため…咲夜に会いたいからなのに!!」
ああ、この前と一緒だ。
感情が爆発して。こんなに優しい咲夜を傷つけるかもしれないことまで言ってしまいそう。
自分で自分を止められない。
咲夜に傷ついてほしくなんて、ないのに。止まらなくて……。
「今日だって、二人きりになれて!せっかくの休みに、私と一緒にいたいって思ってくれてたんだ、って勘違いした私がどれだけ嬉しいかったのかわかる!? なのに咲夜は他人の話ばっかりでちっとも私だけに笑ってくれなかった!!」
「アリス……」
「好きなの……。咲夜が大好きなんだもの!私だって咲夜に笑って欲しい!誰かに取られたくない……せめて二人でいる時くらい私のことを見てほしいのに……!なのに…っ!!」
咲夜の頬を涙が伝っていく。彼女のじゃなくて、私の。
想いは、形にしないと伝わらない。だったらいっそ、全部濁流のように流れる感情に乗せて、吐き出してしまいたい。
鉛を飲むような苦しみを味わい続けるくらいなら、外に出してしまいたい。頭を振ると、あらぬ方向に雫は飛んで行った。
もう、見せたくない。きっと酷い顔だから。泣き縋るように咲夜に抱きついて、嗚咽をなんとか我慢する。
「ごめんなさい。知らないうちに、貴女のこと傷付けて……。アリス、よく聞いてほしいの。まだ、あの時の話には続きがあるのよ」
まっすぐ、咲夜が私を見つめてくる。
顔を見られたくなくて。咲夜がどんな顔で私を見てるのか怖くて見たくなくて。子供が嫌がるようにしたけど。
ぎゅって両頬を抑えられて、無理やりに目を合わせられる。咲夜はなんだかすごく、優しい顔をしていて。慈愛に満ちてるとでもいいのか。
普段なら照れて、慌てて距離をあけてしまうだろう距離。
涙で濡れて、真っ赤になっているだろう私。咲夜は目の前で、私が一番見たかった笑顔を浮かべてくれた。
「知らない間に疲れているもの。だから、貴女と過ごせる時間は、私にとってやすらげる時間。心地いい時間なのよ。自然に頬も緩んでしまうくらい。だって、私。貴女のことが好きなんですもの」
「……えっ?」
「人形みたいに綺麗な顔も。それでいて生きているんだって実感させる頬の赤さも。人形たちに触れる繊細な指も。空みたいな瞳に、恥ずかしがり屋さんなことも可愛いって思う。貴女が笑ったりしてくれると、一緒にいられることが嬉しくなるわ」
ちょっと照れたような咲夜の顔。
そして、咲夜の指が、いつの間にか止まっていた涙の残滓をあの時みたいに払ってくれた。
咲夜の肌と擦れた瞼が、やけに熱くなって……。
「アリスがそれほど私を想っていてくれたことでさえ、私は嬉しいの。嫉妬とか、やきもちとか。人間だったら誰しもが持つ負の感情をアリスが抱いてくれたこと。アリスに、誰かに取られたくないなんて言われたら、私が貴女を離せなくなるかもしれないわよ?」
「離さないで……。その言葉が本当なら、嫌っていうくらい、傍にいて……」
また、滲んでいく世界。
見ていたいのに。咲夜の顔。けど、見えにくくなっていくのは涙のせいだけじゃなかった。
ずっと触れてみたい。触れて欲しいと思ってた咲夜の唇。舌を絡めもしない。吐息も漏れないほどの儚いキス。
リップノイズの一つも響かないように、ゆっくりと触れて、ゆっくり離れていく。
なんて……。なんて優しいキス……。
温かいと思っていた咲夜の肌。けど、唇と口付けはこれでもかって言うくらい、熱くて。
私がため込んでいたものを、すべて溶かしてくれるような、そんな錯覚。
いや、錯覚じゃなくて。私がため込んで来た醜い感情も。涙も。凝り固まったプライドも。全部、その熱で溶けていく。
「今日は、一緒に寝ましょうか? あの夜みたいに」
「それだけじゃ……嫌よ。本当に、嫌って言いたくなるくらい、傍にいてもらわないと、嫌!」
咲夜の困ったような笑顔。
けど、それが嬉しいからだって。触れ合った、服越しの肌から伝わってきた。
今までで一番、咲夜が近い。笑顔が近い。私だけが見れる、笑顔。
「じゃあ、何かしてほしいこと。今夜だけ、何でも聞いてあげるわよ?」
「……本当に、なんでも?」
「ええ」
外にこぼれていた腕をたたんで、体を小さくする。
体をよじらせて咲夜に近付く。胸元に額を押しつけて。顔を見られないようにした。
緩く、咲夜の香りを吸い込んで。
「じゃあ……。ぎゅって、して欲しいわ……」
それはもう。嫌っていうほどに。
◆
目を覚ましたのは、それから数時間後。
咲夜の腕の中でだった。
「…………」
落ち着いていた。
また、泣いたところを見られたとか。また、咲夜にいろいろぶつけてしまったとか。今、咲夜に抱きしめられてるだとか。
全然、慌てるようなことじゃなくて。
茉莉花の香り。咲夜の体温。咲夜の柔らかさ。その全部が、私を甘い何かで包み込んでくれてるような。
もし、幸せを煮詰めてコンフィチュールを作ることができたら、これほどに甘いのかもしれない。
「起きた? アリス」
「ええ……」
けど、離れるのは惜しくて。咲夜を引き寄せる様にして胸元に顔を寄せた。
しかたないわね、といいたそうに抱き寄せてくれる腕が、また…甘味を強くする。
「ねぇ…。咲夜」
「なに? アリス」
「手紙……捨ててよね」
「いや」
咲夜の背中を叩いてみる。
でも、咲夜はくすぐったそうに笑うだけ。
結果としてうまく収まってしまったから、あの手紙はもう恥ずかしいだけなのに。
「何でも言うこと聞いてくれるんじゃなかったの?」
「残念だけど、夜はもう明けてしまったもの。今日からは、私も仕事に戻らないといけないし」
「……じゃあ、出口まで案内するわ。迷われたら困っちゃうし」
もう、そんな時間。
どうして、私には時間を操れないんだろうか。
もし操れるのなら、こんな幸せな時間を、もっと堪能できるかもしれないのに。
「そう? じゃあお言葉に甘えるわね。お礼に、お茶でも飲んでいくといいわ。お茶会の続きをしましょう?」
「……ありがと」
まだ一緒にいたいこと。ばれてる。
ベッドから起き上がる咲夜につられて、私も起きた。
鏡を覗くと、目は赤い。寝癖とかは付いてないけど、軽く手櫛を通した。
玄関のところで、咲夜は私を待ってくれていて。
「カチューシャ、ずれてるわよ?」
「あっ……」
咲夜の手が、カチューシャを直すついでに、軽く髪に触れていく。
伝わるはずのない熱が伝わったように、私の全身を熱くして。
こんなこと……咲夜が初めてで。
「手でもつなぎましょうか?」
「……バカ!」
顔を咲夜からそむけた。
私の手ばっかり熱くて。ひんやりした咲夜の手が心地よくて。
まだ、幸せのジャムを舐めてるみたいだった。
◆
紅魔館が見えてくると、門番の美鈴もこっちに気付いたみたいで、咲夜に頭を下げた。
相変わらず気の抜けた笑顔だけど、それだけ咲夜に心を開いてるってことなのか。
「おかえりなさい、咲夜さん。アリスさんはようこそ、紅魔館へ」
「ただいま美鈴。異常なかった?」
「私は外勤めですから、詳しくは。外観、問題はなさそうでしたけど。侵入者もありませんでした~」
「今の時間に起きてるってことは、真面目に仕事してたみたいね。交代の時間になったら、差し入れをしてあげるわ」
「はい!」
俄然やる気を出したように仁王立ちする門番の横を通り抜ける。
差し入れを糧に頑張れるんだったら、いつも頑張ってればいいのに、よくわからない妖怪だ。
確かに、外観はいつもの紅魔館だった。外観だけ、ね。
「メイド長~! 紅茶の買い置きはどこですか!」
「構造が変わった後のリネン室は!?」
「妹様が破壊なされた調度品の代えはどうしましょう?!」
「お嬢様の気分に合う血液型がわかりません~!!」
「妹様の遊び相手になった新人メイドをどうしましょう!?」
「お嬢様たちの好き嫌いが~~!」
「壊れた壁の修理費が!」
「買い出しに行った新人メイドが帰ってこなくて!」
咲夜が扉を開けた瞬間に雪崩れて来た妖精メイドが口ぐちに口を開く。
涙を流してたり、メイド服が紅茶で濡れていたり、疲れてるのか、元気がないのもいた。
咲夜は一つ溜息をついて、大きく息を吸い込む。
「紅茶の買い置きは三階東側の保管庫!リネン室は構造を変えたとしても一階西側の一番奥!調度品は庵から適当に!お嬢様の今日の気分はA-!メイドは私の名前を出して八意永琳のところへに連れていきなさい!二人の好き嫌いについては後で私が伺うわ!修理費はその他の出費に含めて後で報告書!メイドはさっさと見つけてきなさい!!」
鶴の一声を受けたように、三々五々に妖精たちは散っていった。
「さ、アリス。お茶にしましょうか?」
「……ええ」
今日の紅茶は、ロシアンティーじゃなかったけれど。
紅茶を注がれる度。時間が過ぎる度に溶かされる甘いコンフィチュール。
もしも、本当に幸せを煮詰めてコンフィチュールを作れるのだとしたら。こんな時間を煮詰めてみたい。
もちろん、目の前にいる銀色の彼女と一緒に………。
いや、違う。
きっと、人の記憶や思い出というのは、そういうものなんだ。
苦いものを煮詰めて。甘いものを煮詰めて。そしていつか、現在が過去になっていくにつれて。思い出という名前のラベルを貼られる。
甘かったはずのものでも、煮詰め過ぎて焦がして。苦いものになってしまうかもしれないけど。
それでもきっと。甘い。苦くても、幸せであったことを思い出せる。
幸せを煮詰めて作ったコンフィチュール。今の時間が、未来で甘いコンフィチュールになりますように。
「ちゅ……」
「っん……!!」
不意打ち気味に合わせられる唇。
少しだけ離れた咲夜は、悪戯が成功した子供のように笑っていて。
きっと真っ赤になりながらも。今の時間の倍は長く、私は仕返ししてやった。
「ねぇ、アリス。ひとつお願いごとなんだけど」
「なによ?」
「貴女の告白。泣き顔じゃない告白を、ちゃんと聞きたいわ」
「――――!!」
紅茶に浮かんだ私の顔は、赤い。
紅茶の臙脂色を塗り替えるくらいに赤い。心臓は、今までにないくらい高鳴ってる。
「アリス…。私、貴女のこと、好きよ?」
「……意地悪。……けど」
煮詰めて煮詰めて。まだまだ、甘く出来るでしょう。
焦げることなんて、ありはしない。焦がれることがあったとしても。
上目づかいで咲夜の顔を盗み見れば、これでもかって言うくらい。
私だけに、笑顔を向けてくれていた。
「……ダイ ス キ」
だって、目の前に彼女がいるんだから。
甘い甘い。幸せ色のコンフィチュールを、貴女と。
この作品は咲夜さん×アリスです。
他のカップリングだけが俺のジャスティス、レジェンドだという方はお手数ですが、プラウザバックを。
ちょっとくらい興味あるぜと言う方は私の稚拙な文章でご満足いただけるかわかりませんが、お付き合いください。
前作の『 銀の彼女 』・『 金色の人形姫(左作品の別視点)』を読んでいただけると、話の流れがたいへんわかりやすくなると思います。
勢い余ってよい子には見せられない作品(要するにここではNG)になりそうだったのは内緒。実は既になっていたのはもっと内緒。
細心の注意を払って切り取らせていただきました。
では、長くなりましたがこのあたりで。
↓↓
私の名前はアリス。アリス・マーガトロイド。
人間をやめて数年。人形を作り、操り、人形に囲まれて暮らす魔法使い。そう、魔女だ。
そんな私は……雪降りしきる月夜。一人の人間に、見惚れて。その数ヶ月後、私はその人間に……恋を、した。
『幸せコンフィチュール』
もう一度。
私はアリス。魔女。七色の人形使い。
人としての楔を壊し、人外として妖に足を踏み入れた元人間。そんな私が……。
今は、一枚の紙切れを前に沈黙を続けていた。
「………。はぁ」
溜息。もう何十分、何時間こうしているのか。紙の横にはインクとペン。要するに、手紙を書くための道具だ。
古い言葉で言うなら恋文。英語でならラブレター、になるだろうか。誰に書くのかは……一人しかいないけど。
そもそも私は人付き合いは苦手で、友人も少ない。その中で手紙を出すほど親しいなんて、指を折る必要もない人数。
なぜ、私がこんな手紙を書くための道具の前で沈黙しているかというと……。
「……全部咲夜が悪いのよ」
拗ねたように、私はベッドに飛び込む。軽く足をバタバタと暴れさせ、羽毛の枕を揉みくちゃにした。
だって。だって!咲夜、私の気持ちに気付いてるくせに――いや、多分だけど――。一緒にいられたり、話ができるのは相変わらず図書館でだけで。
あの日みたいに、部屋に招いてくれることもない。きっと私が言えば、晩御飯もご馳走してくれるのだろうけど、我儘みたいだ。
違う……我儘。今の私の感情は、我儘以外の何物でもない。
一緒に、いたい。もっと、咲夜の近くにいたい。いてほしい。なのに、咲夜は気付かないふりして……。
私は自分の頬を軽く張った。軽くのつもりが、予想外に痛かった。
昔読んだ本の中で、愛し合っていれば思いは自然と伝わる、なんて書いてあったけど、そんなことは戯言もいいところだ。
想いは、形にしないと伝わらない。言葉でも文字でも行動でも、何かの形にしないと、他人には伝わらない。それが、他人というものだ。
私は起き上がって、もう一度ペンに指をかけた。茉莉花の香りがしないベッドは、ささくれ立った私には少し、痛い。
「………咲夜のことが、好き」
この一言を、本人の前で言えたらどれだけ楽だろうか。
無理、だ。咲夜とは中々二人きりになれない。だから、こうして手紙という手段になった。っていう言い訳。
あの夜はあんなに。全てを晒せたけど、あんなのは一時の感情の爆発で。そうそう簡単にはいかない。
本当は、怖いだけ。断られるのが。私を受け入れてくれた。慰めてくれた。きっと、初めて恋をした相手に……拒絶されるのが。
なら、今のままでもいいじゃないか。彼女のお茶を飲んで、短くとも幸せになれる言葉を交わし、互いの名前を呼び合う。それだけでも、いいじゃないか。
「………けど。好き、なんだもの」
触れて。私に触れて。体に。心に。想いに。そのすべて、咲夜に触れてほしい。
けど、好き、と書いた時点で顔に血液が集まって、手紙を握りつぶしてしまう。文字にすると、自分の気持ちに直面するようで、恥ずかしくなる。
時間は、とっくに草木も眠るような時間。この家で起きてるのは私だけ。でなきゃ、こんな手紙なんて書いていられない。普段傍に置いている上海も、このときばかりはいない。
『答え、早く聞けると嬉しいわ。貴女がどんな顔で言ってくれるのか、楽しみよ 咲夜』
咲夜が書いてくれた、一枚のメッセージ。
意地悪だ。きっと彼女はドSだ。そうに違いない。けど、きっとその分だけ……優しくて。
あの夜を思い出すときに流れてくる感情は、恥ずかしさなんて微塵もなくて。穏やかな……揺り籠にいるような心地いい感情。
落ち着く香り。静かになっていく心音。今まで、感じたことのない、想い。
恥ずかしい。怖い。そんな思いも、まるで出てこない。初めてだからよくわからないけど、これはきっと。
あぁ……恋をするって、こういうことなんだ。ひどく、心優しい感情。
「……明日、紅魔館に行こう」
たった一言だけ。『会いたい』と書いた手紙。封筒に、咲夜へ、と書いて胸にしまいこむ。
言葉に変えて伝えることが、想像以上に難しい。だから、今はこれだけで。これだけでいい。後は、私次第でしかないから。
結論からいえば、その夜。私は眠ることなんて、できなかった。
◆
家にあるたった一つの姿見。その前で、私は自分と睨めっこをしていた。
寝癖…ついてない。服も、いつもどおりのワンピースだけど、皺もない。眼は…若干充血してるけど、大丈夫。
ふと、机の上に置いてある一冊の本に目が行く。グリモワール……は、必要ないか。置いておくのも不安だけど、今日ばっかりはおいていこう。厳重にしまって。
手紙も確認する。最後に書いた一言と宛名以外は真っ白な手紙。
「よしっ!」
周囲を警戒しながら家を出る。見つからないように。
もしあの魔法使いにでも見つかって、一緒に行くことになるだとか、挙句咲夜宛ての手紙なんて見つかろうものなら死活問題。
できるだけ人気がない道を通って、私は森を抜けた。
結論からいえば、紅魔館まで誰とも会わなかったけど。
さっきから私の心臓は落ち着いてくれない。今までこんなチャンスなかったのに。なかったのに!
なんの運命の悪戯か。いや、そういえばこの館の主は運命を操れた気がするけど。そこは置いておいて……。
「ちょうどよかったわ。今日、働き詰めだったからってお嬢様に暇を頂いて、なにをしようかと持て余していたのよ」
「そ、そう。けど、私の持て成しをしてたら普段と変わらないんじゃないの?」
「そんなことないわよ。紅茶の話がわかるアリスと話をするのは楽しいし、人形の話を聞くのも、そのことについて活き活きと話す貴女も、好きだもの」
さりげなく紛れ込んだ『好き』の一言。
咲夜は、一体どんな気持ちで私にそんなことをいうのだろうか。友愛?信愛?……それとも。
咳払いでテレを紛らわして、注がれた紅茶に口をつける。高温でないと紅茶の葉は開かないはずなのに、火傷しないように気を使った温度。
今日は美味しいコンフィチュールができたから、ということでロシアンティーで出してもらったが、なるほど。
紅茶と一緒に出されたコンフィチュール舐めてみると甘い香り。初夏のころに訪れる香り。
色は深い赤紫。ブルーベリーに似てるけど、香りも味も違う。
「チェリー……かしら」
「流石ね。甘くできたから、紅茶は濃いめに淹れてみたけど、口にあったかしら?」
「咲夜が淹れた紅茶が美味しくなかったことなんてないわよ」
「そういえば、ここのところ図書館によく来ていたものね」
……鈍い。いや、あえてそんなことをいってるのかも。
いっそのこと、貴女に会うために来ているのだと言ってしまえば、少しは見返せるかもしれない。
と、まるでタイミングを逸らすように出されたお茶請けのドーナツとホイップクリーム。ご丁寧にナイフとフォークまですでに用意してある。
「これも、サクランボを使ったものだけど。ジャムと違って酸味の強いものを使っているのよ」
「へぇ。私も自分でお菓子を作ることはあるけど、どうやったらこんなに艶が出るのかしら?」
ナイフで切ってみると、確かに。わずかにサクラ色が紛れ込んでいる。
ジャムのおかげで甘みの強い紅茶とあいまって、爽やかな酸味がなんとも美味しい。
表面も、何かでコーティングしたように綺麗な仕上がり。
「ひまわりの油を使っているの。この前、花の妖怪からタネをもらったのよ」
「花の妖怪って…! まさかあの風見幽香のこと!?」
「ええ。ここの花壇の世話も、勝手にだけどたまにやってくれてるお礼に、お茶をご馳走したりもしているのだけど、最近ようやく素直に受け取ってくれるようになったのよ」
「そ、そうなの」
彼女…風見幽香は、妖怪の中でもトップクラスの力を持つ一人だ。
町で買い物をしている姿を見かけることもあるそうだが、人間との相性は決してほめられたものではない。
まして、そんな彼女が大事に世話をしている向日葵の種を貰うだなんて……。なんていうか、益々咲夜が普通の人間だということが信じられない。
ちらりと視線を彼女に送ると、窓の傍に揺れる花を見つけた。
「…? ああ、それ。鈴蘭畑にいる子から貰ったの。様子を見に行ったときに、お礼にって。毒はちゃんと出さないようにしてもらってあるわよ?」
「………」
あいた口がふさがらないとはこのことかもしれない。いや、実際は閉口してるんだけど。
鈴蘭畑にいるといえば、あの人形のことだろう。彼女は人間に捨てられた人形であり、極度の人間嫌いだったはずだ。
そんな彼女から、宝物であるはずの鈴蘭を貰うほどに咲夜は仲がいいのか。
「頑張って、周りの世界に触れようとしてるんだけど、上手くいってないみたいで。放っておけないのよ」
「……そう」
「けど、私はお嬢様のお世話もあるし、最近は妹様もよく出てこられるようになったし。屋敷の管理もしないといけないから、会いに行ったのも久しぶりでね。心配させちゃったみたい」
「へぇ……」
苦い。甘いジャムを入れたはずの紅茶が、苦かった。
どうして、そんなに楽しそうに話すの。私以外の誰かのこと。私が、ここにいるのに。ここにいないだれかの話しをするの。
これだったら、私がいなくても時間なんて潰せたんじゃないの。
「美鈴は相変わらずよく眠るし。この間はパチュリー様と小悪魔が喧嘩して、真夜中に小悪魔が厨房まで来て泣きついてきて。危うくお嬢様の食事を台無しにしてしまうところだったし」
そう。
全然困った顔してない。
むしろ、その場面を思い出して嬉しがっているようにも見えるわ。
「お嬢様が妹様をからかうせいで毎日館のものが何かしら壊れるのよ。出費の計算も楽じゃないし、知らない間に疲れてるものなのよね。だから……」
もう、いい。見ていたくない。
苦い紅茶を飲みほして、ドーナツをヤケクソ気味に口の中へ押し込んだ。
それが苦しかったのかなんなのか。僅かに視界が歪んだ。咲夜が何事かっていう風に私のことを見てるけど、知らない。
「ご馳走様! 今日はもう帰るから!」
「ちょっと…! どうしたの? ねぇ、アリス……!」
慌てた咲夜の顔も見ずに、私は部屋の扉を強く締めた。
そして、駆け出す。時を止めれば捕まえられるだろうけど、それでも全力で離れてしまいたかった。
バカ……。バカ。バカ!! 思い切り叫べれば、少しは気持ちも楽になったかもしれないのに。
こみ上げてきた熱い何かを拭うこともせず、私は強く歯を噛みしめて紅魔館の門を駆け抜けた。
驚いたような顔をしていた門番が見えたけど、どうでもいい。
今はただ、自分でもよくわからない。嫉妬とか、苛立ちとか、羨ましさだとか。もう理解しきれないほどの量が混ざり合った感情が、無性に私を哀しくさせた。
◆
もう……日も暮れたかしら。
もういい。しばらく、ベッドの上から動きたくないもの。魔理沙が来たって動くものか。
気に入らない。咲夜の笑顔が嫌。大好きなはずなのに。見たいって、思ってたはずなのに。
ずるい。みんなずるい……。私が欲しいって思ったものなのに。思い出させるだけで咲夜を笑顔にさせるなんて。
憎らしくて、おかしくなってしまいそうで……。シーツをかき抱くようにして、枕と同じようにぐしゃぐしゃにした。
どうして、彼女を笑顔にするのが私じゃないの。どうして、あの場にいないだれかが、彼女を笑わせられるの。
ずるい……。私だって。私だけに……笑ってほしいのに。二人でいる時くらい、私だけに、声をかけてほしいのに。名前を呼んで欲しいのに。
…………………コンコン
ノックの音がした。
今はこの家にはだれもいない。当分誰もいない。
枕元で窓が開くような音。鍵を閉め忘れてた。流れ込んできたのは、ジャスミンの香りと針のような感情。
「アリス……?」
呼ばれた……。
顔をわずかに上げると、三つ編みにした銀色の髪が、揺れていた。気遣う様に、下がった眉。
チクチクと、針が刺すように胸は痛むけど。咲夜は、私の家の場所なんて。知らないはずなのに。すごく、疲れたような顔をして。
けど、何か私が口を開くより先に、咲夜は溜息を吐いた。
「まったく、せっかくの可愛い顔も台無しにして。目も真っ赤だし、ほら、もう少し顔をあげて」
「……どうして」
「……。だって、貴女が泣いていたから。それに、これ」
一枚の紙切れ。ううん、封筒。
その封筒に、何箇所か滲みができていた。
「会いたい、って一言だけ。それだけ強く願ってるんだって思ったんだけど、お節介だったかしら?」
「……!!」
私の顔を覗き込むようにしてた咲夜の腕を掴んで、無理やり体をねじる。
私が咲夜に覆いかぶさって、組み伏したような。けど、私はもう止まることのない涙を流していて、咲夜は驚きはしたようだけど、すぐに心配顔。
私が泣いていたからですって。……その理由に、心当たりがないっていうの!?
今度は私のほうから、咲夜が口を開く前に声を張り上げた。
震えた情けない声。けど、声だけは張り上げた。
「咲夜はいつもそう!私のことを心配してくれるのに肝心なことに触れてくれない!気付いてくれない!私が紅魔館に通ってるのは本なんかの為じゃなくて、咲夜に会うため…咲夜に会いたいからなのに!!」
ああ、この前と一緒だ。
感情が爆発して。こんなに優しい咲夜を傷つけるかもしれないことまで言ってしまいそう。
自分で自分を止められない。
咲夜に傷ついてほしくなんて、ないのに。止まらなくて……。
「今日だって、二人きりになれて!せっかくの休みに、私と一緒にいたいって思ってくれてたんだ、って勘違いした私がどれだけ嬉しいかったのかわかる!? なのに咲夜は他人の話ばっかりでちっとも私だけに笑ってくれなかった!!」
「アリス……」
「好きなの……。咲夜が大好きなんだもの!私だって咲夜に笑って欲しい!誰かに取られたくない……せめて二人でいる時くらい私のことを見てほしいのに……!なのに…っ!!」
咲夜の頬を涙が伝っていく。彼女のじゃなくて、私の。
想いは、形にしないと伝わらない。だったらいっそ、全部濁流のように流れる感情に乗せて、吐き出してしまいたい。
鉛を飲むような苦しみを味わい続けるくらいなら、外に出してしまいたい。頭を振ると、あらぬ方向に雫は飛んで行った。
もう、見せたくない。きっと酷い顔だから。泣き縋るように咲夜に抱きついて、嗚咽をなんとか我慢する。
「ごめんなさい。知らないうちに、貴女のこと傷付けて……。アリス、よく聞いてほしいの。まだ、あの時の話には続きがあるのよ」
まっすぐ、咲夜が私を見つめてくる。
顔を見られたくなくて。咲夜がどんな顔で私を見てるのか怖くて見たくなくて。子供が嫌がるようにしたけど。
ぎゅって両頬を抑えられて、無理やりに目を合わせられる。咲夜はなんだかすごく、優しい顔をしていて。慈愛に満ちてるとでもいいのか。
普段なら照れて、慌てて距離をあけてしまうだろう距離。
涙で濡れて、真っ赤になっているだろう私。咲夜は目の前で、私が一番見たかった笑顔を浮かべてくれた。
「知らない間に疲れているもの。だから、貴女と過ごせる時間は、私にとってやすらげる時間。心地いい時間なのよ。自然に頬も緩んでしまうくらい。だって、私。貴女のことが好きなんですもの」
「……えっ?」
「人形みたいに綺麗な顔も。それでいて生きているんだって実感させる頬の赤さも。人形たちに触れる繊細な指も。空みたいな瞳に、恥ずかしがり屋さんなことも可愛いって思う。貴女が笑ったりしてくれると、一緒にいられることが嬉しくなるわ」
ちょっと照れたような咲夜の顔。
そして、咲夜の指が、いつの間にか止まっていた涙の残滓をあの時みたいに払ってくれた。
咲夜の肌と擦れた瞼が、やけに熱くなって……。
「アリスがそれほど私を想っていてくれたことでさえ、私は嬉しいの。嫉妬とか、やきもちとか。人間だったら誰しもが持つ負の感情をアリスが抱いてくれたこと。アリスに、誰かに取られたくないなんて言われたら、私が貴女を離せなくなるかもしれないわよ?」
「離さないで……。その言葉が本当なら、嫌っていうくらい、傍にいて……」
また、滲んでいく世界。
見ていたいのに。咲夜の顔。けど、見えにくくなっていくのは涙のせいだけじゃなかった。
ずっと触れてみたい。触れて欲しいと思ってた咲夜の唇。舌を絡めもしない。吐息も漏れないほどの儚いキス。
リップノイズの一つも響かないように、ゆっくりと触れて、ゆっくり離れていく。
なんて……。なんて優しいキス……。
温かいと思っていた咲夜の肌。けど、唇と口付けはこれでもかって言うくらい、熱くて。
私がため込んでいたものを、すべて溶かしてくれるような、そんな錯覚。
いや、錯覚じゃなくて。私がため込んで来た醜い感情も。涙も。凝り固まったプライドも。全部、その熱で溶けていく。
「今日は、一緒に寝ましょうか? あの夜みたいに」
「それだけじゃ……嫌よ。本当に、嫌って言いたくなるくらい、傍にいてもらわないと、嫌!」
咲夜の困ったような笑顔。
けど、それが嬉しいからだって。触れ合った、服越しの肌から伝わってきた。
今までで一番、咲夜が近い。笑顔が近い。私だけが見れる、笑顔。
「じゃあ、何かしてほしいこと。今夜だけ、何でも聞いてあげるわよ?」
「……本当に、なんでも?」
「ええ」
外にこぼれていた腕をたたんで、体を小さくする。
体をよじらせて咲夜に近付く。胸元に額を押しつけて。顔を見られないようにした。
緩く、咲夜の香りを吸い込んで。
「じゃあ……。ぎゅって、して欲しいわ……」
それはもう。嫌っていうほどに。
◆
目を覚ましたのは、それから数時間後。
咲夜の腕の中でだった。
「…………」
落ち着いていた。
また、泣いたところを見られたとか。また、咲夜にいろいろぶつけてしまったとか。今、咲夜に抱きしめられてるだとか。
全然、慌てるようなことじゃなくて。
茉莉花の香り。咲夜の体温。咲夜の柔らかさ。その全部が、私を甘い何かで包み込んでくれてるような。
もし、幸せを煮詰めてコンフィチュールを作ることができたら、これほどに甘いのかもしれない。
「起きた? アリス」
「ええ……」
けど、離れるのは惜しくて。咲夜を引き寄せる様にして胸元に顔を寄せた。
しかたないわね、といいたそうに抱き寄せてくれる腕が、また…甘味を強くする。
「ねぇ…。咲夜」
「なに? アリス」
「手紙……捨ててよね」
「いや」
咲夜の背中を叩いてみる。
でも、咲夜はくすぐったそうに笑うだけ。
結果としてうまく収まってしまったから、あの手紙はもう恥ずかしいだけなのに。
「何でも言うこと聞いてくれるんじゃなかったの?」
「残念だけど、夜はもう明けてしまったもの。今日からは、私も仕事に戻らないといけないし」
「……じゃあ、出口まで案内するわ。迷われたら困っちゃうし」
もう、そんな時間。
どうして、私には時間を操れないんだろうか。
もし操れるのなら、こんな幸せな時間を、もっと堪能できるかもしれないのに。
「そう? じゃあお言葉に甘えるわね。お礼に、お茶でも飲んでいくといいわ。お茶会の続きをしましょう?」
「……ありがと」
まだ一緒にいたいこと。ばれてる。
ベッドから起き上がる咲夜につられて、私も起きた。
鏡を覗くと、目は赤い。寝癖とかは付いてないけど、軽く手櫛を通した。
玄関のところで、咲夜は私を待ってくれていて。
「カチューシャ、ずれてるわよ?」
「あっ……」
咲夜の手が、カチューシャを直すついでに、軽く髪に触れていく。
伝わるはずのない熱が伝わったように、私の全身を熱くして。
こんなこと……咲夜が初めてで。
「手でもつなぎましょうか?」
「……バカ!」
顔を咲夜からそむけた。
私の手ばっかり熱くて。ひんやりした咲夜の手が心地よくて。
まだ、幸せのジャムを舐めてるみたいだった。
◆
紅魔館が見えてくると、門番の美鈴もこっちに気付いたみたいで、咲夜に頭を下げた。
相変わらず気の抜けた笑顔だけど、それだけ咲夜に心を開いてるってことなのか。
「おかえりなさい、咲夜さん。アリスさんはようこそ、紅魔館へ」
「ただいま美鈴。異常なかった?」
「私は外勤めですから、詳しくは。外観、問題はなさそうでしたけど。侵入者もありませんでした~」
「今の時間に起きてるってことは、真面目に仕事してたみたいね。交代の時間になったら、差し入れをしてあげるわ」
「はい!」
俄然やる気を出したように仁王立ちする門番の横を通り抜ける。
差し入れを糧に頑張れるんだったら、いつも頑張ってればいいのに、よくわからない妖怪だ。
確かに、外観はいつもの紅魔館だった。外観だけ、ね。
「メイド長~! 紅茶の買い置きはどこですか!」
「構造が変わった後のリネン室は!?」
「妹様が破壊なされた調度品の代えはどうしましょう?!」
「お嬢様の気分に合う血液型がわかりません~!!」
「妹様の遊び相手になった新人メイドをどうしましょう!?」
「お嬢様たちの好き嫌いが~~!」
「壊れた壁の修理費が!」
「買い出しに行った新人メイドが帰ってこなくて!」
咲夜が扉を開けた瞬間に雪崩れて来た妖精メイドが口ぐちに口を開く。
涙を流してたり、メイド服が紅茶で濡れていたり、疲れてるのか、元気がないのもいた。
咲夜は一つ溜息をついて、大きく息を吸い込む。
「紅茶の買い置きは三階東側の保管庫!リネン室は構造を変えたとしても一階西側の一番奥!調度品は庵から適当に!お嬢様の今日の気分はA-!メイドは私の名前を出して八意永琳のところへに連れていきなさい!二人の好き嫌いについては後で私が伺うわ!修理費はその他の出費に含めて後で報告書!メイドはさっさと見つけてきなさい!!」
鶴の一声を受けたように、三々五々に妖精たちは散っていった。
「さ、アリス。お茶にしましょうか?」
「……ええ」
今日の紅茶は、ロシアンティーじゃなかったけれど。
紅茶を注がれる度。時間が過ぎる度に溶かされる甘いコンフィチュール。
もしも、本当に幸せを煮詰めてコンフィチュールを作れるのだとしたら。こんな時間を煮詰めてみたい。
もちろん、目の前にいる銀色の彼女と一緒に………。
いや、違う。
きっと、人の記憶や思い出というのは、そういうものなんだ。
苦いものを煮詰めて。甘いものを煮詰めて。そしていつか、現在が過去になっていくにつれて。思い出という名前のラベルを貼られる。
甘かったはずのものでも、煮詰め過ぎて焦がして。苦いものになってしまうかもしれないけど。
それでもきっと。甘い。苦くても、幸せであったことを思い出せる。
幸せを煮詰めて作ったコンフィチュール。今の時間が、未来で甘いコンフィチュールになりますように。
「ちゅ……」
「っん……!!」
不意打ち気味に合わせられる唇。
少しだけ離れた咲夜は、悪戯が成功した子供のように笑っていて。
きっと真っ赤になりながらも。今の時間の倍は長く、私は仕返ししてやった。
「ねぇ、アリス。ひとつお願いごとなんだけど」
「なによ?」
「貴女の告白。泣き顔じゃない告白を、ちゃんと聞きたいわ」
「――――!!」
紅茶に浮かんだ私の顔は、赤い。
紅茶の臙脂色を塗り替えるくらいに赤い。心臓は、今までにないくらい高鳴ってる。
「アリス…。私、貴女のこと、好きよ?」
「……意地悪。……けど」
煮詰めて煮詰めて。まだまだ、甘く出来るでしょう。
焦げることなんて、ありはしない。焦がれることがあったとしても。
上目づかいで咲夜の顔を盗み見れば、これでもかって言うくらい。
私だけに、笑顔を向けてくれていた。
「……ダイ ス キ」
だって、目の前に彼女がいるんだから。
甘い甘い。幸せ色のコンフィチュールを、貴女と。
咲アリに目覚めそうなこの頃。ありがとうございました
しかし多忙な咲夜と付き合うにはむしろ嫁入りするしかないと思うんだ
咲夜さんとアリスの甘い雰囲気がとても良いですね。
アリスの爆発させた感情や咲夜さんに抱きしめてもらったり
とても微笑ましいです。
妖精メイドが仕事のことで押し寄せてきたのも咲夜さん泣きついてきたり
してるのが良いです。
甘くて面白いお話でした。
一緒にいたいならアリスもメイドになってしまえばいいんだと思います。
図書館担当に回してもらったりお嬢様の自律ゴーレムを作るという名目があれば研究も続けられるし。
咲×アリは本当に大好きです!!!何度でも言えます!!大好きです!!!!
もう自分の中では、るちあさんは神様になってます!!!
いいな、無駄が少なくて読みやすい文章
アリっさんかわゆい。
咲夜さんもかわゆい。
さぁ、メイド長もっと瀟洒にちゅっちゅターイム。
しかし風見さんとメランコリー嬢がとても伏線な気がしてしまいますぜ……!
綺麗な文章で内容も素敵でした。GJ!
いいぞもっとやれ。
だが甘いから許す。
前作に引き続き甘い咲アリをご馳走様でした。
いいぞもっとやれ
いえ、もっとお願いします
是非続編を!
作者さん、また書いてくれないかな...