このお話は『この“好き”の名前』『好きだから』『行き場探す“好き”』の続きになります。
先にそちらをお読みになってから、此方を読んで下さればと思います。
今回は少しグロい描写がちょこっと出てきますので、苦手な方はご注意下さい。
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生まれた時からずっといる。
ソレは在(い)るのが当たり前すぎてる存在。
だからもしがそれがなかったら。
なんて、想像するのだって難しくて。
だけど、一度だけお姉さまと話したことがある。
【 - air - 】
割れる割れる。
まるで風船だった。
風船みたいだった。
ぱん。
ぱんっ。
――パリン。
その音に混じって、遠くから聞こえてくるのはなんだったか。
冷たく堅い石畳の床には、人形やぬいぐるみが散乱している。
その床は、力任せに殴ったかのようにところどころが陥没し崩れていた。
頑強そうな壁にも爪跡のような傷が幾筋も走り、爪痕は壁に留まらず天井にまで続いている。
平坦な天井面を抉るその軌跡は、一種のアートに見えるかもしれない。
部屋には、外に出る為の扉が一つだけあった。
分厚く無骨な鉄扉。冷めたい無機質な表面には複雑な魔法陣が描かれている。
地下のため当然窓はない。
照明も少ない。
家具もない。
あるのは、中央に設置された寝台だけ。
そこに寝ているのは、まるで蜂蜜みたいな柔らかな金色の髪を持った幼い女の子だった。
小さな背には、一対の変わった形状をした翼。しかし“翼”と呼ぶには酷く歪(イビツ)な翼。
それでも“翼”としか言いようのないソレは、枯れ枝のようなものに様々な色の八面体水晶が幾つもぶらさがっているという形をしていた。
『枯れ枝』といっても、それはただの譬えだ。
質感は意外と柔らかいし、色は枯れ枝と呼ぶには艶やかで、なによりそこに通っている力は強く、折れそうもない。
だが、あまりにも異様な形には変わりない。
ぶら下がっている水晶体は、赤、橙、黄色、黄緑、緑、青、紫、と感情や身体のコンディションによって色が変化する。
光の加減でも変化して見えるので時折分かりづらかったりするが、感情の起伏による色の変化ほど著しいものはなかった。
今は眠りの中にいる為か、水晶体の色は淡い水色に染まっていた。
少女はすやすやと眠る。
何もなく。
暗く。
冷たく。
静かな部屋で。
一人。
少女の瞼が唐突に持ち上がる。
覗くのは、血よりも赤い紅い、赫の色。
赫い瞳には喜色が滲んでいた。
翼の水晶体の色は、黄色、橙、黄緑と明るい色に染まり、淡く発光する。
少女は飛び起き、鉄扉に目を向ける。
重厚な扉が、己の重さに軋みながら開く。
「メイっ!」
少女は紅い髪の妖怪が顔を出す前に、その胸に飛び込んだ。
「はい、妹様」
紅髪の妖怪――――美鈴はにっこりと笑って、飛びついてくる少女、フランドールを受け止める。
しかし少女の勢いが強かったのか。しっかりと抱き止めたのはいいが、その場でくるりと一回転。
遠心力で力を分散させて、美鈴はゆるりと止まった。
「えへへ。ちょっと久しぶりだね」
フランドールの翼がシャランと涼やかな音を立てる。
翼を動かす度に、ぶらさがった水晶体が互いに擦れあい、シャラシャラと美しい音を奏でた。
「すみません。間が空いてしまって……」
美鈴はフランを抱き上げたまま、近くなった視線で申し訳なそうに言う。
フランは首を振り、「ううん。いいよ」と笑った。
「でも、今日はいっぱい遊んでもらうからね♪」
「それは勿論ですが、その……弾幕ごっこ以外ならですよ?」
困った顔をする美鈴。
わざと「えー」という声を出すと、美鈴は更に困った顔をした。
フランドールはそれを見て楽しそうに笑った。
「あ、今丁度おやつが出来たところなんですよ」
「ほんとー?」
「はい。今日はパフケーキだって咲夜さんが言ってました」
――――咲夜、か。
フランの中で、その単語は飲み込みにくい果実となって引っかかった。
甘くて美味しい筈のそれを、上手く飲み込めない。
「……大丈夫ですよ」
美鈴は少し、ほんの少しだけ曇ってしまったフランの顔に向かって微笑む。
穏やかな光が、その群青色の瞳にあった。
「私もお嬢様もいますから。ね?」
美鈴はフランドールを抱えたまま階段を上る。
フランドールは美鈴の言葉に小さく「うん」と頷いた。
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
繰り返し言われた。
繰り返し繰り返し、教えられた。
やがてそれは呪詛となり、心を縛った。
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
割れる。
割れる。
まるで風船みたく。
ぱん。
ぱんっ。
パリン。
割れていたのは、なんだったか。
あの日もそうだった。
美鈴がこうして迎えに来てくれて、お姉様の部屋に行った。
その日、美鈴の左腕には包帯が巻かれていて、肩にかけた帯でその腕を吊っていた。
「それどーしたの?」
「大したことないですよ。ちょっと色々ありまして」
「ふぅ~ん?」
なんでもないと、美鈴はいつも通り笑う。
美鈴が嘘をつくことなんてない。
フランは美鈴がなんでもないというのなら、そうなのだと思って頷く。
そっと差し出された右手を握って、廊下を歩く。
地下からレミリアの部屋までは少し距離がある。
飛んでもいいけど、一緒に歩く時は美鈴は必ず手を繋いでくれるから、歩くのは割と好きだ。
もちろん、美鈴と一緒にいる時限定だけど。
美鈴の大きな手をぎゅっと握って歩く。
ふと、美鈴の体から知らない匂いがした。
それはよく知っているような、全然知らないような匂い。
不思議と口の中の犬歯がうずうずとした。
――――コレ何ノ匂イ?
「……変な匂いがする」
フランドールが小さく呟くと、上の方にある美鈴の顔からは苦笑が零れてきた。
「変な、ですか……」
「うん。変な」
イイ匂いなのか、悪い匂いなのか。
その判別が付かない、匂い。
ただ、口の中がむずむずとする。
フランドールは口を開けて、自分の指先で下顎の犬歯を撫でた。
「なんか、変な感じ……」
落ち着かない様子で、不機嫌そうにするフランドール。
美鈴は「まぁ、分からないでもないですけど」と、また苦笑を零した。
「わかるの?」
「お嬢様や妹様ほどじゃないと思いますけど、やっぱり私も一応妖怪みたいです」
“妖怪”という言葉ほど、美鈴に似合わない言葉はないだろう。
漠然とだが、いつもそう思う。
「メイって、何の妖怪?」
「なんでしょ~ね」
聞く度にいつもはぐらかされる。
でもその時、いつでも優しい色をしている瞳が、ほんの僅かだけど翳るのをフランドールは知っている。
だから問うても深くは聞かない。
それにこんなの大した問題じゃないから。
「まぁ、妖怪と呼ぶにはあまりにも異質な紛いモノ……といったトコロです」
美鈴は茶目っ気混じりに笑って見せた。
でも、やっぱりその瞳の奥が翳っているのを、フランドールは気付いていた。
「なんでもいいよ。メイはメイだもん」
手をぎゅっと握る。
美鈴は「妹様には敵いませんねぇ~」と苦笑して、その手を握り返した。
* * * * *
レミリアの部屋に近付くにつれて、『変な匂い』が強くなる。
そして、違和感を覚えた。
数が合わなかったからだ。
姉、姉の親友、従者、それから自分。
いつもなら気配は四つだけの筈なのに、部屋の中には既に三つもある。
「?」
フランドールは握った大きな手に少しだけ力を入れて、美鈴を見上げた。
美鈴は穏やかな顔をして、フランドールの手をそっと握り返す。
まるで「大丈夫ですよ」とでもいっているような表情で。
美鈴が、装飾が施された大きな扉を数回ノックした。
「美鈴です。妹様をお連れ致しました」
乾いた音を数度響かせてから、しっかりとした声で発する。
すると扉の向こうから声が一つ届き、美鈴は扉を開けた。
スカーレット家当主の部屋に足を踏み入れる。
中にはパチュリーとレミリア。そして、端の方には、小さな何かがいた。
吸血鬼にしてみれば、ソレは本当に小さな小さな存在だった。
部屋の隅から、まるで睨みつけるかのような強くて冷たい視線を向けられる。
(……コレなに?)
少しのムカつきと、少し大きな訝りの気持ち。
その矮小な存在に対する疑問に、フランドールは眉根を寄せた。
フランドールの翼が、明度の低い白と灰色に変わる。
「あぁ、来たのね」
「うん。おはよう、お姉さま。パチェもおはよう」
フランのちょっとズレた挨拶に、パチュリーは静かな声で返してレミリアは微笑みながら言葉を返した。
「おはよう、フラン」
こっちに来なさいと視線と仕草で促され、フランは美鈴の手を離してレミリアの元へ行く。
美鈴は小さな存在に近寄り、今までフランドールと繋いでいた右手を差し出した。
その小さな存在は美鈴の手を弱い力で握り、美鈴に連れられてフランドールの前まで来る。
夜空から降ってくる流星を束ねたかのような銀色の髪。厳冬の寒空を思わせるような蒼い瞳。しかしその瞳の光はやけに暗くて、空というものにはかけ離れている。
ガリガリに痩せて骨が浮き出た体のそこかしこには、浅い裂傷や擦り傷が幾つもある。
変な匂いの正体はコレだ。
牙がうずうずする。
フランドールは自然と不機嫌顔になって、目の前のその小さな存在を見た。
「フラン。そんな怖い顔しないであげて。怖がってる」
そんなフランを、パチュリーの静かな声が嗜めた。
隣でレミリアは苦笑をし、フランの頬を解すように撫でる。
美鈴はその小さなソレの傍に片膝をついて、ソレに向かって「大丈夫ですよ」と微笑みかけていた。
ソレは握ったままの美鈴の右手に、またぎゅっと力を込める。
……気に食わない。
「ねぇ、お姉さま……」
コレなぁに?
そう問う前に、レミリアが口を開く。
「この子は、私が拾ってきた人間の子供よ」
拾ってきた?
なんでこんなモノを?
レミリアは「紹介するわ」と軽く言って、子供に視線を向ける。
子供は一瞬たじろいでいたが、美鈴の優しい眼差しに促されて、きゅっと口を結んだ後、
「……十六夜、咲夜……です。よろしくお願いします」
と、小さく言って頭を下げる。
美鈴がソレ、十六夜咲夜の頭を、「よくできました」とばかりに撫でた。
「いざよ、い……さく、や?」
言いにくい名前だなと、反芻してみて思う。
そんなフランドールにレミリアは「私が与えた名前よ」と得意げに言った。
レミリアのネーミングセンスの無さから考えて、多分一人で考えたものじゃないだろう。
フランドールはそう正しく判断し、きっと美鈴と一緒に考えたに違いないと的確な推測をした。
でも、レミリアが直々に名を与えたということは、つまり。
「……コレ、スカーレット家に?」
「そう。新しい家族よ」
こんなにも矮小で脆弱そうな存在が?
触れたら壊れてしまいそうな存在が?
フランは軽く肯定してみせたレミリアに、目を見開いた。
「お姉さま、それって冗談?」
冗談だとしても笑えないよ。
そんな心境でいうも、レミリアは「まさか」と否定した。
フランドールはソレを、咲夜を見た。
血よりも赤い紅い、赫の瞳で。
咲夜は怯えてしまったのか、美鈴の影に隠れるように体の位置をズラす。
美鈴の長い指を、小さな小さな手でぎゅっと握りながら。
牙がうずうずするこの匂いは、牙を立てる対象の匂いだったから。
こんなのの血を吸いたいとは思わないが、本能的な部分でこうなるんだろう。
人間なんて、初めて見たのだから。
フランドールはギリッと歯を噛み締めた。
いま胸の中にあるのは、不愉快な不安だった。
その不安を噛み潰すように顎に力を入れる。
こんなにも矮小で脆弱そうな存在が、こんなにも近くにいる。
触れたら壊れてしまいそうな存在が、こんなにも近くにいる。
フランドールの翼は、暗い白に変わっていた。
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
赤…激情
桃…恋慕 快楽
橙…愉悦
黄色…楽
黄緑…安心
緑…癒し
水色…安らぎ
青…悲哀
藍…恐怖
紫…不満
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
割れる。
割れる。
まるでガラス玉みたく。
指が腕が、足が腹が、頭が顔が。
「あ、れ……?」
腕が破裂する。
腹部が吹き飛ぶ。
足が千切れる。
頭が内側から破ける。
割れたカラダからは、心ノ臓がゴロリと転がる。
「なん、で……?」
意味が分からなかった。
理解出来なかった。
破裂していた。
周りにあった、何もかもが。
キッカケはなんだったろうか。
分からない。
多分、大したじゃない。
だって、分からないから。思い出せないから。
きっと、お姉さまとちょっとしたケンカをしてただけだ。
多分、そのくらいのささやかなキッカケだ。
怒りをぶつけようとした。
ただ単に怒っただけだ。
そうしたら、お姉さまが破裂して粉々になった。
血のシャワーを浴びた。
意味が分からなかった。
気付いた時には、周囲にあった何もかもが壊れていた。
使用人達が、破裂していた。
粉々になったり、局部的に破壊されていたり、体の半分が吹き飛んでいたりして。
血の雨が、降り注いだ。
「妹様っ!」
ダメ! 来ちゃダメっ!!
確かにそう叫んだ筈なのに。
赤い髪が舞う。
血飛沫と一緒に。
美鈴は最近ずっと咲夜と一緒にいる。
遊べなくてつまらない。
フランドールは館の中から、門の前にいる二人を見ていた。
小さな子供、咲夜は美鈴に構われても素っ気無い態度をしているが、何処か嬉しそうだ。
美鈴もずっとにこにこしている。
咲夜と対面してから、数週間。
フランドールは極力咲夜に近付かないようにしていた。
近くにいくのが、怖かったから。
――――人間というものは、短く儚い生き物よ。
レミリアが教える。
――――脆く、弱く、触れればあっという間に壊せてしまう。
パチュリーが語る。
――――だから、大切にしてあげましょう。
そうして、美鈴が伝える。
みんながそう言う。
何度も、何度も。
大切に、なんて。
自分には出来ないのに。
だって、こんな“チカラ”でどうやって大切にすればいい?
「フラン」
詰まらなそうにしているフランドールに、本から視線を上げたパチュリーが声をかけた。
「美鈴と遊びたいのなら、行っていいのよ?」
「…………」
フランドールは視線を外に向けたまま、何も言わない。
パチュリーは緩慢な動作で立ち上がると、窓辺に近寄りフランドールの隣に立った。
「……私たちがいる。だから、大丈夫よ」
そうして、そっと呟くように、フランドールに言葉を渡す。
フランドールは、その言葉に弱く頷いた。
――――私達がいます。だから、安心して下さい。
遠い記憶が、ふと浮上する。
優しくて、でも力強い声でそう言ったのは。
能力が初めて発動した日。
辺り一面が赤に変わった。
血に染まった視界は何も見えなくて、怖かった。
怖かった筈なのに、そのうち心の中に黒いモノが蟠って。
そのドス黒いモノに呑み込まれないように足掻いていた筈なのに、美鈴を壊してしまった瞬間息が出来なくなって。
あっけなく黒く染まった。
もう何も分からなくなった。
ただ辺り一面を赤に染めることが、自分のしなくてはならないことなんだと思った。
喉の奥が焼ける。
口の中が疼く。
牙が爪が、肉を引き千切りたいと訴える。
目の前の物体をグチャグチャに破壊しろと、ドス黒い心が騒ぐ。
耳の中に走るノイズが何もかも遮る。
何も聞こえない。誰の声も届かない。
多分、笑ってた。
口許が歪んで、唇の両端が釣り上がってた。
多分、楽しかったんだ。
グチャグチャにすることが。
――――フラ……――――フ……――――ン……フラ……ドー、ル……。
ノイズ混じりの、声。
あぁ、誰だろう。
視界が赤くて何も見えない。
うるさくて、何も聞こえない。
苦しいよ。
ねぇ、息が出来ない。
ねぇ、助けて。
わたし、お姉さまを……メイを、壊しちゃった。
多分、笑ってた。
多分、楽しかったんだ。
グチャグチャにすることが。
ねぇ。わたし、メイを壊しちゃった。
「あぁああぁぁぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛ああああ゛あああああ゛あ゛あ゛あ゛ああああああぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁあああ゛ぁぁあああ゛あ゛」
割れる。
割れる。
リンゴみたく。
風船みたく。
ガラス玉みたく。
苦しい。
苦しい。
息が出来ない。
苦しい。
痛いよ、痛いよ。
割れる。
割れる。
命が、割れる。
「フランドール!!」
力強い声が、脳を揺らす。
明瞭な音が、フランドールに届く。
柔らかな金色の髪が舞う。
体を強く抱きしめられる。
闇よりも黒い翼が、フランドールの小さな体躯を包み込んだ。
「あ……」
ひたりと、止まる。
割れる音が。
命の弾ける音が。
漆黒の翼がはためく音が、全てを遮る。
「フラン……」
深い夜を音で奏でようとしたら、きっとこんな音になるのだろう。
低く深い音が、フランの耳に這いずり回る雑音を消す。
紅い紅い、紅い月よりも鮮烈な紅(くれない)の瞳が、フランドールを捕らえる。
「か、あ……さ、ま………」
夜の帝王が、そこにいた。
暫しの眠りから目覚めた時、紅魔館はまだ半壊したままだった。
血の海はそのまま大きな染みとなり、こびり付いたままで。
フランドールとよく似た、柔らかい金の色をした髪。
髪の長さは腰の下辺りまであり、吹く風に自由に舞う。
サラリサラリと揺れる髪が背にある翼を撫ぜる。
夜の闇よりもなお黒い、漆黒の翼。
蝙蝠のような形なのに、それは蝙蝠のように矮小ではなく大きく、荘厳な雰囲気を纏っていた。
黒いカクテルドレスを纏った肉体は、危険な色香を漂わせる。
紅い月の光を吸い続けたかのような、紅(くれない)の瞳が、目の前に広がる凄惨な光景を厳しい眼差しで見る。
切れ長の目から放たれる眼光は強く、肉食獣のように鋭かった。
彼女は、夜の帝王。
紅い館の主。
スカーレット家の当主。
レミリアと、フランドールの母親。
「フラン」
赤い唇が、動く。
視線は眼下に移動していた。
その視線の先にいるのは、手を繋いでいる少女。
ビクッと肩を跳ねさせ、恐る恐る母様の顔を見上げる。
フランドールの顔は蒼白としていた。
「目を逸らすな。よく見なさい」
母様の厳しい口調に、泣きそうな顔になりながらも視線を前に戻す。
破壊されつくされた紅魔館の一角。
バラバラになった死体は処理されてはいたが、その空間は様々な体液によって赤く、黒く染まったまま。
目を背けたい。
見たくない。
だってこんなの、わたしがしたくてしたんじゃない。
わたしの所為じゃない。
しかし、母様は目を逸らさない。
手を離さない。
「自分のしたことを受け止めなさい」
厳しい声音で、いう。
自分がしてしまったことを認めろと。
自分の中にいる恐ろしい存在を知れと。
「わた、し……わたし……」
「好きでしたのではないと分かっている。しかし、お前がやったという事実が変わることはない」
冷たく、厳しい、氷雪の声が降り注ぐ。
母様の紅い紅い瞳が、フランドールを射抜く。
暫くして、母様はゆるりと歩き出した。
フランドールは手を引かれながら、弱弱しい足取りで付いていくしかなかった。
頭の中に、真っ赤な床がこびり付いて離れない。
気持ち悪い。
あんなことを、自分がした。
怖い。
恐い。
息が、出来ない。
お姉さま、ゴメンナサイ。
メイ、ごめん。
メイ……苦しいよ。
連れて来られたのは、母様の部屋だった。
母様は部屋を覆うように結界を張り、目の前に片膝を付く。
視線の高さが、重なる。
「フランドール、知りなさい。己の恐ろしさを、醜さを」
母様はフランドールの華奢な手を取り、自分の胸に当てた。
「……かあさ、ま?」
嫌な予感がする。
悪寒がする。
冷たい汗が噴き出す。
「ヤダっ、ヤダヤダぁっ!!」
暴れるのに、母の手は外れない。
掴まれた手首が痛い。
そこから流れ込んでくる、母様の力。
禍々しくも、何処か澄んでいるような感触の妖気。
それが、覚醒したばかりの能力に流れ込む。
制御力がろくに効かない、恐ろしいチカラに流れ込む。
「いやぁぁああぁぁぁ!」
ダメダメダメ!
このままじゃ、母様を……!!
必死に押し留めようとする。
しかし未熟な制御力はもとより、それよりも母様の力の方が何十倍も強い。
喉の奥が苦しくなる。
体が熱い。
ダメ。ダメ。ダメ。
「やめて母様ぁあぁぁ!!」
叫ぶ。訴える。泣き喚く。
このままじゃ壊してしまう。
「っ、ぅぁ……!!!!」
ひくりと体が震えて、フランドールのチカラは呆気なく放たれた。
血の雨が降る。
「ぁああぁあああぁぁぁぁぁあ゛ああああぁぁ゛!!」
壊してしまった。
壊してしまった。
粉々になった肉塊が飛び散る。
頬に張り付く。
黒い血が部屋中に飛沫(ひまつ)する。
真っ黒い翼の残骸が天井へ舞う。
血に黒く染まった柔らかな金色の髪が、バラバラと落ちていった。
「かあさまぁ……っ、ぁ、ひっぅ……かあ、さまぁ……」
吹き飛んだ体の残骸を、泣きながら寄せ集める。
「あぁあぁぁっ……あ、ぁ……あぁぁあ……」
“壊す”ということは、こういうことだ。
「かあさ、まぁ……」
寄せ集めた残骸を抱きしめる。
抱きしめていると、腕からするすると抜けていった。
「ぁ……」
母様の肉体の残骸は、無数の小さな黒い蝙蝠となってフランドールの細い腕の中から抜けて行く。
そして、フランドールを包むように蝙蝠が集まった。
誰かが気怠けに息を吐く音と共に、蝙蝠が形を形成する。
フランドールは綺麗に再生した母親の腕の中にいた。
「母様……」
「流石は我が子だ」
「かなり痛かったぞ」と、母様は苦笑するように、しかし何処か楽しげに笑い、きょとんとするフランドールの頭を撫でた。
頬の皮膚を長く鋭い爪で傷付けないよう、指の腹で涙を拭う。
「どうし、て……」
「このくらいでは死にはしない。私を誰だと思っているんだ?」
誰と聞かれれば、当然「自分たちの母親」と答えるだろう。
その答えに、フランドールは妙に納得してしまう。
不意に安堵感が込み上げてきて、フランドールはまた大粒の涙を零した。
良かった。
壊れなくて、良かった。
ほんとに、良かった。
フランドールは母の首根っこにしがみ付く。
母親は暫くフランドールの頭を優しく撫でる。
フランドールが落ち着いた頃に、また口を開いた。
「フラン。どうだ? 怖かったか? 痛くて、苦しかったか? 哀しくて、恐ろしかったか?」
「うん」
コクンと頷く。
母様はフランドールを抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。
「壊れたものは直せばいい。しかし、直らないものもある。その中で一番取り返しの付かないモノ、それが命だ」
命は一つしかない。
それはとてもとても大事なもので、誰にとっても掛け替えのないもの。
簡単に壊してはならないもの。
母様はゆっくりとした口調で、フランドールに語る。
頭を撫でながら、教える。
「お前のチカラは何もかもを破壊するチカラだ。どんなものでも、壊すことが出来てしまう」
「……うん」
フランは己の小さな手を見る。
その小さな手に、大き過ぎる力が宿っている。
「っ、ふ、ひっく……こんなの、いらなっ……よぉ……こん、な……こんな、誰かを、傷付けちゃうチカラなんか……」
ボロボロと零れて行く涙を、また母様の指が受け止めた。
「フラン。だから、お前は誰よりも知っておく必要がある。命が、どんなに尊いものかということを……」
そうすれば、その力は誰かを守れるチカラに変わる。
母様はそういって微笑む。
慈しみを込め、誰よりも優しく笑いかけた。
「安心しなさい。フランが暴走しそうになったら、今度は皆で止めてやる」
「みん、な……?」
小首を傾げるフランドールに、母は部屋中にかかっていた結界を解く。
僅かに開く扉。その隙間からは苦笑している美鈴と、何処となく気まずそうな顔をしているレミリアが顔を出した。
「お姉さまっ!? それにメイ……もうケガがいいの?」
二人はフランドールに各々の言葉で「大丈夫」だと返し、母様とフランドールの傍に来る。
フランドールは「ほんとに大丈夫?」と、母様から離れてレミリアと美鈴を見上げた。
「レミリアは問題ないだろう。私の子だからな。メイも丈夫なだけが取り柄だ。心配などいらん」
母は美鈴の鼻をむぎゅっと摘みながら言う。
美鈴は痛がりながら「酷いですよー」と嘆き、レミリアは母の言葉に「はい、お母様」と誇らしげに返した。
「私達は不死性が強い生き物だ。だから簡単には死なん。特にコイツは私のランスを喰らっても死なんくらいだ。安心して攻撃していい」
「いや、流石にお館様と妹様の攻撃をいっぺんに喰らったら死にますよ」
まだ短かかった美鈴の髪を、母様がくしゃくしゃと撫でた。
母様と美鈴は相変わらず仲が良い。
思わず、小さく笑みが零れた。
「フラン。お前は私達が止める。だから安心しなさい。その代わりに命の尊さを知りなさい。大切とは何なのかを考えなさい」
母様が頭を撫でる。
「フラン。貴女のことは、私が守るわ」
照れているのか、レミリアはフランから少しだけ視線を外しながら言う。
「私達がいます。だから、安心して下さい」
そうして美鈴が、優しく笑う。
服の下に巻かれた包帯が、首元や袖口から見えた。
泣きそうになる。
そんなに傷ついても、傍にいてくれると言ってくれたから
あぁ、息が吸える。
苦しくない。
「うん……」
ありがとう。
その言葉は、抱きしめてくれた皆の腕の中に吸い込まれる。
恐い怖いこのチカラも、みんながいるなら立ち向かえる気がした。
父様がいなくなって、母様がいなくなって。
お姉さまと美鈴だけになって。
それでも二人はいつもわたしを止めてくれた。
その内、館にはパチェが増えて。
パチェも私を止めてくれて。
そうしていたら、もう一人増えた。
咲夜という人間。
あまりにも脆い、存在。
脆いのに、それは大切なもので。
誰よりも弱いのに、それはかけがえのないもので。
フランドールは思い出から還ってくると、また窓の外へ目を向ける。
美鈴が咲夜を膝の上に乗せて楽しげに話をしていた。
力強い母のことを思い出す。
敵を捻じ伏せる腕は、しかし抱きしめられると酷く暖かかった。
母は、チカラの使い方を知っていた。解っていた。
レミリアも、力の使い方を知っている。解っている。
そして美鈴も。
美鈴は、守るということを知っている。
「わたしは、まだ……」
「フラン?」
俯いてしまったフランの顔を、パチュリーが覗き込む。
今にも泣きそうな顔をしていた。
「……なんでレミィが咲夜を連れてきたと思う?」
「?」
唐突な魔女の問いに、フランドールは小首を傾げた。
そういえばなんでだろう。
お姉さまに聞こうと思って、忘れていた。
「あの子が美鈴を笑顔にしてくれるって、レミィは思ったからよ」
「……咲夜が?」
「えぇ。美鈴が笑顔になれば、フランも笑うでしょう?」
「うん……」
「フランが笑えば、レミィも嬉しいの。レミィが嬉しければ、私も幸せ」
だから、泣かないで。
私達がいる。
パチュリーの華奢な指が、フランドールの頬を撫でる。
無理にでも笑おうとしたら、不意に外から声が届いた。
美鈴がフランドールに向かって大きく手を振っていた。
「呼んでるわよ?」
「……うん」
――――私達がいます。だから、安心して下さい。
美鈴がいれば、大丈夫。
きっと苦しくない。
フランドールは窓から、そっと出た。
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
息を吸う
息を吐く
他愛もなく
繰り返す
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
「あ~む……」
フランドールは咲夜お手製のパフケーキを頬張りながら、曇天が広がる紅魔館上空をゆるりを飛んでいた。
カステラの部分がパフパフで、とっても柔らかい。ふわふわしっとりの感触が唇に気持ちがいい。
中には舌触りの良い生カスタードクリームがたっぷりと入っていて、噛む間もなく舌の上で蕩けていった。
「ん~っ! おいしぃ~」
とろりとした甘いクリームを味わいながら、フランドールはシャラシャラと音を立てて翼をはためかす。
翼の色は橙に染まり、淡く発光していた。
「咲夜のお菓子おいしぃ~」
もうちょっと食べたいな。
でも戻るのは面倒だなぁ~。
フランドールはどうしようかとちょっと悩む。
部屋にはレミリアとパチュリーがいて、それから咲夜がいて。でも美鈴は自分を送り届けると仕事に戻ってしまった。
咲夜がいるのに、でも美鈴がいなくて。それがちょっと不安で。
だから一緒にいたくなくて「遊んでくる」と言って出てきてしまった手前、戻るのはちょっと憚れる。
幾つか持ってきたパフケーキも食べ終わってしまったし、これからどうしようか。
「……メイに会いに行こうかなぁ」
うん。そうしよう。
翼に灯る橙の光が少しだけ強くなる。
フランドールは鋭く旋回すると、門の前へと急降下する。
シャランと涼やかな音を立てて速度を急激に落とし、タンッと軽く足を響かせて着地する。
「あれ~?」
しかしそこに美鈴はおらず、門の上に白い猫が一匹いるだけだった。
「さくやー、メイは~?」
門の上にいる猫に話しかける。
当然返事をするわけがない。そしてもし何かが返ってきたとしても、猫の言葉を吸血鬼が解る筈がない。
フランドールの言葉に、さくやは一声鳴いてするりと門の上から降りてきた。
猫は足元まで来るとちょこんと座り、フランドールを見上げる。
構って欲しそうな視線に、フランドールは無邪気な表情で「いいよ~」と手を伸ばす。
しゃがんで、ゆっくりと手を伸ばす。
手入れの行き届いた白い毛並み。細い猫の毛は指先にさらりとした感触だった。
毛自体は寒気に晒されて冷たかったが、その下にある肉体はとても温かい。
「さくやってさ、不思議な猫だよね」
ゆったりとしたリズムでさくやを撫でながら、フランドールは呟く。
この力のお陰で、他人と接することに臆病になってしまった自分。
安心して触れられるのはレミリアと美鈴だけ。
パチュリーは一緒にいる分はいいけど、触れる時はちょっと怖い。
咲夜なんて、怖くて恐くて触れない。
でも、この猫はなんだか何も思わず自然と触れられる。
レミリアが何故「さくや」という名前を付けたのか。
何故、美鈴はこの猫を拾って、こんなに大事にしているのか。
自分には分からないが、きっと何かしらの理由があるんだろう。
フランドールは不思議な白猫を撫でながら、ふと気付く。
「なんかおっきくなってない?」
この前見た時よりも、なんだか体が大きくなっている。
大人の猫……と呼ぶにはまだ少し小さいかもしれないが、それでももう子猫なんて呼べないくらいには大きい。
ついこの間まで本当に小さな子猫だったのに。
動物の成長は早いというが、でもこれは早すぎる気がした。
「ん~。さくやって、何者?」
問うても、白猫は答えない。
フランドールに撫でられて、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らすだけ。
気持ち良さそうに目を細めていたさくやが、ふと瞳を開いて凛と背筋を伸ばす。
さくやの視線を追うと、そこにはメイド服に身を包んだ人間がバスケットを持って近付いてきていた。
「妹様。ここにいらっしゃったんですか」
微笑みかけてくれる咲夜に、フランドールは立ち上がりながら頷く。
シャラっと翼が小さく音を奏でる。
水晶体の発光は弱くなり、鈍い色になる。色は徐々に白い色に染まっていった。
咲夜の持っているバスケットの中からは、甘い匂いと香ばしい茶葉の匂いが漂ってくる。
さっき食べていたパフケーキと、それから紅茶が入っているんだろう。
「メイに差し入れ?」
「え? いえ、その……」
あれ、どうしたんだろう?
照れてる?
仄かに染まる頬。微妙にズラされた視線。
いつもの咲夜らしからぬ態度に、フランドールは内心で首を傾げる。
美鈴の話をする時、美鈴を見る時。
その時だけ、咲夜の視線や声、表情が柔らかくなるとフランドール昔から知っている。
いつからそうなったなんて覚えてないが、とにかくそうなるということは知っていた。
美鈴のこと好きなんだなぁ~って思ったけど、言わないでおいた。
だってパチュリーがそういうことは自分で気付かせなきゃダメなのって言ったから。
そういえば、今日のお菓子はなんだかとっても甘くて美味しかった。
声も、いつものツンツンした感じがない。
表情も前よりもずっと柔和で、見てるこっちがくすぐったくなってくる。
きっと気付いたのかな?
フランドールは微かに笑った。
咲夜も大きくなったんだなぁ~なんて、当たり前の事を思った。
「? あの、なんでしょうか?」
「ううん。なんでもないよ」
フランドールは首を横に振り、またしゃがみ込んでさくやを撫でた。
やっと気付いたんだ。
そっか。良かった。
なら、このまま上手くいって欲しいな。
メイの笑った顔が一番好きだもん。
咲夜が笑ってくれれば、メイだって笑顔になるもん。
だから、だから。
「美鈴、いませんね」
「……うん」
メイが、今はいない。
咲夜がいて、メイがいない。
わたしと、咲夜だけ。
メイが、いない。
(……どうしよう)
ドクリと、心臓が痛くなる。
喉が痛い。
ダメだダメだ。
絶対にダメだ。
絶対に壊しちゃダメだ。
絶対に絶対に、守らなきゃダメだ。
大切にしなきゃ。
守らなきゃ。
壊しちゃ、ダメ。
絶対に、ダメ。
だめ。駄目。ダメ。
(……苦しい………)
息をしている筈なのに、苦しい。
苦しさを悟られぬように、俯きながらさくやを撫でて誤魔化す。
息を吸う。吐く。
吸う。吐く。吸う。
吐く。吸う吐く吸う。
(ダメ……くる、し……メイ………)
筋肉が硬直する。
上手く動けなくなる。
メイ、早く来て。
苦しいよ。
「それでさー。メイド長と副長ってどうなったのかなー?」
「さぁ。ってかさ、あんのメイド長って意外にモテるよねー。門番隊の奴らに結構評判いいよ」
その時、少し離れた場所から耳障りな声が届いた。
話し声は咲夜の耳にも届いていたようで、咲夜は眉根を顰めてその方向に視線を向けていた。
休憩中か、もしくはサボり中か。
二人のメイドは咲夜とフランドールに気付いていないのか、軽い調子で悪ふざけでもするように話していた。
「マジで!? わかんねぇー。あんな冷血女の何処がいいの?」
「見てくれは美人じゃん。あと人間だから、色んな意味で美味しそうなんじゃない?」
「ギャハハ。ウケるー。結局カラダってことじゃん」
下品な笑い声が、神経を逆撫でる。
どろりと、痛む胸の奥からナニかが這い出てくる気配を僅かに感じた。
「中身なんてどうでもいいって。寧ろ中身なんて知ったらあの冷血女のことイイなんて言えないってば」
ナンデ、ソンナ事イウノ?
「確かにー。直ぐ怒るし、頭固いし、ナイフなんて危険なもん飛ばしてくるしさ」
オマエラ 咲夜ノ何ヲ知ッテルノ?
「あと、人間のクセに偉そうだしね。いくらお嬢様に可愛がって貰ってるからって調子乗りすぎー」
鈍い白をしていた翼の色が、濃くなる。
染まっていく。黒く、染まっていく。
咲夜は眉根を顰めて、ただ黙っていた。
視線は外れて、地面へ向く。
唇を噛んでいた。
ナンデ咲夜ヲ悲シマセルノ。
咲夜ガ笑ワナイト メイ モ笑ワナイノニ。
どろりと黒いものが湧き出てくる。
白を、染める。
黒へ。黒へ。
咲夜を守らなきゃ。
でもどうやって。
壊すことしか出来ないんだよ?
あ、そっか。なら壊せばいいんじゃん。
邪魔なもの全部壊しちゃえばいいんだ。
フランドールの口許が、歪む。
そこにあったのは、愉悦だった。
「妹様!?」
咲夜が力の発現に気付いた時にはもう遅かった。
パンッ。
「ああぁあああ゛ぁ゛ぁあ゛っ うで! わたしのうでがああぁあ゛あ゛あぁぁ゛」
何かが弾ける音と共に、メイドの片方が悲鳴を上げる。
腕が胴体から弾け飛んで、虚空に放物線を描いていた。
パンっ。とまた何か弾ける。
今度は足が吹き飛んだ。
「ぎああ゛あ゛ぁぁぁあ゛あ゛ぁぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あぁぁぁ゛あ゛あぁぁぁ゛」
足を吹き飛ばされたメイドは、その場に崩れて血を撒き散らす。
叫び声は館中に響き渡っていく。
フランドールが、腕をゆるりと上げる。
地面とほぼ平行に上げられた腕、その先の指が向いている方向には足を吹き飛ばされて動けないメイドがいた。
「くっ!」
咲夜は時を止め、走る。
血溜まりを作っているメイドを拾い上げ、その場から退避する。
時を動かすと、メイドがいた場所の地面は小さな爆発が起こり、土が高く舞った。
血に染まり、抉れた芝生が痛々しかった。
「アハハッ」
フランドールは手の平に力を込めて、放つ。
黒い小さな塊、しかし絶望が詰まった弾が飛んでくる。
咲夜はまた時を止め、走る。
傷を負ったメイドを拾い、腰を抜かして動かずにいるもう一方のメイドを抱えて、走る。
咲夜ガ笑顔ジャナイト だめナンダよ。
メイが悲シンジャウから。
息デキない。
苦シイよ。
メイ……どこ?
地面が抉れ、土砂が降る。
塀が崩れて石礫が降る。
フランドールの手からは、絶望が犇めき合った弾が降って来る。
「は、はっ、はぁっ、く、は……」
二人のメイドを抱えて走り続ける咲夜の息は、あっという間に切れた。
動きは鈍くなり、時間を止めている時間も短くなっていく。
「はっ、はっ、くぅっ!?」
脹脛(ふくらはぎ)を弾丸が掠っていく。
掠っただけなのに、そこからは多量の血が零れた。
肉が焼け焦げたかのような匂いが、自分の足からする。
傷が熱い。痛い。
咲夜は堪らずガクンと膝を崩す。
抱えていたメイドが、腕から落ちた。
「くっ、ぅ、ぐぅ……」
体力の消耗も相俟って、立ち上がることさえも困難になる。
咲夜はその蒼い瞳をフランドールに向ける。
フランドールは笑っていた。
愉快そうに。ただ楽しそうに、歪んだ笑みを口許に張り付けて。
赤い紅い瞳が、まるで絶望の入り口のように咲夜には見えた。
「はっ、ぅ……いもう、とさ、ま……!」
呼ぶ。
声は、しかし届かない。
フランドールは笑ったまま、黒く染まった翼を軽くはためかせる。
咲夜ガ笑ワナイト メイ モ笑ワナイカラ。
フランドールの手は、何処に向けていたのか。
きっとフランドール自身も分からない。
ソレは、咲夜へと向かっていたのだから。
放たれる。
途方もない破壊力が詰まったソレが。
「っっ!!」
腕から落ち、転がったメイドを渾身の力でなるべく遠くへ放る。
あまり飛ばなかったが、少しだけこの場から離すことが出来た。その距離なら大した怪我はせずに済むだろう。
放り投げられたメイド達の、きょとんとした顔が面白い。
咲夜はそんな下らない事を思いながら、迫ってくる弾幕を見た。
真っ黒な弾が無数に飛んでくる。
逃げられる隙間なんてなかった。
咲夜の口が小さく動く。
音はない。
ただ、口がそう動いていた。
『 メ イ リ ン 』
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
白…拒絶 緊張
灰色…諦観 疑惑
黒…憎しみ 狂気
* - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
取り返しのつかないこと。
そうだと気付くのは、いつだって後だ。
当然だ。
分かっていればそんなことはしないのだから。
でも、わかっていた。
わかってたのに、やってしまっていた。
「ぁ……?」
視界に映る、銀色の髪。
それが己の放った弾幕によって覆われる。
出て行った言葉は戻らない。
過ぎてしまった時間は戻らない。
放ってしまったチカラは戻せない。
「さく、や……!!」
どうしようもなく脆くて、弱いから。
大切にしなきゃいけないのに。
守らなきゃいけないのに。
壊しちゃいけないのに。
咲夜が笑ってなきゃ、メイは笑わないのに……!!
ふと視界の外から踊り出る紅い影、一つ。
それはフランドールに背を向け、両手を広げて咲夜の前に立った。
血飛沫が舞う。
紅い髪と一緒に。
「美鈴っ!!」
誰が叫んだのか。
血煙と土煙が収まった頃、誰かが声を張り上げる。
咲夜の目の前には、体に幾つかの穴を開けた美鈴が立っていた。
背中の肉のほとんどが弾け飛んでいた。
そこからは背骨や砕け散った肩甲骨が見え隠れし、砕けた骨は肉を貫通してそこかしこに顔を出す。
夥しい量の鮮血がボタボタと滝のように流れる。零れる。足を伝って、血溜まりを作る。
地面と水平に広げられていた腕がだらんと下がる。
美鈴は「ごぼっ」と口からまた大量の血を吐き出し、零した。
跳ねた血が、咲夜の頬を汚した。
「メイっ!!」
フランドールは翼をジャラジャラと揺らしながら飛び、美鈴の元へ向かう。
美鈴はフランドールの声に反応し、振り向こうとした。しかし首を動かそうとしただけでバランスを崩し、咲夜の方へ前のめりに倒れた。
「っ、く……!!」
咲夜は倒れてくる美鈴をなんとか抱き止める。
気が動転しているのか、美鈴美鈴と、ただ何度も呼んだ。
「メイ、メイっ! ゴメンなさいっ……っ、ぅ、わたし、わたし……!!」
美鈴の傍に膝を付き、フランドールは叫ぶ。
広がっていく血溜まりの速度が尋常じゃない。
メイがもし……。
そう考えただけで、息が止まる
苦しかった息が、更に苦しくなって、もう呼吸ということを忘れてしまったかのように、息が止まる。
美鈴の手が、フランドールに伸びる。
「……いもう……さ、ま……」
血に汚れた手で、フランドールの頬を撫でた。
「咲夜、さ……は、無事……で、す……よ………」
そうして、血塗れの顔で笑う。
「メイ、メィ……うん……ありがとう………」
息が出来る。
苦しくない。
メイがいて良かった。
苦しくないよ。
フランドールの翼は、黒い色がこそげ落ちて淡い黄緑色に染まっていた。
一度だけお姉さまと話してたことがある。
きっといなくなっちゃったら、苦しくてガマンできないんだろうねって。
そう言ったら、お姉さまは苦笑しながら頷いてた。
『-air-』END
ちょっとダークっぽく進んでたけど面白かったのにオチでやられました。
フランの心が良く書かれているお話だと思います。
面白かったですよ。
あなたのこのめーさくシリーズをを心待ちにしてる自分がいるんだ。
というわけで続きを書いてくれ
続き早く書いてください。
待ち遠しくて今からwktkしておきますから。
もう馬鹿!!続き楽しみに待ってるよ!!
ずっと待ってます
続きまってます・・・!
> フランドールは首を横に振り、またしゃがみ込んで咲夜を撫でた。
ここは猫の方のさくやではないでせうか?
まったくめいりんったら・・・
面白かった!