Coolier - 新生・東方創想話

さらば愛しきレミリアよ

2009/04/05 07:49:51
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一人で目覚め、一人で身だしなみを整え、一人で料理し、一人で食事する。
一人で紅茶を淹れ、一人で紅茶を飲み、一人の時間をすごす。

彼女は、かつて全幅の信頼を置く従者が淹れてくれた紅茶の味を思い出す。
あれには遠く及ばない。どうすればあんなに美味しい紅茶を淹れられるのだろう。

大図書館にて料理や紅茶の本を探すが、なかなか見つからない。
誰よりも大図書館に精通していた親友を思い出す。
彼女ならあっという間に目当ての本を見つけてくれるだろう。
けれどもういないのだから、彼女は一人で本を探す。

紅魔館の地下。そこには大図書館だけでなく、もうひとつ重要な場所があった。
しかしそこへの扉は固く閉ざされており、二度と開く事はないのかもしれない。
地下室を利用しなければならない何らかの事情が生まれる可能性はもちろんあるけれど、
少なくとも今、空っぽの地下室には利用価値も意味もないのだから。

とはいえ、完全に一人きりという訳ではない。

妖精メイドは大勢いる。
かつて空間を広げていた館は元の大きさに戻っており、妖精メイド達でも十分掃除できる広さだ。
ただ彼女の飲食物は特殊なので、妖精メイドの手に余る。
そのため彼女は自分でできる事は自分でやるようにしている。

そして自分にしかできない事態が発生したようだ。
玄関の方が騒がしい。妖精メイド達の慌しい声が聞こえる。
侵入者でも現れたのだろうか。
この館の門を守る者もいないため、入ろうと思えば誰でも簡単に入れる。
招いた客も招かれざる客も一緒くたに。

彼女は微笑を浮かべていた。
丁度退屈をしていたのだ、侵入者なら自ら退けてやればいい。
彼女は玄関へと向かった。



事は数ヶ月前にさかのぼる――。


     ◆◇◆


「暇をもらいたいのですが」
突然すぎて、言葉の意味を理解するのにやや時間を要した。
「……何を言っているのかしら、美鈴」
時間を要しても完璧には理解できなかったので、問い返してみる。
「ですからお嬢様、仕事を辞めたいんですけど。退職です退職」
すると、実に解りやすく答えてくれる美鈴。職業、紅魔館の門番。

前触れはなかったと思う。
とても平和な日々が続いていた。
今日も平和な一日を送るのだろうと思っていた。
しかし紅茶を飲んで一服していると、二人きりで話したい事があると美鈴がやってきたのだ。
あまりに真剣な面持ちで、これはただ事ではなかろうと美鈴の意を汲んでやり、
咲夜にしばらく離れているよう命じ、では買い物に行ってきますと言ったのでそうさせて、
美鈴と二人きりにしてなって上げたら突然の言葉に内心うろたえる。

「ふざけてないで、とっとと門に戻りなさい」
「あのー、本気で言っているんですけど……」
苦笑を浮かべながらも、一歩も引く気配を見せぬ美鈴。
さすがに、これはちょっと本気なのかもしれないとレミリアは焦る。
「……理由は何かしら?」
「実は、もうお嬢様に畏敬の念を抱けないようになってしまいまして」

世に言うカリスマブレイクのせいか。
『うー』とか『ぎゃおー』とかやっちゃったせいなのか。
そんな理由で退職願とか出されちゃうのか!?
だとするならば、ここはレミリア様のカリスマを見せつけてやれば万事解決!
うろたえるな、クールに徹しろ、そしてカリスマあふれる余裕と気品を見せるのだ。

「まあ、何て無礼な門番。これは本気でクビを考えなければならないわね。晒し首がいいかしら」
なんて、鋭い眼光と含み笑いで怖がらせてみる。
「うーん、クビじゃなく、自主的に辞めたいんだけどなぁ……」
しかし美鈴、どこ吹く風のマイペース。こんなに度胸のあるキャラクターをしていただろうか。
「……あれこれと言葉を並べるのも面倒ね。
 吸血鬼に畏怖を抱けぬというのなら、そのひん曲がった精神を叩き直して上げるわ」
「じゃあ、私が勝ったら辞めさせてもらっていいですか?」
「勝てるのならね」

自信たっぷりに笑うレミリアが完敗するまで、3分ほどかかった。

「そんな……ウソ……」
すべてのスペルカードを軽々と打ち破られ、レミリアは茫然自失となって絨毯に膝をつく。
「大勝利ッ!! 時代は今こそ紅美鈴!!」
美鈴、大はしゃぎで決めポーズまで取っている。
畜生、そんなに出て行きたいか。
「美鈴、素直に白状しなさい。どんなチートを使ったの」
「努力と修行と鍛錬という名のチートを」
「それは酷い、針くし刺しの刑に処すべきね」
「グングニルは針と呼ぶには太すぎるのではないでしょうか」
「じゃあ私の指であなたの胸に七つの傷を穴を」
「や、そういう事は霊夢にやってください。悲しみを背負う的な意味で」
「仕方ない、達磨にして飾っておくか」
「返り討ちにしていいです?」
「やれるものならやってご覧なさい」

10秒後、そこには卍固めを喰らって悲鳴を上げているお嬢様の姿が!

「イダダダダッ! 死ぬ、死ぬー!」
「はぁ。格闘こそ本分の私に、お嬢様が勝てる訳ないでしょう」
「ギブ! ギブアップ! もうやめてー」
「カリスマブレイクですね」

解放されたレミリアはすっかり息も絶え絶えで、主としての威厳は星の彼方に消えていた。
というかすでに退職を賭けたスペルカードルールで敗れているのだから、
美鈴とはもう主従でも何でもないのだが。

「くっ……スペルカードルールならともかく、いいえ、弾幕の腕前も異常に上達しているけれど、
 まさか吸血鬼を相手に……いくら格闘が本分とはいえ……私を負かすだなんて、どういう事!」
「フッ……どうやら私は強くなりすぎてしまったようですね。
 常日頃から本を借りに来る魔理沙と実戦経験を重ねていましたし、
 スペルカードルールもいつまでも不得手ではいられないと、修練していましたから。
 特にイメージトレーニングでは、紅魔館の皆様の弾幕をイメージしていたため、
 イメージの中ではもうお嬢様や咲夜さんの弾幕も全弾回避余裕になっていましたが、
 どうやら現実でも全弾回避できる程度の実力にはなっていたようですね。
 ずいぶん前から魔理沙に圧勝できるようになってましたし」
「ハッ! そ、そういえば最近魔理沙がおとなしいと思ったら……」
「あまりに勝てないので、最近は行儀よく遊びに来るばかりで、本の被害もゼロです」
「あなた、本当に美鈴?」
「もちのろんです。証拠に宴会芸やりましょうか? 口鼻耳から万国旗を出して燃やしながら中に戻す奴」
「いや、別に……」
「そうですか。ところで退職は認めていただけるんですよね? スペカで勝ちましたし」
「……認めざるえない……か。好きになさい」

スペルカードルールは絶対だ、勝負前に交わした約束は破れない。
特に悪魔や妖怪は人間よりも約束や契約を守るものである。

「どうもです。紅魔館の皆さんには、今までお世話になりました」
「……美鈴。私はあなたに見限られるほど情けない主かしら」
「いえ、私が強くなりすぎただけですよ。吸血鬼には畏怖してこそでしたからね。
 お嬢様や紅魔館の皆さんが嫌いになったとかじゃなくて、私の妖怪としての矜持のためかな。
 これから幻想郷をめぐって、己の強さを確かめていきたいと思います。目指すは他称幻想郷最強」
「そう……」
「新しい門番を探す時間を与えず出て行くのは申し訳なく思いますが、こういう性分なので。
 咲夜さんやパチュリー様によろしくお伝えください。私はお別れを言うの、苦手なので」

こうして、紅魔館を長きに渡って守護してきた門番、紅美鈴は紅魔館を去った。
最悪な一日になったとレミリアは思う。


     ◆◇◆


改めて考えてみると、前触れはあったのだ。
平和な日常が続いていた理由は、最近、魔理沙が本を借りに来ないから。
しかし紅魔館を訪れない訳ではなく、かなりの頻度で遊びに来ている。
本を盗むもとい借りていかないのであれば、別に門を通しても構わない。
パチュリーと楽しく読書や雑談をしたりしてくれて構わない。
本を借りようとしなくなったのは、いつからだっただろうか?
原因は恐らく、異常な強さになった美鈴に勝てなくなったからだ。
勝てない程度の理由であきらめる魔理沙ではないが、
あまりにも負けっぱなしでは本にもパチュリーにも会えない。

「美鈴は、ずいぶん前から門番に仕事をしっかり果たしてくれていた。
 それに私が気づいてやれなかったから、愛想を尽かして出て行った……?」

そう考えるのがもっとも自然だ。
己の迂闊さを呪っても、もう遅い。
この事を知ったら、パチュリーや咲夜は何と言うだろうか。

「咲夜」

呼べばいつでもどこでも現れる咲夜だが、
美鈴と二人きりの話をするため、買い物に出かけてしまったのを思い出した。
いかにパーフェクトメイドといえど、声の届かない場所からの呼びかけには応えられない。

廊下で、もう一度咲夜を読んでみたが返事はなかった。
時間を止めたままでは買い物ができないとはいえ、
移動時間はゼロに等しいのだから、もうじき帰ってくるだろう。
気晴らしに紅茶を飲みたかったが、いないなら仕方がない。
大図書館に行って小悪魔に紅茶を淹れさせ、パチュリーに愚痴でも聞いてもらおう。



「あはははは、それでさー、アリスの蓬莱人形がさー」
「もー。やめてよ魔理沙、恥ずかしいじゃない」
「あら、もっと詳しく聞きたいわ。蓬莱人形がどうしたの?」

すごく賑やかだった。
図書館では静かにするのが普遍的なルールだった気がするが、
幻想郷で常識に囚われてはいけない。

パチュリーは魔理沙と楽しくお喋りをしていた。
それくらいなら、まあ、自分も混ぜてもらおうとしたかもしれない。
だが大図書館の中にはアリスもいた。

レミリアとアリスはたいして親しくない。
美鈴の件を話そうと思ったら邪魔者でしかない。
しかしここでアリスを排他するほど狭量でもないのだ。
どう声をかけようか、いやそもそも声をかけるべきか否か。

三人の魔女は、それはもう楽しくお喋りに夢中。
いつの間にあの三人はあんなにも打ち解けたのだろう。
三人に友情がなかったとまでは言わないが、基本的に利用し合う間柄だったはずだ。
パチュリーとアリスは、異変の時に魔理沙をけしかけてサポートに回ったりして、
自分自身の知的好奇心などを満たしていた。
魔理沙もパチュリーからは本を借り、アリスからも色々借り、蒐集に精を出していた。
そんな関係の三人が、もうすっかりフレンドリー。
レミリアは蚊帳の外。

(だ、大丈夫よ。私とパチェは親友。お互い愛称で呼び合うくらいの仲だもの。
 ちょっと行って仲間に入れてもらうくらい簡単に……)

「パチェって意外と可愛いトコあるよな」
「そうね、パチェは意外と可愛いわ」
「むきゅー。意外とって何よぉ」

(愛称で呼んでるぅぅぅぅぅぅッ!? しかも甘ったくる語尾延ばしてるぅぅぅッ!!)

自分だけが許される、パチュリーの愛称。親愛の情を込めて、パチェ。
その呼び方を、魔理沙とアリスが使っていらっしゃる。
しかもパチュリーは嬉し恥ずかしな態度でまんざらでもない!

(……退散しよ)

ただでさえ美鈴の件でショックを受けているのに、これ以上この場にいたら精神衛生上よくない。
小悪魔は図書館の中にいないようだし、探して、紅茶を淹れさせよう。
それがいい、そうしよう。


     ◆◇◆


「もこたん、あーん」
「もー、やめろよー。恥ずかしいじゃないか、てるよ」

おぞましい光景が在った。
いくら悪魔の住む館だからといって、限度がある。余裕で限界突破している。
「あ、あいつ等……何でここに」

ベランダから人の気配を感じたレミリアは、小悪魔がいるのだろうと思いやって来た。
小悪魔は、いた。
だが……小悪魔のすぐ隣に、奴等はいた。

「ダーメ。今まで殺し合いしてきた分、いーっぱい仲良くするんだからぁ」
「恥ずかしげもなくそういう事を……照れちゃうじゃないかぁ」

語尾を甘く延ばす奇人が二人、ケーキを食べさせっこしている。
レミリアの記憶が正しければ、片方は藤原妹紅、もう片方は蓬莱山輝夜という生命体のはずだ。
だがそこにいるのは、姿形がそっくりなだけの、異次元の生命体。
仲睦まじい妹紅と輝夜なんて、ホラーとかショッキング映像なんてレベルじゃない。

見たら死ぬ。
うん、それくらいの破壊力は余裕で超越してる。
吸血鬼でなければ死んでいた自信がレミリアにはあった。
だが……。

「てるよばっかりずるい! 私ももこたんにケーキを食べさせるー!」
「みすちーはさっき一緒に歌ってたじゃない!」

健康マニアの焼き鳥屋を自称する妹紅にとって、天敵はもう一人いた。
ミスティア・ローレライ。焼き鳥撲滅委員会を掲げる夜雀だ。
妹紅と輝夜。
妹紅とミスティア。
どちらも決して交わらぬ平行線。
それが、完璧にクロスして絡み合っていた。
さらに!

「みすちーの美声は幻想郷一よねぇ。惚れ惚れするわ、食べちゃいたいくらい」
「キャー、ゆゆちゃんに食べられちゃーう。もこたん助けてー」

西行寺幽々子が、ミスティアにじゃれついていた。
幽々子と言えば、ミスティアを料理して食べてやろうと目論む危険人物という噂があるような、ないような。
それがどうして、ああも仲良しさん?
「食べちゃう」なんて言われたら裸足で逃げ出すほどだったのに、なぜ!?
さらに、幽々子は妹紅と輝夜が苦手のはずだ。
正確には蓬莱人が苦手なはずだ。死を操る能力が通用しない天敵とも言える存在だから。
とはいえ別に人格面で問題があった訳ではないので、仲良くしても、まあ、解る。
でもこれはやりすぎだ。

「よーし、もこたんとてるよを殺してみすちーを独占しちゃうわよー」
「今度はゆゆちゃんと殺し愛か? 勘弁してよー」
「もこたんと殺し愛していいのは私だけよ!」
「ゆゆちゃんに命を狙われていいのも私だけよ!」

殺し合いが殺し愛になっている、何という気色悪さだろう。
レミリアは気分が悪くなって、頭痛までしてきた。

「もう、みんな仲良くしてください!」

十分仲良くしているだろう、とツッコミを入れたくなるセリフを吐いたのは小悪魔だった。
ベランダのテーブルを囲むルナティックフレンドリーの一員。
この中で、色んな意味でもっとも弱かろう小悪魔の声に、四人は甘い声で「はぁーい」と答える。

(な、何なの……このカオスは)

頭が、頭痛で、痛い。
日本語として間違ってはいるが、心情的にはそんな感じだった。
よくよく観察してみれば、ルナティックフレンドリーの中心的存在が小悪魔のように見える。
皆、それぞれ正気の沙汰とは思えないイチャイチャっぷりを披露しているが、
小悪魔はそんな四人の面倒を見る保護者的な、お母さん的な言動を取っている。

「食べさせっこは順番でやればいいでしょう?
 もこたんだって、食べさせてもらうだけじゃなく、みんなに食べさせて上げたいって思ってるのよ」
小悪魔、その常軌を逸した発言は本気なのか。
「あっ! ご、ごめんなさい、もこたん。気づかなくて……」
輝夜、そのしおらしい振る舞いは演技ですよね。演技と言ってください。
「いいんだよ、大好きなみんなからこんなに優しくされて、幸せすぎて怖いくらいなんだから」
妹紅、あんた達の存在そのものが怖いんだよ。
「私達がこんなに仲良しこよしになれたのも、こあのおかげだね!」
ミスティア、仲良しこよしはバカルテットとやっててくださいお願いします。
「そうねぇ、こあは紫や妖夢よりも頼りになるわ」
幽々子、長年の親友や従者が聞いたら泣いてしまうような事を笑顔で言わない方がいい。

こあ……というのは、小悪魔の事だろうか。
ひらがなばかりのあだ名に、背筋を芋虫が這ったかのような悪寒を感じるレミリアだった。
この、幻想郷でもっとも恐ろしい光景の立役者は小悪魔らしい。
いったい何をどうすればあの連中をこんなにも変貌させられるのだろう?
しかし、もしも"何があったのか"を聞いてしまったら、
精神が崩壊するほどのショックを受けるだろう事をレミリアは察していた。
下手に関わったら、自分もあのルナティックフレンドリーに巻き込まれるかもしれない。
そうなればカリスマブレイクなんて次元じゃすまなくなる。

レミリア・スカーレットという生命を構成する精神や魂の根源が悪性変異を始め、
次元崩壊さえも引き起こし異次元空間から流れ込む暗黒物質が属性の反転現象を発生させ、
不安定になった力場から物理法則が乱れ、カオスを超えて終末が近づくだろう。

それだけは避けねばならない。
よって、レミリアが取れる行動は逃走のみであった。
気づかれぬよう、関わらぬよう、足音すら立てずレミリアはその場を去る。

――レミリアが知らぬ間に紅魔館に入っていた魔理沙とアリス。この二人は、いい。
魔法使い仲間であるパチュリーが許可を出しているので、
遊びに来たのなら美鈴は門を通すし、いちいちレミリアに報告する程の相手でもない。
だが小悪魔のユカイなナカマ達は、レミリアもパチュリーもあずかり知らぬ連中だ。
恐らく、奴等があんな奇々怪々な関係になったのは紅魔館の外でだろう。
小悪魔だって外出くらいするし、紅魔館内に奴等が入ってくれば報告が入っているはずだ。
そして今日、奴等はルナティックフレンドリーになってから初めて紅魔館を訪れたのだろう。
だが門番の美鈴は話があるとレミリアの部屋に来て門は留守、咲夜も外出中なので、
奴等の侵入を許してしまった……と考えるのが一番自然か。

「……美鈴」
せめてもう一日、紅魔館にいてくれたなら。
今日一日、門を離れないでいてくれたなら、あの不気味な連中を見ずにすんだかもしれないのに。
せめて、もう、一日。
(いえ、私は美鈴に……)
その先の言葉は、頭に浮かばなかった。


     ◆◇◆


「私は正気に戻った!」

と、出会い頭に言われた。
なぜこんな所にいるのかとか、なぜそいつと一緒にいるのかとか、疑問はあった。
そんな疑問など木っ端の如く些細なもの。

「……ええと、どういう意味かしら? フラン」
「熱い眼差しにハートがズギュンして正気に戻ったの!」
「これほどの狂気はさすがの私も初めて見るわ」

頬を桜色に染めたフランドールの無邪気な笑顔は、見る側が正気を失うほどの可愛い。
それを不意打ちで見せられたら、姉としては大喜びしてもいいだろう。
だが500年近くもの間、気が触れ続けていたフランドールが「正気に戻った」と言ってきて、
その隣になぜか鈴仙がいるとなれば、訝しく感じてしまうものだ。
「で、永遠亭の兎がどうして紅魔館にいるのよ」
「姫様の荷物持ちで……。最近お菓子作りに凝っているらしく、今日もケーキを」
「あのカオスな光景の中にあったケーキはあいつの手作りだったのね。
 それを知っていたらあの光景の破壊力が倍増して、さすがの私も気絶していたかもしれないわ」
「やっぱり不気味よねぇ、あれ……」
「あら、あなたはまともな感性を持っているようね」
「姫様の変化が激しすぎるだけです。師匠なんか寝込んじゃって……永遠亭の機能がマヒしてます」
「今回ばかりは同情するわ。で、どうしてここにいるのよ」
「だから姫様の荷物持ちで」
「言い換えるわ。どうしてあなたがフランと一緒にいるのよ。しかも"こんな所"で」

鈴仙は別段、おかしい場所にいる訳ではない。
ここは紅魔館の廊下だ。あの輝夜らしき生物がいるのなら、鈴仙がここにいても不思議はない。
だが、フランドールが一緒となれば話は別だ。
気が触れているために地下室に閉じ込め、その絶大な破壊力が猛威を振るわぬようにしている。
それでも何度か地下から出てきた事もあったし、紅魔館以外の者がフランドールを阻むケースもある。
弾幕勝負をして鬱憤が晴れればしばらくは安定する事も多いが、戦った様子も見当たらない。

「門番がいるって小悪魔様から聞いてたんですけど、なぜか今日に限っていなかったみたいだから、
 姫様を筆頭にみんな勝手に上がり込んじゃって……さすがにマズイんで、
 私はあなたを探して挨拶しようと思ってたんですよ。道に迷っちゃっいましたが」
「あら、そう。つまり小悪魔は私への報告を怠ったという訳ね。
 というか、何で小悪魔に様をつけてるのよ」
「姫様のご命令で。それと、あのメンバーを抑えるのに小悪魔様は必須だったから残ってもらったんです。
 報告を怠ったという見方も間違いではないですけど、姫様は私に挨拶してこいとおっしゃったので。
 どうせすぐ咲夜に見つけてもらえるだろうと……って、咲夜も見かけませんね」
「買い物に出かけてるわ。で、迷っている間にフランと遭遇したという訳かしら」
「ええ、まあ」
事情の把握は完了した。
フランドールがここにいる理由は、どうせ気まぐれで外に出てきただけだろう。
それでたまたま鈴仙と会い、たまたま暴れたりしなかっただけ。
そう、それだけの事だ。
不思議は何もない。
はず。
だが。

「お姉さま!」
強い語調、強い意志を感じられる眼差しで、フランドールが呼びかけてきた。
人前なので「なぁに?」とカリスマたっぷりの不適な微笑で返す。
するとフランドールは、突然鈴仙の腕にしがみつき、言った。

「私、永遠亭に住み込みで働きたきながら修行したい!」

意味が解らない。
フランドールは今、何と言ったのだろうか。
ちゃんと日本語を話したのだろうか。
意思の疎通をしようという意思はあるのだろうか。
気の触れっぷりが半端じゃなく支離滅裂な言動をしているだけなのだろうか。
ともかく、そんな願いを承諾する訳にはいかない。

「まったく、何を言い出すかと思えば……。
 フラン、紅魔館の外に出るのは危険なのよ。あなたにとっても、他の連中にとっても」
「違うの、もう大丈夫なの! 私は正気に戻ったから! もう暴れたりしないもん!」
「……おい、そこの兎。私の愛しいフランに何かしでかしてくれたのなら、
 今すぐ川の向こう岸まで片道切符の旅行に出かけてもらうわ」

ナイフよりも鋭利な双眸で、吸血鬼は空気を冷たくさせる。
しかしその眼光を真っ向から受け止めたのは、かばうように鈴仙の前へ飛び出したフランドールだった。

「やめてお姉様! 鈴仙は何も悪い事はしてない」
「下がりなさい。私は兎と話をしているのよ」
「下がらないわ。いくらお姉様でも、鈴仙に酷いコトしたら怒るよ」

冷や汗をかきながら、鈴仙はフランドールの肩に手を置く。
「まあまあ、フランちゃん落ち着いて。
 レミリアも、とりあえず事情を聞いてくれると助かるんですけど」
「あら。幻想郷において事情を聞くという行為は、相手を叩きのめした後にするものよ」
「うーん、間違ってないから困る。でも姉妹喧嘩は見たくないし、あんたもしたくはないでしょう?」
「……まあ、ね」
レミリアの覇気が薄れるのを感じて、鈴仙はホッと息を吐いた。

「えー、手短に説明すると、道に迷っていたら偶然フランちゃんとバッタリ遭遇。
 何か様子がおかしくて、襲いかかってきそうだったから、一時的に狂わせて逃げようとしたんです。
 本来は狂気に呑まれるはずが、フランちゃんは逆に正気に戻っちゃって、懐かれた訳です。以上」

話を聞き終えたレミリアは戦慄に震えた。
「むううっ、まさか三行ですむなんて」
「お姉様、そこ驚くトコじゃない」
「ちょっとふざけただけよ。あまりの信じ難さに……」
そう、信じ難い。
フランドールの精神の問題を解決したと? 根本に関わる重たい問題をこうもあっさり?
だが、あるいはそういう事もあるかもしれない。
あの美鈴が吸血鬼を凌駕する圧倒的パワーを身につけて、
パチュリーがあの魔法使い達からも愛称で呼ばれるようになり、
小悪魔が輝夜や幽々子のような重鎮までをも骨抜きにしてしまったりするのだから。
もう何が起きても不思議じゃない。幻想郷で常識を考えてはいけないのだ。

「とはいえ、それが本当なら……嬉しい事ではあるけれど」

期待感に、レミリアの胸がふくらむ。
悪い事ばかり起きる今日、まさかのサプライズ。
「だから」
フランドールは真摯な表情で言う。

「私を永遠亭に行かせて、お姉様」

またか、またなのか。
レミリアは目頭を押さえた。今日は厄日だ。

「なぜ永遠亭なんかに行きたいのよ」
「心身を治療され健全になる喜びを知った私は、幻想郷のみんなを救いたい」
「吸血鬼が人助けをしてどうするの」
「鈴仙に弟子入りするの!」
「誇り高き吸血鬼が兎に、いいえ、兎もどきに弟子入りなんてするもんじゃないわ」
「ウサ耳が本物だろうと偽者だろうと、鈴仙が私を救ってくれたのよ!
 お姉様は嬉しくないの? 私が正気になって、それをしてくれたのは鈴仙なのに!」
「それは外に出していい理由にはならない。フランは紅魔館に居ればいい!」

ようやく取り戻した自らの真なる意思を頭ごなしに否定され、フランドールの頬が朱に染まった。
すでに狂気は解消されたものの、怒りや不満は健全な精神が生み出す感情である。
美鈴の事情を知らぬフランドールにとってレミリアの言動は、
自分をまた地下室に閉じ込めるのにも等しい傍若無人に映ってしまう。
負けるものかと、フランドールは自らの夢を高々と叫ぶ。

「私は『あらゆるものを破壊する程度の能力』で全世界リザレクションを実現してみせるわ!」
「全世界デストロイの間違いじゃない?」
「デストロイ……!? お、おおお、お姉様の解らず屋ーッ!!」

突如、フランドールの全身から深紅の弾幕が放たれた。
その威力、まさしく全世界デストロイ。
ふいうちだったためレミリアは反応できず、破壊の魔弾を受ける。
「グフ!」
「ギャン!」
悲鳴がふたつ、重なった。

「はぁっ、はぁっ……あっ! れ、鈴仙!?」
感情を爆発させたフランドールが正気に戻ると、そこには黒コゲになった実姉と鈴仙の姿が!
「鈴仙? 鈴仙しっかりして! 鈴仙!! レイセェェェェェェェンッ!!
 酷いわお姉様、鈴仙にこんな仕打ちをするだなんて!」
「ケホッ」
やったのはお前だ、と言い返そうとしたものの口から出たのは黒い煙だけだった。
フランドールは鈴仙の傷だらけの身体を抱き起こすと、拳を握りしめて言った。
「待ってて鈴仙! あなたこそ私の患者第一号!」
「わー急に怪我が痛くなくなったー」
直後、黒コゲのまま立ち上がりガッツポーズを取る鈴仙。
顔は笑っていたが眼は笑っていなかった。
でもそんな些細な事には気づかないフランドール、感激のあまり瞳を潤ませる。
「やったわ! 見たお姉様? 私が鈴仙を元気にできた!」
「え、そういう解釈になるの?」
死にたくない一心で立ち上がった鈴仙は一瞬呆けてしまうも、
どこまでもポジティブなフランドールの可愛らしさについ頬がほころぶ。
一方、美鈴の件もあってとことんネガティブモードのレミリアは、
仲よさげなフランドールと鈴仙を見て、負けたと感じてしまった。
勝ち負けの問題ではないのだが、実姉より鈴仙を選んだのではという思いがレミリアを狭量にさせる。

「フラン! 兎と行くというなら、もう、紅魔館の門は潜らせないわよ!」

実質の勘当宣言。
正気に戻った恩義を鈴仙に感じていたとて、実の姉と縁を切るほどの覚悟はあるまい。
帰るべき場所、保険を持つ者はそれをあてに強気になれる。
しかし退路を断てば、強固な覚悟は不安に駆られて勢いは萎える。
もしも永遠亭で失敗すれば、すべてを失う事になるのだ。
ありとあらゆるものを破壊する吸血鬼が、永遠亭で医者や薬師の真似事などできる訳がない。
失敗は目に見えている。
真っ青になって絶句したフランドールを見て、レミリアはしめしめと内心ほくそえむ。
鈴仙もさすがにこれはマズイと感じたのかうろたえ始めた。いい気味だ。
勝利は自分に向かって流れているとレミリアは確信した。
フランドールは表情を引き締めて顔を上げた。

「お姉様! いく久しくお健やかに!」
「……は?」

瞳いっぱいに涙を浮かべて、しかし凛とした面持ちで唇をきつく結ぶフランドール。
何かが、何かが想定外の方向に流れている。
状況の把握に手間取っているのはレミリアだけでなく、鈴仙も同様で、目を丸くしていた。

「ふ、フランちゃん? いったい何を言って……」
「鈴仙。お姉様はあえて私を突き放す事で、一人前の吸血鬼として認めてくれたのよ!」

認めていない。断じて認めていない。
ついさっき力を暴発させて、しかもそれを自覚していない吸血鬼を、どう認めろと?
だがフランドールの中で、すでに事態は完結していた。

「全世界リザレクションを果たすため、常に背水の陣で挑むべし!
 そんなお姉様の厳しくも力強き後押しを、しかと受け止めさせて頂きました。
 もはやこの身は不退転! 我が精神未熟なれど、永遠亭にて身命を賭して参ります!」 

愛らしい外見はそのままに、精神テンションがやけに男前なフランドール。
超ポジティブパワーは勘当の脅しすら好意的に解釈してしまった。
そして、実妹がそう言うならそうなのだろうと、鈴仙も勘違いしてくれる。

「あなたの妹君、確かにこの鈴仙・優曇華院・イナバが預かりました。
 私も修行中の身ですが、必ずや全世界リザレクションに育て上げてみせます!」

さらにフランドールの異常なテンションが伝染してしまったらしく、
鈴仙も無駄に男らしい言動になり、元軍人らしく敬礼までする始末。
こうなってしまっては、今さら本気で勘当する気なんてありませんだなんて言えない。

「か、勝手にしなさい」

うろたえ様を見られぬよう背中を向け、震える声でレミリアは言った。
その姿、今のフランドールと鈴仙の視点では、
厳しく突き放しながらも妹への情からあふれ出す涙を隠そうとする姉の姿に見える。

「今までありがとうございました、お姉様!」

異常に気合の入った礼の後、フランドールと鈴仙の足音が遠ざかっていく。
あまりに突然で予想外の展開となった姉妹の別れに、
レミリアはしばし呆然と突っ立っていた。


     ◆◇◆


美鈴に引き続き、フランドールまで紅魔館を去ってしまった。
「どうしてこんな事に……」
そもそもの始まりは美鈴の気がしてきた。無性に腹が立つ。
美鈴にしこたま弾幕をぶち込みたい。
それじゃ八つ当たりだ。
八つ当たりでいい。
でも、もう、それすらできないほど開いてしまった実力差。
「咲夜」
まだ帰っていないのだろうか。呼んでみても、誰も、何も、応えない。
心臓が重たく感じる。胃袋も重たく感じる。手足も重く感じて、空気さえ重たく感じる。
このままではどうにかなってしまいそうなので、レミリアはゆっくりと歩き出した。
大図書館に行こうかと思ったが、まだ魔理沙とアリスがいるかもしれない。
パチュリーを「パチェ」と呼んで仲良くやってるのかもしれない。
となれば、行く気はなくなる。
「……魔理沙とアリスはいつ帰るのかしら」
何となく、気持ちを言葉に出してレミリアは後悔した。
嫉妬している。あの図書館で見た雰囲気の中に入っていけない自分は、
パチュリーと距離ができてしまったように感じてしまった。
ネガティブになるのも仕方ないかと、唇を噛む。
吸血鬼といえど心があるのだから、喪失感に苦しむのは当然だ。
これ以上、大切なものを失うのは嫌だ。でも、不幸はまとめてやってくるもので。



「私、紅魔館を出て行こうと思うの」
「……。そう」

レミリアは背中を向けていた。
自室の机に着き、本へ視線を落としたまま、入口にいるパチュリーに振り返ろうとしなかった。
だからパチュリーがどんな表情をしているのか解らない。声は、平静に聞こえる。
パラリ、と、ページをめくる音を立てるレミリアだが、本の内容は頭に入ってこない。

「あまり驚かないのね、レミィ?」
「……別に。もしかしたら……と考えていただけよ」
「さすがは運命を操る吸血鬼……といったところかしら」
「それで、なぜ紅魔館を出て行くのかしら? 魔理沙やアリスの家で蜜月でも送る?」
「山篭りして河童と相撲をするの」
「…………うん、ええと、うん?」

レミリアはうろたえた様子で、口元に手を当てた。
美鈴、フランドールと続いた流れから、また同じような事が起こるのではという予感はあった。
事実それは起こった、と思ったら、物凄い変化球を投げられた。
会話はキャッチボールと言うけれど、こんな変化球、どうキャッチすればいいのだろう。

「生まれつき病弱で、喘息持ちのあなたが、山篭り?」
「ええ」
「幻想郷で山って言ったら、普通は妖怪の山の事よね。妖怪の山に?」
「ええ」
「でもあそこは天狗の縄張りだから、魔女が受け入れてもらえるとは思えないんだけど」
「縄張りギリギリのふもとで暮らしするから大丈夫よ。河童もいるし」
「……何で、河童と相撲?」
「相撲で天下を取りたいからよ」
「病弱で喘息持ちのパチェが?」
「もやし卒業のためにスポーツを始めようと思って、それなら相撲をやろうと」
「スポーツというか、格闘技じゃない。しかもあなた一人暮らすんでしょう? 大丈夫なの?」
「河童のにとりが全面バックアップについてくれるからいいわ。魔理沙のおかげね」
「パチェには無理よ、不可能よ」
「無理、不可能……そういった言葉に立ち向かってこそ真の戦士」
「……戦死する未来しか見えないわ」

レミリアはパチュリーに背中を向けている。
それは、パチュリーの顔をなんとなく見たくなかったからだ。
だが今は、自分の混乱の極みにある顔を見られたくないからだ。

(あれー? どこをどう間違えればこんな流れになるのかしら?
 同じ出て行くにしても、魔理沙やアリスにたぶらかされたとかなら、
 まあ、流れ的にね? うん、理解できなくもない。フランも偽兎にかどわかされたし。
 でも、相撲って、唐突すぎるでしょう。図書館での会話でも相撲の話は皆無だったし。
 伏線は? 普通、こういうのって伏線があるべきじゃないの?
 美鈴だって、思い返せば魔理沙の被害がなくなっていたとか、前触れはあったのよ?
 何なの、パチェは冗談で言っているの? え? ああ、冗談か、よかった)

自分の中でひとつの結論を下したレミリアはこんな悪質な冗談をつくなんてと憤慨したが、
思えば美鈴とフランドールの流れを知らなければ、信じる要素皆無の真っ当な冗談である。
だから、ここで怒ったりムキになったりするのも大人気ない。
ならば、魔理沙やアリスがパチュリーとの友情を深めてきている今、
やはり真の親友は私しかいないという事をレミリアは示すべきであった。

「ねえ、パチェ」

優雅に、あふれ出るカリスマを見せつけるように、
レミリア・スカーレットは椅子を立ち振り返った。

ドロワーズの上に回しを締めたパチュリー・ノーレッジがいた。
上半身はスポーツブラのみで、帽子を脱いだ頭にはマゲが結ってあった。

「…………」

クルリ、と。
レミリアは背中を向け、再び椅子に座り、しばし黙り込む。
時計の針の音がやけに大きく聞こえ、レミリアはポツリと言った。

「ええと、がんばって」
「ありがとうレミィ! 私、相撲界の女王に君臨してみせるわ!」

別れ方には色々あるけれど、これはあまりにも酷いじゃないかしら。
後ろで戸が閉まる音がして、レミリアは机に突っ伏し、頭をかきむしった。
嗚呼、冗談であって欲しかった。


     ◆◇◆


何だかよく解らないうちに、従者と、親友と、妹が紅魔館を去ってしまった。
おかげで、現実逃避のために読んでいた本の内容を微塵も覚えていなかった。
パチュリーが来る前まで読んでいたページの内容も完璧に忘れていた。
表紙を見てもやはりどういう本だったのか解らない。
題名も思い出せない本と金細工の栞を机に置いて、レミリアは部屋の中を歩き回る。

「はぁ……咲夜が帰ってきたら、何て言えばいいのかしら。
 ……まさか、咲夜までうちを出て行こう……だなんて……なったら……うーっ」
帽子を引っ張るようにして、その場にしゃがみ込む。
もう嫌な想像と嫌な予感しかしない。
「咲夜が帰ってくるのが怖い……」
「私がどうかしましたか?」
「わっ!」
いつの間にかレミリアの背後に立っている咲夜。
瀟洒な笑顔は永久不変を思わせるほどの信頼感があふれていた。
「さ、咲夜!」
「遅くなりまして。ところで美鈴がいなかったんですけど、何かありました?」
サボっている、という誤解はさすがにしなかった。
レミリアは美鈴の話を二人きりで聞いてやるために、咲夜を外にやったのだ。
ここでいったい何の話をしていたのか聞くほど野暮な咲夜ではないが、
理由はともかく門番がいないのはよろしくない。
紅魔館のメイド長として口出しすべき所はちゃんと出す。
「め、美鈴は……」
答えようとして、レミリアは口をつぐんだ。
咲夜はどうやら紅魔館に戻って真っ直ぐこの部屋にやってきた様子。
つまり美鈴だけでなく、パチュリーやフランドールなどの事情も知らないだろう。
話せというのか、従者と妹に逃げられ、親友の変貌に気づけなかった己の口で。

「ところでお嬢様、今宵のお食事はどうします?
 いい具材が手に入ったのでビーフシチューなんかお勧めですよ」
「あ、うん……そうね、そうして頂戴」
困っているのが解ったのか、咲夜は明るい口調で話題を切り替えてくれた。
今日はビーフシチューか。
美味しいものでも食べれば、多少は精神の疲労も回復するだろう。
ほんのわずか、レミリアは表情をやすらげた。
「あの本は読み終わったようですね、ついでにパチュリー様に返してきます」
「え」
言われて、レミリアは気づいた。
内容がお空の彼方とはいえ、読み終わったのも事実。
美しい金細工の栞はお気に入りで、読書中は必ず挟んでいる。
だから栞が挟んでないという事は、まだ読み始めていないか、もう読み終わったかだ。
あの本は咲夜に紅茶を入れてもらいながら読んでいた事もあるから、
可能性は後者しかないのが道理。
「ままま、待ちなさい咲夜」
「はい?」
「あの本は、うっかり栞を外してしまっただけで、まだ読んでいる最中なの。
 パチュリーの所には行かなくていいわ」
「はぁ、そうですか。では――」
「それと! 今日パチュリーはご飯をいらないって言ってたから、図書館には行かなくていいから」
実際、そういう日は稀にあった。
小悪魔が作ったり、パチュリーへのお客さんがお裾分けをしてきたり。
そのおかげか、咲夜はたいした疑問を抱かず了解した。
「では、今日はお嬢様と妹様の分だけ――」
「フランはー! フランはアレよ、兎を生でバリボリ食べてもうお腹いっぱいよ!」
「いつから兎の血でOKになったんですか吸血鬼」
「ええと、じゃなくて、兎の丸焼きに人間の血をね? 小悪魔が! 小悪魔が料理したの!
 もうフランの分もパチェの分も美鈴の分も! ぜーんぶ! だから食事の用意は、不要!」

息を荒くしながら言い切り、レミリアはこれでよしと心の中でガッツポーズを取った。
まだ咲夜に真実を明かす気にはなれない。
もう少し自分側が落ち着いてからでないと、こっちが耐えられないのだ。
今日は小悪魔が全部やってくれた事にして、
咲夜にはみんながいなくなった事実を気取られぬようにしよう。

「もしかしてお嬢様の分も小悪魔が?」
「へ? あ、あー……私は」
きゅー。お腹が鳴いた。
「まったく。肝心のお嬢様の分を忘れてしまうなんて、小悪魔には後で――」
「いや! 違うのよ? これは、私が、私は咲夜の手料理が食べたくて、断っただけで」
「そうなんですか、光栄ですわ。ではご期待に沿えるよう腕によりをかけて作りますね」
「うん……心身があたたまるような美味しいのを、お願いね咲夜」

美味しい物を食べて、心身を癒せば。
癒せば?
結局は、問題を先送りにして、逃げただけで、でも、逃げたくて、逃げている。

(レミリア・スカーレットともあろう者が、地に堕ちたものね)

自虐して、レミリアは怖くなった。
何がカリスマ吸血鬼だ。これじゃ、ただの道化だ。
そんな自分に咲夜は、咲夜だけはついてきてくれるだろうか。
見捨てないでくれるだろうか。

答えを確かめたく、なかった。

「ねえ咲夜」
「はい?」

確かめたくないのに。

「紅魔館から、私の手の上から、出て行きたいと……思った事はあって?」

確かめてしまえば楽になるから。
咲夜だけは裏切らないという確信を得て、楽になれるから。
あるいは、咲夜も裏切ってしまうのだと、あきらめがついて、楽に、なれる、から。
だから、楽になりたかった。



「な……にを言い出すかと思えば。私は一生お嬢様のお側にいますよ」

瀟洒なメイドは満面の笑顔で答えるけれど、なぜ、問われた瞬間、わずかにうろたえたのか。
それはつまり、このメイド長も、この人間も、この、咲夜も……。
レミリアは全身から生気が抜けてしまったかのように虚脱し、
同時に圧迫されていた精神が小さくしぼんで、気分が酷く軽くなった。

「そう。私より大切な相手がいるのかしら」
「今日のお嬢様、何だか様子がおかしいですよ? 変な物でも食べられましたか」
「茶化すな、人間」

深紅の眼光が咲夜の全身を萎縮させ、畏怖という鎖で緊縛する。
息がつまり、足がすくんで動けず、時を止めるための精神力はすでにそぎ落とされていた。
ゆらり、と、レミリアは実体が無いかのような挙動で歩み寄ってくる。
本能的に咲夜は身をよじり、ほんの些細な動きが、レミリアの眼に止まった。
「スカートの右ポケットに何を隠している」
「これは……」
突如、床が弾けたと錯覚するような速度でレミリアは咲夜のわきをすり抜る。
情けなく尻餅をついてしまった咲夜の背後で、折りたたんであった紙を開く音がした。
見られる。

「これは……」
「違いますお嬢様ッ! 私は!」

いつでもどこでも瀟洒な咲夜が、声を裏返らせて叫んだ。
悲痛で痛烈な響きは、まるで氷のナイフのようであった。

「……咲夜、これは何なの」
「それは今日、たまたま……外から来た人間が、持っていたのを、その」
「買い物にしてはずいぶんと遅かったけど、合点がいったわ」
「ただの、一時の気の迷いです。私は別に、こんなの……別に未練なんか……」
「未練がなければこんな物、持ち帰ったりしないでしょ」
「お嬢様、私は」
「ねえ、咲夜」

レミリアが振り返る。
表情に怒りや落胆の色は、無い。呆れているように見えた。
想像とは違うリアクションに咲夜はうろたえる。
そして、レミリアは奪った紙……新聞を咲夜に向けて見せた。

「あなた、こんな物が欲しいの?」

新聞には、こう書かれていた。



   真・三種の神器の伝説!
   三種の神器と言えば剣・鏡・勾玉を誰もが思い浮かべるでしょう。
   しかし当記者は、とある信用できる情報筋から、真の三種の神器の伝説を入手しました。
   最近幻想入りした新種の妖怪、ナイトG氏曰く、以下の物こそ三種の神器であるとの事。
   其の壱 炎のナイフ
   其の弐 力のトレイ
   其の参 霞のブラジャー
   三種の神器をそろえた者は、星々を動かす力を得るとも、大きさが何倍にもなるとも言われている。
   いったい何が大きくなるというのだろうか?
   だが大きくなって嬉しいモノと言えば、男性ならアレだし、女性ならアレだろう。下品で失礼!
   ナイトG氏はかつてこの三種の神器をめぐって、サンタクロースや、ネコ耳黄金騎士と戦ったと発言している。
   かのサンタクロースまで争奪戦に参加していたというのだから、その威力は絶大に違いない。
   果たして神器は幻想郷にあるのだろうか。発見者は是非『文々。新聞』に御一報を。



「思うのだけど、あなたは人並みの大きさはあるはずよ。でも、こんな物に興味を持つって事は、やっぱり」
「生乳です! 何なら脱ぎますよ!? その目で確認してください!」
顔を真っ赤にしながら、咲夜は自身のメイド服に手をかけた。
「いいから、別に脱がなくても」
「見るだけじゃ信じられないと!? だったら触れば、生の感触を確かめれば。お嬢様が相手なら、私は」
シュルシュルとタイを解く咲夜。シャツの隙間から綺麗な鎖骨が見えた。
「いや、いいから本当に。そういう趣味無いから」
「そんな! 黒い下着はお嫌いですか!? 清楚な白な方が!?」
「そういう問題じゃないでしょう! ああもう、こんなくだらない物を隠していただなんて、情けない」
「違っ……私が隠していたのはこっちです!」

と、咲夜は一枚のチラシをポケットから取り出した。


それは行方不明になった娘を探すための、家族が作ったチラシであった。
失踪時期、失踪時の服装などが書かれてあった。
失踪者の名前は、初めて見る名前だった。知らない名前だった。

「これって……」
レミリアは一歩、後ずさった。
「あっ……」
咲夜は蒼白になると、慌ててチラシを握りつぶした。

しかしレミリアはもう見てしまっていた。
チラシに印刷されていた写真が、今よりやや幼い十六夜咲夜その人であると。


     ◆◇◆


「紫かっ! 何でこんな物を食後に出す?
 これでは、満腹のせいで食べきれず、プリンが余ってしまう! もったいないお化けが来るわ!」
「幻想郷に住む者は常識に囚われてはいけない! だから非常識にすると宣言した!」
「妖怪がバケツにプリンを入れるなどと……!」
「私、八雲紫がバケツプリンを実現しようというのよ! 霊夢!!」
「エゴよそれは!」
「賞味期限が持たない時が来ているのよ!!」

博麗神社にて、物凄くどうでもいい、しかし贅沢の極みを問題視する死闘が起こっていた。
久々に贅沢をしてお腹いっぱいになるまで夕ご飯を食べた霊夢。
後はお茶を一杯飲めれば十分だという所に、バケツプリンを持参して紫が現れたのだ。
普段なら大喜びするところだが、こんな満腹状態では吐き気しかしない。
しかも冷蔵庫の無い幻想郷では、明日の朝には賞味期限切れになってしまうという。

「ふふふふ、はははは」
「何を笑ってるの?」
「私の勝ちね。今計算してみたけど、プリンの賞味期限は明朝には切れる。
 あなたは今晩がんばりすぎるしかない」
「ふざけないで。たかがプリンひとつ、明日の朝食にして食べ切ってやる」
「馬鹿な事はやめなさい」
「やってみなければ解らないわ」
「正気?」
「あなたほど急ぎすぎもしなければ、賞味期限に絶望もしちゃいない」
「プリンの賞味期限は迫っているのよ」
「楽園の巫女は伊達じゃない」

バケツプリンを抱きかかえる霊夢のバックには、オーラが白い巨人となってファイティングポーズを取っていた。
ちゃぶ台を挟んで湯飲みを片手に正座している紫のバックには、オーラが赤い巨人となって仁王立ちしていた。
戦場は座敷。
眼光が真正面から衝突して火花が散り、バチバチと音を立てている。
と、そこに。
「邪魔するわよ」
障子を開けて、小さな人影が入ってきた。
当然二人の視線はそちらに向く。
眼光もそちらに向く。
火花もそちらに向く。
「アツッ!?」
合体技、眼光スパークを浴びた少女は後ろに飛びのいて、火傷をした手の甲にふうふうと息を吹きかける。
「誰よ、こんな時間に」
「……私よ」
闇から現れたのは吸血鬼レミリア。
唇に微笑を浮かべてはいるが、目に力は無く、全体的に小さくなっているような錯覚さえ覚える。
カリスマと呼ばれるものの代わりに、保護欲をかき立てる弱々しさが滲み出ていた。
そんなレミリアに対し、霊夢は?

「今日は宴会の予定は無いわよ」

冷たくあしらった。
では紫は!?

「霊夢ー、お茶おかわり」

興味無し。
空になった湯飲みを振ってアピールしていた。

「急須はそこよ」
「もう空よ」
「じゃあ自分の家からお茶の葉を持ってきなさいよ」
「出涸らしでもいいから霊夢のお茶が飲みたいのよ」
「無精したいだけでしょ」
「真心のこもったお茶が飲みたいのよ」
「込めてないわよそんなもん」
レミリアは、完全に自分の存在を忘れ去ったかのような会話をする二人を見て、
本来ならば怒っただろうしかし、今日だけは今宵だけは、ただ、黙って立っていた。
さすがの紫も、あまりの異様さにようやく気を向ける。
「こうも静かだと、何だか薄気味悪いわね」
「薄気味悪くて悪かったわね。改めて邪魔するわよ」
きっかけを得て、レミリアはゆったりとした仕草で座敷に入ってきた。
「お茶は切れてるわよ」
霊夢が言うと、レミリアは苦笑を浮かべて答える。
「出涸らしでもいいわ。お茶を淹れて頂戴」
「真心は込めないわよ」
「構わないわ。自分以外の誰かが淹れたお茶を飲みたい気分なの」
「紫ー、そこの座布団取ってやって」
急須を持って霊夢は台所へと向かった。
その間に紫は軽く指を鳴らす。座敷の隅にあった座布団がひとつ、床に空いたスキマへと落ちていった。
同時にちゃぶ台の前にスキマが開き、座布団が畳に落ちる。
「何か面白い事でもあった?」
「別に面白い事なんて、何も」
紫の詮索を軽くかわし、ちゃぶ台の下に足を投げ出して座るレミリア。
唇の端をやや曲げて、酷く冷めた眼を伏せる。
本当に不気味なほど静かだ。覇気が無い。何があったのだろうと、紫はようやく興味を持ち始めた。
だが同時に、レミリアは霊夢に会いに来たのだとも理解していたから、自分には事情を話すまいと苦笑する。
とはいえ霊夢が来れば話し出すだろうし、紫には聞かれたくないと言われても、
こっそりスキマの中から盗み聞きしてしまえばいい。
退屈しのぎに霊夢で遊びに来たけれど、これはこれで違った退屈しのぎができそうだ。

「お待たせ」
しばらくして、お盆に急須と湯飲みを載せた霊夢が戻ってきた。
空の湯飲みをレミリアの前に置いて、手ずから茶を注ぎ、続いて霊夢は己の湯飲みに茶を注ぎ、急須を置く。
「霊夢、私にもお茶」
「帰れ」
自分で注げという返答を予想していた紫だが、予想以上にきつい言葉が返ってきた。
それでも余裕の態度は崩さない。
「あら、つれないわね」
「スペルカード3枚で、私が勝ったら帰りなさい」
「あら、やる気?」
「帰らないならね」

どうでもよさげな口調だったが、霊夢はかなり本気のようだ。
レミリアの事情を何か知っているのだろうか。
退屈しのぎ以外の、もうひとつの用事と関係があるかもしれない。
だとしたら八雲紫としては把握しておきたいところだが。

「ふぅん……私が勝ったらどうしようかしら」
「お茶を淹れて上げるわ、真心を込めてね」
「いいわね、それ」

楽しそうに紫は笑った。


     ◆◇◆


「今さらだけど、お酒にしようか?」
「お茶のままでいいわ」
「そう」

どこまでも霊夢はいつも通りだった。
紫を追い出そうとした時には何か事情を知っているのではとも感じられたが、
そんな気配は微塵も見せず、けれどそういうのも霊夢らしいとレミリアは思うのだ。
しばし無言で、二人はお茶を飲んだ。
霊夢が何を考えているのか解らず、レミリアは神社まで来たものの、
今日の出来事を話すかどうかすら決めておらず、どうしたものかと頭を悩ませている。
特に深い理由があって神社に来た訳ではない。

ただ、誰かと一緒にいたくて、ただ、霊夢の顔を思い浮かべただけだ。

「ちょっと意外ね」
「えっ……?」
突然霊夢が口を開き、レミリアは身構える。
やはり事情を知っているのか、何を言ってくるのか、嘲るのか、励ますのか、それとも、それとも。
「紫がああもすんなり帰るだなんて」
「ん……そうね」
一時はスペルカードルールで帰るか帰らないかの決着をつけるところまでいったのだが、
いざ勝負という段になって急に紫はスキマをくぐって帰ってしまった。拍子抜けする展開だった。
「スキマで覗いている様子もないし」
黙々とお茶を飲みながら、霊夢は紫のスキマがどこかに開いていないか探っていたのかもしれない。
気を遣ってくれているのだろうか。霊夢にしては規格外の親切さだ。

では、やはり、事情を知っている?

「霊夢、あなた――」
問おうとして、すぐ言葉に詰まってしまう。
唇が震えて、無理に喋ろうとしても、言葉にすらならない息が漏れるだけ。
自分は、レミリア・スカーレットはこんなにも脆弱な存在だったのか。
結局それ以上何も言えず、顔を伏せるレミリア。
湯飲みから昇る湯気を見つめて、やっぱりさっきお酒をもらうべきだったのかもしれないと考えた。
酔えば良くも悪くも動けるだろう。

「……紫が来た理由だけどね」
世間話をするような口調で霊夢は話し出す。
「そこにある賞味期限の迫ったバケツプリンを私に押しつけるためと、
 結界が今日ほんのわずかに揺らいだ理由を調べにきたんだと思うわ」
「結界が? どうして?」

「今日、幻想郷の外に人間を出したから」

血液が凍ったと、レミリアは錯覚した。
空気さえも凍りついたと、レミリアは錯覚した。
呼吸も止まったと錯覚し、心臓も止まったと錯覚し……時が、止まったとさえ錯覚した。

霊夢が幻想郷の外に人間を出すという行為は珍しいという程度のもので、
逆に言えばたまには起こる出来事で、だいたいは外の世界から迷い込んだ人間を、
この博麗神社から外の世界に帰してやっているのだ。
最近はなぜか幻想郷に住みつく外の人間も増えているが、基本的には帰すものである。

「……霊夢、誰を……」
「咲夜を」

震える声の問いかけに、何でもないような声色で即答する。
そしてお茶を飲む。のんびりと、平和な日常の一風景であるかのように、霊夢はいつも通りすぎた。
癪に障っても仕方がないと思う。
「どうして、どうして行かせたの、咲夜を」
「止める理由って何かあったっけ」
「咲夜とは、あなたも友達だったでしょう!?」
「そうなんだ、初耳ですわ」
「霊夢ッ!」
レミリアは怒りをあらわに立ち上がり、その拍子に足をちゃぶ台にぶつけて湯飲みが揺れた。
「こぼさないでよ?」
「何で、どうして、そんな、平気な風でいるのよ!」
「実際平気だし」
頬に朱が差すのをレミリアは感じ、喉を激しく震わせて叫ぶ。
「薄情者ッ!!」
「変ね。あんたが追い出したって聞いたんだけど」
激昂直後の絶句。
そうなのだ、咲夜に外の世界へ帰るようにうながしたのは、他ならぬレミリア。
今さら、何をどう言い訳したとて結果は変わらない。
その場にへたり込んで、壊れた人形のようにうつむく。

ズズズと、お茶をすする音を立ててから霊夢は語り出した。
「んー、お茶請けにプリンは、合いそうにないなぁ。
 でも、賞味期限までにちょっと量を減らしておいた方がいいか。
 でも、正直お腹いっぱいなのよね。芋の大安売りしてたから。
 魔理沙からの差し入れもあったしさ。相変わらずキノコばかりだったけど。
 いくら食料がいっぱいあっても、腹八分目に抑えといた方がいいのかな。
 二分も空いていれば、このバケツを半分は空にできるのに。
 ほら、やっぱり私も女の子だし、甘い物は別腹って奴。二分と別腹の協力体制ならね。
 とは言っても甘い物なら、団子や饅頭の方が好きなんだけど。
 あんたは好きそうよね、プリン。食べる?
 ああ、でも、これは私の明日の朝食なんだから、食べすぎたらしばくわよ。
 小食のあんたなら心配はないだろうけどさ、念のため。
 だいたい紫の奴、もうちょっと考えてから行動しなさいよ。
 バケツプリンを手つかずの状態で持ってきた理由が、
 バケツゼリーを食べてお腹いっぱいだからって、アホすぎるわ。
 何で同時に作るのよ。食べ切れないに決まってるでしょ。
 もうちょっと遅く咲夜が来てたなら、賞味期限が切れないよう、
 バケツプリンの時間を止めておいてもらえたのに。まったく」
「………………寄越しなさい」
「ん、何か言った?」
「食べるわ、そのプリン」
「……。そう」

レミリアが顔を上げると、霊夢はほんのわずか、唇の端を上げた。


     ◆◇◆


「知らない間に、ずいぶん頭の悪いキャラクターになってるわね」
うるさい、と反論しようとしてレミリアは口元を押さえた。
夕食抜きだというのに、バケツプリンの4分の1を食べただけて、すでにお腹は限界寸前。
とはいえ妊婦のようにふくらんでいるという訳ではない。
元来小食のレミリアは胃袋が小さいのだから、腹がふくれるほど食べられないのだ。
「ま、明日の朝食には十分な量が残ってるからいいけど」
「うー、い、胃薬を……」
「カビの生えた胃薬がどこかにあったかな」
「やっぱりいらない」
座布団を枕に、右腹を下にして横たわってうめきながら、レミリアは背中を丸める。
膝で顔が隠れるくらい丸まるのを見て霊夢はため息をついた。
「あんたさ、何しに来たのよ」
「別に。ただの暇つぶしよ」
「あ、そ」

霊夢は積極的にレミリアの問題へ関わってくるつもりはないらしい。
本当に、咲夜を外の世界に帰してしまったのだろうか。
本当に、咲夜がいなくなって何とも思っていないのだろうか。

お腹の痛みを誤魔化すため、レミリアは何となく考え出す。
色々な事を。様々な事を。


――もうお嬢様に畏敬の念を抱けないようになってしまいまして――
――どうもです。紅魔館の皆さんには、今までお世話になりました――
始まりは美鈴だった。悪い夢の始まりは。
いいえ、これは現実。みんなみんな去ってしまった。


――お姉様! いく久しくお健やかに!――
――もはやこの身は不退転! 我が精神未熟なれど覚悟完了! 永遠亭にて身命を賭して参ります!――
あのフランのテンションは何だったのかしら。
アレが本当に正気なのか、今はもうどうでもいい。どうでもいいんだ。


――山篭りして河童と相撲をするの――
――ありがとうレミィ! 私、相撲界の女王に君臨してみせるわ!――
パチェのバカ。
何を考えてるのか全然解んないわよ。


――私は一生お嬢様のお側にいますよ――
嘘よ。本当は咲夜も出て行きたいんでしょう?
そうよ、そうに決まってる。決まっている。


――お嬢様がそうおっしゃるのなら、その通りに――
ホラ、やっぱり出て行くんじゃない。
でも、さみしそうな顔をしていた気がする。


――もうちょっと遅く咲夜が来てたなら――
――バケツプリンの時間を止めておいてもらえたのに――
ヤケ食いをしたのは、霊夢に必要とされた咲夜がいなくとも自分は平気だと示したかったからだ。
でも本当は、咲夜が必要だった。側にいて欲しかった。


「じめじめする」
霊夢が言った。しかしここ数日雨は降っていないし、特に湿気も感じない。
レミリアの態度を表現しただけなのか。恐らくそうだ。
「あー、面倒くさい。こんな面倒なら紫じゃなくあんたを追い返していればよかった」
今ならろくな抵抗もできない。
放り出すのは容易だ。
「てっきり咲夜の話をしにきたのか、咲夜の話をされにきたと思ったのに」
わずかにレミリアは顔を上げ、ちゃぶ台に頬杖をついている霊夢へと視線をやる。
そういうつもりなら、ちゃんとそういう態度をしろと目線で言ってやったが、
生憎とアイコンタクトが通じるほど二人の仲は以心伝心ではなく、ただ睨まれたとしか霊夢は感じなかった。
しばしの沈黙を経て、眼での言葉が通じなかったと悟ったレミリアは言葉を口に出す。
「じゃあ、話しなさいよ、咲夜の……」
お茶を一口すすってから、霊夢は立ち上がり、障子を開けて夜空を見上げた。



「日が暮れる頃、咲夜が神社に来ていきなり賽銭箱の上で財布を逆さまにして振ったわ。
 中身がザックザック、おかげで今日は満腹になるまでご飯を食べられたという訳よ。
 まあ、賽銭をもらってすぐ買い物に出かけた訳じゃないんだけどね。
 咲夜が頼み事があるって言うから聞いてみたら、外の世界に出して欲しいとか言っちゃって。
 冗談半分に聞いてたんだけど、レミリアに追い出されたとかで、喧嘩でもしたのかなと。
 そしたら急に泣き出して、こんな事を言うのよ。
 片方の涙は悲しい涙だけど、もう片方の涙は嬉し涙だ……って。
 私はこう言ったわ。右目と左目、どっちがどっちの涙? ……と。
 これはさすがに呆れられたわ。空気を読むべきだったんだろうけど、どうしても言いたくて、つい。
 でも自分で恥ずかしいセリフを吐いたって自覚したのか、顔を真っ赤にしたりなんかして。
 それで、一応もう少し詳しい事情を聞いてみると、だいたいこんな感じよ。
 外の世界で咲夜の家族が咲夜を探してるって解ったから、レミリアが家族の元に帰るよう命令したって」

違う、とレミリアは心の中で叫んだ。
咲夜も自分を必要としていないと思ったから、言ってしまったのだ。
紅魔館から出て行け。私の前から去れ。家族の元へ帰れ。と。

レミリアは下腹に手を当てたまま起き上がって夢を見据える。
霊夢は偶然見つけた流れ星を見送ってから、続けた。

「それが、嬉しいのと悲しいの、半分ずつだってさ。
 咲夜はずっとレミリアと一緒にいたかったけど、家族への未練も捨てきれなかった。
 自分の気持ちを汲んで、家族とやり直せるかどうか試させてくれようとしているんだってさ。
 実際レミリアがそう思ってたのかどうか、私は疑問だったけど、咲夜の中ではそういう事になってたみたい。
 もしやり直せなったら? そう訊ねてみたわ。
 そしたら、帰ってくるかもしれないって言ってた。
 幻想郷から外に出るのは大変だけど、中に入るのは結構簡単だし。
 時間を操るメイドなんて外の世界じゃ非常識の極みだから、意思さえあればいつでも戻ってこれる。
 これが咲夜を外の世界に出しても平気な理由。
 帰って来ても来なくても、咲夜は思う通りに生きてる訳でしょ? だから、それで構わないのよ、私は。
 もっとも、幻想郷に帰ってきたとして、紅魔館に帰るかどうかまでは解らないとも言ってたわ。
 レミリアの許しが出るかどうか、不甲斐ない人間と追い返されるかもしれないって。
 それでいいのかって言ったら、嫌だって言われた。
 向こうで家族とどうなるか解らない。
 でも、自分が真実帰るべき場所は、紅魔館以外に存在しないから。
 レミリアの側だけだから。
 そう言って咲夜は外の世界に出て行ったわ。最後まで外の世界や家族に対し"帰る"という言葉を使わないまま」

嘘だ、とレミリアは叫んだ。
だったらどうして本当に紅魔館を出て行ったのか。
なぜ紅魔館に残ろうとしなかったのか。
レミリアの言葉に逆らわなかったのか。

「そりゃ、あんたの命令が第一だったか、家族の元へ帰れっていう言葉を嬉しく思ったからか……。
 って、いくら憶測を並べ立てても、解んないもんは解んないか。
 ただ、咲夜は最後の最後までレミリアを気にしていたわ。
 家族も大切だったかもしれない。今でも大切かもしれない。
 でもどんなに大切でも、咲夜にとって一番大切なのは、一生レミリアだけだから」

嘘だ、とレミリアは呟いた。
だったらどうして、だったらどうして。

「どうして、私は咲夜を……」

畳に、小さな染みが出来た。


     ◆◇◆


「咲夜に関しては、完全にレミリアのせいね」
すべてを語り終えたレミリアはすでに自分の行いを見直す余裕が生まれていたので、返す言葉もなくうなだれた。
確かに美鈴もパチュリーもフランドールも自分の意思で出て行った。
けれど咲夜は、咲夜だけは違うのだ。
家族に未練があったのは事実。
それでもレミリアを選んでくれていたのに、自暴自棄になって、勝手に咲夜の気持ちを決めつけて。
何て酷い誤解。自分も咲夜も苦しむだけの、いいや、咲夜は少なくとも家族という救いが待っているかもしれない。
けれどレミリアは、ただ失うだけだった。
「私は……大馬鹿者ね」
「うん、まだ勘違いしてるみたいだし」
「まだ? この私がこれ以上、何を勘違いしているというの。咲夜には、悪い事をしたわ……本当に……」
「やっぱり勘違いしてる」
「だから、何を」
「……頃合か」
「何がよ」
「帰れ」



それから少しして、博麗神社に深紅の柱が天高く怒張した。
続いて泣きながら小さな吸血鬼も飛び出して行った。

ひっくり返されたちゃぶ台、割れた湯飲み、こぼれたお茶、引き裂かれた畳、ふっ飛ばされた障子。
そして、外の地面に無残に散らばったバケツプリン。
「そりゃきつい風に言ったけどさ、あんなに怒らなくてもいいじゃない」
半壊した座敷とは対照的に、意外にもほぼ無傷の霊夢は、縁側に腰かけながら幻想郷の夜を眺めていた。
だいたい今くらいの時間だったかなと思ったので、普通に助言したつもりだったのだけれど、
どうやらレミリアは他の皆にしたのと同じ誤解を霊夢に対してもしたらしい。
もっとも、霊夢の場合は他の皆に比べて気持ちは弱いけれど、
それはただ紅魔館の連中に比べれば負けて当然というだけなのだ。
何が負けて当然か?
そんな事いちいち説明するのは嫌だし面倒だし、自分の役目じゃない。

「そうでしょう、咲夜」


     ◆◇◆


とぼとぼと夜道を歩く小柄な影ひとつ。
これが人間ならば、妖怪にとって恰好の獲物だ。
けれど彼女は吸血鬼なので、畏れた者達が勝手に道を明けて逃げていく。

「はぁ……」

もう、美鈴とパチュリーは旅支度を終えて出て行ってしまっただろう。
フランドールも、もういない。
咲夜も。
妖精メイドは大勢おり、好ましい感情も抱いてはいるが、それらは心の拠り所ではない。
だから、帰ってもレミリアは一人ぼっちなのだ。
紅魔館に近づくにつれ足取りは重くなり、気分も滅入る。

紅魔館の門が見えてきた。
門番も誰もいない門が。
灯りのついた門が。

灯り?

「お嬢様ぁぁぁぁぁぁッ!!」

悲鳴が聞こえた。
「きゃー」とか「わー」といった意味のない言葉ではなかったような気がした。
誰かに呼びかけるような感じの悲鳴だった。
誰が、誰に。

そもそも。
突然聞こえてビックリしたせいで悲鳴だと思ってしまったけれど、本当に悲鳴だったのか。

なんて事を考えながら、吸血鬼の眼力は暗闇の中を走ってくる人影を見つけた。
見覚えのある恰好をしている連中が、3人。
先頭を走る、あの赤い髪の持ち主は誰だったか。

そんなの、考えるまでもなく、解るはずなのに。

「お嬢様ぁぁぁぁぁぁッ!!」

もう一度、彼女は叫んだ。滝のように涙を流しながら駆け寄ってきて、その勢いのまま抱きつく。
豊かな乳房に顔を挟まれ、レミリアは小さくうめいた。

「ああ! お嬢様、どこに行ってたんですか! もう、心配しちゃいましたよぉ〜」
「……意味が解らないわ。何で、ここにいて、いきなり抱きついてくるのよ」

湧き上がる喜びを抑え込みながら、レミリアは彼女を突き放し、
間違いなく彼女であると確信するために顔を見上げた。

「――美鈴ッ。出て行ったんじゃ、ないの?」
「出て行こうとしてたんですよ!」

袖でごしごしと涙を拭いながら、美鈴はレミリアの肩をきつく握った。
痛みはこれが夢でない証のように感じられて、レミリアはその手を払いのけようとはしなかった。

「でも、どうして……美鈴? それに、フラン……パチェも……」

美鈴の後ろから恐る恐るこちらを覗いている二人にも目線をやってから、
不審そうに美鈴を見上げる。

「だって、誤解されたままお別れなんて絶対に嫌ですもの。
 それに、誤解して、お嬢様まで紅魔館を出て行ってしまわれたのかと、心配して……」
「……どういう、事? 誤解って何よ」

霊夢の言葉を思い出しながら、レミリアは、胸を絞める不安の中に期待が生まれた事に気づいた。
今さら何を期待しろと言うのか。
今さら、何を。

「いいですか、聞いてください。私確かに紅魔館を出て行くつもりです。
 まさかそれが私だけじゃなかったなんて驚きましたし、それは他の皆さんも同じです。
 私はパチュリー様と鉢合わせして、それからお互いの荷物に気づき、互いの事情を知りました。
 それから忘れ物を迎えに来たという鈴仙から妹様の件を聞き、
 あまりのシンクロシニティっぷりに驚嘆としつつ、これはさすがに大事なのではと思い至り、
 とりあえず咲夜さんに相談しようと思ったら、妖精メイドが咲夜さんはいなくなったとか言うし、
 館の中をいくらお探ししてもお嬢様が見つからなくて!
 永遠亭にまで足を伸ばして妹様にも事情を説明し、みんなで幻想郷を探し回ってたんですよ!
 博麗神社にも行ったし、魔法の森にも行ったし、人里にも行ったし。
 知人にも、もしお嬢様が訪ねてこられたら、紅魔館に戻って来てもらうよう言伝を頼んで……。
 私達は丁度、お嬢様が見つかったかどうか確認のため集まったところでして。
 帰ってきてくださって、本当によかった。本当にあちこち回って、探して、心配して。
 それもこれも、お嬢様がとんでもない誤解をしていらっしゃるのではと思ったからです。
 もしかしてお嬢様は、私達がお嬢様の事を嫌いになったとか必要ないとかどうでもよくなったとか、
 そうお考えなんじゃないですか? って、その反応を見るにそうなんですね? そうなんですね!」

怒涛の勢いで喋り立てる美鈴。
完全にペースを奪われ気圧されていたレミリアだが、美鈴の詰問が返事待ちの中断を迎えたため、
自分の思いのたけを全力でぶつけてやろうと決めて、大声で言い返そうとした。

コクン。

目を丸くしたまま人形のようにうなずいたレミリアを見て、美鈴は頭を抱えてのけぞった。
その後ろでフランドールは涙目になり、結ったマゲを隠そうとしないパチュリーはため息をついた。

みんなを代表して、美鈴は改めてレミリアの両肩に手を置く。
ぎゅーっと握りしめられた肩から、美鈴の鮮烈な思惟が流れ込んでくるかのような錯覚さえあった。

「いいですか、お嬢様。単刀直入に申し上げます。
 私、紅美鈴は……妹様も、パチュリー様も、ここにはいない咲夜さんも!」

美鈴の声が、月まで届きそうなほど高々と。

「みんなみんな、お嬢様の事が一番大好きなんですよ!!」



嘘だ――なんて、一瞬たりとも思えないくらい強烈で、胸に突き刺さり、血液を沸騰させるほどの。



だからレミリアは、全身を駆け巡る熱を、両の目からポロポロとこぼした。
言葉は出なかった。
言葉は要らなかった。
それだけですべてが通じる気がした。

「あーん、お姉様ー!」
左側から、愛しい妹が抱きついてくる。

「もう……バカね、レミィ」
右側から、愛しい親友が手を握りしめる。

「本当に……酷い誤解です」
後ろから、愛しい従者が、頬を撫でた。

最後の声、最後の手に、レミリアは全身に電流が走ったかのような衝撃を受け、振り返る。

「よく考えたら、今日のご飯を作るの忘れてましたから、最後にそれだけでもと……。
 帰ってきて、本当によかった。
 お嬢様を悲しい気持ちにさせたままのお別れなんて、絶対にイヤですから」

そこには、いつも通りの瀟洒な笑顔に一対のしずくを伝わせる、彼女の姿があった。

「さ……」

先に動いたのはどちらだったのか解らない。
同時だったかもしれない。
でも、弾けるように二人は抱きしめ合った。

「咲夜ぁ……」
「お嬢様……」


     ◆◇◆


「――と、言う訳で。紅魔館、大送別会やり直しターイム!」

やけにテンションの高い美鈴が、門の前で拳を高く掲げていた。
その周囲には、愛しい紅魔館の住人達。

「ではまず最初に、妹様からどうぞ!」
「おー!」

元気いっぱいに返事をしたフランドールは、ぎゅっとレミリアの両手を握ると、
しっかりと姉の目を見つめて言った。

「私、フランドールは……お姉様の事が大好きです!
 でも、いつまでもお姉様に甘えて、迷惑をかけ続けるだけじゃ、ダメだと思うの。
 私は誇り高きレミリア・スカーレットの妹! それに相応しい吸血鬼になりたい!
 お姉様に守られてばかりじゃ嫌。お姉様と助け合えるだけの力が欲しい。
 一番大好きなお姉様と、手を繋いで歩いていけるようになりたい。
 だから、お姉様に向かって胸を張れるよう、永遠亭へ修行に行きます!
 こうして、他のみんなも門の外でお別れをしなきゃいけないのは、
 私が門を潜らないという約束のためで申し訳なく思います。
 でも! いつの日か全世界リザレクションを達成してみせます!
 その時は……お姉様、もう一度私に、逢ってくれますか?」

ぎゅっと握られた手を解いて、今度はレミリアがフランの両手を優しく包む。

「ええ、納得できるまでやってきなさい。
 その時は特別に、再び紅魔館の門を潜る事を……許可するわ」

微笑み合う姉妹。そっくりな笑顔。
ああ、これが本当に、正気に戻ったフランドールなのか。私の妹なのか。
こんなにも愛しいものなのか。
強く強く、妹を手放したくないと思うと同時に、その背中を後押ししてやれねばと思う。

「だから、がんばってね」
「はい!」

姉妹は、手を離す。
次に顔を合わすのはいつになるだろう?
それを思うとさみしいけれど、でも、これでいいと思う。

「お次は誰が行きます?」
「じゃあ、私が」
一段落ついたと見て美鈴が問うと、パチュリーが申し出た。
レミリアは親友の方へと向き直り、嬉しそうな苦笑を浮かべる。

「パチェ……本気なのね」
「まあ、私も似たような理由よ。私達は対等な親友であるはずなのに、迷惑ばかりかけて」
「何言ってるのよ。パチェのおかげで図書館は整理されたし、色んな事を教えてもらった」
「でもたったそれだけのために、紅魔館で衣食住の面倒だけじゃなく、
 病気の時の薬を手配してくれたり、自ら看病もしてくれたわ。
 喘息が悪くならないようにって、今まで以上に館を綺麗に掃除させたりもした。
 だから、私は健康的に強くなりたいって思っていて、その気持ちが爆発したの。
 レミィに迷惑をかけたくない。それでも構わないって言ってくれても、私は我慢できない。
 もっと強くなって、レミィの力になりたいと思ったの。だから……」
「だから、相撲?」
「ええ、相撲」

二人して吹き出して、大きな声で笑った。
何で相撲なのよ。相撲って楽しそうじゃない。身体を鍛えるなら他にも色々あるでしょう。
直感よ、これこそ私の第二の人生だと感じたの。直感で行動するのは霊夢だけで十分よ。

そんな風にひとしきり言葉を交わすと、レミリアは真剣な面持ちを作った。

「疲れたり、具合が悪くなったりしたら……ううん、私の顔を見たくなったら、
 いつでも帰ってきていいからね」
「もちろんよ。どれくらいパワーアップしたか、たまに見せにくるから」

最後に、二人は握手をして離れた。

「さて、残るのは私と咲夜さんですけど……」
「私は、どちらでも構わないわ」
「そうですか。じゃ、お先に」

最後は自分より咲夜が相応しいと考え、美鈴はレミリアの前に立った。

「あ〜、その、何と言いますか……私は今も変わらずお嬢様が大好きです。
 でも私が強くなりすぎて、吸血鬼に畏怖を抱けないくらいになって、欲が出てきました。
 主従じゃなく、友達になれたら……って」
「友達?」
「主従関係が嫌だった訳じゃありません。弱いフリをして続けようかな、とも思いました。
 でもそんな気持ちでお仕えするのは逆に失礼だろうと思って……。
 ごめんなさい。もっとちゃんと、上手に説明できていたらよかったですね。
 お嬢様を最初に誤解させてしまったのは、私ですから」
「美鈴……」
「友達になりたい、だなんて、気恥ずかしくて、変な風になっちゃいました。
 さすがに思い上がりかなぁとか、強さはともかく妖怪としての格が釣り合わないんじゃとか。
 でも、もう誤解されるのが嫌だから、言います。
 お嬢様、私と、主従ではなく、友達として……やり直してくれますか?」

頬を朱に染めて言う美鈴に、レミリアは静かに首を振った。横に。
すると、途端に美鈴は全力でうろたえ出す。

「え!? あれぇ!? な、何を間違えました? え、そういう流れじゃ? あれぇ〜!?」
「クスクス」

悪戯っぽくレミリアは笑い、美鈴の額を小突いた。

「私を『お嬢様』なんて他人行儀な呼び方をする奴は、友達じゃないわ」
「へ……? な、名前で……呼べ、と?」

再びレミリアは首を振った。縦に。
すると、途端に美鈴の頬に大瀑布。

「うおお〜ん! お嬢……レミリア様〜!!」
「呼び捨てでいいわよ」
「レミィ〜!」
「それはちょっと馴れ馴れしすぎないかしら」
「レミリアさ〜ん!!」
「だから呼び捨てで……はぁっ。もういいわよ、それで」

両目を腕で隠して、袖をいっぱい濡らして、感激に打ち震える新しい友達。
こういう関係も悪くないかと思う自分がいる。
ああそうか、彼女に友情を抱き始めているせいだ。

「腕試しの旅もいいけど、たまには紅魔館に立ち寄りなさいよ。友達なのだから」
「はい! お邪魔させていただきますぅ〜」
「名前で呼ぶようになっても、口調は敬語のままなのね」

それもまた美鈴らしいと、レミリアだけでなく他のみんなも笑った。
そして、最後の一人との、お別れ。

「……お嬢様……」
「……咲夜……」

この中で唯一、自発的に出て行こうとしなかった彼女。
けれど、彼女もやはり、去っていく。

「お嬢様。実は、私が戻ってきた本当の理由は、霊夢の言葉が気になったからです」
「……霊夢の?」
「私が外の世界に出ようとしたその時、霊夢が言ったんです。
 お嬢様と納得のいく別れ方をしてきたのか……と。
 していませんでした。
 お嬢様の様子がおかしかった事に気づいたのは、外の世界に出てしまってから。
 家族の事を思い出して、家族の所へ帰るよう言われて、私も混乱していて、
 気づくのがちょっと遅くなってしまいました……」
「……そう」
「家族の所へ行って、もう一度、やり直してみようという気持ちもあった。
 でも、お嬢様とのお別れがあんな形では、きっとがんばれない。
 すぐにお嬢様の元へ逃げ帰ってしまいそうな気がして……。
 だからせめて、満足のいくお別れをしてから、家族の元へ行こうと」
「……やっぱり、家族が懐かしい?」
「ええ。一番大好きなお嬢様との結びつきを確認できた今、私は行こうと思います。
 私とお嬢様は大丈夫だから……今度は家族との絆を取り戻してみたい。
 時間がかかるかもしれない。それでも、試してみたい。
 そして、どんな形にせよ、何らかの結果を得たら……また、雇っていただけますか?」
「答えの解っている質問に、答える必要があるかしら」
「あります。お嬢様のお言葉を、この耳と心で聞きたいですから」
「なら、答えて上げる」

歌のように美しい響きとやすらぎを持った声が、答える。

「いつでも大歓迎よ」

これが、愛しきレミリアとの別れ。
そして再会の約束。

妹を、親友を、新しい友達を、永遠の従者を、レミリアは見送った。
これで紅魔館はさみしくなる。それでもいい。なぜなら。

「私達の絆は、常に繋がっているから」


     ◆◇◆


紅魔館の中に戻って一息つき、さてこれからどうしようとレミリアは狭い廊下を歩いた。
狭いといっても、追いかけっこをするのに不自由しない広さはある。
館の内部の空間を操って広げていた咲夜がいなくなったせいだ。
レミリアが神社に向かう前から元の広さに戻っていたが、今は、
狭いと思うと同時に広いとも思えて奇妙だった。
物理的には狭くなった。でも、去っていった皆を思うと狭く感じる。

これからは妖精メイドにも気をかけてやろうかなんて考えていると、
廊下の角から見覚えのある人物が姿を現した。
「あれはー誰だ、誰だ、誰だ。あれはーデビル、リトルデビ〜ル、リトールデビ〜ル。
 種族のままのー名をー受ーけてー、星義のために〜戦う女〜……あ、お嬢様」
「あなた誰」
「誰とは酷い。小悪魔ですよ」
「私の知ってる小悪魔は、赤いナイフなんて持ち歩いてないわ。咲夜じゃないんだから」
「これはもこたんからもらった、炎のナイフです」
「私の知ってる小悪魔は、十字のついたトレイなんか持ち歩いてないわ。咲夜じゃないんだから」
「これはみすちーからもらった、力のトレイです」
「私の知ってる小悪魔は、青色のメイド服なんか着ていないわ。咲夜じゃないんだから」
「これはゆゆちゃんからもらった、霞のメイド服です」
「私の知ってる小悪魔は、弓矢なんか背負っていないわ。どこぞの薬屋じゃないんだから」
「これはてるよからもらった、光の弓と矢です」
レミリアは咲夜が持っていた『文々。新聞』の記事を思い出した。
確か記事では『霞のブラジャー』だったはずだが、所詮は『文々。新聞』だったという事か。
「そう、プレゼントがいっぱいで羨ましいわね」
「えへへ、照れちゃいます。それと、あのー、申し上げにくいのですが、お話が」
「話……?」

この瞬間、レミリアは悟った。未来を確信したのである。
運命を操る程度の能力など関係ない。ここまできたらお約束だ。
万有引力に従いリンゴが上から下へ落ちるように、投げたボールは上から下へ落ちるように、
滝の水が上から下へ流れるように、廬山の大瀑布は昇龍覇で逆流できるように。
「小悪魔、あなたの願いは解っているわ」
「え、そうなんですか?」
「もちろんよ。あなたにもあなたの事情があるのでしょう?
 それがあなたの心からの願いなら、私に気兼ねする事なんてないわ」

翻訳すると「しめしめ、これであのルナティックフレンドリーを追い出せるわ」である。
今までの流れから小悪魔も紅魔館を出て行くに決まっている。
本来なら名残惜しい。しかし、あのルナティックフレンドリーを見てしまった後では喜ばしいだけだ。
そんなレミリアの思いを読んだかのような返答をする小悪魔。

「実は紅魔館の空き部屋に私の友達を住ませたいんですけど」
ニッコリと笑って、レミリア。
「出てけ」


     ◆◇◆


「台無しね」
「話のオチが?」
「バケツプリンが」

ボロボロの神社に、八雲紫の姿があった。
どうやら二度目の咲夜外出による結界の波に気づいて戻ってきたようだが、
特にその事に触れようとはしなかった。

「そうね、せっかく私が真心を込めて作らせたのに」
「あんたの式が不憫だわ」
「まあ、いいじゃない。事故とはいえ賞味期限の脅威は去ったのだから」
「よくないわよ、もったいないお化けが出るじゃない」
「あら、妖怪やお化けには好かれやすいタチでしょう? 別に構わないじゃない」
「うん、別にどうでもよくなったわ。矛先はあんたみたいだし」
「え」
「意外と強いから気をつけなさいよ」

と、霊夢は紫の背後を指差す。
そして紫も振り向き、顔を青ざめさせた。
しばらくして博麗神社の上空を凄まじい弾幕が埋め尽くし、
妖怪の賢者がコテンパンにのされたり、結界に亀裂が走ったりと大惨事だったそうな。
その後、紫がご飯を残さなくなったとか。



「久々に出てきたのに、誰がもったいないお化けよ」
「あれ? ご飯を粗末にする全人類に復讐しようとして化けて出た悪霊って設定じゃなかったっけ」
「そんな設定になった覚えはないわ」
「幽香がそう言ってた」
「ちょっと出かけてくる」
「いってらっしゃい」


     ◆◇◆


数ヶ月が経って、一人きりの紅魔館にすっかり慣れたレミリア。
紅魔館の隣で建設されていた小悪魔館もすっかり完成し、毎日騒がしいが、もう慣れた。

そんなある日、何者かに門を破られたのか、妖精メイド達が大慌て。
また魔理沙だろうか。それにしては妖精メイドが慌てすぎだ。違う誰かに違いない。
玄関に近づけば、妖精メイド達の気配が喜びに満ちていると気づく。
という事は、たまに遊びに来る霊夢や魔理沙ではあるまい。
だとしたら考えられるのは……。

玄関まで出向いたレミリアは妖精メイドに道を開けさせ、紅魔館への来訪者と対面する。
それが誰なのかを理解したレミリアは、嬉しそうに笑うのだった。


   FIN
神綺から次期魔界神候補に選ばれ魔界に帰る事になった小悪魔。
魔理沙とアリスの三人で新・霧雨魔法店を経営する事にしたパチュリー。
鈴仙の瞳で逆に正気に戻れたので恩返しのため永遠亭で働く事にしたフランドール。
三種の神器『炎のナイフ、力のトレイ、霞のブラジャー』を探すため旅に出る咲夜。

最後に某米国軍人にストリートファイトで敗れ国の家族の元に帰る事にした美鈴は、
龍の正体を現してレミリアのために最後の力を使う。

めーりん「さあ願いを言え、どんな願いでもひとつだけかなえてやろう」
れみりあ「こ、紅魔館から去っていったみんなを……」
さくや 「霊夢のパンティおくれー!」
めーりん「霊夢はノーパン主義だ。願いはかなえられなかった、さらばだ」


……みたいなギャグを書こうとした。どこで何を間違えたのか自分でも解らない。
まあいいや。
気づいた人は気づいてるだろうけど今回タイトルが……うん、ネタ切れ。



>27さん
美鈴は自分が強くなったせいでレミリアを『上』として見れなくなりましたが、単に目の高さが変わっただけです。
言い方が悪かったのは本人も認めてますね。誤解させなきゃ誤解連鎖で疑心暗鬼になれないのもあります。
フランはやりたい事をやるためにやれる場所へ行っただけかな。
霊夢はただ事実を伝えただけですし、咲夜も混乱した上に思い詰めてましたし、
ちゃんと美鈴達が紅魔館に戻った頃合を見計らって帰るよう言ってやったりと気遣ってます。
そう見えなかったのなら、こちらの力量不足でしょうな。
元々は最初から最後までキャラ崩壊系ギャグを書こうとしていたせいで弊害もあるようです。申し訳ない。

パチュリーは……何だろう。自分でも何でああなったのか解んないや。
「魔理沙、アリスと同居させる」ってネタを「レミリアが一番好き」という設定のためボツにしたって程度で。

>謳魚さん
ありがとうございます。誤字修正しました。
イムス
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コメント



0.3630簡易評価
9.無評価名前が無い程度の能力削除
無理な願いだった場合、カウントされなかったような・・・
10.80名前が無い程度の能力削除
普通にいい話で泣いた
16.100名前が無い程度の能力削除
相撲は無理があるだろw
19.100紅雨霽月削除
最初はぶっ飛んだはなしだなぁ、なんて思ってましたが、
後半になるにつれてこっちまで泣かされそうに・・・。
本当に絆の強そうな紅魔館組が表現されてて良かったですよー
22.100名前が無い程度の能力削除
ナイトG氏ってラクロアの勇者みたいだねw

ギャグかと思ってみてたらいい話じゃねーか
おもしろかったよ
23.100名前が無い程度の能力削除
なんという魅魔さまww

あと小悪魔系小悪魔ウけたww
25.100名前が無い程度の能力削除
普通に泣いた
26.70名前が無い程度の能力削除
ちょっと無理がある気がするけど、まぁ良い話、なのか?
27.無評価名前が無い程度の能力削除
結果としてレミリアの心が落ち着いたとしても、かなりレミリアが可哀相な話でした。
美鈴は「カリスマを感じなくなった」「今まで恐怖で押さえつけられてた」という理由が読み取れる話を振り、妹様は変な宗教にはまった感じに正気ではない話をする。いきなり初対面の人?の弟子になろうとするあたり正気ではない。咲夜は「幻想郷に戻っても紅魔館に戻るとは限らない」と霊夢に話す。勘違いしてることを知って追い打ちをかける霊夢もどうかと思いますね。他人事だとしても薄情です。パチュリーにいたっては・・・
キャラ崩壊も行き過ぎな感じがします。
29.100謳魚削除
勢いが良過ぎるの、好きです。
その上泣かしに来やがってちっきしょお。
「こいつはお釣だ取っときな!(おいら達はお釣にゃんかぁ〜!?)」つ満点
誤字らしきもの
>>「妖怪の賢者がコテンパンにのされるたり」→「のされたり」
ではないかと。
30.90名前が無い程度の能力削除
Nガンダムとか超懐かしいなw
めーりんにボコされるお嬢様が可愛かったです
32.90名前が無い程度の能力削除
結局,レミリアは一人になってしまったようで,寂しさが残りました。
絆を確かめたとはいえ,お嬢様には,ちょっと過酷な結末だと思います。
いっそのこと,いい人と巡り合って却って幸せになって欲しかったりしてw

お話は,いい感じのテンションでした。
レミリアの心境的に,どん底からアップになった箇所は,非常によかったです。

最後にむきゅー山(幻想郷出身)前頭三枚目の活躍に期待!!
39.50名前が無い程度の能力削除
う〜ん
私には合わないようですね
42.100名前が無い程度の能力削除
相撲はいいねwwwその発想はなかったよw
48.100名前が無い程度の能力削除
東方という作品と出会ってから何年経ったんでしょうか。
ほんとはみんな成長してるはずだよなとしみじみ思いました。
レミリア嬢の成長が寂しい半面温かい気持ちになれました。出会いや別れが人を強くするのなら、この作品と出会った私もまたお嬢様のように成長できたのかもしれません。
優秀な作品をありがとうございました。

レミリア萌え。
51.100名前が無い程度の能力削除
カリスマたっぷりなのもいいけど愛情たっぷりなおぜうさまが一番かわいいですね。
67.100削除
ん?これ普通に泣いていいよね?
79.100名前が無い程度の能力削除
そんな紅魔館のみんながいとおしい
80.100名前が無い程度の能力削除
そういえば妖怪の山には河童以外にも相撲神が二人もいるな…
土俵背負う神と鳥獣戯画で相撲してるカエルの神が…
82.無評価名前が無い程度の能力削除
読み返してみましたが、他の紅魔館キャラクターは不条理なギャグ、あるいは誤解の余地が感じられます。
ただ、美鈴だけは本当にレミリアが自分より弱くなったから興味を失った、力が強い相手だから従っていたというようにしか感じられません。
前半のレミリアに対する思い入れの無さそうな態度から、後半の実は友人になりたかったという告白も、レミリアが自棄になってトラブルを起こさないように紫が吹き込んだ表面上のフォローというオチがあるんじゃないかとすら思いました。
93.80名前が無い程度の能力削除
結束の強い紅魔館連中(妹様含む)だけに、おぜう1人だと辛いだろうな
98.10名前が無い程度の能力削除
他の作品は面白かっただけに期待し過ぎたかな…