春のお彼岸。太陽が真東から昇り真西に沈む春分の日を中日とした七日間は、本来は西の果てにある極楽浄土を想いながら修行に励む期間である。
しかし人々は故人を尊ぶ傾向が強かった為に、この期間はご先祖様を供養する行事として定着している。
その際にはご先祖様に牡丹餅をお供えするのがセオリーだろう。そして実際僕の目の前にもその牡丹餅が置いてある。
竹の皮に包まれたそれは漉し餡で、少女の小さな手で作られたように小振りのものだった。
この牡丹餅を作ったのは、今さっきお茶を淹れる為にお勝手に入って行った霊夢だ。
彼女はいつもお彼岸やお盆になると何かしらお供え物を拵えてお墓参りに行くのだが、帰る時にここ香霖堂に寄って暇を潰すことがしばしばある。
暇を潰すといってもただお供え物をお茶請けにしてお茶を呑むだけだ。
あまりうちを休憩所みたいに使わないで欲しいが、僕もそのお供え物を食べれるので文句は言えない。
と言うのも、お供え物には強い力があってそれを食べることでその力が僕にも宿るからだ。
──カラン、カラン
「いらっしゃ……なんだ魔理沙か」
「いらっしゃいませくらい最後まで言わないと駄目だぜ。香霖」
「いらっしゃいませ」くらいお客には言っている。だが魔理沙は客じゃない。
それに今日の魔理沙は唐草文様の大きな風呂敷包みを持っていて、まるで泥棒みたいで不吉だった。いや、実質魔理沙は泥棒のようなものか……
きっと今日もどこかで悪事を働いてきたに違いない。
「ああ、これか? 去年の秋、妖怪の山に引っ越した物好きな神様がいただろ? そいつの巫女やっている奴から貰ったんだ」
僕の視線に気づいて魔理沙は「貰った」と言ったが、きっとその巫女は「あげた」なんて言わないだろう。
それにしても妖怪の山に住み始めた神様とその巫女は一体どこから来たのだろうか?
去年の秋に霊夢から武勇伝と言う名の愚痴を聞かされるまで、幻想郷で巫女といえば霊夢くらいしか知らなかった。
烏の新聞によると最近は河童や天狗達との宴会を通して徐々に力をつけているようだが、烏の記事なだけあって本当のところは分からない。
というのも烏の新聞では宴会のことばかりが書いてあって、その神様に迫る情報は殆どないのだ。
神社持ちのくせに今まで誰も知らなかったのだから、そもそも神様かどうかも怪しい。実は馬鹿騒ぎしたいだけの妖怪なのかも知れない。
「あら魔理沙。来てたの?」
「ついさっきな」
「来てたの?」と言っておきながら霊夢はちゃんと三つの湯呑と急須をお盆に載せてカウンターに置いた。
きっと霊夢はお勝手から僕と魔理沙の会話を聞いていたのだろうが、ここで惚けるのが幻想郷の少女流だ。
魔理沙は荷物を置いて商品の壺の上に座り、湯呑と急須に手を伸ばそうとする。
「まだよ。あとちょっと」
霊夢がぴしゃりと言うと魔理沙はお茶を諦めて牡丹餅を手に取ってむしゃむしゃと食べ始める。
その様子がちょっと気にかかった僕はここでひとつ質問してみることにした。
「ところで魔理沙はこの牡丹餅がお供え物だったことを知っているのかい? お供え物はそんなにがっついて食べてはいけないよ」
「そんなことは知っているぜ。でも食べ物をどう食べるかは本人次第だろ?」
案の定の答えが返ってきた為、僕は魔理沙にお供え物としての牡丹餅が持つ力を教えてやることにする。
彼女達の何倍も生きてきた僕にとってこういった説教こそが善行であり、この善行を積むことが僕の死後を明るく楽しくしてくれるらしい。
「お供え物という物はだね、神様やご先祖様に一度捧げることで彼らの力をその内に宿すんだ。
そしてそのお供え物をこうやって食べることで僕達にもその力が宿るんだよ。つまりこれは一種の儀式なのさ。
儀式はもっと静かに落ち着き払ってやらないといけない」
そう言って僕は霊夢のご先祖様の力が宿った牡丹餅を一つ手に取ってゆっくりと一口食べる。
綺麗に裏漉しされた餡は口の中で程よく溶け、柔らかくも弾力のある米は甘い。
僕には霊力的なものを感じ取ることはできないが、きっと霊夢にはちゃんと見えているのだろう。
「儀式ねえ……それじゃあその儀式に牡丹餅を使っていることに何か意味はあるのか?」
「勿論あるよ。このお菓子の材料や名前について考えれば自ずと答えは出るはずさ」
「あら? お供え物の定番だからじゃなかったの?」
霊夢がそれぞれの湯呑にお茶を注ぎながら惚けたことを言う。彼女は巫女でありながら時たまこのように不勉強な面を見せる。
やはり僕が二人に色々と教えてやらねばならない。
「まずは材料の面から考えてごらん。牡丹餅は主に米と小豆で出来ているだろう?」
「小豆? 小豆と言えば妖怪小豆洗い……」
「米と言えば鼠だな」
「いや、小豆洗いも鼠も関係ないよ。米は五穀豊穣、小豆は無病息災の祈りを体現したものなんだ。
それに餡の小豆色と米の白色で目出度い紅白になっているからお供え物にはぴったりだろう?」
そこで僕は牡丹餅を頬張ってお茶を啜る。
そのお茶はいつも僕が呑んでいる物よりいい匂いと味がした。
「それが材料の面での答えか? それだったらカレーライスの方が紅白っぽいぜ」
「いや、まだ他にも理由がある。むしろ今から言うことが本来の理由なんだよ。
まずは米も小豆も気象の影響を大きく受けやすいというところに注目しなくてはならない。
ご先祖様は牡丹餅の米と小豆の質を見て去年や今年の気象を知るんだ」
「ふーん。でも過去の天候なんて知ってどうするの? 天気予報でもしてくれるのかしら?」
「そんなわけないじゃないか。それに気象というのは天候のことじゃないんだ。
象という漢字には形や質という意味が込められていて、気象とは気と形と質でありこの世を創る大元のことさ。
この気象の動向を知ることでご先祖様は此岸の様子を見守ることが出来るんだよ。
小豆や米はさっき言った通り気象の影響を受けやすいし、昔から存在する作物なだけあって故人にとってはとても見定め易いんだ」
「美味しいからってだけじゃなかったのね」
霊夢がのほほんとそう言って牡丹餅を頬張る。
「勿論昔は甘いものが少なかった為に牡丹餅がご馳走だったという背景もあるよ」
「馳走をやるから自分たちを見守って欲しいだなんて、まるで死人に鞭打つような話だな」
「ご先祖様が子孫を見守るのは好きでやっていることさ。お供え物は単にご先祖様への敬意と報告でしかない。
見守る気がないのなら最初から見守ってなんかいないよ」
そう言って僕はもう一つ牡丹餅を食べようと手を伸ばすが、そこに牡丹餅はもうなかった。
「君たちは僕にもう少し敬意を示してもいいんじゃないか?」
「普通だぜ」
「もぐもぐ」
あまりお腹が膨れていない時に呑むお茶は健康を害するというのに……
まあ半人半妖の僕に健康という言葉はあまり意味を成さないが。
「まあそう落ち込むなよ。私が持ってきた包みを開けてやるからさ」
別に落ち込んだつもりはないのだが、魔理沙はそう言って先ほどの風呂敷包みをカウンターの上で解く。そこには桐の箱が一箱あった。
魔理沙の『じゃじゃーん』という声と共に開けられた箱の中には先程の牡丹餅と似た物が入っていた。
似た物と僕が言うのも、これは霊夢の作った牡丹餅とは若干の違いがあるからだ。
「粒餡の牡丹餅ね」
「あー? 何を言うか。これはお萩だぜ」
そう、これは漉し餡ではなく粒餡で作られていた。
そしてどうやら霊夢と魔理沙はそれぞれ違った方法で牡丹餅とお萩を区別しているらしい。
魔理沙が荷を解いたことで話が逸れたと思ったが、すぐに話の流れを戻せそうだ。
僕は二人の食い違いが弾幕勝負に発展する前に、この菓子の名前について二人に教えてやる。
「どうやら霊夢は季節で、魔理沙は餡の状態で牡丹餅とお萩を区別しているようだけど、それは大きな間違いだよ」
「間違いってどういうことかしら?」
霊夢も魔理沙も軽くこちらを睨んでくる。
きっとどちらが正しいか、ではなくどちらも間違いであると言ったことに不服なのだろう。
「今は確かに牡丹餅とお萩の区別の仕方には色々ある。
例えば春と秋で区別したり春夏と秋冬で区別したり、粒餡と漉し餡、米の潰し具合なんかでも区別することがあるんだ。
でもだからと言って全ての区別の仕方が正しいなんて、あまり納得のいくものではないだろう?」
「確かにどれも正解なんて後味が悪いな。そもそも何でそんなに沢山区別の仕方があるんだ?」
「それには流石に分からないところもあるが、最近の幻想郷の食生活が豊かになったということが主な理由だと思うよ」
少し話が逸れるが、話のイニシアチブは僕が握っている。なので多少の脱線は許容の範囲だ。
「昔は牡丹餅と言えば漉し餡だったし、春に食べる物だった。逆にお萩は粒餡で秋に食べていたのさ。
これらが季節の花を見立てて名前を付けられているのは君たちも知っていることだろうけど、どうして漉しと粒で区別していたかは分かるかい?」
「それは冬を越した小豆の皮が固くて粒餡には向かないからでしょう?」
さも当然と言わんばかりに霊夢がそう言ってお茶を啜る。
「そうさ。だから昔はせっかくのご馳走だから出来るだけ美味しく作ろうとして、わざわざ裏漉しが面倒な漉し餡で作っていたんだ。
でも今は昔と違って餡子より甘くて美味しい物なんてありふれているだろ? だから漉し餡か粒餡かなんてたいして気にしなくなってしまったんだよ」
「なるへそ。それで牡丹餅とお萩の違いが曖昧になって区別の方法もバラバラになって派生していったんだな」
納得した魔理沙は粒餡の菓子を一つ手に取って頬張った。
「確かに皮が少し固い気もするな。むぐむぐ」
「それじゃあこのお菓子の名前の区別がバラバラになってしまった今、結局何て呼べばいいのよ?」
「これは牡丹餅だよ。僕の能力で見たから間違いはないが、作った人の意思に関係なくこれを牡丹餅たらしめるものは多いんだ」
この牡丹餅を作った見知らぬ巫女はこれを牡丹餅として作ったのかお萩として作ったのか。僕にそんなことは分からない。
しかしこのお菓子の本質からすればこれは間違いなく牡丹餅だ。
「いいかい? 供え物の牡丹餅の餡は去年収穫した小豆、お萩ならその年の小豆を使わなければならない。
これはさっき言ったようにご先祖様に気象を報告して見守って貰うためだ。この菓子は去年の小豆で作っているから牡丹餅なのさ。
それに牡丹の咲く季節にお萩だとか、萩の花の季節に牡丹餅だなんて矛盾しているじゃないか」
「でも桜餅は秋に作っても秋桜餅なんて言わないぜ?」
「それは桜餅が桜をイメージして作られているから何時でも桜餅と呼ばれるのに対して、牡丹餅は決して牡丹をイメージして作られた物ではないからだよ」
僕は桐箱から牡丹餅を一つ手に取って二人に見せる。
「確かに牡丹餅って牡丹には似てないわね。お萩も全然萩の花って感じじゃないわ」
「丸い団子で勝手に丸い月を連想して風流を楽しむのと同じで、人はこの紅白の菓子で四季に想いを馳せることが出来るのさ」
そして僕は牡丹餅を一口食べる。餡の皮は気になるといえば気になるが、気にならないといえば気にならない程度の固さだ。
「四季ってことは夏と冬にも別の名前があるのか?」
「あまり知られてはいないが勿論ある。但し夏と冬の場合は花に関係する名前じゃないんだ。
牡丹餅の米は粳と餅を合わせてつくるから普通の餅の様に臼で搗かないだろう?
だからこの菓子は搗き要らずだとか搗き知らずと言ったんだ。そして夏の夜の船は人知れず岸に着くから夜の船は着き知らず。
冬は月が南寄りに昇って北側の窓から月を見ることは出来ないから北の窓は月入らず。故に夏は夜船、冬は北窓と呼ばれるんだ。
こうやって四季それぞれで違った名前を持つんだから餡や米の状態で区別するのはおかしいし、季節だけで区別したらその季節に合った調理法が分からないだろ?」
「うーん。冬のを北窓って言うのは分かるけど何で夏は船なんだ?船なんて年がら年中出せるじゃないか」
「三途の川の船なんて年がら年中、出で知らずね」
流石にこればかりはあまり船を見たことのない二人には分からないことだ。
三途の川の船が年中出ないのは問題だと思ったが、気にしないことにした。
「幻想郷にはないけれど、大きな川がある地域では屋形船という船があったんだ。
夏の暑い夜に屋形船に乗って涼みながら宴会をしたり花火を見たりするのさ。夜船とは間違いなくこの屋形船を指している」
「ほー。屋形船かあ……」
魔理沙は初めて聞いた単語に興味津々のようだ。今年の夏は湖の上で宴会があるかもしれない。
あそこには日射を遮る変な霧が出ていたり涼しげな妖精がいたりするせいか、夏場は避暑地として人気がある。
そこで屋形船をすればさらに涼しくなるだろうが、場所が場所なだけあって風情なんてなさそうだ。きっと弾幕の花火が始まってしまう。
「人間がそれぞれの季節に感じる風情を時に応じて名前に込めるなんて、まるで神様みたいなお菓子だったのね。これは」
「神霊が物に宿るのではなく、名前の付く前の物そのものが神霊であることは大分前に説明したね?
この紅白の菓子は四つの名前を使い分けて四季それぞれの一面を切り出すことが出来るんだから確かに神様みたいな性質を持っている。
とても柔軟で神霊を思わせる名前を持ち、ご先祖様に的確に気象を伝えることが出来る。だから牡丹餅はお供え物としてよく使われるんだ」
僕は手に持つ柔らかい名前を持った菓子を頬張り、今の季節は牡丹餅と呼ばれるそれが僕に春を伝えてくれるのを感じた。
少々固さの残る餡の皮は、この小豆が厳しい冬を乗り越えたことを物語っている。
ひょっとするとお供えする牡丹餅はこの冬の厳しさを報告する為に粒餡で作るべきなのかもしれない。
そう思うと舌触りの悪いこの皮も、コーヒーの苦味やお茶の渋みのような味わい深いもののように感じられてきた。
「成程な。だからこの牡丹餅も神社に供えられていたのか」
「何だって!?」
魔理沙がとても恐ろしいことを言った。
もしこれがお供えし終えた物ならたいして困ることはないが、お供えしている最中の物を盗んだのなら話は別だ。
僕はその真意を知る為に魔理沙に訊いてみる。
「当然お供えし終ったものを盗ってきたんだろう?」
「いや、何か立派に供えられていたから替わりに茸を置いて取ってきたんだ。
あの茸は味噌汁なんかに入れるとかなり美味いんだぜ。ただし採るのが結構面倒なんだがな」
軽い眩暈がした。お供えしている物を勝手に取るなんて罰あたりだ。
そんな物を食べてしまった僕は神罰が下らないように祈った。
それだけではない。いきなりお供え物を盗られた神様が荒魂の一面を示さないかが不安だ。
もし本当にその神様が妖怪の山で力を付けているのなら、その神の荒が妖怪の山に損害を与えないだろうか。
そうして妖怪の山の力が弱まれば幻想郷のパワーバランスは崩れてしまうだろう。
いや、待てよ。そもそも本当に神様かどうかも怪しいものなんだ。
それに山に越すまで誰にも知られていなかった神様なんだ。たいして力もないんじゃないか?
「茸をお供えするなんて聞いたことがないわよ。やっぱり魔理沙はわけが分からないわね。もぐもぐ」
そう言って本当はその神様の物だった牡丹餅を食べる霊夢を見て、僕はさっきのことが杞憂だったと確信する。
もしこの牡丹餅に神の荒が宿っているのなら霊夢にはそれが見えるはずだが、むしゃむしゃと平気で牡丹餅を食べながらお茶を呑む霊夢を見ればこの菓子に神の荒など宿っていないことが分かる。
やはり山に住み始めた神様は本当は妖怪か、そうでなければそれ程強い神様ではないのだろう。
それに神の荒を鎮めるのはその神様の巫女の仕事であり、山の神社に参拝したことのない僕には関係のないことだ。
第一異変解決の専門家が目の前にいるのだし、もしもの時はきっと彼女が解決してくれるだろう。
荒っぽいことが出来ない僕が幻想郷のパワーバランスなど気にしたって仕様がないのだ。
変に取り越し苦労をして少し疲れた僕は牡丹餅を食べて元気を出そうと思い、桐箱に手を伸ばしたが……
もうそこに牡丹餅はなかった。
氏の霖之助の説明と語りはとても面白かったです。
魔理沙が神社から盗んできてそれを霊夢と一緒に普通に食べるというのもまた
彼女たちらしいのでしょうねぇ。
そのころ神奈子や諏訪子は大激怒してたとかはないですよね?
神様の報復があるとしたのならさぞかし恐ろしいものなのでしょう。
関係ないけど個人的に怒りを買いたくないのはやっぱり秋姉妹かなぁ。
霖之助らしいといえばらしい、面白いお話でした。
テンポよく読めて、薀蓄も面白く、食べようとしたらなかったとかとても三人の風景が楽しそうでした。
山の神社の神様家族と同じようにこの三人は家族だなぁと感じました。
思考のレベルが違うな。
何気ない一コマは見てて楽しいです。
四季って、あらためて日本の文化を深くしてるなあと感じました。
だが、香霖堂はまちがいなく襲撃される
霖之助逃げてー!
とても面白かったです。
この後、彼らがどうなったか気になるwww