帽子が何かしらの力を持つのは自明の事実だと思う。
例えば、こんな話がある。
雪の降る日。ある老人が吹雪に晒されていた地蔵に帽子を被せたところ、後に地蔵が動き出し、老人にお礼参りしたという。老人宅を訪れた地蔵はアルカイックスマイルで一言。
「爺や、儂の火照った身体を鎮めてくれんかのおおおおおおおおお」
地蔵が老人に襲い掛かったこの恐ろしいエピソードは人々の間に長く語られている。長く語られているということは、人々の心に深く刻み込まれるほど恐ろしいものだということだ。
もちろん地蔵がそんな目も覆いたくなるような俗世間にまみれたことをするわけがない。
これは帽子が地蔵を操ったのである。
帽子の魔力は被ったものを操るほど強大なのだ。
――あれは帽子じゃなくて被り笠だった気がするが。
どっちでも変わらない、と思う。パチュリーにいわせれば、誤差の範囲、だ。
しかし、アリスはいつも顔を顰める。
「特定の条件下でしか観測されない事象なんて実用的じゃないわ」
起こった事象は起こったものなんだから、それだけを声高に叫べばいい。それが論理屋の仕事だ。大体、優秀な法則には例外が付き物である。「特定の条件下」のことを口に出しては事象の発見の素晴らしさが半減してしまう。
だがアリスは逐一「特定の条件下」に難癖をつける。
実験を行い、粗を見つけては指摘する。アリスは実験畑の農婦だった。
新しい方程式を発見した人間は称えられるが、それを確かめた人間は称えられない。
几帳面なアリスは生まれながらにして損な性格だと思う。
――ただ、私は嫌いじゃない。
新しい道を開拓していくことも、足場を固めていくことも必要だと思う。私は良いとこ取りのハイブリッドが大好きだ。
それで、だ。
帽子が何かしらの力を持つのは事実である。
私はそれを観測した。
いつもの身につけている頭の尖った黒い帽子。身支度を整え、それを被った途端の出来事である。
「ドロワああああああああああああああああああああずっ!!」
愛用の帽子は、私の穿いている下着を大声で叫んだ。
□
いつか私の帽子も魔力に当てられて妖怪変化のひとつでもすると思っていたのだが、突然の発見に非常に驚いた。決していきなり叫んだから驚いたわけじゃない。うん。
大体、帽子なんだから口も利けるだろう。外の世界にも「グリッフィンドォオォオォル!!」って叫ぶ帽子があるらしいし。
私はまず窓の外を入念にチェックする。帽子ではなく他の誰かが叫んだいたずらの可能性も考えられるからだ。しかし、影はない。気配もなかった。
それから、私は帽子を手にとって眺める。見た目は昨日までと変わっていない。
しかし、確実に帽子が喋ったのだ。声が頭の上から降ってきた。しかも、帽子の中で反響しているような響きだ。
私は確信する。
この帽子が喋ったのだと。
自然と顔がにやけた。これは研究のしがいがある。
――研究のためには、もっとサンプルを集めないとな。
私はこれからの行動を決めると、壁に立てかけてある箒を手繰り、帽子を被った。
「ドロワああああああああああああああああああああずっ!!」
また帽子が叫ぶ。それは男性の低い声だ。
私は顔が紅くなっているのを感じたが、新しい発見に興奮しているのか、下着を堂々と叫ばれているからなのか判らなかった。
□
朝の博麗神社。いつもの巫女服姿の霊夢が、石畳の上を箒で掃いているのが見えた。
箒に乗って飛んで来た私は、霊夢が集めたゴミを風で飛ばしてしまわないようにゆっくりと着地する。今日は余計な手間をかけたくないからだ。
霊夢は私の姿を認めると、しかし詰まらなそうにいう。
「何しに来たの?」
「そりゃあ、用を済ませに来たに決まっているだろ」
いつもの会話も、今は煩わしく感じられた。私は早速本題を切り出す。
「そんなことより霊夢、この帽子を被ってみてくれ」
「は?」
有無を聞かず、被っていた帽子を霊夢に被せる。
――実験というものはまず結果を予想するべきである。そうすることで考察の幅が広がるからだ。
私は予想する。
……私が被ったときは「ドロワーズ」と叫んだ。被った者に対して必ず反応を示すとして、帽子は着用者の穿いている下着を叫んでいるに違いない。
霊夢の下着はドロワーズだ。いつもその端を恥ずかしげもなくちらちらと見せているので間違いない。
帽子は「ドロワーズ」と叫ぶだろう!
一瞬間の予想。そして結果は――。
「じゅばあああああああああああああああああんっ!!」
帽子は、襦袢、と叫んだ。
馬鹿な。
霊夢の巫女服の襟を掴み寄せ、襟元を覗き込む。そこには薄い胸にサラシが巻かれているだけで、もちろん襦袢など着ていない。
ではなぜ帽子は襦袢と叫んだのか。私は判らなかった。
これはもう一度確かめるべきだろう。
私は帽子を持ち上げ、霊夢の頭の上に戻す。一呼吸置いて、
「濡れじゅばああああああああああああああああああああああんっ!!」
意味が判らなかった。帽子は、濡れ襦袢、と叫んだのだ。
何故濡れる。そしてその響きに、私の心がときめいたのは何故だろう。
私は考える。
――この帽子は着用者の穿いている下着を叫ぶんじゃなかったのだろうか。これは認識を改める必要がありそうだ。
私はドロワーズ。霊夢は濡れ襦袢。規則性はまだ判らない。もっと多くのサンプルが必要だった。
「襦袢?」
霊夢がきょとんとした顔でこちらを見詰めている。
この帽子のことを霊夢に話すにはまだ早い。私は代わりの説明を考える。
「最近喋るように改造してな。それはこの帽子の名前だぜ」
我ながら上手い説明だ。しかし霊夢は眉根を寄せる。
「どこからどう見ても帽子じゃない。どこが襦袢なのよ」
「いや、こいつの本名は『ヌレ・ジュバンニ』で、外人だぜ。好きなものはボトルジュース、嫌いなものは理不尽な巫女」
「はあ?」
霊夢は納得のいかない様子だ。しかし、私もこの帽子については判らないことが多いのだ。私と霊夢はきっと同じ気持ちだろう。
説明も終了した。長居は無駄だ。早く次のサンプルを探そう。
私は霊夢の頭からジュバンニをひったくる。それから辺りを見回す。大抵、誰か目ぼしい奴がいるものだ。
すると、茂みが動きを持った。木々の間からぬっと現れたのは、黒い翼を背負った姿。
「口を利く帽子とは珍しいですねえ。取材させてくださいっ!」
射命丸文だ。
いつもはそんな風に思わないのだが、特別好機のように感じた。何よりスカートの丈が短いので下着が確認しやすい。
「まあ、まずこの帽子ことジュバンニを被ってみな」
「被ればいいんですね……! わくわく」
文はわくわくしながらジュバンニを被った。
私はドロワーズ。霊夢は濡れ襦袢。――では、文は何と叫ばれるのか。規則性はまだ判らない。
しかし予想は止まらない。文の穿き得る下着をシミュレート、黒のスカート越しにその姿を見る。
――この感じ……水玉の三角形か!
予想が済むと同時、ジュバンニは叫ぶ。下着の名を。声高に。
それは。
「すとらぁぁああああいぷぅぅっ!!」
きょとん、とした。場が。
ストライプ――縞模様だと、ジュバンニは叫んだ。私は文が穿いている下着を確かめるため、咄嗟にスカートを捲った。
目を剥く。
「――黄色の色無地」
そこには淡い黄色の三角形が収まっていた。
私の予想は外れた。なんだか悔しい気分になった。
――いや、待てよ。ひょっとすると二枚重ねで穿いているんじゃなかろうか。その弱黄色の下には、水玉模様が眠っているに違いない!
逆三角形の上二頂点を掴み、引きずり下ろす。一瞬の行動に、文は「あ」と短い声を出すことしかできない。
私は凝視する。
そこにあったのは、まっさらな肌色。
思わず魔理沙、
「何も穿いてないじゃないかっ!」
「……脱がしてからいうことかぁっ!!」
直後、後頭部に衝撃が走った。
□
面倒なことになる前に博麗神社を後にする。
文に手刀を叩き込まれた部分がまだ傷むが、判ったことがあった。
ジュバンニは着用者が身につけている下着を叫んでいるわけではない、ということだ。
では叫んでいる下着の意味は何なのか。魔理沙はひとつの予想を立てる。
それは。
「ジュバンニ……お前、自分の好みで喋ってないか?」
□
「春ですよー」
そんな言葉を発しながら晴れ晴れとした青空を飛ぶ白の影がある。リリーホワイトである。
「よっ」
魔理沙は近づいて声をかける。春満開の今日、振り向いた顔はまさに満面喜色である。
それに構わず魔理沙は白のとんがり帽子を取り、自分の帽子を被せようとする。
ふと目を遣ると――帽子に付いているわけがないのだが――ジュバンニと目が合ったような気がした。
しばし沈黙。しかし風になびくジュバンニの動きはまるで問うているようだ。
――この娘の下着、何が似合うと思う?
沈思は一瞬間。
魔理沙は答える。
「紐パン」
いって魔理沙はリリーホワイトの頭にジュバンニを載せる。
その時、心なしかジュバンニが笑ったように思えた。
「ひもぱあああああああああああんっ!!」
おおっ! と、魔理沙の声は喜びを持った驚嘆の響きだ。
「珍しく意見が合ったじゃないか!」
魔理沙はジュバンニを取り上げ、両手に持って天に掲げた。ジュバンニは楽しそうに揺れた。
リリーホワイトも楽しそうに揺れた。
そして楽しくなった魔理沙はリリーホワイトのスカートの裾の中に潜り込んだ。
淡い闇の中、細い脚の付け根にその布を見つける。柔らかそうな布は腰の横で紐を結んで自らの位置を保っている。
それは紐パンだった。おまけに縁にはフリルが付いている。
おおおっ! と、魔理沙は声を上げる。
「やったぜジュバンニ! 麗しい紐パンだ!!」
その下着は、控えめながらも扇情的。魔理沙は興奮のあまりにリリーホワイトの脚にしがみつき、太腿の内側に頬擦りしていた。小さい子供独特の柔らかい肌の感触は魔理沙の欲情を煽った。また、その動きでジュバンニはその身体をリリーホワイトの少女三角地帯に擦り付けられていた。
やっべえ超楽し――魔理沙は心の中で喜びの声を上げた。
□
魔理沙は人里の外れにブレザー姿を見つけた。鈴仙・U・イナバである。背中に籠を背負っており、どうやら里に薬を売りにいくところらしかった。
それを引き留める魔理沙。
「まあちょっとこの帽子を被れ」
「あー? 何でよ」
「新しい自分に気付けるから」
嘘はいってない、と思う。私とジュバンニは本人達が気付かない魅力を提案しているのだ。
鈴仙は半信半疑だったが、帽子におかしなところがないか確かめると頭をこちらに向けた。長い耳を押さえてこちらに屈んでいる姿からは鈴仙の人を疑わない純粋さ、見てると思わず暖かい気持ちになってしまう生粋の献身さ、小動物特有の哀しい下僕根性が垣間見えた。
ちょこんと済ました彼女は、頭を下げているためこちらを見ていない。
私はその姿を眺める。
紺のブレザー、灰のミニスカートに似合う下着は何だろうか。
――白と水色のストライプだろうか。
しかし、どこかしっくりと来なかった。裾の短いドロワーズにフリルのひらひらがたくさん付いているほうが意外性があっていいのではないだろうか。黒のパンストは、紫の長髪から白の長いウサミミを付けている派手な鈴仙には似合わないように感じた。
「は……早くしてよ」
「んー、判った判った」
よし、ならば下着ソムリエになりつつあるジュバンニ先生の意見を聞いてみよう。
魔理沙は自分の帽子を取って、鈴仙の頭に載せた。
果たして、裁量は――!?
「ブレザーだったら何でも合う」
「煮え切らないな」
やけに落ち着いた言葉に納得がいかず、私はジュバンニを鈴仙に被せ直す。
ジュバンニもう一言。
「むしろ、穿いてない、とか、ブラウスだけ、とか変化できるのが良い」
「成程」
ジュバンニのいいたいことが判った。
ブレザーはそれだけで様々なバリエーションが出せる。ブレザーそのものが下着としての特徴を出せるというのだ。
ブレザーはジュバンニの嗜好の下では下着同然だった。
――しかし、ジュバンニは物好きだなあ。
ジュバンニは己の嗜好を語っているだけに過ぎないことを確認する。そしてその男らしさに尊敬の念が心の底から湧いてくるのを感じ、胸が熱くなった。
「……なんか不吉な相談をしてる気がする」
「何でもないぜ」
ジュバンニの下着選定には例外があることを知った。
優秀な法則は例外があるものだ。例外のあることがそれを法則たらしめていた。
「それで、私の新しい自分ってなんだったのさ」
鈴仙が半目でこちらを見ている。
別に下着どうのこうのではなくブレザーそのものが良い、という結論になったので、私は少し考えて、
「今のままの鈴仙が一番輝いてると思う」
適当なことを述べた。
「……そう?」
鈴仙の満更でもない感じを見ると、上手いアドバイスをしたようで、少しいい気分がした。
□
山に少し入る。斜面に生い茂る木々が道を開けているのは川があるからだ。
魔理沙は、その川辺で将棋に興じている河城にとりと犬走椛を訪れた。
足音に気付いたにとりは将棋盤から顔を上げ、手を振った。
魔理沙も応じる。
「よう」
胡坐を掻いているにとりと片膝の椛。椛は盤に目を落としたまま、魔理沙を見ることなく手を振る。
――いちおう、無断侵入なんだがなあ……。
魔理沙は苦笑。
それを見たにとりも同じく笑う。
「で、何しに来たのさ」
「ん、まあな」
言葉を濁す。にとりは顔を見るといつも「何しに来た」と尋ねる。用がなかったら来ちゃいけないのかい。
一度、「にとりに逢いに来たのさ!」といったところ、「あーはいはい」と面倒臭そうに答えられたことがある。
――やはり倦怠期か……!
如何様にいっても適当にあしらわれてしまうので、やって来た理由を答えるのも面倒だった。
すぐに本題に入る。
「とりあえずこの帽子を被ってみ」
「やだ」
即答。
「新しい自分が見つかるぜ」
「まさか、そんな文言で惹かれると思う? ――何をするかはっきりいえば、被ってあげないこともない」
値踏みするような態度に、唇を噛む。
河童はおそらく水棲、そのにとりなら特殊な下着を履いていると予想――つまりスクール水着が鉄板だと考えてきたのだが、どうしてもジュバンニの意見が聞きたかった。
しかし、にとりの今被っている帽子を脱がせることは困難だった。
一度、河童の皿が見たくて頼み込んだが棄却されたことがある。実力行使にしても、水の中に逃げ込まれてはどうしようもない。
真面目に説明するか、誤魔化すか、考えた。
もう弩ストレートにいえばいい、と思った。
「この帽子が、お前に似合う下着を提案したいってさ」
「一応聞くけど――それマジ喋り?」
まあ最初から納得してもらえるとは思ってなかったが。
私は証明として、帽子を一旦取り、被り直す。
「ドロワああああああああああああああああああああずっ!!」
ジュバンニ絶叫。それは、川のせせらぎに馴染んで溶ける。
私は片眉を上げて見せて。
「……な?」
「……はぁ?」
にとりは立ち上がり、訝しむような目でこちらを見る。
「喋るんだ?」
「被ると、な。――自分がなんていわれるか、気にならないか?」
「ならないか、と聞かれてもな」
にとりは私から一歩下がったところに立つ。
そして、おもむろにスカートをたくし上げた。
私は反射的に見る。
腰から太腿の中ほどまで、紺色のスパッツで覆われていた。
「特殊な素材でね。撥水性に優れてて、柔軟で、丈夫。非常に泳ぎやすい。――これで満足か?」
にとりの見下した態度に、怒りがふつふつとこみ上げてきた。
「どうして先に見せるんだよ!!」
「後で見るつもりだったのかよ!」
「ああ、なんてこった。ちきしょう、なんてこった! 見えてないのを予想するのが楽しいというのに! にとりのスカートに潜り込んで、スク水が旧式かどうか確かめたかったのに! 旧式だったらその穴に腕を通したかった!」
「なんかもう欲望駄々漏れだぞ」
私は怒った。激怒した。はらわたが煮えくり返るのをどうにも出来なかった。
「ちきしょう! ああ……それでも、ジュバンニ、お前は、にとりに似合う下着を教えてくれるか? にとりの無粋な行為に目を瞑って、お前の純粋な気持ちを曝け出してくれるか?」
「なんか純粋にむかつくんだが」
私は見る。ジュバンニの目にまだ希望の光が消えていないのを。
「オーケー。その心意気やよし。――というわけでにとり、被ってみてくれ」
にとりは明らかに不機嫌そうな顔をしていた。
腕を組み、眉をひそめて唸る。ちらと椛の方に目をやる。
椛はにとりが将棋盤に戻ってくるのを待っている様子だ。主人の帰りを待っている犬の様子に似ていた。
「……だーもー。どうせ断っても帰らないんだろ」
「まあな」
いって私はジュバンニを差し出す。
にとりは受け取り、逡巡する。だがすぐに諦めたようで、片手で自分の帽子取り、もう片方の手でジュバンニを被った。同時にやったため、にとりの頭に皿があるかどうか判らなかったが、興味はなかった。
被った者に似合うと思う下着を、ジュバンニは叫ぶ。
それは。
「ふんどしぃいいいいいいいいぃいぃいいいいっ!!」
ふむ、と私は頷く。
「ふんどしはいいな。一見ストイックだが逆にそそられる。さらに泳ぐときは他に何もつけずふんどし一丁で……」
私はゆっくりと目を閉じて想像する。
日の光が乱反射する水面。透き通るような水の中、にとりは身体を大きく動かして泳ぐ。肌にまだらな影が落ち、髪はなびき、白いふんどしの表面は波打つ。水の中、誰にも見られていないと思って胸も隠さないのも一興。何も気にすることなく、あるがまま、ゆっくり、ゆっくりと進んでいくにとり。私はそれを穏やかな気持ちで眺めている。
まさに絶景だった。
胸に込み上げてくるものがある。私はたまらず、ほう、と息を吐いた。
しかし、もしもジュバンニを被ることをにとりが拒み続けていたら、私はこの感動を知らずに終わってしまっていただろう。そう考えると、にとりに感謝の念が湧いてきた。
私はにとりに向かって親指を立てる。
「ありがとう、にとり」
「いろいろと最悪だよあんた」
私の心は晴れやかだった。
「そうだ、椛も被れよ」
椛がこちらを見る。明らかに鬱陶しそうな顔をしていた。
「いや」
「まあそういうなって」
にとりとのやり取りを見て意味がないと思ったのか、抵抗する素振りを見せない。
私はジュバンニを椛の白い頭へ載せた。
「赤ふんんんんんんんんんんんんんんんんんんんぅぅっ!!」
おお、赤いふんどしか!
――椛は白髪で上の服も白だ。長いスカートが黒メインで、全体的に彩りに乏しい。
しかしスカートの中を覗けば、綺麗な肌色に目を引く赤!
しかもその赤は局部を隠すT字のふんどしだ! なんて大胆な組み合わせだろう!
私は満足して頷く。
椛が鬱陶しそうな顔でこちらを見ていたが、私の心が晴れやか過ぎて気にならなかった。
「うん、じゃあ椛。スカートの中見せてくれ」
「嫌だっ!」
「まあみんな最初はそういうもんだ」
一歩近づく。すると椛が同じく一歩下がる。
彼女は咄嗟に足元の剣を取ると、正眼に構えた。威嚇するようにこちらを睨み、低く唸る。
――なんでここまで警戒されているんだ?
「こっちに来たら叩き斬る」
「何でだよ。――まさかお前、スカートの中見せてくれると思わせておいて、私に一撃見舞うつもりだったのか!? 卑怯な、なんて卑怯な奴なんだ――っ!」
「いやさ、椛――面倒だからもうパンツ見せちゃえばいいじゃん」
「いやっ!」
……駄々をこねるとは。人のいうことは素直に聞いておくべきである。
私はエプロンに付いているポケットの中から手に収まるほどの小瓶を取り出し、低く投げる。
小瓶が飛ぶのは椛の膝の高さ。反射的に椛はその大剣を振り下ろし、小瓶を打つ。
二つに割れる小瓶。
――それを確認した私は目元を腕で覆い、前に飛び込む。大剣の峰の先を手で押さ付け――。
途端、小瓶が光を放つ。
閃光。
直視した者の視界はブラックアウト。
その隙に私は飛び込んだ勢いのまま、椛のスカートをくぐる。スカートはシェードの役割をして光を遮る。剣を構えるために椛は股を開いていたため、両脚の間に入り込むことが出来た。
そして、私はシェードの根元から生えている両の脚を押さえ、上を見上げた。
そこにあったのは奇しくも赤。
手を触れると、表面は独特の凹凸を持っており、肌触りは暖かい。
これは――。
「毛糸のパンツだぜ! いやっほぅーいっ!! あったけぇぇえええ!!」
その肌触りをもっと感じるために毛糸のパンツに鼻から飛び込む。体勢からクロッチ部分に突っ込むことになったがそれもよしと鼻をふがふが鳴らす。
――やはり暖かい。それも優しい暖かさだ。
この感動をどのように表現すればいいのだろうか。この胸を突く想いをどのようにして表出すればいいのだろうか。
やはり叫ぶしかあるまい。
「皆々の者見られよ! これが真の毛糸パンツである! ――毛糸万歳!! 毛糸万歳!!」
椛が悲鳴を上げたが問題ではない。いくらもがこうと、この体勢から逃れることは至難の業である。
だから私は自らの衝動を抑えることなく、椛の股の間に頭を押し付け、擦った。
安らぎの触感はまるで揺り籠に揺られているよう。
自然に笑いが込み上げてきた。
「あはははははははっ――!」
椛の錯乱したような叫び声も、腹の底に響いて私を愉しませた。
□
そのようにして、私とジュバンニの下着談義は続いた。西の果てに、もう日が暮れようとしていた。
疲れてふらふらになっていたが、心地よい疲労だった。
ジュバンニとの意見はほとんど分かれたが、彼の言には魅力があった。
私はその不思議な魅力に惹かれていた。
「お前って本当にマニアックだよな――」
いってジュバンニに手を触れる。
楽しかった。心の底から楽しんでいた。
そうやって、博麗神社まで戻ってきた。休憩するためでもあったし、まだジュバンニを試していない者がいないか確かめるためでもあった。
そして後者の目的の対象を、私は見つけた。
紫の影。白の傘を差す姿。
――スキマの怪、八雲紫である。
彼女は私の姿を認めると、妖怪独特の鋭い笑みを浮かべた。
「よっ」
声をかける。紫は沈黙の会釈。それを返事と受け取る。
早速本題に入る。
「なぁ、この帽子を被ってみてくれないか。理由は問うなよ」
私はわくわくしていた。胸が躍っていた。
八雲紫に対して、ジュバンニはどのような下着を提案するのか楽しみで仕方なかったのだ。
――黒の大人っぽい下着だろうか。それとも服とあわせてドロワーズだろうか。
これまで妙齢な者を尋ねなかったから、一体どんな答えを返してくれるのか判らなかった。それが一層私を楽しくした。私の心は浮き立っていた。
「ええ――いいですわ」
紫は笑みのまま答える。
やった、と思った。小さくガッツポーズする。
ジュバンニを差し出す。紫が受け取る。
紫は、被っている頭巾みたいな帽子を取り、ジュバンニを被る。
――さあ、聞かせておくれよ。お前が想う下着を――!
その間が、永遠のように思われた。
さあ――。
さあ……。
……。
動きが、ない。声が、出ない。
疑問するが、言葉が浮かばない。代わりに喉がからからと渇いていた。
「それで、一体何が起こるのかしら?」
紫の問いに、はっと気付く。
――何故ジュバンニは喋らない? どうして何もいわないんだ。
判らなかった。
紫の柔らかい笑顔は変化がなかったが、したり顔にも見えた。
何故。どうしてなんだ。
声が出なかった。ただ、私は、顔が熱くなるのを感じた。気持ちが焦るのを感じた。
――これだと、まるで。
私が失敗したみたいじゃないか。
「……どうしたの?」
紫がジュバンニを手に取る。彼は、昨日までの、ただの帽子と同じように、黙ったままだ。
私はそれをひったくる。
それから携えていた箒に跨り、飛び上がる。この場に居たくなかった。早くこの場を去りたかった。
飛ぶ。
風を切る。
熱くなった頬が冷える。
だが、湧き続ける疑問は尽きることがなかった。
□
もう夜の帳は下りていた。
鬱蒼とした魔法の森は、遠くが見通せないほど深い闇に覆われる。
冷えた空気の中でも、私は息を切らしていた。全力で飛んで来たからだった。
さっきまでの疑問は、怒りを経て、やがてやるせなさに変わっていた。
「……なあ」
私は、声をかける。
頭の上に。
黒の帽子に。
ジュバンニに。
熱のこもった口調で、声をかける。
「どうして、何も反応してくれなかったんだよ……」
身体も頭も疲れ果てていた。帽子を被り直すこともなかった。
「どうして答えてくれなかったんだよ……!」
問い詰める口調は弱々しく、先の見えない闇の中に消え入る。
自分が情けなかった。ジュバンニがいつでも答えを返してくれると考えていた。
そうではなかった。
八雲紫に似合う下着を、ジュバンニは考えることが出来なかったのだ。
それは趣味の問題だ。
勝手な話だ、と思う。ジュバンニは身勝手だ、と思う。
しかし、ジュバンニの趣味を認めたのは私自身だった。私はジュバンニに勝手に期待していたのだ。
だから、これは押し付けなのだ。
責任の矛先は自分に向いているのを、どうにも出来ず、自分の怒りのやり場をジュバンニに押し付けているだけなのだ。
「……っ」
思考がまとまる。責任の所在が明らかになる。
悪いのは全部私だった。
身勝手な自分に軽く自己嫌悪を覚えた。そんな感情に浸り続けるのも身勝手だと思った。
私は様々な心の動きに胸が押しつぶされそうになりながらも、声を搾り出そうとした。
だが――違う声が聞こえた。
頭の上で響くような声だった。低い男の声だった。
「……済まない」
私は、その声の主を知っていた。
「自分が、気を利かせて何かをいえばよかった。お前に、恥を掻かせてしまった」
ジュバンニだ。
「済まない」
ジュバンニが、申し訳なさそうな声でいった。
――私は、帽子に謝らせることを強要しているのか。
自嘲する。なんて馬鹿な奴なんだ、と自らをせせら笑う。
「謝らないでくれよ。悪いのは全部私だ」
なんだか頭の上に居る奴と喋っていると思うと、おかしかった。
「勝手に期待した私が悪い」
湿っぽい空気なのは、魔法の森だからというだけではなかった。
「済まない」
ジュバンニは繰り返す。
私は、その肌にまとわり付く湿っぽい空気が嫌になった。
なんとなく辺りを見回す。視界は良くなかったが、木々の間に蠢く影を見つけた。
ルーミアだった。
私は指差す。
「ほら、あそこにルーミアがいるぜ。お前好みだろ?」
空気を変えようとジュバンニに声をかける。
「お前の審美眼をもう一度拝ませてくれよ。……おーい!」
私はルーミアを呼ぶ。彼女はこちらに気付くとすぐに飛んで来た。
「なにー?」
間延びした疑問の声。はてさて、この少女に似合う下着は何だろうか。
私はわくわくしていた。それは心地よい感覚だった。懐かしくもあった。
「ちょっとこの帽子を被ってくれよ。――じゃ、頼むぜ」
私はジュバンニに声をかける。ジュバンニは意気揚々としているように見えた。ただの物言わぬ帽子にはないような気配だ。これは押し付けの期待ではなく、共に楽しもうとする愉楽の働きだった。
ルーミアの金髪の上に、ゆっくりとジュバンニを落とす。
ジュバンニは歓喜していた。
その声は、今までのものよりずっと大きく、自信に満ち溢れた宣言だった。
「おむぅぅつぅううぅぅぅぅぅうぅうううううううううううううううっ!!」
魔理沙は引いた。
□
魔理沙は逃げ出した。
走って、それでも、遅いと、飛んで、逃げ出した。
「おむつ」と叫んだ帽子から。いや、帽子ではなく、汚い性癖を持ったケダモノから逃げていた。
それは、帽子の持ち主である自分が同じように思われるのを嫌った意味もあった。むしろ同じように感じたからこそ、自己嫌悪に近い感情を抱いて、その場から逃げ出していた。
後に残るのはそのケダモノとルーミアのみ。
ルーミアは頭の上に問う。
「おむつ?」
ケダモノは落ち着いた佇まいでルーミアの頭の上に覆い被さっていた。それはいかにも紳士的で、ケダモノなどではなく、気品高い帽子――ジュバンニとしてあった。
「うむ」
ジュバンニは、短い返事をする。それから、言葉を続ける。
「自分の名はヌレ・オムツ・ジュバンニ。ちょっとした縁で口を利くようになった、ただの帽子さ」
「ぬれ・おむつ・じゅばんに?」
「おっと、『オムツ』は『ツ』にイントネーションを置いてくれたまえ。なんなら『オ』にイントネーションを置いて『オムツ監督』と呼んでくれて構わないが」
「うーん、どっちさ?」
「ジュバンニでいい」
ルーミアは少し考えて、ジュバンニ、という名を口の中で反芻した。
それから、魔理沙が飛んでいった方向を一瞥して、
「捨てられちゃったの?」
問う。
「……かもしれないな」
答える。
「戻りたい?」
「主人が自分を望まなくなったのなら、それまでさ。それが道具の性。特に酷使される彼女のエプロンは、短い期間に何度も代替わりしているのを見ているのでな。――諦めは着いている」
「哀しいね」
「非道いね、といってくれなくて有難う。使い込む、という意味での酷使ならその道具は救われるからな」
ジュバンニは明後日の方向を見ていた。
「彼女もそうだった。だから、この仕打ちは自分が悪いのだよ」
その声は、ひっそりと闇に溶ける。
それからの沈黙は長かった。月が天上まで昇り、木々の間から淡い光が差し込んでいた。
辺りには、厳正な雰囲気が漂っていた。
何の前触れもなくルーミアは少し上を見上げる。頭の上の帽子、ジュバンニに示すように。
そして、問う。
「私が拾ってもいーい?」
□
魔理沙は霧雨邸に戻ってきていた。心身共に疲れ果てていて、部屋に入るなりベッドに突っ伏した。
荒れた心はもう落ち着いており、物事を正常に判断できる冷静さが戻っていた。
だが、強い風に吹かれて乱れた髪を直すことはなかった。
それは、どうしようもなく煩わしく感じられた。
「……どうしてこんなことになったんだろうな」
帽子――成り行きでジュバンニと名付けた愛用の帽子のことを思い出す。
今は、手元にない。捨ててきた。
最後に聞いた彼の言葉を思い出す。
「ルーミア見て、『おむつ』はねえよ……」
消え失せたと思っていた嫌悪感が蘇って来た。
だから、考え事を変える。
今日のことを省みる。
朝起きると、愛用の帽子が言葉を発するようになっていた。
その言葉は、着用した者に似合うであろう下着を提案するものだった。
帽子は、己の趣味を語っていた。
それだけだったが、その趣味を聞くのは楽しかった。楽しくて、もう一度聞きたくて、いろんなところを駆けずり回った。
ただ、その行く先々で、自分は何をしていたのだろうか。
相手のスカートを捲っていた。さらにはスカートの中に突撃していた。
それから、叫んだ。
「……わあい、ぱんつちょおさいこー」
自分が叫んでいた言葉が、ぽつりと口から零れた。今、その言葉のどこにも魅力を感じることはなかった。
私は狂っていたのだ、と思う。
相手を剥かなかっただけよかったのだ。文は脱がしたが。
「どうしてそんなことしてたんだろうな……」
疑問が、出る。
答えは、出ない。
ただ、理由があるとすれば、その時は非常に楽しかったからだ。スカートの中に突撃することも、少女の下着に想いを馳せることも、非常に私を浮き足立たせた。
どうして楽しかったのか、それが今では判らなかった。
その答えを知っているだろう帽子は、ない。あの時間を共に過ごした友は、いない。
捨ててきたのだ。
そして、もう戻ってこない、と思う。
もう拾ってくることは出来ない、と思う。
彼を受け入れることはもう出来ないだろう。彼の真の性癖も、今日取っていた私の行動も、考えるだけで身の毛の弥立つものだった。すぐにでも忘れたいものだった。
彼を認めることは、彼とともにあった自分も、彼と同じ忌むべきものだと認めることだった。
それは嫌だ。
だから、もう彼を傍に置きたくなかった。
彼を認めることはできなかったのだ。
――そう結論付けると、絡まっていた思考の糸が解けたような、すっとした気分になった。
ただ。
「楽しかった時間を、嘘にしてしまっていいのだろうか――?」
判らない。
それは、決心が着けられないということだ。
なかったことにしてはいけない気がしていた。
楽しかった時間を嘘にすることは、楽しんだ自分を否定することなのだ。
そして、楽しんだ自分を否定するということは――。
「……寂しいな」
心の中に穴が空いて、隙間風が通り抜けているようだった。
「――居たなら返事くらいしなさいよ」
声が聞こえた。私はベッドから身体を起こす。
そして、見る。部屋の戸の前に立っている影を。
私は、その影の名を知っている。
「――アリス」
「なに狐につままれたみたいな顔してるのよ」
そんな間抜けな顔をしていたのだろうか。
私は平常の表情に戻すため、目を強く瞑って、開いた。視界がずっと開けて見えた。
それから、いつもの口調を思い出す。声はすぐに出た。
「おいおい、もう夜中だぜ? 近所迷惑もいいところだな」
「近所なんていないでしょ」
それもそうだな、と笑う。よし、いつも通りだ。
「それで、何しにきたんだ?」
問いに、アリスの表情が、ふっと真面目なものになる。
嫌な予感がした。アリスはすでにものを食べなくても夜寝なくても生きていける魔法使いの生命を持っているのだが、それでも、昼起きて夜寝る、人間と同じ活動をしているのだ。真夜中にアリスが訪ねてくるということは日常のリズムを崩してまでも私を訪ねねばならないほど急ぎの理由があるのだ。そしてそれは、大方予想がついた。
「今日貴方がなにをしていたのか大体は知ってるわ」
「まわりくどいな」
「じゃあ単刀直入に――貴方の帽子を見せにもらいに来たのよ」
そうだろうな。帽子に意識が見られたのだから。
アリスは人形に魂を宿す研究をしている。
もしかしたら何かの拍子に帽子に魂が宿ったのかもしれない。だとしたら、その原因を突き止めたくないわけがなかった。
でもな、と思う。
「悪いが、捨てた」
「……はあ?」
「反りが合わなかった、とでもいうのかね。勝手に私の手元を離れていったんだ」
嘘だ、と思う。最初は彼の嗜好を認めていたのを、最後は私が勝手に否定したのだ。
だから、私が捨てたんだ。
「それに、理由は判らないな。最初は帽子を被った瞬間しか喋らなかったし……」
「詳しいことは後で聞く。だから……今はどこにあるの?」
性急だなあ。
「ルーミアあたりが持っているんじゃないのか?」
「そう、有難う」
いってアリスは部屋を出ようとする。
――アリスが出て行ったら、私は独りになってしまうのか。
それは、嫌だ。
「――待て」
気がつくと、私はアリスを呼び止めていた。
「何? 詳しいことは後で聞くっていったでしょう?」
アリスは面倒くさそうに答える。言葉が急いでいて、厳しくなっているのは、すぐにでも出て行きたい意思の表れだ。
それを、嫌だ、と思う。
嫌だ、行かないでくれ。
考える。なんていえば、彼女の足をこちらに向けさせることが出来るのだろうか。
嘘でもなんでもいい。アリスをこちらに呼び戻す言葉を。
その言葉を、紡ぐ。
「……あの帽子を捕まえるには、特別な方法が必要だぜ。準備を怠ってはいけないな」
アリスが顔をしかめる。それから、私の座っているベッドの方に近づいてきた。
□
私は立ち上がり、アリスと部屋の戸の間まで動く。そうすることで簡単にアリスを部屋から出さないようにする。
そして、アリスに向き直る。
――さっきのアリスの言葉を思い出す。「今日貴方がなにをしていたのか大体は知ってる」という言葉。
つまり――。
「私がエロ大魔王みたいなことをしてたってのも、知ってるんだよな?」
アリスは答えない。彼女の肩に力が入っているのを見て、私は肯定と受け取る。
それじゃあ、と言葉を繋ぐ。
「これから私が何をするかも、判るよな――?」
アリスは答えない。アリスの目は、私の足元を見ていた。相手にしたくない、とでもいうような表情だった。
それでも、と思う。
アリス相手なら、許されるような気がした。
私は確かめたかった。
あの帽子――ジュバンニとの楽しかった時間が、嘘なのかどうかを。
ジュバンニと私が同じものなのかを。
ジュバンニを嘘にしていいのかを。
そうすれば、心のうやむやに決着を着けられる気がした。
確かめる方法は。
「――っ!」
歯を噛んで、踏み出す。
蹴る。
短い距離を走る。
アリスの腰にしがみつくように、体をぶつける。
体重はアリスの身体にかかり、こちらを向いていた彼女は後ろに倒れる。
後ろ――ベッドの上に、倒れこんだ。アリスは仰向けに、私は彼女に覆い被さるようにして向かい合った。
私は確かめる。
楽しかった時間が、嘘なのかどうかを。
己に、問う。
今、楽しいか?
――楽しい。
アリスの下着は何だろうか、と考える。気兼ねなく、夜中に相手の家を訪ねられる仲だ。最近は温泉もある。だから下着を見たことがないわけではない。
ちらと見たときのアリスの下着は、ピンクの色無地で、おとなしめにフリルがあしらわれていて、ところどころレースになっていた。私はそれを、大人っぽい、と思った。ドロワーズを履いている自分が少し恥ずかしかった。アリスに嫉妬するくらいだった。
今、アリスはどんな下着を履いているのだろうか。青の長くて細いスカートの下に想いを馳せる。
スカートを押し付けると、脚のラインと下着との違いがはっきり判った。
「さて、それじゃあ――」
ジュバンニの好みの下着を聞こうか。
――しかし、ジュバンニはいないのだ。それを思い出して、やはり寂しい気持ちに襲われた。心の隙間はまだ埋まらない。
心は沸き立つか。
私は楽しめるのか。
アリスのスカートの中に、問う。
「……」
その間も、アリスが静かだった。抵抗はほとんどしなかったが、さほど気にならなかった。
心は沸き立っているか。
私は楽しんでいるのか。
その答えを探すため――私は身を引くと、アリスのスカートを少し捲って、中に飛び込んだ。
細いスカートは、私の身体が入ったことで一杯になった。
中では不思議な匂いがした。それがアリスの匂いかと思うと、奇妙な感じを覚えた。
そして、私は見る。薄暗い中、アリスの細い脚の付け根にある三角形の布地を。
それは。
「白に……青いリボンのワンポイント……」
私はそれをまじまじと見詰める。予想とは違った子供っぽい下着が私の目線を釘付けにする。
顔が紅潮しているのがわかる。息が上がっているのがわかる。
私の心はときめいていた。ジュバンニとの時間が嘘にならないのか、そんなことはもう興味の外だった。
呼吸が上手くできない。それほどまで、私は興奮しているのだ。
白の逆三角形と私は、見詰め合っていた。アリスが呼吸するたびに、白のパンティがもどかしく動いた。
ああ――もっと近くで見たい。
顔をずいと近づけても、まだ足りない。先端を鼻でつついても、まだ足りない。
つまり、欲しいのだ。
私は今朝と同じように、逆三角形の上二頂点に手を掛ける。アリスの柔らかい肌に触れて、手の中にじわりと汗をかいた。
そして、ゆっくりと手前にスライドさせる。二つの穴を、細い脚が通り抜けていく。
一緒に身体も引く。アリスの白のパンツを明かりの元で見たかったからだ。アリスを脱がして、そのパンツを手にとって見たかったのだ。
穴は膝、ふくらはぎを越える。アリスのブーツを脱がして、パンツをそっと抜き取る。
「……やった」
思わず声が出た。額にも汗をかいていた。
私は立ち上がる。手に取ったそれを両手で掲げて見る。
……アリスの、子供パンツ……。
感慨深かった。目頭が熱くなるような、感動の動きがあった。ほとんど泣いていたのかもしれない。
白は少し色褪せていた。それがもっともらしいリアリティを与えてくれた。形が整っていない青のリボンもそうだ。人肌のぬくもりをそのまま手に伝えてくれるのもそうだ。私の忙しない呼吸やアリスの吐息だけがBGMとして流れているのもそうだ。
そして、見る。
私は彼女に跨っている。私の下で、アリス・マーガトロイドが寝そべっている。ベッドの上に押し倒されている。
その状況が、私の頭を熱くする。
「……ああ……」
楽しかった。飢えを満たしてくれる喜びだ。
――しかし、アリスの下着は今脱がした。ということは、今、アリスは下に何もつけていないということになる。
この細長いスカートの下には生脚があるのだ。その根本には、彼女の恥部が晒されているのだ。
固唾を呑むと、喉が鳴った。
そのスカートにそっと手を触れる。スカートの布越しにアリスの太腿に触れる。とてもしなやかだ。
それをゆっくりと上げていく。撫でる。
脚の付け根まで来るが、何も取っ掛かりがない。何故なら、アリスは下に何もつけていないからだ。アリスの身体のラインがそのまま浮き出ているのだ。それは艶かしくて、婀娜めいていて見えた。
両手を伸ばして、両脚の付け根に触れる。身体のラインがより一層はっきりとする。
アリスの恥部が、そのまま写し出されようとしている。
ああ、なんてエロい……。
そのときだ。
ふと、アリスがどんな表情をしているのか気になった。
どれだけ私の欲情を掻き立ててくれる表情をしているのか気になった。
だから、私は見た。
アリスは――。
「――」
ただ、こちらを見ていた。
まるで、全てを諦めたかのような表情だった。そこには相手を見下しているような色もあった。目の端に涙を溜めて堪えているようにも見えた。感情を押し殺している表情だ。
私はこのアリスの表情を見たことがあった。
魔法の研究で、アリスと何度も意見をぶつけたことがある。――アリスは逐一「特定の条件下」に難癖をつける。実験を行い、粗を見つけては指摘するのだ。――そして私は、一度自分のいったことを彼女にいわれて曲げてしまうのはどうにも癪に触った。
あのときは、癇癪を起こしていたようなものだ。我ながら、どうしてすぐに折れなかったのかと後悔したほどだ。
それでもすぐに折れなかった。
そして、アリスがどんな表情をしていたか、私は憶えている。
相手を説得するのを諦め、流れを変えることを断念して、その場を傍観している。無表情でも、私をせせら笑っているかのような顔。相手とは決して相容れないものなのだと、拒絶してしまったような表情。
その表情が、私は無性に怖かった。
アリスに見放されてしまったかのようで。森に独りぼっち、捨てられてしまったかのようで。認められないということが、その全てだ。
怖かった。えもいわれぬ恐怖が私を襲った。
――アリスは、今、その表情をしていた。
私は、泣いていた。恐怖が私の胸を押し潰してしまいそうだった。
――嫌だ、独りにしないで――。
「そん、な顔で……わ、私を……」
息が荒れていた。肩が上下していた。涙が頬を伝って顎から垂れ落ちていた。
「いやだ……嫌だ嫌だ嫌だっ!」
寂しかった。
私はアリスに抱きつく。決して離さないように、強く、胸に頭を埋める。
我慢できず、声を上げて泣いた。
あ、という音の連続。
怖い、寂しい……様々な感情が入り混じって、胸に込み上げてきて、音となって溢れた。
「嫌だ。アリス、アリスぅ……っ!」
アリスに認められないのが嫌だ。
独りになるのが嫌だ。
嫌なのが嫌だ。
嫌だ。
私は叫んだ。涙声がいくらくぐもっていても躊躇することはない。アリスに届けば関係なかった。アリスに反応してほしかった。
だから、アリスの名を呼んだ。何度も何度も。
――応えてくれよお……!
「アリスっ! アリスぅっ!! うぅ……っ!!」
叫んだ。駄々っ子のように泣いた。
――そっと私の頭に、手が添えられた。
優しい手だった。面倒くさそうな、しかし子供をあやすかのような動きだ。
アリスが応えてくれたのだ。
私は泣いた。それは不安を振り払おうとするものではなく、安心を約束されたものだった。
ああ、と思う。
良かった、と。
私は認められたのだ、と。
「……落ち着いた?」
「……ん」
酷い声だ。それが少し恥ずかしい。
「で、……ちょっとくらいなら話を聞いてあげるわよ」
「……ありがと」
「なんか気持ち悪いわね」
アリスが、笑いながらいった。嫌な笑いではなかった。怒る気にはとてもなれなかった。
私は告げる。
「こんなことをして、私は楽しんでいたのかどうか――それを確かめたかった」
ジュバンニとの時間が嘘か本当か確かめるために。それはつまり、ジュバンニを捨てていいのか迷っていた自分の心に決心をつけるということだ。
「で、その結果は?」
「……あんまり楽しくなかった」
正直な言葉だ。
誰かに否定されてしまうのなら、私はジュバンニを捨てるべきだった。楽しかった時間など、誰かを悲しませて得ていたものに過ぎなかった。その矛先は自分に向いてしまうような危険なものだったのだ。
では、楽しかった時間を埋めてくれるものは何か。心の隙間を補ってくれるものは何か。
それは、アリスに慰められている今の状況を見れば明白だった。
――これからも、少し甘えればいいかな。
そうすれば、楽しい時間がやってくるのだろう。心ときめく瞬間も、やってくるのだろう。
心は、少し軽くなった。
「楽しかったら変態よ」
「全然楽しくなかった」
訂正する。
ふん、とアリスが鼻を鳴らす。それから、私の頭を雑に撫でた。アリスの胸に顔を埋めていた私は、より押し付けられた。柔らかかったが、なんだか悔しかった。
「それより……もういいのか?」
「何が?」
「帽子のこと」
「あら、それじゃあご指摘通りに行ってこようかしら」
待って、と私はアリスのケープを掴む。
途端、アリスは小さく吹き出した。私のその手を握り、
「――傍にいてほしいんでしょ?」
意地悪ないい方だ、と思った。いつもは否定するところだが、
「……ん」
私は頷くしかできなかった。
それからしばらく、じっとしていた。何も話さなかったが、息の詰まるような沈黙ではなかった。
アリスに上乗りになり、アリスに手を握られながら、ずっと横になっていた。
――このまま眠れたら、幸せだな。
目を閉じる。アリスが呼吸に合わせて、アリスの胸が上下している。そして、アリスの鼓動も聞こえる。アリスも同じように感じているかと思うと、恥ずかしかった。
なんとなく手持ち無沙汰なので、私はアリスの手を握っていない、もう片方の手を見る。
そこには――さっき剥ぎ取ったアリスの子供パンツが掴まれている。
私はそれを、何度も握ったり開いたりして感触を確かめた。
「柔らかい……」
口走った途端、アリスの手刀が頭に叩き込まれた。
□
「……汚いな」
頭のすぐ上から、声が聞こえた。慣れない感覚に戸惑いながらも、私は返す言葉を考える。
しかし、汚いというのは、やはりこの部屋のことだろうか。
私は物言う帽子――ジュバンニを被って、寝床に帰ってきた。寝床というのは森の中に打ち捨てられた一軒家だ。そも、寝るという習慣が人間のように規則的でない私は、寝床は腰を押しつかせるだけのスペースがあれば十分だった。横になれるベッドもあるし、隙間風が入らないこの家は私には過ぎたるものといってもいい。
だが、このジュバンニは気に食わないらしい。
「蜘蛛の巣が張ってるぞ。生活感がまったくないし――何これ、日常的に身体を張ったギャグか?」
酷いいわれようだ。実際、住んでいるという表現は間違っていると思うけど。
「そうでもないよ」
いわれれば気になるので、私は近くの蜘蛛の巣を手で払う。傍の背の低い箪笥の埃が舞った。
よく見れば、至るところに酷く埃が積もっていた。ジュバンニを置けるような場所がなかったため、私は彼をしばらく被ったままにする。
ベッドに座る。
「――シーツのないベッドは腰掛けとどう違うのか?」
さあ、と私は首を捻る。確かにベッドはシーツやら布団を敷いて使用するものだということは知っている。
落ち着いた。横になりたかったけれど、ジュバンニをどうすればいいのか判らず、そのままでいた。
彼が、ぽつりと呟く。
「今にわかに後悔の念が湧き始めているのだが」
「そう?」
「というより、これで普段の生活はどうしているんだ?」
「ミスティアのところに泊まってる。食事も作ってくれるし、洗濯もしてくれる。ここに来たのも久しぶり」
「真っ当な衣食住も保てないとか最悪だなあんた――!」
じゃあ、と遮る。
「私じゃ、嫌だった?」
なんなら、ミスティアのところへ持っていこうか。だけど、ミスティアは帽子を被っているからなあ。リグルは帽子を被っていなかった。でも、リグルはリグルで、頭の触覚に触ると変な声だすからなあ……。
「はて、主人を選べる道具というものはあまりにも限られているが、自分はそこまで贅沢できる立場だったかな?」
ジュバンニは、何かを思い出すような口調でいった。
それじゃあ、と思う。
「本来道具というものは、主人に強制されるものなの?」
そうやって諦めてしまうのか、と私は問う。もしも同じ立場だったら、そんな風に束縛されてしまうことは嫌だ。
そんな私の悪い考えを、ジュバンニは否定する。
「そうでもないさ」
では、道具本来のあり方とは何だろうか。
ジュバンニは、いう。
「道具と主人は、相互に影響を与えるものだよ。どちらかが片方を強制するものではなく、ともにあろうとするものさ」
「それじゃあ、ジュバンニが私に与えてくれるものって何? 私がジュバンニに与えるものって何? ――貴方を拾った私が得る幸と奇って何?」
利己的かな、と思う。しかし物言う帽子に己のセールスポイントを尋ねても悪くないだろう。
元の持ち主である魔理沙がジュバンニに与え、ジュバンニが魔理沙に与えたものがあるように。私にも与え、与えられるものがなければいけなかった。でないと、ジュバンニはその意味を失ってしまうからだ。
ともにあろうとする意味がないことは、哀しいから。
だから、その意味を教えて――。
私の問いに、ふむ、とジュバンニが応える。
「――とりあえずこの部屋を掃除したまえ。自分が指示を出すから」
□
ジュバンニ監督の下、掃除は夜通し行われた。ボロ布を雑巾として、背の高い家具から埃を落として拭いていった。粗末なカーテンを外し、窓を拭いた。物を片付けると、ガラクタの山から本や立派な勉強机が出てきた。床を掃いて、雑巾をかけて一連の作業は一応の終わりを告げた。
「ベッドのシーツはどうする? 物置を探せばありそうだけど」
「そんな虫食いの楽園になっていそうな物をよく使う気になるな」
じゃあどうするのだろうか。
「――香霖堂という古物屋がある。さっき出てきた本を持っていけばすこしは金銭に変わるだろう」
「よく知ってるね」
「伊達に白黒魔法使いの頭に載っていたわけではないからな」
そうだった。この帽子は私の知らないことをたくさん知っている、と思うと不思議な感じがした。
そして、私は見る。
自分が掃除した部屋は、本当に人間が住んでいてもおかしくないような部屋になっていた。
「どうか?」
ジュバンニが、いう。
「――これが自分がキミに与えられる幸と奇だよ」
不思議な感覚だった。
悪くなかった。
これが自分のもので、自分で保っていかなくてはならないもの。
そんなものがあるということは、素敵だな、と思った。
「……うん」
私は頷いた。
□
それからというもの、ルーミアの生活は向上した。寝床もボロ家から人里にあってもおかしくないような、随分とまともな外見を持つようになった。洗濯も自分でするようになったし、自炊もある程度はするようになっていた。
その生活をルーミアは楽しいと感じていた。
ルーミアはジュバンニに感謝していた。そしてジュバンニもルーミアに感謝している、相互関係が成り立っていた。
そして、その関係はずっと続くかのように思われた。
「ねえ、ジュバンニ」
ルーミアはその名を呼ぶ。
「最近、口数が少ないよ。調子でも悪いの?」
ルーミアの頭に載っている黒の帽子は、小奇麗にされているものの、誰が見てもみすぼらしいと感じるほどにくたびれていた。
「……うむ。少し考え事をな」
「何を考えているの?」
ルーミアは問う。それは、普段とは違うものだった。ルーミアは何かを感じ取っていた。
「そう、もう……自分は必要ではないのかと思ってな」
「そんなことないよ」
掻き消すように、いう。その事実から逃れるように口にする。
「自分は――」
「嫌だっ!」
ルーミアは叫んだ。
「何でそんなこというの!? やっと生活も落ち着いてきて、やっと楽しくなってきたところなのにっ!」
悲鳴染みた声を上げる。ジュバンニの言葉を聞きたくないとでもいうように。
だが、ジュバンニは告げる。
それは、
「自分は――もう終わるかもしれない」
□
ルーミアが香霖堂に飛び込んだのは、そのすぐ後のことだ。
もう顔馴染みになっていた香霖堂の店主――森近霖之助は、読んでいた本から顔を上げて客の顔を見た。
その必死の形相を。
「――どうか致しましたか?」
霖之助は商売人の口調だ。普段と変わらない応対をすることで、相手を落ち着かせようとしているようにも見えた。
ルーミアは、自らの被っている帽子を取り、香霖に突きつけるように出した。
「ジュバンニを助けて!」
それこそ、必死だ。声は少し枯れており、肩で息をしていた。
「ジュバンニ――というのは、その帽子のことですか。それを直せばいいんですね」
霖之助は片眉を上げて問う。それすらも煩わしいというような顔つきで、ルーミアが頷いた。
しかし、ジュバンニを眺めて、霖之助の顔は曇る。これは、と呟き、黙る。何かを考えているようにも見える。
事実、霖之助は悩んでいた。お客にはっきりと事を伝えるべきかどうか。
長考のあと、霖之助は、伝えることを選ぶ。彼は無茶を選ばない。
「――僕には直すことは出来ません」
そして、と彼は続ける。それは良心だった。
彼は無表情に告げる。
「帽子屋にいったところで、どうにもならないでしょう」
「そんなこといわないでよっ!」
霖之助は疲れた顔をする。どうにもならないことなのだと、念押しするように目を閉じる。
だが、ルーミアは食い下がる。
そのときだ。
「……これは、諦めてもいいことだ」
帽子――ジュバンニが静かにいった。
「――喋った?」
霖之助の疑問は無視。長く居て気づかなかったのが悪いと決め付ける。
「諦めるんだ。自分は終えても、ルーミア、キミは、進んでいくことが出来るだろう。自らで考えて、より良くしていくことができるだろう。もう、自分は必要ないのだ。だから最期が来たのだ。……受け入れるしかないのだよ」
「嫌だ、嫌だっ!」
「ルーミア!」
「いや、いや……」
横着状態だった。それほどまでに、ルーミアは、ジュバンニを手放すことは出来なかった。ジュバンニに愛着が湧いていたのだ。
「――これだと埒が明かないね」
霖之助がくだけた口調でいう。そして、ルーミアの目を見て続ける。
「少し考えが変わりました。――この帽子を修理するに値する物を持ってきて貰えれば、僕が修理を受け持ちましょう」
「ほ、本当っ!?」
「待てよ店主! 自分の寿命は自分が一番よく知っている。そんなことが――」
「僕は知っている。この帽子は元々僕の手が加わっているからね」
しかし……とジュバンニはいう。ジュバンニも、己を生き長らえさせる方法があるのか判らなかったのだ。
「それで、それって何?」
「――君の目から見れば、ガラクタでしょうか。とにかく、古い金属の物を。その物かどうかは僕が判断します」
「うん、判った!」
一つ返事をして、ルーミアは勢いよく店を飛び出した。霖之助のいった「古い金属」を探しにいくためだ。
残される彼とジュバンニ。
「改めて自己紹介しておこう。――私はヌレ・オムツ・ジュバンニ」
「おむつ濡れてたらぐちぐちに……いや、何でもない」
構わず、ジュバンニは、告げる。聞いてくれ、と告げる。
「あの子は最初何も出来なかった。しかし今、ひとりで成し遂げようとしている。……最期に良いものが見れた」
それは思い出すような口調だ。聞く者の心に何かを訴えかける響きがある。
「だから――あの子の気持ちを無碍にしないでやってくれ。例え彼女が助けようとしている自分の命が、潰えてしまうと判っていても」
嘆願。
ルーミアは諦めていない。だから、ジュバンニは霖之助に諦めないようにいう。
せめて最後まで希望を持てるように、と。
「ああ、判ったよ――ジュバンニ」
霖之助は彼の名を呼んだ。
そして、肩を竦ませる。
「しかし、ことごとく信頼されてないね、僕は」
□
霧雨魔理沙は、香霖堂を訪れていた。新調した青の衣装が大分身に馴染んでいた。
香霖堂を訪れるのは日常的なことだった。
「――邪魔するぜ、香霖」
店に入り、声をかける。が、誰もいない。奥にでもいっているのだろうか。
店内を見回す。すると、机の上に見覚えのある帽子が載っているのを見つけた。
それは、
「――ジュバンニ、か」
呼ばれたジュバンニは、少しして、
「……ああ」
と答える。力無い声だった。
――どうしたんだ? 元気がなさそうな。
もう嫌悪感は遠のいて、思い出すことは無かった。ルーミアが被っているところを目撃しているが、悪いようになっているとは思わなかったからそのままにしていた。ルーミアの生活が良くなっているのを見ても何も思わなかった。
空気が悪いので茶化すことにする。
「しかし、まさかこんなところに流れ着くなんて、展示されるか物置入りか――もう終わりだな、お前」
「そうだな」
素っ気無い答えに、思わず肩を落としてしまう。
「どうしたんだよ、調子悪いな」
「もう終わるということだよ」
何が、と問う。
「――自分が、人間でいえば死を迎える、ということだ」
馬鹿な、と思う。しかし、物にも寿命があることを知っている。今のその帽子は、ボロボロでいかにもそのように見えた。
まさか、と思う。しかし、明確に否定する根拠が見つからない。
私は思う。もしかしたらこれがジュバンニと話す最後の機会ではないのかと。
「死んだらどうなる」
「さあ? 口を利くことはもちろん、何かを思うこともなくなるだろう」
それは、
「寂しくないのか?」
「寂しいよ。それも、どうしようもないことだ」
そうか、と口にする。何か特別な感情を抱くのかもしれないと思ったが、そうでもなかった。
しかし、場が湿っぽい空気になっているのは判った。その空気は、なんとなく嫌だった。
「私は――行くぜ」
それは、最期を看取らないという意思。
何より、一度ジュバンニを捨ててしまった自分は、そこにいてはいけない気がした。
私は背を向け、片手を上げる。これが、最後の挨拶だ。
じゃあな、と心の中で別れを告げる。
「ああ――ちゃんと最期に会えてよかったよ」
その言葉に、ふと思う。
『ちゃんと』という言葉。
そして。
「『済まなかった』、それだけを最期にいいたかった」
ジュバンニ、お前は。
もしかして――。
「もしかして、私に会うためにやってたのか――?」
問う。疑問が次々と湧いてくる。
「ルーミアをしつけてたのも、こうやって最期に修理に出させるためか?」
ジュバンニは動かない。
「……自分は、自分を良くしようとしたまでだ。それは勝手な想像だよ」
「だとしても、だ」
私はジュバンニに向き直る。傍に立ち、そのボロボロの姿を見る。
「そんなこと、どうでもいいことだろう?」
私はそうは思わない。
問う。
「お前は、お前を捨てた私を恨んでいるか?」
ずっと気がかりだった。私は、あの楽しかった時間を嘘にしてしまった。
けれど、ジュバンニの中ではどうなっていたのか知りたかった。私がジュバンニを虐げたのは事実だったが、確かめずにはいられなかったのだ。
ジュバンニは、じっとこちらを見詰め返しているように思えた。
そして、いうのだ。
「恨んでいない」
「嘘だな。――私は、お前が喋り始めた日を――楽しかった日を嘘にした。つまり、私はお前を拒絶したということだ」
「違うな」
ジュバンニが厳然といった。
「魔理沙、例えキミが自分を拒絶したとしても、楽しかった日が嘘になるわけではない。その論では、喋る以前、私とキミがともに空を駆けていた日々すら嘘になってしまう。キミにとってそれを嘘にしてしまっていいのか」
「――嫌だ」
私は心を吐露する。そこまでして真剣に向き合っている。
「そうだ。キミとの日々は嘘にならない」
「でも、お前は、私を恨んでいるだろう。私はお前を捨ててしまったのだから」
「何故恨む必要がある。自分にとって捨てられたことを恨むということは、キミとの日々を恨むことにも等しい」
自分は、という。
「楽しかった」
ジュバンニは、いう。
「楽しかった……!」
その声に、熱がこもる。まるで今にも動き出しそうな、力強い声だ。
「楽しかった! キミとともに空を舞った日。飛び交う弾幕を間近に見た日。多くの者と宴会に参加した日。
あの日は特に楽しかった! 初めてキミと一緒にいる感覚を覚えた。キミがはしゃぐ様を見て私も嬉しくなった。
楽しい、楽しかったとも! 今でも思い出すほどに!!」
だから。
「……行き過ぎたキミを戻すには、自分はともにあるべきではなかったのだよ」
何をいっているのか、判らなかった。
つまり、私が拒絶したのも、そうあるべきだったというのか。
つまり。
――私を失望させたのは、わざとだというのか!?
「何でそんなことするんだよ! それは、あの楽しかった日を否定することにならないのか!?」
「楽しかったから、キミを狂わせたくはなかった……!」
何てことだ。
私は、ジュバンニに気を遣わせてしまった。
そして、それの意味するところは。
「私が、壊したっていうのか……?」
「――そうではないっ!」
ジュバンニは、力強く否定する。
「こうして最期に会えたのだから! 自分は嬉しい。嬉しくて、嬉しくて堪らない! 帽子冥利に尽きるというものだ!」
「でも……」
「私が望んだことだ。だから、キミは、キミ自身を責めないでほしい」
ああ、どうしてそんなことをいうのだろう。最期というものが、彼をここまで饒舌にしているのだろうか。
私は、どうすればいいのか判らなかった。自分を責めることは出来なかった。
ただ、頭を下げた。
「すまん……」
もしかしたら、私が彼を受け入れることが出来れば、こんなことになっていなかったのだろうか。
いや、私がもっと自制していれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
判らない。
後悔する。
申し訳ない気持ちで一杯だった。
「すまん……!」
いくら謝っても足りないという気持ちで一杯だった。
「やめてくれ……頼む、頭を上げてくれ」
ああ、と私は頭を上げる。彼にこれ以上迷惑をかけることは出来ない。
だが、と思う。
せめて、
「最後の望みを……聞いてくれないか?」
「……ああ、聞こう」
自分でも、自分が嫌になりそうな頼み方。
けれど、そうしなければ気が済まない。
最後に、最後に一度だけ。
「……もう一度、被らせてくれないか?」
贖罪なのか判らない。もう一度彼に触れておきたかった。
あの楽しかった日々を、一度嘘と決め付けてしまったものを思い出すために。
「わかった」
ジュバンニは了承してくれた。
今被っている帽子を取る。そして私は、両手で彼を救い上げる。布地が傷ついているのがなんとも痛ましかった。
そして、それ以上傷つけないように、そっと頭に被る。
黒の帽子に白のリボン。それを被る魔法使い。
それはかつての光景。
――けれど、どうしてもしっくりこなかった。
一度私の手元を離れた彼は、すでに形が変わっていた。
私が手放さなければ、こうなることもなかったと思うと、辛かった。悲しみが込み上げてきた。
それは罪悪感にも似ていた。
「……ごめん」
謝罪の言葉が口を突いて出る。
涙を見せてはいけない、と思った。
けれど、目尻から止め処なく流れるものを止める手立てはなかった。
「あぁ……ああ……っ!」
彼からこの涙が見えるのか、それは判らなかった。
□
「こんなところ、ルーミアに見られたら怒られるな……」
そういって、ジュバンニを取る。彼を優しく机の上に戻した。
そして、彼に向き直る。
「すっきりした。ありがとう」
少しはまともな顔でいえただろうか。
「ああ、自分からも……ありがとう」
ジュバンニのつばに少し触れる。それが最後の挨拶だった。
私はハンカチを取り出して目元を拭う。目を強く瞑って、開く。これでいつもの調子に戻れる。
目尻が下がっていたがそれはどうにもなりそうになかった。
私は香霖が商品だという壷の上に座る。そして何事もなかったようにする。
しばらくして香霖が奥から出てきた。
「ああ、居たのかい、魔理沙」
「ああ、居たさ」
いつも通りだ。香霖は気付かない。
――その時、ルーミアが風呂敷を抱えて駆け込んできた。すぐに開けて中身を見せる。
中はガラクタで一杯だった。私がいつも香霖に持ってきているのと同じようなものだ。
――香霖堂はガラクタが通貨なのだろうか?
疑問に思うが、尋ねない。
ルーミアは息を切らしていた。
「こ、これで――どうにかなる?」
「調べてみないと判らないが――」
香霖は風呂敷の中身のガラクタを眺める。それからひとつひとつ手にとって見る。一見すれば古物の選定の様だったが、やはりそれがただのガラクタにしか見えないため、どうにも不恰好だった。
突然、香霖の手が止まる。目が険しくなる。が、すぐに緩くなり――、
「よし、それじゃあ……」
香霖はルーミアを見て、いった。
「このジュバンニを――緋々色金で加工してあげよう」
「――はあ?」
思わず疑問の声を上げてしまった。
□
それからしばらくして、ジュバンニは息を吹き返した。
黒の帽子だが、見る角度によっては燃えるような赤にも煌めく金色にも見えた。これは緋々色金で加工された証拠なのだろうが、香霖の謎の技術を垣間見た気がする。
それからというもの、ルーミアはいつもジュバンニを被っている。
「重くないか?」
「ううん、大丈夫」
時折聞こえる会話はまるでいちゃついているようで私を異常に腹立たせた。
――てっきり最期だと思ってた私は何だったんだろうか?
遠くにジュバンニが見える。
「未だに、ルーミアが被っているのを見ると、思うんだよな……」
ジュバンニが輝いて見える。
「――私は一杯食わされただけなんじゃないか、って」
面白かったww
実験畑と理論畑の話は耳が痛いです
この作品、最高だよ! そしてこの魔理沙、最低だよ!
ジュバンニがやたらとかっこいい。
というか下着フェチの話を読んで不覚にも涙ぐんだりしちゃってもう。
文句なしの100点です。
いやまぁ面白いんだけどさ。
>「こっちに来たら叩き斬る」
叩き切っちまえ!!
さ、早苗さん、常識にとらわれなくなりましたねwww
リリーは紐パンなのですか…………いや、見たいとか見たくないとか
そういったことではなくて、しかし彼女は悲惨な目に……。
愉快で笑える部分も多くて面白かったですよ。
狂気を感じた
とそんな事を言いながら涙に濡れる一時を有り難う御座いました。
どうにかなってしまいそうです
・・・よし、ヨーカドー行って赤ふんを買って来る
ジュバンニ以上に駄目駄目な魔理沙に乾杯。
とりあえずGJ。
あと、魔理沙と再会したジュバンニが『ジェバンニ』になってましたょ
俺もだがなwwww
パンツへの愛をここまで高らかにうたう作品があっただろうか。
作者に対して最大級の讃辞を捧げたい。
でも一つだけ。
ゆかりんは黒レースのすけすけおぱんつだろjk
…………とりあえずジュバンニ燃やしてきますね
>実験畑と理論畑
生物学には、更に日陰者な「分類学」ってのが有ってだな……。
でも点数をつけたら負けな気がする。
「グリッフィンドォオォオォル!!」で盛大にフイタ
・アリスの母女神補正万歳
・ルーミア可愛いよルーミア
・ジョバンニは作者だろ、絶対www
のところで思わず笑いがw
「じゅばあああああああああああああああああん!」