「どうしていつも暴れるのよっ、この体操服ッ!」
「うっさいみどり目っ!」
また今日も喧嘩している。私は仲裁するべきか黙って眺めるべきか迷いながら橋の袂まで歩いた。
橋の上では勇儀とパルスィがいつものように言い争っている。
「どこで人を妬んでようが私の勝手でしょ! いちいち突っかかってこないで!」
「お前がいるとせっかくの酒がまずくなるんだよ。後ろからぶつぶつ人の悪口を……そんなに妬ましいなら一人でやれ!」
「私は一人でやってるわよ! あなたたちが勝手に押しかけてくるんでしょう!」
「たまには風流な河の上で飲みたいと思って何が悪い!」
ぎゃーすぎゃーす。
いつものように二人の話は平行線をたどって埒が明かない。そもそも二人の性格からしてそりがあわないはずだから、こうなってしまうのも当然といえた。
「今日も喧嘩?」
「あ、さとりさん。………はい、出会いがしらにいきなり始めて……」
ヤマメに話しかけるとそう答えてくれた。私はため息をつく。
この二人の喧嘩は、大体誰かが仲裁して終わる。しかしそれはいつも骨が折れるのだ。
特に勇儀を押さえるのが大変で、いつもならお空やお燐、ときにはこいしもいるので何とかなるのだが、今回はどうだろう。私の他に戦力になりそうなのはヤマメと……、まあ、キスメくらい。ちょっと頼りない。
それでもさすがに仲裁しようと私は二人に近付く。二人が喧嘩しているのは旧都へ続く橋の上だ。あまり天下の往来で騒ぎまわるのもまずい。天下ではないけど。
だが、その日は少し予想もしない結果になった。
「あの、二人ともそろそろいい加減に……」
「黙れこのうし乳ーーーっ!!」
パルスィが珍しくついに手を出した。空気を切り裂くような音を上げて右の拳が迫る。
「ふんっ」
だが勇儀はこれを難なくよけて、逆に腕をつかむとそのままパルスィを掴むと投げ飛ばした。
「だりゃあっ!」
「きゃあーーっ!」
「あ、やべ」
パルスィはそのまま勢いよく放り投げられ、橋を越え下へと落ちていく。
「きゃああーーーーーーーーーぁぁーーーーーーー 」
ガンッ。
橋の欄干に駆け寄った私たちの見る中で、嫌な音を立ててパルスィが川原へ頭から落ちた。
「だ! 大丈夫パルスィ!」
「パルスィさんっ!」
私とヤマメは声をかけ、すぐさま飛び降りる。少し遅れて勇儀も続いた。
パルスィは川でうつ伏せになって倒れていた。気絶しているようだ。
私はむやみに動かさないようにしながら、仰向けに起こして体を点検する。
「……とりあえず命に別状はなさそうですけど……。目が覚めるまで様子を見るしかないわね」
浅くだが呼吸をするパルスィの状態を見て、私はそう言った。
「大丈夫かな、パルスィさん……」
「たんこぶですめばいいのですけどね」
「むう……、すまん、パルスィ」
「いえ、あの状況は、どっちが悪いというものではありませんよ」
私はヤマメに言って氷か何か冷やすものを取ってくるようにいった。
ヤマメはすぐに返事をして飛び去っていく。
私はその間にとりあえず川の水で冷やすことにした。勇儀にパルスィを見ててもらい川の岸に行く。
ハンカチを濡らした私に、キスメが川の水ごと桶で汲んでくれた。便利な子だ。
パルスィの元に戻って私はそっと、当たったと思われる箇所に絞ったハンカチを当てた。
パルスィの表情が幾分か柔らかくなる。
勇儀が心配そうに見つめてきた。
「パルスィは大丈夫か?」
「妖怪はこの程度では死にませんよ」
「それはそうだが……でも、な」
「まあ、これに懲りてもう少し喧嘩しないようにしたらいかがですか」
仲裁も大変なんですよとちくりと言っておく。
「……すまん」
珍しく勇儀が素直に謝った。誇り高い鬼が頭を下げるとは。よほど今回のことが身にしみたんだろう。その意味では、良い教訓になればいいと思う。
もともと勇儀はパルスィのことをそこまで嫌っているわけではないのだ。
二人の性格からどうしても衝突してしまうけど、お互いがもう少し話を聞くようにすればきっと歩み寄れるだろう。
……その、話を聞かせるのが難しいのだが。
勇儀は心配そうにパルスィを見つめていた。
と、パルスィの顔が歪む。
「う……んん……」
「あら」
「気付いたか!? パルスィ」
パルスィは何度か呻いて、瞬きをした。
やがてゆっくりと目を開けていく。
「うん………」
「気付きました?」
「パルスィ、すまなかった」
パルスィの緑色に輝く目が私たちを捉える。パルスィはむくりと身を起こした。
「ここど……痛っ!」
「あら、急に起きてはだめですよ」
パルスィは顔をしかめて頭を押さえる。
勇儀が声をかけた。
「パルスィ、大丈夫か? 気持ち悪くないか」
「ん………」
パルスィは痛みに目をしばたかせた後、勇儀の顔を見た。
どこか、目が幼くなっているような気がする。
「えっと……」
パルスィは言った。
「……どちらさまでしょう?」
「は?」
「えっと、私は何をしていたんでしょう?」
「……パルスィ?」
どうも、様子がおかしい。
「ぱるすぃ? それが私の名前なんですか」
「何言ってんだ? どうしたパルスィ」
勇儀がわけのわからない顔をしてパルスィを見る。
私はそこで一つの可能性に思い当たっていた。
「これはもしかして……」
そう、昔本で読んだことがある。
「………記憶喪失?」
パルスィはキョトンとした顔で私を見ていた。
とりあえず吐き気や眩暈は無いとの事だったので、いったん川原から場所を移すことにした。
戻ってきたヤマメにも事情を説明して、どこか適当な場所でパルスィを休ませることにする。結局、パルスィの家へ移動することにした。
家の布団にパルスィを寝かせるとようやく落ち着き、私たちも事態に対処できるようになっていた。
「何がどうなっているんです? さとりさん」
ヤマメが私にそう尋ねてくる。そんなことを言われても、私にもまだ把握できていない。
「さあ……まだ私にも、なんとも言えないですね」
「あいつの心はどうなっているんだ? 記憶が無いなら、心にも影響があるんじゃないか?」
「たちの悪い冗談……というわけでは無いようです。残念ながら。
さっき読んでみましたが、なんだかほわほわとした実体の無いイメージに、今のパルスィさんの心がぼんやり浮かんでいるといったかんじです」
「ほわほわですか」
「そう、ほわほわです」
いつもの嫉妬心や負の感情は、どこにも見当たらない。
「とりあえず、どのくらい記憶があるのか聞いてみましょうか」
「そうですね、私もそれがいいと思います」
キスメの意見に、私も賛成した。
布団で休んでいるパルスィの側に座って、話しかける
「こんにちわパルスィ、気分はどうですか?」
「あ……どうも。いえ、心配していただくほどではありません」
少し驚いたようにびくつきながら、パルスィは答える。
後ろで勇儀とヤマメが、小声で話すのが聞こえた。
(……なんか、妙にしおらしいよな)
(……きっとショックで若干性格が変わっちゃったんでしょう)
私はコホンと咳払いして続ける。
「ときにパルスィ、私のことは覚えていますか?」
「……すみません。がんばって思い出そうとしているのですが、まだ……」
「いえいえ、結構ですよ」
シュンとしてしまうパルスィに私は慌ててフォローを入れる。
これは予想通りだ。パルスィの心には、私どころか誰の記憶も無かった。
「念のため訊ねますが、私たちの中で記憶にある人はいませんね?」
「はい、すみません……」
「ああそんな、いいんですよ」
心の底から悲しそうな顔をするパルスィ。どうも調子が狂う。
「ではもっと簡単なものから訊ねましょうか。あなたが寝ているそれはなんです?」
「……布団、ですよね?」
私は羽ペンを取り出した。
「これは?」
「羽ペンですか?」
「いいですね。では、この建物の名前はわかりますか?」
「……すみません、ちょっと……」
「ああ、わかりました」
ふむ、どうやら今までのパルスィ自身の記憶などが主に抜けているようだ。
「ちなみに、思い出せそうな記憶とかはありますか?」
「ん、と……思い出そうとすると、……こう、あたまがズキズキと痛むので……」
「そ、そんな無理しないで結構ですよ」
うん……、思ったよりも治るのには時間がかかりそうだ。
すると、突然パルスィが涙目になった。
「ごめん……なさい」
「ど、どうしたんです突然!?」
パルスィの泣き顔なんていう激レアイベントにその場の全員が取り乱す。
「ど、どっか痛いんですか?」
「ぐす………いえ、違うんです。ただ、自分のせいで皆様にご迷惑をおかけしているのが……申し訳なくて……」
今まで見たことの無いようなパルスィの姿に全員が珍獣でも見るような顔つきになる。
私もヤマメもキスメも勇儀もどう反応していいのかわからない。
「そ、そんな泣かないで。記憶喪失になったのはあなたのせいじゃないですよ」
「そうだ、元はといえば私が悪いんだから」
「そんな……勇儀さんは私を助けて、ここまで運んでくださったじゃないですか。それなのに私は……」
「あ、いや……」
くらり、ときた。
パルスィと同じ顔で、とんでもないせりふが並べられた気がする
勇儀さん、よりにもよって勇儀さん!
いつも勇儀の顔を見ただけでしかめ面するパルスィが勇儀さん!?
夢でも見れない光景が目の前にある。
勇儀も聞きなれない呼び方で戸惑ったのか、口ごもったまま顔を赤くして黙ってしまった。
なんだかいたたまれない空気になる部屋。
(ど、どうしましょうこれ?)
(素直なパルスィというのがこれほど破壊力があるとは……)
(パルスィ、あんな表情もできたんだな……)
(ああ! また目のふちに涙がたまって!)
そこへ、ガラリと扉が開いてのん気な救いの手が現れた。
「やほーー、お姉ちゃん、呼んだ?」
「ああこいし!」
助かった、と私はため息をついて、こいしを迎えた。
こいしは、パルスィを家に運んだときに、ペットの一匹を使って私が呼んでいたのだった。
彼女の無意識の能力が、もしかしたら役に立つかもしれないと思ったから。
「それって記憶喪失?」
こいしはパルスィの家に来て私の話を聞いて、そう呟いた。
「というよりは、まるで別人になってしまったようなんですよね」
「別人に……?」
私の言葉にこいしは考えるような表情をする。どう想像したらよいものか考えているらしい。
私がもう少し説明しようと口を開きかけて、しかしその前にこいしが自力でたどり着いた。
「それって、いつもの水橋パルスィじゃないって考えたほうがいいってことかな?」
「え、ええ、まあ、そういうことですね」
「なるほど……」
こいしは一人で納得してしまった。はた目にはなかなかすごい状況だと思うのだが、こいしはもうその話は済んで別のことに考えを向けてるらしかった。
「それで、今こんなになってると」
「ええ、あなたの能力なら、何か解決策は無いかと……」
「う~ん、どうかな?」
私の問いに、こいしは顔を曇らせる。
「難しいのですか?」
「というより、そんな勝手に人の無意識をいじっていいのかなってこと。
私の姿を見えないようにするくらいならまだしも、取り戻すのはパルスィの記憶全部でしょ?
私もやったこと無いからちょっと不安なんだよね」
こいしはそう言って窺うようにこちらを見た。
たしかに、こいしの言うこともよくわかる。
それに、そんな簡単に解決できるとも思っていなかった。
「そうですね、まあ今日一日くらいは、様子を見たほうが良いかもしれません。
案外あっさり回復するかもしれませんし」
私がそういうと、みんなが頷く。
そこでまたパルスィが礼を言った。
「ありがとうございます。私のために……」
パルスィが言い掛けたところで、くぅ、と可愛い音がなった。
「…………」
パルスィがおなかを押さえて赤くなっている。どうやら今のはパルスィのお腹の音らしい。
「ふむ、そういえばお昼がまだでしたね」
私も空腹を感じた。
というか、お昼にしようと旧都に行ったところで、橋の上の喧嘩を聞きつけたのだった。
「す、すみません。安心したらお腹が……」
「いえ、私もちょうど何か食べようと思った所です。よければ一緒にお昼にしますか?」
軽い気持ちで言ったのだが、パルスィは意外な返事を返してきた。
「あ、じゃあ、私作りましょうか?」
「「えええっ!!?」」
再び沸くどよめき。
「パルスィが!?」
「手料理を!?」
「他人にぃっ!?」
勇儀とキスメとヤマメがのけぞり驚いていた。
それにパルスィが目を丸くする。
「あの……いけませんでしたか?」
「いえいえ、お気になさらず。皆慣れないことに戸惑っているだけなので……。
でも、体のほうは大丈夫なのですか?」
「ええ、さっき言ったとおり、体はほとんど無事ですから。本当は寝てるのも申し訳ないくらいなので」
布団から立ち上がってパルスィは言う。
「あ、急に立ち上がったら……」
「もう大丈夫です。ほら、ね?」
パルスィは体を軽く動かして健康体をアピールする。続いてにこっと笑った。
その笑顔に思わず魅せられる。ああ、いつ振りだろうパルスィの純粋な笑顔なんて。
くすんでいるように見えた金髪も、今は太陽のように輝いて見える。
「少しお礼がしたいのです。お世話になりっぱなしですから」
「……そうですか、それではお言葉に甘えて……」
私が頷くと、こいしが口を挟んだ。
「ところで、パルスィってお料理得意だっけ?」
「えっと、たぶん大丈夫だと思いますけど……」
「パルスィはずっと一人暮らしだし、料理はできると思うわよ。こういうのは体が覚えているから、大丈夫でしょう」
パルスィの言葉に私が付け足す。
「でも、さすがに材料はわからないですね。私たちが買ってきましょう」
私の提案に、こいしが感心したように言った。
「ああ、たしかにそうだね。さすがお姉ちゃん」
「何がさすがなのかわかりませんが……」
「地霊殿の主婦」
「それはひどいです」
たしかに、使用人とか言われましたが……。
お茶を入れるくらい、普通でしょう。
「すみません。では……………これをお願いします」
パルスィがさらさらと紙に書き付けて私にくれた。
私は受け取ってそれを読む。料理の材料が書いてある。
「はい。………ははあ、あれを作るつもりですか」
「ええ、人数が多いので……」
「よいですね」
私はメモを丁寧に折りたたんでポケットにしまった。
「ついでに傷につける薬も見てきましょう。勇儀、荷物を持ってもらえますか?」
「ええ!? あたしか?」
声を上げる勇儀。
「今回の騒動の原因はあなたでしょう。少しは手伝ってください」
「うう、しかしなあ……」
「労働は尊いですよ。さあさあ」
私は不服そうな顔をしている勇儀を引きずってパルスィの部屋を出た。
「じゃあ、私たちはお留守番をしてるね」
「パルスィさんと一緒に、この家の案内をしとくよ。私は何度か来たことあるし」
「が、がんばって下さい」
「ええ、頼みましたよ」
コートを着た。
こいし達を残して、私と勇儀はパルスィの家を出る。
「では、いってきます」
「うう……、いってくる」
「いってらっしゃい」
「ふむ……こんなものですか」
あらかたの買い物を終えて、私は旧都の商店街を後にした。
「では、戻りましょうか。勇儀」
「ああ」
勇儀は腕を首の後ろに回して佇んでいた。荷物は片方の小指に引っ掛けている。全く疲れている様子は無かった。
やはりこういうときには頼りになる。
パルスィの家まで二人で歩く。
考えてみれば、こうして勇儀と二人だけで歩くというのはとても珍しく、奇妙な感じさえした。
奇妙というなら、今日の出来事の方がよっぽど奇妙なのだが。
勇儀も似たようなことを考えたらしい。ポツリと呟かれた。
「……さとりこうやって歩くのは珍しいな」
「……そうですね」
「というか、初めてかもしれん」
「そうでしたか」
「ああ、お前、今まではめったに地霊殿から出ること無かったろ」
「…………」
そうかもしれない。きっかけといえば、あの巫女と魔法使いなのだろう。
最近は今までにない経験を多くしている気がする。
今回のことも、そうやってずれた日常の中に起きた事件の一つなのかもしれない。
私が出歩くようにならなければ、今日パルスィを助けることも無かったし、こうして勇儀と歩くことだって無かったろう。
「……パルスィ、治るかな?」
勇儀の疑問に、私は曖昧な返事を返すしかなかった。
「……さあ、まだなんともいえません」
話しているうちにパルスィの家に着いた。なんだか中が少し騒がしい。
しかし、特に気にせず私は戸をあけた。
「どうも、ただいま帰り―――」
「きゃあ!」
そこに居たのは見たことの無い、フリフリのいきもの。
「…………」
ギィ、バタン、ガチャン。
ふう、何かとんでもないものを見た気がするけど、気のせいよね♪
「どうしたんださとり? 早く中に入ろう」
はっ! しまった。つい現実逃避していたら勇儀が。
「一体中になにがあるんだ」
「あ、ちょっとだめよ勇儀! いきなり開けたら――」
ガチャン。
「あ、勇儀、見て見て! どれすあっぷパルスィ~~~♪」
「ちょ、こいしさん恥ずかしいです」
ガチン。固まる勇儀。
「ちょ、ちょっと、勇儀大丈夫ですか?」
「オチツイテ、オチツイテ」
「あなたが落ち着いてっ!?」
私はあらためて部屋の中をのぞいた。そこにはいかにも少女趣味な服を着せられたパルスィがいた。
「あ、お姉ちゃん。どう、パルスィを着せ替えてみたんだけど……」
「うう………」
「なかなかすごいわね……」
恥らって顔を赤くする、可愛い服を着たパルスィというのは予想外の衝撃だった。
というか、ナニこれ。
夢でも見てるのかしら。
「パルスィいつもあんな服しか着ないでしょう。たまには違うの着せたいな~って前から思ってたんだよね」
「と、とにかく私は勇儀を元に戻してくるわ」
いったん扉を閉めて私は勇儀を振り向かす。
部屋からは、『さあ、次はこれを着てみよっかー』『も、もう終わりにしてーー!』という声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか? 勇儀」
「あ、ああ、もう落ち着いた」
少し硬くなりながらもいつものように話す勇儀。
「……さとり」
「何ですか?」
「……パルスィは、ああするとずいぶん綺麗になるんだな」
幾分か顔を赤くして勇儀が言った。
どう答えたらいいかわからない私は無難な返事をしておくことにした。
「……私も知りませんでした」
こいしの着せ替え計画も程なく終わり、私たちは中に入ることができた。
「えっと、先ほどはすみませんでした」
「いえ、こちらこそ結構なものを……」
まだ顔を赤く染めるパルスィは、髪をきれいに梳いて化粧もいつもと変えていた。これでエプロンをつけているから、どこかの若奥様みたいに見える。
「結局地味な格好になっちゃったね。ざんねん」
「まあまあ、あの服では料理なんてできませんから……」
パルスィはそう言うが、私はこいしの気持ちもわかる気がした。
あんなにかわいいパルスィは、そう何度も見れるものではない。
「それじゃあ、作りますね」
「ああ、手伝いましょうか」
「いえいえ、そんな。座って待っていてください」
パルスィはそう言ってまた純真無垢な笑顔を向けてくる。
「……そうですか、それではお言葉に甘えて」
……おおう、癒される。
改めて見て、パルスィは美人だった。整った顔立ちに柔らかな金髪、輝く緑色の目。
自分の不健康な肌とは違う、磨かれた大理石のような白い肌。
野菜を出し、なべを用意し、パルスィは忙しく立ち回る。
と。
「何か手伝おう、パルスィ」
勇儀が、一人立ち上がって台所に行った。
「え? いえ、勇儀さんも向こうで……」
「何もしないのも退屈だし、義に反する。手伝わしてくれ。なあに、ジャガイモの皮くらいならむける」
「でも………」
「元はといえば私のせいだしな」
「そんな、もういいんですよ」
そこでパルスィはクスリと笑った。
「……それでは、お願いできますか」
「そうこなくっちゃ」
勇儀は笑顔で答えた。
台所に、パルスィと勇儀が並んで料理をしている。
おお……まさか実現するとは思わなかった光景が。
……しかし二人、以外に似合ってますね。
…………。
いえいえそんな、嫉妬なんてしてませんよ。それこそパルスィじゃあるまいし。
…………。
………本当ですってば。
「でも、ちょっとはいいなあ~と思ってるんでしょお姉ちゃん」
「そりゃ、少しは………ってこいし!? なにを、私の心読んだの!?」
「ううん、能力は封じたままだよ。ただ、なんとなくそんな感じかな~って」
にへ~と笑うわが妹。こいし………おそろしい子っ!
「さて、できましたよー」
「おおーーーっ」
しばらくしてパルスィの料理は完成した。メニューはカレーだ。
大人数で食べれるようにとの配慮だ。
「辛さの調節はできますから言ってくださいね」
「では、私は中辛で」
「私甘口ー」
「私は辛口でお願いします」
「キスメは激辛で」
「「まさかの予想外!」」
それぞれが食卓に座る。
「はい、それではいただきましょうか」
「うん」
「「いただきます!」」
「どうぞ、召し上がってください」
一口カレーを口に含む。
「うんむ、これは……」
「おいしーー」
「おお! うまいなこりゃ」
「お口に会ったようで良かったです」
カレーは本当においしかった。きっとパルスィがもともと料理上手なのもあるだろうが、なんというか、やさしい味わいだ。
「あの……すみません、おかわりありますか?」
「「キスメ早っ!?」」
「はは……、ええ、どんどん食べてください」
しばらくにぎやかな食事が続いた。
食事の後は、片付けもしようとするパルスィを無理に休まして、私たちで後片付けをした。
「しっかし、パルスィさん、性格変わるだけであんなにいい人になるんですね」
皿を拭きながらヤマメが言う。
「ええ、私も、なかなか驚かされました」
私は皿を洗ってヤマメに渡す。
「なんか、このまま性格変わらなくても良いかなあ~なんて、はは、不謹慎ですよね」
「いえ………」
私もそう思うことはあった。ヤマメとは少し違う意味でだが。
パルスィはもしかしたら、このまま記憶を取り戻さないほう幸せに成れるのではないか。
今までの、人を嫉妬し負の感情を叩きつける生活からは敵しか生まれない。聞いてみたことは無いが、パルスィだって長く孤独なのは辛いのではないか。それで無くとも勇儀などと衝突やいさかいが耐えないのだ。
しかし今のパルスィなら違う。みんなに愛されて、豊かな生涯を送る。そんな普通の橋姫なら望めないものを得ることができる。
ああそう、きっと姫の名に恥じない、生活を送ることができる。
それは本来の水橋パルスィをないがしろにする妄想だ。
でも――私は残念ながら、幸せになれるなら自分の本姓を捻じ曲げてもいいと考える妖怪だ。
妹が、そうだったから。
「――はい、これで最後の一枚ですね」
「うん、ありがとうございます」
皿をヤマメに渡して、仕事を終える。私はそろそろ地霊殿に戻ろうかと考えていた。
「ヤマメ、後は任していいですか?」
「うん?」
「私もそろそろ地霊殿に戻ろうかと思うので。ペットの世話もしないといけませんし、ここには勇儀もいますしね」
「うん、大丈夫ですよ。何かあったら連絡します」
「あの、キスメもついてます。がんばって看てます」
「ええ、お願いします」
キスメとヤマメの気持ちのいい返事に、私は頷く。
私はエプロンをはずし、自分の荷物をまとめた。
「お、なんだ、帰るのか?」
そこへ勇儀がひょっこり顔を出す。
「ええ、これ以上できることもなさそうですし」
「そうか………、今日は助かったよ」
「いえ」
謙遜ではなく、実際私は何もしていないと思う。
「パルスィのこと、よろしく頼みます。……守ってあげてくださいね」
からかうようにそういうと、『む……』と勇儀は黙り込んでしまった。
こちらもなかなか可愛い。そういえば今日は勇儀の意外な一面もたくさん見た気がする。
「……では、お願いしますね」
私は扉を半分開いて、最後に振り返った。勇儀は腕を組んで、『ああ……』とつぶやく。照れ隠しのようにそっぽを向いている。そういう仕草もまた、かわいい。
私はゆっくりと扉を閉めて、パルスィの家を後にした。
それからしばらく、地底はパルスィの性格が変わった噂で持ちきりになった。
お空やお燐も見に行った。その度に夕食をご馳走されて帰ってきた。すっかり餌付けされていた。なんか面白くなかったので私も料理の勉強をした。
思った通り、いい人パルスィに対する地底の住民の受けは良かった。
地上の人間たちにもそうで、魔理沙などはあの若奥様パルスィを見た瞬間「き、金髪キャラのライバルがまた増えたーー!」とか何とか言って泣きながら飛び去ったという。どうしたのだろう。
私も機をみてはパルスィを元に戻す方法は無いか探していた。
地底の書籍なども読んだし、苦手な地上行もしたが、かんばしい成果は挙げられなかった。
地上の竹林の奥にいた薬師も、『無理やり戻す薬も作れなくは無いけど……ちょっとねえ……』と言う話だった。
それは半ば予想していたことだ。私はため息をつくしかなかった。
私が、記憶を失ったときと同じようなショックを与えると、戻る可能性があるという話を地霊殿でしたとき、こいしが『……紐無しバンジー』と、ぼそりと呟いたので慌てて止めておいた。
結局、パルスィをすぐに戻さなくても実害は無いのだった。
みんな今のパルスィのほうを気に入ってるし、パルスィはパルスィで自分の記憶が無いのにけろっとしている。
だんだんと、そんな躍起になってパルスィを戻さなくても良いのではないかと思うようになる。
それはこの前考えた、パルスィはこのままのほうが幸せかもしれないという考えからもあった。
記憶はみょんなことがきっかけで戻るとも言うし、ゆっくり回復を待つのも良いのではないか。
私はそんな風に考えるようになっていた。
パルスィが頭を打ってから一週間ほど後のことだ。
私は、様子を見るためと称して、パルスィとお茶をしていた。
「クッキー、焼いたんですけど食べます?」
「あら、はい、いただきます」
「どうぞ、上手くできたかはわからないんですけど……」
「いえいえ」
穏やかな午後、と呼ぶにふさわしい時間を、私は水橋邸で過ごしていた。はあ、紅茶が美味しい。
パルスィの家は暖かく、花の良い香りもするようだった。
ここにいると、時がたつのを忘れてしまいそうになる。
「本来の私って、どんな方だったんですか」
紅茶をくゆらせていると、パルスィからそんな質問をされた。
「どんな方?」
「ええ、変な話ですけど、自分のことを何も知らないので」
「そうですね……あなたとはまるで逆のような人物でしたよ」
「逆……ですか?」
「ええ、友人は少ないし、あまり社交的ではありませんでしたね」
私は話して、そういえばパルスィに友達と呼べるような存在がいたのかと思う。
こちらはそう思っていても、パルスィが友人と認めるような存在はいたのだろうか。
想像がつかない。
「そうなんですか……」
今のパルスィは、あごに指を添えて考える風なしぐさをする。
私はそこで、一つ疑問が湧いた。
「そういえば、能力は使えるんですか?」
「能力……ですか?」
「はい、以前のパルスィは嫉妬心を操る程度の能力を持っていたのですが」
尋ねつつ、私はきっと使えないのではないかと思った。
「そうだったんですか。うーんと、たぶん使えないと思います。と言うか、出し方の見当すらつきません」
パルスィは困ったような笑顔でそう言った。
さもありなん。記憶がなければ能力が使えなくなってもおかしくないだろう。
「最近の調子はどうですか?」
「良いですよ。皆さん優しくしてくれますし」
「パルスィが優しいからですよ」
「ふふ、だといいのですけど」
紅茶のおかわりをしながら私は話す。
「記憶のほうは……」
「すみません、いろいろと思い出そうとしているのですけど、まだ戻らないみたいです」
「そうですか……」
まあ、そうだろう。そもそも記憶が戻ったら性格が変わるのだから。
「おや……」
しかし、私は彼女の心に浮かんだ心象風景に気が付いた。
「でも、幾らかは戻っているみたいですね?」
「ええ、この家で暮らしていると、おぼろげに……。やはり体が覚えているのでしょうね。
デジャブみたいに、ああ、これはやったことがある。使ったことがあるってわかるんですよ」
「なるほど、良い傾向ですね」
「ええ」
パルスィが笑顔でうなずく。
顔を上げてから、不思議そうな表情になった。
「あら……」
「どうかしましたか?」
「そういえば私、記憶が少し戻ったことお話しましたっけ?」
ああ、そんなことか。
「ああ、お話ししていませんでしたね。私はさとりと言う妖怪の種族で、人の心が読めるんですよ」
「――え?」
空気が凍ったのが、わかった。
「あ―――」
私はすぐに失言に気付く。パルスィの顔が、先ほどまで笑いかけていてくれた顔が、青褪め引きつっていく。
それは何度も見た顔だった。
その心は何度も見た風景だった。
もう忘れて、ほとんどふさがりかけていた傷を、無理やり掻っ切られるような痛みが走った。
私はすぐに荷物をまとめた。
「すみません。帰ります。遠くに行けば能力は効きませんから安心してください」
私の声に、パルスィははっと気付いたような顔になる。
「ご……ごめんなさい! 私、ひどいことを……」
「いえ、慣れてますから」
私は不細工な笑みを浮かべることしか出来なかった。
「それよりも、勝手に心を読んだりして本当にごめんなさい」
なんて不注意だったのだろう。
パルスィが記憶を失った時点で気付くべきだった。
「そんな、私はそんなつもりで……」
「そんなに気を使わないでください。早めに憎んだほうが、楽になれますよ」
あわてて立ち上がろうとするパルスィを置いて、私は急ぎ玄関まで走る。
すぐに扉を開けて、寒風吹きすさぶ外へ私は飛び出した。
「さとりさんっ!」
後から声がかかるが、私は無視して飛び去った。
キリキリと痛む風の中を、めいいっぱいのスピードを出して飛ぶ。
あっという間にパルスィの心の声は聞こえなくなった、これで良いと思う。
平和とは怖いな、と思った。この私でさえ人に嫌われることを忘れてしまっていた。
おそらくあの巫女と魔法使いのせいだろう。あの二人は私の心を読む能力を知ってからも、変わることは無かった。
恐れることも嫌うこともせず、戦いが終われば普通に接してくれた。
それに知らず知らず、慣れてしまっていたのだ。今回のはいい教訓になった。温かいまどろみを、冷や水をかぶせて覚ましてくれた。
『ごめんなさい! ごめんなさい!』
最後に聞こえてきたパルスィの心の声を思い出す。あの娘は最後まで謝ってくれた。
「あなたは謝ることなんてないのよパルスィ」
悪いのは私なのだから、忌み嫌われる能力を持って生まれたのは私なのだから。
私は本当に、パルスィが薄情だとは思わなかった。
ただ、もう会うことは出来ないと思っていた。例えあのパルスィが望んだとしても。
あの娘は『普通』だから。
『普通』の『いいひと』だから。
そういう人の側にいたとき、どういう結果になるかはよく知っていた。
気付けば私は地霊殿にたどり着いていた。
乱暴にドアを開け、中に飛び込んだところで、ようやく安心できた気がした。
「どうしたんですかさとり様!?」
お燐があわてて飛び出してくる。私は後ろ手に扉を閉めて、大丈夫と笑って見せた。
「すみませんね、お燐。何でもありませんよ」
「そんな……、何があったんですか」
「何もありません、大丈夫です」
「でも……ならなんで、泣いてらっしゃるんですか」
お燐に言われて、私は初めて目元をぬぐった。確かに熱い液体が、横に一筋流れていた。
「あ……」
「さとりさま……」
驚いた。自分にとってさっきの事件は、予想外にこたえていたらしい。
指についた涙の感触はひどく私を切なくさせた。
「お燐、すみません、少し部屋で休んできますね」
「は、はい。……わかりました」
お燐は心の中で『さとり様一人で大丈夫かな』と思っていた。『でも、あたいがどうこうできないよね』とも。
私はお燐のやさしさに感謝しつつ、自分の部屋へ向かった。
何故だかたまらなく、ベッドにもぐりこみたかった。
洋服も変えずベッドに飛び込んでからは布団をかぶって私はひたすらに目をつぶった。
とにかく何もかもを、早く忘れてしまいたかった。
眠っているのか、起きているのか。それもわからないまどろみの中で、昔のことを思い出した気がした。
彼女に初めて会ったとき、なんと言われたか。
『……ふうん、心を読むのがあなたの能力ってわけ。妬ましいわね』
ふざけないで。こんな能力、欲しいならくれてやる。そのせいで自分たちがいったいどれほど苦労したと思っているんだ。
『あなたの能力に興味なんて無いわ。ただ、妬ましいのよ』
『…………』
『用が無いならさっさと行きなさい。旧都の連中は、少なくとも私よりは温かく迎えてくれるわよ』
そう、彼女は最初に負の感情を叩きつけてくれた。
しかしそれは私を決して傷つけなかった。
彼女は何の区別なく妬む。彼女に相手への恨みは無い。ただ、自分に無いものを、妬ましいと思うだけ。
そして彼女は私の心を読む能力を、好きも嫌いもしなかった。
ああ、ようやくわかった。
私が彼女に惹かれたのは、その対し方が嬉しかったからなのだ。
何かの音で目が覚めた。目が覚めても私はベッドから出たくなかった。
どうしたと言うのだろう。私としたことが、こんなにも打たれ弱くなっている。
パルスィのことが、頭から離れなかった。まるで彼女に直接裏切られでもしたかのように傷ついている。
コンコン。
ノックの音。
自分を起こした音の正体がわかって、私は仕方なくベッドから這い出した。
「あ、さとり様」
扉の向こうにはお空がいた。彼女の心を読んだので、大体の状況は把握していた。
「そう、勇儀が来たのね」
「あ、はい。とりあえず応接まで待っていただいているんですけど」
一体なんだろう? やはりパルスィがらみだろうか。
そう考えると、また憂鬱な気分になった。
「ありがとう、すぐに行くわ」
私はそういうと寝崩れた洋服を少しだけ直して応接間に向かった。
「お待たせしました」
応接間に入ると、勇儀は何も言わず、ぐい、と折り畳まれた紙を押し付けてきた。
「……?」
「……パルスィからだ、読みな」
受け取って中を開く。私への手紙が丁寧な字で書かれていた。
『先程は大変な失礼をしました。さとりさんを傷つけてごめんなさい。
お詫びと、私があなたを恐れていないことの証に、ぜひもう一度我が家で食事をしていって下さい』
手紙には大体そんな意味のことが書かれていた。
読み終わって、私はパルスィの文字がかすかに震えていることに気付いた。
「…………」
「パルスィは、お前に謝りたいそうだ」
「……そう、ですか」
正直、私の能力を知っても嫌ってくれなかったのは嬉しい。またあの家の夕食に招かれたのは喜ばしいことだ。
だが、それでも私は行くわけには行かなかった。
誰のためでもない、パルスィのために。
もし行けば仲直りできるのかもしれない。むしろ前より強い絆で結ばれるかもしれない。
それでも私はそれが結局は崩壊していくのを多く見すぎていた。
行くわけには行かなかった。このままお互い忘れるのが一番いい。
「でも……」
これが私だけの問題なら、そうしていたのだが。
「……行かない、なんてことは許されないのですよね」
「当たり前だ」
勇儀は瞳に何の感情も映さず、頷く。
さらに、
「たとえこの地霊殿にいる連中すべてがお前を守ったとしても、私はお前を連れて行くつもりだ。」
とも言った。
「……それは、困りますね。かわいいペットたちを傷つけるわけには行きません」
「パルスィは泣いていたよ」
勇儀が、静かな口調で言う。
「泣いて、自分を罵倒していた」
「……そうですか」
私はふと、自分がこの目の前の鬼のように強かったら、運命は変わっていただろうかと思った。
下らない。妄想は頭を振り払って捨てる。
「……大丈夫、行きますよ」
「そうか、良かった」
勇儀はそこでやっと、にかっと笑った。
「正直怖かったんだ。お前を無理やり連れて行かねばならんかと思ってな」
「……まあ、ほとんど無理やりですが……」
「うん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです」
外出用のコートとマフラーを取って、私は玄関へ向けて歩き出す。
「では、行きましょうか」
「ああ、パルスィの作る料理は上手いぞ~」
「ええ、知ってますよ」
私たちは地霊殿を後にする。ゆったり飛べばちょうどいい時間になるだろう。
心の整理もつけたいし、私は一度来た道を、ゆるやかに戻っていった。
「お~い、パルスィ、さとり連れてきたぞーー!」
「ちょっと勇儀、そんな叫ばないでもいいですから」
扉を粉砕するような勢いで勇儀はパルスィの家に入った。
私を連れてくるのがよほど楽しみだったらしい。
私は勇儀に引きずられるようにして、家に入った。
と。
「……パルスィ?」
家の中は静まり返っている。明かりはついているが、妙に人の気配がしない。
変だな、と思いながら家の中に入ると居間の床にパルスィが倒れていた。
「「パルスィっ!?」」
仰向けで倒れたパルスィに二人して駆け寄る。
慌てて抱き起こしたが、パルスィの表情は安らかだった。耳を近づけると、静かな呼吸音も聞こえる。
「……すぅーー、……すぅ……」
とりあえずほっと一安心して、私はパルスィを起こすことにした。
「パルスィ……パルスィ……」
頬をパチパチと叩く。
「パルスィ、大丈夫か?」
勇儀も体を揺さぶった。
やがて。
「……うん……。………あれ?」
パルスィは目を覚ましてくれた。
「よかった、大丈夫? パルスィ」
「何があったんだ? 居間で眠りこけるなんて」
パルスィは目をしばたたかせた。起き抜けのようにぼんやりしている。
「……あれ、私……。……さとりに勇儀じゃない、どうしてここに?」
「どうしてって……あなたが呼んだのじゃない」
「私が? ……なんで?」
「なんでって、夕食を作ってくれるって話だったろう?」
おかしい、どうも話がかみ合わない。
「はあ!? 私が夕食を? 何でそんなことしなくちゃいけないのよ」
これはもしかして………。
「ねえ、あなたもしかしてパルスィ?」
パルスィは馬なのに鹿と言われたような顔をした。
「……さとり、ついに頭がおかしくなった? もしかしなくても私はパルスィよ」
私はようやっと状況が把握できた。
そこで初めてパルスィの心の中を覗き見る。記憶は元に戻っていた。
「そう……やっといつものパルスィに戻ったのね」
「……? どういうこと?」
懐かしい口調で話すパルスィは、不思議そうに首をかしげていた。
「……そう、そんなことがあったの」
今、三人は部屋の中央に集まって、お茶を飲みながらこれまでの経緯を説明していた。
当事者に説明するのは変な感じだったが、パルスィはこの数日間の記憶が無いらしいので仕方が無い。
「ずいぶん迷惑をかけたみたいね、ごめんなさい」
素直に謝るパルスィに、私たちは小さな驚きを感じた。まだ前のパルスィが残っているのかと思った。
私たちの顔を見て、パルスィが言う。
「私は今までの記憶が無かったんですもの。自分で考えてやったことならともかく、自分の体が迷惑をかけたなら、その責任は取るわ」
パルスィの言うことは筋が通っているようでなんだか奇妙な感じもした。でもパルスィはそうしないと納得しないようだったので、私は何も言わなかった。
「でも、何で急に元に戻ったんだろうねえ」
「やっぱり頭をぶつけたんでしょうか?」
「なにかににつまずいて、転びでもしたんじゃない? 仰向けだったんでしょう」
少々乱暴な意見だが、状況からしてそれが一番よい見方のようだった。パルスィに記憶が無い以上、真相はわからない。
私はパルスィをじっと見て、訊ねた。
「ところで、その格好着替えなくていいのですか?」
「え?」
パルスィがあらためて自分の服装を見る。格好は相変わらず前のパルスィのままだった。
「うわ! 何この衣装!?」
「こいしたちが性格の違うパルスィを、面白がって着せ替えたのですよ」
「かわいかったぞ~」
勇儀がニヤニヤしながら言う。パルスィがボン、と赤くなった。
「く……一生の不覚、こいつに見られるなんて……」
「ちなみに、地底の住人は一通り拝見しています」
「――――――――――――――――――――」
パルスィはムンクの『叫び』みたいなポーズになって床に崩れた。
悶えるパルスィを二人してニヤニヤしながら見つめる。2828。
「―――着替えてくるわ! マッハで!」
パルスィはあっという間に自室に消えてしまった。もう二度とゴスロリ服とかを着たパルスィは見れないだろう。
パルスィを待つ間、私は一つ疑問に思った。
「そういえば、夕食の準備はどうしたのでしょうね」
「そういえば、材料は用意していたな」
勇儀と一緒に台所に行くと、言葉通り袋詰めにされた野菜などが並んでいた。
「ははあ、ずいぶん買い込みましたね」
結局、これらの食材も無駄になってしまった。こんなに早く元に戻るなら、あと少しくらい、せめて夕食くらい、食べてもよかったかと思う。
それも、言っても仕方の無いことだろう。
そこで、私は台所の上に見慣れないメモ帳が置かれていることに気付いた。
「何でしょう――?」
私はメモ帳を開く。それは今日の夕食の、長いレシピだった。
しめじご飯、肉じゃが、しいたけの含め煮、筑前炊き、鶏のきじ焼き、ポテトサラダ、野菜入り卵焼き、赤だし……
……料理にはそれぞれ注意やコツが、事細かに書かれていた。どれも、私が気に入るようにと、考えてくれたものらしい。
最後に、『絶対さとりさんと仲直りする!』という言葉が、赤い字であった。
「―――――」
私は口元を押さえた。このレシピを呼んで、何か零れ落ちそうになる言葉を、必死に体の中へとどめておくような仕草だった。
「どうした?」
私の様子に勇儀が心配そうに近付いてきた。私は黙ってメモ帳を渡した。
勇儀も、そのメモ帳を見て、黙ってしまった。
せめてあと一日、いや一晩でいい、遅かったらと思う。
でも、結局仲直りできなかった私たちの時間の壁が、そのまま二人の関係を表しているようで、悲しかった。
沈黙の降りてしまった台所に、着替えを済ましたパルスィがやってきた。
「どうしたの?」
「……その、さっき話したここ数日居たほうのパルスィが、料理のレシピを作っていたんです」
勇儀がメモを差し出した。
パルスィが受け取って、開く。中を検めるような目つきで読み始めた。
勇儀が、大きく息をつく。
「……はぁ、結局、食べれなかったなあ。あいつの夕飯」
むしろ明るい声で勇儀は言った。無理して出しているような声だった。
「……そうですね」
しかし私もそれに、頷くことしかできない。
もう彼女は、戻ってこないのだろうから。
そう思っていた私に、そこで、今回の件ではもっとも驚かされる、一言がかけられたのだった
「……作ってあげようか?」
「「…………………………………………………………………は?」」
驚きすぎると、むしろ小さな声しか出ないらしい。
パルスィが、メモを右手に持って言った。
「だから、そんなに食べたいなら、今から作ってあげまようか? この通りに作ればいいんでしょう」
「「――――――――――」」
二人とも長いこと固まったままだった。それくらい、今の提案は意外だった。
「……おまえ、本当にパルスィか?」
勇儀がまじまじと見つめてそう訊ねた。
「失礼ね、それとも私の料理を食べたくないの?」
「いや、食べたい。食べたいさ」
勇儀が慌てて首を振る。
「ただ、パルスィがそんなこと言うなんて、驚いてな」
「……勘違いしないでよ。今回のお礼の意味も含めてよ」
パルスィはそっぽを向いて言った。
「信じられん、パルスィからそんな殊勝な言葉が聞けるなんて……」
「あなた………。そういえば元はといえばあなたのせいなのよね、やっぱりお礼はいらないかしら」
「いや、すまん。ぜひとも食べたい」
「さとりは?」
「もちろん、私もいただきたいです」
「同じ味にはならないかもしれないけど、いい?」
「はい」
「ああ」
パルスィはフゥ、と息をついた。
「じゃ、まあやってみるわ。期待はしないでね」
パルスィの料理の腕は、やはり大したものだった。
こちらが手伝いを申し出るのがはばかられるほど、無駄なく、よどみなく、洗練されていた。
時間も完璧に計算してあるようで、最初の一品目が出来上がると、それからはコース料理のように次から次へと運ばれてきた。
私たちは料理ができ上がるのを、ただ待っていればよかった。
パルスィはしめじご飯を持ってきて、ようやく一息ついた
「……ふう、、これで一通り全部ね。さて、食べましょうか」
「待ってました! いただきます!」
「ええ、いただきます」
私たちはさっそく箸をつけた。見た目にもおいしそうだ。
「――うんまいっ! これがパルスィの本気か!」
「……おいしい」
二人同時に感想がもれる。
食事はどれも期待をはるかに超えておいしかった。
「……そう、良かったわ」
パルスィはそういうと、静かに食べ始める。
鶏肉は噛めばジュッと旨味が染み出したし、なめこの入った赤だしからは深い味わいがあった。
勇儀はもう、わき目も振らずひたすら食べている。
「うん、本当に美味いぞパルスィ。すごいな」
「………ありがとう」
パルスィは複雑な顔をしてお礼を言った。素直に喜べないらしい。
しばらく黙々と食べる時間が続いた。
やがて一心地つき(料理は終わってなかったが)、私は箸休めにくるみのあめ煮をつまんでいた。
パルスィが、静かな声で言った。
「さとり、相当前の私に好かれていたみたいね」
「……は?」
どういうことです。と私は言葉の意味がわからなくて聞いた。
「この中のいくつかの料理はね、私が昔、まだ人間だった遠い昔に、好きだった男に作っていたものなの」
私も作っているうちに思い出したわ。
そうパルスィは言った。
「私は妖怪化以前の記憶がほとんど無いから、おぼろげだけど、なんとなく覚えているものもあったの」
「……前のパルスィさんは、それと気付いて作っていたのでしょうか」
「さあね。興味ないわ。でもたぶん、無意識だったんじゃないかしら」
パルスィは静かに料理を口に運びながら話す。
私もたぶんそうだろうと思った。
そして彼女が私と本気で仲直りしたかったのだろうと思った。
目の前のパルスィは私の能力を恐れることは無い。
もしも、もしも、あのままパルスィが戻らなくても、記憶を失った前のパルスィも。
同じように、仲良く一緒にいることが出来ただろうか。
詮無いことをまた考える。もう終わってしまったことなのに。
「パルスィは、前の自分を妬ましいと思いますか?」
それでも、私はつい気になって、そんなことをたずねてしまった。
「前のあなたはお話したように明るく社交的でした。そんな自分を、望むことはありますか?」
パルスィはちょっと首をかしげた。それから箸を置くと、宙を向いて、どうかしらね、と呟いた。
「……本当はね、前の自分の味っていうのを、再現してみたかったのよ」
パルスィが話す。その言葉に、私と勇儀が耳を傾ける。
「だから、今日の料理は全部レシピ通りに作ったわ。自分とやり方の違うところも、全部従った」
パルスィは、ふっと笑う。
「でも、ダメね。結局私の味になってしまったわ。所々違うけど、でも根っこはやっぱり私の料理よ」
そういうことじゃない、と、パルスィは呟いて私を見た。
「私は私。記憶違いの私がたとえ同じ体でも、それは私じゃないのよ。私は明るくて社交的にはなれないし、向こうの私は誰かの嫉妬心を操ることも出来ない。
私は結局変わることは出来ない」
それにね、とパルスィは続けた。
「私は、今の自分を、そう嫌っているわけじゃないのよ」
パルスィの言葉は、すっと心の中に入ってきた。
この地底は幻想郷でも、嫌われ者の集う場所だ。
生まれながらの能力は、もう変えることはできない。自分を捨てることは出来ないのだ。
どんなに忌み嫌われても、足蹴にされようが唾を吐きかけられようがそんな自分を憎まず、うまく折り合いをつけていかねばならない。
つまりは自分を好きになれるかということだった。
そして今気付いた、自分の質問が、いかに残酷であったかに。
「……そうですね。失礼しました。ひどい質問をしました」
私は頭を下げた。パルスィは手をひらひらさせて答える。
「別にくだらない気を使う必要はないわ。あなたが私を好こうと嫌おうと、私のあなたへの感情は変わらない」
「……ありがとうございます」
私は笑って、礼を言った。そういえば、私が自分を好きでいられる理由の一つは、この友人がいるからだった。
「では、私はパルスィを大好きでいますね」
「な、何よ突然」
ぎょっとしてパルスィが目を見開いた。
「だって私が好こうと好くまいと、関係ないのでしょう」
「そ、そうだけど……」
満面の笑みで、戸惑うパルスィを見つめる。
「私も好きだぞ」
そこで勇儀も笑顔で言った。
「ちょ、何よ、あなたまで」
「何より、飯がうまい」
「そんな単純な理由で好きとか言うんじゃない!」
パルスィがツッコむ。
「あ、そういえば、私も料理教えて欲しいですね。今度一緒に作りませんか」
「え? そんな、急に言われても……いったい二人ともどうしたのよ」
「お、いいな、そのときは私も呼んでくれ」
「あなたは食べる係りでしょう?」
「何なら増やせるぞ」
「遠慮しておきます」
私は笑って勇儀の申し出を断る。
「ちょっとちょっと、勝手にあなたたちで話を進めないでよ。私はまだ了承したわけではないんだからね」
パルスィが怒って遮ってきた。私は暗い顔をして聞いた。
「じゃあ、ダメなんですか?」
「む……ま、まあ、代わりにあなたの料理を教えてくれるなら、考えないことも無いわ」
「良かったです」
ぱっと、明るい笑顔になる。パルスィがはっとして、だ、だましたわね! と叫んだがもう遅い。
私と勇儀は笑って、さっさと残りの料理に取り掛かることにした。
「うっさいみどり目っ!」
また今日も喧嘩している。私は仲裁するべきか黙って眺めるべきか迷いながら橋の袂まで歩いた。
橋の上では勇儀とパルスィがいつものように言い争っている。
「どこで人を妬んでようが私の勝手でしょ! いちいち突っかかってこないで!」
「お前がいるとせっかくの酒がまずくなるんだよ。後ろからぶつぶつ人の悪口を……そんなに妬ましいなら一人でやれ!」
「私は一人でやってるわよ! あなたたちが勝手に押しかけてくるんでしょう!」
「たまには風流な河の上で飲みたいと思って何が悪い!」
ぎゃーすぎゃーす。
いつものように二人の話は平行線をたどって埒が明かない。そもそも二人の性格からしてそりがあわないはずだから、こうなってしまうのも当然といえた。
「今日も喧嘩?」
「あ、さとりさん。………はい、出会いがしらにいきなり始めて……」
ヤマメに話しかけるとそう答えてくれた。私はため息をつく。
この二人の喧嘩は、大体誰かが仲裁して終わる。しかしそれはいつも骨が折れるのだ。
特に勇儀を押さえるのが大変で、いつもならお空やお燐、ときにはこいしもいるので何とかなるのだが、今回はどうだろう。私の他に戦力になりそうなのはヤマメと……、まあ、キスメくらい。ちょっと頼りない。
それでもさすがに仲裁しようと私は二人に近付く。二人が喧嘩しているのは旧都へ続く橋の上だ。あまり天下の往来で騒ぎまわるのもまずい。天下ではないけど。
だが、その日は少し予想もしない結果になった。
「あの、二人ともそろそろいい加減に……」
「黙れこのうし乳ーーーっ!!」
パルスィが珍しくついに手を出した。空気を切り裂くような音を上げて右の拳が迫る。
「ふんっ」
だが勇儀はこれを難なくよけて、逆に腕をつかむとそのままパルスィを掴むと投げ飛ばした。
「だりゃあっ!」
「きゃあーーっ!」
「あ、やべ」
パルスィはそのまま勢いよく放り投げられ、橋を越え下へと落ちていく。
「きゃああーーーーーーーーーぁぁーーーーーーー 」
ガンッ。
橋の欄干に駆け寄った私たちの見る中で、嫌な音を立ててパルスィが川原へ頭から落ちた。
「だ! 大丈夫パルスィ!」
「パルスィさんっ!」
私とヤマメは声をかけ、すぐさま飛び降りる。少し遅れて勇儀も続いた。
パルスィは川でうつ伏せになって倒れていた。気絶しているようだ。
私はむやみに動かさないようにしながら、仰向けに起こして体を点検する。
「……とりあえず命に別状はなさそうですけど……。目が覚めるまで様子を見るしかないわね」
浅くだが呼吸をするパルスィの状態を見て、私はそう言った。
「大丈夫かな、パルスィさん……」
「たんこぶですめばいいのですけどね」
「むう……、すまん、パルスィ」
「いえ、あの状況は、どっちが悪いというものではありませんよ」
私はヤマメに言って氷か何か冷やすものを取ってくるようにいった。
ヤマメはすぐに返事をして飛び去っていく。
私はその間にとりあえず川の水で冷やすことにした。勇儀にパルスィを見ててもらい川の岸に行く。
ハンカチを濡らした私に、キスメが川の水ごと桶で汲んでくれた。便利な子だ。
パルスィの元に戻って私はそっと、当たったと思われる箇所に絞ったハンカチを当てた。
パルスィの表情が幾分か柔らかくなる。
勇儀が心配そうに見つめてきた。
「パルスィは大丈夫か?」
「妖怪はこの程度では死にませんよ」
「それはそうだが……でも、な」
「まあ、これに懲りてもう少し喧嘩しないようにしたらいかがですか」
仲裁も大変なんですよとちくりと言っておく。
「……すまん」
珍しく勇儀が素直に謝った。誇り高い鬼が頭を下げるとは。よほど今回のことが身にしみたんだろう。その意味では、良い教訓になればいいと思う。
もともと勇儀はパルスィのことをそこまで嫌っているわけではないのだ。
二人の性格からどうしても衝突してしまうけど、お互いがもう少し話を聞くようにすればきっと歩み寄れるだろう。
……その、話を聞かせるのが難しいのだが。
勇儀は心配そうにパルスィを見つめていた。
と、パルスィの顔が歪む。
「う……んん……」
「あら」
「気付いたか!? パルスィ」
パルスィは何度か呻いて、瞬きをした。
やがてゆっくりと目を開けていく。
「うん………」
「気付きました?」
「パルスィ、すまなかった」
パルスィの緑色に輝く目が私たちを捉える。パルスィはむくりと身を起こした。
「ここど……痛っ!」
「あら、急に起きてはだめですよ」
パルスィは顔をしかめて頭を押さえる。
勇儀が声をかけた。
「パルスィ、大丈夫か? 気持ち悪くないか」
「ん………」
パルスィは痛みに目をしばたかせた後、勇儀の顔を見た。
どこか、目が幼くなっているような気がする。
「えっと……」
パルスィは言った。
「……どちらさまでしょう?」
「は?」
「えっと、私は何をしていたんでしょう?」
「……パルスィ?」
どうも、様子がおかしい。
「ぱるすぃ? それが私の名前なんですか」
「何言ってんだ? どうしたパルスィ」
勇儀がわけのわからない顔をしてパルスィを見る。
私はそこで一つの可能性に思い当たっていた。
「これはもしかして……」
そう、昔本で読んだことがある。
「………記憶喪失?」
パルスィはキョトンとした顔で私を見ていた。
とりあえず吐き気や眩暈は無いとの事だったので、いったん川原から場所を移すことにした。
戻ってきたヤマメにも事情を説明して、どこか適当な場所でパルスィを休ませることにする。結局、パルスィの家へ移動することにした。
家の布団にパルスィを寝かせるとようやく落ち着き、私たちも事態に対処できるようになっていた。
「何がどうなっているんです? さとりさん」
ヤマメが私にそう尋ねてくる。そんなことを言われても、私にもまだ把握できていない。
「さあ……まだ私にも、なんとも言えないですね」
「あいつの心はどうなっているんだ? 記憶が無いなら、心にも影響があるんじゃないか?」
「たちの悪い冗談……というわけでは無いようです。残念ながら。
さっき読んでみましたが、なんだかほわほわとした実体の無いイメージに、今のパルスィさんの心がぼんやり浮かんでいるといったかんじです」
「ほわほわですか」
「そう、ほわほわです」
いつもの嫉妬心や負の感情は、どこにも見当たらない。
「とりあえず、どのくらい記憶があるのか聞いてみましょうか」
「そうですね、私もそれがいいと思います」
キスメの意見に、私も賛成した。
布団で休んでいるパルスィの側に座って、話しかける
「こんにちわパルスィ、気分はどうですか?」
「あ……どうも。いえ、心配していただくほどではありません」
少し驚いたようにびくつきながら、パルスィは答える。
後ろで勇儀とヤマメが、小声で話すのが聞こえた。
(……なんか、妙にしおらしいよな)
(……きっとショックで若干性格が変わっちゃったんでしょう)
私はコホンと咳払いして続ける。
「ときにパルスィ、私のことは覚えていますか?」
「……すみません。がんばって思い出そうとしているのですが、まだ……」
「いえいえ、結構ですよ」
シュンとしてしまうパルスィに私は慌ててフォローを入れる。
これは予想通りだ。パルスィの心には、私どころか誰の記憶も無かった。
「念のため訊ねますが、私たちの中で記憶にある人はいませんね?」
「はい、すみません……」
「ああそんな、いいんですよ」
心の底から悲しそうな顔をするパルスィ。どうも調子が狂う。
「ではもっと簡単なものから訊ねましょうか。あなたが寝ているそれはなんです?」
「……布団、ですよね?」
私は羽ペンを取り出した。
「これは?」
「羽ペンですか?」
「いいですね。では、この建物の名前はわかりますか?」
「……すみません、ちょっと……」
「ああ、わかりました」
ふむ、どうやら今までのパルスィ自身の記憶などが主に抜けているようだ。
「ちなみに、思い出せそうな記憶とかはありますか?」
「ん、と……思い出そうとすると、……こう、あたまがズキズキと痛むので……」
「そ、そんな無理しないで結構ですよ」
うん……、思ったよりも治るのには時間がかかりそうだ。
すると、突然パルスィが涙目になった。
「ごめん……なさい」
「ど、どうしたんです突然!?」
パルスィの泣き顔なんていう激レアイベントにその場の全員が取り乱す。
「ど、どっか痛いんですか?」
「ぐす………いえ、違うんです。ただ、自分のせいで皆様にご迷惑をおかけしているのが……申し訳なくて……」
今まで見たことの無いようなパルスィの姿に全員が珍獣でも見るような顔つきになる。
私もヤマメもキスメも勇儀もどう反応していいのかわからない。
「そ、そんな泣かないで。記憶喪失になったのはあなたのせいじゃないですよ」
「そうだ、元はといえば私が悪いんだから」
「そんな……勇儀さんは私を助けて、ここまで運んでくださったじゃないですか。それなのに私は……」
「あ、いや……」
くらり、ときた。
パルスィと同じ顔で、とんでもないせりふが並べられた気がする
勇儀さん、よりにもよって勇儀さん!
いつも勇儀の顔を見ただけでしかめ面するパルスィが勇儀さん!?
夢でも見れない光景が目の前にある。
勇儀も聞きなれない呼び方で戸惑ったのか、口ごもったまま顔を赤くして黙ってしまった。
なんだかいたたまれない空気になる部屋。
(ど、どうしましょうこれ?)
(素直なパルスィというのがこれほど破壊力があるとは……)
(パルスィ、あんな表情もできたんだな……)
(ああ! また目のふちに涙がたまって!)
そこへ、ガラリと扉が開いてのん気な救いの手が現れた。
「やほーー、お姉ちゃん、呼んだ?」
「ああこいし!」
助かった、と私はため息をついて、こいしを迎えた。
こいしは、パルスィを家に運んだときに、ペットの一匹を使って私が呼んでいたのだった。
彼女の無意識の能力が、もしかしたら役に立つかもしれないと思ったから。
「それって記憶喪失?」
こいしはパルスィの家に来て私の話を聞いて、そう呟いた。
「というよりは、まるで別人になってしまったようなんですよね」
「別人に……?」
私の言葉にこいしは考えるような表情をする。どう想像したらよいものか考えているらしい。
私がもう少し説明しようと口を開きかけて、しかしその前にこいしが自力でたどり着いた。
「それって、いつもの水橋パルスィじゃないって考えたほうがいいってことかな?」
「え、ええ、まあ、そういうことですね」
「なるほど……」
こいしは一人で納得してしまった。はた目にはなかなかすごい状況だと思うのだが、こいしはもうその話は済んで別のことに考えを向けてるらしかった。
「それで、今こんなになってると」
「ええ、あなたの能力なら、何か解決策は無いかと……」
「う~ん、どうかな?」
私の問いに、こいしは顔を曇らせる。
「難しいのですか?」
「というより、そんな勝手に人の無意識をいじっていいのかなってこと。
私の姿を見えないようにするくらいならまだしも、取り戻すのはパルスィの記憶全部でしょ?
私もやったこと無いからちょっと不安なんだよね」
こいしはそう言って窺うようにこちらを見た。
たしかに、こいしの言うこともよくわかる。
それに、そんな簡単に解決できるとも思っていなかった。
「そうですね、まあ今日一日くらいは、様子を見たほうが良いかもしれません。
案外あっさり回復するかもしれませんし」
私がそういうと、みんなが頷く。
そこでまたパルスィが礼を言った。
「ありがとうございます。私のために……」
パルスィが言い掛けたところで、くぅ、と可愛い音がなった。
「…………」
パルスィがおなかを押さえて赤くなっている。どうやら今のはパルスィのお腹の音らしい。
「ふむ、そういえばお昼がまだでしたね」
私も空腹を感じた。
というか、お昼にしようと旧都に行ったところで、橋の上の喧嘩を聞きつけたのだった。
「す、すみません。安心したらお腹が……」
「いえ、私もちょうど何か食べようと思った所です。よければ一緒にお昼にしますか?」
軽い気持ちで言ったのだが、パルスィは意外な返事を返してきた。
「あ、じゃあ、私作りましょうか?」
「「えええっ!!?」」
再び沸くどよめき。
「パルスィが!?」
「手料理を!?」
「他人にぃっ!?」
勇儀とキスメとヤマメがのけぞり驚いていた。
それにパルスィが目を丸くする。
「あの……いけませんでしたか?」
「いえいえ、お気になさらず。皆慣れないことに戸惑っているだけなので……。
でも、体のほうは大丈夫なのですか?」
「ええ、さっき言ったとおり、体はほとんど無事ですから。本当は寝てるのも申し訳ないくらいなので」
布団から立ち上がってパルスィは言う。
「あ、急に立ち上がったら……」
「もう大丈夫です。ほら、ね?」
パルスィは体を軽く動かして健康体をアピールする。続いてにこっと笑った。
その笑顔に思わず魅せられる。ああ、いつ振りだろうパルスィの純粋な笑顔なんて。
くすんでいるように見えた金髪も、今は太陽のように輝いて見える。
「少しお礼がしたいのです。お世話になりっぱなしですから」
「……そうですか、それではお言葉に甘えて……」
私が頷くと、こいしが口を挟んだ。
「ところで、パルスィってお料理得意だっけ?」
「えっと、たぶん大丈夫だと思いますけど……」
「パルスィはずっと一人暮らしだし、料理はできると思うわよ。こういうのは体が覚えているから、大丈夫でしょう」
パルスィの言葉に私が付け足す。
「でも、さすがに材料はわからないですね。私たちが買ってきましょう」
私の提案に、こいしが感心したように言った。
「ああ、たしかにそうだね。さすがお姉ちゃん」
「何がさすがなのかわかりませんが……」
「地霊殿の主婦」
「それはひどいです」
たしかに、使用人とか言われましたが……。
お茶を入れるくらい、普通でしょう。
「すみません。では……………これをお願いします」
パルスィがさらさらと紙に書き付けて私にくれた。
私は受け取ってそれを読む。料理の材料が書いてある。
「はい。………ははあ、あれを作るつもりですか」
「ええ、人数が多いので……」
「よいですね」
私はメモを丁寧に折りたたんでポケットにしまった。
「ついでに傷につける薬も見てきましょう。勇儀、荷物を持ってもらえますか?」
「ええ!? あたしか?」
声を上げる勇儀。
「今回の騒動の原因はあなたでしょう。少しは手伝ってください」
「うう、しかしなあ……」
「労働は尊いですよ。さあさあ」
私は不服そうな顔をしている勇儀を引きずってパルスィの部屋を出た。
「じゃあ、私たちはお留守番をしてるね」
「パルスィさんと一緒に、この家の案内をしとくよ。私は何度か来たことあるし」
「が、がんばって下さい」
「ええ、頼みましたよ」
コートを着た。
こいし達を残して、私と勇儀はパルスィの家を出る。
「では、いってきます」
「うう……、いってくる」
「いってらっしゃい」
「ふむ……こんなものですか」
あらかたの買い物を終えて、私は旧都の商店街を後にした。
「では、戻りましょうか。勇儀」
「ああ」
勇儀は腕を首の後ろに回して佇んでいた。荷物は片方の小指に引っ掛けている。全く疲れている様子は無かった。
やはりこういうときには頼りになる。
パルスィの家まで二人で歩く。
考えてみれば、こうして勇儀と二人だけで歩くというのはとても珍しく、奇妙な感じさえした。
奇妙というなら、今日の出来事の方がよっぽど奇妙なのだが。
勇儀も似たようなことを考えたらしい。ポツリと呟かれた。
「……さとりこうやって歩くのは珍しいな」
「……そうですね」
「というか、初めてかもしれん」
「そうでしたか」
「ああ、お前、今まではめったに地霊殿から出ること無かったろ」
「…………」
そうかもしれない。きっかけといえば、あの巫女と魔法使いなのだろう。
最近は今までにない経験を多くしている気がする。
今回のことも、そうやってずれた日常の中に起きた事件の一つなのかもしれない。
私が出歩くようにならなければ、今日パルスィを助けることも無かったし、こうして勇儀と歩くことだって無かったろう。
「……パルスィ、治るかな?」
勇儀の疑問に、私は曖昧な返事を返すしかなかった。
「……さあ、まだなんともいえません」
話しているうちにパルスィの家に着いた。なんだか中が少し騒がしい。
しかし、特に気にせず私は戸をあけた。
「どうも、ただいま帰り―――」
「きゃあ!」
そこに居たのは見たことの無い、フリフリのいきもの。
「…………」
ギィ、バタン、ガチャン。
ふう、何かとんでもないものを見た気がするけど、気のせいよね♪
「どうしたんださとり? 早く中に入ろう」
はっ! しまった。つい現実逃避していたら勇儀が。
「一体中になにがあるんだ」
「あ、ちょっとだめよ勇儀! いきなり開けたら――」
ガチャン。
「あ、勇儀、見て見て! どれすあっぷパルスィ~~~♪」
「ちょ、こいしさん恥ずかしいです」
ガチン。固まる勇儀。
「ちょ、ちょっと、勇儀大丈夫ですか?」
「オチツイテ、オチツイテ」
「あなたが落ち着いてっ!?」
私はあらためて部屋の中をのぞいた。そこにはいかにも少女趣味な服を着せられたパルスィがいた。
「あ、お姉ちゃん。どう、パルスィを着せ替えてみたんだけど……」
「うう………」
「なかなかすごいわね……」
恥らって顔を赤くする、可愛い服を着たパルスィというのは予想外の衝撃だった。
というか、ナニこれ。
夢でも見てるのかしら。
「パルスィいつもあんな服しか着ないでしょう。たまには違うの着せたいな~って前から思ってたんだよね」
「と、とにかく私は勇儀を元に戻してくるわ」
いったん扉を閉めて私は勇儀を振り向かす。
部屋からは、『さあ、次はこれを着てみよっかー』『も、もう終わりにしてーー!』という声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか? 勇儀」
「あ、ああ、もう落ち着いた」
少し硬くなりながらもいつものように話す勇儀。
「……さとり」
「何ですか?」
「……パルスィは、ああするとずいぶん綺麗になるんだな」
幾分か顔を赤くして勇儀が言った。
どう答えたらいいかわからない私は無難な返事をしておくことにした。
「……私も知りませんでした」
こいしの着せ替え計画も程なく終わり、私たちは中に入ることができた。
「えっと、先ほどはすみませんでした」
「いえ、こちらこそ結構なものを……」
まだ顔を赤く染めるパルスィは、髪をきれいに梳いて化粧もいつもと変えていた。これでエプロンをつけているから、どこかの若奥様みたいに見える。
「結局地味な格好になっちゃったね。ざんねん」
「まあまあ、あの服では料理なんてできませんから……」
パルスィはそう言うが、私はこいしの気持ちもわかる気がした。
あんなにかわいいパルスィは、そう何度も見れるものではない。
「それじゃあ、作りますね」
「ああ、手伝いましょうか」
「いえいえ、そんな。座って待っていてください」
パルスィはそう言ってまた純真無垢な笑顔を向けてくる。
「……そうですか、それではお言葉に甘えて」
……おおう、癒される。
改めて見て、パルスィは美人だった。整った顔立ちに柔らかな金髪、輝く緑色の目。
自分の不健康な肌とは違う、磨かれた大理石のような白い肌。
野菜を出し、なべを用意し、パルスィは忙しく立ち回る。
と。
「何か手伝おう、パルスィ」
勇儀が、一人立ち上がって台所に行った。
「え? いえ、勇儀さんも向こうで……」
「何もしないのも退屈だし、義に反する。手伝わしてくれ。なあに、ジャガイモの皮くらいならむける」
「でも………」
「元はといえば私のせいだしな」
「そんな、もういいんですよ」
そこでパルスィはクスリと笑った。
「……それでは、お願いできますか」
「そうこなくっちゃ」
勇儀は笑顔で答えた。
台所に、パルスィと勇儀が並んで料理をしている。
おお……まさか実現するとは思わなかった光景が。
……しかし二人、以外に似合ってますね。
…………。
いえいえそんな、嫉妬なんてしてませんよ。それこそパルスィじゃあるまいし。
…………。
………本当ですってば。
「でも、ちょっとはいいなあ~と思ってるんでしょお姉ちゃん」
「そりゃ、少しは………ってこいし!? なにを、私の心読んだの!?」
「ううん、能力は封じたままだよ。ただ、なんとなくそんな感じかな~って」
にへ~と笑うわが妹。こいし………おそろしい子っ!
「さて、できましたよー」
「おおーーーっ」
しばらくしてパルスィの料理は完成した。メニューはカレーだ。
大人数で食べれるようにとの配慮だ。
「辛さの調節はできますから言ってくださいね」
「では、私は中辛で」
「私甘口ー」
「私は辛口でお願いします」
「キスメは激辛で」
「「まさかの予想外!」」
それぞれが食卓に座る。
「はい、それではいただきましょうか」
「うん」
「「いただきます!」」
「どうぞ、召し上がってください」
一口カレーを口に含む。
「うんむ、これは……」
「おいしーー」
「おお! うまいなこりゃ」
「お口に会ったようで良かったです」
カレーは本当においしかった。きっとパルスィがもともと料理上手なのもあるだろうが、なんというか、やさしい味わいだ。
「あの……すみません、おかわりありますか?」
「「キスメ早っ!?」」
「はは……、ええ、どんどん食べてください」
しばらくにぎやかな食事が続いた。
食事の後は、片付けもしようとするパルスィを無理に休まして、私たちで後片付けをした。
「しっかし、パルスィさん、性格変わるだけであんなにいい人になるんですね」
皿を拭きながらヤマメが言う。
「ええ、私も、なかなか驚かされました」
私は皿を洗ってヤマメに渡す。
「なんか、このまま性格変わらなくても良いかなあ~なんて、はは、不謹慎ですよね」
「いえ………」
私もそう思うことはあった。ヤマメとは少し違う意味でだが。
パルスィはもしかしたら、このまま記憶を取り戻さないほう幸せに成れるのではないか。
今までの、人を嫉妬し負の感情を叩きつける生活からは敵しか生まれない。聞いてみたことは無いが、パルスィだって長く孤独なのは辛いのではないか。それで無くとも勇儀などと衝突やいさかいが耐えないのだ。
しかし今のパルスィなら違う。みんなに愛されて、豊かな生涯を送る。そんな普通の橋姫なら望めないものを得ることができる。
ああそう、きっと姫の名に恥じない、生活を送ることができる。
それは本来の水橋パルスィをないがしろにする妄想だ。
でも――私は残念ながら、幸せになれるなら自分の本姓を捻じ曲げてもいいと考える妖怪だ。
妹が、そうだったから。
「――はい、これで最後の一枚ですね」
「うん、ありがとうございます」
皿をヤマメに渡して、仕事を終える。私はそろそろ地霊殿に戻ろうかと考えていた。
「ヤマメ、後は任していいですか?」
「うん?」
「私もそろそろ地霊殿に戻ろうかと思うので。ペットの世話もしないといけませんし、ここには勇儀もいますしね」
「うん、大丈夫ですよ。何かあったら連絡します」
「あの、キスメもついてます。がんばって看てます」
「ええ、お願いします」
キスメとヤマメの気持ちのいい返事に、私は頷く。
私はエプロンをはずし、自分の荷物をまとめた。
「お、なんだ、帰るのか?」
そこへ勇儀がひょっこり顔を出す。
「ええ、これ以上できることもなさそうですし」
「そうか………、今日は助かったよ」
「いえ」
謙遜ではなく、実際私は何もしていないと思う。
「パルスィのこと、よろしく頼みます。……守ってあげてくださいね」
からかうようにそういうと、『む……』と勇儀は黙り込んでしまった。
こちらもなかなか可愛い。そういえば今日は勇儀の意外な一面もたくさん見た気がする。
「……では、お願いしますね」
私は扉を半分開いて、最後に振り返った。勇儀は腕を組んで、『ああ……』とつぶやく。照れ隠しのようにそっぽを向いている。そういう仕草もまた、かわいい。
私はゆっくりと扉を閉めて、パルスィの家を後にした。
それからしばらく、地底はパルスィの性格が変わった噂で持ちきりになった。
お空やお燐も見に行った。その度に夕食をご馳走されて帰ってきた。すっかり餌付けされていた。なんか面白くなかったので私も料理の勉強をした。
思った通り、いい人パルスィに対する地底の住民の受けは良かった。
地上の人間たちにもそうで、魔理沙などはあの若奥様パルスィを見た瞬間「き、金髪キャラのライバルがまた増えたーー!」とか何とか言って泣きながら飛び去ったという。どうしたのだろう。
私も機をみてはパルスィを元に戻す方法は無いか探していた。
地底の書籍なども読んだし、苦手な地上行もしたが、かんばしい成果は挙げられなかった。
地上の竹林の奥にいた薬師も、『無理やり戻す薬も作れなくは無いけど……ちょっとねえ……』と言う話だった。
それは半ば予想していたことだ。私はため息をつくしかなかった。
私が、記憶を失ったときと同じようなショックを与えると、戻る可能性があるという話を地霊殿でしたとき、こいしが『……紐無しバンジー』と、ぼそりと呟いたので慌てて止めておいた。
結局、パルスィをすぐに戻さなくても実害は無いのだった。
みんな今のパルスィのほうを気に入ってるし、パルスィはパルスィで自分の記憶が無いのにけろっとしている。
だんだんと、そんな躍起になってパルスィを戻さなくても良いのではないかと思うようになる。
それはこの前考えた、パルスィはこのままのほうが幸せかもしれないという考えからもあった。
記憶はみょんなことがきっかけで戻るとも言うし、ゆっくり回復を待つのも良いのではないか。
私はそんな風に考えるようになっていた。
パルスィが頭を打ってから一週間ほど後のことだ。
私は、様子を見るためと称して、パルスィとお茶をしていた。
「クッキー、焼いたんですけど食べます?」
「あら、はい、いただきます」
「どうぞ、上手くできたかはわからないんですけど……」
「いえいえ」
穏やかな午後、と呼ぶにふさわしい時間を、私は水橋邸で過ごしていた。はあ、紅茶が美味しい。
パルスィの家は暖かく、花の良い香りもするようだった。
ここにいると、時がたつのを忘れてしまいそうになる。
「本来の私って、どんな方だったんですか」
紅茶をくゆらせていると、パルスィからそんな質問をされた。
「どんな方?」
「ええ、変な話ですけど、自分のことを何も知らないので」
「そうですね……あなたとはまるで逆のような人物でしたよ」
「逆……ですか?」
「ええ、友人は少ないし、あまり社交的ではありませんでしたね」
私は話して、そういえばパルスィに友達と呼べるような存在がいたのかと思う。
こちらはそう思っていても、パルスィが友人と認めるような存在はいたのだろうか。
想像がつかない。
「そうなんですか……」
今のパルスィは、あごに指を添えて考える風なしぐさをする。
私はそこで、一つ疑問が湧いた。
「そういえば、能力は使えるんですか?」
「能力……ですか?」
「はい、以前のパルスィは嫉妬心を操る程度の能力を持っていたのですが」
尋ねつつ、私はきっと使えないのではないかと思った。
「そうだったんですか。うーんと、たぶん使えないと思います。と言うか、出し方の見当すらつきません」
パルスィは困ったような笑顔でそう言った。
さもありなん。記憶がなければ能力が使えなくなってもおかしくないだろう。
「最近の調子はどうですか?」
「良いですよ。皆さん優しくしてくれますし」
「パルスィが優しいからですよ」
「ふふ、だといいのですけど」
紅茶のおかわりをしながら私は話す。
「記憶のほうは……」
「すみません、いろいろと思い出そうとしているのですけど、まだ戻らないみたいです」
「そうですか……」
まあ、そうだろう。そもそも記憶が戻ったら性格が変わるのだから。
「おや……」
しかし、私は彼女の心に浮かんだ心象風景に気が付いた。
「でも、幾らかは戻っているみたいですね?」
「ええ、この家で暮らしていると、おぼろげに……。やはり体が覚えているのでしょうね。
デジャブみたいに、ああ、これはやったことがある。使ったことがあるってわかるんですよ」
「なるほど、良い傾向ですね」
「ええ」
パルスィが笑顔でうなずく。
顔を上げてから、不思議そうな表情になった。
「あら……」
「どうかしましたか?」
「そういえば私、記憶が少し戻ったことお話しましたっけ?」
ああ、そんなことか。
「ああ、お話ししていませんでしたね。私はさとりと言う妖怪の種族で、人の心が読めるんですよ」
「――え?」
空気が凍ったのが、わかった。
「あ―――」
私はすぐに失言に気付く。パルスィの顔が、先ほどまで笑いかけていてくれた顔が、青褪め引きつっていく。
それは何度も見た顔だった。
その心は何度も見た風景だった。
もう忘れて、ほとんどふさがりかけていた傷を、無理やり掻っ切られるような痛みが走った。
私はすぐに荷物をまとめた。
「すみません。帰ります。遠くに行けば能力は効きませんから安心してください」
私の声に、パルスィははっと気付いたような顔になる。
「ご……ごめんなさい! 私、ひどいことを……」
「いえ、慣れてますから」
私は不細工な笑みを浮かべることしか出来なかった。
「それよりも、勝手に心を読んだりして本当にごめんなさい」
なんて不注意だったのだろう。
パルスィが記憶を失った時点で気付くべきだった。
「そんな、私はそんなつもりで……」
「そんなに気を使わないでください。早めに憎んだほうが、楽になれますよ」
あわてて立ち上がろうとするパルスィを置いて、私は急ぎ玄関まで走る。
すぐに扉を開けて、寒風吹きすさぶ外へ私は飛び出した。
「さとりさんっ!」
後から声がかかるが、私は無視して飛び去った。
キリキリと痛む風の中を、めいいっぱいのスピードを出して飛ぶ。
あっという間にパルスィの心の声は聞こえなくなった、これで良いと思う。
平和とは怖いな、と思った。この私でさえ人に嫌われることを忘れてしまっていた。
おそらくあの巫女と魔法使いのせいだろう。あの二人は私の心を読む能力を知ってからも、変わることは無かった。
恐れることも嫌うこともせず、戦いが終われば普通に接してくれた。
それに知らず知らず、慣れてしまっていたのだ。今回のはいい教訓になった。温かいまどろみを、冷や水をかぶせて覚ましてくれた。
『ごめんなさい! ごめんなさい!』
最後に聞こえてきたパルスィの心の声を思い出す。あの娘は最後まで謝ってくれた。
「あなたは謝ることなんてないのよパルスィ」
悪いのは私なのだから、忌み嫌われる能力を持って生まれたのは私なのだから。
私は本当に、パルスィが薄情だとは思わなかった。
ただ、もう会うことは出来ないと思っていた。例えあのパルスィが望んだとしても。
あの娘は『普通』だから。
『普通』の『いいひと』だから。
そういう人の側にいたとき、どういう結果になるかはよく知っていた。
気付けば私は地霊殿にたどり着いていた。
乱暴にドアを開け、中に飛び込んだところで、ようやく安心できた気がした。
「どうしたんですかさとり様!?」
お燐があわてて飛び出してくる。私は後ろ手に扉を閉めて、大丈夫と笑って見せた。
「すみませんね、お燐。何でもありませんよ」
「そんな……、何があったんですか」
「何もありません、大丈夫です」
「でも……ならなんで、泣いてらっしゃるんですか」
お燐に言われて、私は初めて目元をぬぐった。確かに熱い液体が、横に一筋流れていた。
「あ……」
「さとりさま……」
驚いた。自分にとってさっきの事件は、予想外にこたえていたらしい。
指についた涙の感触はひどく私を切なくさせた。
「お燐、すみません、少し部屋で休んできますね」
「は、はい。……わかりました」
お燐は心の中で『さとり様一人で大丈夫かな』と思っていた。『でも、あたいがどうこうできないよね』とも。
私はお燐のやさしさに感謝しつつ、自分の部屋へ向かった。
何故だかたまらなく、ベッドにもぐりこみたかった。
洋服も変えずベッドに飛び込んでからは布団をかぶって私はひたすらに目をつぶった。
とにかく何もかもを、早く忘れてしまいたかった。
眠っているのか、起きているのか。それもわからないまどろみの中で、昔のことを思い出した気がした。
彼女に初めて会ったとき、なんと言われたか。
『……ふうん、心を読むのがあなたの能力ってわけ。妬ましいわね』
ふざけないで。こんな能力、欲しいならくれてやる。そのせいで自分たちがいったいどれほど苦労したと思っているんだ。
『あなたの能力に興味なんて無いわ。ただ、妬ましいのよ』
『…………』
『用が無いならさっさと行きなさい。旧都の連中は、少なくとも私よりは温かく迎えてくれるわよ』
そう、彼女は最初に負の感情を叩きつけてくれた。
しかしそれは私を決して傷つけなかった。
彼女は何の区別なく妬む。彼女に相手への恨みは無い。ただ、自分に無いものを、妬ましいと思うだけ。
そして彼女は私の心を読む能力を、好きも嫌いもしなかった。
ああ、ようやくわかった。
私が彼女に惹かれたのは、その対し方が嬉しかったからなのだ。
何かの音で目が覚めた。目が覚めても私はベッドから出たくなかった。
どうしたと言うのだろう。私としたことが、こんなにも打たれ弱くなっている。
パルスィのことが、頭から離れなかった。まるで彼女に直接裏切られでもしたかのように傷ついている。
コンコン。
ノックの音。
自分を起こした音の正体がわかって、私は仕方なくベッドから這い出した。
「あ、さとり様」
扉の向こうにはお空がいた。彼女の心を読んだので、大体の状況は把握していた。
「そう、勇儀が来たのね」
「あ、はい。とりあえず応接まで待っていただいているんですけど」
一体なんだろう? やはりパルスィがらみだろうか。
そう考えると、また憂鬱な気分になった。
「ありがとう、すぐに行くわ」
私はそういうと寝崩れた洋服を少しだけ直して応接間に向かった。
「お待たせしました」
応接間に入ると、勇儀は何も言わず、ぐい、と折り畳まれた紙を押し付けてきた。
「……?」
「……パルスィからだ、読みな」
受け取って中を開く。私への手紙が丁寧な字で書かれていた。
『先程は大変な失礼をしました。さとりさんを傷つけてごめんなさい。
お詫びと、私があなたを恐れていないことの証に、ぜひもう一度我が家で食事をしていって下さい』
手紙には大体そんな意味のことが書かれていた。
読み終わって、私はパルスィの文字がかすかに震えていることに気付いた。
「…………」
「パルスィは、お前に謝りたいそうだ」
「……そう、ですか」
正直、私の能力を知っても嫌ってくれなかったのは嬉しい。またあの家の夕食に招かれたのは喜ばしいことだ。
だが、それでも私は行くわけには行かなかった。
誰のためでもない、パルスィのために。
もし行けば仲直りできるのかもしれない。むしろ前より強い絆で結ばれるかもしれない。
それでも私はそれが結局は崩壊していくのを多く見すぎていた。
行くわけには行かなかった。このままお互い忘れるのが一番いい。
「でも……」
これが私だけの問題なら、そうしていたのだが。
「……行かない、なんてことは許されないのですよね」
「当たり前だ」
勇儀は瞳に何の感情も映さず、頷く。
さらに、
「たとえこの地霊殿にいる連中すべてがお前を守ったとしても、私はお前を連れて行くつもりだ。」
とも言った。
「……それは、困りますね。かわいいペットたちを傷つけるわけには行きません」
「パルスィは泣いていたよ」
勇儀が、静かな口調で言う。
「泣いて、自分を罵倒していた」
「……そうですか」
私はふと、自分がこの目の前の鬼のように強かったら、運命は変わっていただろうかと思った。
下らない。妄想は頭を振り払って捨てる。
「……大丈夫、行きますよ」
「そうか、良かった」
勇儀はそこでやっと、にかっと笑った。
「正直怖かったんだ。お前を無理やり連れて行かねばならんかと思ってな」
「……まあ、ほとんど無理やりですが……」
「うん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです」
外出用のコートとマフラーを取って、私は玄関へ向けて歩き出す。
「では、行きましょうか」
「ああ、パルスィの作る料理は上手いぞ~」
「ええ、知ってますよ」
私たちは地霊殿を後にする。ゆったり飛べばちょうどいい時間になるだろう。
心の整理もつけたいし、私は一度来た道を、ゆるやかに戻っていった。
「お~い、パルスィ、さとり連れてきたぞーー!」
「ちょっと勇儀、そんな叫ばないでもいいですから」
扉を粉砕するような勢いで勇儀はパルスィの家に入った。
私を連れてくるのがよほど楽しみだったらしい。
私は勇儀に引きずられるようにして、家に入った。
と。
「……パルスィ?」
家の中は静まり返っている。明かりはついているが、妙に人の気配がしない。
変だな、と思いながら家の中に入ると居間の床にパルスィが倒れていた。
「「パルスィっ!?」」
仰向けで倒れたパルスィに二人して駆け寄る。
慌てて抱き起こしたが、パルスィの表情は安らかだった。耳を近づけると、静かな呼吸音も聞こえる。
「……すぅーー、……すぅ……」
とりあえずほっと一安心して、私はパルスィを起こすことにした。
「パルスィ……パルスィ……」
頬をパチパチと叩く。
「パルスィ、大丈夫か?」
勇儀も体を揺さぶった。
やがて。
「……うん……。………あれ?」
パルスィは目を覚ましてくれた。
「よかった、大丈夫? パルスィ」
「何があったんだ? 居間で眠りこけるなんて」
パルスィは目をしばたたかせた。起き抜けのようにぼんやりしている。
「……あれ、私……。……さとりに勇儀じゃない、どうしてここに?」
「どうしてって……あなたが呼んだのじゃない」
「私が? ……なんで?」
「なんでって、夕食を作ってくれるって話だったろう?」
おかしい、どうも話がかみ合わない。
「はあ!? 私が夕食を? 何でそんなことしなくちゃいけないのよ」
これはもしかして………。
「ねえ、あなたもしかしてパルスィ?」
パルスィは馬なのに鹿と言われたような顔をした。
「……さとり、ついに頭がおかしくなった? もしかしなくても私はパルスィよ」
私はようやっと状況が把握できた。
そこで初めてパルスィの心の中を覗き見る。記憶は元に戻っていた。
「そう……やっといつものパルスィに戻ったのね」
「……? どういうこと?」
懐かしい口調で話すパルスィは、不思議そうに首をかしげていた。
「……そう、そんなことがあったの」
今、三人は部屋の中央に集まって、お茶を飲みながらこれまでの経緯を説明していた。
当事者に説明するのは変な感じだったが、パルスィはこの数日間の記憶が無いらしいので仕方が無い。
「ずいぶん迷惑をかけたみたいね、ごめんなさい」
素直に謝るパルスィに、私たちは小さな驚きを感じた。まだ前のパルスィが残っているのかと思った。
私たちの顔を見て、パルスィが言う。
「私は今までの記憶が無かったんですもの。自分で考えてやったことならともかく、自分の体が迷惑をかけたなら、その責任は取るわ」
パルスィの言うことは筋が通っているようでなんだか奇妙な感じもした。でもパルスィはそうしないと納得しないようだったので、私は何も言わなかった。
「でも、何で急に元に戻ったんだろうねえ」
「やっぱり頭をぶつけたんでしょうか?」
「なにかににつまずいて、転びでもしたんじゃない? 仰向けだったんでしょう」
少々乱暴な意見だが、状況からしてそれが一番よい見方のようだった。パルスィに記憶が無い以上、真相はわからない。
私はパルスィをじっと見て、訊ねた。
「ところで、その格好着替えなくていいのですか?」
「え?」
パルスィがあらためて自分の服装を見る。格好は相変わらず前のパルスィのままだった。
「うわ! 何この衣装!?」
「こいしたちが性格の違うパルスィを、面白がって着せ替えたのですよ」
「かわいかったぞ~」
勇儀がニヤニヤしながら言う。パルスィがボン、と赤くなった。
「く……一生の不覚、こいつに見られるなんて……」
「ちなみに、地底の住人は一通り拝見しています」
「――――――――――――――――――――」
パルスィはムンクの『叫び』みたいなポーズになって床に崩れた。
悶えるパルスィを二人してニヤニヤしながら見つめる。2828。
「―――着替えてくるわ! マッハで!」
パルスィはあっという間に自室に消えてしまった。もう二度とゴスロリ服とかを着たパルスィは見れないだろう。
パルスィを待つ間、私は一つ疑問に思った。
「そういえば、夕食の準備はどうしたのでしょうね」
「そういえば、材料は用意していたな」
勇儀と一緒に台所に行くと、言葉通り袋詰めにされた野菜などが並んでいた。
「ははあ、ずいぶん買い込みましたね」
結局、これらの食材も無駄になってしまった。こんなに早く元に戻るなら、あと少しくらい、せめて夕食くらい、食べてもよかったかと思う。
それも、言っても仕方の無いことだろう。
そこで、私は台所の上に見慣れないメモ帳が置かれていることに気付いた。
「何でしょう――?」
私はメモ帳を開く。それは今日の夕食の、長いレシピだった。
しめじご飯、肉じゃが、しいたけの含め煮、筑前炊き、鶏のきじ焼き、ポテトサラダ、野菜入り卵焼き、赤だし……
……料理にはそれぞれ注意やコツが、事細かに書かれていた。どれも、私が気に入るようにと、考えてくれたものらしい。
最後に、『絶対さとりさんと仲直りする!』という言葉が、赤い字であった。
「―――――」
私は口元を押さえた。このレシピを呼んで、何か零れ落ちそうになる言葉を、必死に体の中へとどめておくような仕草だった。
「どうした?」
私の様子に勇儀が心配そうに近付いてきた。私は黙ってメモ帳を渡した。
勇儀も、そのメモ帳を見て、黙ってしまった。
せめてあと一日、いや一晩でいい、遅かったらと思う。
でも、結局仲直りできなかった私たちの時間の壁が、そのまま二人の関係を表しているようで、悲しかった。
沈黙の降りてしまった台所に、着替えを済ましたパルスィがやってきた。
「どうしたの?」
「……その、さっき話したここ数日居たほうのパルスィが、料理のレシピを作っていたんです」
勇儀がメモを差し出した。
パルスィが受け取って、開く。中を検めるような目つきで読み始めた。
勇儀が、大きく息をつく。
「……はぁ、結局、食べれなかったなあ。あいつの夕飯」
むしろ明るい声で勇儀は言った。無理して出しているような声だった。
「……そうですね」
しかし私もそれに、頷くことしかできない。
もう彼女は、戻ってこないのだろうから。
そう思っていた私に、そこで、今回の件ではもっとも驚かされる、一言がかけられたのだった
「……作ってあげようか?」
「「…………………………………………………………………は?」」
驚きすぎると、むしろ小さな声しか出ないらしい。
パルスィが、メモを右手に持って言った。
「だから、そんなに食べたいなら、今から作ってあげまようか? この通りに作ればいいんでしょう」
「「――――――――――」」
二人とも長いこと固まったままだった。それくらい、今の提案は意外だった。
「……おまえ、本当にパルスィか?」
勇儀がまじまじと見つめてそう訊ねた。
「失礼ね、それとも私の料理を食べたくないの?」
「いや、食べたい。食べたいさ」
勇儀が慌てて首を振る。
「ただ、パルスィがそんなこと言うなんて、驚いてな」
「……勘違いしないでよ。今回のお礼の意味も含めてよ」
パルスィはそっぽを向いて言った。
「信じられん、パルスィからそんな殊勝な言葉が聞けるなんて……」
「あなた………。そういえば元はといえばあなたのせいなのよね、やっぱりお礼はいらないかしら」
「いや、すまん。ぜひとも食べたい」
「さとりは?」
「もちろん、私もいただきたいです」
「同じ味にはならないかもしれないけど、いい?」
「はい」
「ああ」
パルスィはフゥ、と息をついた。
「じゃ、まあやってみるわ。期待はしないでね」
パルスィの料理の腕は、やはり大したものだった。
こちらが手伝いを申し出るのがはばかられるほど、無駄なく、よどみなく、洗練されていた。
時間も完璧に計算してあるようで、最初の一品目が出来上がると、それからはコース料理のように次から次へと運ばれてきた。
私たちは料理ができ上がるのを、ただ待っていればよかった。
パルスィはしめじご飯を持ってきて、ようやく一息ついた
「……ふう、、これで一通り全部ね。さて、食べましょうか」
「待ってました! いただきます!」
「ええ、いただきます」
私たちはさっそく箸をつけた。見た目にもおいしそうだ。
「――うんまいっ! これがパルスィの本気か!」
「……おいしい」
二人同時に感想がもれる。
食事はどれも期待をはるかに超えておいしかった。
「……そう、良かったわ」
パルスィはそういうと、静かに食べ始める。
鶏肉は噛めばジュッと旨味が染み出したし、なめこの入った赤だしからは深い味わいがあった。
勇儀はもう、わき目も振らずひたすら食べている。
「うん、本当に美味いぞパルスィ。すごいな」
「………ありがとう」
パルスィは複雑な顔をしてお礼を言った。素直に喜べないらしい。
しばらく黙々と食べる時間が続いた。
やがて一心地つき(料理は終わってなかったが)、私は箸休めにくるみのあめ煮をつまんでいた。
パルスィが、静かな声で言った。
「さとり、相当前の私に好かれていたみたいね」
「……は?」
どういうことです。と私は言葉の意味がわからなくて聞いた。
「この中のいくつかの料理はね、私が昔、まだ人間だった遠い昔に、好きだった男に作っていたものなの」
私も作っているうちに思い出したわ。
そうパルスィは言った。
「私は妖怪化以前の記憶がほとんど無いから、おぼろげだけど、なんとなく覚えているものもあったの」
「……前のパルスィさんは、それと気付いて作っていたのでしょうか」
「さあね。興味ないわ。でもたぶん、無意識だったんじゃないかしら」
パルスィは静かに料理を口に運びながら話す。
私もたぶんそうだろうと思った。
そして彼女が私と本気で仲直りしたかったのだろうと思った。
目の前のパルスィは私の能力を恐れることは無い。
もしも、もしも、あのままパルスィが戻らなくても、記憶を失った前のパルスィも。
同じように、仲良く一緒にいることが出来ただろうか。
詮無いことをまた考える。もう終わってしまったことなのに。
「パルスィは、前の自分を妬ましいと思いますか?」
それでも、私はつい気になって、そんなことをたずねてしまった。
「前のあなたはお話したように明るく社交的でした。そんな自分を、望むことはありますか?」
パルスィはちょっと首をかしげた。それから箸を置くと、宙を向いて、どうかしらね、と呟いた。
「……本当はね、前の自分の味っていうのを、再現してみたかったのよ」
パルスィが話す。その言葉に、私と勇儀が耳を傾ける。
「だから、今日の料理は全部レシピ通りに作ったわ。自分とやり方の違うところも、全部従った」
パルスィは、ふっと笑う。
「でも、ダメね。結局私の味になってしまったわ。所々違うけど、でも根っこはやっぱり私の料理よ」
そういうことじゃない、と、パルスィは呟いて私を見た。
「私は私。記憶違いの私がたとえ同じ体でも、それは私じゃないのよ。私は明るくて社交的にはなれないし、向こうの私は誰かの嫉妬心を操ることも出来ない。
私は結局変わることは出来ない」
それにね、とパルスィは続けた。
「私は、今の自分を、そう嫌っているわけじゃないのよ」
パルスィの言葉は、すっと心の中に入ってきた。
この地底は幻想郷でも、嫌われ者の集う場所だ。
生まれながらの能力は、もう変えることはできない。自分を捨てることは出来ないのだ。
どんなに忌み嫌われても、足蹴にされようが唾を吐きかけられようがそんな自分を憎まず、うまく折り合いをつけていかねばならない。
つまりは自分を好きになれるかということだった。
そして今気付いた、自分の質問が、いかに残酷であったかに。
「……そうですね。失礼しました。ひどい質問をしました」
私は頭を下げた。パルスィは手をひらひらさせて答える。
「別にくだらない気を使う必要はないわ。あなたが私を好こうと嫌おうと、私のあなたへの感情は変わらない」
「……ありがとうございます」
私は笑って、礼を言った。そういえば、私が自分を好きでいられる理由の一つは、この友人がいるからだった。
「では、私はパルスィを大好きでいますね」
「な、何よ突然」
ぎょっとしてパルスィが目を見開いた。
「だって私が好こうと好くまいと、関係ないのでしょう」
「そ、そうだけど……」
満面の笑みで、戸惑うパルスィを見つめる。
「私も好きだぞ」
そこで勇儀も笑顔で言った。
「ちょ、何よ、あなたまで」
「何より、飯がうまい」
「そんな単純な理由で好きとか言うんじゃない!」
パルスィがツッコむ。
「あ、そういえば、私も料理教えて欲しいですね。今度一緒に作りませんか」
「え? そんな、急に言われても……いったい二人ともどうしたのよ」
「お、いいな、そのときは私も呼んでくれ」
「あなたは食べる係りでしょう?」
「何なら増やせるぞ」
「遠慮しておきます」
私は笑って勇儀の申し出を断る。
「ちょっとちょっと、勝手にあなたたちで話を進めないでよ。私はまだ了承したわけではないんだからね」
パルスィが怒って遮ってきた。私は暗い顔をして聞いた。
「じゃあ、ダメなんですか?」
「む……ま、まあ、代わりにあなたの料理を教えてくれるなら、考えないことも無いわ」
「良かったです」
ぱっと、明るい笑顔になる。パルスィがはっとして、だ、だましたわね! と叫んだがもう遅い。
私と勇儀は笑って、さっさと残りの料理に取り掛かることにした。
元に戻っても素直なパルパルが可愛かった。
そんな中、こいしちゃんが殊勝な心配りをしていたような気がしてならない。無意識料理のくだりとか。
おもしろかったです!
ゴクリ
賑やかに食卓を囲む光景が浮かぶな。
地獄の住人達好きだー!
過呼吸起こした。どーしてくれるんd
パルパルと勇儀とさとりんが特に好きな俺にはたまらん!
っていうかキスメかわいいよキスメ
ああパルスィ可愛いよパルスィ
記憶喪失は定番ネタですが、普段とは全く逆のパルパルを描くつもりで書きました。
楽しんでいただけて幸いです。
>名前が無い程度の能力さん
地獄の住人たちはすばらしいです。なんとも家庭的で……。
地霊殿に行ってさとりんの入れたお茶を飲みたい。
>名前が無い程度の能力さん
渋い感想、ありがとうございます。
>名前が無い程度の能力さん
大丈夫ですか!?
過呼吸は袋をかぶって息するといいらしいので、
勇儀の谷間に顔を埋めることをお勧めします。
>名前が無い程度の能力さん
さとりとパルスィがエプロンつけて料理作ってるの想像しただけで萌え死ねます。
かっはあ!(吐血
キスメの小ネタに気付いてくださって嬉しかったです。
>名前が無い程度の能力さん
パルスィ! パルスィ!
もっとパルスィファンを増やしたい……。
ありがとうございます。
>名前が無い程度の能力さん
オッケーイ!
点数入れてくださった方、ありがとうございました。
これは地霊殿大好きそしてパルスィは俺の嫁!な俺のためのSSですねわかりますありがとう!
もちろん、また書くよな!?
名前www
ありがとうございます。
>名前が無い程度の能力
ありがとうございます。
妄想がたまったらまた書くかもしれません。パルスィにはいろんな服を着せてみたい……。
パルスィは地底みんなの嫁です。
って叫んでしまったじゃないかどうしてくれるんだwww
上手く想像できない自分を殴ってやりたいです!
文句なしに面白かったです!
好きだった男への料理を思い出しながら、パルスィがどんなことを考えていたのか、読んでいて気持ちが深まります。
どのキャラも魅力があってよかったです