梅の花もほころび始める今日この頃。
マヨヒガに有る八雲のお家では、藍と橙の式神二人がノンビリとお茶を啜っていました。
「そろそろ紫様もお目覚めになるかもしれないな」
コタツの上に置かれた煎餅を一枚取りパリンと囓ると、良い塩梅に淹れることが出来たお茶を口に運ぶ藍。
「そうですね。大分暖かくなってきましたしね」
橙も両手で持った湯飲みにフーフーと息を吹きかけながら、微笑んで言います。
「まあ、冬も嫌いではないんだが、何しろ水仕事がきつくてなぁ。雪化粧された庭なんかは見ている分には風情が有るんだが」
「うぅ~、わたしも寒いとつい家の中に篭もりっきりになっちゃいます……」
そう言って、身を縮めるようにする橙です。
そんな様子をお互い見ながら、暖かくなってきて良かったねと笑い合う二人。
庭に目を向ければ、雪とは違う白を枝に纏わせた梅の木からほのかに良い香りが漂ってきます。
コトリと湯飲みを置いた橙が、春の気配を感じるように目を閉じてゆらゆらと身体を揺らします。
「なんだか、春が近づいてくると身体がワクワクというかウズウズして来ちゃいますよね」
目を細めて、コクンと首を傾げながら言う橙。
「ははは、そうだなぁ。まあ、気分が高揚してくるのは確かだな。生き物に刻まれた本能という奴なのかもしれないが」
サワサワと尻尾を撫で付けながら、またお茶を一口。
「早くお外で遊びたいなぁ。山とかにも色々芽吹き始めているんだろうなぁ」
待ちきれない様子で、二本の尻尾をフワリフワリと揺らす橙です。
「フフ……橙もまだまだ子供だな。あまり危険な所に行くんじゃないぞ」
「もうっ、藍様酷いですよぅ。私はそんなに子供じゃないし、危ない所にだって行きません」
プクーッと可愛らしく頬を膨らませる橙。
そんな橙を見て、藍も朗らかに笑います。
そして、対面に座っていた橙が、藍の隣へとやってきました。
「でもまだちょっと寒いので、藍様の尻尾で暖まらせてもらいますね」
そう言うと、フカフカとした尻尾に身体を擦り寄せる橙。
「おやおや、更に甘えん坊と来たか」
「えへへ……。それは否定しません」
悪戯っぽく笑った後、幸せそうに顔を埋める橙です。
「ははは、それじゃあ私も少しゆっくりするとしようかな」
藍はそう言うと、クルリと身体を返し、橙の身体を抱きしめたかと思うと、コロンと横になります。
「わわっ、藍様」
「このまま昼寝としゃれこもうか。丁度良い陽気で少しばかり眠気が差してきてしまったよ」
そんな藍の胸に抱かれた橙は、フカフカホカホカ暖かくて安心できて、とても良い気持ちです。
「藍様のお胸、柔らかくてお日様の匂いがします……」
そう言って、頬を擦り寄せる橙。
「ははっ、そうかそうか」
藍は橙の頭をゆっくりを撫でてあげます。
とても幸せそうな顔で目を閉じる橙。
そんな、ノンビリ穏やかな時間が八雲のお家に過ぎていくのでした。
そして夕刻――
お昼寝から覚めた二人はお夕飯の準備に取りかかります。
グツグツと煮えるお野菜。ジリジリと焼けるお魚。
今日のお夕飯も美味しそうです。
トントンとリズミカルに響く包丁の横で、橙はお鍋の様子を見ています。
お玉ですくい上げて、舌を火傷しないように良く冷ましてから一口。
「藍様、煮えたみたいです~」
「おう、そうか。それじゃあもう火から下ろして良いよ」
お夕飯一品、出来上がりです。
やがて全ての料理が出来上がり、いよいよ食事の時間です。
「ふ~っふ~っ……」
「火傷しないように食べるんだぞ~」
「はいっ。でも、せっかくのお料理なのに熱々のまま食べられないって言うのはちょっと残念です……」
「まあ、橙は猫だからなぁ……。何とかしてやれれば良いんだが」
「でも、少し冷めてても藍様の料理はとっても美味しいですっ」
ニッコリ笑う橙。
「うぅっ、橙は良い子だなぁ。後でモフモフしてあげよう」
そんな橙に感激の涙を流す藍です。
「えへへ、やったっ」
ニコニコの橙は、焼いた鯖の照り焼きを一口。
「おいひいでふ~」
そしてホカホカのご飯をハムハムと頬張ります。
「やっぱり料理を作る側としては、誰かに美味しいって食べて貰えるのが一番嬉しいなぁ」
そんな橙に、藍様もニコニコ。
八雲の主である紫が冬眠中の今は二人きりでの食事ですが、それでもこんな風に笑顔が有れば寂しくはありません。
今日も平和な八雲のお家なのでした。
次の日――
良く晴れ渡った空を見上げながら、縁側で大きく伸びをする橙。
「今日はお外に遊びに行こうかなっ」
ウキウキとした様子で、居間の方へと向かいます。
障子を開けて居間にはいると、台所の方から朝ご飯の良い香りが漂ってきます。
「藍様、おはようございますっ」
元気良く挨拶。
「おはよう、橙。もうすぐ朝ご飯が出来るからな」
割烹着姿の藍がちょっと振り向いて橙に挨拶を返します。
「はいっ、お手伝いしますね」
いつものように、手伝いへと回る橙。
今日もいつもと同じ様でちょっと違う、そんな一日の始まりです。
朝食中――
「藍様、今日は山の方に遊びに行っても良いですか?」
橙がモグモグとしていたお漬け物を飲み込んでから訊きます。
「う~ん、そうだなぁ……。今日は特にやるべき仕事もないから構わないが……」
「やった! それじゃ、行って来ますね」
「でも橙、山の方はまだ雪が残っている所もあるし、滑りやすくもなっているから気を付けるんだぞ」
「はいっ、気を付けます」
「それから、野良妖怪にも注意しないといけないぞ。奴らは話が通じないことが多いからな」
「はいっ、注意します」
「それから迂闊な植物に触ってかぶれたりしないように……」
「はいっ、触らないです」
「後は、木の枝などで怪我をしないように……ああ、後水に濡れて式が剥がれるようなこともないように気を付けて……」
「もう、藍様ったら心配しすぎですよ。大丈夫ですっ、藍様に心配をかけるようなことはしませんから」
「そうは言ってもなぁ……可愛い橙に何かあったらと思うと心配で心配で……」
「もう~、過保護なんですから」
あははははと朗らかに笑う橙。
「むむぅ……」
藍はまだ心配なようで、渋い顔です。
「まあ、気を付けてくれるようなら良いんだ。楽しんでおいで」
「はいっ」
橙の満面の笑みに、藍もやっと笑顔を浮かべるのでした。
元気良く手を振りながら橙が出かけてから数刻後。
洗濯物を干し終えた藍は、今頃橙はどうしているかなと思いながら、縁側に腰を下ろします。
快く送り出しましたが、やっぱり心配なものは心配です。
「どうしたものか……」
空を仰ぎながら、一人呟く藍。
「様子を見に行くかな」
この後の仕事は何もありません。本当は自室で読書でもしようと思っていたのですが、橙のことを考えると居ても立ってもいられなくなってしまう藍です。
とは言え、普通に様子を見に行ったのでは、見つかってしまったときにまた橙に『藍様は過保護すぎますっ』とプクッとほっぺたを膨らませながら言われてしまうでしょう。
「そうだな……。変装していくか」
そう思い立つと、藍は立ち上がってムニャムニャとなにやら呪文を唱え始めます。
唱え終わった途端、ポワンと煙に包まれる藍の身体。
煙が晴れた後には、見た目橙と同じくらいの年頃の男の子の姿がありました。
「よしっ、これなら橙にばれないだろう」
狐の妖である藍にとっては、この位の変化はお手の物です。
ニコニコと笑みを浮かべながら、身体の様子を確かめる藍。
そして満足したように一つ頷くと、橙が遊んでいるはずの山へと向かうのでした。
山の麓に降り立った藍は、辺りを見回しながら山道を歩き始めます。
この辺りまで近づけば、式である橙の気配なら容易に掴めるはずです。
春の息吹を感じさせる景色を楽しみながら歩くこと十数分。橙の気配を感じました。ここからそう遠くない所にいるようです。
道を外れて、山の中へと入っていく藍。
枝や木の根に引っかからないように注意しながらしばらく進むと、居ました、橙です。
背の低い、咲きかけの木の周りをゆっくりと回りながら、ツンツンとつぼみを指で突っついています。
「居た居た。どうやら、何事もなく遊んでいるようだな」
大きめの木の陰から覗き見て、藍は一人頷きます。
そして、今度は小走りにチョコチョコと動き回りながら、地面に生えた草やら花やらを観察し始める橙。
その微笑ましい光景に、思わず藍の頬も緩みます。
そうして見守る中、
――カサッ
ついでに気も緩んだのでしょうか、つい足下の草を踏んで音を立ててしまいました。
「!? 誰か居るの?」
その音に気付いた橙が、藍の方を振り向きます。
しまったな……。
ため息をつく藍。どうしようかと一瞬考えた末、素直に出ていくことに決めました。
今は変化している藍。橙にはばれないはずです。
「人間……? こんな所に?」
藍の姿を見た橙が、驚いたように呟きます。
「あー……え~っと……」
頬をポリポリと掻きながら、なんと言おうか迷う藍。
少しの間ポカンと藍をみていた橙でしたが、ふとあることを思い出します。
それは、人間と妖怪の関係。わたわたと慌てながら後ろにバッと飛び退く橙。
そして大きく手を広げて、精一杯の威嚇を込めて一言。
「ニャーーッ、たべちゃうぞ~~~っ」
いきなりの展開に、呆気にとられる藍。
お互いの頭を冷ますように、サーッと風が吹き抜けていきました。
「……プッ。アハハハハハハハハ」
次に藍にこみ上げてきたのは笑い。全く怖くなかったどころか、むしろ可愛らしかったその姿を見て、思わず笑い転げてしまいます。
「わ、笑われた……。どうして怖がらないのーっ」
普通の人間ならいざ知らず、藍にとっては橙は自分の式。しかも十分すぎるほど見知った可愛い家族です。怖がるはずがありません。
「いや、すまない。可愛らしくってついね」
目尻の涙を拭いながら、謝る藍。
橙はプクッとほっぺたを膨らませながらすねてしまっています。
「むぅ……もういいよ。どうせ私は未熟な式だもん……。それで、こんな所に人間が何の用なの」
ジロリと睨みながら、訪ねてくる橙。
「ええっと、それは……」
まさか、橙の様子を見に来たなんて本当のことは言えません。
「遊びに来たら、つい道に迷ってしまって……」
と言うことにします。
「……変わってるわね。こんな所にまで遊びに来るなんて。この山には妖怪もいるのに」
呆れたように言う橙。
「あはは……」
あんまり良い理由ではなかったかなとちょっと後悔する藍です。
「わたしをみても全然驚かなかったし逃げないし、妖怪が怖くないのかしら」
「いやぁ、さっきのだと怖がれっていうほうが無理だと思うぞ」
まあ、ある意味橙らしいかなと思うのですが。
「むむぅ……」
「いったいなんだってあんな事を?」
「紫様が、里以外で人間にあったら驚かせて追い払いなさいって言われたから……」
「ああ……なるほど」
今現在、知識ある妖怪が人間を食べることも、特に悪さをしなければ妖怪が退治されることもほとんどないのですが、一応建前上としてそう振る舞うように教えているのです。
「でも、わたしだったから良いけど、もっと下等な妖怪だったらあなた食べられていたわよきっと。妖怪にあったらきちんと逃げないとダメなんだから」
腰に手を当てながら注意をする橙。
「あ、ああ、気を付けるよ。すまなかった」
藍も此処は素直に謝っておきます。
「それでどうして此処に……って、道に迷ったって言ってたっけ」
「ああ」
「それでどうしようか。麓まで送っていってあげようか?」
「いや、其処までしてもらわなくても……。それに此処で遊んでいたんだろう。それをやめさせるのも悪いよ」
勿論、藍一人で帰れるというのもあるのですが。
「でも、危ないよ?」
心配そうな橙。
その優しさが嬉しくて、ついいつもの調子で頭に手を伸ばしてしまいます。
――なでなで
「ふわっ! な、何をいきなり……」
「あ、ごめん。優しい子だなぁっておもって、ついね。嫌かい?」
「嫌じゃないけど、その……いきなり撫でるなんて……ビックリして……」
ちょっと頬を染めて、俯いてしまう橙。
何しろ、橙にとっては藍や紫以外に頭を撫でられるなんて始めてのことです。頭の中は真っ白。つい固まってしまいます。
一方藍は、どうしたものかと頭の中で考えます。
橙の遊びを中断させるのも可哀想だし、せっかくの橙の行為を無下にするのも心苦しいです。
「そうだな……。よし、一緒に遊ぼう」
「ふぇ?」
橙が顔を上げます。
「このまま遊んで、君が帰る時間になったら麓まで送ってくれれば良いよ」
偶には橙と童心に帰って遊ぶのも良いだろうと考える藍。頭から手を離し、ニコニコと笑いながら言います。
ポカンとした表情の橙。
そして、クスクスと笑い始めます。
「変わってるね、あなた。いきなり頭撫でるし、妖怪と遊ぼうなんて言い始めるし。人間ってもっと臆病な生き物かと思った」
ニパッと笑顔を浮かべる橙。
「あ、あはは、よく言われるよ」
思わずちょっぴり目を逸らせてしまう藍です。
「でも、人間が付いてこれるかな? わたし結構色々なところに行くよ」
「大丈夫。体力には自信があるよ」
人間に化けているとは言え、橙に付いていくのなら問題ありません。
「そう? なら良いけど……」
藍の方を見てコクンと首を傾げる橙です。
「あ、そうだ。あなた名前はなんて言うの? わたしは橙って言うの」
橙が振り返って訊いてきます。
「あ、えーっと、レ、レンって言うんだ」
名前など考えていなかったので、ついどもってしまいましたが、とっさに考えた名前で凌ぐ藍です。
「そっか、それじゃ行こ。レンッ」
笑顔を浮かべる橙。
藍もそれに応えて、大きく笑みを浮かべるのでした。
それから二人は、色々な所に行きました。
芽吹く花を探して楽しんだり、ふきのとうを見つけてその食べ方で盛り上がったり、おかしな茸を見つけて笑い転げたり。
川に行ったりもしました。
橙は水が苦手なので初めはあまり近づこうとはしませんでしたが、藍が手を引いてあげると川面を跳ねる魚に気付いて、水が怖いことも忘れて美味しそうだとはしゃぎます。
「つかまえて、藍様へのお土産ににしたいなぁ……」
「それはいいね」
「うん。あっ、藍様って言うのはね、優しくて強くて暖かくてフワフワのわたしのご主人様。後、とっても綺麗なんだよ」
「そ、そう。素敵なご主人様なんだね……」
自分のことを褒められて、内心嬉しいやらくすぐったいやら何とも言えない気持ちの藍です。
「今度、釣り竿を持ってこようか。そうすれば、釣りも楽しめる」
「そうだねっ」
ニコッと笑う橙。藍もつられて笑います。
「……っと、随分と日も傾いてきたな」
藍が空を見上げて言います。
枝の間から見える陽の光は紅く染まり、流れる雲を照らしています。
「大分遊んだね。色々な所に行ったし」
同じように空を見上げ、頷く橙。
「そろそろ帰ろっか。麓まで送っていってあげるよ」
「そうだな。お願いするよ」
「うん、それじゃこっち」
手を引く橙。ゆっくりと手を繋いで二人は歩いていきます。
山の麓に着くと、二人は手を離してお互い向き合います。
「今日は楽しかったよ。いつも一人で遊んでいたけど、こうやって二人で遊ぶのも良いものだね」
笑顔を浮かべる橙。
「よかったよ。楽しんで貰えたようで」
藍も微笑み返します。
「人間と遊ぶのは初めてだったけど、わたしについて山道を駆けられるなんてビックリした。レンってすごいんだね」
「いや、まあ、体力には自信あるからね」
ちょっとやり過ぎたかなと、内心冷や汗の藍です。
「それじゃ、バイバイ。また遊べたらいいね」
小さく手を振る橙。夕日に照らされたその顔は満足そうな笑顔です。
「ああ、それじゃあね。気を付けて帰るんだよ」
「それはあなたの方だよ。ここら辺は妖怪が出ることは少ないけど、暗くなったら何が起こるか分からないんだから、急いで帰った方が良いよ」
そう言って、ちょっと頬を膨らませる橙です。
「アハハ、気を付けるよ」
背を向ける藍。見送る橙の視線を感じながら振り返り手を振りつつ、道を駆けます。
そして、橙が見えなくなって少ししてから変化を解く藍。
ここからは急いで橙よりも早く家に帰らなければいけません。
自慢の尻尾をたなびかせつつ、空を飛ぶ藍。
やがて、マヨヒガにある八雲のお家が見えてきます。どうやら橙はまだ帰ってない様子。
家の中に入り、夕食の支度をしていると、「ただいまかえりました~」と言う声と共に橙が帰ってきました。
「お帰り、橙。もうすぐ夕飯もできるから手を洗ってきなさい」
柔らかな笑顔と共に、迎える藍。
手を洗い、居間に入ってきた橙は、なんだかとってもご機嫌な様子です。
「随分楽しそうだね。沢山遊べたのかな?」
勿論藍は知っているのですが、知らんぷりで訊いてみます。
「はいっ、とっても楽しかったです!」
満面の笑みで答える橙。
「そうか、それはよかった」
つられて藍も、大きく微笑むのでした。
そして夕食の時間。
ご飯を食べながら、橙が今日はどんなことをして遊んだかを楽しそうに話してくれます。
それに相槌を打ちながら聴く藍。
どうやら、変化した藍のことは言わないでおこうと思っているようで、一人で遊んだように話しています。
とは言え、知っている藍からすれば誰かと遊んだんだなと聞き取れる部分が多々あるのですが。
まあ、橙が隠したいと思っているのならそれもいいだろうと、気付かない振りをして話を聴く藍です。
実際の所、橙が人間と遊んだ所で怒るようなことはしないのですが、橙は黙っていた方が良いと思っているようです。
それでも、楽しそうに話し橙の姿を見て、また遊んであげようかなと考えながら、おかずの漬け物をポリッと噛み砕く藍なのでした。
その次の日も、藍は変化して橙と遊びます。
前と同じように、色々なところに行きました。綺麗に咲いた花を採って橙の髪に飾ってあげると、花にも負けないくらい可愛く顔を綻ばせます。
そんな橙を見て、藍もニコニコと笑顔になるのでした。
そのまた次の日は、釣りに行きました。
針を垂らせば釣れる魚に、はしゃぐ橙。
沢山のお土産を持って帰ってきた橙に、何も知らない振りをする藍は良くやったねと褒めてあげます。
そんな風に橙との遊びを続ける藍でしたが、ある日橙が訊きに来ます。
「藍様、お弁当を作って持っていって良いですか?」
「おお、そうか。遊んでいるとお腹が空くものな。待ってなさい、今作ってあげるから」
「いえ、そうじゃなくって、その……」
なにやらモジモジとしながら藍を見上げてくる橙。
「自分で作りたいんです。ダメですか……?」
「い、いや、それは構わないが……。そうだな……おむすび辺りなら橙でも出来るだろう。それで構わないかな?」
「はいっ、それで良いです」
パッと明るく顔を綻ばせる橙。
「良し、それじゃあ教えてあげよう。手を良く洗ってこっちに来なさい」
「はいっ」
そんな訳で、橙のお弁当作りが始まるのでした。
小さな手で、一生懸命におむすびを握る橙。
それを見守りながら、藍は時折アドバイスを与えます。
「もう少し、塩を付けて……。後、もうちょっと力を込めて握った方が良いな。よし、その調子だぞ」
やがて出来上がるお弁当。ちょっと形は不揃いですが、気持ちを込めて握ったおむすびです。
「出来ましたっ。ありがとうございます、藍様」
満足そうな笑顔を浮かべる橙。藍はその頭を優しく撫でてあげます。
その後、橙は大事そうにお弁当を抱えて遊びに向かいます。
藍もいつものように変化して橙の元へ。
「こんにちは、橙」
「こんにちはっ、レン。今日は何をして遊ぼうか?」
いつもより楽しそうに見える橙。なんだかそわそわとしています。
「そうだなぁ……。昨日はあっちの方に行ったから、今日はこっちに行ってみようか」
そんな橙を見て、内心クスッと微笑ましい気持ちになりながら手を繋いで歩き始めます。
以前より沢山咲き誇るようになった草木を愛でたり、綺麗な羽を持つ野鳥を眺めたりしている内に、アッと言う間に時間はお昼。
いつもなら木の実などを採ってお昼の代わりにするのですが、今日は違います。
「今日はね、お弁当……作ってきたんだっ」
お待ちかねの橙の手作り弁当の時間です。
「へぇ~、それは楽しみだなぁ」
監督していた藍から見てもなかなかの出来だったお弁当。きっと美味しいに違いありません。
湧き水で手を洗い、大きな岩の上に並んで腰掛けます。
「おむすびなんだけど、どうかな……?」
「うん、美味しそうだ」
「えへへ~」
ニッコリと笑う橙。
二人で大きなおむすびを手にとって、パクッとかじり付きます。
少し強めに利いた塩が、運動した身体に丁度良く染み渡ります。
「うん、美味しくできたっ」
隣から嬉しそうな、小さく呟く橙の声が聞こえてきます。
ハムハムとおむすびを食べる橙と目が合いました。
ビシッと親指を立てて美味しいと言うことをアピールします。
微笑む橙。
藍も、橙が作ったとなれば美味しさ倍増のおむすびです。大きな口を開けて、目一杯頬張ります。
「あ……」
橙が小さく声を上げました。
「ん、どうしたの?」
「んと……ちょっと、ジッとしててね」
そう言うと、身体をこちらに近づけて――
――ペロッ
ほっぺたを舐められました。
「ちちちちちちちち、橙っ!!?」
いきなりの行動に藍様ビックリ。
「あわわ、ほっぺたにご飯粒が付いていたからっ。両手ともお弁当とおむすびでふさがってるし、だから……」
真っ赤な顔の橙。
「そ、そか……」
藍の顔も真っ赤です。
「あ、ありがとね」
「う、うん……」
ほっぺたには、ちょっとザラッとした橙の舌の感触が残っています。
思わず、ほっぺたを押さえてニマニマとしてしまう藍。
そんな様子を覗き見る橙が、ますます顔を赤くします。
「あ、あんまり気にしないでねっ」
頬を染めたまま、上目遣いで言う橙。
「う、うん、気にしないようにするよ」
藍も、ちょっと目を逸らしつつ、そう答えます。
それから二人は、特に会話もなくお弁当を黙々と……。
時々目を合わせてはパッと離すという、何とも初々しさの溢れるお昼の時間になったのでした。
そんな事があってから、更に数日が経ったある日。
大分春も深まり、暖かい日が多くなってきました。
橙と藍が朝ご飯を食べていると、突然空中にスッと切れ目が入りました。
そして、そこからズルリと出てくる……と言うか、落ちてくる人影。
橙と藍のご主人様、紫の起床です。
「紫様! 冬眠からお目覚めになられたのですね」
慌てて居住まいを正す藍。
橙も食べているものを飲み込んで、向き直ります。
「藍~~……」
ペタ~っと畳の上に倒れている紫が、ゆっくりと片手をあげます。
「はいっ、何でしょう」
「何か飲み物……牛乳か何か持ってきて~」
それだけ言うと、またパッタリと手を落とします。
「は、はぁ……了解しました」
台所へと急ぐ藍。そして、コップに牛乳を注いで持ってきます。
「紫様。牛乳持って参りましたよ」
その言葉を聞き、ノタノタと身体を起こす紫。
そして藍から牛乳を受け取って、一気にグイッと飲み干します。
「はぁ~~……。幾らか目が覚めたわ……」
そう言って大きなため息をつきます。
「今年は例年より少し早い御起床ですね」
紫からコップを受け取る藍。
「ん~、そうねぇ……。今年は少し暖かいからかしら。あ、橙、お茶ちょうだい、お茶」
「は、はい、ただいまっ」
そう言われて、パタパタと湯飲みを採りに行く橙です。
「本当はもう少し前に目が覚めていたんだけどね。ついつい二度寝しちゃったわ」
「はぁ……そうなんですか」
「それより藍~? あなたもなかなかやるわね。化けて橙とデート三昧だなんて」
眠たげな目から、ニヤニヤとした目に変わる紫。
「ちょっ、紫様! 何でそのことを! と言うか、橙に聞かれたら……!」
慌てて後ろを向いて、橙が居ないことを確かめる藍。
幸いまだ戻ってきていないようで、ホッと胸をなで下ろす藍です。
「前に目が覚めた時ね、貴方達は何をしているのかな~ってスキマを使って覗いてみたのよ。そうしたら、なかなか面白いことになっているじゃない。しばらくそのまま観察していたのよ」
ニヤニヤとした笑みを深めつつ言う紫。
「ハァ……紫様もお人が悪い。あんまりそう言う覗き見はなさらないようにして下さいよ」
「嫌よ。私の楽しみの一つだもの。それよりどうするの? 気付いて居るんでしょう、あの子あなたと知らないままに結構な好意を抱いて居るみたいよ」
「それは……まあ……」
「このままズルズルと続けていてはあの子の為にも良くないわ。早々に何とかしなさい」
少しだけ真面目な顔になった紫が言います。
「それはそうなんですが……。いえ、分かりました。何とか事を収めて見せます」
何か決意したような様子の藍。
「そう。ならば私からはもう何も言わないわ」
「紫様~、お茶は温めでよろしいですか~?」
台所から橙の声がします。
「ん~、良いわよ~~」
その声に返事をして、紫はあくびを一つ。
「ま、世はおしなべて事も無し、よね」
そして、そんな事を庭の花々を見ながら呟くのでした。
紫にはああ言ったものの、橙のことを考えるとなかなか別れを切り出せず逢瀬を重ねていく藍。
別れの理由も未だに考えつかないままです。
そんなある日。
「橙~、ちょっとおいでなさいな」
橙は紫に呼ばれます。
「はいっ、なんですか? 紫様」
タタタッと小走りに紫の元へと向かう橙。
「あなたにこれをあげるわ」
そう言って手渡されたのは、見たこともない花が押し花された栞。
「これは……」
「その花はね、外の世界のもので幻想郷には咲いていないものよ」
「なんだか……良い香りがします」
「今はほんのかすかにしか香らないけど、時間が経てば段々香りが強くなっていくわ。この栞は、あなたの好きなように使いなさい。たとえば、誰かにプレゼントするとか、ね」
フフッと柔らかな笑みを浮かべる紫。
「はいっ、ありがとうございますっ。大切にします」
嬉しそうな笑顔を浮かべ、大きくお辞儀をする橙。
そしてパタパタと戻っていく橙の後ろ姿を、先ほどとは少し違った笑みで見送る紫。
「まあ、こんなものね」
そう言うと、スキマの中にスッと身を隠すのでした。
そして夕暮れ。
今日もいつものように遊んだ二人。
普段別れている場所まで歩く途中、橙が話しかけてきます。
「最近なんだか元気がないね。心配事でもあるの?」
そう言って、覗き込むように身体を傾ける橙。
「い、いや、特にそう言うことはないよ。うん」
勿論、心配事は橙にどうやって話すかと言うことなのですが、未だ決心の付かない藍はそう言って誤魔化します。
「そう? それなら良いんだけど……」
「心配してくれてありがとね」
「いいよいいよ、そんな事。あ、そうだ」
橙は思いだしたように言うと、ポケットの中を探り始めます。
「これ、あげる。結構珍しいものなんだって」
そう言って取り出したのは、一枚の栞。紫から貰ったものです。
「良いのかい?」
「うん、だから元気だしてね」
少し頬を染めて、笑う橙。
そんな橙に少し見とれながら、藍は少し香りの強くなった栞を受け取ります。
「ありがとう。大切にするよ」
ホンワリと嬉しそうに笑う藍。
「それじゃ、また今度ね」
夕日に照らされながら手を振る橙の姿を見送りながら、藍はもらった栞をキュッと胸に当てます。
「そうだな……そろそろ限界だろう」
そう呟きながら、藍は次に会ったとき、橙に別れを告げることを心に決めるのでした。
いつものように橙より早く帰った藍は、夕ご飯の支度をしながら橙の帰りを待ちます。
ちなみに、橙からもらった栞は、大切に懐の中にしまってあります。
「ただいま帰りましたっ」
橙が帰宅したようです。
夕飯の支度を一旦やめて、橙を出迎える藍。
「お帰り、橙」
「藍様~」
なにやら機嫌の良い様子の橙が、バフッと抱きついてきます。
「おやおや、今日の橙は甘えん坊だな」
柔らかく微笑みながら、橙の頭を撫でてあげる藍です。
「今日は遊んでいるときにですね……あ、あれ……?」
よりいっそう藍の服に顔を埋める橙。
「ん? 橙……?」
「い、いえ、なんでもないですっ。藍様、いい匂いしますね」
「そうか? ああ、夕飯の支度をしていたからな。美味しそうな匂いがするだろ」
「そうですね。あ、藍様、わたしちょっと部屋に行っていますね」
「そうか。夕飯が出来たら呼ぶからな~」
「は~い」
そう言って離れていく橙を見送りながら、藍は夕ご飯の続きに取りかかるのでした。
そして、数日経ったある日。
藍は今日こそはと思いつつ、橙の元へと向かいます。
しかし――
いつもの時間になっても、橙が現れません。
「どうしたんだろうか……」
藍は、ジッとその場で橙を待ちます。
けど、橙は現れません。
それでも藍は、橙を待ちます。今日は言わなくてはいけないことがあるのです。
そして夕暮れ時――
ようやく、橙が姿を現しました。
その手には、白く小さな小手毬の花束を持っています。
「橙……」
「ごめんね、遅くなっちゃってこの花探すのに時間がかかっちゃったから……」
そう言って、小さく笑います。
「そうだったのか。……それで、橙、今日は言わなくてはいけないことがあるんだ……」
「うん、分かってる。今日でお別れなんだよね」
「えっ……」
「薄々分かっていたんだ。お別れが近いこと。だから、今日はこの花を積んできたんだよ」
全て分かっていたような柔らかな笑みを浮かべた橙が、小手毬の花束を手渡してきます。
「今まで楽しかった。また……いつか逢えたらいいね」
橙はそう言うと身を翻します。そして、山の方へと駆けていきます。
「橙っ」
藍が叫ぶと、橙は振り返り大きく手を振って満面の笑みを浮かべます。
「バイバイ! レン!」
そして、山の中へと消えていきました。
「橙……?」
後に残された藍は、手元の花束を見下ろしてやけにあっさりとした別れを不思議に思うばかりでした。
そして、マヨヒガにある八雲のお家。
いざ橙と別れた藍ですが、後々になる内にドンドンと心配が吹き出してきます。
あれは橙の空元気だったんじゃないか。実は山の中で泣いて居るんじゃないだろうか。
そう考えると、居ても立ってもいられません。
「藍……いい加減落ち着きなさい」
煎餅を囓りながら、呆れたように言う紫。
「そうは言いますけどね、私は橙が心配で心配で……」
「やれやれ……過保護此処に極まれりね」
そんな事を離していると、玄関の方から橙の声がしました。
「ただいま帰りました~」
「橙!」
もし泣いていたら、思いっきり慰めてあげようと思いながら、玄関へと駆けていく藍。
しかしながら、玄関にいた橙も相変わらずの笑顔でした。
そしてその手には……
「これ、山の中で採ってきたんです。藍様、もらってくれませんか?」
持っていた枝垂桃の枝を差し出してくる橙。
「あ、ああ、ありがとう……」
「わたし、手を洗って夕ご飯のお手伝いをしますね」
そう言って、家の中に上がると小走りに駆けていく橙。
そんな藍の後ろから紫が声をかけます。
「小手鞠と言い、枝垂桃と言い、橙もなかなか雅なことをするようになったわね」
「え……どう言うことですか?」
「花言葉よ。小手鞠の花言葉は『友情』。別れゆく友人への手向けの言葉でしょうね。そして枝垂桃は……」
「何ですか……?」
「それくらいは自分で調べてみなさい」
藍の額をツンッと指で突っつくと笑いながら居間へと戻っていく紫。
「ああ、後、それから……」
「……何ですか?」
「橙、あなたが正体だって事気付いていたみたいね」
「え、えぇぇぇぇ!! ど、どう言うことですか!? 紫様!」
枝垂桃の花言葉。
それは――
『私はあなたのとりこです』
まあ二次創作なんだし気にする事はないと思いますが
お日様に匂いが→お日様の匂いが
おむすびを食べる橙を目が合いました→おむすびを食べる橙と目が合いました
ぐああ、橙藍は本当に癒されます。
出番の多くはないゆかりんもなかなか心憎い役者で、まさに理想的な八雲一家のほのぼのデイズ。
こんなに橙が可愛ければ、藍さまの葛藤も納得がゆくものです。
だが公式設定を説扱いするのはいただけない。
それってどの作品のどこの記述だろう?
つーか原作では八雲一家の記述ってすげー少ないよね
こういう話大好きです。最後の花言葉にやられました。
貴重な藍橙をありがとう
レンが藍様であることに気づいた橙がどうするか不安でしたが、花のプレゼントによって見事にオチがついていて感服です。