このSSは、作品集71『八雲の式の式の式』の、舞台裏の話となっております。
残念ながら、そちらをお読みになっていないと、まるで状況が理解できないかと思われます。
申し訳ありません。
如月×日
特派員である私、射命丸文と、その助手である犬走椛は、この冬に
山に現れた謎の妖怪についての調査を行った。山で遊んでいた氷
精の情報によれば、霧の湖の近くにある一軒家に、その妖怪が隠
れているということであった。
早速、特派員と助手がその家に向かったところ、家主は以前に取材
したことのある、冬の妖怪レティ・ホワイトロックであることがわかった。
当初、穏和な性格である彼女は、こちらの取材に対し、協力的なよう
に思えた。だが、何ということだろうか。すでに狂気に取り付かれてい
たレティ・ホワイトロックは、一瞬の隙をついて、私と助手を地下室へ
と閉じ込めてしまったのであった。
この薄暗い小部屋は、山の高所をも凌ぐ寒気を満ちている。はたして、
ここから生きて脱出することは可能なのだろうか。こうして書いている
間もペンが震えて……
「文さん、メモしてないで、手伝ってくださいよ!」
その声に、鴉天狗の射命丸文は、メモから顔を上げる。
視線の先では、白狼天狗の犬走椛が、天井近くに備え付けられていた扉を、必死の形相で押し上げようとしているところであった。
●●●
ここはレティの家の地下室。椛と文は、不意をつかれて、この一室に閉じ込められてしまった。
とはいえ、明かりが無いためによくわからないが、地下とはいっても、薄汚い感じはなかった。
床も壁も丁寧に磨きあげられた大理石でできており、触ってみても埃はつかない。
かび臭さもなく、虫もいないため、空気がきわめて冷たいことを除けば、悪くない部屋に思える。
だが、状況的に、のんびりとくつろいではいられなかった。何せ、レティに監禁されているということなのだから。
椛は文にむかって大声で、
「文さん! 私達は、今閉じ込められているんです!」
「見ればわかるわよ椛」
「じゃあなんで脱出を手伝おうともせず、そんなメモなんてしているんですか!」
「ちゃんと記録したものを新聞にしなければ、読者に伝わらないでしょ」
その言葉に、椛は虚をつかれた。
文は今、新聞にしなければ、と言ったのだ。落ち着き払った態度で。
「つまり文さんは、やけになっておかしくなったり、絶望してしまったりしたわけじゃないんですね?」
「当たり前でしょう。すぐにでもここを脱け出して、このことを記事にするつもりよ」
「ぜひそうしてください」
椛はうなずいてから、また上への通り口を見上げた。
二人を閉じ込めているのは、頑丈な鉄扉である。ためしに今、椛が全力で押したり蹴ったりしてみても、びくともしなかった。
閂をかけられているのか、重しが乗せられているのか、あるいは両方か。
いずれにせよ、生半可なやり方で、脱出はできないということだ。
「何とか破れませんかね、文さんの風の力で」
「ふむ。外じゃないから力は落ちるけど、やってみる価値はありそうね」
椛の提案に、文は手帖をしまった。自由になった右手を開いて、上にかざす。
その手を中心にして、風が唸り声を上げ始めて……
ヒュオォォ……
「さ、寒いいいい!!」
風を止めた文は、いきなり椛に飛びついてきた。
「ちょちょちょっと、文さん!?」
「ムリです、これはムリ。こんな所で風を起こしたら凍死してしまうわがたがた」
「は、離れてください!」
「だめ。離さない。今から椛は、私専用のかいろになりましたぶるぶる」
「ええ!?」
「ひー、さむさむさむ!」
「あ、文さん近いです! 耳からもうちょっと離れて!」
「何を言うの、椛は私に凍えろというの、こおりづけになれというの、おねがいこれかして」
「きゃ、きゃー! わかりましたから、尻尾をそんなに握らないで! あっ!」
文が椛にしがみついてまさぐり、椛が暴れながら時折喘ぐ。
普段の二人の間では滅多に見ることの出来ない、いささか倒錯的な光景が繰り広げられることとなった。
しばらくして、部屋が静寂に変わった。
「『事態は深刻であった。寒気は特派員の能力を封じ込めるばかりか、正常な判断力を奪っていく。はたして、いつまで正気を保っていられることだろう。閉じ込められた我々に希望は』……」
たたんだ黒い翼で体を包みつつ、文は状況をメモしている。
「………………」
そこから離れた位置で、椛は白いふかふかの尻尾を抱いて、じっと黙っていた。
「おや、椛。怒ったの?」
「いえ……」
椛は頬をふくらませつつ、小さく返事した。
部屋が暗いので、文には気づかれていないだろうが、まだ顔が赤い。
「文さん、もういきなり飛びつくのはやめてくださいね」
「はいはい、わかったわ」
『元気かしら~、二人とも?』
突然部屋に、姿の無い第三の声が響いた。
驚いて見回す椛に対し、文は冷静に返答する。
「その声はレティさんですね」
『そうよ~』
「どこからしゃべっているんだ」
『部屋をよく観察してみることね~』
言われて椛は、声のした方を目をこらして見つめた。
闇がかった壁の低い位置に、金色のラッパの先のようなものが備え付けられている。その管は上へと続いていた。
どうやら、伝声管のようだ。レティはこれを通して、上の階から声を届けているらしい。
『寒くないかしら~?』
「正直、かなりのものです。早く扉を開けてくれませんかね、レティさん?」
『う~ん、どうしようかしら』
「ただの冬妖怪が、天狗に対してこれほどの狼藉を働いているのだ。相応の覚悟ができているんだろうな」
『そっちの天狗さんは怖いわね~』
椛の脅し声に「怖いわね」と言いつつも、レティの口調は余裕であった。
状況的に、閉じ込められているこちらが不利なので、当然といえば当然だ。
これが外なら、刀を突きつけて、あの呑気な声を喉の奥に突っ返すことができるのに。
みすみす罠にはまってしまった自らの迂闊さに、椛はあらためて歯噛みした。
文は交渉を続ける。
「レティさん、貴方の目的は何ですか」
『ふふふ、何でしょう』
「正気を取り戻してください。このような扱いは非道です」
『…………非道?』
「そうです。スペルカードルールで決着をつけようともせず、一方的に監禁する。これを非道といわずして、なんといいましょう」
『………………』
「前に取材をさせてもらった仲じゃないですか、どうか思い直してください」
『………………』
「レティさん?」
『………………』
文の説得に、金属管はしばし黙っていた。
不気味な沈黙だが、地下の二人は大人しく、レティの判決を待つしかない。
彼女の答えは半分『吉』であり、半分『凶』だった。
『……そうね~、それじゃあ上がってきても構わないわ』
「ありがとうございます」
『ただし、この扉は開けないわ』
「なんだと!? ふざけるのもいい加減にしろ!」
椛は怒鳴るのを、文が手をこちらに向けて制してくる。
だが、このような一方的な駆け引きを素面で切り抜けられるほど、若年の白狼天狗は経験を積んでいなかった。
伝声管の向こうでレティが笑う気配が伝わってくる。
「落ち着いてよく見渡してみなさい。その氷室から地上へ上がる道は一つじゃないわ。奥にもう一つあるのよ~」
出し抜けに、部屋が明るくなった。
壁に備え付けられていたランプに、ひとりでに明かりが灯ったのだ。
白い壁に囲まれた室内が、はっきりと見えるようになる。
そこで椛はもう一度部屋を観察してみると、
「……なんだあれは?」
部屋の奥に奇妙な光景が広がっている
そこに、大きな扉が二つ存在したのだ。
右の扉には『レティのおへや』と書かれていた。ピンク色の可愛い字体であり、まあ特に問題は無い。
左の扉には、『ホワイトロックの迷宮』と書かれていた。ただし、こちらは、血色のおどろおどろしい字体だった。
そんな正反対の雰囲気をもつ二つの扉が、左右に並んでいるため、全体的にかなり不気味な印象をかもし出していた。
というか、今までこんな奇怪な扉の側で会話していたのかと思うと、愉快ではない。
『どうぞ左の扉へ。その先には上へと通じる道があるわ。そこを通って、上がってらっしゃい』
「参考までに聞いておきましょう。右に入るとどうなるんですか?」
『右は私の寝室。鍵がかかっているし、室温がとっても低いから、入らないほうが身のためだと思うわ~』
文と椛は、思わず互いの目を合わせた。
「どう考えても」
「怪しいですね」
二人の足は、右の扉へと向かった。
ご丁寧に『レティのおへや』と書かれているのだから、そちらを選ばない手はない。
うまくすれば、レティの私物を取引材料にして、不利な状況を逆転できるかもしれないのだから。
「レティさん。せっかくですので、私達は、右の扉を選ばせていただきます」
文はそう言って、扉の取っ手に手をかけて、
「ひっ! 冷た!」
「なっ! だ、大丈夫ですか文さん!?」
「ええ。でもこの扉……」
扉を触った手を懐に抱えて、文は顔を青くしている。
「凍傷になるかと思ったわ」
『ふふふ、その扉の向こうは極寒の世界よ。私にはちょうどいいんだけど』
先ほど案内された客間が暖かかったので、椛達は失念していた。
レティは寒気を操る冬の妖怪である。当然、その寝所も、ありえないくらい気温が低いのであった。
『生きて帰りたければ、左の扉にすることをおすすめするわ~』
「本当に生きて帰すつもりがあるんですか?」
『さてどうかしら~』
「もう一度聞きますレティさん。貴方の目的は何ですか?」
『ないしょ』
レティはそれだけ言って、会話を打ち切った。
椛達が、二、三度呼びかけてみても、返事はなかった。
「どうします、文さん?」
「癪ではあるけど、ここは彼女の言うとおりにするしかなさそうね」
「ですね。じゃあ行きましょう」
不本意ながら、椛と文は左の扉を選ぶことにした。
『ホワイトロックの迷宮』とは、名前だけで怪しさに満ちている。
だが、椛は臆せず扉に手をかけようとして……止められた。難しい顔をした、文の手によって。
「どうしました?」
「一つ気になることがあって……」
「気になること?」
「椛、私達がここに来た理由を覚えてる?」
「もちろんです。山に現れた危険な侵入者を追い求めてです」
「ええ。そしてレティさんは……この地下にそいつが居座っていると言ってたわね」
「……なっ! まさか!?」
椛は取っ手から手を引っ込めた。
物を言わぬ扉が、急に恐ろしくなる。
「この向こうにそいつが!?」
「それだけじゃないわ。私の推測が正しければ、レティさんはその妖怪を手なずけている。そして、私達をそいつのエサにしようと考えている」
確かに。言われてみれば、扉の向こうから、不穏な空気が漂ってくる気がする。
来訪者を待ち構えて、舌なめずりをするような気配が。
「で、でも文さん。一介の冬妖怪が、何のためにそんなことを」
「私の聞いた噂では、彼女は『黒幕』と呼ばれているらしいわ」
「黒幕ですって!?」
実に不吉な単語であった。
昨日までなら冗談だと受け取っていただろうが、今自分達が置かれている状況を考えると笑えない。
「じゃあ、文さん! まさか彼女の目的は!」
「そう。この冬に、その妖怪を利用して、幻想郷を支配する計画を立てているのかも」
「だとしたら!」
椛はごくりと喉を鳴らす。
それに対し、文は瞳をキラーンと光らせ、
「そう! スクープです!」
「違うでしょ!?」
思わず椛は、派手にコケながら突っ込んだ。
「『その計画を打ち砕くのよ!』、とかでしょう普通は!」
「でも私は新聞記者だから」
「それなら私だって、山のしがない哨戒役です! ですが、幻想郷の妖怪の一員として、この事態は見逃せません! 文さんだってそうですよね!?」
「もちろんです」
文は拳を握り、すっくと背を伸ばして立つ。
「必ずや、その妖怪の正体を突き止め、黒幕レティ・ホワイトロックの野望をくじき、幻想郷に平和を……」
「そうそう」
「……取り戻してくれた英雄天狗、『犬走椛』の名を伝えます。文々。新聞の特集で」
「違う! かなり間違ってる!」
「ふむふむ。『違う! かなり間違ってる!』と、孤高のヒーロー犬走椛は、レティ・ホワイトロックを糾弾し……」
「文さんを糾弾しているんです! 何をメモしているんですか! というか孤高じゃありませんよ! 文さんも戦うんですから!」
「わかってないわね椛。いい? 記者は常に第三者の立場から物事を見る必要が……」
「もろ被害者じゃないですか今ぁー! 立派な『第二者』ですよ!」
曲がりまくった仕事根性を持つ上司に、白狼天狗はガミガミとわめいた。
とそこでまた、のんびりした声がした。
『その部屋で漫才も結構だけど、だんだん部屋は寒くなっていくわよ~』
「なんだと!?」
『今その部屋は零下20度ほど。ただし私が寒気を送り込めば、もっともっと寒くなっていく。氷漬けになりたくなければ、先を進むことね~』
「くっ!」
寒さに強い椛でも、これ以上室温を下げられたら危険である。
そして、彼女の上司はもっと寒さに弱いのだ。ここは、速やかに従う他に、術は無い。
「……首を洗って待っていろ!」
せめてもの反撃にと、伝声管に怒鳴り声を浴びせてから、椛は文の方を振り向いた。
「行きましょう、文さん。いずれにせよ、進まなければ彼女を止めることはできませんし、記事も書けないでしょう」
「そうね。椛は幻想郷の平和のために、私は記事を書くために」
文は手帖をしまいながら、同意した。
「それじゃあ、行きましょう椛」
「………………」
「どうしたの」
「……私の理由は、それだけじゃないですよ」
椛はぼそりと呟く。
「え?」
「いえ、何でもありません」
それ以上言わずに、椛は取っ手を握った。
重い扉、『ホワイトロックの迷宮』の入り口が、きしむ音をたてて開いていった。
●●●
扉を開けた椛が中を覗くと、坂になった長い長い一直線の廊下が続いていた。
左右の壁に明かりが一列に埋めこめられており、はるか向こうに、指の爪ほど小さく扉が見える。
いきなり怪物が襲ってくる、ということも覚悟していたが、生き物の気配はしなかった。
二人は中に入り、扉を閉めた。
「特におかしな様子はありませんね」
「じゃあ行きましょう」
椛を前にして、二人は廊下を歩きはじめた。
……ごとん。
「ん?」
「なんの音?」
『早く逃げないと大変よ~』
また聞こえてきたレティの声に、二人が振り向く。
その顔が引きつった。
「んなっ!?」
「なにこれ!?」
なんと、後ろから、巨大な石の球が転がってくる。
質量はざっと椛達の十倍。轢かれたら間違いなくぺしゃんこであった。
二人は泡を食って走り出した。大玉はだんだん加速しながら追ってくる。
こうなると、遠くに見える扉への距離が、恨めしいことこのうえない。
「くっ! こんなところで潰されてたまるか! 文さん、頑張って!」
「いい表情よ椛! もっと左に寄って! 写りがいいから!」
「って何してるんですか貴方は!」
なんと文は、カメラを構えて、必死に走る椛の表情を激写していた。
後ろ向きで悠々と羽ばたきながら……
「……ってそうか! 飛べばいいんだった!」
椛も地を蹴って飛び始めた。
宙を翔ける天狗のスピードは、幻想郷でもトップクラスである。
二人はあっという間に、巨大岩を引き離し、廊下の最奥にある扉へとたどりついた。
そしてすぐに扉を開け、中に飛び込む。
閉めると同時に、すかさず離れる。
ずしーん、と大玉が扉の向うにぶつかる音がする。振動が床まで伝わり、椛はよろめいて尻餅をついた。
だが、扉が破壊されることはなかった。
「はぁ、はぁ、驚いた」
椛は肩で息をする。
彼女の上司は、そんな様子を見下ろし、ふむふむと手帖に、何事か書いていた。
「『突如現れた大岩は二人を押しつぶそうとする。しかし、特派員のとっさの機転により、犬走椛は、無事に危機を回避することができたのであった』」
「…………律儀にメモしないでください」
「メモを取るのに遠慮する記者なんていないでしょ」
顔を上げずに言う文に、椛はげんなりした。
根は真面目でいい天狗。だが、記事のことになると目の色が変わるという困った性格を持ち合わせているのだ、この上司は。
たった今も、大玉から必死で逃げる自分の姿を撮影していたりと、椛としては先が思いやられる。
「まったく……」
切らした息を、ふう、と大きな呼吸で整えて、椛は部屋を見渡した。
そこは最初の地下室と似たような小部屋だった。
部屋の隅には、やはり伝声管が備え付けられている。
そして、それは案の定、腹の立つ声を流しはじめた。
『第一の試練は突破したようね~』
「試練?」
文は書く手を止めて、伝声管に向かって聞き返した。
「それも『第一の』、と今言いましたねレティさん」
『そうよ~。この後も続くわ~』
「ま、まだあるのか!? あんな危険な罠が!」
『危険といっても、妖怪にとってはお遊びみたいなものよ。それとも、そんなに怖かったかしら~?』
「…………!」
椛が激昂して怒鳴る寸前に、文が先に質問をした。
「なかなか面白いカラクリでした。レティさんにこんな趣味があるとは知りませんでしたよ」
『あいにく、設計したのは私じゃないわ。この家はね。私が昔、ある妖怪にゆずってもらったものなの。地下室の罠もその妖怪の趣味。しばらく使う機会が無かったから、とっても楽しませてもらっているわ』
なんて悪趣味なんだ。作った妖怪も、それを楽しんでいるレティも。
椛はその二人を呪いたくなった。
「ここから出たら、改めて取材したいところですね」
『その時はどうぞ。それじゃ、次の試練も頑張ってね~』
レティの声は再び途絶えた。
椛は渋面で、腕を組みながら、
「ふざけた妖怪ですね。ああいうのは、私の一番嫌いなタイプです」
「『第一の試練を見事突破した犬走椛、しかし、その先で待ち受けるのは、より凶悪な第二、第三の試練……』」
「こんな状況でメモしたり写真を撮るのに熱中している人も嫌いなタイプです」
「ごめんなさい。面白いくらい慌てている椛が、おかしくってつい」
「……さっさとここを出ましょう」
椛は次の扉へと向かった。
「椛、怒ったの?」
「怒ってません」
尻尾を触ろうとしてくる文を、椛は振り払った。
●●●
今度は細長い廊下ではなかった。
左右に広い大部屋であり、天井も高い。
部屋の中央には、六尺ほどの高さの、犬の顔をした女神像が乗った台座がある。次へと続く扉は、その奥にあった。
椛はくんくんと、空気の臭いをかいでみる。血や毒の気配はしないが、勘が危険だと告げていた。
「文さん、気をつけてください。絶対に罠があるはずです。私が前を進みますから、ゆっくり後ろをついてきてください」
椛は文の前に立ち、左右に視線を走らせながら、忍び足で進む。
だが……、
「文さん……もう少し離れてついてきてください」
「さっきの部屋よりも寒くない? この部屋」
「…………」
椛はやんわりと、文の手を肩からはがした。
そのまま二人は、何事もないまま、中央の石像の側に来て、
「何か台座に書いてるわね」
「無視です」
椛はそれを通り過ぎて、奥の扉へとたどりついた。
しかし、今度の扉は、いくら引っ張っても開かなかった。
「椛、やっぱりこれに意味があるのよ」
文は部屋の中央で台座を見ている。
椛もそちらへと早足で戻り、そこに書かれている文字を読んだ。
「『犬と猿の心が結ばれし時、先への道は開かれるであろう』……どういう意味でしょうか」
「犬というのは、この台座の上の像ことね。猿というのは……」
文は顔を上げて、犬の像が見つめる先を指差した。
そこに、同じような円形の台座に乗り、こちらに背中を向けてポーズを取っている像があった。
「あの像のこと」
「なるほど、私にもわかりました。あの後ろを向いている猿の像を、この犬の像の方に向けることで、扉が開くと」
椛は得心してうなずいたが、新たな疑問が浮かび、眉をひそめた。
「……ずいぶん簡単な謎々ですね。何だか釈然としません」
「そうね。これこそ罠の臭いがするわね」
「文さん。ここで待っていてください。私が行ってきますから」
「気をつけて」
「まかせてください」
椛は文を残して、より用心深い足取りで、猿の像へと向かった。
周囲に意識を配る。左右の壁に穴が無いか、色の違う床は無いか。
こうした迷宮の罠といえば、仕掛け弓や落とし穴。たとえ罠を作動させてしまっても、いつでも跳んでかわせるように集中する。
だが、特に怪しい罠の痕跡は見つけられなかった。怪しいポーズの像ならあったが。
とにかく椛は、無事にその猿の像へとたどりついた。
「大丈夫なようです」
「像に罠が仕掛けてあるかもしれないわよ」
「あ……失念していました。ありがとうございます」
文の忠告に、椛は像に伸ばしかけた手を止めた。腰に備え付けていた小盾を構えて、コンコンと像を叩く。
反応は無かったが、なおも警戒しながら、椛はそれに手をかけて回しはじめた。
こちらを向きはじめたのは、やはり猿の立像であった。
がに股で立ち、両手で輪を描いて頭に手をやっている。百人がいたら九十九人が猿だと思う、変な姿勢だった。
――なんて醜いポーズだ
見ていると頭痛がしてくるため、下を見ながら回す。
やがて台座が百八十度回ったところで、奥へと続く扉から、鍵が開く音がした。
ガシャン
それと同時に、椛と文の間の広い空間が、突然降りてきた鉄格子によって仕切られた。
「なっ!?」
慌てて椛は台座から離れ、鉄格子へと向かう。
だが、網目状の鉄棒は、二人で揺すってもびくともしなかった。
「くっ、だめだ! 開かない!」
「椛!」
「文さん、離れてください!」
椛は刀を抜き、気合を込めて鉄格子に斬りつけた。
甲高い金属音とともに、刃がはね返される。利き手がじーんと痺れ、椛は舌打ちした。
そこで上から、ゴゴゴゴ、と重たい音が下りてきて、椛の背中が粟立った。
もう一つ、古典的な罠を忘れていたのだ。侵入者を閉じ込めて圧殺する恐怖の罠。
「しまった!」
それは吊り天井であった。
ぶ厚い石の空が震えながら、土ぼこりと共に下がってくる。押しつぶされそうになる圧力が、姿勢が自然と低くさせる。
恐怖に混乱しそうになる頭を、椛は何とか落ち着けようとした。
そこで、文が上を指さした。
「椛! 見てあれ!」
「わかってます! 何とかこの鉄格子を……!」
「違うわ! 窪んでいる部分がある!」
その言葉に、椛はもう一度、吊り天井を見上げた。
確かにそこには、不思議な形に窪んだ部分があった。
よく見ると、それはまさに、さっきの台座が取っている猿のポーズの形であった。
「あのポーズで地面に寝そべれば、潰されずに助かるわ!」
「う、嘘ですよね!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとしなさい!」
「嫌です!」
出た声は悲鳴に近かった。
文の前であんな恥ずかしいポーズをするくらいなら、潰されてお煎餅になった方がマシである。
「椛、死にたいの!?」
「死にたいくらい恥ずかしいんです!」
「我儘いわないで! これは命令よ! 私はこんなところで、椛に死んでもらいたくない!」
「くぅっ!」
切羽詰ったその一言は、椛にとって、吊り天井よりはるかに重かった。
椛は鋼鉄の精神で覚悟を決め、下りてくる窪みの場所に仰向けになり、がに股になって両手を頭に……
「や、やっぱり嫌―!」
なんと、位置的に、文に向けて大股を開くポーズになってしまうことが判明する。
鉄の意志はあっという間に融解した。
「文さん! 後ろ向いてください!」
「で、でも心配で」
「いいから! もしこっち見たら、舌噛んで切腹して煎餅になって死にますからね! 見ないで!」
「は、はい」
文は大人しく、こちらに背を向けてくれた。
椛も寝そべって上を見る。
石の天井はどんどん低くなってくる。それにあわせて、お馬鹿な猿の型がはっきり見える位置に近づいてくる。
椛は胸中で涙を流しながら、仰向けで猿のポーズをして待った。
が、ある位置まで進んで、天井は急に止まった。
「あれ……?」
椛はポーズをとったまま、床の上で呆然とした。
鉄格子がガラガラと上がっていく。
その向こうで、文がこちらへとカメラを構えて、
「ってなに撮ろうとしてるんですかぁああああああ!!」
コンマ一秒で起き上がった椛は、ガルルルル!、と唸り声をあげて、文へと飛びかかる。
「この! それが今の今まで、人の命を心配していた者がとる行動ですか!? どうして文さんはいつもそうなんですか!」
「ご、ごめ、んな、さい。でも、まだ、撮って、ない、から」
「当たり前です! 撮ってたら本気で死にますからね!」
文の服の襟を掴んで、がくがくと揺さぶりながら、椛は涙目で怒鳴った。
『どうやら、楽しんでいただけたようね~』
その声に、椛は文を放り出し、部屋の隅にあった伝声管へと飛んでいく。
「どういうことだあれは貴様ぁ!!」
『その猿の像よりも下には、天井は下がらないようになっているのよ~』
「じゃあなんだ! あれは罠にかかったものに変な格好をさせて辱しめるための装置なのか!? 悪趣味がすぎるぞ!」
『違うわ。えーと、設計者の解説書によると……』
レティは向こうで、しばし何かを読んでいるようであった。
『分かったわ。本来、第二の試練は、二人以上が罠にかかることが理想だそうよ。下りてくる吊り天井。恐怖に駆られた二人は、それまでの友情をかなぐり捨てて、どちらが猿のポーズで助かるかを見苦しく争う。仕掛けが終わった後には、想像を絶するほどの羞恥心と、修復不可能なほどの仲の亀裂が生じているというわけ』
「なるほど。恐ろしい試練です。私が入らなくて正解でした」
「真顔で感心しないでくださいよ!?」
いつの間にか近くに来ていた文に、全力で突っ込んだ。
「まあまあ、落ち着いて椛。助かってよかったじゃない」
「どれだけ覚悟したと思ってるんですか! 屈辱です! 生きてるのが恥ずかしくなるくらい!」
目をこすってうめく椛を、文はなだめながら、
「ところでレティさん、一つ聞いていいですか? 今気がついたんですが」
『なにかしら~?』
「この迷宮は。ずいぶんと凝っていますね」
『それはもう』
「普通、こういう迷宮を抜けると、宝物が待っているものですがね」
『あら、鋭いわね~』
「やっぱりあるんですか!?」
『ええ、もちろんあるわよ~』
文は瞳を輝かせる。それを聞いて椛は、ふん、と鼻で笑った。
「文さん、こんなやつのいうこと信じてはいけません。ありもしないお宝の情報をエサにして、もっと危険な罠に誘い込もうとしているに違いない」
『騙すつもりなんてないわ。でも、貴方達がたどり着けるかどうかもわからないし~』
「何っ!?」
「椛、ただの挑発よ」
「し、失礼しました」
やはり自分は交渉役に向いていないのだ、と椛は口を閉ざすことに決めた。
神経を苛立たせる会話は、上司に任せることにする。
「つまり、この迷宮をクリアすれば、そのお宝を拝めるというわけですね?」
『そうよ~。でもそれは、そこを脱け出したくとも同じ。試練はまだ残っているわよ。せいぜい頑張ることね~』
レティの不気味な笑い声が、部屋の中にこだました。
「のぞむところです! さあ、行くわよ椛! 記事のために、お宝のために!」
気にせずに、文は意気揚揚と進む。その後ろを、なおもぶつぶつ呟きながら、椛はついていった。
●●●
次の部屋は円形になっていた。
部屋の四隅に、白い光を放つ灯篭が立っており、青緑色の壁を明るく染めている。
床はいくつもの正方形のタイルで敷き詰められており、灯篭の他には何もない。
ただし、中心のタイルで、小さな鍵が光っていた。
「これはまた怪しすぎますね……それじゃあ文さん、よろしくお願いします」
「あれ、椛が行くんじゃないの?」
「次は文さんの番です。私はもうあんなのやりたくありません」
前の部屋で起こった出来事を思い出し、仏頂面で椛は固辞した。
「じゃあ、行ってみますか」
と文は特に気にすることも無く、すたすたと歩いていき、その鍵を拾おうとしゃがみこむ。
そこで床が一気に崩れた。
落とし穴か、と一瞬思ったが、下から現れたのは、砂の絨毯だった。
「あやややややー!」
流砂に足を取られた文は、鍵を放りだして、どんどん沈んでいく。
「あ、文さん!」
静観するはずだった椛の体が、勝手に動いた。迷わず流砂へ飛び込む。
冷やりとした砂が足に絡みつき、底へと引きずりこもうとした。
すぐに椛は腰まで埋まってしまい、身動きが取れなくなってしまった。
「くっ、文さん……!」
むなしく手をばたばたとさせつつ、椛はずぶずぶと砂に溺れていく。
最後に彼女が見たのは、こちらに向けてカメラを構える、文の姿だった……
「ってこらああああああ!!」
活きの良い岩魚のような動きで、椛は砂面から踊り出た。
そのまま、怒り心頭に達した表情で、文に飛びかかる。
「わっ、椛、落ち着いて」
「何が落ち着いてだぁ! もうカメラは没収です!」
「だ、駄目。これは新聞記者の命!」
「自分の命や私の命はどうでもいいんですか貴方は! こんなものがあるから悪いんだ!」
「待って椛! 死なないから! 大丈夫だから!」
椛は獣じみた殺気を放ちつつ、文のカメラを引ったくろうとしていたが、やがて話を聞ける状態まで落ち着いた。
「ほら、そんなに深くないのよ。足もつくし」
確かに、砂に埋まった文の姿は、両肩が見えていた。
それより背の低い椛は、首まで埋まっていたが、やはり溺れるようなことはない。
そこでまた、レティの声が部屋に響いた。
『どうかしら~。第三の試練は』
「試練というほどのことですかね、これが」
『でも鍵は砂の中よー』
「うっ!」
そうだった、と椛はうめいた。さっき文が放ってしまった鍵は、親指ほどの大きさ。この広い砂のプールでは、探すのは一苦労だろう。
ただでさえ服の中に湿った砂が入って気持ち悪いのに、また砂まみれになって探さなくてはいけないとなると……。
椛は砂にたゆたいながら、
「どうしましょう、文さん」
「そうね」
砂の下から、文の腕が現れた。
その手の中には、スペルカード。それを彼女は、ちらりと確かめてから、得意げな笑みになって、
「乱暴な手だけど、これでいくか。椛、ちょっと我慢していてね」
「え?」
文は砂の中にスペルカードを突っ込む。
「旋符『紅葉扇風』!」
発動と共に無数の光が、砂の間からあふれでる。
突如、流砂は文を中心にして爆散した。
「うわああああ!!」
椛は景気よく入り口まで吹っ飛ばされたが、空中で何とか体勢を整え、両足で着地した。
部屋の中央で、砂の竜巻が起こっている。だが、椛の方には、砂粒一つ飛んでこなかった。
向こう側で、文が手をこちらにかざしている。
「こ、これは!」
椛は驚愕した。
文は、自らが起こした暴れ狂う風を、砂ごと完全に制御しているのだ。
空中で大量の砂を攪拌し、一粒も外に逃さない。
膨大な妖力と、精緻な技巧があってこそできる芸当であり、椛には到底真似できない。
やがて砂がおさまったとき、空中に小さな鍵が浮いていた。
文はそれを、軽い風で引き寄せて、手におさめる。
「さ、さすが文さん!」
感嘆する椛に、文はひとさし指を向けてきた。
こちらが驚く間もなく、その指から突風が放たれる。
それは椛の服の襟元から、あるいは袖から、ひゅるると中に入り込んだ。
「うぇ、な、ちょ、ひゃっ!」
風は椛の体を隅々まで這い回る。やがてスカートから抜け出して、渦を一つ巻いてから消えた。
椛は真っ赤になってしゃがみこみ、
「な、何するんですか! 文さんのエッチ!」
「何って、砂を取ってあげたんだけど」
「…………あ」
椛は慌てて、体を触ってみた。
ざらついていた肌の感触がなくなっている。
文の風が、湿った砂を綺麗にふき取ってくれたのだ。
「どう? 全部取れてる?」
「……はい。ありがとうございます」
「ここは寒いから、本当は使いたくなかったんだけどね」
ふぇっくしょん、と文は向こうでくしゃみをしている。
椛は流砂の上を飛びこえて、そちらへと移った。
文は手に入れた鍵を、扉にはめようとしている。
「あれ、穴が三つあるわね」
「え?」
確かに、鍵穴の数は三つだった。
そして、手に入れた小さな鍵が合うのは、その内の一つだけだった。
『鍵があるのは、その砂の中だけじゃないのよー。他にも二つ、部屋のどこかに隠されていて……』
ズガン!!
レティの台詞の途中で、轟音と共に青銅の扉がひしゃげ、後ろに倒れていく。
椛はぽかんと口を開けた。
彼女の上司が、ミニスカートから伸びた脚線美をしまう。
「これで勘弁してください。もう寒くて仕方がありませんから」
ぱんぱん、とスカートを払う文は、すました顔をして言った。
頑丈な扉をあっさり蹴り壊したというのに、別段凄いことを成し遂げたような様子もない。
だが、椛は……
「椛、そんな変な顔してどうしたの?」
「いえ……文さんはやっぱり強いな、と思って」
「見直した?」
「いえ、最初から知ってましたから」
椛は力無い笑みを見せた。
「行きましょう、文さん」
気を取り直して、次の部屋へと進む。
文が肩に手をやろうとする気配に気づいたが、椛はそれとなく避けた。
●●●
それから二人は、いくつかの試練を突破した。
どれも一見、危険な罠に思えたが、終わってみると、総じてどこか間が抜けていた。
例えば、左右の壁から丸太が飛びだしてくる廊下があったが、その正体は巨大なハンコだった。
地雷原が仕掛けられた部屋もあったが、踏んだらブブーという音と臭い煙が出るだけだった。
もっとも、椛に精神的な疲労を課すという点では、いずれにせよ悪質な罠であった。
そして、休み無しでそれらをこなすのも、なかなかの苦痛であった。
何しろ迷宮はどんどん深くなっていくし、窓が無いために時間感覚が怪しくなる。
上司の鴉天狗は、相変わらずの強さと余裕で切り抜けていたが、いつの間にか彼女も、口数が少なくなっていた。
「ん?」
そうして、椛達が入った何番目かの部屋は、今までとは違った内装であった。
壁の色はクリーム色で、ランプの数も多く、明るい雰囲気である。
寝そべられるくらいの大きさの、長いすまで用意されていた。
「なんだろう、ここは」
『そこは休憩室と考えて構わないわ~』
もう慣れたものだったが、どこからともなくレティの解説が聞こえてくる。
「休憩室?」
『ええ。ゆっくり休んでちょうだい』
「そう言っておいて、実は罠があるというオチなんだろう」
『そんなことないわよ~、次の試練が大変だからよ。でもそれが、最後の試練なんだけど』
「最後?」
『ええ。本当に最後よ』
つまり、次の試練が終われば、地上へと脱出できるわけか。
椛はほっとため息をついた。
「聞きましたか、文さん。もうすぐ、ここから出られますよ。とりあえず休みましょう」
冷えたソファを手で確かめながら、椛は言う。
「出たあとは、早速あいつをとっちめてやりましょうね」
「………………」
「文さん?」
振り向くと、文は顔の半分をこちらに向けて、こくりとうなずいていた。
おかしい。無言の彼女の横顔が、椛には気になった。
「文さん、何か隠していませんか」
「…………何でもないですよ」
椛はハッと、顔を強張らせた。
「文さん、何があったんですか」
「だから、何でもないですって」
「文さんは、何か困ったことがあったり、言いにくいことがあると、私にも敬語になります」
「あやややや、バレてましたか……」
「隠さずに言ってください」
文は困ったように笑っている。
だが、その顔は青く、一筋の冷や汗が流れていた。
「大ピンチです、椛」
「やはり、どこか怪我をしていたんですね」
「……………………」
「申し訳ありません! 私が不甲斐無いばかりに……!」
「…………違いますよ」
「違いません。私に心配させまいと、文さんは」
「いや、そうじゃなくってね、椛」
「え?」
椛はきょとんとした。
「別に怪我はしていないのよ。そうじゃなくって」
文はくすぐったそうに、もじもじしている。
だが、彼女が何を言いたいのか、椛にはまだ分からなかった。
「その、ここは寒いですよね。そして、入ってから結構時間がたっていて……ですから」
「……………………」
「き、気づいてください。椛」
「……………………はっ!?」
ようやく椛は悟った。
文が両足をぴったりつけながら、そわそわしていることから。
「ま、まさか文さん!」
「あ、あまり大きな声は出さないで」
「そんな、お、おし……」
「言わないで! まだ少し我慢できます! でも危険です! 助けてください!」
「はい、わかりました!」
椛は血相を変えて、部屋中を見渡す。
すぐに、伝声管を見つけ、それに飛びつくようにして、
「おい! 聞こえるか! レティ・ホワイトロック!」
『何かしら~?』
「今すぐ出口の場所を教えろ! 大至急だ!」
『それじゃあ面白くないじゃないの~』
「いい加減にしろ! 大変なことになってるんだ! このままでは文さんが……」
『なあに?』
「も、漏らしてしま」
「椛!!」
「ご、ごめんなさい文さ……失礼いたしました! 射命丸様!!」
火を吹くような目で睨まれて、椛は思わず敬称で言い直した。
幸い、レティの方にも事情は伝わったようだった。
『あらら、大変そうね~』
「うつけ者! のんびり会話している場合か!」
『そこを汚されちゃうと困るわね~』
「よ、汚すとか言うな! さっさと我々を外に出すか、さもなくば厠の場所を教えろ!」
『大丈夫よ~。分かりにくいけど、貴方の右手側に、小さな扉があるでしょ。そこが水洗トイレになっていて』
「文さん!! その扉です!」
叫んで指をさした先の扉に、突風と化した文が出現し、開けて中へと飛び込んだ。
部屋は静かになる。椛は手を組んで祈りながら、じっと待った。
十五分が経過した。
一度、水を流す音が聞こえたが、文はなかなか出てこない。
椛は心配になって、そっと声をかけてみた。
「あの……文さん?」
「……………………」
「その……大丈夫ですか?」
「…………椛」
か細い声が返ってくる。
「……私はもう、ここから出ることはできない」
「そんな! 何があったんですか!?」
「……あたたかいの」
「温かい!?」
衝撃的な発言に、椛は眩暈を覚えた。
ついに最悪の事態が起こってしまったのだろうか。
ふらふらと頭を抱えていると、
「違うわ椛……私は間に合った」
「よ、よかった」
「でもね」
心なしか、文の声は幸せそうだった。
「暖かいの、このトイレの室温が」
「は?」
椛は目をぱちくりさせた。
「だから、私はここから出ることはできないわ……」
「何言ってんですか! 終わったんなら、早く出てきてください!」
「だめ、外は寒いもの」
子供のような声で、文は扉ごしに嫌々をする。
椛は伝声管に向かって、
「おい、どういうことだ!」
『設計者によれば、水が凍らないように、トイレだけは暖房にしたらしいわ~』
「あ~、助かります~」
その声は、本当に気持ちよさそうであった。
どうやら、ピンチを脱した上、厳しい寒気の中から暖気にありつけたために、文はトイレでくつろいでしまっているようであった。
「ちょっと文さん!」
椛はドンドンと、トイレの戸を叩きながら、
「本気ですか!? 炬燵から出れない猫じゃあるまいし! 厠で暖を取る天狗なんてどうかしてますよ!」
「何とでも言って。毛皮を持つ椛には分からないのよ。寒さに震えた者だけが、太陽の温もりを感じられるのです」
「そこトイレじゃん!」
「トイレだろうと何だろうと、私には楽園なのです」
恍惚とした口調は、天国の在り処を説くトイレ教の宣教師のようだ。
楽園の外にいる椛は、業を煮やして、
「文さん! そこから出なければ、山にも帰れませんし、記事もかけませんよ! いいんですか!?」
「いいんです。ここで記事を書きます」
「はあ!? そんなバカな!」
「椛が配達してください。あと食事も日に三度運んでください」
「私をあてにしてトイレに引きこもらないでください!」
「じゃあ私を置いて、一人で行ってちょうだい」
「なんでそうなるんですか!」
「もう、寒さに疲れたんです私は」
それは、いつもの明るい文からは想像もつかない、弱々しい台詞だった。
椛が憧れた強さが、まるで感じられないほどに。
だが、彼女を置いていくことなどできない。できるはずがない。
白狼天狗は、ついにある決断をした。
「……文さん。それほど寒さが辛いなら、私を使ってください」
「え?」
「私の尻尾を体に巻いてください。私の体で暖をとってください。私は文さんをおぶっていきます」
「………………」
覚悟が必要ではあったが、これで文が出てくる自信があった。
しかし、予想に反して、文はトイレで無言のまま、外に出てくる気配がない。
椛は苛立って、叫んだ。
「文さん! それとも、トイレの方が暖かいというんですか!? 私の温もりでは、不足だというのですか!?」
「……違うわ」
「じゃあどうして!」
「……でも、椛は嫌がっていたじゃない」
「え!」
どきりとして、椛は言葉に詰まった。
「椛は私にしがみつかれるのが嫌なんでしょう。ここまで来るまで、ずっとそうだったじゃないですか」
「あ、文さん……それは……」
「だから、無理はいいません。もう……拒絶されるのは嫌ですからね」
「そんな……」
その言葉は胸に、深く、深く、刺さった。
文はずっと、自分が嫌がっていたために、寒さに耐えていたというのか。
そんなこと、全く気がつけなかった。
でも本当は、文を拒絶した本当の理由は違うのだ。
「文さん、ごめんなさい!」
椛はその場に正座して、隠していた理由を語り始めた。
「聞いてください。私、犬走椛は、山を守ること以外に、さほど能を持たぬ天狗です。上司の命令に忠実に従い、任務を遂行するのみ。この世に生を受けてから、それ以外のことにも興味を示せず、考えることもしませんでした。ですが、一人の上司が、そんな生き方を変えてくれたことを、私は今も忘れていません」
その時のことを思い出しながら、椛は懸命に伝えようとした。
仕事中にいきなりやってきて、新聞の批評を求める、おかしな上司。
椛が嫌がっても、彼女は離してくれなかった。それだけじゃなく、
「しがない白狼天狗でしかない私に、文さんはいつもよくしてくれました。はじめ私は、心を閉ざしていましたが、いつしか貴方に会うのが楽しみになっていました。文さんは私にとって、唯一気軽に会話できる大切な上司なんです。今も昔も……そしてできれば、これからも」
あの時から、彼女はいつも明け透けな態度で、椛に接していた。
時に椛をからかい、時に椛を勇気づける。いつしか、様づけじゃ堅苦しいから、名前で呼んで、とまで打ち解けていた。
「しかし、気軽に、といっても文さんと私では階級が違います。そして、実力にしても、私は文さんに遠く及びません。白狼天狗である私にとって、鴉天狗の貴方は、あくまで畏敬と憧憬の対象です。だからいつも、一歩引いた態度で接するよう努力してきました。それでちょうどよく、それで十分だったんです。でも……」
そこで椛は、最初の部屋での出来事を思い出す。
回らぬ舌で、言葉をつかえながら、
「だ、だから、あの時は本当に驚きました。あ、あ、文さんが、あんな風に抱きついてきて、動転しました。急に貴方との距離が近くなってしまい、怖くなったんです。それまでの私の世界が、一気に壊れてしまうんじゃないかと思って。ですが、わ、私の心は変わっていません」
椛は大きく息を吸い込んだ。
「私は射命丸文様を慕っております。これからも、貴方の側にいたい、そして、できるならお守りしたい。それが私の、本当の気持ちです」
言えた。ついに言うことが出来た。
清々しい空気が、体の内を通り抜けていく。
椛は胸を張り、凛とした声で、
「ですから、山へ帰りましょう。どんな厳しい寒さからも、犬走椛は貴方を守ってみせます」
「……………………」
「文さん、出てきていただけませんか。私のために」
待つ。待つだけなのに、かつてない緊張が椛を襲う。
目を閉じ、ぐっとこぶしを握って、自らの鼓動を聞きながら正座で待った。
やがて、その耳に、カチャリ、という音が聞こえた。
扉が静かに開いていく。その向こうに、恥ずかしそうに椛から顔をそらした、いつもより元気のない、射命丸文が立っていた。
だが、彼女は一歩踏み出して、外へと出てくる。
椛はそれに背中を向けて、そっとしゃがんだ。
「さあ、文さん。つかまってください」
両肩に手が置かれ、背中が温かくなる。
椛は両手を後ろに回し、文の両ももをしっかりと支えた。
彼女は意外なほど軽く、そして、
「……やっぱり、椛の方が温かいですね」
白狼天狗は無言だった。
ただし、パタパタと動いた尻尾が、文の背中を軽く叩いた。
●●●
椛は背中に文をおぶって、薄暗い道を歩いていた。
明かりは無い。だが、天井や壁の石がぼんやりと緑色に明滅しているので、頭をぶつけるようなことはない。
しかし、床は湿っていて滑りやすく、背中に文を乗せているために、自然と歩く速度もゆっくりになる。
最後の試練は、どこまでも続くかに思える、まさに迷宮そのものであった。
「…………どこまで来ているんだろう、私達は」
分かれ道は無く、基本的に一本道なのだが、右へ左へと曲がりくねっているので、方向感覚を狂わされそうになる。
もはや、レティの家から遠ざかっているのか近づいているのかすらも、判断できなかった。
「文さん、寒くないですか?」
「…………うん」
うなじに吐息が当たって、椛の足運びが乱れた。
今背中にいるのが誰かと思い出し、全身が緊張で固まる。
――平常心、平常心だ!
椛は自分に言い聞かせながら、口を真一文字に結んで歩く。
かわりに別のことを考えることで、気を紛らわせようとした。
例えば、二人をこの迷宮に落とした、レティ・ホワイトロックのことである。
卑怯にも、姿を現さずに声だけで、からかい混じりに椛達を誘導する冬妖怪。今の椛にとって一番腹の立つ存在である。
だが、あらためて考えてみて、彼女のやってることは謎だらけだった。
――奴のねらいはなんだ?
すでに椛は、山に現れたという妖怪が、この迷宮にいるとは思っていない。かといって、彼女の狙いが、自分達の命のようにも思えなかった。
例えば彼女が本気で椛達を殺すつもりなら、あんな間抜けな試練は使わないはずだ。最初の部屋で、一気に寒気を送り込んでしまえば、すむことなのだから。
彼女の真の目的は何か、そもそもどこに連れて行こうとしているのだろうか。
それがさっぱり分からなかった。
――もっと早く、そのことで文さんと相談しておけば……
再び背中の鴉天狗に意識が向かい、顔に血が上る。
昨日の自分がこの光景を見たら卒倒していただろう。というか今だって倒れそうだ。
白髪の椛が憧れた、艶のある漆黒の髪。その文の髪が首筋にさらさらと触れる。
心なしか、冷気に混じって、ほのかに文の香りが……
「…………椛」
「ご、ごめんなさい! 私はそんなこと考えていません!」
「………………」
「あれ、文さん?」
「…………」
「文さん! しっかりしてください!」
文の返事がない。
肩にまわされた手も、だらりと下がっている。
椛の心に、焦燥がわき起こった。
「大変だ。急がないと」
文はこの寒さに弱っているようだ。
できればさっきの休憩室に戻りたいが、今から戻っても間に合うかどうかはわからない。
それより一刻も早く、迷宮を突破する必要があった。
「文さん、すぐにここを脱け出して、休ませてあげますから! それまでの辛抱です!」
椛は走り出そうとした。
ぴちゃっ、と足元で、水音が鳴った。
「………………?」
今気がついた。
なぜこの道は、水たまりが多いのか。
なぜ壁が、こんなに湿っているのだろうか。
嫌な予感に背中が冷えていく。
「まさか……最後の試練は……」
その嫌な予感が、ごうごうと現実の音となって、後ろから聞こえてくる。
椛は振り向いた。
はるか後ろの曲がり角、そこから黒々とした大量の水が現れた。
「水ぜめか!」
椛は罵声をあげて駆け出した。
背後から濁流が、二人を飲み込もうと勢いよく迫ってくる。
一体どこからこんなに大量の水が。
と椛は、その源に気がついた。
「まさか、湖の!」
思い当たる水源は、この家の近くにある『霧の湖』だ。そこから、何らかのカラクリで、迷宮に流し込んでいるのだろう。
だとすれば、水量は半端なものではない。この狭い通路なんて、あっという間に水没してしまう。
「負けるか!」
椛は気合を入れて走り始めた。
文を背負っている上に、道は真っ直ぐではない。
大岩の時と比べて、この試練ははるかに難易度がましていた。
角を曲がるたびに、緊張と負担で、心臓が破けそうになる。
だが、椛の足は力強く前に向かっていた。
「くぁっ!」
滑りかけて体勢を崩し、右足に痛みが走る。
だが、椛は止まらない
「……私は諦めないぞ!」
背中の文の存在が、椛にエネルギーをくれた。
さっきまでは、文より弱い自分が、文を守るなど、おこがましいと思っていた。
でも、大事なのは、文のために何かをしたいという気持ち。その気持ちなら、昔からずっと持っている。
そして自分にできることは、今ここにあった。
寒さをこらえていた彼女は、今自分を頼りにして、命を預けている。
その思いに答えられなければ、犬走椛の一生の不覚である。
自分の持てる力を最大限に発揮し、この試練を突破する。
そうすることで、初めて自分を認めることができる。
水の轟く音が近づいてきた。
もう一度、椛は自分に言い聞かせる。
「私は諦めない! 文さんは私が守る!」
耳元で囁き声がした。
「いいえ、私が椛を守るの」
「!?」
突然、椛の体が、ふわりと浮いた。
そして、空気を叩く音と共に、流れていく光景が急激に加速した。
「ええっ!?」
椛はいつの間にか、大風にさらわれていた。
迷宮内を高速で飛んでいる。一歩間違えれば壁に激突するほどの、もの凄い勢いだ。
自分の力ではない。この速度で飛べるのは……。
思わず椛は、後ろに声をかけた。
「文さん! 目を覚ましたんですか!?」
「ええ! しっかりつかまって!」
「はい!」
文を背負った状態で、椛は力強く返事する。その声は弾んでいた。
狭い通路を上下左右に、飛んでいく。風圧が鼓膜を締め付ける。
身がすり切れそうなほどの緊張感。
椛の知るリズムとは、まるで違う速度の世界が続く。
やがて二人の前に、大回廊とでも言うべき、巨大な直線の道が現れた。
背後の水が巨大化し、唸りをあげて襲ってくる。
視力に優れた椛の眼が、はるか遠くが行き止まりになっていることを確認した。
「文さん! 行き止まりです!」
「道を探して、椛!」
「う、上です!」
「よし!」
文は壁にぶつかる瞬間、燕のように急ターンをして、垂直に上昇をはじめた。
手を伸ばす水流をあざ笑うかのように、ぐんぐんと引き離していく。
もう一度、力強く羽ばたき、文は椛と空を踊る。
――すごいや……
まさに彼女は風だった。迫る困難を余裕で切り抜けてしまう、自由な風。
遠くで見ているだけだったその憧れの風を、椛は全身で感じ取る。
それが許されているのが、世界で自分だけなのが、椛にとって何よりの喜びだった。
やがて、二人は天井にたどりつき、その横にくり抜かれた石室を見つけた。
衝撃波を引き連れて、二人はそこに転がり込む。
水はここまでやってくる気配はなかった。
耳を震わせていた風音が過ぎ去り、静寂が戻ってくる。
「はぁ、はぁ、助かった」
椛は床で、大の字になって息をする。
その側では、文がしゃがみこんで息を整えていた。
彼女にもきつい飛行だったらしい。椛は心配したが、文の顔色はむしろ良くなっていた。
「はぁ、はぁ、文さん、さっきは返事が無くて、心配しましたよ。このまま文さんが、凍死してしまうんじゃないかと思って」
「はぁ、はぁ、ああ、あれね」
文は息を切らしたまま、ふふっ、と笑って
「つい寝ていたの。誰かさんの背中が気持ちよくて」
「あ、文さん。からかわないでください」
椛は赤くなって、そっぽを向いた。
だけどどうしても、尻尾は左右に揺れてしまう。
文は立ち上がり、奥を指さした。
「見て、椛。あれがきっと出口よ」
その先には、天井の隅に備え付けられた、木製の扉があった。
椛は起き上がり、堂々とした足取りで、その扉へ向かう。
その後ろを、文がついてきた。
肩にぽんと手が置かれる。椛はその手に、そっと頬をよせた。
「ついにゴールですね」
「ええ。レティさんのお宝が待っているわよ」
「どうだか。私はやっぱり、あの妖怪は信用なりません」
「まあ、それも本人に聞いてみなくちゃね」
扉が開いていき、外の光を迎え入れる。
二人はついに、『ホワイトロックの迷宮』から生還した。
●●●
床から這い出した椛は、部屋の中を見渡した。暖かい空気が体を包む。
明かりに照らされた室内で、最初に目に入ったのは木製の壁だった。
窓の外では、すでに日が落ちている。その窓際には大きなベッドがあった。
「ここは、レティさんの家に戻ってきたということかしら」
「……の、ようですね」
だがこの部屋は、ここに来た時に二人が案内された、客間ではなかった。
二人は上へとあがった。
大きなベッドで、誰か眠っている。
「もしかして彼女が、怪我をしたと聞く夜雀じゃないでしょうか」
「………………」
「文さん?」
「……そんな」
文は狼狽した様子で、そのベッドで寝ている夜雀を覗き込んだ。
「ミスティアさん……」
「お知り合いですか?」
「ええ。八目鰻の屋台をやっていて……」
「あっ」
椛は思い出した。その店については、この前に文に誘われたことがある。
八目鰻の蒲焼を売る、夜雀の屋台。美味しくていい雰囲気の店だから、今度二人で行きましょうと。
天狗に襲われたというのは、彼女のことだったのか。
「…………誰?」
ミスティアが目を覚ました。
ぼんやりした表情で、椛と文を見る。
その顔が、恐怖で歪んだ。
「ひっ! て、天狗!」
「ミスティアさん!」
「いや、こっちに来ないで! もう山には入らないから……!」
「落ち着いてください。大丈夫です」
パニックになりかけたミスティアを、文は小声で穏やかにさせる。
椛が驚くほど、優しく真剣な口調だった。
「大丈夫です。我々は貴方を傷つけたりはしません。仲間の天狗がしたことは、心からお詫びします。でもそれは、ほとんどの天狗にとって、本当に意外な話だったんです。山の天狗の多くは本来、無闇に麓の妖怪を傷つけるようなことはしません。私を含めて」
ミスティアは声を押し殺して、瞳の動きだけで、その真偽を確かめようとしている。
「ええ本当です。ですから今、山で何が起こっているのか。きっと事件を究明して見せます。だからミスティアさんは、ゆっくり休んでください。ここにいれば安全ですから」
「………………」
「元気になったら、また貴方の屋台に寄らせていただだきます。その時は、美味しい八目鰻と、素敵な歌をお願いしますね」
「………………」
しばらくミスティアは、無言で文を見上げていた。だがやがて、その眼をゆっくりと閉じていく。
一瞬、椛達は動揺したが、すぐに規則正しい寝息が聞こえて、ホッと息をついた。
「そうか、そうだったんだ……」
「何がですか?」
「最初からこの部屋に謝りに入っていれば、レティさんを怒らせて、地下に落とされることもなかったんだ」
「え…………」
「私達は遠回りしてやってきたのよ。彼女の……『宝物』の場所に」
椛は言葉を失った。
それがレティの真の目的だったのなら、彼女は本当は……。
考えをまとめようと、努力していると、
「……何だか外が騒がしいわね」
「え?」
ばたん!
と、部屋の扉が急に開いた。
「ミスチー!!」
いきなり、四人の子供妖怪達がなだれ込んできた。
椛と文を突き飛ばしかねない勢いで、ミスティアのベッドへと走る。
「ミスチー! やったよ私達!」
「天狗をこてんぱんにしてやったわよ!」
「そう! 橙が敵を討ったのよ!」
「山で遊べるようになったんだよー」
「うわーん、ミスチー!」
ある者は笑い、ある者は涙を流して、ミスティアに話しかける。
「八目鰻も捕っていいことになったんだよ!」
「大天狗さんが、許してくれたの!」
「早く傷を直して、みんなで捕りにいこうね!」
「今夜はみんなで泊まるからね!」
いきなり騒々しくなった空気に、二人の天狗は呆然としていた。
「ほらほら、それくらいにしておきなさい」
そののんびり声に、椛の頭が瞬間的に沸騰した。
「レティ・ホワイトロック!」
「待って椛」
振り向いて刀を抜きかけた椛を、文はいさめる。
そして、部屋に入ってきたレティと、真面目な顔で向き合った。
「今度こそ、どういうことか説明していただけますね、レティさん」
「もちろんそのつもりよ。夕食がてらね」
エプロン姿のレティは、はめた大きな手袋で、奥を指し示し、
「あったかいシチューが出来てるから、天狗さん達も召し上がっていってちょうだい。下は寒かったし、お腹も空いてるでしょ?」
椛は目を丸くした。
ふんわりした笑顔で語られる声は、地下室で聞くのよりも、ずっと優しい響きだったから。
●●●
レティの家のテーブルはかなり大きかったものの、さすがに七人の食器が並ぶとなるとスペースがほとんどなく、椅子の数もぎりぎりだった。
したがって、椛の左には文が座ったものの、右には面識の無い宵闇の妖怪が座り、共にシチューをいただくことになった。
あまり落ち着かなかったが、子妖怪達は気にせずお喋りしながら、食事を楽しんでいる。
隣の文は、レティと会話していた。
「それにしても驚きました。まさか、私達のいない間に、そんな作戦が行われていたなんて」
「ごめんなさいね、二人とも」
「いえ、あの地下室も面白かったですし……あ、このシチュー美味しいです本当に」
文は苦笑しつつ、シチューに舌鼓を打つ。
椛もそれを見て、スプーンを口に運んだ。じんわりと優しい味が、舌の上に広がっっていく。
「どう? そちらの天狗さん」
「…………美味いです」
それから椛は、警戒を解き、胃袋にまかせて食べ始めた。
すでに、椛と文は、事件の概要を聞いていた。
大天狗鞍馬の陰謀。そして、幻想郷に現れた妖怪を送り帰そうと、子供妖怪達が力を合わせて、山に立ち向かったこと。
にわかには信じがたい話だった。事実なら間違いなく、明日の新聞を賑わせることになるであろう大事件である。
しかもよく考えてみれば椛達は、その妖怪を連れた子供達と一度出会っているのだった。
氷精の機転によって、逃してしまったのだが。
「チルノさんにもすっかり騙されました」
「そうね。チルノ、おかわりしなさい」
「うん! レティ、おかわり!」
「もっともっと食べなきゃ駄目よ。チルノはとっても頑張ったんだから」
「なんか、今日のレティ変なの」
大盛りシチューを受け取って、チルノは無邪気に笑っている。
……気のせいか、レティの笑顔には邪気が混じっていた。
文は軽くため息をついた。
「でも、残念です。ぜひとも、その妖怪に会って、話を聞いてみたかったのですが」
「あら、それならみんなに話を聞いてみたら?」
「みんなに?」
「ええ、みんなに」
レティはそこで、子供妖怪四人に話を振る。
「この天狗さん、青の話を聞きたがってるんだって。貴方達、話してあげたら?」
すると、ぺちゃくちゃお喋りしていた四人が、そろってこちらを向いた。
二人がぎょっとする前で、いっせいに目を輝かせて話し出す。
「青の話!? もちろん!」
「でもどうして聞きたいのー?」
「わかった! しんぶんまるぶんぶんで記事にするのね!」
「いえ、チルノさん。文々。新聞です」
「青を記事にしてくれるの!? やったー!」
「すごーい、青は有名人だー」
「青にも教えてあげたいね!」
そのはしゃぎっぷりに、文は目を面食らいつつも、手帖を取り出す。
「え、えーとまず、その青という妖怪の、姿と特徴を教えてください」
「青はねー、頭が大きくてつるつるでー」
「身長はこれくらいでー」
「ひげがあって、赤い首輪もしてた」
「あと飛べなくて、足も遅くて」
「す、すみません皆さん! いっぺんに話さないでください!」
「でも飛んでたわよ! 橙、あれどういうことなのよ!」
「そうだ、橙が話さなきゃ。さっきまで、主さんに抱きついて、大泣きしていたんだもの。私達に説明もしないで」
「も、もー! 言わないでよリグル!」
「ねー、青は無事に帰ったの橙―?」
「私達のこと、何か言ってた?」
「うん! ちゃんとみんなのことを話してたよ! 絶対忘れないって!」
「当たり前よ! あたい達のこと忘れたら、ぶん殴りにいってやるわ!」
「どうやって行くのー?」
「…………どうやってだろ」
「大丈夫! 忘れなきゃ、きっといつか……いつか……」
「ちぇ、橙。また泣かないでよー」
「いいのよ泣いても。橙は一番泣く資格があるんだから」
べそをかく橙の頭を撫でながら、レティは言った。
文はフルスピードでペンを進めながら、
「ちょ、ちょっと待ってください! まずその妖怪の容姿は、頭が大きくてつるつるで」
「足が短い」
「口がでかい!」
「お腹に御札ー、あ、でも後で見たらポケットだったー」
「あのポケットから、色んな道具を出していたよね」
「えーと椛。私は文字にしますから、貴方は絵を書いてください」
「え、絵ですか!?」
いきなり紙とペンを渡されて、椛は裏返った声をあげた。
風景画ならともかく、人相書きなどしたことはない。
ただし皆が期待のこもった目で見つめてくるので、言われるままに、頑張って描き上げる。
出来上がった絵を、文はのぞきこんできた。
「これ怪獣じゃないですか。実際に会ったら怖そうです」
「青は怪獣じゃないよ!」
「そうよ! 第一、全然怖くないし! こいつの絵がヘタクソなのよ!」
「だ、誰が下手糞だ! お前達の説明の方が下手なんだ!」
「怖くないってことは、凶暴じゃないんですか?」
「青は優しいよー」
「うんうん、あと笑うと可愛い」
「うん! 青はすっごくいい子で、私達の仲間だったんだよ!」
「今でも仲間よ!」
「そうだった! 今でも仲間!」
「じゃあ、無事に元の世界に帰った青に乾杯しましょう!」
「かんぱーい!」
四人とレティは、グラスを持ち上げる。
文と椛も、目を白黒させながら、それに付き合った。
それからしばらく、山の妖怪に麓の妖怪、冬妖怪に氷精という不思議な面子で、いさかいのない、楽しい談笑が続いた。
●●●
天狗の二人がその家を出たのは、外がすっかり暗くなってからだった。
「『冬に突然現れ、山を騒がせた妖怪、青。大天狗ですら目もくらむほどの妖力、その正体とは……』。ふむふむ、いい記事が書けそうです」
レティ宅の玄関前で、文はパタンと手帖を閉じた。
「椛も大変なことにつき合わせちゃって、悪かったわね」
「いえ……」
返事は短く、小さかった。
実は椛は、さっきの食卓の場から、複雑な心境が続いていた。
「レティさん、いい人だったですね」
「そうね」
あらためて話してみて、レティがいい妖怪だということは認めるしかなかった。
きちんと謝ってくれたし、晩御飯はご馳走になったし、子供妖怪にも慕われているようだった。
でも、椛は悩んでしまう。
馬鹿な考えだと分かっているが、本当にレティが黒幕だったら、と思ってしまう。
そうだったら、文はまだ地下迷宮の時のように、自分を頼りにしてくれていたかもしれないから。
終わってしまえば、単にレティのおふざけにつき合わされていただけで、そんなに切羽詰った状況でもなかったように思えた。
なにしろ格好悪かったし、みっともないシチュエーションであった。
それでも、あの時の椛は、本気の本気だった。
文はこちらを向いた。
「椛」
「はい?」
「おほん。あの地下での出来事は、お互いに内緒ですよ。恥ずかしいですからね」
「……はい」
釘を刺す文に、いよいよ椛は、ふてくされた声で返事した。
これで、あそこで振り絞った勇気が、全部無かったことにされてしまうわけだ。
あんな状況でも無ければ、二度と伝えられない思いだったのに。
頭を垂れて、地面に蹴る石がないかを探していると、文のつぶやき声がした。
「……二人だけの秘密です」
え……。
「あ、文さん?」
椛は顔をあげるが、文は振り向かずに飛び去っていく。
「さあ、急いで山に帰って記事を書かなきゃ!」
椛も慌てて、その後を追って地面を蹴る。
「ま、待って! もう一度言ってください文さん!」
「ほら、置いていくわよ椛ー」
「今のどういう意味ですか! ねー、ちょっとー!」
住み処に帰っていく天狗が二つ。
その山の天辺にも、輝く星が二つ。
二人の声は遠ざかっていき、辺りはひっそりと静まりかえった。
「……ないしょないしょ。みんなでないしょ。私はなんにも聞いてない」
天窓から顔を出して、その影達を見送る者が一人。
「でも、お幸せにね、二人とも~」
夜風にそう呟いて、彼女は静かに、窓を閉じた。
(おしまい)
残念ながら、そちらをお読みになっていないと、まるで状況が理解できないかと思われます。
申し訳ありません。
如月×日
特派員である私、射命丸文と、その助手である犬走椛は、この冬に
山に現れた謎の妖怪についての調査を行った。山で遊んでいた氷
精の情報によれば、霧の湖の近くにある一軒家に、その妖怪が隠
れているということであった。
早速、特派員と助手がその家に向かったところ、家主は以前に取材
したことのある、冬の妖怪レティ・ホワイトロックであることがわかった。
当初、穏和な性格である彼女は、こちらの取材に対し、協力的なよう
に思えた。だが、何ということだろうか。すでに狂気に取り付かれてい
たレティ・ホワイトロックは、一瞬の隙をついて、私と助手を地下室へ
と閉じ込めてしまったのであった。
この薄暗い小部屋は、山の高所をも凌ぐ寒気を満ちている。はたして、
ここから生きて脱出することは可能なのだろうか。こうして書いている
間もペンが震えて……
「文さん、メモしてないで、手伝ってくださいよ!」
その声に、鴉天狗の射命丸文は、メモから顔を上げる。
視線の先では、白狼天狗の犬走椛が、天井近くに備え付けられていた扉を、必死の形相で押し上げようとしているところであった。
●●●
ここはレティの家の地下室。椛と文は、不意をつかれて、この一室に閉じ込められてしまった。
とはいえ、明かりが無いためによくわからないが、地下とはいっても、薄汚い感じはなかった。
床も壁も丁寧に磨きあげられた大理石でできており、触ってみても埃はつかない。
かび臭さもなく、虫もいないため、空気がきわめて冷たいことを除けば、悪くない部屋に思える。
だが、状況的に、のんびりとくつろいではいられなかった。何せ、レティに監禁されているということなのだから。
椛は文にむかって大声で、
「文さん! 私達は、今閉じ込められているんです!」
「見ればわかるわよ椛」
「じゃあなんで脱出を手伝おうともせず、そんなメモなんてしているんですか!」
「ちゃんと記録したものを新聞にしなければ、読者に伝わらないでしょ」
その言葉に、椛は虚をつかれた。
文は今、新聞にしなければ、と言ったのだ。落ち着き払った態度で。
「つまり文さんは、やけになっておかしくなったり、絶望してしまったりしたわけじゃないんですね?」
「当たり前でしょう。すぐにでもここを脱け出して、このことを記事にするつもりよ」
「ぜひそうしてください」
椛はうなずいてから、また上への通り口を見上げた。
二人を閉じ込めているのは、頑丈な鉄扉である。ためしに今、椛が全力で押したり蹴ったりしてみても、びくともしなかった。
閂をかけられているのか、重しが乗せられているのか、あるいは両方か。
いずれにせよ、生半可なやり方で、脱出はできないということだ。
「何とか破れませんかね、文さんの風の力で」
「ふむ。外じゃないから力は落ちるけど、やってみる価値はありそうね」
椛の提案に、文は手帖をしまった。自由になった右手を開いて、上にかざす。
その手を中心にして、風が唸り声を上げ始めて……
ヒュオォォ……
「さ、寒いいいい!!」
風を止めた文は、いきなり椛に飛びついてきた。
「ちょちょちょっと、文さん!?」
「ムリです、これはムリ。こんな所で風を起こしたら凍死してしまうわがたがた」
「は、離れてください!」
「だめ。離さない。今から椛は、私専用のかいろになりましたぶるぶる」
「ええ!?」
「ひー、さむさむさむ!」
「あ、文さん近いです! 耳からもうちょっと離れて!」
「何を言うの、椛は私に凍えろというの、こおりづけになれというの、おねがいこれかして」
「きゃ、きゃー! わかりましたから、尻尾をそんなに握らないで! あっ!」
文が椛にしがみついてまさぐり、椛が暴れながら時折喘ぐ。
普段の二人の間では滅多に見ることの出来ない、いささか倒錯的な光景が繰り広げられることとなった。
しばらくして、部屋が静寂に変わった。
「『事態は深刻であった。寒気は特派員の能力を封じ込めるばかりか、正常な判断力を奪っていく。はたして、いつまで正気を保っていられることだろう。閉じ込められた我々に希望は』……」
たたんだ黒い翼で体を包みつつ、文は状況をメモしている。
「………………」
そこから離れた位置で、椛は白いふかふかの尻尾を抱いて、じっと黙っていた。
「おや、椛。怒ったの?」
「いえ……」
椛は頬をふくらませつつ、小さく返事した。
部屋が暗いので、文には気づかれていないだろうが、まだ顔が赤い。
「文さん、もういきなり飛びつくのはやめてくださいね」
「はいはい、わかったわ」
『元気かしら~、二人とも?』
突然部屋に、姿の無い第三の声が響いた。
驚いて見回す椛に対し、文は冷静に返答する。
「その声はレティさんですね」
『そうよ~』
「どこからしゃべっているんだ」
『部屋をよく観察してみることね~』
言われて椛は、声のした方を目をこらして見つめた。
闇がかった壁の低い位置に、金色のラッパの先のようなものが備え付けられている。その管は上へと続いていた。
どうやら、伝声管のようだ。レティはこれを通して、上の階から声を届けているらしい。
『寒くないかしら~?』
「正直、かなりのものです。早く扉を開けてくれませんかね、レティさん?」
『う~ん、どうしようかしら』
「ただの冬妖怪が、天狗に対してこれほどの狼藉を働いているのだ。相応の覚悟ができているんだろうな」
『そっちの天狗さんは怖いわね~』
椛の脅し声に「怖いわね」と言いつつも、レティの口調は余裕であった。
状況的に、閉じ込められているこちらが不利なので、当然といえば当然だ。
これが外なら、刀を突きつけて、あの呑気な声を喉の奥に突っ返すことができるのに。
みすみす罠にはまってしまった自らの迂闊さに、椛はあらためて歯噛みした。
文は交渉を続ける。
「レティさん、貴方の目的は何ですか」
『ふふふ、何でしょう』
「正気を取り戻してください。このような扱いは非道です」
『…………非道?』
「そうです。スペルカードルールで決着をつけようともせず、一方的に監禁する。これを非道といわずして、なんといいましょう」
『………………』
「前に取材をさせてもらった仲じゃないですか、どうか思い直してください」
『………………』
「レティさん?」
『………………』
文の説得に、金属管はしばし黙っていた。
不気味な沈黙だが、地下の二人は大人しく、レティの判決を待つしかない。
彼女の答えは半分『吉』であり、半分『凶』だった。
『……そうね~、それじゃあ上がってきても構わないわ』
「ありがとうございます」
『ただし、この扉は開けないわ』
「なんだと!? ふざけるのもいい加減にしろ!」
椛は怒鳴るのを、文が手をこちらに向けて制してくる。
だが、このような一方的な駆け引きを素面で切り抜けられるほど、若年の白狼天狗は経験を積んでいなかった。
伝声管の向こうでレティが笑う気配が伝わってくる。
「落ち着いてよく見渡してみなさい。その氷室から地上へ上がる道は一つじゃないわ。奥にもう一つあるのよ~」
出し抜けに、部屋が明るくなった。
壁に備え付けられていたランプに、ひとりでに明かりが灯ったのだ。
白い壁に囲まれた室内が、はっきりと見えるようになる。
そこで椛はもう一度部屋を観察してみると、
「……なんだあれは?」
部屋の奥に奇妙な光景が広がっている
そこに、大きな扉が二つ存在したのだ。
右の扉には『レティのおへや』と書かれていた。ピンク色の可愛い字体であり、まあ特に問題は無い。
左の扉には、『ホワイトロックの迷宮』と書かれていた。ただし、こちらは、血色のおどろおどろしい字体だった。
そんな正反対の雰囲気をもつ二つの扉が、左右に並んでいるため、全体的にかなり不気味な印象をかもし出していた。
というか、今までこんな奇怪な扉の側で会話していたのかと思うと、愉快ではない。
『どうぞ左の扉へ。その先には上へと通じる道があるわ。そこを通って、上がってらっしゃい』
「参考までに聞いておきましょう。右に入るとどうなるんですか?」
『右は私の寝室。鍵がかかっているし、室温がとっても低いから、入らないほうが身のためだと思うわ~』
文と椛は、思わず互いの目を合わせた。
「どう考えても」
「怪しいですね」
二人の足は、右の扉へと向かった。
ご丁寧に『レティのおへや』と書かれているのだから、そちらを選ばない手はない。
うまくすれば、レティの私物を取引材料にして、不利な状況を逆転できるかもしれないのだから。
「レティさん。せっかくですので、私達は、右の扉を選ばせていただきます」
文はそう言って、扉の取っ手に手をかけて、
「ひっ! 冷た!」
「なっ! だ、大丈夫ですか文さん!?」
「ええ。でもこの扉……」
扉を触った手を懐に抱えて、文は顔を青くしている。
「凍傷になるかと思ったわ」
『ふふふ、その扉の向こうは極寒の世界よ。私にはちょうどいいんだけど』
先ほど案内された客間が暖かかったので、椛達は失念していた。
レティは寒気を操る冬の妖怪である。当然、その寝所も、ありえないくらい気温が低いのであった。
『生きて帰りたければ、左の扉にすることをおすすめするわ~』
「本当に生きて帰すつもりがあるんですか?」
『さてどうかしら~』
「もう一度聞きますレティさん。貴方の目的は何ですか?」
『ないしょ』
レティはそれだけ言って、会話を打ち切った。
椛達が、二、三度呼びかけてみても、返事はなかった。
「どうします、文さん?」
「癪ではあるけど、ここは彼女の言うとおりにするしかなさそうね」
「ですね。じゃあ行きましょう」
不本意ながら、椛と文は左の扉を選ぶことにした。
『ホワイトロックの迷宮』とは、名前だけで怪しさに満ちている。
だが、椛は臆せず扉に手をかけようとして……止められた。難しい顔をした、文の手によって。
「どうしました?」
「一つ気になることがあって……」
「気になること?」
「椛、私達がここに来た理由を覚えてる?」
「もちろんです。山に現れた危険な侵入者を追い求めてです」
「ええ。そしてレティさんは……この地下にそいつが居座っていると言ってたわね」
「……なっ! まさか!?」
椛は取っ手から手を引っ込めた。
物を言わぬ扉が、急に恐ろしくなる。
「この向こうにそいつが!?」
「それだけじゃないわ。私の推測が正しければ、レティさんはその妖怪を手なずけている。そして、私達をそいつのエサにしようと考えている」
確かに。言われてみれば、扉の向こうから、不穏な空気が漂ってくる気がする。
来訪者を待ち構えて、舌なめずりをするような気配が。
「で、でも文さん。一介の冬妖怪が、何のためにそんなことを」
「私の聞いた噂では、彼女は『黒幕』と呼ばれているらしいわ」
「黒幕ですって!?」
実に不吉な単語であった。
昨日までなら冗談だと受け取っていただろうが、今自分達が置かれている状況を考えると笑えない。
「じゃあ、文さん! まさか彼女の目的は!」
「そう。この冬に、その妖怪を利用して、幻想郷を支配する計画を立てているのかも」
「だとしたら!」
椛はごくりと喉を鳴らす。
それに対し、文は瞳をキラーンと光らせ、
「そう! スクープです!」
「違うでしょ!?」
思わず椛は、派手にコケながら突っ込んだ。
「『その計画を打ち砕くのよ!』、とかでしょう普通は!」
「でも私は新聞記者だから」
「それなら私だって、山のしがない哨戒役です! ですが、幻想郷の妖怪の一員として、この事態は見逃せません! 文さんだってそうですよね!?」
「もちろんです」
文は拳を握り、すっくと背を伸ばして立つ。
「必ずや、その妖怪の正体を突き止め、黒幕レティ・ホワイトロックの野望をくじき、幻想郷に平和を……」
「そうそう」
「……取り戻してくれた英雄天狗、『犬走椛』の名を伝えます。文々。新聞の特集で」
「違う! かなり間違ってる!」
「ふむふむ。『違う! かなり間違ってる!』と、孤高のヒーロー犬走椛は、レティ・ホワイトロックを糾弾し……」
「文さんを糾弾しているんです! 何をメモしているんですか! というか孤高じゃありませんよ! 文さんも戦うんですから!」
「わかってないわね椛。いい? 記者は常に第三者の立場から物事を見る必要が……」
「もろ被害者じゃないですか今ぁー! 立派な『第二者』ですよ!」
曲がりまくった仕事根性を持つ上司に、白狼天狗はガミガミとわめいた。
とそこでまた、のんびりした声がした。
『その部屋で漫才も結構だけど、だんだん部屋は寒くなっていくわよ~』
「なんだと!?」
『今その部屋は零下20度ほど。ただし私が寒気を送り込めば、もっともっと寒くなっていく。氷漬けになりたくなければ、先を進むことね~』
「くっ!」
寒さに強い椛でも、これ以上室温を下げられたら危険である。
そして、彼女の上司はもっと寒さに弱いのだ。ここは、速やかに従う他に、術は無い。
「……首を洗って待っていろ!」
せめてもの反撃にと、伝声管に怒鳴り声を浴びせてから、椛は文の方を振り向いた。
「行きましょう、文さん。いずれにせよ、進まなければ彼女を止めることはできませんし、記事も書けないでしょう」
「そうね。椛は幻想郷の平和のために、私は記事を書くために」
文は手帖をしまいながら、同意した。
「それじゃあ、行きましょう椛」
「………………」
「どうしたの」
「……私の理由は、それだけじゃないですよ」
椛はぼそりと呟く。
「え?」
「いえ、何でもありません」
それ以上言わずに、椛は取っ手を握った。
重い扉、『ホワイトロックの迷宮』の入り口が、きしむ音をたてて開いていった。
●●●
扉を開けた椛が中を覗くと、坂になった長い長い一直線の廊下が続いていた。
左右の壁に明かりが一列に埋めこめられており、はるか向こうに、指の爪ほど小さく扉が見える。
いきなり怪物が襲ってくる、ということも覚悟していたが、生き物の気配はしなかった。
二人は中に入り、扉を閉めた。
「特におかしな様子はありませんね」
「じゃあ行きましょう」
椛を前にして、二人は廊下を歩きはじめた。
……ごとん。
「ん?」
「なんの音?」
『早く逃げないと大変よ~』
また聞こえてきたレティの声に、二人が振り向く。
その顔が引きつった。
「んなっ!?」
「なにこれ!?」
なんと、後ろから、巨大な石の球が転がってくる。
質量はざっと椛達の十倍。轢かれたら間違いなくぺしゃんこであった。
二人は泡を食って走り出した。大玉はだんだん加速しながら追ってくる。
こうなると、遠くに見える扉への距離が、恨めしいことこのうえない。
「くっ! こんなところで潰されてたまるか! 文さん、頑張って!」
「いい表情よ椛! もっと左に寄って! 写りがいいから!」
「って何してるんですか貴方は!」
なんと文は、カメラを構えて、必死に走る椛の表情を激写していた。
後ろ向きで悠々と羽ばたきながら……
「……ってそうか! 飛べばいいんだった!」
椛も地を蹴って飛び始めた。
宙を翔ける天狗のスピードは、幻想郷でもトップクラスである。
二人はあっという間に、巨大岩を引き離し、廊下の最奥にある扉へとたどりついた。
そしてすぐに扉を開け、中に飛び込む。
閉めると同時に、すかさず離れる。
ずしーん、と大玉が扉の向うにぶつかる音がする。振動が床まで伝わり、椛はよろめいて尻餅をついた。
だが、扉が破壊されることはなかった。
「はぁ、はぁ、驚いた」
椛は肩で息をする。
彼女の上司は、そんな様子を見下ろし、ふむふむと手帖に、何事か書いていた。
「『突如現れた大岩は二人を押しつぶそうとする。しかし、特派員のとっさの機転により、犬走椛は、無事に危機を回避することができたのであった』」
「…………律儀にメモしないでください」
「メモを取るのに遠慮する記者なんていないでしょ」
顔を上げずに言う文に、椛はげんなりした。
根は真面目でいい天狗。だが、記事のことになると目の色が変わるという困った性格を持ち合わせているのだ、この上司は。
たった今も、大玉から必死で逃げる自分の姿を撮影していたりと、椛としては先が思いやられる。
「まったく……」
切らした息を、ふう、と大きな呼吸で整えて、椛は部屋を見渡した。
そこは最初の地下室と似たような小部屋だった。
部屋の隅には、やはり伝声管が備え付けられている。
そして、それは案の定、腹の立つ声を流しはじめた。
『第一の試練は突破したようね~』
「試練?」
文は書く手を止めて、伝声管に向かって聞き返した。
「それも『第一の』、と今言いましたねレティさん」
『そうよ~。この後も続くわ~』
「ま、まだあるのか!? あんな危険な罠が!」
『危険といっても、妖怪にとってはお遊びみたいなものよ。それとも、そんなに怖かったかしら~?』
「…………!」
椛が激昂して怒鳴る寸前に、文が先に質問をした。
「なかなか面白いカラクリでした。レティさんにこんな趣味があるとは知りませんでしたよ」
『あいにく、設計したのは私じゃないわ。この家はね。私が昔、ある妖怪にゆずってもらったものなの。地下室の罠もその妖怪の趣味。しばらく使う機会が無かったから、とっても楽しませてもらっているわ』
なんて悪趣味なんだ。作った妖怪も、それを楽しんでいるレティも。
椛はその二人を呪いたくなった。
「ここから出たら、改めて取材したいところですね」
『その時はどうぞ。それじゃ、次の試練も頑張ってね~』
レティの声は再び途絶えた。
椛は渋面で、腕を組みながら、
「ふざけた妖怪ですね。ああいうのは、私の一番嫌いなタイプです」
「『第一の試練を見事突破した犬走椛、しかし、その先で待ち受けるのは、より凶悪な第二、第三の試練……』」
「こんな状況でメモしたり写真を撮るのに熱中している人も嫌いなタイプです」
「ごめんなさい。面白いくらい慌てている椛が、おかしくってつい」
「……さっさとここを出ましょう」
椛は次の扉へと向かった。
「椛、怒ったの?」
「怒ってません」
尻尾を触ろうとしてくる文を、椛は振り払った。
●●●
今度は細長い廊下ではなかった。
左右に広い大部屋であり、天井も高い。
部屋の中央には、六尺ほどの高さの、犬の顔をした女神像が乗った台座がある。次へと続く扉は、その奥にあった。
椛はくんくんと、空気の臭いをかいでみる。血や毒の気配はしないが、勘が危険だと告げていた。
「文さん、気をつけてください。絶対に罠があるはずです。私が前を進みますから、ゆっくり後ろをついてきてください」
椛は文の前に立ち、左右に視線を走らせながら、忍び足で進む。
だが……、
「文さん……もう少し離れてついてきてください」
「さっきの部屋よりも寒くない? この部屋」
「…………」
椛はやんわりと、文の手を肩からはがした。
そのまま二人は、何事もないまま、中央の石像の側に来て、
「何か台座に書いてるわね」
「無視です」
椛はそれを通り過ぎて、奥の扉へとたどりついた。
しかし、今度の扉は、いくら引っ張っても開かなかった。
「椛、やっぱりこれに意味があるのよ」
文は部屋の中央で台座を見ている。
椛もそちらへと早足で戻り、そこに書かれている文字を読んだ。
「『犬と猿の心が結ばれし時、先への道は開かれるであろう』……どういう意味でしょうか」
「犬というのは、この台座の上の像ことね。猿というのは……」
文は顔を上げて、犬の像が見つめる先を指差した。
そこに、同じような円形の台座に乗り、こちらに背中を向けてポーズを取っている像があった。
「あの像のこと」
「なるほど、私にもわかりました。あの後ろを向いている猿の像を、この犬の像の方に向けることで、扉が開くと」
椛は得心してうなずいたが、新たな疑問が浮かび、眉をひそめた。
「……ずいぶん簡単な謎々ですね。何だか釈然としません」
「そうね。これこそ罠の臭いがするわね」
「文さん。ここで待っていてください。私が行ってきますから」
「気をつけて」
「まかせてください」
椛は文を残して、より用心深い足取りで、猿の像へと向かった。
周囲に意識を配る。左右の壁に穴が無いか、色の違う床は無いか。
こうした迷宮の罠といえば、仕掛け弓や落とし穴。たとえ罠を作動させてしまっても、いつでも跳んでかわせるように集中する。
だが、特に怪しい罠の痕跡は見つけられなかった。怪しいポーズの像ならあったが。
とにかく椛は、無事にその猿の像へとたどりついた。
「大丈夫なようです」
「像に罠が仕掛けてあるかもしれないわよ」
「あ……失念していました。ありがとうございます」
文の忠告に、椛は像に伸ばしかけた手を止めた。腰に備え付けていた小盾を構えて、コンコンと像を叩く。
反応は無かったが、なおも警戒しながら、椛はそれに手をかけて回しはじめた。
こちらを向きはじめたのは、やはり猿の立像であった。
がに股で立ち、両手で輪を描いて頭に手をやっている。百人がいたら九十九人が猿だと思う、変な姿勢だった。
――なんて醜いポーズだ
見ていると頭痛がしてくるため、下を見ながら回す。
やがて台座が百八十度回ったところで、奥へと続く扉から、鍵が開く音がした。
ガシャン
それと同時に、椛と文の間の広い空間が、突然降りてきた鉄格子によって仕切られた。
「なっ!?」
慌てて椛は台座から離れ、鉄格子へと向かう。
だが、網目状の鉄棒は、二人で揺すってもびくともしなかった。
「くっ、だめだ! 開かない!」
「椛!」
「文さん、離れてください!」
椛は刀を抜き、気合を込めて鉄格子に斬りつけた。
甲高い金属音とともに、刃がはね返される。利き手がじーんと痺れ、椛は舌打ちした。
そこで上から、ゴゴゴゴ、と重たい音が下りてきて、椛の背中が粟立った。
もう一つ、古典的な罠を忘れていたのだ。侵入者を閉じ込めて圧殺する恐怖の罠。
「しまった!」
それは吊り天井であった。
ぶ厚い石の空が震えながら、土ぼこりと共に下がってくる。押しつぶされそうになる圧力が、姿勢が自然と低くさせる。
恐怖に混乱しそうになる頭を、椛は何とか落ち着けようとした。
そこで、文が上を指さした。
「椛! 見てあれ!」
「わかってます! 何とかこの鉄格子を……!」
「違うわ! 窪んでいる部分がある!」
その言葉に、椛はもう一度、吊り天井を見上げた。
確かにそこには、不思議な形に窪んだ部分があった。
よく見ると、それはまさに、さっきの台座が取っている猿のポーズの形であった。
「あのポーズで地面に寝そべれば、潰されずに助かるわ!」
「う、嘘ですよね!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとしなさい!」
「嫌です!」
出た声は悲鳴に近かった。
文の前であんな恥ずかしいポーズをするくらいなら、潰されてお煎餅になった方がマシである。
「椛、死にたいの!?」
「死にたいくらい恥ずかしいんです!」
「我儘いわないで! これは命令よ! 私はこんなところで、椛に死んでもらいたくない!」
「くぅっ!」
切羽詰ったその一言は、椛にとって、吊り天井よりはるかに重かった。
椛は鋼鉄の精神で覚悟を決め、下りてくる窪みの場所に仰向けになり、がに股になって両手を頭に……
「や、やっぱり嫌―!」
なんと、位置的に、文に向けて大股を開くポーズになってしまうことが判明する。
鉄の意志はあっという間に融解した。
「文さん! 後ろ向いてください!」
「で、でも心配で」
「いいから! もしこっち見たら、舌噛んで切腹して煎餅になって死にますからね! 見ないで!」
「は、はい」
文は大人しく、こちらに背を向けてくれた。
椛も寝そべって上を見る。
石の天井はどんどん低くなってくる。それにあわせて、お馬鹿な猿の型がはっきり見える位置に近づいてくる。
椛は胸中で涙を流しながら、仰向けで猿のポーズをして待った。
が、ある位置まで進んで、天井は急に止まった。
「あれ……?」
椛はポーズをとったまま、床の上で呆然とした。
鉄格子がガラガラと上がっていく。
その向こうで、文がこちらへとカメラを構えて、
「ってなに撮ろうとしてるんですかぁああああああ!!」
コンマ一秒で起き上がった椛は、ガルルルル!、と唸り声をあげて、文へと飛びかかる。
「この! それが今の今まで、人の命を心配していた者がとる行動ですか!? どうして文さんはいつもそうなんですか!」
「ご、ごめ、んな、さい。でも、まだ、撮って、ない、から」
「当たり前です! 撮ってたら本気で死にますからね!」
文の服の襟を掴んで、がくがくと揺さぶりながら、椛は涙目で怒鳴った。
『どうやら、楽しんでいただけたようね~』
その声に、椛は文を放り出し、部屋の隅にあった伝声管へと飛んでいく。
「どういうことだあれは貴様ぁ!!」
『その猿の像よりも下には、天井は下がらないようになっているのよ~』
「じゃあなんだ! あれは罠にかかったものに変な格好をさせて辱しめるための装置なのか!? 悪趣味がすぎるぞ!」
『違うわ。えーと、設計者の解説書によると……』
レティは向こうで、しばし何かを読んでいるようであった。
『分かったわ。本来、第二の試練は、二人以上が罠にかかることが理想だそうよ。下りてくる吊り天井。恐怖に駆られた二人は、それまでの友情をかなぐり捨てて、どちらが猿のポーズで助かるかを見苦しく争う。仕掛けが終わった後には、想像を絶するほどの羞恥心と、修復不可能なほどの仲の亀裂が生じているというわけ』
「なるほど。恐ろしい試練です。私が入らなくて正解でした」
「真顔で感心しないでくださいよ!?」
いつの間にか近くに来ていた文に、全力で突っ込んだ。
「まあまあ、落ち着いて椛。助かってよかったじゃない」
「どれだけ覚悟したと思ってるんですか! 屈辱です! 生きてるのが恥ずかしくなるくらい!」
目をこすってうめく椛を、文はなだめながら、
「ところでレティさん、一つ聞いていいですか? 今気がついたんですが」
『なにかしら~?』
「この迷宮は。ずいぶんと凝っていますね」
『それはもう』
「普通、こういう迷宮を抜けると、宝物が待っているものですがね」
『あら、鋭いわね~』
「やっぱりあるんですか!?」
『ええ、もちろんあるわよ~』
文は瞳を輝かせる。それを聞いて椛は、ふん、と鼻で笑った。
「文さん、こんなやつのいうこと信じてはいけません。ありもしないお宝の情報をエサにして、もっと危険な罠に誘い込もうとしているに違いない」
『騙すつもりなんてないわ。でも、貴方達がたどり着けるかどうかもわからないし~』
「何っ!?」
「椛、ただの挑発よ」
「し、失礼しました」
やはり自分は交渉役に向いていないのだ、と椛は口を閉ざすことに決めた。
神経を苛立たせる会話は、上司に任せることにする。
「つまり、この迷宮をクリアすれば、そのお宝を拝めるというわけですね?」
『そうよ~。でもそれは、そこを脱け出したくとも同じ。試練はまだ残っているわよ。せいぜい頑張ることね~』
レティの不気味な笑い声が、部屋の中にこだました。
「のぞむところです! さあ、行くわよ椛! 記事のために、お宝のために!」
気にせずに、文は意気揚揚と進む。その後ろを、なおもぶつぶつ呟きながら、椛はついていった。
●●●
次の部屋は円形になっていた。
部屋の四隅に、白い光を放つ灯篭が立っており、青緑色の壁を明るく染めている。
床はいくつもの正方形のタイルで敷き詰められており、灯篭の他には何もない。
ただし、中心のタイルで、小さな鍵が光っていた。
「これはまた怪しすぎますね……それじゃあ文さん、よろしくお願いします」
「あれ、椛が行くんじゃないの?」
「次は文さんの番です。私はもうあんなのやりたくありません」
前の部屋で起こった出来事を思い出し、仏頂面で椛は固辞した。
「じゃあ、行ってみますか」
と文は特に気にすることも無く、すたすたと歩いていき、その鍵を拾おうとしゃがみこむ。
そこで床が一気に崩れた。
落とし穴か、と一瞬思ったが、下から現れたのは、砂の絨毯だった。
「あやややややー!」
流砂に足を取られた文は、鍵を放りだして、どんどん沈んでいく。
「あ、文さん!」
静観するはずだった椛の体が、勝手に動いた。迷わず流砂へ飛び込む。
冷やりとした砂が足に絡みつき、底へと引きずりこもうとした。
すぐに椛は腰まで埋まってしまい、身動きが取れなくなってしまった。
「くっ、文さん……!」
むなしく手をばたばたとさせつつ、椛はずぶずぶと砂に溺れていく。
最後に彼女が見たのは、こちらに向けてカメラを構える、文の姿だった……
「ってこらああああああ!!」
活きの良い岩魚のような動きで、椛は砂面から踊り出た。
そのまま、怒り心頭に達した表情で、文に飛びかかる。
「わっ、椛、落ち着いて」
「何が落ち着いてだぁ! もうカメラは没収です!」
「だ、駄目。これは新聞記者の命!」
「自分の命や私の命はどうでもいいんですか貴方は! こんなものがあるから悪いんだ!」
「待って椛! 死なないから! 大丈夫だから!」
椛は獣じみた殺気を放ちつつ、文のカメラを引ったくろうとしていたが、やがて話を聞ける状態まで落ち着いた。
「ほら、そんなに深くないのよ。足もつくし」
確かに、砂に埋まった文の姿は、両肩が見えていた。
それより背の低い椛は、首まで埋まっていたが、やはり溺れるようなことはない。
そこでまた、レティの声が部屋に響いた。
『どうかしら~。第三の試練は』
「試練というほどのことですかね、これが」
『でも鍵は砂の中よー』
「うっ!」
そうだった、と椛はうめいた。さっき文が放ってしまった鍵は、親指ほどの大きさ。この広い砂のプールでは、探すのは一苦労だろう。
ただでさえ服の中に湿った砂が入って気持ち悪いのに、また砂まみれになって探さなくてはいけないとなると……。
椛は砂にたゆたいながら、
「どうしましょう、文さん」
「そうね」
砂の下から、文の腕が現れた。
その手の中には、スペルカード。それを彼女は、ちらりと確かめてから、得意げな笑みになって、
「乱暴な手だけど、これでいくか。椛、ちょっと我慢していてね」
「え?」
文は砂の中にスペルカードを突っ込む。
「旋符『紅葉扇風』!」
発動と共に無数の光が、砂の間からあふれでる。
突如、流砂は文を中心にして爆散した。
「うわああああ!!」
椛は景気よく入り口まで吹っ飛ばされたが、空中で何とか体勢を整え、両足で着地した。
部屋の中央で、砂の竜巻が起こっている。だが、椛の方には、砂粒一つ飛んでこなかった。
向こう側で、文が手をこちらにかざしている。
「こ、これは!」
椛は驚愕した。
文は、自らが起こした暴れ狂う風を、砂ごと完全に制御しているのだ。
空中で大量の砂を攪拌し、一粒も外に逃さない。
膨大な妖力と、精緻な技巧があってこそできる芸当であり、椛には到底真似できない。
やがて砂がおさまったとき、空中に小さな鍵が浮いていた。
文はそれを、軽い風で引き寄せて、手におさめる。
「さ、さすが文さん!」
感嘆する椛に、文はひとさし指を向けてきた。
こちらが驚く間もなく、その指から突風が放たれる。
それは椛の服の襟元から、あるいは袖から、ひゅるると中に入り込んだ。
「うぇ、な、ちょ、ひゃっ!」
風は椛の体を隅々まで這い回る。やがてスカートから抜け出して、渦を一つ巻いてから消えた。
椛は真っ赤になってしゃがみこみ、
「な、何するんですか! 文さんのエッチ!」
「何って、砂を取ってあげたんだけど」
「…………あ」
椛は慌てて、体を触ってみた。
ざらついていた肌の感触がなくなっている。
文の風が、湿った砂を綺麗にふき取ってくれたのだ。
「どう? 全部取れてる?」
「……はい。ありがとうございます」
「ここは寒いから、本当は使いたくなかったんだけどね」
ふぇっくしょん、と文は向こうでくしゃみをしている。
椛は流砂の上を飛びこえて、そちらへと移った。
文は手に入れた鍵を、扉にはめようとしている。
「あれ、穴が三つあるわね」
「え?」
確かに、鍵穴の数は三つだった。
そして、手に入れた小さな鍵が合うのは、その内の一つだけだった。
『鍵があるのは、その砂の中だけじゃないのよー。他にも二つ、部屋のどこかに隠されていて……』
ズガン!!
レティの台詞の途中で、轟音と共に青銅の扉がひしゃげ、後ろに倒れていく。
椛はぽかんと口を開けた。
彼女の上司が、ミニスカートから伸びた脚線美をしまう。
「これで勘弁してください。もう寒くて仕方がありませんから」
ぱんぱん、とスカートを払う文は、すました顔をして言った。
頑丈な扉をあっさり蹴り壊したというのに、別段凄いことを成し遂げたような様子もない。
だが、椛は……
「椛、そんな変な顔してどうしたの?」
「いえ……文さんはやっぱり強いな、と思って」
「見直した?」
「いえ、最初から知ってましたから」
椛は力無い笑みを見せた。
「行きましょう、文さん」
気を取り直して、次の部屋へと進む。
文が肩に手をやろうとする気配に気づいたが、椛はそれとなく避けた。
●●●
それから二人は、いくつかの試練を突破した。
どれも一見、危険な罠に思えたが、終わってみると、総じてどこか間が抜けていた。
例えば、左右の壁から丸太が飛びだしてくる廊下があったが、その正体は巨大なハンコだった。
地雷原が仕掛けられた部屋もあったが、踏んだらブブーという音と臭い煙が出るだけだった。
もっとも、椛に精神的な疲労を課すという点では、いずれにせよ悪質な罠であった。
そして、休み無しでそれらをこなすのも、なかなかの苦痛であった。
何しろ迷宮はどんどん深くなっていくし、窓が無いために時間感覚が怪しくなる。
上司の鴉天狗は、相変わらずの強さと余裕で切り抜けていたが、いつの間にか彼女も、口数が少なくなっていた。
「ん?」
そうして、椛達が入った何番目かの部屋は、今までとは違った内装であった。
壁の色はクリーム色で、ランプの数も多く、明るい雰囲気である。
寝そべられるくらいの大きさの、長いすまで用意されていた。
「なんだろう、ここは」
『そこは休憩室と考えて構わないわ~』
もう慣れたものだったが、どこからともなくレティの解説が聞こえてくる。
「休憩室?」
『ええ。ゆっくり休んでちょうだい』
「そう言っておいて、実は罠があるというオチなんだろう」
『そんなことないわよ~、次の試練が大変だからよ。でもそれが、最後の試練なんだけど』
「最後?」
『ええ。本当に最後よ』
つまり、次の試練が終われば、地上へと脱出できるわけか。
椛はほっとため息をついた。
「聞きましたか、文さん。もうすぐ、ここから出られますよ。とりあえず休みましょう」
冷えたソファを手で確かめながら、椛は言う。
「出たあとは、早速あいつをとっちめてやりましょうね」
「………………」
「文さん?」
振り向くと、文は顔の半分をこちらに向けて、こくりとうなずいていた。
おかしい。無言の彼女の横顔が、椛には気になった。
「文さん、何か隠していませんか」
「…………何でもないですよ」
椛はハッと、顔を強張らせた。
「文さん、何があったんですか」
「だから、何でもないですって」
「文さんは、何か困ったことがあったり、言いにくいことがあると、私にも敬語になります」
「あやややや、バレてましたか……」
「隠さずに言ってください」
文は困ったように笑っている。
だが、その顔は青く、一筋の冷や汗が流れていた。
「大ピンチです、椛」
「やはり、どこか怪我をしていたんですね」
「……………………」
「申し訳ありません! 私が不甲斐無いばかりに……!」
「…………違いますよ」
「違いません。私に心配させまいと、文さんは」
「いや、そうじゃなくってね、椛」
「え?」
椛はきょとんとした。
「別に怪我はしていないのよ。そうじゃなくって」
文はくすぐったそうに、もじもじしている。
だが、彼女が何を言いたいのか、椛にはまだ分からなかった。
「その、ここは寒いですよね。そして、入ってから結構時間がたっていて……ですから」
「……………………」
「き、気づいてください。椛」
「……………………はっ!?」
ようやく椛は悟った。
文が両足をぴったりつけながら、そわそわしていることから。
「ま、まさか文さん!」
「あ、あまり大きな声は出さないで」
「そんな、お、おし……」
「言わないで! まだ少し我慢できます! でも危険です! 助けてください!」
「はい、わかりました!」
椛は血相を変えて、部屋中を見渡す。
すぐに、伝声管を見つけ、それに飛びつくようにして、
「おい! 聞こえるか! レティ・ホワイトロック!」
『何かしら~?』
「今すぐ出口の場所を教えろ! 大至急だ!」
『それじゃあ面白くないじゃないの~』
「いい加減にしろ! 大変なことになってるんだ! このままでは文さんが……」
『なあに?』
「も、漏らしてしま」
「椛!!」
「ご、ごめんなさい文さ……失礼いたしました! 射命丸様!!」
火を吹くような目で睨まれて、椛は思わず敬称で言い直した。
幸い、レティの方にも事情は伝わったようだった。
『あらら、大変そうね~』
「うつけ者! のんびり会話している場合か!」
『そこを汚されちゃうと困るわね~』
「よ、汚すとか言うな! さっさと我々を外に出すか、さもなくば厠の場所を教えろ!」
『大丈夫よ~。分かりにくいけど、貴方の右手側に、小さな扉があるでしょ。そこが水洗トイレになっていて』
「文さん!! その扉です!」
叫んで指をさした先の扉に、突風と化した文が出現し、開けて中へと飛び込んだ。
部屋は静かになる。椛は手を組んで祈りながら、じっと待った。
十五分が経過した。
一度、水を流す音が聞こえたが、文はなかなか出てこない。
椛は心配になって、そっと声をかけてみた。
「あの……文さん?」
「……………………」
「その……大丈夫ですか?」
「…………椛」
か細い声が返ってくる。
「……私はもう、ここから出ることはできない」
「そんな! 何があったんですか!?」
「……あたたかいの」
「温かい!?」
衝撃的な発言に、椛は眩暈を覚えた。
ついに最悪の事態が起こってしまったのだろうか。
ふらふらと頭を抱えていると、
「違うわ椛……私は間に合った」
「よ、よかった」
「でもね」
心なしか、文の声は幸せそうだった。
「暖かいの、このトイレの室温が」
「は?」
椛は目をぱちくりさせた。
「だから、私はここから出ることはできないわ……」
「何言ってんですか! 終わったんなら、早く出てきてください!」
「だめ、外は寒いもの」
子供のような声で、文は扉ごしに嫌々をする。
椛は伝声管に向かって、
「おい、どういうことだ!」
『設計者によれば、水が凍らないように、トイレだけは暖房にしたらしいわ~』
「あ~、助かります~」
その声は、本当に気持ちよさそうであった。
どうやら、ピンチを脱した上、厳しい寒気の中から暖気にありつけたために、文はトイレでくつろいでしまっているようであった。
「ちょっと文さん!」
椛はドンドンと、トイレの戸を叩きながら、
「本気ですか!? 炬燵から出れない猫じゃあるまいし! 厠で暖を取る天狗なんてどうかしてますよ!」
「何とでも言って。毛皮を持つ椛には分からないのよ。寒さに震えた者だけが、太陽の温もりを感じられるのです」
「そこトイレじゃん!」
「トイレだろうと何だろうと、私には楽園なのです」
恍惚とした口調は、天国の在り処を説くトイレ教の宣教師のようだ。
楽園の外にいる椛は、業を煮やして、
「文さん! そこから出なければ、山にも帰れませんし、記事もかけませんよ! いいんですか!?」
「いいんです。ここで記事を書きます」
「はあ!? そんなバカな!」
「椛が配達してください。あと食事も日に三度運んでください」
「私をあてにしてトイレに引きこもらないでください!」
「じゃあ私を置いて、一人で行ってちょうだい」
「なんでそうなるんですか!」
「もう、寒さに疲れたんです私は」
それは、いつもの明るい文からは想像もつかない、弱々しい台詞だった。
椛が憧れた強さが、まるで感じられないほどに。
だが、彼女を置いていくことなどできない。できるはずがない。
白狼天狗は、ついにある決断をした。
「……文さん。それほど寒さが辛いなら、私を使ってください」
「え?」
「私の尻尾を体に巻いてください。私の体で暖をとってください。私は文さんをおぶっていきます」
「………………」
覚悟が必要ではあったが、これで文が出てくる自信があった。
しかし、予想に反して、文はトイレで無言のまま、外に出てくる気配がない。
椛は苛立って、叫んだ。
「文さん! それとも、トイレの方が暖かいというんですか!? 私の温もりでは、不足だというのですか!?」
「……違うわ」
「じゃあどうして!」
「……でも、椛は嫌がっていたじゃない」
「え!」
どきりとして、椛は言葉に詰まった。
「椛は私にしがみつかれるのが嫌なんでしょう。ここまで来るまで、ずっとそうだったじゃないですか」
「あ、文さん……それは……」
「だから、無理はいいません。もう……拒絶されるのは嫌ですからね」
「そんな……」
その言葉は胸に、深く、深く、刺さった。
文はずっと、自分が嫌がっていたために、寒さに耐えていたというのか。
そんなこと、全く気がつけなかった。
でも本当は、文を拒絶した本当の理由は違うのだ。
「文さん、ごめんなさい!」
椛はその場に正座して、隠していた理由を語り始めた。
「聞いてください。私、犬走椛は、山を守ること以外に、さほど能を持たぬ天狗です。上司の命令に忠実に従い、任務を遂行するのみ。この世に生を受けてから、それ以外のことにも興味を示せず、考えることもしませんでした。ですが、一人の上司が、そんな生き方を変えてくれたことを、私は今も忘れていません」
その時のことを思い出しながら、椛は懸命に伝えようとした。
仕事中にいきなりやってきて、新聞の批評を求める、おかしな上司。
椛が嫌がっても、彼女は離してくれなかった。それだけじゃなく、
「しがない白狼天狗でしかない私に、文さんはいつもよくしてくれました。はじめ私は、心を閉ざしていましたが、いつしか貴方に会うのが楽しみになっていました。文さんは私にとって、唯一気軽に会話できる大切な上司なんです。今も昔も……そしてできれば、これからも」
あの時から、彼女はいつも明け透けな態度で、椛に接していた。
時に椛をからかい、時に椛を勇気づける。いつしか、様づけじゃ堅苦しいから、名前で呼んで、とまで打ち解けていた。
「しかし、気軽に、といっても文さんと私では階級が違います。そして、実力にしても、私は文さんに遠く及びません。白狼天狗である私にとって、鴉天狗の貴方は、あくまで畏敬と憧憬の対象です。だからいつも、一歩引いた態度で接するよう努力してきました。それでちょうどよく、それで十分だったんです。でも……」
そこで椛は、最初の部屋での出来事を思い出す。
回らぬ舌で、言葉をつかえながら、
「だ、だから、あの時は本当に驚きました。あ、あ、文さんが、あんな風に抱きついてきて、動転しました。急に貴方との距離が近くなってしまい、怖くなったんです。それまでの私の世界が、一気に壊れてしまうんじゃないかと思って。ですが、わ、私の心は変わっていません」
椛は大きく息を吸い込んだ。
「私は射命丸文様を慕っております。これからも、貴方の側にいたい、そして、できるならお守りしたい。それが私の、本当の気持ちです」
言えた。ついに言うことが出来た。
清々しい空気が、体の内を通り抜けていく。
椛は胸を張り、凛とした声で、
「ですから、山へ帰りましょう。どんな厳しい寒さからも、犬走椛は貴方を守ってみせます」
「……………………」
「文さん、出てきていただけませんか。私のために」
待つ。待つだけなのに、かつてない緊張が椛を襲う。
目を閉じ、ぐっとこぶしを握って、自らの鼓動を聞きながら正座で待った。
やがて、その耳に、カチャリ、という音が聞こえた。
扉が静かに開いていく。その向こうに、恥ずかしそうに椛から顔をそらした、いつもより元気のない、射命丸文が立っていた。
だが、彼女は一歩踏み出して、外へと出てくる。
椛はそれに背中を向けて、そっとしゃがんだ。
「さあ、文さん。つかまってください」
両肩に手が置かれ、背中が温かくなる。
椛は両手を後ろに回し、文の両ももをしっかりと支えた。
彼女は意外なほど軽く、そして、
「……やっぱり、椛の方が温かいですね」
白狼天狗は無言だった。
ただし、パタパタと動いた尻尾が、文の背中を軽く叩いた。
●●●
椛は背中に文をおぶって、薄暗い道を歩いていた。
明かりは無い。だが、天井や壁の石がぼんやりと緑色に明滅しているので、頭をぶつけるようなことはない。
しかし、床は湿っていて滑りやすく、背中に文を乗せているために、自然と歩く速度もゆっくりになる。
最後の試練は、どこまでも続くかに思える、まさに迷宮そのものであった。
「…………どこまで来ているんだろう、私達は」
分かれ道は無く、基本的に一本道なのだが、右へ左へと曲がりくねっているので、方向感覚を狂わされそうになる。
もはや、レティの家から遠ざかっているのか近づいているのかすらも、判断できなかった。
「文さん、寒くないですか?」
「…………うん」
うなじに吐息が当たって、椛の足運びが乱れた。
今背中にいるのが誰かと思い出し、全身が緊張で固まる。
――平常心、平常心だ!
椛は自分に言い聞かせながら、口を真一文字に結んで歩く。
かわりに別のことを考えることで、気を紛らわせようとした。
例えば、二人をこの迷宮に落とした、レティ・ホワイトロックのことである。
卑怯にも、姿を現さずに声だけで、からかい混じりに椛達を誘導する冬妖怪。今の椛にとって一番腹の立つ存在である。
だが、あらためて考えてみて、彼女のやってることは謎だらけだった。
――奴のねらいはなんだ?
すでに椛は、山に現れたという妖怪が、この迷宮にいるとは思っていない。かといって、彼女の狙いが、自分達の命のようにも思えなかった。
例えば彼女が本気で椛達を殺すつもりなら、あんな間抜けな試練は使わないはずだ。最初の部屋で、一気に寒気を送り込んでしまえば、すむことなのだから。
彼女の真の目的は何か、そもそもどこに連れて行こうとしているのだろうか。
それがさっぱり分からなかった。
――もっと早く、そのことで文さんと相談しておけば……
再び背中の鴉天狗に意識が向かい、顔に血が上る。
昨日の自分がこの光景を見たら卒倒していただろう。というか今だって倒れそうだ。
白髪の椛が憧れた、艶のある漆黒の髪。その文の髪が首筋にさらさらと触れる。
心なしか、冷気に混じって、ほのかに文の香りが……
「…………椛」
「ご、ごめんなさい! 私はそんなこと考えていません!」
「………………」
「あれ、文さん?」
「…………」
「文さん! しっかりしてください!」
文の返事がない。
肩にまわされた手も、だらりと下がっている。
椛の心に、焦燥がわき起こった。
「大変だ。急がないと」
文はこの寒さに弱っているようだ。
できればさっきの休憩室に戻りたいが、今から戻っても間に合うかどうかはわからない。
それより一刻も早く、迷宮を突破する必要があった。
「文さん、すぐにここを脱け出して、休ませてあげますから! それまでの辛抱です!」
椛は走り出そうとした。
ぴちゃっ、と足元で、水音が鳴った。
「………………?」
今気がついた。
なぜこの道は、水たまりが多いのか。
なぜ壁が、こんなに湿っているのだろうか。
嫌な予感に背中が冷えていく。
「まさか……最後の試練は……」
その嫌な予感が、ごうごうと現実の音となって、後ろから聞こえてくる。
椛は振り向いた。
はるか後ろの曲がり角、そこから黒々とした大量の水が現れた。
「水ぜめか!」
椛は罵声をあげて駆け出した。
背後から濁流が、二人を飲み込もうと勢いよく迫ってくる。
一体どこからこんなに大量の水が。
と椛は、その源に気がついた。
「まさか、湖の!」
思い当たる水源は、この家の近くにある『霧の湖』だ。そこから、何らかのカラクリで、迷宮に流し込んでいるのだろう。
だとすれば、水量は半端なものではない。この狭い通路なんて、あっという間に水没してしまう。
「負けるか!」
椛は気合を入れて走り始めた。
文を背負っている上に、道は真っ直ぐではない。
大岩の時と比べて、この試練ははるかに難易度がましていた。
角を曲がるたびに、緊張と負担で、心臓が破けそうになる。
だが、椛の足は力強く前に向かっていた。
「くぁっ!」
滑りかけて体勢を崩し、右足に痛みが走る。
だが、椛は止まらない
「……私は諦めないぞ!」
背中の文の存在が、椛にエネルギーをくれた。
さっきまでは、文より弱い自分が、文を守るなど、おこがましいと思っていた。
でも、大事なのは、文のために何かをしたいという気持ち。その気持ちなら、昔からずっと持っている。
そして自分にできることは、今ここにあった。
寒さをこらえていた彼女は、今自分を頼りにして、命を預けている。
その思いに答えられなければ、犬走椛の一生の不覚である。
自分の持てる力を最大限に発揮し、この試練を突破する。
そうすることで、初めて自分を認めることができる。
水の轟く音が近づいてきた。
もう一度、椛は自分に言い聞かせる。
「私は諦めない! 文さんは私が守る!」
耳元で囁き声がした。
「いいえ、私が椛を守るの」
「!?」
突然、椛の体が、ふわりと浮いた。
そして、空気を叩く音と共に、流れていく光景が急激に加速した。
「ええっ!?」
椛はいつの間にか、大風にさらわれていた。
迷宮内を高速で飛んでいる。一歩間違えれば壁に激突するほどの、もの凄い勢いだ。
自分の力ではない。この速度で飛べるのは……。
思わず椛は、後ろに声をかけた。
「文さん! 目を覚ましたんですか!?」
「ええ! しっかりつかまって!」
「はい!」
文を背負った状態で、椛は力強く返事する。その声は弾んでいた。
狭い通路を上下左右に、飛んでいく。風圧が鼓膜を締め付ける。
身がすり切れそうなほどの緊張感。
椛の知るリズムとは、まるで違う速度の世界が続く。
やがて二人の前に、大回廊とでも言うべき、巨大な直線の道が現れた。
背後の水が巨大化し、唸りをあげて襲ってくる。
視力に優れた椛の眼が、はるか遠くが行き止まりになっていることを確認した。
「文さん! 行き止まりです!」
「道を探して、椛!」
「う、上です!」
「よし!」
文は壁にぶつかる瞬間、燕のように急ターンをして、垂直に上昇をはじめた。
手を伸ばす水流をあざ笑うかのように、ぐんぐんと引き離していく。
もう一度、力強く羽ばたき、文は椛と空を踊る。
――すごいや……
まさに彼女は風だった。迫る困難を余裕で切り抜けてしまう、自由な風。
遠くで見ているだけだったその憧れの風を、椛は全身で感じ取る。
それが許されているのが、世界で自分だけなのが、椛にとって何よりの喜びだった。
やがて、二人は天井にたどりつき、その横にくり抜かれた石室を見つけた。
衝撃波を引き連れて、二人はそこに転がり込む。
水はここまでやってくる気配はなかった。
耳を震わせていた風音が過ぎ去り、静寂が戻ってくる。
「はぁ、はぁ、助かった」
椛は床で、大の字になって息をする。
その側では、文がしゃがみこんで息を整えていた。
彼女にもきつい飛行だったらしい。椛は心配したが、文の顔色はむしろ良くなっていた。
「はぁ、はぁ、文さん、さっきは返事が無くて、心配しましたよ。このまま文さんが、凍死してしまうんじゃないかと思って」
「はぁ、はぁ、ああ、あれね」
文は息を切らしたまま、ふふっ、と笑って
「つい寝ていたの。誰かさんの背中が気持ちよくて」
「あ、文さん。からかわないでください」
椛は赤くなって、そっぽを向いた。
だけどどうしても、尻尾は左右に揺れてしまう。
文は立ち上がり、奥を指さした。
「見て、椛。あれがきっと出口よ」
その先には、天井の隅に備え付けられた、木製の扉があった。
椛は起き上がり、堂々とした足取りで、その扉へ向かう。
その後ろを、文がついてきた。
肩にぽんと手が置かれる。椛はその手に、そっと頬をよせた。
「ついにゴールですね」
「ええ。レティさんのお宝が待っているわよ」
「どうだか。私はやっぱり、あの妖怪は信用なりません」
「まあ、それも本人に聞いてみなくちゃね」
扉が開いていき、外の光を迎え入れる。
二人はついに、『ホワイトロックの迷宮』から生還した。
●●●
床から這い出した椛は、部屋の中を見渡した。暖かい空気が体を包む。
明かりに照らされた室内で、最初に目に入ったのは木製の壁だった。
窓の外では、すでに日が落ちている。その窓際には大きなベッドがあった。
「ここは、レティさんの家に戻ってきたということかしら」
「……の、ようですね」
だがこの部屋は、ここに来た時に二人が案内された、客間ではなかった。
二人は上へとあがった。
大きなベッドで、誰か眠っている。
「もしかして彼女が、怪我をしたと聞く夜雀じゃないでしょうか」
「………………」
「文さん?」
「……そんな」
文は狼狽した様子で、そのベッドで寝ている夜雀を覗き込んだ。
「ミスティアさん……」
「お知り合いですか?」
「ええ。八目鰻の屋台をやっていて……」
「あっ」
椛は思い出した。その店については、この前に文に誘われたことがある。
八目鰻の蒲焼を売る、夜雀の屋台。美味しくていい雰囲気の店だから、今度二人で行きましょうと。
天狗に襲われたというのは、彼女のことだったのか。
「…………誰?」
ミスティアが目を覚ました。
ぼんやりした表情で、椛と文を見る。
その顔が、恐怖で歪んだ。
「ひっ! て、天狗!」
「ミスティアさん!」
「いや、こっちに来ないで! もう山には入らないから……!」
「落ち着いてください。大丈夫です」
パニックになりかけたミスティアを、文は小声で穏やかにさせる。
椛が驚くほど、優しく真剣な口調だった。
「大丈夫です。我々は貴方を傷つけたりはしません。仲間の天狗がしたことは、心からお詫びします。でもそれは、ほとんどの天狗にとって、本当に意外な話だったんです。山の天狗の多くは本来、無闇に麓の妖怪を傷つけるようなことはしません。私を含めて」
ミスティアは声を押し殺して、瞳の動きだけで、その真偽を確かめようとしている。
「ええ本当です。ですから今、山で何が起こっているのか。きっと事件を究明して見せます。だからミスティアさんは、ゆっくり休んでください。ここにいれば安全ですから」
「………………」
「元気になったら、また貴方の屋台に寄らせていただだきます。その時は、美味しい八目鰻と、素敵な歌をお願いしますね」
「………………」
しばらくミスティアは、無言で文を見上げていた。だがやがて、その眼をゆっくりと閉じていく。
一瞬、椛達は動揺したが、すぐに規則正しい寝息が聞こえて、ホッと息をついた。
「そうか、そうだったんだ……」
「何がですか?」
「最初からこの部屋に謝りに入っていれば、レティさんを怒らせて、地下に落とされることもなかったんだ」
「え…………」
「私達は遠回りしてやってきたのよ。彼女の……『宝物』の場所に」
椛は言葉を失った。
それがレティの真の目的だったのなら、彼女は本当は……。
考えをまとめようと、努力していると、
「……何だか外が騒がしいわね」
「え?」
ばたん!
と、部屋の扉が急に開いた。
「ミスチー!!」
いきなり、四人の子供妖怪達がなだれ込んできた。
椛と文を突き飛ばしかねない勢いで、ミスティアのベッドへと走る。
「ミスチー! やったよ私達!」
「天狗をこてんぱんにしてやったわよ!」
「そう! 橙が敵を討ったのよ!」
「山で遊べるようになったんだよー」
「うわーん、ミスチー!」
ある者は笑い、ある者は涙を流して、ミスティアに話しかける。
「八目鰻も捕っていいことになったんだよ!」
「大天狗さんが、許してくれたの!」
「早く傷を直して、みんなで捕りにいこうね!」
「今夜はみんなで泊まるからね!」
いきなり騒々しくなった空気に、二人の天狗は呆然としていた。
「ほらほら、それくらいにしておきなさい」
そののんびり声に、椛の頭が瞬間的に沸騰した。
「レティ・ホワイトロック!」
「待って椛」
振り向いて刀を抜きかけた椛を、文はいさめる。
そして、部屋に入ってきたレティと、真面目な顔で向き合った。
「今度こそ、どういうことか説明していただけますね、レティさん」
「もちろんそのつもりよ。夕食がてらね」
エプロン姿のレティは、はめた大きな手袋で、奥を指し示し、
「あったかいシチューが出来てるから、天狗さん達も召し上がっていってちょうだい。下は寒かったし、お腹も空いてるでしょ?」
椛は目を丸くした。
ふんわりした笑顔で語られる声は、地下室で聞くのよりも、ずっと優しい響きだったから。
●●●
レティの家のテーブルはかなり大きかったものの、さすがに七人の食器が並ぶとなるとスペースがほとんどなく、椅子の数もぎりぎりだった。
したがって、椛の左には文が座ったものの、右には面識の無い宵闇の妖怪が座り、共にシチューをいただくことになった。
あまり落ち着かなかったが、子妖怪達は気にせずお喋りしながら、食事を楽しんでいる。
隣の文は、レティと会話していた。
「それにしても驚きました。まさか、私達のいない間に、そんな作戦が行われていたなんて」
「ごめんなさいね、二人とも」
「いえ、あの地下室も面白かったですし……あ、このシチュー美味しいです本当に」
文は苦笑しつつ、シチューに舌鼓を打つ。
椛もそれを見て、スプーンを口に運んだ。じんわりと優しい味が、舌の上に広がっっていく。
「どう? そちらの天狗さん」
「…………美味いです」
それから椛は、警戒を解き、胃袋にまかせて食べ始めた。
すでに、椛と文は、事件の概要を聞いていた。
大天狗鞍馬の陰謀。そして、幻想郷に現れた妖怪を送り帰そうと、子供妖怪達が力を合わせて、山に立ち向かったこと。
にわかには信じがたい話だった。事実なら間違いなく、明日の新聞を賑わせることになるであろう大事件である。
しかもよく考えてみれば椛達は、その妖怪を連れた子供達と一度出会っているのだった。
氷精の機転によって、逃してしまったのだが。
「チルノさんにもすっかり騙されました」
「そうね。チルノ、おかわりしなさい」
「うん! レティ、おかわり!」
「もっともっと食べなきゃ駄目よ。チルノはとっても頑張ったんだから」
「なんか、今日のレティ変なの」
大盛りシチューを受け取って、チルノは無邪気に笑っている。
……気のせいか、レティの笑顔には邪気が混じっていた。
文は軽くため息をついた。
「でも、残念です。ぜひとも、その妖怪に会って、話を聞いてみたかったのですが」
「あら、それならみんなに話を聞いてみたら?」
「みんなに?」
「ええ、みんなに」
レティはそこで、子供妖怪四人に話を振る。
「この天狗さん、青の話を聞きたがってるんだって。貴方達、話してあげたら?」
すると、ぺちゃくちゃお喋りしていた四人が、そろってこちらを向いた。
二人がぎょっとする前で、いっせいに目を輝かせて話し出す。
「青の話!? もちろん!」
「でもどうして聞きたいのー?」
「わかった! しんぶんまるぶんぶんで記事にするのね!」
「いえ、チルノさん。文々。新聞です」
「青を記事にしてくれるの!? やったー!」
「すごーい、青は有名人だー」
「青にも教えてあげたいね!」
そのはしゃぎっぷりに、文は目を面食らいつつも、手帖を取り出す。
「え、えーとまず、その青という妖怪の、姿と特徴を教えてください」
「青はねー、頭が大きくてつるつるでー」
「身長はこれくらいでー」
「ひげがあって、赤い首輪もしてた」
「あと飛べなくて、足も遅くて」
「す、すみません皆さん! いっぺんに話さないでください!」
「でも飛んでたわよ! 橙、あれどういうことなのよ!」
「そうだ、橙が話さなきゃ。さっきまで、主さんに抱きついて、大泣きしていたんだもの。私達に説明もしないで」
「も、もー! 言わないでよリグル!」
「ねー、青は無事に帰ったの橙―?」
「私達のこと、何か言ってた?」
「うん! ちゃんとみんなのことを話してたよ! 絶対忘れないって!」
「当たり前よ! あたい達のこと忘れたら、ぶん殴りにいってやるわ!」
「どうやって行くのー?」
「…………どうやってだろ」
「大丈夫! 忘れなきゃ、きっといつか……いつか……」
「ちぇ、橙。また泣かないでよー」
「いいのよ泣いても。橙は一番泣く資格があるんだから」
べそをかく橙の頭を撫でながら、レティは言った。
文はフルスピードでペンを進めながら、
「ちょ、ちょっと待ってください! まずその妖怪の容姿は、頭が大きくてつるつるで」
「足が短い」
「口がでかい!」
「お腹に御札ー、あ、でも後で見たらポケットだったー」
「あのポケットから、色んな道具を出していたよね」
「えーと椛。私は文字にしますから、貴方は絵を書いてください」
「え、絵ですか!?」
いきなり紙とペンを渡されて、椛は裏返った声をあげた。
風景画ならともかく、人相書きなどしたことはない。
ただし皆が期待のこもった目で見つめてくるので、言われるままに、頑張って描き上げる。
出来上がった絵を、文はのぞきこんできた。
「これ怪獣じゃないですか。実際に会ったら怖そうです」
「青は怪獣じゃないよ!」
「そうよ! 第一、全然怖くないし! こいつの絵がヘタクソなのよ!」
「だ、誰が下手糞だ! お前達の説明の方が下手なんだ!」
「怖くないってことは、凶暴じゃないんですか?」
「青は優しいよー」
「うんうん、あと笑うと可愛い」
「うん! 青はすっごくいい子で、私達の仲間だったんだよ!」
「今でも仲間よ!」
「そうだった! 今でも仲間!」
「じゃあ、無事に元の世界に帰った青に乾杯しましょう!」
「かんぱーい!」
四人とレティは、グラスを持ち上げる。
文と椛も、目を白黒させながら、それに付き合った。
それからしばらく、山の妖怪に麓の妖怪、冬妖怪に氷精という不思議な面子で、いさかいのない、楽しい談笑が続いた。
●●●
天狗の二人がその家を出たのは、外がすっかり暗くなってからだった。
「『冬に突然現れ、山を騒がせた妖怪、青。大天狗ですら目もくらむほどの妖力、その正体とは……』。ふむふむ、いい記事が書けそうです」
レティ宅の玄関前で、文はパタンと手帖を閉じた。
「椛も大変なことにつき合わせちゃって、悪かったわね」
「いえ……」
返事は短く、小さかった。
実は椛は、さっきの食卓の場から、複雑な心境が続いていた。
「レティさん、いい人だったですね」
「そうね」
あらためて話してみて、レティがいい妖怪だということは認めるしかなかった。
きちんと謝ってくれたし、晩御飯はご馳走になったし、子供妖怪にも慕われているようだった。
でも、椛は悩んでしまう。
馬鹿な考えだと分かっているが、本当にレティが黒幕だったら、と思ってしまう。
そうだったら、文はまだ地下迷宮の時のように、自分を頼りにしてくれていたかもしれないから。
終わってしまえば、単にレティのおふざけにつき合わされていただけで、そんなに切羽詰った状況でもなかったように思えた。
なにしろ格好悪かったし、みっともないシチュエーションであった。
それでも、あの時の椛は、本気の本気だった。
文はこちらを向いた。
「椛」
「はい?」
「おほん。あの地下での出来事は、お互いに内緒ですよ。恥ずかしいですからね」
「……はい」
釘を刺す文に、いよいよ椛は、ふてくされた声で返事した。
これで、あそこで振り絞った勇気が、全部無かったことにされてしまうわけだ。
あんな状況でも無ければ、二度と伝えられない思いだったのに。
頭を垂れて、地面に蹴る石がないかを探していると、文のつぶやき声がした。
「……二人だけの秘密です」
え……。
「あ、文さん?」
椛は顔をあげるが、文は振り向かずに飛び去っていく。
「さあ、急いで山に帰って記事を書かなきゃ!」
椛も慌てて、その後を追って地面を蹴る。
「ま、待って! もう一度言ってください文さん!」
「ほら、置いていくわよ椛ー」
「今のどういう意味ですか! ねー、ちょっとー!」
住み処に帰っていく天狗が二つ。
その山の天辺にも、輝く星が二つ。
二人の声は遠ざかっていき、辺りはひっそりと静まりかえった。
「……ないしょないしょ。みんなでないしょ。私はなんにも聞いてない」
天窓から顔を出して、その影達を見送る者が一人。
「でも、お幸せにね、二人とも~」
夜風にそう呟いて、彼女は静かに、窓を閉じた。
(おしまい)
お楽しみだったみたいで何よりです(汗)
それにしてもレティの黒幕ぶりは流石ですね。
迷宮って聞くだけでワクワクしますね。
やっぱ文と椛の組み合わせって良いですよね。
迷宮での椛との掛け合いから、文がミスティアへ同属が行ったことへの謝罪など
見応えがあり面白かったです。
誤字の報告
>どれだけ覚悟したと思ってるんですか!
この椛の台詞の「」ですが文末の ”」”が ”』”になってました。
>そのの正体は巨大なハンコだった。
『の』が一字多いですよ。
マジック総帥を思い出した。
でも、文たち天狗と橙たちの橋渡し的役割を果たしたり、なにげにすごいですね、彼女。
ミスティア早くよくなって! という願いも込めて点をば。
でもってレティがすてきなお母さんぽくてなごみました。シ、シチューくいてえ…!
式の式の式は子供(?)達が頑張ってましたけどこっちはインディージョーンズみたいな感じです。
次回作も楽しみにしてます。
宝物がみすちー、という素敵な感性にも乾杯を。
こういう文と椛の関係は大好物ですぜ!
式の式の式も楽しませていただきましたが、こちらもとても面白かったです。