平和と怠惰とちょっとの刺激に塗れた世界。妖が闊歩する、幻想の楽園。人と妖怪が共存する理想郷。そんな世界に息づく住人たちもまた、平和と、怠惰と、ちょっとの刺激に塗れていた。しかし、如何に住人たちが平和ボケしていようと、逃れられないものが在る。そいつは闇の中に潜み、人だろうが、妖怪だろうがお構いなしに襲撃する。楽園の住人たちは見えない襲撃者たちを畏怖の念を込めてこう呼ぶ。
『病魔』と。
これは、自身の身体と世界を少しずつ蝕んでゆく病魔に立ち向かった、一人の蓬莱人の物語――。
◇ ◇ ◇
冷たいリノリウムの床にコツコツと乾いた音が響き渡る。長く、薄暗い回廊を少女は歩く。コツコツ、コツコツ。足音が反響してカルテットを奏でていた。闇には妖怪が潜むと言う。ならばこの足音のカルテットもまた、妖怪の仕業なのだろうか。他愛も無いことを考えながら少女は常闇を進む。
やがて少女は回廊のつきあたりにある一室へとたどり着く。扉に手をかけ、すぐに引っ込めた。開けるのを躊躇っているのだ。中に居る人物は少女の良く知る人物だ。だからこそ、この扉を開けるには勇気が必要だった。自分に起こっている異変を解決できるのは彼女しか居ない。そんなことは分かりきっている。だけど、何て言われるのだろう。こんな気持ちは久しい、しかし何時までもここでこうしているわけには行かない。自分には最早一刻の猶予も無いのだ。
意を決して扉を開けると、少女は眩い光の溢れる部屋へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい。……あら?」
「よ、よぉ。久しぶり」
曰く、暇つぶしで人里の片隅に診療所を立て、興味本位で人妖の病を治療しているらしい、八意永琳その人だった。永琳は白衣に身を包み、回転椅子に腰掛け、足を組んでいる。ペンの代わりに握られた注射器が彼女の本質を嫌でも物語っている。
「お久しぶり。ふふふ、なあにそれ、新品の革靴じゃない」
「これは慧音のヤツがくれたんだ。自分用に買ったんだけどサイズが合わないってわたしにくれた」
「あら、そうなの、へぇー。ふふっ。貴女たちはいつも幸せそうで何よりだわ」
「ところがそうもいかなくなったのよ。だから今日はお前のトコに来たんだ。ふぇ、へくちんっ!」
急に永琳の目つきが険しくなる。仮にも相手は蓬莱人、そこらの妖怪程度に遅れをとるはずが無いのだ。その蓬莱人が自分を頼ってやってきた事実。考えられることはひとつしか無い。見れば妹紅の顔はうっすらと赤く染まっていた。
「身体、熱っぽくない?」
「よくわかるね。どうも最近、身体が熱くて仕様が無い。昨日も布団の中でくしゃみしたときにうっかりけーねの髪焦がしちゃったんだ。風邪かなぁ……」
だから今は喧嘩中なのか、と永琳は一人納得する。
「風邪、という名前の病気は存在しないの。素人判断は危険よ。私が視てあげるわ」
「元よりそのつもりで来たんだ。お願いするよ」
「コレを脇の下に挟んでててね。問診するわ」
永琳は妹紅に温度計をさしだした。妹紅はそれを腋に挟みながらくしゃみを一つ。
「まず……そうね。心当たりはある? 例えば雨の中氷精と遊んでただとか」
「んー、そういう意味でなら無い」
「そう。熱っぽいのは常時?」
「ところがそういうわけでも無いのよ」
「と、言うと?」
永琳は妹紅の話を聞きながら問診表に回答を書き込んでいく。注射器で。
「けーねの傍に居ると特に酷いんだ。胸の奥が勝手に熱くなって……。炎を上手く操れなくなる」
「ふむ」
「変なんだ……! 居るだけじゃなくて、けーねの横顔を思い出しただけでも、こう……」
熱に浮かされる少女の顔にぱぁっと華が咲く。太陽のような微笑みを湛えながら一人でくねくねと身悶えている。不意に妹紅の腋でパリンと音がした。温度計は使命を果たすこと無く、水銀を床に散らして果ててしまった。
月の頭脳はその様子を冷静に分析し、一つの答えをはじき出す。
「春もうららに身も朗ら、か……」
コホンと咳払いすると、静かに妹紅に宣告する。
「貴女を蝕んでいる病魔の正体がわかりました。この病気にかかってしまったものは尽く、熱しやすく、冷めやすい。時に盲目、とまで揶揄され、周りの状況が全くわからなくなってしまいます」
「そんな危険な病気があったんだ……」
「ええ、間違いなく、永遠不変の如く存在する。幻想郷で暮らしている、ほぼ全ての人妖は身体の中にこの病魔が潜伏していると言っても過言ではない。特に貴女みたいな年頃の女の子が発病する事例が最も多いわ。……まぁ、貴女の場合は見かけだけだけれど」
永琳の真剣な眼差しに、思わず妹紅は息を飲む。同時に一抹の不安を覚えた。果たして八意永琳は自分の身体を蝕む病魔に対抗する術を持っているのだろうか、と。不死の身に不治の病なんてゴメンだ。一生死ねぬ身体と一生治らぬ病を抱えて永遠に存在するなんて考えただけでも身の毛がよだつ。
「な、治るの!?」
「さぁ、ね。それは貴女次第。ついぞ生涯、病魔と共生した人も居たし、あっというまに追い出しちゃった人も居たわ。貴女、真剣に病魔と向き合う覚悟はあるかしら?」
「……」
「長い闘病生活になるわ。もしかしたら死んだ方がマシと思うかもしれない」
死ねないけど、と永琳は付け足す。
「わたし……」
「今ならまだ、貴女はこれが病気だとは気がつかなかったし、今日も平和に暮らしましたとさ。どってんしゃんのホイ。で済ませることもできるわ」
「……やるよ。またけーねの髪を焦がして追い出されるのはコリゴリだ」
「……そう」
「だから教えてくれ永琳! わたしはまずは何をすれば良いの!?」
◇ ◇ ◇
永琳はクスリと笑い、妹紅の肩を掴むと耳元で囁く。
「まずは服を着てその鼻メガネを外せ。話はそれからだ」
「嫌だ! コレはけーねから貰った大切な鼻メガネなんだ! ふぇ……」
へくちんっ、とクシャミが一つ木霊した。
-終-
特に老人については。
ここまでやさしい永琳も久々でした。
>きっと弾幕避けられない病にかかっちゃったんだわ!
永琳先生、自分も罹ったので治療して欲しいであります!
最後のオチはちょっとなぁと思ったり。
でもそれまでの対応とかは楽しかったです。
面白かったです。
ところで先生。僕も一緒に裸のもこたんを診察したいのですが!
落ちを考えたら酷い言い草だw
まて、と言うことはもこたんは全裸で永遠亭まで行ったと言うことk
あ、鼻めがね装備してましたね、セーフです。